〜がんとの出会い〜

1.その瞬間

2.不安〜初診

3.告 知

4.波のように

5.セカンドオピニオン
6.初めての礼拝
  〜e−クリニック〜娘

7.検査〜ストレス

8.スイッチ

9.光、そして夢

10.目  標

11.入院〜手術前日
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 1.その瞬間

2003年1月17日金曜日の朝、仕事に行く前にシャワーを浴びていた時、 毎日洗っているはずの左の乳首が陥没していることに気づいた。いや、気づ いた、というのはちょっと違う。実は陥没して以前と形が違っている事は、1, 2ヶ月前から「知って」いた。不思議なことに、それがなにか悪いしるしだ、と は全く意識にのぼらなかった。
この日の、この瞬間、まるで誰かからトントンとつつかれて気づかされたよう に、突然「あ!」と思ったのだった。「乳房にえくぼができたり、乳首の形が変 わったら乳癌を疑え」ということはよーく知っていたはずなのに、人間の意識、 ってどうなっているんだろう。
「これはやばい!」と思って触ってみると、乳首の根元にしっかりしこりがある。 いや、これも今初めて気づいたわけではなかった。ちょうど生理前にできるし こりと同じような場所だったので、敢えて疑わなかったのだ。その時の気持 ち・・・「あぁ・・とうとう癌になっちゃった・・・」

「癌になった(かもしれない)」と思ったのは、初めてではなかった。もう20数 年前、息子がまだ1歳にならない頃、産後の体調をくずして胃の具合が悪 くなり、バリウムを飲んだ。若い時から神経質で、しょっちゅうバリウムを 飲んではその度に「なんでもありません。とてもきれいな胃です」と言われて いたので、この時もそうだと思って気軽に受けたのだが、「何かあるかもしれ ないので、胃カメラを飲みましょう」と言われてしまった。 胃カメラは死んでも飲めない、と思っていたわたしは、胃カメラの恐怖と「何 かが出来ているかも?」という恐怖で、3日ぐらい文字通り動けなくなった。 結婚前はどんなに具合が悪くても、それが死に結びつくという実感は無かっ た。あるいは、別に死んでもいい、とどこかで思っていたのかもしれない。け< れど、この時はまだ1歳にならない子供がいて、その自分が「死ぬ」というこ とが起こり得るのだ、と生まれて初めて実感したのだった。
結局再診で別のお医者さんに「胃カメラを飲むほどではない」と言われてな にごともなく済んだのだけれど、この3日間、おそらく生まれて初めて「死」に 直面した。
「何かできているかもしれない」と言われただけで「癌で死ぬに違いない」と 思い込んだわたしも想像力が豊かすぎるけれど、でも、この時の経験が今 回ほんとうに役に立ったと思う。3日間家に閉じこもって、夫にも何も言う 事が出来ずにひとりで悶々としていたわたしを覆っていたのは、意外なことに、 恐怖ではなく悲しさ、だった。
別れたくない人がたくさんいる。もっと見たい景色がいっぱいある。まだまだ やりたいことがたくさんある。そしてなにより、1歳にならない息子がどんな大 人になるのか、なんとしても見届けたい。いや、そうではない、ただただ、もっ と長く、このかわいい息子と一緒にいたい。今、この世と別れるのはあまりに も悲しい・・・・・。
この時以来「いつだかはわからないけれど、わたしはいつか必ず死ぬんだ」 ということが、あたりまえのこととしてわたしの中で定着した。はからずも、あ る種の覚悟が出来た、ということかも知れない。
それから数回、どこか具合が悪くなるたびに、今度こそ癌になった、と思って 不安にさいなまれ、癌告知を受けるシミュレーションをしたりした。両親をそ れぞれ50年前と30年前に癌で亡くしているわたしは、かなりの確率で自分 も癌になるだろう、と思っていたからだ。

この日、「とうとう癌になっちゃった・・・」と思った感覚は、しかし、今までのも のとかなり違っていた。今までは「でも、癌じゃないかもしれない。更年期障 害だわ、きっと。そのうち症状は無くなるんじゃないかな」と、自分をごまかし、 検診は先延ばしにし、それほど気にしていない振りを、自分に対してもして いた。けれどこの時は、今すぐにでも検診に行きたい、行かなきゃ!と思ったの だ。おそらく無意識がすでに、今度こそほんとうに癌になったよ、と教えてくれ ていたんだろうと思う。

これが、その後、ほんとうにたくさんのことを教えてくれた「がん」との、最初 の出逢いだった。

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