YUKO MASUMITSU JAZZ DANCE STUDIO

 2005年 9月


9月1日(木)  音楽のF先生のこと

前に小学校の卒業文集の話しを書いたときに、ちょっと出てきたのだけれど、私は小学校の音楽の先生にはかなり可愛がってもらいました。
合奏コンクールに出たときは、一人ピアノ伴奏をまかせてもらったり、あまりに前の事で所々ぼんやりしてはいるけれど、いろいろと思い出深い先生です。

この合奏というのも、普通にある小学生用の合奏の曲などではなくて、先生ご自身が編曲された、何とベートーベンの「運命」でした。
アコーディオン5パートと、ピアノ、ティンパニ、木琴、などの何パートにも分かれたかなり複雑な本格的な構成だった気がします。
アコーディオンは、ソプラノ、アルト、テノール、バス、コントラバス、とそれぞれ色が違い、音域が違うものが何十台もあり、かなり充実した環境だったと思います。
ピアノのパートは、オーケストラのスコア譜を編曲したもので、今思ってもなかなか難しいものでした。
その「運命」の他にも、卒業生を送る会の時に、毎年5年生が合奏するのは、一年おきに、
ワーグナーの「タンホイザー行進曲」か、ベルディの「アイーダ」と決まっていて、私達はタンホイザーを演奏し、アイーダで送られました。
「雪やこんこん」などの童謡も、先生の編曲で、素適な合唱曲になり、今でもその一風変った、印象深い複メロディーは覚えているほどです。
三好達治の「雪」という詞に先生が作曲された「太郎を眠らせ太郎の屋根に雪降りつむ。次郎を眠らせ次郎の屋根に雪降りつむ」という歌もありました。

小学生の時は、ごく自然にそんなかなり高度で内容のある授業を楽しんでいるだけだったのですが、母親などによると、やはりあれは特別、先生、環境に恵まれたことだったらしい。


卒業し、次にお会いできたのは、25年近く前、私が高校生を卒業する頃だった気がします。
もう一人の同級生と二人で、ご飯をご馳走になって、少しお話をしました。
先生も、昔の教え子がかなり懐かしいご様子でした。
それから、また月日を経て、私が最初にスタジオを開き、踊りの最初の公演をするという時、ご招待状を送らせて頂いたら、何と、わざわざおいでくださったのです。
当日、バタバタしていて、私はお会いできないまま、お帰りになってしまったのですが、いらして頂いたことがわかり、ものすごく嬉しかった。
それからは、1年に一度、非常に達筆な毛筆の年賀状を頂くと、先生のご様子を思い出しています。
今度お会いする事が出来たら、先生の作曲された「雪」のメロディーを、小学生の当時からは想像もできないほどの声、(太くたくましい?!声)ですが、歌ってみたいな・・・などと思います。



9月3日(土)  “路上で寝る人”

先日、友人らと道を歩いていたら、ブティックの前に真っ赤な顔で、だらんと路上に座っているお爺さんがいま した。
“この暑さで、熱中症かしら?それとも脳の病気だったら!!”
と急に心配になり、立ち止まると、ちょうどお店の店員さんも、中から心配して出てきたところ。
“救急車を呼んだ方がいいんじゃないかしら?”
言っていると、当のお爺さんがふらふらと立ち上がりました。
“あぁっ?!今立たない方がいいんじゃないの?”
「いやー大丈夫、大丈夫・・」
と言いながらふらふらと歩くお爺さん。
一時、肩を貸した店員さんも、お店の人も、急に納得したかのように、お爺さんから離れ、軽い調子で、
「早く帰った方がいいですよ〜」
(えー?呂律も回ってないし、絶対病気じゃないの?)
まだ事情がわからず、お店の人に、
「帰しちゃって平気なんですか?」
と言うと、
「酔っ払っているだけみたいです。ものすごくお酒臭いんで・・・」
!!
なんだ〜。(^_^;)
いっしょにいた友人は、
「最初っからそう思ったよ」ということですが、夕方とはいえまだ明るい時間なので、私はそうとは思いもよら なかった。

今日、同じような誤解をした人のいい?泥棒の話が新聞に出ていました。
神戸駅の近くの路上で酔って寝ている会社員のポケットの縫い目をあぶって広げ(手間かけてるね〜(~_~;)、財 布を抜き取って2万円を盗んだその泥棒、微動だにしない会社員が急に心配に・・・。
病気で倒れているのでは、と思い込み、近くの警察署に届け出たところ、逆に追求を受けるハメに・・・。
結局、財布を盗んだことを認めたそうで、彼いわく、
「放っておいたら、死んでしまう」と思ったそうです。
泥棒らしからぬ善意が墓穴を掘ってしまった。
泥棒したのはいけないけれど、ちょっぴりこの泥棒さんに同情・・・。
私が思うに、たぶんこの泥棒も、お酒を飲まないんじゃないかな〜?!



9月5日(月)  “ハリケーン、カトリーナ”

ホントにどうなってるの?と言うくらいヒドイ状況の、ニューオリンズ。
超大型ハリケーン「カトリーナ」の被害、そしてその後の混乱はとどまる所を知りません。
私にとって、ジャズ発祥の地として、何となく明るい好印象の街だったニューオリンズは、今や略奪、暴行、混 乱の街と化しました。
現地警察の、1500人の警察官のうち、200人あまりが、職場放棄。
救援にあたる警察官、消防士のうちに、ストレスから自殺する者も何人も出ているという報道。
救援の遅れから、飲料水不足で、脱水症状に至る患者も多数、しかも、汚水を飲むなどしてとうとう赤痢患者の 発生まで・・・。
全体で40万と言われるハリケーン避難民は、南北戦争以来の市民大移動とも言われ、もはやゴーストタウンと 化した街と、帰るあてのない彼らの生活は、いったいどうなるのかめども立っていない・・・。
排水に6ヶ月、さらに乾燥に2ヶ月を要するといわれるメチャメチャになった街を再建する道は果てしなく遠い らしい。
被害にあったほとんどが、黒人の低所得層ということで、浮上した人種問題。
大国アメリカが抱え込んでいる様々な問題が一気に噴出した様相・・・。

アメリカでは、テロ対策予算が40兆円に対して、災害対策費が40億円しかないという記事を読みました。
本当??
しかも、この只事とは思えない災害後の混乱は、比較しても仕方ないのでしょうが、日本ではありえない。
銃社会だからなのか、それとも貧困層の多い地域だったからなのでしょうか・・・。
災害にあわれた方にとっては、それでもまだまだ対応が遅いと思われるのでしょうが、救援物資が届き、被害者 同士、ボランティアが協力する姿、自衛隊がお風呂を入れ、やがて仮設住宅が建つ日本の災害時の光景 が、思い出されます。
やられたらやり返す、というアメリカが、この災害を前にして少しでも考えを改める方向にいけばいいのにな・・ ・。



9月6日(火)  ミュージカルで出会ったSさん

私が振り付けをさせてもらった子供ミュージカルの本番も無事終わり、(残念ながら始まった文化祭リハーサルのために見にいけなかったのですが)次は文化祭!!といったところ。
皆さん頑張りましょうね!

