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小児科医師中原利郎先生の過労死認定を支援する会
記者会見詳報 2010.7.8・司法記者クラブ

1.はじめに:川人博弁護士
・配布資料説明
・出席者紹介
・午後3時から第二小法廷で和解の事実を報告


左から
川人 博弁護士
中原 のり子さん
千葉 智子さん
岩崎 政孝弁護士
弘中 絵里弁護士
2.経過説明:岩崎政孝弁護士

下記配布資料に基づき、これまでの訴訟の流れを解説し、和解への経緯を説明。
今回の和解は「きわめて異例の展開」であると解説した。
弁護団による会見配布資料へ

続いて下記に示す今回の和解の内容について具体的に説明。
和解条項へ

遺族が「小児科医の過重な勤務条件の改善、労基法等の法規を遵守した職場の確立、医師の心身の健康が守られる保健体制の整備を非常に強く願ってこの裁判を起こした」ことが確認されている。その上で裁判所は、「より良い医療を実現する」との観点からこの和解を勧告した、との趣旨が明確に記述されている。それがこの和解の特徴であり、ここに「大きな意義がある」と述べた。
2.弁護団声明:弘中絵里子弁護士

下記弁護団声明を読み上げて和解の意義を評価した。
弁護団声明へ
3.原告コメント:中原のり子さん

「初めて最高裁に入った時は、無機質で冷たい印象を受けた。しかし今日の和解の部屋は良い雰囲気で、特に和解が成立した後、私たちの主任弁護士が相手方の主任弁護士と握手して終了したことをお伝えしたい。そして私ども原告も、先ほど控え室で私たちの弁護団と握手をし、長い間お世話になった感謝の気持ちを伝えた」と前おきし、下記声明を、アドリブもまじえて読み上げた。

中原のり子さん声明へ
4.原告コメント:千葉智子さん
下記声明を読み上げた。

千葉智子さん声明へ

5.質疑応答(以下敬称略)

和解はいつ行われたのか?
 川人 「実質的な面では、3月に裁判所から和解に関する話し合いの場を持たないか、という話が双方にあり、3月以後和解についての話し合いがこれまで数ヶ月続いてきた。最高裁の手続き上は、そうした準備手続きを経て、本日正式な和解勧告をし、本日和解が成立した、ということになると思う。最高裁でこうしたケースは稀なので、異例な手続きではあるが、実質的には3月以後斡旋の場がもたれ、話し合いが行われてきた。

―和解をどう評価するか?
 川人 「さきほど岩崎弁護士から説明したとおり、額面通りに受け取っている。最高裁としてはこの事件を非常に重要な事件として受け止めたのだろうと思う。つまりこの裁判を、中原医師の死を巡る単なる労使間の争いというよりも、日本の医療制度の改善という大きな視野で裁判所がとらえた。和解条項の前文にもあるように、『我が国におけるより良い医療を実現する』ためには、本件で医療機関と御遺族側が和解することが重要である、という裁判所側の意向が強く伝わってきた。それは準備段階でもそうであったし、今日の主任裁判官の言葉からも強く感じた。これだけ多くの方々が注目する事件で、なおかつ大きな社会的意味をもっている事件なので、最高裁として日本の医療をより良いものにしていく、という意味で裁判所が積極的に労をとって双方に斡旋し、努力をされてきた。そして今日最終的にきちんとした形で和解が成立した。そういう意味で最高裁のこの件に対する取り組みに対しては弁護団としても高く評価している」

―中原さんは、最初に和解の話を聞いた時は驚いた、ということだったが、それから数ヶ月を経て、どういう思いで今日を迎えたのか?
 中原 「裁判を長びかせるよりは、夫の思いを皆さんに伝えることができた、一区切りがついた、という思いだ」

―「よりよい医療を実現するために」というような文が和解の前文として記載される例は、どれくらいあるか?
 川人 「ほとんど無いといって良いと思う。たとえば薬害エイズ事件のように集団的な、国家政策に関わるような訴訟で裁判所が和解勧告をする際には、その趣旨を提示することはある。しかし私の理解する範囲では、一事件、集団訴訟でない一事件で、最高裁が、より良い医療を実現するために重要だということまではっきり明示して双方に和解による解決を斡旋したというのは、きわめて異例のことだと思う。今日本の医療は改善を求められている、それに対して医療機関側も遺族側も努力してほしい、という期待を裁判所は込めていたのだと思う」

