YUKO MASUMITSU JAZZ DANCE STUDIO

 2005年 5月


5月1日(日)  “福知山線脱線事故に感じるもの”

JR福知山線の脱線事故に対して、アメリカの新聞、ニューヨーカーは、
“日本以外、世界のどこでも「1分半」が、列車の遅れとされるところはない。今回の事故はそうした日本人の 精神性の招いた悲劇といえるのでは・・”
といった記事を載せたそうです。

事故後、事故の原因について、いろいろな背景等が取りざたされています。
直接の原因といわれる“運転手のスピードの出しすぎ”以外に、JR西日本が怠っていた安全管理面、脱線ガー ドの設置や、スピードをオーバーした時のコンピューター制御や、改善しなければならないことは、いろいろあ るのだと思います。
しかし、何故、運転手がスピードを出しすぎて、遅れを取り戻そうとしたかという点で、JR西日本の、安全管 理、「日勤教育」というシステムが、運転手の心理的なプレッシャーとしてあげられています。
今回の事故以前に、50秒の電車の遅れで、1時間ごとに計10枚の反省レポートを書かされ、責められたあげ く自殺してしまったという運転手の父親も、TVに出ていました。
私鉄との競合で、列車のダイヤの過密、そしてそのあげく求められるようになった、現場での、行き過ぎたまで の、教育という名の脅し。
考えてみれば、その影には、私達日本人すべてが、実は、無意識に期待し、求めていたこと、
「電車は、速く、時間に正確なもの」
という神話があって、そこに崩れがあった時に、緩みを許し受け入れる“余裕”がなくなっていることがあるの かもしれない、と思います。

“余裕”がなくなっている、というのは、実は今の日本人の全てについて、言えることなのかもしれない。
勤勉な働き者、時間に正確、そういった“頑張る”日本人のよい点が、一つ歯車が狂った時、また、他を受け入 れる余裕がなくなった時、大きな悲劇を招く。
“余裕がある”というのは、精神的に成熟しているということにつながる気がします。
そして、最近、新聞の紙面を占める様々な事件の原因の影には、実は、今の日本人の大きな問題点(もちろん私 自身を含め)は、戦後、速く〜速く〜と頑張って来過ぎたあげく、日本人がどこかへ置いてきてしまった、“精 神的な余裕”、本来心にあるべきスペースというものが関わっているのではないか・・・そんな風に思うのです 。
涙なくしては見られない、事故の犠牲者、遺族の映像を見るたび、心からご冥福をお祈りするとともに、(誰か を恨み、誰かに責任を取ってほしい、という気持ちはもっともですし、JR西日本のとるべき責任はもちろんな のですが、)どこかで、迫り来る、日本人というものの危機、を感じずにはいられない私です・・・。



5月2日(月)  “宮崎アニメと頑張る日本人”

宮崎監督の「ハウルの動く城」が、公開163日目にして、観客動員数1500万人を越え、同じく宮崎監督の「千と千尋の神隠し」に次いで、日本歴代2位を記録したということです。(ゴールデンウィーク中も公開が決まっているので、引き続き新記録の可能性もあり)
これは、単純に計算すると、日本人の8人に1人が見たことになる!そうで、実はこのお正月に私も見たので、(ダイアリィにも書いたけど・・覚えてないか・・・)私もその8人のうちの1人です。
もちろん、つまらなくはないし、感動もしたけど、そんなにヒットか・・・と正直言ってびっくりしました。

先日、TVで宮崎アニメの特集みたいな短い番組をやっていて、なんとなく見ていたら、彼のアニメに共通する想いとして、“逆境にあっても笑顔で頑張る人”へのエールというのがありました。
確かに、トトロのさつきは、入院したお母さんに甘えたいのに、妹のメイのため、よいお姉さんとして笑顔で頑張り、千と千尋の千尋は、両親が豚に変えられてしまい、不安で寂しいのに、湯屋で笑顔で働いて頑張り、ハウルのソフィーは、突然90歳のお婆さんに変えられてしまっても、元気に働いて頑張り・・・どの主人公もそんな笑顔で頑張る人になっています。
そして、そんな笑顔の影の、“誰かにわかってほしい”想いみたいなものが、“頑張る”日本人に受けるのかなぁ〜。

宮崎アニメについて書いたサイトを見ていたら、その“頑張り”が辛い、という意見がありました。
実は、私もちょっとそう思うのです。
(どの映画もおもしろいし、日本というものの描き方が素適だし、細部までよくできてるとは思うけど・・・)
特に、千と千尋の千尋なんて、いきなり異郷に紛れ込んで、大好きな両親が豚!に変えられ、たった一人で耐えるなんて、辛すぎる〜!と思いました。
千尋が、もらったおにぎりをほおばりながら、大粒の涙をこぼすところがあるのですが、大人になった私でさえ、その途方もない心細さに、涙がこぼれました。
それでも、宮崎アニメの主人公は、みんな弱音も吐かず、笑顔で頑張るのです。
ハウルのソフィーにしたって、突然90歳に変えられて、家を出て、誰も頼る人もいない、この先どうなるのかもわからない、真っ暗な状況で、前を向いて歩けることのものすごさ。
えらいな〜とは思っても、正直、共感が持てるか持てないか、といえば、難しいかも・・・。
言ってみれば、主人公イジメの「おしん」に通じる居心地の悪さ、辛さというか・・・?!
しかし、「おしん」にしても、宮崎アニメにしても、日本人には大うけする。
そんなものなのかな〜・・・、そんなに頑張らなくてもいい気もするんだけどなぁ〜・・・。(-。-)y-゜゜



5月4日(水)  “我慢しすぎは・・・”

以前、私は、「石灰沈着症」と診断され、急に来た肩の激痛が、一本の注射で嘘のようによくなったてん末を、 ダイアリィに書いたことがありました。
何と私の友人の一人は、その石灰沈着症で、左肩を手術したそうです。
「あれは、痛いよね〜」
と言いながら、その友人は激痛を2年も我慢してしまい、その結果、肩の三角筋を切って、石灰を出したとか・・・。
うわ〜!!(>_<)
もちろん入院し、リハビリもそれは大変で、努力家ならではの、努力で、手が上まで上がるようににはなったけれど、上げ た両手を上でつけることは、もうできないとのこと・・・。
再びうわ〜!!(>_<)
私は、あの痛み!!(私は有難いことに一日だけ・・・)を二年も我慢するほど、強くなくてよかったのかしら ん・・・。(~_~;)

何事も、我慢しすぎは、身体に毒。
友人は、周りの迷惑を考えると、家を空けられないと、先延ばししているうちに、ひどくしてしまった ようです。
身体だけでなく、精神的にも、自分さえ我慢すれば、と思い、いろいろなストレスをためてしまうタイプともいえ るのですが、(どちらかと言えば、同じA型体質?!の私、気持ちはとてもわかる気がします)溜めに溜めて 、それが沸点に達してしまうと、本人もそして、周りも大きく傷つくことになってしまう・・・。

私は若い頃、強引なタイプの人にどうも弱く、自分から寄っていって仲良くなったのに、波風を立てたくなくて 、イエスマンになり、結局最後には、そのワンマンぶりに私がキレてしまい・・・という苦い経験をしたことが ありました。
その時、その人に、
「そんな風に思ってたなら、何故その時言ってくれなかったの?」
と言われ、自分ながら、本当にそうだな〜と深く反省しました。
その時、これからは、なるべく自分が違うと思ったらそう言う勇気、イヤだと思ったら、はっきり断る勇気を培 いたいと心から思いました。
そして、そんな風に言える人間関係を創れる自分になりたい、と思いました。
それから何年(何十年??)もたった今、相変わらず、気が弱く、人の顔色を見るところもある私ですが、若い 頃よりは随分たくましく?!(ずうずうしく??)なることができた気もします。
世の中にはいろいろなタイプの、いろいろな人がいる。
考え方も感じ方も違う。
若い頃と違い、そんな個性、個人差が、少しだけ余裕を持って、楽しめるようになった気がします。

相手を思い、自分さえ我慢すれば、という自己犠牲も、身体の痛みを我慢しすぎることも、一歩行き過ぎると、悲劇を招いてしまう。
どうしたら、自分を幸せに、心地よくしてあげられるか、そのことを忘れずに、自分の身体も、心も、大切にし てあげる。
そして、みんなで幸せになれたらいいな〜と心から想う私です。



5月5日(木)  “検索!”

