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故・中原利郎先生

中原利郎先生の過労死裁判は2010年7月8日最高裁判所で和解が成立しました
長年の力強い御支援ありがとうございました。

原告中原のり子さんからのメッセージなど 故・中原利郎先生略歴、写真など 支援する会の会則・入会案内など 裁判と支援運動のこれまで 書籍・雑誌記事など 支援・応援・激励の声々
リンク 最終更新日  2011/05/29
中原過労死事件とは 

都内の病院に勤務していた小児科医・中原利郎先生は過重労働による過労から欝病を発症し、1999年8月16日、病院屋上から飛び降りて亡くなりました。享年44歳でした。
遺族は中原先生の死が労災であることの認定と、それに関する病院の責任を問い、裁判を提起。東京地裁で、過労による労災であることは認められ判決が確定しました。しかし病院の責任は地裁、高裁とも認めなかったため、遺族は最高裁に上告受理申立をして争いました。
最高裁は「我が国におけるより良い医療を実現するとの観点から」双方に和解を勧告。2010年7月8日、和解が成立しました。


2010.7.8和解詳報
和解条項へ
原告・中原のり子さんの声明へ
原告・千葉智子さんの声明へ
原告弁護団の声明へ
「支援する会」会長の声明へ
記者会見詳報



「小児科医中原利郎先生の過労死認定を支援する会」 とは


中原過労死事件の原告を支援し、中原利郎先生の死が過労による労災死であったことを認めさせること、そのことを通じて日本の医療現場の改善に寄与することを目的に、2003年8月に発足。
事件が和解をもって終結したことに伴い、2010年末を以て7年余にわたった活動を終了し、解散しました。




連絡先

「小児科医師中原利郎先生の過労死認定を支援する会」事務局
(「中原支援の会」と略記も可)
〒104-0033
東京都中央区新川1-11-6 中原ビル

TEL:090-6133-0090  

FAX:03-3552-2888


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このサイトについて


「小児科医中原利郎先生の過労死認定を支援する会」は、2010年末をもって活動を終了しました。
このサイトが支援運動に果たした役割も終わったわけです。

しかし、いつどこで過労死が起きても不思議ではない
勤務医の過酷な状況は、決して終わっていません。
医療以外の労働現場でも、過労死は後を絶ちません。

裁判と支援運動の記録として、このサイトが、
現在、そして将来、同じ問題に取り組む方々にとって、
少しでも役に立ち、参考になるものであればと願っています。

2011.5.29
■最終更新情報■
下記記事を「資料集」のページに掲載しました。
弁護団、原告当事者の最終総括的な内容です。ぜひお読みください。

・「小児科医過労死認定訴訟・弁護士が語る」:「法学セミナー」2011.3月号に掲載。中原裁判弁護団・弘中弁護士執筆
・「一人では闘えないときもある」:「Jamic Journal」2011.3月号掲載。中原のり子さん談話
・「小児科医過労死事件、最高裁で和解終結」:「まなぶ」2011.3月号掲載。中原のり子さん執筆
・「家族の会統一行動に参加して」:「全国過労死を考える家族の会ニュース」2011.1.7号掲載。中原のり子さん執筆
サイト全体の内容
それぞれの内容は、タイトル、または同じタイトルを記したページ上部のバナーをクリックして御覧ください

<タイトル> 内容
遺族から 中原利郎医師の妻・のり子さんからの折々のメッセージ、講演記録などを掲載
故人のこと 故・中原利郎医師の略歴、事件の経緯、写真アルバムなどを掲載
支援する会 「小児科医師中原利郎先生の過労死認定を支援する会」の会長挨拶、役員名簿、入会案内等を掲載
あゆみ 裁判と支援運動の動きを年表形式で掲載
資料集 東京地裁、東京高裁の判決、最高裁での和解条項、事件を取り上げた書籍一覧、事件を取り上げた雑誌記事、関係者が執筆した雑誌記事等を掲載
応援メッセージ 署名運動を呼びかけた31人からのメッセージと、東京高裁判決を批判し最高裁に公正な判断を求めた全国356人からのメッセージを掲載
リンク 関係諸団体などのサイトへのリンク
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