YUKO MASUMITSU JAZZ DANCE STUDIO

 2004年 6月


6月1日(火)  パリ・オペラ座バレエ“白鳥の湖” 〜Swan Lake〜

先日ダリアリィで、一番最後でブツッと切れてしまって超欲求不満の、「白鳥の湖」のビデオの事を書いたら、フロリナのママが、パリオペラ座の、「白鳥の湖」のビデオを貸してくださいました。m(__)m
これが、スゴイ!!
もちろん主役の二人、そして道化師役のテクニック、おしゃれな衣装の着こなし・・・など素晴らしいことは、多々あるのですが、何と言っても圧巻なのが、コールド(群舞)です。あり得ない?位の揃いっぷり?!です。
テクニック、音のとり方、身体の美しさ、すべてが、後ろの後ろまで最高のレベルでまとめ上がっている。
あっという間に、2列になったり、ななめになったり、円になったりする、複雑な構成を一人ひとりが完璧にこなしている。
ビデオも、それが自慢?かのように、カメラを上に設置して、上からその形を見せるのですが、完璧なラインです。
斜めの2列ラインなんて、よく初心者の皆さんにやってもらうと、上下の開きが違ってしまったり、列ががたがたになったりして、エライ苦労するのですが(-_-;)、プロの舞台でも、なかなかここまで計って書いたかのようなラインは見た事がないくらい・・・。
しかも、群舞にも結構ハイレベルの振付が入っていて、それを完璧にこなしながらの移動は、ただただ感動しました。
つまり、群舞の一人ひとりが、ソロでいけるくらいの実力者なわけで、やはり教育が素晴らしいのでしょう。
よく見ていたら、一番後ろの人の移動なんて、ほんの数秒で、何気なく(おそらく、お腹の中は火を噴いているでしょう?)何メートルもすべるように移動していて、一流のバレリーナは足も速くなくっちゃダメだな・・?と妙な納得をしたくらいです。(~_~;)
そして、念願のラストシーンも、もちろん見れました。
どこのバレエ団か忘れたけど、前に見た「白鳥」は、最後が、何と二人で、湖に飛び込んでしまうといういわば、“心中もの”の終わり方で、すごく悲しかったのですが、オペラ座のは、ドラマティックな“愛は勝つ”の正統派の終わり方で、本当にすっきりしました。
どうも有難うございました!!



6月2日(水)  S代からのハガキ @

昨日、S代からハガキが来ていました。

S代が、私のスタジオで踊りを始めたのは、もう、7,8年前、確か彼女が15,6歳の頃だったと思います。
制服で、ルーズソックス、全身が若いエネルギーでパンパンの元気少女でした。
正義感、感受性が強いタイプで、高校を卒業しても、バイトをしながらレッスンを続け、公演などでも、主要メンバーとして踊ってくれるようになりました。
ある時、ディズニーのダンサーになろうと、オーディションを受けたのですが、(技術的には、私が見ても問題はないと思うのですが)、彼女のエキゾティックで、グラマーな容姿やキャラクターが、ディズニーのイメージに合わなかったのか、最後の面接でうまくいかず、その頃から、痛めていた首の調子もよくないらしく、だんだんとあまり顔を見せなくなりました。

ある日、久しぶりに顔を見せたS代が、
「先生、実は、ワーキングホリデイで、カナダへ行くことになりました」
と言うので、大変びっくりしました。
「カナダ?なんで?」
「アメリカは、テロの影響とかもあって危ないから」
「いや・・・(~_~;)そういう意味じゃなくて・・・何で外国へ?」
「働きながらいろいろと見てみたいんです」
「へぇ・・そう・・・」

私としては、あまりに突然の話で、
「元気でね、帰ってきたら顔見せてね!」
としか言えませんでした。

“来るもの拒まず、去るもの追わず”というところがないと、たぶんこの仕事を続けていくのは難しいのだろうけれど、この“去るもの追わず”というのが、心をこめて教えをやっている先生にとっては、皆、ツライところだと思います。
私も、何もやったことなくて、一から教えて育てた生徒が、それぞれの人生の選択で、離れていく瞬間に立ち会うたびに、仕方のない事とわかっていながら、いつもキツイ想いをします。
私の友人の先生などは、それが辛いから、稽古場という形をあえて辞めて、舞台の前だけ人を集めてレッスンをしようかと話していました。
それは、無理としても、(あぁこの子もいつかふいっと来なくなるかも・・・)と思う事が辛いという、彼女の気持ちは痛いほどわかりました。  つづく



6月3日(木)  S代からのハガキ A

私は、もともと、たぶん自分と同じように?踊りにハマってほしくて、踊りは楽しいと言う事を伝えたくて、教えをやっているようなところがあります。
もちろん、皆にプロになって欲しいなんて思っていないし、それぞれのペースがあり、生活の中での踊りの占める割合は違っていて当たり前なのですが、週に1回の趣味にしても、何かを積み上げて上達していって欲しいという気持ちは強くあります。
汗をかいて、その場だけ楽しければ終わり、というのではなくて、継続していく事で得られるもっと深い楽しみを知ってほしいと思っています。
だからそうしてできたつながりをすごく大切に思うし、もしかしたら、一生一緒に踊っていこうよ、みたいな気持ちがあるのかもしれません。
しかし、それは現実、やはりムリなときもあって、特に、若い人は、これからの人生の選択によっては、どんなに深くつながっているつもりでも、それぞれの道を歩いていく。
旅立つ子供を見送る、というわけではないけれど、寂しいという気持ちをコントロールして、それぞれの人生の旅立ちや、新たな挑戦を祝おうと思う。(なんとか。。(T_T)/~~~)
私にとっては、やはり、教えるという仕事で得られる人間関係への向き合い方すべてが、未熟な私の人生勉強なんだな・・と思ったりするのです。

さて、S代のハガキ。
彼女がカナダへ旅立って約1年。
そのハガキは、何とタイからのものでした。カナダからタイに渡り、いろいろなものを見て、やはり来てよかったとの事、近々日本へ戻ったら、お会いしたいとの事が書いてありました。
1年、何の音沙汰もなかったS代が突然くれたハガキを見て、元気そうな彼女の様子にほっとすると同時に、ハガキの通り、日本へ戻ったら、元気な顔を是非見せてほしいと楽しみにしています。
(やはり、カナダに留学しているOも、先日夏ごろには帰国するとハガキをくれたし、毎年フランスから帰国するたびに顔をみせてくれるRも、皆で会えるといいなと思っています)
それにしても・・・いつのまにかかなりインターナショナル!・・・(*^。^*)



6月4日(金)  現実の痛み

1999年に、POSITIE VIBRATION2(第二回スタジオ公演)を上演した時、2部の“アオイ トリ ヲ サガセ in 1999”と題して創った作品では、チルチルとミチルが知り合ったきっかけは、パソコンのインターネットという設定でした。
実は、その頃、私はPCには全く疎く、あまりよくわからなかったのですが、今思うと、差出人不明の謎のメールか、チャット(実はこれはいまだにやったことないからちょっとわからない)みたいなものの“青い鳥を探せ”という指令が二人を結びつけ、知らない者同士の二人が旅に出るという感じにしたかったのです。
よくわからない分、私自身、PC通信というものの可能性への夢みたいなものがあったのかもしれません。

それからほんの数年で、私を含め、あまりPCと縁のなかった人達も、嫌でもその実情に接するくらい、メールやPC自体の普及には目をみはるものがあります。
ほとんどの公立小学校には、PC設備がある!!という今、先日起きた、長崎の小学生が小学生を刺し殺してしまった事件・・・・。
その動機は、チャットでの中傷の書き込みだそうで、(それも髪型の悪口とか・・・(@_@。)専門家が、あらためて、現実のコミュニケーションもきちんとできない子供が、メールやチャットというメディアを使うことへの警鐘を鳴らしています。
何日か前のダイアリィで、私も、メールでの絶縁状をもらってしまった友達の話しを書いて、“ケンカくらい目を見てちゃんとしようよ”と結んだばかりなので、自分でも、そうした現実でのコミュニケーションができない人達が増えていることへの不安が、思ったよりもずっと早いスピードで、しかもずっと下の世代へ、確実な影を現していることが、恐ろしくてなりません。
文字と言うのは、相手の表情もニュアンスも運ばないから、悪意はよりシビアな形で、受け取る側の思いによっては、より大きく化けて、心を突き刺します。
取っ組み合いのケンカをしても、黙って、手をつないだだけで、仲直りできた時代は終わりを告げたのでしょうか。
また、そのケンカに到るスピードも、ネットの情報伝達の素早さに比例して、あっという間で、そのケンカも、現実の痛みを知らない子供は、即最終手段、「消去」という思考になってしまう。
怖い・・・。本当に、怖いとしか言いようがなく、暗鬱たる気分の私です。