さて、今回の子供ミュージカルに参加されていた方の中に、一人だけ大人、それもたぶん60代の女性がいらっしゃいました。
最初振り付けに行った時から、実はとても興味があって、いったいどうしてやってみようと思われたのか、どんな方なのか、機会があったら是非お話してみたいな〜と思っていました。
物静かで、いつも端の方で、体育座りをして丸くなって、他の子供とおしゃべりするでもなく、むしろ小さくなっているようにも見えたSさん。
歌や芝居のリハーサルを見たわけではないので、他はわからないのですが、踊りの振り付けを見る限り、特に踊りを習ったことがある、とかやっていると言う感じでもない。
でも、私の踊りのダメ出し、特に、表現するということについての注意などは、真剣な表情で聞いていて、やろうとしてくれる。
ミュージカルに出てみようと思われたのが、少し不思議に思えるくらい社交的、開放的な感じではないのに、いったい何故なんだろう・・・と思いながら、とうとう個人的にお話しするチャンスがありませんでした。

通し稽古の時、袖で、やはり膝を抱えて固まっているように見えたので、
「どうしたんですか?小さくなっちゃって!」
と声をかけたら、
「あと何日もないと思うと緊張しちゃって・・・」
との答え。
その言葉通り?かなり緊張しておられたのか、その後の出番では、セリフがメチャクチャになり見ているのが可哀想なほどでした。
ただ、最初に一言発したセリフ回しは、一瞬、感情がこもっていて、これはもしかしたら、舞台で化けるかも?という予感もちょっとしました。
本番当日の朝、皆の顔を見に行ったら、お化粧してスタンバイしているSさんがいて、心から、
「頑張って下さい!」とだけ声をかけました。
その後頂いた、プログラムをめくっていたら、広告の中に、著者の名前がSさんの絵本の広告があり、そこでやっと、
“あ〜Sさんは絵本を書かれる方なんだ”
と分かりました。
とうとう最後まで、個人的にいろいろと話す機会はないままでしたが、今回のSさんのチャレンジが成功した事を心から祈るとともに、もしまた会うことがあれば、お話を聞いてみたいな〜と思っているのです。



9月7日(水)  “コーポ村?”の憂鬱

昨日帰ったら、母親が計算機を片手にウンウン唸っていました。
我がマンション一大イベント「コーポ祭」も無事終わり、一段落と思いきや、行事担当としては、コーポ祭に かかった費用の会計報告をまとめなくてはいけないそうで・・・。(~_~;)
「どうしても合わなくて、もうイヤ!」と半分涙目になっているから、微力ながら、
「どれどれ・・・」
と見せてもらったら、これが半端じゃないのです。
前年度会計をまとめた人は、たぶん会計のプロか?というくらいきちんとした様式にのっとって、“差異”と かいう欄があって、何でも、“仮払い”した金額と“実際の予算からの支出”との差とかいうもので、とにか く額も全部で40万近くにもなる、大層大掛かりなものなのです。
しばらく、“あぁでもない、こうでもない”と悪戦苦闘したけど、やっぱりわからない。
実際のお金的には、支出と残高が合っているので、もうこれでいいじゃん!?という感じなのですが、何かが 違っているのか??(@_@;)

結局、前年度の人に聞いてみることになったのですが、(ホントに微力だった私・・・(T_T))たかが?マンシ ョンのお祭りでこの大掛かりさはやっぱり異常だと、私なんか、興味のない者は思ってしまう。
コーポ祭に限らず、自主管理、近所づきあいに異様に燃える一派の人達と、仕事や個人の生活が忙しく、そこ まではできないし、お金で済ませることはできないか、と思う人達との格差が広がる一方。
今回、その渦の最中に飛び込んだ母は、推進派の真ん中で、内心はイヤイヤながらも精力的に仕事をして、推 進派の意見をいろいろと私に教えてくれるのですが、それがもう私には理解できないのです。
決められた仕事は仕方ないからしても、お祭りなどは苦手だから、と参加しない人などに対しては、
「出てこないから楽しさがわからないのよね〜」
とか、
全戸のお金を運営してやっているのに、
「文句言うなら出ればいいのに」
外装工事のペンキ塗り(各家庭の手すりなどは自分でやることになっている)なども、お金を払って業者に頼 んでも、自分ではできない、と言う人も認めない。(ウチはいとこの子供にバイト代出してやってもらいまし た)
それは、違うだろ〜!!(-_-;)
好きな人だけがやる分には勝手だけど、せっかくマンションに住んでいるのに、負担が多くすぎて、このマン ションにいられなくなった人もいるとあっては、納得がいかないのです。

昨今都会では少なくなった近所付き合いや、お祭りや、イベントは多いに結構だし、子供のいる家庭、子育て をする分には確かに悪くない環境なのでしょうが、何事にも、押し付けはよくないと思うし、自分達だけが正 義だと思う姿勢は、あまりに一方的。
大きな声で反論をすることのない少数意見は力で押さえつけられていく・・・??
今回やっと、全戸にアンケートをすることになったそうですが、それも私が書く、と言ったら、
「いくら無記名でもあんまり過激な事書いたら、ここにいられなくなるから、いい!」
と断られてしまいました。
まぁ全ての面倒を一手に引き受けてくれている母には、申し訳ないと思うし、居心地に一番関係するのは、ほ とんど家にいることのない私ではなく、母だから強くは言えない。
“つかず離れず”が近所付き合いのベストだと思う私にとっては、あまりに重い我がマンションなのでした。
ちょっぴり憂鬱・・・。(>_<)



9月8日(木)  “布の街、日暮里”

“布の街、日暮里”に行ってきました。
舞台と言えば、衣装、衣装といえば、買い物という事で、今までにもそのたびに訪れている街ですが、なかな か風情があって面白い。
昨今は、大きな街なら大抵チェーン店の布屋さんがあったりしますが、やはり日暮里は、昔から、布問屋が並 ぶ街で、その中には、思いっきり“昔ながらの”と言った感じの、ガラス戸を開けて入るとお爺さんが一人で 接客をするような、古いお店もたくさんあります。
そして、舞台衣装を作るような大口の買い物には、欠かせない有名な布卸しの店、○マトがあるのも日暮里で す。

