YUKO MASUMITSU JAZZ DANCE STUDIO

 2005年12月


12月1日(木)  私の死亡記事

あっという間に12月を迎え、一年が過ぎるのがホントに早いこと、早いこと・・・。
“この間、お正月だったのに”という言葉、結構あちらこちらで聞くし、冗談ではなく、現代は、生活の全て がスピードアップした結果、本当に時間が早く進むようになってしまったのでは?と思うくらいです。

この分で行くと、一生も実はあっと言う間の出来事なのでは?などと考えていたら、面白い企画の本に出会い ました。
「私の死亡記事」という題名で、各界の著名人が、自分の死亡記事を自分で想定して書く、というもの。
出版社のもくろみどおり、死を考えるというのは、実は、生を考えるということで、それぞれの人が自分の人 生について、考えていること、またその表現の仕方で、性格や、人となりが出ていて、とても面白かったです 。
文庫本になる時に、あらたに執筆依頼をした分もあり、その4年の間に本当に亡くなってしまった!方もいた りしました。
職業や、今までの業績などは、大体が事実のまま、ただし、その評価というのは、本人がしているので、そこ にその人の個性が出るのです。
くそまじめに、自分の経歴をたどり、業績を振り返り、死については、100歳近くまで生きて、ある日ぽっ くり逝くというパターンの人あり、まだそんなに年でもない方の中には、これからの余生、人生設計なんかが 織り交ぜられつつ、(ガッツ石松さんなんかは、2010年から政界で活躍し、その後青少年教育のための道 場を開き、それが文部科学省にも評価され・・・とはなはだ前向きで明るい・・・)というパターンあり、し かもその余生の中にも、素直に理想を描く人(ガッツさんタイプ)と、照れもあってか、極貧の中で、野垂れ 死にに近い死に方を描く人などいろいろ。
俳優の児玉清さんは、86歳で、ハワイの海にダイブし、心臓発作で倒れ、作家の桐野夏生さんは、失踪しl 、20年後に、フィリピンで亡くなったことが明らかになる、とか、作家で通訳だった米原万理さんは、締め 切りを守らないため、作家廃業を余儀なくされ、捨てられた犬猫のホームをやるうち、狂犬病で亡くなる、な ど多彩・・・。

いろいろな方の自筆死亡記事を読むうちに、いったい私ならどんなものを書くのかな?と思ったりしました。
しかし、よく考えてみれば、新聞や、雑誌などに死亡記事が載るのは、著名な人のみ、一般市民が亡くなって も死亡記事なんて載るわけもないわけで・・・・。(^_^;)
もし、載るとしたら、大きな事故や、特別な事件がらみだろうな〜。
例えば・・・。

「20××年、7月23日午後9時頃、神奈川県本厚木市のダンススタジオに、強盗が現れ、レッスン中だっ たダンス教師増満由布子さん(90歳)がショックのため心臓発作で死去した。
調べによると、容疑者○○は、おもちゃのピストルを出して、「金を出せ〜」と脅したところ、増満さんが、
「生徒たちに危害を与えるなら私を撃ちなさい!」と叫び、生徒たちをかばうような仕草をした途端、心臓発 作を起こして絶命したらしい。
○○は、駆けつけた警察にすぐに、強盗未遂で逮捕された。
増満さんは、来る8月に「ダンス生活70年記念リサイタル」を予定しており、出演者も、50年近く同スタ ジオでレッスンを重ねていた平均年齢80歳を越えるメンバー。
同スタジオは、亡くなった増満さんの追悼を込めて、リサイタルを予定通り上演する予定。
チケットは、○○○○ー1234まで。」

な〜んちゃって!!(^.^)



12月2日(金)  手首ウォーマー

半端じゃなく寝相が悪い方でして、こう寒くなると、お風呂に入って寝ると朝起きて喉が痛い〜ということによくなってしまいます。
寒いのに、なぜ布団をはぐのかが本人にも不明なのですが、どうやら寝てまでも踊っているらしく、右足バットマン(高く足を上げる動作)、左足ロンデ(足を回す動作)、伸びて縮んで、一回転、くらいのペースで布団を跳ね飛ばす・・・。(^^ゞ
こうなると、蹴っても蹴ってもはげない重〜い布団をかけるか、(苦しい〜!!)厚着をして寝るか、という選択になりまして、(布団をはがなければいいわけなんだけどね・・・(~_~;)、足首には、レッグウォーマー、お腹には、腹巻(色気のないこと・・・)・・・と自衛手段をとっているわけです。
最近あみ出して、とても調子がいいのは、手首の袖口にするレッグウォーマー。
袖口のところが空いてしまう衣服だと、まくれ上がったりして寒いし、密封されると暖かいのです。
レッグウォーマーの中では、足首中心のタイプの細めのタイプを選び、手首にする。
これは、起きて動いている時も、実は便利。
水などを使うため、袖をまくりたい時も、ぴったりしているので、自分の思う所で止められるし、ポカポカして、まさに「ウォームビズ」なのです。
皆さんも、よかったら試してみて下さい!(*^。^*)


12月3日(土)  ゆったりトーク

先日、黒田さんと清子さんの記者会見を見ていて、あらためて、皇族関係の方は、お話しになるスピードがゆ ったりとしていて、上品だこと!と感心しました。
一語、一語、噛み締めるように、下々の民に行き渡るように、それでいてよどみなく話される、というのは、 やはり、簡単にできることではありません。
特に、清子さんは、生まれた時から、皇族としてお育ちになり、たぶん、そんな話し方が身についておられる のでしょう。
(ふと、思ったのは、あのまま民間の方となって、将来PTAの会合などでお話しになるとしたら、周りの人 は調子狂うだろうな〜・・・ナンテ余計な事。)

一方、民間から皇族の方となった雅子さまは、たぶん訓練と努力をされてあのような話され方になられたので はないでしょうか。
外務省キャリアで、バリバリ働かれていた頃は(もともと頭の方の回転も早そうだし・・・)、別人のように 、立て板に水だったりして・・・。

まぁ皇族の方は、発言の影響力が並大抵ではないので、滅多な事は軽々しくおっしゃれないわけだし、お言葉 の内容も、推敲に推敲を重ねたもの、思いつきの発言なんかはないだろうから自ずと、“じっくり”“ゆった り”になるのかもしれませんが。

