明日、他臓器への転移の検査の結果がわかる、という日の夕食後、夫と娘と3人で、近くの珈琲屋さんにミニライブを聴きに行った。顔なじみの人が何人か来ていて、努めて明るく挨拶するのだけれど、身体がとても重くて会話がはずまない。
「わたしは治る」という気持ちと、最悪の状況を覚悟しておく、という気持ちが、身体の中でせめぎあっているようだった。
ヴォーカルの若い男性が、歌い始めた。目の前で聴ける席に移動して、夫と並んで座った。
“冬がめぐる街のどこかに
君が確かに生きている”
“君を失うはずはない
人ごみに答えもなく
分け合えなかった日々を
届けて君に
and winter comes around
I’ll never say good bye”
失恋の歌なのだろう。
けれど、その時には、わたしがいなくなった後に、冬の街をさまよっている夫の姿が心に浮かんでしまって、とてもつらい歌に聴こえた。
それまでは、癌になった自分のことを心配するのが精一杯で、子供や夫や親や友人たちの辛さを、思ってはみるけれど、深く受け止めることが出来ないでいた。自分がほんとうに癌になったのだ、ということを受け容れて、ようやく、まわりの人の辛さを実感として感じられるようになったらしい。
隣に座っている夫は、どんな気持ちでこの歌を聴いているのだろう・・。それを想うと、自分のことより辛かった。夫に悟られないようにしながら、苦しい涙を拭った。
その晩は、さすがに眠れなかった。明日聞く検査の結果のことを色々考えると、どんどん悪い方に想像が膨らんでしまう。数日前から実行していた呼吸法を試しながら、いいイメージを潜在意識に入れようと思うのだが、なかなかうまくいかない。
「どうしよう・・。この辛い状態のまま朝まで眠れないのかな」
そう思いかけた瞬間、突然嘘のように、すっと心が軽くなった。まるで憑き物が落ちたように身体が緩んで、安らかな気持ちになった。
「あ、今、誰かがわたしの為に、お祈りしてくれたんじゃないかな」
自分の想像を超えた力が働いている、と感じた。そしてそのまま穏やかな眠りにつくことができた。
翌朝は、寒いけれど抜けるような青空だった。夫が仕事の予定を遅らせて車で病院まで一緒に行ってくれた。娘もついてきてくれた。
「この空みたいな結果が出るといいね」
夫が運転しながら話しかけてきた。
かろうじて頷いたけれど、気持ちはとても重かった。
肝臓のエコーの検査を終えて、休憩室で持参した朝食を食べている時に娘が「私も一緒に結果を聞きたい」と言った。だが、良い結果ならいいけれど、良くない結果だったら娘がどんなに辛い思いをするだろう、と考えると、とてもOKを出せなかった。
名前が呼ばれて、夫と二人で診察室に入った。娘はすぐ外の「中待合室」で待っていることになった。診察室に入ったとたんに、多分覚悟ができた、ということだろう、すっと落ち着いた気持ちになった。骨シンチ、肺と肝臓のCT、肝臓のエコーの結果が、ひとつずつ院長から説明された。影のように見える部分や、小さく丸く写っているものについても、丁寧に説明してくれる。さっきまでの重さが嘘のように、落ち着いて院長の話を聞くことができた。
「・・・・というわけで、これらの結果を見る限り、肝臓にも肺にも骨にも、転移はありません」
よかった・・・・。
少しずつ緊張がゆるんで、身体が楽になってきた
落ち着いている、と思ったけれど、やっぱり随分緊張していたらしい。
診察室を出たところに娘が待っていた。
「大丈夫だったよ」
「うん!よかった!」
入院手続きをする前に洗面所に行って鏡の中の自分の顔を見たら、ようやく実感が湧いてきた。涙がじわじわこみ上げて来て、拭っても拭っても止まらない。
夫はほっとして、待合室の外で仕事の電話をしている。
娘とふたりで並んで座った。
「あー、ほんとによかった・・・。」と涙を拭いながら言うと、娘は大きな目をもっと大きくして、一生懸命笑いながら「うん、うん!」と頷いた。
娘は札幌に戻ってきてから、一度も涙を見せていない。なんて強い子なんだろう・・・。
けれど、後になってわかったことがある。
手術が終わって退院間際、娘が東京に戻った日に、娘の中学からの友人で、やはり東京の大学に行っている男の子が、かわいいお花を持ってお見舞いに来てくれたのだが、その時にこんな話をしてくれた。
「一月の末にMちゃん(娘)と二人でディズニーランドに行ったんですけど、なんかいつものMちゃんの元気が無くて・・・。
で、帰りの電車で『どうしたの?つまらなかった?』って聞いたら、いきなりぼろぼろって涙を流して『お母さんが癌になっちゃったの』って泣いたんです。
僕、どうしたらいいかわからなくて。
だから、おばさんが元気そうで、ほんとによかった。
あ、この話、Mちゃんには内緒にしてくださいね」
そうだったのか・・・。娘の健気さを改めてかみしめたのだった。
呼ばれて面談室に入り、入院についての説明を聞いた。担当は、初めてこのクリニックに来て、手術の日程を決める時に、わたしが「あなた癌になったことあるの?この不安な気持ち、経験ないでしょ?」と心の中でいじわるな気持ちで思ってしまった、あの看護婦さんだった。
「転移が無くてよかったですねー。心配してたんでしょう?」とやさしく言われて「はい、ほんとによかった・・。」と言いながらまた涙ぐんでしまった。
その時にその看護婦さんの目にじわっと涙が浮かんだ。
「あー、いい人だったんだ。前にいじわるなこと思っちゃってごめんなさい」と心の中であやまった。
この時点でようやく手術の日程が確定した。
この頃読んだ本の中に
「遠い目標を持つのも大事だけれど、癌患者にとって、時には『あと一週間元気にしていよう』とか『あと15分明るくしていよう』といった、ごく近いところに目標を置く必要があることもある」と書いてあったのを思い出した。
今のわたしが設定するのなら、どんな目標がいいだろう。
そう考えて決めた目標は次の二つだった。
1.「元気に」退院すること
生まれて初めての手術だったので、どのくらい体力を消耗するか見当がつかなかったけ
れど、とにかく退院の時に元気になっていること、を第一の目標にした。
2.5月の表彰式に元気に出席すること
前の年の秋に、わたしが指揮をしている合唱団が市民芸術祭奨励賞を頂いたのだが、
その表彰式が5月に予定されていた。退院が3月初め。5月までには公の活動をしっかり
再開し、晴れがましい席に心配事のない状態で出席したい、と思った。
後はただ、自分ができる最善のことをしてゆくだけだ。
ようやく、前向きモード全開になって、この日、2月12日からの4日間、遠足の前みたいにわくわくしながら、入院手術の準備をしたのだった。