安い、というのが評判で、一般のお客さんも多いのですが、ポリシーとしてはやはりプロ相手の問屋さんなの で、壁には、“どれ位要るかなどの質問には一切お答えできません”とか、“一人分ずつ切ったりすることは できません”とか、“業者の方に迷惑になるので、お子様のご入場はお断りします”などの、キッパリした張 り紙がしてあります。
布の陳列も、巻きのまま、どんどん積み上げてあるだけなので、お目当ての生地が見つかっても、取り出すの に一苦労、でもよっぽどの事でない限り、忙しそうに布を裁断し続ける店員さんに声をかけるなんてできませ ん。
“よっこらショ!”と巻きの生地を抱え、裁断してくれる店員さんのもとにたどり着き、
「30メートルお願いします」
とお願いしたら、前はなかったのに、メーター数の多いものは、機械を使うようになっていて、若い店員さん が、金属の棒のようなものに布の端を巻きつけると、モーターでぐるんぐるんと棒が回り、あっという間に3 0メートルが計られて止まりました。
すごい〜!!
一方、熟練した店員さんが、魔法の手で、布を次々と手繰り寄せて測る技も見られ、それもまた欠かせない眺 めであります。

布屋さんばかりが立ち並ぶ通りを、○マトを含め、何軒かのお店をいったり来たりしているうちにあっと言う 間に時間が過ぎましたが、文化祭に使う衣装の生地全てを買い揃える事ができました。
よかった、よかった・・・!(*^。^*)
皆さんには、これから苦しくもやがて楽しい?!衣装作りが待っていますが、頑張ろうね!(^^ゞ



9月9日(金)  母の姉妹

私は兄弟姉妹がいない一人っ子のため、同じ親から生まれた兄弟の感覚というのがイマイチわかりません。
私の父は、5人、母はそれぞれ5つ違いの3人姉妹。
母を見ていると、女3人の兄弟ってなかなか面白い。
母は真ん中で、よく、
“真ん中は雑に育てられて損だ”
と言うし、これは友人のBも言ってたからそういうのもあるのかもしれない?けど、その分たくましい気もする。
どちらにしても、いざと言うとき頼りになる身内がいるというのは、ちょっとうらやましい気もします。
そして、同じ兄弟でも性格は全く違うわけで、それは母のように年をとっても変らないから、相容れない部分というのは変らないらしい。

母の姉はもう亡くなったのですが、いわゆる長女気質で、大切に育てられ、大らかで、元気な人でした。
母の妹は、母に言わせれば、甘ったれで、気が小さい末っ子。
私が子供の頃は、どんな人なのかなんて考えないけれど、私にとってはとても優しいおばちゃまでした。
その叔母を、母が泣かせてしまったというのを聞いたのが数年前。
何でも、母によれば、叔母の、何でも、頑張らないで、文句ばっかり言ってる消極的なところが気に入らないらしい。
“頑張ればできるのに〜!”
との言うのが母の意見。
叔母の思いを聞いたのは、確か、父の葬儀の際に会った時で、
“Mちゃん(母のこと)は、自分が頑張れちゃうから、頑張れない人の気持ちがわからないんだ!”
とのこと。
ふ〜ん。
確かに、母は努力家で、ある意味おせっかい、教えたがりのところがあるから、優しく穏やかな、少し消極的な叔母にしてみれば、キツイのかもしれない・・・。
母の教えるコーラスに、その叔母もずっと参加していたのですが、団体の長としての母の立場と、母の妹としてちょっと複雑な叔母の立場は、察するにあまりあるし、よく上手くやっているな〜と思っていたのです。

その叔母が、どうやら最近鬱っぽいらしい。
何にもやる気が出なくて、とうとうコーラスにも来れないらしいし、家でも食欲も出ず、引きこもり気味だそうで・・・。
そうなると、母も、心配と、心配からの苛立ちで、また穏やかではないのです。
“ちゃんと心療内科とか行った方がいいのに!”
とイライラしています。
自由奔放な姉、努力家、優等生の母、繊細で穏やか消極的な叔母の3人姉妹。
ぶつかり合い、助け合い、近寄ったり離れたり、それぞれ違う人生を生きながら、一生からまりあう糸を思うと、なかなか複雑ででもちょっとうらやましい。
とにかく今は、叔母が元気になってくれるよう祈るばかりです。



9月10日(土)  「魂萌え!」を読んで

桐野夏生著の「魂萌え!」を読みました。
例によって?母が先に買って読んでいて、
「どう?面白かった?」
と聞くと、珍しく歯切れの悪い返事。
「うーん、面白くないわけじゃないけど、今までのとは違うね・・・」
「??」

百聞は一読にしかず?で読んでみたら、何となく母の返事がわかるような煮え切らない読後感。
夫を突然亡くした59歳の専業主婦。死後発覚した夫の愛人、遺産問題では、自分達の生活第一で、勝手な息子、娘と対立し、一人で生きることを選択する彼女に芽生える淡い恋愛、同世代の友人との関係・・・。
世間知らずで、自分一人で考えることをしなかった主人公が、徐々に強く、逞しくなっていくというストーリー。
これって母の立場にも共通するんじゃないの?と一瞬思ったのですが、やっぱりかなり違うねぇ・・・。

何が一番スカッとしないかといえば、やはり主人公の性格です。
今までの桐野さんの作品に出てくる女性のような歯切れのよさがない。
普通のおばさんってこんな感じなのかもしれないけれど、私の周りには母を含め、こういった普通のおばさんってあんまりいないし、正直言えば、主人公があまり好きになれない・・・。
夫が生きているうちは、夫や家族にべったりで、それでいて実はちっとも弱いわけじゃなくて、はっきりと物を言わないけれど、芯は強くて、愛人とケンカする場面なんて、
(あーイヤだイヤだ!・・)
と言った感じ。
淡い恋愛って言ったって、その人に惹かれたとかじゃなくて、要は女性として扱われて嬉しくて・・というのが主で、長電話し合う友人にも魅力的な人が全然いない・・・。
ささやかな日常の中で女の自立、老年を孤独と闘いながら生きる第一歩、と言うのが桐野さんのテーマではなくて、実は思いっきり皮肉で書いたんじゃないの?と邪推したくなるほど・・・。
筆力があるから、すーっと作品の世界に入れるし、読みにくいわけじゃないけれど、共感はしません。
何か、打ち込むものを持っている人、一つ生き方に芯がある人、何でもない日常の中でも、キラリと何かに目を留められる人、私はそういう人が好きだし、この主人公とは友達になれない気がしました。

久しぶりに読んでイヤな感じの残る本に出会いました・・・。(そこまで言わなくてもいっかな・・?)(^^ゞ



9月11日(日)  選挙速報に夢中

文化祭の振り付けで頭がぐるぐる(@_@;)している私ですが、(もしかしたら出演者の皆さんも?)何と言っ ても今日は、衆院選の投票日でした。
朝のカルチャークラスに出かける前に、私もちゃんと投票に行って来ましたよ。
そして、大好きな速報番組!!
速報好きの私としては、選挙速報の番組を欠かすわけにはいきません。
開票したとたん、“当確”が出る仕組みは、どうしてもわかりませんが、一度つけたら消せなくなってしまう 速報番組、とことん楽しみたいと思います。
明日の日本は、どうなる!! 