※PCとか言ってますが、パソコンの事をPCと言うのさえ実は知りませんでした(~_~;)



6月5日(土)  アレルギー

今や、3人に1人の人が、何らかのアレルギー症状を持っているんだそうです!!
かくいう私も、ほぼ一年中、鼻炎症状があり、おそらくハウスダストかなにかのアレルギーだと思います。
あまり掃除をしない?!(~_~;)私の部屋や、地下の喫茶店に入ったりすると、クシュンとくしゃみが止まらなくなったり、朝起きたばかりなども、鼻水が止まらなくて、ティッシュの山を築き上げたり、風が変わったりすると目が急に痒くなったりします。
今は、まだ風邪が治りきらなくて、ティッシュを抱えていますが・・・。(これは、風邪の鼻水だと思う?!)
花粉症の人も、“犬も歩けば、花粉症にあたる?”位いっぱいいるし・・・。

今朝のクラスで、たまたま、アレルギーの話しをしていたら、1人は、“寒冷アレルギー”で風に当たると、湿疹が出るそうで、もう1人は、“紫外線アレルギー”で日の光で湿疹、あと1人は、何かの植物(忘れちゃった・・・(^^ゞ)でまさに、アレルギーで目が腫れてしまって、お休みでした。

このままいくと、今に、人間みんな、何かのアレルギーになっちゃうのではないか・・・と心配なくらいです。
化学物質や、添加物の蓄積で人間の身体が、過敏になってしまっていたり、スギ花粉の例なんかで言えば、人間が自然の樹木のバランスを崩したことに加え、アスファルトの地面ばかりで、その花粉が舞うことや、いずれにしても、原因は人間自身の蒔いた種のような気がします。
昔の人間が、自然と共存して、自然の恵みをそのまま食べて、持っていた自然治癒力を失って、山ほどの化学薬品で、出た症状はすぐに抑えられるけれど、結果、今の人間は、昔の人間が、思いもかけない、自然のものにやられてしまうやっかいな身体になりつつある・・・。
昨日の話しじゃないけれど、お互いのコミュニケーションも満足にとれず、孤独で、キレやすくて、心も身体も弱い人間達・・・。
あーどうなるんだろう・・・とか思ってしまいますね、ホント。(@_@;)
また、暗くなってしまってごめんなさい。m(__)m



6月6日(日)  母のコンサート

昨日は、ウチの母親の誕生日、確か?69歳になったはずです。
加えて、昨日は、母とその仲間達の合唱のコンサートでした。
私は、仕事で行かれなかったのですが、どうやら、私の母がその主謀者として活躍しているらしく、会場を押さえ、指揮者をお願いし、チケット、プログラムを作り、迎えた晴れの舞台の本番だったらしい。

しかも、母の仲間達というのは、11人のうち8人が母と同じ亥年(いのしし)で、ハッキリ言って高齢軍団、つくづく、おばさん(或いは、おばあさん?)パワーのすさまじさに脱帽するばかりです。
また、このほとんどが、亥年というのが、クセモノで・・・・。(亥年の方、ごめんなさい。m(__)m)
猪突猛進とはよく言ったもので、周りを蹴散らしてもつき進むパワーは、娘の私がよく知るところであり、それが8人もいるとあっては、卯年の私なんか恐ろしくて、絶対入れないグループだと思います。
(聞いたら残りは寅年とかで、やはり猪に負けない力強さがあるのだそうで・・・(~_~;))
まぁ、いくら強いと言っても、そこは、年輪を重ねているだけあって、皆さんあちらこちらに、故障は抱えているらしい。
“めまい、耳鳴り、鬱病、パーキンソン病・・・”と、病気の宝庫となりながら、迎えた本番。
しかし、それなりに楽しい舞台で、評判もよかったらしく、母曰く、「歌キチ(歌キチガイ)」の生き様を十分に披露したというところなのでしょう。
第2回を迎えられるかは、未定だそうですが、70才の区切りを前に、と行った、彼女達の挑戦に心からの拍手を送りたいと思います。 
そして、歌キチならぬ、踊りキチとして、私も負けずに頑張っていこうと決意を新たにした私でした。(*^_^*)



6月7日(月)  虚弱体質のピット

昨日、スタイリストをしているお友達のお宅に遊びにいきました。
オートロックのマンション、しかも、玄関で部屋番号を押すと、お宅では、テレビに顔が映るしくみ。(かっこいい〜・・・)
実は、そのお宅にお邪魔するのは、4回目なのですが、そのご夫妻は、ピットと言う種類の犬を、そのマンションのお部屋で飼っているのです。
ピットという犬は、闘犬の血筋のいわば、猛犬として有名な種類。
人をもかみ殺すという、輸入禁止の犬種と聞きました。
最初に行った時はいなかったのですが、今度飼う事になったから遊びにおいでとの事。
すごくかわいい仔犬だよ・・・と。
動物を飼ったことがなく、犬も決して得意ではない私としては、その闘犬の仔犬に会うまでは、正直ちょっとドキドキしていました。
私が、犬が苦手と言う事は、あらかじめ伝えてあったため、ご夫妻も、他のお友達も、気を使ってくれて、“大丈夫?”と言う感じだったのですが、これが、一目見て、かわいい〜!!のでした。
だって、猛犬のはずなのに、白と黒のズバリ“牛”(うし)の模様。
目と目が離れて、垂れていて、何とも情けない、すばらしく愛くるしい顔なのです。
最初の時は、まだ幼犬だったため、身体もピットとしては、全然小さいということだったのですが、既に一般の犬よりは、首も足も太く、筋肉質で、あごもがっしりしていて、子供なら食い殺されてしまう!!という悪名が、納得のいく迫力でした。
しかし、それは、あくまでも、ただの悪名。
きちんとしつけをすれば、訳もなく、悪さをしたりはしないし、何よりも、そこの家の子は、性格も、顔と同じく、気弱で、甘ったれで、ピットとは思えない犬なのでした。

さて、今回、しばらく時を経ての再会。
人間でいえば、中学1年くらいの男の子に育った彼。(ピット)
大分、身体も大きく、また迫力を増したのですが、顔は、どうしたことか、前にもまして、情けない感じ。
目の周りや、ところどころが、赤く腫れて、心なしか具合も悪そうです。
話しによれば、彼は、稀に見る“虚弱体質”のピットで、アレルギー!!
目の周りや、あちこちに炎症が起きているそうで、(かわいそう!(T_T))胃や腸も弱く、たったいまもどしてしまったばかり、という状況。
しかし、人懐っこく、愛らしい様は前にも増していました。
太い尻尾を早速私に“ビタビタ!”とぶつけてきたり、重量感のあるボディを“グイグイ”と押し付けてきたりするのでした。
たぶん、私は、他の犬は、まだ苦手なのかもしれないのですが、彼だけは、なぜか、全然怖くないのです。

しかし、彼にとって気の毒なことには、近所に散歩に行っても、ピットは力も強いし、本人にその気がなくてジャレても、小さな犬なら怪我をしてしまいかねないため、犬のお友達ができないとの事。
犬も怖がってるし、飼い主さんも敬遠するそう。
たぶん、寂しいのか、人間がご飯を食べていても、食卓の下に寝そべって、必ず誰かの(私は、気に入られたようで、ずっと私の)足に身体をひっつけていたり、足の間をわざとすりぬけたり、ぐいぐい押したり、股の間に鼻を押し付けて、ぎゅうぎゅう押したり・・・。(さすがに、これは、カンベン!)

