YUKO MASUMITSU JAZZ DANCE STUDIO

 2004年 4月


4月1日(木)  大声いろいろ・・・

よく、踊りの仲間と大勢でお店に入ったりすると、まず荷物は大きくて邪魔だし、何よりも、皆声が大きくて、通るので、お店に迷惑かしらん?ということがあります。
(もちろん、いい大人?!なので、自己規制をかけるようにはしていますけれど・・・)
大声というのには、ダンサーが日頃から腹筋、背筋を鍛えているっていうのが、一つの要因なのかもしれません。

母の友人、歌を勉強している仲間たちが、我が家にお越しになると、その音量もまた、たいしたものです。(~_~;)

若い頃、ラジオ局のリクエスト電話を取るバイトをしたことがあったのですが、マイクを使っているのに、パーソナリティや、ゲストの方は、それは大声。
お腹から声を出して、怒鳴りあっているのにはびっくりしました。

しかし、私の場合、どうも声が大きいのは、生まれつきというところもあるようです。
生まれたての赤ちゃんの頃から、病室の廊下の端から端まで、その泣き声は響きわたっていたらしく、赤ちゃんの泣き声が聞こえると、全部私が犯人ということになっていたらしい。(母談。)

すぐ、やめっちゃた大学で、私が入っていたのは、アナウンス研究会。
新入生の特訓で、屋上に出て、山に向かって、(厚木にありましたから)
「あ〜っ!」
と思い切りの大声を出すというのがあったのですが、あれは気持ちよかった・・・。

踊りを教えるようになっても、最初から、大声を出すことには、苦労したことがありません。
よく、経験の浅い若い先生なんかで、カウントの声が小さくて、“聞こえません〜”という事があるけれど、私はおそらく最初の教えの時から、声だけは、大きかったと思う。

ずい分前に、体育館で指導員をしていた時は、胸にピンマイクをつけるように言われてつけていました。
体育館は、何しろ広くて、天井も高いので、音が拡散します。
確かにマイクはラクだったのですが、ある時、マイクをつけているのを忘れて、うつぶせになってストレッチをやって、ガリッ・・とマイクを壊してしまい、(かなり、高いものだったはず・・)その後は、地声で頑張ることになりました。(^^ゞ

さて、お店で、店員さんを呼びとめたいのに、なかなか聞いてもらえないときがありますよね。
身内の者には、うるさがられる私の地声の大きさも、たまには役にたつチャンスです?!
もし、普通に呼んでみて、ダメだったら、少し声のトーンを上げて、高い声で試してみて下さい。
高い音の方が、遠くまで伝わりやすいって聞いたことがありますよ。(*^^)v



4月2日(金)  用語での振付 1

ギックリ腰なんかやってしまって動けなくなると、いつもつい一つ一つの動きに、すべて名前のあるクラシックバレエの先生はいいな〜なんて思ってしまいます(^^ゞ
極端な話、全く動かないでも口で説明すれば振付やステップの順番はとりあえず伝える事ができるから・・・という理由だけなのですが・・・。
まぁその名前も知らない初心者ばかりだったら無理だけど、一人でも解っていればどうにかなる。

モダンもグラハム系の動きだと少しは名前があるから、例えば少し言葉を足して
「トリプレットしたあとコントラクション入れて、床と平行までシフトして軸足プリエで、アチチュードで回って・・・」
とか出来なくはないけど、わかりずらい。
ジャズなんて、ポーズひとつ伝えるのに
「上体はちょっと左にねじり気味、顔は斜め下、足は開いて、右手は左肩に乗せて・・・」とか、
書いてるだけでイライラする・・・!!

つまり形の正解が決まっていて、全世界共通、定番の動きやポジションを組み合わせたクラシックの振付と、その振付師のニュアンスと、オリジナリティな雰囲気が命のジャズの振付の違いで、仕方ないんだけどね。。。

しかしクラシックだって、定番がきちんと決まって広がる前は名前なんてなかったわけで、
「皆さん、この形を足の一番にします」とか
「これがアラベスクです」とか、誰が決めたんでしょうね。?
それで同じ形にするために体の使い方も解明して、まとめていった。
そうすると、ちょっと似ていて違う形があっても統合されていったんでしょうね。
メディアが今ほど発達してない昔だから、長いことかかって確立されて広まったのでしょうね・・・。



4月3日(土)  用語での振付 2

何でもそうだけれど、名前をつけるということは、それは、こういうものだと決めて、あきらかにすることですよね。
ジャズの、私の振付の中でも、私が好んで振付ける形や動きがあって、そういうものに、便宜上でも呼び名を付ける事は、できるわけです。
実際、あんまり数はないし、(他では絶対通用しない言葉ですが)例えば、「ツートントン」(軸足のびてアップで1歩歩き、2歩をふつうに歩く)なんかは、その類です。

そういうノリで、すべての形や、動きに名前をつけてまとめておけば、確かに言葉で伝えることはできます。
が、そんなことしても、今度は、私自身がそれで規制され、新しい動きのつながりが出づらくなってくる気がする。
また、例えば、同じツートントンでも、曲によって気分や雰囲気が異なる、ニュアンスはやっぱり踊らなきゃ伝わらない。
何より、その動きをなんと言う名前にしたか、私自身覚えられそうにない・・(ーー;)

あたりまえですが、やっぱり体が動く限り、動いて伝えていくのが、振付の宿命なんですね・・・。

ちなみに、これは余談ですが、私のモダンの先生は、元ショーダンサーだったから、ジャズだって教えられるのに、
「ジャズは、その人が、自分で作った踊りだから、もったいなくて教えられない」
ですって・・・!
ふ〜ん。(ー_ー)!!



4月4日(日)  “几帳面”なA型の私 1

私は、一般的に“几帳面”と言われる、血液型、A型です。
え〜っ!?という声が聞こえてきそうですが、まぁ待って下さい。
より、正確に言いましょう。
私は、几帳面なところが、少しあり、全く几帳面でないところもあるA型です。(~_~;)

私は、時間に関しては、かなり几帳面な方だと思います。
自分が、待ち合わせや決まった時間に遅れるのが大嫌いです。(人が遅れてくるのは、そんなに気になりませんが。稽古は別よ)
早く着いていないと気がすまない性質。
時間通りでも、あせっちゃうくらいです。
レッスンを受ける時も、教える時も、最低30分前には着いていたい。
気持ちの余裕がほしいのです。

朝は、かなりの低血圧のくせに、めちゃめちゃ強いです。
目覚しをかけても、鳴る5分前にはパッチリお目々で目が覚めちゃう。
目覚しをかける意味がないとも言えますが・・・
そして、起きたとたんに朝ごはんが美味しく頂けます<^〜^>
どうやら寝起きのよいのは子供の頃からで、寝起きにグズった事は一度もないそうです。
パッと目を覚ますと、あっという間にトコトコ歩き出していたらしい。
今でも目覚ましと、ほぼ同時に動きだしてる私です。

この寝起きのよさと、時間にやたら几帳面なところを見込まれて?舞台の本番の朝などは、仲間からモーニングコールを頼まれたりしてました。何人も。
しかも、時間差。
頼まれたことは、絶対やるからね、私は!(威張りっ!!(^◇^))
私の家がだいたい一番遠いので、家を出て新宿に着いて一人にかけて、次の乗り換え駅で、二人にかけて・・とかやってました。
そういう人は、たいがい留守電になってるので、留守電に向かって、その人が起きて電話に出るまで、
「朝だよ〜!起きて〜!」
とかやってる。
大声出すと、人は見るし、結構恥ずかしかった。

そういえば、一度仲間同士の舞台で、一人の子がものすごいネボウの常習犯で、案の定いつまでたっても来ない。
集合時間をとっくに過ぎても、まだ顔を出さない。
何度電話しても、出ないんだ、これが・・・。
これ以上、遅かったらゲネに間に合わないというので、仲間うちでも特に、全ての事にきっちりしていて、正真正銘のA型の
自分にも、他人にも?厳しいタイプのMちゃんが、電話をかけて、冷たく、キビシ〜イ声で、
「いるのはわかってるよ。
 ・・・・・。
Aちゃん、まだ寝てる気?」
と言っても、応答がない。
「いるのはわかってるよ。」(ダメ押し)
しばらくして、泣き声で、電話に出た彼女。
「今、、、行きます・・・」

後から聞いたら、ちょっと前に起きてたらしいんだけど、事の重大さと、Mちゃんがあまりにコワくて、毛布をかぶって泣いてたらしい。
全く・・・(ーー;)
しかし、本番の日に、寝坊できるというのは、ある意味、大物だったのかもしれません。



4月5日(月)  “几帳面”なA型の私 2

さて、時間とか、人との約束とかの部分以外で、私が几帳面なところといえば・・・どこでしょう?

