【珍スポ観光 File018】

神秘珍々ニコニコ園(埼玉県)

(その5)

いつでも行けると思うとなかなか行かないのが私の悪い癖で、それから結構長い間、この新しくなった「神秘珍々ニコニコ園」に足を向けることはありませんでした。しかし、その間もいろいろ「神秘珍々ニコニコ園」とそのオーナーについての情報は集めていたので、ここで簡単に紹介しておきましょう(案内をしてくれたオーナー自身から後で聞いた話も入っています)。

説明をとばす

このニコニコ園の園主は橋本保久さんといって(ただし、入場チケットを見ると園主は橋本清子さんになっており、このへんがどういった関係になっていたのかは確認し損ねました)、高坂駅前の高坂不動産や、ニコニコ園に併設されたペット霊園も経営していました。ちなみに生まれは大正9年とのことです。

橋本氏は、戦時中は海軍に所属していたのですが、肺結核の疑いで帰国させられたため、運良く同じ隊の仲間が皆戦死した中で一人生き残ることができました。戦後は材木商として成功し、本当かどうかは知りませんが当時の金で30億円は儲けたそうです(そのうち2〜3億円は女に使ってしまったという話も聞かされました)。

その当時、売り物にならず山積みとなっていた材木を使って、このニコニコ園の彫刻は作られています。作者はもちろん橋本氏で、彫刻については当時つきあいのあった銘木屋から教わったそうです。

材木を売って莫大な利益をあげた橋本氏は、その後市内にヘルスセンターを開いたり、モーテルを経営したりしますが、うまくいかず次第に財産を食いつぶし、最終的に不動産業を営むことになりました(ペット霊園は副業だったようです)。

橋本氏が彫刻を作るようになったきっかけは、息子さんから集めておいた材木を「オヤジが死んでから燃やすのがたいへんだ」と言われたため、という話と、神木で儲けた罰として金縛りに遭うようになったのでそれを解くため、という話、後ほどで説明する「楠を切ったら龍の姿が出てきた」ため、という話があるのですが、どれが真実なのかはわかりません(すべて正解、あるいはどれも作り話という可能性もあります)。

ここを訪れた人たちの多くは「川を渡ってしまった人」によって作られた世界、という印象を受けるようです(まあ、私も最初はそう思ったので、無理もないんですが……)。しかし橋本氏について調べ、その話を聞いてみると、実は向こう岸にいってしまっている訳ではなく、氏のエンターテイメント精神からくる、過剰な演出という部分が結構あるんではないかという気がしてきました(ただそれだけで全て説明できるかというと、ちょっと難しい部分もあります……)。

 

田園に現れたニコニコの文字

さて、私が重い腰をあげ、リニューアルオープンした「神秘珍々ニコニコ園」をようやく訪れたのは1995年の10月に入ってのことでした。

久しぶりだったため道を1本間違えて曲がってしまったところ、田んぼの向こうに巨大な「ニコニコ」という看板を発見! 看板の後ろにずらーっと並んでいるのは市販の物置に見えますが……。

 

神秘珍々ニコニコ園入口

気を取り直して北側の門にまわります。以前は写真右手の庭の方から入るようになっていたのですけれど、今はこちらの門から入るようです。

あ、ちなみにこの向かい側の駐車場には、後に「外園」と称して、切り株などを利用したエロ怪人オブジェ(他に言いようがないでしょう)がたくさん展示されることになるのですが、この時点ではまだ駐車場と書かれた切り株が立っている程度で、何もありませんでした。

 

なぜか黒丸

「老若男女いこいの●」となっています。「●」は「場」なんですが、なぜ消されているのでしょう?しかも黒で消してあるので、なんとはなしに不吉な印象を与えてしまっています。

 

風神雷神

この門は「風雲悪龍出現楠門」という名前だそうで、門には風神雷神の彫刻が施されていました。

 