パソコンを使うようになったのもわりと最近(ホームページをやるようになってから)なら、そのパソコンで調 べたい事を検索する事ができるようになったのもわりと最近な、私です。
あれって、何だっけ・・・とか、ちょっとした情報をあっと言う間に手に出来るというのは、やはり、なかなか便利。
さてさて、実は、前もダイアリィに書こうと思って、「石灰沈着症」を検索していたら・・・。
私が欲しかった情報、ズバリ、石灰沈着症って何なの?とか、治療法とか、わかりやすいものがなかなかヒット せず、ツラツラと画面を見ていたのです。
その中にびっくりする文字が・・・。
“Yuko Masumitsu Jazz Dance Studio”
え〜!!これって?
何と、私が以前に書いた沈着症に関するダイアリィがヒットしたのでありました。
なんか。。。ちょっと恥ずかしいっていうか、不思議な気分。
こうやって、思いもかけず、どこのどなたかわからない方が、私の書いた文章を読んじゃったりするのかな〜? !(~_~;)



5月6日(金)  たのしい・わるぐち

去年、「負け犬の遠吠え」で一躍ブレイクした、エッセイスト酒井順子さんの本、私は、結構前から好きで、何冊か読んでいました。
彼女は、私とほぼ同年代、何かと共通する感覚も多く、いつもにやにやと楽しんでいます。
さて、その彼女の本で、「たのしい・わるくち」というのがあってしばらくぶりに読み返していたら、「慇懃無礼」という項目があって、またまた(前読んだときも、そういえばはまったけれど、忘れてた・・・)あまりにぴったりくるので、笑ってしまいました。

““そう、今の若者社会は、タメグチ社会でもあるのです。
出会ってから短期間でいかにタメグチをきけるようになるかが、世の中でスムーズで生活していくためのポイントとなる。
“別にそんなに親しい人でもないんだし、タメグチをきかなくたって・・・”
などと思っていると、熱い友情の輪から取り残されるばかりか、とんでもない誤解を受けてしまうことすらあるのです。
そんなタメグチ社会で、タメグチをきく技術を持たない者は、慇懃に、それも必要以上のヤケクソ慇懃になるしかありません。””

““「だよねー」とか「・・・じゃん」と話している人の輪の中で一人だけ、
「・・・ですよね」などと言っている自分に、ふと“私って、心の底からの本音を話さない冷たい人間って思われているのでは?”と不安になってみたりする。
だから、自分が好意を寄せている人から初めてタメグチをきかれたりすると、“あぁ、私も仲間に入れていただけたのかもしれない”と、ものすごく嬉しいのです。でも次の瞬間には我にかえってしまい、“ここでいきなり私までがタメグチききだしたら、「こいつ、ハシャいでやんの」などと思われてしまうのでは?”とついつい警戒。本当はタメグチで話したいのに、ふたたび、
「・・・ですよね」と言ってしまう、慇懃無礼者の悲しい性よ。””

あるある・・・!!(~o~)
私は、こう見えて?(生徒の皆さんにどう見えているかは、わかりませんが(~_~;))かなりの慇懃無礼者でもあるのです。
特に、あまり長くない付き合いの方に対して、どんな風にタメグチに切り替えるか、というのはいつもハラハラしながら迷ったりしています。
私の場合、仕事の時“生徒に対して”、というのは、あらたまった場や、怒った時(この、怒った時に丁寧口調になる、というのも、出てきて笑えた!!)以外は、スムーズにタメグチ口調になり、特に苦労もないのですが、プライベートでは、慇懃無礼者になりそうな自分を、またもう一つブレーキかけて、変なフレンドリー者?!になっていたりして、しかもそれを後から反省したりして、結構疲れます。
最近は、役割人格ではないけれど、先生である自分、フレンドリーインストラクター人格“YUKO”みたいなものに、素の自分を乗せることに慣れて、それをプライベートで、少し参考にして?、比較的ラクに、“フレンドリー”な自分に持っていくことができるようになった気がします。

しかし、酒井さんの視点、日常にある出来事をじっと観察し、かなり皮肉な切り口に、自虐ネタを賢く混ぜてのエッセイは、本当におもしろいと思います。
たまに、そこまで、見えちゃうと、人生も大変なんじゃないかな・・・と思えたり、例えば学生時代に彼女と同級生だったら、ここまで理性的にいろいろ見えて語れる(でもなかなか言わないだろうな〜)女の子と、果たして私は友達になれたかどうか、なんて考えてしまう私です・・・。



5月8日(日)  “yoshikoのバレエの発表会”

今日は、スタジオのyoshikoが、何とバレエの発表会で、シニヨン結って踊る!!というので見に行って きました。
私の他にも、カルチャークラスのメンバーが何人か応援にかけつけました。
yoshikoは、お嬢さんと二人で、夢の?!親子共演ということでしたが、一緒に踊るシーンはありません でした。(ちょっぴり残念?!)
私の個人的興味?だった、yoshikoのシニヨンは、舞台本番で見る前に、出演者全員が舞台上で記念写真 撮影をしているのに、遭遇してしまい、バッチリ目撃。
思ったより(ゴメン!)馴染んでたよ〜。(^.^)

しかしながら、開場の段取りが全くなく、(チケットがない発表会だったこともあり)舞台を見に来た人がどん どん客席に入ってしまい(私達もいいのかと思って入ってしまいました)、その後急に、“出演者、関係者以外 の方は、外に出てください!”とのアナウンス。
慌てて、ロビーに出て、皆と話していたら、いつのまにか、客席のドア前に長い列が出来ていて、かなり焦りま した。(開場時間前は、ロビー、客席に一律にお客さんを入れない方がいいかもね・・・)
開演ギリギリまで、ロビーを、出演者のプチバレリーナが出没していたのも、(子供のたくさん出る舞台の、内 情、大変さがわかるだけに)、ちょっぴりハラハラ・・・。(~_~;)

さて、肝心のyoshikoの踊り、お嬢さんの踊りも無事終了。
落ち着いてきちんと踊れていて、とてもよかったです!(お疲れ様でした)
大人になってから始めた方の、ポアント(トウシューズ)での踊りは、どこかハラハラドキドキしますが(@_ @;)、女の子なら一度は憧れる?バレリーナの気分満載の一生懸命さが伝わりました。
しかし、何と行っても、ちっちゃい子には、誰も勝てません。
出てきただけで、もう可愛くて可愛くて・・・・。
“アンオー中顔”(両手を楕円の形に上げた枠の中が、お顔でいっぱい)のプチプチバレリーナのあどけなさに 完全に参った私でした。
やっぱり舞台は、子供と動物には勝てない、と言うのは真実なのでした・・・。(^_^;)



5月9日(月)  “何でもあり”のジャズダンス

昨日、yoshikoのバレエの発表会に行って大変楽しかった私ですが、同じ踊りをやっているといっても、 私は、あのピンクタイツで、チュチュという衣装はちょっとカンベン・・・。
やはり、餅は餅屋ではないですが、シニヨンでピンクタイツで、チュチュが似合うのは、バレリーナならでは、 あれを着こなせるのは並大抵のことではありません。
身体の線を出す衣装ということでは、モダン・コンテンポラリーで、総タイツ姿で何度も舞台に立った私ですが 、バレリーナの友人によれば、彼女達は、かえって総タイツの方が抵抗があるそうで・・・。
そんなものなのでしょうか?

私としては、バレエテクニックと言う意味でも、見るものとしても、クラシックバレエには非常に興味も、憧れ もあるのですが、どうも、あのお姫様の世界は、苦手です。
まぁ、その辺こそが、私の勉強するべき点なのかもしれないので、精進を重ねる所存ではあるのですが・・・(^^ ゞ
惹かれると言えば、男性舞踏手のダイナミックな動き。
リフトさえできれば、男性バレリーナとして、クラシックデビューしちゃうのにな・・・(^.^)(冗談ですけど)

クラッシックバレエが、上へ上への憧れから来る動きが中心であることはいうまでもないのですが、ポアントは いて、まるで重力からフリーになったかのような、軽やかな動きが表現するものは、やはり“お姫様”系、穢れ のない若い女性や、妖精的なものに合っているといえるでしょう。
また、その少しハイリリース的な、背中の使い方も、女性ならではの、柔らかさや、気品を表現する。
一方、モダンダンスとして生まれた裸足の踊り、プリエや、コントラクションで表現されるものは、現実の女、 苦しみや、葛藤をより表現する。
そして、私がとらえるジャズダンス、私が思うジャズというのは、文字通り、“何でもあり”。
いろんなジャンルのいろんな表現の仕方、いろいろな音楽、いろいろな人間(必要とあれば、お姫様も、男性( 男振り)も、若いのも、年寄りも・・・)或いは、人間じゃない抽象的なものも、全てをひっくるめた踊りなの であります・・・。

さて、先日、ビデオに録っていた“ローザンヌ”を時間を見つけてちらちらと見始めました。
まだ、全部を見てないのですが、あの“コンテンポラリー”、テクニックの問題じゃなくて、感性の問題だねぇ 〜。
抽象的なものを表現できるかどうか、というのは、音の感じ方、間合いに自分の感情(もちろん、悲しいとか楽 しいとかの生の感情じゃなくて、何もない空間に何かを見ることができるか、というか・・・)が乗せられるか 、などの感性。
まぁ、この話しは全部を見てから、また機会があれば書きましょう・・・。



5月10日(火)  “世にも恐ろしい” 生徒さんの話し

今日、たまたま全然別の二人のバレエの先生から、“世にも恐ろしい?!”生徒さんの話しを聞いてしまいました。
恐ろしいといっても、別に、目つきが怖いとか、霊がついている、とかそんな人ではありません。
そのどちらも、どこにでもいそうな普通の人々・・・・。

朝、レッスン前にMちゃんとお茶していて、レッスン中に生徒さんに怪我とかされると怖いよね〜という話しになりました。
「そういえば、私の友達の先生なんか、それで大変な目にあったんだよ」
「え〜どんな?」
話しによれば、その先生は、発表会をすることになっていて、いつものように大人のクラスの普通のレッスンを始めようとしていたそうです。
クラッシックのレッスンは、バーにつかまってレッスンをするところから始まるので、生徒さんが何人かで、移動式のバーをスタジオに準備していたそうです。
すると、その中の一人が誤って、バーを足の上に落とし、怪我をしてしまった!
危ない事故ですが、全くないとは言い切れない本当のアクシデントです。
ところが、その怪我をした生徒さんが、恐ろしい人だった・・・・。
なんと、“スタジオでの怪我の責任は、先生にある”と、発表会に出られなくなったその生徒さんは、発表会費の返還と慰謝料を求めてきたんだそうです。

「え〜それはただ、不注意だった自分が悪いんじゃん!!」
と思わず私。
だいたいどこのスタジオでもそうだと思いますが、発表会費というのは、発表会にかかるお金を、出演者の頭割りにして計算するので、途中でキャンセルになると、お金が足りなくなってしまうので、原則的に、本人の都合で出ないときは、お金は返さないという決まりにしている。
結局、話しはもつれ、間に弁護士さんを立て、慰謝料は払えないけれど、発表会費を慰謝料代わりに返すということになったらしい・・・。
ぐえ〜っ!!怖すぎる!!

