YUKO MASUMITSU JAZZ DANCE STUDIO

 2005年 7月


7月1日(金)  くちなし

梅雨時で好きな花は、くちなしです。
どこ?という位、通り過ぎても、振り返って探してしまうような何ともいえない香りと、清楚な白い花は、うっとおしい天気を一掃するようです。

【〈梔子〉/〈山梔子〉】
(1)アカネ科の常緑低木。暖地に自生し、また観賞用に栽植する。葉は対生し、長楕円形。夏、枝先に香りのよい六弁の純白色の花を開く。八重咲き・大輪咲きなどもある。果実は倒卵形で黄赤色に熟す。果実は古くから黄色染料として用い、また漢方で消炎・利尿剤とする。和名は、果実が熟しても裂開しないところからの称。ガーデニア。[季]秋。〔「山梔子の花」は [季]夏〕

何故“くちなし”と言うかは、実が熟しても裂けないからなんですね〜。
そして、調べてみて写真で見たクチナシの実は、オレンジ色でとってもかわいいものでした。(生の実って見たことない・・・)

ちなみに、花言葉は、“私はとても嬉しい”“幸福者”ですって。(*^。^*)



7月2日(土)  “血も凍る大失敗”

今日は、私にとって厄日?!史上最悪、血も凍るような大失敗をしてしまいました。
そのことに気が付いたのは、朝の9時。
朝のクラスの準備をしようと早めに、厚木について、コーヒーを飲んでいた時です。
昼のクラスのCDを聞こうと思ったその時!!
あれっ、CDがない!!
その時、私の脳裏に、カバンの中身を入れ替えた時、前のカバンのポケットがパカッと開いていた不気味な風景 。
もしや、あのポケットの中に・・・!

調べて見ると、どう探してもカバンの中にCDはありません。
時間的にも、今日は超ギリギリ、9時現在、自宅へ取りに帰るにも、始まるまで40分しかないので、全く無理 。
新たに買おうにも、昼のクラスとの間も時間ギリギリで、無理。(もともと中古で買ったものなので、そうそう 見つかるとは思えないし)
他のCDで代用しようにも、続けてやっている振りつけのCDなので無理。
頭の中は、真っ白、タラ〜リタラ〜リと冷や汗が・・・・。
全身の血が、凍るような寒気が・・・・。

震える手でとりあえず自宅に電話をすると、天の助けか?、母が電話に出ました。
恐る恐る、今日の母の予定を尋ねると・・・。
「え?1時から恵比寿で仕事だけど、なによ?」
「忘れ物しちゃったんだけど〜まず家にあるか見てくれる?」
すると、やはり問題のCDは、我が家に・・・。
神様、仏様、お母様〜〜!!一生のお願い〜!!(T_T)
(ちなみに、弁解すると、ホントにこれは史上最悪の事件であって、しょっちゅうあることではありません?! (^^ゞ
しかし、子供の頃、この“一生のお願い〜”というのは、私の口グセだったそうで・・・(^_^;))

恵比寿とは、方向的に全く逆で、しかも、私がCDを受け取れるのは、朝のクラスが終わって昼のクラスに移動 する間、わずか10分の間、そうなると今度、母も時間的に厳しくなるところを、私が必死で時間を調べ、駅に 走って買いに行ったロマンスカーのチケットを母に渡すということで、何とか了承してもらい・・・。

駅の改札で、すれ違いざまに?CDを受け取り、ロマンスカーのチケットを渡し、親子は別の方向へと急いだの でありました。
このご恩は決して忘れません!?(~_~;)
あぁ、山よりも高く、海よりも深い親の愛なのでありました。

これに懲りて、二度と忘れ物はするまい、と心に誓う私でした。
(今は、ホントにそう思ってます。)



7月3日(日)  “きっずのサイト”

今日、たまたま、Yahoo!きっずというサイトを見ていたら、結構面白かった。
「とっても恥ずかしかったことを教えて〜」
という質問に、
「100えんショップで、店員さんに“これいくらですか?”と聞いてしまった」
な〜るほど。かわいいけど、ありそう・・・。
「家庭科の授業で、いたいなーと思ったら、ミシンで自分の髪の毛をぬっていた」
えーっ!それは、ないだろう!痛すぎる〜!(>_<)
(過去に、私は、家庭科でパジャマを作っていて、最終段階のポケットをつけていて、表裏重ねて縫い付けてしまったことがあったのを思い出しました・・・)
「お母さんが作った驚きの料理を教えて〜」
というのに、
「お吸い物の中から、賞味期限の紙が出てきた。しかも期限が2日前・・・」
うへぇ〜!
「おにぎりの具が赤飯。色が違うだけだよ〜」
まさか・・・。(~_~;)
「お母さんが料理を作ってるところは、ここ1年半くらい見た事がない。お父さんおつかれ〜!」(^^ゞ

しかし、今の子は、子供の頃からPCが使えて、こんなネタを自分で投稿するんだからスゴイわ〜。
前にキッズクラスの子に、「何のクラブに入ったの?」
と聞いたら、「PCクラブ」
と平然と言われて、わからなくて、聞き返してしまいました。
だって、私の頃はそんなクラブないもん〜。
小学生が遊び感覚で、PCをいじって、自分のHPなんかも作ってしまう時代。
すごい、すごいけど、ちょっと怖い。
小さな箱の中で、世界中とつながることができながら、現実でどんどん孤立化していく子供達。
人間は、一つ道具を発明して便利になると、同時に一つ何かを失ったり、考えなくちゃいけないことを与えられる気がする・・・。
難しい・・・。(-。-)y-゜゜゜



7月4日(月)  “ビバ!異文化コミュニケーション!”

今日、ちょうどレッスンが終わって帰ろうとしていると、モダンの稽古場に外人さんが尋ねてきました。
若いギャルで、たぶんお互い同士の話しているのを聞くところでは、ロシア人?!
片方の子は、カタコトの日本語(ほんの少し)と英語を少し話せるようです。
「Can You Speak English?」
うへぇ〜!!来たよ!
先生ったら、「ほら、YUKOさん」とか言って、私を押し出すけど、(私が英会話習ってたのなんて20年前 だもん、無理〜!)
「A Little・・・」と親指とヒトサシ指の間を3センチくらいあけて、手振りを交える。
(先生こそ、留学してたんじゃないの?あっ、でも20年以上前か、(失礼!))