さて、例は全く違うのですが、現在も放映中の私の好きなドラマに「相棒」というのがありまして、その主人 公、水谷豊さん(実は、昔から彼のファンでして)演ずる、“杉下右京”という人物がいます。
ご存知の方もいらっしゃるかもしれませんが、この杉下右京という人物が、また魅力的でして、東大の法学部 を出た後、イギリスに留学、イギリス紳士の香りを持った、“和製シャーロックホームズ”として名をはせる 警視庁の警部さんなのです。
この右京さんの話し方が、またゆったりとまさに上品。
才気煥発ながら、決して慌てず騒がず、スローテンポ。
(普段の、独特の「はい〜↑」と語尾の上がる相槌と、穏やかな話しっぷりと、犯人の追い詰め、正義感に怒 り震える時のギャップがいいのですが・・・。)

さて、自分を省みると、子供の頃より、早口、おしゃべり&せっかち。
短時間に自分の言いたいことをまくしたてるから、どうしても早口になる。
教えの仕事をするようになって、何を言ってるか伝わらないと意味がないから、必要にせまられて、気持ち早 口は抑えてるはず?だけれど、(その分大声でカバー?)興奮してくると、かなりテンポも速いし、口数も多 いんじゃないかと思います。
若い頃は、もっとあれも、言わなきゃ、これも言わなきゃ、と思うと心は焦り、機関銃化していて、これでも 忍耐強く?!ゆっくり話すようになった方。
それに従って、普段も、興奮していない時は、そんなに早口でもなくなった気もします。(そうでもない?)
やはり、考えると、ゆっくり話せるというのは、余裕があるからで、そんな余裕が上品さ、そして大人っぽさ に通じる。
ウーム!
こうなったら、ちょっと気をつけて、私もゆったりトークを心がけようかしらん。(な〜んて、いつまで続きますことや ら・・・。(^^ゞ)



12月4日(日)  大人としての不安への対処法

考えてみれば、大震災60周年周期説とか言って、私の子供の頃は、関東大震災(1923年)からそろそろ 60周年だから大地震が来るかもしれない!という説がポピュラーだった気がします。
さくらももこさんの、お馴染みの漫画、“ちびまる子ちゃん”にも、静岡県の小学生が、来る東海地震に備え て、防災頭巾をかぶる話しが出てきた気がします。
(そういえば、防災頭巾、私の家にもありました。
防災リュックの中身だったので、実際かぶったりはしなかったけれど、座布団でできた頭巾みたいなものだっ たと思います。)

それからまた、20年近くが経ち、今度こそ大震災は近い、とどの学者も言うし、阪神大震災の時も、“こり ゃぁ、次は関東か??”ときっと多くの人が思ったに違いありません。
哲学者で、ユーモアエッセイストの土屋教授によれば、彼は、阪神大震災の時にちょうど、イギリスにいて、
イギリス人に、
「実は、東京にもいつ地震が来てもおかしくないんだ」
と言うと、大変びっくりした様子で、
「何でそんなところに、皆住んでいるんだ?!」
と言ったそうです。
土屋教授は、返答に困り、
「日本人は、命に執着しないんだ」
と言っておいたそうで・・・。(~_~;)

土屋教授自身、東京に帰ってきて、阪神の教訓を生かし、どれだけ防災意識が高まったか、と思えば、防災グ ッズが一時期売れたのと、防災訓練がちょっと盛んになったくらい?!・・・だったことに呆れたそうです。
しかし、教授自身も、家具を止めなきゃと思いつつも、その器具が思いのほか高かったりすると、躊躇して、 “ま、いっか”と判断してしまうことを笑いとばしています。
例えば、“この薬を飲んだら、1万人に一人副作用があります”とわかっていたら、ギャーギャー騒ぎになっ て誰も、その薬を飲まないだろうし、狂牛病や、鳥インフルエンザなどが流行ると、ショックで、牛肉や鶏肉 の消費が落ち込むのに、長期スパンの不安に対しては、結構みんな無頓着で、平然としている不思議。
言われてみれば、その通りで、苦笑いをしてしまいました。
そういえば、宝くじにあたる確率の方が、よっぽど低いと思うけれど、そっちの方は、“あたるかも?”と思 ってる人が多いのも不思議な気がします。


私自身、地震に限らず、“あぁなったらイヤだな〜”とかいう不安があったとしても、長期的に計画してその 不安が実現しないように努力することは苦手で、
“ま、いっか。ならないかもしれないし・・・”
とどっかに置いておいて、実際そうなったら、ギャーギャー騒ぐタイプ。(^^ゞ
結局、大人じゃない、というか、幼児性なんだよねぇ〜。
今回、明るみに出た、耐震強度偽装問題にしたって、他ならぬ地震列島、日本での話しなんだから、外国人は 理解に苦しむだろうねぇ〜。
う〜ん。
とにかく、その場さえよければいい、という逃げは、結局は自らを蝕むことは間違いないわけで、耐震に限ら ず、冷静かつ大人としての判断、行動が、日本人、そしてまずは、私自身にものぞまれる今日この頃なわけで した。(-_-)



12月5日(月)  “中国史”って面白い・・・かも?!

学生時代、歴史は決して嫌いじゃなかったんだけど、ナント言っても、人の名前や、場所の名前を覚えるのが大変だった気がします。
特に、苦手なのは、カタカナで馴染みのない場所の名前とか、王様のクシャナなんやら一世とか、二世とかいう名前とか・・・。
それにもまして、苦手だったのは、普段馴染みのあるはずの、漢字なのに、読み方が微妙な、中国の国の名前と人の名前。
内容的には、面白そうな感じなんだけど、名前がわかんないと、ロシア文学が主人公の名前からして覚えにくくて挫折したのと同じで、結局置いていかれてしまう。
結果、受験で専攻したのは、日本史で、それ以来、どうも世界史、特に中国史には抵抗があったのです。

ところが、先日、TVでザ・ファーストエンペラーと題して、秦の始皇帝の特集をやっていて、とても興味深く見れました。
血わき、肉踊るというか、人間の憎しみと野望にうずまく再現ドラマには、つい引き込まれてしまいました。
特に、始皇帝暗殺説に基ずく、宦官趙高の壮大な復讐劇には、思わず感動!
秦を恨み、始皇帝を羨み憎みながらも、最も信用されるポジションに上り詰め、皇帝に毒を盛り、皇帝の遺言をにぎりつぶし、跡継ぎとして自分の意のままになる末子をたて、秦を内部から腐らせることだけに命をかけた復讐。

“馬鹿”という言葉の語源は、趙高が家庭教師をして育てた(悪い事を沢山教え、愚かになるよう、悪意をもって育てた)二世皇帝に、鹿を献上し“馬だ!”と言い張ると、周囲の者もみな同調した(同調しない者は殺された!)と言う逸話によるんだそうです。
「鹿を謂いて、馬となす」。

