YUKO MASUMITSU JAZZ DANCE STUDIO

 2005年 8月


8月1日(月)  夏!鼻血?!浴衣!花火!!

毎日やたらと暑いですねぇ。
まっ、私は夏生まれというのもあって、暑いのは結構好き!
夏は大好きです。
そのわりに、先日の喘息騒ぎから風邪、と体調を崩し、情けない・・・。
やっと元気になってきたところです。
風邪の後、鼻の粘膜をやられたのか、昨日は、日曜クラスの前に急に鼻血が出てしまいました。
あらら・・・という間に結構な出血で、仕方なく、鼻にティッシュを詰めたまま!!レッスン開始。
遅刻して入ってくる人が、皆、私の顔を見ては、ぎょっとしていて、恥ずかしいやら、自分ながら、あまりのマヌケな有様に、可笑しいやら・・・。
日曜クラスの皆さん、ご心配&お見苦しいところをお見せして、ごめんなさい!m(__)m

さて、このところ、あちこちで花火大会があるのか、しょっちゅう浴衣姿の若い子を見かけます。
母に言わせると、昔は浴衣と言えば定番の紺とか、せいぜい赤とかが多かったのに、最近は、えっ?というピンクや黄緑なんかの浴衣が多く、唖然とするらしいです。
いつだったか、浴衣着たまま、バイクの後ろにまたがっている子を見て、びっくりしたこともありました。
着方も人様々で、“それは、どう見ても、つんつるてん(死語?)なんじゃないの?”という丈の人や、足広げてしゃがんで携帯に夢中になってる人なんかもいますが、まぁいいのかな〜?!!

実は、私も、先日行ってきました、隅田川花火大会。(^◇^)
(ちなみに、仕事帰りだったので、私は浴衣じゃありませんでした)
友人が誘ってくれて、取引先の会社のビルの屋上で見せて頂いたのですが、とてもキレイでした。
屋上には、ゴザがひいてあって宴席となっていて、お弁当まで頂き、とても快適、かつ楽しい体験でした。
さすが、メジャー中のメジャー、隅田川の花火で、光の競演、どの花火も迫力たっぷり。
帰り道も、思ったほど混んでなくて、(さすがに駅はすごいことになってたけど)スムーズに帰れました。
やっぱり、夏は花火ですね!(*^。^*)

私は、夏休みの子供ミュージカル、(厚木テアトロ)の振りつけを今年もさせて頂いております。
実は、今そのまっさかりで、あまりリハーサルに行ける回数もないため、ちょっぴり忙しくしております。
頑張れ!私!ということで、また振りつけに集中しなくちゃ!



8月4日(木)  「卒業文集」

新聞のコラムで、重大な事件を起こした犯人の、卒業文集が公開されることへのちょっぴり皮肉な記事が載っていました。
犯人に限らず、ニュースになる人、例えば、宇宙飛行士の野口さんの小学校の卒業文集に、
「僕は宇宙飛行士になりたい」
と書いたエピソードが公開されたことなども含め、何でもかんでも立派に成人した人の何十年も前の卒業文集をひっぱり出してきて、もっともらしいコメント、この人の現在はこの頃から現れていた、みたいなコメントをつけるのは、いかがなものか?ということなのですが、私もずっとそう思ってました。

私は、小学生の卒業文集に何を書いたかといえば、「音楽の授業の思い出」でした。
それは、先生が、何を書くかの案として、
「学校生活の思い出」や、「将来の夢」、「個々の授業に対する思い出」と上げたからでした。
その頃から、たぶん“目立ちたがり屋”の片鱗があった私は、
(皆と同じ事は書きたくない!)
と思ったのです。
(普通の学校生活の思い出、イベントの思い出みたいなのは皆が書くに違いない。穴場?と言えば、音楽かな?
それに、私は音楽のF先生には可愛がってもらったし、作文に書いてもらえば、先生も喜んでくれるだろう。)
そんなことを思っていた記憶があります。
まぁ〜なんてイヤらしい子供・・・。(~_~;)
結果、その内容は、合奏コンクールに出て、ピアノのパートを一人やらせてもらったこと、その緊張と楽しさ、音楽の先生には感謝していること、などの、大人の目を意識した優等生的で、でもあまり面白くない作文になったのでした。
しかし、小学校の卒業文集なんて「えっ?私、何書いたっけ??」
と忘れている人も多いのかもしれません。

だいたい、将来何になりたいの?と、聞かれても、その時によって、
「ピアノの先生」(本当は、どっちか言えば、ピアニストだったけど、それはとても大変だと知っていたし、たぶん母にも気を使って)とか、あんまり実感なかったのに、「お嫁さん!」(たまには女の子らしくして見よう)とか、その場の雰囲気や、無意識に大人の顔色を見る子供(今思えばですが)だった私としては、子供の頃の発言で、なるほどねぇ〜なんて絶対に判断されたくない!と思ったりするのです。
もちろん、それは、全くの嘘というわけではなく、そんな気持ちもあるわけなのですが、例え、子供と言えども、人には、いろんな気持ち、いろんな面があるわけで、簡単に「この人はこんな人!」と割り切ることができないのと同じことだと思うのです。

まして、マスコミの力は偉大で、犯人なら、
「やっぱり、この人は小さな頃から、人とは違う犯罪の芽を持っていた」
とか、偉業をなした人なら、
「子供の頃から、その片鱗はあった」
と簡単に結論を出してしまえば、世の中の多くの人が、そういう目で見てしまう。
やっぱりこの人は、最初から人は違ったのね〜、ハイおしまい。
人間は、様々な可能性を持っているし、日々変っていく・・・そこが素適なのにねぇ〜。



8月5日(金)  H子先生のお怪我

つい先日も、疎開体験の話しをしてくれたモダンの大先輩H子先生が、怪我をしてしまったということ!
それも、駅で、急いでいて、階段の途中で酔っ払っているおじさんをよけようとして、階段を踏み外し、転んで手をついて、手首を骨折してしまったそうなのです。(T_T)
そんなわけで、お気の毒にも、しばらく骨折した右手首はギブスの中、レッスンにもしばらく来られない・・・・。

何しろ、場所が右手首ですから、日常の様々な動作、書いたり、料理をつくったり、何よりも食事をしたり、全てに不自由があるでしょうから、お気の毒です。
ご本人は、“身体がなまる〜”と大変心配なさっているそうです。
また、この暑い季節に、ギブスとなると、一番イヤなのは、「痒い〜」ということです。
私が学生の頃、足を骨折し、ギブス生活になった時も、何より辛かったのは、痒みであります。
もう、痒くて、痒くて、ギブスの隙間から、編み棒を突っ込もうとしたり、物差しを突っ込もうとしたり、(どちらも入らなかった・・・(-_-;))あげくのはてには、細めの針金を買ってきてもらって、突っ込んで、ガリガリやったりしたものです。(やりすぎには、くれぐれも注意!)