9月12日(月)  “Iちゃんのクラスのバカ親”

バレエの友人Iちゃんは、最近カルチャーでの教えのお仕事が増え、その中には幼児のバレエのクラスもあるそ うです。
ほとんどが、5歳児のそのクラスに、最近3歳の子が一人入ってきたそうなのです。
私もやったことあるからわかるけれど、3歳と5歳では、できる事や理解力、忍耐力が全然違うわけですが、 そこはカルチャーでのレッスン、幼稚園ではないのですから、一人ひとりを見ながら全体のレベルを徐々に引 き上げ、クラスをまとめていくのが第一。
その3歳児は、年齢の割にはしっかりしていて、いわゆる“お口が達者な”タイプ。
しかしながら、バレエはもとより、お稽古をするというのが全くの初めてなわけで、とりあえず慣れるまでは クラスを成立させるためにも、手がかかるわけで・・・。(まずは、バーにつく、とか並ぶとか、そういうこ とです(~_~;))
Iちゃんの苦労は、察するに余りあるのですが、忍耐強く、頭のいいIちゃんですから、クラスの場の雰囲気を 見て、きっとかなり上手くやっていたと思うのです。

ところが、カルチャーの受付に、5歳児の親からのクレームが入ったとの連絡が!
曰く、「ウチの子が言うのには、今度3歳のお子さんが入って、ウチの子はその子のせいで、あまり見て貰っ ていない、との事なんですが・・・」
カルチャーとしては、とりあえず、こんな連絡が、と言うことだったようですが、そのクレームに、Iちゃんを 使っているスタジオ本部の先生も、Iちゃんも内心、大激怒!
「だいたい、助教(音出し係りを主にするアシスタント)も使って、二人も先生つけて、こんなに丁寧に見て るのにその上何の文句があるのよ。だいたい自分の子だって最初はもっと手がかかってたのよ。文句あるなら 辞めればいいのに!」
ごもっとも。
「ホントに子供自身がそんな事言ったのかネェ?」
と私が聞くと、
「いや、絶対違うの」
話しを聞けば、その前の日がたまたま親の参観日で、クレームをつけた親、その他の親も来ていたそうで・・ ・。

しかも、その3歳児のクレーム以来、中心となる親が、他の親を通じて子供に何かを広めているのか、3歳の 子を見る、他の5歳の子の目が妙に冷たいんだそうです。
「それってどうなのかねぇ。小さい子には優しく接するとかいうのも、年齢差を越えたお稽古事ならではの経 験なのにねぇ〜」と私。
「そうだよねぇ」
また、そういう自分の子供を過大評価?する教育熱心な親は、カルチャーのいろんなクラスにクレームをつけ ては、次々に渡り歩くケースが多いようで、問題児ならず問題親になる場合が多かったりします。
だいたい、レッスンで、自分の子をよく見ろ!と強要してしまう、というのもおかしなもので、先生を信じて お任せできないなら、さっさと辞めた方がいい・・・。
幸いにして、私は、カルチャーで、クラスについてのクレームを受けた経験は今の所ないのですが、たぶん自 分自身が物を習ったことのある親は、こんな事を言わないだろうし、何でも人のせいにして文句を言えばいい 、と思っている親に育てられる子供もたまったもんじゃない・・・。
Iちゃん自身よりも?、だんだん頭にきてしまった私ですが、まぁ世の中いろんな人がいる。
今の所、3歳児も他の5歳児も辞める気配はないそうですので、引き続き、Iちゃんの健闘を祈るばかりです。



9月13日(火)  落花生

落花生、ピーナッツはどうやってなっているかご存知ですか?
今日、たまたまポッキーの新製品、きなこ味を食べていたら、友達の一人が、
“これってピーナッツの味に似てるね”
と言う。
そういえば、そうかも・・・。
と、そこからピーナッツの話しになりました。(のん気なウチラ・・・)(^^ゞ
“ピーナッツってどうやってなってるんだっけ?”
“エー知らない!枝豆みたい?”
“いや、違うよ。たぶん土の中だよ”
“え〜豆なのに?芋みたいに?じゃあ球根なのあれは?(@_@;)”

そこで、ちょっと調べてみました。
尼崎にある若葉小学校のHPを見たら、この学校では、落花生の育成をやっていて(遠い昔ジャガイモはやった気がするけど)、その成長日記が見られました。
そのほかにも落花生のサイトがあって、詳しく成長過程が見られました。
やっぱり、土の中でした。
種は、そのままピーナッツでそれを植えると、芽が出てきて、若葉になって、株となりやがて黄色い花が咲く。
そして、その花が地中に潜り込んで!!(だから落花生か!)おなじみの殻つきのピーナッツになるんだね!
ピーナッツは、種なんだ。
初めてその地中から掘り出したばかりの株のまま土つきの落花生の写真を見ました。
バラ目、豆科なんだけど、豆科の中でも珍しく地中に生育する落花生には、様々な養分、栄養が蓄えられるそうです。
ウチの亡くなった父は、殻つきのピーナッツが大好きで、よく自分で買ってきては、食べてましたっけ。
でも、あれって、散らかるんだよねぇ〜・・・。(^^ゞ
母は、そのたびに、“新聞紙広げてちょうだい!”と目の敵にしてました。
何て言ってたら、私もピーナッツ食べたくなっちゃった!



9月15日(木)  “瀬川瑛子さんのTV”

「愛する母に捧げる感謝状」という番組に、歌手の瀬川瑛子さんが出ていました。
幼い頃から、歌手だったお父さんの意向で、厳しい歌のレッスンを受けてきた瀬川さんを優しく支えてきたの はお母さんでした。
やがて、高校進学をあきらめ、プロの歌手になった瀬川さん。
しかし、まだ、若く売れない瀬川さんは、地方のキャバレーをマネージャーも付き人もなくたった一人で回っ ていました。
辛い時代、眠れない夜も、電話で支え続けてくれた瀬川さんのお母さん。
そして、そんな辛い時代の事を語る瀬川さんに、私は感動してしまいました。

売れない歌手だった瀬川さんが、差し出すレコードを迷惑に思うお客さんもたくさんいたそうです。
でも、瀬川さんが、そんな時代の事を話しながら流す涙は、決して、
「辛かった、苦しかった」
というだけの涙ではなかったのです。
「他の歌手の方を楽しみにしていらっしゃっているお客さまのお気持ちはよくわかるし、でも、そんな時に、 ホステスさんが、“そんな事言わないで買ってあげて”と優しくして下さった。寮でも、まかないのおばさん や、ボーイさん、皆さんが親切にして下さった。もし、もう一度会えることがあれば、お礼を言いたい!」
という感謝の涙だったのです。
本当に、物事は、考え方、見方一つです。
苦難の時代を、そんな風に自然に語れる瀬川さんは、本当に素適でした。
お父さんに半ば、無理やりさせられた歌手も、歌手にしてもらって有難かった、と言っていました。
厳しい芸能界に、早くから身を置いて、いろいろ苦労しても、摺れることなく、“天然キャラ”を貫いている 瀬川さんの、明るさや、優しさは、ホッとさせられるものがあります。
相次いで亡くなってしまったご両親(お母さんの後を追うように2週間後に、お父さんも亡くなったそうです )は、きっと天国で見守ってくれている、“私もいつかそこへ行くのだから、と思って頑張ります”と言う彼 女は、涙をこぼしながらも、力強く微笑んでいました。



