なお、タイトルは全体の流れから「客車特急」としましたが、いわゆるブルートレイン(14系座席含む)に限定され、旧型客車は登場しません。 >>>写真をクリックしてください。>>大きな写真へ ↓ ↓ ↓ 最新の追加 ↓ ↓ ↓ ↑ ↑ ↑ 最新の追加 ↑ ↑ ↑ <INDEX> 「あかつき」 、 「あけぼの」 、 「あさかぜ」 、 「いなば」 「さくら」 、 「しおじ」 、 「彗星」 、 「瀬戸」 「トワイライトエクスプレス」 「なは(・あかつき)」 、 「日本海」 「はやぶさ」 、 「富士(・はやぶさ)」 「みずほ」 、 「明星」 その他 本コーナーの掲載順写真サムネイルのみ表示は ⇒ こちらから 本コーナーの車両別サムネイルのみ表示は ⇒ こちらから ⇒ 現在工事中です。 特急「あかつき」 ![]() 諫早駅に到着する最後の下り長崎行き「あかつき」です。 「あかつき」本当の最終列車は明日着なのですが、途中の鳥栖止めとなるため、長崎まで運転されるのはこの列車で最後。生憎の雨となってしまいました。 ![]() 終着長崎駅に向けて、最終区間に入る「あかつき」です。 両側のホームでは見送りのギャラリー多数でした。 ![]() 「あかつき」が長崎駅に到着。これが最後の到着列車です。 乗客は満員だったようですが、何分短い6両編成ですから、それほど沢山の乗客、といった感じでないというのが実感でした。 ![]() 到着最終列車の機関車ヘッドマークです。 機関車は「なは」と分離する鳥栖で付け替えになりますが、ヘッドマークは「なは」「あかつき」併結対応のものでした。 ![]() 「あかつき・長崎行き」です。 以前は何本もの「あかつき」が入ってきましたが、これで最後になってしまいました。 ![]() 長崎本線の終点・長崎駅ホームは行き止まり式。 列車は夕方の発車に備えて一旦回送されます。 回送用のディーゼル機関車が最後部に連結されました。 ![]() 長崎駅の留置線で、JR九州の車両群と並んで休む「あかつき」編成です このあと今夜、最終の京都行き「あかつき」として出発して行くと、もう戻ってくることはありません。 ![]() 長崎駅ホームでの、最後の「あかつき」出発式準備中の風景です。 これから数枚は、本HP中GALLERYというよりはTRAVEL仕立ての写真です。 ![]() 日が沈んですっかり暗くなりました。 そろそろセレモニーの開始です。 ホームには以前の「あかつき」ヘッドマークも並べられています。 ![]() セレモニーの最中、最後の「あかつき」が推進運転で長崎駅4番線に入ってきました。 ホームは人だかりで、写真のアングルはこれが精一杯です。 ![]() 牽引機は、今朝方下り最終到着列車を牽いてきたのと同じ、ED76の94号機です。 停止位置まであと20m、のポジションです。 ![]() 列車が入線し、乗車が開始された直後のホーム風景です。 乗客も多数ですが、それ以上の見送り客での賑わいです。 ![]() 「なは」との併結運転のため通常は「なは・あかつき」共用のヘッドマークですが、最終日は昔からお馴染みの単独ヘッドマークが取り付けられました。 「なは」と併結となる鳥栖から先はどのようにしたのでしょうか。 ![]() ホームでの出発式、一番大きく陣取っているのはJR九州吹奏楽部です。 しかしながら列車先頭部付近のため、大勢の人でそのスペースも次第に圧迫されてきました。 ![]() 最後部寄りの編成途中はさすがに人も少なめ。 とは言え、ここまで人を入れない写真は難しかったです。 ![]() 最後部まで来ると、またまたご覧のような人だかりです。 とは言え、先頭付近と比べると余裕でした。 ![]() 列車とホームの全景を眺めるため、出発は隣のホームから見送ることにしました。 JR九州吹奏楽団の「蛍の光」に送られて、列車はゆっくりと発車しました。 ![]() ホームの端まで一杯の大勢の観客?に見送られて、「あかつき」最終列車が長崎駅ホームを離れてゆきました。 長崎駅・夜行列車の終焉です。 ![]() 長崎・佐世保行き「あかつき」が早朝の肥前山口駅に到着。最盛期はブルートレイン最大の定期7往復(さらに九州内分割)を誇った「あかつき」ですが、とうとう1往復になってしまいました。 佐世保編成廃止直前風景です。 ![]() 佐世保ゆき編成を残して、長崎ゆきが一足先に発車。隣の線では、これから佐世保編成の先頭に立つ機関車が待機中です。 「さくら」「あかつき」と見られた分割風景も見られなくなってしまいました。 ![]() 終点佐世保駅に進入する「あかつき」。列車もそうですが、今となっては懐かしい旧佐世保駅地上ホームへの到着風景です。 ![]() 見ていて楽しい機関車の付け替え作業ですが、なかなか手間のかかるものです。今となっては非効率だけが目立つシステム、ということでしょうか。客車は経済的と言われていた頃もあったはずですが。 ![]() 到着して1時間あまり。ようやく早岐に向けて回送列車の発車です。今夜はどれだけの乗客がここから乗り込むのでしょうか。 ![]() おそらく初めて撮影した「あかつき」です。 通学時間帯に見かける上りあかつき6号(当時)は、この写真の直前に、EF65-500牽引からEF58に置き換えられてしまいました。 「懐古趣味」の気がなく「新しい格好いいもの」好きだった当時は、大いに落胆しました。 特急「あけぼの」 ![]() 「日本海」到着から遅れること1時間間ばかり。 今度は上野から「あけぼの」が到着です。 ![]() 「あけぼの」のテールサインは、懐かしい昔ながらのもの。 客車にも表示されるようになり、星マークが追加になりました。 ![]() 絶滅機種のブルートレインです。 残り僅かの車両も、ご覧のとおり変な改造をされています。 ![]() 「あけぼの」です。 ブルートレインが廃止されながら、最新型ではない14系や24系改造車が多用されています。 なぜでしょうか。 ![]() 機関車が開放された「あけぼの」電源車です。 このエンドのスタイル、ほろ枠が無いとのっぺりとした感じで違和感があります。 白帯になってコントラストがはっきりしているのはいいのですが。 ![]() ホーム外れの線路を通って、機関車が回送されます。 「日本海」と同じEF81型ながら、こちらは本来交流色の赤色に変更され、窓上の短いヒサシが追加されて、かなりイメージが異なります。 ![]() 到着後、回送を待つ「あけぼの」の車両です。 ゴールデンウィークとあって観光客の人気も高く、記念撮影のポイントのひとつです。 ![]() 回送用に、ディーゼル機関車がやってきました。 どうせ夕方同じ機関車を機回しするなら、ここで電機に付け替えても、という気もしますが。 ![]() ディーゼル機関車が連結されました。 金帯の客車、色だけでなくドアなども改造されています。 ![]() まもなく回送される「あけぼの」用の車両です。 いつまで経っても、観光客のカメラの被写体になっていました。 ![]() 「あけぼの」編成、ディーゼル機関車の連結作業も終わり、発車を待ちます。 東北・奥羽・津軽線の列車発着数が意外と多く、なかなか発車することができません。 ![]() この緩急車、乗客ドアは折戸のままですが、細かいところがちょこちょこと改造されています。 雨樋1本ついただけで、随分印象が変わるものですね。 ![]() 夕刻の青森駅1番線。 ディーゼル機関車に牽かれて「あけぼの」が回送されてきました。 ゆっくり低速での入線は「夜行列車」という感じではあります。 ![]() 乗客の待つ1番線に、「あけぼの」到着です。 ゴールデンウィーク半ばとあって、ホームには多数の乗客(プラス、ギャラリー)です。 ![]() 上り回送列車の到着時には、本来の電気機関車が最初から連結されたままでした。 先頭部にはギャラリー(乗客?)多数です。 ![]() 1番線は写真を取るにはやや難し目のレイアウト。 ということで、上方からの俯瞰に切り替えました。 客車は改造されてはいますが、クーラーの形からわかるように、どちらも古い24系の改造車です。 ![]() 青森駅1番線で発車待ちの「あけぼの」です。 何とか明りがある時刻のため、ホームを跨ぐベイブリッジの展望台からの風景です。 ![]() 昔は「蚕棚」などと言われた寝台車ですが、改造車ながら今では個室寝台も連結されています。 実際に乗車してみると、狭いのには違いないですが。 ![]() 薄暮の時刻、寝台車にはまだ早いですが、「あけぼの」が発車して行きます。 東京発着に便利なダイヤのため、青森ではやや使いにくいダイヤとなっています。 新幹線がある以上はこれでいいのでしょう。 ![]() 「日本海」通過から遅れること約1時間半。 こんどは下り「あけぼの」が通り過ぎます。 時間とともに、バックの岩木山がだんだん霞んでゆく感じです。 ![]() 直流区間から直通してくるため、機関車は交直両用のEF81ですが、色は交流用と同じ赤色です。 同じ赤ならED75の方がしっくりくる感じです。 ![]() 5月始めの津軽は、今年はまだ田植え前でした。 水田に移る青い客車をイメージしていたのですが、ちょっとだけ残念。 ![]() 秋田平野北部を下る「あけぼの」です。 このあたりから青森県境あたりまでが、一番使い勝手のいい範囲でしょうか。 ![]() 20系ほどではありませんが、その後の25形と比べると丸みを帯びた緩急車。 昔は感じられなかった温かみを今では感じてしまうのが不思議です。 ![]() 庄内平野、鶴岡付近を走る臨時特急「あけぼの」です。 ゴールデンウィークではありますが、定期時代より短い7両での運転でした。 ![]() 客車のバラエティは定期列車時代と同様です。 日中近くで見ると、どれも相当にくたびれた感じではあります。 ![]() 今年2014年3月で定期列車廃止後も、多客期には運転される「あけぼの」。 しかし今後いつまで運転されるのかは、微妙なところです。 「日本海」同様1年程度で完全廃止、でしょうか。 特急「あさかぜ」 ![]() 2005年3月、下り「あさかぜ」最終列車は東京駅ホームの風景です。 通勤時間帯でもここまで混まないだろうと思われるホームには、どれくらいの人がいたのかわかりませんでした。 ![]() 回送の機関車が先頭部に連結されます。 とても列車に近づける感じではありませんでした。 ![]() 下り最終「あさかぜ」の出発を見送った翌朝の東京駅です。 下関からの上り最終「あさかぜ」が到着しました。 早朝のことで、最後尾の写真では大した人出ではないように見えます。 実際昨夜のお祭り騒ぎの比ではないのですが、それでも先頭機関車側であるホーム神田寄りは、結構な人だかりでした。 ![]() つぎつぎとやってくる通勤電車のわずかの合間に、品川区に回送される「あさかぜ」です。 銀帯の25形・15形は、帯に光が当たって反射しないと、とたんに旧型客車のような地味な印象になってしまいます。 ![]() 上の写真と同じ場所で同じ列車・車両です。但し年代が異なります。 ヘッドマークが絵入りでないほか、まだブレーキや電源系統の改造が実施されていない当時の25形です。 ![]() これから「あさかぜ」仕業につく機関車EF66です。 もっとも、品川区からの出庫の際は、次の列車の機関車が牽引してくるため、手前の客車は一時間前に発車する「さくら・はやぶさ」でした。 ![]() ビルの谷間から朝日を浴びて、東京に向かう「あさかぜ」です。 もうちょっと手前に引きたかったのですが、なにせこの付近5m程の区間しか日が当たっていないもので・・・。 ![]() こちらはもっと遡り、1978年・引退直前の20系「あさかぜ2号」です。 「あさかぜ」も懐かしいですが、すれ違う153系急行東海編成からも時代がわかります。 ![]() 20系あさかぜ・後部博多寄り電源車端は、スマートというよりちょっとユーモラスな感じの表情です。 