YUKO MASUMITSU JAZZ DANCE STUDIO

 2004年 5月


5月1日(土)  あやとりと折り紙

先日、電車の中であやとりをして遊んでいる母と子を見かけました。
今でも、まだ、継承されているんですね。
TVゲームをはじめ、おもちゃも昔より進化していて、大人が見ても楽しそうな、刺激的なものばかり・・・。
あやとりや、折り紙なんかは、地味で単調だし、今の子供にウケるのかはわからないけれど、ちゃんとそうして伝えているお母さんがいることに感心しました。

私の家はみんな本好き。
わりと何でも知識から入る方で、あやとりも、「世界のあやとり」みたいな本があって、アフリカに伝わるもの、インディアンに伝わるものとか、珍しいものがのっていました。
でも、ほとんど忘れちゃったな・・・(>_<)
折り紙は、鶴とか、かぶととか、財布とか、カメラ(知ってますよね?)とか割とスタンダードなものだけど、結構折っていました。
ただし、私は、“きっちり”が苦手な方なので、角がぴしっといかないんだけど・・・。

紐一本、紙一枚あれば、どこでもできる遊び、“文化を継承”なんて大げさだけど、何気なく母から子へ、世代から世代へ、つながって行くことの、温かさにふれて、何となくほっとしたひとときでした。(*^_^*)



5月2日(日)  ビバ!ゴールデンウイーク!

ゴールデンウイーク真っ只中。
皆様、如何お過ごしですか?
あいにく、今日は急に冷え込んで、あまりいいお天気とは言えませんでしたが、私も、自分のレッスンの合間を縫って、「安、近、短」の正統派庶民のお休みを楽しんでおります。
好きで、しているお仕事ですが、リフレッシュもまた良いもの。
・・・というわけで、今日のダイアリーはこの辺で。m(__)m



5月3日(月)  恐るべし・・・

東京近郊観光地の、公衆トイレでの出来事です。
よく見かける光景ですが、女子トイレの前には結構長い列、一方男子トイレの前は、列もなくすいている様子です。
そこへ、通りかかった“おばちゃん”達の一団。
リーダー格らしき、ひときわ声も大きく、体格も大きい!?おばちゃんが、
「トイレ、入ってくか?」
他の人が、
「でも、並んでるよ。」
すると、おばちゃん、
「こっち、はいっちゃえばいいよ。」
「そうだねぇ。」
(えっ?そっちは、男子トイレだから・・・あぁ、みんなして行っちゃったよ。(>_<))
最強おばちゃん軍団が、入っていくのと同時に、男子トイレからは、困ったように、そして少しおびえたように?慌てて出てくる、初老の紳士が一人、若者が一人・・・。
しばらくして、おばちゃん軍団は、何事もなかったように大声で笑いながら、トイレから出てきました。(~_~;)

哲学科教授であり、エッセイストの土屋賢二さんの著書に、“中年女性のただ一つ残念な点は、自分の強さに気付いていないところであり、その力を、家庭内だけで使うのは力の無駄遣いであり、どうか家庭からはばたいて、その強大な力を、全世界のために役立ててほしい”というような文章があって、笑ってしまったのですが、ほんと、怖いものなしのおばちゃんは、すごいですね。
体力的にも、精神的にも、たぶん世の中で一番強いのは、“おばちゃん”、あなた達です!!
間違いない。(^_^;)



5月5日(水)  踊る職人

その昔、気付いたらはまってしまった、ダンスの世界にあって、私は長い間、今で言うフリーター、その昔はそんな便利な言葉がないから、アルバイトとして、ひたすらレッスンに狂っていました。
レッスン好きは今でも変わりませんが、文字通りレッスン漬けの中で、様々の事を勉強する事ができ、自分の中の引き出しが増えていき、人とのつながりの中からお仕事を頂くようになり、現在に至ることができました。
不肖のわが子の行く末を、恐らく案じながらも、何も言わず待ってくれた両親には、ひたすら感謝しています。

“そんなにやってどうするの?”と普通なら、口にするだろう一言を決して言わなかったのは、我が親ながらすごいと思う。
思うに、母親が“音楽”と言う、やはり時間のかかる「芸事」に携わっていたからなのかもしれません。

時間のかかると言う意味で言えば、ジャズダンスには、いくら時間をかけて上達していっても、日本の芸事のように、何年やったから“お免状”を頂くとか、お名前を頂くなどの、誰にでもわかる区切りというのがありません。
よく、習い始めた生徒さんなどに、何年やったら、上手くなりますかと聞かれることがあるのですが、これは、よく考えると、なかなか難しい質問です。
簡単に言えば、“上達のスピードは、かけた時間と金に比例する”というのは、全ての習い事に言える真理だと思いますが、やればやっただけ自分の要求も、先生の要求も高くなるし、好きになって、踊りこむほど奥が広がる。
結局、その人が、どれだけ、どんな風に踊りが好きになるかということで、一概に言えるものではありません。

こと、私に関して言えば、自分が納得できるものを目指して、こつこつと作品を創り続ける、伝統工芸の職人さんに、似たものを感じたりします。
むろん、私にとって、踊りは呼吸のように、欠かせないものであり、発散であり、自己表現の手段なのですが、それに加え、こつこつと、自分の体をきざみつつ、かつ一人ひとりの大切な生徒さんを、磨き上げ、育てていくことも、いわば私の、「職人道」と言える気がします。

まず、楽しく踊る事。(これは、一番だと思います)
そして、そのための道具である自分の体と向かい合い、よく知って、使いこなせるように努力していく事。
そして、人を楽しませる踊りができるように、一歩づつ進む、そのプロセスそのものが、踊りの道であり、一つの楽しみ方なのかな・・・と思ったりもするのです。



5月6日(木)  コンクールの話 @

踊りの世界には、いわゆるコンクールというものが、いくつもあります。
先日、ある生徒さんから、ジャズダンスのコンクールの話を聞いていて、その時は忘れていたのですが、そういえば、昔、私も、ジャズダンスのコンクールというのに出たことが、あったなと思い出しました。

ローザンヌに代表される、クラッシックバレエのコンクールは、個人の実力を審査して、賞や、奨学金などを授けるものが多いですが、ジャズダンスは、群舞が多く、審査の対象となるのも、その作品の振付や、全体としての仕上がり、という事になるのだと思います。

私が、参加したのは、ジャズの先生の鶴の一声で、スタジオのメンバーが集められ、何だかよくわからないままに、とりあえずまた舞台だな、というくらいの感覚でした。
コンクールというプレッシャーも気負いもありませんでした。(あんまり、よくわかっていなかったのです・・・)
いつものように、楽しくリハーサルして、さぁ本番。
しかし、いつもの舞台と違うのは、やはりコンクールで、舞台は地明り(つまんな〜い)、客席の一列めには、審査員の方々が、ズラァ〜ッと並んでいることでした。

ところが、結果は惨敗!(>_<)
4作品出したすべてが、予選落ち。
先生の振付や、自分達の踊りにも、ある程度の誇りがあった私達としては、どうにも納得のいかない結果となりました。
いったいどこが、足りなかったのか固唾をのんで聞いた講評も、
「衣装と音楽と振りがあっていなくてダンサーがかわいそう?!」とか(そんなことない!!(-"-)その斬新なかっこよさが伝わらないかな?)、
「あぁ、この作品も帽子か・・・帽子屋さんは儲かるでしょうね。」(たまたま、前後に、ソフト帽を使ったものが多かった)
とかで、とても哀しかったのを覚えています。
あまり、悔しくて、次の日、本選で一位になった作品を見に行きました。
名前のある先生の、(審査員の一人。それも変じゃない?)大人数の群舞で、もちろん迫力はあったけれど、私としては、う〜ん?と言う感じでした。