たかが?!片方の手首といえども、モダンやジャズなど、床にすわって、ストレッチや、エクササイズを行うものは、使えないとなると、かなり不便になります。
これは、以前、私が電車のドアの戸袋に手を引き込まれて捻挫した時に、実感したこと。(まぁ私もいろいろやってること〜(~_~;))
(こんなことも、できないんだ〜!)
と意外なところで、床に手をついたり、手を上げたり下げたりしているもの。
バランスを取る時も、手を吊っていたりすると、いつもと感覚が違ってやりにくい。
やはり人間の身体は、微妙なところで、うまいことできているんだなぁ〜。
とにかく、元気印H子先生の、一日も早い回復をお祈りしています。

さて〜!!
スタジオの皆さん!去年の夏めでたく結婚した(私もスピーチやって大騒ぎだった・・・)J子が、2日の日、2638グラムの女の子を出産したそうです!
予定日より少し早いけれど、母子ともに健康だそうです。
おめでとう!!(*^。^*)



8月6日(土)  「原爆の日」

今日は、広島に原爆が落とされた日。
60年前の今日、8月6日、私の父は爆心地から数百メートルという近いところで、被爆した被爆者でした。

当時、父は、19歳、所属していた軍隊の駐屯地であった広島で原爆にあいました。
飛んできた何かの破片で頚動脈の近くを切り、出血していたため、部隊を離れる事が許され、被爆後の広島に長 く留まらなかったことが、父の命を救ったのだと聞いています。
しかし、それにしても、放射能の恐ろしさは、その後に父を長く死線をさまよわせ、髪も全て抜け落ち、右の耳 のしたから首筋にかけては、ケロイドが残り、右の耳の聴力を失いました。
私がいわゆる遅い子(父が36歳で結婚し、翌年生まれた)なのは、放射能の影響が子供に出るのを恐れ、結婚 をためらっていたからだと聞きました。
両親、周囲が、被爆者2世としての、私が、五体満足で、健康で生まれたことを喜んだことはいうまでもありま せん。
76歳で肺の病気で亡くなるまで、数々の大病を乗り越えて、父はほぼ健康で過ごせたのですが、今朝、TVで 言っていたように、今になって、被爆者には、一般の人の3倍も癌になる確率が高いということがわかったそう で、父が、生前喉頭がんを患い、声を失ったことは、やはり原爆の影響だったのでしょう。

生前、私が父から直接、原爆の事を聞いたことは、実はほとんどありません。
それは、たぶん、経験した者にとって、原爆を語るのが、どれほど辛く、恐ろしいことか・・・ということなの だと思います。
唯一、高熱を出し、死線をさまよっていた父を看病してくれた行きずりの農家で、頂いたトマトの話しを書いた 文章は、父の葬儀で皆様にお配りしたのですが、父が農林省を生涯の職に選んだのは、もしかしたらそのトマト のせいだったのかもしれません。

毎年、8月6日の朝、TVをつけると、広島の原爆ドームでの平和記念式典が映っています。
原爆の犠牲者の名前のなかに、被爆者であった父の名も入っています。(直接的に原爆で亡くなったのでなくて も、被爆者手帳を持つ人が亡くなると記載されるのだそうです。)
唯一の被爆国である日本が、いつまでも原爆の悲惨さを訴えること、どんどん遠くなっていく戦争の体験を受け 継いで、認識していくことがやはり絶対に必要なのだ、とあらためて思う朝です。



8月7日(日)  “父の聞こえない耳”

実は、昨日父が原爆にあったことを書いたのですが、一つ訂正があるのです。
父が、原爆でひどい目にあい、死線をさまよったのは事実、ケロイドが耳の下から首にあったのも事実なのです が、片方の耳が聞こえなかったのは、子供の頃の中耳炎のせいなんだって・・・。
今朝、母に聞いて知りました。
そういえば、そんな事言ってた気もする・・・。(~_~;)
失礼しました。
子供の頃から片耳が聞こえなかったりすると、もう片方の耳の聴力の範囲がだんだん拡大して、そんなに不便で なくなるんだそうです。
それで、父も日常生活に支障はそんなになかったのですが、電車の中などは、必ず聞こえる耳のとなりに座るよ う言われました。
そんな話しを母としていて、
「あれっ?パパの聞こえない耳、ケロイドのある方って右だよね??」
と二人共急に、自信がなくなりました。
「あれ?いつもこっち側にいたから・・・そうだよね??」
と食卓の横の戸棚で写真になっている父を見るけれど、正面の写真なので、耳までわからない・・・。
「あらら・・忘れちゃうもんだねぇ〜アッハッハッ!!」
と笑ってすましてしまうウチっていったい??(~_~;)

しかし、真面目な話、父が生き残ることができたのは、実は数々の幸運が重なったせいらしく、まず夏であった のに、軍服をしっかり着込んで、首、顔以外をしっかり覆っていたこと、現場をすぐ離れることができたこと( 汚染された地域に、投下後に入って、亡くなった方も多かったと聞きます)、そして、栄養状態の悪かった戦時 中にもかかわらず、広島名産の牡蠣をたくさん食べていたこと?!、(海のミルクと言われる牡蠣は、肝臓にと てもよいらしい)など・・・。(もちろん被爆後の大量ビタミンCの摂取、トマトも・・・)
父にとっては、この生き残った≠ニいうことの、他の方への負い目、責任、複雑な想いがあったらしいのです が、(戦争を乗り越えた人は、皆、その想いを抱えて生きている・・・)父が亡くなっていたら、私は生まれて いないわけで、そんな生と死のはざまの極限状況に直面せざるおえない戦争こそが、最もむごいものなのだとあ らためて思います。

さて、原爆を乗り越え、心筋梗塞を二回乗り越え、(そのうち一度はやはり死線をさまよい、足の血管をとって 心臓につけるバイパス手術を行いました)、喉頭がんを乗り越え、傷だらけででも穏やかにたくましく生きた父 ・・・。
そして、そんな父を兄弟のように?家来??のように、いいなりにしていた私も、いい年??の大人となり、毎 日たくましく生きております。
踊り人生にかまけ、あまり親孝行もしなかったけれど、たまに思い出した時には??父に感謝し、与えてもらっ たこの人生を大切に生きていきたいな〜などと思う今日この頃であります。



8月8日(月)  “食べろ、食べろ攻撃!”

