トップ 小児科医師中原利郎先生の過労死認定を支援する会 |
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応援メッセージ:運動に寄せられた声々 |
内容 | リンク | |
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高裁判決を批判し、最高裁に公正な判断を求めるメッセージ全356人分 (2008.10.22 〜2010.6.29最終更新) |
ウェブ上のフォームから記入送信いただき、ウェブ掲載のほか、原告が月に一度の最高裁要請行動に持参 | 一般の方から |
医師から | ||
医師以外の医療従事者から | ||
署名運動への 支持応援メッセージ 全31人分 (2009.4.11) |
原告からの直接要請で執筆いただき、ウェブ掲載のほか、会報にも掲載配布 | 一覧から各メッセージへ |
最高裁へのメッセージ:一般の人からの声 |
判決文をよみ、過労死遺族の1人として理解に苦しみます。中原医師がうつ病の治療をすれば自死しないですんだはず、と判決文は主張しますが、現に、自死しているからです。業務の過重性と過密な仕事内容を分析し、治療する時間が可能であったかどうかという重要な箇所に言及していません。「中原医師の業務の過重性を認めながらも、心身の障害が出る可能性は予見できなかった。したがって、病院の安全配慮義務違反はなく、一審の地裁判決を支持する」。裁判長の理屈付けには無理がありありです。理屈が分裂しています。業務の過重性を何度も言い重ねながら、コンナ悲劇をもたらしたことの重大性をみのがした病院側に責任がないという判示です。判決は業務とうつ病発症の因果関係をみとめているのですから、被控訴人に賠償責任があるというのが、普通の考え方だと思うからです。間違っているでしょうか? 病院側が過重な業務を課しながら、うつ病を予見できなかったことの罪はどうなるのでしょう? 司法が判決を下した罪と、その問題の大きさに怒りがこみあげます。被控訴人の安全配慮義務違反を黙認することによって、過労死は増産されることが必至だからです。(過労死・自死相談センター名誉会員、元全国過労死を考える家族の会代表 馬淵 郁子) 今回の判決は、中原医師が勝手に過労状態になり、亡くなったと言わんばかりです。患者や病院のために黙々と働いた医師の死が、「本人の責任」にされる恐ろしさを感じます。過重労働をさせたのは、病院側です。いくら「労災」と「民事裁判」が別物とは言え、その責任が全く問われないのは、納得がいきません。(フリーライター 塚田 真紀子) 労災を出している病院が何故責任を免れるのか。これが認められるならば、多くの事業者は、過重労働を強いて「犠牲」が発生しても、自己には負担なく、労災により「保障」されるとして、労働強化に邁進するであろう。そうなれば、労災制度も成り立たなくなる。個別事業者に対する「制裁」としても、労災を出した事業者にはきちんと責任を取らせなければならない。最高裁が、中原医師の遺書を再読し、医療環境を守り、労働者の生活を守り、すべての人間が憲法に定められた「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」ことを保障する判決を下す事を求める。(私立大教員 佐野 通夫) 使用者責任が存在し、労災について広く遍く認知されている中で、今回の判決はその流れから逸脱する内容と言わざるを得ない。判決に断固抗議をし、上告を支持するモノである。(千葉県 40代 フリーの出版プロデューサー 加藤 洋) 一般の一母親です。秋篠宮妃紀子さまも、「月てらす夜半の病舎にいとけなき子らの命を人らまもれり」と、歌われています。周産期診療だけでなく、私たちの大切な「子ら」を守る小児科医、家族を守る他科の医師や医療従事者…。その「人ら」を守るのは、誰でしょうか。その問いを一人の医師と、いち病院の問題で終わらせたくないという原告のおもいを、どうぞお聞き届けくださいますようおねがいします。(京都府 40代 山根 希美) のりぴーさん、ご無沙汰してます。先だっての判決、残念でした。ワタシにはむずかしいことはわかりませんが、子どもたちの未来がなんだか曇っていて不安になるばかりです。これじゃ、ますますお医者さんがいなくなっちゃいそう。ワタシはひとりでテレビに向かってぶうぶう言ってるだけですが、のりぴーさんはとても辛かったと思います。悔しかったと思います。次にテレビでのりぴーさんを拝見するのは絶対笑顔であることを祈っています。お体には気をつけて、いつもののりぴー節で、がんばってくださいね。応援しています。(東京都 40代 カメラマン 尾山 祥子) 数年前、大きな病気をし約9か月病院に入院しました。それまで身近でなかった医療者の勤務形態をつぶさに見て、大変驚きました。いつも多くの仕事を抱え、医師も看護師も走り回るような毎日です。看護師さんは腰を下ろす暇などなく、主治医も病室にきてもすぐに呼び出しがかかります。おまけに主治医は休みをちっともとらず、休日であるはずの日でも病棟に顔を出します。予断を許さない患者を多く抱え、休むことができないのです。患者としてはありがたいことですが、ご家族はどんなにご心配でしょうか。もし自分の父や息子や夫が、そんな過酷な業務を続けていたら、とても黙っていられません。疲れきった顔で、患者以上につらそうな時すらあります。そんな医師や看護師を見ては、こちらも無理は言うまい我慢しようと、症状の変化を伝えることをためらうことさえありました。今回の問題はとてもひとごととは思えません。(大阪府 50代 山川 由紀) この医師人材難の要因は、80年代に医師過剰との見解を示した厚生省に責任がある。その結果が医師不足につながったことも否めない。このような過労死を重く受け止めてほしい。公正な裁判を希望する。(東京都 40代 フリーランス、自営業 小林 貴之) このような判決が確定してしまったら、責任感のある医師ほど、激務と窮地に追い込まれ、小児科医療の崩壊に確実につながる。病院側に責任がないのであれば、今後医師も自らの意思で身を守らないといけない、ひいては、危険と感じたらすぐ退職してしまうだろう。少なくとも雇用する側の安全配慮が欠けていたと思う。(広島県 30代 渡邊 健太郎) 東京高等裁判所における病院側の責任を認めない不当判決に断固抗議いたします。(広島県 30代 株式会社アームス 本田 俊司) 不当判決に断固抗議。多くの裁判の結果から、モチベーションを低下させている医師が多数いるなかで、この国が希望の持てる国であることを是非証明していただきたいです。この国の医療崩壊を少しでもましな方向に向けることが出来るのは、もはや司法の判断でしかありません。厚生労働省のやること、報道のあり方、すべて悪い方向に向かせる要因になっているのは火を見るよりも明らか。私は司法に期待しています。(千葉県 40代 会社員 佐山 亜希子) 東京高等裁判所における病院側の責任を認めない不当判決に断固抗議いたします。(広島県 40代 会社員 谷口 憲司) 東京高等裁判所における 病院側の責任を認めない不当判決に断固抗議いたします。(広島県 30代 株式会社ミツイ塗料 満井 宏昭) 病院側の管理責任を認めない東京高裁の判決に対し不服です。日常生活の大半を仕事に費やし、日ごろの過重な労働の増加があったという状況で、そもそも労災をすら認めようとしない病院の姿勢からして問題があると思います。個人の相続問題をうつ病の原因と病院側は主張していたようですが、状況からみても本当にきちんと原因を調査したのだろうか?単に責任逃れをしているように思うのですが。小児科医減少も社会的な問題として背景になっているかもしれませんが、だからといって病院に責任がないことにはならないと思います。医療の現場で自殺者が出てしまうという深刻な状況に、病院側、また厚労省はきちんと逃げずに向き合ってほしいと思いますし、一般の患者としても真摯に受け止めたいと思います。現場の犠牲によってようやく医療が成り立っている現状で、その犠牲者が保護されないような判決では、結局個人の負担が重いままで、医療崩壊の問題はますます加速していくことになりかねません。(岡山県 30代 吉村 裕加江) 判決を知り、正直驚いたというのが本音です。何のための法律でしょうか? これは、中原先生の問題だけでなく、間接的に雇用者は労働者を自由に酷使しても構わないと認めたようなものです。これはあくまでも私の主観ですが、雇用側と労働者のどちらかが強くなってもいけないと思います。お互いに納得し、充実して仕事に望める環境でなければいけず、雇用側もその環境を作るということが最低の義務だと思っております。労働者は奴隷ではありません。そして最も許せないのは、「病院側が(中原さんの心身の変調を)具体的に予見することはできなかった」という理由です。一般的に考えて、誰が人の心身の変調を具体的に予見することができるのでしょう? 精神科医でも難しいことだと思います。予見することが難しいから、そうならない環境を作るために法があるのではないのでしょうか? この理不尽な判決に対する怒りを覚えると共に、遺族や弁護士の方々のご心労をお察しいたします。ですが、このような判決の前例をつくることは、社会的に絶対にあってはならないと思うので、ご遺族と弁護士の方々には最後まで戦い抜いていただきたいと願っております。勝手なことを書きましたが、未熟なコメントや知識で勝手なことを申し上げましたこと、どうぞお許し下さい。(東京都 30代 直美) 東京高等裁判所における病院側の責任を認めない不当判決に断固抗議いたします。(広島県 40代 重原 修作) こんな判決がまかり通っている様では、日本から医師、医療従事者がいなくなり、結果として自分達、子孫たちの首を締めることでしょう。(愛知県 30代 民間企業 阿藤 大) 病院側は、本当に「予見」していなかったのか疑問に感じました。この事件は「突発的な事故に遭遇し、事前に予見出来なかった」というような事件とは違うと思います。この東京高裁の判断は正しくないと感じます。他の医師の退職などで、業務の負担が増していたにも関わらず、故人からの「業務軽減の訴えがなかった」という裁判所の判断は、公正な立場から出された判断でしょうか? 「こんな状態で医師が働いていたら、体も心も壊れてしまうのではないか」と考えないのでしょうか? 病院が想像できなかったのだとしたら、管理体制が出来ていなかったということだし、小児科医が不足しているのだから「仕方が無い」という認識なら、「安全配慮義務違反」そのものではないか!と、感じました。 また、過労自殺事件の判例から考えても、不当判決と叫ばざるを得ません。真面目に働く人間だからこそ、使用者側は大切にしなければならないのです。人間を使用する立場である限り、労働者の「命と健康を守る義務」を負うのです。病院側が予測できなかった事項にあたるとは、私には思えません。過酷な業務が、長期間に渡り、継続的に続いていた状態で、起きてしまった事件ではないのでしょうか? 医師も看護師も人間です。勝手に働く機械ではありません。医療従事者だけの問題でもありません。患者さんやそのご家族にも、重要な問題だと思います。労働者が安全に働ける環境に改善するためにも、使用者の責任を認めよ。(大阪府 30代 大阪過労死を考える家族の会会員 綾田 佳苗) 無理に現時点での病院運営を続けるために、医療者を酷使した結果待ち受けるのは、医療の崩壊でしょう。医療従事者の勤務管理ができる病院経営者の、医療者の健康に注意する責任は重いと思います。(兵庫県 50代 高畑 比登美) 過重な労働が鬱病を引き起こすことも、その結果として自殺にまで至ってしまう人が少なくないことも、広く知られた事実であり、雇い主には当然注意義務があると思います。「医師だから」「管理職だから」といった理由で、それを本人の自己責任にしてしまうことは、社会全体にとって非常に危険な判断ではないでしょうか? 法律完全無視の過重労働を当たり前にしているのはおかしい。常識に基づいて、労働基準法を遵守すべきだと思いますよ。「医師は社会的常識が欠落」麻生総理の発言は的を得ています。法律を守らない雇用主は存在してはならない。法律違反を黙認する司法もいらない。(新潟県 30代 NTTグループ 小林
章子) 以前、産婦人科、小児科とある病院に事務員として勤務していました。産婦人科、小児科ともに勤務医の先生方の激務は眼にしてきました。早朝、深夜、休日、時間にかかわらず先生方は目の前の患者さん達に接している姿を見てました。先生方は、自分たちの休憩時間もロクにとらずに外来、病棟での診察。これでは医者が壊れます。それなのに勤務状況が病気に関係ないっていうのは、納得できません。こんな判決を下した関係者の方々、1週間でもいいからこの勤務状況を実体験してみてください。体も心も壊れる、ということがわかると思います。(東京都 30代 製薬会社勤務 高橋
絵美子) 誠実な医療従事者は社会が守ってあげなければなりません。彼らが絶望することで医療現場が崩壊してしまったら、結局困るのは一般市民です。まっとうな判断を裁判所が下すよう願っています。(東京都 30代 小林 武) 子供が乳幼児だった頃、何度か近くの24時間診療の小児病院にお世話になりました。昼夜を違わず診察して下さる先生方の御苦労、御心労は見て取れました。今は転居をし、近くに小児専門病医院がない状態で、仕方なく内科と小児科を標榜している医院に掛っています。そのような現状の中、小児科医の不足と過剰労働は多少なりとも理解しているつもりです。これ以上、不幸な小児科医を作らないで欲しいという願い、また、子供を持つ身として、進んで小児科医になりたいという医大生が出て来るような世の中になって欲しいとの思いから、署名いたします。(埼玉県 30代 主婦 越田
麻紀) 趣旨に賛同し、中原のり子さんらの上告を支持します。(北海道 40代 製薬会社勤務 下田
みどり) 医療従事者でない私からみても、過酷な仕事が原因であることは明らかだと思う。また、お医者様の人並ならぬ責任感・正義感から起こってしまった悲しい出来事だと思う。病院側にの監督責任を取っていただくことはもちろん、最高裁でこの裁判が争われることで、医療現場の過酷な状況・改善の必要性を世間にもっと知ってもらう機会を作ってもらいたい。(奈良県 30代 主婦 芝 玲子) 過労死が認定されたのであれば、労働者を管理していた病院に責任があるのは当たり前の事です。過労により、うつ病が発症しない様にするところから、労働者の健康管理義務があると思います。(東京都 40代 会社員 上野
孝) 子供2人の母です。小児科はどこもいつもいっぱいで、先生たちは食事をとる間もなく診療に追われています。でもすぐに体調を崩す小さい子供やその親には小児科の先生たちだけが頼りなのです。ぜひ中原先生のご苦労が報われてほしいとおもいます。(神奈川県 30代 一般会社員 小口
愛) 人の命を救うお仕事で、自らの命を断ち切らざるを得ん状況にまで追い詰めた病院に対し、強い憤りを感じます。過労死であることを国が認定しているのですから、病院はいさぎよく非を認めご家族に謝罪して下さい。でないと、現在の医師不足に歯止めがかからなくなり、犠牲者がさらに増大することになるでしょう。そして、私たち患者の立場から言うと、それがたらい回しにも繋がり大きな社会問題となります。悪の連鎖をくい止めるためにも、真実を認め公正な「最高裁の判決」を希望します。(大阪府 50代 (財)西成労働福祉センター 非常勤職員 小坂
方子) この度の、中原医師「過労死裁判」において、労災を認めて損害賠償を求めた控訴審で、東京高裁は、認めないこの様なことでは・・・電通最高裁判決でも、逆転判決になる。中原先生の裁判も勝利する事を信じて最後まで諦めないで下さい。(神奈川県 60代 一船人 橋本
孝治) とても納得できるものではありませんまた、安心してお願いできる先生がこのようなことでどんどんいなくなってしまうのが、心配です(東京都 40代 主婦 伊藤
亜希子) 医師の勤務形態とか残業してる時間とか、病院が一番把握してるものじゃないのでしょうか?? 寧ろしてなきゃおかしいんじゃないかと思うのですが。予見不可能とかはっきりいって理解できません。病院がそんなんじゃお医者さんがかわいそうです。(栃木県 30代 浅間
忍) |
