YUKO MASUMITSU JAZZ DANCE STUDIO

 2005年 2月


2月1日(火)  メキシコの母さん (すごいよ〜!!)

メキシコのある村では、伝統的にどこの家でも、母さんが大黒柱。
働いて一家を養うのは、女の仕事で、商売の権利が与えられるのも女だけ!(゜o゜)
太い筋肉のついた腕で捕れた魚を運んで売るのも・・・
仕事の後のパーティでお酒を飲んで踊るのも・・・
全部!女の特権!
父さん連中は、母さんに小遣いもらって、1日中ぶらぶらして、詩を作ったり、母さんのために、歌を歌ったり。
仕事で疲れた母さんの肩もんで、パーティではジュース飲んで端っこにすわっているんだって・・・。
しかも、もし息子が、たまたまオカマだったら、女として!!商売の権利が与えられるし、稼ぎ手になるので、全然アリなんだって・・・。

TVを見た先輩から、そんな話しを聞きました。
世界は、広くて、本当にいろんな価値観があるのものです。
その村では、それで皆が幸せに平和に暮らしてきたとのこと・・・。
実際、特性として現実的な女性がバリバリ働いて、ロマンを求めがちな男性が芸術に生きる、っていうのはなかなか悪くないし、プライド云々にこだわらないで実利を取る女性が、実権を握っていれば、戦争も起こらないかもしれない?!

こうあるべきだ、とか、これが当たり前だ、とか叫ぶ人も多いけれど、所違えば常識も全く変わってくる。
太っていれば、いるほど“美しい”とされる島もあるかと思えば、“ダイエット”で、やせることが、ステイタスになる国もある。
自分の価値観を、人に押し付けるのは、本当はナンセンスなのかもしれません。



2月2日(水)  “厚木市制記念誌”に!

昨日のレッスンで、借りている時間まで、まだちょっとあって中に入れなかったので、そこら辺を何気なく見ていたら、かなり立派な装丁の、「時の贈り物ー未来へのメッセージ」(厚木市制 50周年記念誌)という冊子が置いてありました。
“ご自由にお持ちください”となっていたので、一冊手にとって、パラパラとめくってみました。
厚木の歴史、そして、美しい景色や、いろいろな特集の中で、“輝いている人々“というコーナーがありました。
その中に、伝統芸能“里神楽”の継承者として、ミセスクラスのО.B.(現在はお神楽の方が忙しくなり、休会されているのですが)のKさんご一家が載っているではありませんか!
「ねぇねぇ、これKさんが載ってるよ〜!」と早速そこにいた皆に知らせました。
「えっ、どこどこ??」と皆で、ページをめくりだすと、
何となく、見覚えのある市民ミュージカルの写真・・・。
「これ、A子じゃない!!」と次には、スタジオの中学生A子の写真を発見!
そして、皆の喧騒をよそに、(^^ゞしつこくページをめくっていた私は、
「っていうか、これ、私だ!!」
と何と、自分の写真、ウチのレッスン風景の写真を発見!

そういえば、半年ほど前、中級のレッスン中に、「よかったら写真をとらせて下さい」と言われたことがあったっけ・・・。
すっかり忘れていました。
“まなび 未来へのメッセージ”というコピーの下に、そんなに大きな写真ではないけれど、しっかりと自分と、生徒さんの写真を発見し、思いがけず、ちょっと嬉しかったです。

たぶん、厚木市の公共施設などには、どこでも置いてあると思うので、機会があったら見てみてください。
写真がいっぱい載っていて、結構見応えのある冊子ですよ〜。\(^o^)/



2月3日(木)  マンションの前のブラキオザウルス

我が家のマンションは、何を隠そう?築30年近く。
その間もちろん外装、内装ともに幾度となく、リフォームを繰り返してきたのですが、このたびまたまた本格的な外装工事が入ることとなりました。
・・・というお知らせを聞いてはいたのですが、一週間のうちで、唯一、朝がゆっくりでいい日なのに、午前中ずっとドカン、ガッッチャンと騒がしいこと、騒がしいこと・・・。(-"-)
なんなの、これって!!(@_@;)
自分の家のことながら、単純に騒音にやられ、かなり不機嫌に玄関のドアを開けたとたん・・・。
10階の我が家の目の前には、そびえ立つクレーン車が!!
大迫力です!!(しばし、感動。写真を撮る私・・・)
まるで、太古の恐竜、ブラキオザウルスみたい。(ジュラシック・パーク見た?首が長くてやたら大きいけれど、草食のやさしい?恐竜です)


なんか、外装工事をするために、マンション自体がすっぽりと、やぐらとその上に布をかけた中に“ラッピング”?されるらしい。
そういえば、たまに、そんな感じでくるまれてしまった建物を見たことがあるなぁ〜。
まてよ、そうなると、その間は、住人はそのラッピングの中で暮らすわけで、“昼なお、薄暗い”というわけか・・・。(~_~;)

午前中のあっという間の時間で、次々とクレーンで上げられる鉄柱が、作業員によって手際よく組み立てられ、マンションの外側には、コンサート時のやぐらのようなものが、半分近く出来上がっていました。
すごい、速さです。
静かな朝ののんびりした時間(っていうか、単にもうちょっと寝たかったんだけど)をつぶされ、不機嫌になっていた私ですが、青空にそびえたつクレーン車と、きびきびした作業をしばし見せてもらったおかげで、あっさりと機嫌を回復したのでありました。(単純・・・?(~o~))



2月4日(金)  神の手

この間、ドクハラで怒っていた私ですが、TV見てたら、いいお医者様、すごいお医者様っているんですねぇ〜。
それと、医学の進歩ってすごすぎる!!

まずびっくりしたのが、脳外科の分野のすごい手術。
脳腫瘍が、血管と神経のすぐそばにできて、それを巻き込んでる最悪の状態を、カパッと頭蓋骨開けて、その状態で一度、麻酔をさましちゃう。
もちろん、痛み止めを増やすから、患者は痛みは感じないのだけれど、何と脳を開けっ放しのまま!!、いろいろ質問される。
その答えで、どこに神経があるかを調べてそれを傷つけないように、腫瘍をとるっていうんだけど、その発想ってすごいと思います。

さらに次は“神の手”と呼ばれている、アメリカの大学病院を始め、世界中ひっぱりだこの日本人のお医者様。
カメラで脳内をのぞきながら、頭蓋骨に開けた穴から、先が0.5ミリとか1ミリとかの様々なメスを使い分けながら、それを突っ込んで、神経や血管をよけながら、手術する。
鬼のように繊細で、器用さを要求される、まさに“神業”。
そして、手術が始まったら、10時間も立ちっぱなしで、集中しっぱなし。
さすがの先生も、目のしたがクマで、目が引っ込んでしまっても、患者の家族、患者の笑顔のために世界中を駆け回る。

発想のすごさ、と言えば、切断しちゃった腕を1回つないだんだけど、化膿してしまったのを、一度化膿が収まって組織が再生されるまで、本人の足!!に移植する、という手術もありました。
目が覚めたら、自分の足に腕がくっついている!!
ありえない状況ですよね・・・。
(化膿が収まったら、それをもう一度切断し、もとの腕につなぎ、結局くっつきました。もう何がなんだか・・・(@_@;))