カバンの中は、かなりぐちゃぐちゃとも言えるし、部屋はといえば、ものが出ていて四隅がない状態。(^_^;)
ある一定のラインを越すと、さすがの私も“整理整頓モード”に突入するのですが、どうも、少しくらい雑然としていた方が、落ち着くんだよね・・・。
一応私の中で基準はあるのです!ヒシッ;
ただ、どうやらその基準が人よりも甘いのかな?

カバンといえば、学生時代から、きちんと物が入っていないから、ノートの端っこが、みんな三角に折れてしまうのです。
今も振付帳は、みんな角が折れ丸まって、使い終わる頃には倍の厚さ?になっています。
喫茶店の紙ナプキンなんかにも振付をパパッと書いて、それも振付帳に挟んでおくので、余計分厚くなっちゃう。

昔、財布がなくなったことがあって、心配した友人が、
「カバンの中のものを出して、もう一度見てみれば?」
とすすめてくれました。
(カバンの中・・・見られたらマズイ・・・)
「うん、見てみるね」
とコソコソやってたら、
「出してごらんよ、見せて」
(い、いや、見ないほうが・・・)
「いいよ、自分で探すから・・・」
と抵抗する間もなく、半ば強引にカバンの中をあけてしまったその友人は、絶句!
「・・・・・!!」
なんとかとりつくろうと、私は、
「ちょっと、今日ぐちゃぐちゃだがらさ・・・あの・・・エヘへ」
結構几帳面なタイプの友人は(ちなみに、A型ではありません)、
「あ・・いや・・・うん・・・」
と、相当ショックを受けていたようでした。(-_-;)
その友人の話では、想像をはるかに超える汚さだった・・ですって!!ふん

数年前、自分の部屋を、十数年ぶりに大掃除した事があります。
その時、出たゴミはといえば、何と、45リットルのごみ袋が、20個弱!!
いったい、これだけのものが、どこに入っていたのかと我ながら不思議でした。
ともかく、衣類、紙類がスゴイ量。
いらないプリント、いらないレポート用紙、もう着なくなった古い稽古着、何に使ったかも、わからない衣装の余り布、そして、本とCD.・・・・。
本とCDは、売ったら8千円以上になりました。

その時、まるで別人の部屋のようにすっきりした私の部屋も、(前よりはきれいだけど)またもや、少しづつモノがあふれだした最近です・・・。(~_~;)
私の部屋って、こんなに広かったんだ、と思いました。

レッスンの後に、今まで着ていた稽古着を、きちんと四角くたたんでから、しまう人がいます。
エライ・・エラすぎる・・・とそれを見たとき思ったけど、どうも、真似しようとは思わない。
洗っちゃうのに・・・。
私なんか、これから着る稽古着もたたんでないし・・・。(^^ゞ



4月6日(火)  “几帳面”なA型の私 3

寝るときもキチンと寝られないタイプで、ものすごい寝相の悪さなのです。
足が強いらしく、布団を蹴ってすぐ寝冷えをしてしまいます。
掛けていた布団がいつのまにか90度回転して、横になってお腹しか掛かっていない、なんてしょっ中で、自分がいつのまにか180度回転して!?足と頭が逆に寝ていた事さえあります(汗;)
旅行で浴衣など着て朝起きたら、帯しかない!!?(-"-)・・・とか。キャ〜!
皆さんも経験ないですか?

どうも四角くとかキチンと、というのが全てにおいて出来ないみたいで、このダイアリーの原稿の下書きを書くのも、テーブルにコーヒーカップやTVのリモコン、その他いろいろ乗ったまま、それらを寄せたり揃えたりする事なく、空いてるスペースに斜めに紙を置いて、パッと書き出しちゃう。
振付も思いついたら紙ナプキンとって、隙間でパッと始めちゃう。
そんな感じが、居心地が良いとも言えるし、キチンとなってたらなっててもよい。
つまりどうでもいいんですね。わりと周りの事は・・・。
私をよく知る人は「オンとオフがはっきりしている」とか、
よく言えば「集中力がある」とか言うけれど、確かにそうかもしれません。
すべてにおいて、今いるものと、いらないものがハッキリしていて、いらないと思った事は、パッと見えなくなります。
人に関する事や相手がある事には几帳面だと思いますが、こと、自分の事にはわりとこだわらないようです。

こうなってくると几帳面とか、そうでないとかいうのと、ちょっと違うかな?
世の中には、私とまったく正反対の人もいて、私が気になる所が気にならなくて、気にならない所がすごく気になってたりする。
そういうのに触れると、いや〜人間っていろいろで面白〜い、と思います。
一口に几帳面と言っても、一人の人間にはいろんな側面、様々な角度の見方ができるわけで、
いったい私が「几帳面なA型」なのか「几帳面でないA型」なのか、皆さんに判断して頂きましょう。 



4月7日(水)  ギックリゴシーンとフワーンテンポのお姉さん 1

パンパカパーン!!
また、やってしまいました。ギックリ腰。(>_<)
今回は、比較的チビギックリですが・・・。
しかも、治療院で!

最近、持病?の腰の調子もよく、自分のレッスンでもハリキリガール?で、がんがん飛ばしていた私ですが、しっぺ返しがやってきました。
一週間に一度、筋肉をほぐすために、通っている治療院ですが、たまたま先週は、社員研修とかで、そこがお休み。
使いに使った体が、ちょっとあれっ?って感じで、注意信号を出し始めたのが、土曜日の朝で、昨日やっと治療が終わり、
「じゃぁ、今日はこの辺で」
「ありがとうございました」
とカーテンしめて、ズボンをはこうとしたとたん、
“ビシーン!”

思わず、うわっ!と声が出て、固まりました。
足首にズボンをひっかけたまま、
何とか、体勢を立て直そうと、体の向きを変えると、そのたびに腰が、
“ビシーン!”
「あっ!」とか、「うっ!」とか、「おっ!」とか
もがいていると、
カーテンで仕切られたとなりで治療中の、もう一人の先生が、
「だいじょうぶですが〜?」
と顔を出しました。
ちょうど、私は、ベッドに片手をついたまま、腰をうかしたまま、足首にズボンひっかけて、フリーズ状態。
「あっ、大丈夫です。大丈夫だと思います、いや、ダメかな?・・・」
ちょっとでも、左腰に体重をかけると、ビシッなのでどうしようもない。

まもなく、私の担当の院長先生が、ハリを持って再び入ってきて、
「応急ですよ」
とお尻と足首にハリをしてくれました。
“すると、どうでしょう?!”
(思い切り、感情込めて、大げさに声出して読んでみて下さい)

ベッドにおろせなかった左腰が、おろせるようになっているではありませんか!
時間がたつうち、何とか普通に歩けるように、何とか仕事はOKというくらいには、(~_~;)なりました。あーよかった。
(そんなわけで、昨日のクラスは、何とか無事にいきました。心配かけて、ごめんね!)