どうも彼女達も結構カタコト英語っぽいから、こうなりゃままよ〜!
「Here is Rental Space、OK?」(超ブロークン)
「Dance?」
「Ya,We are Modern dancers.」
ここで、先生が、「隣のビルで外人向けバレエをやってるから、そっちじゃないの?」と日本語で発言。
仕方ないから、ブロークン超省略通訳で、
「Ballet?」と聞くと、
「No,No,Ballet!」と笑い出す。
でも、どうやら踊りの稽古場を探している模様。
「You Wanna Dance?」と聞くと、
ニコニコして、
「Ya,Ya!!Dance!」と言う。
「What kind of dance?」
すると、アクションを交え、
「More,more Move!」とか、「Fast!」とか、「Disco」とか言ってる。
「Like Disco Dance?」と聞くと、
どうやら、ビンゴらしい。
うーん、ディスコダンスを習うと言ってもねぇ〜。
他の子が、駅のカルチャーとかは?と言うから、
「In Station Building 、Caluture Center」
と言うんだけど、どうもカルチャーが伝わらないみたい。
とにかく、駅ビルは分かったみたいだから、
「Upstairs,6th or7th floor,Ask,Information」
と言ったら、
「Thank You」
と行ってみるらしい。

やれやれ・・・。(~o~)
後で、考えたら、カルチャーセンターって日本だけなのかしら?
それも、日本語英語??

調べてみたら、「a school offering adult education classes」
だってさ。
分かるわけないじゃん。(・o・)
いや〜でも、全く忘れてて、こんなにブロークンでもちょっと通じるとうれしいもので、
やっぱり「異文化コミュニケーション」は偉大であります。
それにしても、ヒマが出来たら、また勉強しなきゃダメだな・・・これは!(^^ゞ



7月5日(火)  “お金を拾ったら・・・”

友達がお金を拾っちゃった!と微妙な表情。
“いくらよ?”と聞くと、
“それが、4000円”
その金額は結構なものがある!

話しによれば、雨の中、いつも通るスペイン料理のレストランの少し先で、4つにたたんだ4枚の1000円札を見つけ、拾ったそう。
おそらく、会計を済ませお釣りをしまおうとして、落としたのかねぇ?
「やっぱ、警察かねぇ?」
「うーん、4000円は大きいけど、まだ気が付いてないか、気が付いてもその状況だと、諦めてるだろうねぇ」
「お札には、名前書いてないからね・・・」
「じゃ、使っちゃう?」
「どうしよう・・・。」
と悩む善良な友達。
「でも、交番遠いんだよねぇ。」
「しかも、名前書かされたりして、結構メンドクサイよ〜」
「使うか・・・」
「わーい!今日のお茶は、オゴリだ〜!!」

「それ、偽札で、使ったらつかまっちゃったりして?!(笑)」
「まさか〜1000円の偽札なんて作ったって儲からないから、ありえない!」
(そりゃ、ごもっとも!)

・・・で結局、若干の罪悪感を感じている友達のオゴリで、残り3人はお茶(一人300円見当)を飲み、
「これで、共犯だからね!」
と訳の分からない念を押して、残りの3000円を着服した友人を見送ったのでありました。

あなたならどうしましたか?
私なら・・・「多分、面倒だから拾わないかも?!」と言ったら、
「その前に、落ちてるのに気が付かないかも?」と言われてしまいました・・・。(>_<)

皆さん、拾ったお金は、交番に届けましょうね!(^^ゞ



7月6日(水)  “やっかいなお客”

“○○子の部屋”の伯母(母のいとこ)の家に、中国から留学生が遊びに来ている、という話しを聞いたのが、 約10日前、伯父の大学の教え子だったとかの彼女は、今回は、完全にオフで遊びに来たのに、好意で泊めた伯 父の家に居ついてしまい、実は、伯母は疲れて参っているということでした。
“ふーん、どっかホテルに泊まってもらえばいいのに・・・”と言うと、
“おばちゃまは、結構他人にいい顔をしちゃうほうだから、言えないみたいよ”
“へぇ〜”
とその時は、それで終わったのですが・・・。

それから、約一週間たって、伯母に会う機会があった母によれば、
“何か、おばちゃま目が引っ込んじゃって、かわいそうな位だった!ホテルの話ししたら、「あぁそうか、そう いう手があるのね」と言ってた”
とのこと。
しかも、一人っ子で育った伯母は、他人に「NO」と言えないタイプだから、ヒマをもてあましている彼女の話 を一日中させられ、ニコニコ話しを聞いていたら、完全に参ってしまった・・・と言うのです。
「一人っ子だからって、きちんと言いたいことは言わなきゃだめだし、私は言えるね!」
と、豪語した私です。(ホントか?(^^ゞ)

その後、伯父がホテルを取って、そちらに移ってもらったのですが、そこからまた伯母のところに通ってきては 、相手をさせ、家事などは、一切手伝わないばかりか、だらしない生活態度らしく、今度こそ、話を聞くだけで 、私は頭にきて、
「二人共人が良すぎる!その人には、遠慮ってものがないのか!はっきり言わなきゃわかんないんだよ!」
と一人、キレていた次第です。
中国から留学していたくらいだから、どうもかなりの才媛で、オウチも良くて、人は悪くないらしいのですが、 他人様の家にそんなに長くやっかいをかけ、忙しい時間を奪うこと自体、非常識!
一人でつまんないなら、早く帰ってしまえ!というもの。

しかし、結局、最後の最後、帰国する際まで、伯父が朝6時に起きて、近くの駅まで車で彼女を送っていったそ うで、ホントに人のいい夫婦・・・としか言いようがない。
それも、“近くの○○駅まで、送っていくよ”と言ったら、
“××駅の方が、エレベーターがあるから、そっちにしてくれ”
と言われたそうで、どこまで振り回されるやら・・・・。

実は被害者?はもう一人いて、同じ中国からの留学生、今回の彼女の後輩にあたる女性が、間に入り、気をもみ 、家事を手伝ったりしていたそうで、
“彼女のせいで、中国人が非常識と思われてはかなわない!”
と頑張ったのかどうかはわかりませんが、その方もお気の毒に・・・。
どこの国にも、“勝手のカッちゃん”“人の気持ちがわからないマイペース野郎”はいるもので、それに振り回 されてしまう“お人よし”もいるわけで・・・。
“遠慮”や、“さりげない気遣い”が通じない相手には、やっぱり、はっきりと“NO”を言わないとかえって トラブルが起きてしまいます。
やれやれ・・・と思う反面、振り回されてぐったりしている伯父夫婦が、ちょっぴりカワイイ感じもする私なの でした。



7月7日(木)  “七夕”

今日は七夕。
笹の葉に願い事を結びつけたり、折り紙で作った飾りをつけたり・・・と子供の頃はちょっとしたイベントでしたが、最近はニュースや、天気予報で言ってくれなかったら忘れているくらい・・・。
七夕伝説にしても、織姫と牽牛のお話しだった、ということと、1年に1回しか会えない、いわば、「遠距離」結婚だ、ということしか覚えていない。
そこで、ちょっと調べてみました。

