YUKO MASUMITSU JAZZ DANCE STUDIO

 2005年 6月


6月2日(木)  “食わず嫌い” @

“食わず嫌い”という言葉があります。
言葉の意味は、辞書によれば、1.「食べたこともなく、味も知らないのにその物を嫌いだと決め込むこと。ま たはその人。」
2.「あるものの真価や、面白みをよく理解しないで、ただ始めから嫌うこと」
だそうです。
テレビの番組で、“食わず嫌い選手権”というのがあって、自分の嫌いなものを相手にさとられないように、食 べるアレですが、自分だったら何にするか?なんて考えたことはないですか?

私の嫌いなものは、私を知る方はご存知と思いますが?“紫蘇、春菊、バジリコ”です。(ちゃんと共通点は、 あるでしょう?ちなみに、三つ葉は好きな方だし、セロリは好きではないけれど嫌いまでいきません。)
ただし、これは、厳密に言えば、食わず嫌いではなく、ちゃんと食べたこともあって、なおかつ“好きじゃない !”という結論に至ったもの。(威張るな?!って?)
いざとなったら食べることはできます。
たぶん、テレビに出ても、ちゃんと演技して美味しそうに、食べられる自信はあります。
言葉のもとの意味から言えば、“食わず嫌い”と、“食べたことはあるけれど、その結果嫌い”であることは違 うわけで、本当の食わず嫌いなものは、食べ物に関しては、私はないかも知れません。
(テレビでも、本当の食わず嫌いではなく、普通の“嫌いなもの”で出演している人も多い気がします。)

さて、ちょっと話しはそれますが、嫌いなものを人前で残せるか、というのは私の場合、いっしょにいる人によ ったりします。
例えば、初対面の仕事関係の方や、目上の方と食事をして、紫蘇をよけたりはしない。
ある意味での、“ええかっこしい”なわけで、“好き嫌いのある子供っぽい人”には思われたくない、という気 持ちが、無意識に働いているわけでしょう。
一方、気を使わないでいい友達や、仲間うち、家族と食事する時は、堂々と?紫蘇をよける。
我ながら、中途半端な奴で、ちょっぴり情けない。
しかし、言い訳すれば、こうした公私の使い分けをしない、或いはできない人が社会でやっていこうとすれば、 ありのままの自分を認めさせるパワー?がないといけないわけで、小市民、気の小さい、和を尊ぶ私は、どうも そこまではできなかったりする・・・。(そんな大げさな話か?)
或いは、小出しにする、という手もあるわけで、慣れてきたらちょこちょこと、こっそりと紫蘇をよける姿を見 せるなんていう場合もあるかもしれません?!

嫌いなものを無理しても食べる、という行動には、当然のことながら、苦痛、努力がいるわけですが、最初の何 回か、“エイッ”とばかりに無理していたら、いつのまにか嫌いがそれほどでもなくなって、ラクになるという 場合もあったりします。
努力による、自己改革?なわけで、私の場合これは、ショートケーキに代表されるスポンジ台のケーキにあたり ます。
もともと、甘いもの、ケーキも大好きなのですが、何故か、スポンジ台のケーキだけは、子供の頃から好きでな かった私ですが、お祝い事や、会合などで、出てくることの多いポピュラーなショートケーキ、少し無理して美 味しそうに食べていたら、だんだん平気に、まぁまぁ好きになってきました。(選べるなら、他のケーキがいい ですけど・・・)
こうなると、“ショートケーキは、食わず嫌いだった(2.の方の意味において)”という仮説もなりたつわけ で、こういう風にして、人は成長して、その世界を広げていくのか・・・なんて大げさなことを思ったりして・ ・・・。(-。-)y-゜゜゜



6月3日(金)  “食わず嫌い” A

食べ物ではないのですが、2の意味での、食わず嫌い、真価もわからないのに始めから嫌うと言うほうでは、私の場合、もしかしたら、犬というのがあてはまるのかもしれません。
だいたい、何故、そしていつから犬が怖かったのかと考えると、覚えがないほどです。
我が家では、動物を何も飼っていなかったので、慣れない、というのと、母親が妊娠中、犬の噛まれたことがあるらしく、それが関係しているのか?気がついたら、私の中で、“犬は怖い”というの気持ちが定着していました。
「犬は階段を登れないから、犬が来たら階段に登れば大丈夫」と誰かに聞いて、信じていたのですが、散歩中の犬が、ワシワシ階段を登るのを見てから、その迷信はガラガラと崩れ去りました。
幼い頃以来、つい最近まで、犬が側を通るだけで、じっとり冷や汗をかいて、体を固くしていた私ですが、どうしてエイッと頑張れたのかわかりませんが、友人のところにいる犬が平気だった事から、今では、どの犬も前ほど“怖い”とは思いません。
むしろ、一匹、一匹の犬がかわいく思えるほど・・・。
今から思えば、犬が怖くて、緊張していた私の存在が、犬自身の緊張をあおっていたそうで、魔の悪循環から抜け出せたことが、うれしい限りです。
食わず嫌いの世界を克服する、というのには、何らかのきっかけや、出会いがあるわけで、それもまた人生の不思議、有難さのような気がします。

さて、例えば、「ワタシはこれが食べられない」という、他人の嫌いなものを聞いたりすると、何となく親しみがもてたりして、ちょっと楽しくなることもあります。
「へぇ〜○○子はシイタケが嫌いなんだ・・。じゃあシイタケの串焼きを頼もっか!」
などと、ちょっぴり意地悪をして、座がなごんだりするのはよくあること・・・。
これは、テレビの番組で、脂汗を流しながら苦手なものを食べようとしている芸能人を見るのが、人気なことに通じるかもしれません。
完璧でない私たちは、優れた人を前にすると、尊敬と憧れを感じるとともに、どこかに距離や引け目を感じたりする。
そこに、ちょっとした苦手なんかが見られると、ホッとするのかもしれません。

私に関して言えば、嫌いなもの、苦手なもの、食わず嫌いともにあるにはありますが、長年生きてくるといろいろな機会に恵まれ、少しずつ世界が広がってきた感もあります。
これだけは譲れない!(紫蘇か?)というもの以外、なるたけニュートラル状態で、様々な機会や、出会いを待って(むろん、これまでの話しすべて、食べ物限って、というわけではありません)それなりに生きていきたいな・・・なんて思っているわけであります。(^.^)



6月4日(土)  “いろんな子供”

児童舞踊を教えて○十年の大先輩が、先日、
「子供っていってもいろんな子がいるからねぇ〜」
とおっしゃっていました。
確かに!

元気で活発、おしゃべりもそれなりに多い(~_~;)タイプ、
自分の世界があって、いつもいろいろな事が気になってなかなか集中しにくいタイプ、
何でもできるのが大好きで、負けず嫌い、ホントは注意されるのがあんまり好きじゃないタイプ、
甘ったれで、構って欲しくて、「これでいいんでしょう?」を連発するタイプ、
引っ込み思案で恥ずかしがりや、注目されるのが恥ずかしいタイプ・・・。
そして、もちろんそのいろいろな複合、或いは、その日によって、のらない日があったり、妙にやる気満々の日 があったり・・・。
注意すると、ふくれてしまったり、照れくさそうにしたり、もう私に構わないで〜光線を出す子、納得するまで 食いついてきたり、全く無反応(これが一番厄介・・・(>_<))だったり・・。
子供は、反応がわりとストレートだったりするので、できなくて悲しくなって泣いてしまったり、イヤになって やる気がみるみるなくなったり・・・。

興味が出てきて、一つ、一つできるようになることが楽しくなってきたら、こっちのもの!?
目がキラキラして、汗でオデコに髪の毛がくっついて、ほっぺが真っ赤になって、自然な笑顔が出てくる。
「そう!」
という私の言葉に、満足そう・・・。
そんな時は、私もとっても嬉しい。

ホントは子供に限りません。
大人も、心の中は子供といっしょ、いろんなタイプがいて、いろんな日がある。
でも、大人の皆も、楽しくなったら目がキラキラ、私も一緒にとても楽しいのです。



6月5日(日)  “太鼓のリズム”

今日、カルチャークラスが終わって、ビルの下に出てきたら、上の階でやっているS音大ミュージックコースの生 徒さんが、パーカッションのパフォーマンスをしていました。
もしかしたら、公開リハーサル状態?!なのか、3人の若い男性が猛然と?パーカッションを叩いては、突然や める、といった感じだったのですが、やっぱり太鼓のリズムは、何かいい!!(*^。^*)
思わず、身体がムズムズ・・・。
ちょうど、パーカッションの横に、スペースがあって、危うく飛び入りで、踊りたくなってしまうほど?!でし た。
踊りというもののルーツは、やはりこれに違いない、とあらためて思う私でした。