子供ミュージカルの振りつけのお仕事、とりあえず??順調に進んでおります。
何しろ時間がなく、猛スピードで進んでいるのに、皆よく頑張っていて、その健気さに感動!!
踊りを全くやった事のない子も多く、この短期間で、(スタジオの中学生A子のように)ずっと踊りをやってい る子とそうでない子を皆、舞台で活き活きと見せるために、(よそ様とのお仕事ということで、実はいろいろと 苦労はあるのですが)子供の瞳のキラキラが見たくて、奮闘している私であります。
頑張れ、皆、そして頑張れ、私!!(~_~;)

話しは変わりますが、世の中はそろそろお盆休みへ突入!
毎年この季節になると、友人の中で一人憂鬱そうなのは、モダンの仲間B。
旦那様の実家のある、鹿児島への帰郷が待っているからです。
結婚した当時は、ナントその帰郷後、小さな円形禿げができてしまったほど・・・。
それも、最もストレスなのは、実は、食いしん坊のお姑さんの、“食べろ、食べろ攻撃!!”らしい。
身体も大きく、人一番グルメ&グルマン(大食家)のお姑さんは、B達が帰郷する何日前から、地元のレストラ ンをチェックして、“あの店も行って見たい、この店にも連れて行きたい”と大張り切り。
しかし、お姑さんは、数年前から、糖尿病を患い、インシュリン注射を打っている身、普段は、思うように食べ られない。
その鬱憤を、B達の帰郷の間は、晴らしてやる!とばかり、注射を増やしながらも!!思いっきりはじけてしま う、ということ・・・。
結果、鹿児島にいる間中、B達一家は、毎食毎食、大ご馳走に苦しめられる??ということらしいのです。
子供達はまだ小さくていくらも食べられないし、旦那様は実の息子だから、“もういらない”とはっきり断れる 。
B一人が、糖尿のお姑さんばかりに食べさせられない、と物陰に隠れ、胃薬を飲みながら、頑張る・・・。(T_T)
さすがに、最近は、少し慣れたのか、円形禿げはできませんが、
“絶対、太っちゃうんだ”
と脅えているBです。(^_^;)

さて、スタジオメンバーでも、既に、帰郷、旅行に出かけた方もいて、リラックス&リフレッシュして、帰って きて欲しいですね。
私も、明日の火曜初級クラスが終わってから、一週間のお休み、ということで、庶民の安、近、短、の小旅行! (ここ数年は毎年恒例なのですが)伊豆へちょっこら行って参ります。
ダイアリィの方も、数日お休みを頂きますが、許してね!?
それでは、皆さんよいバカンスを!(^O^)/



8月13日(土)  “美術館の父と娘”

観光地の美術館で、父と娘さんの二人連れを見ました。
小学3年くらいの大人しくて、利発そうなお嬢さんと、穏やかで優しそうなお父さん。
食事をする所が一箇所しかなくて、ちょうど昼時で、レストランの前には長い列ができていました。
お父さんが列に並んでいる間に、近くにある売店で、自分へのおみやげを選び、帰ってきたお嬢さん。
大事そうに、買ってきたマスコットをお父さんに見せていた彼女。
お盆休みのこの時期に、二人っきり・・・。
どんな事情があるのかわからないし、もしかしたら、お母さんは、赤ちゃんとお留守番とかかもしれません。
でも、二人の間には、お互いを思いやる優しい空気と、何となく寂しげな雰囲気がありました。

(実際、こちらの考えすぎという事はあって、私は中学の入学式にお父さんと二人連れの同級生を見つけ、お母 さんがいないのかな?と思い、人知れず気を使っていたら、単にお母さんは妊娠中で、その子は、3人姉妹の長 女、元気で明るいお母さんがいたのでしたが・・・)

やっと長い列が進み、私のすぐ前のお父さんとお嬢さんの番になりました。
「カツサンド一つと、手作りソーセージ」
とお父さんは、注文しながら、その女の子に、
「飲み物は、お水でいいね?」
と静かに言いました。
女の子は、黙ってうなずきました。
二人なのに、カツサンド一つ・・・。
お父さんは、ビールを飲むわけでもない・・・。
観光地値段で、一品が市場より高めのレストラン、だから、二人で一つのサンドイッチを分け合うの??(T_T)
私より少し離れたテーブルに座った二人を、何となく気になって見てしまう私・・・。
両親の間にはさまって、ジュースやお子様ランチを食べて、元気に騒ぐほかの子供とは、明らかに空気が違う女 の子は、お父さんと二人で静かに食事を終えました。
食事が終わって、レストランの前のトイレで、また二人を見かけると、お父さんは男子トイレ、女の子は、一人 で、女子トイレに消えるところでした。
一人で、すくっと立っている女の子は、とても凛々しく見えました。  



8月14日(日)  初心者ダイバー講習

海のすぐそばの、海水プールに行きました。
そのプールは、半分に仕切ってあって、ナント半分では、ダイバー講習ということで、ウエットスーツを着て、シュノーケルをつけた十数人の初心者が、先生に教わって練習をしていました。
半分では、普通の水着姿の子供、若者、大人、がバチャバチャやっているすぐ隣では、今から海に初めて入るダイバーが真剣に講習中という、ちょっとアンバランスな光景がなかなか楽しかった・・・。
いい機会だから、と初心者ダイバーに向かって、真剣そのもので基礎の基礎から教える先生の授業を盗み聞き。
(・・・といっても、仕切ってあるのは、プールの中だけなので、プールサイドのベンチに座っていたら、無料で聞ける)