さて、この治療院に、わりと最近入った受付のお姉さん。
受付の仕事と、先生に頼まれた用などをするのですが、どうも、テンポがフワーンとしているのです。      
一方、院長先生は、といえば、さすが、長のつく人はちがう。
わりと、若いのに、気配りマシーンのような人です。
カーテンでしきられた、いくつもの診療ベッドを全て把握して、電気を使ってほぐす予備治療を含め、時間差をうまく利用して、何人もの患者さんを、ばしばしさばいていく。
その間に、小さな声で、てきぱきと指示を出すのですが、このフワーンテンポのお姉さんには、かなり苦労しているようです。
続く



4月8日(木)  ギックリゴシーンとフワーンテンポのお姉さん 2

私が、通う治療院には、フワーンテンポのお姉さんがいます。
院長先生が、患者さんに合わせた気配りトークの合間に、「○○さん」とお姉さんを呼んでも、なかなか気付いてもらえません。
患者さんに気を使わせないように、抑えた音量で、でもお姉さんには聞こえるように、再び、
「○○さん!」
と呼ぶと、やっとやってくる。
小さな声で、先生が、
「すぐ行きますから、2番(患者さんのいるベッドの場所)にタオルだけかけておいてもらえますか?」
するとお姉さん、2番のベッドに行って、その患者さんに、
「タオルだけかけておきますねぇー」
とか言ってる。
そんな事は、患者さんに言わんでもええっちゅうの!

次回の予約をする患者さんとの応対も、かなり手間取っている様子。
私の治療をしながらも、耳がダンボになって、ちょっといらいらモードが入っている院長先生。とうとう、
「3時半で、大丈夫ですよ!」
とか、口を出す。

待合室の時計が、止まっていると、患者さんに注意されると、
「あら〜全然気がつかなかった〜ホントですねぇ」
そして、どうやら何もしない様子。
院長先生は、
「○○さん、時計はずしてもらっていいですか」
お姉さん、
「・・・・」
先生、
「椅子がそこにありますから、それに乗ってお願いします」
聞いている私が、気が気でなくなる位です。(-_-;)

さて、ギックリの私の応急処置で、ハリを終わった先生が、お姉さんを呼んで、
「着替え手伝ってあげて」
と言い残して去ると、ニコニコしながら、こっちを「?」と見て、つっ立っている。
私は、といえば、左足首にハリしたから、左の靴下のかかとが脱がされてて、ズボンは相変わらず、足首にひっかっていて、まだちょっとかがむのは、コワいし・・・という状態。
彼女は、ギックリの人の事が全くわからないのか、(まぁ、普通わかんないか・・・)
ポワ〜んと立ったまま。(それにしても・・・(-_-;)
「申し訳ないんですけど、靴下を履かせてもらっていいですか?」
と頼むと、
「ハイ」とかがんで、
「どんな風にしますか?」
(???どんな風も何も、履かせてくれればいいんだよ!(-"-))
「右足と同じように、普通に履かせてください!」と私。
そして、履かせ終わると、またニコニコ・・・。
「あと、ズボンもお願いします。」
ここに、到って私も、これは、全部指示が必要だな、と思い・・・。
「ズボン一回下においてもらって、私が、穴の中に足入れますから、入ったら、腰まで上げてもらえますか!」
やれやれ・・・。
少しだけ、院長先生の日頃の苦労がわかった私でした。(~_~;)



4月9日(金)  365歩の引き上げマーチ

いや〜恐るべしギックリ腰。
ちびギックリといえども、あなどれないのであります。
長引くといけないので私としては仕事以外は涙をのんでおとなしくしてるのですが・・・
バレエ休みたくな〜〜い(;_;)
ふだんあまり感じない“上体の重み”が立っていても座っていても、ズ〜ンと存在を主張。
気づくと手をついて支えていたり、背中の上の方で吊っているのか、首に近い部分がバリバリ・・・(涙;)

まして上体を吊って片足を上げたり、片足で回ったりして、踊るためには腹筋、背筋がどんなに頑張っているのかが身をもってわかります。
腰を痛めると、股関節にも来るから、ふだん私が皆さんに言っている“引き上げて、つけ根をオープン!”という根本的な踊りの姿勢がムリ・・・
そのまま踊ると、一気に足に負担がきます。やれやれ・・・。

さて愚痴をいっていても仕方ないので・・・。
私はよく踊りの上での、引き上げを意識してもらう為に、ウェストにひもをしばってもらったりするのですが、これは結局本人の意識を保ってもらうための手段のひとつであります。
本人の筋肉は本人しか使えない
自分の感覚で探りながら、引き上げたまま動く事を癖にする。
日常と違う感覚を癖にしようと言うのだから、要は回数、時間をかける事しかないですよね。
意識しているつもりが、いつのまにか筋肉はお休みして、ウェストにひもがギュッと食い込んでいたりする。
視覚の方から意識するという意味で、Tシャツをまくってお腹を出すという手もありますが、これも本人が自分の体をわかっていて鏡を見た時に「あっ落ちてる」と気付かなければ意味がありません。
最初のうちは体を見せている緊張感で意識していても、そのうち慣れてしまって落ちていたり、気がついてまた「いけない」と頑張ったり、その繰り返しです。

よくレッスンの中でも言いますが、私が皆さんに言えるのは、あくまで自分の体で感じてやってきた感覚で、どのいい方が皆さん一人一人にぴったりくるのかは、わかりません。
三歩進んで二歩さがる!の繰り返しの中から、これかな?という自分の体の感覚を、手に入れてくれるように、そしてそのために楽しみながら、格闘してくれるよう少しでもお手伝い出来ればいいなと思っています。



4月10日(土)  ケチャパー≠ニトウラー≠セって!!?

マヨラー≠ニいって、何の食べ物にもマヨネーズかけて食べちゃう人達のことは、前から聞いていましたが、この前、TVで、その、ケチャップと唐辛子版のをやっていました。
見ました?

ケチャップの方は、ケチャパー、唐辛子の方は、トウラーと言うんですって。

ケチャパーの高校生の子は、コンビニで買ったお寿司!や、カップラーメンに死ぬほど、ケチャップかけて食べていました。(@_@;)
トウラーの子は、豚丼に真っ赤になるほど、唐辛子をかけてたり、何とメロンパンにタバスコをたっぷりかけて食べるのです。

家族が少なくなったり、結びつきが昔より希薄になって、個食が進み、親といっしょに食事をしない子供たちの「味覚異常」が深刻化しているという切り口のニュースだったのですが、もちろんそういう面と、
あと、もう一歩進んでいえば、そういう「味覚異常」は、偏食、広く言えば、摂食障害(拒食、過食)も含め、やはり精神的な部分で満たされていないことへのSOSなんだと思うのです。

食べるというのは、生き物としての人間の最も基本的な部分ですが、本能の部分の欲求でありながら、精神的な健康とも深く関わっています。

過去、引きこもりの時代、私も、拒食症でした。
拒食症というのは、決して食欲がなくなる病気ではなく、自分を受け入れる事のできない人が、食を自分に禁じる事、やせるという事で、唯一発しているSOSの信号なのです。
おそらく、ケチャパーやトウラーもどんな食べ物もケチャップや唐辛子で同じ味にしてしまう事で、何かの不安をごまかしているのだと思うのです。
VTRを見た限りでは、まず、親は、娘がケチャパーであることを知っているのかどうか?
(知っていて放っておくのは、もっと問題!)
その子の友達だと言う子は、「気持ち悪〜イ」とあからさまにひいているだけでした。
本人も、気付かないところで、たぶん唯一の自己主張が、ケチャパーであること、トウラーであることなのかもしれない。

もちろん、個人が好きなものを、好きなように食べたって何の問題もないのですが。
コミュニケーションの一つの手段である、食の共有をする周囲の人を誰も持たず、「カラスの勝手でしょ〜」と、その日最初で最後の食事だという!タバスコメロンパンをニコニコ食べているトウラーの子が、何かおそろしく寂しくて、辛く思いました。

彼女たちが、何か、(私の場合は、踊りに出会えたことで救われたのだけれど)、打ち込めるもの、自分を認められるもの、これが私!と主張できるものを見つけることができればいいのにな・・・とせつに願わずにはいれない私でした。



4月11日(日)  ブランド品に吠える!