そういえば、 もう随分昔のことになりますが、まったくメロディーラインのない、フランスで活躍するアフリ カ人のパーカッションのCDを使って振り付けをしたことがあります。
かなり、最初から和ではない、太鼓だけの音が欲しくて、CDショップの店員さんに、探してもらった記憶があ ります。
音も振り付けも自分の中では、わりと気に入ったのですが、自分の生徒に振り付けたのではなかったので、ニュ アンスをわかってもらうのに、やたらと時間がかかりました。
まだ、テープの時代、ずっと太鼓の音だけなので、(もちろん抑揚、起伏はあるのですが)イマイチ途中から返 すというのが難しく、(カウンターがあるタイプのデッキではなかったので)、めんどくさいからいつも最初か らやってました。
実は、この作品は、本番大変なことになってしまい、途中で、上手半分の人達が見事に1小節ずれて早くなって しまい、しかもそれに気がついていない・・・という悪夢のような状況の中、いっしょに踊っていた私は、舞台 上にもかかわらず、大声でカウントをかけてしまった!!という曰くつきの作品なのでありました。
(客席に聞こえなかったことを祈るばかりです(~_~;))

メロディーラインがあったり、ボーカルがあって、イメージがふくらむ曲ももちろんいいのですが、原始からの 本能のような、シンプルなリズムに合うと、血がたぎり?身体が動いてきます。
トランス状態というわけではないけれど、そうしたリズムに身をまかせ、とことんまで身体を使い、気持ちよく なる(~o~)のも悪くありません。
そのうち、またそんな作品を創って、踊ってみたいな〜!!(*^。^*)



6月6日(月)  “気に入らない先生”

ルリママの話によれば、我らが?プチ(最近背が伸びてぐっとお姉さんっぽくなって、あんまりプチじゃないけ ど・・・(~_~;))バレリーナは、今、学校のある先生がちょっぴり気に入らないらしい。
彼女にとっては、ストレスだろうし、大人としては、「先生なんだから、そんな事言わずに」とか、まぁ無難に やり過ごせ!(^^ゞというところですが、実はちょっと分かる気がしてしまう私です。
思春期、それも頭よくて、感受性が強い子なんかだと、先生に完璧を求めたりして、違うと思う事が、許せなか ったりして、ムカついてしまったりすることはよくある・・・。
一回、間違ってる、気に入らない!と思うと、その先生のやることなすこと、頭きたりすることもよくある。
彼女の場合と状況は全く違うけれど、そういえば、私も中学校の時の公民の女の先生が、とても気に入らなかっ た・・・。

今思うと、いったいきっかけがなんだったかわからないのですが、その先生がとにかく嫌いで、授業なんか全然 聞いてなかった・・・。
(一応おとなしく席には座ってたけど、内職したり、手紙のやりとりとかしてました・・ナント悪い子でしょう ?!)
黒板に猛スピードで書いた字を、あっと言う間に消しちゃうのもムカついたし、自信なげではっきりしない声も 、感性の鈍そうな所もイヤだった。(先生、ごめんなさい!(~_~;)
その先生は、若く、どちらかといえば、地味な感じで、真面目で、でも芯が強く(確か一回泣いちゃったことが あったっけ)、私を含む反抗的な生徒たちの態度の悪さに明らかに、頭にきて動揺している様子なのに、無視し 続けていました。
たぶん、それが余計イヤだったんだと思います。
構って欲しかったんだろうねぇ〜・・・。(イヤイヤ・・(^^ゞ)
生徒に反抗されない先生って、二通りある気がします。
フレンドリーで、雑談なんかも多く、融通がきく友達みたいな先生か、あとは、ポリシーがあって怖い、威厳が ある、またはビジネスライクで、冷静な、生徒と距離がとれる先生。
この中間くらいの先生が、生徒になめられちゃったりするような気がする。

あの時の先生には、申し訳ないことをしたな〜とは思うけれど、今、もしまだ先生を続けていられるなら彼女が どんな先生でいるのかちょっぴり興味があったりします。
もちろん、先生もただの人間。
生徒との相性もあるだろうし、どうにも苦手な生徒というのもあるに違いない・・・。
そんな中で、毎日生意気ざかりの子供たちをとりまとめ、格闘している先生達はつくづく大変だな〜と思います 。
そして、ある意味純粋で、自分に素直、だからこそ残酷な“若い”ということを思う一方、大人になってこそわ かる、“大人の大変さ”かな、といったところであります。(-。-)y-゜゜゜



6月7日(火)  フジ子さんのピアノ

私は子供の頃、結構シビアにピアノをやっていました。(音大出の母にやらされていた、というところが事実かな?!)
プロにならない、音大はやめると決めた中学2年以降は、好きな曲を勝手に弾いたり、ピアノをやっていた友人と連弾に興じたり、楽しんで弾いていました。
しかし、引きこもりを経て、踊りを始めてから、見事にパタッと弾かなくなり、(だいたいピアノが弾ける時間帯に、家にもあんまり居なくなったから)20年。
今も、全くピアノにさわってないから、たぶん、もう全然指が動かないと思う。
ただ、頭の中に残っている曲というのはあって、どこかで前みたいに弾ける自分がいたりする・・・。

さて、友人が最近、フジコ・ヘミングにはまってしまい、彼女のCDを明けても暮れても聞いています。
NHKのドキュメントでも取り上げられたし、TVのドラマでもやったので、ご存知の方も多いと思いますが、60歳を超えて、やっと日本でブレイクしたこのピアニストの“ラ・カンパネラ”のCDは驚異的な売り上げを記録しました。
彼女のレパートリーの多く、リストや、ショパン、ブラームスなんかは、私がピアノを習うのをやめる直前、或いはやめた後、自主的に弾いていたものなんかもあるし、(難曲で絶対無理なものも多いけど・・・)、何より私の好みの、叙情的なものが多く、いっしょに聞いているうちに、どうも血が騒ぐ、というか、自分も弾ける気になって、頭の中で弾いてしまうわけで・・・。

しかし、フジコさんのピアノは、ホント面白い。
音楽的に言えば、悪いけど、決して上手いというわけではないかもしれない。
ミスタッチもわりと多いし、丸くて優しい音だけれど、計算して音色を変えるという感じではなく、テクニックだってプロとしたら普通かもしれない。
ただ、彼女の頭の中では、確実にメロディーが歌をうたっていて、それでテンポが自在に変わる。
でも、それって私はすごくわかるし、結構好きだったりするのです。
踊りもそうだけれど、(踊りで言えば、好きなだけねばって切って、という感じ)私は昔ピアノを弾いていた時も、家で好きに弾かせたら、そこまでルパート(テンポを自在に揺らすこと)したら、演歌だ!という位イッちゃう方だったので・・・。(^^ゞ
(決してフジコさんが、イッちゃってるというわけではありません。)
「うーん、この人の音楽はわりと私と近いかも・・」
か何か思いながら、いい気になって、頭の中のピアノの鍵盤を叩く私なのでした。
(何様!!これって、オーケストラに合わせて、お箸を振ってた私の父に近い現象かも・・・(~_~;))



6月9日(木)  “どうしちゃったの?貴乃花!”

兄弟って難しい。
そう、最近毎日のように話題になっている、若貴兄弟の確執問題です。
個人的には、亡くなった二子山親方は、現役時代から、カッコイイと思っていましたし、その後の優しそうなお 父さんぶり、二人の兄弟も含めてとても好感を持っていました。
若・貴フィーバーの頃も、顔立ちもりりしく一本気で強い、貴乃花が好きだったし、何か憎めないキャラクター でいいお兄ちゃんといった感じの若乃花も、あれほど小さい身体なのに頑張っているな〜と応援していました。
しかし・・・。(>_<)

年の近い兄弟、というのがとかく難しいというのは、古来よりの事実。
カインとアベルの時代から、子供にとって全世界である親の愛情を分け合い、いつも評価を競う兄弟が、一つボ タンを掛け違うと、とんでもないことになるというのは沢山ある話。
エデンの東もそうだけれど、父親の愛情が、男としてプライド、性格や、生き方の違いが、姉妹の場合よりも色 濃く二人の関係に反映して、結果憎しみに至ってしまうということの哀しさ。
いずれにしても、今の貴乃花は哀しすぎる・・・。

