新聞スクラップ

読売新聞 昭和16年11月14日

泰、国民に覚悟要望
今や戦争不可避
英米の強圧で中立危殆

【バンコク本社特電】(十二日発)泰国政府筋では来栖大使のアメリカ行には異常な関心を払うとともに他方ABCD陣営首脳の慌しい動きやチャーチル英首相の挑発的演説等に注目をあつめているが政府スポークスマンは十日夜ラジオを通じて政府は国民の冷静を保っために従来国際情勢は緊迫していないと報じていたが今や国民にその真相を報告し奮起と覚悟を要望せざるを得ない事態に到達したと前提して次の如き重大発表を行った 
「吾等にとって戦争は既に絶対不可避となった故に全国民に奮起して応戦準備を行い、勇敢な兵士と共に中立を最後まで守らねばならない、戦争は雨期の末か乾期の初めに発生すること疑いない、何故ならばその時期は戦争の好機会であるからである」 
伝統の中立政策の堅持に全運命をかけて来た泰国政府が遂に全国民に対し緊急事態発生の場合における応戦準備を要請するに至ったことは膨大なる包囲軍を擁する英米側の強圧的抱込工作の前にその堅持する中立政策が今や全く危殆に瀕しその向背を明確ならしめざるを得ざるに立到ったものとして極めて注目される、なお泰当局はこの応戦準備と共に国内臨戦態勢の確立を急ぎ、目下開会中の臨時議会秘密会においても重大危機到来の場合における政府権限の強化を要求、すでに可決されたといわれ、また政府は十日より一般国民に落下傘部隊に対する防禦作戦その他の軍事訓練を施すことになり、内務省より志願兵募集の布告を発した上当局が先頭に立って実施に努めている 
一方最近では東部国境以外にマレー国境一帯にも最近初めて軍隊動員を開始しており、国際情勢の深刻な動きと共に泰の動向はいよいよ注目されている 

大阪朝日新聞 昭和16年11月18日

英米の画策愈々急
泰政府危機を訴う

【バンコック特電十七日発】シンガポールを中心にビルマ、重慶、蘭印へと英米極東要人の往来は頻繁を極め、泰国の厳正中立を傾けんとするABCD陣営の策動急なるものあり、泰国の苦悩は正に深刻なるものがあるが、特にピブン首相の心痛は非常なもので十五日夜もラジオで政府スポークスマンをして「泰国の危機はいよいよ迫った、全国民よ、外国の策動に陥らぬよう戒心して厳正中立と泰国の名誉のため戦え、泰国をして道を誤たしめまいと肝胆をくだくピブン首相の心労を思え、首相はいまや一切の責を負って辞職の覚悟すらもっているのである」と語らせ国民の重大決意を要望した 

大阪朝日新聞 昭和16年11月25日

泰紙、国民を煽る

【バンコック特電二十四日発】最近泰政府は極力国民の神経鎮静につとめ政府を信頼し冷静に日米会談の成行を注目せよ、と宣伝しているが、当地の泰字新聞シークルンは『泰国はいまやすべての戦時体制を整えた、われらの軍備は仏印戦争のときに比較してはるかに絶大となっている、泰は外敵と断然戦うべきである』との強硬な社説を発表し国民の闘志をあおっている 

中外商業新報 昭和16年11月30日

泰新国防法案可決

【バンコック二十八日発同盟】泰国議会は二十七日非常事態に備えて新国防法案を満場一致可決したこれは泰に戦争が勃発した場合国土を七区に分ち各区指導の任にあたる者は開戦の結果がどうなろうとも最後の一人まで抗戦を継続する旨を決定したもので目下のところ各指導者には警視総監、旅団長、および飛行中隊長等がその任にあたることになっているが、これら指導者には強制労働の実施、貨車、武器弾薬および運搬に必要な動物等一切の徴発権、さらに外人工場の活動抑制およびニュースの検閲などを行う権限が委任されている 