天帝の娘で天女の織姫の織る布は、五色に輝き季節とともに色合いを変えるそれは美しい評判の錦でした。
しかし、一年中、布を織るばかりで不憫に思った天帝が、天の川の西に住んでいる牛飼いの牽牛という若者と、結婚させることにしました。
ところが、結婚した二人は、仕事もしないで、遊びまわってばかり。
織姫は全く布を織らず、牽牛の飼うウシは死んでしまう始末。
注意しても、明日やります・・と全く効き目がない。
腹をたてた天帝が、二人を天の川の西と東に引き離し、一生懸命仕事をするなら、年に一度七月七日の夜だけ、二人を会わせてやろう、と申し渡しました。

それからの二人は、心を入れ替え、一年中働き、七夕の夜を心待ちにするようになりました。
雨が降ると、天の川が増水してしまい、織姫は川を渡ることができません。
川岸にたたずみ、切なく涙を流す二人。
すると、それをみかねた、カササギの群れが、どこからともなく飛んできて、翼と翼を広げ、橋となって二人を会わせる手助けをしてくれるそうです。

雨が降っても会えるんだね!よかった!(T_T)
ベトナムでは、カササギの代わりをカラスが務めるそうです。
べトナムでは、7月はカラスが飛び立つ月と言われていて、飛び立ったカラスはそのまま銀河まで飛んでいって橋となるそうです。
また、韓国では、七夕にカササギを見ると、天の架け橋を創りにいかない怠け者!として追い払われるのだそうです。

七夕の夜、あなたは何をお願いしますか?



7月8日(金)  クールビズ

地球温暖化防止のための省エネ対策、として今年の夏は、「クールビズ」とか言って、ノーネクタイの政治家がよくTVに映ります。
省エネは、いいと思うし、ノーネクタイで上着を着ないと、体感温度が2度も下がるそうなので、それはいいんだけど、ホントに、冷房温度は28度になってるのかしらん?
そして、この現象は、ホントに来年以降も続くのでしょうか?
オイルショックの時に、やっぱり、半袖の背広姿が提唱された記憶があるのですが、あれはその年限りでしたねぇ〜。(だって、相当ヘンだったよねぇ〜)

そして、実のところ、あのクールビズも着こなせる人、ダメな人がいるのですねぇ。。。
小泉さんは、まだマシな方、中には、どうしちゃったの??という方もいっぱい。
郵政民営化関連のニュース見ても、気になるのは、服装。
慣れなんだろうけれど、どうも、「やる気あるの?」と見えちゃう、だらしなーい雰囲気になっちゃう人、悪い事してつかまった犯人みたいな、ショボーッとした雰囲気になっちゃう人、あるいは、足で稼ぐ叩き上げの刑事みたいになっちゃう人・・・がたくさん。
なんか、可笑しくて仕方ない・・・。
亡くなった父が、あの格好をしたらどうだったか?と思うと、やっぱりNGですねぇ。
だいたい、オシャレに気を使うということ自体、古い日本の男には必要なかった事で、とりあえず、いい背広とネクタイさえしてれば、おしゃれに見えたものが、繊細なセンスや、体型、イメージを問われちゃう。
こうして見ると、日本人の男性の体型を見事にカバーし、とりあえずシャキッと見せるという意味で、背広とネクタイの果たしてきた役割は、大きいのですね。
ネクタイしない、と叩かれていた、ホリエモンは、実は先駆者だったのかしらん・・・。
問題は、来年の夏、また皆がクールビズをしているか、で、もっと重要なのは、省エネがされているかということですね。



7月9日(土)  「草間弥生さんのアート」

昨日仕事が終わって家に着いたら、TVがついていて、画面の中には、真っ赤な地に真っ白な大きい水玉のワン ピースをつけて、ボブのかつら?で、異様な眼力でこちらを見つめる女性。
「な、なんだ??この人??」
しかも、そのバックには、極彩色の、全て水玉の、大きなぬいぐるみが・・・。
“うわ〜っ!気持ち悪い〜!”

実は、その女性は、その日のゲスト、世界が初めて認めた日本人アーティスト、“前衛芸術の女王”こと、「草 間弥生」なる方。
そのモチーフである、水玉と網目模様は、草間さんのテーマ「自己消滅」を象徴しているそうで・・・。
で、でも。。。
いかに、すごい人かもしれませんが、私は、水玉は嫌い〜。
のど飴のコマーシャルも(天童がいっぱいになるヤツ)、クッキーとかの箱に入っているブツブツの(空気が入 っているヤツ)衝撃を和らげるシートも、(前に書いたと思うけど)嫌いなんだってば〜。
彼女が水玉に目覚めたのは、十歳の頃で、はしかで高熱を出した後、水玉いっぱいの自画像を書き始めたときか ららしいです。
実は、私も小さい頃、弱くて、熱を出すと、空中に点々が見えると、言ってました。
だから?私は水玉がイヤなのに、彼女は、それにはまった・・・??

草間さんは、世界的にいろんな賞もとってるらしいし、小説や(これも実は難解、訳がわからない文章)詩や、 様々な分野の人とのコラボレーションも果たしている、摩訶不思議な才能の持ち主らしい。
ご自身も、神経を病み、治療を続けながらの創作活動ということで、話し方も選ぶ言葉も、一種異様でさえある のですが、確かに、ものすごいエネルギーはあるのです。
一度見たら、忘れられない、というか、その水玉アートも、気持ちの悪さでは、一級品!
心の底から、不安感と居心地の悪さ、ぬるぬるとした生き物のエネルギー、こんな言い方をすると、世界中の芸 術家に総スカンかもしれないけど、生理的嫌悪感、どこまでも追いかけられるような無限さ(この無限の広がり というのは、テーマらしいんだけど・・・(-_-)を感じてしまう私であります。
あまりのインパクトに、ちらっとホームページをのぞいたら、参った!
トップページが黄色と黒の水玉、それがまた、痒くなってくるほど、夢を見そうなほど、気味悪い!
すぐ閉じました。(-_-;)(ごめんなさい、草間さんm(__)m)

まぁいずれにしても、これだけのインパクトを与えるものを生み出すということは、やはり天才なのでしょうね 。
やー参った・・・。(~_~;)



7月10日(日)  “葬儀用写真”

茶の間で何やら必死で、写真を選りすぐっている母・・・。
ちらっとのぞくと、どれも母自身が写っているもの。
「何見てんの?」
と尋ねると、
「なかなかいいのがなくって・・・。これは、何かぼおっとした顔だし、こっちは、いやにおばあさんに写って るでしょう?」
「何に使うの?」と聞くと、すまして、
「お葬式用よ。」
!!!