努めて冷静に、理路整然と語る目や、浮かべる笑顔の固まりっぷりの影に、彼の、
「自分は合ってる!お兄ちゃんは間違ってる!!」
という叫び声が聞こえるようです。
中卒で、相撲一筋、文字通り命がけで、道を窮めてきた彼が、
「勝氏は、相撲を愛してない。相撲を捨てた人に土足で入ってきて欲しくない」
と批判する気持ちは、よくわかる気がします。
周りの人全て、亡くなった親方も、憲子さんも、離れていった兄弟弟子も、タニマチの人も、誰の事も信じられ ず、たった一人で凝り固まってしまっている彼をいったい誰が、解きほぐせるのか・・・。
相撲道=武士道であり、彼が、侍として相撲を窮め、トップに上り詰め、いつもたった一人で歯を食いしばって 頑張ってきたことは本当に尊敬に値すると思います。
ただ、孤高の剣士と、道場の師範として人に慕われる存在であることは、また違う方向である気もするし、例え ば、自分の子供が今の貴乃花部屋にスカウトされても、諸手を挙げて賛成できるか、というとちょっと考えてし まう。
真実がどうあれ、多く語る事、周りを批判することで、彼が置かれてしまう報道の餌食、“イロモノ”的な立場 を思うと、例の洗脳騒動の時も思ったけれど、
「どうしちゃったの?!貴乃花??」
と思って哀しいのです。



6月10日(金)  「芸術」を教える、ということ

かねてから実は疑問に思っていたのですが、先日母と食事をしながら、ある質問をしてみました。
「ところで、いったいピアノってどうやって教えるわけ??」

踊りの場合だと、私が振付けた踊りの振りを覚えてもらい(これに時間がかかるわな〜(^^ゞ)テクニック的な事を注意して、後は表現の部分は、創り手としての私のイメージ、要求なんかを説明して、もっとやって〜とハッパをかける・・・!?といった流れになるわけですが、ピアノなんかは、作曲家が書いた楽譜があるわけで、譜読みなんかは自分でできるはずだし、個人で練習してもらわないと話しにならない、こう弾きたいというのはその人の感性で、好き好きで、それをどうやって教えていくわけ?と思っていたわけです。
母はしばし考え、
「それは、レベルによるから、ママなんかはまずは譜読みの段階からよ。」
「何じゃ、その音が違うとか?」
「そう。」
(それは、右足の後ろに左足をかける〜というレベルだな・・・)
「その後は?」
「それも、その人によるけれど、ママが前に見たTVの公開練習では、有名なピアニストがすごく弾ける人に教えててね。もうその人は、一音一音にものすごいこだわりがあって、一つ音出すたんびに、“そうじゃない、こう!!”とやらせるわけ・・。それを見た時、受けてみたいという友達もいたけど、ママはイヤだと思った。それは“その人の音楽”を有無を言わさず押し付ける、という感じがしてね〜」
(なるほど・・・。踊りで言えば、その顔の上げ方は違う!その目の動かし方はダメだ!と言う感じか・・・。
そうやってできた音楽は、確かに素晴らしくても、その人の心から出てきたわけじゃないから、果たして人の心を打つのか?という問題だな・・・。)
「じゃあさ、私はピアノやってた時、先生はどんなだったの?」(覚えてないのです。(^^ゞ)
「構成かな」
「最初は、押えて、ここで盛り上げて〜みたいな?」
「そう。あなたは、全部に気持ちを込めすぎて歌いすぎるから、ここはもっとさっぱりと淡々と弾いて、後にためておいて、とか・・・」
(アイタタ・・・それは私の踊りの弱点と一緒じゃないか!!(~_~;))

自分の感情を出せる人は削って整理すればいいけれど、それが出ない人、出て見えない人はどうすればいいのか?
そう聞くと、母はまた、しばし唸って、
「それはねぇ〜。外側からこうよ、といって上げることは出来ても難しいよねぇ・・・。ただ、好きな曲だと気持ちが入るというのはあるのよ。だから、3曲くらい候補を挙げて、選ばせたりする。もちろんプロはそれじゃダメなんだけど」
(ふ〜ん・・・なるほど。)
いずれにしても、芸術を教えるということ、果たしてそれができるのかという問題は深い。
そういえば、例のピアニスト、フジコさんは、どんな教えをしていたんだろう・・・?
ちょっと習ってみたかった、と思ったりしています。



6月11日(土)  “45年ぶりの再会”

昨日、ウチの母は、若い頃に音楽の教師をしていた中学の教え子の同窓会に呼ばれ、出かけていきました。
(そういえば、ウチの母親はピアノの先生の前は、学校の先生だったらしい)
ナント45年ぶりくらいの再会で、母としても、生徒のことはほとんど忘れていて、行ってもわかるのかしらん?と心配していたようです。
45年も経つと、その頃14歳くらいだった生徒は、60歳くらいになり、その頃、新卒で23歳くらいだった母は70歳くらいとなるわけで、そうなると先生と生徒も、大して変わらないとも言えます。(^_^;)

夜、帰ってきた母に、「わかったの?」と聞くと、
「だいたい分かった。よく見てると、昔の顔が何となく浮かんでくるものね〜」
と言って、ほっとしていました。
また、「先生、変わらないねぇ〜」と言われたと、気をよくしていたようですが・・・(それは、どうなんでしょう???)
どうも、母としては、その当時、新卒で若くカワイイ??女の先生として、男子生徒には特に人気があった、と言いたいらしい。(私にはわかりません〜(^^ゞ)
当時、一番の悪ガキだったという男性の経営する、割烹での飲み会だったようで、新鮮な魚を大サービス!!(いいなぁ〜・・)
悪ガキと言ったって、昔の悪ガキは、今と比べればカワイイもので、いずれにしろ今では“人のいい親父さん”になった彼のサービスを受け、微笑ましい限りです。

さて、印象のうすい、どちらかと言えば目立たない生徒さんも、字を書くのを見たらすぐ分かったそうで・・・。
テストの答案を採点し、普段筆跡を見ていたことで、その頃の生徒が浮かんできたらしいのです。
「筆跡って中学くらいだと、あんまり変わらないのね。その頃からキレイな字の人は、やっぱり同じようなきちんとした字を書くのよ。」
ギョッ!!
あまり、字に自信のない私としては、聞きづてならない意見だったりして・・・。(~_~;)

6月12日(日)  “着替えのお話し”

普通、だいたいのお仕事の方は、一度家を出たらそうそう何度も着替えをしないと思います。
まぁ、制服がある会社にお勤めの方だって、私服で出かけて制服に着替え、また私服に戻って帰るくらい・・・。
しかし、私のお仕事は一日のうちヘタしたら、着たり脱いだり3回も4回もするわけで、それも大勢の人といっしょに着たり脱いだり総とっかえ、よく考えてみると、“変なの〜”と言った感じです。

面倒くさがりの私としては、本当はできるだけ手間を少なくしたいので、冬なんかはファッション無視で、稽古着の上にオーバーパンツだけ履いて、ひょこひょこ、そのまま電車に乗ったりしていますが、こう暑くなるとそれも無理・・・。(>_<)
若い頃、お稽古キチガイで、レッスンからレッスンへと移動時間ギリギリで飛び回っていた時は、伝染タイツのままその上に短いパンツか何か履いて、そのまま電車に乗ろうとして、先生や友人に、
「それはあんまりだから、ちゃんと着なさい」
と諭されたりしてた・・・。(^^ゞ
さすがに、いい年して、しかも先生なんかしてるのに、あんまりボロボロのお稽古着もないだろうし、どこで誰に会っちゃうかわからないから、よほど移動時間がない時以外は、最近はちゃんと着替えてる。(車で来る生徒さんは、稽古着のまま帰ったりしてて、うらやましい〜!)
しかし、面倒なのは変わらないので、できるだけ早く済ましたいし、いつも、稽古場の時間がギリギリだったりするので、かなり着替えは早い方だと思っています。
(実際、早いね〜といつも言われるんだから!!)
バレエの稽古場なんかは、更衣室が非常に狭いから、周りの人にぶつからないように、できるだけ細〜くなって?!ダッシュで着替える。

ただ、生徒で自分が受ける時は、レッスンが終わったとたん無言で素早く着替え出せるけれど、先生の場合はそうは行かないのです。
お月謝を持ってくる生徒や、連絡事項があったり、レッスン内容の質問があったりするわけで・・・。
その結果、非常に不本意ながら(>_<)、いつも私がビリで、電気を消してくれようと生徒が待ち構えていたりする。
この前、たまたま何もなくて、私が早く着替え終わったら、
「先生、今日は早いですねぇ〜」
と言われてしまい、以上のような言い訳を、猛反論した私でありました。(悔しがり??)