若い男性の先生は、どうも同じことを必ず二回繰り返すクセがあるのです。
「まずは、基本姿勢です。力を抜いてうつぶせなり、必ずまっすぐを保ちます。必ずまっすぐを保ちます。いいですか?」
「そして、顔は前を見る。顔は前を見ます。いいですね?」
「足は足首から動かさず、腿から動かす。腿から動かします。」
「手の力は抜かないと進みません。慣れるまでは、前に伸ばしてください。ハイ手の力は抜きますよ。いいですね?」
う〜ん。
分かったけど、クドイねぇ〜・・・!(~_~;)
一度、この繰り返し癖が気になると、たまらない・・・。
それでも、どうやら度素人の面々を、すぐに海に連れて行かなくてはいけないということで、先生も必死。
「ではやってみます。ハイやってみますよ。」
とすぐに、プールの横を使って、十数人のダイバー希望者?が、シュノーケールを水から出して、バチャバチャと列を作ってバタ足。
先生は、変なフォームの人を見つけては、チェック、と大忙し。
教える苦労がわかる?だけに、話し方はクドくて辛いけど、ちょっぴり親近感・・・。

一時間くらいたって、お昼どきになると、ダイバー希望者諸君は、ダイバースーツを腰まで下げて、中は水着のまま(下にビキニとか着てるわけね〜(・o・))、びったり肩を寄せ合って、静かにお揃いのお弁当を食べていました。
たぶん知らぬ同士が、あそこまで肩を寄せて、話しの糸口もなかなか見つからない状況と見ました。
これで休憩の後は、すぐ海か〜。
かなりの強行軍、事故もなく、皆を海に潜らせて、仕事を終えると、きっと先生は、ぐったりしてるんだろうな〜・・・。頑張れ、先生!!(^_^;)



8月16日(火)  シャボテン公園で

伊豆の大室山に、シャボテン公園というアミューズメントがあって、名前からしてシャボテン植物園か?と永年伊豆に行きながら、あまり興味を感じず素通りしていたのですが、去年初めて行ってびっくり。
ご存知の方もいらっしゃると思いますが、ここは、放し飼いの鳥や、動物がたくさんいる動物園なのです。
名前のせいで、大分損をしていると思う。
初めて行くと、通路にいきなりクジャクがのんびり歩いていたり、普通に大ペリカンが横切ったり、人間の手からワラビーがエサを食べてくれたり、結構な感動です。

去年行って、かなり気に入ったため、リピート癖のある私は、今年もまたシャボテン公園に行きました。
駐車場から、すでに大きなクジャクがのんびりとお出迎え。
轢かれちゃう〜という心配をよそに、
“車がよけてくれればいいでしょ!”
と言わんばかりに、全く人間を怖がらないクジャク。
素晴らしい!!
スタッフの人に話しを聞いたところ、山ほどいる珍しい鳥たちも、特殊な(企業秘密だってさ・・・)訓練の結果、檻などがなくても、一定の公園の敷地以外には、逃げないような放し飼いになっているそうです。
いろいろな種類の珍しいサルたちも、公園の大きな池にそびえ立つ木を中心に、まったくの自由行動。
ここの動物達は本当に幸せ者だ〜!(*^。^*)

チンパンジーのショーも、ここでは、「学習発表会」という名前です。
この謙虚さがまたよい!!
その謙虚なネーミングのわりに、内容は、充実しているし、いわゆる猿回しといった、サルの芸と言う感じより、チンパンジーの特性を説明しながらの、真面目ででも楽しいものでした。
また、進行役のお兄さんが、手話ができて、それもごく自然に交えて話しているのも、好感が持てました。

敷地に入っている動物達も、人間より数段高い石段の上、石の囲いだけの中にいたりして、とくに檻もなく、自由で、堂々としています。
通行する人間と同じ高さ、檻の中だと、年がら年中、人の目にさらされて、ストレスも高いでしょうが、動物の方が高いところから、人間を見下ろしている感じで、なかなかよい・・・。

ただ、一つだけ、惜しいのは、バリアフリーになっていないこと。
車椅子の男の子を連れた家族連れと出くわしたのですが、石段が車椅子では登れないため、お父さんが車椅子から子供を抱え上げて、動物を見せていました。
簡単なスロープさえ作れば、車椅子でも上がれるのに〜・・・。
スタッフの感じもとてもよく、好感を持っているので、たぶん投書とかすれば、改善してくれそうな気がするから、してみよっかな・・・。



8月20日(土)  “鼓との遭遇”

生まれて初めて、“鼓”を触らせてもらいました!
能とか、歌舞伎とかの、あの、「いよーっ!ポン!!」の鼓です。

前にダイアリィに書いた、「ムクちゃん」が看板犬のお店のママさんが、永年にわたり鼓をやっていて、その迫 力ある音色を聞かせてもらったら、どうしても叩いてみたくなって、ほんのちょこっと教えてもらったのです。
だいたい、私がやっているのは、“洋舞”だし、家庭環境も洋楽のクラッシックには関係あっても、和物、邦楽 に関しては、全くの門外漢。
鼓というのを、近くで見た事さえなかった・・・。

鼓ってどういう構造なのか、ご存知ですか?
真ん中の両端が広がった形の円筒形のものと、皮が張ってある二枚の丸い板は、分解できるようになっていて、 その二つを紐であやとりのように、からげて結んであるのです。
しまう時は、それをバラバラにして、しまうのだそうです。
そして、ママさんの貴重な愛器の鼓は、その真ん中の木の部分が、ナント、安土桃山時代のものだそうで、完璧 な手作業、手彫りで作られた鼓は、現代では、もう誰も作る人がいなくなってしまった・・・ということです。
コンピュータで復元して大量生産される現代製の鼓は、狭い場所なら何とか遜色ない音色をカバーしても、広い 場所に行くと、どうやっても昔の鼓にかなわない!ということ。
最も適した逸材の一本の木を一世代の間くらい、寝かせて、それから、長い長い間かけて、心をこめて彫ってい って仕上げる、なんてことは、商業ベース的に考えれば、まったくペイしないことなので、お金、お金の現代で 作る人がいなくなってしまったのも、無理はないのかもしれないけれど、お金では買えない日本人の心、文化を 受け継ぐ人がいなくなってしまったことは、本当に哀しいことだと思います。
だいたい、昨今流行の、“セレブ”の面々こそ、お金の使い方を少しは考えて、文化や芸術を保護すること、そ ういったものへの富の還元を考えないでどうするの!!と、その場には、怒りさえ溢れました。(-"-)