「何も今から用意しなくてもいいじゃん?」
「だって、もっとお婆さんになった写真じゃイヤじゃない。せいぜいキレイなうちにさ・・」
(ひえーっ!女なわけだ〜)

そういえば、亡くなった父の葬儀用の写真は、まだ父が全然元気なうちに、親戚が集まった時に、
「今からお兄さん(父は仲の良い兄弟の長男でした)のお葬式の写真を撮りましょう」
と、叔父が、カメラをかまえ、皆で、
「ハイ、もっと笑って〜!いい顔して〜!」
とやって撮った写真でした。ウチっていったい・・・?!(-_-;)

祖母、母の母親の場合は、かなり元気な、わりと若いうちから、
「こんなお婆さんになった写真は見たくない!」
と断固写真拒否!!で、結果、葬儀の際の写真は、途方もなく前の、50代の頃の写真となりました。
母に言わせると、
「あそこまで行っちゃうと、ちょっと詐欺入ってる」
とのことで、それで写真選びとなったようなのです。
「じゃぁ、今度写真館でも行って撮ってもらえば?」
と言うと、
「そういうのは、緊張して、いい顔にならないからイヤ!」
だそうで、近いうちに、カメラの上手い親戚の誰かに撮ってもらうしかないかも・・・。(~_~;)(私は、カメラ 音痴だから、ダメ!)

私は、さすがに今から葬儀用の写真を用意しようとは思いませんが、それほど自分の写真に執着はないかな?
わりと、写真を撮られる機会が多いせいか、「ハイ、チーズ!」とやられると、
どれも、似たような顔になってる。(たまに、目つぶってる、とかあるけど)
仕事柄?鏡の前に、年がら年中いるから、自分の顔に慣れてしまったのかしらん?(あんまり顔は見てないけど ・・・)
とにかく、ちょっとびっくりした〜私でありました。(@_@;)



7月11日(月)  “冷房設定温度”

クールビズは、いいけれど、肝心の冷房設定温度は、ホントに下がってるの?というのが、先日もダイアリィー に“クールビズ”について書いた、私の疑問だったわけですが・・・。
新聞に、“通勤電車や、商業施設、環境問題よりお客優先”と題した記事がのっていました。
地球温暖化を配慮し、冷房設定温度を28度に上げるかわりに、軽装、ネクタイなしで仕事をするという試み、 “クールビズ”。
しかし、通勤電車や、商業施設の冷房設定温度は、例年と変っていないそうで、
「温度に関する感覚には、個人差がある」「せっかく涼を求めに来たお客様に悪い」などの理由で、JR西日本 では、25度、大手百貨店、デニーズなどでも、25〜26度に設定している、とのこと・・・・。
「服装の話題ばかりが先行し、環境問題は、二の次という本末転倒の結果に終わってしまうかも・・・」
という記事の懸念通り。

どの業界も、事務所などは、28度に設定し、クールビズを導入していても、“集客を考えれば、設定温度は下 げられない”とのことで、実際数年前に設定温度を上げたところ、お客から、「暑い」との苦情があったそう。
こうなると、変えるべきなのは、国民全体の危機意識なわけで・・・。

もともと、冷房がどちらかといえば苦手で、電車に長く乗る時や、デパートや、お店などでは、上着が手放せな い私。
もちろん、体感温度は、人それぞれ差があり、男性、特に背広やネクタイで武装している人にとっては、“暑い ”のでしょうが、このままでは、地球はどんどん温暖化しちゃうよ〜!

思い返してみれば、私の子供の頃なんかは、冷房なんて今ほど普及していなかったから、夏といえば、扇風機、 ウチワ、扇子。
まぁ、ヒートアイランドと化した現代の都会のヤバイくらいの暑さは、昔とは比較にならないほどホント暑いん だろうけど。

個人レベルでできる事は、自室の冷房(除湿はやはり私でもつけてしまいます。(~_~;))をなるべくこまめに消 すことや、稽古場の冷房を消してもらうこと?!(いつも、稽古場に入るとまっさきに冷房を消してもらってい る私。しかし、これは環境問題を考えてではなく、単に動く時は、汗をかくのがいい、と思ってるからです。
皆ゆでだこみたいになってるけど、あんまり辛かったら言ってね?!(^^ゞ)



7月12日(火)  ワンちゃんの飼い主

朝のドトールの前に、華奢で上品なワンちゃんが、つながれていました。
ミニチュアダックス、(別名?ウナギ犬!私としては小さいうちは超カワイイけど、成犬になるといかにも長すぎる気が・・・しかし、その犬はかなりカワイイ方。)
ツンとすまして、ドトールの中でお茶している飼い主さんを待っているのかな?

飼い主は、どの人なんだろう?
だいたい、私が朝お茶をするドトールは、オフィスがたくさんある場所にあり、混みあった店内のお客のほとんどは、背広を着たサラリーマン。
ワンちゃんの飼い主らしき人は、見当たりません。
3人で騒がしくおしゃべりしているオバサンたちの中の一人かしら・・・?
それとも、一人でお茶しているあの若い女の子?
お客の一人ひとりをそれとなく見回していたら、入り口近くに座って、しきりに外を気にしている人が一人・・・・。
えーっ!?でもまさかあの人が飼い主??
その人は、あまり小ぎれいとは言えないズボンとランニング姿の、小柄で頭の禿げたおじさん。
どう見ても、あの上品なワンちゃんの飼い主には見えないんだけど?(失礼か・・・m(__)m)

ところが、その人はアイスコーヒーを飲みほすと、立ち上がり、店の前のワンちゃんを連れると平然と立ち去ったのです。
お嬢様風のワンちゃんも、いかにも嬉しそうに、そのおじさんと共に行ってしまいました。
よく、飼い主と犬は感じが似ているなんて言うけど、この場合は全くそぐわない!
いや〜人を見かけで判断しては、いけませんね・・・。



7月13日(水)  “人に歴史あり?!”

