YUKO MASUMITSU JAZZ DANCE STUDIO

 2005年 4月


4月1日(金)  犬の話し☆ムクちゃん編

前にダイアリィーで、犬のピット(アメリカン・ピット・ブルテリア)の話の時に書いたのですが、私はずっと犬が苦手でした。
子供の頃から、動物を飼ったことがなかったし、道などでつながれていない犬に会ったりすると、本当に冷や汗をかきながら、道の反対に逃げるくらいでした。

今思うと、いったい何が怖かったのか、あまりよくわからないのですが、たぶん、犬がどういう行動に出るか、何を考えているのかが、全くわからないところだった気がします。
ですから、犬が急に吠えたり、急に飛びついてきたりしようものなら、気絶するほど脅えていました。
ところが、あるピットと友達になって以来、他の犬もかわいいと思うようになり、あまり怖くなくなりました。

先日も、あるお店で、また新たな犬と友達になりました。
その店は、非常に家庭的な雰囲気のお店で、マスターとママさんでやっています。
お料理も、季節のものを使い、暖かな感じでとても美味しいし、まるで、お宅にお邪魔してもてなしてもらっているような感じのお店なのです。
そして、そこには、一匹のシーズーがいるのです。
はっきり言って、シーズーという犬は、顔がくしゃくしゃだし、目ばかりぎょろりとしていて、私はそんなに可愛いと思ったことはなかったのですが・・。
私がトイレに立つと、トイレの前に陣取っていたその子は(名前は、ムクちゃん)、尻尾をちぎれんばかりに振って、私に近寄ってきました。
昔なら、ぎょっとして、後ずさりでもしていた私ですが、今は自然にムクちゃんに近寄ろうと腰をかがめると、私の手に前足を2本預け、大喜びしているのです。

な〜んて、かわいいんでしょう!!
「ムクちゃん、すごいねぇ〜」と声をかけると、くるっと向きをかえて部屋の奥へ行く様子・・?
そして、何かをくわえて戻ってきました。
ムクちゃんが口にくわえていたのは、彼のおもちゃである、くしゃくしゃのぬいぐるみ。
「おもちゃ、あげるって」とママさん。
「え〜っ!私におもちゃくれるの??ありがとう!!」(*^。^*)



たぶん、今までの私は、「犬」というだけで、警戒し、怖がっていたので、そのオーラがワンちゃんにも伝わっていたのだと思います。
人間関係なんかでもそうなのですが、自分が警戒すると、相手も警戒する。
自分が緊張すると、相手も自然に緊張したりする。
どんな人かもわからないうちに、身構えていると、仲良くなれるものも、上手くいかなかったりするのかもしれないな・・・。(^。^)
犬に対しても、そして人間に対しても、自分の生き方すべて、或いは踊りの上でも余計な力を少しずつ抜いていけたらいいな・・・・。(*^。^*)

4月2日(土)  MKのヘルニア続報!!

先日ダリアリィに書いた、初級クラスのMKのヘルニア、続報です。
私の友人Mちゃんの情報、そしてクラスの皆の情報などで、K家では様々な病院に連絡をとっていました。
現在のヘルニアの治療では、もっとも安全、かつ効果があるという情報の、レーザーによる治療をしてくれる病 院は、どこもかなりの混雑で、予約が一年先、半年先と言われてしまい、前途不安・・・という状況の中、結局 、最初に情報をくれた、もとヘルニアだったバレリーナMちゃんが治療を受けた、C県にある病院が、実に快く、 MKを受け入れてくれ、今日、治療を受けることができたそうです!
MRI撮影、説明、レーザ治療まで一時間半くらいで済み、MKは入院することもなく、無事自宅へ帰ってこれたとい うことです。\(^o^)/
しかも、K家のパパも、実はヘルニア(~_~;)で、ついでに?レーザー治療の予約をし、しかも、“親子割り引き” ??なるものも交渉した(さすが・・・)ということで、とにかく、ホッと一息というところですね。
もちろん、無理は禁物ですが、ひとまずこれでMKが少しずつ快方に向かうなることを祈りましょう。

今回のことでは、かつて、いろいろな病院で全く直らず、自力で電話帳をめくり何とか助けてくれる病院を見つ け、とうとうヘルニアを克服し、今ではバリバリと踊っているMちゃんには大変お世話になりました。
私がまず、MKのことを聞いて相談すると、それは親身になって心配してもらい、本当に有難く思っています。
そして、スタジオの皆も、PCで情報を検索するなど、いろいろと心配してくれていたようで、やはり人の心の温 かさ、優しさに触れた気がしています。

MKの年には、まだ、踊りとも出合っていなかった私ですし、その後もかなり無茶な使い方をしていたわりには、 若い頃は、一切故障知らずで、その分、人の痛みともいうものにもある意味鈍感なところがあったのかもしれな いな・・・と最近になって、思います。
故障に限らず、人は痛い想いをして、どんどん深くなれるのかもしれません。(ならなくっちゃねぇ・・・)

ダンサーにとってもっとも辛い、身体の故障を若くして(まだ高校生だもんねぇ・・・)経験してしまったMKが 、これから焦らずに、一歩づつ、自分の身体と向かい合い、上手くつきあっていって、精神的にも強く、しなや かなダンサーになってくれることを、心から祈っています。



4月3日(日)  カルチャーコンサート本番

今日は、カルチャークラスの“スプリングコンサート”本番でした!
応援に駆けつけてくれた方々、その他お世話になった方、どうも有難うございました。m(__)m
無事、本番も終わり、皆、楽しいステージだったようで、よかった、よかった・・・。

しかし、実は、これが今回のステージは、なかなか波乱含みで、私としてはちょっぴり疲れました。(~_~;)
会場は、カルチャーのあるサティの8階のフリースペースだったのですが、フリースペースといっても、要はレ ストランの間の空いている場所ということで、もともとはただの広い空間。
舞台はもちろん、袖も、早替え場所や、また、もともとは客席があるわけでもありません。
つまり、空間をいかにステージとして創るかというところから始まるわけで・・・。
もちろん、だいたいの構想は、事前に店長と相談してあったのですが、今朝、早めについた私が8階に行ってみ ると、打ち合わせとは全く異なる場所に、椅子が設置してあり、踊るスペースが非常に狭くなっているし、袖と して使用するはずの、パーテーションもありません。
(えーっ!!?(@_@;))
と焦りまくり、遅番だった店長の自宅にまで電話をかけて確認すると、“あれは昨日のままで、後で先生にご確 認して、というつもりでした”とのこと・・・。
(それならいいけど、後でっていってもクラスが終わったら、一時間しか時間ないんだけど・・・)
とせっかちの私としては、気が気ではなかったわけです。
ま、仕方ない。

クラス後、本番一時間前、店長をせっつくように、8階に上がり、パーテーションをガラガラと運び、(何故私 がこんな事を・・・?と思ったけど、どうやらカルチャー側人員もギリギリいっぱいのようで、この際仕方ない )足りない分を展示会場から(ちょっと無理やり?)調達し、何とか舞台の格好をつけ、椅子の位置も指定し、 それでも人員が足りなさそうなので、見に来てくれた生徒をひっぱり出して、お願いし・・・。

やれやれ・・・と一息ついて、出演者を引き連れ、これで無事本番と思いきや!!
ウチの前の発表をしていた、フラメンコチームの音楽が突然ストップ!
えーっ!!(@_@;)
MDの調子が急に悪くなった??
じゃ、代わりのデッキを持ってこなきゃだめじゃん!!
さっき、ウチのクラスで使ってたMDは、大丈夫そうだから、運んでこようよ、とカルチャーのある7階に走り、 店員さんと二人でえっちらほっちら重いコンポを運び、やれやれ・・。

やっとのことで、ウチの本番。
・・・と音が小さくて聞こえない?
踊っている皆は、やりにくそうに何とか踊っているけど、これじゃあんまり小さすぎるじゃん!
そこで、店長が、「このハンドマイクで、音拾えば?」
とナイスフォロー。
MDの音出しを頼んだ店員さんが、右手でマイク、左手で操作と頑張ってくれました。