楠の木門の謂われ

門の裏側に書かれていた説明文。これだけ読んでもいまいち意味がわからないと思いますのでちょっと長くなりますが補足しておきましょう。

説明をとばす

細部が違っているかもしれませんが、だいたい以下のような謂われがあるそうです。

四百年ほど昔、川越に悪い龍がおり、天海大僧上という偉いお坊さんが川越城主松平氏に命じて その龍を伊佐沼に封じ込めました。封じ込められた龍は川を伝って逃げ、とある寺にあった楠を登っていったそうです。……と、ここまでは伝説なのですが、ここからはニコニコ園オーナーの橋本氏の体験談になります。

キティ台風が上陸したとき(1949年ですね)、この伝説が伝わる寺も大きな被害を受け、問題の楠を含めたくさんの木々(主に杉だったようです)が倒れてしまいました。前述のように当時材木商をしていた橋本氏は、その倒れた木を手に入れてひと儲けしようと考え、寺へ向かったのですが、到着した氏を待ち構えていたのは一人の老人でした。

その老人は、橋本氏が来ることは前からわかっていたと不思議なことを言い、先ほどの龍の伝説と、どれがその楠であるかを教えた後、いつのまにか姿を消してしまったそうです。ただ、ぬかるんだ地面に人間とは思えない足跡が残っており、その跡をたどっていくと、塚の横に開いた水のたまった穴で消えていたというのです。

後日、引き取ったもののデコボコで商品にはならなかった楠を切ったところ、驚いたことに中から龍の頭そっくりの形が現れた………というのがこの話です(これが橋本氏が彫刻に執着するようになったきっかけのひとつであるというのですが……。ちなみに、この龍の頭というのは確か園内に展示されていた記憶があるのですが、写真が見つかりませんでした。撮らなかったのかなぁ?)。

門の風神雷神はその楠を使って彫ったもので、さらに門自体は台風で壊れた寺の廃材を利用したのだそうです。


 

受付

受付(物置ですね)には、怪しげなキャッチコピー(「歌」?)がマジックで殴り書きされてます! 
ふぬけたコピーを書いているコピーライターや編集者はこれを見て勉強してほしいものです。

当時、橋本氏はこれらの「歌」(?)を集めて本を出版したいと言っていましたが、その後その夢は実現したようです。1998年に『浮世人生お笑い道中歌壇』という本を、創栄出版という会社から出しています。

中は「人生お笑い道中浮き浮き歌壇」「神秘珍々ニコニコ園」「コレガ浮世と云ふものだ」の三章からなり、

「モーダメよ 早くワタシを 救ってよ 助け舟ない アルはドロ舟」

「竿折れた 間もなく瀧だ 助ケテー 俺もドロ舟 今沈むトコ」

とか

「馬がアレ するのを見てきた 若妻が 主のチン見て アラチイチャイワ」

といった、ひねりもなにもないトホホな歌が延々と収められています。

 

入場券

こちらは入場券です。「武蔵野博美館」の入場券と比べてみてください。アンケートの質問と回答がかみ合っていない……というか質問にすらなっていません! 「この園はもっとこんな具合。」って、答えようがないですよね。この辺がエンターテイメント精神だとか言っても、かばいきれない部分なんですが……。

前述のように、園長は「橋本清子」さんになっています。皆の認識と同じく、私はてっきり「橋本保久」さんが園長だと思っていたんですけれど?

※その後入手した先述の『浮世人生お笑い道中歌壇』の奥付部分をチェックすると、「橋本清子」さんがペット霊園と共にニコニコ園の園長を務めていると書かれていました。ちなみに橋本保久氏は「武蔵野神秘ニコニコ園」(えっ、そういう名前!?)の「制作者」となっています。

ちょっと話はずれますが、この本で経歴をチェックしていたら、廃墟マニアに有名な「H松山遊園地」も橋本氏がやっていたと書かれているのを発見。噂は聞いていたのですが、その出どころはここだったんですね。

 

樹内観音

受付隣からすぐに不思議時空に突入です!
ここで一番問題なのは出現した樹内観音というのが、どこの部分なのかわからない点ですね。

 

帽子の女性

なつかしい受付の女性に再会できました。橋本氏によると、園内の女性像の多くは、氏がおつきあいしていた女性たちをモデルにしているとのことですが、リップサービスの可能性もあり、本当のところはわかりません。

 

(続く)


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