6月13日(月)  “またまた着替えのお話し”

一日に何度も着替えるのが、仕事がら仕方ない私。
そんな日常の着替えで、時間を短縮しようと思ったら、舞台の早替えと同じく、頭を使って、なるべく手間を省 くこと。
稽古場について、なるべく早く着替えをすませ、ストレッチなり一服をしたい私としては、出かける際に、一工 夫?というのが定番であります。
実は、工夫も何も、途中まで下に着ておく、というシンプルな方法。
タイツはもちろん履いておく。
上下がつながったレオタード系のものは、腰まで上げておく。(全部着ちゃうと、トイレに行く時、面倒だから ね・・・)
上だけのトップスなら、そのまま着ておける。
Tシャツを長袖と半袖など、2枚重ねて着る時は、予め、二枚重ねて着た後、そのまま重ねて脱いでおけば、い っしょに着れる!(そこまで、やるか〜、・・??(^^ゞ)

稽古着から私服に着替える時も同じで、冬なんかのセーターとその下のシャツは、重ね脱ぎ、重ね着、の方法。
後、もちろん脱いだものは、着る順番に重ねておくのは、早替えといっしょです。
(さすがに、ズボンを眼鏡型に足を突っ込めばいいように置いて、裾をぐじゅぐじゅにたくし上げておく、なん て技はしませんよ。シワくちゃになっちゃうもん!)
我ながら、ものぐさなんだか、そうでないのかよくわからない・・・。

しかーし、こんな私の着替えの習性のために、たまにとんでもない失敗もあるわけで・・・。
先日も、朝出かける時に、Tシャツの下に、稽古用のトップスを着てきたのに、“ブラジャー”を持ってくるの を忘れ、レッスンの後汗でびちゃびちゃになったトップスを脱いで、「あら!大変」。
冬なら沢山着てるから、何の問題もないんだけど、最近は薄着になってるからねぇ〜。
でも、仕方ないから、“ノーブラ”です。(~_~;)
夜だし、ちょっと暑くても、上にはおるものを脱がないでいれば、ま、いっか・・・。
やれやれ、危ない、危ない・・・。(^^ゞ



6月14日(火)  縁のある街

今私が、バレエのレッスンに通っているのは、“S宿G苑”のすぐ近く。
実は、このあたりは、私にとっては非常に縁のある場所でして・・・。
10年以上前、私が所属していたジャズのスタジオがあったのが、やはりこのあたりで、その当時は週に5日、(多い日は一日に2度。朝と夜とか・・・)通いつめておりました・・・。
“お稽古フリーク”と言われたその頃、ほんの少しの教えと、ほんの少しのバイトで(^^ゞ、後は毎日毎日ひたすら稽古に明け暮れていましたっけ。
先生のご事情で、スタジオが閉鎖になって以来、もう2度とこの街には来ないと思っていたのに、何の因果か、通いだしたオープンクラスのバレエスタジオが、他から移転になり、再びG苑に通うようになったのです。
「青春?!」の思い出、辛いことや、楽しいこと、その他いろいろな想いがつまった街を、相変わらず、お稽古バッグ持って、急ぎ足で、レッスンに通うようになるとは・・・。

さて、街の様子は、昔とほとんど変わりませんが、飲食店、特に“飲み屋さん”系のお店は、入れ替わりが早いようです。
スタジオの仲間とよく行っていたお店は、2度くらい様変わり。
逆に、ビジネスマンも多い場所柄か、昔はなかったファーストフード店や、○トールコーヒーは、いつも混んでいます。
今朝行ったら、ほんの数日で、昔よくランチをしていた、オーダーサンドイッチのお店、そしてその後は、おにぎりのファーストフード店となっていた場所が、見事に更地になっていました。
ブルドーザーで、店舗が瓦礫になり、ぼっかりと空いた角の空き地・・・。
思い出のある古いものが壊されるって、何となく寂しい風景。
しかし、きっとまたすぐに新しいお店になるのでしょうね。

不思議なことに、私は過去に縁のあった場所に、時を経て再び結びつく、ということがよくあります。
辞めてしまったピアノの先生のお宅があったH北沢で、ジャズダンスを習ったり、現在、教えをしている本厚木も、中退した大学のあった場所。
それも、何の因果なのか、偶然、その地にカルチャーの職を得て、そのままスタジオを開くことになったのです。
(本厚木は、その10年に急成長したから、大学の時といっしょで、覚えているのは、角の有名な駄菓子屋さんくらいです。)

きちんと終われなかったことを、やり直しなさい、という機会なのかな?
いろんな事をやって、いろんな場所にいっているはずなのに、以外と同じところに何度も行っているのが、ちょっとおかしい。
普段は、毎日の生活の中で何にも感じず、通りすぎているのに、ふとした事で、自分の人生を思い返し、ちょっぴりセンチメンタルになったりする私です・・・。(^^ゞ



6月15日(水)  “着物の展示会、再び!”

「ねぇねぇ、明後日の午前中って空いてる?」
一昨日、レッスンの前、モダンの先輩が聞いてきました。
「えっと・・・空いてるけど?なぁに?」
「あのねぇ、一周ぐるっと回るだけでいいからさぁ〜」
・・・と差し出したのは、着物の展示会の案内状。
(うわっ、またか・・・(~_~;))
どうやら、着付けを勉強している先輩には、定期的に、展示会のバイトが入るらしく、人を呼ぶと、ギャラが入るらしいのです。
しかし、空いてると言ってしまった手前、今さら断れないし、着物を買う気は全くないけれど、先輩の人助けになるなら仕方ないか・・・というわけで、またもや、行ってきました、“着物の展示会”。

前回、何の知識もなく、出かけた時は、着物に詳しい人には、“よくまぁ、何も買わされずに無事帰ってきたもんだ!”と感心?されたのですが、今回は、覚悟も新たに、とりあえず顔出しを目的に、いつも私が利用している○急線のとある各駅停車駅に、初めて降り立ちました。
あいにくの、どしゃ降り・・・。
駅のすぐそばのスーパーの6階にある貸しスペースが、今回の会場。
前回、びっくりした畳敷きの会場にも、もう驚きません。
しかし、天気が災いしてか、会場には、着物会社の社員の男性数名と、着付けの先生、そして先輩を含め数人のバイトの女性ら、スタッフだけ・・・・。
(ヤ、ヤバイかも・・・(^_^;)
案の定、出迎えてくれた先輩と共に、着付けの先生、男性社員が、ワーッと私に寄ってきました。
「普段、お着物はしょっちゅう着られるんですか?」
(いや、全く、成人式以来着てないし、これからも着ないと思うけど・・)
私がそう答える間もなく、先輩が、横から、
「まぁ、たまによね?」
(え?着ないって言っちゃダメなんだ??)
「いいものを持ってると便利よねぇ〜」
(は?)
・・・と、どこからか、反物がすーっと私の前に登場。
黙っているのも、悪いから、私は、
「キレイですねぇ。これは桜ですかね?」
「矢絣の小紋、桜ね。これは貴女に絶対似合うから、ちょっとはおって見る?」
「はー」
すると、着付けのベテラン先生が、Tシャツ、Gパンの私の上に紐を縛ると、するすると反物を肩から掛け、何箇所かを止め、間もなく“即席着物姿”の私が、出来上がり。
ただし、後ろは、ただのGパンですが。
その着物に合う帯、帯紐などもするーっと登場。
前回も思ったけれど、その業は見事です。
携帯の写真を撮ってもらい、ちょっと楽しくなってきた・・・・。
こうなったら、ヤケ??ともう一枚別のも着せてもらい、結局一回りが、小一時間に・・・。

「8000円でどうでしょう?」
(来た来た・・・!!)
「月8000円のどのくらい??」
(・・・と今回は、それが月賦のことと、わかっています。)
「5年で」
ハイ!48万円な〜り!
「なるほど!」
・・・とここが潮時と、時計をのぞいて、逃亡準備にかかる私。
「ちょっと時間がないもので」

あんまりキレイだったから、携帯で別の反物の写真を撮ってたら、
「お客様、あのあんまり商品の写真の方は・・・」
と注意されてしまいました。
柄を盗まれたりすることもあるかもしれないで、ということらしい。
それは、失礼しました。

「楽しかったです。」
とじりじりと出口へ向かう私に、それでも若い社員の男性は、
「浴衣とかもお安くなっていますよ。」
と付いてきてたけど、振り切って逃亡!!

はぁ〜結構気疲れしてしまった・・・・。
しかし、お陰様で今回も、めったにない私の着物姿をアップすることができたし、日頃お世話になってる先輩のためだもんね!