後は、問題も特になく進行し、私のほんのちょっぴりのフィナーレの踊りも(~_~;)無事終わり、キッズクラスの 子供からは、素適な花束まで頂き、m(__)m・・・あーよかった。

完全に、カルチャーの“一従業員”として、大活躍?し、ぐったりした私でありました。
しかし、打ち上げでは、皆、「お客様が近くて、楽しかった」、と大物ぶりの感想も飛び交い、本当にやってよ かったです。
また、機会があれば、こういう企画もおもしろいですね。(今度は、ハプニングがあまりないように祈りますが ・・・)



4月4日(月)  人前で踊る経験

昨日のカルチャーの発表会では、たぶんメンバーの皆にとっては、初めてといえるくらい観客が近くにいる、い わゆるライブ的なステージだったのですが、“観客の反応が伝わって楽しかった”という意見が結構ありました 。
知人の誰々が、どこに座っていた、など、お客様の顔もちゃんと見えていたようで、皆以外に、冷静!!(~_~;)
メンバーのAが、言うように、“ちゃんとしたステージでなくても、照明がなくても、踊る場は最高の贈り物”な わけで、皆が楽しく踊れたことと、観客というものを意識したことは、とてもよい勉強になったと思います。

思い返してみると、私自身も、若い頃は、様々な形のステージ、或いは踊りの場を経験しました。
その中には、いわゆるホールや、劇場はもちろん、青空のもとでの仮設ステージや、ファッションビルの入り口 の階段の踊り場につくられたステージや、ライブハウスでのパフォーマンスで、円形のステージで周りをお客さ まが囲むものや、踊りの友達の結婚式で、お料理のすぐそばで(~_~;)踊ったこともあったっけ・・・。
ただ、私は、かなりの近視のためか?照明がなく、昼間、昨日のように客席との段差がまるでなく、客席の至近 距離で踊ったことはなかったのか?、皆のように観客の知人の顔がわかった、ということはあまりなかった気も します。
私は、たぶん、知人の顔を意識してしまったらかえって緊張してしまうだろうから、その方がよかったとは思う けど・・・・。
私はやはり、照明がない、地明りという方が緊張する・・・。
(昨日は、緊張もなにも、バタバタしていて、いつの間にか客の前に出ていたけれどやっぱりちょっぴり変な感じでした。・・・(^^ゞ

人前で、踊るという意味では、私は最も緊張したのは、数々のステージ、舞台よりもむしろ教えを始めた頃、生 徒の前で踊る時だったり、最初に他人に振り付けをした時だった気もします。
お客に自分を出すのは恥ずかしくないのに、どうも後ろから鏡を通して見られているというのと、その鏡に自分 があまりに近く、至近距離すぎることと、自分が創った踊りを人に教えるというのが、妙に恥ずかしく緊張して いたような気がする・・・。(あまりに昔で忘れていたけど・・・)
あれは、自分が踊るのが恥ずかしいというより、たぶん、自分の創ったものを出す恥ずかしさだったのかな・・ ・?

ちょっぴりやる気を失っていたというキッズのある生徒が、昨日の発表会をきっかけに、やはりレッスンを続け る気になった、とお母さんが言っていました。
舞台の経験は、どんなものでもやる気の根源、その人の財産ですねぇ。
できる限り、そんな機会を皆さんにも持ってもらえるように、私も頑張らなくちゃとあらためて思いました。



4月6日(水)  “コンクラーベ”

ローマ法王、ヨハネ・パウロ2世が亡くなりました。
ウチの母は、カトリック信者でありまして、何かこの前の日曜日は追悼ミサがどうのこうの・・と言ってました が、まぁご高齢のこともあるし、ずっとご病気(パーキンソン病とかいろいろ・・・)だったこともあり、もの すごくショックというわけでもないみたいです。

さて、この法王逝去のニュースの後に、あちこちで最近話題になっているのが、次の法王を決める選挙、“コン クラーベ”であります。
“コンクラーベ?”と聞くと、だいたいどの人も、どうしても「なに?根比べ?」と駄洒落を言いたくなるよう ですが、もちろん、日本語の根比べとは全く関係がありません。
何でも、ラテン語で「鍵のかかった部屋」という言葉から来るらしく、次の法王を、全世界から集まった100 何人かの枢機卿が、完全な密室となった聖堂で、選ぶのだそうです。
全体の3分の2プラス1の賛成が得られるまで、外へ出ることは全く許されず(缶詰状態!!だから、根比べと 言いたくなる・・・(~_~;))、話し合いそして、投票が行われるらしいです。
そして、結果が決まらないうちは、投票用紙と濡れた藁が燃やされ、黒い煙が、外界へそれを知らせ、結果が決 まると、投票用紙と乾いた藁が燃やされ、白い煙が上がるということになっているそうです。
年齢制限は、80歳以下ということです。(やっと決まったのに、すぐ亡くなったら困るからかしらん?でも、 天皇陛下もそうだけど、70歳を過ぎての様々な公務はかなりキツイと思うから、もうちょっと引き下げてもい い気はするけど・・・)
宮内庁の侍従をされていた浜尾実氏(彼もクリスチャン)の実弟、浜尾伺郎氏も枢機卿の一人して、参加されるの ではないかと思います。(未確認ですが・・)
ですから、もしかしたら、初の日本人ローマ法王という可能性だってゼロというわけではないということです。
もともと、パウロ1世が急死され、次の法王を選ぶコンクラーベの後、決まったヨハネ・パウロ2世もポーラン ド人ということで、かなりの波紋があったということで、浜尾法王誕生(洗礼名で呼ばれるのでしょうが?)と いうのも何かおもしろい(不謹慎か・・・)気がします。

宗教が違っても争うことのない世界をめざして、努力してきたパウロ2世のご冥福を祈り、宗教に限らず、主張の 違う者の意見を力で押さえつけることの愚かさを、一刻も早く、人間が思い知ることを心から望みます。



4月7日(木)  お花見まっさかり

桜満開!!
ポカポカ陽気(今日は暑いくらいでしたねぇ)で桜も満開、お花見もピークです。
私も、今日は、満開の桜を満喫しました。
やはり満開の桜というのは、ある種の凄み、迫力がありますねぇ〜。

さて、お酒を飲まない私は、あのブルーシートで場所取りして、夜桜の下での宴会というのは経験がないのですが、新入社員の頑張りの成果?で、キープされた宴会場を見るたびに、友人Hさんの事を思い浮かべます。
実は、Hさんは、(前にも出てきたモダンの友達)は、建築会社の取締役なのですが、毎年会社での花見宴会に参加するたびに、怪我をしてしまうのです。(~_~;)
ある年は、ほろ酔い、千鳥足で、ブルーシートの上を歩いていて、座っている人の足をよけようとして、見事に捻挫。(>_<)
またある年は、家までたどり着いたはいいけれど、家の階段で足をふみはずし、打撲。(>_<)
Hさん曰く、そういう時は“予知能力”が働き?、自分の転んでいく映像が浮かび、“次の一足が危ない!”と思うらしいのですが、アルコールが入っているせいもあり、コントロールが効かず結局捻挫してしまうとの事。
ホントかしら??(^_^;)
いずれにしても、そういう能力は、アルコールが入っている時しか働かず、しかも結局怪我してしまうんだから、あんまり意味がなさそうです・・・。
今年も、今週末に宴会がある、との事で、皆から“怪我してこないでよ〜”と冷やかされていました。
私も彼女の無事を祈るばかりです・・・。(^^ゞ



4月8日(金)  朝の「連ドラ」

昨日だったか、新聞のコラムで酒井順子さんが、NHKの朝の連ドラについて書いていました。
(“負け犬”でブレイクしましたが、私は結構前に若い頃に彼女が書いたコラムなどを読んでいました。世代がほとんど同じで、共通する感覚も多いのです。)

長年の、朝の連ドラファンだった彼女も、とうとう新しく始まったドラマの初回を見なかったとのこと。
それは、その前のシリーズを見ていなかったため、それが終わったのを知らず、次が始まったことも知らなかった、とのこと。

私も〜!!