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東京高裁は司法の立場から過重労働問題を打開する方向性を判決で指し示すことで、今まさに倒れんとする勤務医に手を差し伸べることができたはずである。司法にしかできないその崇高な役割を東京高裁が投げ捨ててしまったようにさえ思える。医師が過労死するような労働環境で、患者の安全、安心が確保されることはあり得ない。協会は、中原医師の過労死裁判を今後も支援し、医師不足・医療崩壊を断固阻止すべく全力を尽くすことを、あらためて表明するものである。(東京保険医協会会長 塩安 佳樹) 小児科医であった中原利郎氏が激務の末に亡くなられたことはとても残念に思いますし、未だに医師の激務に対する理解が得られていないことに愕然とします。医師はもともと医療を通じて社会に貢献したいと考えており、また、法的にも応召義務を課されています。「たらい回し」報道や「受け入れ拒否」報道に見られるごとく、ぎりぎりの状況で受け入れ不能であっても、社会的にはバッシングを受ける立場でもあります。このような背景のもとで、退職者が出たにもかかわらず診療体制を変えなければ、ひとりひとりの医師に過重な負担がかかることは誰でも分かることです。とりわけ、診療科の責任者にかかる負担は計り知れないものがあるでしょう。病院の運営者にとって、中原医師が過労死レベルの激務に陥っていることは十分に把握可能であり、その結果不測の事態になる可能性についても予見可能だったと思われます。病床削減、小児救急医療の無理のない輪番制の採用など、出来ることはあったはずです。以上、予見可能性も回避のための手段もあった以上、病院運営者の過失は明らかです。(深谷赤十字病院副院長 大谷 英祥) 中原医師が、我々全国の小児科を憂い残してくれた遺書の一字一句を、裁判所が読み取れなかった事実に、多くの小児科医が落胆した。今回は、「利郎先生の自死はうつ病に端を発するものである」との判断が出た。ならば、彼のうつ病発症が急激な労働環境の劣悪化によるものであることを明示する、彼の遺書文中にある経営サイドに対する訴えをどう読み取るのか。自身や医師以外のスタッフの心配をしながら日本の小児医療行政を憂い、大変重要なメッセージを残して、自身の病院で世を去った中原医師の死から小児医療のあり方を学べなくてどうする。医療スタッフの労働環境や心身の健康に留意する姿勢は病院経営の根幹であり、よい医療提供の必須条件である。今後の正しい判決により、行政指導改革を含めた病院経営のありかたを再考しなければ同じことが繰り返される。 (以下遺書より引用)「わが病院も昨年までは、常勤医6名で小児科を運営して参りましたが、病院リストラのあおりをうけて、現在は、常勤4名体制で、ほぼ全日の小児科単科当直、更には月1〜2回東京都の乳幼児特殊救急事業に協力しています。急患患者数では、小児の方が内科患者を上回っており、私のように四十路半ばの身には、月5〜6回の当直勤務はこたえます。また、看護師・事務職員を含めスタッフには、疲労蓄積の様子がみてとれ、これが“医療ミス“の原因になってはと、ハラハラ毎日の業務を遂行している状態です」(埼玉県済生会栗橋病院副院長・小児科部長 白髪 宏司(「知ろう!小児医療 守ろう!子ども達」の会協力医)) 裁判官の方々には、残業という言葉が持続する終業以降の仕事と理解されていることと存じます。しかし、小児科医の当直は違います。夜間に数人の受診者がいた場合、一人一〇分の診療時間とすれば、ひと晩の労働時間は1時間前後です。しかし、夜間に1時間ごとに起こされて診療すれば、たとえ1時間の労働時間でも翌日通常の診療を行うことができるでしょうか。労働時間の長短ではなく、当直時の睡眠の質から中原先生の過重労働とそれに関する安全配慮義務を論じていただきたいと存じます。(札幌市在住小児科医 江原 朗) この度の原告敗訴の判決は、時代と世論の流れに逆行する非常に残念な司法判断です。 (1)電通過労自殺事件 (2)料理店「鷹匠」四九歳店長の過労自殺事件(エージーフーズ・寺西事件)、良識ある司直の判断としては、上記二つの判例との整合性もなく、昨今の医療を取り巻く医師の過酷な労働環境を無視した極めて不当な判決であります。なぜ、医師だけは労働者としての当たり前の権利や健康が守られないのでしょうか? 医師は鉄人ですか? 夜間の勤務も労働時間として認められず、交代もなく食事も睡眠もとれない医師に満足な医療が行えると思いますか? あなたは不眠不休の居眠り医師や過労医師に診察されたいですか? 今回の判決は、これまで日本の医療を支えあって来た医師と患者の血のにじむような努力を踏みにじるものであり、医療崩壊の一翼を司法が担っていることを、図らずも証明する結果となりました。しかし判決内容は論理の矛盾が露呈しており、今後の最高裁での見識ある判断に期待したいと思います。(東京都・ちばこどもクリニック院長 千葉 康之) 子供の命の安全のために最前線で歯を食いしばり、ついに矢折れ力尽きて過労自死にいたった小児科医遺族の訴えが棄却された。「経済大国日本の首都で行われているあまりに貧弱な小児医療…」という遺書に見られるとおり、医療費抑制のために医師養成数を抑制し、世界標準から大きく見劣りする医師の絶対数不足をもたらした国の責任は限りなく重い。ついに先日は都立病院ERの産科で、経済大国日本の首都東京に住む国民の命までもが風前の灯となっているお寒い現状が白日の下にさらされた。勤務医の労働基準逸脱の実態を国が黙認・無視し続ける現状で、病院までが国の過ちを座視して、勤務医の労働環境やメンタルヘルスを守る責任を放棄すれば、日本の勤務医に残された道は現場からの立ち去りしかなくなってしまう。(済生会栗橋病院副院長 医療制度研究会副理事長 本田 宏) 救急医療に携わっている医師として一言。今回の判決内容、特に勤務の過重性が本人の意思で解消できるものであったとして医師個人に責任を転嫁している点は、医療の現場を全く理解していない司法判断です。この判決が確定すれば、多くの医師は患者を目の前にしても全力を尽くす気持ちが萎え、過酷な医療現場から離れていくでしょう。(おたる北脳神経外科院長 遠山 義浩) 過重労働の実態把握の責任を病院ではなく個人に帰すことで、過重労働を放置した病院の管理責任を、事実上回避した判決内容となっており、遺憾である。このような判断は、現場の過酷な診療環境にいる医師の善意を裏切るもので、医療現場からの医師の逃散と萎縮医療を促進することになる。(全国医師連盟代表 黒川 衛) 今回の高裁判決で、裁判官が「過重な業務とうつ病との因果関係を明確に認め」「電通事件」の最高裁判決も引用しているのに、中原さんについては、「過重な勤務であっても、病院側が、中原さんの疲労や心理的負荷などを過度に蓄積させて、心身の健康を損なうことを具体的客観的に予見することはできなかった」として、「病院側の安全配慮義務違反には当たらない」とすることに納得がいきません。医者だけが特別な人間なのでしょうか? がんばりの利くタイプが多いことはたしかですが、そこにつけこんだ医師の使い方には抗議します。現場の医師のなかにも自己管理の徹底を打ち出して管理者の責任を問うことに疑問を持つ方も存在します。しかしながら、私自身は弱い人間であり、そのような主張には到底納得できません。心身の健康を損っていることが自ら主張しないことには認められない労働環境では、人は育たないでしょう。医療者のあいだにも存在する「何も言わずに黙々と働くことを美徳とする」暗黙の了解を何とか打ち破らないと、まじめな医療者が心を病むことが繰り返されます。(東京都・柳原リハビリテーション病院医師 坂口 志朗) 今回の鈴木健太裁判長による判決に意見があります。裁判結論は論理的であり、理屈のとおったものにみえます。そして、その結果生み出されたものは何でしょうか。この判決結果を聞いて小児科勤務医はどう感じるでしょうか。正確に統計をとったわけではありませんが、おそらく病院から撤退したいというモチベーションがより高まったことでしょう。司法は、小児科勤務医に背中を向けました。病院と勤務医の溝をさらに深いものとしました。こうした結果、現在の医療破壊にさらに拍車がかかったと、受け止めております。その結果、しわ寄せがくるのは、病気の子供たちです。おそらく、一〇、五〇年後にこの判決を振り返ってみたときに、子供たちを助ける名裁判だった、と判断されるでしょうか、そうではない判決だったでしょうか。(多摩ガーデンクリニック小児科院長 NLP臨床応用研究会代表 杉原 桂) 高裁判決は地裁判決を覆し、明確に業務を相対的有力原因と認めた。本件の行訴判決と合わせ、一〇年近く前に策定された「判断指針」の改定が必要であることがいっそう明確にされた。一方、二カ月間におよぶ長時間過重労働でうつ病を発症させ得ることについて事業主は責任を問われないとした判決であり、同様の事例の発生を許容するとした高裁判決には、まったく承服できない。本件のような労働状況で補償対象にはなり得ず、また病院に業務調整責任を負わせないのであれば、医師個人は「立ち去り型サボタージュ」するしかなく、「医療崩壊」を助長し得る判決と言わざるを得ない。(みさとメンタルクリニック精神科医 天笠 崇) 故中原医師の自死に関して、直接の加害者は病院であり、根本原因は厚労省が違法労働を放置していることだ。 東京高裁の判決理由は「本人が苦しいという明確な意思表示をしなかった故に、病院は安全配慮義務ならびに注意義務を怠ったと言えない」というもの。そもそも被告病院は故中原医師の健康に全く関心がなかったのであった。自らの苦境を口に出すか否かで過労死に関する病院の責任が左右されるなど、論外だ。全国の医師に「病院には医師の過重労働を自発的に是正する義務がない。抗議して過労死したら病院の責任(かも)、黙って過労死したら自己責任」という強力なメッセージが発せられた。 加速する医療崩壊という非常事態の中で、第一線の責任感ある医師らは艱難辛苦に耐えてギリギリで踏みとどまっている。彼ら彼女らの志気は今次判決により崩壊しかねない。「やっぱりか。生身の人間として耐え難い苦境が更に悪化することがはっきりした。もうこれ以上は無理だ」として救急医療から離れる医師が更に増加することは明らかだ。福島県立大野病院事件は医療崩壊を加速させたが一応の終結をみた。今次判決は司法による意図的な「医療破壊」行為だと言わざるを得ない。破壊効果は勝訴しない限り継続する。中原のり子氏ら原告を全力で応援していく。(全国医師連盟運営委員 鶴巻温泉病院勤務医 澤田石 順) どうして労働災害として認定されるような勤務実態があったと認定されているのに、病院側には安全管理義務が生じないのでしょうか? 理解不能です。病院は労働者の健康を守ることが必要とされるはずです。これまでの医療制度の中で医療従事者の過重労働は当たり前のように行われてきました。その実態は正されなければなりません。そうでなければ患者の安全をも脅かす事態になります。今回の判決は過重労働の免罪符ともなりうる重大な誤審です。ぜひ最高裁まで闘って、この誤審を正さねばなりません。(埼玉県開業医 天野 教之) 小児科医、小児科以外の医師、また医師以外の医療従事者で、自身の睡眠時間、休憩時間、家族と過ごす時間を削って、患者さんのために頑張っている方は今でも大勢いらっしゃいます。自らの身体・心・家庭が、徐々に蝕まれていても気付くことはなく、またなにか調子が悪いとなんとなく気付いても、目の前の患者さんのために無理をしてしまいます。休んだほうがいいと思っても、患者さんを診る人がいなくなってしまう、また同僚の負担が増してしまうと強い責任感をもった人が逆に疲弊してしまいます。自分が倒れた方が周りに迷惑がかかることがわからない精神状態になっているのです。このような人の過重労働を誰が止められるのでしょうか? 他人のために尽くした結果の過労死は自己責任でしょうか? このような過重な労働を止め、過労死を予防するには、使用者側が労働強度を管理するしかありません。過重労働に対する耐性は個々人によって違うのでしょうが、それを完璧に判断することは不可能です。(東久留米クリニック医師 石井 誠之) 中原利郎医師の自殺に関して、その予見可能性がないとして病院の安全配慮義務違反を認めなかった高裁判決は、病院が医療情勢の厳しいなかで改善の手段を講ずることが困難であった事情を勘案しても、不当と考えざるをえない。日本では年間3万人を超える人々が自殺し、その多くがうつ病に罹患していたと推定されているが、そのなかには精神科治療を受けることなく命を絶った人も少なくないことが知られている。うつ病は、判断能力を低下させ、現実にとりうる手段が考えられなくなりうる病であり、本人が精神科を受診したり他人に相談したりしなかったから予見できない、というのは疲弊しきったうつ病患者に正常な判断を求めることと同義である。国を挙げて自殺予防に取り組んでいる流れとも逆行するもので、決して受け入れることはできない。(自治医科大学付属病院 岡島 美朗) 青森県は自殺率が全国第2位です。精神科以外の医療機関もメンタルヘルスケアに取り組んでいます。さらに、保健関係者だけでなく地域の皆さんが参加した自殺予防活動の輪も広がっています。私は整形外科医ですが、患者さんから体の痛み以外の相談を受ける機会が増えています。じっくり話を聞いて必要な時は精神科をはじめ専門家を紹介します。自殺予防に地域の力で取り組もうとしている時代に、高裁判決には納得がいきません。職員のメンタルヘルスケアを真剣に考えない病院は、患者さんのアラームにも気付くことができず、地域の自殺予防活動にも参加できません。最高裁では地域の力で自殺予防に取り組んでいる活動を後押ししてくれる判断が出ることを期待しています。(青森市整形外科開業医 青森県保険医協会副会長 大竹 進) 1990年代後半以降、厚生労働省と文部科学省の行政指導により、日本の医師養成は約一〇%の減少に転じました。病院医師は昼夜を問わず発生する年中無休の業務を、それまで若年層で分担して何とかこなしてきました。しかしながら若手の新規参入が減少に転じたことにより、様々な理由で増え続ける業務をこなしきるための負担は、医師の年齢層を問わず以前とは比べようもなく急増しています。医療機関、中でも入院医療の大半と外来診療のおよそ3分の1を負担している病院には、医師や看護師の健康管理について特段の配慮が求められるところです。病院が医師や看護師を使い捨てにするようなことを国家が追認したのでは、病気になったときにかかるべき医師や看護師が次々に死んで行くことを食い止めることができません。注目しています。 (北大大学院医学研究科医療システム学分野助手 中村 利仁) 今回の判決に関して、現場の医師の現状を顧みない判決として心を痛めています。故中原先生が鬱病にかかっており、この病気は自殺する可能性があることは、医師ならよく理解していると思います。これを防ぐためには過酷な労働をさせないことです。精神的な安静をはかることで、普通の日常生活はできます。ところが、中原先生の勤務環境はどうだったでしょうか。想像だにできないような激務でした。これは正常な医者でも耐えられないと思います。この医療の現場で、医師としての責任感をもって勤務していた中原先生の精神的負担は大変なものだったと思います。そのような激務を続けさせた病院管理者の責任を深く問いたいと思っています。(鹿児島市・服部内科クリニック理事長 日本カトリック医師会評議員 服部 行麗) 故中原利郎先生の御自殺の原因となった鬱病の発症と業務の遂行との間に相当因果関係があることを判決の中で述べて下さったことには評価しております。一方、被控訴人に安全配慮義務がないかのご判断については疑問を抱きました。小児科を診療科として継続して掲げるためには、小児科医師の確保・欠員の補充は病院側に責任はあると考えます。それができない状況で、職場を立ち去らずに小児科を必要とする児や家族のために勤務し続ける小児科勤務医への安全配慮義務は病院側も問われてしかるべきと考えます。 故中原利郎先生のご家族の皆様の問いかけは、日本の小児科医勤務医においては重要な問題提議となっていると感じています。こどもを大切にしない国に未来はありません。子どもを守る小児医療を軽視する国にも未来はないと感じます。小児科医志望者の減少については採算性・経済性を重要視して未来の次世代への配慮ができなくなりつつある社会全体の風潮も関連していると感じます。社会として小児科医を志す人間達を大切にすることは未来を担う子ども達への当然の配慮と感じます。 故中原利郎先生の死を無駄にしないためにも子どもを守ろうとする小児科医を社会が守ろうとするお互い様の気持ちが起こることを願っていやみません。(神奈川県立こども医療センター 新生児科医長 豊島 勝昭) 慢性的医師不足に加え、診療報酬の抑制、住民の医療に対する要求の高まりの中で、小児科医や産婦人科医などがおかれている労働条件は、今日なお、極めて厳しいものがある。故中原利郎医師が「少子化と経営効率のはざまで」と題した遺書の中で切々と綴った過重労働の日々。それから一〇年間。同じ悲劇を繰り返さないため、夫の意思をひたすらに訴え続けた妻、中原のり子さんの思い。それが「本件控訴を棄却する」の一言に集約されてよいものか。小児医療、産婦人科医療を守るには小児科医、産婦人科医の労働環境の改善が不可欠である。よって、今回の東京高裁請求棄却判決に強く抗議するものである。(長崎県保険医協会・会長 千々岩 秀夫/常任理事 本田 孝也) 今回の判決では、基本的には過労による自殺であることを認めながら、病院にはそれを予見することはできなかったので、安全配慮義務違反はないとの判断がされたということだと理解します。そうすると、私ども勤務医が良心にしたがって懸命に働くのは自由で、過労死しないよう自己責任でコントロールしなさい、その結果心身のバランスを失い死のうが生きようが、それは私たち個々の医師の責任ですよ、ということになるのですね。多くの医師は、それでも医師という仕事は人の命を預かる崇高な職業であると信じ、目の前の患者にベストを尽くすでしょう。そしてまた、同じように犠牲者が出る…、そんな未来を容認する判決です。 医師であるからこそ、労働者としてきちんと管理し、行き過ぎないよう働かせる義務が雇う側の医療機関にはあるはずだと思います。こういった現実の医療の姿を考慮に入れず、法解釈でのみ結論を導いたと思える対応は、人のいのちに関わる判決として余りにも想像力に欠ける悲し過ぎる内容です。勤務医の一人として、強く抗議いたします。(堺市・耳原総合病院小児科医師 武内 一) 控訴審判決は不当です。判決後の病院側代理人のコメントが報道されました。「病院が異変に気付いていたとしたら、防止したい事案だった。病院側としては精いっぱいやっていたので、残念」。これは、医師が過重な労働条件に置かれても、労働安全上の問題と認識しないという、事業者としても、また、医療機関の開設者としても、許されるものではありません。故中原医師の置かれた労働条件が、異常、違法なものとも認識していなかったのは、事業主の怠慢です。見て見ぬ振りをしていたと言わざるを得ません。その見て見ぬ振りの事業主の態度をして、予見できなかったものとした控訴審判決は、不当です。(神戸市・赤松クリニック 赤松 俊浩) 高裁判決が「過重な業務とうつ病との因果関係を明確に認め」たにも関わらず、「過重な勤務であっても、病院側が、中原さんの疲労や心理的負荷などを過度に蓄積させて、心身の健康を損なうことを具体的客観的に予見することはできなかった」として、「病院側の安全配慮義務違反には当たらない」と言明したことが理解できません。過重労働が予見できなかったから一企業である病院の安全配慮義務がないというロジック自体が、一般の労働者の安全配慮義務の理念に反する考え方なのではないでしょうか?今回の高裁判決は、医師という特定職能集団に限らず我が国の労働者全体の労働環境に大きな悪影響を及ぼすものであり、強く反対を表明致します。(岡山県・奈義ファミリークリニック 医師 紺谷 真) 小児科や産科で劣悪な労働環境から医師が病院を離れ、必要な医療ができないことが社会問題になっています。大阪府保険医協会勤務医部会が実施した調査でも、勤務時間が長い程、疲労が蓄積し医療安全が損なわれる結果でした。今回の高裁判決は、医師の過重労働に対する使用者の安全配慮義務違反を認めず、医療安全のために勤務医の労働環境改善を求める社会の動きに逆行した遺憾な判決と考えます。判決文の中で「診療科の責任者として、当直などの勤務割り等を組む立場の医師であれば、本人の判断で労働量を制限できるはずである」としています。しかし、病院として小児科輪番を実施しており、医師2名が退職し他の医師も当直できない状況では責任者が当直せざるを得ません。事実誤認した判決と思います。