もう一人の怖〜い人は、Y先生の生徒さん(だった人?!)。
先日の5日に、合同の地域の発表会があったY先生。
「どうですか?上手くいきました?」
と尋ねたら、
「それがね・・・」
と話してくれたことによれば、発表会当日、待てどくらせど、出演者の一人(21歳の大学生)が現れない。
「え〜っ!!ドタキャン!!??(ドタンバキャンセルのこと)」
結局、急きょ位置や段取りを変え、とりあえず本番は無事終わったそうですが、その生徒さんはそれっきり何にも言ってこないんだそうです。
「何か、気に入らないことでもあったんでしょ!」
と吐き捨てるようにY先生。
「もう辞めちゃったってことですかねぇ?」
「そりゃそうでしょ。でも、これでもう近所を顔をあげて歩けないわよ」
いくら気に入らないことがあろうと、辞めるつもりだろうと、本番のドタキャンはありえない!!
嘘でもなんでも、理由つけて、辞めればいいものを・・・・。
踊りの世界でなくても、一般常識として、ありえない!!と私は思うのですが・・・。

普通の顔して、普通の人々の間に、“世にも恐ろしい”生徒さんは、こうして潜んでいるらしい。
怖い、怖い・・・。



5月11日(水)  “ローザンヌコンクール”

先日、ちょっと書いたけれど、バレエのローザンヌコンクール、ビデオを撮っていたので、暇を見つけてはちょ こちょこ見ていました。
最近は、出演者のほとんどが、アジア出身者ですね・・・。
韓国、中国、日本、そしてウクライナといった国からのダンサー。
しかし、今の人は、皆スタイルはいい!!
日本人も、頭が小さくて、その昔、解説のベッシーさんに“頭が大きいですね!”と切って捨てられた頃のよう なことはありません・・・。(~_~;)

クラッシックのバリエーションは、皆なかなかテクニックもあり、それなりに頑張っていていいと思うのですが 、私としては、コンテンポラリーを見ると、頭を抱えてしまう。
振り付けにも大いに問題はあると思うけれど、踊る人間に、何の感性も感じられない、これって踊りなの?とい う動き、(ただしものすごい身体能力だとは思うけれど)ぺったりした、ただのカウント踊り・・・。
呼吸や、間の使い方、抽象的なものへのイメージ力、と言えば、そういうことなのかもしれないし、解説の方が 言うように、“もっと個性を表現して”と言えば、そうなのかもしれないけど、もうこうなる感性のない人に、 何を言っても、ダメな気がしてなりません。
ですから、指導者は、できるだけ、ボロが出ないような作品を選び、外側からでも修正を加えてあげる事が大事 でしょうね。
なかには、何人か、ちゃんと何かを見て、感じて踊れている人もいたのですが・・・。

そして、フリー。
これこそ、本当に指導者の問題な気がします。
いつも思うけれど、何でこんなのを踊らされちゃうの??というような目に合っている参加者が、たくさんいま す。
踊る人のよい所を引き出して、最もその人らしいアピールをするべきところで、それができていないばかりか、 かえって弱点、何にもない、ということを暴露してしまうような作品を踊らせてどうするんだろう??
今回は、ほとんどが、コンテンポラリー系ということでしたが、クラッシックの人がコンテンポラリーと思って いる?!ジャンルへの研究、身体を極限まで使うということに関しては、なかなかの進歩だと思うし、本当に何 人かは、いいものを出せていたとは思うけれど、やはりイメージ力、感性、特に音の感じ方、という点で、クラ シックの指導者、そして踊り手本人に“動き”ではない、“踊り”というものをもっと追求して欲しいと思いま した。
一人、ウクライナの男性、くまばちの踊りをやった子は、踊りを見せるということに関して、もうプロ的なもの を持っていたし、あの作品はなかなかおもしろかったけど・・・。

まぁ、はっきり言って、言うのは簡単だし、自由なわけで、本当に一視聴者として、コンクールを見た感想なん ですが、最近のローザンヌはあんまりおもしろくない・・・。
わっ、この子すごい!!という参加者が出てこないと、やはりこういうものはつまらないわけで・・・。
そう言って、文句言い、言い、見るのがまた好きなんだけどね・・・。(^.^)



5月12日(木)  “イラクでの日本人人質事件”

日本人がまたイラクで人質になりました。
そして、その方は、何と、もとフランス外人部隊にいたということ!!フランス外人部隊ですよ!!
日本人で、フランス外人部隊に入隊して、しかも優秀な上等下士官として二十一年も在籍した人なんかが実際にいるなんて知らなかった・・・。
こんな場合、ご家族や関係者には、非常に不謹慎ですが、傭兵という言葉も、まるで大沢在昌の小説じゃないだから・・・!!という感じで私にとっては非現実的・・・。
(ちなみに、フランス外人部隊は、ただ外国人を受け入れるというだけで、ちゃんとした正規の国家の軍隊なので、傭兵という言葉はあまりあてはまらないらしい・・・)
しかし、現実には、軍隊のない日本において、軍隊に憧れ、自衛隊を経て、外国の軍隊に入りたいと思う人はたくさんいるらしく、どうも、その中には、志願兵として短期に“〜開放前線”みたいの入り、そういうのはまともに給料も支払ってもらえないため、帰国してバイトしては、また戦争に行くという人もいるんだそうです。
私には全く理解できない!!
しかも、そういった元傭兵という人には、戦地でのリスクを運よく潜り抜け、帰国したのちにも、結局現実の日本社会に適応できずにいる人が少なくないそうで・・・。

フランス外人部隊は、その倍率は何と7倍だそうで、まずは入隊試験に合格すること、そしてその後、それは厳しい訓練、規律にすぐに除隊する人も多く、その中で長年、能力を発揮した今回の齋藤さんは、かなりの実力者であったのだと思われます。
でも戦争に行くのが、仕事、しかもせっかく徴兵制のない日本に生まれながら、軍人になりたいと思う気持ちは私にはわからない・・・。
売春婦と同じく、最も古くからある商売と言われるのが、傭兵だそうで、どちらも自分の身体を切り売りするようなもの・・・。
自らその仕事を選ぶ背景にどんな想いがあるのか・・・。

確かに、自衛隊かぶれの若者や、傭兵に憧れる人の中には(実際にフランス外人部隊に入り、脱走した?!(~_~;)という人のホームページなどをちらっと見ましたが)にはどこか現実感にかけたところ、戦争を美化し、自分の能力を過信し、それに酔うような傾向が見られるような気がします。
今回の齋藤さんは、そういったファッションで戦争に憧れる若者にはない、実績や、実際長年そこで生きてきた重い体験もいろいろあるのでしょうが・・・。
自分の身一つで、実力、強さを発揮できるというのが、ある種、男のロマンなのでしょうか??
しかし、かなり強いと思われる齋藤さんでさえ、今回のこの人質事件・・・。
これが、小説の中なら、どんなに怪我をしていようが、監視を突破し、自力で逃れることになっているんですが・・・・。



5月13日(金)  シューベルト「鱒」

先日治療院でマッサージを受けている間中、バックミュージックで流れていたのが、シューベルト作曲ピアノ五重奏曲、「鱒」。
実は、私はこの曲には思い出があって、幼い頃、眠れない時には、いつもこの曲のレコード(昔なので・・・(^^ゞ)をかけてもらっていました。
もともとは、歌曲として作曲されたこの曲は、その二年後、その旋律をもとにピアノ五重奏に編曲されました。
幼い頃の母の説明によれば、鱒が最後には釣られちゃう歌!?(~_~;)そうで、そう思って聴くと、この五重奏曲も、何だか鱒がぴちぴち跳ねて、つかまっちゃうような感じがして、かわいそうでもあったのですが、何故いつのまにか眠くなる。
たぶん、条件反射だったんでしょう・・・。
(ちなみに、シューベルトの歌曲と言って有名なのが、「魔王」(詞はゲーテ)。
楽曲的には素晴らしいんだろうけど、あの歌は、子供には怖い。
「お父さん、魔王が・・・」と怖がっているのに、信じないから、最後には「子は既に息絶えぬ」って死んじゃうわけ〜??!!
何かの時、子供の頃この歌を聞いて、ゾ〜ッとした事を覚えています。)