ローザンヌなんかの個人のコンクールでは、例えば、技術面何点とか、芸術面何点とか、課題曲もある程度決まっていて、素人目で見ても、わりと(それでも、え〜っ?と言う時もある)
わかりやすい採点だけど、群舞で、いろんなダンサーがいて、作品もちがって、結局審査員の「好み」によるところが大きいのではないかと思ってしまったのです。
先生としても、ある程度気負いも自信もあって、きっとショックも大きかったのでしょうが、参加した生徒の私達も、訳がわからず傷ついた部分があり、この後このコンクール騒動は尾をひいたのでした。
つづく



5月7日(金)  コンクールの話 A

コンクール惨敗後の、残念打ち上げの席。
本選一位の作品を見て、私はう〜ん?という感じだったし、コンクールってこんなもんかという割り切り。
確かに残念だったけれど、自分達の踊ったものや、先生に対する不満や、不安はほとんどありませんでした。
ところが、一緒に出た仲間の中には、一位になったいわばあたりまえの?!群舞、誰にでもわかりやすい作品を見て、こういうのが通るなら、こういうのをやりたいという声も上がっていました。
先生の作品は、私はとても好きで、ふつうならこう来るというところをわざとちょっとはずしたその感性が好きだったのですが、けちょんけちょんにけなされた事で、皆の中に不安が高まったのかもしれません。

仲間の一人の、「一位の作品、かっこよかったです」という一言が、たぶん一番傷ついていた先生の感情に火をつけたようでした。
「絵にしたって、何にしたって、芸術が正しく評価されるのは、その人の死後何年もたってからというのはよくあることなのよ!」(そう自分で言っちゃうのも、ちょっとすごい・・・!)
その場は、何とか丸く収まったのですが、その時から、先生のなかに、
“自分が創りたいもの”、“皆が踊りたいもの”、“客にウケルもの”という3つの接点を探しての悩みというのが生まれたらしいということを、後日他の人から、聞きました。
その時は、ただの生徒で、一人のダンサーでしかなかった私も、今は、作品を創ったり、生徒を率いる身、先生が悩んでおられたことも少しわかる様な気もします。
ただ、コンクールは、あくまで審査員次第。
踊りを含め、全ての芸術も、結局のところは好み、好き好きの問題というところもあるし、自分が面白いと思うものを創り、それに賛同する人が集まって踊り、後は、見ている人の中で、同じ感性を持つ人が面白いと思う・・・それでいいんじゃないかなと思ったりもするのです。
芸術に、順位をつけること自体、どうなの?というところもあるし、ましてその評価を求めてムキになることは、ナンセンスな気がします。

世の中には、ブランドのイメージで物を判断する人も多いから、例えば、コンクール一位とか言ったら、それは素晴らしい作品だと無条件に思ってしまう人もいるのでしょうが、自分の感性で面白いと思うもの、好きだと思うものでいいんだと思うし、例えば、少数派にしかウケないものでも、それはそれでアリ、それなりの面白さがある。
独りよがりは、まずいけれど、自分のもてうる限りの客観性を持って、後は、自分を信じて、いくことかな?
過去のコンクール事件?を思い出して、今、あらためてそんな風に思ったりしています。(-。-)y-゜゜゜



5月8日(土)  “簡単ギター”

ボタンを押せば、どの弦を弾いても、ちゃんと曲どおりに音が出る、“簡単ギター”のようなものが、各社から発売されてブームになっているというニュースをテレビで見ました。
時間がない現代人が、手軽に楽器を弾く楽しみを得るにはいいのでしょうが、ピアノ教師である私の母は、苦い顔です。
(“簡単ギター”のピアノ版も、すでに発売されています)
「そんなのが、流行ると、よけいこつこつ練習しなければ上達しないピアノなんか習わない」という事らしい。
「簡単に弾けるものは、どうせ、すぐ飽きちゃうよ」とも言ってました。
確かに・・・。

おもちゃ感覚、疑似体験という意味では楽しいのでしょうが、弾けるようになるまで、こつこつと練習する、その時間自体を楽しみととらえる、“心に余裕にある人”が、どんどん減っているのも、事実のようです。

科学の発達で、何でも時間短縮が可能になった世の中、仕事だって、家事だって、昔は何時間もかかっていたことが、ボタン一つであっという間ということが、少なくありません。
そのおかげで、時間に余裕が出来たか、というと、その逆で、現代人は、なぜかどんどん忙しくなってきている。
どうしてなんだろう?
趣味の分野まで、そんなに急いで、手間を省いてどうするんだろう?
ダンスにしても、上達を急ぐあまりか、単に根気がないのか、2,3回レッスンを受けただけで、“私にはできない”、“私には向かない”とか言っちゃう人がいる。
そんなこと、2,3回でわかるわけないのに。
時間と、手間をかけるよさもあります。
長い人生、のんびりと楽しんで生きるのも悪くないと思うのですが・・・。(^J^)



5月9日(日)  喉が痛い・・・(>_<)

ちょっと寒かったり、疲れたりすると、あっという間に風邪っぽくなってしまう私・・・。
昨日の夜から、ちょっと変かな?と思っていたら、朝のクラス後、なんか喉が痛くなってきました。(-_-;)
今日は、早く寝ます。
丈夫そうで(そうでもない?)、見掛け倒しの私です。
おやすみなさい。m(__)m



5月10日(月)  先生の“ご機嫌”@

昨日より大分復調してきた私です・・・。
まだ、ちょっと喉痛いけど・・・。

さて、今日のダイアリィは、先生の“ご機嫌”という題です。
私は、一人の先生に習い始めると、しつこく通う方で、今も習っているモダンの先生には、もう16年、ジャズの方も、先生の方のご都合で、スタジオを閉じられるまで、10数年お世話になりました。
その間、並行して、いろいろな先生のクラスを受けましたが、先生も一人の人間、性格も教え方もいろいろ・・・。

ある時、顔は、舞台などで知っているけれど、受けたことはない人気のK先生のレッスンに行ったら、まだ、先生はいらっしゃらない様子。
もうすぐ、始まるのに・・・?
・・・とよく見たら、全くノーメイクの、寝起きのような顔で、ストレッチをしていた人が、ぬぼーっと顔を上げたら、何とその方が、K先生!
うわーっ、不機嫌そう。
いつも、教える時は、こんななの?
とびっくりしつつ、スタジオを埋め尽くす大人数に混じって、レッスンの始まりです。
ストレッチなんて、芋の子を洗う海岸のようです。
混んでると、足の開かない人は、場所をとって、周りに肩身がせまい思いをしたりします。(@_@。

朝礼台のような、台に乗って、全体を見るでもなく、見ないでもなく、眺めているK先生。
よくその様子を見ると、お気に入り?の生徒さんは、ステップの出だしから終わりまで、じっと見ているのに、どうでもいい人が来ると、パッと目をそらす。(!!)
(レッスン受けに行って、先生の観察なんかしてどうするんだ!?(^^ゞ)

まぁ、その日は、特に先生のご機嫌が悪かったのか、全体的に、ぶすっとした調子で、レッスンは終わったのでした。
いつも受けているどちらの先生も、わりとアットホームな雰囲気だったり、理性的なレッスンだったので、びっくりしたのを覚えています。