(大阪府・小松病院小児科医師 原田 佳明) これは一人の勤務医と病院の対応に関する問題にとどまらず、過重労働に苦しむ我が国の医師の職場環境を改善し国民に安全な医療を提供するという観点から看過できない判決だと思います。労働基準法の遵守と勤務医への「安全配慮」は欠かせないはずです。「過剰な業務とうつ病の因果関係」を認めながら病院側の「安全配慮義務違反」がなかったとするのは矛盾していないでしょうか。これ以上犠牲者を増やさないためにも、この判決の持つ意義の重要性に鑑み司法側の再考を促したいと思います。(日本小児科学会・小児科医のQOLを改善するプロジェクト委員 大矢 幸弘) 判決で病院側の安全配慮義務違反が否定されたことは、使用者が雇用者の過重労働に責任を問われないということであり、他業種で認められている一般的な権利が医師に認められないというのは納得できません。私は今当直をしています。「誰かのために役に立つこと」に喜びを感じて仕事をしています。行政、病院経営者、市民(社会)には、日本の医療の質、高いアクセシビリティを継続的に保てる仕組みを作っていくためにも、医師、医療従事者の勤務環境の整備に理解をいただきたく、ここにお願い申し上げます。(医師・経営コンサルタント見習い 石川 雅俊) どのような職場であれ、その仕事の質を保つために環境づくりは不可欠です。医療従事者個人の努力に支えられてきた医療現場の労働環境は、ほとんどが最低限である労働基準法のレベルをみたさず、医師不足特に小児科医・産科医の不足を招くとともに、今後増加する女医さんの活用を阻み、ワークライフバランスの維持といった社会の要請からもかけ離れたものとなっております。今回の控訴審の判決は、単に中原先生個人の過労に関するだけでなく、そうした必要最低限の環境づくりに対する病院の責任を否定するものではないでしょうか? 日本の医療の質を維持するためにも上告審頑張っていただきたいです。(東京大学医科学研究所 細胞療法 沖 俊彦) 診療を希望して来院する患者さんに対してその義務を負うのは本来は病院です。しかし現場の医師は十分な人員がいないことを言い訳にして病に苦しむ患者さんを放っておくことはできず、懸命に地域医療を支えています。結果として労働法を逸脱した苛酷な当直や時間外労働を病院から強いられます。患者さんと病院との信頼関係を守るために医師は日夜働いています。しかし現場で働く医師を病院が守らなくて、どうして医師が診療に専念できるというのでしょうか。(東京都・消化器内科医師 金澤 信彦) 今の医療現場を支えているのは、労働基準法を度外視し自分を犠牲に働いている勤務医たちだと言っても過言ではない。体力や精神力が限界を超えていると気づいていても、強い責任感と良心が仇となり現場から退けずにいる医師が多い。自分の代わりがいない為立ち去ることが出来ないのである。中原医師の鬱病を過労によるものと認定しながら、病院側は予見できなかったので仕方がないとする高裁判決は、責任感が強い者は死んでも自分の責任だと言っているに等しい。医療を支える勤務医と国民のために、中原さんの上告という決断を応援します。(川崎医大 産婦人科医 宋 美玄) 先月の都立墨東病院における妊婦受け入れ拒否事件では、産科医師のみならずNICUを担当する新生児科医師の不足もその背景にありました。全国の新生児科医によって構成される新生児医療連絡会の調査では、全国の新生児科医師の月間平均時間外勤務時間は過労死基準を大きく上回る一五五時間と言われています。NICUでは入院患者に突然の状態変化が起こることがあり、経験の浅い医師ではたとえそれが小児科医であっても適切に対処することができません。もし的確な判断がなされなければ、不幸にして重大な結果を招く可能性は少なくありません。これは患者さんにとって不幸なだけではなく、当直する医師にとっても、専門外の診療行為に携わるということは極めてリスクの高い業務を強いられることとなり、現行法では刑事罰が科せられる恐れもあります。当直業務を行うことができる医師数が限られている以上、新生児医療体制を維持することを前提とすれば、それぞれの新生児科医師が過重労働するしか現時点では選択肢はありません。 厳しい状況下で地域医療を支え続けてきた中原医師の使命感を踏みにじり、見殺しにするような今回の高裁判決には同じような境遇で働く者として到底納得できません。これは過重労働に苦しみながらも地域医療を支えようとしている全国の医師に対する背信的判決であると思います。これではまるで我々に対して、「辛ければどうぞお辞め下さい」と言っていると同じことだと感じています。中原医師の場合には、少なくとも病院側は月に8回もの当直をさせていることを把握しています。この状況下での過重労働は当直頻度だけから考えても明らかであり、病院にはその時点で医師に対して通常の勤務者より一層の職員の健康管理に対する注意義務が課されて然るべきであると考えます。こうした過重労働が課されている職員に対しては、職員からの申し出がなくとも精神科医師の診察を促す等の措置がなされるべきであったと考えます。もし中原医師に対して病院側が精神科への受診を勧めていたら、病院は何らかの措置により過重労働の軽減処置を余儀なくされていた可能性がありますが、これは病院にとっては小児科の休診と言う不名誉な事態を引き起こすかも知れない訳であり、そうした措置を取らないだけの動機が病院側にはあります。 この判決は、全国の医療機関に対し「医師の過重労働は医師自らの申し出がない限り見て見ぬふりをしても構わない」と言うことにお墨付きを与えた判決であると思います。「自殺大国」と言われ、自殺者数を減少させようとする我が国の方針にも逆らうこの判決が最高裁で覆ることを願います。(青森県立中央病院総合周産期母子医療センターNICU部長 網塚 貴介) 中原先生と一緒に働いていたものとして、病院の責任を感じます。女医が辞めていくから、医療、特に産科や小児科は厳しいという話がよくありますが、辞めていきたいのではない、辞めざるを得ないのだということはしっかりわかっていただきたいと思います。少子化といい子育て支援といい、ところが実情は、出産して赤ちゃんが産まれても、産休明けにはすぐに戻れ、そして、同じだけ働け、そういうメッセージを女医は受け続けます。周囲や家族の協力でやることも、自分を鼓舞し続けて頑張るのも限界があります。なにより、自分の医療の質が低下し、そして、自分の子を大事にしないでする小児医療に自分自身が傷つき、そういうことが結局はやはり、自分をも傷つけ、疲れ果てて退職することも多いのです。(東京都・小児科勤務医 佐山 圭子) 医療は最も基本的な公共インフラである。今、わが国の医療は存亡の岐路に立たされている。全国レベルで医師不足、とくに病院勤務医の不足問題が起こり、救急医療体制が維持できなくなり、また内科、産婦人科、小児科などの診療停止が避けられず、『医療崩壊』ともよばれる大変厳しい状況になっている。この地域医療の崩壊の本質は、地域の最前線の病院で、過酷な就労環境の下で、ぎりぎりの少ない人数で多くの業務をこなし、何とかして地域医療を支えてきた、特に中堅クラスの病院勤務医の心の支えがぽっきりと折れたことである。中には、過労の極みで自らの命を絶った医師がいたことを忘れてはならない。 今、国家をあげて『医療再生』に取り組むことが求められている。すでに政府は医師不足の解消にむけて、医師養成数の増加に踏み切り、全国各地で地域ぐるみの『医療再生』の取り組みがすすめられている。今回の判決は、勤務医の健康支援の観点から見て『医療再生』の大きな流れに逆行するきわめて遺憾なものであり、上告は当然の事と考える。(千葉県立東金病院院長 日本医師会「勤務医の健康支援に関するプロジェクト委員会」委員 平井 愛山) 中原利郎氏に対する判決文からは小児科医の人員減に対する病院の危機感が伝わってこない。6人から4人に労働力が減少することは、新任管理者にとってはもちろん、病院経営にとって大きな危機である。判決文からは事務員の傍観者的な対応と収益維持の姿勢しか読み取れない。判決文は、中原利郎氏の労働が過剰かどうかの第三者的な判断に終始し、中原氏が強いられた状況と精神と肉体の変調との関係を論じていない。月6回の当直が人間に与える影響は、肉体的精神的疲労回復に必要な睡眠サイクルをかく乱するのに十分である。うつ状態は過剰労働が人間の生命に与える害について行われるべきである。判決は中原氏の自殺をうつ病という独立した精神疾患と考え、疾患の発見に関する病院の責任に論点をおいているが、本件の論点は中原利郎氏の自殺と過剰労働との因果関係を元に過剰労働に対する病院の責任として論じなければならない。医師は専門職であるゆえに、一般の人々には労働条件も、肉体的精神的危機も理解されることは少なく、これが今日の混乱を呼んでいる。医師不足については政策の失敗もある。個別ではあるが、社会的な問題も含む。本件の判決は上告に値すると思う。(済生会宇都宮病院医師 中澤 堅次) 先日の判決を見て大変驚きました。労災と認定されたにもかかわらず、病院側の安全配慮義務が認められないとは。有名な電通事件で労災による自殺で雇用者側の安全配慮義務責任が 認められているはずなのに。これを認めるとさらに医療制度が崩壊しかねないという社会的背景から否決されたのではないかと勘ぐってしまいます。今後の医師のひいては医療界の改善の為にもぜひ、戦い続けてほしいと思います。(東京都府中市・河野クリニック 河野 和之) ご遺族に対する司法の無配慮な判決に怒りを新たにしております。人の命を護るべき病院が医師の命を護らず、人の権利を護るべき司法がそれを放任したということはすなわち、病院が、司法がわたしたち医療従事者の生命を脅かし、ひいてはわたしたちが護りたいと願っている国民のみなさまの生命を脅かしていることに他なりません。このままでは医療従事者、国民のみなさま双方にとっていばらの道が待っているのみです。今こそ双方が互いを思いやり、手を取り合って共に正常な医療の現場を作り上げていく時だと思います。(帝京大学ちば総合医療センター皮膚科 中捨 克輝) 今回の高裁判決は明らかに論理的に破綻しており、極めて不当な判決です。人間としても認めることはできません。更に、精神科医としても決して認めることはできません。判決文は以下のような理由を挙げて「病院側が安全配慮義務ないし注意義務を怠ったということはできない」としています。@中原医師は、当直を外部の医師に頼める立場だった、A勤務の過重性はある程度本人の意志で解消できるものだった、B中原医師は、病院に常勤医の確保等の問題について相談したり、窮状を訴えたりしていない、C中原医師は、精神科を受診したことはなく、病院の産業医に精神的な苦痛を相談したこともなかった。@からBについては、うつ病の症状として判断力の低下と制止から説明できますし、Cについても、うつ病に罹患している患者のほとんどが、自身の判断では受診していないという精神科的な臨床の常識からも判決が理由としてあげてくること自体がおかしいと言わざるを得ません。万一、判決が、「故・中原医師が、医師であるのだから、自分がうつ病になったことに気づくべきであり、そのこと自体が本人の過失である」という理由で過失相殺しようとしているなら、これは大問題です。「医師は人間の身体について専門的な知識があるから、いかなる状態に置かれても、自らの異常状態を把握できるはずであり、それ故に、雇用者の健康管理義務は発生しない。」と言っているのと同じではないでしょうか?恐ろしいことです。最高裁での逆転は困難であるという弁護士の方々のご意見「一般論としては最高裁で覆すのは難しいが、今回の高裁判決はこの最高裁判決に照らすと、おかしい点が多々ある。最高裁にはしっかりと本件の記録を読み、大切さを理解して、高裁判決を改めてもらいたい。」もあり、東京高裁判決を覆すことが必要です。(大阪府 50代 クリニック・サザンウィンド開業医 角田 鉄太郎) 同じ小児科医として、病院管理職側の職員に対する健康管理のずさんさ、勤務体系管理に対する無能さ、労働基準法に関する無知を感じ、あまりにも無責任すぎると思います。職員を大切にしてこそ、良い医療を提供する環境が整います。この判決では、ますます医療崩壊が進むでしょう。是非とも上告により病院側の責任、落ち度を明らかにしていただきたいと思います。(宮城県 50代 たかだこども医院開業医 高田 修) 当直という名の夜間勤務はもういい加減、止めてほしい。病院は当直という隠れ蓑で、過重労働を強いている。この現状を打破する必要がある。医師を名ばかり管理職にして、時間外労働に対して、対価を支払わず、また時間外労働時間をカウントしないため、過重労働が表に出ない。勤務医のほとんどが、過重労働になっている。立ち去ることでしか、解決されない、現状は、医療崩壊を促進する。(愛知県 50代 医療法人淳徳会小木南クリニック開業医 野村 知秀) 現在の日本の医療は医師の自己犠牲の上になりたっています。医師不足だ、医師を増やせ、と言われていますが医師を増やしても今の状況は好転しません。医師を雇うお金がないからです。公立の大病院は施設基準を満たすだけの医師を配置しているところも多いですが、そういうところは外来が3時間待ちとかの大繁盛でも毎年巨額の赤字を出しています。これっておかしいでしょ? 赤字経営をするわけにいかない個人病院や小さな自治体の病院では充分な医療体制を整えるために医師を雇う余力がないのです。このような状況を打開し、今後中原先生のような犠牲者を出さないためにも小手先の改革ではなく医療制度の抜本的改革を行わなければ近い将来日本の医療は崩壊します。医療はタダでは手に入りません。医師も人間ですから仕事に見合う報酬と休暇が必要です。今の日本で世界最高レベルの医療が格安で提供されているのは医師の犠牲によるものだということを政府も国民もしっかり認識し、最高の医療レベルを維持していくためのコストは誰がどのように負担するのかを真剣に議論していくためにもこの裁判を支援いたします。(広島県 40代 うりゅう歯科医院開業医 瓜生 賢) 中原先生の死は、我々医者の献身的な過重労働を黙止し、磨り減るまで酷使された結果であると考えます。開業医、勤務医問わず、医療界の大きな問題として注視しています。最高裁での正しい判断を期待しています。(茨城県 50代 いしかわクリニック院長 石川 貴久) 日本全体で医療システムが疲弊しています。首都圏でも先日、急病の妊婦さん受け入れができませんでした。医療は社会的財産であり、それを維持することは基本的人権を守ることでもあります。病院はその中核を担う場であり、そこに勤務する医師は社会的・経済的に十分守られるべきであると考えます。しかるに、今回の判決は、憲法に違反する可能性と病院に貢献する医師を切り捨てるものであり、今後の日本の医療を支える趨勢に逆行するものと考えます。(東京都 40代 さこむら内科開業医 迫村 泰成) 去る一〇月二十二日東京高裁にて、過労死した故中原利郎医師の遺族が医師の雇用者であった病院を相手に起こした民事訴訟控訴審判決があった。裁判所は業務の過重性を認めながら、病院側の「安全配慮義務違反」を否定した。故中原医師の自殺が過重労働による過労死であることは、昨年3月の行政訴訟判決により確定しており、今回の民事の高裁判決でも事実を認定している。被雇用者である医師の過労死を認定しながら、使役者である病院の被雇用者に対する「安全配慮義務違反」を認めない判決に驚きを禁じ得ないと同時に、今日の小児・産科医療・救急医療を中心に「医療崩壊」が起こっている原因に対する司法の認識不足を憂える。 本件訴訟及び判決には、現在の日本の医療の問題点が凝縮しているように思われる。医師は業務として患者に医療を供給する立場に立つが、同時に自らの職場勤務環境の影響を受ける労働者という立場も併せ持つ。医師は長らく医療プロフェッショナルとして「聖職者」との意識が強く、また性格的にも生真面目で、つらくてもがんばって一生懸命働いてしまう傾向がある。職場である医療現場がそれほど厳しくない場合はそれでもよいが、昨今の医療受益側の要求が高い社会状況では、外来での懇切丁寧な説明が増え、欧米先進国のように医療補助員もないままに各種書類や同意書等が激増して疲労困憊してしまう。また夜間当直においても「コンビニ受診」や「クレームをつけるケース」が増えるためほぼ睡眠が不可能な状況の中で重篤な症例の選別とケアが待っている状況である。このような状況では、医師の聖職者意識と生真面目な面はそのものの健康を急速に損ねる危険性がある。労働基準法は週四〇時間の勤務時間を定めているが、多くの勤務医は当直を含め過労死認定基準の月一〇〇時間以上の時間外労働をしていることが明らかになっている。過重労働での疲労困憊の連続は「燃え尽き症候群」を起こし過労死・過労自殺を招く。 本来労働基準法で定める「宿直」は、本来の業務をしない「睡眠を取れる」ものであったはずが、病院における「当直」はまさしく医師本来の業務をしかも「時間外の救急態勢」で行うものであるから、実際は労働基準法で言えば「時間外勤務」そのものである。昨今ようやく社会的に認知された医師不足であるが、当直を時間外労働として認めると病院勤務医が不足し医療が成り立たないという事情から、行政も病院側も当直を「業務をしない宿直」と扱い、「時間外労働」であることを認めてこなかった。その結果が医師の過重労働と過労死につながっていることは、患者側にとっても被害が甚大であることを認識すべきである。すなわち度重なる勤務医の過重労働は救急現場からの医師の退職を招き、「医療崩壊」が進行したため都内でもお産ができる施設、小児救急を受け持つ病院が激減した。 また二四時間以上の連続勤務では「酩酊状態」になるという最近の米国の報告のとおり、三六時間連続勤務が常態化している救急現場では「酩酊した」医師が救急患者を診ることになり、「医療過誤」とその結果の「医療訴訟」が頻発することは患者・医療者双方にとって不幸なことである。従って、我々は厚労省に病院における医療者の労働条件を遵守させ、病院に労働者としての医師の「安全配慮」を義務づけることを要望する。(東京都 50代 東京保険医協会理事 開業医 申 偉秀) 中原医師の死が、過重労働による過労死であることは確定している。それにも関わらず、雇用者である病院の安全配慮上の落ち度を認めない判決は、全国の病院で常態化している労働基準法違反、労働安全衛生法違反に対し、その現状を追認するばかりか、環境改善を怠る病院や国に対し、格好の免罪符をあたえるものである。これは、医師の職場環境を改善しようという世論の流れに逆行する判断であり、司法は、罪なき人を守るという、本来果たすべき責任を放棄したと言わざるを得ない。