YUKO MASUMITSU JAZZ DANCE STUDIO

 2005年11月


11月1日(火)  最先端手術と鶏の脂

この間、現代医療の最先端、みたいなTVの番組で、今の手術の最先端をやっていました。
実は、ウチの父親は生前、亡くなる7年前くらいに心臓のバイパス手術を受けています。
その時は、肋骨を切って、心臓を一回止めて、機械につなぎ、足の血管を切って心臓の血管につなぐ、というその手術が最善の治療と言われ、それだって“医学の進歩ってすごい事ができちゃうんだ”と随分びっくりしたのに〜!!
今の最先端だと、骨をなるべく切らず、傷口をなるべく小さくするのが、術後の回復が早いという観点から(そりゃそうだよね〜)、小さな穴を開けて、内視鏡で見ながら、その穴から手術したり、心臓を動かしたまま!!、手術部位一箇所にペタッとシールみたいなものを貼って、そこだけ動かないようにして手術したりしていました。
なんてスゴイ!
手術時間も、患者への負担を考えると、リミット3時間とか言って、実際それ位で完成させちゃう。
ちなみに、父の時は、10時間!
麻酔の量も半端じゃなかったようで、手術から帰ってきてしばらくは、うわごとみたいな事言ってて怖かった。
その番組の患者さんなんか、手術から帰ってすぐ麻酔もさめ、ちゃんと口を聞いていました。
もちろん、最先端、と言うことで、どの病院でもそんな手術が受けられるわけじゃないだろうけれど、やはり医学の進歩にはすごいものがあるようです。
こうなると、長生きしたら、しただけ、医学も進歩することで、容易には死ねない時代が来てるんだろうなと思ったりします。(^_^;)

ところで、その心臓の手術もそうですが、今の顕微鏡で見ながら手術するどの手術も、最も手ごわい敵は、内臓脂肪でした。
脂肪の層に隠れて手術部位が見えないの!
まさに鶏の脂のような黄色い脂肪(しばらく鶏の脂を見たくないくらいにそっくり)に、血管が隠れちゃってて、先生は、そりゃ大変。
少しずつその脂をはがしていくのですが、見ていてもイライラして、先生に同情したくらいでした。
文字通り、命にかかわる問題で、やはり内臓脂肪をつけてるとダメなんだとあらためて思ってしまいました。
気をつけなくっちゃねぇ〜・・・。



11月2日(水)  ギョッ!ひやーっ!トホホ!だった事

夕闇も深まった中、ワンワンという鳴き声と共に、向こうから一匹の犬が疾走してくるのが見えました。
文字通り、疾走と言う感じのかなりのスピードで、こちらに向かってくるので、最近になって犬がそれほど怖くなくなった私も、一瞬“ギョッ”(・o・)としました。
ところが、近くに来てよーく見ると、そのワンちゃんは、自分だけで駆けているのではなく、リードで飼い主のバイクにつながれていたのです。
バイクで犬の散歩!!
そりゃぁ、疾走するわけだ〜。
運動不足にはいいのかもしれないけど、ちょぴり大変そう・・・。(^_^;)
私は、初めて見た光景でした。

さて、話しは違うのですが、バレエのレッスンでいつも一緒になる、第一線で活躍するバレリーナKちゃん。
姿も、顔も、踊りもそれは美しい。
私は、そんなに親しくはないのですが、噂によれば、なかなか気の強い(まぁそれでないと、バレリーナなんてやっていられないんでしょうけど・・・)キツイところもあるようで・・・。
先日、バーレッスンで、ちょうど視界に入るところに、彼女はいました。
その日は、とても混んでいて、部屋の角の固定バーについていた彼女(彼女のいつもの場所)のすぐ斜め前には、男性がいました。
足を上げると、すれすれになる位、近かったのですが、男性は一向に周りが見えない、しかもかなりの自信家タイプ。
Kちゃんは、心持ちイライラしながら、ムッとして、体をふったりしながら、男性の足をよけているのが、チラッと私の目に入っていました。
まぁ、こっちもレッスンしているわけだから、あくまで、チラッと目に入る程度だったんだけど・・・。
グランバットマンに入って、すぐの事です。
「バチッ!!」
とイヤーな音がしました。
“とうとう、足がぶつかった!”と思って、Kちゃんを見ると、怪我はないようですが、美しい顔には、“ムッ”を通り越して、“ムカムカ”くらいの不快感が明らかに現れていました。
右が終わって、向きを変える時、Kちゃんは、微笑みさえ浮かべて、自分の方から、
「失礼しました」
と男性に謝っていました。
男性も、当然、「失礼しました・・・」と言っていたようでしたが、そのKちゃんの目は、氷のように冷たく、ガラスの目のようでした。
“ひゃーっ!!”としました・・・。(^_^;)

私の愛用の自転車は、父が乗っていた電動バッテリーつきの自転車です。
バッテリーは、なくなってきたら、鍵ではずして充電するのです。
バッテリーを外す鍵と、普通に自転車に乗るときの鍵は一緒のものなのですが、どうも最近、鍵がひっかかるとずっと思っていたのですが、そのたびに、ギシギシやって、かなり無理やりはずしていたのです。
ところが、先日の事・・・。
家の自転車置き場に着いて、ギシギシやっていたら、ぽろっとイヤーな感触。
見ると、何と、私の手の中の鍵が、見事に欠けてしまっているではありませんか!!
変形した鍵の残りの部分は、バッテリーの鍵穴の中・・・。(-_-;)
たまたま、下りて来た母に、ヘアピンを借りて、なんとか取り出せないか、鍵穴にピンを突っ込んで格闘したけど、無理。
結局、バッテリーのなくなった、ペダルの重〜い自転車を、腿が痛くなるほど頑張って漕いで、駅の近くの自転車屋まで行きました。
自転車を見て、事情を聞くと、
“これは、鍵を変えなきゃだめです。”
だって。
バッテリーの鍵と、自転車の鍵、両方で、6千円!!
痛ーい予定外の出費となってしまいました。
“トホホ・・・”(T_T)

11月3日(木)  「ゴリウォーグのケークウォーク」

ドビュッシーが作曲したピアノ曲、「ゴリウォーグのケークウォーク」は、私の大好きな曲。
10年くらい前、友人の舞台で、この曲で作品を創っちゃったくらい。
変な4人組のジャングル探検旅行という設定で、私も黒丸眼鏡の、変なおじさんキャラで出演し、自分としても結構気に入っている作品です。

この曲は、「子供の領分」という作品集の中の一曲で、クラシックですが、ジャズのテイスト満載のノリのいい曲です。
テクニック的にそんなに難しいというわけではないので、私が、まだピアノをやっていた子供の頃にも弾いたことがあります。
「弾き踊り」というのが、もし出来たら、やってしまいたい位、踊りたくなる曲で、今となってはもう20年もピアノにさわっていないので、難しいだろうけど、(・・・という以前に果たして“弾き踊り”は可能なのかしらん?)創っていても、ダンサーに振付けても、踊っても、とても楽しい曲でした。
作品を創る時、いろいろな人のCDを聞いたのですが、慣れ親しんで聞いていた古〜いウチのLPがよくて、バックにレコードの傷の、“サーッ”という雨のような音が入ってしまっているのに、あえてそのLPを使ってしまいました。