シューベルトは、わずか31歳でこの世を去っています。
あまり大っぴらには言われませんが、彼は25歳以降、性病「梅毒」(若い頃に小間使いと関係したことが原因と言われる)を患っていました。
現在なら治療できるこの性病も、当時は回復不能、しかも最後は脳をやられる死病であり、死と孤独、そして周りを取り巻く友人達への人間愛、そうしたものを崖っぷちで見つめながらの作曲活動だった、とのこと。
しかも、当時の梅毒への唯一の治療は、何と人体に有害な水銀中毒を作り出すことで、(毒をもって毒を制す)その治療の苦しさは激しいもの、彼の最後も、梅毒よりも、むしろこの水銀中毒が直接的原因だったという説もあるほどです。
一生独身で、死をみつめながら、彼が作り出した様々な美しい旋律は、現在にまで残り、多くの人の心を打ちます。
神様が彼に与えた音楽という才能、そして後世に残る作品の数々に触れると、限りある人間の命、その中で精一杯生きるという人間の宿命を想ってしまったりするのです・・・。

さて、治療院で私が聞いていた「鱒」ですが・・・。
条件反射というのはスゴイもので、やがて私は眠くなってしまいました。(~o~)



5月14日(土)  “ハイソなお子様たち”

夕方、仕事へ行こうと電車に乗ったら、小学生の一団が、ワーッと乗ってきました。
うるさいのなんのって・・・。(>_<)
どうも私立のいい学校の児童らしく、制服着て、女の子が一人、男の子がたくさん・・・。
仕方なく、ぼーっと彼らの会話を聞いていました。(っていうか、あまりに通る声なので、聞きたくなくても聞 こえちゃう・・・(~_~;))
すると、どういう流れだったか?急に一人の子が、「「僕は来月、フランスへ行こうと思っている」、ハイ英語 で何ていうか?」と質問。
女の子が、キンキンと通る声で、
「そんなの簡単!!I’m thinking about going to France next m onth.」
ほーっ・・・・(@_@;)
その発音のいいこと、といったら・・・。
かろうじて、聞き取れたけど(~_~;)、ホント、ネィティブの発音です。
○バキッズ、とかそういうのに行ってるのかな・・と思って、おもしろいからそのまま聞いてたら、
「私の家に来てる先生は、ニュージーランド人なんだよ、ニュージーランドは英語なんだから、知らないんでし ょう?」
ときた・・・。
子供は、耳がいいし、物怖じしないし、照れないから、英会話なんかもどんどん上達するんでしょうね。
周りの男の子は、最初のうちは、「じゃぁ、これは?」
とか、質問を投げかけていたけれど、そのうち飽きたようで、男の子同士で違う話しになった様子。
一方、女の子は、まだまだ知識を披露したいようだったけど、相手になる子がいないので、つまらなそうです。
やれやれ・・・。
頭もよさそうだし、英語ペラペラだし、男の子もかなわない、といった感じだったけど、友達いるのかな?
電車通学だと、近所で皆で遊ぶ、なんてこともないだろうしねぇ・・・。
公立の小学校で、放課後は、缶蹴り、ドロけん(地域によっては、ドロ警と言ってたらしいけど、私は何故かド ロけんと言ってたよ)、ゴムだん、と外で毎日遊んでいた私の子供時代とは、全くかけ離れたお子様達。
でも、私は、早くから英語習って、将来バイリンガルで活躍しなくても、自分のあの子供時代に満足しています です、ハイ。



5月15日(日)  “Jとのランチ”

今日は、昨年結婚し、もうすぐ出産予定のJと久しぶりにお昼を食べました。
彼女は、スタジオの創立にあたり、また最初の公演にあたっても数々の力を発揮してくれた最古参のメンバーの 一人であり、最近まで舞台でも中心となって活躍していました。
昨年の結婚式では、何とこの私が、新婦側の主賓!!として招待され、初めてのスピーチで大汗をかいたのは、 前にダイアリィに書いた通りであります・・・。(^^ゞ
お腹の方も順調、彼女も元気そうで、ほっとしました。
まだ産まれてもいないのに、出産後、子連れでどのクラスに復帰しようかな、などと語るJ。(まぁいざ赤ちゃ んが出てこないと、いつ実現するかはわからないけれど・・・と言ってましたが・・・(^^ゞ)

日曜のカルチャークラスからスタートしたスタジオも、10年を越え、その間にメンバーの顔ぶれも変わりまし た。(もちろんずっと続けている人もいますが・・・)
数えきれないくらいの人と出会い、踊りを通じて心を交わし、またその道が分かれていくこともありました。
“来るもの拒まず、去るもの追わず”でないと、やっていけない仕事であることは承知していても、そこは私も 人間であり、辛い思いをしたこともあります。
しかし、同時に、いつのまにか、踊りを通じて、私の近くを歩いている人に気付く・・・。
いったい何で私が、この仕事についたのか、続けているのか、向いているのかわからないけれど、私が投げ続け ている球を、誰かが必ず受けとめている。
不思議です。

長年、子供にジャズを教えているJとも話したのですが、外から見ていて、“たぶん、続かないだろうな?!” と思う人に限って、実は、踊りにはまり、思いもかけず長く続けたりするものです。
“人ってわからないな、と思いました”というのはJの弁ですが、私は、おそらくその本人にも、何故自分が踊 りにはまったのかは、わからないのかもしれない、と思います。
心にあるどこかの穴に、私が投げた球がバシッとはまる、そんな瞬間のために、私は教えを続けているのかもし れません・・・・。(-。-)y-゜゜゜



5月16日(月)  “液晶公害”

昨今は、街に出ると、あちこちに液晶画面があふれています。
昔なら、看板、その後なら、ネオンサインがあったところに、今では大きな液晶画面で、次から次へと映像が流 れる・・・。
特に見たくなくても、いつのまにか何となく目がいって、ぼーっと見てしまっていたりすることもよくあります 。
喫茶店や、ファミリーレストランでも、そう。
電車に乗っても、JR山手線なんかは、ずっといろいろな情報が液晶から流されている・・・。
(もちろん、自分の携帯でゲームの画面を見ている人もたくさん。私はしないけど、まぁそれは好き好きか・・ ・)
前にTVでやっていたのは、サンドイッチマンならぬ、液晶画面をしょった人間による宣伝。
技術の進歩とともに、画面はどんどん薄く軽くなり、きっとコストもどんどん下がっているからなのでしょうか ?
様々な騒音、音の公害、垂れ流しも気になるけれど、画面の公害、垂れ流しもなかなかのもので、気がつくと目 が疲れ、神経も何となく逆立っている気がします。
欲しくないのに一方的に押し付けられる情報の嵐に、都会の人間は、いつのまにかやられているのかもしれませ ん。

今日も、いつもレッスン後に皆でお茶を飲むチェーンのカフェが改装され、大きな画面が入っていました。
BGMもかなりのボリュームで流れ、(このBGMというのも私はあんまり好きじゃない・・・。つい気になっ て疲れちゃうんだもん!)しかも、そのBGMと違う曲のプロモーションビデオが、画面には流れていました。
やれやれ・・・。
休まらないったら・・・。(>_<)
ありあまる刺激で、現代人の感性はいずれ、麻痺するに違いない!

何てことをぼーっと考えていたら、現代において最も目立つCMを思いついた!!
“画面は真っ暗、あれっTVが壊れたかな?と思う視聴者。もちろん無音。最後の最後に企業名だけすっと出す ”
どうかな?
が、間髪を入れず、“企業名出る前に、皆チャンネル変えちゃうよ”と言われました、それもそっか・・・。(^^ ゞ



5月17日(火)  大きな子供

キムタクの月9ドラマ、「エンジン」、初回を見逃したのですが、その後見るようになったら、これがハマってます。§^。^§
もともと、キムタク、結構好きなんだけど、今回は風の丘ホームの施設の子供達たくさんと、落ちこぼれレーサーであるキムタクの触れ合い。
子供ってホントにおもしろい。
キムタクは、いわば一番大きな子供で、常識的な大人の中で夢を追う、その自然児ぶりが、子供の心をつかむ、という狙いに見事にハマっている私(ハマり易い、チョロい視聴者?!)です。

いや〜それにしても、子供の心をつかもうと画策するよりも、つくらない素であたっていくのが一番であるのは事実だと思います。
はっきり言って、そんなに子供好きと言うわけではない私なのですが、自分が子供の頃から妙に小さい子に好かれ、遊ばれる?方でした。
大人になっても、わりと友人の子なんかと友達になってしまう方。(最近は、体力がついていかない・・・(>_<))
たぶん、私が子供だからなんだと思う。
遊んでいる分にはいいけれど、これが、ダンスを教えなくてはいけないとなると、それなりに考えなくてはいけないわけですが、私はわりと素のまま来た方だと思います。
大人に対するのと変わりなく、人間対人間、という感じで真剣に話せば、ある程度の年齢の子ならちゃんと理解してくれる。

結構前のことになりますが、私が、風邪をひいたか何だかで熱があって、かなり具合が悪い状態で子供のクラスのレッスンをした時があります。
その頃のクラスの子は、かなりやんちゃぞろいで、ほっておくと、おしゃべりも多く、こんな状態では大きな声も出ないし、困ったなと思っていました。
仕方なく、最初にクラスの子供達に、
「ちょっと先生は、今日具合悪いから、皆いい子でお願い!!」
とお願いしました。
子供達は、「えーっ、大丈夫?」とか、
「無理〜!!」とか言ってはいたのですが、いつもより静かで、覚えも早く、(たぶん私を心配してくれたのか)、無事レッスンは終わりました。
正直に言ってよかったと思いました。