いろいろな先生の中には、ぶすっとご機嫌ななめどころか、いつも、キレ易くて、「火山大爆発」の先生もいらっしゃいました。
半年ほど、結構通ったその男性の先生は、カンパニーの上手な生徒さんをターゲットに、割れるような大声で、
「田舎に帰れ〜!」とか、
「やめちまえ!」とかの、激しい修羅場を、日常的に?こなしていて、それはすごかったです。
修羅場が、始まると、慣れている他の生徒さんは、さっと目をふせ、貝になる。
自分が言われているのじゃなくても、私なんかは、ドキドキして冷や汗が出た位、怖かった。
しかし、後に、その先生は、本当に脳が、切れてしまい、(~_~;)、入院され、手術後、カムバックした時には、かなり温厚な性格に変身されたそうです。(汗)



5月11日(火)  先生の“ご機嫌”A

外国人で、本当は日本語ペラペラといううわさなのに、レッスン中は全部英語、というD先生。
日本人の悪い癖なのか、生徒がみんな遠慮して、後ろの方にこそこそ下がっていたら、やる気がないと思われたのか、
「Go Home!!」と、怒鳴られ、怖かった事もあります。
その位の英語なら、全員理解できた・・・。(@_@;)

私が、若い頃から、ずっとお世話になっていたジャズの先生は、感情的に怒鳴ったり、ぶすっとしていたりする事は、あまりありませんでした。
しかし、私が習いたての頃、先生もまだお若い頃は、私達生徒の中に、秘かにある定説がありました。
それは、「先生が、ノーメイクで、煙草吸いながら、ストレッチしてる時は、危ない」というものです。
その頃、先生は、いつもは、バッチリメイクしている事が多かったのですが、確かにノーメイクでいらっしゃって、レッスンが始まる前に、黙って煙草吸いながら、ストレッチしている時は、あまり“ご機嫌”がよろしくない事が多かった気がします。
見ていないようで、生徒は、よく先生を観察している!!(気をつけよう!)
しかし、後年、先生は煙草もやめられ、メイクもほとんどしなくなり、この定説は崩れてしまいました。

さて、私ですが、もともと日常的にそんなに気分の変化のない方です。(体調が悪くない限り、大抵いつもご機嫌?)
よほどの事がない限り、あまりキーッとなることはない気がします。(その私が、もし、キーッと怒ったら、“よほどの事”だと思ってね?!(-_-;))
昔かたぎの先生の中には、師匠と弟子じゃなけれど、先生の言う事は絶対で、“怖い先生”があたりまえのような時代もあったと思うし、そこまで、絶対でいられる先生に一種憧れも感じるけれど、“私は、私”。
思い入れを持ってしまい、感情的になることもあるけれど、性格なのか、ついすぐにフォローの言葉を加えてしまう。
“やさしく理性で言っていてわからないなら、それは仕方ない・・・そういう人なんだな・・”と判断してしまう。
まぁ、私と付き合いの長い方なら、なんとなくわかっていると思うけど。
先生の“ご機嫌”を気にして、びくびくしたり、萎縮して自分を出せないようなクラスは、いやなので、極力、皆さんには、リラックスしてのびのびといてもらいたい、偉そうに言えば、そんな願いもあるわけです。
(ホントか・・・?)(-。-)y-゜゜゜



5月12日(水)  救急車騒ぎ

仕事前のひと時、いつものように一服しようと、Mドーナツに入ったときの出来事です。

荷物を置いて、席を取り、飲み物とドーナツを買い、トレイを持って、一歩踏み出したその時です。
カウンターに座っていた男性が、いきなりドタンという音とともに、目の前の床に、仰向けに倒れてきました。
「わっ〜!!」
騒然とする店内・・・。
しかも、その男性は倒れた拍子に、椅子の足の角に頭をぶつけ、流血したまま、宙を見て、手足を硬直させて痙攣しているのです!!
グーグー、いびきのような音もたてている!!
これは・・ヤバすぎるでしょう・・・。
私を含め、何人かが、口々に店員さんに声をかけましたが、たぶん高校生のバイトの二人は、
「えっー・・どうしよう?・・・」
とへらへら困っている。
この中では、私が一番年上と見て、(後でみたら、奥にもっと年期に入ったおばさんがたくさんいたんだけど・・・)
「脳かもしれないから、動かさないで、早く救急車呼んで下さい!」
とでしゃばって言ってはみたものの、
フットワークのいい高校生の女の子が、すでに携帯で119に電話してくれていました。
エライ・・・・・。

その間も、私は、ずっとトレイ持って立ったまま。
何しろ、通路に男性が倒れちゃってるから、まさか、ヨイショとまたぐわけにもいかないし、自分の席には戻れない。
別の二人組の短大生風の女の子、どうやら、片方の子の親が、医者らしく、携帯で話しながら、もう一人の友達の方に、
「ネクタイゆるめて、って言ってる」
とか指示を出している。
知らないおじさんのネクタイやベルトに手をかけるのも、結構勇気いると思うのに、その友達の方の子も、頑張っています。(手がふるえてた・・・)
これは、私も何かしなくちゃ・・・と、私は相変わらずトレイを両手に持ったまま(置く場所がないんだもん)、しゃがんで、その人に意識があるか確認。
「大丈夫ですか〜?(大丈夫にはみえないけど・・・)」
医者の娘らしき子が、
「声をかけてた方がいいって」
というから、友達の方の子と、代わる代わる、
「今、救急車きますからね〜」
とか、声をかけるけれど、男性は、宙を見たきり反応なし。
「冷たいタオルかなんかで、額冷やせって」
店員さんに、
「タオルか、おしぼりかないですか?」
と聞くと、
「ダスターなら・・・」
(ダ、ダスター?)
「洗えばいいよ、氷で冷やして持ってきて」
とかやってたら、やっと救急車の到着です。

救急車を呼んでくれた高校生の子が、事情を聞かれ、誰も、グーグー言ってた事言わないから、またでしゃばって、口出して、
それにしても、でしゃばるわりに役に立たない私でした・・・。(>_<) (落ち込み・・・)
しっかりしてて、今の子も捨てたもんじゃない。
しかし、こんな時、自分が看護婦さんやお医者さんだったらよかったのにと思いますね・・。

さて、ちなみに、ふるえる手で、ネクタイゆるめてた友達の方の子ですが、救急車が来たとたん、自分の席に戻り、パクパク、ラーメンを食べてました。
私なんか、びっくりしてしばらく、何も喉を通らなかったのに・・・。(小心者)
つくづく、立派でした。(-。-)y-゜゜゜