9月16日(金)  あったらいいなぁ〜

あったらいいなぁ〜と思うけれど、買うまでは行かないでしょ〜と言うものは結構あります。
というか、私は結構物欲が薄い?方で、どちらかと言えば、ケチ!?な方なので、あまり買い物はしないのですが、漠然と、自分では買わないけど、あったらいいなぁと思うものは、マッサージチェアーです。
あの、温泉地とかにある、すわると肩や腰や背中をマッサージしてくれる椅子。
あんなのが家にあったら、サイコ〜!!と思う私は、かなりババくさいとも言えるかな・・・。(^^ゞ

実は、先日、電気量販店で、展示コーナーとして、十台くらいのマッサージチェアーが並んでいて、無料で!試せるようになっていたので、つい座って試してみたのです。
今のマッサージチェアは、メニューも豊富で、足のふくらはぎのところのマッサージはもちろん、その機器は手の部分までマッサージされるように、肘掛のところがなっているのです。
その他にも、セッティングの段階で、自分の重点的にやって欲しいところをインプットするようにもできて、温泉地にあるような、全身コースとかの単純なものではないのです!
しかも、そのセッティングを3人分は、記憶しておけるようになっていて、例えばお父さんが座った時は、Aコース、お母さんはBコースとか、自動的にできる。
TVのコマシャールでやっていた、音楽といっしょに揉んでくれるという機種にも座ってみたかったなぁ。(なかったんだけど・・・(-_-))
マッサージされごごちは、なかなか快適でした。(ただ、私は欲張って、首も肩も背中も腰も足も全部を重点的に、とインプットしたため、ちょっと強すぎた感もある・・・)
今は、レンタルで、一ヶ月8千円くらいで貸してくれるというシステムもあるそうで、それならお試しで気軽に借りれるな、なんてちょっと思ったけれど、よく考えたら、置く場所がない!
あんな大きなものを置いたら、邪魔で仕方ない。
やっぱり、あれは“あったらいいなぁ〜”でいいのかなぁ・・・。



9月17日(土)  “アカネちゃんの恋”

職住分離と言うわけでは、決してないのですが、家の中ではあまり振り付けができません。
家で振り付けを考えないとならない、と言うのは、実はよっぽどの切羽詰った場合で、大抵は、家の外、それ もコーヒーなどを飲みながら、たくさん人がいる場所で、一人の世界に集中というのが好きなのです。

そんなわけで、昨日も、ドトールで、振り付け作業に没頭しようとしたその時・・・。
ウオークマンのイヤホーンから音楽を流しているのにも関わらず、その音楽をさえぎる大きな声。
「だから、アカネは、お前が好きなんだよ!」
へ?

なおも、その声の演説は続きます。
「いいか〜!アカネがお前の事で相談がある、って俺のところに来たんだよ。ぐじゅぐじゅ考えずに突っ走れ ばいいんだよ!!」
あまりの大声と、何か内容がおもしろそう?で、つい振り返ってみると、結構イケてる?若い男の子と、かな りイケてない男の子、演説してるのは、“イケてない”方。
イケてる方は、黙って聞いているだけのようです。
(それにしても、声が大きいこと・・・(^_^;))
「嫌いなのかよ、アカネの事。え?違うんだろ?つきあってやればいいじゃないかよ!恋愛でそんなにぐじゅ ぐじゅ考えてたらダメだ!」
あたりは、いつのまにかその大声に辟易したのか、人も減り、気がつくと、全くの二人の世界でよそ事が全く 気にならない様子のカップルと、その男の子達、そして私だけに・・・。
(いけない・・いけない・・音楽に集中しよっと・・・)
「アカネはなぁ、お前といっしょに生きていきたい、お前がいないと不安なんだってよ。それなのにお前と連 絡がとれない、って泣いてたんだぞ!」
(あらら・・・そうなんだ・・・)
「お前のせいで、俺はまたアカネの事を思い出しちゃったんだぞ。俺はずっとアカネに片思いしていてやっと 忘れたっていうのに!」
(そりゃぁかわいそうに。でも君より彼の方がいいんじゃ仕方ないな・・・)
その後も、なだめたりすかしたり、泣き落としたり、様々な手を使いながら、説得は続いたのですが、彼は無 言のまま・・・。
(これはダメだよ、もう。第一二人の事は二人に任せた方がいいのに。アカネちゃんも自分でアタックしなけ ればダメだよ!)
「今まで、俺がいろんな事で説得して考えを変えたのは7人。お前はそれが通じない初の一人になるのかよ〜 」
(ぷっ《心の中で笑い》!君っていったい何者?)

結局、彼はとうとう無言のまま、説得人間の彼も最後には諦めたのか、二人は席をたちました。
やれやれ・・・。
アカネちゃんの恋の行方の雲行きは、どうもあまり芳しくないようですが、とりあえずは、静けさが戻ってき た店内。
人がいいんだか、おせっかいなんだかわからない大声、説得人間の彼と、最後まで声を聞くことがなかった彼 、そしてアカネちゃん、若いって楽しい〜。
嵐の去った後の、適度な雑踏の店内で、再び振り付けにいそしむ私なのでした。(^ム^)



9月19日(月)  “こんなはずじゃない”

買い物依存症を売り?に数々のエッセイを出されている、中村うさぎさんの著作、読まれたことありますか?
私は、彼女が好きだなぁ。
あそこまで自分に正直に生きるのは、本人も周りも辛いとは思うけど。
彼女は、買い物依存、(それも額が半端じゃない、1年で一億とかとのレベル。むろんプロの作家なので、出版社に前借して、書き飛ばしてはそれを返すという繰り返し。)そしてその後は、ホスト通い、そして整形、と流行の?女性の依存症を次々と身をもって体験しながら、それに苦しみながら(あんまり苦しんでいるようには見えないけど・・・)、いつも冷静に自分を見つめています。
おそらく、書く、という事をしていなかったら、依存症に飲み込まれるであろう自分を、裸のままさらけ出す彼女。
たぶん、多かれ少なかれ、“あっ、私と似てる!”と思う人、うさぎさんの豪快な文章に気持ちが楽になる人
も多いことと思います。

そのうさぎさんの、インタビュー記事を読みました。
病院にもかかった彼女いわく、“心や、身体の病気、いろいろなものを抱えて生きるのは私一人じゃない、依存症を抱えて生きよう、という風に思ったら、開き直れたんです。治そう、とか人並みになろう、とか思わなくなった。そしたら、買い物自体は止まらなかったけど、自己嫌悪で落ち込むことがなくなった”んだそうです。
また、うさぎさんのようにポジティブに生きるには?の質問に、
“私は、うまくいくわけない!というところから考えが始まる。・・まぁサイアクな事を考えておけば人生そこまでサイアクにはならないから”
という答え。