置き換え直前、すでにA寝台は博多寄りの2両だけに削減されていました。 ![]() 東京駅12番線に到着した上り「あさかぜ2号」です。 当時は新幹線は東海道山陽だけですから、12番線も隣の13番線も、在来線用のホームでした。 153系は「東海」「伊豆」の急行の他、間合いで昼間の東海道中電にも多用されていました。 ![]() 品川に回送される「あさかぜ」。 今見てもスマートなデザインです。 もっとも、昭和30年代初頭の設計ですから、この当時でも車内の狭さは如何ともし難い状況でしたが。 ![]() カーブを曲がったすぐ先の品川区に入区するため、少しずつスピードを落としながらゆっくりとカーブにさしかかってゆきます。 眺めていて一番楽しい情景でした。 ![]() 博多駅で発車時刻を待つ、上り臨時「あさかぜ51号」東京行きです。 新幹線開業で削減された博多「あさかぜ」ですが、その後も多客期には毎回20系で臨時列車が運転されていました。 短編成ながら、ちゃんとA寝台も食堂車も組み込まれていました。 ![]() 博多行き下り寝台特急「あさかぜ1号」です。 ようやく朝の時間帯。下りブルートレインはこの列車から客扱いをします。 とはいえ真冬のことですから、まだまだ真っ暗闇の中です。 ![]() 「1号」につづいてやって来るのは、下関行き寝台特急「あさかぜ3号」です。 そういえば、「富士」の写真が見当たりません。 運休ではなかったはずなのですが、なぜ撮っていなかったのか、記憶は定かではありません。 特急「いなば」 ![]() 後に「出雲」の愛称に統合されてしまいましたが、山陰から東京を結んでいた「いなば」です。 身軽ないでたちですが、名古屋からは「紀伊」を併結してフル編成になっていました。 ![]() 大山を望みながら米子を後にする「いなば」です。 寝台特急が削減される中、東京〜山陰系統の列車が今だに2往復運転されているのは奇跡的です。 特急「さくら」 ![]() 小野田付近を走る、朝の下り「さくら」です。 この写真を撮る少し前からテールマークが絵入りになったのですが、もともとさほど大きくない14系の表示窓、「さくら」のデザインはちょっと見づらいです。 ![]() 廃止直前、「はやぶさ」と併結で上る「さくら」、新子安を通過です。 東京近辺の上りは線路が随分北向きに振っており、写真を撮るのに向く場所が意外と限られます。 ![]() 終点東京に到着後、品川に回送される「さくら」編成です。 2段寝台化で15系が入ったりはしましたが、14系化以降、35年近くあまり大きく姿を変えなかった「さくら」のエンドの姿です。 ![]() 廃止直前のヘッドマークは併結の「はやぶさ」と共用のデザインでした。 客車もそうですが、アップで見るとEF66型機関車も相当にくたびれた感じがします。 ![]() 東京駅10番線で、発車直前の「さくら」です。 廃止間近のことにて、ホームにギャラリーが相当集まっていますので、監視するのも大変なようです。 ![]() とうとう東京駅から「長崎行き」の文字が消えてしまいました。 確かに今の時代では、在来線のスピードでは東京から長崎までは夜行列車でもちょっと遠すぎますが。 いつか新幹線で「長崎行き」が復活する日があるでしょうか。 ![]() 東京駅で発車時刻を待つ「さくら・はやぶさ」です。 やや明るめのブルーと白帯で、ブルートレインの車両の中では一番華やかに見えるカラーリングの14系ですが、Hゴムが黒に変更されてちょっとバランスが崩れてしまいました。 ![]() どちらも2005年3月改正で廃止されてしまう、「さくら」と「あさかぜ」案内表示です。 以前と比べると随分とスピードアップされて、発車時刻も繰り下がっていた「さくら」ですが、それでも夜行列車が18時03分の発車とは、今ではいかにも早すぎます。 ![]() 田町駅ホーム脇を通過する「さくら・はやぶさ」です。 ちょっと引きすぎました。うまく止まっていません。 2列車併結対応のヘッドマークですが、ちょっとメリハリ不足感があります。 3月からの「富士・はやぶさ」はどんなデザインになるでしょうか。 ![]() 東京駅到着後、折り返し品川区へ回送の「さくら」です。 業務用室の両側窓とテールマークのHゴムは「白系」であってほしいのですが。 テールマークのカラーリングが車体に沈んでしまっているのもちょっと残念です。 ![]() 品川を抜けて田町へ進入する「さくら」です。 牽引機でわかるように、おおよそ30年近く前の写真です。 当時は「さくら」が上り東京ブルトレの最終ランナーでした。 ![]() 当時の標準機・EF65-500牽引の「さくら」です。 ちょうどこの頃から小中学生のブルトレブームが加熱し、この田町駅ホーム南端も、当分の間立ち入り禁止となってしまいました。 変貌著しい品川・汐留界隈ですが、このアングルのバックは当時と大きな変化がありません。 ![]() あまり色気のない文字だけのテールマークですが、シンプルな14系にはメリハリが利いて似合っていると思います。 欲を言えば貫通扉窓の防火改造が残念ですが、安全上のことでもあり、これは止むなしとしましょう。 ![]() 今度は肥前山口に「さくら」到着。これから分割作業が始まります。 以前は伝統ある列車番号1でした。 ![]() こちらも佐世保ゆき編成を残して、長崎行きが先に発車。 昼間見ると、15型・25型の銀帯より14系の白帯のほうが鮮やかで美しく感じます。 ![]() 長崎編成が発車した後すぐ、待機していた機関車が佐世保編成につながれます。「さくら」のヘッドドマークは、昔の周囲ピンク桜白抜きの方が好きでした。ただ当時から、九州内では周囲白中心ピンクの、山陽東海道とは反転したデザインのものがあったようです。機関車の色の影響でしょうか。 ![]() 完全に過去のものとなった食堂車。すでに営業はしていませんでしたが、佐世保編成の末期には、長崎・佐世保両編成に1両づつ組み込まれていました。 ![]() 東京発九州行きのブルートレイン、トップランナーは長崎・佐世保行き「さくら」でした。 乗務員交代のための運転停車はしますが、まだ未明のため岡山駅では客扱いは行わず、時刻表上は「通過」です。 特急「しおじ」 ![]() 昼間の山陽本線予定臨の特急「しおじ51号」です。 大阪方面からの昼行特急は、多くがこの5番線に発着していました。 ![]() 半分地下のような岡山駅5番線から発車する臨時特急「しおじ51号」です。 サボはちゃんと入っているのですが、この日はテールマークが白の無地で残念です。 特急「彗星」 ![]() 寝台特急「彗星」、終点南宮崎駅に到着後の様子です。 いかにも南国、といった雰囲気の宮崎色713系電車と寝台特急との組み合わせ。 ![]() 南宮崎駅で休む「彗星」です。 最盛期は更に都城まで足を伸ばしていましたが、末期の10年ほどは留置線のある南宮崎行きでした。 特急「瀬戸」 ![]() 20系時代の「瀬戸」です。 早朝、終着宇野駅に到着後は、一旦留置線に移動されて、夜の発車の準備が行われていました。 ![]() 早朝の宇野駅に進入する「瀬戸」です。 GALLERYの 「瀬戸大橋開通前夜」 に数枚、「瀬戸」の写真を置いています。 ![]() 20系時代の上り特急「瀬戸」、岡山駅に停車中です。 やはりブルートレインが一番美しかったのは、EF65-500+20系の頃だと思います。 当時はネガフィルム使用+未熟な技術で、不鮮明な写真しか残ってないのが残念。 ![]() 早暁、備前田井駅の長い交換設備を通過する下り「瀬戸」です。 終点宇野駅はもう間近。加えて田井駅出発側分岐の速度制限を受け、長い列車がゆっくりと通過して行きます。 ![]() 宇野駅で休憩中の機関車3両。 「瀬戸」は折り返しの夜までたっぷり休憩。 しかし左のDD13は、連絡船が着く度に、航送車両の入れ替えで慌しく行ったり来たりします。 当時は貨物牽引で、大型電機EH10も乗り入れていました。 ![]() 「瀬戸」の牽引機、EF65 500番台。 バランスのとれた顔つきに加え、1000番台とは違い、ヘッドマークの位置にも安定感があります。 当時「瀬戸」のヘッドマークは、島の数の違いで2種類(3種類?)あったようです。 ![]() 宇野駅で休憩中の「瀬戸」20系客車です。 東京〜宇野間の「瀬戸」は運転時間が比較的短く、折り返し時間がたっぷりあるため、車内整備ものどかな感じでした。 宇野駅到着後、一旦東側へ転線します。 ![]() 電車寝台「サンライズ瀬戸」285系に置き換え間近の「瀬戸」です。 上の20系時代のものとはこれまた微妙にデザインが異なります。 25年の間にどのように変化したのでしょうか。 ![]() 麦秋の児島湾干拓地に沿って走る「瀬戸」。 このあと瀬戸大橋を渡り、終着高松を目指します。 この日は多客期のため、最大編成となっていますが、末期は通常9両編成程度が殆どでした。 ![]() ブルートレインの最終ランナーは宇野行きの「瀬戸」です。 この列車だけは宇野線下りホームに入ります。 向こうのホームを光が流れているとおり、この頃には普通列車の運転時刻になっています。 ![]() 改めて眺めると、「こんなところにカメラの三脚立てていいのか?」的アングルです。 実はこの位置は横断通路と背後に詰め所があり、職員と談笑しながらの撮影ではあったわけですが。 特急「トワイライトエクスプレス」 ![]() 来年(2015年)3月で列車廃止が発表された「トワイライトエクスプレス」です。 廃止から北海道新幹線開業までは1年ありますが、どうやらその前の「北陸新幹線開業」が影響しているようです。 ![]() トワイライトの下り列車は、正午前の11時50分発。 北陸特急の指定席11番線ではなく、隣の10番線からの発車です。 ![]() 赤いトレインマークのトワイライト。 残念ながら、「絵入り」を想定していなかった?ブルートレインのテールマーク窓では、少し小さい感じです。 ![]() 「日本海」が廃止され、大阪駅から発車する客車列車はこの不定期「トワイライト」のみになってしまいました。 EF81型機関車と25形客車。 確かにすでに「老齢」と言う言葉が似あいます。 特急「なは(・あかつき)」 ![]() 「なは」に連結されていたレガートシートです。 485系電車用グリーン車から改造されたこの車両、「あかつき」レガートと比べると派手派手しいカラーリングでした。 ![]() 鳥栖から長崎まで「あかつき」を牽引する機関車が、ホームの向こう側に控えていました。 この機関車のヘッドマークも「なは・あかつき」共用です。 ![]() 前半分の「なは」編成がいなくなり、機関車の到着を待つ「あかつき」編成です。 本来は銀色の貫通ほろ枠まで車体とおなじ青色に塗られているため、どこか違和感が。 ![]() 機関車が転線して前方からやってきました。 やはりこちら側にもヘッドマークが取り付けられています。 ![]() 機関車が連結された「あかつき」です。 電源車をつないでいた「なは」と違い、こちらは14系15形の編成。 システムが違う客車を併結する方式は、目から鱗の運用?それともブルトレ末期の苦肉の策? ![]() 機関車連結作業が終了し、発車準備が整った「あかつき」です。 列車遅れの影響で、長崎行き「かもめ」を先に発車させての出発です。 ![]() ようやく長い停車が終わり、「あかつき」が発車して行きます。 末期は個室寝台あり、レガートシートありのでこぼこ編成でしたが、わずかに昔ながらのB寝台も連結されていました。 ![]() 最後尾にレガートシートをつないだ「あかつき」です。 14系座席車を改造したレガート、末期は方向転換されて京都方に連結されていました。 ![]() 末期の寝台特急「なは・あかつき」です。 ここ鳥栖駅からは分割されて、それぞれ熊本と長崎を目指します。 ![]() 機関車に取り付けられたヘッドマーク。 