私は、わりと物欲がない方だと思います。
洋服とか、バッグとか靴とか、必要最低限があればいい方だし、ましてブランド品とかには、全く興味がなくて、よくわからない。
でも、まぁ、価値観なんて人によって違うものだし、踊りを2時間レッスンするためだけに、2000円も払うなんてバカみたいという人もいるだろうし、人それぞれと思ってました。
が、しか〜し!!
先日、TVの番組で、占いの細木数子センセイが、
「奥様へのプレゼントならこれがイイワ」
と選んだバッグ・・・。
シャネルだか、シャナリだか知らないけど、何と70万円近い!!!
あんな、ペラペラのバッグが、(不適切な表現があれば、お詫びいたします・・・)何で、そんなにしちゃうわけ〜??
断じて、納得いかない!
そんな、値段でしゃーしゃーと売る方も売る方だし、ホイホイと買う方も買う方だ!!
世の中、まちがっとる〜〜!!(-_-メ)
(はぁ〜すっきりした・・・)

自分が買うわけでもないのに、何を怒ってるんだか・・・(-_-;)

ブランド信仰者によれば、
「やはりいいものは、長持ちするし、一生ものですから。」
なんて言うんだよね。
じゃぁ、何であんなシーズンごとに、ころころデザイン変えた新作出して、またそれを買うんでしょう?
一生ものなら、一個でいいじゃん?

自称、「買い物依存症」患者である、エッセイスト中村うさぎさんの著書によれば、ブランド品が、ものがよくて、壊れないなんていうのは、真っ赤なうそで、彼女が、何十万も払って買った、ベルトも、バッグも、洋服も、あっさり壊れてしまったそうです。
それでも、出版社に前借りを重ね、何百万!単位で新品のブランド品を買い求める彼女によれば、ブランド品を買う理由は、ただ一つ!
「見栄である」
自分の中身に、不安がある人間が、高価なブランドを身に着けることで、「女王様」になれるという理由以外にない、との事。
それ以外の、ブランド品は、デザインがよくて、ものがしっかりしていて・・・%凾フゴタクは、自己を正当化するための逃げである、とおっしゃっています。
ご立派です。
が・・そこまで、わかってても買っちゃうんだねぇ。
自分でやってることがわかっていながら、開き直って、ひたすら快楽を追い求める。
しかも、それをネタにして、何冊も本書いちゃうたくましさって、やはり女性特有のものなのでしょうか?

しかし、考えてみると、自分の中身に完璧に満足しちゃってる人なんて、あんまりいない気がする。
(もし、いたとしても、それってかなり嫌味な人だよね。。。?)
皆、何となく、自分と折り合いつけて生きてると思う。
ものより、心だ!なんてクサイ事を言うつもりはないけれど、皆それぞれ、癒されない想いをかかえながら、一生懸命生きてる。
「やっぱり、心だ!」
なんて思った人が、間違って、危ない宗教にお金積んじゃったりする形もあるわけで・・・。

バッグ一つに、何十万、ぽーんと払っても全く困らない人ならまだしも、カードローンで自己破産しても買ってしまうような、心弱い人からも、金を吸い上げて、ブランドの会社は成長する。
それが、資本主義の当たり前なんだろうけれど、私には、やっぱり、信者から、心の安心という名のもとに、金を吸い上げる、危ない宗教にだぶってしまったりするのです。

桁が全くちがうけれど、自分のレッスン、自分の体に、セコセコ投資して、踊って、自己確認している私は、本当に幸せものなのだと、あらためて思います。
(結局、いつもそこに落ち着いちゃうけど、ホントそう思うのですよ・・・)



4月12日(月)  ちょっぴり真面目なひとりごと

私に、もし子供がいたら、過保護、或いは、過干渉な母になってたかもしれないと思います。

というのは、私は、生徒の皆さん一人ひとりに、愛情を持って育てているつもりで、それは、まるで母親のよう?!なわけで・・・。(ホントかしら?)
しかし、時々、あぁこれは過保護だなとか、過干渉、手のかけすぎだなと思って反省したりするからです。

転ばぬ先の杖というか、きっとここがわからないなと思うと、疑問が出る前に一から十まで、先にフォローしちゃったりする。
子供は、一回転ばないと、転ぶと痛い事がわからない。
それを、いつも、転ぶ前に手を出してしまうと、痛さがわからないからよくないそうで、どうも、私には、そういうところがあるような気がするのです。
自分が苦労したことを、何とか生徒には、わかりやすく伝えたいと思うのですが・・・
結局、せっかちなのかもしれません。
自分で、転んで、自分でつかんだ事、あるいは、自分で発見した事こそが、その人の財産になるのに、よくないかな、などとちょっぴり反省したりします・・・。

生徒さんが、自分の力で、何かをつかんだ時、ピカッ!\(◎o◎)/!という瞬間に立ち会えると、とても嬉しい気がします。
私が、同じボールを投げても、その人のペースで、受け取れたり、受け取れなかったりします。
いろんなボールを投げながら、一人でも、一回でも多くの、「ピカッ!」が見られるように、頑張りたいなと、ちょっぴり真面目に思ったりしている、今日この頃です。
(-。-)y-゜゜゜



4月13日(火)  或る日のでき事

「出かけに ゴミ袋持っておりて〜!」

「ハイよ」

・・・・・と ゴミ袋を持ってリュックしょって、ボーっと歩いていて、いつのまにかゴミ置き場を通り越して歩いてきちゃった・・・。
ゴミもって電車乗るのかね、私は!!(>_<)

駅まできたら、いつも自転車入れる所に他の自転車が入っている。 チェッ・・・。(>_<)

満員電車。
あっ でもこの人、次に降りそう!
しっかりその前に立って臨戦体制だったのに、本しまって あらら 寝ちゃったよ・・・。
な〜んだ がっかり(>_<)

バレエに行ったら、いつもと違うピアニストさん。
新人さんなのかテンポが一定しなくて、うまく音にのれない。
皆、なんとなくギクシャク・・・。
なんか気持ち悪〜い。(>_<)

ジャズシューズのゴムをかえようと新しいゴムひもを2本持ってきた。
さて穴に通そうと思ってみたら片っぽが、えーっこれ黒じゃくて紺色じゃない!!
もういいやこれで・・・。
片っぽ黒、片っぽ紺の靴ひも。 変なのー。(>_<)

仕事に行ったら何か今日はお休みが多い。
いつもより倍しゃべって倍動いた気がする。
あー疲れた・・・。
ぐったり自転車乗って、トロトロこいでいたら、夜空に星☆がいっぱい・・・・
暑くも、寒くもなくて、なんとなく さわやかな風...。(^.^)

人生 楽ありゃ苦もあるさ〜♪
まっ いっか・・・明日もがんばろー!!
そんな私の或る一日でした...。



4月14日(水)  「公金使い込み」事件

バレエの先生をしているお友達(私より20歳以上年上ですが、とても、明るく前向き、そして人のいいタイプ)が、レッスンの後、待ちきれなかったように、
「ちょっと聞いて〜」
と飛んできました。
「?」
「私の稽古場の恥になっちゃうんだけどね。こんな事があったのよー・・・」

話によれば、子供の生徒が多い稽古場ではよくあるように、その先生のところも事務的なことを「母の会」にお任せしていたようです。
その中の一人のお母さん、発表会のビデオの代金を集めて、支払うビデオ係≠フ人が、全員のビデオ代、約60万円!!を何ヶ月間にわたり、「使い込み」していたんですって!!
それは、もう犯罪でしょう!

その間、普通に二人の子供をレッスンに通わせ、しかも、恐ろしい事に、時期の会計係をやろうとしていた、というのだから確信犯でしょうか?
経済的にも、裕福な家庭で、結局旦那様の方が、小さくなって、夫妻でお金を返しに来たそうですが・・・(-_-;)。
いつか、バレるに決まっているのに、その60万円で洋服や靴を買っちゃって、のらりくらりと言い訳して逃げ回っていたらしい。
先生としては、十年も育てた中学生のその子供には、罪はないけれど、
「これからも、レッスンくるなら、覚悟が必要よ。理由は、お母さんに聞いて!」
と、突き放したそうです。
それも、かなり、カワイソウ・・・。
バカな親を持つせいで、子供は苦労する。

しかし、最近、一時の欲望に負けて、人生を台無し?にしちゃう大人が増えていますよね。
鏡で、スカートの中のぞいて、捕まった大学の先生も、
学歴を詐称していた議員も。
これは、わざとじゃないけれど、車に自分の子供を乗せているのを、忘れて!!閉じ込めたまま仕事をしていて、熱中症で死なせた医師とか・・・。
結局、その人の真価は、その穴に落ちた所から、始まるのでしょうね。
使い込みのお母さん、子供に、きちんと自分の弱さをさらして、話せればいいけれど。(-.-)