これは、私も全く同感です。
うまくいくわけない、とまでは思わないけれど・・・。(^^ゞ
こうあらねば、とか、こうなるはずだ、とか、あの人はこうしてくれるはずだ、とか思い込んでいると、そうでなかった時に落ち込むことになります。
逆に、自分の考えてることも思うようにならないのに、人の考えていることがわかるはずがない、と思ったり、そんなもんだよ、と思って一歩踏み出すと、思いのほかいい結果に喜べたり、次に進めたりすることはよくあります。
こうあらねば、という想いは、気がつくと自分を縛っていたり、そうでない自分を責めたりして苦しくなってしまったりします。

「こんなはずじゃないのが人生」
うさぎさんの言葉とおり、そこに人生の味があるような気がして、また元気になった私でした。(*^。^*)



9月20日(火)  声シャン

私の父親は、かつて“声シャン”と言われていて、つまりは美声(歌が上手かったというわけではないのですが)特に電話やマイクになどに乗りやすい通る声で、電話などに出ると、
「お兄さん?カッコイイね!」
などと誤解を受けたものでした。

(余談になりますが、この“声シャン”と言う言葉、我が家では普通に使っていましたが、ご存知でした?
“シャン”って何から来てるのかな?、と思って調べたら、何と、もとはドイツ語!!の「美人」からですって。
旧制高校の学生が使った言葉だそうです。へぇ〜・・・。)

ところが、その娘である私は、ご存知のとおり?よく言えばハスキーボイス、気持ち?しゃがれた凄みのある低音なわけで、友達とカラオケなんかに行くと、大抵の曲は高音部が出なくて、一オクターブ下にワープしたり、初めから低音で歌える歌しか、歌わないわけです。(~_~;)
しかし、実は、私は昔から今のような低音だったわけではないのです。
確か・・・子供の頃は、小鳥のような可愛らしい高い声・・・。(ホントか?)
その後も、せいぜいメゾソプラノ、今ようなアルト中のアルト?では決してなかったはず。
その証拠に、久しぶりに電話で話した人などは、
「風邪ひいてるの?」
と必ず言うのです。
思うに、煙草と((^^ゞ)長い教え生活の結果、それも最初の頃は情熱にまかせ?怒鳴りまくってたから、いつのまにか声をつぶしたのかしら?
母によれば、「腹筋使って大声をだし続けた結果、声帯が下がったのね」
と言うことですが、真偽は不明・・・。

私は、決して美声とは言えませんが、大声には自信があるし、喫茶店などで、ウェトレスさんを呼びとめるのは得意だったりします。
そして、音ががんがんかかっている中で、音に負けずに、注意を飛ばすのも相変わらず。
まぁそのうちに時間ができたら、ボイストレーニングかなんか受けて、ハスキー美声と裏声を使い分け、どんな歌でも歌いこなせるような“声シャン”なっちゃおうかな・・・!(^^ゞ



9月22日(木)  “偉いぞ!身体さん”

モダンのH子先生は、階段から落ちて転ばれて、(左手に荷物を持っていたたため、右手で体重をささえてしまい)右手首を骨折していらっしゃったのですが、昨日ほぼ二ヶ月ぶりに、めでたくカムバックしました。
ただし、右手首は、まだ完全でなく、ちょっと使うと熱をもってむくんでしまう状態だそうで、だんだんにリハビリをかねて・・・ということだったのですが、何にせよメデタイ!!
手首の二本の骨を両方とも骨折していたそうで、右手が完全に使えない状態だったとのことで、これはかなり不便!

実は、私も高校生の頃、前にも書いたけど、自室の木の引き戸を、思いっきり閉めて、指をはさみ、ひびが入り、右手を肩から吊っていたことがありました。
右手が使えないというのは、思いっきり、それはそれは不便です。
まず、朝起きて顔を洗うにも、片手で猫のように顔をなでるしかない。
その後、(高校の時はしてないけど)メイクをしようにも、左手だと思うようにファンデーションもつかない、眉毛などを描くにも、上手くいかないと、仕方ないから、顔の方を左右に動かすんだそうです。(~_~;)
さて、朝ごはんと言ったって、一家の主婦であるH子先生は、野菜も洗えない、ご飯もとげない、包丁も使えない、わけで、ご主人と息子さんにイライラしながら指示を出したそうです。
やっとのことで、ご飯と言っても、左手でお箸を扱うのは至難の業で、仕方ないので何でもフォークでブッ刺して食べる。
私は、ご飯はおにぎりんしてもらって食べてました・・・。
着替えも、苦労がいっぱい。
ストッキングなどは、まず無理だし、ブラジャーのホックも、息子さんにとめてもらっていたそうです。
字もかけないので、学生だった私は、左手で書いた、「脅迫状」のような文字でテストを受けましたよ・・・。(当然、結果は惨憺たるもの。時間かかって仕方ないんだもん・・・(T_T))

あと、これはそうなってみて初めて気付く事の一つですが、瓶のふたを開けられない。
片手で押えてないと、あれって開かないんですよね・・・。
水道の蛇口も、左手だと、どっちに回すのかがわからなかったりする。
無意識でやっている事の一つ一つに、実は身体の連携プレーが働いているわけで、その一つが、欠けただけで、こんなに大変になる・・・。
ギックリ腰になったりしてもそうなのですが、えっ?こんな事が??ということが、できなかったりします。
やはり、人間の身体って、非常に上手くできていて、なくても大丈夫なものは全然ないし、その事を日頃意識もしない、まして動かせることに感謝もしないのだけれど、有難いんだな・・・とあらためて思ったりしました。(*^。^*)



9月23日(金)  バンダナ

教えの時、自分のレッスンの時、(ジャズだろうが、モダンだろうが、クラッシックだろうが)いつも私は頭にバンダナをしています。
思い返せば、踊りを始めて間もなくの頃から、それは変っていません。
ただ、10年くらい前までは、オデコにハチマキのように縛っていて、今は、頭全体をくるむ海賊巻きにしているのですが。
頭が丸いせいか、一度海賊巻きにしてしまうと、私の場合跳んでもはねても回っても、取れないし、髪はまとまるし、やる気もキリリと入り、欠かせません。
あまりに丸い形の頭にフィットしているせいか、この前などは、黄色いバンダナをしてバレエのレッスンでグランワルツで跳んでたら、
「あら、風船が飛んでる、と思っちゃった」
と言われました。(~_~;)