始皇帝の中国全土統一が行われたのって、日本で言えば、まだ縄文時代。
教科書の最初の最初。
キリストが生まれる200年も前の事と思うとすごくないですか?
さすが中国4000年の歴史。
今回ドラマじたてだったから入りやすかっただけで、歴史書をひもとく勇気はまだないのですが、とにかく私の中国史食わず嫌いは、少〜し直った気がしているのです。(*^。^*)



12月6日(火)  Iちゃんに起きてる怪事件

バレリーナの友人Iちゃんが、朝会うなり、
「また、遭ったの!!」。
実は、ここ数ヶ月、彼女が結婚して越したばかりの新居のマンションに、気味の悪い事が続けて起きているのです。
最初は、水道。
覚えが全くないのに、何者かによって止められてしまったこと。
これには、Iちゃんもびっくりして管理会社に訴えて、間もなく元に戻ったのだけれど、犯人は不明。
次は、ゴミ袋。
夜に、マンションの階段の下に放置してあった誰かのゴミ袋が、朝になったら、ナント自分の家のドアの前に置かれていたこと。
気味が悪いので、またもや管理会社の人に言ったら、ゴミ置き場の脇に、小さく、
「関係者以外の立ち入りを禁じます」
という張り紙を貼ってくれたけれど、一体外部の人の犯行なのか、それとももしやご近所の誰かに恨まれているのか、わからない・・・。
そして、昨日。
外出から帰宅すると、玄関の前の床に、白いペンキの跡。
何かを書こうとして、人が来たか何かで止めたかのような、かなり大量のボタボタとペンキの垂れた跡があったのだそうです。
周りを見回しても、どこかを塗装した跡もないし、ペンキが垂れているのは、Iちゃんの家の前だけ。
こわ〜い!!

考えられるのは、まず、Iちゃん夫婦が近所の人に恨みを買っていて、嫌がらせをされているか(しかし、Iちゃんによると、思い当たる隣人はいないらしい。唯一、隣の奥さんは、ちょっと謎な人らしいけど、だからと言って疑うのもどうも・・・といった感じらしい)、或いは引っ越してくる前に住んでいた人に対する恨みとか、ストーカーのような人の犯行とか、いずれにしても、これはいい感じはしないよねぇ〜。
警察に訴えるにも、明らかな事件じゃないから、どうも・・・と迷っているIちゃん。

ほぼ、一ヶ月に一回、忘れた頃に起こる怪事件に、ちょっとIちゃんも参った様子。
「様子を見て、監視カメラでもつけて、犯人をつきとめようかな・・・」
そして、
「もし、何かあって、私が殺されたりしたら、実は、前々からこんな事を言っていました!と名乗り出て〜」
と不吉な冗談を言っているIちゃんですが、この物騒な世の中、冗談にしてもやめてよ〜という感じです。
怖い、怖い・・・・。



12月7日(水)  “防犯カメラ”

昨日のダイアリィで、友人のIちゃんが不気味な事件が続いている自分の家に、防犯カメラをつけようか・・ ・と言っていた事を書いたら、相次ぐ小学生の受難に、文部科学省が通学路に防犯カメラを設置することを検 討していると言う記事を見つけました。
やっぱり防犯カメラか・・・。
何気なく、近所の目や、大人の目が行き届いていた時代は終わったのでしょうかね。

プライバシーの保護は確かに大切で、田舎にありがちな、近所などの濃密な人間関係は、うざったい、そうい う意味では、都会的な、個人主義が心地よいという部分も確かにあるけれど、ものには限度、程度というもの がある気がします。
殺されそうになって、声もかぎりに、
「助けて〜!!」
と叫んでも、
「そういえば、大きな声がしていましたね〜」
と殺された後に、TVのインタビューで誰かが言うくらい。
どこか、感覚が麻痺していて、“他人のことは、見ない振り、知らん顔”があたりまえの世の中。
子供に、防犯ベルなんかを持たせても、果たして、携帯の着信をはじめ、様々な騒音が氾濫する外で、いった いそれを聞きとがめて、助けに来てくれるのかさえ、不安です。

前に、ホームでバッタリ倒れている人がいた時も、ほとんどの人が、酔っ払い(昼間だったのに!)と思った のか、見て見ない振りをして通り過ぎていった時がありました。
(は〜!??これはヤバイでしょう!)
と思い、駅員さんを呼んで、担架でその人が運ばれていくに至って、やっと周囲の人の視線が戻ってきたので した。

防犯カメラもいいけれど、機械はやっぱりただの機械で、それをどう使うかは、人間です。
要は、“犯罪を行っても撮っているから、すぐバレて捕まるぞ”
という犯罪抑止力になる、ということでしょうが、抑止も何も、最近の犯罪者は一種開き直っていて、捕まっ ても構わないくらいの病的な人が多いから、本当に抑止になるのかどうか・・・。
「防犯カメラつけたから、誰かが見張っていてくれるでしょう。」
と責任を誰かに転嫁することにならないように、一人ひとりが危機感を持つことこそ大事だと思うのですが・ ・・。



12月8日(木)  “地域安全マップ”

子供の受難の事件の数々に、世間も子供の安全を守るということにあらためて注目しているこの頃です。
昨日、防犯カメラ設置?という記事について書きましたが、TVで“地域安全マップ作り”という方策が取り 上げられていました。

犯罪心理学の専門家が、地域の小学校に行って、子供達自身に、安全と危険について講義するところからVT Rは始まりました。
それによれば、まず、犯罪が起こりやすい子供達にとって危険な場所というのは、
@入りやすい
A見えにくい
という二つの条件を満たしたところだそうです。
@の入りやすいというのは、例えば、犯罪者にとっても入りやすいところで、柵や塀などがなくて子供を連れ 込みやすい。
Aの見えにくいというのは、犯罪を行う際に目撃されにくく逃げやすい。
そして、それプラス犯罪心理学の方で“割れ窓理論”という、荒れ果てた場所には犯罪が起こりやすい、とい う法則。
この“割れ窓理論”というのは、実際、ニューヨークで、荒れた印象になりやすい地下鉄の落書きや、放置ゴ ミの撤去、清掃に力を入れた結果、7年間で殺人件数を半分に減らすことができたのだそうです。
以上のような法則に従って、子供達を伴って、通学路を歩き、
「ここは、安全?危険?」
という問いかけで、子供達自身に安全を考えさせ、安全マップを作らせるという試みでした。

