訪問感想ノートから


POL.LT.COL. CHIEDCHAI CHOMTAWAT(館長)

 この博物館は、はじめに私が作りましたけれどもクンユアムの皆さん、昔の日本の兵隊さん、そして私の友人たちの協力でここまできたのです。この博物館を作った目的はタイと日本の友好のためであって、商売でやっている訳ではありません。しかしタイも日本も国としての協力はまったくありませんでした。新しい問題が発生することを恐れたからです。そのため私が責任を持って管理することになったのです。しかし私は運が良かった。昔の兵隊さんや多くの日本の方が支えてくれました。そういう支援があるからこそ、私はがんばろうという気持ちになるのです。
 博物館は私のものではないし、また誰のものでもありません。日本人とタイ人の財産なのです。


平成8年11月23日 C.Y(タイ)

 今日、博物館を訪問しました。設立された方々に御礼申し上げます。次代の若い人たちの勉強のために、益々の充実を祈念いたします。


平成8年11月27日 H.M

 初めてここにきました。私は戦後生まれですが、博物館で直に日本兵の武器や軍服などをみて、決して小説や映画の世界ではない何かを感じます。説明してくれた年配の方はよく説明してくれました。またチャンスがあれば来たいと思います。1つだけ。説明に日本語があったら、もっとみんなにわかると思います。


平成8年12月14日 T.C(タイ)

 今日、クンユアムの博物館に来ました。ここには第二次世界大戦のいろいろな物が展示されており、タイ国と日本国の当時の歴史がよく分かります。この場所もわかりやすく入りやすかった。



平成9年1月1日 K.N

 毎年、何回か調査のために北タイを訪れていますが、今回は少し時間があったためメーホンソンまで来ることができました。ここに日本兵に関する資料館ができたばかりだと人から聞いて、とりあえず来てみようと軽い気持ちでやってきました。しかし、残された軍服や戦器の数々を見て、歴史として知っている戦争の事実が本やTVのニュースではなく本当にここで実際にあったことなのだと痛感しました。私の祖父は健在ですが、戦争に行ってきました。我々の繁栄が兵士の犠牲で成ったことを忘れてはならないと改めて感じています。


平成9年1月4日 R.B(タイ)

 13人のグループで、チェンマイから、観光スポットの調査で来ました。このクンユアム博物館はとても気になるところです。いろんな古い物と昔のことがここにはある。今、ほかでは見ることができないものです。歴史の勉強にもなり、昔の人の生き方などがわかりました。
 この博物館を作られた人に感謝します。これからの人々が勉強できるように、さらに充実した博物館になってほしい。


平成9年1月9日 W.K

 私は幸運にも今再び、クンヤムの部落を尋ねることが出来ました。旧日本軍がビルマ戦線で命令の二字により、インパール作戦に参加して日本軍及イギリス部隊との間に現代にまれに見る激戦をしいられ、お互いに殺し合いを演じた。最後は日本軍は悲惨な敗戦を、実に言葉では表しきれない想いがして、今でも時々其の時の夢を見ることが有ります。
 つい最近、ここクンヤム地区辺りが夢でありありと想い出が現れて、なんとも言えない実に悲惨な姿が当時のままに映って居りました。
 今後2度と、悪夢のような戦いは永久にしてはならない事を若い人々に。この地元の皆様にも、多分に迷惑をお掛けしましたここのお寺院の皆様、方々に対し心から感謝申し上げる想いでいっぱいです。今後共どうか、タイ国と日本が仲良く発展するよう心から念願します。


平成9年2月9日 G.P(タイ)

 11人でチョンブリー県からでバイクで来ました。クンユアム郡が、この博物館に展示されている古い物を大切にしてほしい。これからの人の勉強のために。


平成9年2月13日 S.Z(タイ)

 私Sと5人の警察の仲間です。展示されている、かつて使用された古い物を見ていたら胸が熱くなってきました。どうかこの博物館を大切にしてください。


平成9年2月25日 T.T

 メーホーンソンに洞くつ調査に来ました。時間に余裕ができたのでここに足を運んでみました。戦争を知らない世代の私にとってこの博物館はとても驚かされました。過去に日本がどんなことをしてきたのか、たいした知識もなくはずかしい気がしました。戦争を知るためにこういった博物館はとてもやくだつと思います。また19万人もの人がインパール作戦で死んでいると思うと戦争のこわさをしみじみと感じます。