6月16日(木)  “私の枕”

何故なのか、寝て起きると、首、肩がバリバリに凝っていることがよくあるのです。
もちろん、身体が疲れていたり、よく寝ていなかったり・・と原因はいろいろあるのかもしれませんが、一番は、私の寝方にある気がしてなりません。
とにかく、寝相が悪い私は、90度回転、180度回転、して、タテの布団にヨコに寝ていたり、何故か足の方に頭があったこともある!!
それは、いいとしても?(いいか??)、問題なのは、枕に乗り上げるクセがあること。
朝起きると、枕の上に肩が乗っていて、頭がガクンと落ちていたりするのです。
これは、よくない!!
そして、首、肩は、コリコリで、イヤーな感じ・・・。

枕が高すぎるのが、よくないのかと思い、いつも行っている治療院の先生に聞いてみたら、
「枕なんてはずしちゃったらどうですか?」
「えーっ、なくてもいいわけ?よく、首と背骨の角度から計算して何cmの枕がいいとか言うじゃない??」
「いや、なくてもいいんですよ。どうしても抵抗があるなら、バスタオルで作れば?」
と言うので、それから、私は枕をはずし、バスタオルを2枚重ね、手製の枕に寝ることにしたのです。
しかし、この高さ加減がまた、難しい。
首をサポートする部分と、頭を乗せる部分と、というように、2層式にしてみたり、治療院の先生の言うように、なくてもいいなら、とうんと薄く、ただのタオルに近くしてみたり、4つ折りにして重ね、普通の枕に近くしてみたり、それはいろいろ試行錯誤・・・。
未だに、自分にぴったりして、これだ!!というものを発見できないでいます。
寝心地のよいという、低反発の枕というのも試してみたけど、何かピンと来ない・・・・。
そういえば、哲学者土屋賢二先生のエッセイでも、枕を買うのが趣味だそうで、イギリスでわざわざ取り寄せて買った枕が、とんでもなく寝心地の悪いものでひどい目にあった話しが載っていて、大笑いしたことがありましたっけ・・・。
時代劇なんかだと、昔のお侍さんや、その奥方は、木でできた?箱型の高〜い、固そうな枕をしていて、見るからに辛そうです。
一方、西洋のドラマや、映画では、フカフカのベッドに、沈み込みそうなフカフカの枕をしています。
これはこれで、腰や、首に悪そうな気がしてしまいます。
今は、バスタオルを3枚に折ったものに寝ていますが、“これしかない!”という私の枕、どこかにあるのでしょうか??



6月17日(金)  豆剥きのお手伝い

母の作る晩御飯には、よく○○ご飯が登場します。
私が、味つきご飯が好きで、子供の頃は、白いご飯があんまり入らなかったせいもあるのかもしれません。
竹の子ご飯とか、栗ご飯、かやくご飯(五目飯ですね)、そしてグリンピースご飯。
ウチでは、“ピースご飯”といいます。

亡くなった父は、特に、豆類(ただし甘くないもの)が好きだったので、ピースご飯は大好物でした。
私は、子供の頃は、ピースご飯は、そんなに好きでも嫌いでもなかったけれど、よくサヤから豆を取り出すお手伝いはさせられました。
ピアノの生徒さんが来ている間、襖をしめて(小さい頃住んでいた家には、防音設備のレッスン室なんてなかったから)レッスン中は、いつも襖をしめた奥の茶の間で、終わるのを待っていました。
その中で、ザルいっぱいに入ったグリンピースのサヤから、豆を出しておくのが私の役目でした。
後、そら豆を、フカフカのお布団のようなサヤから出すこと。
(これは、お布団のような感触が、結構好きだったので、自分から申し出て、やらせてもらった・・・)
枝豆を枝からちぎること。
(一つずつハサミでキレイに切るなんてことは、ウチではありませんでした・・・(~_~;) 土が飛び散るから、新聞紙を広げてその上で大まかな所だけ、ハサミで切って、あとは手でむしり取る!のです。)
さやいんげんの筋とりや、さやえんどうの筋とりとか・・・。
(これは、上からシューとむいて、反対からシューッと剥くのが楽しいんだけど、失敗すると、もう二度ととれなくてイライラする。)
それにしても見事に豆類ばかり。
あんまり上手くない?!生徒さんのピアノを聞かされながら、じっと待ってた、えらいぞ!の小さかった私・・・(^◇^)



6月18日(土)  “踊りに「ハングリー!」”

バレエのレッスンにいつも元気で来ているNさん、(70歳をちょっと超えているはず!!私が大昔、K谷バレ エ団に通っていた頃(小学生でした)、Nさんのお嬢さんが、少し上のクラスにいて、Nさんも貴婦人の役とか で、舞台に出ていました。30年たって、全く偶然、今の稽古場で再会してびっくりしました。)は、今ちょっ とご病気でレッスンをお休みしています。
そんなに重いわけではなく、手術をしたら、一ヶ月くらいで復帰される予定ですが、いつもいらっしゃる方がい ないと、何となく寂しい気がしてなりません。
ご本人が、何よりも、レッスンを休むことを気にされていて、“こんなに長くお稽古をお休みしたことがないか ら、不安だわ”とおっしゃっていました。

さて、先日、まだ30代前半のバリバリ、バレリーナYちゃんと、最近教えの仕事でも急に忙しくなった友人バ レリーナIちゃんと、帰る途中、
「そういえば、Nさん大丈夫かねぇ〜」
という話しになりました。
「Nさんのことだから、早く戻りたくてうずうずしているんだろうね」
「しかし、Nさんは、ホントバレエ好きだよねぇ。アノ人は一生辞めれないね〜バレエ。」
と、Yちゃんは、「私は、いつでも辞めれる!!」
「私も、辞めれるなぁ。たぶん、Nさんほどバレエ好きじゃないと思う」とIちゃんも。
(えぇーっ??そうなの??二人共?)
「レッスンだって、休むと、次来る時辛いから休めないだけだもん」
「それはあるよねぇ。でも私達くらいの年だとまだ、やっぱりどっかで、たとえ辞めちゃってもまたやりたかっ たら取り戻せる、くらいの感覚があるのかもよ」
「そっか・・・。」としばし、考え込む二人。

バレリーナじゃない私は、黙っていたけど、私は、たぶんNさんとあんまり負けないくらい、バレエ、そして踊 り全部が好きだと思うなぁ〜。
Nさんに比べたら、私にしても、まだ若い部類?で、まだまだ取り戻せる世代なのかもしれないけれど、やっぱ り今を大切にしたいし、何よりも、実はまだ伸びたいと思ってたりするわけで・・・。
故障もなく、身体もバリバリ効いて、何でもできちゃうように見える二人だから、時として、踊りに「ハングリ ー」であり続けることが、難しかったりするのかもね・・・。
時々、“バレエこのままやってていいのかな〜”みたいな、悩みを口にする二人。
Yちゃんは、「趣味で始める大人の人を教えるのも、しんどいよねぇ」みたいな事を言ってたけど、
私は、「でもねぇ、たとえそういう大人の人も、絶対に上手くなるよ。時間かかっても!」
と言いました。
これは、実感!(ねぇ、皆さん?!)
人間は、自分が持っているものが、時として見えないことがあって、それはとても寂しいこと。
持っているものを、感謝して、手を伸ばしてとろうとすれば、手に入るものを頑張って求め続ける。
そんな風に、踊りが好きで、そんなものに出会えたことを、あらためて感謝したりなんかしました。(*^。^*)



6月19日(日)  “銀座のホステス”

最近、よくTVで、夜のお仕事のプロが取り上げられていて、この前はホストの特集を見て、つくづく感心した 私ですが、昨日は、銀座のホステスさんをテーマにした番組を見てしまいました。
どんなお仕事でも、裏に回れば、他の人にはわからない、独特の苦労があるのでしょうが、またまたホントに感 心しました。
いや〜私にはできない・・・・。(~_~;)(できない仕事は、他にもいっぱいあるけどね・・・)

自分を商品として磨き上げ、そしてそれを自ら、プロデュースし、その魅力を買ってくれるお客様に、最大限の 気配りとサービスを提供する。
話術は、もちろん、自分のやり方を編み出し、結局はいかにお客にいい気分になっていただき、お金を使ってい ただくか、で結果が日々明らかになっていく。
そして、お店にお客を呼び寄せるための、絶え間ない顧客管理と、営業努力!
何でも、ホステスさんには「係り」制度というのがあって、お客様が最初に指名した「係り」のホステスに一度 になると、それは、お店にもお客にも変えられない永久のもの、というのが銀座のルールだそうです。
退職したホステスさんの係りのお客を、取り合って、繰り広げられる、女の戦い!!
お客さんの性格、好み、心理を読んで、いかに、もう一人のホステスの裏をかいて、一歩抜きん出るか・・・!
結局、そこまでやるか〜という押しの一手(さりげないやりとりの中から、お客がショートカットが好きだとい う情報を利用し、ほんの数時間でバッサリと髪を切り、アピールした)で、お客の心をつかんだ一人が、係りの 座を獲得しました。
すごいねぇ〜。