さて、この“ゴリウォーグのケークウォーク”という題名ですが、いったいどういう意味?と、子供の頃から疑問でした。
楽譜の解説には、ケークウォークというのは、食べるケーキとは全く関係なく、民族舞踊的な歩き方と書いてあった気がします。(・・・が実は定かではない・・・(^_^;)
“ゴリウォーグ”の方、たまたま新聞を読んでいたら、永年(30年近く!!)の疑問が解けたのです。
“ゴリウォグ”というのは、英国の母子が発表した13作の絵本に登場するキャラクターの名前だったのです。
作者が幼い頃遊んだ、黒い人形を主人公に、発表した“2つのオランダ人形の冒険”から親切で、優しく、面白い事件を起こすゴリウォグに人気が集中。
ゴリウォグは人気キャラクターとなり、世界各地でぬいぐるみなどが発売されていたそうです。
ゴリウォグ人気は、世界各地のモードの最先端の人々を触発し、フランスでは、“ル・ゴリウォグ”という名前の香水も発売されたそうです。
ドビュッシーも、、長女のお気に入りだったゴリウォグを、ピアノ曲にして、彼女に贈ったということで、私としては、ホント30年振りに、“そうだったのか〜!”(^.^)と納得しました。
新聞に載っていた写真には、香水瓶の上に小さなゴリウォグが載っていて、(これも子供の頃の思い出、最近また復刊された)“ちびくろさんぼ”にも、昔ブームになった“ダッコちゃん”にも似ている感じがしました。
あーすっきりした!(*^。^*)



11月4日(金)  烏瓜

ウチの近くで、見事な赤い実を見つけました。
形が明らかに柿とは違うし、(今、ウチのあたりは柿があちこちで色づいています)これって何?
母に聞いたら、烏瓜(カラス瓜)だそうです。
いかにも美味しそうで、食べられるのか聞いたら、食べないそうです。(ナンダ・・・(>_<))
長年住んでて、今年初めて気が付いた!

烏瓜の種は、打ち出の小槌の形をしているそうで、お財布に入れるとお金持ちになるという言い伝えがあるそうです。
烏瓜の名前の由来は、カラスが好んで食べるから、とすぐ思いましたが、実は違うんだそうで・・・。
(鳥はこの実が嫌いだそうです)
唐朱瓜(からしゅうり)から来ていて、朱墨の材料である辰砂の鮮やかな緋色に実の色が似ているからだそうです。
花の色は白、盛夏の頃咲き、この世のものとは思えないほど、幽玄にして麗美だそうで、来年の夏は是非注意して見てみたいです。
根、種、果実ともに漢方薬として使われてきたそうで、根は粉にしたものが、天花粉(天瓜粉)、汗知らず(シッカロールですね)として用いられてきたということです。
そういえば“天花粉”って聞いたことある!
気をつけて見てみれば、何気ないところに素適な自然がいっぱいあって、知らないこともいっぱいあるんだなぁ〜。\(^o^)/



11月5日(土)  “ハレ”と“ケ”

明日は、文化祭の舞台本番です。
あっと言う間に過ぎたリハーサル期間でしたね。

晴れの日という言い方がありますが、その反対語としては、あまり使わないかもしれませんが、袈(ケ)とい う言葉があります。
ケというのは、二日以上続く日のことから来ていて、つまり日々、日常のことを言います。
ハレとケ。
非日常と日常。
プロのダンサーではない皆さんにとっては、人前で踊る機会というのは、ある意味“非日常”であると思いま す。
加えて、もともと、舞台空間というのは、ある種不思議なもので、プロのダンサーや、プロの歌手、俳優とし て連日舞台をこなし、舞台が日常の一部になっている人にとっても、やはり舞台の上は別世界、別空間、生き 物のように表情を変え、一日として同じものが生まれないという意味では、ハレなのかもしれません。

しかし、ハレの日が輝くのは、ケがあってこそ、というのも事実であります。
淡々と続く日常、ケの中で、ハレの日に輝くエネルギーが蓄積されていくわけです。
プロの舞台人にしても、日常の訓練はもちろん、表現する何かを感じ、熟成していくケの期間は絶対必要だと 思います。

今の自分、踊りの技術はもちろん、日常で感じ熟成してきた自分自身を、打ち上げるのが、明日の舞台です。
皆さんが、ハレの日を心から楽しめることを祈っています。
グッドラック!!\(^o^)/



11月7日(月)  祝!文化祭成功&カラオケのお話し

文化祭お疲れ様でした。\(^o^)/
「あんなに練習したのにこんなもんか・・・」とか、「本番に限ってこんな失敗をしちゃった〜」とか心残り の方もいたかもしれません。
逆に、「本番が一番うまくいった!」とか、「ひたすら楽しかった!」という方もいたでしょう。
でも私は、一人ひとりがその人なりに、絶対何らかのステップを上がったな!という実感があります。
(今回は、踊りの事はもちろん、舞台創りの上でも皆さんが率先していろいろな仕事をやってくれてとても頼 もしく思いました。
本当にありがとう!)
そして、あらたな冒険がまた始まります。
思い通りに踊れた人も、ちょっと悔しい思いをした人も、まず次は日曜のヤンコミフェスティバル!
(ヤングコミュニティセンターにて、午後二時半から文化祭と同じ演目を踊りますので、文化祭を見逃した方 、是非見にいらして下さいませ!)

さて、全く話しは変りますが、最近友人とカラオケに行く機会がありました。
上手くもない歌を歌ってどうする、と思っていたカラオケも、ストレス発散には効果抜群なんだなと思ったり して・・・。
実は昔は、カラオケに限っては?恥ずかしさが先行し、(恥ずかしいなんて嘘ばっかり〜と思ってるアナタ! ホントなんだから!)もっぱら人様の歌を聞くのみ。
教えるようになって、打ち上げなどで生徒と行くようになって仕方なく、マイクを持つようになったわけです が、若い生徒なんかと行くと、歌の世代が合わないんだ、これが!
知らない歌ばっかり続く中で、“昭和の歌しか歌っちゃいけないタイム”なんていうのを無理やり設定し、若 者に嫌がらせ?をしたりしました。
先日、一緒に行った友人は一人をのぞきほぼ同世代だったので、それは思いっきり古〜い歌を、気持ちよ〜く 歌ってしまいました。
それで気が付いたのですが、私の歌年齢?!というのは、実際の年よりもまだ古いようなのです。
いわゆる遅い子で、父が年取っていたせいでしょうか?
さすがに今までは自分から歌おうとは思わなかったような、昭和の古い歌なんかも気が付くとかなり馴染みが あるのです。
(“憧れのハワイ航路”(^_^;)とか、“丘を越えて”とか懐メロの中でもまだ、古い方の歌とか、昔はそれほ ど興味自体なかったド演歌とか・・・)
そして、昔の歌手はメチャクチャ歌が上手い人が多いというのもあらためて感じたことでした。
何でもないような覚え易いメロディーに、言葉数の少ない詞で、あれほど印象に残る歌を歌っていたというの は、やはり凄いんだなと思いました。
曲そのものも、シンプルな中にも味がある。
あ〜これって年取ったってことなのかな〜・・・・。(^_^;)

踊りのみならず、もちろん歌もまた、なかなか奥が深く、カラオケといえども、ちょっと歌ってみれば、もっ ともっと上手く気持ちよく歌いたいし、聞かせたい〜とか思っちゃう!
ヒマがあったら、また影練?!を重ね、そのうちにド演歌が歌えるようになりたいな〜!ナンテネ・・・。(^^ ゞ