さて、鼓の持ち方、叩き方のごくごく初歩を体験させて頂いた後、鼓の楽譜?!を見せてもらいました。
大抵の和楽器のように、もともとは口承だったものが、今は、横に、八拍の印があり、それに合わせて、リズム パターンの名前が書いてあるものでした。
洋楽、或いは、ジャズダンス的に言えば、「ワン(お休み)、ツー、エン、スリー(お休み)、エン、フォー、 エン(お休み)、“よーっ!(掛け声)”シックス(お休み)、セブン」みたいな(これはメチャクチャだけど ・・・)(~_~;))、リズムパターンが山ほどあって、まずそれを習得し、その一つ一つに名前がついている。
ひぇーっ!!
頭がぐるぐる・・・。
よく覚えられるものです。
一応、八拍にあてはめてはあるのですが、邦楽をやったことのある友人によれば、洋楽的な拍子に置き換えるや り方は、結局は通用しない、とのことで、やはり邦楽を学ぶには邦楽の世界、日本のリズム感を習得しないとダ メなんだろうな・・・。
それにしても、こうした邦楽におけるリズム感というのは、どんなジャズにも匹敵する複雑さで、地方(じかた )さんの演奏というのは他の楽器と、唄との、掛け合い、まさに黄金のジャズセッション!!なのでした!!
感動!(*^。^*)

普段、私が触れることの少ない、和の世界へのほんの足がかり、鼓との遭遇で、あらためて自分が日本人である ことのすごさ、日本の文化への畏敬を覚えた私でありました。




8月21日(日)  かづきさんのメイク

昨日、TVにメイクのかづきれいこさんが出ていました。
“かづきれいこのメイク”といったらカルチャーセンターでも講座があるほど有名ですが、ご本人の半生、また 、彼女がやりたい事を聞いて、ちょっと感心してしまいました。

かづきさんは、心臓の病気があって、幼い頃から、血流が悪いために“赤ら顔”で随分辛い想いをしてきたそう です。
そのために、いじめられ、引っ込み思案になり、自分の顔が嫌いで仕方なかったそうです。
ところが、成人し、しばらくたって、心臓の病気が悪化し、とうとう手術をした結果、心臓の具合がよくなると 、赤ら顔がすっかり治ってしまったそうです。
彼女が、メイクを勉強し始めたのは、それからで、30歳を過ぎていました。
自分と同じように、顔に悩みがあったり、そのせいで辛い想いをしている人の役にたちたい、そんな想いで始め たかづきさんのメイク。
しかし、最初の頃、彼女がぶつかった壁は、幅広い層でやってくる人、皆を美しくしたい、というその想いでし た。
若返りたい御夫人から、流行のメイクを覚えたい若い女性・・・。
そしてそんな中に、いつも顔を伏せていた一人の女性は、脳の病気のため顔中に吹き出物がありました。
メイクの技術で何とかして彼女をキレイにしたい、かづきさんの努力は、彼女の心に届きませんでした。
かづきさんの元に届いた、彼女が自ら命を絶ってしまったという知らせ・・・・。
「皆の共通の美しさは、つまり心から元気になれるメイクだ!」
あらためて、そう気付かされたかづきさんは、それからは、率先して、顔に事故や病気で痣があったり、疾患の ある女性を、心から元気にする、「リハビリ・メイク」に取組むようになりました。
今では、大学病院に、「リハビリ・メイク科」を開設するほど、かづきさんの取り組みは、人々の心に届くよう になりました。
メイクの技術だけでなく、傷ついている人の心に語りかけ、ありのままの自分を隠すのではなく、認めて、受け 入れる方向にいざなうかづきさんの元に通う人々は、いつしか、メイクに頼ることなく、元気に明るくなってい くそうです。

傷ついたり、辛い想いをしたことのない人というのはそんなにいないと思います。
人としての真価が問われるのは、それをどう乗り越えるのか、そして乗り越えた後、その経験をどう生かすか、 なんだとあらためて思いました。



8月22日(月)  さぁ、コーポ祭!

今度の週末は、「コーポ祭」であります。
コーポ祭とは、私が住むマンションのお祭りで、今年「行事担当」の係りを引き受けた我が母親が、何だかんだと細かな準備を重ねて来た苦労の実る日なのです。
前にも書いたけれど、ウチのマンションは、自主管理体制という(管理人のいない)のを築当時、30年前から続けていて、住民は、細かなことから大きなことまで、係り制で、自分達で行うわけです。
私は、忙しいのをいいことに、今に至るまでほとんどそうした雑務からは逃げていて、母には申し訳ないのですが、やれやれ、このマンションに住むのはホントにラクじゃないのです。

1年のメインイベント、コーポ祭は、前夜祭から始まって、マンションの小さな公園での様々なイベント、マンションの人が手作りしたお神輿が出て、子供達がかついだり、花火があったり、模擬店が出たり、子供のキャンプがあったり、かなり大掛かりなものです。
私は、引越ししてきた時には、もう中学生だったから、子供のイベントには参加したことはないのですが、小さな子供たちは、マンション内の公園に、テントを張って貰い、夜遅くまで、はしゃいでいます。
(そして、その声は、かなりうるさい!(~_~;))
模擬店は、一度、高校生の頃、焼鳥を手伝ってやったことがあるけれど、(収益金は、マンションの管理費になる)焼くのももちろん大変だけど、もっと面倒なのは、串にさす作業で、それは係りになったウチが分担して行うのです。
おでんは、行事担当(今年はウチの親)が、まとめて買出しに行った材料を、各家庭が、各味付けで、煮たものを、ただ混ぜる!ので、それはそれは、複雑な味がします。(^_^;)