実際、一時期、朝の時計代わりとして、日本人のかなり多くの人が見ていて、視聴率もそれなりだった朝ドラも最近は、低迷の一途をたどるばかり・・・。
「おしん」までさかのぼると、(そんな事言えば、私はもっとさかのぼれる!「鳩子の海」とか・・・)行きすぎかもしれないけど、社会現象を作り出すくらい影響力のあった朝ドラも、今は本当に細々続いている、といった感じです。
私も、かなり頑張って?朝ドラにはついて行っていた方だと思うのですが、ここ数回のシリーズは全く興味を感じず、とうとう朝NHKを見るのをやめてしまいました。

過去には、本当に、朝が来て、ドラマの展開が進むのが待ち遠しいくらいの作品もいっぱいあったのに・・・。
「ふたりっ子」(マナ、カナの二人は未だ芸能界で健在ですが・・・)などは、女流棋士として頑張っていく主人公の人生の他に、恋愛の展開のハラハラもあり、毎日が楽しみでした。
その後も、子役の太陽君が光っていたし、ちょっぴりファニーフェイスの田畑智子の演技や、草刈正雄の3枚目が活きていた、「私の青空」などは、かなり楽しいものだった・・・。

昔は、連ドラ出身の女優さんは、必ずその後大成したけど、今では、出てきては埋もれ・・・というくらい印象も薄い。
やはり、酒井さんが言うように、“頑張る女性”というコンセプト自体が当たり前すぎて、世の中にはウケなくなっているのかもしれません。

それと、NHKの朝の時間帯ということで、極力、優等生的な展開が、刺激が多くて当たり前の現代には、物足りなくなっているというのもあるのかもしれません。
紅白もそうだけれど、視聴者が離れれば離れるほど、何とかそれを取り戻そうと中途半端な迎合が、余計番組をつまらなくする・・・。
だいたいNHK自体、会長の不祥事以来、受信料の未払いは増える一方だと聞きますし・・・。

TVというものが娯楽の最大だった昔、朝ドラ、紅白、レコード大賞、或いは、ドリフや、様々なクイズ番組・・・と国民の大多数がいっしょに見て楽しんでいた時代は終わったんだな、とあらためて実感した次第です。(-。-)y-゜゜゜



4月9日(土)  “障子に目あり??”

昨日、私がドトールで珈琲を飲んでいて、ちょっとぎょっとする事がありました。
円卓に独りで座っている女性で、身なりもちゃんとして、派手できれいな人で、仕事中なのか、書類風なものや 、真っ赤なスケジュール帳を広げて、珈琲を飲んでいる人がいたのです。
ただ、結構大きな声で、ずっと会話をしているのです。
会話の内容は、別に感情的でもない。
「うん。それはわかるんだけどね・・・でもね・・・。」とか、何とか言ってる。
ただ、どう見ても、周りに人は座っていない!!(~_~;)
後から、来る人も、一瞬ドキッとして、周りを見渡し、その女性から少し離れて座る。
私も、少し離れた席から、様子を見て、
(あんなにちゃんと見えるのに、気の毒に・・・)と思っていたのです。

ところが、その女性が席を立つ時、耳から小さな黒いものを外したのです。
そして、その反対は、カバンの中の携帯につながっていた・・・。
な〜んだ!!(^^ゞ
でも、本人は気付いていないと思うけれど、私だけでなく、周囲の人はみんな彼女をちらちら見てたよ〜。

自分が気付いていないのに、人から見られていることはよくあることで、先日私もひやっとする事がありました 。
カルチャーの発表会の数日後、店長さんと、会が盛況に終わってよかった事などを喋っていたら、
「そういえば、先生は、いつもこの階の喫茶店にいらっしゃるんですって?」
と言うのです。
「そうだけど、何で??」
「発表会の時に、このビルのオーナーが言ってたんですけど、いつもその喫茶店で先生をお見かけしてたんです って。それで、何か目だっていたから、何をやってる人かな〜と思っていたら、先生だったんですって。“ジャ ズの先生だったんだね〜。カッコよかったよ”と言ってましたよ〜!」
「えっ!(@_@;)ホント〜?」
レッスン後、振り付けまでの時間をぼーっと過ごしてたのに、ヤ、ヤバイ・・・。
う〜ん、壁に耳あり、障子に目あり、(ちょっと違うか?)、人間どこで何を見られてるかわからないから、気 をつけなくっちゃ!(~_~;)



4月11日(月)  ビニール傘!(T_T)

今日は、一日冷たい雨・・・。
おまけに、昨日まで暖かかったのに、また寒〜い!(>_<)
朝は地震でびっくりするし、乗った満員電車は遅れているし(地震のせいではなく、途中駅の混雑のため、だっ て?!)・・・。
ちょっぴりブルーな始まりでした。(T_T)

さて、雨といえば、傘。
街を行きかう、色とりどりの傘を見ていると、うっとおしい雨の中でも少し心が紛れます。
しかし、最近、特に若い世代の人は、透明なビニール傘の人が多い気がします。
ちょっとつまんない・・・。
昔は、ビニール傘なんて、出先で雨に降られた時に非常用として買うものだったと思うのですが?!
(後は、台風の中継などで、レポーターの人が差すもの?)
晴れたらどこにでも置いてこれちゃう(・・・とある生徒が言ってました。でもそれってどうなの??)気軽さ 、たとえ忘れてきても惜しげのないところ、などが人気の理由なのでしょうか?
ちゃんとしたスーツ姿のサラリーマンなども、普通にビニール傘を差していて、これも時代なのでしょうかねぇ ・・・。
ビニール傘も100円ショップなどでも売っていて安くなりましたよね。
そして、そのビニール傘を、今日、私は470円で買ってしまいました!!(-_-;)

今日は、持って歩くのがラクなので、3つに折りたたむタイプの折りたたみ傘を差していたのですが、稽古場ま で歩く途中、急に突風が!
私は、必死で傘をかばったのですが、ポキッとイヤ〜な音・・・。
そして次の瞬間、ボキッボキッと運命を告げる音?!
稽古場まで、まだ残り半分以上を残す地点、もはや原型をとどめない、“元傘”をそれでも頭にかざして、走り ました。(T_T)
雨は一向にやみそうもないので、稽古場の真上にあるコンビニで泣く泣く?ビニール傘を買うしかありませんで した。
トホホ(-_-)
風の強くなりそうな日に、折りたたみ傘を差していってはいけません・・・。(^^ゞ



4月12日(火)  「天才 柳沢教授の生活」

また、漫画の話(^^ゞなのですが、「天才柳沢教授の生活」という山下和美さんが描いた漫画をご存知ですか?
数年前に、私は見ていませんでしたが、松本幸四郎が主演でTVドラマ化されていました。
まだ知らない方、もしよかったら読んでみて下さい。
私は、柳沢教授が大好きです。

経済学部の教授で、常に規則正しい生活、何があっても9時に寝て5時に起きる!
道路は四角、四角にきっちり歩き、
本が何より好きで、あくなき探究心と学習欲を持ち続け、何物にもとらわれず、縛られず、誰に対しても公平で、同じ目線に立って真面目に接し、受け入れる。
(学校の工事を担当する現場の人だろうと、道端に寝るホームレスの人だろうと、はたまた、頭をツンツンに立てて派出な化粧をしたロッカーの教え子だろうが、元教え子のオカマさんであろうが・・・)

何事をも(猫を猫じゃらしで遊ばせることも、おかずのアジの干物をいかに安くよいものを買うか、ということも、孫の華子との関わりも)全力で、真剣に謙虚に学び、そしてその根底には、いつも愛があふれている・・・・。

本当の知性、大人として生きるってってこれだな、と思います。
勉強ができる、とかお金儲けが上手いということでなく、本当の知性がある、こういう人こそ、全てのこと、偏見から、完全に自由でいられるんだな。
しかも、どこか可愛らしくて、少年のような純粋さを持っている。

教授が出会う様々な人や、家族や、猫とのエピソードの数々には、思わず忘れてしまいがちな、真実、本当に大切なものを思い出す気がします。

教授を通して、かいま見える、作者の、老いた者、差別されがちなもの、子供、動物・・・
つまり立場の弱いものへの愛と優しさ、そしてそういうもの自身の持てうる強さへの示唆には、本当に感動します。
私も、生涯、何かを学び、前を向いて向上し続けていく教授のような老人に絶対になりたい、と思います。