しかし、身体の具合があまりよくないのか、しばらくすると、ぐったりとしてしまって、とてもかわいそうでした。
散歩が大好きで、誰かが、会話の中で、「散歩」と言っただけで、頭を上げて、首をかしげて、
“今、散歩って言った?”
と、たちまち反応する彼。
“虚弱体質”で、ちょっとかわいそうなピットの彼ですが、少しでも、元気になってもらい、ぜひまた会いたいと思う私です。
(写真↓は現在の彼)




6月8日(火)  ラ・バヤデール

フロリナのママから借りたバレエのビデオ、「ラ・バヤデール」を見ました。
やはり、パリ・オペラ座の作品で、踊り的には、それは素晴らしいのですが、それは、置いておいて・・。
この、バヤデールという作品を、実は、私は今回初めて見たのですが、バレエのお話の筋にちょっと頭きています。(全く意味のない怒りなのですが・・・(^^ゞ)
私と同じく見たことのない方のために、粗筋を書くと・・・。
舞台はインド、愛し合う二人、ニキヤとソロールを中心に話しは進みます。
ニキヤは、バヤデール(巫女)なのですが、このニキヤに横恋慕する高僧。
きっぱり、ニキヤに拒絶され、ニキヤには、ソロールという相手がいるのを知ると復讐心に燃えます。
一方、王様(ラジャ)は、ソロールを、娘のガムゼッティの夫にと考えます。
ガムゼッティも、ソロールが気に入ってしまい、ソロールとガムゼッティは婚約することになってしまいます。
(っていうか、いくら相手が王様でも、はっきり断れよ!!ソロール!!(-"-))
まぁ、不幸な四角関係ですね。
嫉妬と恨みに燃える、高僧は、(聖職者の癖にダメじゃん!(-"-))ソロールにはニキヤという相手がいることをばらしてしまい、ガムゼッティは、ニキヤを呼び出し、ソロールをあきらめるよう強要するも、ニキヤは断固として承諾しない。(いいぞ、ニキヤ!)
それどころか、逆ギレして、ガムゼッティに刃物で切りかかり、(つ、強い・・・)怒ったガムゼッティは、ニキヤを殺すことを決意してしまいます。
結局、哀れ、ニキヤは、花篭に仕掛けられた毒蛇にかまれ、自分のものになるなら、と高僧が差し出した(卑劣な奴)解毒剤も拒んで、死んでしまうのです。
っていうか・・・一番最低なのは、はっきりしないソロールじゃん!!

もちろん、ソロール役の人の演技力によっては、辛い立場のソロールに共感できるのかもしれませんが、どう考えても、これじゃあニキヤがかわいそう。
物語は、その後、幻想の世界で結ばれる愛の場面(苦悩でアヘン吸って、逃げてる弱虫男のソロールのどこがいいんだ?ニキヤ?)で終わるのですが、よく考えると、どうもバレエの全幕物の中の男性って、魅力のない人物像が多い。
白鳥の湖だって、王子は、まんまと悪魔の手先の黒鳥にだまされるし、ジゼルなんか、婚約者がいるくせに村娘に手をだした軟派男の話しだし。(ショックで狂い死にしたのに、結局、男を助けるジゼルも人がいい・・・)
まぁ、夢々しいバレエの世界、あくまで主人公は女性だから、それでいいのかもしれないけどね・・・。
バレエ見て、話しにのめり込んで、頭にきている私も、のん気な奴かな?!(~_~;)



6月9日(水)  コーラスの“困ったちゃん”

先日、私の母の、コーラスのコンサートの事を書いたのですが、実はその話には、後日談があります。
「で、音楽的に出来はどうだったの?」
と私が聞いたとたん、急に、母の顔が曇りました。
「それがねぇ・・・(-"-)」

どうやら、母のグループには、1人、問題児(困ったちゃん)がいて、その人にためにハーモニーがガタガタになってしまったらしいのです。
その困ったちゃんは、とにかく大きな声が出るのが自慢で、ソプラノのパートを、自分が率いている位に思っている、自信家さん。
それで、音程が確かなら、まだ許されるのですが、どうやら思い切り、音をはずしてしまったらしい。
しかも、その事に本人だけが気づかず、気持ちよーく大声で歌って、ご満悦だったらしいのです。
それでは、周りの皆は、たまりません。
最も、気の毒なのは、同じソプラノパートの他のメンバーで、きちんと正しい音で歌っている声も、大声にかき消され、結果、お客さんには、「ソプラノの音が狂っていた」と言われてしまって、それでは、納得がいきません。
練習の時から、どうもその傾向はあって、世話役兼リーダ?!の母が、再三、コーラスの声の出し方を注意してきたにもかかわらず、聞きやしない!!
いるんだ・・・そういう困ったちゃん。
踊りでも、たまに、群舞の合わせが、できない自分勝手で、周りの見えない“勘違いさん”っているんですが、踊りの場合は、客の立場で見ても、誰が悪いか一目瞭然ですが、コーラスは、どの声を誰が出しているのかあまりわからないし、ハーモニーを聞かせるのが、目的なのに、それができないとあっては、ホントに困った。
皆の気持ちも治まらないので、母が、そんなに大きな声が出したいのなら、ソロでやったら?とかなりシビアに言ったそうなのですが、それは、イヤだそうで・・・。(-_-;)
結局、それ程、音の狂わない、その人的には、あまり発散できないのかもしれませんが、アルトのパートへ今度からは移ってもらうことで落ち着いたそうです。
いやいや、ホントにご苦労様でした。

踊りでは、周りが見えない人、合わせられない人というのは、たぶんソロでやってもダメだと思います。
空間を感じたり、音のタイミング、他の人の動きをはかることのできない人、或いは、合わせたくない人が、ソロで人を感動させることはまず、ムリでしょう。
自分がただ、発散する事と、何か作品を表現することは違うからねぇ・・・。
それは、たぶん歌でもいっしょだと思う。
他の人の声が聞けない人は、たぶんアルトへ行っても、ツライ気がするけど、まぁ辞めてもらうわけにはいかないし、仕方ないのかな・・・。
いろいろとご苦労が多いようですが、まぁ頑張って下さいませ、お母様。(^^ゞ


6月10日(木)  表現力への第一歩

すべての表現は、模倣から始まるわけで、まずは、真似っこというわけです。
これは、おそらくどんな芸術にもあてはまると思われます。
私が、昔ピアノをやっていた時も、課題曲を与えられたら、まずは、よい演奏のレコードを聞く。
もちろん、同じように弾けるわけではないけれど、おおまかなイメージや、曲の雰囲気が、自然と入ってくるのです。
後は、地道な指の訓練で、ピアノの場合は私は、これがあまり好きでなかったから、続けられなかったのですが。

踊りも一緒だと思います。
まずは、真似っこです。
振付を覚えて、(これは、まず第一段階!!) 一緒に踊る先生の間や、視線の配り方、いわゆる見せ方を真似してみる。
もちろん、身体が違い、人が違うわけだから、完璧に同じになるわけはないけれど、その模倣の繰り返しの中で、自分の踊りが創られていくと思うのです。
それには、まず「見る」ことです。
振付の順番を、見るのではなく(-"-)、ニュアンスや踊り方を見ることです。
そして、やってみる。
例えば、先生でなくても、仲間の誰かでも、いいなと思ったら、真似してやってみる。
その中で、こうもできるし、こうもできる・・というパターンが自然と身についてくる。
私は、自分で創って、教えているけれど、実は機械じゃないので、踊るたびに細かいところで、“今、自然とこう踊ったな・・”とか、“ここを強調したな・・・”とか、微妙な差はあります。
そんなところを自然と盗って踊っている生徒がいたりすると、やるじゃん・・とくすぐったいような気持ちになったりします。
逆に、どんなに大げさに踊っても、(強調してわざとやって、自分で鏡見て、引くことさえある・・・(-_-;))無反応だと寂しい気がします。
前も書いたけれど、昔言われた、「踊りは習うもんじゃない、見て盗るもんだ!」という先生の言葉を思い出します。
生の舞台や、ビデオなどを含めて、カッコイイと思うものを見て、真似する。
テクニックの進歩とともに不可欠な、踊りの表現力は、そんなところから始まるのだと思うのです・・・。



