YUKO MASUMITSU JAZZ DANCE STUDIO

 2005年10月


10月1日(土)  “ダメ出し小人”と“なりきり魔人”

文化祭の練習に出演メンバーが励んでいる今日この頃、一人ひとりが自分のベストを尽くし努力している姿が 、とてもまぶしい気がします。
踊りを始めたばかりの人も、キャリアがある人も、それぞれが自分と闘いながら、努力し、その力を結集して 一つの作品を創り上げる・・・。
やっぱり舞台はいいもんだ・・・。(*^。^*)

さて、今日、レッスンで言ったのですが、
「(自分の欠点や癖は)先生がいつも側につっきりでいるわけじゃないんだから、自分でも気をつけてなきゃ ダメなんだよ!肩の上に“ダメ出し小人”を飼ってなきゃ!」
自分を成長させるのは、誰よりも自分なわけです。
「ちょっと鏡見てごらんよ、変な格好じゃない?」とか、
「また、肩が上がってる!」とか、いつも肩の上でささやく小人の声に耳を傾けながら、自分に向かい合う。
実の所、先生から受ける注意はもちろんですが、それをいかに自分に生かすかというのは、この“ダメ出し小 人”の力なしにはありえないと思います。
踊りが上手くなる、というのは、この“ダメ出し小人”の目を、ベテランにしていくこと、つまり自分の有様 を如何に客観的に見られるか、というのもあるわけです。

一方、“ダメ出し小人”が変な所を削る係りだとしたら、
「もっとやってみようよ!」係り、作品のイメージをふくらませ、そのイメージになりきって、恥ずかしさを 捨てて(最初から私はあんまりなかった・・・(~_~;))自分を表現する“思い切り”も必要です。
思い切って、大声で喋ってみるように、少しずつ、大げさに、思い切って、まずはやってみる。
先生だったり、先輩だったり、自分がいいなと思う人の真似をしてみたり、何かの舞台で見たダンサーでも、 イメージの中のダンサーでも、何でもいいから、まずは自分でも思い浮かべてやってみる。
鏡の中のお客を、目力で、悩殺してやる!
音の中に泳いでみる。
お客に見られている快感、注目されるスターの気分に酔ってみる。
“なりきり魔人”に身を任せる・・・。

どちらかといえば、私は、“なりきり魔人”の方が好きです。
踊りを真剣に長くやっていれば、イヤでも自然と“ダメ出し小人”は育ってきます。
“なりきり魔人”に身を任せていても、肩口で、
「ちょっと待った〜!」
とちょっかいを出してくる。(-_-;)
それでも、楽しんで活き活き踊っている時の“なりきり魔人”のパワーは、その人の生きている力、存在のオ ーラです。
それこそが、踊りの楽しさ。

せっかくの舞台、私のダメ出しの怒鳴り声にも、自分の“ダメ出し小人”の声にも負けず?皆さんの“なりき り魔人”実は心から待っている私です。



10月2日(日)  “憧れのパフェ”

朝9時前の喫茶店、“シャ○アール”で、モーニングセットや、コーヒーを楽しむ人達の中で、ふと見ると、 眼鏡をかけた小学生くらいの男の子が、“ビッグパフェ”を食べていました。
ご存知の方も多いと思いますが、あの25センチくらいの高さの特大パフェグラスに、ソフトクリームが山と 詰まれたパフェです。
朝の9時前、朝ごはんの後のデザートなのか、それとも、それが朝ごはん!!なのか・・・?
母親らしき人と一緒でしたが、
“いったい成長期の子どもの食生活をどう考えているのか!!(-_-;)”
と余計なお世話だけど、思ってしまいました。(ホントに余計なお世話か・・・(^^ゞ)

それは、さておき、私は子どもの頃は、パフェなんてほとんど食べなかった。
「どうせ全部食べられないでしょ」とか、
「ご飯が入らなくなるから」とか、
「お腹が冷えるから」とか、うま〜くいいくるめられて?いました。
大手をふってパフェを頼んだのは、確か中学生になってから。
ホントは“食べられるよ〜”とちょっと思ってたけど、親には勝てません。(まぁ確かに、身体の弱い子では あったのですが)

パフェの他にも、親にいいくるめられて、“そんなもんか・・・”と納得しちゃってたのは、チョコレート。
「チョコは沢山食べると、鼻血が出るから、ちょっとずつね!」
と、いちどきに食べるのは、ほんのひとかけ、ふたかけ、くらい。
ある時、遠足に行ったら、板チョコを一枚持ってきて食べちゃった子がいて、しかも鼻血が出ないのを見て、
“鼻血説”が疑わしいことに、やっと気付いたのです。
それでも習慣と言うのは恐ろしいもので、甘いものはかなり好きだけど、板チョコいちどに一枚、というのは いまだにやった事がありません。

そんな親のおかげさまか、すぐ病気になる弱い子は、朝から晩まで踊り狂う頑健な?(今でも、すぐ風邪ひく のはひくんだけどね・・・)身体の持ち主となり、食べたければ、自分でなんでも頼める大人になったわけで すが、最近若い頃は、ペロッと食べてたパフェ類の生クリームがキツクなってきました。
たぶん、(いや絶対?)あのビッグパフェも、無理・・・。
ちょっと哀しい〜。(~_~;)



10月3日(月)  私の“ぶりっ子”遍歴

その昔“ぶりっ子”という言葉が流行した年があって、(調べたら1981年だそうで・・・)今ではあまり 聞かないけれど、カワイ子ぶりっ子のこと、世の中に擦れていない、か弱くカワイイ振りをしている女の子に 、
「ぶりっ子してんじゃないよ!」
などと普通に使う言葉でありました。
ぶりっ子は、往々にして、同性(私は女性なのでこの場合女性、ぶりっ子をする男性もいるでしょうが)には 嫌われるわけで、庇護欲をあおり、異性のウケをねらう、わざとらしさは、その裏が見えるだけにどうも頂け ない気がしたものでした。

しかし、この“ぶりっ子”を広〜い意味でとらえて、他者の前で“ある特定の自分”を特に演出する、と言う 意味でなら少なからず、自分もやってきたなぁと思います。
自分の事を考えてみると、一人っ子で、他に同じくらいの年の女の子もいなくて、両親のみならず親戚の間で も大変可愛がってもらい、いつのまにか、
“屈託のない明るく面白いYUKOちゃん”ぶりっ子(長いな〜(~_~;))が身についた私(むろんそのまんまの所 も大だったわけですが)は、内心かなりへこんであまり人と話したくない時も、“あけっぴろげで、へこみま くる?!自分”というのを演出する癖がありました。
あんまり意味のないぶりっ子・・・。(^_^;)
今思うと、お腹を見せる犬のように、あけっぴろげをわざと見せることで、害はないから受け入れて〜という アピール=ぶりっ子だったのだと思います。

例えば、中高生の頃は、“勉強しないぶりっ子”。
成績だって小心者だから、内心気にはなっていたのに、全くどうでもいい振りをするイヤーなヤツだった気が します。
カバンをかっこよくつぶし、制服を長くして(そんな時代です)、髪型に気をつかい、可愛らしいキャラクタ ーの手さげを持つ、周りの中で、ベルトのバックルは半分欠けて、髪型、スカートは面倒くさいから言われた まんま(たぶんこれは生来の無精者だから)優等生かと思いきや、教科書は全部学校に置いたまま、試験の直 前になってホントは勉強したかったりするのにわざと頑張って?しない・・・(でも成績は抜群というのが目 標、さてホントはどうだったでしょう?)っていったい何のためだったんだろう???
やはり、同性ばかりの学校で、受け入れてほしいがための、“逆ぶりっ子”、女っぽくないさっぱりとした人 をアピールしたかったんだろうねぇ・・・。


そんな私が、大学に行って、初めて異性に囲まれ、一生に一度だけ、そのものズバリの“ぶりっ子”路線をト ライした事があります。
しかし、中高生の頃から、女を意識し、ぶりっ子歴の長い“ホンマもんの?ぶりっ子”の中で、見事討ち死!
その後、自分がわけわからなくなって、引きこもりに入ってしまったわけです。