“六本木の赤ひげ”と呼ばれている、6ヶ国語に堪能な外国人のお爺さんのお医者さまもいました。
どこの国の人だろうと、何時だろうが、患者がいれば、駆けつける。
元気で長生きして欲しい・・・。

やはり、お医者様というのは、“なるべくして、なった”というべき、こういう方達を言うんだなと思います。
難しい手術をこなす天才も、もちろんですが、“人のためになりたい”、“人の笑顔のために身を粉にできる、それが苦ではない”そんな本物のお医者様を見て、ちょっぴりホッとした私でした。



2月5日(土)  「ピピネラ」

「ピピネラ」という本を読みました。
題名の語感に、何となく買った本ですが、おもしろくて、あっという間に引き込まれました。

主人公は、結婚して仕事を辞めた、子供のいない専業主婦。
自分のペースで穏やかな生活を楽しんでいるようで、ただ一点だけ、結婚後始まった、困ったことを抱えていま す。
買い物などで外から帰り、靴を脱いで自宅に入ると、小さくなってしまうのです!!
靴を脱いだとたん、縮み始め、身長1メートルくらいで止まります。
そんな異常事態を、本人も夫も、何となく受け入れ、淡々と暮らしています。
ある日、夫が突然、「ピピネラ」という謎の言葉を書き残して、失踪してしまいます。
そして、街でばったり会って再会した友人と二人で、夫の行き先を追っての旅が始まります・・・。

一見ミステリーのようで、実は、この本は、たくさんの未消化、不安感、を読者に残して終わる物語です。
「本当の自分」探しにハマった人達への皮肉、疑問、というのが隠れたテーマともいえるかもしれません。
“「本当の自分」っていったい誰が決めるの?“

実は、「ピピネラ」というのは、「ドリトル先生」のシリーズの物語に出てくる、青いカナリアの名前です。
自由に憧れ、鳥かごから出て、様々な冒険を重ねる鳥なのですが、解釈によっては、女性解放の象徴、或いは、 心の中にある制約から自由な「本当の自分」の象徴です。
人々に「本当の自分」を取り戻させるために?奔走する謎の陶芸家夫妻も登場し、一応の?結末を見るのですが ー・・・。

今在る自分は、「本当の自分」じゃない、本当の自分って一体何なんだ、そうした思いは、誰にでも訪れるもの だと思います。
でも、メーテルリンクの書いたように、「幸せの青い鳥」が自分の家にいたように、答えは、自分の中にしかな いわけで、それは、他人が決めるものではないのだ、と思います。
自分を羽ばたかせるのも、小さくしてしまうのも、自分・・・。
不思議な、そして、いろいろと考えさせられる物語でした。(-。-)y-゜゜゜



2月6日(日)  “衣装回収”と“作品の呼び名”

今日は、スタジオの衣装回収大会!?でした。
舞台で使った衣装を各自がきれいにして、また次の舞台で使う時のためにまとめて、整理、保存・・・というこ とで、集まってくれた皆様お疲れ様でした。
また、自宅に衣装を預かって下さる方、(下さっている方も)有難うございます。

前回の公演から間が空いて、その間のいろいろな発表会、イベント等で使った衣装の整理を長い事さぼっていた ため、今回の衣装回収では、かなり前の舞台の衣装も登場しました。
数を確認しようと、記憶のひだを探ってみても、結構忘れているもので、脳が疲れました・・・。(^^ゞ
“あの時、誰が出てて、誰の衣装が足りないの?”
とメンバーと頭をひねりにひねり、しばし無言で考えこむシーンもありました。
とりあえず、すべて型がつき、きれいにダンボールに入った様々な衣装達、また陽の目を見られる日まで、さよ うなら。有難う!

さて、衣装をしまう時、ダンボールに、どの作品の時の衣装かわかるように、書く段になって、ふと思ったので すが、私っていつも、振り付け中に、作品の題名をちゃんと言いませんね。
というか、もともと、曲名以外に、あんまり題がないんだよね・・・。(公演などの、ストーリのある作品連は 別として)
でもって、英語の曲名って覚えられない・・・。(@_@;)
発表会なんかでも、まず一曲だけということはないので、結局、呼びやすいからその場は、手軽にM1、(ミュ ージック1、つまり1曲目)M2、M3で済ましてしまう。
そうすると、後になって「去年の文化祭のM1ってどんなんだっけ?」
「ほら、5人の黒い・・・」
「あぁ、あれか!・・・で、何て書く??」
となってしまう・・・。(~_~;)

思い返してみたら、過去には、作品の呼び名として、省略系というのはありましたね。
“Who want’s to love forever”という作品を、“Who”とか・・・。(かなり の省略っぷり!すばらしい!(^.^))

私のモダンの師匠なんかは、公演当日プログラムが配られるまで、題名を言わないで、踊る私達も、お客様とと もに、“へぇ、そういう作品名だったんだ”と初めて知るという事が多かった。
それも、「回廊の回想」とか、素晴らしい題がついていたりするんだけど、本番当日、初めて!!知るから、結 局あまり浸透しないで、“ほら、あの赤のドレスのやつ・・”とかなってしまう。
昔いたジャズのスタジオでも、(師匠はちゃんと呼んでたかもしれないけど)皆は、M1とか順番で言ってた。
本番前に、プログラムが変わって、順が入れ替わっても、“もと、M1”とか言ってました。(かなり分かりに くい(@_@;)

まぁ、結局、わかればいいんだろうけど、今度からは、衣装回収時に、ちゃんとダンボールに題名を書けるよう に、題名、或いは“正式?呼び名”をつけとこうかな・・・。



2月7日(月)  “闇を照らす力”

神奈川、静岡でまたもや、集団自殺とのことです。
自殺した9人の中の、男子学生は、今までに何度も、集団自殺に失敗し、新聞の取材に答え、「今度こそ成功したい、でも死にたくない」と言っていたそうです。
周囲が、制止し、注意を払っていたにも関わらず、今回とうとう死んでしまった。
何でも、その人は、特に悲壮な理由があるわけでもなく、(でもネットで集団自殺する人って、みんな、どうしても死ななきゃならないような、悲惨な理由があるわけではないようですね)ただ、人間関係に疲れていて、しかも、人格が分裂していたらしい。
いわゆる、多重人格です。
新聞の取材に答えていたのは、彼の中の、「自殺を止めようとする人格」だそうで、ネットで仲間を募り、自殺しようとする人格に負けてしまったらしい。

そんなに詳しいわけではないけれど、多重人格の本とか、興味があって、昔いろいろ読んだ事があります。
たいていは、幼児期に性的虐待などの、どうしようもなく辛いことがあって、精神がまだ未熟な上のショックで、耐え切れず、分裂していく事が多いようです。
その中には、大概、相反する性格がいたり、子供がいたり、別性がいたりします。
今回の彼には、4人の人格がいたとの短い記述ですが、もし、本当に多重人格だったのなら、早く、精神科の受診をすればよかった・・・。(記者は勧めたそうですが)
また、多重人格では、他の人格のしている事を記憶していないことが多いようで、彼が「気がついたら人(自殺仲間)が大勢集まっていて、怖くなって逃げてきた」と言っていた、というのも、多重人格らしい記述であるように思います。

