第二次世界大戦でのクンユアムの人々の
日本の兵隊さんの思い出

 

お知らせ

 2016年1月18日午後10時、チューチャイ・チョムタワット
氏が永眠されました。
 謹んでご冥福をお祈り申し上げます。また、今日までの
御交誼に感謝申し上げます。
 チューチャイ・チョムタワット事務局は、活動を停止して
解散致します。
 これまでの皆様からのご支援に感謝申し上げます。
 また、当ホームページ・掲示板も後日削除の予定となって
おります。
 有り難う御座いました。

平成28年1月21日
武田浩一

追記

 当サイトは、クンユアムに在る、タイ国メーホンソン県立
タイ日友好記念館」と一切関係がありません。

 また、当ホームページ・掲示板は当面存続致します。

平成28年1月27日
HP管理人 武田浩一

写真館
資料館
歴史の一頁
歴史の真実
プランマニー寺院の37師団慰霊塔
ドグブアトーンでの愛の物語
ジャパニーズ・ティーレーズー
彷徨ビルマ戦線
天皇陛下の終戦の発表と日本兵の自決
新聞スクラップ
訪問感想ノートから
ビルマ戦線の歌
タイに生きて
英霊の言乃葉
メーラルアン村に不時着した日本軍機
パーン・ターヌーさんの話
天皇皇后両陛下に謁見してご慈愛を受けた日
井上朝義氏の忘れられない思い出
平成19年春の叙勲伝達式
チューチャイ・チョムタワット氏ご夫妻来日
大東亜戦争とマレー人
マレーシア国定中学校歴史教科書
井上朝義氏ご夫妻の訪タイ
井上朝義氏撮影 行軍の風景 ビルマ〜タイ北部
書き込み掲示板

DVD彷徨ビルマ戦線


メーホンソン県クンユアムと旧日本軍

 ここクンユアムはタイの北西部に位置し、ミャンマーと国境を接している。ビルマ作戦に於ける重要な兵站基地の一つでもあった。サルウィン河の渡河地点ケマピューに道は続いており、さらにトングーにつながっている。この道はインパール作戦後、日本兵が敗走してきた所謂白骨街道といわれている。更にこの地では、7,000名に上る日本軍将兵が命を落としたといわれる。チェンマイへ通じる道は北、中、南、三本のルートがあるが、この北回りの道も日本陸軍第15師団の自動車道建設のため多くのタイ人労働者が命を落とし、違った意味での白骨街道でもあった。しかし、当地メーホンソン県においては大東亜戦争中、日本軍と現地住民との関係は良好に保たれており、多くの深い人間性のある交流が生まれた。今日に至るも、当時よりの友好と友情の交流は続けられている。



首長カレン族の娘が日本軍を歓迎する。クンユアム郡タイ国境近くのミャンマー、カヤー州にて。



Pol.Lt.Col.Chiedchai Chomtawat

ご挨拶

 私は、この世のすべてのものには魂が宿っていると信じている。
・・・物をつくった人は、その物がこの世の中に存在する価値を吹き込む。
・・・その物の持ち主の心
・・・持ち主の子孫やその物に興味を持った人の心は、その持ち主に思いを馳せる。

 戦争時の日本兵の持ち物は生きるための必需品である以外に、持ち主とともに苦楽をともにした友達である。何年もの間共に任務を遂行した物に、持ち主の愛情と友情は伝わったはずだ。その愛情は、持ち主が去ってしまってもその物に宿っている。物は持ち主の代わりに子孫や後世の人たちにかつての時代のことを語り、尊敬の念を起こさせる。その時、その物は子孫たちにとってお金で買うことの出来ないかけがえのない物になる。

 この考えが、私たちが物を集め、出来事を語り伝え、そしてクンユアム第二次世界大戦博物館を設立した理由のひとつだ。博物館は後世の人たちが歴史の一場面を学ぶ場である。先祖の使ったものに触れる喜びは、去ってしまった人の心に触れる喜びとなる。
 この喜びはあなたの中にも起こるかもしれない。

 「チェンマイ旧日本軍博物館」設立協力募金のお願い

 2012年11月10日にクンユアム市は、クンユアム第二次大戦戦争博物館を発展改修したタイ日友好記念館をオープンしました。
 私は、真実こそ伝えるべきものという強い信念に基づいて、チェンマイ市内に「旧日本軍記念博物館」を建設したいと考えております。
 日本軍兵士の遺品を展示すると共に歴史の事実を伝えて、タイと日本の友好を促進するこの事業に、多くの方のご協力をお願い申し上げます。

 
設立協力募金のお願い


平成24年11月15日

旭日双光章受勲
クンユアム第二次大戦博物館(クンユアム旧日本軍博物館)創設
元日泰平和財団理事長
元警察中佐 チューチャイ・チョムタワット

(チューチャイ・チョムタワット事務所日本事務局)

  

クンユアムの日本軍


MR.CHAROEN CHOWPRAYOON

 私はクンユアムに進駐してきた最初の日本兵から、帰還する最後の一兵までを知っている。クンユアムの日本兵は
村人と共に働き、お互い協力して生活していた。カンチャナブリの博物館で宣伝される日本軍とは違う。優しかった日
本兵を私は忘れない。                                   

 I know the last one soldier from the first Japanese soldier who has advanced to KhunYuam from whom everyone
who returns. A Japanese soldier of KhunYuam lived by working with the villager, and cooperating mutually. It differs
from the Japanese army advertised in the museum in Kanchanaburi. I do not forget a gentle Japanese soldier.

ジャルーン・チャオプラユーン(元運輸大臣)
平成17年1月8日 日泰平和財団設立準備総会にて


クンユアムの日本兵士



 敗戦前に日本兵がビルマから敗走してきて、お寺、村人の家、学校、村の小さな病院などはほとんどいっぱいになっ
た。そして村の一軒一軒に日本兵が一緒に住むことになった。家の大きさによって違うが、一軒に大体5人〜20人くら
いいた。また道のかたわらに野宿する人もいた。
 日本兵は村の人に何でも出来ることをいろいろと手伝った。たとえば米の脱穀精米作業とか、農作業のときの赤ちゃ
んの子守などやってくれた。
 クンユアムの人たちは、日本の兵隊さんのことをいやだとは思わなかった。

「第二次世界大戦でのクンユアムの人々の日本の兵隊さんの思い出」
チューチャイ・チョムタワット著から抜粋


開設日:平成15年11月3日  更新日:令和6年2月11日
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