11月9日(水)  “本田美奈子さんの死”と自分のこと

6日に歌手の本田美奈子さんが白血病で亡くなり、各局のテレビ番組などでその葬儀の模様や、故人を偲ぶ言 葉が流れています。
38歳、かなりの努力家で、自分の目標に向かって一歩ずつ実力をつけて、素晴らしい歌声を聞かせていたこ ともあり、“まだこれから、どんどん歌いたかっただろうに〜”という声、可憐な容姿、重病のさなかにあっ てもあくまで前向きに病気と闘っていた様子は、ファンや、親しくしていた芸能人のみならず、さほどのファ ンというわけでなかった私も、涙なくしては見られないほどでした。
しかし、歌というものに、命を捧げたともいうべき彼女の生き方は、ある意味で壮絶で、その精神力、集中力 は、一見か細く見える彼女の身体からは考えもつかない程で、その人生もおそらく悔いがないほど濃密だった と思われます。
強く光る何かを持って生まれた人の典型のように、人をひきつけ、照らし、人生を走りぬいた彼女に、“本当 にお疲れ様でした”とねぎらいたい気持ちでいっぱいです。
その歌声ゆえに、天に愛でられ、早く逝ってしまった本田美奈子さんのご冥福を心からお祈りしたいと思いま す。

そんな本田さんの死で、普段全く死というものを考えない私も、珍しくシリアスになってしまったりしていま す。
今、自分が死病を宣告されたとしたら、いったい自分は何をし残したと思うんだろうか・・・。
踊りというものにハマり、気がついたら人生の半分以上を踊りとともに歩いてきた私。
それなりにいつも一生懸命、目の前のものに向かってきたつもりだけれど、本田さんのように、常に自分の限 界を追及しその限界を越え、あらたな目標に向かって飛び込み、冒険を重ねてきただろうか?
人間的にも、どんな苦しい死病のさなかにあっても、笑顔を忘れたくないと思っていた彼女のような大きさが あるんだろうか?
臆病ゆえに、いつも小さな自分のフィールドで、自分の事ばかり考えていないだろうか?
私は、たぶん具合が悪くなったら、すべてを投げ出して、病気の中に浸り、身内の者に甘え、踊りのことさえ 忘れてしまうのではないだろうか?
本田さんと比較するまでもなく、私はやはり凡人であり、踊りへの姿勢、仕事との向かい合い方、そして人間 的な成長、すべてにおいて、まだまだ修行中なのだ・・・と思います。
それでも、自分の歩調で、少しだけ走ったり、ゆっくり歩いたりしながら、いつか死が訪れるその日まで、命 ある限り、学んでいきたい!
学んでいかなくては!とあらためて思ったりしている私です。



11月10日(木)  “エンブリオ”

韓国で女性から卵子を買いつけ、(一件数十万円)日本の不妊女性249人に、それを約百九十万円で売った闇ブローカーが摘発されました。(約4億8千万の利益を上げた模様・・・)
韓国では、今年一月に、生命倫理及び安全に関する卵子売買を禁じる法律が施行され、この摘発となったようですが、米国や他のアジアの諸国への営業拡大が懸念されているそうです。

う〜ん!
実は、つい先日文庫化された「エンブリオ」という小説を読んだばかりだったので、このニュースは、“やはり現実だったか・・・”という空恐ろしい思いで受け取りました。

エンブリオというのは、受精8週までの胎児を言うそうで、日本の法律では胎児はまだヒトでなく、出生して初めてヒトとなるのだそうです。
この小説の主人公岸田という医師は、最新医療を駆使し病院を経営する敏腕医師です。
死んだ女性から卵子を取り出し、凍結した自分の精子と受精させ、どの病院からも見放された不妊夫婦に代理母をさせ、福音をもたらし、男性を妊娠させたり、パーキンソン病に苦しむ老人に、そのために妊娠させ、中絶した胎児の脳から物質を取り出し、治療をしたり、彼にとっては、世間的にいわゆる禁忌となる事は、何でもないことなのです。
倫理的にどうだ、こうだ、という問題は、もともとただの習慣であり、自然でないと思われることが反発を買う。
そんな事を言えば、人が病気になったり、死んでいくことこそが自然なことであり、医学自体が反倫理になってしまう、という彼の論理。
決して名声だけが欲しいというわけでなく、金儲けだけが目的ではなく、実際にその治療で涙を流して喜ぶ者がいる・・・。
子供が欲しいというのは、基本的人権の一つであり、その想いを止める権利は誰にもないんだ!という不妊夫婦の夫・・・。
現実に、医療の最先端はどんどん進み、生殖医療もまた日々、信じられないくらいのスピードで進んでいます。
「エンブリオ」は、生命の尊厳というものに対する問題提起であると共に、優れたサスペンス小説として楽しめる一冊なのですが、現実は、私達が立ち止まって考える間も与えずに、進んでいるということに、恐怖と焦りを感じずにはいられないのです。



11月11日(金)  数学と家作りと踊りの共通点

学生の頃より数学は苦手で、数学ができる人って何か頭の構造、人間の種類からして違うんじゃないか?!と思っていました。
どういうわけか、叔父(といっても母親のいとこの旦那様なので血のつながりはありませんが・・・)が数学者で、20年近く前、叔父のところでちょっとの間働かせてもらったことがあって、そのどうも異人種なんじゃないか?と思っていた数学者を大勢、まじかで見る(珍しい動物じゃないって!(^_^;))機会がありました。
各大学の数学の教授や、名誉教授という人々が集まる会議で、お手伝いをさせてもらったのです。
何のことはない、ただ、発言する人のところにマイクを持って走る、というだけの誰でもできるお仕事だったのですが、フリーターだった私のお小遣いに・・という叔父の温情で働かせてもらっていた私にとっては、“へぇ、このお爺さん(失礼!m(__)m)が数学で名誉教授なんだ〜”とか、“この人が○○大学の先生〜!”と有名どころ各大学の先生方の間を走り回り、結構楽しいお仕事でした。
その叔父も、温厚で、優しくいつもにこにこしていて、数学でナントか賞という国際的な賞を若くして頂いた偉い人とは全く見えない。(ごめんなさい!m(__)m)
異人種と思っていた数学の人も、実は普通の人なのかも?とちょっと思ったのでした。

さて、この前、「数学者の〜」というタイトルで始まるエッセイをたくさん出している藤原正彦さんの本を初めて読みました。
これが楽しい!
そうだったのか〜と納得させられる事がいっぱいありました。
(これは全く自信がないけれど、O大の教授でいらっしゃる彼を私はあの会議の時に見ていたのかも?しれない・・・)
「局所的判断には、知識とか論理的思考があればほぼ足りる。(中略)一方大局的判断には、ものの見方とか価値観、美的感受性、調和感、悟り、とかいった人間的情緒に係る部分が重要となる。数学についてはなおさらである。美しい理論に感動したり、既成理論に不満を感じたり、成立するであろう定理を調和感から想像したり、といった感覚に基ずく大局観が何より先行するからである。」
そうだったのか〜!じゃあ踊りと一緒だ〜!!