5月13日(木)  鬱病の話

最近、身の回りでよく鬱病の話を聞きます。
私のモダンの仲間で、先輩にあたる人も、一年くらい前から鬱病になってしまいました。
独身で、専門学校で踊りを教え、家業のお店を手伝って、いつも明るく、機転がきき、いわゆる典型的なO型の彼女。
何年か前、お父様が亡くなりお店が閉じ、それでも、元気にいろいろとバイトをこなしていた彼女。
ところが、ある時、仕事の上でスランプがあったらしく、珍しく、暗い顔。
大丈夫かな・・・と思っていたら、稽古に顔を見せなくなり、鬱病だとのこと・・・。
半年ほどたって、やっと現れた時は、別人のように暗く、こちらが、哀しくなってしまうほどでした。
しかし、病院へ行って薬をもらってからは、どんどんもとの彼女に回復して、周りの私達も、かえってあまりの元気さに、飛ばしすぎを心配するほどまでになっていました。
本人も、にこにこと快気祝いまで出して、張り切っていたのに、今年になってまた、パタッとこなくなり、どうやらぶり返してしまった様子。
最近、数ヶ月ぶりに顔を見せてくれたので、少し安心したのですが、やはりまた調子が悪いらしい。
あんなに明るく、元気だった彼女が、どうして・・・?いう感じなのですが、そういうものらしい。
鬱病の人には、絶対「頑張って!」と励ましてはいけないそうで、無理しないで、としか言えないけれど、
一説には、脳内物質の出が悪くなって起こるので、薬が爆発的に効くこともあるそうで、ただ、それで、すぐ薬をやめてしまうと、ぶり返すそうで、彼女もそうなのかな・・・と思ったりしています。
ただ、本人に何となくその話をしたら、なるべく薬には頼りたくない、という考えらしい。
そっか・・・。
のんびり、でいいから自分のペースを取り戻して、病気がなおればいいなと祈るしかありません。

私の母の友達も、鬱病になって、ちょっと回復したところだそうで、その方を励まそうと母の歌の先生が、
「Nさん(鬱病になった人)、箱根行こう」
と急に言い出したそうです。
実は、この先生、日頃から超マイペース人間。
Nさんは、その勢いに押され、目を白黒。
他の人が、「私も行きたいわ・・・」と言っても、
先生は、無視で、どうやらNさんを励ますのが目的なんだから、というつもりらしい。
ところが、その話が決まったとたん、今度は、一人でNさんの相手をするのが、しんどいと踏んだらしい。
面倒見のいい、私の母にお呼びがかかってしまいました。
そんなわけで、今日から、一泊で、
まだ、余り元気のないNさんと、超マイペース先生との3人旅に出かけた母・・・。
ご苦労様です・・・。m(__)m



5月14日(金)  「13歳のハローワーク」にちなんで・・・

ある縁で、都立の技術訓練校へ、見学に行ってきました。
就職、再就職に必要な技術を、無料で訓練する職業訓練校です。
その分野は、山ほどあって、ざっとあげても、
CAD製図、グリーンエクステリア(まぁ造園ですね)、サイン・ディスプレイ(屋内外広告、ディスプレイの知識)、医療事務、Webデザイン、介護サービス、配管、ファッションパタンナー(型紙作成等)などなど・・・。
名前だけでは、何を勉強するのかさえわからないものもあります。
私が、見学したのは、CAD製図のコースでした。
CADってなぁに?という感じだったのですが、見学についてくれた先生の説明や、見学でざっとつかんだところによれば、要は、図面製作ですね。
歯車や、ネジの3D図面。建築関係では、建物の図面など。(実は詳しくはまだわかっていない・・・)
はっきり言って、緻密さと正確さが求められる、私には最も無縁な世界だったけど、結構おもしろかった。

しかし、その建物、都立のものなので、すべてお役所管理。
冷暖房は、決められた期日からしか使えないそうで、やたらむし暑い・・・。
見学者の中の質問に、半分怒ったみたいに、
「冷房はないんですか?」
というのがあったくらい。
また、CAD(たぶん、製図する機械のことなのかしら?)を置く場所がないとかで、一つの部屋を分けて、二クラスで使っていたりして、結構、過酷な環境の中、皆真剣に学んでいました。

その先生が、またたんたんと喋るのですが、実は話し好きらしく、さらーっと冗談を言うのです。
「建築の方のこの図面でね、この焦点をずうっと上に消していくとね、あっ、この焦点は、4チャンネルの笑点じゃないですよ・・」
(ちょっと、待ってよ・・・)私は吹き出すのをこらえるのに必死。
なかなか、味のある人物のようでした。(^^ゞ

世の中には、ホントにいろんな職種があって、いろんな技能があるわけで、私なんか今のところ、踊り以外にはつぶしのきかない人間ですが、ちょっと社会勉強をしたような気がした経験でした。(*^_^*)



5月15日(土)  プラスチックの鎧

Nちゃんは、キッズクラスの生徒で、小学6年生、理解力もあるし、とても頑張りやの女の子です。
先日、レッスン前に、大きな紙袋を持ってトイレに行こうとしていたので、
「どうしてそんなの持ってトイレ行くの?」
と尋ねました。
すると、Tシャツの裾を少しめくって、
「これをはずすの。」
と、彼女の胴体を覆った、プラスチックのものを見せてくれました。
「何それ?ど・・どうしたの?」
「背骨が曲がってるんだってさ!」
えー?

話しによれば、ちょっとした怪我をして首が痛かったので、整形外科に行ったら、脊椎の側湾症が見つかり、(本人によれば、ダブルカーブとのこと)これから、中学2年になるまで、毎日10時間は、そのプラスチックの鎧のような、ギブスをはめないといけなくなったのだそうです。(T_T)

ギブスをはずして、トイレから帰ってきたNちゃんに、そのギブスを見せてもらいました。
右と左の長さがちがう、まさに厚いプラスチック製の「鎧」のようなもので、背中で止めるようになっている。
そして、ウェストのところが、マネキンのように?キュッとくびれているのです。

「へぇ〜すごいね〜。でも、なんかちょっとかっこいいね。サイボーグみたいで強そうじゃん?!」と私が言うと、
Nちゃんは、ぱぁっと顔が明るくなって、
「そう!男子にパンチされても、(パンチなんかされるんだ?!・・・(-_-;))全然平気だから、強いの。」
「しかも、これウェストくびれてるね。」
「そうだよ。これつけてる子、病院で会ったけど、みんなスタイルいいんだよ。暑くて汗かくから、ダイエットにもなるしね!!」

そうだ!その意気!!
何でも、前向きに考えないとね。
頑張れ!Nちゃん!



5月16日(日)  小田急線の車窓から

私は、仕事場が、本厚木、秦野で、自分のレッスンする稽古場が、新宿近辺、そして自宅がその中間にあるということで、小田急線、特にロマンスカーの利用頻度はかなり高い方だと思います。
一週間に4回は必ず、ロマンスカーに乗るし、普通の急行も、ほぼ毎日乗って、行ったり来たりしています。
しかし、考えてみると、秦野から新宿までには、秦野市、伊勢原市、厚木市、海老名市、座間市、相模原市、町田市(東京都だよね)、川崎市(私の自宅がある)、そしてやっと東京都狛江市、世田谷区、と来て渋谷区、新宿区に至るわけで、なんと12もの市や区を通りすぎているのですね。
しかし、こうしょっちゅう行ったり来たりしていると感慨も全くなくなります。
ロマンスーカーに乗ったとたん、食事や、睡眠、或いは振付?!となるわけで、窓の外なんて全くと言っていいほど、見ていません。

が、たまにぼーっと通り過ぎる窓の外を見てみると、なかなか味わい深い風景がくりひろげられています。
(ロマンスカーは、途中、高架の上を走るため、あまり風景を楽しめないのが残念ですが・・・)
山深い秦野から、トンネルをぬけると、田園風景、しばらくすると一変して、本厚木のビル街、はたまた、相模原あたりでは再び見える緑の風景、町田の繁華街をぬけると、急に一戸建てや建売?の住宅が増えてくる。
多摩川を渡ると、さぁ東京です。
同じ東京都と言っても、街の顔があって、小田急線が主に通っている世田谷区は、わりとすました住宅地の顔。
私が育った目黒区の最も端っこ、世田谷区、渋谷区と隣接する、“駒場”と何となく似通ったにおいがして、ほっとします。

