〜がんとの出会い〜

1.その瞬間

2.不安〜初診

3.告 知

4.波のように

5.セカンドオピニオン
6.初めての礼拝
  〜e−クリニック〜娘

7.検査〜ストレス

8.スイッチ

9.光、そして夢

10.目  標

11.入院〜手術前日
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 6.初めての礼拝〜e−クリニック〜娘

1月26日日曜日、癌がわかってから初めての礼拝に出た。
19歳の時に洗礼を受け、特に熱心な信者だったわけではないのだが、ほ ぼ毎週日曜日には礼拝に出ている。札幌に来てからも18年、M教会の礼 拝に出席しているのだが、この日は特別だった。
礼拝堂に入ると、受付にいたK子さんが飛んできて背中をさすりながら 「大丈夫だからね」と言ってくれた。
この3日前に牧師に電話で伝えてあっただけで、みんながどのくらい知っ ているのかわからなかったけれど、K子さんのこのひとことで、わたしの 心はまったく無防備に、裸になってしまった。
「うん、ありがとう」と言いながら、コントロールする間もなく、いきな り涙がどんどん流れ始めた。泣きながら
「でも、怖くて泣いてるんじゃないのよ。みんなの気持ちがありがたくて」 と言い訳を言っていた。自分でも何故こんなに涙が流れるのか、この時に はわからなかったのだ。
奥の集会室のそばで、今度はY子さんと眼が合った。みるみるうちにY子 さんの眼に涙が溜まった。自然に抱き合うとY子さんは涙声で 「絶対治る。確信してるよ」と言ってくれた。

礼拝が始まると、涙が止まらなくなった。讃美歌を歌っていてもお祈りを していても名前のつけようがない感情が溢れて涙が止らない。
不思議なことに、その感情は決して悪いものではなかった。
「何故わたしがこんな目に合うのですか?」というような、神様を恨む気 持ちは全くなく、辛いことを耐えるような痛みもなく、哀しみですらなく、 むしろその逆だった。
「とてつもなく大きなものに包まれている、という、それまでに感じたこ とがないほどの安心感」というのが、一番近いかもしれない。
何十年も礼拝に出ているうちに、神様の前ではすべてを明け渡して無防備 でいられるようになっていたらしい。生きることや死ぬことを、当たり前 のこととして語り合ってきた仲間に囲まれて、わたしの全てを知っておら れる神様の前で、この時初めて「癌になってしまった」という事態を直視 しても大丈夫かも知れない、と感じた。
わたしがこの世に生かされて、これまで生きてきた中で、もっとも人生の 真髄に触れる場面に立たされている、という実感があった。
しかもそのわたしの状況を、なんの言い訳も説明も必要なしにわかってく れる人たちに囲まれている。この事実は、ほんとうにありがたかった。

よく宗教を持っていると、こういう時に強い、というけれど、わたしの場 合そういう言い方はあてはまらない気がする。
信仰がわたしの支えになった、というよりも、わたしの想いを神様と仲間 にそのままわかってもらえている、という実感が、大きな支えになったのだ。

礼拝のあと、まだわたしの病気を知らなかった人たちに自分の口から伝えた。 自分の状況を説明しながら「全てのことは神様に知られている。だから、 わたしは、わたしの精一杯を生きるだけでいい」と感じていた。 教会に通い続けていて、よかった、と心から思った。

10年前に乳癌の手術をした人や、Kクリニックで手術を受けた人の話も、 とても心強かった。この時にもたくさんの方から健康食品や本の情報を貰ったけれど、 その中のひとり、M子さんが
「確か新潟にいいお医者さんがいたはず。今晩メールでHPのアドレスを送るから」 と言ってくれた。
新潟のお医者さん、というのは、福田・安保理論、と言われている 「免疫力を高めれば癌は退縮する」という説をとなえ、実践しているお医者さんの ことだった。このことはわたしも、自分で調べて知っていたのだが、 M子さんが送ってくれたリストの最後に、e−クリニック、というのがあった。

今思うと、癌がわかって5日目にe-クリニックに出会えた、というのはほんとうに 幸運だった。
その夜、e−クリニックのHPを開けて読んでみると、他の「これを飲めば癌が治ります!」 とか「末期癌もこの治療で治る!」などと書いてあるサイトとまったく違って、 冷静で客観的で、落ち着いたトーンのサイトだった。
あまりにセンセーショナルに効果を謳ってあるものは、逆に「これをしなければ治らない」 と脅されているような気がして、いやな気持ちになるのだが、e−クリニックはまったく そうではなかった。
大阪にあり、数人の医師たちとスタッフで運営されているNPO団体の付属のクリニックで、 自由診療。西洋医学だけに頼らず、広い視野で治療を考えているらしいこと、 インターネットでセカンドオピニオンに応じてくれる、ということにとても信頼できるものを 感じた。とにかくよさそうなところにはコンタクトしておきたい、と思い 「具体的にどういうことをして貰えるのか、もう少し詳しい説明が欲しい」とメールをした。
翌日e-クリニックから「なるべく丁寧にご説明したいので電話を下さい」という返事が来た。 意外な感じがした。さっそく電話をしてみると、スタッフのFさんという男性が、 初めて話す相手なのにとても親身になって、本音で語ってくれた。信頼できる組織だ、と 直観した。
なにかの時に、メールで相談できる、それだけでもとてもありがたい、と思い、 1月31日に入会した。

この週に、Kクリニックの検査があった。細胞診をもう一度。そして、他の病院に行って 骨シンチという検査をした。
これは静脈に造影剤を入れてレントゲンを撮り、骨に転移していないか調べるもので、 注射から2時間、待っていなければならない。
これに友人のKがつきあってくれた。吹雪の、とても寒い日だったけれど、入院のプロだから、と 冗談を言いながら、たくさんのことをアドヴァイスしてくれた。

他にも夕食のおかずを届けてくれた人、仕事場から家まで何回も車で送ってくれた人、 民間の温熱療法をしにきてくれた人、玄米菜食の食事療法を紹介してくれた人など、 たくさんの人たちの助けがあった。
20年ほど前に、かなりしっかり玄米菜食をしていたので、食事を変えよう、と 決めたその日から、厳密に玄米菜食を始めることができた。この食事療法がどれだけ 身体にいいか、わかっていたから、まったく抵抗なくその日から始められたのだ。

そして2月1日、東京から娘が一年ぶりに帰ってきてくれた。夫が駅まで迎えに行った。 待っている間、どんな再会になるのだろう、もしかしたら玄関で抱き合って泣くのだろうか、と 想像したりした。
玄関を入ってきた娘は、大きな目をきらきらさせて、せいいっぱいおどけてわたしを睨みつけ 「ちょっとぉ!なにやってんのよー」と言った。わたしも笑いながら「ごめんごめん」と返した。
東京で一番おいしい、というプリンをおみやげに買ってきてくれた。お砂糖も卵も牛乳も食べない ことにしていたのだが、娘の気持ちが嬉しくて、この日だけ、プリンをおいしく食べた。
娘が帰ってきてくれたことで、家の中の空気が急に明るく元気になった。息子の時と同様、 家族の特別な通い合いを、ほんとうにありがたい、と思った。

わたしの生まれて初めての手術に向けて、こうして必要なことが次々整えられていった。

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