6月11日(金)  長崎小学生事件に思う

長崎の小学生の殺人事件、当初のショックも大きかったけれど、いろいろと取材が進んで、続報が進むと、別の面で気になる事が増えてきます・・・。
まず、被害者の児童のお父さんの手記は、本当に心情が伝わり、涙なしには読めないといった感じでした。
どうして、いないのかわからない、受け入れられないといった心の叫びが伝わってくる文章でしたが、個人的には、独立している長男はさておき、中学生の次男は、いったいどうしているんだろう?と心配になるのです・・・。
女の子に対する父親の気持ちは特別と言いますが、それにしても、誰か、きちんと彼のこと、ケアしているんだろうね?
お父さんが、こんなにメロメロになっちゃって(以前、お母さんが亡くなった時も、おかしくなったって書いてたけれど)、残された次男だって、まだまだ難しい年頃なのに、大丈夫かしら・・・。
ツライのは、当然だけど、ちょっと心配・・・。

もう1人、大人で心配なのは、担任の先生です。
ショックから立ち直れず、いまだ入院中だそうで、むろんそのショックは計り知れないけれど、児童は、全校で7人しか欠席がいないそうで、クラスの子も出てきているのに、先生はいない。
どんな風に、立ち直って、どんな風に、これからクラスの子供に接していくのか、その先生のこれからのためにも、もう一度、きちんと子供の前に戻れることを祈るばかりです。

なんか、すごいのは、事件が起こって、先生が飛び出して行った時、(もちろん先生は、教室で待つように、と指示したそうですが)パニックになって飛び出して行った男子児童を、止めて、落ち着いて教室内で、給食を食べるように皆を誘導した1人の女子児童です。
うーん・・素晴らしく冷静で、賢い子供ではありませんか。
ちょっと、コワいくらい。
人間には、パニックになった時、バタバタと騒ぐタイプと、ボーッとなって動けなくなるタイプといるそうですが、この子のように、冷静でいられるタイプもいるわけで、これは、もう生まれつきの資質の問題でしょうね。
ちなみに、私は、放っておいたら、たぶん、バタバタ意味もなく動き回ってしまうタイプの気がします。
ただ、気が小さいし、約束や、指示には従うタイプ(気が小さいからか?(~_~;))だから、教室から出てはいかないと思うけど・・・。 

加害者の児童の精神面に関しても、いろいろ解明が進むにつれて、余計に恐ろしいというか、おそろくこの子は氷山の一角なのではないか・・・という気がしてなりません。
あまりにあり得ないようなことが、起こり、その時は、マスコミを通して、情報もあふれ世間は騒然となるのだけれど、いつのまにか、忘れ去られる・・・。
そうなってはいけない、と一人ひとりが自戒しないと、流されていきそうなシビアな世の中に、今、私達は生きているのですね・・・。

6月12日(土)  「ディ・アフター・トゥモロー」を観て

先日、現在上映中の映画、「デイ・アフター・トゥモロー」を見てきました。
直訳すれば、“明後日”、明日をも知れない命を永らえ、人類最期の日を乗り越えて、生き残った人々の未来ということなのでしょうね。
やりたい放題の環境破壊、経済至上主義により進んだ、地球温暖化のツケがまわり招いた、突然の気象異変、氷河期・・・・。
その中での、人と人との触れ合い、愛、信じる事、そして、人間としてのプライドを持って死を迎える人・・・・。
同監督の、「インデペンデンス・ディ」に続く、いかにも、アメリカ的ではあるけれど、ポジティブな、わかりやすい、楽しい映画でした。
こういう、パニック映画系の作品は、壮大さ、迫力ともに、やはり映画館の大画面で見てこそ味わえる感動があります。

さて、“人類最期の日”というテーマは、昔から、SF小説の定番テーマであります。
その昔、SFオタクであった私も、いろいろな作品を読んだ気がしますが、もう結構忘れてるかな・・・。
人類が滅びる原因としては、デイ・アフタートゥモローのような、人間が自分で招いた、いわば、自然のしっぺ返しのようなパターン(今思い出したけれど、昔流行した“日本沈没”みたいに、すべてが水の底というパターンもある)、或いは、太陽の異変(熱射量の変化、まぁ、結果、氷河期のように寒冷化する場合と、人間が住めないほど、全てのものが溶けてしまうくらいの温度上昇、と言う場合がある)とか、彗星がぶつかるとか、異星人の来襲(こうなると、ちょっと空想的ですが、ありえないとは言い切れない)・・・。

どんな場合も、そういった極限状況に追い詰められた時こそ、その人間の真価が問われるわけです。
“くもの糸”じゃないけれど、自分が助かるためなら、何でもしてしまう人がいると思うと、この映画にもでてきたみたいに、最期まで余裕を持ってユーモアを忘れないでいる人もいると思う。
本で読んだのですが、ユーモアのあることで有名なイギリス人、ある男性に、
「命が危ないと言う時でも、ユーモアが言えるか?」と尋ねたら、
しばらく考えて、
「いえると思う」と言ったそうです。
ユーモアが言えるということは、あくまで状況を客観的に見られるということで、それは、やはりその人間の知性の高さを表しますよね。
人類最期の日、とまでいかなくても、例えばいつ来るかわからない、自分最期の日を、ある日迎えたとしても、私は、人間の尊厳や、やさしさ、ユーモアを忘れずいられるかな・・・?とちょっと考えてしまいました・・・。



6月13日(日)  超能力

いわゆる、超能力を持つ人を呼んで、犯罪捜査や、失踪人を探すTV番組があるのを、ご存知ですか?
もう、何回か放映しているので、見た事のある方もいらっしゃると思います。
昨日もやってた!!
実は、私は、あの番組が大好きです。
特に、J.マクモニーグルというおじさんが、スゴイ!
アメリカの自宅で、封筒に入ったままの紙に書かれたイニシャルだけで、その失踪人の居場所を、これ以上ない位、正確に地図にするのです。
日本の地方都市などで、行った事もないはずの場所を、目印の建物などを織り交ぜ、航空写真のような全体像から、三つ目の道を入るなどの詳細な地図まで、それは細かく丁寧に書いてくれる。
地名は、わからないので、それで、スタッフがその場所を探して、尋ねていくと・・・。
ほぼ、必ず、そこにその失踪人がいたりするのです!!
スゴイぞ!マクモニーグル!

そんなばかな・・・と信じない方もおられるでしょうが、私は、あれは信じたい!
昨日も書いたけれど、SFマニアだった私として一言付け加えるならば、超能力と一言で言っても、その種類にはいろいろあるわけで、そんな能力を持つ人の小説は、いろいろと書かれています。
恐怖映画として、有名な(かなり古いけれど)「キャリー」の主人公もそうでした。
宮部みゆきの小説にも、タイムトラベラーの話があった・・。
サイコネキシス(念動、いわゆるPK能力と呼ばれる、念力で物を動かしたり、破壊したり・・・)、テレパシー(精神感応、人の心が読めたり)、テレポーション(遠隔移動、どこでもドアだね・・・)、タイムポーテション(時間移動、タイムトラベラー)、予知能力、透視、他・・・・・。
物質から過去の記憶をひきだすサイコメトリーというのもあって、このいわば、監視カメラのような能力が、マクモニーグルにはあるのかもしれない。
私は、人間の能力なんて、無限大だと思っています。
文明の発達のせいで、便利な品ができて退化した本能のようなものが、残っている数少ない人々が、超能力者といわれるのではないかなと思っています。
もちろん、インチキもたくさんあると思うけれど。
アメリカでは、先入観や、偏見にとらわれず、そういった人の協力を、お役所であるFBIが、犯罪捜査に役立てているそうで、ちょっとおもしろい。
まぁ、自分には、どうやらそんな能力がないから、夢を見たいのかもしれませんが・・・。
(ちなみに、あったらいいなと思うのは、テレポーション、どこでもドアだな・・・。満員電車に乗らなくていいから、ラクだもん。
なんて、お気楽か?!)



