日本兵士を讃える歌.
作詞作曲 マパオ村村民
日本語訳 古田中 勝彦
一、
父祖の時代より
今日の日まで
美しきマパオの村よ
いい知れぬ喜びと平和
永遠に忘れまじ
*合唱(繰り返し)
美しきマパオの丘に
日本兵来り戦えり
インパールの街目指して
願い果たせず
空しく去れり
二、
日本兵
マパオの丘に来る
それは四日の火曜日
一九四四年のことなりき
我は忘れじ四月のあの日
三、
罪なき民も散り散りに
西に東に追いやられ
再び神の恵を受け
集まり住まん
この地マパオに
四、
広島の悲報
勇者の胸をつらぬき
涙して去れる
日本の兵士よ
なべて無事なる帰国を
われ祈りてやまず
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インパールの北方18kmにあるマパオ村。インパール作戦で日本軍が、この地のイギリス軍を撃退して駐留した。日本軍は村人を保護した。そして、村人から食糧や衣服の支援を受けた。村人はインド独立の為に戦う日本軍の規律の厳格と、日本軍兵士の勇敢さを讃えて歌にした。今日に至るも歌い継がれている。
「日本兵士を讃える歌」は「日本会議」が製作した「自由アシアの栄光」で紹介されております。本HPでは、日本会議の了解を得てここに紹介させていただくものです。 |
鎮魂歌
勇敢なる日本のみ魂よ!
目覚めよ 目覚めよ 目覚めよ
君たちは戦った 勇敢にこの地で
我らの今日は、君達の血の上にたっている
勇敢なる日本のみ魂よ!
目覚めよ 目覚めよ 目覚めよ
君達を迎えに 我らは来た
君達の命は 我らの中に生きている
どこに眠っているのか いるのか!
目覚めよ 目覚めよ 目覚めよ
勇敢なる日本のみ魂よ
目覚めよ 目覚めよ 目覚めよ
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第一次ビルマ方面遺骨収集団が、訪印時。インパールの青年が自作詩を日本語で歌ってくれたもの。「勇士はここに眠れるか」全ビルマ戦友団体連絡協議会より。 |
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