本当は、私はシーンと静まり返って黙々とレッスンをする、という真面目な雰囲気よりも、会話のある楽しいクラスが好きなので(限度があるけどね!(^^ゞ)、子供のおしゃべりも楽しくてつい、
「えっ、それって何?」
とか割り込んでしまう方。
そして、いっしょに真剣にやる時はやる。
しかし、今のクラスの子たちは、皆お行儀が良くて、私語も少なく、やんちゃな子供にあまり会いません。
それとも、私が大人の顔になっちゃって、仲間に入れてもらえていないのかしら・・・。
ちょっぴり、寂しいこの頃です。(:_;)



5月18日(水)  “ピアノマン”

“ピアノマン”のニュース、ご存知ですか?
今朝、TVを見ていたら、何とも不思議な話。
先月、イギリスの海岸で、嵐の夜、ずぶぬれのタキシード姿で保護された20〜30代の男性。
言葉を一言も発せず、未だ身元が分からないのですが、名前を書いてもらおうと、紙と筆記具を渡すと、精巧な ピアノの絵とスウェーデンの国旗を描いたそうです。
そして、ピアノのある礼拝堂に連れて行くと、突然くつろいだ様子を見せ、長時間クラシックをプロ級の腕前で 弾きつづけた、とのこと・・・。
それ以来、彼は、“ピアノマン”と呼ばれているそうですが、ピアノを弾いていない時は、何かに脅えたような 様子を見せているそうです。

何かのお話のようではありませんか!!
ピアノマンは、もちろん才能のあるピアニスト、コンサートのあったある晩、国際的な恐ろしい陰謀の何かを見 てしまう!
そして、その組織の策略により、脅されてイギリス沿海で海に投げ込まれてしまう。
そのショックで、記憶をなくし、命からがら、とぼとぼ歩いているところを保護されたのかも!?
やはり事実は小説よりも奇なり!であります。

しかし、彼の写真を見ると、なかなかハンサムなのですが、本当に心細い、不安と脅えの表情で、どこかで見た ・・・と思ったら、拉致被害者の横田めぐみさんの、北朝鮮での、拉致一年後くらいの写真を思い出しました。
横田さんのお母さんは、あの写真を見て、不憫で泣いてしまったと語っていましたが、ウチの母も、あの写真を 見た時、可哀想だと涙をこぼしていました。
自分はどうなるんだろう・・・という心もとない気持ち、そして必死で涙をこらえる表情にちょっと似ている・ ・・。
当人にとっては、お話どころではない、現実の苦しさなのであり、彼の身元が早くわかるように、そしてもしか したら思い出すと危険な事なのかもしれないし、思い出したくない辛い事が隠れているのかもしれないけれど、 彼が、心から微笑んで、ピアノに向かえるように・・・と思います。

ちなみに、このニュースに、“新進ピアニストの売り出し策なんじゃないの”とひねくれた?コメントをした人 がいましたが、私としては、万が一そうだとしたら、あの表情を出せる彼は、一流の役者になれる?!と思って しまいます。(-。-)y-゜゜゜



5月19日(木)  「凍れる牙」

私は、結構、本の中毒で、読む本がなくなると、前に読んだ本を引っ張り出しては、反芻します。
時間がたつと、読み飛ばしたミステリー、(よく出来ている作品に限りますが・・・)なんかは、伏線や、細か い点を見事に忘れてたり?!、前とは違った見方や、違ったところが面白かったりして、何度でも楽しめます。
最近、読み返したのは、乃南アサ著“凍れる牙”。
直木賞受賞作なので、読んだ方も多いと思うけど、数年前に読んだ時とはまた違う新たな面白さが、いろいろあ りました。

主人公音道貴子は、警視庁機動捜査隊の一員、ファミリーレストランで突然炎上した男の殺人事件を、叩き上げ で完全なる女性蔑視の中年刑事滝沢とコンビを組んで捜査していきます。
一見、クールでそつがなく、男社会の中で闘う音道と、オヤジを絵に描いたような中年男滝沢の、互いの胸の内 を交互に描きながら、二人がだんだん心を通わせる様も素晴らしいし、登場するオオカミ犬(狼と犬を掛け合わ せた)の野生の迫力に惹かれます。
実は、前に読んだ時は、かなりの“犬恐怖症”だった私は、殺人犬オオカミ犬の描写も、恐ろしいだけでした。
ところが、最近は、犬を飼う友人の所で、ピットと友達になれて、それをきっかけに、大分“犬”というものが 怖くなくなってきました。
先日も、ある友人の所で、シェパードに出会い、大型犬の魅力というものを少しだけわかった気がしていたので 、思い立って、この本をもう一度読んでみたのです。

人間に飼われるのが自然なように作られた愛玩犬と違い、野生の部分を残した大型の犬には、簡単に人間に気を 許さない代わりに、強さ、気高さ、用心深さ、自我というもの、がはっきりしているようです。
そして、この本に出てくる、オオカミ犬は、その最たるもので、孤高の美しさがある。
また、自分の意志で一度信用した人間に対する一途さには、本当に心を打たれます。
音道は、もと白バイで、“トカゲ”と呼ばれるオートバイを操って犯人を追いかける特殊任務があるのですが、 オオカミ犬“疾風”を追って、二人が夜の東京を駆けるシーンは、心が熱くなりました。
やっぱりちょっとは怖いけど、オオカミ犬に一度会ってみたい。
結末は、本当に切ないところもあるけれど、前とはまた違った意味でまた楽しめました。



5月20日(金)  アンデルセン生誕200年

今年は、アンデルセン生誕200年、ということです。
22日から、NHKでは“雪の女王”をアニメ化して放映するそうです。

アンデルセンと言えば、私にも想い出深いものがあります。
子供の頃、家にアンデルセンの童話集があって、数々の童話を読みました。
が・・・ご存知の通り、はっきり言って、アンデルセン童話というのは実は、かなり暗い作品、やりきれない結末のものが多く、決して子供向けとは言えないものも多いのです。
ディズニー映画や、子供向けに書き直されたものでは、大幅にアレンジされて、ハッピーエンドになっていたりしますが・・・。
例えば、「人魚姫」なんかは、王子は、別のお姫さまに心を奪われ、王子の心臓を刺せば命が助かると知りながら、泡となって消えていくことを選ぶ話・・・。
映画化され、その映画に影響を受けたダンサーも多い「赤い靴」。
一度履いてしまった赤い靴は、勝手に踊り続けどうやっても脱げない、首切り役人に足ごと切ってもらって、教会で息をひきとる主人公・・・とそれはそれは怖い話。
「マッチ売りの少女」に至っては、寒さと空腹の中で、売り物のマッチをすって夢を見ながら、亡くなっていく少女。
辛い・・・辛すぎる・・・。(T_T)
しかし、そのイメージはとても強烈であり、子供の心にも真っ直ぐに飛び込んでくるものでした。
最近では、その原作を大人向けにあらためて紹介した本や、心理学的に各作品を分析したものや、アンデルセン自身の生涯や、思想になぞらえて裏事情を書いたものや、いろいろな本が出ています。
また、結末を全く変えたり、題材にした様々な映画、演劇作品も数多い。
それだけ、多くの人に、イメージや創作意欲を刺激するものを与えるということ、そして200年にわたり各国で語り継がれるということは、やはり、恐るべしアンデルセン作品の底力、ということなのかもしれません。

さて、そんなアンデルセン作品の中でも、私が特に印象に残っていたのは、“雪の女王”なわけです。
3回めの公演で、題材に取り上げて創った“鏡の破片ーカイとゲルダ”は、子供の頃に受けた鮮烈な印象によるものだと思います。
鏡の破片が目に刺さるという、鋭くて体感を促すようなイメージ、そしてそのために人が変わったようにひねくれてしまう少年、という導入だけでも、やはり並のものではない気がします・・・。(-。-)y-゜゜゜
(ちなみに、NHKのアニメでは、ゲルダの成長、冒険物語となるようです。)



5月21日(土)  “ピアノマン”その後と、誰ピカ

謎のピアニスト、“ピアノマン”に情報1000件!!
以前、身元割れず!ですって!!(ダイアリィの“ピアノマン”を参照)
当初から、あまりにセンセーショナルな話題に俄然興味を持った私は、その後もニュースをチェックしているの ですが、イタリアで大道芸人だったと相棒が名乗り出たが、これは人違い、カナダで刑務所から行方不明になっ た男性だとか、ロンドンに留学していたスウェーデン人だとか、その後も情報が錯綜、以前真実は明らかになっ ていないそうです。
医師団(医師団がついちゃっているらしい・・・(~_~;))は、言葉を喋らない彼に、病室にアップライト(タテ 型のピアノ)を導入し、音楽療法、絵画療法を試みているということです。

あるワイドショーでは、近日日本でも公開される「ラベンダーの咲く庭で」という映画が、二人静かに暮らす老 婦人のもとに記憶喪失の青年(ただし、こちらはバイオリンニスト)が訪れるというストーリーのため、この映 画の前宣伝なんじゃないか、という説を紹介してました。
万が一、これが、そんなヤラセなんだとしたら、つまんなすぎるよ〜!!(:_;)
真相が早く知りたくもあり、(もちろん彼のためには身元がわかった方がいいに決まっているのですが)インチ キということがばれるくらいなら、ミステリーのままであってほしいとさえ、願う私なのでした・・・。