バレエのお仲間、Y先生に、何の気なしに、
「どうしてバレエを始められたんですか?」
と聞いてみました。

「う〜ん。最初はね、祖母が私をタカラヅカにでも入れようと考えたの。私は、母が亡くなってから、(それは 知らなかった・・・(T_T))継母とあんまりうまくいってなかったから、可哀想に思ったんじゃないの。」
「それで、バレエですか?」
「そう、それで、帝国劇場に行ったらね、“白鳥の死”という映画をやっててね。知ってる?古いから知らない わね?」
「見た事ないです・・・」
「オペラ座のバレリーナの話しなんだけど、ものすごくいい映画だった・・・。有名な「赤い靴」なんかよりも っと前だから、知らないわね。それを見て、どうしてもバレエがやりたい、と言ってK谷(バレエ団)に入った のよ。」
なるほど・・・。
「K谷に入ったら、もう高校生の頃には、巡業がいっぱいあってね、その頃は、日本にも娯楽が少ないから、ど こに行っても満員御礼。高校生の私なんかにも、大入り袋がちゃんと出たのよ。」
「高校生からもうプロだったんですね。」
「“動く大道具”だけどね。(笑)K谷先生一人が踊りに踊って、私なんかは、早替えにつぐ早替えで大道具み たいに舞台に立ってるの。立って向かい側の子を見てたら、“あっいけない、首飾りし忘れた!”とか気がつい てあせったり・・・。舞台の上ではそんな余裕があるくらい、ヒマだったのよ。(笑)」
「忘れたのがバレちゃったら、怒られるとか?」
「そう。K谷先生のお兄さんがマネージャーみたいなのをやってて、厳しくて、その人にバレたら大変なの。お 風呂なんかは、先輩から入るから、私なんか下っ端が入る頃には、お湯なんか減っちゃってなくてね、でも楽し かったわ。」
「学校とかは、平気だったんですか?」
「ぎりぎりよ。レポート書いてやっと卒業したわ。」
「その映画を見たせいで、しっかりバレエにはまって人生変ったわけですねぇ。“人に歴史あり”ですかねぇ。 」
「そう。70年も生きてると、いろいろあるわ。(笑)」

初めて聞いた、Y先生のバレエ人生。
母と同年代の先生ですから、そんな戦後の日本が貧しい時代に、バレエを習ったというのだから、たぶんいいお 家のお嬢様だったのかもしれないけど、子供の頃実のお母様が亡くなったのは初めて知ったし、バレエ団の巡業 話などとても楽しかった・・・。
日本バレエ界の、ある意味“生き字引”(失礼かしらん??m(__)m)としてまた貴重なお話しを聞けるといいな !(*^。^*)



7月14日(木)  “200年前の楽譜”

「世界バリバリバリュー」というTV番組をよく見ます。
仕事から帰るとたまたまついているから、という理由(母が好んで見ている?)なのですが、その番組で、一昨日びっくりしたことがあります。
取り上げられていたのは、ドイツ人の父、日本人の母の二人共ピアニストの間に生まれたバイオリンニストのお嬢様だったのですが、その中の問題で、
「一家が普通に使っている、ウィーンで買った200年前モーッァルトの時代に印刷された“魔笛”の楽譜、さぁいくらでしょう?」
というのがあったのです。

いくらくらい?
200年前でしょう?日本だったら江戸時代。
伊能忠敬が地図を始めて作ってる頃だよ〜・・・。(@_@;)

それが、正解はナント950円!!
司会の島田紳助さんをはじめ、出演者がありえない!と大騒動になりました。
どうも、打ち合わせの段階で、紳助さん個人は、正解を200万と踏んだところ、950円と聞き、てっきり950万と勘違いしていたそうで、本番になって、あらためて、“それは納得いかない!”と騒ぎ出した模様。
“絶対何かの間違いだから、調べなおせ!”とスタッフに・・・。
だって確かに、小説の初版本とかでも、有名な人の古いものは高いって聞くものねぇ・・・??

しかし、結果・・・。
スタッフが、あらためて様々な手をつくし、調べた結果、やはりその楽譜は950円。
楽譜屋さんに問い合わせても、どんなに高くても、印刷された楽譜なら1万円を越えることはない、とのこと。
紳助さんは、土下座してしていました・・・。(~_~;)

そんなもんなんだねぇ〜。
母に言わせると、かえって輸入されて日本で買うより、外国で買った方が安いというのはあるらしいけれど、それにしても200年前の楽譜も、ただの楽譜は楽譜。
プレミアがつく、ってことはないわけか・・・。
一つ物を知りました・・・。(・o・)



7月16日(土)  “太い足、細い足”

実は、あまり言いたくないのですが、(じゃぁ、言うなって?)若い頃、足が太い(特に腿)がかなりのコンプ レックスでした。
全体に今より太っていたけど、がむしゃらに、ただただ、ジャズをレッスンしていた頃、気がつくと腿にはたっ ぷり筋肉がついていて、パンパン!
足を出す衣装とか絶対にイヤだった。
どう考えてもこの使い方は違う・・・と自分ながらあせったわけです。
それから、これはイカンと、モダンの先生の門を叩き、クラッシックに目覚め、と私の本当の?踊り人生が始ま ったわけです。
最初にモダンの先生のレッスンを受けた時、正座をして〜というのがあったのですが、先生が、不思議そうな顔 をして、
「正座よ、正座して!」
と私の顔をまともに見て言うのです。
(えっ?してるけど・・・?モダンの正座ってこれじゃだめなの?)
すると、先生は、わざわざ立ち上がって、私の後ろに回って、
「なんだ・・・してるのか。あんまり座高が高いから、足首を折って半分立ってるのかと思った!」
とおっしゃったほど、腿とふくらはぎがパンパンだったのです。(T_T)

それから15年。
気がつけば、私の足も形が若干変わり、先生も、正座をさせるたびに、
“そういえば・・・昔は・・・”
と思い出話をするくらい。(もう言わなくてもいいのに。。。(-_-;))
筋肉の付き方で、足の格好は確かに変わるのです。

さて、筋肉がパンパンに付いてしまうと足は太くなり、年と共に?筋肉が落ちてしまうと逆に細くなってしまう 。
私はまだ、そうは思いませんが、先輩の中には、足が細くなってしまったことを悲しんでいる方もいらっしゃい ます。
(一般的には違うのかもしれませんが、踊るためには、細ければいいというものではないのです。)

バレエの大先輩Nさんは、私の母よりも少し年上ですが、レッスンを欠かさない、元気印で、皆の目標だったの ですが、最近ご病気(甲状腺)で、手術をされ、一ヶ月くらいレッスンを休まれました。
それでも、何でもなかったように、昨日カムバック。
一同の“お帰りなさい拍手”を浴びました。
本人としては、初めてそんなに長くレッスンを休んだそうで、いろいろと歯がゆい面もあるのでしょうが、見た 目には、ほとんどわからないくらい。
ただ、少〜し足が細くなってしまったように思いました。
その話しを母にしたら、
「いいな〜年とると足が細くなるものなの?私は全然細くならないよ〜」
「そうでなくて!!(-"-)普段運動して、筋肉ついてる人が休むと、筋肉が落ちて細くなる話しをしてるの!」
やれやれ・・・。(~_~;)



7月17日(日)  “廊下の虫”