歩き進むうちに、子供達自身にもいろいろな考えが芽生え、
「ここは、せっかく塀がある入りにくい公園なのに、違法駐車の車の陰になって、僕達が見えにくく危険」
とか、
「入りにくい公園なのに、木々が茂りすぎて見えにくいし、柵が壊れていたり、放置ゴミがあったりして、管 理があまりされていない印象。従って危険」
とか、
「路地から入りやすく危険だけれど、周囲の民家の窓が皆こっちを向いているので、その意味では安全」
とか、
様々な意見が飛び交い、カメラで撮影した実際のその場所の写真も貼って、それは密度の濃い、「地域安全マ ップ」が出来たのです。
また、その地図を作る過程で、地域の商店主の人に話しを聞いたりすることで、地域の大人に接し、見守る大 人の目を増やすという効果もあり、これはなかなか良い試みだと思いました。

事件が起きたら、集団下校、ほとぼりがさめたら中止、また新しい事件が起きたら再び集団下校、のような安 易な方策だけでなく、子供達自身にも安全を自覚させ、危険を避ける教育をまずする事、そして、大人一人ひ とりも、今だけでなく、社会として子供にとって安全な社会をつくるように、例えば、関係ないようでも、ゴ ミを放置したりしない、などの最低限のモラルを戻す努力からしていかないといけない時期なのではないでし ょうか・・・。



12月10日(土)  見学の小学生

いつものように、レッスンを始めて、数分後、カルチャーの教室のドアがあいて、見学の方がぞろぞろと入っ てきました。
「?!」
中学生か高校生くらいの女の子の一団の一番後ろから、キッズクラスでレッスンしていた小学6年生のSちゃ んが・・・。
Sちゃんは、発表会の後、キッズクラスを卒業し大人のクラスでやりたい、と言っていて、今日は見学に来る 予定だったのです。
「友達も見学に来るかもしれません」
と言っていたので、じゃぁ!この子たち、皆小学生!!
Sちゃんは、私にしてみれば、ずば抜けて身体が大きく、(ちょうど、私くらいの身長です・・・(~_~;))た ぶん、学校でも一番大きいんだろうと思っていたのに、見学に来た女の子は、皆Sちゃんくらい。
今の子って、本当に大きいんだねぇ〜!!(@_@;)

レッスンしていた大人クラスの人も、かなり横長の教室の後ろ、つまり、自分のすぐ後ろで、椅子に座った体 格のいい女の子達に見下ろされながらの、ストレッチ!とちょっぴり圧迫感?
彼女達は、1時間半のレッスンをほとんど最後まで、大人しく見学して、帰っていきました。
「見ているより、一回体験してみると感じがわかるから、よかったら体験レッスンをしてみて〜」
と声をかけると、
「有難うございました」
とちゃんと挨拶もできる。
彼女達が帰ってしまうと、大人クラスのMちゃんは、Sちゃん達が皆小学生であることに、ホントにびっくり していました。
「今の子って身体も大きいし(たぶん、Sちゃんは、Mちゃんより大きい)、しかもオシャレですね〜、私な んかよりよっぽどオシャレだ〜」
とMちゃん。
確かに、彼女達は、思い思いの今時のファッションに身をつつみ、ホントオシャレでした。
「ほんとだね〜。私なんかが小学生の頃なんて、親が買ってきたものをそのまま、ぼぉーっとただ着てたよ。 」と私が言うと、Kちゃんも、
「髪の毛とかも、茶髪にして、パーマかけてたりしますよねぇ。親御さんがオシャレにさせてるのかもしれな いけど」
「私の頃なんか、小学生は、皆髪の毛は、真っ黒で、おかっぱか、長い子はしばってたけどねぇ〜、あっ、皆 の頃はそうでもないか?!」
と私がふると、二人共、
「いや〜私達の頃だってそうですよ。」(ほっ!(^_^;)

身体も大きいし、精神的にもある程度大人っぽくて、いろんな事も知っている今の小学生。
ただ、情報が氾濫し、豊かで、何でも手に入る世の中で、子供時代にしか持っていられないもの、見られない もの、感じられないものを大切に、ちょっとずつ、ちょっとずつだんたんと大人になれば、いいんだよ・・・ ・と傍から見ていて思うことがよくあります。
今の時代に子供だった事がないから、わからないけれど、あれもある、これもある、あれもしなくちゃ、これ もしなくちゃ・・・という中で、自分が本当に好きなものを選んでいくことは、結構大変なのかもしれない。 他の大人クラスにも、小学生が来ていたことは今までもあったし、大人にまじってちゃんとしっかりとレッス ンを受けていてすごいなぁと思ったりしていました。
しかし、そんな子が時々、ふっと見せる子供の表情を見たりすると、私は逆にちょっとホッとしたりして、
大丈夫、ゆっくり大人になろうねぇ〜などと思ってしまうのでした。
子供ならではの感性、着眼点は、時として大人の私もハッとするようなこともあります。
そんなものを大切に、踊りを通して、ゆっくりと大人になってくれるのが見られることがとても嬉しかったり する私なのでした。



12月12日(月)  串揚げの忘年会

昨日は、土曜日クラスの忘年会でした。
日頃何かと忙しいミセス中心のメンバーが、一堂に会し、楽しく美味しい、串揚げランチ(*^。^*)の一時を過しました。
特に、家庭を持っているミセスのメンバーにとって、(またウチのミセスメンバーはその上に仕事を持っている方が多いのですが)自分だけの時間を捻出するのは、なかなか大変だったりするのではないかと思います。
しかし、その中でどんなに忙しくても、音を上げずに踊りに来てくれる、そして私のポリシーである、踊っていくなら、一歩ずつ少しずつでもいいから自分のペースで向上していく、という方向についてきてくれる皆が、あらためて本当に素適だな〜と嬉しく、有難く思いました。

また、実は、踊りを前にすれば、子供であろうが、独り身であろうが、ミセスであろうが、一人の個人、その人自身、欠点や魅力を含めて全てが鏡のように写しだされるわけで、踊りの楽しさ、それによって癒されることはもちろんですが、一人ひとりが年齢や立場を超えて、自分と向かい合い、踊りの技術だけでなく、自分の個性を磨いていくという場をこれからも提供していければいいな、と思いました。