宅地開発や何かで、劇的に変化した地域もあるのでしょうし、もちろん住んでいる人もそれなりに変化しているのでしょうが、何となく残っていく、“街の顔”というのが確かにある。
そんな顔をたまにのぞける、電車の車窓もなかなか楽しかったりするのです。
(*^_^*)



5月17日(月)  メールの話し@

今さら何を言うのかと思われそうですが、メールってやっぱり便利ですよね。
考えてみると、十年前にはなかった(私は知らなかった)機能で、今では、かなり多くの人が日常的に利用している。
携帯電話自体が、そうだけれど、一度便利なものを使い出すと、なかった頃のことなんか忘れてしまうほどですよね。

電話をかけると、いくらなんでも用件だけ言ってパッと切るわけにはいかないけれど、メールならO.K.
しかも、場所や時間などが、しっかり文字で残るから機能的。
相手の都合を気にしないで、こちらの伝えたい事だけを送ってしまえる。
世界中、短時間、低料金で連絡をとりあえる。
そして、相手が電話に出てしまうと、ちょっと喋りにくい事も、気分的に結構ラクに伝えられる。
(生徒さんからの、欠席の連絡がマメになったこと・・・(-_-;))
電話をかけるまでには至らないちょっとしたコミュニケーションには、かなり貢献しています。
そんな事務的な連絡だけでなくても、(^_^)vとか、(^_-)-☆とかの顔文字を混ぜたりして(私もつい使うけど)、まめに連絡を取り合える事で、一層の親密なコミュニケーションにも一役買っています。

もちろん、文字だけでは、行き違うこともあるし、感情の機微はなかなか伝わりにくい。
顔を見て話したり、電話で話し合うのにまさるコミュニケーションはないと思いますが、逆に、文字だから書けてしまう事もあるし、まぁ、プチ手紙のような使い方もあるわけですね。

公演や、舞台の案内も、もちろんDMが基本で、チラシなど同封するのが普通ですが、その後の、ワンプッシュ、もう一押しをメールでする人が増えてきた気がします。
確かに、相手がいる時間を見計らって、電話を何本もかけて、
「チラシの舞台、どう?来てもらえる?」
などと、頑張るよりも、
「来てもらえますか?返信お待ちしてます」
とか送るのは、ラクに違いない。
誘われる方も、断るにしても行くにしても、
「残念ですが、行かれません。頑張ってね!」とか、
「何日、何枚お願いします。」ですむからラクです。
でも、電話が、かかってきて話すうちに、断れなくて、行っちゃうということはないから、プッシュの効果は薄れますね。
やはり、面倒でも、手間をかけることにはいい事もあったりします・・・?!



5月18日(火)  メールの話しA

バレエのお友達のIちゃんが、朝、なんとなくぐったりしてやってきました。
話しを聞いてみると、Iちゃんがバイトしている会社での友達から、長文の“絶縁メール”をもらってしまったとの事。
先日、二人でご飯を食べに行って話しをした時に、Iちゃんの言った何かの一言が、彼女を怒らせたらしく、その場では、何も言わなかったのに、数日たった昨日、鬱憤の限りを一方的にメールにして送ってきたらしい。
Iちゃんが、いったい彼女が何故そんなに怒っているのか、行き違いを話し合おうと電話をしても、もう、出てくれない。

二人の間で、どんな会話がなされたのか、彼女が何故そんなに感情を害したのかは、置いておいても、面と向かっては何も言わず、自分の思いだけを一方的にぶつけておいて、後は逃げてしまうというのは、ちょっと如何なものか・・・と思ってしまいます。
価値観の違う相手と話したときに、その言葉をまず受け止めてこそ、あらためて“いや自分はそう思わない”などと主張できるわけで、例えばその中で、相手の言った一言が、自分にとって傷つくものや、言われたくない事であったら、きちんとそれを相手に伝えることが、友達付き合いの最低限のルールだと思うのです。
その結果、絶縁に至るとしても、
“ケンカは、きちっと目を見合って、一対一でしようよ〜!”
ということです。

昨日も書いたように、コミュニケーションの一手段としてのメールには、たくさんの効用があると思います。
でも、それは、あくまで、目と目を見てのお付き合いが出来てからの事。
メールのみならず、PC上の仮想現実にのめりこんだり、PCやメール上の付き合いだけがメインの引きこもり気味の若者の中には、現実の付き合いで傷つくことや面倒を避ける傾向があるように思います。
転んで、傷ついて起き上がるうちに、だんだんと皮膚が強くなる。
便利なグッズを器用に使いこなせるけれど、自分の痛みにだけに敏感で、ひ弱で、実はとても孤独な人間が増えているとしたら、何だか怖いな・・・と思った出来事でした。



5月19日(水)  白鳥の湖と花束@

クラッシクバレエの定番と言えば、誰でも思い浮かぶのが、「白鳥の湖」。
悲しげで、でもドラマティックなあの音楽を知らない人はあまりいない位、ポピュラーです。
実は、先日、友人が大昔に録った(89年)というボリショイの白鳥の湖を見たのです。
数年前のお正月に、同じロシアのレニングラードの“白鳥”を大金?をはたいて見てがっかりした(だって・・・王子様が全然かっこよくないし、ちょっと禿げてたし、全体の踊り的にも?だった・・・)のとは、大違いで、踊りもきれいで上品で、王子様はちょっと顔に力入ってたけど、それなりに素適で、楽しんで見ていたのです。
ところが!
肝心のラストも、ラスト、4幕の終わり、音も盛り上がって頂点に達した所で、いきなり、ブツッ。
画面が切れてしまったのです。
実は、3倍モードではなく、標準で録ってしまったので、最後が入らなかったらしい。
(-"-)
ものすごい欲求不満・・・。
楽しんでいただけに、あんまりだ、という感じ。
どなたか、おすすめの、これこそ定番という白鳥の全幕のビデオがありましたら、ダビングしてちょ〜!!!m(__)m

さて、前にも書いたのですが、私は幼少の頃、バレエをやっていて、「研究発表会」や、そのバレエ団の「公演」で、“白鳥”を見る事もありました。
私も出してもらっていた、夏の研究発表会では、研究生のお姉さん達が、毎年必ず、白鳥の2幕をやることになっていて、オデット(主役)は、その年の若手ホープ?がやっていました。
今思うと、Kバレエ団の全盛、山ほど生徒さんがいましたね・・・。
でも、子供だった私にとっては、白いチュチュばかりの2幕はちょっとばかり退屈で、いろんな衣装が出てくる3幕の方が好きだったし、群舞の魅力もあまりよくわからなかった。
今は、2幕好きです。
構成とかも、面白いし、曲もいいし、主役二人がよければ楽しい。

さて、研究発表会ではなく、バレエ団の公演で、白鳥をやった時があって、小学1年生か、幼稚園だった私も、母に連れられて見に行きました。      



5月20日(木)  白鳥の湖と花束A

白鳥の湖には、ロットバルトという悪魔が出てきます。
オデットと王子を引き裂く悪の親玉として、重要な役なのですが、その時の公演では、ロットバルトは、ものすごく大きな羽をつけてバッサバッサとはばたく演出になっていました。
置いてあったのをみたのか、よく覚えているのですが、木の梯子のような?枠に紙が貼ってあって、片翼が3メートル位ある!セットのような羽でした。
それをつけて、衣装をつけて、悪役メイクをしたロットバルトはホントに怖かった。
むろん、そんなセットのような羽をつけたら踊れないから、あまり踊る部分はなく、悪の象徴といった感じでした。