引きこもりからのろのろと出てきた私が、出会ったのは、踊りです。
結局、誰かに受け入れて欲しいという気持ち(同性だろうが異性だろうが、両親だろうが・・・)から、本当 にないわけではないけれど、全てではない、“ある自分”を意識して出す。
(ここであえてそれを“ぶりっ子”と呼ぶならば)そんな“ぶりっ子”をして変に頑張っては、疲れてきた私 にとって、踊りこそが救済でした。
踊りと向かいあうたびに、人が好きで受け入れて欲しいのに、人に疲れる自分や、周りに受け入れてもらうた めばかりを気にしてきた小さな自分が、素直になれました。
最も向かないと思われた、人と関わる仕事、「教え」をやるにつれ、あまり人に疲れなくなりました。

ホントは、今も、変に気張る自分、そして人に受け入れてもらうということに妙にこだわる自分がいないわけ ではないのです。
でも、教えていると、本当に一期一会、出会っては関係を築き、また道が別れていく、ということがイヤでも 繰り返され、ま、いっかと思えるようになりました。
今あるいろんな自分、その自分も、この自分も、たぶん人にはかなり人には「透けすけ」に見えていたりする のかもしれない。
これがお好みでしょう?と出した自分のつもりが、全く勘違いだったりもする。
相手が受け入れようが、受け入れまいが、ただの自分でいるしかない、と思えるようになりました。
そして自分が自然でいることが、相手にとっても、自然なこと、心地よいことの第一歩なのではないか、と思 ったりするのです。
その上で、聞く、話す、ぶつかるならぶつかる、学ぶことがあれば学ぶ、努力するならする。
長々書いちゃったけど、つまるところやっとオバサンになって開き直れた、ということなのかもしれません。
やれやれ、ご精読?感謝します。(^^ゞ



10月4日(火)  闘おう!脳細胞の衰えと!!

記憶ってホント不思議です。
今日、ひょんなことから、モダンのA先生のところに、ずっと前にちょっとだけレッスンに来ていたショーダンサーの生徒さんの話しになりました。
「え?誰の事?そんな人いたっけ?」
と言う人もいたのですが、A先生の、
「名前忘れちゃったけど、ホラ、何か仕事の前とかでよくスーツとか着て来ててさ・・・」
と言う言葉に、ぼんやりと私の記憶が戻ってきました。
「あーいましたね・・・黄緑色のパンツスーツでしょう?」
「いや、色までは覚えてないけど・・・」
ところが、どっこい?私の脳裏に浮かんだのは、鮮やかなその黄緑だけといっていいほどだったのです。
移転する前の稽古場の、狭い更衣室と、壁にかかった鮮やかな黄緑色。
肝心のそのダンサーさんの名前はおろか、顔さえも思い出せないのに(ごめんなさい!)、そのパンツスーツだけは浮かんでくる。
記憶の仕組みってどうなってるんでしょう?

その後、A先生は、また記憶を思い出し、
「あ!そうだ、名前思い出した!」
とおっしゃるから、何かと思えば、
「江戸時代の発明家の人と同じ苗字だった!」
「江戸時代の発明家って誰よ?」
と今度は、その発明家の名前が浮かばない。
今、思い出したのですが、ダンサーさんの名前はわからないけど、発明家って平賀源内では?(A先生に聞いてみようっと)
その後も、先生は、
「ほら!ナントかチャンの知り合いで来た・・・」
だから、ナントかチャンって誰よ!(^^ゞ
結局、「この分じゃ、先生なんて、ちょっと来なかったら、私達の名前も忘れちゃうね!」
と十五年以上の付き合いになる皆に言われ、先生も頭もかいていました。(^_^;)

しかしながら、人様の事は笑えない。
私もよく、人の名前は忘れるわけで、日頃から困っているのですが、以前、公演の後、
「先生!」
と呼ばれ、どっかで見たような顔だと思いながらも、全く記憶がなく困りながら、
(とりあえず、先生と言うからには、生徒さんだろうから、久しぶりだねーと言おうか・・・)
と迷っていたら、
「いつも娘がお世話になってます」
という生徒さんの親御さんで、初対面!!だったことがあるのでした。(~_~;)

人の名前に限らず、どうも度忘れ、物忘れが気になるこの頃・・・。(-_-;)
年齢とともに確実に衰える脳細胞、でも、努力すればその衰えに歯止めをかけることはできるそうです。
回路を積極的に作って、さぁ!皆さん?(若者の方はのぞく?)ともに闘おうではありませんか!



10月6日(木)  “昔のショーパブ”

昔、バブルがはじける前、東京には本格的なショーダンスを見せるショーパブがいろいろあったそうです。
世代的に、私がジャズダンスを始めた頃よりも少し前の世代の先輩は、そういったショーに出演していたり、ショーを見たりしていたようで、話しをたまに聞いたりします。

ステージもある程度の広さがあり、作品もダンサーも一流のものだったそういったショーをやっていたところは、バブルがはじける頃、皆つぶれてしまい、今ではショーパブと言えば、お笑いを含めた“オカマショー”など違った感じにとなったようです。
“マヌカンさん”と呼ばれる、胸を見せて踊る人達も、一流のプロ意識を持った方達だったようで、美しい胸、ボディをキープするために、あらゆる努力をしていたそうで、下着は身体に線がついたりするので、一切つけない!で、裸の上に毛皮を羽織ってお店に着たり、痩せてしまうと胸が貧弱になるので、頑張ってお酒を飲んで肉をつけたり、美しい動き方のテクニックもあり、それは立派だったそう・・・。
そういった芸術的なマヌカンさんが、いなくなってしまったのは、素人なのに、簡単に衣服を脱いで出てしまう人が増えてしまったこと、AVビデオなどの女優さん崩れ?などの抵抗なく裸になる人が、レベルを下げてしまったこと、とのこと・・・。
ショーダンスにしても、若い子や、外国人の、あまり踊れない、でも安いギャラでいくらでも使われる人たちや、安直な創りのものでもよし、とするお店が増えてしまったせいだといいます。

話しはいろいろ聞くのですが、私自身がショーを見たのはごくわずか・・。
(そういえば、先輩のお店で1回だけクリスマスショーに出たことがあったっけ・・・)
私が、先生に連れられて見せてもらったのは、新宿にある小さなお店でしたが、それはそれは踊れる魅力的なダンサーが、それはすごい振り付けで、わずか一畳くらいのスペースとお店の椅子や机の上!で、激しい踊りを魅せていて、びっくりしました。
一畳くらいのスペースなのに、4人が乗って、踊りも少しも小さくならず、がんがん踊っていて、狭さを全く感じさせなかった・・・!
さすが!でした。

極上の大人の楽しみであったショーダンスの世界が、変わってしまったこと、そして私がもう少し早く生まれて踊りをやっていたら、そんなショーをたくさん見れたのに・・・(自分がショーダンサーになったかどうかは不明だけど)と残念に思うのです。



10月7日(金)  怪我をしたバレーシューズ

かなり長く履いている布のバレーシューズ、いい加減、新しいのに変えた方がいいのは、わかっているんだけど、妙に足に馴染んできて愛着もある・・・。
しかし、指の部分に穴があいてしまい、足の指が外に顔を出して、さすがに早く新しいものに変えようと思っていた矢先、友人&バレエでは大先輩のバレリーナRさんが、
「新しいの買うのなら、いいバレーシューズがあるから履いてみない?」
と声をかけてくれました。
「ただね、ちょっと届くまで時間がかかるんだけど、いい?」
(それはいいんだけど、この穴が・・・)
実際、床を感じるのを通り越して、指が直に床にあたり、ちょっとヤパイ今日この頃・・・。
「その穴か・・・。テーピングでぐるっと巻くと、格好は悪いけど、当座はしのげるよ。」

・・・というわけで、新しいバレーシューズが届くまで、先の部分をぐるっと一周テーピングされた私のバレーシューズ。
自分的には、(なかなかいい感じじゃん。前皮(先の部分だけが皮でできている)バレーシューズに見えるよ!)と思っていたのですが・・・。
その修繕バレーシューズでレッスンにデビューしたとたん、
「それってどうしたの?滑り止めなの?」とか、
「そのバレーシューズって何?」とか、
何人もの人に声をかけられてしまいました。
そのたびに、
「いや、ちょっとシューズが怪我をしまして。」と説明するのに疲れました。(^_^;)
年配の先生には、
「物を大事にして偉いわね!」
と褒められる?始末。
(もう数日で、新しいのが来るから・・・)と思いながら、とりあえず、メンドクサイから曖昧に微笑んどきました。(^^ゞ

実際、履き心地はかなり良く、伸びるタイプのテーピングで人間の皮膚にもフィットするくらいですから、シューズにもそれはぴったりフィットして、滑らず、よじれず、かなり快適です。
私は新しいものが届いたため、もう新しい方を履く予定ですが、もし、皆さんも穴があいたら、当座のしのぎには最適です。試してみてね!




