告知から16日間、仕事があったおかげで気を張っていられたのだが、それ
がすべて終わったからだろう、その日の夕方から突然、いてもたってもいら
れない焦燥感に襲われ始めた。癌はすでに全身に転移しているんじゃないか、
こうしている今も、癌細胞は刻々と広がっているんじゃないか・・そういう
思いに囚われて逃れられない。手術と抗がん剤で体力が落ち、気力も萎えて、
坂道を転げ落ちるように状態が悪化する自分の姿が目に見えるような気がした。
「怖い」と初めて思った。
家族や友人と別れるのが辛い、子供がひとり立ちするまで見届けたい、こん
な形で親を悲しませるのは辛すぎる・・・。
色々な想いが渦巻いた。
身体の中から恐怖と焦りとが波のように湧き上がり、じっとしていられなくな
った。叫びだしたくなるのを必死でこらえながら、寝室の鏡の前で自分の姿と
対峙していた。
ふと、心のどこかで「こんなに辛いのなら、むしろあきらめた方が楽かもしれ
ない・・・」という思いが芽生えた。
その瞬間「嫌だ!あきらめたくない!今、死にたくない!」という言葉が、はっ
きりと胸の中で聞こえた。
「時間に限りがあったとしても、せめて・・・」
そこで思ったのが、午前中に歌った「或る風に寄せて」という曲だった。
この曲は「三つの抒情」という曲集のうちのひとつ、立原道造作詞、三善晃
作曲の女声合唱の為の美しい歌で、大学時代に歌って以来、わたしにとって
特別な歌になっていた。
何十年もの間、何度も聴き、何度も歌ううちに、わたしの頭の中でだけ聞こえ
る「抒情」が出来上がっていた。
これを音にしたい。これを実際に音にして歌うまでは死にたくない。このグル
ープの力だと、一年に一曲、三曲歌う為には三年必要だ。
けれど、この時のわたしにとっては、三年、というのは、永遠、というのと同じ
ぐらい実感の持てない時間だった。
「せめて一曲だけでも音にしたい。その為には今年の秋の合唱祭まで元気
でいたいけれど・・」
それさえも、この時点では大きすぎる夢のように思えた。
叫びだしそうになるのをこらえながら一階に降りると、夫が夕食を作っている
ところだった。それまで数回、夫に抱きしめてもらいながら声を出して泣き、3
分で立ち直って行動を再開する、という場面があった。
この時は、泣くこともできないほど苦しかったのだが、夫の隣に立って一緒に
夕食の支度を始めたら、憑き物が落ちたように平安になった。
一人ではなく、誰かと一緒にいられるということが、ありがたかった。
その晩、e−クリニックにメールを書いた。
代替療法の効果を調べるために、近所の医院で血液検査をして貰う書類を
送ってもらう為だったが、先刻からの不安をコントロールができずにいたので、
メールの最後に
「不安は免疫力を下げるからよくない、とわかっているのに、どんどんマイナ
スの思いに囚われて気持ちを変えることができません。こういう時はどうした
らいいでしょうか。
・・・・こんなことをご相談してもいいんでしょうか(^^ゞ)」
と書いてしまった。
その晩はなかなか寝付かれなかった。眠れないままに思い巡らしているうち
に、転移しているんじゃないかと「疑っていること」が最も辛いのだ、ということ
に気がついた。「転移している」という事実に対してなら、立ち向かう力も湧い
てくるだろうけれど、「かもしれない」という実体の無いものには対処しようが
なく、際限なく不安が増幅して行く。
検査の結果は、病院ではもうわかっているはずだ、と思い、明日の土曜日に、
結果を聞きに病院に行こう、と決めた。
そう決めたら、ようやく眠ることができた。
翌朝、受付が始まるのを待ちかねて、9時にKクリニックに電話をした。
ところが、留守番電話のメッセージで、その日は隔週休診の土曜日にあたっ
ていて、病院は休みだ、ということがわかった。
受話器を置きながら「これから4日間も、どうやってこの不安に耐えたらいい
だろう・・・」と途方に暮れた。
その時、電話が鳴った。e−クリニックのスタッフのFさんだった。
「大丈夫ですか?メールを頂いて、気になったので」
「ありがとうございます。どんどん悪いことばっかり考えてしまって・・。」
答えているうちに涙声になってしまった。
Fさんは、e−クリニックの資料にあるメンタルマネージメントの文章を是非読
んでみてください、と言いながら、その内容をかいつまんで話し始めた。
「あなたが癌になったのは過去のことですよね?」
「え?」
「あなたが癌になったのは、過去の生き方の結果ですよね・・」
その言葉を聞いた瞬間に全身の力が抜けた。
そうだ、わたしは癌になってしまったんだ。
おそらくわたしは、この時初めて、自分が癌になった、という事実を受け入れ
たのだろうと思う。この16日間、何十回も自分の口で自分の癌の状態を人
に説明していたのに、実は直視していなかったのだ。
どんなに強がって平気なふりをしても、どんなに自分をごまかして目をそらし
ても、わたしが癌になった、という事実は一ミリも変えられない。癌、という事
実に対して、わたしはほんとうに小さく無力だ、と思った。
事実をすべて受け入れたこの瞬間は、しかし、不思議な解放感に満ちていた。
もう頑張らなくていい。わたしは無力なんだから。
「過去は変えられないけれど、未来はまだ何も決まっていません」
Fさんが話し続けている。
呆然として力の抜けたわたしの心の深いところに、Fさんの言葉が届いた。
「希望」という言葉が浮かんだ。
過去は変えられないけれど、未来はまだ何も決まっていない。未来には無限
の可能性がある。これが「希望」だ。宗教や哲学の言う「希望」とは、このこと
だったんだ。
自分の力の無さを認め、過去の事実に対して全面的に自分を明け渡した時
に、初めて前に道が見えた。
未来がまだ何も決まっていないのなら、どんな未来が欲しいかは、わたしが
決める。神様から預かっているこの身体とこの命を、どうやって使うかはわた
しの責任だ。
わたしはもっともっと生きて、もっとたくさんのものと出会いたいし、もっとたく
さんの人と関わりたいし、もっとたくさんの歌を歌いたい。
そのために、わたしの身体に出来た癌は、わたしが治す。
この日のこの瞬間に、わたしの中で
「自分の人生は自分が生きる。自分の癌は自分で治す」というスイッチが入った。