4月13日(水)  “セレブな人たち”

最近よく聞く言葉で“セレブ”というのがあるけれど、もとの意味は、セレブリティ(Celebrity)、有名人という ところからきているらしい。
TVなどでよく取り上げられる、高額所得者、“超お金持ち”という意味合いでのセレブ、あぁいうのを見 ると、ホントに私などはただただビックリするばかりであります。

昨日も、TVを見ていたら、日本人の女性で海外で暮らすセレブの特集をやっていて、そのうち一人は、イギリス 人と結婚して、イギリスの郊外のお城みたいな家に住んでいて、東京を始め、アメリカ、他にもあちこち家があ って、お手伝いさんは、部屋、食事つき、週休2日、8時間労働で、有給が1年に一ヶ月もあって、月収30万 !!(さぞ、お金が貯まるだろうねぇ・・・)
娘はピアニストで、先ごろやはりバリバリのセレブと結婚。(セレブの子はセレブ!)
息子が一人暮らしをしているのは、ハロッズの裏(日本で言ったら、銀座の三越の裏だって!)にある細長いん だけど、(それでも全部で100平米)5階建て、5億円の家で、彼はウィリアム王子と同じ学校の先輩で一緒 に写真に写ってたりする、セレブ中のセレブ。
もう一人は、イタリア人と結婚して、やっぱり迷子になりそうな大邸宅で、ガーデニング好きな奥さんのために、庭には、日本庭園、温室・・・。
娘さんと宝飾店にショッピングに行って、普通に、買ったのは2千万のアクセサリー!(日本の郊外なら、マン ションが買えちゃう・・・)
その奥さんは、もともとエアフランスのスチュワーデスで、外国人のセレブと結婚するには、まず日本文化を勉 強して、尋ねられたら何でも答えられるようにしなさい、だってさ・・・。(へぇ〜(~_~;))

日本国内のセレブでも、TVで、よくブランドショップで買い物をする奥さんとかが出ていて、その買い物の桁違 いな事に唖然としたりします。
世の中には、お金持ちっていっぱいいるんだねぇ〜・・・。
貧富の差っていうのがどんどん拡大していて、ある所ばかりにお金が集まっている。
いくら贅沢したって使いきれないほど持っているんだから、よーく考えて、寄付や、芸術への助成や、有効な使 い道を考えてね、なんて思うのは“貧”の方の私の遠吠えに過ぎないのかなぁ?!



4月14日(木)  “奈良騒音事件”

ちょっと前のニュースですが、奈良の主婦が、隣家の家に向かって大音量で音楽を鳴らし続けるいやがらせ・・・というのがありました。
被害者が頭痛、めまいなどの体調不良を起こしたとして、傷害罪で、懲役1年の実刑が確定したとのことですが、あの加害者の主婦の映像をご覧になりましたか?

二階の物干しで、布団たたきで布団をたたきながら、「引っ越せ!引っ越せ!さっさと引っ越せ、しばくぞ!!」と怒鳴るものです。
何の気なしに、TVを見ていた私は、あのものすごい形相と、お腹から出したりんりんと響き渡る声、そして布団を規則的にバンバンと叩く太〜い腕にぎょっとして、目が離せませんでした。
不謹慎ですが、あのおばさん、妙にリズム感がいい・・・。
布団をたたくリズムをビートとして、その上に乗る、
「引っ越〜せ!(ウン)引っ越〜せ!(ウン)さっさと引っ越〜せ!しばくぞ!(ウン)」
のリズムが、耳に残り、しばらく一人でつぶやいていた私です・・。(~_~;)

それはさておき、車に子供のボールがぶつかったとか、引越しの挨拶に来なかったとか、いう些細な理由で、あそこまで情熱的にいやがらせを行うあのおばさん、(たぶん精神的に病的なところがあるとは思いますが)ひたすら怖いですねぇ〜。
あの人にとって、隣家へのいやがらせは、妄執となって、たぶんただ一つの人生の生きがい、目的、仕事になっていたのだろうし、もちろんそのためには数々の犠牲、努力を惜しみなく?!(@_@;)そそいでいたに違いありません。

しかし、“主婦”となっているからには、たぶん夫や子供とかの家族がいるのではないかと思いますが、その人達はいったいどう思っていたのでしょうか・・・?
あのおばさんが怖くて従うしかなかったのかな?
その辺の家族の病理も、また怖い。

懲役1年の実刑くらいでは、たぶん何の解決にもならないだろうし、実際、隣家の夫も、
「また出てきた時が怖い」
と言っていました。
そんな人の隣に住んでしまったというのは、もう降ってわいたような災難としか言い様もなく、あのおばさんの闇を取り払うには、警察や、裁判ではなく、病気としての治療をするしかないんじゃないか・・・と思うのですが・・・。
裁判としては、当然あのおばさん側の弁護人というのもいたわけで、最高裁までつきあったその弁護人は、正直いったいどう思っていたのかも知りたい気がします。
(おばさん側の主張としては、大音量で鳴らしたけれど、隣家に向けてではなかった・・・ということだったみたいです。(-_-))

人間を動かすパワーというのは、いろいろあって、時として“負”のパワーが何よりも強く人を動かす、というのの見本のような事件だった気がしてなりません。
哀しいことですが・・・。



4月15日(金)  不思議な少年

ダイアリィにも書いた「天才柳沢教授・・」の山下和美さんの新作「不思議な少年」、各著名人の絶対的な推薦?!にも引かれ、読んでみました。
スゴイです!!
時空、空間を越えて存在する「不思議な少年」が、様々な人間の岐路に立会い、見届ける。
不思議なのは少年ではなく、彼の「人間って不思議だ・・・」という言葉通り、人間なわけで、弱く、愚かでありながら、それを知りそれを受け入れ、ある時は抵抗し、生き、そして死んでいく・・・。
10個の小編が、一つ一つ壮大なドラマであり、ズーンと心に響きます。

人間が生きて行くということは、自分の限界を知って、なおかつそれを見据えながら、受け入れることだということ、善も悪も全てひっくるめて、現世を生きるということ、人間の持つ力のようなものがひしひしと伝わる作品です。
どの小編の主人公も、内在する力のもとに迷いながらも、力強く生きていて、自分で選び取って行くそれぞれの人生は、ある意味で過酷でありながら、納得させられる。
人間って不思議だ・・・というのは、たぶんそんな人間、そして生きるということへの作者の深いところでの共感、愛、信頼なんだなと思います。
第一話で、カインとアベルに例えられた万作と猶次郎の兄、万作は、カインのように兄弟を殺す欲望に揺れながらそれを乗り越え、第二話で、シャーロットはエミリから逃げることなく自分の心の扉を開ける、第五話のソクラテスは、「知らないということを知り」ながら、自信を持って死に臨み、第六話のタマラは、「それで十分」とドミトリを看取る・・・。

人間は、弱く愚かで、闇を抱えているんだけど、でも強くたくましく、光にも向かえる・・・と何故かそう信じられる、そんなスゴイ作品でした。



4月17日(日)  “キリアンとフォーサイス”

好きな振り付け家は誰?と言われると結構困ります・・・。
何故かと言えば、作品との出会いというのは、その時その時の自分の状況や、興味、精神状態なんかと密接に絡 み合っていて、その時に“あぁこれ、すごく好き!”と思っても、次見たときにどう感じるかというのは違った りするからです。

しかし、まだ私が若い頃に見て、鮮烈に印象に残っているのは、イリ・キリアンの舞台です。
その頃は、日本語訳の関係なのか、ジリ・キリアンってなってました。
たぶん90年くらいの事だと思う。
ジャズの先生と何人かの仲間と、その頃相次いで来日した、イリ・キリアンそして、フォーサイスの舞台をわり と日を空けずに見たのですが、私は断然キリアンの作品が好きで、はまりました。
たまたま、同じコンテンポラリーと言われるジャンル、そして続けて見たため、「私はこっちが好きだった」と か、「ここが違うねぇ〜」などの無責任な感想が飛び交いました。