10月8日(土)  “芸能人社交ダンス部”

先日TVで「芸能人社交ダンス部」を久しぶりに見ました。
ずっと以前、ウッちゃん、ナンチャンの番組で発足したこの企画、以前にも何回か見た事があるのですが、ど うしてどうして、半端なTVの企画とは一線を画したもの!!
いろいろな芸能人が、それは真剣に取組んでいて、しかも息が長い企画です。
だいたい、芸能人に踊りをやらせる企画のだいたいが、数ヶ月くらいのスパンで、いくら熱心に取組んだって 、踊りが数ヶ月でそんなに身につくわけがない。
しかし、この企画はもう9年越し!!で、その初回から真剣に取組んでいた、南原、杉本彩のペアのあまりの 上達ぶりに舌を巻いてしまいました。

社交ダンスは素人の私ですが、特に、杉本彩の踊りは普通にダンサーの踊りとして見て、成立するくらい!
ナンチャンも最初の頃見た、固い踊りから比べれば、雲泥の差で、少し地味だけど、よくまとまっていました 。
今回の一番の売りは、なんと、南原、杉本ペアと、ゴルゴ、小池栄子ペアが、社交ダンスでは世界的レベルの 英国の“ブラックプール”に参加するというもので、ブラックプールと言えば、映画「SHALL WE DANCE?」にも 出てきた大会で、私でも聞いた事がある、世界中の社交ダンスのダンサー達が集まる最高峰!
社交ダンスの大会って、同じフロアで何組がぶつからないように踊りまくる、という、かなり怖いものみたい で、周りで踊っているダンサー達のレベルは、それはそれはもの凄くて、さすがに予選は通らなかったけれど 、かなりの健闘ぶりでした。
実は、ちょっと感動してしまった私は、思わず、社交ダンスをやりたくなったくらい?!でした。
(ただ、あのペアを組んで踊るという所がちょっとね・・・(~_~;))

どんなものでも、真剣に9年も取組めば、かなりのレベルに達するというのをあらためて実感しました。
(もちろん、その取組み方によるけど・・・(^^ゞ)
桃、栗3年、柿8年、と申しますが、果実が生り、ある程度の結果が出るまでには何事も時間と根気が必要。
(踊りは10年???)
そして、杉本彩さんがコメントしていたように、そこをまたあらたなスタートとして、次のステージが始まる わけで、踊りを初めとする芸術関係には、終わりがありません。
もっと深く、もっと深く・・・とその魅力に入り込んでいく。
ゴルゴ、小池ペアが、ブラックプールに臨むにあたり、もう一度基礎を大切に、と姿勢の矯正、(お盆にワイ ングラスを載せたまま、歩く練習をしていました。背中を張ったまま歩く練習なんでしょうね・・・)から取 組んでいたのも、印象的でした。
そうやって、進んでは戻り、確認し、また一歩ずつ進む、そのうちに、最初は見えていなかったものが見えて きて、また世界が広がる・・・。(*^。^*)
私も頑張ろっと。皆も頑張ろうね!



10月9日(日)  “柿”

“柿が生える”という地名通り、ウチの近所は、今、柿がいっぱいです。
中には、地面に落ちて、ぐじゅぐじゅになっているものも・・・。
地元の柿は、ゴマがいっぱい入っているけれど、結構甘くておいしいらしい。
ただし、私は、果物全般、柿もあんまり好きじゃないので、食べたことないのですが・・・。((^^ゞ



10月11日(火)  “昔のS城と、人生の教訓”

バレエで仲良しの大先輩Y先生は、芸能人も多く住む街、S城学園にお住まいです。
今でこそ、閑静な高級住宅地、学園都市で、憧れの街の一つかもしれませんが、Y先生はご結婚当時、新居がS 城学園と聞いて、情けなくて涙が出そうになったそうです。

「え〜??どうしてですか?」
「それがね、私の実家は、杉並だったんだけど、子供の頃にバスで、“竹の子堀り”の遠足ではるばる来たの がS城学園だったのよ。あんな竹やぶばっかりのすごい田舎に住むのかと思ったら、情けなくてさ〜・・・。」
「そうなんですか!」
「私があんまり情けない顔したから、主人が、慌てて、でも駅から近いし、近くには学校もあるし・・とフォ ローしたんだけど、それを聞いてなお哀しくなっちゃったの。だって、学校といえば、バスの窓から草むらの 中に見えたっけ・・・と思い出してね〜」
「それで、実際住まれたらどうだったんですか?」
「やっぱり、当時は、すごい田舎でしたよ・・(笑)家のすぐ隣には、馬小屋のあるお屋敷があってね。馬小 屋よ!」
(それは、結構スゴイかも・・・)
「そのウチのすぐ裏が竹やぶでね、塀の間からこっそり、竹の子を頂いちゃったこともあるのよ。八百屋さん には、地元産の竹の子が出てたわよ」
(私の住んでる柿生には、今でも地元産竹の子出回りますけど・・・ホントだよ!(^^ゞ)
しかし、そんなS城も今では、地価が上がりまくり、昔からお住まいの方の中には、固定資産税の重さにお屋敷 を手放す方も多いと聞きます。
時は流れたんだね〜・・・。

さて、もう一つY先生のお話の続き。
「その馬小屋のお宅っていうのが、J天堂大学の偉いお医者さまでね。こんな近くにお医者様がいれば便利だと 思ってたの。でも、ウチの子が具合悪くなってみてもらったら、すごい病気だって言われて大変だ!と病院に 連れてったら、ただの水疱瘡だったわ。偉いお医者だって言ったって、普通の病気はわかんないのよ。」
「そういうのはあるかもしれませんね〜」
「世の中、評判や人の評価を、頭から信じちゃだめよ。踊りだってね、お金で物言わせてる人がたくさんいる んだから。」
「どういうことですか?」
「このまえウチの発表会が、踊りの新聞に載ったでしょ?」
そうなのです。Y先生の発表会は、源平合戦を題材に海賊の音楽を使ったもので、踊りの新聞にその斬新さや、 舞台の楽しさ、暖かさが好意的に批評されたのです。
「そうしたらね、すぐ他の先生方に、“お幾らで書いて頂いたの?”と聞かれたわ。皆結構、そうやってお金 で書いてもらったりしてるのよ」
(そんなのがあるんだ〜!!(~_~;))
「やっぱり大事な事は、自分の目で見て判断しないとね〜!」
う〜ん・・・。確かに!!
ホントにY先生とお話しすると面白い。
今は昔、40年以上も前の、S城学園のありさまと、人生の教訓ともいえる真理を教わった私でした。(*^。^*)



10月12日(水)  “なんでもない、今日のほっこり気分”