門司から牽引してきた機関車は、ここからは前半分の「なは」だけを牽いて熊本を目指します。 ![]() 「なは」編成には、機関車の次に電源車が連結されていました。 短い編成で電源車、というのもどんなものでしょうか。 15形の緩急車、多少は数に余裕があったはずなのですが。 ![]() 機関車運用の関係で、機関車には両側とも「なは・あかつき」のヘッドマークが共通で取り付けられています。 一時期は東京ブルトレの山陽・東海道区間を除いて全廃されたブルトレヘッドマーク。再び全列車に取り付けられるようになったのは、九州地区での復活がきっかけでした。 ![]() 一足先に、分割された「なは」が発車します。 「彗星」廃止後、ごく短い期間だけの両列車の併結運転でした。 ![]() 「なは」が出てゆきます。 ここまで「あかつき」のレガートに乗車。 鳥栖で「リレーつばめ」に乗り換えて熊本へ先回りして到着を眺める予定だったのですが、小一時間の遅れが生じており、次の「リレーつばめ」で途中追い抜き熊本の仕事場へ直行。 いずれにしても客車特急の悲しい現実です。 ![]() 終点熊本駅に到着する「なは」です。 「彗星」廃止までは「なは」は単独列車で、まだそこそこ長い編成だたのですが、今ではこの有様です。 ![]() 熊本駅ホーム所定位置に停車。 前日は遅れの関係で到着を眺める時間がなくなったため、本日はリベンジです。 ![]() 機関車にはおなじみのヘッドマーク。 かつての「なは」「あかつき」せれぞれのデザインをミックスしたようなデザインです。 熊本行きで「なは」というのも変な感じではありますが。 ![]() 休日のため家族連れや観光客が下車しましたが、その数はそれほど多くありませんでした。 もっとも6月上旬ですから、観光シーズンからは外れていますが。 ![]() 短い下車時間の後、そのまま下り方に回送されて行きます。 以前はホームの奥手が、さほど広くない敷地に一杯の留置線でしたが、今では新幹線駅の工事中です。 ![]() 倉敷駅に停車中の「なは」「あかつき」です。 ブルートレイン最盛期の頃は長崎・佐世保・鹿児島の各系統をあわせて「あかつき」でしたが、最後は長崎行き「あかつき」と、鹿児島まで行かない熊本止め「なは」との併結でした。 特急「日本海」 ![]() 青森駅3番線に「日本海」が定刻到着です。 長年にわたり「日本海」の到着は1番線が指定席でしたが、東北新幹線新青森開業・東北本線の「青い森鉄道」へ移管にあたり、この前日から3番線に変更されました。 ホームの屋根ばかり目立つのが難点です。 ![]() 本日の「日本海」はトワイライト色のEF81が牽引。 折角伝統あるヘッドマークをつけているのですが、色とデザインが機関車の塗装に完全に埋もれてしまっているのが残念です。 ![]() 青森に到着後、機関車は速攻で解放されます。 到着後急いでベイブリッジの車道の下をくぐって反対側の歩道に駆け上がったのですが、すでに切り離された後でした。 ![]() 解放された機関車は機回し線へ。 青森港に突き出た引き上げ線へ、かなり長い距離の引き上げです。 終端の付近には何やら保存車両も数両見えます。 ![]() 6番線の脇の引き上げ線を通って機関車の回送です。 「日本海」専用ですから、これから夕方までは昼寝の時間です。 それとも今夜の「トワイライト」を牽引? 両側に「日本海」のヘッドマーク付きですから、それはないか。 ![]() 大阪から長躯、寝台特急「日本海」が青森に到着です。 寝台特急としては長距離ですが、青森到着は8時半頃と、観光用としては手頃です。 ![]() 昔ながらのばら色のいでたちのEF81に引かれた日本海編成。 ゴールデンウィークながら、7号車〜10号車は欠車のままの編成でした。 ![]() 青森駅に到着すると、すぐに機関車開放作業が始まります。 機関車は敦賀の車が大阪から通しての牽引でした。 ![]() 機関車が開放され、電源車のバックサインが現れました。 どうもこの電源車のデザインは好きになれません。 ![]() 開放された機関車です。 EF65-500と共通点の多いEF81のスタイルは好きです。 もうちょっと運転窓中央柱が細ければ、よりすっきりするのでしょうが。 ![]() 東日本の485系改造車、特急「白鳥」とのすれ違い。 ![]() 本日の日本海です。 昨年の「富士・はやぶさ」でもそうでしたが、旧型の14系・24系が沢山生き残っているのは驚きです。 ![]() 到着後の回送は、DLが主役です。 長い編成の前に、DE10が連結されます。 ![]() 青森駅1番線で発車待ちの「日本海」です。 「あけぼの」から遅れること1時間半。 すっかり暗闇の中になりました。 ![]() 1番線に停車中の「日本海」です。 残念ながらホーム反対側に明りが少なく、寝台通路のブラインドも下げられ光が漏れないため、あまり面白い写真になりませんでした。 ![]() 「日本海」が1番線を離れてゆきます。 これだけの明りで俯瞰手持ち撮影は無謀でした。 デジタルの力で目一杯増感して何とかここまでです。 ![]() 津軽富士こと岩木山をバックに、津軽の田んぼの中を走る、下り「日本海」です。 青い客車と赤い機関車の組み合わせ、私としてはあまり馴染んだ風景ではありませんが、結構似合います。 ![]() オリジナル塗装とは色々変更になったものが多い電気機関車ですが、この「日本海」用はEF81本来のばら色です。 赤い電機と比べると、青い客車との組み合わせはやや印象が弱いか? ![]() この期に及んで、昔ながらの「蚕棚」寝台車の比率が異様に高い「日本海」の客車。 車両の変化に乏しいため、こういうアングルの写真は一番面白みがありませんが、この場所の後追い側は画角が取れないためご容赦を。 ![]() 能代近辺を走る下り「日本海」です。 もう少し明るいはずだったのですが、予想外の霧雨模様です。 ![]() 北陸本線を走る上り「日本海」です。 