マンションの中の誰かが作詞したという、コーポの歌、なんていうものもある。
今年は、母親が自ら言い出して、(得意分野で役立とうと思ったのかねぇ?)、有志のコーラスのコンサート、なるイベントまであって、ボランティアでよくそこまでやるよ・・・と思うくらい、その練習まで面倒見ていて、ホントに、ご苦労サマ!という感じなわけです。
野外で夜に行うコンサートなので、楽譜を見るのにどうしたらいいか?というのを大分前から悩んでいて、最初は、オーバーヘッド(昔よく授業などで使った、スクリーンに映写機みたいなので、透明なシートにマジックで書いた字や地図などを写す機械)を買おうとしていたのですが、現在、オーバーヘッドは作っていないとのこと・・・。
「じゃ、100円ショップで、小さな懐中電灯買ってくれば?」
との私の言葉に、早速100円ショップで何種類かの懐中電灯をそろえ、検討し、その中の一つを全員分買ったらしい。
その次は、伴奏の問題。
ウチにある、電子ピアノを、どうやって下に下ろすか?と悩んでいるから、
「テープに吹き込んでおいて、それに合わせれば?」
と言ったのだけれど、やってみたら、年齢層の高いメンバーは、テープのテンポに合わせることができなかったんだって・・・。(-_-;)
ある晩帰宅したら、電子ピアノが消えている。
「何、結局下ろしたの?」
と聞くと、男性二人に来てもらって、ヤットコショと、運んだそうです・・・。(^_^;)

とにかく、そういうイベントが好きな人はいいけれど、面倒に思う人にとっては、難行苦行。
今回、“最後のご奉公”のつもりで、頑張っているという母は、
「次回、10年経ってまた係りが回ってきても、もう私はできないからね!」
私にクギをさすのです。
ヒャ〜!!
母上様に感謝とともに、10年たったら、夜逃げか、反乱か・・・と思い悩む私なのでした。



8月23日(火)  怪我の功名?!

バレエのお友達、Yちゃん(30代の初めです)が、足首を痛めてしまいました。
何でも、駅の階段から落ちて(~_~;)、怪我したところを、舞台でポアントはいてまた捻ってしまった、とのこと。
ポアントで、ピケアラベスクで、立ったところ、軸足の甲が向こう側に、うにゅっとなってしまったらしく、恵まれた甲の持ち主のYちゃんらしい、と皆は変なところで納得していました。
しかし、これはかなり痛い・・・。
結局、その舞台は、残りの部分は踊れず、コーダだけに出演するということになり、舞台裏はてんやわんやだったらしいのです。
うにゅっと捻った拍子に、前方に転んでしまい、これはさぞ本人も落ち込んでいるだろう、と楽屋に行くと、ことのほか、明るい彼女に、拍子ぬけするほどだった・・・ともっぱらの噂でした。

その後1週間くらいたって、レッスンには復帰してきたYちゃんですが、日頃は、バー以外すべてポアントで気持ち良さそう?に踊っている彼女が、バレエシューズで、しかもどうもまだ足をかばっているし、ジャンプの前に抜けてしまう。
これは、まだ足がダメージなんだな・・・と心配していました。
たまたま昨日、帰りがいっしょになって、事の次第を本人に聞いてみると、
「う〜ん、まだ痛いんだよね・・・」
とのこと。
しかし、その後がなかなかいい・・・。
「でもさぁ、友達で、スポーツトレーナーみたいのやっている子がいてね、その子によれば、アンタは脂肪もないけど、筋肉がなさすぎる・・と言われちゃってさ。これをいい機会に、上半身を鍛えようと思って、腹筋と背筋やってるんだ」
と言うのです。
「へぇ〜えらいねぇ。で、どんなトレーニングやってるの?」
と聞いてみると、ちょっと恥ずかしそうに、
「高〜い器械買ったの、あのブルブル震えるやつ。」
え?
「でも、効くみたいだよ。あとは、バランスボール。それと、怪我して、何か今まで、私がいかに足で踊ってたかすごくわかった。その友達も言うんだけど、バレリーナは一番頭も身体も固いって。」
「そんなことないでしょう?皆柔らかいじゃん。」
「足とかは柔らかいかもしれないけど、まっすぐをキープしてるだけで、上半身が固いんだって。ジャズやモダンの人って、動きは小さいかもしれないけど、(それは誤解じゃ!(-_-;)そんなことはない!!)いろんな使い方できるじゃん。だから、いろんな踊りをやりなさい、って言うんだなと思ったの。」
「そうかもね。」
「バレエの人に言ってもさ、アンタはすぐ感化されるんだから、とか言っちゃって、バカにしてるけど、今に見ててって感じなんだ」
「じゃ、怪我してわかったことがあって、それはよかったかもね。Yちゃんは、足強いから今までこれたけど、これからボディを鍛えれば絶対いいと思うよ。転んでもただでは起きない!だね。」
「でしょう?!」
と嬉しそうな彼女。
素直な彼女を、はたから見て、いろいろ言う人はいるかもしれないけれど、素直はいい事だと思うし、やり方が違ったら変えればいいんだし、とにかく前向き、元気な彼女にエールを送りたい私でした。
頑張れ!Yちゃん!!



8月25日(木)  “Y先生の夏休み”

お盆休みが終わり、バレエのレッスンにも通常通り、いつものメンバーが戻ってきました。
お友達で、大先輩のY先生は、ご自分の発表会(残念ながら、私は仕事で行かれませんでした・・(T_T))を無事 終えられた後、愛地球博へ、ご主人の車椅子を押して行かれるとおっしゃっていたので、早速どんなだったか聞 いてみました。
「いや〜、もう混んで混んで全然見られなかったわよ」
「そうなんですか?」
「もうどのパビリオンも、3時間待ちとか4時間待ちで、並んで整理券もらっても、夕方4時に来てください、 とかで、そんな時間までこの中でどうやって時間つぶすの〜?と言う感じよ。」
「2日目は、もう旦那も怒っちゃって、もういいから整理券返して来い!って。」
「あらあら・・・それは大変でしたねぇ」
しかも、Y先生は、イタリア語を勉強されているので、イタリア館を見に行ったそうなのですが、なんと館の中に は、イタリア人の方は誰もいなくて、数日に1回くらい来るくらいだそうで、それもがっかりしていました。

しかし、どうやら旦那様は、大阪の万博の時の関係者であったらしく、自分のやった仕事と、今回の愛知のもの をどうしても比較して見てみたかった、というお気持ちがあったようなのですが、念願かなって愛地球博を自分 の目で見た、ということと、大阪万博の方がよかったんだ!という満足感を得られたらしく、それなりに納得さ れていた、とのこと。
まぁ〜それはよかった・・・。(~_~;)
Y先生は、車椅子を押してのご旅行で、さぞお疲れと思いましたが、さすが元気印のY先生、彼女の夏休みはこれ だけでは終わらなかった。