多重人格に限らず、人間の精神は、デリケートで奥が深く、闇を秘めています。
彼に賛同し、集まっていっしょに死んでしまった人達も、それぞれ心に闇を持っていて、闇同士が引き合ったのかもしれませんが、どんな闇も照らせるのは、結局は本人だけです。
心の病を持っていて、集団自殺に走る人も多いと聞きましたが、思い切って精神科の受診をするのも本人、そしてそこから、自分と向きあうきっかけを得て、光を見られるのも、本人の中に内在する力のような気がします。
彼にも、そして死んでしまった若者たちにも、絶対にその力は潜んでいたのに、自ら、それを否定し、死んでしまったことが、ひたすら残念でなりません。

そして、「ネット」の世界だけに何かの救いを求め、引き合い、死を選ぶような若者の周りにも、現実に取り巻いている人たちがきっといて、心を痛め心配していたのに、それが感じられなかったことも、悲しく、残念に思えてなりません。



2月8日(火)  食洗器の音

先輩で友人でもあるMさんが、ちょっと前、ある劇団の芝居の中の踊りの振り付けを頼まれた、と言っていました。
彼女はもともとはお芝居をやっていた人だし、そういうのは得意だろうと思ったし、なかなかおもしろそう・・・と、
「へぇ、いいじゃん」
と軽い気持ちで聞いていたのですが、これが、なかなかやっかいなお仕事になってしまったようで・・・。

「この前のお芝居の振り付けどうなった?本番ってもうすぐじゃなかったっけ?」
「それがさぁ、まだ音ができないんだってさ!(-"-)」
「えぇっ?」
「もうちょっと、もうちょっと・・・って延ばされてさ、本番まであと10日だよ!?」
「まさか。大丈夫なの?」
「なんか、こんな感じっていうデモテープはもらったんだけど、音っていうか何ていうか・・・」
「??」

そして、振り付けの日を明日に控えた今日、やっとMDを手にした彼女が、半分苦笑いしてやってきました。
「やっと、出来たって」
「どんなの?」
「まだちゃんと聞いてないんだけど、これの前にもらったCDのやつは、ウチの生徒曰く、“食洗機”(食器洗い機)の音みたい、だって。」

稽古場で、聞かせてもらった音は、なるほど、食洗機(私は使ったことないから、正確にはわからないけど)の音。
“ごぼごぼっ、ガシャガシャ・・・チーン・・・”
(・・・・・(~_~;))
「こ、これで踊るんだ?」
「そうらしい(-"-)」
「で、役者さんは何人?」
「男の子3人。たぶん、全然踊れないだろうから、適当に動かすしかないね」
・・・と自分の世界に入った彼女は、音を聞きながら、
「ここら辺でひとやま、ここら辺でふたやまっと・・・」とぶつぶつ、つぶやき出しました。
(ひとやま、ふたやま、ってりんごじゃないんだから)と心の中でつっこみを入れながら、(これは大変だ)と尊敬、ちょっぴり同情の気持ちで、仕事がうまくいく事を祈る私でありました。



2月10日(木)  今お気に入りの駄菓子

大のお菓子好き(しかも駄菓子)の私でありますので、新製品や見かけないお菓子を見ると、つい買ってしまい ます。
最近、駅の売店でみかけ、今はまっているのは、「リュイ」というチョコレート。
ヘーゼルナッツと、メープルウォールナッツの二種類があって、どっちも試したけれど結構イケるのです。
そして、気に入っているのは、コンパクトなパッケージと小さくて、小包装の点。
バッグの中でかさばらず、いつでもパクッ。(別に森永の宣伝員というわけではありませんが・・・(^^ゞ)
チョコレートとしては、かなりチープな味で軽いけれど、それがまたカジュアルでよかったりします。

チョコレートとしてかなり美味しかったのは、最近スイスに旅行に行った友達からもらった、スイス製チョコ。
濃厚で、甘すぎず、さすがスイス!という感じでした。
しかし、これは、いつでも取り寄せるというわけにはいかないし、毎日食べるには、ちょっと重いともいえます 。 

もう一つ、ハマっているのは、かなり前から売っていますが、小田急の売店などで見かける、「黒こしょう煎餅 」。
たぶん、お酒のおつまみとして売っているのでしょうが、ピリッとかなりコショウが利いていて、おいしい! (^.^)
一枚が小さくて、軽いので、ホイホイ食べられる。
ただし、売っていない売店も多く、前は置いていた新宿の売店は最近置かなくなってしまった・・・。(T_T)
その代わり、急行から乗り換える町田の駅で、見つけちゃった!\(^o^)/

「アルフォート」というチョコレート付きダイジェスティブクッキーの、ミニ版も気に入ってます。
特に、ブラックの方。
どこのコンビニでもよく売ってると思います。

こうしてあげると、どうも私の好みは、どこでもいつでもパクッという、ミニ版や、小ぶりのものにあるようで す。
何かおススメのお菓子があったら教えて下さいね〜。\(^o^)/



2月11日(金)  1000年の寿命

“不老不死は夢ではない”??!
20年後には、人間の寿命を1000年にも延ばす事が可能だという論文をTVで取り上げていました。
1000年っていったら、10世紀!
今から1000年前といったら、平安時代の後期、そんな昔から今まで生きてるって考えただけでも目がぐるぐる・・・(@_@;)。
毎日毎日、一生懸命頑張っていろいろやって、不老ってことなら、体力も衰えないから、いつまでもどこまでも、頑張れちゃう。(~_~;)
イアン・ソープは金メダルを取り続けるし、社長も部長もいつまで経っても辞めないから、何百年もヒラ社員で、普通に知り合った彼女は、実は400歳も年上で、何よりも人間がどんどん、増え続けるってことだよねぇ〜。
そんな、満員ギュウギュウの地球に、後900年以上も居たくない〜・・・。(>_<)

昔読んだ漫画に、宇宙のある星から、仲間を増やしにきた、寂しがりやで美しい、不老不死の吸血鬼の一族に育てられ愛されて、仲間にならないかと誘われるんだけど、断る青年の話しがありましったっけ・・・。
“限られた命で精一杯夢を見るのが、人間です”というセリフがありました。
そしてその夢を、子孫につないでいくのが、人間。
その話しでは、最後に、何百年か経って、宇宙の片隅で、その青年そっくりの彼の子孫と、吸血鬼の一族がばったり会うのです。
吸血一族は、懐かしさと、“確かに彼は限られた命を精一杯生きたんだ”、という感慨に涙をこぼすのです。
(ちなみに、“銀河荘なの!”木原敏江作ですが・・・)

私もやはり、“寿命がいつまでなのか、どんな風に老いて死んでいくのかは、神様にお任せし、そして、その中で精一杯生きる”のが、人間の美しさだと思います。
もっと言えば、人間が手をつけてはいけないところ、手をつけるべきではないところ、もあるような気がするのですが・・・。(-。-)y-゜゜゜



2月12日(土)  バレンタインいろいろ

日曜カルチャークラス、ミニパフォーマンス決定!
もうご存知の方も多いと思いますが、カルチャーのあるSATYの8階、フリースペースにて、いろいろなカル チャークラスのミニ発表会があります。
来る4月3日の日曜、午後になる予定。
急に決まった事で、日にちの余裕もないので、再演と、新しい作品を一つか二つ?(まだ未定 (^_^;))を考え ています。
他のクラスの方、お時間のある方、是非応援に来てくださいね!!