これからの季節、憂鬱な事は、セミです。
昆虫のセミです。
ウチのマンションの後ろには、自然がたっぷり残った裏山のような場所があり、そこから飛んでくるセミが、マンションの廊下を飛び回るのです。
前にも書いた気がしますが、気が狂ったように飛び回るセミの間をくぐりぬけながら、自分の家のドアまでたどり着くのは、なかなかの試練なわけで、それを考えると今から憂鬱になってしまいます。

そんなセミの他にも、カナブンや、バッタや、カマキリや、様々な虫たちが、しょっちゅう廊下に落ちています。
マンションの10階の廊下で、一生を終える虫たちの死骸は、思いっきりミスマッチなコンクリートの廊下に静かに眠る・・・。
あんまり虫が好きじゃない私は、朝から見たくない光景だったりするのです。

まぁその裏山へはこの15年以上、めったに行かないのですが、しょっちゅう通る駅に行く道の途中にも残っている自然があります。
道の片側、車道へ覆いかぶさるように、張り出している森。
そこの地主さんが、たぶんマンション建設ラッシュにも負けず売らないでいてくれるのでしょうが、鬱蒼とした茂みの中には、彼岸花が咲いていたりして、そこだけひんやりとした空気があって、夏も涼しい。
空気も、そこだけいいような気がするのです。
ただ、自転車でそこを通りすぎるとき、張り出している木から下がっているシャクトリムシが、急に目の前に現れ焦ったことも・・・。(-_-;)

その道の反対側は、普通に住宅が並んでいて、何の事はない通りなのに、その森はいかにも神秘的で、その上の方にたぶんお宅があるのでしょうが、(私有地なので、もちろん一度も行った事はないのですが)いったいどんなお屋敷なんだろう・・・といつも思います。
その家に続くであろう道の入り口は、夜などは、真っ暗で、照明が全くなく、ちょっと怖い。
夜は、ひんやりとしたいい空気を楽しみながら、でも怖いので、自転車を飛ばして通り過ぎます。

最近、その森のすぐ隣にまたマンションが立つようです。
駅の途中の森も、ウチの裏山もいつかは、切り崩されてマンションが建つ日が来るかもしれない。
廊下の虫はイヤだけど、自然がなくなるのはやっぱり哀しいな・・・。
まただよ(~_~;)、と今日もカブトムシを横目で見ながら、そんなことをふと思う私でした。



7月24日(日)  倒れてしまいました (>_<)

やれやれ・・・先週は、体調を崩し、倒れてしまっていました。
事の初めは、ネコ。
ネコのいるお宅にいたら、だんだん具合が悪くなってきたのです。
最初は、くしゃみ、鼻水。
何故かあちこちが痒くなってきて、そして咳が・・・。
深い咳が、だんだんゼコゼコ、ヒューヒュー音にかわり、呼吸が苦しく激しい動悸・・・。
ヤ、ヤバイ、これは・・どうやらネコアレルギーか?
肝心のネコちゃんは、不穏な空気を察し、自ら、距離をとって、様々な音をたてて苦しがる私を困ったように見 ていたのですが・・。
その頃には、もう完全に病人化して、一人で歩けない程。
そこから連れ出してもらい、ネコのいない場所にいって横になっても、症状は悪化する一方。
身を横たえると、激しい咳と、呼吸困難が襲い、そのうちパニック症状、過呼吸状態で、金魚のようにパクパク と空気を求め、朝まで一睡もできずに苦しみました。

次の日、声までか細く、ほとんど喋れない状態で、病院に駆け込むと、先生は、「典型的なアレルギーの喘息発 作ですね。」とのこと。
曰く、一度、スイッチが入ってしまったら、対象から離れてもいろんなものに反応してしまう、との恐ろしい予 言。
そして、「今から、いや〜な注射をします。まず、とっても痛い。そして、注射が終わってもずっとその痛さは 続きます。また、注射後、動悸が激しくなりますから、帰らないで、15分くらい待合室で安静にして待ってい て下さい。そこであんまり動悸がひどいようなら点滴をしますから。」
(えっ??げっ!!何なのそれって??)

結局、先生のおどろおどろしい予言ほどは、ひどいことにならず、注射後、喘息の具合はよくなったのですが、 痛いというのは、ホントで、それも、ふつうの痛さじゃない。
手の血管が、気持ち悪いほど、浮き上がり、(たぶん収縮作用があるんだね?!)物が持てないほど、痛いんだ !これが・・・。
ともかくも、生還したんだから、まっ、痛いくらいいいか・・・。

ところが、その後、その喘息は、ひどい風邪に変化。
今度は、同じ病院で、風邪の薬を山ほどもらうハメに、なりました。
喘息発作まっさりの、火曜日クラスは、お願いして急遽お休みにしてもらいました。(皆ごめんなさい!)
金曜クラスからは、風邪で絶不調でしたが、何とか行くことができました。
現在、風邪も徐々に快方に向かっております。

数々の方面にご迷惑、そしてご心配をおかけして、本当にすみません。
こんなヒドイ状態ながら、昨日は、私の誕生日でした。(お心遣い頂いた方、本当に有難う!)
とんだ誕生日になりましたが、これからは、無茶をせず、こんなことにならないように健康に気をつけて、また 頑張っていきたいと思っていますので、どうぞよろしくお願い致します。m(__)m



7月25日(月)  “ジャズダンサーの芸の道”

この暑いのに、走ったり跳んだりいっぱいして汗かいて、痛い方にキツイ方に体使って、ダンサーってばやっぱ り、皆ある意味、マゾっ気があるにちがいありません。(~_~;)
加えて、“アタシってキレイ?ボクってカッコイイ?”のナルシストで、またまた、“何かお客を驚かしてやろ う!”“ひときわ目立ってやろう!”の自己顕示欲、それでいて、“こんなんじゃまだダメだ!”“もっと上手 くなってやる!”の上昇志向といつまでも努力し続ける粘着質・・・とダンサー気質?というのも、上げてみる となかなか笑えるものです。

ダンサーに限らず、芸の道は厳しくて、終わりがないもの。
踊りで言えば、サラブレッドは、やはりクラッシックバレエダンサーで、幼少のみぎりから、お稽古に励み、大 人になる頃には、立派なダンサーの身体を得ているという羨ましいお育ち・・。(もちろんやり方、その人によ るけど。)
それに比べると、ジャズダンサーは、クラッシックから転向した、という例外をのぞけば、大抵は、大人になっ て何の因果か?踊りにつかまってしまった、という人が多く、例えていえば、畑を耕したり、荷物を運んだり、 人を乗せたりしてウントコショと働いていたのに、急にサーカスに売られ、きらびやかな衣装をつけて人前で芸 をするようになってしまった馬??のよう。
スマートに上品に美しく、そしてお客を楽しませる・・・と日夜努力する馬?!であります。