絶対に看過できない判決である。(香川県 40代 香川労災病院 循環器科勤務医 松浦 靖) がんばってください。陰ながら応援してます。(大阪府 30代 大阪大学産婦人科勤務医 緒方 誠司) 応援します。がんばってください(大阪府 30代 皮膚科勤務医 西村 由佳理) 医師の多くは目の前に患者がいれば働くのをやめられません。それなのに「管理職であることを持って自己管理ができたはず」といわれ、「気づかなければ管理監督者である病院の責任はない」と言われるのなら、赤字に悩む病院としては人件費を増やすより、今いる医師を労働強化してしのごうとするでしょう。墨東病院の問題でも、東京都は医師を増やすのでなく、常勤医の労働強化により二人体制を敷こうとしています。医師の過労に気づくには、まだ犠牲者が足りないと言わんばかりです。このような無謀な行動を抑制し、医師がまっとうな人間として生きていける労働時間を確保するためにも、中原先生の裁判は支援するべきと考えます。微力ではありますが、エールを送ります。(愛知県 40代 みなと医療生協 産婦人科医 山口 千穂) 東京高等裁判所における病院側の責任を認めない不当判決に断固抗議いたします。(大阪府 40代 パナソニック健康保健組合松下記念病院中央臨床検査部勤務医 横山 慶一) 非常に遺憾な判決だと思います。高裁の判決は、急性期医療に携わる医師の労働の特殊性についての理解が欠けており、医療安全への司法の社会的責任を放棄している様に感じました。医療は、社会基盤の一部であり、勤務医が個人的裁量で労働量を調節できるような性質のものではありません。更に、全国的な小児科医師不足となっている状況では、代務を頼めるような状況ではなかったことは明らかです。急性期医療の過酷な労働環境を追認する判決が、医療を再生不能な状況にまで破壊するのではないか?と危惧しています。医療における適切な労働環境を構築するためにも、上告審での逆転を祈っています。(山梨県 40代 医療法人八香会湯村温泉病院勤務医 新田 清明) 多くの勤務医が苦しむ労働法無視、人権を無視した過重労働の実態を世に広くしらしめ、特に社会的にも問題となっている小児医療、産科医療、救急医療の崩壊から立ち直るためには大いなる人的支援、医療経済的支援および医療を受ける側の国民の理解と協力が必要であることを国に認めさせるためにも、故中原医師の裁判を勤務医が正当なものと評価できる判断が下されるまで応援し、協力を惜しまない所存です。(兵庫県 40代 医療法人川崎病院放射線科勤務医 木村 和彦) 医師に限らず、あらゆる職種の労働環境が改善されることを望みます。過労死レベルの労働環境を放置して良いわけはありません。医師だけでなく、全労働者のためにも、勝訴をお祈りいたします。(埼玉県 60代 深谷赤十字病院勤務医 大谷 英祥) 産婦人科の医師です。行政訴訟にて過労死と認定されていながら、病院側(雇用者側)の責任が認められないということは常識でも考えられない事だと思います。私たち勤務医は、労働者であって、被雇用者です。人権もあります。仲間意識としてではなく、一人の人間として、今回の判決には憤りを感じます。厚労大臣も、厚生行政の責任者としてだけではなく、労働行政の責任者としても、勤務医師の非人間的な労働環境を是正し、中原先生のような被害者を今後出さないようにするために、強力な行政指導をするべきではないでしょうか。今後は法界の良識の砦である最高裁の正しき判決を期待します。(青森県 40代 青森県立中央病院総合周産期母子医療センター勤務医 佐藤 秀平) 過重労働を現場の責任だと押し付ける現在の風潮が変わらない限り、患者さんのことを考える真面目な医師ほど負担が重くなります。そして、その負担に耐えきれず立ち去る医師が今後も跡を絶たないでしょう。残された真面目な医師の負担はますます重くなります。このような医療崩壊の連鎖を食い止めるには、現場の過重労働に対して、病院の管理責任を厳しく問わなければならないと考えます。(東京都 30代 東京大学医学部附属病院呼吸器外科勤務医 日下部 将史) 3次救急センターを併設した総合病院に勤務する内科勤務医として、五二歳で部長の現在も、毎月2〜3日間の当直をしております。このうち1日は日曜・祭日の二四時間日当直です。当直明けは、通常の勤務です。中原先生の過労死は、決して他人事ではありません。私の周辺だけでも、この1年間で3名の先輩または後輩の内科医・外科医が過労・ストレスによる自殺をしています。少なくとも救急病院の当直は「夜勤」であることをきちんと規定して、他の職種と同様に当直明けには医師が帰宅できるシステムを構築することは、医師の心身の健康を保つためだけではありません。当直明けではない医師から手術や検査を受けることができるようになることで、なによりも患者さんのためになります。病院側の責任を認めない不当判決に断固抗議いたします。また、中原のり子さんらの上告を支持し、今後とも支援していきます。(千葉県 50代 船橋市立医療センター内科外来部長 岩岡 秀明) 長く小児医療に取り組んで来られた、1人の有能な医師の尊い命が奪われた事実を、真摯に受け止めて頂きたい。(長野県 40代 飯田市立上村へき地診療所(内科)所長 鷲山 久之) 高裁、地裁と理解不能な原告敗訴の判決が続いていますが、最高裁には是非、まっとうな判決を期待します。医療崩壊の重要な原因である、勤務医の過重労働が是正されなければ、医療崩壊が更に進行するのは必至です。「死ぬまで患者さんのために働いても、法律は医療従事者を守ってはくれない」多くの医療者は、高裁・地裁判決からこのようなメッセージを受け取っています。そして、家族のために、涙ながらに激務から身を引いているのです。そのために引き起こされる、医療現場の人員不足の負のスパイラルは、何としても食い止めなければなりません。原告の皆様方のご尽力に感謝いたします。ありがとうございます。(香川県 30代 KKR高松病院内科勤務医 市川 裕久) とある総合病院で小児科医をしています。地域の中核病院で、小児救急の最後の砦のような役割を果たしています。県民四五万人の小児のうち、二五万人くらいを担当しているでしょうか。人数が多いため、中原先生のような激務ではないと思いますが、それでも当直が月に5〜6回にわたります。収入は十分すぎるほど頂いてはおりますが、休めないのはやはりつらいなと感じながら働いているところです。私のように恵まれた職場にあっても、過労死ラインを大幅に超えた勤務を行っているのが現状です。この裁判は、日本の医師の労働環境が改善されるか否かの非常に大切なものと認識しています。私たち医師は、人並みの人権を求めているだけなのです。この裁判が、憲法と法律に則って、公正な判断がされることを願ってやみません。(茨城県 30代 土浦協同病院勤務医 永吉 亮) 200床強の地方の民間病院に勤務し、小児科医6名の代表を務めています。周知のように、小児科の診療報酬は相対的に低く、逆に小児医療の質を維持する為は勿論、単に診察処置するためにも相対的に人手がかかり、売上を要求する病院経営の中で小児科医は常に厳しい立場に置かれています。収益の観点から求められる小児科の医療サービスは、医療の内容よりいわゆるコンビニ診療に偏りがちで、これは小児科勤務医の大変な負担になっています。しかし経営者や事務サイドはこうした負担を実感する機会が無いためか、理解を得るのはなかなか困難です。 一方で良心的な小児診療を維持し、一方でスタッフを守ろうとして、中原先生が自ら責任者と一医師(労働力)の二役の大車輪の活動をして状況の崩壊を防いでいたことは先生の当直回数等を見れば一目瞭然です。これが過労に繋がる事が理解できないなど机上の詭弁としか思えません。いかに収益を求める組織であれ、スタッフを見殺しにし使い捨てにすることが許されるはずはありません。医療にも現場の個人に出来る事は限りがあります。医療に関わる病院・行政には現場で努力する者を支援し守る義務があることを認識すべきです。それなしに中原先生のような良心的な医療者各個人に責任と負担を押し付けてきたことが今日の医療状況の悪化に繋がっていると考えています。(広島県 40代 日本鋼管福山病院勤務医 伊藤 滋) 小児科医師中原利郎先生の過労死は、病院の勤務体系に問題があるのは明白だと思います。医師としての良心と責任感のため、無理をしたことが自己責任という判決は不当だと思います。最高裁に上告し、頑張っていただきたいと思います。(福岡県 30代 小波瀬病院勤務医 惣明 靖元) 医療者は、これまでも労働基準法違反である事は知りながらも目の前の患者さんたちのために頑張ってきました。若いうちは体力も気力もありますが、それにも限界があります。自分のQOLは全く無視して、頑張っても誰も評価してくれず、当たり前だと言われ根性論だけで叱咤激励されば鬱になるのも当然です。さらに最近では、患者さんのためだけではなく病院経営のために自分の本意でない決断を下さざるを得ない事も増え、モチベーションも下がります。中原氏の最期の手紙を読まれたでしょうか。これは命を懸けて日本の医療を変えようと自ら生贄となり、世間に訴えているのです。この叫びを無視する事は許されません。私の身近でも、両手の指に余る医師が自殺したり、過労死したりしています。物言えぬ彼らに代わって、また日本の多くの医療者が言いたくてもいえなかったことを死に際して代弁してくれているのが中原様とそのご家族であり、雇用者側にも、国にもきちんと対応していただきたいと思います。(福岡県 40代 九州大学医療システム学教室 稲津 佳世子) 高裁の病院側の責任を認めない判決に納得がいきません、というよりも理解ができません。過労死が認められているのならば、その責任は管理者にあるのが当然ではないのでしょうか。そもそも小児科医に限らず、急患を診るような病院での「当直」というものはほとんどが労働基準法違反です。それ以外にもサービス残業は計り知れないでしょう。そんな地獄のような環境でも「患者のため」ならば、と頑張ってきた結果がこの仕打ちとは…。このままでは病院は医師に対して「体をこわすまで働かせてもその責任は負わなくて良い」ことになってしまいます。勤務医に対する逃散を促進することになり、医療従事者以外の方も不利益を被ります。最高裁への上告を支持いたします。もっとも、根本には小児医療の経営効率の悪さ、度重なる医療費削減があることも忘れないでほしいと思います。蛇足ですが。(富山県 30代 富山大学分子医科薬理学講座 高野 健一) 私は小児科医10年目で、今年の3月まで勤務医として地域の民間病院(千葉県や大分県)、小児病院、大学病院、東京の一般病院などで勤務しておりました。4月からは大学院生として研究を開始していますが、基本的には大学院終了後勤務医として一生働きたいと思っています。私は、何とかこの劣悪な勤務医の環境改善が行われるよう希望しております。患者のためには、良い勤務医の必要性を実感していますが、あの大変な職場に戻るのは体力的にも精神的にもとても不安で、労働改善がなされないままであれば、アルバイトで生きていく方がはるかに良く自分の家族や生活、体調を維持でき、収入面でも困らないので、勤務医に戻ることをあきらめようかと考えています。 今回の判決ですが、病院側は、地域の小児医療を守ろうと必死に働き、結果的に過労になってしまった貴重な職員の命を守れなかったことに対し代償を払うべきだと思います。本当は、過労の危険に対し事前に経営側がストップをかける必要があったのではないでしょうか。研修医の頃、中原先生のような立場であった科長は、病院経営側からは入院数・外来数を増やすよう要請されていました。当直帯は、外科や内科は(その病院では)患者数も少なく、小児科は一睡もせずに働いているような状態でそのような要請を受けていました。大学の関連病院でしたが、なかなか当直の応援も来ず、一月の回数も多くなりました。どうして私達の科が言われてしまうんですか? こんなにがんばってるのに。でもその時は疲れのためか先生にも私自身にもその答えはなく、診療を続けるしかありませんでした。その先生は鬼のような顔をしてやるしかない、がんばるしかないということにとりつかれているようでした。結局その後、科長は勤務医を辞められました。辞めることで、その負担から解放されました。中原先生のような特に診療科長などは、通常の業務をこなしながらも経営に関しての負担があります。中原先生はその負担を全部背負っていながら、過酷な勤務を続けた末、死を選んでしまったのだと思います。(東京都 30代 東京大学小児科 鶴見 晴子) 判決は、東京地裁の一審が相当因果関係と安全配慮義務のいずれについても企業責任を認めなかったのに対して、今回は既に確定している行政訴訟の原告勝訴判決を後追いして相当因果関係のみを認めただけの内容で、多くの関係者から無責任な「不当判決」との批判が出されている。特に、判決は、働く労働者の健康を守るための法律である労働安全衛生法が職場でどのように実践されていたかについて全く触れていない。被災者がうつ病に罹患し、死亡するまでの数ヶ月間のみに限定して、管理者が被災者のうつ病を予見できたか否かの「水かけ論」をしているだけで、労働安全衛生法に基づいて、医師を含む病院職員に対して、日常的に労働者の健康を維持、増進させるために病院経営者がどんな活動をしていたかは全く触れていない。多くの民間病院でこうした活動が軽視されている現状からみても、こうした実態に全く触れない判決は不自然であり、妥当ではない。安全衛生組織の整備やその実情、定期健康診断の実施や産業医によるその事後措置や日常の健康相談への対応や職場巡視の励行などの「不法行為」の有無について証拠すら全くあげていない。なお、判決は、日本小児科学会の実態調査から小児科勤務医の当直回数を月平均3・49回とし、被災者の最大8回は多すぎるものの、月5、6回は多いとはいえないというまさに「飛躍的」論理を展開しているが、当直に従事している小児科医勤務の多くが四〇歳未満で、四四歳だった被災者のような中年期の小児科医が週1回でも過重な負担であり当直回数も激減することは無視している。 なお、過労自死の事例を多数経験している天笠精神科医師は、判決の相当因果関係についての結論が「明解」なわりに、病院側の安全配慮義務違反を否定する際の論拠として「予見できなかった」とする論理は、まわりくどく、わかりにくいと述べている。「安全配慮義務違背は認められない。疲労や心理的負荷等が過度に蓄積すると労働者の健康を損なう危険のあることは周知だが、その危険は『具体的客観的に予見可能でなければならない』」としているが、果たして司法的根拠があるのでしょうか? また、平成一一年三月と四月の両月の勤務状況は過重であったが、常勤医2名の予定外の退職によって発生した一時的なものとしているが、たとえ一時的であっても、疲労や心理的負荷が過度に蓄積すると労働者の健康を損なう危険のあることは周知のところで、それだけで具体的客観的に予見可能性があったのではないかと思う。まして、2カ月にもわたっていたのを「一時的」といえるのか疑問で、それ以前に勤務医の一人が退職希望を出した段階で、事業主は何らかの措置を講じなければならなかったのではないか。また、判決は、当直の割り振りを本人が担当していたことを取り上げ、『本人に裁量の幅が大きかった』としているが、(被災者が)まじめで几帳面だったであればこそ、裁量の幅を大きく任されていたために、かえって他の医師に当直で嫌な思いをさせるくらいなら自らしてしまおうとしたのだと思うのが自然である。これは自分(天笠医師)の経験からもいえ、「裁量があるゆえの非裁量性」といえる。外形的・形式的に判断するのではなく、実態・事実がどうであったかで判断されるべきである。なお、外医に依頼する余地があったとしている点も疑問である。また、常勤医の確保、外医の採用は、形式的には院長権限だが、実質的には部長代行であった本人の権限で行われていたが、病院側でも小児科医療の継続困難性という狭い意味での経営視点から乏しいながらもなんらかの対応をしようとしていたこと自体、具体的客観的に予見可能性があったことを示しているのではないか? この事実は、即、そういう労働現場を担う者が相当に過重な業務にならざるを得ないと認識していたことを示している。うつ病に罹患した者は基本的に病識がなく、医師のもとを訪れることがあっても、ごくありふれた身体的異変を訴えるだけで、自分からは精神的苦痛を述べず、表情や態度に問題を感じさせないという医学的意見を採用し、病院側の予見可能性がなかったとしているが、精神科医がちゃんと聞き出して、その発症を「見抜く」ことが精神科医の務めであり、少なくとも精神科医が発症を見抜けない例は極めてレア・ケースである。本件のような2ヶ月間の長時間過重労働で精神疾患(うつ病)は発生し得るのだから、その事実を認めないような(判決)ならば、2ヶ月間の長時間過重労働によって発生し得る精神疾患(うつ病)は決して予防し得ないであろうし、勤務医の健康を守る取組みに決して通じない。(過労死・自死相談センター運営委員会 上畑 鉄之丞、天笠 崇) 患者さんの命を守る医師や看護師が過労死することは世界的に見ても非常識です。そして、残された家族のことを考えれば、そういう職場の管理を預かっている病院の管理体制の不備があれば、やはり問題だと思います。病院側にもきちんとした謝罪を求めたいです。(愛知県 30代 名古屋大学医学部勤務医 井上 雅博) 病院の安全管理義務が認められなかったことは、大変残念です。押し寄せる患者を「断っていいよ」という病院だったのでしょうか?小児科医の人数が足りないから、小児救急を停止するような病院だったのでしょうか?そんなはずはありませんよね。本人が自殺するほど追い詰められた精神状態に全く気づかなければ、病院の義務が認められないですむというのはおかしな話です。うつ病になっていれば、自分で過労に気づいて働き方を調整すると言うようなことはできません。判断能力が低下しているからです。管理者が本人だからと言っても、勤務医の部長は「名ばかり管理職」というのが普通です。そうである以上上層部には職員の精神状態・労働実態にも気を配る必要があると考えます。(愛知県 40代 みなと医療生協産婦人科勤務医 山口