6月14日(月)  自分の身体

踊りや、スポーツなどをやっていない人は、たぶん自分の身体の事を、普段あまり意識していない気がします。
もちろん、肩がこったとか、腰が痛いとか症状があれば、いやでもそこに意識がいくのでしょうが、例えば、「私は、腰の後ろが固い」とか、「膝の裏が縮んで伸びていない」とか、「右半身が落ちている」なんて考えないと思います。
それどころが、学生時代以来、身体を動かしていないなんていう人は、自分の身体がいわゆる、“固い”のか、“柔らかい”のかさえ、気づかない場合があります。

私は、商売柄、日常的に何人もの身体と向かいあっているせいか、顔が違うのと同じように(いや、それ以上かも・・・)、一人ひとりの身体に個性があるのを目にしています。
一口に、固い、柔らかいといいますが、その骨格や、バランス、筋肉のつきかたが、それはおもしろいように違います。
また、骨格のパターンや、筋肉の使い方の癖を、大まかに分けると、顔立ちは、全然違う人が、(あたりまえだけど)、微妙にそっくりだったりするのも、おもしろい。
踊りを始める前に、スポーツなどをやっていた人は、そのスポーツなりの筋肉がついていたり、日常の歩き方の癖や、生活(例えば、荷物をいつも同じ肩にかける癖があったり、家で、TVを見ている位置のせいで?!(わりとよくあるらしい)曲がっている骨格とか)まで、透けて見えるのが、また興味深かったりします。

しかし、大切な事は、身体は、正直に変わっていくと言う事だと思います。
真剣に、踊りに取り組んでいる人の身体は、本人が気づかないうちにも、ゆっくりと踊り用の身体に変化をとげるのです。
(むろん、さぼると元に戻るけど (~_~;))
もとの、骨格や、身体の癖は、そう簡単に変わらないけれど、それも、“個性”としてとらえれば、その人なりの変化は、必ずあるのです。
それは、つまり、その人にしかできない、その人の踊りにつながるわけで、とても素適な事だと思います。
まずは、自分の身体と向かいあう事、その個性を知る事、そして、その身体を丹念にかわいがってあげる事、そんな観点からも、やっぱり踊りは楽しいと思うな・・・。(*^_^*)



6月15日(火)  ちょっとだけ映画の話し

「好きな映画は、何ですか?」
と聞かれたら、何を上げますか?
映画はわりと好きですが、(マニアというわけではない)
いざ上げるとなると、結構困る・・・。
けっこうたくさんあって、とっさに聞かれたら困るかもしれないなどと考えつつ・・・
あまりにメジャーですが、やっぱり私、「サウンドオブミュージック」は何度見ても、感動するし、歌がいいし大好き。
もし見てない方がいたら、ぜひ見てほしい名作です。

「風と共に去りぬ」も何度見ても、そのたびに、ストーリー、人物像にのめりこみますね・・。
音楽がいいと言えば、「ジーザス・クライスト・スーパースター」。
昔なので、レコードですが、買ったし、出演者の歌の上手いこと・・・。
「ジーザス・クライスト♪ スーパースター♪」と口ずさみだすと、カッパえびせん状態(やめられない、止まらない)で、マイムマイム♪に匹敵します。
少し、マイナー?になると、「パッチ・アダムス」。
感動編で、涙ぼろぼろは間違いありません。
娯楽大作編では、インディージョーンズのシリーズも好きです。
よく、TVで再放送してるけれど、若いハリソンフォードもいいし、やっぱりりハラハラドキドキ見ちゃったりします。
最近の映画は、CGとかすごいし、見た時はおもしろいのだけれど、何回見ても、面白いかな?と思うと、どうなんだろう?
皆さんの、私の一本は何ですか?



6月16日(水)  ロマンスカーの悲劇

とても暑い日、ちょっと寝不足で、マッサージ治療の後。
夜のクラスの仕事の前に、「さぁ、寝るぞ!」と意気込んで?乗ったロマンスカー・・・。
当然、喫煙、窓側の指定席。
席に座ったとたん、目をつぶって、睡眠モードに入ったのに、隣の席と、前の席が、不穏な空気。
前の席の子供が、何かぐずっている様子。
すると、隣の席の20歳代の身体の大きな男性が、
「じゃ、席を回さしてもらえば、いいよ!」
(えっ?!)
案の定、
「すみません、椅子回してもいいですが?」
そ・・それは・・・思いっきり迷惑ともいえるが、断れない私・・・。
仕方なく、小声で、「ハイ・・・。」(-_-;)

足元に私が置いたリュックをまだ、どけてもいないのに、もう無理やり椅子を回そうとしている・・・・。
(ひっかかるから、ちょっと待ってよ!(-"-))
ぐるっと向かい合った席には、3歳くらいの男児と、20歳台の男性の父親らしき、50歳代の男性、父、子、祖父の3世代の男達。
向かい合わせると、椅子と椅子は、エラク近くて、足元には、もうリュックを置くスペースなんかないし、網棚は、彼らの旅行帰り?の荷物が占領。
仕方なく、荷物は膝に載せて、それでも、目をつぶって寝ようとすると、今度は、子供が窓際がいいと席チェンジ。
結局、私のとなりがおじいさん、目の前が、子供!!、その隣がお父さんで、私達4人は仲良く?!向かい合ったのでした。(@_@;)

ビールに、お菓子に、お弁当。
シュパッ!パリパリ!むしゃむしゃ!
早速、前の子供は、足をもぞもぞ・・・。
そのたびに、私の足を蹴るんだな・・・これが・・・!(-"-)
おじいさんが、恐縮して、
「ダメだよ!」と直すんだけど、すぐにまたもぞもぞ・・・。
「すみませんねぇ・・本厚木までで降りますから」
(って私もだよ!じゃ、ずっといっしょかい?!(-_-;))
私は、もう意気消沈して、
「あぁ・・・私もです〜!」(T_T)

その後も、子供は、もぞもぞしたり、時々大声を発したりして、私は、寝れるわけもなく・・・。
やっと、本厚木に着くという寸前、お父さんは、全く悪びれず、明る〜く、
「どうも、すみませんでした〜!ヽ(^o^)丿」
「いいえ〜」
とこわばった笑顔で、疲れきって答えてしまった、私でした・・・・。
やれやれ・・・。(>_<)



6月17日(木)  紫陽花

6月といえば・・・梅雨・・・紫陽花(あじさい)の時期です。
今日は雨ではなく、よく晴れてくれたけど、
紫陽花を見に鎌倉へ散策へ行ってきました。

紫陽花で有名な北鎌倉にある明月院。別名あじさい寺。
今まさに満開で、一面紫陽花ですばらしい景色でした。
普段は、雨が降らないでほしいと願うのですが、やはり紫陽花見物は、しっとり、雨が似合うのかな、と思ってしまいました。
日本古来の姫紫陽花が、必死で咲いていてかわいらしく、その数の多さに見とれてしまいました。

鎌倉といえば、小町通り横にある「キャラウェイ」というカレー屋さん。
美味しくて、安くて、なかなか感じのよい店です。
いつも行列していて、休日などは大行列!

店先の張り紙に、
“お客様からご飯の量が多いとのご意見を多数頂き、2ヶ月程調査をした結果、ほとんどの方がご飯を残されている事がわかりました。
生ゴミを増やさないためにも、小ライス(30円引)をメニューに増やしました”
とありました。

本当にご飯の量が凄くて、初めは小ライスがおすすめです。
それでも300g!(ペロッと食べてしまいましたが・・・(^^ゞ)
鎌倉に行ったら、ランチはカレー・・というのもおすすめです。(^_-)-☆



6月18日(金)  血液型バイキング

私が、“几帳面なA型”である?事は、以前のダイアリィ(4月6日〜8日のダイアリィを参照)で書きましたが、どうやら日本人は、つくづく、血液型で人間を分類するのが好きらしく、(って私もです・・・)また、TVで血液型の番組をやっていました。
同じ血液型ばかり4人を、それぞれ4つのテーブルに座らせて、バイキング形式の焼肉を食べてもらう実験!!
あれは、笑ってしまいました。

お互い気を使いあって、肉を焼き、食べ終わった皿は、次々に片付けてもらい、テーブルを拭いて、いつも、きちんとしたテーブルできれいに食べる、A型グループ!
なくなってしまうと、困るから?!と、最初から、デザートまで、皿に盛って確保する、食い意地の張った?O型グループ!
焼くのが、楽しくなると、点々ばらばら、すき放題に肉を焼き続け、間で、気が向けば、デザートを食べ、また食べきれないほど、肉を盛ってきて、最後には、いっぱい肉をあまらせても、平然としているB型グループ!
自分の分は、自分で、と鉄板まで、いつのまにか、テリトリーに分けて、焼く個人主義の?AB型グループ!
思わず、やらせを疑うほど、特色がはっきり出ていて、笑えました。
しかし、私は、あれで見る限り、あきらかにA型とは、いえません・・・。(~_~;)