さて、その公演当日、カーテンコールで主役級の人達に、花束を渡す係りの子供が、何人か必要だとかで、どうも、私にも白羽の矢が立ったらしい。(経緯は覚えていないのですが・・・)
終演前に、舞台袖に集合という事で、母に連れられて、幼い私も席をたち、袖に向かいました。
背の順に並べられた子供達は、上、下の袖から出て、一列に並んだ主役級の人達に、花束を渡すのです。
ところが、私が、花束を渡すよう言われたのは、なんとあの、コワーいロットバルトだったのです!!
「いやー!怖いよ〜!!」
私は、どうしてもイヤで、泣き出してしまいました。
先生も困って、急きょ並び順を操作してくれたのか?結局私は、ロットバルトの隣に立つ、指揮者に花束を渡すことになりました。(ご迷惑おかけしました m(__)m)
ロットバルトを逃れ、あっという間に機嫌を直した私でしたが、本当は、指揮者より衣装を着たオデットや王子に花束を渡したかったんだよね・・・ちぇ・・・。(って、贅沢いうな!!)

白鳥の湖と言うと、思い出す思い出であります。



5月21日(金)  “純粋”、“無心”、“集中”

朝のニュース番組で、オリンピック出場を決めた選手を特集していて、先日は、アーチェリー、昨日は、クレー射撃をやっているのを何となく見ました。
アーチェリーの選手は、うんと若い頃、初めてのオリンピックで銅メダルをとってしまい、それからは、何とかして上に行こうともがけばもがくほどうまくいかなくて、学校の先生をしながら、部活の生徒と練習し、本当の競技の楽しさを知った今、また五輪へ行こうとしているそうです。
自分のペースで、余裕を持って、初めてまた五輪への切符をつかんだ彼は、とても楽しそうでした。
一方、クレー射撃の選手は、何と、ホルンで音楽大学へ行った音楽家で、クレーを始めて3年で、五輪へ行った選手をテレビで見て、これだと思って射撃を始めたのだそうです。
彼女の言う事には、一音に集中するホルンと射撃には共通するものがあるとの事。
しかも、クレー射撃の選手に義務づけられている心理テストでは、非常に、「闘争心」が低く、お母様の話しでは、幼い頃も、かけっこで一番を走っていたのに、後ろの子が来ないので、ニコニコしながら待って、結局抜かれてしまってもニコニコしているような子だったとの事。
ところが、射撃には、闘争心がない方がよいとのことで、プレーッシャーに負けず、集中できることこそが必要とされるとの事。

相撲などで、負けた力士にインタビューすると、よく「自分の相撲が取れませんでした」とか言うし、
サッカーなんかでも、「自分のプレーが出来ませんでした」と言っているのをよく聞きます。
なんだ、負けるとそう言うのか、負けたから自分のプレーじゃないわけ?となんとなくいつも割り切れないものを感じていました。
しかし、何のスポーツでも、実は必要とされるのは、“何が何でも相手を倒すぞ”とか、“自分のプレーを、良いところを出すんだ”と一生懸命思い込むよりは、純粋、無心に、ひたすら集中することなんだなと思いました。

この純粋、無心、集中、というのが、キーポイントであります。
邪心?が入らないところで、ひたむきにその競技に向かい合うというのが、実は、最大のパワーを引き出す秘訣のようです。
日本人の得意な、〜のために頑張るという姿勢、(会社のため、とかお国のためとか・・)も、うまく行っている時は、あるパワーをもたらすけれど、最後に勝つのは、無の境地で、対象に向かい合う事なんだというのが、何となく興味深く思えた、特集でした。(-。-)y-゜゜゜



5月22日(土)  はみ出し!

ロマンスカーの座席は結構狭い。
ふつうの体型の女性が二人並ぶ分には、それほど感じませんが、隣が大きな男性だったりするとかなり窮屈な思いをする事になります。
最近の新しい型の車両の中には、隣の座席との間に、可動式で下げたり上げたりできる肘掛があって、境界線の役割になるものもあるのですが、古い型では、絶対この人、1.5人分座ってるよ!(-"-)と言う時があって、ストレスです。
私が、小学2年の頃までは、(すぐスチールの机に変わったけど)、二人がけの木製の机で勉強していて、それこそ、境界線からはみ出た、はみ出ないでケンカをしていた事を思い出す位です。

先日も、ロマンスカーに新百合丘駅から乗車したら、私の席には既に隣の大きな男性が、完璧に1.5人分座っていて、しかも私の座る席には荷物が置いてありました。さすがに、私が乗ってきたのがわかると荷物はどけてくれましたが、それでもずるっと座っているのもあってかなり身体がはみでている。(-_-;)
その車両は肘掛のあるタイプだったのですが、しまわれている。チッ・・・(>_<)
そこで、私はその人が通路側を向いている隙に、気がつかれないように、そおっと肘掛を途中までおろしました。
マイ境界線を設置です。
しばらくして、身体の向きを変えたその男性は肘掛にさわったのに気づき、姿勢を正し、座りなおしてくれました。
“境界線作戦”成功!!(^_^)v
特別料金を払って乗ってるんだから、ホントお願いしますよ〜。
セコイ話でゴメンなさい。m(__)m



5月23日(日)  拉致被害者の子供達

昨日の小泉総理と5人の子供達(拉致被害者の方にとっては、確かに子供ですが、22歳ともなれば、一般的には子供ではないので、一瞬違和感があったのですが)の帰国以来、あらためて日本中が、拉致被害の悲惨さを実感していることと思います。

親御さん達にとっては、子供達が帰国できたことは、何よりの喜びでしょうが、曽我さんのこと、また他の安否不明者のこともあり、まだまだ問題は山済みです。
加えて、帰国した子供達にとっても、帰国は、親との再会と言う面では、喜びでも、かなり辛い面もたくさんあるに違いありません。
自分の身に置き換えて想像してみたら、本当にツラクなってしまいました。

逆のパターンで想像すると、例えば、私が、日本人の両親に生まれた、日本人だと信じて、生まれた時から日本で暮らしているのに、或る日、突然、
「実は、パパもママも、北朝鮮から無理やり拉致された、北朝鮮人なの。」
と聞かされたら・・・。
そして、すぐ帰ると言って里帰りした両親が、1年たっても帰ってこない。
そして、とうとう、自分も北朝鮮へ“帰国”することになり、生まれた時から暮らしている国とも、大切な友達や、もしかしたら、恋人ととも離れ、行ったこともない国へ行くのです。
久しぶりの、両親との再会は喜びでしょうが、その両親は、何と、自分には解らない言葉で、
「○○××○・・・(北朝鮮語を当てはめてください)」
とか話している。
しかも、
「あなたには、北朝鮮の名前があるのよ。(例えばだけど、)ユンヒチャン!」
とか言われたら・・・。
混乱するし、今まで自分の世界だったものが、ガラガラと崩れてくる。(T_T)

もちろん、若い頃に、突然拉致されて見知らぬ国へ連れ去られ、それでもいつか帰国できる事を信じて生きてきた拉致被害者の方の子供達ですから、きっと精神的にも強く、程なく、順応できるとは思いますが、今の彼らの心中を思いはかると、本当にキツイだろうなと思います。