ふと見ると、今日の昼間、ウチの近くの小さな畑(今は、ネギみたいなの(たぶん・・・?)が埋まっている 。この前まではナスでした)で花の上に、蝶がとまっていました。

(蝶なのか、蛾なのかは、実は不明で、前に、羽を開いてとまるのが蛾で、閉じてとまるのが蛾だと聞いたこ とがあるので、その分類で言えば、蛾なのかもしれない・・・。
ところが、これも実は、タテハ蝶の種類は羽を広げてとまる、とかで見分ける確実な方法とはいえないらしい 。
また、一般的によく言う、昼間飛ぶのは蝶で、夜飛ぶのは蛾、というのも、昼行性の蛾もいるらしく、確実で はないらしい。
もっとアバウトに言われる、蝶は派手で綺麗で、蛾は地味というのも、蛾なのにすごく綺麗なものを見た事あ るから、納得できない。
専門的に言っても、蝶と蛾は、非常に近いもので、同じ鱗翅目なんだそうで、フランス語やドイツ語ではどっ ちも一つの言葉で言い表すそうで、まぁ無理して分けることないか・・・。
日本語だとだいぶイメージ違うけど。)

何しろその蝶(蛾(^_^;))は、小さな花の上で一心不乱に蜜を吸っているようでした。
私が携帯を出して、写真を撮ろうと向けても、もっと近くで撮ろうと近寄っても、全く動きませんでした。
ひたすらに蜜を吸っていました。
秋風の中で、花と蝶をちょっとの間鑑賞、そんな瞬間もなかなか悪くない・・と一人ちょっと得した気分でし た。

さて、得した気分と言えば、いつも行ってるモダンの稽古場の坂を、今日お婆さんが私の前をえっちらほっち ら昇っていました。
買い物袋を下げて、かなり急な坂なので、本当にえっちらほっちら。
私も荷物が重いし、その後をゆっくり歩いていました。
稽古場の前には、小さなお稲荷さんがあります。
そのお婆さんは、そのお稲荷さんの前まで来ると、ふと足をとめ、実にさりげなく、ほんの短い間、手を合わ せると、またえっちらほっちら歩き出しました。
その仕草は、本当に自然で、穏やかで、私までほっこり柔らかな気分になりました。(*^。^*)



10月13日(木)  “死”を知ってしまった人間

動物は、“死”を認識しない、“死”というものを知ってるのは人間だけだって、TVでやってました。
科学者の人が、言うのには、人間にかなり脳が近いサルでさえ、小猿が亡くなったことを理解できないなんだそうで、いつまでも抱き続けるのは、悲しくて別れがたいんじゃなくて、死んだことがわからないんだって。
小猿の遺体が腐り始めて、やっと、その遺体から離れる。
死がないから、未来というものを考えることもなく、(2時間先のことを予見するのがやっとだそうで)将来訪れる死に不安を感じることもない・・・。

え〜っ!そうだったのか!!
未来をあまり不安に思わない私は、実はおサルさんにちかいヒトだったのか・・・(^_^;)って違うか?

話しはその先で、死を知ってしまったからこそ、人間の脳は、魂という概念を生み出したのだそうで。
結局、科学的に言えば、ヒトの脳は、不安に耐えられないようにできてて、だから魂や、死後の世界や、神様、そうしたものが必要なんだと。
だから、科学的に、そうしたものが、あるとかないとか証明しようとすることは、あまり意味がないことなんじゃないか、とその脳科学者は言ってました。

神がいる、とか魂というものがあるとか、死後の世界がある、とかそういうことを信じるか信じないかは置いておいても、ものすごく痛いとき(お産の時とか)に幸せホルモン、エンドルフィンが出て、その苦痛を幸福感に変えるとか、人間ってホント幸せになるように創られているんだ!
それってものすごく素適ですごくて、何か嬉しい。

いろいろと複雑にこちょこちょ考えてしまうから、その救済も用意されていて、ホント「幸せに生きなさいよ」と創られているんだとしたら、宇宙か神が自然か何かわからないけど、その大きな存在に感謝しつつ、出来る限り、幸せに生きていきたいもんだなぁ、とあらためて思いました。



10月14日(金)  怪しいこと

ちょっと前になるんだけど、振り付けを考えるために入った珈琲店、○ローチェ。
時刻は夕方。
にぎやかなおばさんグループや、勉強に励む若者に混じって、席を確保すると、目の前にちょっぴり不思議な空気。
二人席なんだけど、椅子をくっつけて、隣どおしにして、それも限りなく二人の距離は近い。
人目をはばからぬイチャイチャ加減・・・。(・o・)
いいんだけど・・・その二人がどっからみても70代!なんだよね〜・・・。(^_^;)
壁を背にして、こっち向いて、話すでもなく、ただただ肩を寄せ合い、手を握り合っている。
う〜ん・・・(^^ゞ。
世の中いろんな人がいるな〜と思ったのです。

そして、そんなことはすっかり忘れた頃、またまた入った○ローチェで、その二人に再会してしまいました。
たぶん、時刻も同じ頃なのですが、私が切羽詰って?振り付け考案中一時間以上、その席にそのまま二人はいました。
もしかして、毎日来てるのかしらん。
お年を召してからの恋っていうのもなかなか良いとは思うんだけど、何も人前でそんなにイチャイチャしなくてもいいのに・・・とちょっと思ってしまうくらいのねっとりした(^_^;)仲のよさ。
う〜ん、かなり怪しい・・・。

もう一つ、怪しい“チラシ”発見の話題。
ごく普通の喫茶店、棚の上にひっそりと置かれたチラシ。
それが、手書きで、「人間の学校」と書かれてある。
様々な悩みのコメント、それも恐ろしく広範囲のとりとめのない悩み、いわく、
「もっと輝きたいわ」「将来の夢が見つからないの」「素適な人に出会いたい」「人間関係をよくしたい」
「これからの世界情勢どうなるの?」
そして、「そんな悩みスッキリ解消!」のコピー。
これっていったい何なわけ??
裏面には、ELPと書いてあって、入会金24000円だって。
生命に対する考え方、ライフスタイルそのものを提案する教育プログラムだってさ。
いよいよわかんない・・・そして・・・怪しい・・・。



10月15日(土)  「ランドセル」

今日、久しぶりにランドセルを見ました。
もちろん、街を行く小学生の背中には、今でもランドセルが乗っかっていますが、私の周りにいる小学生は、 キッズクラスの小学生のみ、で、彼女達は、学校帰りではないので、久しくランドセルというものをじっくり 見ていなかったのです。

今日、文化祭の練習で、ジュニアメンバーを秦野クラスに集合をかけたら、スタジオのCちゃんは、たまたま登 校日だったそうで、帰り支度をしたその背中には、ランドセルが!
いや〜そういえば、まだ小学生だったんだな・・・とあらためて思い出しました。
近頃、めっきり背が伸びて、お姉さんらしくなったCちゃんは、今回の文化祭も、大人に混じっても全く違和感 がないくらい成長しています。
すっきり伸びたその手足と、腰高のスタイルに、ちょこんと張り付いたようなランドセル。
思わず、
「なんか、似合わない〜!!」
と叫んでしまいました。(ゴメンネ!Cちゃん!!)

考えてみれば、ランドセルって、重いし、かさばるし、決して実用的とは言えない。
教科書やノートを入れて運ぶだけなら、デイバックでもショルダーバッグでも、もっと軽くて、使いやすいも のは、今ならいろいろありそう・・・。
しかし、やっぱり、小学一年生になる時に、初めて背負うランドセルは、親御さんにとっては、きっとなかな か感慨深いものでしょう。
ただし、今の子は、あっという間に大きくなるので、かなりきつそうに背負っている子もいれば、さっさと違 うカバンに変えてしまう子もいるみたい・・・。
かく言う私も、実は小学4年までしかランドセルは背負ってないのです。
キャーキャー騒ぐのが面白かったらしく、クラスの男の子連中に、からかわれて、ランドセルを投げられて、 傷だらけになったランドセルは、小学4年にして廃棄処分となりました・・・。
その代わりに買ってもらったショルダーバッグが、たまたま、好きだったクラスの男の子と色違いになり、内 心かなり嬉しかったっけ。(*^。^*)
私は全うできなかったけれど、物を大切にするのは、とても良い事。
背負えるなら、小学生にはやっぱりランドセルを背負って欲しいし、ちょっぴり大人になって、似合わない気 がするランドセルも、またなかなか感慨深い気がするのでした・・・。(^。^)