さて、世の中は、チョコレート戦線まっさかり、バレインタインデー目前です。
このバレンタインデーなるものが、日本に入ってきたのは、30年くらい前だそうで、私が覚えている最初のバ レインタインデーの記憶は、小学5年生の頃です。

バレインタインという風潮自体が、まだあまり浸透していなかった頃。
その時のクラスの担任だった、若い男の先生に、クラスの中の一人の女の子がチョコレートをあげたのですが、 それを、先生が皆にばらしちゃったので、大騒ぎに・・・。
その女の子は、どちらかといえば、クラスの中でもひっそりとしていて、目立たない子だったのですが、たぶん 結構本気で、その先生が好きだったみたいでした。
ところが、その先生は、といえば、かなり軽くて、PTAに嫌われるようなことばかりする(バイクで通学して いて、児童を後ろにのせちゃったり・・・。かく言う私も、乗せてもらった!)一風変わった先生で、せっかく もらった本気チョコを、クラス全員の前で、“Kにもらった”と発表しちゃったのです。
黒板には、相合傘(懐かし〜)の中に、先生とKの名前が並べて書かれ、授業でKがさされると、「FU〜!! 」などのはやし立てる声、とうとうKは泣き出してしまいました。
私は、その頃、かなり子供っぽい方だったから、大人っぽい感じだったKの乙女心は、あんまりわからなかった けれど、今思うと、あれは可哀想だったなぁ・・・・。

バブルのはじける前の、鬼の義理チョコフィーバー、チョコの大量ばらまき?!は影をひそめたようですが、そ れでも、職種によってはちょっぴり憂鬱な季節のようです。
モダンのレッスンの先輩、もとダンサーで、結婚した今も、銀座のお店でバリバリ働くSさんは、お店のお客さ んにチョコを贈るため、大忙し。
まぁ、それも、お仕事のうちか・・・。

ちなみに、バレンタインのお返しのホワイトデーは、日本の飴業界の人が考えたそうで、お砂糖の白から、ホワ イトデーにしたんだって・・・。ふ〜ん。(-。-)y-゜゜゜



2月13日(日)  “ビバ!少女マンガ!! ダンス編”

実は、私はかなりの少女マンガファンでありました。
我が家の本棚に、ずらっと並んだコミックと、そこからあふれ(^_^;)透明ケースに収まったものを合わせるとか なりの数になります。
しかし、マンガを読み出したのは、結構遅く、(特に親などに止められたわけではないのですが)学生時代はむ しろ普通の小説、ミステリ、SFの方にハマっていた気がします。
作品の好みの系統としては、いわゆる池田理代子を代表とする劇画から、木原敏江、大島弓子、槇村さとる、山 岸涼子、等々・・・。
少女マンガと言って、読まない人が連想するような(・・・かどうかはわかりませんが)、階段で転んだら助け 起こしてくれた学園のプリンスと恋に落ち・・・みたいな?恋愛ものは苦手です。
最初は、“読みにくい”と敬遠していたウチの母も、今では、喜んで私の書庫をあさる始末であります。

その昔の山岸涼子の“アラベスク”に代表される、いわゆる“バレエマンガ”の世界もなかなか奥が深いわけで 、今まだコミックが続いている“舞姫ーテレプシコーラ”なんかは、バレエを本当によくわかっている(ご本人 もやっている)山岸涼子だからこそ描ける、かなり専門的な内容です。
ただし、個人的な好みでは、山岸涼子の描く絵は、ちょっと怖い・・・。(~_~;)

ジャズをやっているなら、槇村さとるの“ダンシング・ジェネレーション”、最近では、“Do da Dan cing!”。
ダンシング・ジェネレーション(略して、ダンジェネ)は、バレエあがりの少女が、ついにはブロードウェイの ダンサーまで行ってしまう夢のようなサクセスストーリですが、やはり内容はかなり専門的。
ダンジェネの先は、そのブロ−ドウェイで、なお魅力的なダンサーへと成長をとげる話“ニューヨーク・バード ”ですが、ルイジの「Into the music」という言葉まで出てくる。
ただし、クラッシック上がりで、ジャズの変拍子が踊れなかった主人公が、あっという間に、
「今日は、音が聞こえる!!」
となっちゃうところが、やはりマンガの世界なんだけどね・・・。(^.^)
でも、その中で、主人公が、振付師に言われる言葉、
「迷ったら、一番プリエから」
と言うのは、案外、かなりの真理だと思います。
何事も、まずは、基本へ戻れってことで、踊りに限らず、物事いきづまったら、「初心へ帰れ」。
この「初心」が、一番奥が深いものだったりするのですが・・・。

プロに対して、失礼な話しなのかもしれませんが、山岸涼子も、槇村さとるも踊りを習った経験があるだけに、 ポーズの一つ一つの画が、踊り的に見ても、正しく美しいのは、すごいと思います。
よく、図案化されたバレリーナの画なんかで、いやこれはどういう格好なわけ?とか、ありえないポーズとかを 見るだけに、なおさら感心するわけです。
バレエスタジオの看板なんかでも、“これじゃあ、バランスとれるわけないじゃん!”
などと、秘かに思ったりしている私なわけで・・・・。
(そんなものにまで、ダメ出しするな!(^^ゞ)



2月14日(月)  “ビバ!少女マンガ!!いろいろ編”

さて、少女マンガの世界でも、特にダンス系のものについて書いたのですが、その他にも私の大好きな作家は、たくさんいます。

まず、私が、劇画の世界に入ったきっかけは、やはり、かの「ベルばら」、「ベルサイユのばら」であります。
宝塚での上演で、一気に知名度をアップしたこの作品ですが、世界史、フランス革命を理解するのに、こんなに役立った作品はないと思います。
この作品の、参考にもなったツワイク著の「マリー・アントワネット」も頑張って読んだけど、ベルばらを読んでからだったから、とても興味深く読めました。
「男装の麗人」という主人公像が、すでにズバリ宝塚向き、で、色眼鏡で見られる向きもあるかと思いますが、(決して宝塚向きが悪いっていうんじゃなくて、むしろ私は宝塚好きですが)
主人公以外は、すべてかなり史実に忠実で、歴史を学ぶには格好の教材です。
歴史上の人物、悲劇の王妃マリーが、一気に身近に感じられるわけです。
最近はオペラ歌手となってしまった?池田理代子さんは、世界史ものを結構描いていて、池田作品の中で、私が一番好きな、「オルフェウスの窓」なんかでは、「ロシア王室の隠し財産」の行方が重要なポイントとなり、革命に殉ずるロシア貴族とドイツ人と・・とまたもや世界史の背景を知るよい教材であるわけです。
ただ、「エカテリーナ」までいっちゃうと、これは世界史の教科書か?という程、説明、字の部分が多く、ちょっぴり疲れる・・・。