「なんか、シュワーッとしたの、飲みたいな〜」
の一言で、出てくるドンペリの○十万円の瓶!
誕生日のパーティで、次々と開けられる○十万のワイン、100万のダイヤのプレゼントを飾る○十万のケーキ ・・・。
まかり間違って、私が突然、銀座の女になって、「なんか、シュワーッとしたの・・・」とほざいても、
出してもらえるのは、三ツ矢サイダーの瓶か、コーラの瓶であることは間違いない。(^_^;)
もちろん、つまるところは、“向き、不向き”の問題なんでしょうけれど、私より格段に若い、言って見ればま だお嬢さんの面々が、銀座に集まるその世界で成功を収めた、一筋縄ではいかない男達を手玉にとって、湯水の ようにお金をつかわせる、その両者の駆け引きは、まさに、大人の男と女ならではの、ゲーム。
いやはや、何事も、プロの仕事というのは、素晴らしい!と感動さえ覚える私でした・・・。(-。-)y-゜゜゜



6月20日(月)  “髪型のお話し”

髪の毛を切ってから、大分経ってから、
「髪切りました?」
と言われることが多いのは、何故でしょう。
切ったには切ったけど、結構前だけどね・・・(~_~;)、と思いながら、大抵はメンドクサイから、肯定だけしとく。
人前に立って、踊りなんか踊るんだから、目立ちだかりやのところも?あるはずですが、
「似合いますね〜」
とか言われると、以外に照れちゃって、とんちんかんな返事をしちゃう方です。

最近は、あんまり奇抜なヘアもしないし、思いきったイメチェンもしてませんが、昔は、いろいろな髪型をしていました。
高校の時までは、校則がうるさくて、肩に付いたら二つ(ポニーテールなど、一つに結ぶのはダメだった)に結ぶ事、とか、前髪は眉毛が隠れない長さに切る、とか、もちろんパーマも、カラーも厳禁。
長い時は、三つ編、短い時は、ごく無難なショートにしてました。
卒業式の数日前に、パーマかけて、(もうここまで来たら、いいだろう!と思って)踊り始めた時は、後に、友人に、
「お嬢様風たてロールだった」
とさんざんからかわれました。
でも、ガンガンレッスンするようになったら、やはり長い髪はメンドクサイ。
それで、いきなり、刈り上げました。
周りは、随分びっくりしてたけれど、自分的には、さっぱりした〜くらいの感じ。
その後、カラー、メッシュも思いっきり入れて、虎の子みたいになってた時もあるし、踊る作品のイメージでどうしてもシニヨンにしたくて、伸ばしてシニヨンもしたし、(ただし、これは髪質的にかなり無理があった。ピンピンはねちゃって、ちっともまとまらない・・・)、美容師さんの口車に乗せられ、5分刈りみたいなスキンヘッド一歩手前くらいの時もありました。
髪型をしょっちゅう変える人は、飽きっぽいっとよく言われますが、そうなのかな?
(自分では、あまりそうは思わないけど・・・?)
あんまりポリシーがないのかもしれない。

ちなみに、レッスンの時、前は、オデコにしてたバンダナ。
今は、ご存知のようにかぶっております。(海賊巻っていうのかな)
ちなみにバンダナは、クラシックのレッスンでも、モダンのレッスンでも、必ずしてます。
私としては、たぶんバンダナをキリっとしばると、
「さぁ、やるぞ!」
という踊りモードになるんだと思います。(^◇^)



6月21日(火)  恐怖の乗り間違え

私は、自分のレッスンや仕事で、結構いろんなところへ移動しているつもり方だとは思いますが、それも一週間単位で見れば、一定の決まった路線を決まったように使っているだけ、もともとは地理感覚がかなり乏しく、時々とんでもないポカをやってしまいます。

小田急線は、途中から、方向が分かれていて、乗りなれない人が乗ると間違えてしまう、とよく聞きますが、私に言わせれば、駅のアナウンスが非常に親切、丁寧で、繰り返し、繰り返し、
「お間違えのないよう〜」
と言ってくれるし、車内アナウンスも、その都度入るし、全然いい方だと思います。
(それでも、一度寝てて、気がついたら、江ノ島線の駅にいたことはあるけど(~_~;)、これは寝てたんだから仕方ない。)
昔、やってはいけない時にポカをやってしまったのは、京王線。
あの電車も、調布から二手に分かれるのですが、仕事で生徒の本番当日だったのに、乗り間違えてしまい、それも運悪く、特急で、ドアが閉まり分岐点の調布を後にしてから、車内アナウンスで初めて、間違えた事を知り、次に止まったのは、15分も後。
降りた事のない駅にたたずんで、呆然とした事がありました。
小田急に比べれば、駅のアナウンスもひかえめだし、車両に書いてある表示も一車両に一箇所くらいで、分かりづらい気がします。

そして、昨日、またやってしまった・・・。
いつもは、普通の山の手線で移動する、新宿〜恵比寿間を、ちょうど南口にいたので、埼京線を利用して行ってみようとしたのが、間違い・・・。
埼京線は、知らぬ間に延びていて?新木場の方と、埼玉の方を結んでいるらしく、降りたった2番線ホームは、新木場方面、埼玉方面、両方の電車が止まるらしい。
(これが既に、ややこしいっつーの!!(-"-))
ちょうど電車が止まっていて、ドアが乗りなさい〜と言わんばかりに開いている。
アナウンスはなし。
電光掲示板?!は近くにないから、何分発のどこ行きかわからないけど、え〜い!乗っちゃえ〜!
乗ったと同時にドアが閉まり、(ドアが閉まります〜のアナウンスは、ありました)電車は発車。
これで、恵比寿につくのか、それとも、これは逆行きの電車で、池袋に行っちゃうのか、と内心ハラハラの私・・・。
窓の外の景色で、見当がつくだろう?と思うかもしれませんが、それが、いつも乗る山手線じゃないし、わからないのですよ、私は。
車内アナウンスは、かすかに、遠くでした気もしたけど、全く何を言ってるかはわからず、電車は結構なスピードでひた走る。
スリルとサスペンス!
そして、念願の車内アナウンス、
「池袋に到着します」
うへ〜!!(>_<)
やっちゃいました。私は恵比寿に行きたかったのに・・・(T_T)。
それでも、懲りずに、反対側ホームの、ただし新宿どまりの埼京線に飛び乗り、ふり出しに戻る私。

ほぼ10分後、移動距離ゼロで、再び新宿駅の埼京線2番線ホームで、今度こそは、(電光掲示板の下まで歩いていって何度も確認!)恵比寿を通る新木場行きの埼京線に乗り、無事に恵比寿に辿り着いたのでした。
やれやれ・・・疲れた・・・。(@_@;)
それにしても、わかりにくいぞ!埼京線!(ちょっと八つ当たりも入ってる??)
お婆さんなんかが、乗り換えを間違えて、とんでもない所へ行っちゃったりするのが、とてもよくわかる気がする私です。(^_^;)



6月22日(水)  「廃用身」を読んで

本屋さんで何気に手にとり、引き込まれるように最初を読んですぐ買ってしまった「廃用身」という小説。
久坂部羊という医師が、書いた小説なのですが、これがまぁ問題作というか、ショッキングなものでした。

廃用身というのは、麻痺して、リハビリをしてももう元通りにはならない四肢の事を言うそうです。
主人公は、老人のためのデイケアセンターの医師。
廃用身のために、様々な苦痛、不便を感じている老人達と接しているうちに、いっそそうした手足を切断してし てしまったら・・・という特極の医療、「Aケア」を思いつくのです。
ドキュメンタリータッチで、その医師の書いた論文という形で、話しがすすむので、現実と虚構の区別がつかな くなってくる部分もあります。
最初は、そんなグロテスクな治療があるものか!と思っていたものが、いつのまにか、廃用身が本人に与える様 々な苦痛の軽減、そして、介護問題、介護する家族の負担の軽減、そして何よりも、その手足を切り離すことで 、脳の血流が増え、ボケが直る、性格が明るくなる、身体のバランスが戻り、(乙武クンのように)足の付け根 を使っての歩行、自立が可能になる・・・などのメリットを並べられると、グロテスク、尊厳が・・・などと感 じるのは、単に、一つの禁忌が破られることへの抵抗に過ぎないではないか・・・などと思ってきてしまう。

結局、後半になると、その医師がマスコミに取り上げられ、マスコミに翻弄され、話しは違う方向へ転じていき ます。
医師自体の人間性にまで、マスコミの魔の手は及び、そんな中で、いったい、彼の「Aケア」が、何だったのか が彼自身にも分からなくなってくる。
本の後半は、彼の論文を本にしようと骨を折る編集者の注となって描かれます。
凝ったつくりで、医師と編集者二人の略歴、奥付けまでついている、完全なノンフィクションの形態をとった小 説なのです。
努めて公平に「Aケア」を判断しようとする編集者の視点で描かれる、医師とその妻の悲劇的な最後、そして皮 肉にもAケア状態となって生き残った遺児・・・。

人間の奥に潜む、善と悪、そしてマスコミによってどんどん捻じ曲げられていく真実、という後半のテーマが前 半のシャープさには余計だった気もしますが、老人医療、介護と言う問題にこれほど食い込んだ作品はないと思 うし、何しろ、しばらくは、廃用身のショックに呆然としてしまった私です。
機会があれば、是非、読んでみて下さい。



6月23日(木)  “紫陽花”

梅雨の季節と言えば、紫陽花!
うっとおしい季節を、華やかにしてくれる一筋の清涼剤ですね〜!(*^。^*)





6月24日(金)  “筋金入り?”