ありえない事(ホントに何で、拉致なんてしたんだろう・・・)をしでかした国との交渉は、確かに難しいのかもしれないけれど、被害者の方、そして、その家族、安否不明者、特定失踪者の家族の方、日本中みんなが、拉致問題の1日も早い解決を願い、今回の結果にがっかりしているのも無理はない気がします。
拉致被害者と、その子供達が、日本で幸せに暮らせること、そして、一日も早く、いなくなってしまった家族が、そろって皆が幸せの笑顔で暮らせることを祈るばかりです。



5月24日(月)  クイズ番組

先日TVで、ほんものは誰だショーという特番をやっていて、思い出したのですが、昔、“ほんものは誰だ”というクイズ番組がありましたよね。(土居まさるさんが司会だった・・・)
たぶん、視聴率もそれなりによかったと思うし、見ていらっしゃった方もいるのでは?
私は、結構見ていました。
あるエピソードを持つ人と、その偽者が出てきて、本物をあてるクイズだったのですが、本物の人が立ち上がるギリギリまで、偽者の人が立つ振りをするのが定番で、学校の催し物なんかで、先生を出して真似をしたりしてました。
昔って結構、ユニークなクイズ番組がいろいろとあったと思います。あんまりTVを見ていなかった我が家でも、クイズ番組系は結構好きで、見ていました。

定番クイズですが、1分の時間制限がかなりハラハラする“タイムショック”や、モザイク処理の映像をあてる“ヒントでピント”や、スターの昔の写真をあてる(最近リバイバルしたみたいだけど、見てない)“一枚の写真コーナー”とかの“ぴったしカンカン”とか、値段あてクイズの中でも秀逸だった“世界まるごとハウマッチ”とか、“クイズ百人に聞きました”とか・・・・。
もっと、さかのぼれば、NHKの“連想ゲーム”とか・・・。
シンプルだけれど、アイディアとユニークな出演者で、面白いものがたくさんありましたね・・・。
最近のTVは、売れている顔が、金太郎飴みたいに出ているだけで、なかなかあっというアイディアの、丁寧なつくりの番組が少ない気がします。
もちろん、昔の番組を今見たら、テンポが今に合わず、退屈だったりするのかもしれないけどね?!(-。-)y-゜゜゜



5月25日(火)  大豆の夢

フロイトなどの精神分析によれば、きっと夢にはいろいろ意味があって、
「それは、〜の欲求を抑えている結果です」とか、そうでなくても、最近流行?の夢占いなんかでも、
「その夢にはこんな未来が隠されています」とか分析されちゃうから、あんまりやたらに、見た夢の話はしない方がいいらしい。
しかし、私が今まで見た夢の中でも、一番変わっているのは、何と言っても、「大豆」の夢で、ためしに携帯の夢占いのサイトで検索したけど、大豆なんていう項目はありませんでした。


私は、その夢の中では、「大豆」なのです。
自分が、大豆だってことを何故か知っているのです。他の、マメではなく、絶対に大豆なのです!(~_~;)
しかも、「大豆」の「怪盗」なのです。
よそのお家に忍び込んで天井近い鴨井を、ある時は小走り、ある時は忍び足で“サササーッ”と忍者のように移動しているのです。
その家の人間に見つかったらヤバイと、ちょっとドキドキ、ワクワクしながらスリルを味わっている「大豆」の私。
ただ、それだけなんだけど、妙にリアルで、(鴨井のホコリとかも覚えてる)印象深い夢でした。
もう何十年もたつけれど、あれはどうにも忘れられない夢ですね。



5月26日(水)  十二人の怒れる男達 @

私が、日本に「裁判員制度」導入が決まったのを始めて聞いたのは、二ヶ月位?(確か・・・)前のことです。
今のところ、まだ日常の暮らしに直結する話題ではないので、ご存知ない方もひょっとしたら、いるかもしれません。
しかし、このいわゆる陪審員(裁判員)を国民から選んで裁判を行う制度が、5年後(準備期間後)に開始されれば、私も、そして今HPを見てくれているあなたも、裁判に呼ばれ、裁決を下す側(下される側にはならないように・・・(^_^;))として、審議に加わる日がくるかもしれないのです。
この制度は、プロの裁判官と、アマチュアの国民が協力しあって、より良い裁判をめざすのが目的なわけですが、やはり少し不安もあります。

TVのインタビューでは、多くの人が、何となく不安を感じているのと同時に、司法のプロの側にも、不安だという意見を述べている人もいました。
また、そのTVでは、ある大学の法学部で、実際のケースをもとに、一般の人の協力してもらって試みた、「模擬裁判」をとりあげて、興味深く見ました。
その裁判は、介護を家族にかかえた男性が起こした交通事故のケースでした。
その男性の抱えるストレスや、疲労、諸処の事情を“情状酌量”するべきか否かが、論議の争点となっていました。
簡単には、どう思うとは言い切れないものがありました。
物事には、いろいろな側面があり、事件や事故には、いろいろな要因が交じり合っています。
そして、それについての見方、考え方も様々で、十人十色で当然・・・。
まして、一人の人間の一生がかかった裁判で、法律のプロと対等に、自分の意見を掲げて、真剣に討議するのは、なかなかエネルギーのいることで、多くの人が不安に感じているのもうなづけるものがあります。
実際、戦前に、この制度が日本にあった(のだそうです)時は、裁判官による裁判か、陪審員によるものか、選べたこともあり、(今回は、選べません)あっという間に制度は形式化して、廃止されてしまったそうです。(ーー;)  つづく



5月27日(木)  十二人の怒れる男達 A

司法のプロの側には、この裁判員制度に対して、“素人は、引っ込んでろ!”というような感覚の人もいて、前途洋洋というわけにはいかないようです。
 
陪審員制度と言って、私が思い出すのは、「十二人の怒れる男達」という古い映画です。(確かモノクロだった・・・)
いわゆる、名画といわれるものなので、ご存知の方もいらっしゃると思います。
一つの殺人事件をもとに、一室で、審議する十二人の陪審員達の討論だけで進んでいく映画です。
お互いの事は何も知らずに集められた(公正を期すために)、陪審員達が、真剣に語り合ううちに、事件の真相がだんだんとベールをぬぎ、明らかになっていく・・・。
その様子は、どんなとぎつい今のサスペンスより、サスペンスに富んでいて、熱い人間ドラマにもなっています。
最初は、陪審員として選ばれたことを、迷惑に思っていた人も、だんだんと真剣になっていく。
そして、一致したある結論を導き出した後、部屋を出て、お互いの素性も知らぬまま、裁判所の入り口で別れ、またそれぞれの生活へ四方八方へと散っていく・・・という所で、その映画は終わっています。
派手なセットも、シーンもないのに、十分に引き込まれ、見た後にすがすがしい感動を与える優れた映画だと思います。
随分前に、この映画を見たときは、めんどうくさがりで、事なかれ主義のところのある日本人(私だけか・・?)には、こういう討論なんて、難しいんじゃないのかな・・と思ったけれど、現実に制度が決まった今は、そんな事も言っていられません。
司法のプロ側も、一般の国民の側も、人が人を裁くという重大さをかみしめつつ、一人ひとりができる限りの公正な裁判、真実を求めるために、努力をする事、そして、また、日本人がきちんとした討論のできる、大人の民族としての真価を問われる機会なのかもしれない・・・と思います。
準備期間のうちに、例えば、裁判中の休業手当の問題や、託児所の完備など、細かい現実問題が整備されていくようですが、この制度が始まれば、国民の11人(確か・・・?)に1人は、一生のうちに裁判員を経験するそうで、召喚されるのが、待たれるよな、そうでないような気分の私であります。(-。-)y-゜゜゜