千穂) 度重なる、現在の医療行政の改定は、そのまま、医療崩壊をもたらしているもの、つまり、『改悪』そのものだと思います。その中で、自ら理想とする医師像を貫く事ができずに、亡くなっていった方が中原さんなのだと考えます。このような方を、これ以上作らないためにも、早急に医療現場の状態改善が必要です。そのためには、今回、中原さんが実際に過労死として、認定され、マスコミなどを動かしていく事が、是非とも大事なのだと考えます。是非とも、最高裁での正当な審判をお願いしたいと思います。(長野県 40代 神谷小児科医院 神谷 仁) 信じられない判決です。せめてたった1日でも現場を見ていただきたいです。実際に足を運び、目で見て、肌で感じ、その修羅場を自分自身の人としての感覚で実感してほしいと強く思います。そして自分の寿命を削って人の命を助ける仕事をしているのが医師であり、同時に医師も一人の人間であるということを理解していただければ自ずと正しい判断はできると信じています。これ以上、皆のこころを壊さないでほしい。(兵庫県 40代 開業医 和久 晋三) 中原先生の死を無駄にしてはいけない。勤務医時代、私自身も過酷な過重労働の中、楽になりたいと衝動的な行動をとった経験があります。通常の世界ではありえない過酷労働があった事実は動かせません。事実を認めて、労働基準法は何のためにあるのか、産業衛生、労働法規は誰のためにあるのか、司法の方には原点に却って冷静にみつめて欲しい。医者はスパーマンではない。医者も人間だ。中原先生の奥様の活動は大きな輪にに広がり、司法の恥ずべき過ちを正し、必ずや日本の医療再生の糧となります。(兵庫県 50代 開業医 長尾和宏) 学生時代からずっと中原さんの活動を応援しています。今、私は日本一忙しいと言われる病院で、毎日しがみつくように研修医として働き続けています。それが患者さんのためになるとしたら、24時間365日働くのも当然だとは思っていますし、現にほとんど病院で過ごしています。それでも病院は満床で急患はたくさん運ばれてくる現状がありますので、「自分がいなくなったら、担当患者達は死んでしまうかもしれない。」その思い一心で働き続けなくちゃいけない義務感だけで走っています。 医師が過酷な勤務状況の中で働き続けることは、誰でも同じようにできることではなく、自分は心身共に健康で、社会的束縛がないからこそできることではあると思います。また、私には期限があるから、望んで過労の現場に就きました。対して、中原医師はいつも命が失われるリスクと隣り合いながら働いていたのに、更に人事でも苦悩を強いられるような環境下にあり、家族という守るべきものもあった。私達医師は患者を助けるだけのことでは苦痛に感じはしないけれど、それ以外の事務作業に対して壁を感じたり、強制力を感じた場合にはモチベーションも低下します。そのゴールも全く見えませんでした。その中で過労し、それが長く続けば、命を絶ちたいと思う気持ちがよくわかります。命の重責に、いっそのこと死んだ方が逃れられて楽だ、という気持ちは非常によくわかります。私も死を選ぶと思います。最終的には、患者への責任感を医師は捨てきれず、そこまで追いつめられるのだと思います。 追いつめられない医療労働環境は、日本では実現できないのでしょうか。そして、誰もが安心して受けられるような、アクセスの良い医療を私達はもっと求めていけないのでしょうか。今のままで本当に安心でしょうか。今後の将来を考えて、判決が病院側の責任も問うように下されることを望みます。今回の判決により日本の病院全体の意識が変わっていくこと、誰もが仲間を大切に思える職場作りに結びつくこと、患者も医療者も無理のないサービスを目指していけることを祈っています。このままでは、本当に患者さんを思う医師ばかりが重責に耐えかねていくことでしょう。(神奈川県 20代 湘南鎌倉総合病院勤務医 遠藤 香織) 家内が僕に言います。 ”結婚した時は、世間で医者が多すぎて困ると言われ将来どうなるかと思ってたのに、今は医者不足とか、秀也(愚息の名前)は幸せね。” 妻は何を見てきたのだろう・・・・・。 僕達の世代は朝も昼も夜も働いた、それが医者の仕事だと思っていたから。今の世代の医者にそれは通用しない。医者も人間なのだ、そしてそれは正しい。僕達は捨て石でもいい。でも、これから将来のある若い医者には、まともな職場環境を与えてあげたい。国が国家試験として医者を認定するのだから、医者の職場環境もしっかり考えてもらわねば困ると思います。(大阪府 50代 開業医 八木 高秀) 小児科医、かつ元救命センター勤務でした。過重勤務及び患者からの暴力で燃え尽きました。自殺未遂もしました。労災認定を受けました。 国全体としての医療制度というマクロな視点においても、各病院の体制というミクロな視点においても、現状は悲惨な状況であると考えます。マクロ政策の失敗のつけが病院に回っているのかもしれませんが、かといって病院が現場の従事者にそのつけを負わせていいわけがありません。何事も現場に押しつけていては日本の医療は空白になるでしょう。 死ななければものがいえないような状況を打破しなければなりません。(兵庫県 40代 勤務医 松平 宗典) はじめまして。千葉県在住の勤務です。故中原利郎先生の大学の後輩です。私個人では何もできませんが、中原のり子様をはじめとするご遺族の方々の少しでもご協力できればと存じます。私の外科の同僚も46歳で過労により亡くなりなりました。外科の世界でも真面目に働く医師ほど過剰な労働を強いられるのが、残念ながら本邦の医療の現状のようです。先日のDNA鑑定に基づく足利事件のように、裁判所の判断も時に間違えることがございます。少なくとも中原先生のように誠実に医療を行った方やそのご遺族の方が悲しむことの無いような判決がでることを希望しております。是非ご家族の皆様へのご支援の気持ちを添えまして署名させていただきます。(千葉県 40代 千葉大学勤務医 松下 一之) 頑張った人が報われるのは当然です。頑張ってください。(山形県 50代 山形大学医学部長・脳神経外科医 嘉山 孝正) 私は42歳で医師となって15年経ったところです。この間に身近で見聞した「医師の過労死」は5件を数えます。自死3人、事故死1人、不明の急死1人。そのいずれの場合も、「過労死」として社会に知られることは一切なく、遺体と共にその人の生きた軌跡さえひっそりと葬られていきました。いたましく、そして、社会的に何とも「もったいない」ことだと思うのです。医師不足が深刻なこの社会で、真面目に一生懸命働いていた医師が1人失われることの損失は、はかり知れません。私が、一面識も無かった故・中原利郎先生の裁判を応援する理由は、ここにあります。中原先生の後ろには、沈黙のうちに葬り去られている無数の医師の過労死があるのです。裁判官は、死せる彼らの声に耳を傾けてください。今も過労死は続いています。これからも過労死が続くのを、放置して良いとお考えですか。司法には、現状を変える力があるはずです。(東京都 50代 内科開業医 九鬼 伸夫) 私の知り合いにも小児科医がいますが、自らを取り巻く環境が年々厳しくなっていることを実感しているようです。彼が勤めているのは地域の中核病院ですが、小児科の常勤医は彼一人、その重圧たるや想像を絶するものがあります。それこそ、いつ中原医師と同じ道をたどってもおかしくない状況ではないかと思います。同じ悲劇を二度と繰り返さないためにも、ご遺族の取り組みが無駄にならないことを望みます。(高知県 40代 医療法人永島会勤務医 亀山 直樹) 勤務医の労働環境は過酷です。自分の勤務医時代もそうでした。私は内科でしたので、小児科に比較すると楽だったと思います。それでも、当直が忙しくて眠れない場合などは翌朝から検査や病棟の勤務を当然のようにしなければなりません。看護婦さんのように3交代など無いのです。中原先生の勤務状態は忙しすぎたようですし、小児科は現在問題になっているように、非常に忙しい科で、真夜中もろくに眠れないこともあります。医師は一人の人間です、労働者としての権利をもちろん有しています。雇い主の責任はあると考えます。(島根県 50代 開業医 竹下内科医院 竹下 正弘) 中原医師の自死は過労が原因であることは認められた。しかし、管理者である病院に責任はないという高裁判決になった。これが認められれば、管理者は従業員の健康に責任を持つ必要はなく、使い捨てで構わないことになる。病院に限らず、一般企業にも影響のある悪しき判例となる。この高裁判決は絶対確定させてはならないものである。(熊本県 70代 開業医 上塚 高弘) 病院勤務医師の現状の過酷な労働環境を、容認、放置、強制している、個々の病院には重大な過失と責任がある。このままでは、医師にとっても、患者にとっても、不幸な医療環境が永遠に続きかねない。最高裁は日本の医療の将来を見据えた上で、たとえ予想される今後数年間の苦難の状況をも「生みの苦しみ」と覚悟した上で、中原利郎先生の勤務していた病院に責任を取らせるべきである。そのことが健全な医療を国民に届ける第一歩となることに全く疑いの余地は無い。 (私個人の経緯) 医学部卒業時「小児科医が足りない」と報道が相次ぎ、ならば自分が小児科医師になって少しでも世の中に貢献しよう、そう思って小児科医師になりました。勿論、こどもは好きですし、何よりも救いたいと思っていました。 無我夢中で必死に2年間の研修を乗り越えました。医師として最低限必要な技術、知識、経験を積むことだけで2年が過ぎました。その後も他に特別にやりたいことも見つからず、そのまま小児科医師を続けてきました。常に疑問を感じながら。 「小児科は24時間365日診療」「連続30時間勤務」「コンビニ受診」 聖職意識でボヤかされたズサンな労務管理。誰も文句を言わない、言えない、言わせない、医療現場独特の「自己犠牲」を重んじる雰囲気。患者(両親、地域)教育よりも、患者ご都合主義、背景に小児科不採算、医療費抑制、もの言わぬ小児科医の美意識に包まれた虚像。もっと早く小児科医師自らが世間に警笛を鳴らし、患者を助ける為には、自らの勤務環境を改善すべきであったこと。それを疎かにしてきた故、今まさに患者の命が、医師の命が危険に晒されていること。しかし、その善意に溢れた小児科医の良心を、空気と水の如く勘違いし、蝕んできた国家、行政、病院、そして地域。私は医師になるまでは、気がつきようもありませんでした。一生懸命働く一方で、常に満たされないワダカマリがありました。「私が倒れようとも、なにも変わらない、社会が私を救ってくれることはない」そう思いながら勤務してきました。一方で患者さんを救っているという自負だけは持ち続けて。 医師になり4年目の頃、中原利郎先生を知りました。「これが現実だ、やっぱり起きた、起きていた、自殺が...」ショックと同時に、現実を直視せざるを得ませんでした。「自分が感じてきたことは間違っていない、いくら正義感をもって仕事をしても、疲れ果てて間違いを犯すかも知れない、追い込まれたら自殺するかもしれない」「親も友人も悲しむかも知れない、しかし問題の根底を果たして理解するだろうか、私は何のために仕事をしているのか、これって正しいことなのか?誰のためなのか?続けなければならないのか?逃げ出してはならないのか?」一気に襲い掛かってきました、積年の思いが。中原利郎先生は、でもこれが現実で、世間がどのようなな見かたをしようとも、一人の小児科医師が過労死したことに変わりはありません。これはマズイ、何とかしなくては、明日はわが身、どうにかしよう、同時にぐるぐると私は考えていました。 すぐに支援の会に入会しました。そして、日本の医療環境が、医療従事者にとって、患者にとって、どれほど劣悪なものかを知りました。労働基準法も勉強しました。個人レベルで勤務先の病院に抗議したこともありました。しかし、周囲の医師を説得し、巻き込むことはとても、とてもできませんでした。言い出すことさえ憚られました。「労働基準法が云々と言っても、聞く耳を持ってもらえないのでは」「そんなことより、目の前の患者さんの診断、治療、が優先」「皆忙しいし、言わないほうがきっと楽」どうしたらいいのか...勇気が持てませんでした。正論なのに勇気が持てないまま、9年間が経ちました。 今、ようやく自分らしく生きています。誰に何を何と言われようと、自分の人生、夢を持って楽しく生き抜きたい。そうでなければ、患者さんに良い医療を届けることも、一緒に楽しむことも、出来るわけがない。そう確信しております。だから、この支援の会に復帰しました。3年前に自分の限界を感じ、一旦は離脱しましたが、新たな決意を胸に復帰しました。 「守られた労働環境で安心して医師が働く。それは患者の安心、より良い医療への絶対条件。医師も、患者も、病院も、地域も、国も、皆が幸せを感じることが出来る医療体制へのシフト」このために、自分の経験と想いの全てを行動に移すこと。中原利郎先生の死を無駄にしてはならないこと。この支援の会を通じて、自分の持てる力をありったけ動員して、世間に伝える責務が自分にはあること。そう決意したことを、最高裁へのメッセージと致します。平成21年11月26日(岩手県 30代 小児科医師 鈴木 徹郎) 過労死を認定しながら、病院の責任を認めないことは許されません。東京高裁の不当判決に断固抗議します。中原のり子さんたちの勇気ある訴えが政治を動かし始めています。私も国会で、医師をはじめとする医療従事者の過酷な労働実態を告発し、「医療崩壊」から脱出をはかるために力をつくします。中原のり子さんの上告を支持し、今後も支援させていただきます。(東京都 40代 医師・日本共産党参議院議員 小池 晃) まずは中原利郎先生のご冥福をお祈りさせていただきます。私個人も状況はかなり違いますが、医師でありながら病を患い、一時自殺未遂に至った既往がありますが、幸い命は取り留め、現在に至っています。 その時の経験などから言わせていただきますと、医療という業界では、技術や実務のヒエラルキーのトップは紛れもなく医師になるわけで、いわゆる最高の管理者になるわけですが、当の医師には、一部を除き人事権もなく、ただ指揮命令に従うのみの労働者であり、必然的に名ばかり管理職になってしまいます。(もちろん雇用形態により異なりますが)私もトップレベルの病院から末端の病院まで数々の医療機関で勤めて参りましたが、経営者が良識のある医療機関というのはきわめて限られており、そういう医療機関は概して赤字経営で存続が難しい現状です。 そのために医療に予算をつぎ込むのももちろん必要な政策かと思いますが、私の経験から言わせてもらえば、医師を奴隷のように使う悪い経営者を駆逐しないと、結局そういうお金儲けのために医療をする人たちに持って行かれるのみで、国民医療費は増大するけど、医療従事者の待遇は悪化という結果は目に見えています。そのためには、行政がしっかりすることも大切ですが、勤務医一人一人が団結し、声を上げていかなければ、黙っているだけではヒエラルキーのトップにいるような「強者」と思われる医者を助けようとする人など誰もいるはずはありません。 医師一人一人が経営にも問題意識を持ち、声を上げられる組織作り是非必要だと思います。そうすれば、国民医療費の削減にもつながる可能性は十分にあると私は考えています。少し中原先生の問題とはずれますが、私が思う一番の問題点は、声を上げる医師が少なく、無関心な医師が多いことだと思っています。こういう運動をきっかけに問題意識を持つ医師が増えてくれることを望んでいます。 険しい道のりだと思いますが、目標を持って活動を頑張ってください。陰ながらご支援しております。(大阪府 30代 勤務医 結城 和央) 責任感の強い医師ほど自らの体を酷使し過労で倒れる結果になります。医師が自身の健康を維持できない社会は異常です。早くその異常から正常な社会にもどしてください。(島根県 60代 小児科・内科開業医 及川 馨) 卒後9年目となる小児科です。まず、中原利郎先生を始めとして、日本の異常な勤務状況の犠牲となった諸先生方に謹んで御冥福をお祈り申し上げます。 現在、在沖縄米国海軍病院に勤務しており、いずれは臨床留学を考えています。米国と日本の医療の違いをみるにあたり、あまりにもその労働環境の違いに驚きます。 私は以前に東京・長野で小児科診療をしていた際に、非常勤という扱いで採用されておりましたが、「週4日」という勤務規定にも関わらず、週7日勤務せざるをえない状況でした。かつ当直業務に対する報酬内容にも疑問がありました。勤務規定には「当直業務も含んだ上での給与」と書かれていますが、当直業務を入れると明らかに週4日分の労働時間を超えます。これは労働基準法を違反しているのではないでしょうか。 結局、病院側は少しでも安い労働力を養うために、当直代を払わずに済む非常勤を雇い、そしてその非常勤に結局は当直を含めて過酷な労働を要求します。こうした状況が日本では小児医療に関わらず、あらゆる科においてあてはまります。 今や日本でも海外への臨床留学を考える若者が増えてきますが、日本の医師労働状況の悲惨さも加味しているのだと思います。このままではいずれ日本で、小児科医がひとりもいない、という都道府県が現れる日も近いでしょう。 私自身もすでに日本の小児医療に将来性を感じていません。ぜひ日本の医師の労働環境について、多くの方に関心をもっていただきたいと思います。(沖縄県 30代 米国海軍病院勤務医 桑原 功光) 自ら命を絶たれた中原先生の無念は、医療従事者の労働環境の改善でしか晴らすことができません。最高裁への上告が受理され、良識ある判決が下ることを信じております。(奈良県 30代 内科勤務医 寺嶋 応顕) 数多の悲劇の中でも現代医療の貧困を示す象徴的な出来事だと思います。見るからに熱心で優秀な一人の働き盛りの医者を殺したのはどいつだ?(北海道 40代 植苗病院医師 片岡 昌哉) 私は医師になって、足掛け28年になります。けっして働き者ではありません。むしろ、ぐーたらな方だと思います。しかしそんな私でさえ若い頃には、殆ど眠れない当直の明けの午前中に 外来をこなし、昼飯は3分でかき込んで午後は手術、一段落して病棟の受け持ち患者を回診するのはもう消灯間際、などという労働基準法なんか糞食らえの過酷な勤務を、日常茶飯事にこなしていました。 「何事も経験、勉強だ。苦労は買ってでもするもの、代償は求めるな。」と、先輩に言われ、そういうものだと思っていました。しかし、そのような偏った犠牲に支えられた医療社会というものは、時間とともに歪んで行き、やがては破綻してしまうのは、冷静に考えれば自明のことと思います。中原先生の痛ましい過労死や、福島県大野病院事件などはその象徴的な出来事だったのではないでしょうか? 医師という職業は、決して(昔風に言うところの)ホワイトカラーではありません。豊富な知識と高度な技術の他に、強靭な体力と精神力を要求される、むしろブルーカラーに近いものだと思うのです。