「こだわり」というタイトルのエッセイでは、彼が家を新築する話が載っているのですが、これもまたとても興味深かった。
最初に頼んだ設計家は、希望にかなり近いものだったが、一つだけ気に入らない点の変更を、
「素人の浅知恵」と拒否し、なおも食い下がると怒り始めたので、ダメ。
次に頼んだ設計家は、どんな変更要求を快く受け入れてくれたが、何度修正しても納得のいくものにならなかったそうです。
「最初の人は自分の設計思想が強烈すぎ、2番めの人は、それが希薄すぎるようだった。」
こういう事って、踊りの舞台で照明を頼む時なんかによくあるので、すごくわかりました。
最後に頼んだK氏は、「寝ては考えさめては考えています」という手紙が届いたきり、待っても待っても基本設計が来なくて、
「感謝の気持ちになったり、偏執狂かと危惧したり」
しながら待ったそうです。
やっと届いた数枚の図面。
唸るほどの出来だったそうです。
次に送られてきた構造設計は、ナント200枚にわたるもの。
障子のマスの大きさから、サンの厚さまでを、ミリ単位で吟味検討したものだったそうです。
結果できあがった家は、厳しい予算の中で見事なまでに、立派な、一見平凡ななかに、いたるところ、非凡が埋められているような家だったそうです。
「私の専門の数学において、発見はあくなき「こだわり」によってのみなされる。気に入る家を作るのも全く同じことだった。」

この話しもすごくわかる〜!
舞台創りなんかでこういう経験はいっぱいしているから、ものすごく実感があり、なおかつ、著者の視線がまた納得できます。

まいっか・・・と妥協したらそれなりのものしかできない。
数学も(家は建てたことないからわからないけど)踊りと一緒なんだね〜!
私も「寝ては考えさめては考え」、これからも踊りにこだわっていこう〜なんて思ってしまいました。(*^。^*)



11月12日(土)  “列車の問題”

「Aさんは、午後一時に○○駅から登りの列車Aに、10分後にBさんは、××駅から下りの列車Bに乗るとします。
列車AとBがすれ違うのは、○○駅から何キロの地点でしょうか?ただし、列車AとBは、どちらも時速Xキロとします。」

いきなり何事か?と思ったでしょう?
遠い昔、小学校の頃こういう算数の問題やりませんでしたか?
小さい頃によくお勉強したアナタは、何となく記憶にあるのでは?
あと、私が覚えているのは、
「Aさんは、○時に家を出ましたが、忘れ物をしてしまい、10分後にAさんの兄が忘れ物を持って自転車でAさんを追いかけました。Aさんの兄がAさんに追いつくのは何時何分でしょう?ただし、Aさんは時速○キロ、Aさんの兄の自転車は時速×キロとします。」
みたいなのとか、(算数が好きでなかった私は、“忘れ物なんかしないでよ〜”と一人で悪態をついていた・・・)
トンネルを列車が何分で通過するか、とかいろいろあった気がします。

実は、こんな算数の問題そっくりの出来事に、昨日遭遇したのです。
朝のレッスンを受けて、いったん自宅に帰ろうと、新宿駅で下りの電車を待っていたら、友人から、“(私の自宅のある)柿生に墓参りに行って、今、新百合ヶ丘から登りの電車に乗るところです!”とのメールが来たのです。
・・・ということは、どっかで二人の乗った電車がすれ違うってことだね?!
電車の時速と、新百合ヶ丘駅〜新宿駅間の距離がわかれば、計算できるはずだけど・・・?
(あれっ?どうやるんだ?!(^_^;))
結局二人は、“今、○○駅を通過!”とか、“今○×駅!”とかのメールをとばしつつ、途中でめでたく相手の乗った電車とすれ違うのを確認しました。(もちろん中に乗ってる相手までは、確認できませんでしたが)
何かちょっと楽しかったです。
今、もう一度、先述の算数の問題を習ったら、楽しく勉強できたかもね・・・。(^ム^)



11月14日(月)  舞台強化月間?の終わり

昨日、無事にヤンコミフェスティバルも終わり、毎年恒例?!秋の舞台強化月間?も終わりを告げました。
出演者の皆さん一人ひとりの一途さ、努力、そして成長が、私も本当に嬉しく、有難く、気持ちよくできた舞 台だったと思います。
9月の頭に始まったリハーサルも、やがて迎えた文化祭の舞台、ヤンコミの舞台もあっと言う間に終わってし まい、皆さんの中には、ほっとすると同時に、何となく“燃え尽き症候群”状態の方もいらっしゃるのではな いでしょうか?
全クラス合同の舞台でしたので、これが終わるとまたしばらくの間は、会わなくなってしまう(T_T)という仲間 もいるし、一生懸命打ち込んだだけ、終わってしまった時の一種の脱力感、寂しさのようなものがあったりし ますよね。
でも、一度同じ舞台を創った仲間は、いつでもまた、熱い関係に戻れます。
次の舞台に向かって、一人ひとりが自分の身体とまた向かい合い、自分ならではのいい踊り、人を感動させら れる踊りに向かって、頑張って行きましょうね!
私も、これからも、一人ひとりの皆さんと向かい合い、自分にできる努力を重ねるとともに、少しでも面白い もの、魅力的な舞台を創れるように頑張りたいと思っています。\(^o^)/

なお、文化祭・ヤンコミの写真は、整理してまたアップする予定ですので、しばらくお待ち下さい。
(楽しみにしててね〜!(*^。^*))



11月15日(火)  「告白」

曽我ひとみさんのご主人ジェンキンスさんが、自伝を書いたのをご存知でしょうか?
そのタイトルもずばり「告白」!(原題は、“TO TELL THE TRUTH”)
我が家的には、最初にマスコミで、まだ北朝鮮の病院にいる彼が報道された時から、彼が私の亡くなった父にそっくり(病気もあってしかめっ面をしていたのが、何となく似ていた。最近ふっくらしてきたらそれほど似てはいないけれど、感じは似ています)だったため、大のひとみ&ジェンキンスびいき?!なので、彼が本を出したというなら、寄付の意味もこめて・・・と購入しました。
著述がプロというわけではないジェンキンスさんですから、特に文学的にどうのこうの・・を期待したわけでは、もちろんないのですが、これが、意外といっては失礼ですが、面白かった!!

ジェンキンスさんは、もともとアメリカの貧しい家庭の生まれ。
一旗上げてやろう!くらいの気持ちで、入隊した軍隊で、持ち前の器用さや、端っこさで出世し、やがてベトナム戦争へやられそうになってしまいます。
ベトナムへ行くのが嫌だった彼は、かなり軽い気持ちで、非武装地帯を越えて脱走しようとして、北朝鮮に拉致されてしまうのです。厳しいその生活の中でも、たくましく生き抜いていく彼が、初めてひとみさんに会った時、一目ぼれをしたそうです。

ひとみさんの前にも、組織の差し金で何人か、“料理人”という名目で、女の人をあてがわれ、結婚するように強要されたそうですが、彼とは性格的にどうしても合わなかったため、組織の強要にも負けずどうしても一緒にならなかったそうなのです。
それが、英語を教えるようにという目的で、よこされたひとみさんを見た時、彼は、“何て綺麗な人だ!”と思ったそうで、しかし、その時、彼はもう40男、ひとみさんは20代になったばかり・・・。
無理強いは絶対にすまい、と彼はひたすらひとみさんに尽くしたそうです。
そのあたりの二人の様子は、本当に悲劇の拉致生活の中にあってのオアシスともいうべきロマンティックさ。
やがて、彼の思いが通じ、二人はゴールイン。
子供も生まれ、(最初の子、男の子は亡くなっています)貧しく、常に危機と隣り合わせの中でも家族の生活をしっかりと守って暮らしていたジェンキンスさん。
しかし、日本政府のアプローチでひとみさんが日本へ帰国してからは、北朝鮮に残ったジェンキンスさんは、本当に可哀想でした。