大島弓子も大好きな作家であります。
ごく初期の作品をのぞけば、たぶん全作品を網羅していると思う・・。
代表作と言われる「綿の国星」は、ネコ好きにはたまらない、とは思うけれど、私は、むしろ不安定な人間の心理描写にすぐれた短編が好きです。
昔、生徒のJには、「マニアック」と言われちゃったけど・・・。(~_~;)
「ダリアの帯」という作品は、流産をきっかけに統合失調症(もと精神分裂症)を発症しちゃった奥さんとの話し。
ウエットにならず、淡々と、さらさらと自然体で描かれる世界は、心にず〜んと来る。
「ロストハウス」は、自分を開く、ということを不思議な距離で、やはりたんたんと切り取る話しですが、何故か大泣きしちゃった作品です。
他にも、いっぱい心に残る作品があり、たまに思い出すと読み返して、また泣いています。(^^ゞ
大島さん本人が、たぶんものすごく繊細で、様々なものを抱えて生きているんだろうな・・・。

木原敏江の作品連も好きです。
昨日もお友達にメールした、心に残っているセリフは、
「どんなことでも、貫き通せば本物になるんだよ」
というもの。

キリがないからもうやめますが、小説や、文学作品と同じように、こうした様々な少女マンガたちは、私の心にしっかりとその足跡を残しています。\(^o^)/



2月15日(火)  カイロ事件

冬は寒い。
レッスンでも、いくら部屋に暖房が入っていても、体が暖まるまではやはり寒い。
・・・というわけで、貼るタイプのカイロの大活躍です。
私などは、教えの際などに、背中や、腰にカイロをぺたっと貼っていて、後半、汗をかいてくると、知らぬ間にポトッと落としたりしています。(ご存知の通り・・・(~_~;))

さて、私が通っているバレエの稽古場では、以前、どなたかがトイレに入った時に、そのカイロを知らぬ間に落としてしまい、しかも気がつかずに水で流してしまったらしく、トイレがつまって大騒ぎになったことがありました。(業者を呼んで、便器を外して、取り出すハメになったらしい・・・)
そのため、更衣室の壁には、「カイロに注意して下さい」との張り紙。
「落とした際は、これではさんで取って下さい」と、専用のはさむものが置いてある。
レッスン中に、誰かがポトッとカイロを落としても、
「ここでは落としてもいいですが、トイレでは気をつけて下さいね」
との掛け声がとぶ位なのです。

先日、私がレッスン中、バーを片付ける短い休憩の間、更衣室にタオルを取りにいったら、トイレの前の床にカイロが落ちている・・・。
ちょうど、その日もカイロを張っていた私は、
「た・・・大変、危ない、危ない、落としちゃったよ!」
と腰にぺたっと貼りなおして、稽古場に戻りました。
そして、ふとかがむと、お腹に何か違和感・・・。
何と、その日はお腹に貼っていたカイロがしっかり付いている!
そして、腰にはさっき貼ったカイロがもう一枚・・・。
じゃあ、これは、誰か他の人のだ!!
カイロ盗んじゃったよ!!
トイレに入る際に、はずして床に置いた誰かのカイロを、自分が落としたと勘違いして、持ってきてしまったらしい。
しかし、その時誰がトイレに入っていたかもわからないし、レッスンが始まっているのに、声をかけるのもはばかられるし、自分のじゃないのに、そのまま貼っているのもなんだし・・・。
そおっとはずして、そおっと捨てました。(^^ゞ
トイレから出てきたら、はずしたカイロがなくなっていた方、ごめんなさい、犯人は私で〜す!m(__)m



2月16日(水)  知識、知恵、知性

村で悪さをたくさんするために、とうとう駆除(T_T)が始まった北限に住むニホンザルの話題は、このダイアリィ でも前に書きました。
その後の記事が、また新聞に載っていました。
もともと、群れをこわさないために、老齢のボス的なサルは駆除しないで、脅かすため餌をおとりに檻につかま え、また逃がすらしいのですが、そのおとりの餌を目当てに、悠々とわざとつかまるサルが出てきたとのこと。
餌を食べたら、放してもらえるのをわかっていて、わざとつまかまるなんて、何て(悪)(-_-;)賢いんでしょう !
こうなると、なめられた人間との知恵比べ・・・やれやれ、という感じですねぇ。

さて、話しは違いますが、ずいぶん前にTVで、IQテストならぬPQテストとか言うのをやっていて、(前に も書いたけれど)これは、確か人生を生き抜く知恵、を測るもので、大学の先生などの知識人をはるかに抜いて 、お笑いの人が点数がよくて、おもしろかった覚えがあります。
学校で教わる知識を、いかに人生の生活に生かしていくか、というセンス、そういう発想の転換ができる人でな いと、人を笑わせるのは難しいからかもしれません。
また、人を笑わせるというのは、人の気持ちが読めるということ、“普通ならこう思う”というところをはずし ていくことや、デフォルメすることで、笑いをつくる間のセンスというのは、実はかなり高度な知的作業なんだ な、と思ったりしたのです。

知識というのは、一人でも得られるもので、極端な話、引きこもって、自分の部屋から出ないでいても、本なり インターネットなりで、得られます。
しかし、知恵というのは、社会、世間の中で、他のものとの関係で得ていくもののような気がします。
知識はあるけれど、知恵がない人間が増えている・・・。
今年の始め“火を起こせない子供”のダイアリィに書いたように、一見“不必要”な事の中に、寄り道、試行錯 誤、人とのコミュニケーションの中に、知恵は育っていく気がします。
知恵がない人間は、サルの文字通り“サル知恵”にもかなわない!!
知識があって、知恵がある、それが知性のある人間の姿というものでしょう。



2月17日(木)  「子供を不幸にする方法」

またもや、起きた恐ろしい、大阪の小学校での殺傷事件。
犯人の少年の自室には、100本以上のゲームソフトが並んでいたそうで、ある新聞には、
「子供を不幸にする一番確実な方法は、いつでもなんでも手に入れられるようにしてやること」
というルソーの言葉があげられていました。

う〜ん、なるほど・・・。
“己の欲望を満たしてくれないモノは許せない、という短絡的な責任転嫁の論理が凶行の誘因だったとすれば、多くの親への警鐘になろう”か・・・。
そういう意味では、私は親に感謝しなければいけないな・・と思いました。
私本人は、全く覚えていないのですが、駄菓子を買ってほしくて、地べたにひっくり返って泣く私をひきずっても、買い与えなかったという母に、感謝しなければいけないのかもしれません。
しかし、私自身は、欲しいものを我慢させられた、という意識は全くありません。
たぶん、もともと物欲が薄いせいなのか、母はそういうけれど、実はそんなに我慢することもなく、欲しいものを買ってもらえていたのか?