連休最終日の北陸は、田植えの真っ最中、といった時期でした。 ![]() ばら色の機関車に牽かれて行く「日本海」。 客車はブルートレインとしては車齢が新しい方ですが、大した改造はされておらず開放2段寝台のままです。 ![]() 白とゴールドの帯の車両が入り混じった「日本海」編成。 特急寝台で今だに開放型のA寝台が生き残っているというのも驚きです。 懐かしい感じはしますが。 特急「はやぶさ」 ![]() 続いてやって来たのは、西鹿児島行き「はやぶさ」です。 下りブルートレインは、関西始発の列車を含め、5番線ではなく6番線が指定席でした。 特急「富士(・はやぶさ)」 ![]() 東京駅9時58分、「富士・はやぶさ」がブルートレインの定位置10番線に到着します。 寝台列車とはいいながらすでに10時前。乗車率はともかく、今となっては使い勝手のいい列車とは到底言えません。 ![]() 新幹線ホームから見下ろす10番線に、「富士・はやぶさ」がゆっくりと進入します。 このポジションでは在来線との間に高い柵があるのが残念。 雰囲気だけでも察してやってください。 ![]() 東京駅に到着するとすぐに機関車が解放され、神田方に引き上げます。 東京ブルトレが1往復に削減されてから、機回して同じ機関車で回送する形態になりました。 ![]() 一旦神田方に引き上げた機関車は、隣の9番線を通って新橋方に回送です。 地方駅では以前はよく見られた着回し風景ですが、人の多い東京駅のホームで行われると、ちょっと違和感があります。 ![]() 機関車がいなくなった、後部の「はやぶさ」編成最後尾です。 乗客はそれぞれ散って行きましたが、廃止が報道された後の休日でもあり、ホームはギャラリーで大賑わいです。 ![]() 乗客の下車が終わった「富士・はやぶさ」が機関車の回送を待っています。 隣の東海道本線ホームを使っての機回し・定期列車の合間を縫っての品川回送のためダイヤの制約が多く、回送列車が出てゆくのは到着後40分も経ってからになります。 ![]() 機回し連結を待つ「富士・はやぶさ」客車です。 東京駅品川方はホーム端まで入れないため、新幹線ホームから眺めることにしました。 新幹線の2階建てMAXも、東北からは引退が近づいているようです。 ![]() 品川片に機関車が連結されました。 独特のスタイルのEF66初期型、鼻筋が通っていて、昭和40年代のデザインの傾向を伺わせます。 貨物用にはもったいないデザインだった? ![]() 10番線ホームはこの向こう側あたりまでしか入場できないのですが、機関車連結時は大混雑でした。 「富士」編成の下り方は、ブルートレインとしては一番新しい14系15型。 銀帯は昼間見ると地味です。 ![]() 当初は全車下関配置だったEF66型機関車、配置板とともにブルートレイン用の表示板も入れられています。 増備分から追加された日よけのひさし、上から見るとこんな形状なんですね。 普段は見上げるだけなので、ただの平らな「板」かと思っていました。 ![]() 機関車の付け替えも終わり、あとは線路が空くのを待つだけです。 東海道線の列車が発着の合間を縫っての機回しと回送。 おかげで品川へ向けて回送されるのは、到着後40分も経った後です。 ![]() さて、ここからは「夕方の部」です。 下り「富士・はやぶさ」が入線する少し前、機関車停止位置付近では、およそ2両分にわたりホーム端進入防止のロープが張り巡らされました。 ![]() まもなく品川基地から回送列車が入線です。 神田方の列車停止位置付近はこんな感じです。 ![]() 回送列車が入ってきました。 接近防止に張られたロープは邪魔なようですが、ポジションさえ確保すれば写真を撮るのには逆に助かります。 もっとも最終日近くはこんなものではなかったようですが。 ![]() 所定の位置に列車が停止しました。 これから慌しく機関車の付け替え作業が始まります。 ![]() 機関車解放作業中です。 作業完了の合図ですが、電車に合わせた高い都市型ホーム側でやられると、やはり違和感を感じます。 ![]() 朝の到着時と同じように、機関車が一旦神田方に引き上げ、機回し作業が行われます。 客車の回転の関係で、朝の到着時とは逆にこちら側半分の編成が「富士」となります。 ![]() 機回し回送のため、機関車が取り外されます。 精悍な顔つきのEF66型電気機関車。 鼻筋が通った昭和30年から40年代の代表的なデザインですが、貨物専用機として生まれたにしてはもったいないスタイルです。 ![]() 回送機関車の停止位置付近はこんな感じです。 切り離し作業と機関車前部への接近防止のため、客車の乗車口をギリギリ外してロープが張られていました。 前にも書きましたが、おかげで人が邪魔にならず写真を撮るのにはかえって好都合。 ![]() 初代ブルトレ20系客車と比べると「新しいデザイン」のイメージが強かった14系客車。 しかしすでに登場してから40年近くになるんですね。 色合いは白帯のこの車が一番綺麗に見えます。 ![]() 東京から大分まで、在来線経由は長い長い道のりです。 もっともはるか以前に西鹿児島まで24時間以上をかけていた頃と比べると、相当短縮されてはいましたが。 ![]() 在来線東海道ホームの案内板。 九州への案内表示も、これが見納めです。 ![]() 「はやぶさ熊本行き」と交互に表示は、少々味気ないですがLEDドット式の威力ではあります。 天下の東京駅の東海道ホームですが、JRになってホーム表示の最遠駅名が「非常に近い」熱海止まりになってしまったのが残念。 ![]() 富士・はやぶさの連結部分です。 2列車併結用に20系からガラリと変わった14系の車端部デザインですが、強烈な印象は無いながら丸めのやさしいデザインは好きです。 ![]() ホーム上部に掲げられた案内板。 東海道長距離列車ホームでは沢山の案内板があり、かつての花形の寝台列車は埋もれた感がありました。 