―裁判長からはどんな言葉があったのか?
 川人 「和解条項の言葉どおりだった。その前後に多少アドリブ的なものはあったと思うが・・・」

―小児科医の労働環境は現在はどうなっているのか?
 千葉 「私が現在置かれている環境について言うと、当直は月に6回から7回。普通の日本の小児科医師が置かれている状況は、朝の8時半か9時から日勤が始まり、その後夜通しで当直勤務を行い、当直勤務中は小児救急なので軽症から重症の患者さんまで混じってくる状況でほとんど眠れない夜を過ごし、次の日も働く、というのがほとんどの日本の医師の実際の環境だ。私自身は夜間の勤務があった時には、その前の日の日勤勤務は、ある時と無い時があるが、夕方5時から翌日9時までの夜間救急を担ったらその朝でオフというシステムがある小児科で働いている。システムとしては朝で業務を終えられることになっているので、オン・オフをしっかり分けた働き方ができるという意味では恵まれた環境にあるか、と思う。しかしそれでも週に複数回の当直があると、育児と医師として業務を両立させている身には、疲労が蓄積した状態で次の当直勤務に臨まなければいけないという状況だ」
 中原 「夫が亡くなったのは11年前だが、今も変わらず同じ状況だ。それも小児科だけでなく内科、外科など総ての科の医療者たちが大変厳しい思いをして日々患者さんたちのために生活していると思う。まず、うちが労災がなかなか認められなかった、8年もかかったというのは、当直が労働時間ではない、という言葉を受けて、当直勤務の過重性というものをわかってもらうという努力をしてきた。労災は認められたが、労基法違反であったということは言われていない。死ぬほどつらい思いをして働くような労働環境は、絶対に労基法に反していると思う。これは11年前も今も、何か政治・行政の働きかけが無いと解決していかないと思う。私たちが救済されただけでは、何も変わらない、ということを訴えたい」
 川人 「裁判レベルで言うと、私たちが把握している範囲では、医師の中でも外科医、産婦人科医、小児科医、麻酔科医、これらの方々の過労死、過労障害が多い。現在も特にこういった専門科の医師の事案が行政段階あるいは裁判で継続している。中原さんの裁判を通じて全国的に医師の過労死問題、過重労働について警鐘がうち鳴らされたが、率直なところ、労働環境にこの数年大きな変化があったかといえば、私たちが把握する範囲ではそうは思えない」

―千葉さんが小児科医になろうと思ったのは父親の影響なのか?
 千葉 「父親は私が医師になること自体に大反対で、反対したまま亡くなった。私が実際に小児科をやりたいと思うようになったのは、母校の小児科教授であった故・飯倉洋治先生の『小児には発達があり、未来があり、病気が治る可能性がある』という言葉で、父が何のために命を削ってがんばっていたのかを実感し、その言葉で私も子どもたちの未来をつくってあげられるような小児科医になりたい、と思ったのがきっかけだ」

―自分が子どもを育てながら小児科医として働いてみて、今改めて思うことは?
 千葉 「医師は、命を救おう、という気持ちで医師になっている人が多いと思う。自分が疲れていたり、つらかったりしても、なかなか自分から声を挙げて『自分は今つらい』『仕事ができない』ということを訴えることができるような性格ではない人が多いと思う。それでがんばり過ぎることが、燃え尽きにつながり、患者さんを自分のことよりも大切に思っているような医師が、医師としての仕事を続けていかれなくなるような現実がある。そうした医師を大事にする社会。そして医師自身も、自分が燃えて尽きてしまったら患者さんにいい医療を提供できなくなってしまうということを自覚して、自分の健康管理をしていく、という積極的な姿勢が求められてくるのかな、と思う」

―これからも小児科医を続けていくつもりか?
 千葉 「はい。これからも小児科医を続けていきたいと思います」

―最後に何か?
 川人 「医師の過労に関しては、私が担当しているだけで、東京地裁で現在3件。外科、産婦人科、、麻酔科の方々の裁判が係属している。全国的にみれば相当数の裁判あるいは行政段階の事案がある。可能なものについては取材に協力していきたいので、よろしくお願いしたい。
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