〜がんとの出会い〜

1.その瞬間

2.不安〜初診

3.告 知

4.波のように

5.セカンドオピニオン
6.初めての礼拝
  〜e−クリニック〜娘

7.検査〜ストレス

8.スイッチ

9.光、そして夢

10.目  標

11.入院〜手術前日
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 4.波のように

検査が終わって病院を出るとその足で、カルチャーの仕事先に行った。 担当のスタッフの方に、たった今乳癌がわかったこと、翌日の講座は出来るけれど来週はもう入院していること、 一両日中に代理の講師を探すつもりだ、ということを話した。
電話で夫に伝えた以外は初めて他人に話しているわけなのだが、全く普通に事務的に話せるのが、自分でも意外だった。
駅へ向かう途中で、まだ札幌にいる息子に電話を入れた。
やっぱり癌だった、と言い「そう・・」と答えてくれた声を聞いて
「あぁ、心配してたんだ。これからも心配させてしまう」
と胸が痛んだ。

仕事場に戻る地下鉄の中でふと
「この車両の中で、癌の人は何人ぐらいいるんだろう」
などと思い、自分が癌だ、ということを自慢したいような妙な高揚感を覚えた。 大して疲れてはいなかったけれど、身体の不自由な人の専用席に座ってみた。 誰かに咎められて「わたし、癌なんです」と言ってみたい気さえした。
仕事場に戻ってから、大人の生徒さんには直接言い、空き時間には仕事関係の電話を何本もかけ、 自分の状況のことを客観的に説明する回数が重なるにつれて、徐々に実感が湧いてきた。だが、恐怖感は無かった。
ただ、こちらは何度も話しているけれど、聞く方は初めてなので、驚かせてしまうのがつらかった。 心配させないように、ことさら明るく話した。
大事な仕事を引き受けることになって、なんとか成功させるぞ!と思った時の気合の入った状態が、結局夜まで続いた。

夜、いきつけのライブハウスで夫と落ち合った。夫も全くしっかりしていて、普段と何も変わらずに冗談を言いあった。
帰宅してから、東京にいる両方の母と姉、そして娘に電話をした。 わたしが元気に話したからか、驚いてはいたがこの時点ではそれほどつらい想いはさせなかったと思う。
仕事関係の断りのメールを送り終え、ネットの友人たちにメールを書いた。 ほとんど毎日のようにネット上で話し合っていたので、普通の友だち以上に心を許しあっている部分もあり、 顔や声ではなく文字だけで伝える、ということで、却って無防備になったこともあるのだろう、 書いていて初めて涙が出そうになった。つらい涙ではなく、 ネットを通して繋がりあっている関係のありがたさが胸にしみた暖かい涙だった。 同時に、「大変なことになったんだ」ということをようやく自覚し始めた。

翌朝、直接わたしの口から伝えたい、と思った友人たちに電話をした。
ひとりひとりの表現は様々だったけれど、それぞれの想いが波のように電話線を通して伝わってきて、 お互いに泣いたり笑ったりしながらどんどんエネルギーを貰うことができた。
午前中にかかりつけの歯医者さんに行った。 受付で「急に入院することになったので、応急処置をして下さい」と言うと、 先生が窓口まで来て様子を尋ねてくださった。乳癌だと説明すると、受付の女性がとても驚いた顔をした。 長年顔見知りだけれど親しくはない人の反応が、却って直接胸にこたえた。
待合室で順番を待っている時に、東京の娘からメールが入った。
「そっちでバイト決めたから、来週ぐらいに帰るわー」
読んだ途端に涙が止まらなくなった。
「ほったらかして育てたのに、ほんとにいい子に育ってくれた・・」
その時は、それが嬉しくて涙が出たと思っていたのだけれど、後になって考えてみると、ただただ来てくれるのが嬉しかったのだ。 不安な気持ちを自分にも隠していたその時のわたしには、まだわからなかった。
治療台で待っている間も涙が止まらず、事情を知らない衛生士さんがけげんな顔をした。
「今はたいていの癌は治るよ。だいじょうぶ。だけど、大変なことには違いないから、みくびっちゃだめだよ」
治療しながら先生が励ましてくれた。
帰りがけに先生が、受け付けで売っている歯ブラシを一本プレゼントしてくれた。
そういう気持ちがありがたくて、また涙が止まらなくなった。

午後のカルチャーの講座は、スタッフの方との打ち合わせどおり、最後の5分で事情を説明することにして、 それまではいつもどおりすることになっていた。午前中に少し動揺してしまったのでちゃんとできるかどうか心配だったが、 受講者の前に立ったら自分でも驚くほど、まったく何も気づかれずにきちんと楽しく出来た。
話し終わった後で80代のしっかりした方がわたしの手を握って「代わってあげたい」と言ってくださった。
その言葉を聞いて深く心が動いた。
「告知から一日経っただけなのに、なんてたくさんの人たちから励まして頂いたんだろう」
まるで風圧を感じるほどのたくさんのエネルギーが、この時からずっとわたしを支え続け、前に押し出し続けてくれた。

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