昨日の会でも、楽しい話の合間に、世相を反映したシビアな話題、私達をとりまく厳しい現実社会の話題なども出て、考えさせられることもいろいろとありました。
現実の社会自体が危機になく、個人的にもある程度の余裕があって始めてできる芸術や、芸事の世界。
しかし、逆に言えば、踊りに限らず、芸術の世界に目を向けることのできる社会、個人的にも一人ひとりが自分の感性の可能性に目を向けることのできる状況こそが、人間として豊かに生きるためには必要なのではないかと思います。
踊りを愛して止まない私としては、そこかしこに荒廃した人の心や社会の片鱗を見るたびに、ある種の危機感とともに、踊る場所を提供し、踊りの魅力を伝えていくことが、いつまでもできるようにと、自分の出来る限り、ほんの小さな私の力を思いながらも、何かに祈るような気持ちでいるのです。



12月13日(火)  インパル・ピント・ダンス カンパニー

かなり前に、バレエのY先生が、
「昨日面白いステージを見てきたの」
とおっしゃっていました。
Y先生は、ご自身の発表会でも、バレエの「海賊」を源平合戦として上演するなど、画期的な試みをされたり、バレエだけにとらわれず、様々なステージを意欲的にご覧になっています。
「どんな舞台ですか?」
と尋ねると、
「世田谷の地域の新聞に案内が出ててね、値段も4000円と手ごろだったから、見に行ったんだけどね、(成城にお住まいの奥さまのY先生の金銭感覚は、意外と庶民的!)イスラエルのインバル・ピント・カンパニーって言うのよ。」
「インバル?ですか?どんなジャンルだったんですか?」
「う〜ん、何ともいえない。バレエもちゃんと出来るし、身体能力も高いし、何しろ面白いんだってば!」
先生ご自身も、言葉では説明しにくいようでしたが、目をキラキラさせてお話しになる様子が、何となく頭の端に残っていたのです。

それが11日の日曜日、ふと教育TVをつけたら、
「今日は、イスラエルのインバル・ピント・カンパニーの作品をお送りします」
と言ってるではありませんか!!
Y先生がおっしゃっていたダンスだ!!

皆さんご覧になりましたか?
私はすごく面白かったです。
しかし、確かに言葉では説明しにくい・・・。(^_^;)
ネットの紹介記事の言葉を借りれば、
「サーカスのように陽気で、不条理演劇のように奇想天外、マジックのように皮肉で、セピア色の映画のようにノスタルジック」
と言うことです。(上手いこと書くねぇ〜)
加えて私が思った事を言うなら、イメージにあふれたオリジナリティのある激しい動きと内面からくる静の動き、それを完璧にこなすダンサーと、独創的な衣装(変な生き物!?としか言いようがない、出来上がり)と、一人ひとりのダンサーが持っている演劇性と、作品全体を覆う世界観のある幻想的な色合い、全てがとても面白かったです。
普段、私が皆さんに振付けるのは、いわゆるジャズダンスとして分かり易いもの、音によってイメージされやすいものが多いのですが、自分自身は、もっと抽象的なものも決して嫌いではありません。
音も、ただリズムだけのものや、効果音的なものや、旋律の流れと途切れだけに動きを反応させるものや、身体の動きも、基本的なテクニックに囚われないものも好きです。
あぁ、こういうの、踊ってみたいし、創って見たい、と素直に楽しみました。(ただし、インバル・ピントのは、踊ってみたい気もするけど、かなりキツそうで、皆男女の区別なく、すごい!?身体だった・・・)
実は、私は、2つめの作品は見られなかったのですが、誰かビデオに録ってたら、ダビングして〜!!



12月18日(日)  いいものに感動できる心

実は、ここ数日、パソコンに問題が起きて、ダイアリィのアップができずに困っていたのですが、そのトラブルも無事解決しました。ホッ!(~_~;)
さて、先日、イスラエルのダンスカンパニー、「インバル・ピント・カンパニー」をTVで見たことを、前にこの舞台を見 ていたY先生に話しました。
「あ〜よかった!メールしようと思ってたの」
Y先生は、この舞台を特に、バレエの人に見てほしくて、TVで放映するのを知ると、片っ端からメールや電 話をしまくったそうです。
「そうですか。たまたま見たら、あっこれだ!と思って・・・。すごく面白かったです。」
「でしょう?バレエの人は、バレエでなければ踊りじゃないみたいな、頭固い人が多いから、是非勉強して欲 しいと思って皆に連絡してたら、アナタにするのを忘れちゃったのよ。」

Y先生は、以前から頭の固いバレエ界の一部の人には、ほとほと嫌気がさしていらっしゃるようでした。
「だいたい、バレエは日本人には向かないと思うのよね。
ウチの母は、踊りなんか全然わからない人だけど、最初にバレエ見た時、5番のポジションを見て、
“これは西洋人のものだよ、何故って5番は絶対、十字架、クロスから来てるんじゃないの。キリスト教文化 の国のモノだね、日本人が猿真似したってダメだろう。”
って言ったのよ。」
「それは、なかなか面白い考えですね〜」
「でしょう?私は、何も考えないで、何も勉強しないで、ただ真似してるバレエ界の人はどうか、といつも思 うのよね。モダンやジャズの人みたいに、バレエを基礎として、その先に自分の創造性を生かしている人の方 が素晴らしいと思ってる。」
「もちろん、バレエにはバレエの美しさっていうのはあると思うし、様式美、っていうか形の綺麗さやその中 での見せ方、テクニックを追求していくのも、それはそれでスゴイとは思うんですけど、やはり私は、いろん な踊りにはその踊りなりの面白さがあると思うので、バレエ以外は、汚い〜みたいな考えをお持ちの方が、未 だにまだいらっしゃるの接すると、びっくりしてしまいますねぇ。」

自分の事を考えれば、例えば、バレエをやるとモダンがわかり、モダンをやるとバレエがわかる、というのは あったし、またその先に、バレエとモダンがジャズに融合するというのがあったりするのです。
伝統的な様式美をひたすらに追求している人達は、すごいと思うし、美しいとは思うのですが、あるものを見 るときに、いろいろな角度から見ると、余計にその形がわかって追求できる、というのもまた真理だと思うの で、自分が実際やってみないにしても(やってみたらもっといいし、実際やっている方もいますが・・)、い ろいろな舞台を見て勉強する、というのは確かに必要だと思います。
ジャズやモダンをやっている人には、あまり見かけないのですが、どうも日本のバレエ界には、
「バレエこそが王道!他の踊りは邪道!」
というような考えの方が、たまに実際にいたりして、Y先生の苛立ちが少しわかるような気がしました。
どこの国だろうが、何のジャンルだろうが、見る人にとっては、「素適なものは素適、面白いものは面白い! 」だけで、そういう意味では、人を感動させるためには、自分もフリーで感動できる心を持っていなければな らないのかもしれないな〜とあらためて思ったのでした。



12月19日(月)  カラカラ!