泰、排外言動に警告

【バンコック二十八日発同盟】 
泰国政府スポークスマンは二十六日夜のラジオ放送に於て国民に対し外国人に対する非友誼的態度は慎むよう次の如く警告した 
現在各外国の放送局が猛烈に宣伝を行っているが、泰国民は泰国が空前の危機に直面しつつあるこの際斯る宣伝に乗ってはならぬ、対外人非友誼的言動は泰国民の少しの行過ぎが直ちに泰国を戦争に捲込む虞れがある、故に国民はこの際冷静沈着の態度を持し有事の時に備えねばならぬ 

大阪毎日新聞 昭和16年12月7日、昭和16年12月8日

泰国の近情 (上・下)
前盤谷特派員 青木真

(上) 苛烈な独英宣伝戦 中立保持に懊悩の態
南太平洋の風浪高くABCD陣徒らに防備強化に専念しつつある折柄、西のトルコにも匹敵すべき南洋唯一の独立国泰は今や中立保持に懸命の努力を払いつつある、由来泰国をめぐる各国のいわゆる勢力均衡によって辛くも存立を全うし来った同国としてはけだし当然の成行であろう、記者は最近まで泰国首都バンコックに在って親しく同国人に接し政府の苦慮するところをも詳さに目撃して来たのであるが、小国の中立政策堅持が果してその狙う独立保全に最も適応した安全な一本路であるか否かは暫く措くとして、泰政府の厳正中立維持に狂奔する状態はまことに悲壮であり真剣そのものであった 
泰国に危機迫るを感知した政府は、ピブン首相自ら陣頭に立って、あるいはラジオを通じ、あるいは新聞を通じて幾度か泰国の厳正中立を声明し、宗教団体、文化団体を動員して世界に平和促進を呼びかけ、また国民に向っては在留外人の機嫌を損ねざるよう平等の態度で接することを慫慂するなど、苦心惨憺たるものがあった 


各国の宣伝戦
殊に昨今泰政府をして最も懊悩せしめているものは、バンコックを中心とする各国の宣伝戦である、就中イギリスの宣伝は巧妙を極め、ラジオ、新聞は勿論パンフレット、映画等夥しい機密費をバックに縦横の活躍を続けており、第五列の暗躍また旺盛で特に辣腕の泰国人に目をつけ、個々に渡りをつけて引抜くといったやり方は相当の効果を挙げているが、更にこの間重慶を代表すると覚しきある支那人は、有力華僑間に食い込み、泰政府要人、英米人らの橋渡しを行っているなど、目に余る第五列の暗躍が続けられている 
次にドイツも相当この方面の宣伝に力を入れており、俄然泰国では独英宣伝戦が展開され、関係深き日本がむしろ圏外に在って傍観するといった奇現象を呈しているのである、ピブン首相たるもの憂鬱たらざるを得ないではないか 
首相はしばしば機会を捉え「各国の宣伝戦は泰の厳正中立に好ましからざる結果を齎す、宜しく自重されたい」と泣いて訴えているのも無理からぬことである、しからば日本、泰両国の関係はその後如何なる方向に進みつあるのであろうか 
今春来、日本の泰仏印調停による日泰親善が高潮に達した際、多くの邦人が泰国を訪れた、官吏あり、軍人あり、代議士、実業家その他大勢であったが、その多くは帰国してのち種々な印象を述べた、中に「親善々々と口にはいうが泰国では一向それらしいものを感じなかった」というような意見がかなり多く述べられている、この印象は必ずしも間違ってはいない、ただ泰国の国是を諒解せず、また知っていても根本的認識を欠いた結果に基因するのである 


タイの外交政策
泰国の外交政策は各国平等、平和親善と厳正中立を守って来たのであるが、実際問題としては必ずしも然らず、実力を有し厚意を示す国家群に対しては相当の親善ぷりを発揮したに拘らず、然らざる国家に対しては、特に冷眼視して来たのである、かかる国民的心理は小国の共通性であるが、但し親善といい反日と称するも、そこに一定の限度があることを見逃してはならない、これが大国であるならば、場合によっては宣戦を布告し、あるいはまた同盟を結ぶなど百パーセントの意思表示を行うことも可能であるが、小国としては僅かに親善の度合に伸縮性を持たせ僅かにこれを表明し得るに過ぎない、その程度は高潮に達して七割、最悪の場合といえども三割を下るを得ない程度のもので、つまり三割から七割の間を伸縮往来しているに過ぎない 