これはなくしたくない!と思うものに限ってどこかへ行ってしまう・・・体質?なため、あらかじめなくなりそうなものは、なくなってもいい、惜しげのないものを使うようにしています。
例えば、ライター。
煙草に火をつけるたびに、どこでも出したりしまったりするためか、高級なものを頂いたりしても、なくさないことに気を使うと疲れてしまう。
そのため、結局、惜しげのない100円ライターを使うことに・・・。
煙草ケースも、然りであります。
飲み会などで、置いてきてしまったり、なくなってしまうのがイヤで、無印の巾着袋を愛用。
不思議なのは、いつなくなっても平気と思うと、これがなくならないんだよねぇ〜。

ボールペンも、ミスタードーナッツでもらった、頭の所にライオンがついたものを使っていたのですが、ある日、ぽろっとそのライオンの頭がとれてしまいました。(うー残酷!)
いつ捨てようと思いながら、使っているのですが、これが変に持ちが良くて、いつまでもなくならない。

そして、傘。
折りたたみでない方の、長い傘は、結構気に入って買ったものがあるのですが、もし置いてきてしまったら?と思うともったいなくて??普段は持っていけない。
雨が止んだ時、持ち歩くのも不便だし、大抵は、折りたたみにしてしまい、閉じたとたん、持って来たビニール袋に入れて、リュックにしまう。
こうすれば、絶対に忘れてこないから、かなりボロボロなのにずっと持っています。
使わなければ、意味がない!とも思うのですが、これが性分というもので・・・。
そういえば、私の父も、気に入った一本の傘は、よほどの時でない限り、持って行きませんでした。
親子二代の、筋金入り?の貧乏症であります。(^^ゞ



6月25日(土)  「MDをCDにってできないの??」

今年もまた、子供のミュージカルの振り付けをすることになりました。
打ち合わせの際に、「音は、MDかカセットになりますが、どちらがいいでしょう?」とのこと。
うへぇ〜!!
困った・・・・。(>_<)
長年のカセット生活に見切りをつけ、最近は、やっとCD中心の生活になり、外で振り付けをする際(って外でしかしないんだけど・・・(~_~;))は、CDウオークマンを愛用する私なのに・・・・。
仕方ない、自分でどうにかするとして、とりあえず両方頂いておこう。
誰かに、CDに落としてもらえばいいや〜、と軽く考えていた私が、実は大バカだったわけで・・・。

早速、生徒の面々に伺いをたてると、私としては思っても見ない返事が返ってきました。
「いや〜それってできるんでしょうかねぇ?」
えっ?出来ないの??
「専用の機械がないと無理だと思いますよ〜」
えっ!なんと!
CDのダビングみたいにはいかないわけ?

で・・・よーく考えてみたら、かなり前に後輩が使わないといってくれたMDウオークマン、あったかも!?
探した見たら、あったのですが、ナント充電器がない。
電気もつかないので、電池がないのか、それとも本体が壊れているのか、ここが微妙・・・。
電気店に行って、親切そうな店員さんに、実は・・・と相談を持ちかけてみました。
「ずっと前にもらったMDウオークマンなんだけど、充電器がないんです。それで、ただ電池がないのか、電池 が壊れてるのか、本体が壊れてるのかってわかりますかねぇ?」
「う〜ん」と店員さん。
調べてもらったら、電池が充電されていないのは確認、ただ、本体が壊れてるのかどうかは、合う電池の在庫が ないので、無理だそうで・・・。
つまりは、充電器を買っても本体が壊れている可能性もある・・・つまりは買うか買わないかは、賭けってこと ??

ちなみに、MDからCDのダビングについて、店員さんに尋ねると、
「そういう需要は、ほとんどないですからねぇ。MDの方が音がいいわけでそれからCDに落としたいと言う人 はあんまりいないでしょうから」
(いや、ここにいるんだって!)
それで、事情を説明してもう一度尋ねると、かなりぐるぐる考えているようで、しばらくの沈黙。
結局、説明してくれたことがあまりよくわからなかった(~_~;)のですが、パソコンに読み込む付属機械が必要ら しいし、難しそう〜。
それなら、充電器を買う方が、リスクが少ない。
えい!一か八か!
ちなみに充電器は、2700円でした。
帰り着くなり充電をし始めた私ですが、願わくはこの充電器が無駄にならないことを切に祈ります〜。(^_^;)

追記!!
かかりました、MD!
やはり、電池が切れていただけだったようです。皆様お騒がせしました。やった〜!(^◇^)



6月26日(日)  「記憶のチカラ」

記憶のチカラという番組をちらっと見てたら、
“記憶は脳内の回路で、覚えるというのは、その回路が新しくできること”だそうで、
“いわゆる身体で覚えたことは、忘れにくい、何故なら歩くとか走るというようなら身体の記憶というのは、生 物の生存に直接関わってくるから”で、
“回路ができるためには、反復”で、
“回路ができやすくなるのに関係するのは、ずばり興味、好奇心”なんだって!
やっぱり・・・。

何が、やっぱり・・かというと、日頃しょっちゅう、
「振りつけが覚えられない〜」
という悩みを皆さんから聞くたびに、私が、
「何度も、何度も、身体を使って反復するしかないよ!」とか、
「慣れだよ」とか、言ってたのは、科学的に合っていたんだな〜ということです。
そして、後は、
「楽しまなきゃ・・・」ということ。

たぶん、振り付けに関しては、回路が一度できると、どんどん覚え易くなるわけで、記憶法自体は、その人に合 った方法でいいんだと思う。
東京中のビルを瞬時に記憶して、詳細な絵にできる人や、ルービックキューブの何万通りもある動かし方のパタ ーンを記憶して、あっという間にこなす少年や、歴代大統領の名前や、憲法の前文、演説を一字一句覚えちゃう 幼女なんかが出ていてすごかったけれど、皆、覚えることを楽しんでいるようで、活き活きしていました。
ここで、妙に納得してしまうのは、試験勉強などで、
“どうしても覚えなきゃならない!”
ということは、なかなか頭に入らないという現象。
な〜るほど、だからだったのか・・・。

子供のクラスでの振り付けは、大抵一曲上がるまで、続けてやるのですが、子供達が頭の中でどうやって覚えて いるのかはわかりませんが、ある程度まで続けていると、音をかけると自然に踊り出すようになる。
まさに、反復によって、身体で覚えているのだと思います。
振り付けた私の方は、前の方とかすっかり忘れていたりして・・・(~_~;)。

いずれにしても、人間のチカラってすごい!
身体も頭も、解明されない能力がきっとまだまだ潜んでいるんだと思います。
何か、ちょっと嬉しい。(^◇^)



6月27日(月)  「Oiaue」(オイアウエ)

私の母の姉、伯母は、絵描きで、その連れ合いの伯父も同じく絵描き、私にとって、その二人の夫婦は生まれた 時から当たり前のように、絵を描く“Cおじちゃま、Yおばちゃま”でした。
現在も、私の家には二人の描いた油絵があちこちに、(狭いのに〜展覧会状態!)飾ってあります。
伯父は、ヨット乗りでもあり、主に海の絵が多く、伯母は、数多くの挿絵なども手がけ、花や少女の優しい絵を 描きました。

その伯母が亡くなったのは、2003年6月、73歳でした。
無宗教で行った葬式は、花と賛美歌と、昔話にあふれ、ヒゲを蓄え“船長さん”のイメージそのままの伯父は、 笑顔で伯母を見送りました。

そして、このほど、その伯父が伯母との51年の人生を綴り、そしてたくさんの二人の絵をちりばめた「Oia ue」(オイアウエ)という本(舵社)を出しました。
「Oiaue」とは、南太平洋の、トンガ王国の言葉だそうです。
びっくりした時も、嬉しい時も、悲しい時も、立ち上がる時のよっこらしょにも使われる、「Oiaue!」。
文明社会からの離脱、ユートピアを夢見て、「トンガ友の会」を発足させた伯父。
伯父の長男(私のいとこ)は、トンガでの重要人物、島での大恩人夫妻のお嬢さんと結婚したのです。
ロマンチストで、海の男の伯父を51年支え続けた伯母、近いようで、子供だった私にはあまりわかっていなか った二人とその家族の物語・・・。
深い愛情と、感謝、数々の想い出、そして80歳を越え、なお前を向いて、エネルギーにあふれる伯父の文と絵 を見て、あらためて、(身内ながら)カッコイイと思いました。
そして、けんかばかりしていた、という二人が、伯母の臨終の際に、手を握り合って、幼稚園の男の子と女の子 のようになってしまった、という場面には涙が流れて仕方ありませんでした。

どうぞ、Yおばちゃま安らかにお眠り下さい。
そして、Cおじちゃま、これからもそのまま明るく、前を向いて歩いて下さい。(ただし、あまり無理はしないでね!)