最近になってメチャメチャ寒い日が続き、本格的な冬将軍(ところで、何で将軍なんだろう?なんかナポレオ ンの遠征が関係してた気がするけど・・・確かじゃない・・・)がかなり頑張ってる感じですねぇ。
私は、寒いのはいやなので、南極越冬隊?!くらいのダウンの中に、重ね着、毛糸の帽子、手袋、と寒気に触 れるのは、目と鼻、口の部分のみ、だけにして対抗しています。(それでも寒いけど・・・)

室内では、もちろんエアコン。
数年前に、25年!ものくらいの旧式エアコン(たぶん、当時はエアコン自体、最新だったのかもしれないけ ど)から、現在のものに変えました。
旧式のものは、なんと温度調節がなく、弱、中、強の3段階で、激しい音に部屋が震える程。
箱型で、厚みは50センチくらいありました。
今のは、普通に、温度調節、タイマー、(おやすみと、何時に入るというのが設定できる)プラス、現在の室 内温度、湿度がわかる機能などがあって、大変便利です。(^.^)(当たり前なのかしらん・・・?!)

しかし、これが、温まるかわりに室内がカラカラに乾燥するのです。
朝、起きたときに寒いのがイヤなので、おやすみタイマー7時間とかにして、室内温度を保っているため、朝 には、干物のようにカラカラになっている私です。
そこで、ピアノのために買った加湿機を運び入れたり、濡れた洗濯物を室内に干しまくったり・・・。

さて、昨日のレッスンはいつもの教室ではなく、いつもない加湿器が部屋に置いてあったのです。
すると、生徒さんの一人、S美が突然、
「加湿器と除湿機ってどう違うのかな〜」とすっとんきょうな発言。
固まる周囲に、ちょっと離れた場所にいた私も、思わず口をはさみ、
「役目が正反対でしょうが!・・・」
(室内の湿度を補うのが加湿器で、湿気をとるのが除湿機だろう!)
すると、「そうだけど・・・、除湿機でなんか霧みたいの出てるのありませんか?あれは何??」
「ほ〜・・・???」
そういえば、除湿機ってどういう仕組みなんだろう??
加湿器は、蒸気みたいのが出てるけど・・・??
すぐ帰って調べたら、コンプレッサー式っていうのは、“夏に冷たい氷が汗をかく仕組みで除湿している”
そうですが、これは室温がある程度高くないと作動しないそうで、コンデンス式っていうのは、“常に再生さ せている乾燥剤のしくみ”なんだそうです。
わかったような・・わからないような・・・。

まぁとりあえず、濡れた洗濯物も結構な威力を発揮するので、カラカラ干物にならないように、今日も洗濯物 を下げようっと!



12月20日(火)  みんな前は子供だった

何の流れだったか、モダンの後に皆でお茶していて、親戚の話になりました。
子供の頃は、叔母さんや、伯父さんと言えば、思いっきり大人の人で、自分よりはるかかなた上の頼もしい人という感じだったけれど、最近は、いっしょにお酒飲んだり、電話で長話ししたりして、普通に“人対人”でつき合えるようになっちゃった・・・と先生が言いました。
確かに・・・。
私も、叔母さんと言えば、やはり大人の人で、保護者感覚しかなかったのに、父親の葬儀の時に大人になって始めてくらいに話したみたら、“へぇ〜こういう人だったんだ・・・”とあらためてその人間性や性格を感じた経験があります。
他の人も、いとこなんかでも、子供の頃は、親戚の遊んでくれるお兄さんくらいの感覚でしかなかったのが、今では、いとこ同士でお酒を飲み交わす、“いとこ会”(それはいいなぁ〜(^.^)なるものを企画して、年に一回集うようになって、大人同士の付き合いをしている、とのこと。

そんな話しで、また思ったのは、人間って大人になって、もちろん知っていくこと、学ぶことはたくさんあったとしても、根本的な自分の意識というのは、そんなに変るものじゃないんだな・・・という実感です。
子供の頃は、大人は大人であって、20歳を過ぎれば、もう雲の上のような大人のお姉さん、30歳にもなれば、立派な?おばさん、50歳なんかになれば、おばあさん、くらいに思っていました。
ところが、実際、20歳になっても、自分は自分、ちっとも大人になったな〜という自覚はないし、30歳になっても、自分は自分、おばさんになった気なんかちっともしなかったし、きっとこのままだと、50歳になっても間違いなく、今とあまり変らない感覚なんだろうな、と思います。
結果、子供の頃は、ただの大人だった親戚の人が、自分と変らない、同じ目線で、人間として見えてくるから、人として付き合えるようになる。
これは、親戚だけでなく、自分の親にも言えることだと思います。
親といえば、親という人間でしかなかったものが、だんだんに、一人の人、○○○男なり、○○×子という人に見えてくる。
父親や、母親が、悩みや迷いがある一人の人間である、ということを何となく感じられるようになってくる。
欲望や執着なんてもうないように見えた、祖父や祖母もきっと最後まで普通の人間だった、と感じられる。
外からは“おばあさん”としか見えなくなっても、今の自分の自意識というのは、きっと死ぬまで同じようにあるんだと思う。
周囲から求められる役割や、扱いで、そのニーズ?!に沿って行動せざるおえない部分があって、いわゆる大人にならざるおえなくなるのだろうけれど、その根本にはどんな人にも、○男くんや○子ちゃんがいる。
それって、何か、かわいい。
どんないかめしいお爺さんも、偉い社長さんも、自分の親戚の伯父さんも、親も、どんな人間もみんな、○男くん、○子ちゃん(違う国なら、その国の名前・・・)の延長。
当たり前のことなんだけど、ふと考えると、不思議でいとおしい感じがするのです。(*^。^*)



12月21日(水)  お年玉!