さて、ピアノマンとは何の関係もないのですが、昨日「たけしの誰でもピカソ」にバレリーナの康村和恵さんが 、シルビア・グラブの歌で、熊哲の振り付けで踊ってましたね。(今朝、早速ルリママと話したのですが)
康村さんの肉体の素晴らしさは、言うまでもないのですが、熊哲のあの振り付けは、かなりいただけない(>_<)と 思ったのですが・・・。
踊りの素人である我が母親でさえ、「曲に全然合ってないわねぇ〜」の一言・・・。(-_-;)
ゆったりとした歌のイメージを、全く感じさせない?!(~_~;)振り数の多さと、妙なところで、歌い手によって かける、あの間は、いったい???
やれやれ・・・。
その後、登場した、正規の音楽教育を受けていないスーパーボーカリスト、ラッセル・ワトソンという人、これ は素晴らしい!
もともと英国の工場で働いていた彼は、ポップスをクラブで歌っていたそうですが、リクエストされたオペラを 始めて歌い、そのあまりの美声、表現力を発掘されたそうです。
背も高く、足も長く、甘いマスク、そして、ポップスもオペラも完璧に歌いこなす実力に参りました。
母親は、早速手近にあった紙に、名前をメモしていました。
あの番組は、金曜クラスが終わって、運がよければ見れる、という時間帯なのですが、たまに見るとすごい人に 出会えるな〜。(^.^)



5月22日(日)  本の映画化

六月に公開予定の、最近CMも流れている映画、「四日間の奇蹟」。
主演は、吉岡秀隆で、監督は、「半落ち」の佐々部監督だそうですが、実は“このミス”(このミステリーがす ごい)大賞をとったこの原作は、前に読みました。
最初の導入のドラマティックさに比べ、後半ちょっとダレルのですが、それなりの感動、そして何よりも私にと って、この原作の素晴らしさは、音楽をよくあそこまで言葉で表現したな〜ということでした。
どんなに素適な音色、響き、なんだろう、聞いてみたい!!と思わせるところがスゴイのであって、そもそも映 画化なんかして、実際に音楽が流れちゃったら、あんまり意味がない気がして・・・。

そして、このダイアリィにも書いた、「博士の愛した数式」も映画化されたそうで、主演は、それこそ「半落ち 」をやった寺尾聡だって!!
いったいどんな風になるのか、ちょっと興味はあるけれど、数学嫌いの私にさえ、なんか数学って不思議で楽し いと思わせる、肝心の数式の世界への誘いが、映画でどうなるのかな??

去年公開された映画、「ハサミ男」。
実は、これも私がかなり面白いと思ったミステリー、「ハサミ男」が原作で、豊川悦司、麻生久美子が主演でし た。(私は、見てません。)
このミステリーは、サイコキラー、ハサミ男が主人公なのですが、叙述トリックものと言われる、(ネタばらし になっちゃうけど)語り手の「私」が犯人で、しかも多重人格で、その犯人「ハサミ男」は女性だったというこ とが最後になってわかる、という凝ったつくりがミソなのです。
(多重人格は、すぐわかったけれど)その「私」が、まさか女性だったとは!!という驚きが面白くて、もう一 度、最初からそのつもりで読み直した位でした。
それを、映像でどう料理したんだか知らないけれど、あんまり見たいとは思わなかった・・・。

どうも最近の邦画は、ベストセラーになるとすぐそれを原作に映画に・・・というのが多すぎる気がします。
私は、文字を通して、浮かび上がる世界だからこそいい!というのもあると思うのですが・・・。

さて、友人から借りた、直木賞をとったやはりベストセラー、「空中ブランコ」と、その続編「イン・ザ・プー ル」(続編の方は、まだ読んでませんが、是非読みたい)が、相次いで、それぞれ、TV化、映画化されるよう です。
破天荒な精神科医が主人公の「空中ブランコ」は、こんな人に会ってみたいと思ったし、現代人の心の病巣をち ゃかしつつ、でも、暖かい心で描いた素適な作品でした。
TVのドラマ、「空中ブランコ」は、阿部寛が主演するらしいけれど、さてどんな出来でしょう?
こういう感じの小説なら、ドラマ化自体はあり!だと思うので、時間が合えば見てみようかな・・・。(^.^)



5月23日(月)  ピアノマンと、「無伴奏ーシャコンヌ」

しつこすぎて申し訳ないのですが、またまた“ピアノマン”。
新聞のコラムに書かれていたのですが、あの若者は、映画「シャイン」を連想させる、とのこと。
ラフマニノフの難曲に挑み、精神を病んだ実在のデビッド・ヘルフゴットの半生を描いた映画です。
随分前に見たので、いろいろと忘れてしまった部分も多いのですが、確かに美しい音楽と、音楽に魅いられてしまった人間を描いた感動作だったと思います。

そして、そのコラムで、私がまた連想したのは、「無伴奏ーシャコンヌ」という映画。
これも、かなり前に、時間が空いたのでふと見た映画。
こちらは、バイオリンニストの転落する人生を、淡々と描いた、どちらかといえば地味な映画でした。
パリのメトロのホームレスとなり果て、投げ入れられる小銭を前に、無我の境地で演奏する主人公。
この場所で演奏するな!と追われても、弾き続ける彼のバイオリンを、とうとう警官が叩き壊してしまう。
たった一つの愛器を失った彼は、それでも、頭の中で鳴り続ける音楽を消すことができない。
最後は、アヘンの巣窟で、廃人となってしまった彼を、友人が探し当て、黙ってバイオリンを差し出す。
その後、10数分にわたり、彼の演奏するバッハの「無伴奏」の音楽と、日の光や、小鳥のさえずり、運河を渡るゴンドラなどのイメージされる美しい映像だけが流れるのです。
バイオリンだけの美しい音色と、神の祝福かと思えるばかりの映像に、ただただ涙が流れました。
客席も、シーンと静まり返り、あちらこちらで鼻水をすする音がしていました・・・。
何もかも失った彼に、それでも音楽だけは生き続ける・・・。
(あまりに感動した私は、両親にも勧め、二人とも見に行きました。その時いた生徒の一人も、私の勧めで見に行ったと言ってました。もう10年くらい前になるでしょうか?)

ピアノマンの境遇、全てを忘れても、ピアノだけは忘れない彼は、どこか心にひっかかります。
コラムにあったように、「全ての記憶をなくしても、まだ残る大事なものが、自分にはあるのだろうか」と考える人もいるのでしょう。
私は、また、そのピアノ=芸術というものへの関わりに、日常の幸せを越えて、何かに選ばれてしまった者の孤独や、運命を感じます。
親や、恋人の顔、自分の名前さえ忘れても、忘れられないピアノ・・・。
ちっぽけで、限りある命の人間が、永遠を見てしまう瞬間というか・・・。
私自身は、そんな風には、音楽の神には愛されなかった。(自分からやめたんだけど・・・(~_~;))
踊りというものへの愛情も、たぶん私の片思い?!なのかもしれず、平凡な自分でよかったと思う反面、どこかに憧れがあるのかもしれません・・・。



5月24日(火)  ○○子のおばちゃまの太極拳

ウチの母のいとこ、“○○子の部屋”とネーミングした(~_~;)鍼灸治療院をやっていた私の伯母(母のいとこって何ていうんだっけ?)から、母に電話があったらしい。
親戚の中でも、特に母と気が合うらしく、前から仲はいいのですが、最近はちょっと彼女も体調がすぐれないらしいということだったのです。
ところが、今回の電話はエラク元気だったらしい。
母よりも5歳か6歳年上なので、70代もそろそろ後半という年齢である彼女は、何と体調を整えるために、太極拳を始めたそうです。
そして、始めてまだ1年にもならないのに、身体が柔らかくなり、体調も見事に回復したということ。
電話を切ったとたん、母は、
「ちょっと、○○子おばちゃまは、太極拳やって180度開脚ができるようになったんだってよ!そんなすぐ柔らかくなるもの??」
と飛んできました。
「そりゃ、すごいね〜。でももともとある程度柔らかかったんじゃないの?」
「分からないけど、毎日壁に向かってやってたら、つくようになったんだってさ。皆やればつくんじゃないの?って言うんだけど??」
「そりゃどうかしらね?人によるからね〜。皆苦労してるんだよ。で、ママは固いわけ?」
と言ったら、スカートはいたまま、その場で足を開こうとして、
「ママはすごく固いのよ。足が短いせいかしら?」
「いや、それは関係ないから・・・(~_~;)でも、そんな元気になったんなら、ママもやれば?」
と水を向けたら、
「とんでもない。やーよ。」
と逃げていきました。(^.^)

でも、真面目な話し、70歳も半ばを過ぎて、新しい事に挑戦し、夢中になれるパワーはすごいと思うし、やはり人間、好奇心と、それに向かう努力を忘れてはいけないな〜と感心しました・・・・。
さすが、○○子のおばちゃまであります!!(^.^)



5月25日(水)  “ラッピングの中の我が家”

実は、私が住むマンション、築30年!は、今年大々的な外装工事の最中であります。
前にダイアリィに書いたように、2月3日以来(ダイアリィ“マンションのブラキオザウルス”参照)ここ数ヶ 月、マンションの外側は、見事にラッピングされ、昼なお暗く、外の天気が晴れなんだか、曇りなんだかもわか らず、それはそれは、暮らしにくい状況に陥っています。
だいたい、一番外側のシートはまだしも、廊下やドアを塗るからか、玄関(表札も、ブザーも)、家中の窓全て が、薄いビニールで覆われ、窓は開けられない状況!!(開けても、ビニールがあるから、空気は入らない)
窒息する〜!!(@_@;)
たぶん、工事の人の都合なんだろうけど、塗装が始まる一ヶ月以上前から、家中が包まれたままで、空気を入れ 替えようとしたら、玄関を開けるしかない!という状態で、ほっておかれ、我が家のみならず、近隣の方々も不 満タラタラ・・・。
全くありえない!!(>_<)
外装工事って、どこもこんななんでしょうか??