そういう医師の、労働者としての最低限の権利をすら、ないがしろにした病院の責任が追及されないのであれば、この国の医療に未来はないと考えます。 今回の上告が棄却されるような事態になれば、医療崩壊は一気に加速するのではないでしょうか?上告審を、心より支援いたします。(神奈川県 50代 開業医 森本 隆雄) 中原先生のためのみならず過酷な状況にある多くの仲間たちのため、訴えが届きますよう応援させて頂きます。(東京都 40代 開業医 比佐 哲哉) 自分の子どもが病気になったときに、過労でふらふらになった小児科医に診て欲しいと考える親がいるでしょうか?わたしはいやです。だから、この抗議に加わりました。(兵庫県 40代 医師・兵庫教育大学大学院教員 岩井圭司) 日本中に、患者さんの健康や安心を満たすために頑張っている医師がたくさんいます。その中には、常識では考えられないほど過酷な労働をしながら、求められる医療を提供している医師もかなりの数いると感じています。求められれば頑張ってしまうその医師たちを守るのは、雇用している医療機関であるべきです。その当然の常識が最高裁にあるのかどうか、注目しています。大変だと思いますが頑張って下さい。(長野県 40代 愛和病院医師 平方 眞) 飛び降り自死。そんな怖いこと、痛いことなどできそうにありません、自分には。私は「我慢強くなく、自分勝手で、言いたいことは遠慮なく言う」人間だからです。 故中原先生の自死。中原先生のことを知れば知るほど何故に自らの命を絶ったのか理解できるようになりました。自分などより数倍の責任感を持ち、子供たちを愛し、家族を愛し、責任から逃げることなく、愚痴をこぼすことなく、中原先生は努力を続けていました。体も心も限界に達し、「もはや自分は責任を果たすことができない」と思い込むに至り、ついには心の病にかかり、悲劇的な最期となったのだと思います。 中原先生は日本国の首都東京における小児医療の貧困を告発される遺書を残しました。浮世離れしていると言われる裁判官の方々ですら、遺書を読まれたら心が打たれると思います。中原先生が遺書を残したということ。発作的に飛び降りたのではないことを証拠付けていると思います。心も体も限界でもう生きていたくないと思いつつも社会に言葉を残したかったのです。残りました。中原先生の遺書は真実を伝えています。先生が遺した医療問題は今に至るも解決されていません。 私はリハビリを必要とする患者さんが厚労省が決めた日数を超えると、自費で治療しろという制度などに反対して二件の行政訴訟を戦いましたが、最高裁判所は上告を受理しませんでした。リハビリ棄民政策は違法行為ではないかと問いかけたのですが、最高裁判所は「医師には訴訟の資格なし、診療報酬の告示は行政行為ではない」と門前払い判決を容認したのでした。 もしも、中原裁判が上告受理されないならば、日本国には『法の支配』など存在しないと宣言したようなものです。全国の医療人はもとより一般市民や医療事故被害者の多くは司法に、そしてこの国そのものに失望することでしょう。 私(達)は行政官庁の不作為を批判はしますが、官僚個人を罪におとしいれようなどとは思ってません。中原先生の自死の直接原因は、病院当局が管理責任の実行を怠ったと良識にしたがって認め、それだけではなく、病院の違法行為(不法行為法違反ないし債務不履行)は中央政府の怠慢によるものであると明確に認定してください。 昨今、検察が被疑者に対して「事実ではない調書に無理矢理署名させる」行為が大問題になってます。事実でない調書が裁判官により真実と認められて犯罪者とされた方々が告発を始めてます。裁判官への信頼、検察官への信頼は崩壊しつつあるのです。もしも最高裁が中原裁判の上告を不受理としたら、少なくとも医療関係者と心ある市民の司法への不信は決定的になります。故中原利郎先生の自死の意味を真剣に考えてくださるよう希望し、要求いたします。(神奈川県 40代 鶴巻温泉病院勤務医 澤田石 順) かけ声だけ「過労をなくす勤務」を叫ぶ組織。反吐が出ます。(鳥取県 60代 内科開業医 櫻井 重樹) 病院に損害賠償を請求するという点で支援に二の足を踏んでいる医師が多いですが、現行の法体系では民事訴訟しか病院の管理者責任を問うことができません。そのことを説明しても中々理解してもらえないことが悔しいです(私の説明が悪いだけかもしれませんが)。また、故・中原利郎氏のような「名ばかり管理職」の過剰労働の問題は医療界でも十分に論じられていないです。これらのことから、最高裁はきちんとした判断を示すべきです。一刻も早く上告を受理し、再び論議されることを切に望んでいます。(東京都 50代 健和会柳原リハビリテーション病院医師 坂口 志朗) 高校・大学と中原先生と同じ学校を卒業して医師になった者として、今回のショッキングな出来事はとても他人事とは思えません。責任感の強い医師に何もかも負担を押し付けるような医療体制は早晩破綻します。これ以上の医療崩壊を防ぐためには、病院側は患者の健康を気遣うのと同じように医療従事者の健康に留意すべきでしょうし、救急外来を受診する側にもある程度のモラルを守ってもらわなければいけないと思います。今回の不当判決を撤回して、病院側にきちんと責任を認めさせること、まずはそこから始めなければならない。そのように強く思います。(山形県 50代 いくま内科胃腸科クリニック医師 井熊 仁) 日本の世界一と言われる医療は、多くの現場で働く医療従事者により守られています。人口当たりの医師数も少なく、社会保障費も決して他国に比べたら多くない中で、世界一高齢化した国で長寿を実現しています。しかし今後さらに高齢化が進む中で、現場の負担が増え、利用者の価値観も変わる中で現状の予算や人員で守って行く事は困難です。医師も労働者として普通に人権が守られ、人間らしい生活が出来ない状況では良い医療が提供できるわけはないと思えます。徹夜明けのパイロットに操縦させるような医療ではなく、普通に医療が提供できる環境を現場の我々は望んでいるだけです。 普通の労働者であれば中原さんは過労死と認定されるのだと思います。それさえ認められないのでしたら、多くの現場で働く医療従事者は明日は我が身で誰も守ってはくれないと感じるでしょう。今後の医療を守っていくためにも、二度とこの様な事が起こらない様な判断を望みます。(北海道 40代 医療法人財団・夕張希望の杜・理事長 医師 村上 智彦) 夜間当直明けと休日勤務の代休は患者さんの医療安全確保および医療者自身の健康のために法律的な規制が必要と考えます。航空行政の安全指針を参考にすべきです。(東京都 50代 松本クリニック医師 松本 香:) 私は63歳の永年勤務医です。24歳で卒業して医師免許取得。それ以来約40年間臨床医(内科医)として頑張ってきました。昭和52年に現在の病院に赴任して200床余りの病院ながら後輩たちを指導し育成しながら頑張ってきました(現在の医師数21名ですが当初は5〜6名)。30歳から10年余りは毎月10回くらい当直していました(すなわち32時間余の連続勤務)。当時はクタクタに疲れることはあっても医師として当たり前だと思っていました。日曜日は疲れて寝てばかりいました。いま思うとよく過労死しなかったなと思います。しかし当時は訴訟沙汰もなく、つらいと思ったことはありませんでした。 平成10年に病院長になって12年目、現役院長です。部下の医師たちが当直してくれています。毎月4回くらいの当直回数で何とかやりくりしています。毎朝、朝1番の仕事は当直医の顔色を見て心身ともに元気かどうか顔色をチェックしています。できれば、当直明けの24時間勤務のあとは帰宅させたいのですができなくて葛藤しています。当院は救急は余り受けていませんが重症の入院患者も多く当直勤務は楽ではありません(他の病院よりはずっとましだと思っています)。中原先生の、この判決が病院に責任がないのなら勤務医の過労死や労災事故はいつ起きても不思議ではないと思います。(広島県 60代 国家公務員共済組合連合会吉島病院病院長 医師 倉岡 敏彦) 中原さんの当地でのご講演はDVDで拝見させて頂きました。一つ自らの立場が変わると、それまで見えていなかったさまざまな社会の黙契が自分に荊の棘を現してきます。多くの医師は表では医療事故の当事者になる不安、そしてその裏では瑕疵なき医療行為を目指す故の過剰労働の負担に身をすり減らしています。病院側の責任を糺すことでしかこうした過労死スパイラル脱却の第一歩はありえません。中原さんの訴えが認められることを強く希望します。お体にご自愛ください。(兵庫県 50代 県立柏原病院産婦人科医師 上田 康夫) 病院の雇用管理責任を問う中で、国民が安心して暮らしていくために医療にどれだけのことを期待し、医療従事者の過重労働状態を解消して持続可能なシステムを構築し、そのためにどれだけの財源を投入すべきかという議論につながって行くことを期待します。このような悲しい出来事を繰り返さないために、病院の管理責任を認めることがその一歩として必要だと思います。(大阪府 50代 医療法人出水クリニック医師 出水 明) 先輩医師である中原先生の死を悼みます。勤務医は当直においても患者の診療をして当たり前という悪しき風潮が改善されず、未だに30時間を超える不当な連続勤務を余儀なくされております。中原先生の遺志を無にしないため、国が早急に勤務医の就労環境の改善に取り組むべきですが、医師に対するメッセージは弱く全く耳には届いておりません。これでは医療崩壊を食い止めることは困難です。疲れ果てた医師を使い捨てにするかのごとき違法状態が長年にわたり放置されていることに対して、最高裁判所は勤務医の労働環境を改めるのが当然であり、労働者の健康管理について病院の責任を明確に認める判断すべきだと考えます。(千葉県 50代 県立東金病院医師 岡嶋 良知) 中原利郎先生の過労死において、病院側の責任を認めない判決に抗議いたします。社会のために誠実に勤務された中原先生の職場環境は、あまりにも厳しいものであったことは誰にとっても、納得するものです。勤務医にとってだけでなく、社会的にも大変重要な問題です。中原のり子さまの上告を支持申し上げます。(東京都 40代 医師 安野 正道) 無茶な勤務で死んでも、それは自己責任なのでしょうか? そういう無茶な勤務は放棄して逃げたら良いのでしょうか? 無茶な勤務の背景には無茶な社会があります。逃げられない現場というものは確実に存在します。逃げられない責任を現場医師だけに押し付けていいのでしょうか? 次の判決次第で、日本の医師は行動を変えなくてはなりません。国全体を誤った方向に向かわせないよう、適切なご判断をお願いします。(東京都 40代 開業医 小城 崇弘) 自分の生活、自由のない医療従事の毎日を過ごしている先生が、立派な先生とみられる風潮が日本にはあるように思います。しかし、その犠牲で過労死をしたら、それで終わりというのは、あまりにも勤務医はみじめです。現役時代に自分の病気にも心を配る暇もなく気づいたときには手遅れの医師をみました。本人の犠牲、家庭生活の犠牲の上に成り立つ働き方を医師に求める今の勤務医の制度をぜひ改めてほしいと思います。(岡山県 60代 特定医療法人万成病院医師 西原 修美) 医学部時代、中原先生の記事を新聞で読んでから、ずっと、医師の過労死が認められることを信じ、祈っています。産業医としても、この過労死が認められないはずはないと信じます。(千葉県 30代 財団法人君津健康センター医師 吉田 明子) 40代半ばに開業医になるまで、大学病院・公立病院と外科勤務医として働いておりました。外来業務・病棟業務・内視鏡をはじめとする種々の検査・手術および術後の患者の管理、さらに加えての当直業務はこの年になって考えると信じられない勤務状況でした。医師の仕事が書籍から得られるものだけでないことは事実ですし、現場での患者との触れあいが医師としての成長に必要不可欠であることも事実です。しかし、医師という職業の為に限界を超えた労働環境に耐えなければならないのは悲しいことです。患者、医師、看護師など、すべての医療を取り巻く人々にとって、もう少し心に余裕のもてる環境であることを望みます。(静岡県 60代 大谷はざまクリニック医師 間 浩明) 私も小児科医です。現在は開業していますが、勤務医の時は過労で階段の手すりをつかまらなければ、上れないことがありました。中原医師のことは、他人事ではありません。文字通り、「死ぬまで働き」、しかも、死んでもなお、その事実を認められないことは、不条理です。(長野県 50代 のどかクリニック医師 野々村 邦夫) 過酷な労働条件の改善は国民の命を守るための必要条件です。(大分県 40代 真央クリニック医師 佐藤 眞一) 患者さんの身体が心に沿うような医療をさせていただきたい。そのためには、過酷な勤務医では、どこかで心を氷にしないと、こちらの身体や心が持たなくなる。だから私は勤務医を辞めた。医師も医師である前に人間である。(和歌山県 40代 開業医 野田 倫代) 安心して医療が出来、安心して医療にかかれる日を夢見ています。いつも中原のり子さまのバイタリティに励まされています。私も医師のはしくれとして地域医療の関わっていますが、いつも過労死と隣り合わせです。安心して働ける環境が出来、安心して暮らせる日々があって初めて質の高い医療を提供できる、良心的な医療を提供できると思っています。頑張って下さい。微力ながらいつも応援しております。(茨城県 50代 土浦市医師会理事 医師 三輪谷 博史) 中原先生の遺書を拝読し、我が国の小児医療の置かれている環境に改めて憂慮の念を覚えるとともに、この死をうつ病によると決めつけるなら何処にその原因があるのかを真摯に考えなければならない。そこには先生の置かれた労働環境の劣悪さが要因の第一となるであろう。自分の死を持って我が国の小児医療のあり方を問うた先生の意志を充分にくみ取り、民あっての国家でありその民の健康を守ることが国家の義務であると言うことを今一度お考え頂くことを切に望みます。(埼玉県 50代 医療法人社団栗原医院医師 栗原 肇) 小児科医の過重労働が言われて久しいですが今だ解決されていません。それどころか今医療崩壊が進行している現状を考えるとき、小児科医のおかれた状況はより悪化していると思われる。一小児科医の問題として本件を考えるのではなく、日本の将来を託するべき子供たち、その子供たちの健全な育成を担う小児科医の将来につながる問題として考えていただきたい。それは司法・行政の立場からも日本の将来、子供たちの将来に責任をおうべきものも少なくないはずと思います。(東京都 60代 医師 吉原 正彦) 私は、心身外来を担当する勤務医です。心身外来には、心身の不調を訴える患者さんが、大勢受診されます。生活ぶりをつぶさに問診すると、明らかに働きすぎの人がいることに驚きます。1ヶ月で休日ゼロという人もいました。海外出張から帰国してすぐ出社し、夕方にはまた他の国へ出発するという人もいました。そんな人が、だるい、やる気が起きない、集中力が落ちた、気分が沈む、眠れない、食欲がない、と言って、ぎりぎりまで我慢してようやく受診なさいます。「今日はよく思い切って病院に来ましたね」と言うと、わあっと泣き出す人もいます。ねぎらいの言葉ひとつかけてもらうことがないのでしょう。周囲の無関心に、暗澹たる気持ちになります。心身共に追いつめられるまで働いても、苦しそうな素振りを見せることすらできないからこそ、悪化してしまうのです。 過重労働が心身の健康を損なうことは広く知られています。労務管理者が、労働者の心身の健康まで把握するのは困難なことはあるかも知れません。しかし労働時間の長さや休日の少なさ、職務責任の重さ等の労働状況を把握するのは、労務管理者の仕事です。過酷な労働状況であれば、それを改善し、労働者が心身の健康を保てるような措置を取るべきでしょう。中原先生の場合も、当直回数や勤務時間の長さ、部長代行という責任の重さから、過重労働を把握し、心身の健康が保てるように配慮すべきだったのではないかと思うのです。仕事量と責務の重さによる過酷な労働環境を漫然と放置し、死亡という重大な結果を招いても、法的責任を問われないのであれば、今後労働者のメンタルヘルスを守って行くことができるのでしょうか。市民を守り、社会にとって善となる方向に進んでくれることを、祈ってやみません。(東京都 勤務医 宮田 智子) 現在の医療経済は、病院勤務医の過労=サービス残業により、成り立っております。医師不足のため、個人の医師にかかる負担はドンドン増しています。最近の患者さんの要求度は欧米並みです、であれば、医師も欧米並みの待遇が当然と思われます。医師に余裕がなければ、安全な医療は確保されません。病院管理者は当然、医師の健康を考えるべきものです。つかいすてにされては、ますます、個人に負担がかかります。(愛知県 50代 医療法人淳徳会小木南クリニック医師 野村 知秀) この事案は、自殺大国日本の今後行く末を占う意義の大きなものと考えています。医師・医療従事者のみならず全ての労働者に真剣に考えて頂きたい。医師にはプロフェッショナルとして求められるものが大きいのは確かですが、労働時間とは切り離して考えるべきだと思います。実際に休日の半分は、勉強会や学会などに充てております。司法が賢明な判断を下されることを期待しております。(北海道 30代 砂川市立病院 勤務医 大森 義範) 患者さんのために過労状態になっていても頑張っている人は多いと思います。そのことを同僚や上司が理解してくれないととてもつらいものです。私も同様の経験をしたことがあります。このような先生の一人であった中原先生を、守らず、むしろ追い込んだ病院の責任を認めさせる必要があると思います。(広島県 60代 北川病院医師 磯田 典之) 過重労働を放置した病院の責任を認めないような判決が確定してしまえば、危機に瀕している日本の医療にとどめを刺す事になるでしょう。断固戦ってください。応援しています。(兵庫県 30代 ベルランド総合病院医師 ベルランド総合病院 宋 美玄) 中原医師の出来事は我々小児科医にとっては切実な問題で、今も同様の事実または一歩手前のことが全国津々浦々で起こっています。最高裁が違憲判決を選挙における格差で出されましたが、それすら国会は無視続けています。裁判に見放されたらどこに訴えたらいいのでしょうか? 少なくとも一生懸命生きてきた人が報われるような社会になってほしいです。石を持って追われるのでなく・・・(京都府 50代 小児科医 幸道 直樹) 現在注目されている、医療崩壊の大きな原因である劣悪な労働環境、過労に起因するうつ病、増加する中高年の自殺といった問題の原点がここにあると思います。