気がつくと今年もわずか!
いや〜ホント一年早い・・・。(あちこちで挨拶がわりに聞く言葉ですが・・・)

さて、バレエの友人Iちゃんと話していたら、とってもかわいい甥ごさんのお話し。
Iちゃんには、まだお子さんはいないですが、お兄さんのところに、まだ就学前の甥ごさんと姪ごさんがいて、当然?!、お正月となればお年玉(~_~;)なわけで・・・。
しかしながら、まだとても小さいし、お兄さんの考えで、子供にあんまりお金を持たせたくない(Iちゃんは、内心(ホッ!))とのことで、年上の甥ごさんに1000円、姪ごさんに500円ということにしたそうです。
小さい子は、紙幣より、硬貨を喜ぶとのことで、500円玉2つで、1000円、500円は、100円玉を5つにしたそうです。
ところが、それぞれ中身を確認すると、どうも甥ごさんが悲しそうな顔。
「どうして、僕はお兄ちゃんなのに、2つなの??」
(!!)
確かに、妹は玉が5つ、自分は2つで、自分の方が少ないと思ったらしい!
そこで、お金の数え方、500円は100円玉が5つ分なんだよ、と教えたけれど、かわいらしくて笑ってしまったそうです。
小さいなりに、お兄ちゃんのプライドがあるのもかわいいし、そのくせ、お金の価値はまだわかっていないところ、本当にかわいらしい。
まぁ、そんな事言ってられるのもあと数年で、そのうち小学生になれば、同級生の影響もあって、
「僕は幾らもらった!」
とか自慢し合いが始まって、硬貨でだませなくなってしまうだろうけど・・・と苦笑しているIちゃんでした。

私自身は、子供もいないし、兄弟もいないし、従兄弟などとはあまり付き合いがないので、お年玉出費はないのですが、子供の頃は、親戚の方々にさんざんお世話になったことを思い出します。(その節は、大変ありがとうございました!m(__)m)
子供にとっては、一年の一大イベント、お正月がもうすぐやってきますねぇ〜!(^.^)



12月22日(木)  単数形と複数形

最初に英語を習った時、英語には単数形と複数形があると聞いてかなり不思議でした。
「Iam a girl.」「We are girls.」
ほう、何だそりゃ・・・?!
日本語は、もともとあまり単数、複数にこだわる意識は薄いから、ただ末尾にSをつけりゃあいいというもの だけではなくて、全く単語が変ってしまう、例えば、mouse,mice とか、foot,feet と かになると、(うわぁ〜面倒くさい!)と思ったものでした。
(一匹だろうが、沢山だろうが、片方だろうが両方だろうが、いいじゃん、どっちだって・・・!(-"-))
と自分が面倒だからもあって思っていたわけです。

さて、最近通訳の米原さんのエッセイに、そんな単数、複数に関する面白い逸話が載っていました。
日本語とは違って、多くの外国語には、概念としてその言葉が単数なのか複数なのか、というところがしっか りと存在しています。
米原さんの専門、ロシア語も然り。
ですから、ロシア語から日本語に訳する時は、その言葉が複数であることを強調するために、「〜類」、とか 、「諸〜」とか、「さまざまな〜」とか、言葉を加えて工夫するのだそうです。
ところが、ある時に米原さんがやってしまったミスは、日本側主催者が発した、
「これから映画をご覧に入れます」
という何の変哲もない文章で起こりました。
ロシア側来賓は、映画の一本目が終わると、ぞろぞろと席を立って出て行ってしまったのだそうです。
主催側が大慌てで引き止めましたが、これは、米原さんが、映画を単数形にして訳してしまったせい。
な〜るほど・・・!
他にも、
「古池や蛙飛び込む水の音」
という芭蕉の句も、翻訳者によって、この蛙がそれぞれ(英語も、ロシア語も、イタリア語も、フランス語も )単数形だったり複数形だったりするのだそうです。
つまり、日本語の場合、読み手、受けての想像力に全てが任されている、とのこと。

そういえば、数学者の藤原先生のエッセイにも、数学の問題で、
「歪曲する曲線AとB」
という表現の場合、歪曲するのは、AだけなのかA、B両方なのかが日本語の場合曖昧であることの不便さと いう話しがありました。
できるだけ正確な情報を短い言葉で伝えたい日本人の学者の先生の中には、
「歪曲する曲線“たち”AとB」
などという文章をひねり出す方もいるそうです。

ただ、どちらにしても、そういった一種曖昧で、非論理的と言われがちの日本語ならではの利点、受け手の想 像力、感性が問われる良さ、というものがあるわけで、前後の情報や、その場の状況、発する側の気持ちを読 むなど繊細な神経、というみたいなものの凄さというものがあらためて思われます。
何にせよ、ネイティブスピーカーの我々日本人ではない、外国の人が日本語を学び、ペラペラになるってやっ ぱり偉いな〜と感心する私でした。



12月23日(金)  バックダンサーのオーディション

演歌歌手のショーの振り付けなどを手がけているM先生は、先日、バックダンサーのオーディションに立ち会ったそうです。
どんなダンサーを採って、どんなダンサーを落とすか、の基準というのを聞いて何となく納得しました。
まず、ポーズが綺麗な人は落とし、つなぎが綺麗な人を採る。
それから、振り覚えが悪い人よりも、勝手な振り、勝手なニュアンスを入れてしまう人を落とすのだそうです。
ポーズだけが綺麗な人は、えてして、振りのつなぎにあまり神経がいっていなかったりします。
(もちろん、両方よければ一番なんでしょうけど・・・。)
この間、フィギュアスケートを見ていて思ったのもそれとちょっと似たことでした。
全体として見て、特に踊りをやっている私などがいいなぁと思うのは、技と技のつなぎがちゃんとしている人。
たぶん、踊りなどをやっていない観客も、感動するのは、そういう人だと思います。
人が見ていて納得するのは、一瞬の技(スポーツですから、技はもちろんですが)だけではなくて、全体として流れ、技の前後を含む強弱、まとめ方だと思います。

それから、勝手な振り、勝手なニュアンスを入れてしまう人というのは、たぶん悪目立ちにつながるからもあるでしょうし、振り付け師としてはやはり当然の気持ちなのでしょう。
全体のショーの中でのバックダンスの位置は、やはり歌手をよりよく見せるためのものであり、総合的に考えて創った振り付けに勝手なニュアンスが入ってしまうのは困るからでしょう。
ただし、振り覚えが悪いというのにももちろん限度があって、あくまで仕事として成り立たないほどに時間がかかる人は問題外。
加えて、早く振りを覚えれば、細かいところ、つなぎに神経がいくわけで、これは言うまでもありません。
まぁ、踊りだけを見せる場合とちょっと違う部分もあるバックダンサーなわけですが、ちょっと面白かったです。