フォーサイスのその時の作品は、よくローザンヌのコンテ部門で課題になったりするような、
「見たければ見れば〜?」
と言わんばかりに、観客に挑むような?(私の勝手な感じですが・・・)身体をめちゃめちゃに使うもの、そし て照明や、装置などで、舞台を一つの空間として創り上げ、群舞のダンサーが動線としてのみ、印象に残ってい く、まるで建築家が計算して建造物を創り上げたような?!(これも私の感じ・・・)ものだった気がします。
シャープで都会的、オシャレ、とこちらが好きだと言う人も結構いました。
一方、その時のキリアンの作品は、音を遊ぶ、コミカルな作品(確かシンフォニーインD)や(私はこれに異常に はまったのですが・・・)や、群舞にしても何か温かみのある、ウェットな感じを受けました。
どうしても、もっと作品が見たくて、次の日、稽古をさぼり、当日席を並んで買って、続けて見たのを覚えてい ます。
自分の中では、フォーサイスが理系の舞台、キリアンが文系の舞台、という認識で、自分は絶対キリアンだな、 と思っていました。

ところが、その後大分たって、キリアンの舞台があると言うので勇んで見に行ったのですが、その時の作品は、 これは・・・?というくらい無機質で、乾いていて、ダンサーが動線扱いという、まるでフォーサイス?という ものだったのです。
その後、TVなんかで、キリアンの作品を見たりしたけれど、最初に出会った感動にはなかなか出会えないでいる わけです・・・。
もちろん、キリアンの作品にもいろいろあるわけで、私が好きな感じとダメな感じがある、というなのかもしれ ませんが、私としてはとてもがっかりしたのを覚えています。

まぁ今、改めて90年頃に見た、同じキリアンの舞台を見たらどう感じるかというのもわからないわけですが、 あの時、あぁこれがもっと見たい、というワクワク感、当日席を何とか手に入れたくて並んだ思い出は、私の中 ではピカピカしています。(*^。^*)



4月18日(月)  顔と名前

人の名前を覚えるのが商売のうち?!である私でありますが、実を言えばそんなに名前を覚えるのが得意というわけではありません・・・。(~_~;)

ファッションデザイナーの芦田淳さんが、新聞に、人の名前と顔を覚えるのが不得意だ、という内容のコラムを書いていました。
ショーの後に、お客様に挨拶をしていた芦田さん、A夫人にもちゃんと挨拶をしていたにもかかわらず、
「A夫人が来られているはずなのに、まだ挨拶をしていないんだよ・・・」と心配していたこともあったとの事・・・。
職業柄、人の顔や名前が覚える事が必要とされるのに・・・と反省していらっしゃいました。
そして、そういえば、西欧人は、初めて会った時から、相手の名前を連呼する、との事。
例えば、「ハウ・アー・ユー、○○!」「ザッツ・ライト、○○!」
こうした習慣は、確かに人の名前を覚えるのに役立つでしょうね。

そういえば、私も新しい生徒さんや、体験の方がいる時は、なるべく早く、名前を口にするようにしています。ただ、何故か、頭に入らない名前ってあるんですよねぇ〜。(>_<)

芦田さんによれば、日本人の中でも最もきちんと顔と名前を覚える、と言って思い浮かぶ方は、皇后陛下だそうで、どのような難しい外国の名前でも即座に覚えられたそうです。
また、人が一度口にした名前は、永久にお忘れにならない、といった感じで、四十年前に娘さんが生まれたときにお伝えした名前を覚えていらっしゃって、お声をかけて下さったりしたそうです。(さすが・・・)

私も、最初に名前を呼んで注意してもらった時は、とてもうれしかったので、できればなるべく早く名前を覚えたいな〜とは思っています。
ただ、苗字ではなく、下の名前で呼んでいるキッズのクラスでは、最近、同じ名前が、二人ずついて、ちょっと困りました。
こんな時、パッとあだ名が浮かんだりしたらいいのだけれど、そうもなかなかいかない〜。(-_-)
結局、かなり無理やり、頭の文字をとって「あーちゃん」と「かーちゃん」と言うことにしてしまいました。
「え〜!かーちゃん??」
と、その子は言って笑っていましたが・・・。(^.^)
(自分でも、ホントは、ちょっと「かーちゃん」はどうなの?と思ったけれど、言っているうちに慣れてきた・・・。(^^ゞ)



4月19日(火)  男役の美学

先日のカルチャーの発表会を見に来てくれた、生徒の会社の方が、
「先生って、宝塚の男役みたいでかっこよかった!」
と言ってくれていたと聞きました。(たかが、あれだけの出演だったのですが・・・)
・・・イヤイヤ・・・(^^ゞ。
私としては、褒め言葉は大好きで(誰でもか・・)、有難い限りではありますが、宝塚とか男役とか何でなんだろう?
実は、そんな風に言われるのは初めてじゃないし、公演なんかで作品を見た方に、宝塚みたいだったとか言われたりもします。
むろん宝塚は、嫌いじゃないし、(好きです〜)見に行くけれど、本物のヅカファンの人の風上にも置けないくらいの回数しか行ってないし、特に、自分としては意識してはいないんだけどな・・・。

最初にジャズを習った先生が、わりといわゆる“男振り”みたいな感じのものをよく踊らせてくれて、なんかそういうもんだ、というイメージみたいなのが刷り込まれているのかもしれません。
実は、私が実際、宝塚の舞台を見たのは、踊りを始めて大分たってから、かなり最近?なのです。
最初に、TVで放映しているのをちらっと見て、
“何だ、大したことないじゃん”
と思ってしまい、しかも、あの独特のお芝居が恥ずかしくてダメで、食わず嫌いをしていた感があるのです。
そんなわけで、自分がスタジオで踊っていた頃は、全く見た事がなく、また周りにも見に行く人とかもあまりいませんでした。
教えるようになって大分経って、舞台構成や、美術、衣装の面でも勉強になるから、と言われ、見に行って、
“!!!”
と今までの偏見が消え去ったわけであります。

しかし、男役(女性が演じる男性)の美学というのは、奥が深く、芝居にしても、所作、或いは、踊りにしても、宝塚伝統のきちんとしたノウハウがあり、それに加えて、個人の味付け、個性といった要素があり、一朝一夕に語れるというものではありません。
 自分としては、スーツなんか着て踊ると、何かが乗り移ってしまうと言うか、(要はその気になってしまい?)そういう自分として踊ってしまうわけで、あんまり計算や、憧れ、とかがあるわけではないので、男役みたい、とか言われると実はちょっぴり複雑だったりもします。

いずれにしても、ジャズのおもしろい所は、踊りの上で、色っぽい女性も、男も、動物にも、そのほか何にでもなれるところで、(まぁ全部、元は自分なんだけど)、褒め言葉は有難くうけ、秘かに??反省すべき点は反省
しつつ、これからも息長く、踊っていきたいと思う今日この頃であります。



4月20日(水)  “校内で新任教師自殺!”

小学校の校内で、新任の教師が自殺を図るというショッキングな事件がありました。
22才、まだ、4月も20日ですから、新学期が始まって二週間あまりしか経っていないのに・・・。
いったいどんな悩みがあったのか、周囲の人間にも何も漏らしていなかったということだし、自殺を図ったのは 、校内の図工室、しかも、授業参観のある当日!ということなので、もしかしたら教師を続けること、目の前の 試練に負けて、発作的に自殺してしまったのかもしれません・・・。
それにしても・・・。
何も校内で自殺しなくてもよさそうな・・。
授業の開始時間になっても、担任の先生が来ないので、児童が職員室に、先生を迎えに来たそうで、校長などが 校内を探した結果、図工室で首をつっている教師を見つけたということです。
混乱を避けるため、急きょ、授業参観は他の先生が代講し、精神的ショックを考え、児童には詳しく説明してい ないそうですが、こんなに、新聞やTVに出てしまったら、どうしようもないですね。

苦しいことがあったり、自分自身の将来に絶望したり、精神的に不安定になったり、自殺をする原因はいろいろ あるのかもしれないけれど、本当に彼は、“死ぬ”ということがわかっていたのかな?と思ってしまいます。
彼に限らず、自分や、周りの人を傷つけたり、殺してしまったりする若い人は、命というもの、自分、或いは他 の人間の痛みというものの現実感が薄いような気がします。
ゲームのリセット、とは違うんだ、ということが本当にわかっているのでしょうか?