そんな事を母と話していたら、思い当たったことは、どうやら私は、もともと気分の転換が割と早い方だということです。
“今泣いたカラスがもう笑った”というのは、私のためにある言葉のようで・・。(~_~;)
欲望がかなわないと、とりあえず、わっと泣いて、さっと忘れる。
そんな私にとって、小学校時代の恨みを何年もためていた犯人の少年の心理は、想像を絶するものであります。
精神的な疾患があったのか、なかったのかはまだわかりません自室だけが全世界という中で、他との関係で自然に学ぶべきものが得られず、負の想いがぐるぐると発酵してしまったのかもしれない・・・。

思うに、有難いことにわが親は、ダメなものは駄々をこねても、ダメ、そしてこねるだけ無駄、という風に私を育ててくれたこと、そして、生まれつきの性格があまりモノに執着しない方だったのでしょう。

ただ、どうも思うように買ってもらえなかった駄菓子に対してだけは、何故かちょっぴり執着があるのか?大人になった今、売店を見ると素通りできずに、ついお菓子を買ってしまう私であります。(^^ゞ



2月18日(金)  アレキサンダーテクニック

モダンのレッスンのお友達、建築士でもあるHさんは、アレキサンダーテクニックというのを勉強していて、この前その講習でスイスまで行ってきたくらいです。

さて、このアレキサンダーテクニックなるもの、皆さんはご存知ですか?
私は、母から前にその名前だけは、聞かされていましたが、具体的なことに関しては、全然わかりませんでした。
要は、身体の関節の可動性を理解し、日常的な癖で入っている、身体の不必要な力をぬく訓練。
ということらしく、身体を使ってものを表現する、俳優(もとは、声が突如出なくなった俳優さんが考えたものらしい)、声楽家(それで、歌をやっている母が言っていた)、様々な楽器を演奏する音楽家、そしてダンサーなど、様々な分野の人が勉強しているらしい。

さて、先日、Hさんがそのほんのさわりを紹介してくれました。
とにかく大事な事は、彼女曰く、「首にラクをお願いする」という事で、首に入っている力を抜くことらしい。
首に力が入ると、背中にも力が入り、すべてが緊張していいことがない。
腕は、腕から動くのではなく、鎖骨、肩甲骨から動く、足は、骨盤に対して、横についていて、そこには、すべてある隙間、余裕があって動く。
そうした、いろんな事をすべて意識して、ニュートラル状態に身体をもっていくらしい。
ほんの短時間だったので、理解も何もないのですが、イメージだけでも、いかに自分の身体に力が入っているかがわかる気がしました。

何となく興味を持った私は、インターネットでちょっと検索してみたら、おもしろい人のHPを発見してしまいました。
その人は、ホルンの奏者で、アレキサンダーテクニックの講習に行ってみた、というコラムだったのですが、ホルンの世界にはホルンの世界の、悪戦苦闘があるらしく、“口角の位置をキープする筋力”の話や、“歯の隙間を作る”ことや、それはマニアックで・・・。(でも私のマニアックさにちょっと通じるものがある)
その人が言うのには、
「よく、上手い人は、そんな細かいこと気にせず、ただ吹けばいい、とか言うが、上手な人はその理由がわからなくてもいいが、下手な奴はその理由がわからんといかんのだ」。
それに関してはちょっと同感!!

何の分野でも、器用な人は、自分の身体がどう動いているかなんて意識しないのだけれど、それが、一発でできない人は、試行錯誤して、意識して操作しているうちに、無意識に持っていかなくてはいけないわけで・・・。
アレキサンダーテクニックについても、日常的な癖を、演奏したりする時だけに変えるというのは、難しいわけで、日頃の姿勢、歩き方から、ということらしい。

ただし、アレキサンダーテクニックのニュートラル状態、ラクな状態というのが、ある意味、関節の可動域に挑戦?!するような、踊りのテクニックにどう活かせるか、についてはまだわからない部分もあるし、何しろほんのさわりを聞いただけなので、そのうち機会をつくって勉強してみよっかな・・・。(^.^)



2月20日(日)  “自分がキレる瞬間”

昨日は、友人4人で久しぶりに集まって飲み会でした。(・・・と言っても私は、お茶でありますが。)
ほぼ同年代の我々、人生○十年生きてくると、皆それぞれに、無意識、或いは意識しているストレスと闘いながら、けなげにでもたくましく生きていて、“頑張れ、皆!!、頑張れ私!!”という感じでした。(~o~)

たまたま“自分がキレる瞬間”という話しになって、ふと思ったのですが、私ってどうも根っからやはり、“小動物気質”のようで、皆が言うように、自分がキレる瞬間ってあまり思い浮かばない。
もちろん、何でも受け入れるいい人、ってわけでは全くなくて、それなりに、“カチン”ときたり、“ムッと”したり、する事は多いのですが、“カァッ”と来て、“爆発”するというよりも、“何かがっかりして、いやになっちゃう”という感じなのです。
街で、常識のない(・・・と自分の物差しでは思う)人などと遭遇して、イヤな思いをしても、“情けなくなって哀しい気分”になるのです。
闘争本能に欠ける、のかな・・・?
前にも、私って動物に例えたらどんな感じ?とある生徒に聞いたら、「先生って本当に小動物って感じがする」と言われ、がっかりしました。
自分としては、「虎」とか、「竜」とか、強くて、怖い、威厳のあるものをちょっぴり期待したのですが・・・(ムリか・・(T_T))
ま、それが私というもので、小動物には小動物の、生きる知恵、防衛本能、協調性がある、と前向きにとらえましょう。(~_~;)

話しによれば、「キレる」というのは、とてもエネルギーを消耗し、その後ドッと落ち込むそうで、長年生きてくるとある種の、防衛本能として、
「世の中、いろんな人がいるから仕方ない」
というモードに入る。
これは、私もとてもよくわかります。
自分的には、その行動はありえない!と思っても、飲みこめるなら飲み込んだ方が、かえって身のため・・・という場合も多々あります。
ただし、絶対これはゆずれない、という場面に置いては、臆せずにキレることができる強さを持った人でいたいな・・・と思う私でした。



2月21日(月)  “車中人間模様”

電車で移動する機会が多い私、聞こえてくる車中での他人様の会話は、聞くまいと思っても?!耳に入ってくるものです。

先日も、聞くともなしに聞いたある若者の話し(っていうか、かなり大声だったんだけど・・・(-_-))。
「Sさんって最近、仕事頑張ってるじゃないですか〜。だから、ものすごく足クサイんですよ〜!」
(仕事頑張ると足クサクなるわけ?by私)
そこで、連れの、若者の先輩、Sさんの同輩といった感じの男性が、
「なんか、Sはこの前お前ん家に行ったんだろ?」
「そうなんです。外回りの仕事ガンガンして、そのまま来たんで、もう入ったとたん臭くて・・・」
(なるほど・・・外回りの仕事だからクサイのか。)
「それで、風呂場行って足洗ってもらったんですけど、全然ダメで〜。」
(うわっ・・・(@_@;)
「お前、彼女と住んでるんだよな?」
「そうなんです、それで、彼女怒っちゃって、家中ファブリーズしたんですけど、ずっと臭ってましたよ」
(お気の毒!)