北朝鮮の戦略で、ひとみさんの意に反して、日本政府がひとみさんを返さないと聞かされていた彼は、自暴自棄になり、精神を病み、アルコールに溺れ、身体を壊してしまいます。
その頃、二人の間に交わされた何十通の手紙のうち、無事届いたのはたった数通で、それも北朝鮮の検閲によって中身が変えられたりしていたそうです。
小泉首相と話した時は、ジェンキンスさんは首相に喰ってかかったそうですし、日本のマスコミが病床での彼を取材した時は、疑心暗鬼、どん底だったそうです。(だから、あんな顔をしていたのか・・・)
やがて、インドネシアでひとみさんと再会し、誤解も解け、日本へ渡ると決めた時、それまでひとみさんを守って暮らしていた彼が、ひとみさんにリードされ守られる立場へと変り、正直言って、慣れるまでは、奇妙な感じだった、と正直に告白しているのも興味深かったです。

そして、現在。
米軍の裁判もすみ、脱走の罪もつぐない、穏やかに暮らす彼。
夫婦二人での夕食後は、TVや映画を見たりしてのんびり過すそうです。
これからは、運転免許もとりたいし、日本語も学びたい、仕事にもつきたい、と彼はまだまだ前向きです。
そして、受け入れてくれたひとみさんの故郷の人達とも仲良く暮らしているようです。

言語道断な国家の犯罪に巻き込まれ、一生の半分以上を翻弄されて生きてきた彼。
しかし、どんな時も彼はあきらめず、前を向いていたように思えます。
その彼が、ひとみさんを奪われた時(・・・と誤解した時)だけ、人生の希望を失い病気になってしまった・・・。
そんな彼のひとみさんへの愛情、そして今穏やかな生活が彼にあることが本当に嬉しい気がしました。
まだ解決していない拉致被害者の問題も含め、このような被害者が一刻も早く救出される事を心から祈り、ばかげた国家犯罪に終わりが来ることを願っています。



11月16日(水)  “エイズウィルス消滅?”

イギリスで、エイズウィルス(HIV)に感染が検査で判明したのに、その後の検査で今度は陰性と判明したという男性がいるそうです。
ニュースを見ていたら、彼は、3回の検査でエイズ陽性が判明したのですが、治療をしないまま次の年にまた3回の検査でいずれも陰性になったということ・・・!
不治とされる病が自然治癒したのか?と話題を呼んでいるそうです。
検査した医療機関は、この珍しい事態に再調査を望んでいるとのことですが、日本の関連機関の人は、
“エイズウィルスが自然に消滅するなど、ありえない事で、先に受けた検査の陽性という結果が誤っていたとしか考えられない”と言っていました。

ところが、当の本人は、インタビューに応じて、
「自分は世界一幸運な男だ!世界で3千4百90万人もいるエイズウィルス感染者の中で、自分だけが克服できた!今後は、この幸運に感謝して人の役にたちたい」
と感激し、前向きに幸運?を喜ぶばかりで、再検査には応じないそうです。
医療機関としては、これが本当ならワクチン開発の可能性につながる、と再検査を望んでいるのですが・・・。
やっぱり、もう1回検査して、“またもや間違いでした、陽性です”と言われちゃったらたまらないから嫌がっているのかな〜?
しかし、考えてみれば、現時点では不治のエイズです、と言われたら、かなり落ち込むはずで、(しかも3回も)それが間違いだった・・・となれば、立派な誤診で、人によっては、頭に来て、すわ“損害賠償”となってもおかしくないところ。
“幸運に感謝して、人の役にたちたい”という姿勢は、なかなかエライとも言える気がします。
いずれにしても、人生何が起こるかわからない・・・。
落ち込んで自殺なんてしないで本当によかった。
あくまで前向きに、頑張って生きる方が得とも言えるのかな・・・。



11月17日(木)  「海賊ー源平合戦の巻」

バレエのY先生から、夏に先生のところでやった発表会のビデオをお借りしました。
有名な全幕物、「海賊」を、アレンジして、ナント「源平合戦」をテーマに創ったオリジナルバレエです。
「海賊を、源平合戦??」
と生粋のバレリーナや、バレエの先生方は、ちょっぴり引いた感じで、びっくりしていましたが、私は、
“さすが、Y先生。面白そうじゃん・・・”
と思っていたので、ビデオをお借りするのを、結構楽しみにしていました。
ご自身でも、ある意味自信がおありになったのだと思うのですが、私といっしょにレッスンを受けているスタジオのN先生にもビデオをお貸ししたそうで、私が、
“N先生は、何ておっしゃっていました?”
と聞いたら、笑いながら、
「“何でもあり・・・ですね〜”って言われちゃった・・・」

正統派のバレエが一番!と思っていらっしゃる方々にとっては、ありえない想定で、拒否反応もあるようですが、もともとジャズ、モダン、バレエと踊りのジャンルなんて全く気にしない私にとっては、かえって面白い試みで、早く見たかったのですが、このほどやっと貸して頂き、楽しく見させて頂きました。
小さな子供から、大学生までの生徒さんは、テクニック的にスゴイというわけではないのですが、(すみません・・・Y先生)一人ひとりがそれは活き活きと踊っていたし、何よりも、踊りの構成や、振付自体がなかなか斬新で、長い作品を飽きずに見られました。
踊りの新聞にも、記事として取り上げられたそうで、その記事にも、「構成、振付にオリジナリティがあった」ことなどが書かれ、好意的な内容でした。
今の子供達に、源平合戦なんていっても(NHKのドラマで取り上げられたりして、タイムリーではあったけど)ほとんど知識はなく、Y先生は、いちいちお話を説明しながらの振付だったそうです。
“一の谷の戦い”や、“那須の余一”のシーンや、“弁慶と牛若丸”のシーンなどが、ちゃんと出てきて、一つ一つのイメージの連続ではありますが、日本的な衣装と、勇壮な高校生男子の踊りなどが、海賊の音の中で次々と繰り広げられ、面白かった・・・。
ただ、二幕めが、夢のシーンとして、急に正統派のチュチュに、正統派のバリエーションになっていて、
“??”
と思ったのですが、Y先生によると、子供達やお母さん方にとっては、“チュチュのバレエ”というのが本望で、そのシーンを入れないわけにはいかず、仕方なく?そうなったそうです。
なかなか大変なんだね〜・・・。

私の母と同年代のY先生。
そのパワー、好奇心、前向きなチャレンジ精神に感嘆するとともに、これからも、いつまでも頑張っていただきたいな〜とあらためて思いました。



11月18日(金)  現代に生まれてよかった事

この間、黒田さんと清子さんの結婚式で引き出物として配られたのが、金平糖入れの壷みたいなものだったのをTVで見ました。
金平糖って今、ほとんど食べないですよねぇ〜。
甘くて美味くて、安価に手に入るお菓子が山ほどある現代において、シンプルの中のシンプルといった金平糖のようなお菓子は、そのうち廃れてしまうのかもしれない・・・。

甘いもの好きの私にとっては、現代は、本当に宝の山、その有難みを忘れてしまうくらい、お菓子の宝庫なわけですが、日本に今のようにお砂糖が普及したのは、実はそんなに昔ではないらしいのです。