もしかしたら、彼はやってみて、自分が教師に向かないと感じたのかもしれない、でも、それなら教師ではない 他の道もいくらでもまだ開けていたと思います。
或いは全く別の、当人にしかわからない理由があったのかもしれない、それにしても、教師を志し、未来ある子 供と関わっていこうとしていた彼が、たった22才で、しかも学校内、子供の側で、自分の人生を閉じてしまっ たことを、心から残念に思います。

刺激の多いゲームや、TVなどの情報を一方的に受けて育つ今の子供は、物の関連性を想像する事ができなくなっ ている、とよく言われます。
本当に、何だか、怖いと思います。



4月21日(木)  “ホーム突き落とし事件”

大阪の地下鉄ホームで、口論の末ホームに相手を突き落とした男性が、殺人未遂で逮捕されました。
昨夜のニュースでは、犯人の男性が、監視カメラの映像に映っていて、行方を追っているということだったので すが、本人がニュースを見て、これは逃げられないと思い!、父親に付き添われて!自首したそうです。
自称、コンピュータープログラマー、37歳。(自称っていったい?)
点字ブロックのところに荷物を置いていた74歳の住職に注意をしたのに、無視されたような気がして!カッと して、引き返して、「落としたろか!」と線路に突き落としたということ。

怖すぎる!
「落としたろか!」と言う事と、実際に落としてしまうことには、ものすごい違いがあるはずなのに、現実を実 感できない人間は、いとも簡単にその線を踏み越えてしまう。
本人も、「電車が来ていたら、死んでいただろう」と語っているそうで、それがわかっていて、突き落としたと いうことは、殺人を意図していた、ということ・・・・。
点字ブロックに荷物を置いていた、と注意となっていますが、おそらく犯人にとってそれは、言いがかりのきっ かけに過ぎないのではないか、と思うし、後先を考えず、ホームに人を突き落としてしまう短絡性、自首したの も、反省のあまりではなく、“逃げられない”と思ったからで、もはや救いようのない気がします。

人と触れ合う、現実で生きていくこと、命の重要性、実際の痛み、そんなものを理解しないまま、大人となって しまった人間が、どんどん増えている。
毎日のようにそんな事件が起き、右から左に忘れ去られていく・・・。
“子供を叱る会”というのがあって、おじさん達が繁華街をパトロールして、青少年に注意する活動をしている そうです。
“大人であることから逃げるな”というメッセージも共感するのですが、実際、群れている青少年に声をかけて 歩くのは、かける方も何人かで行かないと、危険をともなう世の中でしょう。
これが、親であっても、意に反する言葉に反発すれば、どんな行動に出るかわからないくらい、怖い世の中です 。
できるだけ早い段階で、親が子供に愛情をたっぷりかけ、精一杯生きる背中を見せて(たぶん問題は、私なんか の世代に既にある)、PCやゲームやTVでないものに触れ合わせる、幼児教育を考えていかないとどんどん怖いこ とになる・・・。
そんなふうに思います。



4月22日(金)  贅沢な時の過ごし方

私は、自分のレッスンの前や後、そして教えの仕事の前や、振り付けや、教えのプログラムを考える時(基本的に家ではしないのです・・・)、など一日に何度も喫茶店で時間を過ごすことが多いのです。
それにしても、昔ながらの“喫茶店”というのは、ドトール系のファーストフード的コーヒーショップに押されてか、今はほとんど見かけませんねぇ。

そういったドトールなどのコーヒーショップでは、慌ただしい時間を縫って、“ちょっと一服”という人が多く、ゆったりと時間を過ごす人はあまりいない気がします。
大勢で入ってくる学生や、カルチャースクール後?のおばさんグループや(レッスン後の私達とか?!)、ワイワイとうるさい人達も、忙しいのか、そんなに長くいるわけでもない。
もともと、回転をよくしないと儲からないファーストフード系のコーヒーショップでは、「勉強お断り」とか書いてあったりするのですが、たまに、一人でノートを広げ黙々と勉強する学生などが、(一人で音を聞いて、黙々と振り付けをする私とか?!)いるくらいで、大抵の人は、コーヒーをさっと飲んだらわりとさっさと店を出て行くようです。

お店の場所によっても、時間帯によっても、お客の層は違うわけで、わりとオフィス街ともいえる、私がバレエのレッスンに行く途中のお店では、私が行く時間もレッスン前の朝ということもあり、仕事の前の一服、というサラリーマンでいつもいっぱいです。
モダンのレッスンの後に友人や先生と立ち寄るお店では、駅のそば、夕方ということもあり、お稽古事の帰りのおばさんたちや、営業マン?かなにかのサラリーマンや、学生風の人や、様々な人達が入れ替わり立ち代りしています。
いつも行く、私が振り付けを考えるための本厚木のお店では、若い人、子供連れのお母さんたち、おばさん、とグループで入ってくる人達、そして若い学生風のカップルや、客層も様々・・・。
夕方から夜にかけて、客層も変わっていきます。

さて、そんな風にお客ウオッチングをしている私ですが、先日たまたまいつも行かない街で、いつも行かない時間帯、午前中に、お店に入りました。
何となく感じが違ったのは、お年寄りが多かったせいでしょうか。
病院帰りのお年寄りが、ちょっと一休み、といった感じかな・・・。
上品な老婦人が、一人で紅茶を飲んでいたり、老婦人同士のお友達がおしゃべりしていたり・・・。
そんな中で、午前中のやわらかな陽射しの中、屋外のスペースで、一人でコーヒーを飲んでいる老紳士を発見!
本を片手にゆったりと、時間を過ごしている・・・。
カッコイイ〜!!
あんな風に贅沢に時間を過ごせる年のとり方をしたいなぁ〜と思って、そっと見つめていた私でした。(^.^)



4月23日(土)  “S子さんとの出会い”

バレエのレッスンが終わり、急いでいたので、風のように稽古場を後にして、乗り込んだ電車で、ほっと一息、 パクッとチョコレートを口に入れた瞬間、ぽんと肩を叩かれました。(^^ゞ
顔を上げると、今までいっしょにレッスンを受けていたS子さん。
そんなに親しいというわけではないのですが、笑顔の感じのいい穏やかそうな人という印象。(おそらく私より 2つ、3つ年上で、家庭を持つ、バレエの先生、もとM山の団員の方です。)
私?さてどう映っているのでしょうか?
聞くと、彼女はこれから生徒さんのコンクールがあるので、町田へ向かうとのこと。
知らぬ仲でもないので、30分くらい道中を共に過ごすことになりました。

どうやら私の素性は、ごく限られた人のみに知れているらしく、(自分でもよくわからないから仕方ないけど・ ・・(~_~;))“モダンの人なの?”と聞かれました。
「もともとは、ジャズで、教えてるのはジャズなんですよ。それから基礎を求めて、モダンをやって、クラッシ ックもやって・・・っていう感じです。」
すると、S子さんは、
「私も、子供の頃はモダンをやっていたの。」
と語り出しました。

話しによると、彼女は、近所のモダンの先生のところで踊りを始めたのですが、先生の踊りを見ても抽象的で、 難しく、イマイチ心がときめかず、或る時バレエを見て、“これがやりたい!!”とクラッシックに転向したそ うです。
しかし、その後、高校生になって、クラッシックの先生に、
「まさか、プロになろうなんて思ってるんじゃないわよね?」
と言われ、そう考えていた彼女は大ショック!
それから、苦労に苦労を重ねたそうですが、事あるごとに、基礎がないと実感し、自分の生徒さんには、とにか くも最低限の基礎の部分で苦労することのないように、と心がけてきたそうです。

「ジャズにしろ、モダンにしろ、基礎はやはりクラッシックですよねぇ。」
と自分としては、わりと当たり前の合いの手をはさむと、意外にも、彼女は、
「そうなの?」
とびっくりした様子。
「え・・?だって、例えば、パラレルにしてもターンアウトして引き上げた状態で、もう一つ内側を引っ張って パラレルになるんだ、とか・・・」
と言うと、またもや、もっとびっくりして、
「へぇ〜そうなんだ!!」
と感心されてしまいました。(@_@;)