その後、話しはまだまだ続き、何とその足クサ男Sさんは、一晩その後輩の家で飲み続け、朝彼女が仕事へ出かけても、まだ飲み続け、次の日の晩まで居座ったらしく、しかも勝手に電話をかけて、他の後輩まで呼びつける始末で、その若者はその被害を、必死でずっと訴えていました。
(何より、彼女がお気の毒でございました・・・(^_^;))

かと思えば・・・。
私の近くに座ったカップル、大学生風の男の子の方が、いきなりバリバリと包みを開けると、おにぎりをほおばり出しました。(゜o゜)
しばらく、穏やかにイチャついていた二人でしたが、唐突に車中に響き渡る大声。
「言ってねぇよ!!オレそんな事言ってないってばぁ!!」
(?何事??)
彼女の方は、低い声で、どうやら冷静に彼を責めている様子。

どうやら、彼女は、彼女の前につきあっていたY子からの情報で、何か彼を責めているらしいのですが、よく聞こえないんだ、これが!!(イライラ・・・)
「おまえ、Y子の事知ってるんだ??」
(おっ、彼、かなり焦っております。(^.^))
「まぁね。それで?」
(彼女、全然有利です)
彼は、かなりしどろもどろに、声も小さくなって(聞こえなくなった・・・(-_-))なんやかんやと弁解していたのですが、いつのまにか、二人が付き合い出した3年前の思い出に話しをすり替え、(見事!)彼女も、いつのまにか、その戦法にしてやられ、(なぁんだ・・・)結局二人仲良く電車を降りてしまいました。

・・・というように、車中は、「人間模様の渦」であります。
大抵は、音聞いて、振りを創っているか、ぐぅぐぅ寝ている私ですが、たまに起きてると、思いがけない人間ドラマに遭遇するので、長い電車も捨てたものではありません。(^.^)



2月23日(水)  “気づき”との“出会い”

「春一番」!!
もちろん、このまますんなりとはいかないでしょうが、やっと春の匂いがしてきました。(^.^)

さて、日常生活で、何でもないことだけれど、「気づき」、発見というものに“出会う”ことがあります。
実は、皆さんもよくご存知の、私のキャリーバッグ、どうも最近調子がおもわしくないのです。
ごろごろと引っ張っていてしばらくすると、左右に揺れが始まり、回ってしまう、というかバランスを崩してし まう。
しかし、特に意識もしないまま、道が悪いのかな、とか思って黙々とひいていた私・・・。
ところが、昨日、本当にふと思い立って、裏返して車輪の部分をのぞいてみたのです。
すると、二つあるタイヤのうち、片方は、手で回すと、くるくるくるっ(*^_^*)とそれは気持ちよく回るのに、も う片方は回るには回るのだけれど、明らかにひっかかりがあるのです。
!!!
だからか!
私の中に、この時、一つの「気づき」(大げさ?(^^ゞ普通の人なら、最初からひっくり返して裏を見ているのか もしれませんが・・(^_^;))がありました。
回転のスピードが違うんだから、ひきにくくて当たり前だったのです。(回ってしまうのも当然)
とりあえず、回りの悪い方に油をさして様子を見ますが、原因に気づいて、すっきりしました。

皆さんも、踊りを学ぶ中で、“何でできないんだろう?”とか、“どこが違うんだろう?”と考える事はよくあ りますよね?!
そして、質問したり、私に注意されるなりして、原因を知ったりする・・・。
でも、何かのきっかけで、ふと自分の中に感覚の発見があったり、人の動きを見ていて思い当たる事があったり することもあるでしょう?
外部からくるんではなくて、(もちろん何らかの刺激や、きっかけはあるのでしょうが)自分の中から湧いてく る感じ。
私は、そういう“気づき”はとても素晴らしいことだと思います。
それが、明確な、「あっこれか!」というのでなくて、ぼんやりした「こんな感じがする」とか、「ここらへん が今までと違う感じがする」というのでもいいのです。
そして、そういう気づきがあったら、とりあえずそれを忘れないように、試してみる。
自分の中で、抽象的でもいいから、「言葉にしてみる」のもいいかもしれません。
そうしたオリジナルな気づきは、昨日のレッスンで、「アジの開きになった気がする」((^_^;)と新人のKさんが 言ったように、他の人にはわかりにくくても、全然かまわないと思うし、感じること自体がステキなことだなと 思ったりします。
その「気づき」が、また他の何かの情報、何かの気づきとリンクしたりする。
まさに、“出会い”のようです。
また、その時期というのもあると思うのです。
さんざん、誰かに言われていた事でも、ある時、自分でふと“気づく”。
それが、その人のタイミングだと思います。
う〜ん、やはり、踊りと人生は似ている・・・?!(-。-)y-゜゜゜



2月24日(木)  木村百合子さんのインタビュー

本屋さんで、「ダンスマガジン」を立ち読みしていたら、“マーサ・グレアムの秘密”と題して、マーサ・グレアム(グラハム、グラームとも言いますね)舞踊団のソリストとして活躍した木村百合子さんのインタビューが載っていました。
皆さんもご存知のように、私が16年学んでいる“モダン”は、マーサに留学していた先生の稽古場で、その先生と百合子さんは関わりが深いのです。(百合子さんの方が、かなり歳上でいらっしゃいますが)
私も百合子さんのレッスンを受けたこともあるし、百合子さんが私の先生の稽古場にみえたこともあります。
(同じレッスンを受けちゃった!(^_^;)

インタビューの内容は、先生を通して間接的に伺ったことのある話しなども多かったのですが、あらためてマーサって人は、かなり激しい、ものすごい人だと思いました。
そして、そのマーサと怒鳴りあいの大喧嘩ができる百合子さんというのも、やはり半端じゃない・・・。(~_~;)



マーサが亡くなる前、舞踊団が日本に来た時、私も公演を見に行きました。
マーサの作品というのは、ギリシア劇を題材にした、暗く重ーいものや、アメリカの土着的なもの、自分自身の心の中の葛藤、情念など、私にとっては、正直言ってピンとくるというものではありませんでした。
しかし、当時クラシック主流だったダンス界の中で、アメリカモダンダンスの創始者とうたわれるマーサのオリジナリティは、やはりすごいし、何よりも、そのグラハム・テクニックとして確立されたメソッド(マーサがレッスンのために確立したというわけではないらしい。振り付けに入れられたものを、後からメソッドにしていったらしい。それがまたすごいと思います。あんなキツイ(@_@;)、よくできたものを振りとして生み出したとは・・・。)は、自分も今まで学んできて、本当に素晴らしいと思っています。
ジャズを踊る上でも、その身体の使い方、作り方は、絶対に役立つと思い、ほんのさわりではありますが、レッスンの中にも取り入れたりしています。
もともと、ジャズから入った私が、クラシックを経て、そして何故か縁があって学ぶことになったマーサ・・・。
その出会い、そして、テクニックとしてのマーサを、分かり易く、そして辛抱強く?!(~_~;)、現在に至るまで教えて下さっている私の先生にあらためて感謝している次第であります・・・。