ウチの階の廊下をやる時なんかは、玄関もふさがれたまま、工事課程が始まる朝の8時以降5時までは、出入り も禁止!!ということで、それより早く出るかそうでなければ、後は監禁状態!!
こんなのってあり??
建物の外側の汚れを、ジェット水流のようなもので落としているらしいのですが、その粉塵のようなものがベラ ンダにたまり、どこからか入ってくるのか、クシャミはでるし、当然洗濯物はずっと家の中・・・。
私はまだ、朝出たら、大抵帰るのは夜なので、さほど被害はないのですが、家にいる母は本当にストレスがたま り(家にいると音はウルサイし、空気も悪いと、早く家を出るとそれも疲れるし・・)病気になりそうでした。

昨日やっと、片側だけ、一番外側の覆いがとれたのです。
久しぶりに見る窓の外の景色は、いつのまにか、緑も青々と美しく、すがすがしい日の光!!
本当にスカッとするような、外の空気でした。
まだ、もう片方の覆いはとれず、私の部屋の窓も、お風呂場の窓も開かないのですが、長い苦難の道のりもあと 一週間ほどで終わる予定。(予定通りならネ・・・(~_~;))
部屋の窓を開けられる日、ラッピングが全て取れる日を心待ちにしている今日この頃であります。



5月26日(木)  “翻訳家にならなかった私?!”

拉致被害者の蓮池薫さんが、韓国のベストセラーの歴史小説を翻訳した本が、今月発売されるというニュースが ありました。
失われた人生を少しでも取り戻す貴重な仕事になる、と語ったそうで、心からエールを送りたい気持ちです。

さて、翻訳といえば、私も若い頃、翻訳の仕事につきたいと思っていたことがありました。
大学をやめて、何かをやりたいと探していた頃、たまたま好きだったミステリー・SFの雑誌に載っていた広告 を見て、翻訳の専門学校に通っていたことがあるのです。
英語のミステリーやSFを翻訳するという講座で、翻訳家の先生一人に5,6人の生徒のゼミ形式で、山ほどの 宿題を先生がオーバーヘッドで添削するという授業でした。
何故、“翻訳”だったのか、と言えば、その頃の翻訳物の作品というのには、結構な誤訳、悪文が多いという本 を読んで、妙に感じ入り、私ならこなれた日本語、名文にしてみせよう!!?くらいの思いあがりがあったよう です。(^^ゞ
実際やってみると、こなれた日本語、自分なりの文章にするという作業は、なかなか楽しかったのですが、イケ るかも?と張り切っていたのも最初だけ・・・。
確かに、文章を書くのは好きだし、向いていそうな気がしたのですが、何よりもまず英語力がなさすぎ?? (~_~;)で、会話の文章や、口語特有の言い回しなんかは、まず意味がわからない・・・。
大学も途中でやめ、別に留学していたこともない私にとって、ひたすら、研究社の大辞典(百科事典の大きさ) との格闘で、添削も、英語的にこれは間違い、とか、この場合の意味は違います、とかのレベル・・・。
私以外の受講生は、英文科の大学院出とか、留学帰りとかのお姉さん・お兄さんで、オミソの私を暖かく見守っ てくれている、といった感じでした。

翻訳家として食べていくには、まず、翻訳家の先生の下訳という、ざっと訳するアルバイトをさせてもらい、そ れからだんだん独り立ちしていくらしい。
それでも技術翻訳という、マニュアルや説明書の類を訳する実際的な仕事にくらべ、文学作品を訳して食べてい くのはなかなか大変と聞きました。
まぁ、何の仕事も食べていくのは大変に違いないけれど、翻訳にしろ、踊りにしろ、お金がたくさん儲かるタイ プの人と、そうでないタイプがいるんだろうし、私はどう考えてもあまり一攫千金とは縁のないタイプ・・・。
今思えば、一人で家にこもって翻訳をコツコツやるよりは、外に出て皆で踊る方が合っていた気もするし、人の 文章を訳すより、悪文だろうが何だろうが、自分で文章を好き勝手に書いている方が気が楽というものかなぁ〜 。(^.^)



5月27日(金)  カセットとCD

レッスンで使う曲を準備して聞く時、前はCDをテープに録音し、カセットウオークマンで聞いていました。
今どき、カセットを聞いている人は、あまりいないだろう・・・と思いながらも、慣れ親しんだ作業でもあり、わりと最近まで、カセットを聞いていたのです。
ここ半年くらい、性能の良いCDウオークマンを手に入れたこともあり、(前一度CDウオークマンを使っていたときは、電車の中などで音が飛ぶため、イライラしてやめた。今のウオークマンはそんなこともなく、快適です。おまけにそのウオークマンは、貧乏クサイことを言うと、煙草の懸賞で当たった!!ので大変嬉しい)もっぱらCDをそのまま聞いています。
やっぱり音は全然いいです。
MDの方がもっといいのでしょうけれど、また何かのキッカケがない限り、当分今のままCDを使いそうな旧時代人間の私です。

ただ、最近何回か、困ったことがありまして・・・。
パソコンでコピーしたCDがかからないデッキがあるのですね。
先週の金曜も、それで皆さんをお騒がせしたのですが、私の家でもかかるし、CDウオークマンでも問題なくかかるCDが、レッスン場のデッキだと読み込まない!!
違うデッキを借りても借りてもかからなかったのです!
困った・・・。(>_<)
生徒のC子は、これは気力でバンとフタを閉めるとかかることがある、と言ってたけどホント?

結局、頼まれてテープに私がダビングしたものをたまたま持っていた生徒にテープを借りることができて、テープでやりましたけど・・・。
やっぱり、テープが確実かい!?(~_~;)
そうなると、レンタルのCDを使う時はCDとテープ、両方にダビングして、両方持ち歩くことになるのかしら・・?(-_-;)
今の時代にMD使わないで、こんな事言っているのって私だけでしょうか・・・。



5月28日(土)  “ダンススクール”

この前たまたまヒマだったから、インターネットで今流行りのダンスの“スクール”(イントネーションは→だ と思う)を検索していました。
「ジャンルいろいろ、ジャズ、バレエ、ヒップホップ、ハウス、クラブジャズ、ヒップホップジャズ、ストリー トジャズ、ガールズヒップホップ、ストリートフリースタイル、・・・」
って・・・、最初の5つくらいまでなら何とか(^_^;)わかるけど、その後のっていったいどこが違うわけ??
前に、ジョイントのイベントに出たとき、ウチのスタジオの紹介は、「シアター系ジャズ」とか言われてて、私 としては、「へぇ〜そうだったんだ!?」という感じだったのですが、ジャンルといってもこんなに並べられる と、訳わかんない・・・。
あるスクールのHPでは、親切なことに、各クラス、30人くらい!!のインストラクター(ツアーダンサーが 教える、というのが売りらしい)の踊りが動画で紹介されていて、面白いから次から次へと見てみました。

ところが、さすがにバレエは、いきなりチュチュの衣装着て、バリエーションを踊る動画でとてもわかりやすか ったけど、それ以外は、全部一緒に見える!!
驚いたことに、ジャズと銘打ってあるクラスも(それもスタンダードジャズを教えるというクラスでさえ!)動 きの質としては、クラブジャズ、ストリートジャズ、ヒップホップジャズ、ヒップホップなんかと一緒に見えま した。
これがジャズなのか〜とあらためて感心??・・・。
だから、ウチは「シアター系」と言われるわけか・・・。
(ただ、私としては「シアター系」と言われるのにもちょっと疑問があって、たまたまその時の作品がそんな感 じだっただけでしょう?という気持ちもあるけど。)

ヒップホップという名前が一般的になる前から、ジャズの中にも、いわゆるストリート系の動きというのはだん だん取り入れられてきて(一番最初はファンキーとか言ってた気がする)、私も、舞台でそんな振り付けを踊っ たり、そういうレッスンも受けたりしてきました。
踊りは、何でも好きだから、ストリート系のダンスも決して嫌いじゃないし、キッズクラスなんかは、リズム感 を養うという意味もあって、そういうところから入る。
自分が、好きな「ジャズ」を教えるようになってからも、たまに、若い先生の振りを踊りにレッスンに行ったり することもあって、それなりに楽しいけど、やはりこれだけじゃ、つまらないと思ったりします。
ストレッチの効いた身体創って、アイソレーションが正確にできて、クラッシックや、できればモダンの基礎を 勉強して、そうなれば、テクニックもおのずと身について、足も上がるし、回転もジャンプもできて、芝居心も あって、表現力も華もある、そして、センスもいい、そんなダンサーでいたいし、そんなダンサーになって欲し い・・・。
「伝統工芸の手作り頑固職人?!」の私としては、近代化設備の大量生産の“スクール”を横目で見ながらも、 自分の道を貫く覚悟なのでした。(-。-)y-゜゜゜



5月29日(日)  “ヒップホップクラス体験記@”