和菓子といえば茶道、茶道といえば、千利休なわけですが、千利休が大公秀吉をもてなしたお茶会で、お菓子として出されていたのは、ナント、昆布の焼いたの!とか、生シイタケの炙ったのとか!、ただの小麦粉を水で溶いて焼いたクレープのようなものに、味噌!を塗ったものとかだったそうです。
当時今のような白いお砂糖はもとより、黒砂糖にしてもほとんど使われない高貴薬のような存在で、実際薬として処方されていたりいたそうです。
宣教師が持って来た、金平糖をこよなく愛したのが、かの織田信長だったそうですが、いずれにしても庶民の口など入るわけもない。
江戸時代になって、薩摩藩が初めて日本で黒砂糖を作るようになったそうですが、白いお砂糖はまだまだ後のこと・・・。
私の母の世代などは、その後第二次大戦の頃に、子供だったわけで、お砂糖どころが全般的に食べ物が不足していた時代、ニッキ(シナモンですね)の枝をしゃぶると、かすかに甘い味がするのをお八つとしていた・・・(T_T)とかよく聞きます。

現代は、和菓子、洋菓子、中華菓子、と選びたい放題、スィート好きにとっては、まさに天国。
甘すぎるのはちょっとね〜などと贅沢を言いながら、食べているわけですが、たまには、お砂糖の有難み、その歴史を感じつつ、シンプルな金平糖でも食べてみよっかな〜!(^ム^)



11月19日(土)  “御所解き模様”

先日行われた黒田さんと紀宮さま(清子さん)の結婚式で、清子さんがお召しになったお着物は、皇后陛下の ものを仕立て直したものということでしたが、そのお着物が、“御所解き貝桶模様”(ごしょときかいおけも よう)というものらしい・・・。
着物には全く門外漢の私としては、“なに?その「ごしょとき・・・」って?”と思わずかなり??だったの ですが、母が、
「あなたが、着たのも、確か御所解きっていうのよ」
というのです。
私が着たって?
実は、はるかかなた昔、成人式の時に私が着たお着物が、その「御所解き模様」っていうのだったらしいので す。
その着物も、母が結婚式の時に、祖母に作ってもらったので、私と同じくあまり着物とは縁のない母が、うっす らと祖母の言葉を覚えていたらしい。

さて、その御所解き模様ですが、御所の女官や、公家の姫などが好んだ衣装の模様を簡略化したもので、「公 家の周辺にある御殿、御所車、几帳、扇、当時の人物などに草花、山水を配した」と解釈されているものが多 いそうです。
そして、“貝桶”は貝合わせを入れるもので、昔は高貴な方の嫁入り道具の一つだったとのこと。
“「貝合わせ」は、みとふたは必ず対で、他の蛤と合わさることはないことを利用して、絵合わせや絵と 歌を合わせる優雅な遊びだそうで、そんな合わせるものは一つということから、結婚には、まさにふさわしい 模様のお着物”なんだそうで・・・。

いや〜着物はつくづく奥が深いこと・・・・。
親子二代で、着ることができる、というのも素適だし、素晴らしい日本の財産だとは思うのですが、何せ、毎 朝リュックしょって自転車乗って、踊り狂う?毎日なので、なかなか着物を着る機会もない・・・。
まぁ、せめて、その御所解き模様の、(たぶん、貝桶ではない)着物を着て撮った、私の成人式の秘蔵写真? を公開しましょう・・・。(^_^;)



11月20日(日)  通訳って・・・スゴイ!

最近、彼女の小説を読んで面白かったものだから、ロシア語通訳者米原万理さんのエッセイを読んでみました 。
「不実な美女か、貞淑な醜女か」。
(この一風変ったタイトルは、美しい訳文か正確な情報か、というたとえなのです)
これまた、とても面白かった!
私は、これでも若い頃、一時期、翻訳家になろうと思った事があって(すぐ挫折したけど・・・)、隣の畑と も言える通訳というのにも、ちょっと興味があったのです。
その意味でも、“通訳翻訳は、同じ穴の狢か?”で始まるこのエッセイには、なるほど〜と頷かされるところ がいっぱいありました。

大まかに言えば、音声からの情報を変換するのが、通訳で、文字からの情報を変換するのが、翻訳なわけです 。
つまり、文字ならば、辞書も引けるし、時間もかけられるところを、次から次へと消えていく音声という情報 をたよりに変換していく通訳には、通訳ならではの苦労がたくさんあるらしい。
通訳に要求されてくるのは、ずばり記憶力だそうで、まず、第一には、話し手が話したことを、自分が訳し終 えるまでは記憶しなくてはならないわけで、話し手が好きなだけ喋り、必要と思うところで中断し、その隙間 を縫って通訳する逐次通訳の場合は、特に、この記憶力がものを言うんだそうです。
そして、もう一つは、会議や研修に通訳として参加する場合、普通は使わないような専門的語彙や知識を、身 につけ、少なくても、その仕事が終わるまでは、失わずにいる中期の記憶力。
原子力の会議に出るためには、原子力の専門書で知識を仕入れ、“沸騰水型軽水炉”、“高速増殖炉”、“ア クチブゾーン”、“核燃料被覆の気密性チェック”などの専門用語(@_@;)を使い分け、眼科矯正手術に立ち 会う通訳の仕事では、眼球の部品名称を叩き込み、プリマバレリーナのインタビューでは、“パ・ド・ドゥ”と “パ・ドトロワ”の違い(これならわかるよ・・(^_^;))を予習・・・。
今まで考えてもみなかったけれど、いくらその言葉が堪能でも、同じ日本人、日本語にしてもめったに使わな いような言葉を訳するには、それなりの予習が必要なわけだ〜。
しかも、その範囲はメチャメチャ広い・・・。
言葉を訳するというのは、人間すべての活動に携わることなんですね。
そして、三つ目は、通訳として生きて行く以上、どんな専門分野に関わろうと、普遍的に必要とされる知識、 技能、語彙を自動的、無意識に活用できるほど、わがものにする、“長寿命の半永久的記憶力”。

ひゃ〜!!(@_@;)
通訳、翻訳の比較から、徹底的に“通訳”を分析、ひいては、言語とはいったい何なんだ・・・というところ まで、いろいろと考えさせられる一冊です。



11月21日(月)  地震雲

実は、しばらく前に地震雲らしきものを見てから、民間の地震予知サイトにはまり、毎日チェックしていた時がありました。
もともと私は、関東近辺に大地震が起こるというのは、ここ何十年も言われていて、可能性としてはかなり高いのだと思うのですが、週刊誌などの見出しを見ただけでもどうも恐ろしく、できれば起こってほしくないし、予知なんか知らない方が安心・・・くらいの臆病者です。
それが、そのサイトを見ると、もう毎日のように、
「今日起こってもおかしくない、ここ数日にうちには起こる」
とか書いてあって、かえってそれを見ると、安心するというか、“やっぱりね〜”くらいの気持ちになれて、癖のように見ていたのです。
しかし、いい加減、毎日それだとちょっと飽きてきて、ここしばらくは見ていませんでした。
それが、数日前、何気なく空を見ていたら、どう見ても、
“あれは地震雲??”
というような、怪しい不気味な雲が出ていて、思わず携帯で写真を撮りました。
しばらくぶりに、そのサイトを見たら、
「一生のうちに一度見れるか見れないか」(@_@;)、くらいの前兆現象だそうで、私の撮ったものより数段画像のいい雲の写真がど〜んと載っていました。
雲が出てから、地震が起こるまでは、数日から数週間と幅もあり、日本における地震だけに限らないそうで、(スマトラ地震の時も、すごい雲が出たそうです)
どうなるかはわからないのですが、できれば何事もなくあってほしい、とここ数日、またそのサイトをチェックしている私です。