4月15日(木)  ムンクの「叫び」

ムンクの描いた「叫び」という絵がありますよね。
橋のたもとで、口をO≠フ字に開けた人。
こけた頬に両手をあてて、今にも叫び声が聞こえてきそうな絵。

不安や恐怖、焦燥、そんな負の感情がうずまいている。
どちらかといえば、見て心地よいという絵ではないのですが、一時期、あの絵にはまりました。

絵の中の人物に同調することで、何か、日常生活の澱、(まぁ、いわゆるストレスでしょうか・・・)が、発散できるというか・・。
誰でも、何となく、ワァ〜とか、ヒョ〜とか叫びたい時ってあるでしょう?
(私の中では、何故か、ヒョェ〜ッという音なんだけど・・・)
そんな衝動に、ピタッとハマる感じなのです。

そういうのは、私だけなのかと思っていたら、もう5,6年前のことです。
ある、雑貨屋さんで、「ムンクの叫び」グッズを見つけたのです。
「ムンクの叫び」人形の、キーホルダーと、空気を入れてふくらます、マスコット。
思わず、買っちゃった。
グッズが、売られているということは、私と同じように、あの感じで、ホッとできる人がたくさん?!いるっていうことでしょう?
ちょっと、可笑しかった。

ところが、先日、ウチの母親が、
「ムンクの叫びの絵ハガキって、どこかに売ってないかしら?」
と言うのです。
母も、同類か?と思いきや、いわく、
「あの、口の開け方が、喉の奥jが広がって、いちばん、発声にいいのよねぇ。それで、生徒に説明しようと思ってさ・・・」
ですって。
そんな事かい・・・!(@_@;)



4月16日(金)  「まっかちん」と「えび上がり」

私が幼少の頃は近所のドブ川のような所にも、いろいろと生き物がいました。
その中のアメリカザリガニ。
男の子たちはよく捕まえて遊んでいました。
さて、そのザリガニの事を、皆さんは何と言っていました?
アメリカザリガニ? ただのザリガニ?
「エビガニ」という人もいました。
知人の話ですが、一人だけ
「えっ、あれはまっかちん≠ニいいますよね」という人がいたそうです。
『まっかちん??』
ほとんどの人が「何それ〜?」といったリアクションで、まっかちんといった本人は「あれは絶対まっかちん!!」と必死にまっかちん説を力説していたそうです。
ところが後日、ある熱帯魚屋さんで、そのものズバリ!『まっかちん』というお店があったそうで、しかもその店のトレードマークが赤いザリガニ。そうアメリカザリガニでした。
方言なのかわからないけど、ザリガニの事をまっかちんという所があるのですねぇー。

もう一つ。
鉄棒の技で「えび上がり」って知りませんか?
確か運動神経が鈍かった私が唯一得意だった腰の柔軟性を使う技で、逆さに鉄棒にぶら下がってから、反って、最後は鉄棒の上に座る形になるものだったと思うのだけど、みんな知らないって言うんだよね、、、。
今はムリ・・・(T_T)/~~~
もう鉄棒なんてしないから、やり方もうろ覚えなんだけど、誰かしらな〜い?



4月17日(土)  歌は世につれ〜とカラオケ大会

「歌は世につれ、世は歌につれ・・・」と、玉置ひろし≠カゃないけれど、特に歌謡曲ファンというわけではない私にも、思い出のある歌謡曲というのは、いくつかあります。

幼稚園の時、ウチで初めて買った、テープレコーダー(オープンリール)で、初めて録音したのは、私が歌う山本リンダ≠フ困っちゃうな≠セったし。

ちあきなおみ≠フ喝采≠ヘ、父が、忘年会で歌うんだと言って、レコード買って、練習してたし。

中学の修学旅行で、京都へ行って、皆で見た、「ザ ベスト テン」。
(あーなつかしの、ベストテン。毎回夢中で見てた。久米さんと黒柳さんのトークが、すごく楽しかった。)
1位は、世良正則&ツイスト≠フひきがね≠セった・・・。

高校の頃、私も、母も、さだまさし≠フ歌が好きで、(げっと言う人いるかな?)LP持ってたし。

松田聖子≠フ赤いスイトピー≠ヘ、大学の、新歓コンパで無理やり歌わされて、高い声出なくて、恥かいたし・・・。(-_-;)

と、まぁいろんな時期にいろんな歌が流行っていて、懐かしかったりするわけですが・・・。
しかし、これは、年代の近い人しか、共有できない懐かしさというのも、ありますね。

その昔、我がスタジオの、舞台打ち上げというと、恒例だったカラオケ大会。
私よりも、ほとんどが、若手のメンバーで、知らない歌ばかりで、辟易していた私は(フン!(-"-))、先生命令で、「昭和の歌 オンリータイム」を強要したこともあります。
私としては、山口百恵や、ピンクレディーを見たことない、と言われると、ファンじゃなくたって哀しいわけで・・・。

実は、私自身は、若い頃、ジャズの仲間や先生とカラオケに行っても、決して歌わないタイプでした。
まず、歌自体に自信がないし、踊りだとさほど感じないのに、歌だと、がちがちの自意識過剰で、緊張の極致になっちゃうから、おとなしく人の歌を聞いてました。
また、先生が、異常に歌が上手かったから余計、聞かれたくなかったのかな・・。
先生は、内藤やすこ≠フ弟よ≠ニか、それは、聞かせてました。

最近は、そういう機会もあまりないのですが、私が、以前しょっちゅう、打ち上げをカラオケ大会にしていたのは、ぜひ、自慢の喉を聞かせたいというのでは全くなくて(とんでもない!)、スタジオの皆のパフォーマンスを見たいというのがありました。
実際、人前で、歌を歌うのも、踊りを踊るのも、一つのパフォーマンスであって、踊らせると、恥ずかしさ?で、何も表現しない子が、歌だと、感情たっぷり、視線もはずさず、時には振り入りで、歌ってくれたりするからです。
そして、そういう子は、案の定、踊りの上でも、ほどなく表現に開花したりするのでした。
歌に、感情を込められる人は、たぶん芝居をしても、そして、踊ってもいずれは、感情を込められるような気がするんだけど・・・?

もちろん、じっくり話をしたい時は、カラオケの打ち上げじゃない方がいいけれど、そのうち、またカラオケ大会打ち上げもいいかもしれないね・・・。
ただし、「昭和の歌オンリータイム」あり、でね?!(^^♪



4月18日(日)  なんないおばさん≠フその後

昨日、私が卒業した私立の中学、高校の同窓会会報が届いていました。
卒業生の話題や、寄稿記事などを何となく、パラパラめくっていたら、見覚えのある女性の写真と、投稿記事が載っていました。
これって・・・?
わぁ!中学の時の担任の、T先生だ!!
中学1年と、3年で2回も担任をして頂き、高校では、家庭科を教わった先生です。
当時、たぶん30歳代後半、独身、クリスチャン、きっちりとした性格の、どちらかといえば、私の苦手なタイプの先生でした。
しかし、その写真は、柔和そうな、やさしげに微笑む初老の婦人。
本当に、T先生?といった感じです。
なになに・・・と記事を読むと・・・。

T先生は、お母様の介護のために、教職を退かれたのですが、その後お母様を亡くされたそうです。
その経験の中から、本格的にホームヘルパーの勉強を志し、今は介護士でいらっしゃるとの事。

実は、T先生には、私達仲間の中では、あるあだ名がありました。
その名も、なんないおばさん=I!
何しろ、すべてにおいて、規律正しい我が校の中でも、特に、口うるさい=iごめんなさい)方で、その口癖と言ったら、
〜しなければならないことは、しなければ、ならない
例えば、
身の回りは、きれいにしなければならないし、責任は果たさなければならないから、お掃除はきちんとしなければならないのです!≠ニ言った具合。
くどいまでに、このならないを聞かされ、うんざりしていた私達は、影で、先生を、なんないおばさん≠ニ呼んで、憂さを晴らしていました。

特に、このT先生担当の、調理室の掃除当番にあたると、地獄の苦しみでした。
その名も、「ピカール」という磨き粉(ホントだよ、知らない?)で、流し台が、ピッカピッカになるまで、磨かされるのです。
しかも、このピカールが、シンナー系のそれは、キツイ臭いがして、頭が痛くなる・・・。(>_<)