2月25日(金)  びっくり箱

昔、私がジャズの楽しさにはまって、無我夢中、ただ無心にレッスンして、ある程度経った頃のことです。
最初に習い始めた先生が、ご自分のスタジオを開き、私はそこに所属し、公演や、様々の舞台を踏ませてもらっていました。
先生も一週間に8つも9つものクラスのレッスンをしていて、私はその全てのレッスンに顔を出し、“何が何でも、この先生について行く!”“先生が振付ける踊りはすべて踊りたい”と言った具合でした。
今思えば、“上手くなりたい”というのと同時に“先生に認められたい”という思いが多々あったのかもしれません。
もともと、甘ったれで、構って欲しいというところと、負けず嫌いで、言われるのが悔しいというところがあったので、注意はされたい、でも言われるとショック、という子供っぽいジレンマにいつもはまっていました。

ある時、私は、結構キツい注意、ダメ出しを受けて、いつものように?落ち込んで、友人相手に涙をこぼし愚痴っていた時のこと・・・。
「先生は、びっくり箱みたいに、私が思いもよらないものをいつも出してくる。それもいっつもそれが、へびとか虫みたいな私がイヤで怖いものな気がする・・・。」
するとその友人は、
「それは、YUKOが今その出てきたものがわからないだけなんだよ。びっくり箱から出てくるのは、ホントはいいもので、楽しいものかもしれないよ。」
その時は、そんなことない、と思ったのですが、今は、彼女の言うとおりだったのかもしれないと思います。
その頃の私の全宇宙だったスタジオを、先生が突然閉鎖された時も、ショックのあまり、“世界の終わり”が出てきたくらいに感じていた私でしたが、結果、自分のスタジオを開くという道に入り、現在があるわけで、あの時に、びっくり箱から出てきたのは、新しい冒険への案内状だったのかもしれません。

自分にとって心地よい褒め言葉、心地よい状態が、必ずしも、“いいもの”とは限らないということは、年をとった今になってみれば、よくわかります。
或いは、悔しいという気持ちをバネに頑張れるというのも、もちろんあるでしょう。
今に至っても、踊りに限らず、ダメ出しや、辛口意見に弱く、負けず嫌いのところはあるのですが、思いもかけないものや、事に出会った時に、「この、“びっくり”の本当の姿はまだわからないのかもしれない」と、とりあえず、ペンディングできるようになってきました。
忘れる、のではなく、ペンディングです。
そして消化できる時にその価値を味わう。
びっくり箱から出てきたものに、びっくりして、それを投げ捨ててあきらめてしまわないで、引き出しにしまっておくといいものになっている時が、たまにありますよ・・・。



2月27日(日)  “バレエなサイト”

電車の中で暇だったので、携帯で遊んでいたら、不思議なホームページを見つけました。
「バレエのホワイエ」だって・・・?!
ご存知ですか?
メニューを見ると、「バレエな占い」とか「バレエなポスカ」とか・・・?
バレエな、って形容詞?

早速、「バレエな占い」を見てみたら、それは、生年月日を入れると、有名なバレエ作品の主人公になぞられて 占ってくれる、というもの。
やってみました・・・。(^_^;)

私は、“ライモンダ”だそうで、
「穏やかで物事にこだわらないのんびりや。鷹揚でゆったりと構えているあなたは、他人との競争を望みません が、内に秘めた情熱は人一倍。ねらったものは、必ずゲットするという着実な面も。・・・」
ですって。
あたっているのでしょうか?(@_@;)
他にも、ジゼルとか、オディール、とかクララとか有名どころのタイプがあるみたいです

さて、その他にも、バレエ用語辞典なるものも載っていて、これが200以上のアイテムがあるのです。
中には、お馴染みの用語や、色々な言葉が満載。
例えば、「シェネ」の項目だと、
「鎖」の意。両足を交互に入れ替えながら身体を回転させ、床の上に鎖状の軌跡を描きながら一定方向に進む回 転技。・・・と、誠に要領よく、説明してあるのです。
中には、唐突に、「新国」とか出てきて、(^^ゞ
新国立劇場バレエ団のこと。ダンサーはオーディションで採用。毎公演参加する契約ダンサーと、必要に応じて 参加する登録ダンサーに分かれている。
・・・と真面目に説明してあるわけです。
しかし、「バロネ」なんかだと、
「風船のように膨らんだ」という意。ポアントまたはドゥミ・ポアントで行われる場合もあるが、基本概念とし ては「片足を蹴り上げながら、他の片足で踏み切って跳び、踏み切った足のドゥミ・プリエに下り、蹴った足を スュル・ル・ク・ドゥ・ピエにするパ」である。
これって、やってる人は、わかるけど、やったことない人は、わかんないだろうねぇ〜。(^_^;)
見れば一発なんだけど、やはり動きを言葉で説明するのは難しいねぇ。
そもそも、バレエや踊りをやっていなくて、用語を知ろうというのはどういう人なんだ、とも言えるし、やって いる人は、知ってるだろうし、教わるだろう、とも言えるのですが・・・。(^.^)

もちろん舞台情報や、掲示板や、バレエな!?(またかい?)イラスト集だとかいろいろあるらしいのですが、 (私は何せ、携帯からだったので、見てませんが)まぁ興味のある方は、覘いてみたら如何でしょうか・・・。!(^^)!



2月28日(月)  ダンサー割り引き

このホームページでもお馴染みな(勝手に私が登場させてるんだけど・・・(~_~;))前向きで明るい、バレエのY先生は、ご主人様が腰を痛め、半寝たきりになられてしまったにも関わらず、ヘルパーさんを頼んで、元気にレッスンにいらしています。
私の母よりもたぶんちょっと年上!!と思うと、そのパワーは驚異的であります。
先生曰く、「私が、家にいてストレスためてるより、発散して帰れば、申し訳なく思う気持ちもあってもっと優しくできるし、レッスンに来た方がいいのよ!」
本当にすごい大先輩であります。

さて、そのY先生と話していて、日本では、バレエや舞台の料金が高すぎる!という話しになりました。
興味があるステージがあっても、大抵は、貧乏?!(>_<)なダンサーにしてみれば、あまりに高額なチケットはなかなか簡単には買えません。
いいものを見て、勉強したいと思っても、あきらめざるを得ない。
私もかねてからそう思っていました。
映画を見るくらいの値段で、見られるならば、どんなにいいでしょう。
また、マスコミに人気のあるスター的な(例えば、熊哲など)ダンサーの舞台のチケットをとろうと思っても、取ること自体が一苦労。
やっとの思いで出かけていっても、裕福そうな?マダム連や、ファンのようなOLさん達でいっぱいで、いかにもダンサーという人達は、数少なかったりします。
Y先生、「「学割」みたいに、「ダンサー割り引き」を作ってくれればいいのにね〜」
なるほど。!(^^)!
そして、やはり政府が文化への援助という形をとって、もうちょっと安い値段で、いいものが気軽に見れるようになればいいのになぁ〜。(*^。^*)



ページ先頭へ 前へ 次へ ページ末尾へ