12月25日(日)  不穏なパソコン

どうもパソコンの何かが変なのです。
まず、CDの録音が出来ない!
今までCDを入れれば出来ていたのに、ウンともスンとも言わなくなってしまった・・・。
(そのため、Y子が貸してくれたCDがまだ録音できない。ごめんなさいY子、もう少し貸して!)
録音どころか、CDもかからない。
どうなっちゃったの・・・(@_@;)と思っていたら、とうとうこの前から、パソコンが起動もしなくなってし まったのです。
真っ暗な画面を息を呑んで見つめること数十分、やがて不穏な空気と共に、ゆっくりと稼動したパソコンには 、「プログラムは、深刻なエラーから回復しました」
とのメッセージ。
「深刻な」っていったい!??(-_-;)
そして、私には意味不明な、
「ハードウェアアクセラレータ」がどうにかこうにかして、「クラッシュ」が 何とかかんとか・・・だそう です。
クラッシュって衝突だよね?
何かが、この中で衝突してるわけ??
そしてその後も、「深刻な」エラーというのが、たびたび起こるのです。
やばいよね?これって??
ちんぷんかんぷんながらも、やっと稼動したこの隙に今日のダイアリィは書いています。
この先、いつまた画面が真っ暗になってしまうかわからないので、明るいうちに書いてしまおう・・・!
この年末にこの怪しい雰囲気のパソコンで、ちょっぴりブルーな私であります。

さて、今日はカルチャークラスのM保が結婚して引っ越すために、ミニミニ送別会をしました。
スタジオで踊り始めて、もうすぐ4年、ということで、まだまだ続けて欲しかったけど、仕方ない。
彼女の新しい生活に、エールを送るとともに、また移動などで、来られることがあれば、いつでも来てくれる ように、実家に遊びに来る際などは、顔を見せてくれるように、待っていますよ!
出会いもあれば、別れもあり、また再会もあるのが人生。
来るもの拒まず、去るもの追わず、が鉄則のこの仕事ですが、やっぱりちょっぴり寂しいです。
4年なんてあっと言う間でしたが、その間に一歩ずつ成長してきたM保、また会える日を楽しみにしています 。

今日は、これから、友人のライブに出かけます。
今年も残り少なくなり、何かと気ぜわしいこの頃ですが、まだ火曜日クラスまでレッスンはあります。
踊り納めということで、火曜クラスの方、頑張ろうね〜!!(*^。^*)



12月26日(月)  クリスマスライブ

昨日は、友人のライブに行ってきました。
ミュージシャン5人と、ボーカル5人の計10人と、30人を超すお客さんが、決して広いとは言えないライブレストランに、ギュッと集い、熱気満々のステージでした。
クリスマスだったこともあり、クリスマスソングをいっぱい聞きました。
マイクスタンドとキーボード、ドラムなどの間のわずかなスペースで、タップを踏む軽い踊りもあり、なかなか楽しかったです。
今年は(って結構いつもだけど・・・)イブもクリスマスもちゃーんと仕事があり、世間のクリスマスフィーバーとはちょっと無縁のクリスマスでしたが、クリスマスソングを山ほど聴いて、やっとクリスマスであることを実感しました。(*^。^*)

そういえば、ウチの母親は、クリスチャンでありまして、(私は違うんだけど)クリスマスイブには、この寒いのに夜のミサがあるとかで、またこれが暖房が効かなくて寒〜い教会へ出かけていきました。
“クリスマスイブを教会で過すのもいいんじゃない?”くらいのノリで来たカップルなど、「素人さん?」も来ていて、神父様は上機嫌で張りきってお話しをされたとか・・・。

サンタさんが来ていた子供の頃も、どうもウチはあまりクリスマスというものには、やる気が今一つでして、だいたい私が鶏とかがあまり好きでなかったせいもありますが、いわゆるクリスマスディナーなどは食べた記憶がありません。
ケーキも3人家族で、一台買っても食べきれないでしょう・・という母親の決断で、あっても普通の一切れずつのケーキ。
今では、クリスチャンとして教会へ出かける母親なのですが、相変わらずイベントとしてのクリスマスには全く興味がないようです。

だいたい日本人は、イベント好きで、楽しければ、クリスマスだろうと、お正月だろうと、バレンタインだろうといいんですよね。(もちろん、デパートなどの商戦に踊らせられている部分もあるし・・・)
まぁ、私自身も、特に目くじらを立てることもないし、次はお正月を楽しみにしますか・・・。
ホントに今年もわずか。
どうも気ぜわしいわりに、何も準備していない私ですが、とりあえず部屋を何とかしないと・・・。(~_~;)



12月30日(金)  「女王の教室」

年末も押し詰まると、TV番組なども特別番組や、総集編、などが多くなります。
日頃、TVを見ることも多い私ですが、レッスンの関係上、連続ドラマなどをあまり見ていなかったりします 。
晦日の今日、7時間を超える長時間放送されていたのは、「女王の教室」。
放映していた事は知っていたのですが、その時は見ていなくて、何気に見たら面白いねぇ〜!
リアルタイムでご覧になっていた方は、“今頃何言ってんの?!”という感じでしょうけれど、やっと見まし たよ〜!
天海祐希の女教師もはまっているし、ありえないキャラクター?!はさておき、社会風刺的な要素も含み、評 判になっていたのがわかりました。
友達みたいな先生、友達みたいなお母さんが溢れる今の世の中で、やっぱり大人は舐められちゃいけないんだ !と自戒?!の意味も含め、舐められない凛とした大人にならなきゃな〜と思いました。
子供に限らず、人に迎合しないで、自分の信念を貫き通すことは容易じゃないけれど、そうした信念に基づく 自分自身に自信が持てる生き方のかっこよさをあらためて思いました。
明日も、どうやらまた長時間ぶち抜きで、今日の続きをやるみたいですが、片付けの合間を縫って(どうなる かしらん・・・(~_~;)また見たいなと思っています。
思えば、去年の大晦日は、日がな一日「踊る・・・」を見ていた私でした・・・。(^^ゞ



12月31日(土)  大晦日

とうとう2005年も暮れていきます。
どんな大晦日をお過ごしでしょうか?
今年一年、HPを見ていてくださった方、本当に有難うございました。
ダイアリィも(時々お休みしながらも・・・(^^ゞ)一年間また続ける事ができて嬉しく思っています。
健康で、レッスンが出来て、皆さんと楽しく踊ることができた事、一人ひとりの生徒の皆さんの成長、そして踊りへの情熱に本当に感謝しています。
私自身の踊りへの情熱をたやすことなく、自分の出来る限りのことを来年も熱く!燃やす覚悟ですので、どうぞ来年も、宜しくお願い致します。
それでは、皆様、よいお年をお迎え下さいませ〜!(*^。^*)



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