親善感の錯誤
これを具体的に説明すれば、本年四月東京において泰仏印平和条約仮調印が結ばれた時、泰国では全国津々浦々に至るまで日泰両国旗を三日間にわたり掲揚せしめたが、そのころ国民の日本に対する信頼と感謝感激は正に頂上と見られた、しかるにこれを客観的に見れば七割程度の親善度に達したに過ぎず、残り三割は英米への贈として残されていたのである、特定国へ百%の偏重は国家の存立をすら危くする惧れがあるからである 
かく観じ来れば泰国に対しては全幅の親善を期待すること自体既に不合理で、ここに親善感の錯誤を来したのであろう、本年七月下旬以来泰国の対日感情は次第に変化して行った、日軍の南仏印進駐以来一線を尽した如く判然と泰国人は日本人から遠ざかって行った、英米の悪宣伝もこれに拍車をかけ遂に当局者の中にも警戒の眼を光らして来た、泰のかかる豹変には日本の朝野も若干衝撃をうけたようであった 


タイ政府の変調
さらに側面から日泰外交その後の経過を眺めてみると泰政府の態度にも幾分変調を来した事実が推測される、たとえば今春当初から七月の末ごろに至るまで正直なところ泰政府に食入る英米外交のあの手この手は日本側に手に取る如く分っていた、英米仏の公使が某所に会合した、仏代理公使ガローはド・ゴール派に相違あるまいクロスビー英公使が外務大臣を叱りつけた、日本の調停を拒絶せよというのだ、かかる事実が次々と聞えて来た、従って日本側の打つ手は常に冴えを見せていた、いつも先手々々と打って行った、日本外交の勝利を謳ったのもこの頃のことである 
然るに昨今の情勢は記者の見る所では或はその頃の逆を行っているのではあるまいかと思われる、それかあらぬか頃来日本人の行動は逐一英米両国に伝達されるに至った 
大公使、武官らの要人はもちろん一会社の支配人、一新聞記者まで大官連と会談すると即日英米側は知悉していた、驚くべき情報網である 


盗まれる電信
情報戦は電報局にまでおよんで来た、平文で打つ新聞電報はもちろんマークされた差出人の電報はいつの間にかコピーを取られていた、イギリス公使館がこれを入手しているのである、電報局の技師が給料に数倍する手当を受けてぬくぬくと生活する態が見えるようではないか、これらのことはタイ国政府にも全然責任なしとはいえないのである、最近有力新聞の論調が日本に不利に傾いて来たこともここニ、三週間の現象であり、在住邦人の監視、警戒、住宅不貸勧告などで日本人の生活も以前の如く安逸なものではなくなったといった按配である、しからば英米人に対してはいかんと見るに彼らの多くは本国政府の意思に従い漸次避難を開始し、現在ではよほどその数を減じ来り、特に問題となるほどのことはないと思われる 


日泰悪化は尚早
しかし以上述べたところにより日泰関係は悪化の一途を辿りつつありと即断することはもとより危険である、泰国今日の政策は多分に非常時的自衛政策を講じてをり、表面の事態のみをもって判断することは正鵠を得ない、これを一言にして尽くせば日泰関係は依然親善を保っており、友邦国たるに何の変りなしということが出来よう、南泰の特産物ゴムをはじめシャム米などどしどし包囲陣を突破しつつあるのがその一つの証拠である(つづく) 