11月22日(火)  カルチャー店長さんとの偶然の出会い

土曜日、秦野クラスに行く途中、前の本厚木カルチャーの店長さんにばったり会いました。
突然の移動で、転勤になり、現在は、小田原の方で元気に勤務なさっているとの事でよかった・・・。
急に姿が見えなくなり、現店長さんが赴任してきて、この偶然の出会いがなかったら、身体でも壊して退職されたのか?と思っていたりしたので、ホッとしました。

前店長Iさんは、私が最初に本厚木にクラスを持った頃(約10年も前のこと!)に、本厚木店にいらっしゃって、その後、10年たって、店長さんとして戻ってきて再会したのです。
新店長として紹介された時、10年の月日は、平等に二人に流れ、(たぶん同じくらいの年代じゃないかな?)二人ともちょっぴり?!落ち着いた風貌になっていたのですが、すぐ記憶は戻り、レッスンの前後にたまに顔を合わせる程度でも、何か妙に懐かしく感じたものでした。
その後、彼女は、日曜カルチャークラスのミニ発表会を企画してくれる、などいろいろといい仕事をしてくれましたが、急な転勤になり、お別れも言えず、残念に思っていました。
秦野クラスに着くまで短い時間でしたが、同じ電車で、いろいろと話しました。

Iさんが最初に本厚木に来た10年前から、今まで私のクラスで続いている生徒さんで、ちゃんと印象に残っている方がいたこと、そしてその方が、ずっと続けられる趣味を持っているからか、活き活きして、全然年齢を感じさせなくて感心したこと、女性が趣味を持って続けていくことの難しさ、など話題は色々と流れました。
女性は、独身で趣味を始めても、結婚や出産、そして配偶者の仕事の都合、また介護などで、一つのところでそれを続けていくのが、なかなか難しいというのは、私もかねてから思っていたし、同感でした。
また、そんな中でも、介護の合間を縫って来るカルチャーの講座で、心を解放し、リフレッシュして帰ってくれる方などの存在が、カルチャー側にとっても、そして教える私のような講師にとっても、本当に嬉しいことだという事も話しました。

紅葉の始まった秦野近辺の山々を見ながら、カルチャーの店長さんと講師としてはなかなか普段話す機会もない事を、ごく自然に話すことができた貴重な時間でした。
Iさん、私も講師としてベストを尽くして頑張りますので、どうぞ、素適な講座で、一人でも多くの方が、中身の濃い時間を持てるよう、これからも頑張って下さいね!(*^。^*)



11月24日(木)  どうも風邪!

どうも風邪です・・・。(T_T)
実は、相当前、ヤンコミの舞台の頃から、薬で押さえ込み、一見押さえ込みに成功したかのようでしたが、隙 あらば盛り返そうとする風邪の菌にとうとう屈しました。
一昨日の初級のレッスンの始まる前、生徒のYも、私と同じように、鼻水ズルズルの状態だったのですが、レッ スン中に見る見る具合が悪くなったようで、途中で早退・・・。
鼻水をすすり、時には飛ばしながら、(汚くて失礼!)何とかレッスンが終わる頃には、私も完全に風邪にな っていました。
一見丈夫そうな私ですが、どうも抵抗力がないのか、寒くなるとすぐ風邪になってしまいます。
薬を飲んで、ちょっとボーっとしながらも、
「今日も元気だ、煙草がうまい!」
か何か言ってるから、大丈夫ですが・・・。(^_^;)
これからは、風邪の季節、あちらこちらで咳や、くしゃみが聞こえます。
皆さんも外出から帰ったら、水でうがいをして、(予防学的には、うがい薬でのうがいは、喉の良い菌まで殺 菌してしまうので、水や、紅茶でのうがいがいいんだって!)風邪には気をつけて下さいね〜。(^ム^)



11月27日(日)  “ルルベ・ゴリ・バレエ団”

火曜日のレッスンで、私よりも風邪で具合が悪そうだった高校生Yは、昨日Yの母の話よれば、(母もウチのダ ンサーである)かなり具合がよくなり、鼻はズルズルしているけれど、元気にしているとの事。
よかった・・・よかった・・・。
しかし、以前として、風邪の菌に支配されている私に比べ、若い人は、やはり、体力、回復力、共に優れてい るわけで・・。(T_T)(仕方ないか・・)

まぁ、風邪だ風邪だ、具合がイマイチ・・と言いながらも、日々の活動は相変わらず、やりたい放題の私であ ります。
さて、金曜日、レッスンの後、家に帰り、お風呂、夕飯を済ませると、TVで、「ルルベ・ゴリ・バレエ団」を やっていました。
皆さん、忙しいので、見てません??
ガレッジセールのバラエティ番組で、企画されたバレエ素人の芸人さん達の、かなり本気のバレエ団の企画も のです。
ナント、芸術監督には、草刈民代さんをかつぎだし、森三中、光浦、MAXのNanaなどのメンバーが、草刈さ んの振付で踊るのですが、笑えます。
一応MAXで踊りをやっているNanaが、最もまし?!なのは当たり前だったんだけど、そこに、“刺客”とし て、ネットアイドルオーディションで優勝した、とかいう、福下さんなる女の子が登場。
メンバーをこきおろし、自分の踊りを披露。
それが、全然素人じゃない。
もちろん、プロのダンサーレベルとは言えないけれど、たぶん10年以上はバレエをやってるだろう実力。
エスメラルダのバリエーションをバレエシューズだけど、踊ってみせ、ダブルターンもきれいに決めてくれま した。(ちょっと付け根引けてるけど、by小姑)
Nanaは、悔しさに涙ぐんで、“私達・・・あんまり上手くない・・・”だって。
“福下さんの技術が欲しい”とか言ってたけど、気持ちはわかるけど、いや〜それには時間がかかるんだって 。

草刈さんも、ダメ出し以前?の芸人さん達に向かってかなり真剣な、指導。
振付を踊る彼女達を見る目は、親鳥の目。
最初は、たぶん、何でそうなるの???と理解不能だったと思うんだけど、だんだん指導していると感覚のチ ャンネルが変ってきて、
“そうよ。そうそう!”
という気持ちになってくるんだよね〜!