学年でささいな不祥事があると、全員が、作法室(畳じきの広ーい和室)に正座させられ、まじめに聞いてると、頭がぐるぐるしちゃう、T先生の、「なんない節」を聞くはめになる。
決して、コワくないんだけど、切々と、クドイ。

その、「なんないおばさん」が、眉間のシワもなく、穏やかに微笑んでいる写真。
いろいろと、辛いこともあったのでしょうに、素適に年をとられたご様子。
うーん。
年月は、人を変えるものなのでしょうか?!
私は、どんな風に、年をとるのでしょう・・・?"^_^"



4月19日(月)  父と宿題

遺伝というわけではないのでしょうが、私も、私の母も、人にモノを教えるという仕事をしていて、たぶん二人とも「教える」のが好きな方なんだと思います。
ところが、私の父は、人にモノを教えるのが、全くヘタでした。
つまりは、せっかちだったのか、子供だった私が、宿題などを聞いても、あっという間に正解を言ってしまう。
私としては、ラクなんだけど、教えたことにならないよ〜≠ニいった具合。

もっと小さな頃、私は聞きたがり≠フ子で、「なんで空は青いの?」とか、「あれはなに?」
とか、答えにくい質問をしては、困らせていたらしく、とうとう父親は、「こどもなぜなぜ百科」みたいな本を買ってきて、読んでくれました。

さて、高校ともなれば、宿題もハード。
内容もかなり難しくなります。
たぶん、今、私に高校生の子がいて、数学なんか聞かれても、絶対にわからない自信がある?!
間違いない。(ーー;)
もともと、理数系は苦手、はなっから、自分でわかろうという気もなく、出た宿題をそのまま、
「パパやって!」
と父に押し付けていました。(^^ゞ
父もかなり苦労していました。
ある時、宿題を父に任せ、寝てしまった(ナンテ奴・・・?!)私が、夜中にトイレに立つと、明りがついていて、父が一人苦戦していたこともありました。
(パパ有難う。(T_T))

夏休みに宿題も、かなりの量、かなりのハードさだったのですが、計画性がないようである?私・・・。
8月も押し詰まると、これは、父親行き、これは、自分と、ちゃっかり分担を決めて、父親頼みです。
日本史の宿題で、古文などで書かれた、史料集を、まるまる一冊現代語訳するというのも、すべて父親行きでした。
父親も、どうやら、文系の頭だったらしく、この宿題は、それなりに楽しげに?楽勝でやってくれました。
ただ、量がはんぱじゃないので、書き写すだけで、私は、かなり疲れました。
(いいかげんにしろって?!・・・(~_~;))
ちなみに、この宿題、今から考えると、現代語訳した文章が、どう考えても、高校生の文章でなく、おじいさん?!的で、先生も何か勘付いていたかもしれないのですが、とりあえず、良い点をくれました。
先生、ごめんなさい。m(__)m

勉強から、離れた今、あらためて小学生のドリルなんかをやってみると、全く忘れていて、これが、結構楽しかったりする。
(もし、暇があったら、新設コーナー「できるかな?」をやって見て下さい!)
父も、忘れた記憶と闘って、頑張って、でも、ちょっと楽しんで、私の宿題をやってくれていたんだといいのにな・・・・(-。-)y-゜゜゜



4月22日(木)  名前 いろいろ・・・・

昨日は、たこパー(たこ焼きパーティ)が、ハネて、PCに向かったのが、なんと・・・夜の12時2分前!
ダイアリィの更新の日付が変わっちゃう!!
・・・とシステムが立ち上がるのに、時間との競争!思いっきり、シンデレラの気分でした。
やれやれ・・・。(@_@;)

さて、今日は、名前のはなし。
こんな仕事をしていると、初めての方にお目にかかって、お名前を聞いてということが、よくあります。
正直言って、すっと覚えられる名前もあれば、何故か、覚えられない名前というのもあります。
特に、子供の名前、昔のように、〜子というのは、むしろ希少価値?で、今は綾(彩)という字がつく名前が多い気がします。
ご両親が、頭をひねってつけた名前も、
綾乃ちゃん、綾香ちゃん、彩名ちゃんなどがそろうと、私は頭がぐるぐる、ごちゃごちゃになってしまったりするのです。(>_<)
あと、読めない名前というのもあります。
「楠ちゃん」、さて、何と読むでしょう?
私は、精一杯考えて、
(あれっ、この字、くすのきじゃなかったっけ?でも、くすのきじゃ名前にならないか・・・。)
「うーん かえでちゃんかな?」
ブッブー!
「かえで」は、楓。
正解は、「ゆずは」ちゃんだって!
後で、辞書見たら、楠は、くすのきという字だけど、最後の方に、ゆずりは(常緑樹の一種)≠ニいうのがあるから、それから来てるんだろうね・・・。
しかし、これは、読めないよ〜。

あと、これは、知人のお嬢さんの名前ですが、「海」と書いて、マリン≠ニ読ませるというのもありました。
まずは、絶対、うみちゃん≠チて読まれるだろうね・・・。

そういえば、悪魔ちゃんと名付けられた子が、ニュースになった事ありましたね。
結局、裁判で、認められなかったんだよね?
珍しくで、他にないのは、いいけれど、子供は後から苦労すると思うな・・・。

これは、未遂の話ですが、私の友人は、お祖父さんの、たっての希望で、もう少しで、「珍子」(そのまま読んでください・・・ (~_~;))
とつけられる所だったんですって!!!
(ホントの話)
両親が、反対してくれて、未遂に終わったそうですが、それは、さすがに、なし!
でしょう?!
小学校なんか、行ったら、男子の格好の餌食になること、間違いなし!!
ちなみに、私達は、タクシーの中で、この話で盛り上がり、
「珍子」、「珍子」と連発し、運転手さんは、びみょう〜な表情をしてました。
ヒヤヒヤ・・・(^^ゞ



4月23日(金)  「お菓子」のお話し

最近は、いろ〜んな種類のお菓子が並んでいて、その種類の多さは昔よりだいぶ増えているように思います。
実は私、お菓子が大好きなのです。
お菓子といってもケーキ屋さんのケーキ≠竍老舗の和菓子@゙でなく、コンビニやスーパーで売っている、いわゆるお菓子=B
チョコレート菓子やビスケット類。
『新製品!』などとPOPが付いてると、つい手にとって買ってしまいます。

季節毎に各社繰り出される新商品たち・・・。
消えていく商品も多く・・・
そんな中でも、昔っから変わらずにある定番商品てありますよね。
中でも私のお気に入りのお菓子は次のようなものです。

プリッツなら絶対『バター味』
サラダやローストでもなく、まして最近のラーメン味(邪道!)などでなく!バター味です。
サラダやローストは置いてあるけど、このバター味!あまり売ってないんだよね・・・(T_T)
駅の売店などで、たまに出会えます。
もちろん必ず買います(-。-)y-゜゜゜
なんとも郷愁の味で、ほんのり甘くて美味しいの。

ギンビス(またシブい!)のアスパラビスケット。
ポッキーは、もちろんシンプルなチョコレート(3本いっぺん喰い)
「たけのこの里」じゃなくて「きのこの山」
不二家のハート型のピーナッツ入りチョコ。
そして不二家といえば、子供がうっとり憧れのお菓子「ホームパイ」!
ブルボン「レーズンサンド」
東ハト「バターココナッツ」なんかも、たまに食べると懐かしくておいしい!
バターココナッツと聞いてピーンとくる昭和○○年代の方、たまにはいかがですか?