(下) 対日包囲陣の要衝 有事の際の妙手如何

目まぐるしい外交戦
泰国をめぐる国際情勢が急展開を示して来て昨今かなりの目まぐるしさを見せている、特に日本軍の南仏印進駐以来は一層その複雑性を増して来たかの感がある、今少しくこの方面の国際外交戦を検討して見ることにしよう、昭和十四年春シンガポールにおいては英仏軍事会談が行われたが、右は英仏が同盟国として日本の南進を阻止せんとする、いわゆる南太平洋防衛会議であったことはまだ読者の記憶に新たなところであろう、爾来ニ年有半、現在の仏印は日本と提携せんとしつつあり、有為転変は世の習いとはいえ、何人かよくかかる推移を予見し得たものがあろう、ここにおいてかイギリスは米に頼り蘭印を誘い、重慶を使□して、いうところのABCD陣を結成、得意の包囲陣形を形成するに至った、このABCD陣営の真只中に介在して、あくまで中立を守らんとするのが、すなわち泰国の現状である、これを軍略上の見地から眺むれば、イギリスにとり泰を自己の陣営に参加せしむるか否かは重大な影響を及ぼすのである、もし引入れに成功すれば対日包囲陣形はまさに完璧を誇るに足り、逆にこれを日仏印陣営に追い込むとすれば得意の包囲陣形の一リングを喪失する結果となるのである、立場を変え日本が泰をして日仏印共同防衛陣に参するを得せしむるならばABCD陣営は脇腹に□□を突きつけられた形で、少からず脅威を感ずることになるであろう、そこでイギリスなど泰国誘引に大量の外交戦を始めたわけで泰が俄然世界の視聴を集めるに至ったゆえんでもある、かくて泰国政府は悲壮な決意をもって厳正中立に狂奔している間に、変転極まりなき世界の桧舞台は幾転回ついこの間まで他人事の如く考えられていた中立小国の危機が早くも今は自国を襲う結果となり、難局突破に邁進せざるを得なくなったのが現状である 


泰国の国内事情
さてこの機会に少しく泰の国内事情に触れて見よう、トルコの運命に酷似する泰国の首相ルアン・ビブン大将は、また往年トルコの名将ケマル・バシヤに髣髴たるものがあるのも何かの因縁であろうかここ三、四年間に示した驚くべき国力の発展、ナショナリズムの勃興、多方面にわたる愛国運動、青年運動、軍隊の革新、政治経済機構の改革、世紀にわたる因襲を打破して国民生活の様式改善を断行し、さらに産業を起し土木事業を盛にするなど、大胆なる□□を行って今日の隆昌に導いたピブン首相の功績は、実に偉大にしてケマル・バシヤにも比すべきであろう、記者は五年前のシャムと今日の泰とを比較対照し、隔世の観あり、うたた今昔の感に堪えぬものがあった 
余談であるが、当時、シャムには三つの代表的言葉があり、よくシャム人の性格を表現し得て余りがあった、その一はサヌーク、そのニはランバーグ、その三はメベンライという、すなわちサヌークは享楽を意味し、人生享楽の南洋人一流の人生観である、怠惰でお洒落でただ娯楽を追うのが彼らの日常生活であった、ランバーグは不可能を意味し如何なる仕事をさせても「面倒臭くて出来ぬ」というのである、簡単な統計一つ取るのに数箇月を要した記者の経験はかかる内情を実証するに十分であった、メペンライは「気にかけるな」の意味で「仕方がないから放って置け」といった捨鉢的な気持を指すのである 
かかる南洋人の通癖は泰国人にも十二分に見られるが、特に上層階級、官吏、軍人などにも多く見受けられ、外人間の諺に「シャムで閲覧するものはまず忍耐を、次いで商品を積んで行くべきだ」などといわるるも宜なるかなである、しかし今日はシャム時代とは全く異なった青春泰を見ることが出来た、生々した青年、勤勉な労働者、健康美の女学生、国民全般の生活向上が判然看取されたが、この国民の意気こそ失地を回復せしめた原動力となったのであろう、もちろんピブン首相の大改革にも、中には行過ぎた噴飯ものもなきにしもあらず、例えばピブン首相が兵士に勲章を授与した際、一人一人にフランス式接吻を与えたことがあったが、熱帯国の兵士は顔中汗と脂だらけであった、無帽の婦人は電車から、バスから、あるいはマーケットから立入りを禁止されてしまったが、泰には一ヶ月の収入を棒に振って一個の帽子を求める婦人が激増したということである、手袋を強要されて、ある婦人は「今に政府は外套を着よと命令するでしょうよ、冬もない国だのに」と揶揄したことを覚えている、しかし泰人は根気く我慢している、すべての批評を避け遠慮してひたすら政府の方針に副い、困難突破の覚悟を決めているのは頼もしいほどだ 