10月16日(日)  密やかな結晶

「博士の愛した数式」の小川洋子さんの、「密やかな結晶」を読みました。

舞台は、とある島。
その島では、日常の一つ一つのものが、記憶から消えていくのです。
ある日突然、“あるもの”が消えていき、その“もの”の記憶まで失われるということを、島の人々は、諦めの中で、ひっそりと受け入れて生活しています。
記憶が失われない数少ない人々は、「秘密警察」が、つかまえては、どこかへ連れ去られ、二度と帰ってこない。
鳥がいなくなり、鳥を忘れ、フェリーがなくなり、フェリーを忘れ、本がなくなり、本を忘れ、バラがなくなり、バラを忘れ、心に穴がどんどん空きながら、暮らしていく人々。
主人公は、そんな中で、記憶が失われないRさんを、自宅にかくまいながら、一つまた一つとものをなくしていく。
少しずつ、色あせて、最後には、透明になってしまうように、主人公もまたどんどんと欠けていく・・・。

「博士の愛した数式」の博士も、どんどんと記憶をなくすのですが、博士の周りには、色鮮やかで、肯定的な存在としての少年や、愛を持った人々がいたことが救いだったのですが、「密やかな結晶」の主人公は、ただ消滅に逆らわず、消えていってしまう。
かくまわれていたRさんの愛や、呼びかけも届かずに、ひたすらに諦めて、受け入れて、最後には消えていく・・・。
静かで(無音という感じ、雪の中に降り込められるような、圧迫感さえある・・・)、薄暗く、湿った地下室そのままのような、小川さんの描き出す世界に、いつのまにか引き込まれました。
ささいで、何でもないもの、砂糖菓子や、オルゴールなどの消えていったものの先に、ついには自分の存在があり、輪郭から薄くなるように、だんだんと消えていく恐怖と、その消滅を淡々と受け入れてしまう主人公や、島の人達が、悲しく、むなしく、はかない。
対比としての、ラストシーンのRさんが受ける日の光が、まぶしいのだけれど、「わたし」は、地下室で消えていく。
どうにも、やりきれないのだけれど、ただただ、静かで、非常に印象深い作品でした。
ある意味で、「博士の愛した数式」の対であるような、作品なので、「博士・・・」を読んだ方、よかったら読んでみて下さい。(^.^)



10月17日(月)  ジャーマン・○ーカリーのハンバーガー

何か食べ物を食べて、ふわっと昔の記憶がよみがえることってありますよね?
いわゆる“オフクロの味”なんていうのもそうでしょうけれど、私は現在に至るまで、しょっちゅうオフクロ の味を食べているので、これはあんまり実感がない・・・。(^^ゞ

実は、最近、あれっ?!と思ったのは、○ッカーズの○ッカーズバーガー。
ハンバーガーなんてわりと頻繁に食べているんだけど、たまたま、そのバーガーを食べた時、ふわーっと幼い 頃よく食べていた、あるハンバーガーを思い出しました。

今は、もうないのですが、渋谷のT急文化会館という建物の中に、ジャーマン・○ーカリーという軽食屋さん があったのです。
ちょっぴり気取った?ハンバーガーや、ホットドッグがメインのお店。
私のお気に入りは、ハンバーガーのお子様セットみたいので、確か、ハンバーガーの上のパンの部分に、旗が 立ってました。
○ッカーズのバーガーよりも、パンが分厚くて、殆ど球形に近い、その上の部分は、表面がバターを塗って焼 いてあるのか、ピカピカに光っていて、たまに、焦げていて、とっても食べごたえがあった気がします。
だいたい、私の子供の頃は、今みたいにファーストフード店がなくて、ハンバーガー自体、そんなに普及して いなかった気もするし(確信はないけど・・・(^_^;)、私の中では、ハンバーガーといえば、そのお店でした 。
今のファーストフードの、いわば、軟弱な?ハンバーガーとは全く違うタイプで、しかし、後に出来たカフェ のようなお店とか、アメリカンなハンバーグ専門店とかのものまで、ワイルドではない・・・。
たぶん、○ッカーズバーガーともかなり違った気もするのですが、どこか似ていたのか?、ずっと忘れていた そのお店を、ふわっと思い出しました。

渋谷にお買い物に行った日のお昼は、よく連れて行ってもらったのが、そのジャーマン・○ーカリーと、その 向かいの、甘味屋さんでした。
甘味屋さんには、注文を受けてから炊く、釜飯があって、母親としては、たぶんそっちのお店の方がよかった のでしょうが、できるまで時間もかかるし、お買い物帰りの奥さま方で、いつも混んでいたのです。
(私としては、混んでいて入れなかったりしたら、ラッキー!!でしたっけ・・・。釜飯も好きだけどね。)

表面は、こんがりと焦げてパリパリ、パンはふっくら、ハンバーグーはジューシーだったとかどうかは、わか らないんだけど、あのハンバーガーのセットの一皿を、ふと思い出して懐かしく思う私なのでした。(*^。^*)



10月18日(火)  サレジオ学園前の事故

昨日、横浜市の私立サレジオ学園の校門前で、悲しい事故が起こりました。
たまたま、中間試験中で、早く授業が終わり歩いていた男子高校生の列に、乗用車が突っ込み、2人が亡くなり、7人が重軽傷を負うという大変な惨事・・・。
運転手は、23歳の若者で、スピードの出しすぎと、どうやらアクセルとブレーキを踏み間違った!と話しているらしく、業務上過失致死で逮捕され、危険運転致死傷の疑いでも、捜査されているらしい・・・。
乗用車は衝撃で、ぼろぼろ、現場には、靴やカバンが散乱し、事故の衝撃のものすごさを語っていました。
亡くなった二人のご冥福をお祈りするとともに、怪我をした他の方の回復、そして、加害者が凶器としての車への認識を本当に、新たにしてほしいと思います。

さて、私は、この事故を聞いて、まず、あれっ?!と思ったのは、この学校名です。
実は、私が通っていた私立○○○ス学園は、同じ私立、中高一貫教育のサレジオ学園と交流があったようで、一度、サレジオの生徒会メンバーが、わが校を訪問したことがあったのです。
その頃、クラスメイトの中で、進んでいる子は、既に彼氏がいる人というのもいたし、先輩の中で特にイッちゃってる人は、妊娠?などの噂が立ち、中途退学した人もいたにはいたのでしたが、それはものすご〜い稀な存在で、全体的に見れば、ごくごく真面目な、地味な学校でした。

私の仲良くしていたグループの子たちは、そんな中でも、特に真面目一方??遅れている?方で、同世代の男の子とは口も聞いたことがないし、兄弟がいない私などは、小学校以来“男の子”というものを、近くで見たことさえない?!状態だったので、「男の子がやってくる!」というので実は、内心かなり盛り上っていました。
向こうの生徒会メンバーを、こちらの生徒会メンバーが案内する、という企画だったと思います。
「正議長選挙」に落ちて(-_-;)、無理やり、「庶務部長」になるハメになり、一応ながら生徒会だった私は、少女マンガにありがちなストーリー(偶然出あった他校の男子と恋に落ちちゃったりするヤツ・・・(^^ゞ)をちょっぴり夢見なかったわけではないのですが、現実は地味〜なもの・・・。
向こうの学校の先生に連れられた5人が、こちらの先生に連れられた5人とぐるぐる学校を、歩いて終わりだった気がします・・・。(あんまり覚えてもいません。)
イベントというのは、企画段階が楽しくて、現実は、地味〜なものなんだ・・と思い知った瞬間でした。

あの時、一緒にぐるぐる学校内を歩いていた男子高校生も、きっと今は立派なおじさん。
母校前で起こった後輩たちの悲劇に、驚いているんだろうな・・・などとふと思ったのでした。



10月20日(木)  “尻餅”

モダンのお友達Hさんが、稽古中、はでに尻餅をついて転んでしまいました。
たまたま、その前から、その動きを見ていたら、回る振りの前に、一瞬、力が入ったと思ったら、重心が後ろ に傾き、そのまま、見事に、ステーン!!
「危ない!」
と言う間もなく、尻餅!
でも、尾てい骨を打つ一瞬前に、手が出て、身体も心持ち受身体制で、丸くなったので、大きな怪我はないな 〜と思ったとおり、すぐに立ち上がったので、ホッと一息。
次のレッスンの時、無事にHさんはやってきたのですが、お尻はまだちょっと痛むそうで、お気の毒・・・。 (>_<)