知人で「僕はビスケットはミスターイトウ」といった人がいて、結構マイナー(イトウさんごめんなさい)でウケてしまいした。
でもギンビスっていうのもかなり少数派ではないかと思いますが・・・(^^ゞ

大人になっても子供の心に帰って無心においしく食べられるお菓子たち・・・。
最近食べてないお菓子も思い出して、また食べたくなっちゃった・・・。



4月24日(土)  臨機応変 1

リハーサルにリハーサルを重ね、準備万全のはずでも、思いもかけない事が起こってしまったりするのが舞台というもの。
そんな時いかに臨機応変に落ち着いて行動できるかというのは、もちろんキャリアもあるけど、その人の性質や個性というのが反映してきます。

コマフェスのモダンのステージで、私と一緒に踊っていたAは、実直で真面目なタイプ。
コツコツと練習を重ね、皆のためによく動く、とてもいい子なのですが、普段からあまり融通の利く方でなく、先輩にも“臨機応変に!”と言われていました。

ところが その年のコマフェスではまさに突発事態が起こってしまったのでした。
その年、初めて参加したSさん。
何と本番前日に、お父様が病気で倒れ、参加も危ぶまれる状態に・・・。
Sさん本人も不安で、平常の精神状態ではいられなかったのだと思いますが、何とか本番には出たい!という希望で幕が開きました。

しか〜し。
その彼女をめぐり 起きた突発事態により、Aは窮地に立つ事になったのでした。
曲の頭に舞台上でマントをパッと脱ぎ捨てる。袖にいるスタッフがそれを引き込んでくれるように袖近くに投げる事になっていました。
ところが、Sさんの投げ方が弱く、舞台中央よりにSさんのマントだけが残ってしまいました。
激しい踊りの中、一つだけ舞台上に残ってしまったマント。
ダンサーにあわや踏まれそうになりながらも、結局 誰も どうする事もできず、皆気になりながらも、いかにそのマントの存在を無視できるかの世界に突入していきました。
Aにとってその状態は相当キツイものだった気がします。

実は、恐ろしい事に私は、そのマントの側を通っていたのですが、マントが落ちている事に気付かなかった何とも幸運な?一人で、アクシデントに心乱される事もなく、楽しく踊っていました・・・(汗;)

つづく



4月25日(日)  臨機応変 2

「知らぬが仏」と言うのとは、ちょっと違うかもしれませんが、こんなラッキー?なパターンは、私にはよくあって、Positive1の時にも、前の景で取り残して、舞台センター後方に一つだけ落ちていた仮面に、全く気付かず、気持ちよくソロを踊ってしまった事もありました・・・。(~_~;)

さて、曲の最後は、段差をつけて上がった盆の上で、全員が同じ振りを、4カウントずれ時間差で、ぐるぐると回る演出。

なんと、Sさんのすぐ後がA、その後ろが、私。
ただでさえ、アクシデントに心乱され、おそらくかなりのパニック状態の二人が、よりによって並んでしまったのは、神、或いは悪魔のはからいなのでしょうか・・・?

Sさんは、案の定?自分が、踊りだすカウントを間違えてしまいました。
Aの頭の中には、おそらく、先輩から言われた「臨機応変」という言葉が、こだましていたのでしょう。
(練習通り、自分のカウントで踊ったら、前のSさんと同じタイミング、同じ振りになってしまう・・・)
Aは、たぶん脳をぐるぐる働かせ、なんと途中からカウントをずらすという暴挙?!に出たのでした。
ところが、そうすると、今度はすぐ後ろの私とカウントがダブってしまうのでした。
その時の、Aのパニック状態を思いめぐらすと、気の毒以外の何でもない・・・。
(これじゃ、YUKOちゃんといっしょになっちゃう・・・!)と気付き、半分泣き顔になりながら、踊っていたA・・・。(T_T)

えっ?私?
さすがに、Aの様子が変な事、振りがダブっている事には、気付いたのですが、
あらら〜?Aは何をやってるのかしら?
と思いつつ、自分のカウントを変えることなく、平然と?曲に入り込んで踊っていました。(^^ゞ
そうすると、一人間違えたように見えるのは、あせりまくっているAだけ・・・。(T_T)/~~~
臨機応変が、不得意なタイプのAが、肌に合わない事をいきなりやったのが、敗因だったのか・・・?

しかし、実際、アクシデントの際には、やはりパニックにならないでいるというのが、最も大切な事で、よほどの自信がない限り?なるべく、リハーサル通りを、平常心で行うことが、傷を浅くするベストの方法なのかもしれません。      つづく



4月26日(月)  臨機応変 3

さて、舞台上のアクシデントで多いのは、やはり落し物。
帽子や、衣装につけた小物などが、思いがけず、落ちてしまうのは、比較的よくある事。
むろん、なるべく落ちないように、工夫することが、ベストなのですが、それでも、手がすべったり、ぶつかったり、或いは、マジックテープなどが、はずれたりして、落としてしまう事もあります。
そんな時も、まずは、慌てない事。
振りの延長で、さっとスムーズに拾えるようならすぐ拾う。
それが、ムリで、落ちていてもさほど問題がないようなものなら、暗転になるまでそのままにする。
足で蹴って、邪魔にならないようにするなどは、かなり高度なテクニック?で、失敗すると泥沼になります。(@_@;)

中には、そういったアクシデントに燃えるタイプもいて、他の人が落としたものまで、踊りながら拾った人もいました。
しかし、この場合、拾った本人的には、「いける!」と思い、確かに、立って、踊っている姿勢から、目にもとまらぬくらいの?!速さでしゃがみ、拾ったのですが、客席の立場から見ると、群舞の一列目の人が、いきなりしゃがんだのは、やはりかなりの違和感。
しかも、拾ったのは、床に落ちていてもさほど目立たないリボンのようなものでしたから、果たして、この場合の「臨機応変」だったのかは、少しだけ疑問です・・・?!

そうして、考えてみると、舞台の上での、臨機応変とは、やはりお客様の目でみて、いかに作品そのものの世界を楽しんで頂けるかが、重要であり、つまり、何か事が起こっても、いかにエンターテイナー≠ナい続けられるかということに、尽きる気がします。

舞台に限らず、「臨機応変」ということ自体が、「我」から離れて、柔軟な思考ができるか?ということであり、とっさに場合に、そうした人間的な器、判断力が、試され、培われていくのかも知れませんね・・・・。(-。-)y-゜゜゜



4月27日(火)  Let’s 英会話?!

携帯サイトで見たのですが、“同僚・友達に差をつける人気お稽古 月間ベスト5”。
さて何となく1位は想像がつくのではないでしょうか?
そう、1位は英語、英会話です。
以下、2位和のお稽古(生け花、茶道、着付けなど)。
3位メイク、ネイル。4位中国語。5位韓国語。
だそうです。ふ〜〜ん。
しかし日本人は義務教育の中の中学校、そして高校まで合わせると、みっちり6年英語をやって、しかもその後も若い人からサラリーマン、主婦、etc・・・まで、英会話学校などに自主的に通い英語を習う人が多いこと・・・。
やはり国際人としての教養ってやつでしょうかね?

かくいう私も実は踊りにはまる前、英会話学校に通った事があります。
高校まではそれほど英語には興味がなく、大学の学部も文学部の教育学科を選んだのに(しかも国語科に進むつもりでした)なぜ急に英語だったのかわからないのですが。
でも語学ってみんな単純な所で、なんか楽しいよね・・・。
その学校では夏休みの特別クラスとして2週間、朝9時から夕方5時まで、お弁当持ちで「学内一切日本語禁止」というのがあって、あれはかなりハードだった。
“英語のシャワー”というコピーがついていた通り、まさに英語漬けの状態。
生徒だけでお弁当を食べてる時も、みんな律儀に英語オンリーを守っていて、その光景は今想像するとちょっとおかしいけれど、その甲斐あってか?2週間後には自然に英語で考えるようになっていた。
今では信じられないけど、私もペラペラと英語で討論していたのです!!
が・・・しかし・・・集中して入ったものも、使わなければすぐ忘れてしまうわけで・・・
今となっては、外人さんに道を聞かれても『Follow Me Please!』
でタッタカ先を歩いて連れていっちゃう方が早いと思ってしまうクチです。(>_<)

(余談ですが・・・随分前の話ですが、外人といえば、青山でフォルクスというステーキ屋さんの場所がわからず、スーパーがあったのでそこにいた外人の店員さんに「フォルクスどこですか?」って尋ねたら「オー!3列目の棚の一番下ねー」とカタコト日本語でかえってきました。。。おいおいフォルクスって棚に入っちゃったのか〜?いったい何と聞き違えたのか今でも不思議です。その棚まで行ってみればよかったかな・・と今でもふっと思います)