いかなる妙手ありや
美しく健康に、しかして勤勉になった泰国を観て私は感嘆久しうして驚きの眼を瞠ったものである、平和なるべき白象の国、黄衣の都も、今や虎視眈々たる南方の虎に不断の脅威を与えられつつある、軍事資材たる錫、ゴムを始め鎮農産物を包蔵する南方資源の中心地ハジャイ・シンゴラは南方の国境より僅か七八時間の進撃距離にあり坦々たるアスファルト路をもって連繋されている、米、チークの産地北方の都チェンマイはまたビルマ国境より一日の行程にあり、かくて南北重要資源地域は最も多くの危険に曝されつつあるのだ 
しかも泰の運命を決するものは、もはや局限された地方的諸事件ではない、ワシントン会談や独ソ戦争の一進一退がそのまま反映するのであって、東条首相の演説、ヒットラー総統の獅子吼に一々若き胸を痛めるのもまたやむなきことである、今回の大戦は下手に中立を守ること自体が如何に危険であるかを幾多の実例をもって数えている、泰国は「第一侵略国は敵であり、第二侵略国は味方である」とのモットーの下に焦土抗戦を決意しているが、一朝有事の際果していかなる妙手を打ち得るであろうか、賢明なる泰よ、宣伝に迷わされることなく、判断を誤ることなく、一路東亜の共栄に向って驀進せんことを希望してやまないのである 


大阪毎日新聞 昭和16年12月18日

"今ぞアジヤ再建へ"

ピブン泰首相公式放送

【バンコック本社特電十七日発】タイ国政府は十六日夜ラジオを通じてはじめて公式に東亜新秩序の建設について放送したが、これはタイ国ナショナリズムの重大な転機を意味するものとして国民の間に非常な注意を喚起した。すなわち右放送は「日、タイ両国一致協力して東亜の新秩序建設に邁進し得るを喜び、同時にタイ国の繁栄を衷心祈っている」という東条首相のピプン首相にあてた書翰を取上げ 
タイ国民は日本の真意を諒解することができた、大東亜戦争は単に日本の対米英戦争ではないアジヤの戦争である、今やわれわれのアジヤを再建すべき新しい段階に到達した 
と叫んでいる、タイのナショナリズムの発祥は一九三二年革命成功の当時に遡るがついに仏国の対独敗戦によって仏印における失地回復運動となって爆発し今また日本の決起によって日本の提唱せる東亜共栄圏への協力となったものである 


米英の圧迫打破 切々・チャ内相の諭告
【バンコック本社特電十六日発】チャヴェンサック泰国内相は十六日全タイ国民に対して左の諭告を発した 

われわれはタイ国家興隆のために生きねばならぬ、働かねばならぬ、しかも果敢に行動しなければならぬ、この重大時機を乗切るためには全タイ国民は政府と足並を揃えて断乎とした行動をとらねばならぬ、過去をふりかえってみよう、最近には仏印と武器を執って戦わねばならなかったが、日本の強力な援助によって失地を回復し得た、遠い昔から日、タイ間にはただの一度として不愉快な思い出を残したというべきなんらの記憶もない、タイの国土は次第に小さくなって来ている、これは一体どこの国の仕事であったか、今さらいうまでもない、彼ら列国の間で条約まで結んだメナム河を国境としてわがタイ国を分割しようとしたのではないか、タイは今まで堂々独立国家として自由に存在して来た、これまでになぜわれわれは欧米諸国に与えたような親善を日本に対して与えなかったのであろうか、これはよく考えてみると実に巧みな米英第五列の宣伝のためであるわれわれは彼らに欺かれてはならぬ、いま日本は全東亜民族を英米から解放するために戦っている、しかも日本はかつてのわがタイ国の土地にあって戦っているのだ、タイは今この機会を逸することなく立上らねばならぬ、そして米英の奴隷的圧迫を打破するために戦わねばならぬ 