Hさんは、“テルミー”とか言う(あやふやでゴメンなさい)、温熱療法を勉強していたので、身体のことも よくわかるようで、転んで打ったお尻ももちろん打撲なのですが、その瞬間、人間の身体は防御体制をとって 、一瞬固くなるので、首や肩の方にもダメージが来るんだと言っていました。
これは、大きな事故などでも同じで、脊髄を中心に急激な緊張が走るため、そこに外傷がなくても、気をつけ なければならないんだそうです。
なるほど・・・・。

しかしながら、そういった身体のダメージよりも、大人になって久しぶりに完璧な?尻餅をついて転んだとい う、精神的なショックの方が大きかったようで、Hさんは、ちょっぴりへこんでいるようでした。
そういえば、ウチのスタジオでも、去年も、その前も文化祭の時に、転倒者が出て(あそこの床は滑るからね 〜)、すぐ立ち上がって怪我もなかったのですが、本人は、結構しょんぼりしてたっけ・・・。
舞台で転んでしまうというのは、かなりショックなものもありますが、実は、この私も、舞台の上でステーン !とやったこともあるし、稽古場で、ステーン!なんて数限りないのです。
私が舞台で転んだ時は、スモークで床がびしょびしょで、袖から舞台に出たとたん、ステーンと転んでしまっ たのですが、無我夢中で、立ち上がり、次の振りをやったので、見ていた人には、
「えっ?気が付かなかった!」
と言われたくらいの早業!(イバリん坊!(^.^))
あぁいう時は、頭の中では何も考えていなくて、ホント本能のままに動いているという感じです。

一方、観客として見ていて、ダンサーが舞台で転んでしまったのを見た事もありますが、その時はあっと思う けれど、結局その人のその後の処理を見るし、続けて踊り続けていれば、転んだ事なんてすぐ忘れてしまう。
モダンのA先生なんて、
「あ〜ら!舞台で転ぶなんて、目立てていいじゃない〜」
だって・・・・。(^◇^)

稽古場でのステーンに関して言えば、私はそのくらい思い切って、身体を使うことは大事な事だと思います。 また、重心を崩すには、何らかの原因があるわけで、それを無理に転ばないように、踏ん張った時の方が、か えって怪我をしたりするもの・・・。
特に、踊りをやっていれば、怪我の少ないような上手な転び方、受身が身体に入ってくるから、大抵、大丈夫 。
「七転び八起き」じゃないけれど、踊りも、そして人生も、7回転んだら、8回立てばいい、それだけのこと ・・・。
う〜ん、昔の人は、いいこと言ったもんだ・・・。(また、爺臭い事言っちゃった。。。(^^ゞ)



10月21日(金)  親子で踊り

ウチのスタジオには、何組か、親子で踊りをやっている方々がいらしているのですが、いつも、親と子で同じものをやっていて、羨ましく、微笑ましくもあり、そして、よくケンカにならないな〜と感心するのです。
私が見る限りでは、たまに、言い合い?!になっても、全体的には、親子でダメ出しをしたり?(内情、家庭内のことはわかりませんが・・・)協力しあったりして、とてもいい雰囲気でレッスンしている。
ホント素適なことだと思います。

何でケンカにならないか、と思うかといえば、私が、子供の頃、親と同じピアノをやっていた経験によります。
ウチは、それは大変でした・・・。(-_-;)
たぶん、子供の頃は、親は、私をどうにかしてプロにしたい!!という悲願みたいのものに燃えていて、干渉がすごかったのと、そのわりに、私が練習嫌い(^^ゞだったからでしょう・・・。
練習したがらない私を、浴衣の帯で、ピアノに縛りつけ、泣き喚く私と、怒鳴りまくる母・・・とそれは悲惨でしたよ・・・。
しかし、同じものをやっていると言っても、私にとっては、家の中に、口うるさい先生がもう一人いる、というだけで、今私のレッスンに来ている皆みたいに、よきライバルだったり、よき仲間だったりする、という感覚は全くありませんでした。
結局、私は、ピアノをやめてしまい、大分たって、全く、親のわからない世界、“踊り”の世界に飛び込み、母と子も余裕のある親子関係を取り戻したわけですが、今の皆を見ていると、親と子で一つのものをやるのも、いいなぁと思ったりします。
まぁ、実際、親が私と同じレッスンに来たとしたら、ちょっと“他人のフリ”しちゃうかも・・・。(^_^;)

親と子で同じレッスン、と言えば、私が習っているモダンにいらしている、H子先生とそのご子息Sちゃんもそうです。
極力押えていらっしゃるようですが、たまに、教えている先生のかげで、Sちゃんにダメ出しをしたり、Sちゃんが注意されると気が気ではなさそうなH子先生を見ると、思わずニヤッとしてしまいます。
SちゃんもH子先生に何か言われると、キッとなったり、ムッとしたりしている時もあり、またもや、そっとニヤッとしてしまいます。

今思ったのは、私のクラスの親子たちは、実に、距離のとり方が上手く、個人、個人、自分のことを重視してレッスンしているように見える(あくまで、私の主観ですが・・・)から、きっと上手くいくんでしょうね?
子供が成長していくと、ホントによき仲間としていられるようだし、例えば、子供の方が、プロなどになって技術的に親を超したとしても、親の方は、一番の理解者、批評家として、末永く応援できそう・・・。
いつまでも、親子で、踊りを続けてくださいね〜!(*^。^*)



10月22日(土)  “自己表現の勇気”

踊りをやっていると、自分自身と(肉体的にも、精神的にも)向かい合うことが多い気がします。
やればやるほど、自分の足りない所、欠点ばかりが見えてきたり、思い通りにいかない事にいらだったり・・・。
注意されれば、へこみ、打たれ弱い自分にがっかりしたり・・・。
何度やってもできない事、自分の持っていないものにシビアに向かい合い、ただコツコツと努力し、ついには乗り越えていく強さに向かっていくことは、肉体訓練という名の、精神修養である気がしてなりません。

私もまた、そんな自分の弱さや甘えと闘いつつ、踊り続けている一人のダンサーだからこそ、踊りの深さにめざめ、壁とぶつかりぶつかりしつつ、悩んでいる姿を見ると、すごく気持ちがわかったりするのです。

振付を覚える事がまずできなくて、前の人の真似っこをしていた人が、だんだんと欲が出て、努力を重ね、自分で振付を覚え、音を感じ、イメージをふくらませ、なり切って踊ってみたり、かっこよく踊りたいと思ってくる。
恥ずかしさや、自分の枠を乗り越えて、ちょっとずつやってみたところが!、そんな時に限って、注意を受けたり、振付を忘れてしまったり、体が動かなくて失敗してしまったり・・・。
一気に現実に引き戻され、出しかけていた表現が、スーッと引っ込んでしまったりする。
まるで、かたつむりが殻の中に引っ込んでしまうように。
「あれ〜っ!!待って!!」
そんな時、私としては、そんな気分だったりします。

表現するものはみんなそうかも知れないけれど、自己表現の快感と、他の評価とのいうのは背中合わせにくっついていて、自分を認めてもらいたい気持ちがどこかにあるから、自分を表現するという面もあると思います。
でも、それはやはりとっても怖いことだったりもするんですよね。
みっともなかったら恥ずかしい、とか、実際出してみたら、自分でも何だか納得いかなくてがっかりする、とか・・・。
でも、“どうせ私にはできない〜”と諦めてしまわないで!!
人は、二人と同じ人がいないように、その人にしかできない、誰にもかなわない表現があるわけで、それは、その人の生きているオーラみたいな強い光を放つ時があるのです。
踊りは、自分の肉体を使って表現するものだから、自分の思いと肉体がちぐはぐで、思うようにいかないことも多いのですが、だからこそ、また、訓練のしがいがあるわけで、登りがいのある高い山みたいなもんです。
一歩ずつ一歩ずつ、その時の景色を楽しみ、登って行って欲しいと思います。
自分の弱さとの闘い、そして自意識との闘い、発表会を前にそんな光景をあちらこちらで目にするたび、心からエールを送りたい私です。(*^。^*)