平成9年2月27日 J.B(タイ)

 バンコクから8人で来ました。歴史の研究をしています。タイでは第二次世界大戦での歴史は多く発表されていませんが、ここでは日本軍が戦争で敗退した歴史が研究できます。この博物館を設立された方に感謝します。そして益々充実しますように。


平成9年3月3日 W.J(タイ)

 警察官です。メーホンソンから役所の友人と来ました。こういう戦争の博物館はとても珍しく貴重です。展示された品々はどれもとてもすばらしい。これからの人たちが、本当の歴史を知ることができる博物館ですね。設立された方に感謝します。これからもっと良い博物館になりますように。


平成9年12月11日 M.R.T(タイ・裁判官)

 今ゆっくりと見る時間がありませんが、展示されているものを見て、もっと勉強したいと思いました。また来ます。


平成9年12月24日 O.K

 二度と戦争が起きないことを祈っていく。この地に安らかに・・・。


平成9年12月25日 O.S (タイ)

 家族できました。地元の人が作ったということで感激です。展示されているものはどれも宝物みたいです。これからの人の勉強になりますね。


平成10年1月30日 A. (タイ)

 タイ人が歴史を大切にするならば、この博物館をさらに充実させて下さい。


平成10年1月30日 F.M 

 NO MORE WAR


平成10年1月30日 U.T

 ここにも来たの日本軍


平成10年2月2日 J. (タイ・陸軍将官)

 ここクンユアム戦争博物館に来ました。各種遺品等が集められた大切なところです。本当によく集めてくれました。この博物館を設立された、チェーチャイ・チョムタワット氏のご努力が感じられます。本当に良い事業をされました。今後の博物館の充実のために、タイと日本で仲良く協力してやって下さい。私も応援しています。


平成10年2月2日 T.C (タイ)

 感動しました。今まで見たことのない物が展示されている。チェーチャイ・チョムタワットさん、どうもありがとうございます。多くの人の勉強になります。これからもっといい博物館になりますように。


平成10年2月7日 N.O 

 悲痛の思いで戦友の安穏を祈る


平成10年2月17日 Y.A

 今、ここから見える平和でのどかな景色からは想像できない「戦争」の事実に胸がつまった。世界平和を願います。ずっとこの景色が守られますように。


平成10年8月10日 S.T

 初めてタイに来ました。私は戦後生まれで戦争を知りません。ここに来て軍服や武器を目の当りにしました。日本国外で日本人兵士達の姿を見て、第二次世界大戦の大きさを感じました。私たちや21世紀を担う子供達も戦争を知るべきだと思いました。うまく言葉がでてこないけど、ここに来た事を本当に良かったと思います。


平成10年8月12日 I.H

 いたましくも悲しい戦争を思い起こしました。私が6歳の時に終戦になりました。親の背に負われて”ショウイダン”による福岡県大牟田の空襲を、雲仙の麓から見た記憶があります。原爆の光も山越えにこの目で見た記憶があります。ここに来て、これよりもっとはるかマンダレーからこの地に向かって沢山の友を失いつつも逃れてきた人達の苦しみを想像すると涙が出ます。こんなむちゃな戦争を命令した人の心が解りません。


平成10年9月15日 I.T

 タイ人の友人がこの場所をおしえてくれました。メーホンソンから来ました。全然、何も知らないでここへ来て、とても深く考えなければならないと思いました。私は今22歳ですが、何かもっと、昔の戦争について知るべきこと、覚えておくべき事がある様に感じました。


平成10年10月27日 T

 道をたづねつつ、やっと来られました。心が重くなりますが、歴史の事実を見ることが日本のみらいには必要だと思います。私もまだ20代ですが、多くの若き日本人に来てほしいです。涙がとまらんでした。


平成11年2月12日 Y.A

 念願のメイホンソンの旅よろこんでいます。


平成11年2月18日 K.K

 メイホーンソンに初めて来て、学ぶことが多くありました。アジアにおいて、まだまだ知らない事が多く、これからもいろいろな所へ行きたいと思います。タイの方々に大変、お世話になりました。ありがとうございました。