或いは、バリバリ庶民のお育ちの娘さんが、ひょんなことから超上流階級のオウチにお嫁に行ったかのよう?で 、後付で、マナーや、身のこなし、オシャレや、教養を身につけるようなもの?
いざとなれば何でもできちゃう底力、たくましさを武器に、やれと言われれば、お姫さまの振りもできないと使 えないのが、ジャズダンサー。
気がつけば、自然に美しい振る舞いが身についているお嬢様じゃないなら、数々の失敗を乗り越え、
“こんな時はこう言うとスマートなのね!”とか、
“おっとまた、大口を開けて笑っちゃったよ!”とか、一個一個学習していく。
基礎がないなら、基礎を後から学べばいい。
ただし、それには、限りない自己チェックが必要なわけで、自然でないなら、意識してそれを自然になるまで繰 り返す。
幸い、日常生活と違って、踊りの場合、稽古はいつも鏡の前。
見ようと思えば、(ただし、ありのままの自分を正直に見つめる勇気が必要?)いつでも自分の姿は映っている 。
“おっといけない!”の繰り返しで、いつのまにかつくられる誰にも負けないスーパーレディ!
ある時は、“生まれながらのお嬢様”求められれば、“魅惑的な高級娼婦”またある時は、“親しみ易いアイド ル”・・・と変幻自在のスターになれる?!

それに加え、これはお嬢様だってそうだけれど、マナーや身のこなし、教養だけあったって、仕方ない。
一番大事なのは、その人ならではの人間性。
自分ならではの魅力で押せば、バリバリ庶民派の奥さまも人気者になったりして・・・。
そこがまた、ジャズダンサーの面白いところ。
もちろん、その魅力の影には、その人ならではの心配り、気遣いがあるのは言うまでもありませんが。
さぁ、皆で、そんな?ジャズダンサーの芸の道を歩いていきましょう!§^。^§



7月26日(火)  電車の中のお隣さん

小田急線の急行に乗って、本厚木から下北沢へ行く途中のことです。
大荷物のガラガラ(キャリーバッグ)をひきずって、相模大野で、乗り換えた快速急行、最近出来たこの電車は、ナント新百合ヶ丘の次が下北、という画期的な飛ばし方をしてくれるから、すごく早いのです。
ちょうど座席も目の前が空いて、座ることもできたし、やった〜(*^。^*)と思った矢先・・・。

次の駅でふ〜っとちょっと怪しげな雰囲気で、私の隣に座った女の子。
たぶん、20歳くらいのお嬢さんなんだけど、座るなり、アイスクリームを食べ始めたのです。
まぁ最近は、公衆の面前、公共の場所をものともしない若い人が増えているようだし、まっいいか、と見ないふりをしようとしたのですが、どうも様子が変。
一口なめるたびに、「Umm〜!」とか、「Ha〜n!」とかかなり大きな声を発している。
美味しいのはいいんだけどさ・・・?とそれとなくあたりを見回すと、連れの人もいないようだし、そっか彼女は・・・。(~_~;)
ご機嫌もいいようだし、私は少し寝かせてもらおう・・・と目をつぶったとたん、かなり高音の、
「A〜!!」
というお腹からの大音量。いい発声してるね・・・(-_-;)。
でも、ちょっと静かにしてもらえないかね(-_-)・・・。
いつのまにか、車内はかなり混雑していて、席を立とうにも、ガラガラを置くスペースも見あたらないほど。
彼女の周りのごく数人以外は、学生のグループで、自分達の会話に夢中。(彼らもまたうるさいので、彼女の発生に気がつかないほど。)
これは、寝たふりを続けるしかないか、としっかりと目をつぶった私。
ところが、アイスクリームを食べ終わったらしい彼女は、退屈し出したのか、いろいろな発声を繰り返している。
しかも、薄目を開けてみると、彼女は、何故か、膝を半分私の方に向けて座っている。
帽子をかぶって寝ている(寝たふりの)私に興味を感じているのか、ツバの中をのぞかんばかり!
お願いだから、おとなしく乗ってて下さいな〜。(^_^;)
こうなると、画期的な飛ばし方はいいけれど、後15分くらいは確実にドアは開かず、乗客に動きはないわけで、ひたすら時間の過ぎるのを待つしかない。
つまんなくても我慢して、乗ってて〜!
もうすぐ下北駅という時、何事もなかったように、立ち上がり、人の波をかきわけ、出口にむかった私の背中は、何故かちょっぴり汗ばんでおりました。
ちなみに、私が立った後、少し離れたところに立っていたおばさんが、何も知らずに?、彼女の隣のその席にすわりました。
振り返りざまにちらっと見ると、彼女は、完全に膝をおばさんに向けて座っていました・・・。



7月27日(水)  “台風〜!”

昨日は、台風、台風で大騒ぎでしたね〜。
何か最近、TVなんかも速報をずっとやってるし、“警戒!警戒!”って騒ぎすぎの感がある気もします。
(・・・と言いながら、速報好きの私は、何故かちょっとワクワクして見てたりもするのですが・・・)
もちろん、情報がなくて避難が遅れて被害が出てもいけませんが、あれだけ脅かされたわりには、
“えっ?もう行っちゃったの?”
と言う感じで、若干、拍子抜け。

火曜日クラスのメンバーも、夕方頃から、心配してくれたようで私に次々と、
「今日はどうしましょう?大丈夫ですか?」
と連絡が入りましたが、
「まぁメンバーは大体車で来るし、私は電車止まったら、動くまで待てばいいよ〜」
と決行。
結果、レッスンが終わった9時には、雨は上がってました!(^。^)

大体、あの台風中継っていうのも、わざわざ人っ子一人いない海岸に行って、ビニールのレインコート来て、
「暴風で立っているのもやっとです!」
とかやらなくてもいいのに〜と毎回思います。
街の中継で必ず映るのは、渋谷の交差点と、新宿駅の南口。
電車が止まったりすると、南口に溢れる人が映るんだよね。
“日本の夏は、キンチョーの夏”みたいな定番ということなのでしょうかね〜・・・。

10年近く前、コマフェスティバルのリハーサル中(確か本番を前にしての最終リハの日曜)に、台風が関東を 直撃!ということがあって、その時は、昨日なんか普通の雨だよ!と言うくらい、雨風共に、激しくて、それは 大変だった覚えがあります。
昼の部で使ったリハーサル場から、夜の部のリハーサル場への移動の時間帯、特に風雨が強くなりました。
数々の私鉄が止まってしまったとの情報。
傘なんかさせる状態ではありません。
メンバーが、呆然と立ちすくむ中、中の一人のお父様が車を出してくれ、先生を除き、後3人がその車に乗れる !ということで、真剣勝負のジャンケン大会が行われました。(~_~;)
結果、勝ち残った3人と先生は、車に乗り出発。
負けたチームは、タクシーを求めて、土砂降りの中、びしょぬれで待機。(私は負けチームでしたよ。(-_-;))
運よく通りかかったタクシーを、切なる想いで、止め、やっと乗り込みました。
道路は、完璧に冠水していて、通る車もほとんどなく、そんな中、まるで遊園地のウオータースライダーかなん かの乗り物のように、左右に水しぶきを上げて、車は進みました。
ちょっと怖くて、ちょっと楽しかった・・・。(^^ゞ
リハーサルが終わる頃には、電車も開通していて、風雨もおさまっていました。

そういえば、台風って言えば、本場は秋だよね〜。
こんな夏の早い時期から来ちゃって、もしや今年は台風の当たり年なのでしょうか。
それとも、他の様々な気象異変と同じように、どっか何かが狂っているのでしょうか?