「実はねぇ、その後、車で壇ノ浦の方へ行ってきたのよ。すごくよかった!」
何故、壇ノ浦かと言うと、Y先生の発表会は、いつもテーマが斬新で、今年はずばり、「源平合戦」だったのです 。
源平合戦を、「海賊」の音で全幕やる、という作品だったのです。
「壇ノ浦も、あと、「一の谷の戦い」の一の谷も行ったわ。以外になだらかな崖だった。あの辺は、そういう歴 史上のポイントがいっぱい集中しているのね。巌流島も見たわ。」
「武蔵と小次郎の、ですか?」
「そう。プチ日本史紀行!しかし、交通機関の発達してない昔に、義経とかは、よくあんな遠くまで関東の方か ら行ったわよねぇ。」

興奮さめやらぬY先生のお話を聞きながら、やっぱり人間は、いつまでも好奇心がある人が元気でいられるなんだ なぁ・・・とあらためて感心した私でした。



8月26日(金)  DVD戦争って?!

何でも、世の中では、DVD戦争とかで、“ブルーレイDVD、とHDDVD”に真っ二つに別れているらしい。
そのたびに、過去のビデオ戦争のこと、“VHSとベータ”に分かれて戦争していた頃が比較して取り上げられたりしています。
私はどうもそういった時流から2歩も3歩も遅れているタイプなせいか、DVDの事はよくわからないし、それどころか、VHSとベータの戦争の頃も、まだビデオを持っていなかったので・・・(~_~;)あまり記憶にないのです。
しかし、踊りをやり始めて数年たって、ビデオをとうとう買った頃、発表会のビデオなどの注文を取る際は必ず、
“VHS,ベータに○をして下さい”
という欄があったのは覚えています。
何しろ、ビデオを買ったのが遅かったから、ほどなくビデオはVHSに一本化され、可哀想にベータを持っている人は、VHSからダビングしなければ見れなくて、(早いうちにビデオを買った人に、特にベータが多かった気がします。私のモダンの先生も、ずっとベータでした。)やっかいな思いをしていたようです。

何しろ、私はずっとビデオがなくて、TVドラマなどでどうしてもう一度見たいものも、ジャックでTVとカセットをつないで、音声だけを録音して、有難がって?聞いていた人ですから、(~_~;)、DVD戦争のことなど全く語れないのです。
ただ、どんな電気機器も、最新式のものは高く、使い勝手もそれほどよくなかったりするわけで、新し物好きなところがなさすぎる(のもよくないんでしょうが・・)私としては、この戦争もしばらく静観し、決着がついて、ビデオと言うものがかなり廃れてしまった頃、DVDを購入するんじゃないかな・・と思っています。
静観なんて言うと、偉そうですが、ホントは、全然わからないわけで、「VHS」のことも、「VHC」と言い間違えて、平然としていた位な私なんですが・・・。(^_^;)



8月27日(土)  携帯不携帯?!

携帯電話の普及率は、現在、日本全人口の約7割だそうで、普及率の伸びが止まってきたのは、ほとんどの人が 携帯をもう持ってしまったから、と言うことになるんでしょうね・・・。
今となっては、携帯のない生活なんて考えられない!という人もいるくらい。
特に若い世代は、電話をかける、という本来の目的以外にも、(メールはもちろん)携帯電話が体の一部である かのように見えます。

それに対して、やはりある程度年をとってから携帯を持った世代は、(ウチの母親なんて、今年初めて携帯を持 ちました)“携帯不携帯”のことが多く、メールをしてもなかなか返事がなかったり、見ていなかったり・・・ と若干こちらの調子が狂う事も少なくありません。
先日も、モダンの先生から電話があったのに、私が気がつかず、(カラオケで騒ぎまくっていた・・・(^_^;)) 申し訳ないので、その後時間を置いて、何度もこちらから電話したのですが、そのたびに電話は鳴っているのに 通じない。
仕方なく、ご自宅の方に電話をしたら、先生は携帯電話を持たずに、外出中とのこと・・・。(>_<)
そうとは知らず、何度も電話を鳴らし、お母様には申し訳ないことをしてしまいました。
その後、外出からお帰りになった先生から、再び電話があり、(もともと電話が鳴っても気がつかない私も私な のですが)、携帯電話はできれば携帯して下さるようにお願いしました。(^^ゞ

いや〜それにしても携帯電話を最初に持った時は、これでいつでもつかまってしまったらたまらない・・・と変 な拘束感を感じてしまった気の小さい私ですが、考えてみれば、電話に出るのも自由、出ないのも自由、個人の 自由なわけで、いっそ先生のように、携帯を不携帯の時だってあったっていい。
むしろ、電源を切るべき電車や、人と会談中など、電話に出られない時は、出ない潔さ?!も必要なのかもしれ なくて、いつのまにか、携帯を持っているのではなく、携帯につかまられてしまっている自分にふと気付いたり もしました。
これが、もっと進んでしまうと、若者にありがちな、携帯依存、不安で不安で一時も携帯を離せない、携帯にぶ ら下がっている状態になってしまうのかもしれなくて、そう考えれば、近所への外出くらい携帯を置いていく先 生の感覚くらいでいいのかもしれません。

便利を賢く便利に、振り回されずに使いこなす知恵こそが、携帯に限らず現代には必要不可欠なことなんだな〜 ・・・。



8月28日(日)  夏休みの終わり

夏休み最後の日曜日、学生時代なら宿題のラストスパートに青息吐息といったところですが、それも遠い昔の話 ・・・。
学生時代のあの長〜い夏休みを懐かしく思い出します。
今年の夏休みの最後は、何と来週本番?!の子供ミュージカルの振り付けと相成りました。
(言っておきますが、このギリギリ感、スリルとサスペンスの訳は、演出スケジュールの関係で、決して私の振 り付けがなかなかできなかったからではありません。(^_^;))
キャストの一人の子に、「宿題どうした?」
と聞いたら、「あと、社会と技術工作と・・・」
と出るわ出るわ・・・。
あと二日で出来るのかいな?頑張れ〜!!
しかし、子供の持つエネルギーと潜在能力はすさまじいものがあり、今日は子供の間に紛れてちょっとエネルギ ーをもらった気がしました。