平成11年4月19日 A.M

 世界に平和祈る


平成11年5月20日 T.T

 初めての海外旅行。学ぶことが多くありました。タイの方にお世話になっています。ありがとうございます。又、現在の日本は、このような若い兵士の命が犠牲となって形成されたことを思い知らされました。安らかにお眠り下さい。今の平和が続きますことを祈ります。このような記念館のおかげで、私たちは平和の大切さを再認識できました。人種の差別はありません。世界人類、皆、平和に・・・


平成11年5月20日 T.Y

 家族、友人、世界の皆がずっと平和に暮らしてゆける事を心から祈っています。現在ある平和も犠牲になられた方々がいらっしゃった事を忘れずに生きてゆこうと思います。上手には書けませんが、平和に感謝しています。そして、いつまでも・・・


平成11年8月7日 K.J

 今、私たちが平和に暮らしていけることの大切さを、忘れずにいたいと思います。


平成11年8月 日 S.Y

 I hope world will be pease. 日本の歴史の一つに触れることができ大変勉強になりました。


平成11年11月5日 O.M

 タイ人と結婚して12年の記念で訪れました。父は3年前に亡くなりましたが、きっとここへ訪れたかったと思います。日本人の皆さん戦争を忘れてはいけません!


平成11年11月18日 U.M

 ぐうぜんに訪れた旅行でこのような昔の傷跡にあい、改めて日本とタイの関係の深さを知りました。私は今、タイの方々に大変お世話になりながら生活をしています。これからも日タイの関係がよりよくなっていくことを願っています。


平成11年12月2日 T.N

 犠牲になられた方々のご冥福、心よりお祈り申し上げます。


平成11年12月28日 T.S

 カレン難民のボランティアをしているものですが、カレン人の老人に50年前の日本兵の話をよく聞かされます。話ではいい日本兵も、かなり残虐なことをした日本兵もいたようですが・・・そんな残虐なことをした日本兵を敗戦時、ビルマ兵から追われている時にかくまったのもかれらカレン人です。かなりの数2千、3千の敗残兵がカレンの村にかくまってもらい助かったそうです。くわしくは新聞記事(バンコク週報、12月)に投稿したので読んでください。今、残念なことに、このカレン難民を助けようとする日本の団体、NGO、政府機関はひとつもありません・・・


平成12年2月24日 M.T

 皆様やすらかにおねむりを今後も平和が続くように。


平成12年3月28日 K.K

 まちがいは2度と起こしてはならない。今さらながらにそう思いました。また、このような博物館を残してくださっているこの国・タイランドに深く感謝いたします。


平成12年4月11日 K.H

 メーホーソンへの往路に立寄る。日本人の多くの人々がここに眠る兵士達のことを知らずに過ごしています。安らかに眠られることをおいのりつつ・・・。


平成12年6月2日 N.A

 様々なことを考えさせられます。戦争という交渉手段を行ってはいけないと考えます。しかし乍ら、この地で亡くなった方々のご冥福を祈ります。


平成12年8月23日 K.M

 戦いは平和のためにさけられぬものなのでしょうか。武器の売買の無い世界にしたいものです。


平成12年8月24日 A.Y

 悲しい歴史を振り返り、これから友情と平和な世界を築くことを願う。


平成12年9月11日 T

 2回目の訪問です。だいぶショーケース等りっぱになりましたが、もっと日本人、タイ人、英語圏人がわかるようなてんじのしかたになればよいのにと思います。この戦争でなくなった総ての人の御冥福を祈りつつ。