昨日のダイアリィで、今若い人たちに人気のダンススクールについて書いたのですが、あれはちょっとした前振 り?!でありまして、実は、先日、私は“ヒップホップ”のレッスンを受けに行ってきました。
それも、入門・初級、というクラスを。
ヒップホップのごく基礎というのが、どんなことやるのか興味があったのと、どんなふうに教えるのかのに興味 があったのと、後は、単なるストレス発散で、楽しく?身体を動かしてこよう・・・と思ったのです。

ちょっと、前にやはり思い立って“クラブ・ジャズ”のレッスンに行っていた時があって、その先生は、音をか けっ放しで、アイソレーションとストレッチをダーッと皆でやって、立ったら、その場で皆でターンの練習をや って、(それは、いろんな動きを見ました・・・(~_~;))あとは、靴をスニーカーに履き替えて?振り付け。
でも、振り付けがなかなか気に入って、しばらく通っていたのですが、ツアーダンサーの仕事がお忙しいらしく 、代講ばかりで、私も忙しい合間を縫って行ってそれだとがっかりで、行かなくなってしまいました。

さて、肝心のヒップホップ。
恐る恐る、体験を申し込むと、にこやかな受付嬢が、案内してくれました。
午前中という時間帯だったせいか、学生さんはいなくて、5.6人の生徒さんが来ていました。
(やばっ!少なすぎる・・・)
もちろん、一番後ろ、でも先生の動きが見える先生の真後ろ辺をキープ。
入ってきた先生は、どう見ても20代、それももしかしたら前半?の、慎吾ちゃんを小さくした??ような好青 年。
開口一番、「今日は、CDを全部忘れてきました」
(あ”〜??(-_-;)やる気ないんか??)
そして、しばらくごそごそしていたかと思うと、
「人のCDを黙って借ります!」
とレッスンが始まりました。
まずは、ストレッチらしいのですが、音をがんがんかけたまま、首をのばしたり腕をのばしたり・・・。
そのうちアキレスや、内腿をのばす姿勢で、ステイするのとかをやってました。
私ももちろんすぐ真似っこ。
ただ、先生を始め、皆さん固いけど・・・。(~_~;)
まっそんなことはいいか・・・。m(__)m
ストレッチが終わったところで、「休憩しましょう」とのこと。
そこで、先生は、私の顔を見て、
「踊りはやってますね、ジャズかなんか?」
「はい、まー、ジャズとかいろいろ・・・(^.^)でも、ヒップホップはほとんどやったことないんで、よろしくお 願いします」
「じゃ、大丈夫ですね、(えっ??大丈夫じゃないよ)次はアイソレーションみたいなもんです。」

そして、先生が音を探しに行っている間に、古いらしい生徒さんが、
「ジャズってターンとかするんですよねぇ、すご〜い。あんなのできない」
「はぁ・・・」
(よかったら、教えましょうか??(^^ゞなんて・・・でも、ジャズっていうとターンなんだ・・・)
新しいレッスンを受ける楽しさと緊張感で、次は何なんだろう?とワクワクしていたのも、実はここまで・・・ 。
この後、私に地獄の苦しみが訪れようとは、全く想像していなかったのです・・・。

そして、アイソレーションみたいなもの、が始まりました。
基本的には、ジャズのアイソレーションなんだけど、動き幅がやたらと大きく、“その場所だけ”を動かすんじ ゃないらしい。
足は開いているけれど、膝をゆるめた姿勢で、重心も動かすらしい。
それも、腰とかはあまりやらず、ひたすら、首と胸・・???
しばらく、やってなかった、首を前や後ろ、横に動かすのなんかもやったけど、このくらいなら私にもわかる世 界、でも何故胸をこんなに??

そのわけはそのあとすぐ解明。
「じゃあリズムいきま〜す。まずアップから。」
膝をのばして胸を前に思い切り出してアップ、膝をいっぱいまげて腰を落として、胸を後ろに出してあごをひい てダウン。
上にアクセントがあるのが、アップ、下にあるのがダウン、らしい。
それをさぁ〜、アップ&アップ&アップ&アップ、1、2、3、4とひたすら音をかけ放しで繰り返す。
そのうち足も右踏んだり、左踏んだり、重心を動かしたり、ちょっとステップが変わるのだけど、ひたすらアッ プ&アップ&アップ・・・。
その後は、ひたすら、ダウン&ダウン&ダウン&・・・・・。
助けて〜〜〜〜!!!!

全員(先生もでした!!!)息が上がり、もう無理!というところまで、ひたすらの繰り返しが終わり、(@_ @;)また休憩。
先生によれば、ダウンの時は腰を真っ直ぐ落とし、足幅はその人のぴったりくるところでよく、膝の力を抜くよ うに・・・とかいろいろといいことをおしゃっているようなのですが、(始めの「やる気なし」の印象とは大違 いで、それは熱心な先生)ただ、ひたすらキツいよ〜・・・。(>_<)
この時点で、きっと明日、(或いは明後日?)には腿が筋肉痛を覚悟した私でした・・・。(明日に続く)



5月30日(月)  “ヒップホップクラス体験記A”

さて、昨日の続きです。
ヒップホップの入門クラスを受けに行った私のその後であります。

そして、まだまだリズム取りは続くのでした。
気が遠くなりかけた頃、やっとコンビネーションとのこと。
振り付けは、シンプル。
(やはり入門だもんな〜)
やったことある感じのものですが、ここでもまたダウンのリズムが、私を襲う・・・。
「腰はめいっぱい落として、この場合は上体は後傾、ただし顎はひいて、足はその場で右左踏んで、ハイダウン&ダウン、ダウン、ダウン」
「腰を落としたまま、上体を後傾すると、腰が前に出るんだけど、それを入れこんであげて、顎をひく・・・この振りは腿にきますよ、明日トイレ行けないかも・・・僕も痛いもん!」
えっ〜?そんな??

丁寧な先生だけに、さぼるわけに行かず、しかも私は根が真面目ですから?!、それは一生懸命やりましたとも!!
しかも、胸もここぞとばかりに頑張りました。
なんとか、先生のニュアンスをつかもうと、目を皿にして、踊りましたとも!!
(結構、いい線出てた?かも・・・(^^ゞ)
帰りに、先生が、
「疲れました?」
と言うから、思わず、
「ハイ」
と言ってしまいました。(でも、楽しかったです、と付け加えましたが・・・。だって真面目でなかなかいい先生だったんだもん。)

帰るなり、腿をストレッチし、お風呂に入り、湿布をして、年甲斐もなく?無理をしたのでケアー万全で寝たのですが・・・。
伏兵は別のところに潜んでいたのです。
翌日、私はとんでもない頭痛ともに目覚めました。
首の後ろから背中が、激しい凝りで、息も入らない・・・。(>_<)
足は、ほとんど痛くなかったのですが、この頭痛は・・・!!!

どうやら、上体後傾で、顎をがんがん引いたのが、軽い?ムチ打ち状態を引き起こしたらしく、午前中いっぱい寝込んでしまった私でありました。
やれやれ・・・。
日頃、あまり使わないところを集中的に使うとこうなるのか・・・。
ヒップホップ自体は、それなりに楽しいし、彼の教え方は丁寧な入門編で、よかったのですが、次に行く時は、振りをいっぱい踊らせてもらえる、もう少し上のクラスを受けよう〜!
・・・と懲りない私なのでありました。(^^ゞ



5月31日(火)  踊りのCM

かっこいい踊りのコマーシャルを見ました!
「タウン・ワーク」とかいう就職情報誌のCMなんだけど、外人の男の人5人くらいが、ジーンズで「ウエストサイド・ストーリー」みたいな感じで、ちょっとだけど踊っているの!
ご覧になったことあります?
アラセゴン・ジャンプして、その後またジャンプしてぱっと止まるんだけど、なかなかいい感じ。
そのCMの別バージョンもあって、それは、やはり外人が一人で、妙な感じで踊っているんだけど、あの人もたぶん、相当踊れる。
(肩のシェイクなんかが、堂に入っているし、身体もすごく柔軟だもん・・・)

最近、踊りの入ったCMがいっぱいあって、それも不思議な?踊り、不思議な振りが多いけれど、正統派?のダンサーを使ったものはあんまりないですよね。
前に放映されていた「元気ドリンク」のCMに、とてもお世話になったジャズの先生が出演されていました。
(その頃その先生は、立て続けにいろいろなCMに出ていらっしゃいました。男性の中年の先生なのですが、パッと見は、見事に役どころの中年サラリーマンにはまっていて、でも、こんなに踊れるサラリーマンはいない?!といった感じでおもしろかった)
売れっ子振付師、としてTVなんかに良く出る、K子さんという方の振り付けらしいのですが、まさにノンジャンルで、何ともいえない振り付け。
形としては、他にない、奇抜なもので、私には出来ない気がするし、感心するけれど、実はそんなに好きじゃない・・・。
踊りというもののとらえ方が、私はやはり音楽との融合で、それによるイメージの表現、自己表現なんだけど、形としては、ある程度オーソドックスな、キレイなもの、すっきりとしてかっこいいものが好きなんだなと思います。

さて、関係ないけど、前に書いた私お気に入りの“キューピー”のCM。
「た〜らこ、た〜らこ」という歌に(たらこマヨネーズCM)キャラクターが行進するものが、リニューアルされて、行進ではなく、回るバージョンになってしまいました。
私としては、前の、ザッ、ザッと前を向いて行進するバージョンの方が好きだった・・・。(T_T)
でも、あの歌はやっぱりすごく好き!(^.^)



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