病院の責任の有無に留まらず、不幸な事故を無くしより良い社会を構築するために、今一度司法という立場からの働きかけを希望いたします。(東京都 50代 戸田中央総合病院麻酔科医師 草谷 洋光) 理不尽な判決には怒りを感じます。医療崩壊を食い止めるためにも、人間として正しい判断をお願いします。中原先生の遺書を読んで頂ければ、故人の訴えたいことが痛いほどわかるはずです。よろしくお願い致します。(広島県 60代 医師 数野 博) 中原利郎の長女です。高校生の時に父に大反対された医師、さらに小児科医への道を、父の死後選びました。それからすでに10年の月日が経過しました。自らが医療の現場に立つことで実感する、「ひとの命の尊さ」。そんな大切なものを扱っていく職業への責任感を日々感じています。患者を守るためには、医療者自らが心身ともに健康でなくてはできません。患者のことを一番に考え頼られるべき医師が、自らの健康を害し現場を離れないといけないなどということは、社会全体にとって大きな損害であると思います。健康管理は自己管理も大切ですが、それ以上に「職場が雇用者を守る」という姿勢(働きすぎていないか、心身ともに健康を保てているか確認していくこと、そして改善策を考えること)は義務だと考えます。病院側の責任をしっかり判断していただく判決を期待いたします。(神奈川県 20代 横須賀市立うわまち病院小児科医師 千葉 智子) 中原先生と同じ世代の医師として、現場の医師の自己犠牲を強いるような病院側の対応には疑問を禁じえません。今この瞬間にも、ぎりぎりのところで現場に踏みとどまっている、折れかかった医師が日本の医療を底辺で支えていることをもっと知ってほしいと思います。 また病院に対してそのような行動をとらざるを得ないほど、経営的に追い詰めた日本の医療行政に対しても抗議いたします。あるべき医療を目指すのであればそれなりのコストが必要なのは明らかです。本当に持続可能な社会保障を目指すのであれば医療費を抑制するだけの現場を無視した政策ではなく、しかるべき予算措置が必要であり、もっと早くから財源問題に眼を向けて国民に説明し、理解を求めるような国のあり方も含めて、国にも反省していただきたいと言う思いを禁じ得ません。(熊本県 40代 宮本外科胃腸科医院医師 宮本 大典) 私はかつて一線病院に勤務していました。連続当直も深夜勤務も普通にこなし、自分では大丈夫と思っていました。しかしハッと気づくと生理が半年以上止まってる。。結婚を機に病院を辞めた途端に熟睡出来、生理も再開しました。自分では気づかないストレスがかかってたんでしょうか。私の場合は勤務環境を変えられたからよかったですが医師の数が少ない科や本人が責任感が強く真面目であるほど「退職」「転職」という手は思いつかないそうです。中原先生はすべての重責をおって子供達の為に働いていらしたのでしょう。そのような素晴らしい故・中原医師とそのご遺族様のためにも最高裁上告を支持し、今後も支援させていただきたく思います。(神奈川県 個人病院勤務医 田中 まきえ) 夜勤以上に救急医療に携わりながらも、翌日も休む事もできず、日常診療を強いられる医師の過酷さは、心身をすり減らしながらの勤務です。しかも、責任だけは強いられる過酷な労働です。責任感の強い中原医師は、逃避する事も出来ず、不幸な結果を選択されました。これを過労死と言わないで何をもって過労死と言うのでしょうか? 家族と自分を犠牲にして勤務している医師の過酷労働を最高裁判決として認めて頂きたいと思います。(熊本県 50代 砥上内科胃腸科医院医師 砥上 幸一郎) 過労による疲弊と自己責任感の強い人が、自殺へ追い込まれます。医師を始め、医療従事者の超過勤務による疲弊は、極限に達しています。法的にも、何とかして、十分な交代要員が賄える医療経済になるべきだし、労働基準法に合致できる医療環境にするのが法事国家です。(熊本県 70代 医師 藤村 敬之) 医師の過重労働は、常態化しています。なのに、労基局は認めようとしません。しかも、その過重労働常態化した医師が、産業医として、働く労働者の「長時間労働者への面接指導」をせよと、勉強会で指導方法を勉強するという矛盾だらけの状態です。中原医師の問題だけではないとひしひしと感じています。是非、頑張ってください。この国のシステム全体がおかしいのですが、その改革の端緒ですね。応援しています。(熊本県 50代 医法・森永上野胃・腸・肛門科理事長・医師 森永 博史) 「医師の当直」は単なる留守番ではありません。仮眠中でも頭の中はいつも臨戦態勢です。病院側は「寝ている時間もあるから、実際に診療行為をした時間だけを労働時間と計算する」と、医療現場を全く無視した主張を繰り返してきました。EUでは、医師の当直は待機中の睡眠時間も含め無条件に勤務時間として算定する、という判例が既に出ています。裁判長におかれましては、現場主義に基づいた判断をお願い申し上げます。(熊本県 50代 岡崎皮ふ科医院医師 岡崎 美知治) わたしは今年で50歳になる医師です。医師たるもの、過重勤務は当然であり、心身や生活を患者に捧げるべきもの、という教育を受けてきましたし、それが当然と思ってきました。そのような、私たち古い世代の医師の価値感が、故中原先生のような悲劇を生むこととなったと思います。中原先生のご遺族が、労災の認定を受けて、なおかつ、勤務先の病院を民事で訴えている、ということを聞いて、わたしは当初、何か嫌な感じを覚えました。なぜ嫌な感じを覚えるかと、わたしなりに自己分析いたしますに、これは、過重勤務を当然と考えてきた、私自身が非難されているようなものだからです。 医師以外の一般人のかたも同じことで、医師の過剰勤務を美徳として讃えることで、間接的ではありますが、故中原先生の過労死自殺については、皆がうしろめたさを感じざるを得ない=嫌な感じ、ではなかろうかと思います。普通のビジネスマンが過労死して、遺族が労災認定の上、会社を訴えたという話なら、私たちは、この嫌な感じを覚えないのだと思うわけです。医師の過剰勤務が美徳であり、あるいは、医師である以上当然である、と考える全てのひとが、故中原先生に対しての加害者であり、反省すべきだと考えます。(愛知県 50代 鶴舞公園クリニック医師 深谷 元継) 中原先生が亡くなられたことによるご家族の悲しみは計り知れないほどのものとお察しいたします。亡くなられた中原先生と残されたご家族のお気持ちが報われる判決がでることを切に希望いたします。(神奈川県 30代 横浜市立大学整形外科医師 斎藤 泉) 佼成会病院では勤務は過酷であったと思います。国民の健康を守り特に未来ある子供たちの命と健康を守り疲れ果てて倒れた兵士医師に、なんで国家が感謝し無いのかが問題。公務だろうがなんだろうがいのちを守る事自体が国家が頭を垂れる行為なのです。裁判長、あなたももうじきあの世に行かなければなりませんが其の時に一生懸命命の大切さを守っていただいた事に対して素直な感謝の念は出ないのでしょうか? 出ないとしたらあなたは人間ではない。中原氏も奥様も娘さんも、国民がみんな応援しています。(東京都 60代 医療法人社団東醫田村会田村医院院長 田村 仁) 現在の当直システムは、ほとんどの場所で翌日も勤務となっているのが現状です。人命を扱う職でありながら、36時間勤務という過酷な状態は、今後、是正されてしかるべきだと思っています。そのシステムの犠牲となった中原先生の裁判、良い形で終止符がうたれることを心より願います。(埼玉県 30代 川口市立医療センター医師 畑岸 達也) 勤務医の環境に疑問を感じ開業しました。開業後は近隣の病院勤務医、特に小児科の先生方には何度も助けていただきました。その先生方の勤務状況を見ていると私の勤務医時代と同じく過酷で、耐えかねて逃げ出しはしないかと心配しております。勤務医の待遇を改善し、第二第三の中原医師の不幸を繰り返さないためにも、中原のり子さんの活動を応援いたします。(奈良県 40代 山本医院医師 山本 忠彦) 今まで、医師の過重労働が「過労」という事件の問題にならなかったことは、民主主義社会の基本、労働基本法の原則に反します。最近やっと「勤務医の疲弊」という言葉が使われ始めているが、以前から勤務医も、開業医も「過労」状態にあります。これもすべて我が国に、「医療費の占める割合が多くて国は困っている」という風潮を作ってきた昨年までの政府、マスコミに責任があるのです。 診療報酬は先進国に比べて誠にお粗末な状態で、その結果毎日多くの患者を診ざるを得ない、「過重労働」を強いらなければならない事態を作り上げてきたのです。その結果不幸な転帰を迎えなければならなくなった事象に対しては国が全責任を負う「責務」があります。医師がみんな疲弊して、その上診療報酬を絞りあげられて医業を続けられなくなったら、日本から医師が消えてしまったら、国民はそれでも構わないと言うでしょうか? 今の医療の現実をもっと国民に知って頂く必要があります。( 熊本県 60代 佐田外科内科医院医師 佐田 英信) 今は子供が減り小児科医不足もひとときほど聞かれなくなりました。当時の状況は少ない小児科医にたくさんの子供さんが押し寄せるという感じでした。今よりは開業医のサポートも無く、仲間が抜けてゆくなかで、責任感が強いだけにその場を離れられないご主人の気持ちを、管理者であった病院はサポートもせずに小児科の業績低下だけを強調していたように感じられます。 今行われれている小児科医師の業績を評価する動きが診療報酬の中に認められるようになりました。ご主人の尊い犠牲により世の中が動いたように感じられます。原点となったこの事件が今の感覚で論じられることが無い様に祈ります。(栃木県 60代 済生会宇都宮病院医師 中澤 堅次) 中原利郎の長女智子とは10年前(事件の1年後です)に知り合い4年前に結婚しました。10年間そばで支えてきた中で遺族の計り知れない悲しみ、苦しみは今も私たちの中でずっと続いております。医師として遺族としても二度とこのような思いを他の人にさせたくありません。今回の一連の裁判により、多くの人に現在起こっている医療の現状を分かっていただき、皆でより良い医療環境を作っていければと思っております。全ての人に正しく理解してもらうためには判決が正しくなければなりません。最高裁判所の方々には誰もが納得し、明るい未来へ繋がる希望の判決を頂ける事を次回是非期待しております。(神奈川県 20代 横浜市大整形外科医師 千葉 直樹) 中原先生の悲劇が、労災と認定されたされたにもかかわらず、使用者である病院の責任が問われないというのは、安全配慮義務の観点から言って全く理解できません。医師の、ひいては多くの医療従事者の健康で文化的な生活を保障するためにも、不当な判決には断固抗議したいと思います。がんばってください。応援しております。(東京都 40代 芝病院医師 西村 洋一) 過労による疲弊は、まじめな医療人を自殺へ追い込ませる可能性があると思われる。熊本県保険医協会の勤務医部会では、活動方針案のひとつに週の総勤務時間の目標を55時間以内に設定している。そのためには、医療従事者の荷重労働による疲弊の是正が可能となる、交代要員の確保と労働基準法に合致するような医療環境を保障する医療経済の視点が必要。(熊本県 60代 医師 古瀬 昭夫) 小児科医師中原利郎先生に関する東京高等裁判所における病院側の責任を認めない不当判決に断固抗議致します。また、中原のり子さんらの上告を支持致します。崩壊寸前の日本の医療現場に身をおく医療従事者として、事態改善のため正しい判決が下されることを強く希望します。(神奈川県 30代 東京慈恵会医科大学糖尿病・代謝・内分泌内科医師 比企 能人) 病院側の責任を認める判決をだしていただきたい。それがなければ、非人道的、前近代的、過重労働の実態を放置することとなります。(神奈川県 40代 柳川クリニック医師 小尾 龍右) 本件の内容は、後から知りましたが、他人事とは思えませんでした。救急業務を担当する医師の心労は、担当した者でなければなかなか理解出来ないとは思いますが、それはそれは多大なストレスとして医師の負担となります。私は、救急業務を担当していた数年間は、当直中はもちろん、普段自宅で寝ていても、救急車のサイレンが遠くで聞こえると、必ず目を覚ましたものでした。(自分が当直していなくても、同僚のだれかが必ず当直をしているのですから)また、医師の当直業務は、多くの場合宿直扱いで、翌日も通常勤務が待っているケースが大変多く、その場合、帰宅は翌日夜になります。 もちろん、出来得る限りの努力をするつもりで、医師になったわけですが、医師も生身の人間ですから肉体的・精神的に限界があります。その限界を超えなくて済むように制度設計し、監視するのが、立法および行政の役割であり、立法および行政の仕事をチェックするのは、司法の重要な役割ではないでしょうか。今回の事案は、行政訴訟では、過労死と認め、労働災害だったとする判決が確定しているわけで、最高裁には同様の悲劇を繰り返させないようにするための、ひいては日本の医療の崩壊を防ぐための、大きな役割を果たしていただきたいと思います。(千葉県 40代 千葉大学医師 笠原 裕司) 中原利郎先生の過労死は労働災害だと認定されたにもかかわらず、その使用者である病院側に管理監督責任を認めないというのは全く理解できません。正義は明らかに上告された中原のり子さんたちにあると信じます。医師にも人権があり、労働者として安全かつ快適に働く権利があるのだという当たり前のことを、この裁判で示して欲しいです。 医療界はこれまで個々の医師に自己犠牲を求めすぎました。医師もそれが当たり前のように感じてがんばりすぎました。ただでさえ人命をあずかるという重い責任を背負い、押しつぶされそうになりながらも必死に仕事をしてきたのに、それが医師個人の勝手だと言われたらたまりません。安心して診療に従事できる世の中にしないと明日の日本の医療はないと思います。(大阪府 40代 内科開業医・大阪府保険医協会評議員 田端 晃博) 50代の医師です。医者は途中で仕事を投げ出せない。今対応しないと取り返しのつかないことが起こる現場にいます。代わりの者は確保されていません。患者さんのことを考えると、ほとんどの医者が無理を重ねているのが現状かと思われます。昨今は医療は聖域ではない、三次産業であると言われています。確かに現実、病院が何か恵まれているとは考えられません(劣悪な労働環境です)ので聖域とは言いがたいです。病院を労働の場所、医師を労働者と考えるなら、労働災害に対する責任はやはり場所である病院に求めざるを得ないのではないかと思います。中原先生の条件に際し、医療を聖域化をするのは止めて欲しいと思います。(大阪府 50代 奥村医院医師 奥村 信太) 心から応援しています。中原さんの後ろには多くの支援者がついています。甥も小児科開業医でしたが急死しました。甥も生前、中原先生の事はよく語っていました。天国より応援していると思います。(宮崎県 60代 外山皮膚科医師 外山 望) 先生の死を無駄にせず、医師の厳しい労働環境を改善する礎となりますよう、願わずにはいられません。がんばってください。(千葉県 50代 医師 今荘 智恵子) 勤務医時代、生活は完全に病院(患者)中心でした。医師たる者、それが当たり前であり、そこに生き甲斐を感じなくてはならないと教えられてきました。これは一面真実でありますが、良好な医療を行うには、心身のバランスがとれるための自由な時間が必要です。今の日本の医療は、あまりに医療者個人のボランティア精神に依拠した部分が大きいと思います。中原先生の医師としての使命感と医療現場のはざまで苦悩した姿を思うとき、このままでは日本の医療は持ちこたえられないと感じます。医療者の労働環境を改善することが、ひいては患者の安全、社会の安全につながることを念願して止みません。(東京都 50代 さこむら内科医師 迫村 泰成) 私も、勤務医をしておりますが、現在は、年相応の回数のオンコール体制で仕事を続けておりますが、オンコール体制といえども、夜中に何回も電話連絡が入り、その都度、指示をだすことで翌朝への体力への影響はきついものがあります。まして、当直ともなれば、若い勤務医は様々なことこなしていかなくてはならず、無理をして仕事を継続することが殆どであると思われます。このような、ボランテイア精神に依存する医療を必ずどこかに歪みが生じます。中原先生のような人が亡くなるということは、ご家族のみならず医療の現場においても大きな損失です。是非とも、最高裁においては、医療を支える人たちを保護するような判決を切に望みます。(東京都 50代 東京医科大学八王子医療センター特定集中治療部 医師 池田 寿昭) 当直という名のもとで夜間労働を強いる病院、実質的には明らかな労働基準法違反でありながら黙認している役所、当直でなく夜勤とすれば崩壊するであろう医師不足と医療費問題。さまざまな矛盾の中で押し潰されてしまったのが中原利郎先生であったと思います。今でも時間外労働の不申告、看護師の二重勤務表など、病院の管理責任を問うべき事案は続いています。今の医療を守るためにも病院の管理責任が厳しく問われて当然と思います。(岐阜県 50代 矢嶋小児科院長 矢嶋 茂裕) 私も数年前まで病院で勤務する小児科医でした。救急外来でも病棟でも当直の先生から呼ばれれば、夜中でも診察に行き、入院中の子供の点滴が抜けたと連絡があれば夜中でも入れに行き、それ以外に当直もやりながら、土日も入院患者さんの診察に行き・・・など病院の近くを離れることはできませんでした。これは小児科に限らず、すべての医師に言えることだと思います。へとへとに疲れるまでみんな頑張っているのに、待ち時間が長いなど苦情を言われ、へとへとの状態でミスをしないなど、人間なのでありえないのに、それも許されず、何かあれば医療ミスとさわがれ、医師個人の責任となる。これをさけるために急患を断るとたらいまわしなどとさわがれる。これは医師個人でなんとかできる問題ではないと思います。 医師が疲労せず、余裕を持った状態で勤務できればミスも起こりにくくなり、苦情も減ると思います。それを実現するには病院側が診療体制を見直しそれを実現できるよう国が予算を回すなどして助けてくれないと無理だと思います。診療報酬をあげるというのは病院や医師がもうけるためではなく、そのお金で医師を1人でも多く雇い、1人1人が疲労せず働けるためのものだということを、国民にも行政のほうにも理解して欲しいものです。(岐阜県 40代 小児科医師 奥村 紀子) 10年位前から、女性医師の働く環境改善に取り組んできました。やっと、医師の労働環境の改善が、政策化され始めましたが、きわめて不十分なものです。