平成12年9月11日 K.T

 初めてタイにきました。来てよかったです。Tさんに感謝。安らかに・・・・


平成12年9月12日 Y

一人一人の考え方が問題、しかし、人間は一人。


平成12年9月12日 A.Y

 皆様の御冥福を祈ります。世界が平和でありますように。


平成12年9月13日 A.M

 こんなに間近かで、遺物を見たのは初めてでした。タイのこの地に、この博物館があるという事は、この先多くの日本人がタイに来るような気がしてきます・・・。


平成12年11月2日 A

 私の父は運よく帰国出来ました。父の話の通りでした。未だにこの地の近くにて骨を見つけているとのことです。


平成12年11月24日 S.Y

 日々平和に暮らせる事への感謝と平和の尊さを肌で感じる事ができた旅。Nさんをはじめ、みなさんありがとうございました。


平成12年11月24日 I

 二度目の訪問。日本人が非常に少ないのは残念なことである。


平成12年11月24日 K

 日本とタイの友好関係(世界の平和)が永遠に続く様に。


平成13年8月24日 H>Y

 大変なことだったと思います。何とも云い様もありません。


平成13年10月1日 H.A

 安らかに眠ってください。日本に戻り、この場所のことを多くの人に広めていきたいと思います。


平成13年11月 日 K.T

 この様な戦争に人々を引きずり込んだバカ政治家(軍人)が2度と出ないように我々国民はしっかり政治を見張らなければならない。


平成13年12月30 日 T.M

 今回3回目になりますが、年々資料が増えていることに皆様の努力に頭が下がる思いです。


平成14年3月3日 I,T

 たくさんの人のお参りを祈ります。


平成14年7月6日 T.T

 ここにこの様な所がありおどろきです。


平成14年7月27日 K.T

 初めてお参りして涙が止まりません。望郷の思い遂に叶わぬまま戦没された多くの御霊よ、今は平和な日本はお陰様で繁栄しております。どうか安らかにお眠り下さい。



平成14年11月26日 J.(フィリピン)

 I was here with great honor to see the friendship built by Thai & Japanese during world war U.



平成14年11月26日 N.K

 批判はともあれ、ここで戦った日本人が17世紀から400年間に及ぶ、ヨーロッパ諸国のアジア植民地支配を打ち破り、アジア諸国独立をもたらしたのは確かです。


平成15年2月18日 T.T

 無念、日本に帰れず!


平成15年3月14日 S.M

 このような多くの若い兵士が、日本からはるかかなたのタイ、ビルマ国で命を落としたことは、本などを読んで知っていた。しかし、実物をこの目にしたとき、なにも言葉にならず、ただなけた。我々の今の生活は、このようなたくさんの命のぎせいの上に立っている。「忘れてはいけない!」


平成15年3月19日 S

 大変にすばらしい博物館を見学できたことに感謝します。戦争のない世界を構築したいものです。


平成15年7月22日 K.S

 戦死者の方々、安らかにお眠り下さい。タイ王国の皆様にお礼申し上げます。フィリピン、ルソン島で遺骨回収のお手伝いをしております。まだ、百万体の遺骨が東南アジアに未回収のまま眠っています。


平成15年7月31日 K.K

 昨日、日本から来た友人とチェンマイ―パイ―メーホンソンを車でドライブして、今日、ここへ来ました。パイ―メーホンソン間は獣道を日本軍が道をつくり進軍したときき、通ってみたかったのです。カーブの連続の約100km。私の車は息をあえがせながら頑張ってくれました。運転しながら、ここを兵隊さんたちが歩いたと思うと胸に迫るものがありました。国を離れ、家族を思い、どんな気持ちだったのでしょうか。今日は、この博物館を現地の警察署長さんが建設したと知り、また胸を打たれました。ランプーンで小さなホテルを開いております。ランプーンへお越しの際はお寄り下さい。


平成15年9月日 S.M

 初めての訪問ですが、感動しました。過去を知ることの大切さを思います。


平成15年9月日 N.Y

 チェンマイ〜5h、朝日新聞記事を見て訪問を決定しました。


平成15年10月9日 M.E

 朝日新聞に投稿されたタイ在住の方の声で当地を知りました。タイ国そして、地元のみな様に感謝を申し上げます。2ヶ月前の8月、北ボルネオのサンダカン〜ラナウ〜コタキナバルを訪問する機会がありました。厳しい状況が重なって見えます。皆様、どうか安らかにお眠り下さい。


平成15年11月16日 Y.

 私たちの今の繁栄は、祖父の世代の犠牲のおかげでなりたっていることを、今この地に来て実感しています。安らかに眠って下さい。


平成15年11月16日 N.K

 戦争は二度とおこしてはならない。イラクへの派兵も絶対許してはいけない。


平成16年1月日 T.S

 思いがけずタイ語の話せる友人とここに来ました。ここの館長さんは11才の頃、日本軍の方々と共に生活をされていたそうです。もし機会があればその頃のことを聞いてみて下さい。決して日本軍が残虐非道なことを繰り返していたわけではないことが分かるハズです。奥の毛布などもここの人達のために日本軍が残していったものだそうで、今でも使えると館長さんはおっしゃっていました。私はここに来て、直接現地の人と話すことによって始めて、戦中、戦後の日本に誇りを持つことが出来ました。今でもジャングルの奥に数多くの方々が眠っていると聞き、安らかに眠っておられることを深く念じます。



― つづく ―