人間関係でも、A型の人は、B型の人を苦手とする事が多いとよく言われますが、私の場合は、周り中、どうもB型だらけです。
15年以上もお世話になっている、モダンの先生を始め、友人にもBがいるし、生徒に到っては、割合で考えると、異常な位、B型が多く、不思議でなりません。
どうも、私の場合、B型の人は、ペースがつかめてしまうと、ラクで、腹の中をさぐって一喜一憂する必要がないさっぱりとした(むろん例外もあるでしょうが・・・)B型が、わりと付き合いやすい気がするのです。
しかし、これは、一般的な分類であって、自分自身が、A型の性格や行動からはずれることが多いのだから、何とも言えませんが・・・。(^^ゞ

だいたい、何故、日本人に、これほど、血液型をはじめとする、性格や、人間の分類がウケルかと言えば、A型の多い日本人がそれだけ、人間関係に悩んでいるからかもしれません。
何とかして、人を理解して、摩擦をなくしたい!と言う気持ちは、私も共感できるものがあります。
それと、やはり、人が、習性として、グループを作りたがるという面で、
“あっ、私もそういう所ある!”とか、“わかるわかる!”とかいう感じをあるかもしれません。
(そういえば、個人主義といわれるAB型の人には、血液型分類などが、キライで、信用しない人が多いと聞いたことがありますが、そうなのでしょうか?)
まぁ、いずれにしても、人間は、面白い!
私は、血液型や、星占いや、性格分類などが大好きです。(^^♪



6月19日(土)  帰ってきた、ギックリゴシーン!!

昨日まで、元気いっぱい?!踊っていました。
それで、今朝も、目覚めすっきり、元気にレッスンを始めたのですが、ストレッチで生徒さんと組んで、ぐいっと足を引っ張ったとたん、身体の向きが悪かったのか、
“ぐきっ!”
と不吉な感じ・・・。
あらっ?と思ったのですが、そのまま気のせいかなと通り過ぎようとしたのですが、ギックリ様はそんなに甘くない。
それでも、そのレッスンは無事終了したのですが、移動時間中、どんどん嫌な予感は現実に・・・。
ハイ!再びギックリゴシーンに。(>_<)
忘れよう、無視しよう、と思っても、どんどんヤバくなってくる・・・。
次のクラスも、まぁ何とかコンビまでもってくれ、最後の子供のクラスは、もう気力!
ふ〜(-_-;)
・・・・というわけで、現在はすわっているのもちょっとキツイので、この辺で。
安静にして、明日には、ギックリ様がどこかへ行ってくださることを願いたいと思います。m(__)m



6月20日(日)  ま いっか的ポジティブのススメ

昨日よりは、ずいぶんラクになったギックリゴシーン様ですが、全くここの所、しょっちゅうお出ましになるのでホントいやんなります。
自分の身体は、これしかないので、仲良く付き合っていくしかないですね〜。(~_~;)

さて、話は変わりますが、ウチのスタジオの公演は、“POSITIVE VIBRATION”どいうタイトルでやっているのですが、実はこれは、たまたま、第一回の公演の最後の作品に使った曲名から来ています。
ちょうど、世の中は、ポジティブ思考が、クローズアップされ出した頃でした。
その時の、2部のテーマは、“パンドラの箱“で、開けてはいけないと言われていたその箱を開けた時に、様々な苦しみや、不幸がとびちってしまった後、最後に箱に残っていたのは、“希望”だったというストーリーを軸に、踊りに出会った自分は、希望に出会ったという意味を込めて創った作品だったので、“そうだ!これがいい!”と決めたものでした。

その時も、思ったし、今も、そう思っているのですが、ポジティブ思考というのは、何事も悩まないことではなく、(それじゃ、ただのバカと紙一重だよね・・・)悩んだ末に、希望を見つけること、すっとそこから離れて違う見方が出来る事じゃないかな・・・と思うのです。
もちろん、なかなかそうはいかない事もしょっちゅうあるし、どちらかと言えば、私はそんなに前向きな方ではないのかもしれないな・・・と自信をなくした時など、特に思います。
ただ、幸せな事に、小さい頃から、わりとすっと気分を変えるのは上手な方?でした。
(食べ物などで、あっさり機嫌が直る方でした・・・(^^ゞ)
具体的な、希望じゃなくても、すっと、いったんそこから離れて、“ま いっか”と自分に言ってみる。
“ま いっか、踊りのビデオでも見るか”
とか、
“ま いっか、読みかけの本でも読もう”とか、
そんな中から、いつのまにか、パンドラの箱の底の希望が見つかったりする・・・。

重なるギックリ様の来襲に、実はちょっぴり意気消沈気味の私ですが、そんな感じの、ポジティブバイブで、グ〜タラして、英気を養っております。(^_-)-☆



6月21日(月)  星の王子様

私の大好きな本の一冊に、サン・テクジュベリの「星の王子様」があります。
砂漠で遭難した飛行士と、星から地球に降りてきた王子様のふれあいのストーリです。
“本当に大事なものは、目にみえないんだよ”という有名なメッセージとともに、少ない線で描かれた、でも非常に印象的な、挿絵の王子様の魅力は、多くのファンをひきつけてやまないと思います。
さて、その「星の王子様」のミュージカル映画をご存知ですか?
かなり、昔の作品で、振付は、あのボブ・フォッシーです。

この映画が、最初に日本で封切られた時、私は、同じく星の王子様ファンの母と共に、映画館に見に行った覚えがあります。
確か、まだ、私は踊りをやっていなかった・・・。
で、もちろん、ボブ・フォッシーの名前もよく知らなかったし、本のイメージを壊すような王子さまだったら、イヤだなと少し心配しながら見に行ったような気がします。
ところが!!
この王子様は、まさに本のイメージのままが、現実に抜け出てきたようなかわいらしさ!!
金髪のクシュクシュ髪で、上品で、まさにイメージぴったり!!
フォッシーは、蛇の役で自分が出演していて、黒いスーツの衣装で、砂漠の中で踊るのですが、ミュージカルといってもそんなに踊りのシーンのない映画の中で、踊りをやっていなかった私や母にも、あの人かっこよかったね・・・と言わせる存在感がありました。
実写の狐とダブりながら、黄金色の麦畑で別れる狐とのシーンも、感動的でした。

数年前、貸しビデオ屋で、偶然見かけ、あらためて見たのですが、やっぱり素適な映画でした。
狐とのシーンや、飛行士が王子様と別れる最後のシーンなどは、もう感動の涙・・・でした。
あの、王子様役の男の子も、もうおじさんになっているんだろうな・・・。(~_~;)
もし、機会があったら、星の王子様ファンでない方も、ぜひ見て下さいね。(*^_^*)



6月22日(火)  蚊(モスキート)

足のかかとを、蚊に刺されました。
どうでもいいけど、硬いところを刺されると、何でこんなに痒いんだろう?(-"-)
私の友達によれば、(嘘かホントか?)手や足なら、ぐっと力を入れて筋肉を硬くすれば、蚊の針が通らないから刺されないって言うんだけど・・・???
蚊に刺されやすい人っていうのがいて、一説によれば、血液が酸性の人で、お酒(これは私はない・・・)や甘いもの好き(これは、ドキッ!)の人だとか・・・?
或いは、血液型型がO型の人とか・・・?