それから、彼女がクラッシック界の友達といろいろな新しい作品を見に行くたびに、皆で言っているのは、
「スクエア、がちがちのクラシックの時代は、終わったんだねぇ〜」
ということ、だとか、
「ニューヨークの稽古場で、日本だったらバリバリ第一線のバレリーナで通用する人が、ブロードウェーのショ ーダンサーだった」という話しや、
私も、ジャズというのは、クラッシック的な動きもモダンもコンテンポラリーも、何でもあり、しかし、それは ある意味でオールラウンドプレイヤーであることを求められていると思う、話しをしたり、
なかなか身のある30分でした。

私が降りる駅に着いて、それでは・・・と帰ろうとしたら、
「どうもありがとう、とても楽しかった」
と言われ、
「こ、こちらこそ」と恐縮!
素適な出会いでした。


4月24日(日)  “レッスンは足し算”

「レッスンは足し算だよ!!」
これは、私がちょっぴりキレて、中学生のA子に言った言葉であります。
一個注意したら、一個忘れちゃダメだよ、ということが言いたかったわけです。
まぁ、あっち気をつけたら、こっちが抜けて、加えて、新たなところを注意されちゃうなんていうのは、ありがちなことではありますが、上手くなりたいんだったら、そのまんまボーッとしてたらダメだよ!ということなわけで・・・。(まぁA子もぼーっとしてわけでは、ないのだと思いますが・・・)

しかし、この足し算というのには、別の側面もあります。
だいたい先生というのは、(私もついそんな風に言ってしまいますね〜)よくない点、目だっておかしな点を注意するわけで、
「肩上げないで!」とか、
「付け根引かないで!」とか、
いわば、引き算的な言い方をしたりします。
しかし、これを、自分に入れるときに、
(肩上げちゃダメだ!)とか、
(付け根引いたら、ダメだ!)
などと、マイナスなインプットをしないで、上手く行った時、“そう!”と言われた時の感覚をインプットする。
身体の中のことなんて、明確にこれだ!と見えるわけじゃないのですが、あれをしたらダメだ、とかこれをしたらダメだ、と引き算をし過ぎて、ガチガチになるのは、あまりよくない気がするのです。

“先生の言っていることはわかるけど・・・できない、”というのはよく皆さんから聞く言葉。
“すぐ、できちゃったらおもしろくないでしょ!”というのはそんな時、私がよく言う言葉。
上手くいった時、気持ちのいい感覚を、ちょっとずつちょっとずつ足し算していって、そんな自分の身体の変化を楽しむ余裕、というのもいいんじゃないかな、と思いますよ。(*^。^*)



4月25日(月)  “間違った接客トーク”

最近、間違った敬語や、接客サービスで使われる間違った日本語がよく話題になります。
私も、常々、“なんだ?その言い方?”と不快に思うことも多かったのですが、たまたま“飲食店接客サービス向上委員会”(フードビジネスの専門のサイトの中で見つけました・・・)の「すぐに直そう、間違った接客トーク」というのを発見。
なかなかおもしろかったです・・・。

■「〜のほう」と言うのはやめよう。
■やたらと、「こちら〜」と言うのはやめよう。
■「〜になります」はやめよう。
■提供時に、「〜のお客様」はやめよう。
■中間下げで、決まって必ず「お下げしてよろしいですか?」はやめよう。
■会計時に、「〜○○円からお預かりします」はやめよう。
■新語「〜でよろしかったですか?」はやめよう。

緊急提言として以上の7つがあげられ、それぞれに、例や、正しい言い方が載っているのです。

「〜のほう」というのは、「お料理のほうはおそろいでしょうか?」とか、「デザートのほう、お待たせしました」「お会計のほうは、○○円になります」などで、何でもかんでも“ほう”をつけるな!ということ。
確かに、どれもよく聞きます。

「こちら〜」というのは、「こちらソースはどうなさいますか?」とか、「こちら、ドリンクバーはおつけになりますか?」など、やはり何でも、方角を示す“こちら”を使わないように!ということ。

「〜になります」は、「こちら、パエリアになります」とか、「こちら、300円のお返しになります」とか・・・。
あるある・・・!!(~_~;)(“なる”のは、becomeの意味で、例えば、今年で19になります、などの時だけ使えばよろしい、とのこと。)

「〜のお客様」は、「和風ハンバーグのお客様」というので、これはかねがね私も思っていたんだけれど、「私はハンバーグじゃないわ!(-"-)」ということ?!で、トークは、「お待たせしました、和風ハンバーグでございます」、そして、誰か何を頼んだかは覚えておけ、ということです。

中間下げで・・・というのは、明らかに何も残っていない食べ終わった状況なのに、必ず聞かなくていい、ということです。

「○○円からお預かりいたします」というのもよく聞くのですが、消費税は確かにお店がお預かりするわけですが、料理やサービスの代金は別に“預かる”わけではないんだし、おつりがあるなら、例えば「5000円お預かりします、2000円お返しいたします」と使えばいい。

そして、最後の、「〜でよろしかったですか?」は、ホントよく聞くんだけど、絶対にヘンですよねぇ〜!!
今頼んだのが、何で過去なの?
何でもかんでも婉曲に表現すればいいってもんじゃない!

フード業界自らの、この提言、胸がすっきりとした私です。
私自身も、気がつかずに間違った敬語や、美しくない日本語を使っている時もあると思いますが、できるだけ、正しい、そして美しい日本語を話せる人になりたいと思います。(^.^)
余談ですが、“とんでもございません”(まぁあんまり私は使わないけど)というのは間違った敬語だってご存知でした?
「とんでもない」というのが一つの言葉なので、正解は、とんでもないことです(ございます)ですって!(^.^)



4月26日(火)  クリチ・カルカン

TVの「世界ウルルン滞在記」で、トルコの伝統的な剣舞、“クリチ・カルカン”というのを初めて見ました。
平岳大さんという(私は知らなかったのですが)俳優が、この勇壮な伝統芸能に挑戦していたのですが、それは勢いがあってハードな、なかなかカッコイイものでした。

“クリチ”は、剣、“カルカン”は、盾、を意味するそうで、金属製の剣と盾を手に、たくましい男達が、踊り、打ち合いをするのです。
もともと、オスマン・トルコ帝国の兵士が、剣の技術と士気を高めるために始めた、訓練の技術ということです。
舞いといっても、舞踏の要素よりも、武術の色合いが濃く、剣と剣がぶつかり合う音(スゴイ音がするんですよ・・・)を聞いただけで、相手の兵士は、戦意を喪失し、逃げたというくらい激しいもの・・・。

かなり重そうな剣を親指とひとさし指だけでささえ、くるっと持ち替えたり、剣を頭の後ろ、回して前、下を通して、また後ろ、とそれはそれは大変そう!
登場の仕方から、剣と盾を持ったまま、片足で高いジャンプをしながら、円になって跳び続けるなど、ハードであることは間違いありません。
肝心の挑戦者、平岳大さんは、振り付けを覚えるのにかなり苦労し、手が腱鞘炎になりながらも、健闘し、最終的には、メンバーの資格に合格していました。

ただ、やはり本場の方達に比べて、何が劣るかといえば、その“殺気”!
表情から、かもしだす雰囲気から、本場の方は、本当に“強そう”で、“怖い”。
敵の兵士が逃げ出した、というだけある“殺気”に満ちているのです。
それに比べ、彼は、やはり目が振り付けを思い出していたり、いわゆる“素”の瞬間が何度も・・・。
俳優なのに、“なりきり方”が全然足りない〜。
ご本人もVTRを見て、“全然下手くそですね〜。強さが全然出ていない。もっと上手いと思った(??!)。”と悔しそうでした。
いや〜、剣舞もまずは、なりきり、心だなぁと思ってしまいました。(^。^)

