〜がんとの出会い〜

1.その瞬間

2.不安〜初診

3.告 知

4.波のように

5.セカンドオピニオン
6.初めての礼拝
  〜e−クリニック〜娘

7.検査〜ストレス

8.スイッチ

9.光、そして夢

10.目  標

11.入院〜手術前日
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 5.セカンドオピニオン

翌日、夫と二人でまずJ病院にもう一度話を聞きに行った。夫の質問にも誠実に答えて下さるこの先生は 信頼できる、と再確認した。セカンドオピニオンの為の手紙と資料を受け取って、夫に運転してもらって Kクリニックへ。
仕事を置いて、わたしにずっとつきあってくれる夫の優しさが、身にしみた。

乳腺専門のこの病院の待合室は、乳癌の検査を受ける女性で溢れていた。 待っている間に壁に貼ってある乳癌の資料を読んだ。 それまでの2日間は、忙しかったのと実は事実に直面するのが怖かったのとで、 乳癌に関する勉強はまだしていなかったし、J病院でも、 患者を不安にさせるような部分は敢えて教えてくれなかった。
その資料によると2.7センチ、という大きさは癌細胞がおとなしく固まっている状態ではなく、 明らかに外に出て血流やリンパ液の中をどんどん廻っている状態だ、ということがわかった。 しかも、癌のステージは大きさだけで決まるわけではなく、リンパ節転移、他臓器への転移の有無で決まる、 ということもわかった。
ほんとうに大変なことになったんだ・・・。身体中の細胞が固くこわばるような感じがした。
院長夫人である大学の同級生が、わざわざ医局から降りて会いに来てくれた。
「大きさはどのくらい?」と訊かれて
「3センチ弱。ギリギリセーフ、ってとこかな?」
言いながら、セーフだという根拠は全く無い、むしろそうでない可能性が高いんじゃないか、 という思いに捕らわれた。切ってしまえば治る、と思っていたのは楽観的過ぎた、と暗澹とし、 なぜもっと早く検査をしなかったのか、と胸が苦しくなった。

診察の時にJ病院でのマンモグラフィの写真を見せると「あ、これはもう一度撮りましょう」と言われて レントゲン室へ。
J病院では男性の技師が、「すみません、ちょっと触りますよ」と遠慮がちに乳房のレントゲンを 撮ったのだが、ここでは女性のレントゲン技師が手袋をはめていて、実に丁寧に、 くっきり写るように撮ってくれた。
痛かったけれど、徹底的に調べる、という感じが頼もしかった。
この検査の様子で、まだ診察もゆっくりしていないのに、「手術はこちらの病院でするべきだろうなぁ」と 思い始めた。
夫と二人で聞いた温存か全摘か、の説明も説得力があった。 手術をするのであれば、全国から患者が来るという、経験豊富な、しかも同級生のご主人、 という関係の、こちらの先生にお願いするのがいいだろう、と思ったので、大して迷いもせず、 自然な流れでこちらの病院に変えることに決めた。

この病院は手術を待っている患者さんがたくさんいて、J病院で予定していたようなスケジュールでの手術は とても無理だった。身体中を癌細胞が巡っているイメージが頭から離れなくなっていたので、 1日でも早く、と焦る気持ちがあった。病院を変えて手術が延びたことがマイナスに働きはしないかと、 ふと気になったが、そうならないようにしてみせる、と気合を入れた。でも不安は消えない。
説明をしてくれる看護婦さんが、わたしの焦りを見て 「ある程度時間を置くと、精神的に落ち着いてきますよ」と言った。
それを聞いて、心の中で「あなた、癌になったことあるの? この不安な気持ち、経験ないでしょ?」と 思ってしまった。
不安が強いと意地の悪い聞き方しか出来なくなるらしい。

検査の日程を決めてから、J病院に資料を返しに行って病院を変えることを伝え、 しごと場に着いた時には夕方遅くなっていた。
友人が「癌に悪いものは使ってないから」と言っておかずを届けてくれた。ありがたかった。
わたしは人に対して優しいことは何もしていない、ほんとうに気の利かない人間なのに、 どうしてみんなこんなに優しいんだろう、と、涙が出た。

翌日の土曜日、病院を変えた為に、最初に決めた手術のスケジュールが変更になったことを、 また大勢の人に連絡した。このあたりから、本当に色々な形の応援や情報が届き始めた。
健康食品。漢方薬。癌克服の本何冊も。癌治療のビデオ。水。末期癌も治すという漢方医の情報。 民間の温熱療法。枇杷葉温圧。知り合いの方が飲んでいたけれど途中で亡くなったから、と、 高い中国の抗がん剤をゆずってくれた友人もいた。
入院の時のお役立ちグッズ。元気が出るような本、手紙、はがき、電話、メール・・・
こんなにも大勢の人の温かさの中で、今までわたしは生きていたんだ、と胸がいっぱいになった。 ありがたくて、その度に涙を流した。
同時に、これだけの人たちを心配させるような状況なんだ、と、事の重大さを再認識することにもなった。

土曜日の夕方、英語を教える仕事を終えてしごと場で一人になったときに、告知後初めて、 中島みゆきのCDを聴いた。

“・・・ゆく先を照らすのは、まだ咲かぬ見果てぬ夢
   はるか後ろを照らすのは、あどけない夢
   Headlight Taillight 旅はまだ終わらない・・”

「旅はまだ終わらない・・・」
このリフレインを聴きながら、初めて声を出して泣いた。

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