大阪朝日新聞 昭和17年4月3日

「頭」こそ絶対神聖
王様にも礼をせぬ僧の権威

泰の性格 田村大佐放送

前駐泰大使館附武官陸軍大佐田村浩氏は四日午後八時より「泰国最近の情勢」についてAKより放送、日本と攻守同盟を締結した前後の事情、最近の同国の政情、泰国人の特性、ビプン首相の人なり、泰国軍などを詳述したのち日本人が泰人に対する態度について次の如く述べた 

泰国人は面子を非常に重んじる、ゆえに彼らに接するにはその体面を傷つけぬように注意せねばならぬ、小さいことではあるがたとい低い身分の泰国人に対しても衆人の面前で口汚く罵ることは避くべきである、また泰国人は深い仏教徒であるから仏様に対して不敬になるようなことをしてはならない、仏像や僧侶を大切に取扱うことが必要である、僧侶は王様や貴族に対しても絶対に頭をさげることをしないし礼をすることもない、これが小乗仏教の習わしであってそれくらい僧侶は権威を有しているまた泰人に体罰を加えることは屈辱を加えることになる日本人は一寸したことですぐ他人の頭や頬っぺたをはることがあるが、これは泰人に対しては絶対にいけないことである、殊に泰人は頭は最も神聖なるものとして宗教的信念をもっている可愛いからといって小さな子供の頭を撫でることも避けた方がよろしい、また泰人がてきぱき返事をしないからといってむきになってはいけない、明瞭に「ノー」ということを彼らはいわない癖がある 

東京朝日新聞 昭和17年6月12日

タイ経済はタイ人で
外人に二十七種の職業閉出し

【バンコック特電十一日発】タイ国経済をタイ国人の手へ最近タイ国内に熾烈化しつつある国民主義の一つの現われとしてタイ国政府は今般二十七種の職業についてはタイ人以外の従業を一切禁止した、現にこの種の職業に従事している外国人は今後弁護士、理髪師の一箇年を除いてはいずれも僅か向う九十日の営業継続が許されるに過ぎない、今回外国人に禁止した職業の主なものはつぎのごときものである 
仏像の製作鋳造、薪、木炭、金属容器、松明、煉瓦などの製造販売、最近服装令でやかましい婦人帽の製造、婦人服裁縫師、籠、什器、漆器、タイ彫り、タイ文字植字工、花火、人形玩具、傘の製造、弁護士、理髪師 

大阪朝日新聞 昭和17年7月9日

ピブン首相炭屋さんを開業
働くお手本をまず示す

【バンコック特電八日発】国民の先登に立って泰国の強化に采配をふるうピブン首相がこのほど自ら木炭商を開業して国民に真黒になって働くお手本を示した、この「首相木炭開業」の経緯はこうだ 
去る六月十日泰国政府は「外国人の職業独占に関する勅令」を出して二十七種目にわたる各種職業について三ケ月乃至一ケ年の余裕を与えて外国人の営業を禁止することになった、これにより甚大な影響をうけるものは何といっても泰国の経済界を牛耳っていた華僑である、泰国籍を持たない華僑のなかには早くも永年やって来た職業を止めて転業を考慮したり、あるいはすでに転業したものもあるといった状態で、このため市場は各種物資の不足を告げる有様であるが、わけても木炭商の八割を占める華僑の動揺は甚だしく、最近市中から木炭が姿を消し木炭不足は市民の生活にひしひしと迫って来た 
泰人が華僑に代って木炭の商売に当らねばならなくなった現在、泰人木炭商のお手本を示し、また木炭不足を何とかして緩和しようとピブン首相自らこの商売に乗り出したものである、既に泰木材会社より全国各地に木材の集中を命ずる傍ら首相官邸付近で商売をはじめたのであるが、きびしい国民主義運動の実践によって「泰人の泰」建設をめざして変貌する再興泰の宰相を物語る一齣である=写真はピブン首相