4月28日(水)  続 Let’s 英会話

その国の言葉を本気で覚えようと思うなら、その国の人とお友達(恋人)になってしまうのが、一番いいというのは、よく言われることです。
結局、会話は、コミュニケーションの手段であり、心からその人と会話したいという気持ちが、否が応でも上達を早めるのでしょう。

逆に言えば、教科書を使って、シチュエーションを設定して、演劇のセリフのように(しかも、棒読み?!)会話を練習しても限界があるわけで、だから、学校教育であんなにやったのに?(私の学校は、かなり英語に力を入れていて、週9時間とかあって、毎日毎日、英作文、リーディング、L.Lや、英文法をやっていたのに・・・)あきれる位、ほとんど何にも残っていないのでしょうね。
あれっ?それは私だけ?(^^ゞ)

英文法の書き換え問題なんかを、山ほどやらされたおかげか、日本人の方が、英語を母国語とする人よりも、英文法のテストの点は、よかったというのを聞いた事があります。
それっていったい・・・?ですよね。
最近は、読み書き中心の英語から、ようやく“話す英語”へと、教育も変わってきたようですが・・・。
こんなに、皆が英語を話したいのなら、いっそ、頭の柔らかい子供のうち、小学校低学年から、学校教育に英会話をバシバシ入れちゃうっていうのは、ダメなのかな?と思ったりする私です。

ところで、ダンスを本格的にやる前、そして英会話を始めたころ、私が一時期、志していたのは、実は、翻訳家への道でありました。
今では、あまり見かけませんが、昔のいわゆる翻訳物の小説には、恐るべき“悪文”がいっぱいあったような気がします。
(若気の至りか?)こなれた日本語、読みやすい日本語にするのは、私だ!位の思い込みで、専門学校の翻訳家講座というのに、一年近く通っていたのです。
一人のプロの翻訳家の先生に、5・6人の生徒というゼミ形式のクラスで、私以外は、皆大学卒、大学院卒、留学経験あり、の人ばかりで、私は、完全なオミソ(懐かしい言葉?!)でした。
本当に、ダメだこりゃ!と言う状態でした。
ミステリ・SF講座というそのクラスで、私を受け持ってくださったのは、UFO専門家として著書もある、南山宏先生でした。
ちょうど、その頃、のめりこんでいったダンスの舞台に、クラスの皆と来てくださり、
「あなたには、ダンスの才能があるから、そっちで頑張ったら?」
と言ってくださったのです。
その言葉を、きっかけに、私は、ダンスにどんどんのめり込み、英語とお別れしたのでありました。

そんなわけで、私にとって、英語、英会話というのは、趣味、お稽古事、というのとちょっと違う、甘酸っぱい若き日の思い出がからむのです。
しかし、そのほとんどを忘れ去った今?、また時間があったら、英語、英会話をたぶん一から?!勉強するのも、楽しいかな、などとも思う、最近です。



4月29日(木)  体さん、有難う!

世の中には、いろんな顔、いろんな性格の人がいるように、いろんな体を持った人がいます。
踊りを、教えるようになって、人様の体をたくさん目にして、思うことは、人間の体ってうまくできてるな・・・ということです。
関節の硬い人も、筋肉の硬い人も、筋力の強い人も、弱い人も、骨盤が右に曲がっている人も、前に傾いている人も、みんな体が勝手に?バランスをとって、それなりに立って、歩いて、まして踊ったりしている・・・。
本人的には、何の意識もしていないのに、どこかがどこかをカバーしてくれているわけで、これって、よく考えると結構すごくないですか?

例えば、人間の歩行のメカニズムひとつとっても、実はものすごく複雑らしい。
で、ロボットで真似しようとしても、なかなかスムーズにはいかないんですってね。
すご〜い!

体の中心(要)である、その名も腰を痛めたりすると、あちらこちらの筋肉が総動員、大活躍してくれて、そのおかげで、自然に他の部位が痛くなったりする。
痛くなるのは、カンベンだけど、素晴らしい連携プレーだと感心したりもします。

ちょっと、余談ですが、ウチの母は、歌も教えているのですが、どうやら歌でよい声を出す姿勢と、踊りの基本姿勢はかなり似通っているらしい。
腰(骨盤)をまっすぐ立てて、肩甲骨を下げて、背中を広げる・・・とか言ってたから、細かいところは別にしても、確かに似てますね。
腰をまっすぐ立てて、肩の力をぬくというのは、他の楽器もたぶんそうだし、スポーツや格闘技なんかでも(前から思っているけれど、相撲のソンキョの姿勢は、立派なグランプリエだよね。後、四股(しこ)は、ティルトの形・・・。)かなり、基本が腰であるというのは言えると思う。
たぶん、人間が最大のパワーを出せる形というのが、何の分野でも近いのかもしれない。

踊りをやる上で、もともとやりやすい体というのはもちろんあって、例えば、生まれつき股関節の稼動範囲が広いとか、筋肉が柔らかくて、強いとか、そのバランスがよいとか、言い出したらキリがありません。
生徒の皆さんが、もう少しこうだったらいいのに・・・と普段悩んだりしているのと同じように、私も実は、日夜、ないものねだり、不満たらたらだったりするのです。
しかし、考えようによっては、世界にひとつしかない個性的な自分の体、また、鍛えたら鍛えただけ、素直に頑張ってくれる筋肉や、負担に耐えて、頑張る骨に感謝して、仲良くつきあっていかなきゃと思ったりもするのです。
(が、すぐ忘れて、酷使しすぎて痛いめにあう・・・(^^ゞ)
いいところも、わるいところもある自分の体に、素直に向かい合って、スローペースで、じっくりと付き合っていこうじゃありませんか!(*^_^*)



4月30日(金)  フロアーダンサー体験談

踊りの仕事と、一口に言っても、いろいろなお仕事があります。
バブルがはじける前は、たくさんあったという、フロアーショーでのダンサーのお仕事。
何と、この私も、うんと若い頃に一度だけ、このフロアーのショーダンサーを経験させてもらったことがあるのです。
稽古場でいっしょだった先輩の六本木にあったお店で、クリスマスショーをやるから、一週間だけやってもらえないかと言われ、“接客なし”ということでやらせてもらうことになったのです。

まだ、確か二十才代の私。
振付を覚えたり、踊る事自体にとまどいはなかったのですが、何より、そういった夜のお店にあまり行ったこともなく、お店の空いたスペース、お客様の間で踊るという事、他のダンサーのお姉さまの貫禄に、ひたすらドキドキのカルチャーショック!!
先輩のダンサー達は、夜の9時と、11時の二回のショータイムの合間は、接客。
ぎりぎりまで、お客様のお相手をして、ちょっと失礼と、着替えて、始まるショー。
私は、一人、酒蔵にこもり、ジュース飲んで本を読んでて、ショーの時だけ出て行って踊るという、いいご身分?!

何とか雰囲気にも慣れた、3,4日目のことです。
ママさんが、ショーを見たお客様が、私を呼んでるから、すわるだけでもすわってくれない?と頼みに来たのです。
(そっか、じゃすわるだけなら・・・)
とおずおず顔をだした私。
今なら、まだトークのしようもあるのでしょうが、その頃は私は、全くただのぼおーっとした「お嬢さん」?!
ヨイショとすわって、
「こんばんは」
ー・・・・シーン・・・・−。
お客様が、かえって気を使って、
「あなたは、踊りが好きなんでしょう?」
「ハイ」
ー・・・・シーン・・・・−。
「その、なに、いっぱい練習するんでしょう?」
「ハイ。しますね。」
ー・・・・シーン・・・・−。
様子を察したお店の女の子が、あわてて間にすわってくれるまで、そのお客様も、私も、二人してあぶら汗タラタラでした・・・・。(>_<)

それでも、帰りがけに、
「踊り、頑張ってねー!」
と手を振って下さった、人のよさそうなお客様、本当にごめんなさい。
頭の回転が早く、気が利いて、踊りも上手い先輩のダンサーたちにくらべ、全く使えなかったその頃の私。
うーん・・・こういうお仕事は、向かないらしいと体験させてもらっただけでも、貴重な若き日のできごとでした。



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