台風が来るって聞いて、困ったな〜と思う反面、どこかで不謹慎にも、スリル、非日常をちょっぴり求めているのかもしれないな〜などと思っている私であります。



7月28日(木)  “H子先生の疎開体験”

私の母は、“縁故疎開児童”(戦争中、親戚を頼って避難した子供)でした。
戦争を題材にした物語なんかによく出てきますが、都会っ子といじめられたり、田舎の遠い親戚に厄介がられ、 食べ物もロクにもらえなかったり・・とその頃の話はいろいろと聞いています。
そして、かの東京大空襲で、曙町にあった実家は全焼。
戦争を自ら体験した世代が減っていき、その貴重な話しを聞くこともあまりない世代がどんどん増えていく・・ ・そんな中にあって、私が聞いてきた戦争体験というのを、どこかで次世代に伝えていくこともきっと必要なん だろうな、と時々考えたりします。

何の話から、そうなったか忘れましたが、先日、モダンの仲間とお茶をしていて、母と同世代の大先輩、H子先 生が、ご自分の疎開体験を語ってくれました。

H子先生のご実家は、川崎の貴金属商で、千葉にある遠い親戚に“縁故疎開”していらっしゃったそうですが、 千葉も危ない!ということで、学区の皆が行った“集団疎開”組に合流したのだそうです。
疎開先は、要村というところだったそうです。(小さかったため何県かは覚えていないそうで・・・)
川崎に焼夷弾が落とされた夜、山の向こうが、キラキラと光り、真っ赤になっていたのが見えたそうなので、た ぶんそんなに遠方ではなかったのでしょう。(今と違い、高い建物もないから、見通しがよいというのもあると 思いますが)
小さい子供達には、その事実が意味するところがわからずに、“きれいだねぇ”とうっとり眺めていたそうです 。
そして、次の日が、子供達皆が待ち望む親御さんとの面会日、しかし、川崎が大きな被害を受けたとあっては、 親たちも来られない。
それでも、待ち遠しくて我慢できない子供達は、村はずれのバス亭まで、皆で歩いていってしまいました。
田んぼの中にぽつんと立つバス停で、何時間も何時間も、ひたすら親が来るのを待って、待って、待ち続ける子 供達。(T_T)
もちろんその子供達の中には、空襲で親を亡くしてしまった子供達も何人もいたそうです。
(幸いにしてH子先生のご両親は、助かりました。)

母の話にもありましたが、H子先生も、田舎の子供にはいじめられたそうで、子供の頃から虫が大嫌いな先生な のに、イナゴを50匹つかまえない限り、ご飯は食べさせてもらえないという経験もしたそうです。
結局、しばらくして、面会に来てくれた親御さんが、H子先生が普段寝ているという、ノミがあちこちではねる 不衛生な布団を見るなり、連れ戻すことにしてくれたそうです。
(しかし、戦時中、どこの疎開先でも、そんな光景は、普通だったそうです。)

川崎の中でも、H子先生のご実家のあたりは、繁華街。
防空壕を掘るといっても、そんなスペースがない家がほとんどで、H子先生のお宅でも、部屋の畳を上げて、そ の下に掘った防空壕が頼り。
しかし、実際、焼夷弾が落とされ、火が出てしまえば、そんな中にいたら、蒸し焼き状態。
その中にあった金庫の中の貴重品も、みんなダメになったそうです。
「貴金属商なら、宝石類とかは、土に埋めておけば助かったのにもったいないわ〜(~_~;)」
とは、モダンの先生Aの発言でしたが、
「軍への供出と言って、燃える前に、律儀に全財産を軍に渡してしまったから、埋めるまでもなかったの」
とH子先生。

今、平和に暮らしている私や、皆さんや、皆さんのお子さんや、大切な方々皆、そんな普通の庶民が、数限りな い辛い体験をした戦争。
命を失った方々はもちろん、命は永らえても、日常のごくこまごました中に、別れや、哀しい想い、窮屈さ、不 安、恐怖、様々な想いがあった戦争。
現実感のない今の若者の中には、戦争もいざとなれば、いたしかない位に考えている人もいるのかもしれません が、歴史で習う戦争のありさま、というのとは別に、自分の知った人が、自分の細々とした体験を語り、それを 伝えていくことで、少しでも戦争を避ける原動力になれば、またそうしていかなければ、とあらためて思いまし た。



7月29日(金)  夏バテの猿回し

台風が去って暑〜い日、ショッピングモールの間の狭いスペースで、何か太鼓の音がドンドンするな〜と思ったら、猿回しをやっていました。
日陰ではあるけれど、メチャクチャ暑い外気の中、そのおサルさんは、心なしかボーッとしている様子。
猿回しの男性は、話術も巧みに、必死で太鼓を叩き、“始まりますよ〜”という感じでお客を呼びとめているのですが、なかなか人は集まりません。
仕方なく、かなり寂しい観客の中、猿回しが始まりました。
しかし、巧みな話術のわりに、おサルさんのやる気のないこと〜。
そりゃそうだよね〜おサルも暑い。
TVで見た動物園のおサルなんか、ぐったりと地面に倒れ、死んでいるのかと思ったら、真っ赤な顔で(もとからか〜)やっと目を開けてたくらいなんだから。

観客に拍手を要求する芸で、両手をパチパチやるんだけど、あまりにスピードが遅くて、皆、
“えっ?拍手??”
という感じで、拍手もパラパラ・・・・。(-_-;)
他にも、立ってボーッと歩き回ったりしているのですが、イマイチ芸がしゃっきりしないというか、はっきりしないので、拍手をしようにも出来ない状態。
もしかしたら、まだ下手くそなおサルなのか、それとも、ホントに暑くてやる気ないのかはわからないけど、そのうち暑くて立ってみているのも辛く、その場をそおっと立ち去った私でした。
いや〜しかし、仕事を持つ動物は辛いねぇ〜!!



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