後から貼り付けた「はやぶさ」の文字が少し寂しそう。 ![]() 隣の9番線を、先ほど回送列車を牽いてきた機関車が品川方の先頭に回送されます。 この時ばかりはホームのギャラリーも9番線側に注目です。 ![]() 「はやぶさ」先頭部に多数のギャラリーが集結。 まもなくこの先頭部に、先ほど9番線を通り抜けた機関車が連結され、発車準備が整います。 ![]() 日が落ちて外はすっかり暗くなった東京駅。 ゆっくりと回送機関車がやって来ました。 シャッタースピードを上げるために、ISO感度を最高まで増感していますので、荒れた画質はご免なさい、という写真です。 ![]() はやぶさの先頭部に機関車が連結されます。 この時間はギャラリーが皆線頭部に集結です。 但し、在来線はホーム端までは入れないため、客車の一番前部がギリギリ限界です。 ![]() 機関車の連結作業が完了しました。 新幹線ホームの警備係員。 警備の対象は新幹線の乗客ではなく、ホームから写真を撮る輩です。 私もその一人ではありますが。 ![]() 本日の機関車はEF66 50号。 下関持ちの機関車のため、今朝方到着した車がそのまま折り返し下り列車を担当します。 細かいところは相当にくたびれています。 ![]() 「はやぶさ」先頭部です。 なぜか客車のバックサインの照明が点灯されていません。 少し残念です。 ![]() 「富士」と「はやぶさ」連結部の貫通扉バックサインです。 昔と比べると文字だけのサインからイラスト入りになり華やかですが、どうしても文字が小さくなってしまいます。 ![]() こちらは反対側「はやぶさ」の貫通扉バックサイン。 初代ブルトレ20系と14系以降の大きな違いのひとつが車端の貫通構造。 絵入りマークのせいだけでなく、バックサイン自体のサイズが小さくなってしまったのは、電車の183系・485系200番台など昭和40年代後半の車の共通点です。 ![]() 「富士」「はやぶさ」14系同士の連結部分です。 14系以降15まで多数のブルトレ車両が製造されましたが、車内設備改造されたとは言え、この列車には初期の14系が最後まで編成に組み入れられていました。 ![]() 乗客の乗車もほぼ終わり、そろそろ発車時刻が迫ってきました。 入線から発車まで長い時間があるため、ホームでの喧騒もやや落ち着いた感じです。 ![]() ドアが閉まり、「富士・はやぶさ」東京駅定刻発車です。 これから明日昼前まで、九州に向けて長い旅程の始まりです。 ![]() ホーム上に吊るされた「富士」の案内板。 他の列車の案内に埋もれて意外とひっそり、といった感じでした。 後ろの「Max」もそろそろ東北新幹線から引退間近、といったことろです。 ![]() 東京駅在来線の案内板から、九州方面の文字がとうとう無くなりました。 最後まで残っていた「熊本」と「大分」の文字です。 ![]() 長距離ホームながら行き先案内はJR東日本エリア内の「近く」はかり。 その中にあって唯一の九州方面の文字でした。 それにしても、発車が18時03分というのは、あまりに早い! ![]() 「富士・はやぶさ」が発車した後の東京駅ホームです。 九州方面行きの案内だけが寂しく残されていました。 ![]() 門司駅に停車中の上り「はやぶさ」です。 ここで機関車付け替え及び、大分始発の「富士」と併結されるため、暫くの停車です。 ![]() 熊本から牽引してきた機関車が取り外された東京方エンドです。 2段寝台に改造されたとはいえ、妻面を大きく折ったスタイルの14系、車齢は相当のものです。 ![]() 門司〜下関一駅間だけ、関門トンネル対応のEF81-400番台が牽引。 交換の機関車が連結されます。 ![]() 門司まで「はやぶさ」を牽いてきた機関車が、反対側の線路を回送されます。 長い行程のごく一部とは言え、機関車交換と列車併結で結構な停車時間。 すでに「時間」で勝負できる列車ではありません。 ![]() 関門用の機関車が連結された「はやぶさ」です。 交流と直流電化区間を繋ぐ機関車は、海底トンネル対応の特殊性もあり、客車列車では門司〜下関一駅間だけでの活躍です。 ![]() 大分からの「富士」と併結されるため、「はやぶさ」は乗客を乗せたまま一旦門司駅のホームを離れて門司港方に引き上げます。 「入れ替え作業」ですから係員が添乗です。 ![]() ホームを離れる「はやぶさ」の客車。 乗客を乗せたまま入れ替え転線をする列車はこれが最後でした。 ![]() ホーム反対側、隣の線に移るため、ホームから遠く離れたポイントの向こう側まで移動します。 ここで暫く、「富士」が到着するのを待ちます。 ![]() 大分からの「富士」が到着しました。 まだ機関車はホームの中央くらいの位置なのですが、前部に「はやぶさ」を連結するため後方への停車です。 ![]() 「富士」を牽いてきたこの機関車もこの門司駅まで。 あとは「はやぶさ」の後ろにぶら下がります。 ![]() 機関車が逃げた後の「富士」です。 東京方の緩急車は、ブルートレインの中でも新しい(と言ってもそこそこの車齢ですが)14系15型でした。 ![]() 門司港側から、「はやぶさ」の客車が推進運転でゆっくりと近づいてきました。 長い編成同士の連結作業ですから、隣のホームから眺めてみると迫力があります。 ![]() 連結器で繋がれ、あとはジャンパ線やブレーキホース、それに貫通ホロの取り出し作業です。 それにしても,客車の併結作業となると、相当な工数が必要です。 ![]() 連結作業がほぼ終わり、長い編成の列車ができあがりました。 やはり優等列車はこうでなければいけません。 ![]() さて、一足先に普通列車で下関駅に先回り。 程なく、さきほどの「富士・はやぶさ」が長い編成で関門トンネルを抜け、下関駅に到着しました。 ![]() 折角門司駅で付け替えられた機関車ですが、関門専用、一駅だけのショートリリーフです。 下関駅に到着するとすぐに、また付替え作業が始まります。 ![]() 関門専用機関車、EF81-400が離れてゆきます。 貨物列車の場合はもう少し牽引区間が長いのですが、旅客列車の場合は本当に一駅限りでの活躍でした。 ![]() 下関駅ホームの向こうの方に、次の機関車が控えていました。 ここから先は直流電化区間のみ。機関車の色も青色に変わります。 ![]() 上りの東京側半分は「はやぶさ」の編成。 こちらの「顔」は、ニューブルートレイン(と呼ばれた時期もありました)、今となっては古株の14系の丸い顔です。 ![]() 交直流機EF81と直流機EF66が並んだところです。 ここから先は、左側のEF66が牽引します。 ![]() 独特のスタイルのEF66が近づいてきました。 元貨物機、EF66がブルトレを牽引するようになって相当になりますが、とうとうこの列車だけになってしまいました。 ![]() 「富士・はやぶさ」下関駅での機関車連結風景です。 残念ながらホーム端まで入れないため、このポジションでの観察が限界でした。 ![]() 連結作業がほぼ終了です。 思えば門司駅に到着してから下関の発車まで、わずかの距離なのですが、随分長い停車時間でした。もちろん作業時間もかなりあったわけですが。 ![]() 扉が閉まり、下関駅発車です。 日の長い6月のこと。まだ写真が撮れるほど明るい下関駅です。 夜行列車、というよりは通勤の時間帯です。 ![]() 機関車交換の作業員と挨拶を交わしながらの発車です。 日が長い、とは言えさすがに人の動きを止められるほど高速でシャッターを切ることはできませんでした。 ![]() まだまだ夕方のうちですが、いかにも夜行列車、という雰囲気で列車がホームを離れてゆきます。 東京駅到着は明朝10時前。新幹線なら本日中に十分到着可能。 という時間軸で走る列車でした。 ![]() 新子安を通過する「富士」です。 単独列車で東京へ上る末期の姿です。 ![]() EF66に富士山形のヘッドマーク。 「富士」自体は辛うじて健在ですが、「はやぶさ」との併結化によりこの姿も見られなくなってしまいました。 ![]() 終点東京まであと少し。「富士」の後ろ姿です。 長らく24系25型の編成だった列車も、「さくら」「はやぶさ」との運用共用化で混結の編成です。 白帯と銀帯が入り乱れており、編成美はいまひとつといったところです。 ![]() 品川をすぎて田町のホーム横を通過する「富士」です。 光量不足と引き寄せ過ぎで止まっていません。 写真としては失敗作をお見せしてすみません。 ![]() 東京駅到着後、折り返し品川に回送される「富士」の編成です。 「さくら」との共用化により、東京寄りの編成は白帯14系が使用されていました。 ![]() 20数年前の「富士」です。 といっても、25形編成の姿で、それほど古い感じはしません。 テールマークが絵入りでなく文字だけなのが当時を思い起こさせます。 ![]() 寝台特急「富士」がやってきました。 昼間の特急列車補完の性格もありますが、いかにも早すぎる始発時刻です。 ![]() 鹿児島市内を走る「富士」です。 日豊本線内は非電化のため、DF50が牽引していました。 車両はすでに25形化されています。 ![]() 桜島をバックに錦江湾沿いを走る「富士」です。 時刻は朝10時過ぎです。 終点東京までは、これからほんの24時間とちょっとです。 特急「みずほ」 ![]() 早朝の徳山付近を下る「みずほ」です。 新幹線開業時は別として、東京〜九州ブルトレとしては真っ先に廃止されてすでに10年以上が経過しました。 ![]() 田町のカーブを曲がって姿を現した「みずほ」。 写真としてはちょっと遠い位置で、「次の一枚」が本番なのですが、目で見るアングルとしては、ゆっくりとカーブしながら近づいてくるこのあたりの雰囲気が一番好きです。 ![]() 田町駅ホーム脇をこれから通過。 黄金色をあしらってはいるのですが、「みずほ」のヘッドマークはデザインとしてはちょっぴりコントラストが地味な印象のデザインでした。 ![]() 田町を通過して、終着東京まであとほんの数分の「みずほ」。 「さくら」と同じく早く14系化されたため、20系時代の姿を見た記憶は全くありません。 ![]() 早朝の下り「みずほ」です。 静岡での事故・抑止の影響で相当遅れての運転でした。 ギャラリーの GALLERYの 「ホームグラウンド」 に数枚、「あさかぜ」その他の写真を置いています。 ![]() 九州ブルートレインのなかでは真っ先に廃止された「みずほ」です。 この列車は上下とも岡山駅は深夜未明のため通過扱いですが、乗務員交代のための運転停車はしていました。 特急「明星」 ![]() すでに夜行列車は乗客減少で削減期に入ってはいましたが、西鹿児島にも複数の寝台列車が乗り入れていました。 ED76に引かれた列車は、間もなく西鹿児島に到着する下り「明星」です。 ![]() 伊集院付近を下る「明星」。 歴史の古い列車愛称ではありますが、寝台列車削減とともに今では愛称自体が消滅してしまいました。 九州は空港整備が早かったこともあり、関西からでも、当時すでに夜行列車の活躍できる距離を少々越えていました。 その他 ![]() 団臨回送の20系、深夜の岡山駅に停車中です。 すでに定期特急運用から外れていた20系です。 ![]() やはり20系はいいです。 昼間見ると相当くたびれた感じがするのですが、夜の水銀灯の下でこそ見栄えがすると思います。 ![]() サイドも綺麗な20系客車です。 車体はかなり歪みが目立ちますが、水銀灯に照らされるとそれも愛嬌? ![]() 急行転用改造車や末期の頃は、窓上の白線やドアの部分の白線が省略された20系ですが、この編成はまだ綺麗な姿です。 スタイルの好ましいナハネフですが、テールマークが白無地なのが何とも残念。
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