だいたい踊りのTV企画モノでは、かける時間が短すぎて、踊りというものにかかる時間というところが考慮 されていないし、また、そんなに時間をかけられないのがTVなんだろうけど、それなり一生懸命の芸人さん 達と一生懸命の草刈さんが、なかなか面白くて、つい見入ってしまいました。
毎週取り上げるのかどうかはわからないけれど、機会があったら見てみて下さい〜。(^.^)



11月28日(月)  ロマンスカーチケット購入の悲劇

元来、どちらかといえば?!(^_^;)うっかり者の私。
そんな私にとって、パソコンの操作は、危険との隣り合わせ。
あっ!と思ったとたんにデータが消えてしまったり、思いもよらない画面に飛んでしまったり・・・等のトラブルは結構ありました。
最近は、そんな悲劇に会わないように、バックアップをとっておいたり、細心の注意を払ってキーを叩くなど自衛策を練るようになったのでしたが・・・。

私は、ロマンスカー(小田急線の全席指定の特急列車)を頻繁に利用するので、前もって積み立てておいたお金で、携帯からアクセスしてチケットを取れるロマンスカー@クラブなるものに入会しているのです。
画面を出すと、いちいち会員番号、暗証番号を入力し、日にち、時間、発着駅、を指定し・・・と結構面倒な手順を踏むのですが、何しろ、駅に行かずに前もってチケットが取れるし、いちいちお金を出さないでいいのがラクなのです。
さて、そんな@クラブにも慣れた先日のことです・・・。

どうせ乗るなら、窓側、と決めている私は、チケットを購入する際に、1、どちらでもいい、2必ず窓側、3、空いていれば窓側 という選択の際には、3を指定しています。(2にすると、なかなかチケットが取りづらいため3にしておきます)
ところが、たまたま指先がすべり、1を押してしまったのです。
あっ、間違った!と思う間もなく、画面上には、
「チケットが購入できました」
の表示と、ばっちりと購入されてしまった通路側のチケット番号が・・・。
これが、窓口だったら、一言、
「あっ、間違えました、やっぱり窓側指定で・・・」
と言えば済むところ。
ところが、相手がコンピューターだとそうは行きません。
よく、見ると、変更という欄があるので、ほっとしながら、変更を指定。
すると、また、一番最初から、日時、時間、発着駅の指定が始まりました。
(めんどくさい・・・(@_@;)
と思いながら、仕方なく、さっきと同じ手順を繰り返し、やっとたどり着いた画面で、
もう一度、変更を指定。
これで、窓側にできる!とホッとしていると・・・。
画面には、無情にも、
「同日、同時間、同条件のチケットは変更できません」
の文字。
えーっ??
どうやら、窓側指定の条件は、チケット指定条件の中には含まれない様子。
そうか、じゃあもう一枚買って、さっきのを取り消せばいいか・・・と思ううちに、どんどん発車時間は近づいてくる。
あせりながら、また、最初から、日時、時間、発着駅を指定。
すると、画面上では、
「発車時間45分前を切ったため、即購入が必要となります」
ハイ、分かりましたよ、と次へ。
すると、ナント、
「同日、同時間、同条件のチケットは二枚購入できません」
は〜???
じゃあ、取り消しだけして、また最初から買えばいいか・・・。
と再度トライ。
取り消し、払い戻し、という欄があったので、これだ!と思い、進むと、
「取り消し、払い戻しには手数料がかかります」
あ゛〜!!(-"-)
もう頼まんわ〜!!
結局、あきらめて、通路側の席に座りましたよ。
やっぱり、機械は、非情だ・・・。(T_T)
細心の注意力を持って、扱わないと、大変な事になるというのを、再び身を持って実感してしまった私でした。



11月29日(火)  純喫茶と研究所

レッスンの帰りにお茶をしていて、ふと、“最近は、○ドール系のコーヒー店に押され、昔ながらの喫茶店ってなくなったねぇ〜”という話しになりました。
「そういえば、昔よくあった「純喫茶」って見ないね〜」
確かに、ひと昔前は、よく、「純喫茶○○」という看板の店を見ましたが、最近は、めったにお目にかかりません。
「だいたい、あの“純”って何なんだろう?」
「確かに変な呼び名だよねぇ〜!」

ところが、ちょっと調べてみたら、あの昔ながらの純喫茶に妙なこだわり、愛着を持っている人ってたくさんいるんですね。
純喫茶に関するサイトをやってる人がたくさんいるんです。
まず、言葉の定義としては、アルコール類のメニューを置いていない喫茶店が、純喫茶らしいです。
そして、あるサイトにあった文章を引用すれば、

“純喫茶の条件として僕がこだわりたいのは
・ 店名は外来語を漢字で表現したもの。
・ 木の扉を押すとカランカランっていう。
・ 一見コーヒー豆にこだわっているようだが、メニューにあるのはブルーマウンテンのみ。
・ テーブルがゲーム機だ。
・ スポーツ新聞が揃っている。
・ ランチタイムが夕方まで。
・ 昼間からビールを飲んでいる客がいる。
・ トイレは男女別れておらず和式。 ”

ですって!!

私のイメージで言えば、やはり、モーニングセットとして、トーストとゆで卵、コーヒーのセットもあってほしい気がするし、ケチャップ味のナポリタンなんかも欠かせない気がします。(^.^)

さて、その時の茶飲み話は、“純喫茶”から“変な呼び名”に移り、
「後さ〜変って言えば、昔ながらのモダンダンスの稽古場とか、バレエの稽古場って「研究所」ってなってるじゃない!?あれも、よく考えると変だよね〜?」
「そうだよね〜。踊りを研究してるんだろうね。」
「じゃあ、そこの稽古場の人は、「研究員」かねぇ?!」
「先生は、「研究所長」?」
「どうも、研究って言えば、白衣着てそうじゃない?(@_@;)」

まぁ、でも、稽古場の名前としてよくある(ウチもそうだけど)スタジオっていうのも、もともとは、芸術家の仕事場(工房)、撮影場、録音室、なんか全部ひっくるめて広ーく使われてる言葉だし、呼び名なんてその人が好きなようでいいんだけどね・・・。(^ム^)



11月30日(水)  耐震強度偽装問題とデイブ・スペクターさん

耐震強度の偽装問題が、取り上げられ、一生に一度の買い物が運命の分かれ目となってしまった住民の方が気 の毒でならないと共に、何を信用してよいのやら・・・と暗澹たる気持ちになる毎日です。
私が住んでいるマンションだって、いったいどこまで安全なのかも分からないし、マンションに限らず、じゃ あ他のビルは大丈夫なのか?とか、疑いだしたら止まらない。
買い物って言ったって、腐ったものをパックの底にもぐりこませたいちごを八百屋さんでつかまされた!なん ていうのと、規模がちがうわけだし、清水の舞台から飛び降りるつもりで、ローンを背負ったお父さん方が、 これからいったいどうしたらいいんだ!と途方に暮れる様は、察するにあまりある・・・。
事が明るみに出たとたん、自分だけが悪いんじゃない、とお互いに罪をなすりあう人達の様子は、本当に情け ないし、芋づる式にどんどんと引っ張り出される関係者はこれからもどんどん続くと思うし・・・。
あおりをくらって、関連の下請け会社でつぶれてしまうものも出てくるだろうし・・・。

さて、ワイドショーでそんなお互いに罪をなすり合う人達の映像に、デイブ・スペクターさんがコメントして いて、
「これじゃ、羅生門、藪の中で、誰が本当のこと言ってるかわからないし。」
とさりげなく?教養を見せて一言。
無理やりの力技の、駄洒落など、ちょっと待ってよ〜と言うときもあるけれど、人の国の小説を読みこなし、 ちょうどいいタイミングでそれを引き合いに出すなんて、なかなか出来ることじゃない。
前に、TVで、彼の日本語についてのこだわり、勉強法などを紹介していて、その中で、彼は、
「一生勉強。」
と今でも、分からない言葉などに会うと、手帳にメモして覚えると言っていました。
やはり、人間、努力がものを言うんだな、とちょっと感心しました。
しかし、その後、
「この後、“内部告白”などどんどん出てくるだろうし・・・」
と言ってしまい、司会者に、
「“内部告発”ね。」
と訂正されてしまい、心なしか悔しそうでした。
たぶん、番組終了後、メモして、確認するんだろうな〜と思ってちょっと笑ってしまいました。



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