そういえば、第2回公演の時、「モスキート(蚊)」と言う作品をやりました。
たまたま、一枚百円とかの、思いっきりインディーズっぽいCDを買ったら、出会ってしまった一曲で、私の持ちネタ?の“へんなおじさん?系”のキャラで、すっとぼけた振り付けが出来てしまい、この作品を私が踊らないでどうする?!と力を入れて、群舞にまじってやってしまいました。(^^ゞ
テーマは、そのものずばり、“蚊に刺されて痒い”。
私としては、“ごめん、やらして!!m(__)m”くらいの感じだったのですが、思いがけず、“抽象と具象が見事にまじり合っている作品”だと評価してくれた友人がいて、驚き、嬉しかった。
むろん、“なんで、主催者自ら、これに出ちゃうの?”という、ある意味当然の意見もあったけどね・・・。(~_~;)
誰か、へんなおじさんキャラで、見事に自分を捨てて、笑かしてくれる(むろん踊りでね!)人が現れれば、いつでも後継者として任命し、作品を振付けたいと思っている私です。(-。-)y-゜゜゜



6月23日(水)  目ゼリー

たぶん、私は、少し何かの(何かはわからないのですが・・・)アレルギーで、たまに気が狂うほど、目が痒くなったりします。
そうなると、もう痒くて痒くて、無心に目を掻いたりしてしまうのですが、それで、大変?な事になった事があるのです。
ある時、あまりに痒くて、ふと気づいたら、何かが目に入ったみたいに、視界がぼおっとしているのです。
鏡で、見てみたら、目やにのような、透明なゼリーのようなものが、目の中に浮いている。
ティッシュでふき取ろうとトライしても、出てきそうで出てこない。
指で、そのゼリーのようなものを、ちょっと引っ張ったら出てきそうなのにダメ・・・。
しばらくやってとうとうあきらめ、目ゼリーのまま、次の日、目医者さんに行ったのです。
「どうなさいました?」
「あの、目の中にゼリーみたいなものが入っちゃったのですが・・・」
「は?ちょっと見せて下さい。」
診察の結果、
「これは、網膜といって目の中にある膜と目の間に涙がたまったのですね。白目の部分に少し傷がついているからお薬を出しましょう。」
膜〜!!!じゃあ、引っ張ったら全然ダメじゃん〜!!(@_@;)

というわけで、危なく、目の一部を自ら引っ張り出そうとしていた私だったのですが・・・。(^^ゞ
実は、また目ゼリー、やっちゃいました。
前回と同じく、全く無意識に目を掻いてたら、ヌチョーッと目の中がゼリーに・・・。
傷がついていなければ、たぶん自然に涙が吸収されると思うので、様子を見てみますが、(当然引っ張り出したりはしないで(~_~;))明日も変なら、眼科へ行きます。
皆さんも、目ゼリーになるから、あんまり目を掻かないでね?!



6月24日(木)  「光とともに」最終回に怒る!

普段、あまりTVの連続ドラマは見ないのですが、たまたま見出した「光とともに」というドラマにはまっていました。
自閉症の子どもとその子をとりまく父母と、先生の物語で、原作は実話をもとにしたコミックだそうです。
切なく、暖かい感動的な一話一話と、ロケ地の自然、そして、未だ世間にはあまりよく知られていない“自閉症”という障害と、とまどいながらも我が子の障害を受け入れ、一歩づつ成長していく母親を、自然な演技で篠原涼子が演じているのも好感が持てて、楽しみに見ていました。

自閉症というのは、まだ解明されていないところの多い、生まれつきの脳の障害で、その症状は個人差があり、様々なものがあるようです。
しかし、そのネーミングから、いわゆる引きこもりと誤解されたり、実際は、先天的なものでその原因も不明なのに、両親の育て方の問題と片付けられたりしてしまいます。
ドラマでは、母親そして、小林聡美演じる障害児学級の、“りお先生”の親身な指導で、主人公の光をとりまく人々が少しづつ理解を深め、暖かく光を受け入れていくうちに、その周囲の人々自身も心豊かに変わっていくという、近頃のドラマとしては、珍しく、素直なところで訴えかけるもののあるものだったのです。

が、しか〜し!!

楽しみに、ハンカチを用意して?臨んだ昨日の最終回!
何なの〜!!(-"-) あの終わり方!!
りお先生が、学校を辞め、でも、笑顔で、さよならして、後任の先生も良さそうな人に決まり、これからも頑張るわーで終わりと思ったのに、最後の最後に、どんでん返し。
残り数分、テロップも流れた後に、いきなり校長が倒れ、後任の先生が変わったとのこと。
しかも、その先生がひどく不気味な(片桐はいりが演じていました)感じで登場し、やる気なさそうーで、前途不安・・・という落ちがついていたのです。
そりゃー世の中甘くないし、現実はそんなに上手くいかないのもわかってるけど、何もとってつけたように、あんな落ちをつけなくたっていいのに〜!!(ー_ー)!!
原作がそうなのか、脚本家の考えなのか、わからないけれど、まるでそれまでの暖かいムードと全く違う終わり方にとまどい、感動の腰を折られようで、全く納得のいかない私でした。
ホント、ストレスたまってしまいました。
見なけりゃよかった、最終回・・・!(T_T)



6月25日(金)  先生モードと仕事の顔

今、こうやって人と関わる仕事をしているくせに、私は、プライベートの部分では、結構人見知りの方であります。(ホントだよ!)
もともとは、初対面の人とすぐ、打ち解けられる人なつっこいタイプではないのです。
知っている人のいない稽古場などに、1人でレッスンに行ったりしたら、できるだけ人と目を合わさず、レッスン受けたら、さぁーッと帰ってきてしまう方です。
まぁ、慣れてくると、誰よりもうるさい?元気なタイプに変貌して周りの人をあきれさせるのですが・・・。(^^ゞ
そういう私が、何故か、毎日人と関わる、このような仕事についてしまい、最初は結構大変でした。
人見知り、引っ込み思案のダンスの先生なんて、ありえないし、ムードメイカーの先生が、緊張して生徒にびびっていては、始まりません。
始めたばかりの若い頃は、初めて会う生徒さんが、皆怖くて、かなり頑張って自分で“先生モード”を作っていたような気がします。
今は、もうそれから15年以上、仕事になれば、自然にウイーンとシャッターが開きます。
不思議なものです。

先生モードと言えば、友人としてつきあっているダンスの仲間の、教える時の顔に接する機会などがあるとなかなか興味深かったりします。
例えば、その友達の舞台に出たりして、そんな機会があると、普段のその人とは、ちょっぴり違う顔が見られて楽しかったりするのです。
まぁ、これは、教えの仕事に限らず、普段親しい人が、仕事場で見せる顔というのは、意外に知らなかったりするのといっしょかもしれません。
考えてみると、レッスン着でレッスンの時のしか会わない生徒の皆さんの、例えば仕事をしているスーツの顔というのも、私は知らないわけだし・・・。
或いは、会社や家庭の方は、皆さんがレッスンの時に見せる、真剣で素直でかわいい?!顔を知らないのかもしれないしネ・・・。(*^_^*)



6月26日(土)  和製英語

新聞の囲み記事で、読んだのですが、日本では普通に、建物の改装や、洋服を作り直すという意味で使われている、“リフォーム”は、いわゆる和製英語で、英語ではその単語は使わないそうです。
じゃぁ、何ていうの?と言えば、これがちょっと面倒で、建物や、家などの改装、改築の意味では、“republish”や、“remodel”と言う単語が使われ、洋服などを、作り直す場合には、“make over”を使うのだそうです。
英語で、“reform”といえば、政治や宗教などの“改革”の場合に使われることが多く、小泉首相の構造改革は、reformなんだって・・・。

誰が、使い出して何でこんなに広まったのかわからないけれど、こういったいわゆる和製英語の多い事・・・。
何となく、改装と言うより、リフォームといった方がかっこいい?からなのかわかりませんが、ちゃんとした日本語があるのに、何故か日本人は、カタカナが好きですね・・・。
でも、誤った使い方なんて知ると、よけい思うのか、リフォームなんて、改装で全然いいと思うけどねぇ・・・。

まぁ、そういう私も、職業的には、カタカナ商売?で、ジャズダンスインストラクターというわけですが、無理やり日本語にしたら、洋舞(ジャズダンスは日本語にはならないな・・・)のお師匠さん?(~_~;)
もともと、日本にない言葉や、概念は仕方ないと思うけど、雰囲気でかっこいいからとカタカナ英語を乱用して、間違っているなんて、なんか情けないな・・・とちょっと思ってしまった記事でした。(-_-;)