ジャズダンスを習い始めた時、先生がいつもバンダナをされていて、たぶんそれを真似っこしたのが最初だったのか、その頃流行っていたのか、私が今しているバンダナの歴史は古いのです。
確かに、昔は、バンダナの種類も色も豊富で、変ったデザインのものがあちらこちらに売っていました。
今は、百円ショップなどにも普通に置いてありますが、わりと定番デザインの定番色ばかりで、(たまに忘れて買ってしまい、そういうバンダナも多くなってしまったけれど)20年くらい前に買い揃えたものの中の、気に入っている変った色の物などは、なかなか見あたらないのです。
また、昔は、値段的には、相場500円で、変ったデザインのものが山ほどあったのに、今ちょっと変ったものは、800円とか1000円とかしちゃうし、数も少ない。
また、100円ショップで買ったものの中には、表面だけがプリントしてあって、裏は無地という“ニセバンダナ”もあり、買ってしまってから、ガッカリした事があります。(これは、バンダナじゃない!!(-_-;))

最近、バレエミストレスとしても活躍されていて、モダンでも長いお付き合いのR子さんが、
「私もバンダナしてみたい!」
とモダンのレッスンのたびに、私の真似っこをして海賊巻きにしています。
ご本人は、バンダナを持っていないそうで、いつも私が余分に持ってくるものを借りては、洗濯して返してくれるのですが、そんなに好きなら、そろそろご自分の物を持ってもらいたいので、どこかでR子さん好みのバンダナを見つけてあげようかな・・・と思っています。
自分もまた新しいバンダナを仕入れたいなと思うので、バンダナ探しの旅に出ようかな〜などと考えているところです。
↓中央はモダンのA先生


9月24日(土)  「彼岸花」

我が家の近くに毎年、お彼岸の頃、彼岸花が咲くところがあって、いつもその真っ赤な花に見とれています。
何となく、縁起が悪い花なんだよ、と聞いたような気がするんだけど、この花を別名、“曼珠沙華”(まんじゅしゃげ)って言うのはご存知でしたか?
(その昔、山口百恵さんが、まんじゅしゃげ〜って歌ってたっけ・・・)

彼岸花の特徴的なところは、茎がのびてきて、突然花が咲き、数日で花がなくなってしまうところだと思います。(ひょろ〜とした茎に、花だけが咲いているのは、ちょっと不思議な眺めです)
しかも、花が終わった後に、葉が出てきて、冬と春を越して、夏が来ると消えてしまうんだそうです。
花と葉が同時に見られることはない、という不思議な植物です。
そのために、韓国では、「相思華」(サンチョ)というんだそうです。
花は、葉を思い、葉は花を思う・・・ロマンチックじゃん・・・。(*^。^*)

曼珠沙華というのは、「天上の花」という意味なんだそうです。
おめでたい事が起こる兆しに、天上から赤い花が降ってくるという、仏教の経典によるそうです。
じゃぁ、縁起がいいんじゃん・・・・(・o・)

咲いているのは、人の少ない場所、湿地など、で墓場などに咲いていることが多いため、地方によっては「シビトバナ」(死人花)、ジゴクバナ(地獄花)と呼ぶところもあるそうです。
だから、縁起が悪い、と聞いたんだ!!(^ム^)
真っ赤な色が、血や地獄をイメージさせることかららしいです。
また、根には、アルカロイド(毒成分)がある。
子どもなどが、やたらに触らないように、そんな風に言ったのかもしれません。
毒は薬にもなる、わけで、薬効としては、炎症を治める効果があるそうです。
球根は、水に何度もさらすと毒がぬけるため、昔は、飢饉の時の最後の手段?としては食用にもされたそうです。

この花の呼び名には、山ほど方言があって、「キツネのたいまつ」とか、「ユウレイ花」、「ヤクビョウ花」などあまりよいイメージのものがないのですが、それほど昔は嫌われた花だったのか・・・。

花は、何も言わずに、今日も咲いています。
皆さんの家の近くには、彼岸花が咲いていますか?



9月25日(日)  “たばこまつり”

昨日、秦野のカルチャークラスに教えに行ったら、「たばこまつり」というのをやっていました。
この24、25日で行われているかなり大きなイベントのようで、駅に降りたら、駅の天上から大きな提灯? が下がっていて、びっくりしました。
ここぞとばかりに、マックや、ドトールまで店の前に、出店を出していて、飲料などを売っている。
しかし、天気は台風接近もあってあいにくで、人出も特にすごいというわけではない。
まぁ、いつもよりは、全然にぎやかでしたが・・・。(~_~;)
それでも、浴衣を着た子ども達が、嬉しそうに、綿菓子などを持っていて、おまつりムードをかもし出してい てちょっと楽しかったです。
どんなイベントがあるのか、パンフレットを見たら、メインに、火起こしコンテストというのがあって、なか なかおもしろそう。
その他、懐かしのアイドル大集合というのがあって、ゲストは、伊丹幸雄、大場久美子、城ミチル(確か・・ ・ちょっと3人目はうろ覚えですが)の3人。
すごい!!(^_^;)
最後は、25日の打ち上げ花火ということですが、荒天の場合は、10月2日に延期とのこと。
今日は、夕方には晴れたから、きっとできたね!

“たばこまつり”というのは、もちろん秦野が、有名な煙草の産地だからで、駅の広場には、たばこの木の鉢 植えが置いてありました。
その葉は、思ったよりもずっと大きくて青々していました。
ただ、仕事が終わって、一服しようとマックに入り、座って一息ついたら、
「たばこまつり期間中は、全席禁煙とさせて頂きます」だって!!
たばこまつりなのに、なんでだ〜!!(-_-;)

さて、今日は、文化祭のリハーサルで、とうとう振り付けが終わりました!
めでたい!
後は、練習ですね。皆、いい舞台を創りましょうね!
ファイト!(*^。^*)



9月26日(月)  “ボルケーノ”

いわゆるパニック映画が、結構好きな私なのですが、昨日またTVで、お気に入りのパニック映画「ボルケーノ 」をやっていたので、つい見てしまいました。
貸しビデオ、TVとこれで3回目なのですが、何度見ても、この映画はおもしろいです。

「ボルケーノ」という題名そのまま、つまり火山爆発の話しなのですが、爆発したのは、何と大都市ロス・ア ンジェルスの真下!!という設定。
大抵のパニック映画の定石通り、まずは、平穏な日々から話しは始まって、しかし徐々に悲劇の兆候が現れる わけで、またこれも定石通り、専門家が危険を予知しているのに、お役人や、偉い人は信じない・・・。
で、どうなるかと言えば、何しろ、大都会、コンクリートの下での火山爆発なので、マンホールからマグマが 吹き出て、公園の池から、炎の柱が吹き出て襲い掛かり、火の玉のような、石が降ってくる。
地下鉄は、溶岩に飲み込まれ、街の中を溶岩流が走る。
それは、すごい事になるわけです。
ロスの危機管理局の局長が主人公なのですが、この人がものすごいタフで、街の中で溶岩流を止めるべく、危 険を省みず大活躍。
局長のティーンエイジャーの娘も、災害の中で、一つ大人になる。
地質学者の女性と協力し、人々が力を合わせ、最後は新築の高層ビルを爆破して、ダムを作り、溶岩流を運河 、そして太平洋へ流して、ハッピーエンド!となるわけですが、それまでに、感動あり、人間ドラマあり、恐 怖あり、となかなかよくできた映画だと思います。
一時期、パニック映画に凝って?いろいろとビデオを借りたりして見たのですが、その中でも、かなり上ラン クの映画の一つです。