さて、夏休み最後といえば、某局の24時間TV。
毎年、24時間マラソンをする芸能人の雄姿をつい見てしまい、毎回まんまとやられて涙する私であります。 (^_^;)
今年は、今までで最年長59歳!弁護士の丸山先生が見事に100キロマラソンに成功。
確か一昨年だったか、山田花子が、ゴールインするも何と放映時間に間に合わず、とても可哀想だったし、武道 館が時間で退館しなければいけない!?とかで、ゴールテープも外、感動も薄れ、がっかりしたことがありまし た。
しかし、今年は、見事に放映時間中、しかもエンディングの余裕もたっぷりで、ホントTV的にも理想的な感動で した。
後1.2キロとか残りの距離が出ると、「ウチから駅までくらいか・・・死んでもいいから?!走っちゃえ!」 とか思うのですが、今まで走ってきた距離を思うととてもできるものではないわけで、よく考えてみれば、ウチ から駅まで私が走りとおせるかも実は疑問・・・。(^^ゞ
丸山先生のコメントで「100キロと思うと大変だけど、1キロの100倍ってだけで、そう考えれば、淡々と こなしていけばできるのかな」という一言がありました。
(今週はスケジュールが詰まっていて大変!)
という憂鬱な時に、できるだけ何も考えず、淡々と一つ一つこなしてやり過ごすことをモットー?にしている私 としては、非常に納得!しましたが、何にしても59歳にしてなおもチャレンジする心を失わない丸山先生、や ろうと思った事をやり遂げるその姿に勇気と感動をもらい、今年の夏も終わったかな〜と感慨にふける私です。



8月31日(水)  「王様の耳はロバの耳」

子供の頃に読んだお話しというのは、忘れているようでふとした時によみがえるものです。
この前も、話していて、どんな流れだったのか忘れたのですが、急にあるお話しを思い出しました。
「王様の耳はロバの耳」です。

もともと幼い頃、私が読んだのは、「王子様の耳はロバの耳」というお話しで、これはポルトガルの昔話がもと になっているそうなのですが、ほぼ同様のストーリーのギリシア神話の、「王様の〜」の方が有名かもしれませ ん。

「王様の〜」の方の主人公は、ミダス王という王様です。
お願いして、触るものを黄金に変えるという力をアポロンからもらったミダス王は、調子に乗って、自分の娘ま でを黄金に変えてしまい大変後悔します。
行いを後悔するミダス王を哀れに思い、アポロンが、ミダスの耳をロバの耳に変えるというお仕置きのかわりに すべてをもとにもどしてくれるのですが、散髪の時、このロバの耳を見てしまった床屋は、この秘密を誰かに言 いたくて仕方ありません。
厳重に口止めされていたにも関わらず、どうしようもない欲求に、床屋は穴を掘って、その穴に、声も限りに、
「王様の耳はロバの耳〜!!」と叫び、穴を埋めるのですが、なんとその穴から生えてきた芦が、芦笛となり、 「王様の耳はロバの耳〜!!」と鳴るようになってしまい、町中にその噂が広まってしまうのです。
まもなく、その床屋は捕らえられ、厳罰に処されるところを、アポロンの慈悲を思い出したミダス王は改心し、 その床屋を許します。
そして、ミダス王もまたその慈悲ある行ないの故に、アポロンに許され、ロバの耳からもとの人間の耳に戻して もらえるというお話。

一方、「王子様〜」の方は、ロバの耳なのは、子供のできない王様と妃のところにやっと生まれた王子様です。
3人の魔法使いがお祝いの魔法をかけてくれに来るのですが、3人目の魔法使いは、自分の考えていた事を先の 2人に言われてしまい、あせって、
「王子様の耳をロバの耳に〜」と言ってしまいます。(何てこと!(^_^;))
その耳を見てしまうのは、やはりこちらも床屋で、穴を掘ってその秘密を言うのもいっしょ。
ただこちらは、その噂が広まるまでに、結構時間が経っていて、王子様は若者に成人しています。
そして、捕らえられた床屋を許すのは、この王子様自身です。
「僕はロバの耳でも、立派な王様になりますから、この床屋を許してあげてください。」
と言うと、優しく強く成人した王子様の耳は人間の耳に戻るのです。

私が読んだお話しが載っていたのは、世界の昔話がいろいろな国ごとに乗っているシリーズで、今でも、ウチに その全15巻くらいの本があります。
実は、アンデルセンの「裸の王様」のもとになったお話しも、ポルトガルの昔話がもとなんだそうで、同じ本に 載っています。
急に思い出して、見たくなってその本をひっくり返していると、母親が、
「なあに?気まぐれね〜」
と笑っていました。
子供の頃に様々な本を与えてくれたことを感謝するとともに、最近の子供があまり本を読まないというのを聞く ととても哀しくなります。
電車の中などでも、携帯用のTVゲームに夢中の子供などを見かけると、
“そんなゲームなんて、大人になっても何も残らないんじゃないかな・・・”
と残念に思います。
わくわくドキドキして読んだ様々な本は、大筋は忘れていても、自分の中のどこかに残っているのです。

人間は、時に愚かで、“絶対言ってはいけない”とクギをささればさされるほど、自分だけにとどめておけなく なってしまう、そしてこの穴なら絶対平気と思って吐き出した秘密は、何故かばれてしまう・・・。
しかし、そんな人間の過ちを受け入れることのできるのも、また人間であること・・・と、今ならそんな風にこ のお話しを理解するのですが、子供のころに感じた、強烈なインパクト、一斉に歌う芦笛、
「王様の耳はロバの耳〜!!」いうフレーズは、理屈ぬきにひょんなことでよみがえり、それは何故かとても懐 かしく思えるのです。

余談ではありますが、ひっくり返して出してきて見た本には、子供の手でなされた意味不明の線、落書きがペー ジをいろどって?いました。
「誰だこんな落書きをしたのは?」
って私以外にはいないのですが・・・。(^_^;)
「本を汚すのは悪いって、ちゃんと教えたの?」
と自分の罪を棚に上げ、親に聞いてみると、
「知らないわよ、勝手に一人で読んで書いてたみたいね」
との事。
ほー!
仕事をする両親のもと、お手伝いさんに預けられ、一人で本の世界に没頭する、私ってそんな子供だったのね・ ・・。
何にせよ、子供の頃に沢山のいい本を与えてくれた親には感謝するとしよう。(*^。^*)



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