それは、これまでに医師労働が問題にされてこなかったからであり、中原利郎先生の過労自殺はこのような状況の中で起こったものであり、犠牲者でもあります。病院管理者の責任を明らかにすることによって、医師労働の環境改善に必要な支援策が明らかになるような判決を期待します。(熊本県 くすのきクリニック医師 板井 八重子) 開業して14年目になる医師です。いま、地方の自治体病院は、医療崩壊の危機に瀕しながらも、勤務医は頑張り、私たちは医師会が中心になり、病院を住民と共に支える活動をしています。中原さんの過労死問題を労働災害ととらえるのみでなく、医師が過酷な現場で頑張れるように、病院が、自覚し、自らの責任を負わない限り、医師は頑張れない。医師の労働環境改善とは自らの職場、病院が医師を守る立場に立つことです。兵庫県加古川市民病院は、引き受けた救急患者を適切に治療できる救急病院への搬送を、行おうとするときに急変しました。裁判で病院が医師を守ることなく上告を断念しました。現場の医師を守らない病院からは、医師の退職が相次ぎ、病院は崩壊しております。病院は、勤務している医師を守る義務と責任を負っています。勤務医だけでなく医師全体の問題であります。(兵庫県 50代 冨原循環器科・内科 冨原 均) 小児集中治療/小児循環器をアメリカでほぼ捨て身でやっています。仕事柄、自分よりも危篤の子供達のケアに力が入ってしまうのは当然です。でも、中原先生の想像を絶する苦悩、計りきれない程の過労、そして彼の本当に残念で悲惨な最後を考えるたびに、自分はどこまでやっていけるのかどうかと不安になります。自分だけでなく、自分の家族への影響も半端な事ではありません。確かに自分で勝手に選んだ道である事は確かです。そしてそれなりの収入も頂いている事も事実です。でも、だからと言って、ここまで医師達を追いつめてしまう様なシステムは、このまま放っておいて良いのでしょうか? 最終的にツケが回ってくるのは子供達です。すでに、日本ではそのような状況になりつつあります。本当にこのままで良いのでしょうか? 雇う方に取っては、医師でも石でもカネになればそれで良いんです。ダメになれば、切って捨てて、次のを連れてくれば良いんです。中原先生のこの苦悩は、この様なあまりにも醜い実態をを反映してると思います。(米国 40代 Loma Linda University, Children's Hospital 医師 江口 肇) 人の生命を救い、守る場であるべき病院で、医療従事者の過酷な勤務が続いている現状は、関係者でなくとも大なり小なり経験し、認識していることだと思います。中原のり子さんの主張と活動を支持し、医療従事者本人やその家族が守られる判決を期待します。(東京都 50代 自由業 山下 佐保) 頑張ってください!応援します!(東京都 医師 今枝 宗一郎) 中原医師は高校の先輩です、尊敬いたしております。(長野県 50代 佐久総合病院内科医師 色平 哲郎) 私は、イチ小児科医、新生児科医です。中原先生の事はリアルタイムでニュースをフォローしています。また、関連の著書もすべてではありませんが読ませて頂いています。複雑な想いがあり、簡単に言葉では表せません。しかし、40を過ぎて、私はあった事もない先生の苦悩、問題提起を今も反芻しながら現場にいます。そしてこれだけは言えます。先生の生涯を、決して忘れず、私なりに出来る事をひとつずつ、続けていきたいと考えています。関係者の皆様、お体ご自愛下さい。(三重県 40代 山田赤十字病院小児科医師 馬路 智昭) 過重な労働を放置した病院に責任がないというのは納得しにくい結論です。今現在ぼろぼろになりながら働いている人を守る為にも、納得のいく判決を期待します。(群馬県 40代 群馬県立小児医療センター医師 椎原 隆) 最近「ねじれ」という本を偶然手にとり、事件のことを思い出す機会がありました。20年前中野の駅近くに住んでいて、あまりに夜間の救急車が多く、病院勤めの私にはやすまらないと転居したことがあります。中原さんの事件は身近な問題として見守っています。今でも医師不足は改善せず、同じ病院の中でも明らかに過労状態と思われる医師が多数見られます。医師の職業意識に依存して、非人間的な生活を強いてきた医療行政関係者に反省を促してほしいと思います。高齢化時代の持続可能な医療体制を考えていくための闘いだと思っています。応援します。(千葉県 50代 東京勤労者医療会東葛病院医師 戸倉 直実) 仕事に対して誠実・真摯に向き合う人ほど、個人の重圧を増やしてしまい燃え尽きてしまう悲しい事実。やりきれないものがあります。特にご家族にとっては如何程の悲しみであるか、想像もつきません。責任感をもって日々働いていた者に対して、病院の安全配慮責任が無いという高裁判決は明らかにおかしいと考えます。このたびの勇気ある上告により、これからは次世代や未来に向けての正しい判断がなされるべきだと強く思います。過去においては防人からガ島やインパールなども含め、しっかり働く人を使い捨てにしてしまう国に明るい未来は少ないようにおもいます。(大阪府 40代 のえ診療所医師 森谷 信介) 臨床医の仕事に終わりはない。たとえ労働環境が充足していてもである。況んや人員に余裕がないどころか、完全に足りていない状況では、中原先生のような真面目で利他的な医師は、自ら楽な道を選んで自分を守ろうとは全く思い付かない。そのような医師が今日も限界を超えて頑張り続けている。そしていつか中原先生のように折れる。これ以上の犠牲を出してはならない。 「おまえいい加減にしろ。帰って妻子の顔をみてやれ」と叱り付けて帰すのは上司の、職場を管理する者の役割である。うつ状態に陥った者に自分の行動パターンを変える能力は既にないのだ。その心が折れる前に介入して救うのが、管理する者の義務であると産業医の研修では教えられる。病院の産業医はどこにいた? 何を見ていた? そして人を救う目的で設立された病院は何をしていた? 不採算部門の改善という履行不可能な要求を突き付け、、ぎりぎりの状態であった中原先生に追い打ちを掛けていたのだ。病院の責任は問われるべきであり、労災と認定された過労死者の人権を守らぬ高裁もその是非を問われるべきである。最高裁の理性ある判断を期待する。(東京都 50代 勤務医 脇屋 緑) 小児科医師中原利郎先生の過労死認定を支援する会の活動は、私たち全国医師ユニオンの設立の原点の一つです。医師が健康でやり甲斐を持って働ける環境は、国民の利益そのものです。それにもかかわらず、誰が医療を壊すのか、誰が医師を殺すのか。この問いに答えない、日本の現実に憤りを覚えずにはいられません。日本の医療の未来を守るためにも、頑張って下さい。私たちも心から応援しています。また、この活動に学び、医師の命と健康を守り医療崩壊を防ぐために奮闘する決意です。(埼玉県 50代 全国医師ユニオン代表 医師 植山 直人) 私も友人を過労死で亡くしており決して他人事ではありません。他の職業の方も自殺をしているじゃないかという反論もありそうですが、あくまで労働基準法という民主的に作られたはずの法律に則って考えてみてください。死ぬまで働かなければならない日本という国は異常です。(東京都 30代 水野記念病院 医師 桑本 将) |
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医師や看護師などの医療者ではなく、事務職員として小児専門病院で働く身として、ある意味、現場を日々、第三者的な立場でも見ることができる立場からすると、「無念感」と「焦燥感」を抑えることができません。小児医療の現場は、泣き叫んだり暴れたり想定外の行動をする子どもをあやしながら、父親・母親の視線を浴びながら、医師が看護師などのサポートを受けながら必死になって診療を行っています。通常の診療以外にも、急変する患者のために当直以外に徹夜で院内に待機していたり、ご両親の心のケアやカルテの記載、小児ゆえに多く複雑な公費負担関係書類の記載など、当事者以外にはわからない業務がたくさんあります。そんな状況にもかかわらず、昨今の厳しい病院経営状況の中で、「過度の自己犠牲」に頼った「ルールなき」経営効率化の流れはとまらず、小児医療現場は「安心して」「患者さんのために」「思い切り」働ける職場ではなくなっているように思います。アメリカのメジャーリーグでは投手の1試合の球数は一〇〇球程が目安というルールがあると聞きます。一方、日本の高校野球では若き才能ある投手が度重なる連投で肩を故障し、野球を断念するケースがあるとも聞きます。医師は患者を前にすると無理をしてでも働いてしまう人が少なくありません。ルールを作るなどして、適正な勤務環境を保つシステムが不可欠です。過酷な勤務環境を放置して、優れた能力と優しい心を持ち合わせる人が多い医師や看護師が医療現場から立ち去ってしまうことは社会的にも大きな損失です。女性の社会進出が進み、女性医師が増加し、看護師も共働きするケースが増加する中、医師や看護師、とりわけ神経を使い、かつこの国の未来を支える子ども達の健全な発育に重要な小児医療に従事する医師、看護師など医療従事者が「安心して」「患者さんのために」「思い切り働ける」社会になるように、医療現場の適正な勤務環境の確立のためにも「無過失責任」の判断の是非も含めた司法の判断を期待しています。(小児専門病院事務職員 多田 道之) 私は現在、北海道大学で小児科を目指して勉強をしている学生です。小児科を志したのは、ひとえに「子供が好きだから」でした。親や親戚には、よく「小児科は忙しいし、子供は手間が掛かるからやめなさい」と言われます。それでも「子供が好きだから」やりがいがあると、心が揺らぐことはありませんでした。しかし、病院実習で色々な病院を訪れるたびに見る疲弊した医師たち。日々の業務に加えて、保護者への説明、急変する子供たち。「好きだから」では片付けられない現実が目の前にありました。人は、ギリギリで頑張る時に、何かの支えが必要なんだと思います。その支えは一つではなく、幾つも多方向から支えられるのが、より良いと思います。しかし、今回の裁判で、法的に病院は医師を支えてくれないのだと分かりました。卒業を迎えて研修病院に配属される時、医師として、何の支えもないまま医療の世界に飛び込まなくてはならないことに背筋が凍る思いです。裁判は、現在の事案に関して判断を下しますが、その影響は将来に及びます。今回の判決が将来に残り、そして小児科を志す学生に影を落とさないことを願います。子供を助けようと懸命に働く小児科医が、傷つかない世界になることを切に願います。夢を持てる世界にみなの力でしていきましょう。(北海道大学医学部医学科4年 植松 浩司) 医療崩壊から…。現在医療を取り巻いている現状は危機的な状況にある。昨今の妊産婦死亡事例もその1つであるといえるだろう。救急車の搬送先が見つからない…のではなく、病院が患者様を診る状態(医師不足・看護師不足等)にないのである。全国的に医師不足・看護師不足。特に病院に勤務する医師・看護師の不足により患者様を診ることができないという問題が起こり、救急医療を維持することができなくなっております。地域のみならず都会の病院で勤務する医師・看護師も過酷な就労状況下にある。少ない人数で多くの業務をこなし、自分の時間を削り、現在の病院医療を担っている。しかし近年、過労の極みで自らの命を絶った医師や精神疾患に陥る医師・看護師が増加しているのを忘れてはならない。今、国家をあげて『医療再生』に取り組むことが求められている。今回の判決は、病院に勤務する医師・看護師等の健康支援の観点から見て、『医療再生』の大きな流れに逆行するきわめて遺憾なものであり、上告は当然の事と考える。(労働者健康福祉機構千葉労災病院看護部 前川 織絵) 10年前に急性脳症で子どもを亡くした時に初めて救急で子どもを診てくれる小児科医がいないことを知りました。激務で患者サイドの要求度も高いのに採算はとれないという過酷な医療現場を知りませんでした。今回の判決には、心底がっかりしました。人間はひとりひとり違うのに、まるで多少の働き過ぎでガタガタ言うなと言わんばかりです。医療者の心身の健康なくして、よい医療などありえません。どこにも医療者がいなくなる前に、勤務環境を人間らしいものに再構築するべきです。中原さんを応援します。(神奈川県 40代 (株)矢野調剤薬局小杉店勤務 岩田 郁美) 医療従事者に求められるものが献身ならば、それらを支え、庇護すべきは雇用者である病院であるはず。医療従事者といえど「人」です。誰からの庇護も支援も受けられず、与えるばかりでいられるわけがありません。医療従事者という枠を超え、社会を形成する一員として当然の権利の主張だと思います。(神奈川県 30代 医療法人社団黎明会 平出 みどり) 医者不足解消や、効率の良い医療の提供による医療費削減のためにも、医師が効率よく職務をまっとうできる環境を作ることが必要だと思います。労働基準法違反・労働安全衛生法違反であるのに安全配慮義務違反は認められないというのは、納得がいかないを通り越して、不思議でなりません。(東京都 20代 筑波大学医学専門学群医学類 稲用 絢) 「自殺は激務から生じた鬱状態によるもの。労災である」ことが、正式に労災だと認定されているのにも関わらず、民事では、病院側の管理責任を無視し、過労で鬱になっても、雇い主である病院に管理責任はなく、死んでも自分のせいであると言っているようなもの。民事でも当然、病院側が管理責任を問われるべきであると考えます。(兵庫県 40代 さわさき針灸院 澤崎 嘉章) 「医療」「患者さんのため」という言葉で、多くの医療スタッフが自分の生活を犠牲にして働いている、また働かざるを得ない現実を理解してほしい。現在医師不足が問題になっているが、当たり前だと思う。私はコメディカルだが、現在の医師の生活は人間のできる範囲を超えていると思う。その様な状態を放置している雇用者側に責任がないとはおかしな話だと思う。(愛知県 30代 大学病院 山下 ゆう子) 東京高等裁判所における病院側の責任を認めない不当判決に断固抗議いたします。他産業を支える医療従事者、人間らしい生活の崩壊が加速しつつあります。法の医療への理解求めます。(鹿児島県 40代 闘病中元医療従事者 脇 幸司) 日々疲弊して行く医療従事者の現状を正しく理解していただきたいと思います。(岡山県 30代 金光病院看護師 浅野 薫) 産婦人科も小児科も、本当にきつい中での勤務となっています。小児科医は少しずつ増えてきたといわれていますが、それでも過酷な労働を強いられています。小児科医の退職によってお産をとれなくなる病院だってあり、小児科医がどれだけ過酷な労働を強いられ、そしてどれだけの影響が出ているか、この件はそれを考えさせられる死です。そういった背景などをもっと深く考えていただきたい。勤務医の労働の実態を一番よく知っていたのは病院側です。それなのに病院側には責任がなかったなんて思えません。この判決では、今後の改善などに目が向けられなくなってしまうと思います。彼の死を無駄にしないためにも「ただの過労死」で終わりにして欲しくありません。(東京都 20代 産科看護師 高澤 奈津予) 診療報酬は下がる一方。医療従事者は減る一方。そんな中で、明日も患者様たちが来ます。ですから働きます。医療従事者は、患者さま、ひいてはそれが自分のため、と、この身を削るしかない現状の日本の医療で、わかっていて、それでも身を削ってでもなんとかしたい!!と切実に思うから働いているのです。楽して稼げる方法なんていくらでもある世の中で。なぜ今、医療従事者たちがこれほどまで過酷な労働でも、辞職せずに懸命に働くのか。責められ、守られなければ、誰だって欝になります。(千葉県 20代 船橋市立リハビリテーション病院 高垣 奈央子) 深刻な医師不足は今、医療に従事しないものでも聞いたことがある問題だと思います。ほとんどの医師が「過労」状態なのです。国にも問題があるでしょう。けれどそれは病院が中原医師の自殺の責任を認めない理由にはなりません。私は医師でも看護師でもなく、ただの事務で、具体的な対策を提示できるほどには過酷な現場をわかってはいません。それでも医師が悲鳴をあげながら働いていることを感じることはできるのです。きっとそれは耳をすませば患者さんにも聞こえることでしょう。それが実際に中原先生が働いていた病院にわからなかったはずはないと思うのです。責任を認め反省しやり直すことが、中原先生やご遺族、そして医療従事者、患者のため、さらにはその地域のため、と限りなく波紋をひろげていくのではないでしょうか?もちろん病院のためになることは言うまでもありません。今、踏ん張り続けている医師のためにも、上告が棄却されませんように。(群馬県 30代 民間病院事務職 栗原 右子) 大学病院で働いています。先生たちの勤務は本当に過酷で大変だとそばにいて感じます。小児科医ならなおさらだと思います。病院側にも見て見ぬふりをしている責任はあるのではないでしょうか?(神奈川県 20代 看護師 大岡
美紀) どんな仕事にも優劣があるとは思いませんが、それでも命を扱う医療従事者の職場環境は国や社会全体で守られるべきだと思います。医療従事者は自分の利益のために働く人間ではありません。自分の健康や生活を切り捨ててでも目の前の患者のために働く集団であり、中原医師はその筆頭を行かれる方であったと思います。今回の判決はこのような医療従事者の立場を理解しておらず医療従事者の働く意欲をくじく、医療崩壊を加速させる判決であると思います。(東京都 30代 看護師 稲森敦子) 尊い命が軽く扱われている今、故中原医師の思いをしっかり受けとめ、行政に訴えていかなければいけないと思います。私は助産師として地方の中堅総合病院で働いていた経験があります。分娩件数が減少、混合化された病棟は(産婦人科・小児科・脳外科・眼科・耳鼻科)常勤の産科医師もいなくなり産科は閉鎖されました。私は過労から「うつ状態」となり退職いたしまた。夜勤明け、このままガードレールを飛び越えれば何も考えなくていいかも、と考えたこともあります。中原先生はどれほどお辛い思いをされていたでしょうか。ご遺族の皆様、支援する会の皆様、どうぞ頑張って認定まで闘ってください。応援させていただきます!!(埼玉県 40代 助産師 柴岡
俊美) |
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署名運動支持・応援のメッセージ 2009.4.11 |
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