6月27日(日)  雅子妃殿下に御見舞い

皇太子様の“雅子妃の人格否定発言”から週刊誌や、ワイドショーなどでも、雅子様のご病状を心配する話題や、皇室のあり方や、宮内庁に対するいろいろな記事がでていましたが、その後、雅子様のご様子はいったいどうなのでしょうか?
何しろ、私は、雅子様と同い年、(共通点はただそれだけですが・・・)、旧態依然の皇室に入って、エリート中のエリートだった雅子様が、どうやら心因性の病にあると聞けば、お気の毒でなりません。

最初は、雅子様、只々お気の毒だった、世の奥さま方の無責任な意見も、そこは、同性に厳しい女の性か?、
「エリートでずっときて、挫折を知らない方は折れやすいのよねぇー」
などと、自分達庶民の、雑草さかげんを誇る?方へと傾いているとなれば、
“何言ってんの!(-"-)”
と同い年の故か?、雅子様に肩入れしたくなってしまうのです。

皇室の中がいったいどうなっているのか、私には全くわかりませんが、庶民の私達がストレスを逃がす、気分転換の一つ一つが、そう簡単にはいかないと思います。
例えば、寝転んでテレビを見るとか、本屋でぶらりとして、おもしろそうなミステリーや漫画を買って読むとか・・・。
スポーツクラブで汗を流すとか、それこそ、ジャズダンスを習うとか(^^ゞ、何かのサークルに入るとか、全部無理そうだし、だいたい、お友達と電話するのも、規制や、周囲の目がありそう・・・。
唯一の救い?は、皇太子様がお優しそうで、味方になって下さる事でしょうが、それにしても、諸外国では、
“有能な女性を、皇室というオリに閉じ込めた”という皇太子様非難の報道があったとかで、そんな事も、妃殿下には更なるストレスになっていそう・・・。
年周り的にも、あちらこちらに不調が出る頃だし、(私にも分かる・・・(@_@;)もともと、外交官になるくらいだから、海外旅行とかにも行けたらいいのに、と思うと、ひたすら大変なお立場、お気の毒に思えます。
せめて、ゆっくりお風呂にでも入って、(皇室のお風呂ってどんなんだろ・・?)一日も早い、ご回復をお祈りする私でした・・・。



6月28日(月)  ひょんな事から・・・

今、ジャズダンスを教える側になって、例えば、全く初めてで、体験レッスンなどに来る方などに対して、いったい何故ジャズダンスを始めようと思ったんだろ?とちょっと不思議に思ったりする事があります。
しかし、よく考えてみれば、そういう私も、初めて見学に行ったきっかけなんて全然何の事はない、確か、母の一言、“こんなのやってるよ”位だった気がします。
引きこもりで、家の中ばかりにいた私が、ほんの少しだけ元気になってきて、それでも、いい年して母親にばっかりくっついているのを、たぶん心配して、勧めてくれたのでしょう。
では、私が何故行ってみる気になったのかは、今となっては、神のみぞ知る・・・。
実は、自分ながら全く覚えていないし、不思議でなりません。
いざ、足を運んで、(最初は見学だった・・・)レッスンを見ていたら、やはり幼い頃バレエをやった事があったり、ダンス部(ヒャー(-_-;))だった血が騒いできたのか、何か自分にもできる気がして、入ってしまった。
(自分では、できると思ったのですが、実は全くできないとわかるまでに、また時間がかかったのでしたが・・・(>_<))
きっと、レッスンに今来てくれている皆の、始めたきっかけも、最初はあまりたいしたことのない?(失礼!!)ものだったりするのかもしれません。
運動不足だな、と感じたことだったり、たまたま時間があいてたり、誰かに誘われたり・・・。
初めから、自分は、ジャズダンスをものにしてやる、とか、ダンサーになってやる、などと力入れて来た人の方が少ないのかもしれません。
しかし、そんな中で、いつしか、踊りの魅力にとらわれてくれた皆の顔を見るたびに、うれしく、そして、出会いの不思議さを思います。
ジャズダンスに限らず、芸事には、本当は終点がないのだと思います。
やっていれば、毎日発見があるし、道はいつまでも続く。
ライフワークじゃないけれど、そんな風に、踊りと長いお付き合いをしてくれる仲間が、1人でも増えればいいなと、出会いの奇跡をお祈りしている私です。  



6月29日(火)  南の島

久しぶりに、レッスンに来たダンスの先輩のSさん、宮古島と沖縄に旅行に行って、それは楽しかったとの事・・・。(*^_^*)
話しによれば、宮古島では、島の人は、二日ぐらい働いてはのんびりして、またそろそろ働くか・・・といった南の島ペースだそうで、万事がそんな感じで、飲み屋さんは、ある時払いのツケがきかない店は、はやらないし、お店がつぶれるのは、そのツケが回収できなくてなんだそうです。(^^ゞ
車道は大抵、一車線で、島の人はみんな好きに?のんびり運転するので標識なんていらなかったけれど、近年、観光客のために設置されたとか・・・。
「年とったら、南の島でのんびり暮らすのもいいなって思っちゃった」そうです。
確かに、大してもらえない?年金で、物価の高い東京で、老後を暮らすより、Sさんのいうように、物価も安く、のんびりとストレスの少ない南の島の老後というのも、悪くないかもしれない・・・。
しかし、その土地で育った人は、自然とそのペースになっているけれど、東京で暮らしている人は、かえってそのスローペースにイライラしちゃったりするかもしれない・・・?
前に、TVでやってたけれど、大阪の人と沖縄の人に出前を頼んでもらって、同じようにわざといつまでも持ってこない実験をしたのですが、大阪の人は、もう30分くらいで、イライラし始めて、何度も催促の電話を入れたりするのですが、沖縄の人は、全く動じず、寝転んで泡盛かなんかを飲み出していい気分でいる・・・。
やはり、その地方ごとの感じというのがあるらしい。
たまに行くなら、きっと、南の島ペースものんびりするけれど、ずっと暮らすとなると、私なんかはせっかちの方だから、かなりの自己改革が必要かも・・・。
な〜んて、おみやげのチョコレートでくるんだ“ちんすこう”(今こんなのもあるんだね・・)をおいしく頂きながら、考える私でした・・・。(^ム^)



6月30日(水)  わかりにくいお役所外来語

皆さんも、新聞などでご存知かもしれませんが、昨日、分かりにくい外来語の平易な日本語への言い換えを検討している、 “国立国語研究所、「外来語委員会」”が、33語の言い換え例を中間発表しました。
今回の言葉は、すべて国の行政白書から選んだものだそうですが、いったいこれは、外来語と言えるの?というくらいわか らない言葉がたくさんあって、正直ちょっと、あきれてしまいました。
例えば、“パブリック・インボルブメント”。
わかります?
住民参画ー行政による計画を住民、市民を巻き込んで行うこと ですって。
外来語というよりは、ズバリ英語をカタカナに直しただけと言う感じ、一般のアンケートによる理解度調査も、3.3%だ そうですから、わからなくてもあたりまえですね。
他にも、コンプライアンス(法令順守)などのわからない言葉の他に、ツール(道具)や、スキル(技能)、コンファレン ス(会議)など、比較的簡単に言い換えられるけれど、果たして、外来語を使う必然性があるのか疑問視される言葉がいろ いろありました。

だいたい、お役所言葉っていうのは、日本語にしてもわかりにくいですよね。
「長期的視野にかんがみ、前向きな方向で善処するべく検討していきたい」
とか、遠まわしで、わけわかんない曖昧な言葉を羅列して、なるべく非難されないように、言ってるけど、つまりは、
「当分、何にもする気はないよ」ってことだったりする。(-_-;)
はっきりした言葉でわかりやすく、言ってしまうと、事が進まない時に、責められたり、責任をとらされたりするから、わ ざわざ曖昧にわかりにくくしているのだと思う。
その、“手”の一つとして、こういった“無理やり外来語”みたいな言葉を混ぜているのかもしれない・・・。(-"-)

(しかし・・・亡くなった私の父は、実はその“お役人”(農林省)だったので、あんまりお役所の悪口を言うのは複雑な んだけど・・・。(-_-;)
私と同じで?気の小さい方だった父は、よく国会の委員会の質問を受けるという日の前の日は、お腹を下していましたっけ ・・・。(-。-)y-゜゜゜)



ページ先頭へ 前へ 次へ ページ末尾へ