10月24日(月)  自然食レストラン

自分が創る舞台のリハーサルの前は、あまり食事をしない事にしています。
自分が踊る場合は、別で、食べ過ぎて胃が苦しい!?とならない程度には、食べ物を入れますが、振付けをし たり、それを演出したりする時は、お腹に物が入って、胃に血液が行ってると、どうも集中できない気がする のです。
だいたい物を食べると、幸せ?で、細かい事はどうでもよくなっちゃう。
“ま、いっか、皆楽しそうに踊ってるし〜”となっちゃうとまずいし、限られた時間の中で、少しでも作品を よくしようとするエネルギー、集中力は、お腹が空いてるくらいの方が出る気がするのです。(まぁ、空きす ぎて、無気力になってもまずいから、軽〜く(甘いものとか・・・これは単なる好みか・・・)は食べるけど ・・・)

ところが・・・。
昨日、珍しく、リハーサルの前に時間がありました。
朝のクラスが終わって、リハーサルまで2時間近くあるし、たまには・・・と思い、カルチャークラスのメン バーが、お昼に行くと言うので、ついて行ってしまいました。
入ったお店は、自然食レストラン。
お店の中は、半分位がエスニック系の小物や、洋服、面白げなものがいっぱい置いてあるスペースで、メニュ ーは、いかにも体によさそうなものばかり。
皆がとったのは、豆腐のハンバーグのセットで、私は、本日のおかずと“スピカパン”のセット。
“スピカパン”というのは、スピカ麦を使った特殊なパンだそうで、食べてみたかったからそれにしました。
厨房の中は、一人しかいなくて、お昼時だったこともあり、かなり忙しそう。
まぁこっちは、時間もたっぷりあるし、かえってのんびりとした時間が流れ、待つのもまたよかった。
ややしばらくして、出てきた“スピカパン”は、なかなか美味しかった!
噛めば、噛むほど味があり、食感もちょっとモチっとして、不思議な香りがして、初めての味でした。
おかずは、ひじきの煮たのと、野菜。
超体によさそう〜なメニューで、普通の時なら、二人前はいける!?位の量の気がしましたが、食べてみると 意外にしっかりとお腹にたまり、恐れていた??ように幸せボケ状態になってしまいました。
秋晴れの昼下がり、お腹も程よくいっぱいで、“え〜これからリハーサル??”
これでは、いけない!と、もうリハーサル会場に行くという皆といったん別れ、○ドールで一人、一服タイム 。
(自然食レストランなので、もちろん禁煙だった、聞いてもみなかったけど、たぶんそうです。)
何とか体制を建て直し、リハーサルへいざ参戦となりましたが、やっぱりリハの前に食事をするのは危険!か も・・と思いながらも、久しぶりにのんびりとお腹と心に休養の一時でした。(*^。^*)



10月25日(火)  ちんすこうとカフェオレ饅頭

モダンの先輩、かつレッスン仲間のSさんが、また沖縄に行ってきました。
彼女は、最近ダイビングにハマリ、時間ができると、沖縄の島々に出かけるのです。
最初は、嫌がっていた旦那様までとうとうダイビングの魅力につかまり、夫婦でライセンスをとって、沖縄の 美しい海を堪能している様子。
もう50歳近くのSさんで、旦那様もそれより上ですから、お二人とも、その行動力、好奇心、体力と、どれ をとっても素適!!
そのうちに、沖縄の島に、アパートを借りて、(向こうは、5万くらいでかなりの物件が借りられるそうです )いつでも行けるようにしたい、と言っています。
帰ってきたばかりなのに、次は、11月に、マンタを見に行くんだそうで、またその話しが聞けるのが楽しみ です。

そして、Sさんは、沖縄に行くたびに、おみやげを買ってきてくれます。
沖縄みやげと言えば、“ちんすこう”。
黒砂糖の入ったあのクッキーですが、最近は、その“ちんすこう”もいろいろな種類が出ていて、Sさんがい つも買ってきてくれるのは、チョコレートコーティングしてあるもの。
これが、実に美味しいんだ!!
普通のちんすこうも素朴で良いのですが、チョココーティングと素朴なクッキー生地が実にマッチしている!
前回は、チョコがミルクチョコだったのですが、今回は、「ダーク」という種類のブラックチョコレートのも ので、大人の味わい?!でグッド!(*^。^*)
まぁ、古くからの素朴なお菓子だけでは、生き残れないお菓子業界の人も、いろいろと工夫して、現代人の味 覚に合うように、考えているのだなぁと思います。

そういえば、前に結城紬で有名な、結城が田舎の友人に、「カフェオレ饅頭」というお土産を頂いたことがあ って、最初、“え〜カフェオレ饅頭??”と内心かなり引いたのです。
かなり人気のあるお菓子らしく、冷凍保存ができて、半解凍状態くらいで食べるのが、一番美味しいとかで、 まだ冷たいものを頂いたのですが、ところがどっこい、これが、すごく美味しかった。
お饅頭の生地の部分が、コーヒー味で、中には生クリーム。
それだけ聞くと、“げっ??”かもしれませんが、冷たいコーヒー生地と生クリームがぴったりで、ホントお いしいんだから。
たぶん、これは、半解凍で、“冷たい”というのも、美味しさの要因の一つだったかもしれないけど。
よく、お饅頭の中にジャムが入っていたり、餡子の代わりにチョコレートを入れてみたり、“これって??? ”となってしまっているお土産のお菓子も見かけますが、この二つは、生き残りに成功した例だと思います。
もし、機会があったら食べてみて下さいな!(^。^)



10月26日(水)  行動は注意深く?!

どうも、生来おっちょこちょいというか、行動ががさつなもので、日常生活でもあちらこちらに頭をぶつけたり、手をはさんだり、小さな怪我(怪我とまでいかないくらいの・・・)はしょっちゅうです。
その時は、全然大した痛みもなく、だいたい、いつやったのかもわからない位なのに、何かの加減で、後になってから、“どうも痛いぞ??”なんていうのもあります。
今も、右手の人差し指の付け根が、ちょっと痛い・・・。
たぶん、おぼろげに覚えているのは、レッスン中に壁に手の甲をぶつけた事があって、その時に関節をずらした何かなのか、思いもかけないときに、“ヒン!”と痛いんだよね〜・・・。(>_<)

この間もドアが全く目に入っていなくて、顔、それも目の部分を思い切りぶつけて、ものすごく痛かった。
涙が出て、火花が散りました。(@_@;)
痣にならなかったからよかったけど、こんなので痣作ったら、レッスンにも行けないよ〜とちょっと心配しましたよ。
以前、電車ですっかり眠っていて、寝ぼけマナコで、駅に降りた時、駅の階段の下の低くなっているところの鉄の金具みたいのに、したたか、頭をぶつけて、一気に目がさめました。
あの時は、結構長い間、頭にこぶが出来ていて、ストレッチなどで、仰向けになると痛かったっけ・・・。
頭をぶつけると言えば、外でトイレに入って、狭いしゃがむタイプので、立ち上がりざまに、排水パイプの管に頭をぶつけたこと、何回もあります。(~_~;)

今、真剣に考えているのは、ウチのドアストッパーをはずそうかなということ。
我が家の廊下には、トイレと、浴室のドアを止めるための、ドアストッパーが飛び出ていて、普段から、がに股になっているらしい私は、しょっちゅう、その金具に、親指の付け根をぶつけるのです。
若干、外反母趾ぎみなので、その親指の付け根に金具をぶつけると、それは痛い!!
友人に話したら、“それは、危ないよ。はずしちゃえば?”と言うし、ヒマを見つけてはずしちゃおうっと。

昔は、狭い自分の部屋で踊っていて、物を落としたり何かに体をぶつけたり、はしょっちゅうだったけど、今は家庭に仕事を持ち込まない?ので、あんまりそれはないけど・・・。
そうだ!来年の目標は、“注意深く行動しよう!”にしよう・・・って来年まで覚えていられるかしら??
(^_^;)