パニックものが何故好きか、と言えば、もちろん、怖いもの見たさ、
「えーっ!こんな事が現実に起こったら怖ーい」
というのもあるのですが、それと同時に、危機に際した時の人間性、その人の生き様、(「ポセイドンアドベ ンチャー」なんかの場合は、死に様?!)が描かれているからです。
自分の命の安全を省みず、助け合う人間を見ると、現実はそうはいかないかも?と思いながらも、そういくと いいのにな・・・とか、そうあって欲しいとか、そうありたい・・・とかいろいろと思ったりするのです。
文字通り、パニックに陥って、役立たずの人間や、人に迷惑をかける人間を見ると、私は果たして落ち着いて 行動できるか?とか考えます。
「タイタニック」のように、パニック映画と恋愛映画がからんでいるものはなおさらですが、(「ボルケーノ 」でも、使命感、友情のために死んでいく人がいました)愛する人、他の人のために自分の命を捨てる人間な んかを見ると、単純に感動してしまう。
人間ってすごい!とか思ってしまいます。
まぁ、まんまと製作者の意図にはまってしまうタイプなわけですけれど・・・。(^^ゞ

秋の夜長、おススメのパニックものがありましたら、是非ご一報下さいな〜!(*^。^*)



9月27日(火)  踊りやっていて得した?!

踊りやっていてよかったことの一つに、自分の身体に敏感になったことがあります。
特に、今、この筋肉が疲れている、とか身体がこっちに歪んでいるな、とかこの関節がつまっているな・・・とか踊りをやったことのない普通の人よりは、敏感に察知して、意識して直そうとすると思います。
(年だから、具合の悪いことばっかり・・・??(~_~;))
例えば、ちょっとストレッチして寝よう、とか、意識して右脇を上げよう、とかこれは治療に行かなきゃとか・・・(^_^;)
皆さんも、そうでしょう?

自分の身体に意識が行く、と言えば、先日モダンの先輩が、ラフティング(よく知らないけど、渓流をゴムボートで下るスポーツだって!激しそう〜!!)に行って、とても楽しかったと興奮していました。
そしてその先輩は50歳くらいなのですが、彼女とご主人をのぞくと後のメンバーはみな若者だったそうで、それにも関わらず、
「インストラクターの指示を一番飲み込み早くこなせたのは、私よ!」
と鼻高々でした。
話しによると、インストラクターがボートのこぎ方を、
「右足一歩前、左足はボートのふちをはさんで、上体はボートの右側の人はここから(そう言って彼女は足の付け根からひねるポーズを見せてくれました)右側にひねって、上体全体を使って漕いで下さい」
と説明したりしても、さすが踊りを永年やっている彼女は、さっとその身体のイメージをとらえられるのに、他の若者は、全く“とんちんかん”(彼女いわくです・・・(~_~;))で、笑えたそうです。
「踊りやっててよかったわ〜」
と言う彼女に、先生は、「そんなことでなの?(^_^;)」
と突っ込んでいましたが・・・。

もちろんもともとスポーツウーマンで、運動神経がいい彼女だから、と言うのはあるとは思いますが、やはり自分の身体を常に意識している強みというのは、踊りをやっている人ならあるだろうな、とも思います。

ラフティングが、やたらに気に入ったようで、その先輩は、
“皆もおもしろいから、絶対やってみて”
としきりに言っていました。
今の所、船酔いが心配な私は、チャレンジする予定はないし、もともとは運動神経がない方(体育の成績はひどいものでした・・・(T_T))の私ですが、踊りを永年やってきた今は、前よりはましかもしれない・・・(^ム^)
何となく、今教わったばかりのボートの漕ぎ方を真似してみたりする私です。(*^。^*)



9月28日(水)  「手のひらの蝶」

本屋さんで、何か読む本が欲しくて、でもじっくり本を選ぶ時間はなくて、パッと目についた本を手に取りそ れを買って読み出しだら、「当たり〜!!」と面白かった、ということはよくあります。
かえって、じっくり選んで、絶対面白いと思って買った本が、イマイチなこともよくあります。
何となく、本の方が私を呼んでいる気がするのです。
「私を買って〜!!」と・・。

そんなわけで、ものの2分くらいで決めて買った本、
「手のひらの蝶」。
面白かったです。(*^。^*)
著者は、小笠原 慧という精神科のお医者さんで、前作「DZ」で、横溝正史賞を受賞しました。
「DZ」を読んで面白かったので、新作が出ていたのを見つけたとたん、よく帯も読まずに買ってしまいました 。
わずか9歳の少年にかけられた母親殺しの容疑。
そして連続殺人事件。
被害者は、血液を抜かれて死んでいるのです。
吸血鬼!?
(今、文化祭に向けて、吸血鬼をテーマにした作品を創り、みんなに踊ってもらうところの私としては、何て タイムリーなこと!)
ミステリーのネタばらしになってしまうので、詳しくは書きませんが、(むろん犯人は吸血鬼ではないのです )、吸血昆虫というのが出てきて、かなり怖面白いし(怖くて面白い)、精神科医だけあって専門知識も豊富 で(ただ、豊富すぎて、所々専門用語が連発され、それが難解なんだけど、そこは、斜めに読み飛ばす!(^^ゞ )、私は好きでした。
本筋とは別に、ドラキュラの精神分析が出てくるところがあって、それによれば、ドラキュラは母親の愛に恵 まれずに育ち、自己形成がきちんとできずに、正常な愛を交わすことができないんだそうで・・・。
その関連も面白かった。
象徴的ではあるけれど、悪が悪を増殖していく構造というのもからめ(今回のはその増殖というのが、ただや りたかった)、今度また吸血鬼をテーマに作品を創るなら、もっと吸血鬼自身の人間性みたいなのにせまるも のを創ってみたいな・・・。(音との関連で作品を創る私なので、またそんな音に出会えるかどうか、その時 どう感じるかはわからないけどね・・・)
ミステリーとしての、結末はかなり意外だったし、登場人物に思い入れがあったので、哀しかった。

この本を読んで、心ってどこにあるんだろう?とまた考えてしまいました。
脳なのか、それともやはり脳だけじゃないのか?!
前にも、東野圭吾の「変身」という小説で、脳移植を受けた人が、刻々と人格が変っていくというのがあった りとか、他にも、心臓移植を受けたら、その心臓の持ち主の記憶や嗜好が受け継がれたという実話があったり とか、まだまだ解明されていない“心”という存在。
吸血昆虫に脳を蝕まれながらも、残っていたその人の“心”の存在・・・。

小笠原慧、まだまだ新人の部類の作家ですが、私の中ではちょっと注目!というところです。(*^。^*)



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