別れのとき、ホームステイ先のお父さんが、「山と山が出会うことはないが、人と人は必ず出会える」というトルコのことわざを言いました。
生きていれば、必ずまた出会える、ということわざのようですが、いい言葉ですね〜。(ここでお決まりの“ウルルン”(T_T)!!)
味のある、素適なお父さんでした。



4月27日(水)  “博士の愛した数式”

「博士の愛した数式」(小川洋子著)という本を母から借りました。
母が、私に本を貸してくれるときは、大抵、“なかなかいいから、読んでごらん”とか、“おもしろかった”と か、そういう事を何も言わずに、日頃ご飯を食べる食卓に、無造作に、本がデンと置いてある・・・。(^^ゞ
今回も、ふと、見ると、食卓に単行本が置いてあったので、
「何、これ?」
と尋ねると、
「なんか、“本屋大賞”を受賞した本らしいんで、買ったんだけど・・・」
と後はごにょごにょ・・・。(~_~;)
まっ、いいか、読んでみよう。

久しぶりに、一晩で本を読んでしまいました!!
読みやすい美しい文章と、何気ない出だしから、すっと引き込まれ、暖かい気持ちになる一冊でした。

博士は、事故により、記憶が80分しか続かない障害を負っている、老齢にさしかかった数学者。
離れに住む博士の義姉により、依頼を受けて、一人暮らしの博士の家で家事をすることになった主人公のお手伝 いさん。
博士は、80分立つと消えてしまう記憶を補うために、数々のメモを身体中に貼り付けて生活しています。
最も重要なのが、
「僕の記憶は、80分しか持たない」
というメモ・・・。

主人公のお手伝いさん「私」は、母一人子一人。
息子がいることを知ると、博士は「子どもを一人にしておくなんて絶対にダメだ」と息子を呼ぶように言います 。
そして、やって来た10歳になる息子に、「ルート」というあだ名をつけると、博士はその透明で純粋な愛情を 惜しみなくルートに注ぎます。(博士のメモには、下手くそな似顔絵と、お手伝いさんとその息子「ルート」と いうメモが加わります)
数と、数式への、尊敬と愛情、可能性のつまった子どもというものを、宝物のように、愛し育む博士と、その博 士に答える母子の、3人の静かで不思議な愛情。
博士は、本当に素適な人だし、“ルート”君も、ホントにいい子だ!!

物語のそこ、かしこに、実際に数式がいっぱい出てきます。
ルートやら素数やら、友愛数(そんなのがあるんだ・・・(~_~;))、完全数・・・。
数学アレルギーに近い私ですが、つい実際に計算をしたくなる程、(布団で読んでたので、実際にはしなかった けど・・・)まるで、不思議なマジックのように、数字が踊っています。
もちろん、私のように、その雰囲気だけひたって、実際に数学がわからなくても((^^ゞ)大丈夫。
何となく、私も数学が好きだったかも・・・という幻想?!にひたれます?!
そして、3人の生活にも終わりが来るのですが、不思議と重苦しくない、さらっとして、透明感のある優しさに 満ちていました・・・。



4月28日(木)  “見栄をはる、努力”

モダンの稽古場で、いつものようにレッスンの前に、先生とお話ししていたら、
「そういえば、Nさんのお兄さんから電話があってね〜」と先生。
Nさんのお兄さんと言うのは、かつて、コマダンシングチームで、先生の先輩にあたるNさんで、私達も何度か 先生のモダンの舞台で(恐れ多くも・・(~_~;))ご一緒させて頂いたことのある方です。
私達とも、気さくに接してくださり、それは素適な方なのですが、現在は熱海方面の海の見える素適なリゾート マンションの方に引っ越され、ほとんどお会いする機会もありません。(T_T)

「Nさんは、お元気なんですか〜?」
「元気なんでしょうけど、何か寂しいらしいくて、今の夜の唯一の楽しみは、メールなんだってさ・・・ユウコ さん、暇があったらメールしてあげて!」
先生は、携帯を持っているし、メールも見られるのですが、何と!?返信、送信が未だにできない!!
(やる気も、全くなし!(-_-;))

それでは・・・と早速、稽古場にいたメンバーを写真に撮って、送らせて頂きました。
すると、間もなく返信が・・・。
美しい桜並木の写真と、Nさんの近況、そして、何と残念なことに私の送った写真が見られない、とのこと。
送ってもらった写真は見られるのに、何でだ?
(どうやら、またデーターの拡張子が違うらしい!(@_@;)

Nさんは、昔お話しした時に、
「僕はねぇー人間に見栄って大事だと思うの。“ええかっこしい”をしようと頑張るから、伸びるのよ。僕は今 、生徒の前で見本見せるときも、見栄張って頑張ってるもの」
とおっしゃっていました。
確かに、それはそうだなぁ、と思いました。
そして、今でも、完璧に体型を維持され、いつもオシャレで、(アクセサリー満載!で、レッスンの前には、ハ ンカチーフの上にはずした、指輪、腕輪、等が、お店を開けるくらい並ぶのです。)カッコイイNさんの、人に は見せない“努力”を感じ、感動しました。

メールによれば、今も、自宅近くで自分のレッスンができる稽古場を探している、とのこと。
一箇所見つかったバレエの稽古場は、男性は・・・と断られてしまったそうですが、めげずにまたチャレンジし てみるとのこと。
いつまでも、前向き、元気なNさんでいらっしゃること、そして、またお目にかかれる日を楽しみに、また暇を 見つけてメールでもさせて頂こうと思っています。(*^。^*)



4月30日(土)  「オペラ座の怪人」

“ゴールデンウィーク突入!”如何お過ごしでしょうか?
私は、久しぶりに映画、“オペラ座の怪人”を見てきました。
この映画は公開されてしばらく経っていますが、好評につき、続投として公開が延長されている映画館も多いよ うです。

よかったよ〜!!
ロイド・ウェバーのミュージカルを映画したものですが、舞台も含めて、私が“オペラ座の怪人”を見たのは初 めてで、とにかく、曲の素晴らしさ、主要キャスト(怪人=ジェラルド・バトラー、クリスティーヌ=エミー・ロ ッサム、ラウル=パトリック・ウィルソン、)の歌(吹き替えなし!)の素晴らしさに感動しました。
特に、エミーロッサムは、「デイ・アフター・トゥモロー」に出ていたあの主人公の恋人役の女子校生が、実は こんなに素晴らしい、美しく、撮影当時16歳!!と若さなのに、演技、歌とも円熟した俳優だったなんて、驚 きでした。

ミュージカルといっても、同じくロイド・ウェバーの「ジーザス・クライスト・スーパー・スター」のように、普 通のセリフがほとんどなく、すべてが歌で進行するパターンですが、いつのまにか中に引き込まれ、3人の愛と 、怪人の哀しさに中心を置いたストーリーに心から感動しました。
怪人のジェラルド・バトラーは、ロック出身で、こうしたミュージカルが専門でないということですが、歌がた だ上手いというのではなく、存在感のある歌声と演技力に圧倒されました。
ラウル役のパトリックは、甘く、正統派王子様、といった歌声で、エミーのすごいところは、怪人とからむ歌の ところは、存在感のある強い声、そしてラウルとからむところは、澄んだ声と、二人の間で揺れる女心を見事に 表現していました。


ラウルがお爺さんになった1919年の、セピア色の画面から、絢爛豪華な回想シーンへと移り変わる冒頭の部 分の演出も見事!
話題となった何億円もかかったシャンデリアの美しさもさることながら、衣装の数々や、オペラ座の地下部分の 怪人の住処や、様々なセットも素晴らしかった。

原作ガストン・ルルーの「オペラ座の怪人」は、今までも何回も映画化されているそうですが、今までのものは どちらかといえば、ホラー色の強いものだったそうです。
ロイド・ウェバーのミュージカル、そしてそれをかなりに忠実に映画した今回の映画は、ミステリー的な背景に3 人の緊迫する三角関係、3人それぞれが魅力的な人間として描き出され、怪人の切なく哀しいラブストーリーと しても感動を呼びます。
(現実的に考えると、ありえない〜というところも、もちろんあるのですが、そこは、極上のおとぎ話として、考えて・・・)

とにかく、機会があったら、(そのうちDVDにでもなったら)是非見てみて下さいね〜!!(*^。^*)



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