5月28日(金)  祖父と王冠

私の母方の祖父が、他界したのは、もう30年近く前、私が子供の頃のことです。
だいたい、子供は、母方の実家に連れて行かれることが多いので、同居しているのでない限り、そちらの親戚に先に慣れたりすることが多いようですが、この祖父に関しては、どうも私には、“怖い”おじいちゃまというイメージがありました。
亡くなった俳優の、芦田伸介に似ていて、いかにもいかめしい、昔の男といった感じで、口数は少なく、背筋はピンと伸びて、亡くなる前まで、弁護士の仕事をしていました。
母によれば、戦前は、裁判官の仕事をしていたのですが、戦争責任を感じ、戦後しばらく引きこもり!の時期があり、その間は、祖母が大活躍して一家を食べさせていたそうです。(その辺の話しも、人に歴史あり、で面白いのですが)
私の記憶にある祖父は、私が行くと、ヌボーッと出てきて、また自分の部屋に去っていくという感じでした。 

祖父は、ビールが好きで、それも瓶のビールで、ある時祖父の部屋に行くと、瓶ビールの王冠でバッジを作ってくれました。
よく覚えてないけれど、王冠の裏のコルクの部分をはがし、(なんかすっとはがれた気がする)それと金属の部分で、布などをはさむと付くものだったと思います。
私も、小さかったし、それなりに興味引かれたのですが、ちょっと怖いおじいちゃまに気を使って、かなり大げさに喜んだ気がします。
私が喜んだのが、実は祖父も嬉しかったのでしょう。
しばらくして、また遊びに行くと、何と茶筒にいっぱい詰まった王冠を、照れながら持ってきてくれて、私にくれました。
ビールを飲むたびに、丹念にためておいてくれたらしい。
今よりは昔とは言え、いろいろなおもちゃもあった時代、山ほどの王冠バッジは、私にとってすごくうれしいというわけではなかったのですが、祖父の気持ちが伝わり、有難く思いました。
私と祖父とは、そんな、どちらかといえば、ぎごちない関係だったのですが、内孫として育った10以上年下の私のいとこは、その祖父をあごで使っていて、少しだけうらやましかった・・。
ビールの王冠を見ると、思い出す、思い出でであります。



5月30日(日)  扁桃腺手術と初めての嘘

実は、また風邪をひきまして・・・。
日頃は、結構元気いっぱい?飛び回っているのですが、1シーズンに3.4回は?風邪をひいてしまいます。(>_<)
小さい頃から、風邪はしょっちゅうひく方で、扁桃腺肥大で、小学校2年のとき切除するまでは、40度くらいの熱をすぐ出していました。
扁桃腺をとったら、高熱は出さなくなったけれど、今度はあっというまに気管支や肺の方へ入ってしまう。
やはり、人間の体には無駄のものはないのでは・・?と、今さら思います。

小学校2年の時、かなり大事をとってか?1週間も!入院して、扁桃腺を手術で切除しました。
人の話によれば、日帰りで、局部麻酔で、パッと取って帰ってきたという人もいるのに、私の場合は、全身麻酔で、結構大事の手術でした。
小児病棟に入院したのですが、私の他は、かなり重病の子供達で、一人の女の子などは、脳腫瘍の手術をするとかで、頭を剃ってツルツルの坊主でした。
始めは、物怖じしていた私も、そこは子供の事、すぐに仲良くなって、トランプなどで楽しく遊んでもらいました。
さて、手術の日、麻酔をされて、扁桃腺を切除。
病室に帰ってきて、麻酔がさめた時、ちょうど夕食後のテレビの時間で、病室には誰もいませんでした。
面会時間でもなく、もちろん親もいない。
どうしようもなくさみしくなってしまいまいした。
具合が急に悪くなった時などに、看護婦さんを呼ぶ、ナースコールをとうとう押してしまいました。
「ハイ、どうしました?」(さみしいなんて言えないよ・・・どうしよう・・)と、一瞬悩んだ後、
「あの・・寒いんですけど・・・」(嘘ばっかり・・・)
嘘は泥棒の始まりと教えられて、なるべく本当のことを言おうと心がけている(むろん今もです!?)
私の最初の嘘でした・・・。
結局すぐに、看護婦さんが来てくれて、毛布をもう一枚かけてくれました。
本当は、暑かったけれど、我慢するしかない。
嘘をつくと、自分がツライという事も初めて学んだ出来事でした。

1週間はあっという間にすぎ、私の退院の日。
特に仲良くしてくれた、脳腫瘍の女の子が、病室の窓から、いつまでも手を振っていました。
あまりに子供で、その時は、彼女の寂しさ辛さを理解することもできなかった私ですが、何故か今でも、その様子が心に残っています。
彼女が今でも、元気で幸せでいてくれる事を心から祈るばかりです。



5月31日(月)  自家中毒と着ぐるみ

私は、子供の頃、「自家中毒」という病気でした。
ご存知の方もいらっしゃると思いますが、これは“神経質な”子供がかかりやすくて、大きくなれば自然に治るといわれる嘔吐癖みたいな発作です。
(ちょっと調べたら、今は、“アセトン血性嘔吐症”と言って、血液の中にアセトン体が増える病気?で、やっぱり原因不明!!で、神経質な子がかかりやすくて(フン!)、10歳までには自然に治るらしい。疲労や、精神的に興奮したり、食べ過ぎたりで起こり、治療は絶食だってさ。)
・・・というわけで、何かあるとこのやっかいな病気になり、小さい頃はよくそのために寝込んでいた思い出が多いのです。
まぁ、親には何かと迷惑をかけたな・・と思います。
あまりひどいと、脱水状態になるので、点滴をされて、その横に両親や祖母が心配そうにつきそっていた思い出(おそらく3歳くらい)もあります。
絶食状態の後は、甘いお薬(何かソーダ水みたいな、結構おいしかった覚えがある)をスプーンでちょっとずつ飲ませてもらう。その頃には、本人はけろっとしていて、もっと欲しいとか思っていました。

さて、私が5歳くらいの事だったか、「木馬座」という人形劇のお芝居を見に行った事がありました。
内容は、全く覚えていないのですが、終演後、出口の所に、着ぐるみのキャラクターが勢ぞろいしていて、子供達と握手をしていました。
なぜかわからないのですが、私は、実は、あの「着ぐるみ」というのが大の苦手で・・・。
頭が異常に大きくてバランスが悪いのが、気持ち悪くて大嫌いなのです。
ですから、握手なんて、とんでもないわけで、イヤだといってるのに、中の一人(一体?)が、半ば無理やり、私に近づいてきて、「ありがとう!」かなんか言って握手したものだから、私の緊張はピークに達して、わぁわぁ泣いてしまいました。
その夜です。
案の定、自家中毒の大発作が・・・。
照れてるのではなくて、本当にイヤだったのに・・・。(-"-)

今でも、着ぐるみはキライです。
町で見かけるビラ配りのキャラクターも、イヤだし、一番とんでもないのは、あのディズニーランド!!
キャラクターがウジャウジャいるでは、ありませんか!
踊りの仕事の時も、なるべく近くには行きたくなかったのに、友人の一人は、仕事で来てるというのに、ディズニー狂いで、「あっ!ミッキーだ!握手しよ・・」
とか言ってて信じられなかった私でありました。(-_-;)



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