10月27日(木)  トウガラシ

通りがかりのお宅の塀の外に、唐辛子の植木鉢が置いてありました。
真っ赤な色が、それはキレイ〜。
カプサイシンダイエットとか言って、辛いものがブームになったりしましたが、私はもともと唐辛子系の辛い のはわりと好きです。
ただし、“普通に辛い”と言うところまでで、あまり度の超したものは無理ですが・・・。(最近、これでも か!位の物凄い辛さを競うようなものもあるからねぇ〜・・)
ウチの父親も、身体を壊すまでは、かなり辛いものが好きでした。
唐辛子の粉で作った真っ赤なお煎餅(柿の種とか、唐辛子の種とかいう小型のお煎餅ではなく、丸い形の普通 の醤油せんべいの大きさで、かりっと食べると中が真っ赤なの!)を作っている、渋谷にあった(今もあるの かな?)お煎餅屋さんまでわざわざ買いに行っては、お茶などの空き缶にしまっては、嬉しそうに?!食べて いましたっけ・・・。

トウガラシは、南アメリカ原産で、コロンブスがアメリカ大陸から持ち帰った時に、胡椒と間違えてペッパー と呼んだことから、海外では、今でもペッパーと呼ばれているんだそうです。へぇ〜!(^.^)
“唐”辛子、と書くけど、日本には、ポルトガルから渡来したという説や、朝鮮から伝わったという説があり 、中国とは関係なくて、唐は、“外来の”という意味らしい。
一説には、最初、日本では食用よりも、武器(目潰しや毒薬)として使われていたそうです。
実は、トウガラシの中の甘み種のものを、ピーマンと呼ぶそうで、そっか、ピーマンとトウガラシは兄弟なの か〜!(ちなみに、ピーマンの英名は、スィートペッパー!)
夏に、白い花が咲くそうで、この赤い実を乾燥させると、あのお馴染みの鷹の爪になるんだそうです。




10月30日(日)  文化祭最終リハーサル

厚木市民文化祭、出演時間決定!
私達は、“ポジティブクラブ”というチームで、13時20分が出番です。(ちなみにキッズチームは、ワイ ワイクラブで、15時30分が出番です。)
お時間のある方は、是非11月6日、厚木市民文化会館小ホールへ、お越し下さい。(ちなみに、参加してい る方は、全力で、いい踊りをしよう!)

さて、今日は、私が皆とできる最終リハーサルの日でした。
ここまでこぎつけるには、それはいろいろあったと思いますが、(衣装作りには、毎年泣いている人も、さす がにもう出来ていましたね?!(~_~;))私としても、衣装に限らず、毎年皆さんの成長と頑張りには、涙が出 そうであります。(T_T)(ホント!)
今までのハラハラ、イライラ?!(^_^;)するリハーサルとは、ちょっと違い、今日ともなれば、自分の創った 作品として、一歩ひいて見られる感じもあり、本番が楽しみです。
本番まで、まだ、自主練の場所を押えてくれているそうですから、ギリギリまであきらめず、最終チェック及 び、自分の踊りの完成をめざし、行かれる人は時間を作って頑張って下さいね〜!

本番の日のワクワク、ドキドキは、何にも変えがたいもの。
非日常のハレの日を、心から堪能し、舞台の花火を上げましょう。
今はビデオがあって、すぐ見られたり、そのビデオを見て、こんなはずじゃなかった・・・と落ち込む人もい るようですが、ビデオはあくまでビデオ。
ライブで見る感動とは、全く違ってただの記録です。
自分が踊っている舞台を、自分では決して見られず、舞台が一瞬の時間の中に消えるからこそ輝く芸術である ことは、変りません。
本番は、一人の観客として、心から舞台を楽しみたいと思っている今日の私です。(*^。^*)



10月31日(月)  「オリガ・モリソヴナの反語法」

たまたま、電車を待っていてボーっと見ていた駅の売店で、「オリガ・モリソヴナの反語法」という本を引き寄せられるように買ってしまいました。
だいたい、私が本を買う時は、このパターンが多くて、自分では、私が本を買うのではなくて、本が私を選ぶのだと思っています。
そして、そんな風に買った本は、大抵面白いんだな・・これが。
題名の何じゃこりゃ?という感じに反し、この壮大な小説はすごく面白かったです。

オリガは、チェコのプラハにあるソビエト学校の舞踊教師。
口は悪いし、一種度肝を抜くその存在感とファッション、そして類稀な踊りの才能で名物となっている先生です。
自分では、50女とか言ってるけれど、どう見ても80歳にはなるだろうオリガは、それでもすごく魅力的。
主人公の日本人の志摩は、1960年代、父の仕事の都合で、そのプラハのソビエト学校で、オリガ先生に習った教え子。
30数年たった現在、ソ連邦が崩壊した後のソビエトで、いったいオリガが何者だったのか、彼女の人生をたどるのです。
スターリン時代を生き抜いた伝説の踊り子、過酷な収容所暮らしを乗り越えたオリガの半生。
ミステリーのように、次々と明らかになる謎に、引っ張られどんどん引き込まれる一冊です。

この本の作者米原万理さんは、ご自身も、プラハでの少女時代を経て、ロシア語同時通訳として活躍した方です。
作品中の、チェコのソビエト学校の様子は、実体験をもとにされているそうです。
(オリガのモデルも実際にいたそうです)
(普通の小学校で、ここまで踊りの授業があるのって羨ましい!)
文末に載っている対談で、ご自分が、プラハから日本の学校に戻ってきた時の違和感を語られているのですが、周りの日本人の、「社会主義の国って窮屈だったでしょう?」
という言葉とは全く逆で、日本の方が、誰もかもが同じように!という教育により、一人一人の個性が消され、息が詰まりそうになったそうです。
プラハでは、何か一つの才能に恵まれた友人を、素直に賞賛し、先生もそんな、他の子供とは違う個性を大切にしてくれたのに、日本では、締め付けられる受験のための授業、業者の作った画一的なペーパーテスト、(そんなものは、プラハではなかったそうです)足の引っ張り合いなどに唖然としたそうです。
神からもらった才能は、神のもので、誰の物でもない、という視点のもと、本人も周りもそれをお金に変えたりしない社会主義の国の方が、生きやすかったというのが、今まで社会主義の国のことは全く知らなかった私にとっては、新しい意見でした。
万理さん曰く、プラハでは、「お互いが違って当たり前、もし共有できるところがあればラッキー」、ところが日本では、「みんなが同じで当たり前」だったそうで・・・。

確かに、万理さんや、私の世代というのは、受験戦争まっただなかに教育をうけた世代。
その頃の日本の教育に、日本人も疑問を感じ、最近は、ゆとり教育、そしてまたそれを修正し・・・と試行錯誤しているのでしょうが、基本的に、島国で侵略をうけることもほとんどなく、“仲良く”単一民族でやってきた日本人の中には、どこか、“皆いっしょなら安心”という感覚があるのかもしれません。

またこの本を読んで、スターリン時代のロシアの過酷な歴史を、始めて身近に感じました。
ナチの迫害などの本は読んだことがあったのですが、どこの国の人も、どうして人間はこんなに恐ろしいことができるんだろう。
そして、同時に、そんな中でも一筋の希望を信じて、どうしてこんなに強く生き抜いていけるんでしょうか。
悲惨な経験の中でも、いつも前を向いて力強く生きてきたオリガに、救われて、決して暗くならない、逆に力をもらうような一冊です。

余談ですが、この本の中で、著者は、しきりに日本バレエ界がお金によってしか動けない現実を批判していて、“亜樹”バレエ団の、“藻刈民代”が、実家のお金でスタジオを寄付したことでプリマになったことが書いてあって、知っている人なら、プッと吹いちゃうと思う。
あくまで余談。
この本は、是非、壮大なスケールで映画化して欲しいなと思います。
いや、でも収容所の部分とか映像だと悲惨すぎるかな〜。
オリガは、メリル・ストリープかな?
時間があったら、是非読んでみて下さい。(*^。^*)



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