6月28日(火)  他人の目

最近、電車の中で堂々と物を食べる人が増えているみたいです。
バッグからお菓子を出して、パクッとかは私もやるし、よっぽどお腹がすいていれば、パンか何かを袋に入れたままつまんだりしたことはありますが、座席にすわって、堂々とおにぎりのシートをはがし出したりすると、ちょっとぎょっとしてしまいます。
ところが、そんなのはまだいい方で、今日、友達から聞いた話しでは、普通の電車の座席で、いきなり○野屋の牛丼を食べ出した親子がいた!とのこと。
もう一人の人の話では、電車の中、立ったまま、ドアに寄りかかって、ナント手作りらしいお弁当を食べ出したそうで・・・・。(@_@;)
別に禁止されている事というわけではないけれど、やはり、ニオイもするし、通勤途中にあまり出くわしたくない光景ともいえましょう。

お化粧もそうですが、他人の目というのが気にならない、という人種が増えているのですかねぇ〜。
下地から始まって入念にお化粧をしている女性なんかを見かけると、私はつい、じっと見てしまうのですが、かえって睨み返されたりしてしまいます。
でもねぇ〜衆人監視の中で化粧を始めるってことは、見られてもいい、ということなんじゃないのかしら。
自分の親しい周りの人間以外は、“人に非ず”ということなんでしょうか。
地べたにすわっている若い子を見ると、以前は具合が悪いのかと思って、心配したりしたけど、最近は、どうせ携帯電話で長話しだな、と思って気にもとめなくなりました。
しかし、この間、道端で円陣を組んで地べたに直に座って、皆で化粧をしている女子校生達を見た時は(ちょっと山んば?入ってたかも?)げんなりしました。

確かに社会通念や、常識は時代によって変るのかもしれませんが、よその人の目、恥の概念が全くない世代というのは、やっぱりあんまり私にはわからないです。
かといって、寄っていって、注意というのは、まだできないんだよね〜・・・・。(^_^;)



6月29日(水)  “縁の下の・・・”

モダンの友人Bのお嬢さん(小2)のバレエの発表会が終わりました。
私は、仕事の都合で見に行かれなかったのですが、人前で踊るのを嫌がっていた、どちらかといえばおとなしい 子供のNちゃんが、発表会が終わったら、俄然、ニコニコして、
“今度は、私が(主役の)クララをやる!!”
と張り切っているそうなので、よかった、よかった・・・。(*^。^*)
(Nちゃんの母Bによれば、花束や、お菓子をたくさんもらえて、気をよくしているだけだ、そうですが・・・ (~_~;))

しかし、母のBは、かなりぐったりしてやつれている様子。
「そんなに、大変だった?」
と尋ねると、あまりの疲れで寝込んでしまったそうで・・・。
子供が沢山出演する、バレエの発表会にはよくあるのかもしれませんが、全ての雑務は、母の会が仕切っている ようで、Bも本番は袖に待機、わが子の晴れ舞台も見られず、係りの子供達をまとめて舞台に出す役をこなした そうです。
薄暗い袖で、興奮しきった子供をまとめて舞台に載せるだけでも結構な重労働。
しかも、多くの子供は、初舞台で、親もまた舞台なんて始めての経験という人が多く、下手に舞台を知っている Bは、一人気をもみ、バレーシューズの紐を結び、ぐちゃぐちゃになったメイクを気にし、ほって置くと袖幕に さわって幕を揺らしてしまう子供を叱り、責任感で張り詰めた神経で、具合が悪くなってしまったようです。
あらら・・・それはお疲れ様でした。
私も友人の発表会で、出演しながら、子供の誘導をやった事はあるけど、暗がりで見ると同じようなヘアスタイ ルをして、メイクをしちゃうと、どの子も皆同じように見えて、まとめて舞台に出して、引っ込めるだけでもな かなか大変なんだよね〜・・・。
しかし、舞台は、そうした縁の下で支えてくれる沢山の手のお陰で光輝くわけで・・・。

「こんなに大変なんだったら、次回は私も出演する。決めた!その方が全然ラクだよ〜!」
・・・というわけで、どう見てもクラッシックという雰囲気ではない?!(ゴメンB!)彼女のバレエ発表会出 演が決まったようです。(^◇^)
まぁいずれにしても、そうした沢山のお母さんの愛に支えられ、バレエを習う子供達が、子供時代のよい想い出 と共に、素適な大人、踊りの素晴らしさを分かる(たとえ途中で辞めちゃうとしても・・・)大人になってくれ る事を願う私であります。



6月30日(木)  “地震予知サイトの話し”

実は、かなり前に地震雲らしきものを発見してから、地震予知のあるサイトを必ず覘くようになりました。
東海・南関東地方に超大型地震が起こる可能性が非常に大きいというのは、かなり前から指摘されていて、週刊 誌の見出しなどでも、センセーショナルに躍っているので、皆心のどこかで、何となく不安には思っているとは 思います。
まして、地球規模で自然がどっかおかしい今日この頃、スマトラの巨大地震などが起こったりすると、
“次は??”
と怖くなったりするわけで・・・。

地震雲についても、地震予知についても、いわば全くの素人である私が、たまたま行き着いたこのサイト、一風 変った方がやっているようで、見始めたら、クセになる??のです。
地震雲自体の信憑性についても、気象庁や学者などは、必ずしも認めていないらしいのですが、マニアの世界? には、地震雲を始め、様々な“前兆現象”というのがあるらしく、
「カラスのギャー鳴き」(地震前にカラスがギャーギャーと鳴くことらしい、このギャー鳴きという言葉の響き がちょっと可愛くて・・?!)
「電磁気の異常」(TVや、パソコンなどに異常が現れるらしい)
「ナマズ」や、「金魚の泳ぎ方」、「人間の体調(耳鳴りなど)に異変が起き」たり、それは様々な現象を観察 しては、毎日!掲示板に報告してくる全国のファン?がいるのです。
管理人ご本人も、毎日毎日、更新しては、
「今日、明日のうちに必ず巨大地震が!」
などと警告している。
その真摯さには、ちょっと感動するし、そういった地震関連でない時事ネタなどを読んでも、真面目な人が真剣 にやっているんだな〜とは思うのです。

が、どうやらそういった民間の予知を、完全に否定し、ヒステリックになって、サイトを攻撃してくる輩がいる らしいのです。
信じないなら、放っておけばいいのに、大量の嫌がらせの書き込みをしたり、掲示板を壊すような悪意の様々な 仕業に、管理人も猛烈に反撃、今では、更新の半分が地震ネタ、半分がそうしたサイト荒らしへの反撃となって いる有様。
世の中には、ヒマで、自分と違う他人を許せないバカな人がいるものだ・・・。
管理人も、言う通り、信じない方の立ち入り、書き込みお断り!と書いているように、イヤなら見なければいい だけなのにねぇ・・・。

さて、私がそうした地震予知に対して、どう思うかって?
半信半疑ですね。
毎日、毎日、“危ない!”と言われても、仕事には行かなくちゃいけないし、地震が起こるかも・・と思っても 、日常はこなしていかなければいけないんだもの。
ただ、いくら科学的根拠がなくても、そうした人間の本能としての、危険察知の能力というのは絶対あると思う し、ファンの中には、その地震予知がある意味“生きがい”みたいになっている人もいるみたいだし(それはそ れでいいと思う)、所詮人間は、自然の前では、無力なもの、神様にお任せして生きて行くしかないのかも・・ ・と思うようにしてます。
ただ、時々、妙にカラスが集まってきて、“ギャー鳴き”をしていると、
「これこそ、その“カラスのギャー鳴き”では?」
と思い、怪しい雲が出ていないか、空を見回したりしている私であります。(^0_0^)



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