かいもん4号のホームページ GALLERY 宇高連絡船・瀬戸大橋開通前夜
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宇高連絡船宇野駅界隈です。
瀬戸大橋が開通し、宇高連絡線船が廃止されたのはたのは1988年4月10日のこと。 国鉄からJRに移行後1年。北の青函トンネル開業と続けてのビッグプロジェクトの完成でした。 しかし高い料金もあって、自動車の通行量は当初予測のわずか4割の1日1万台に低迷。 一方JR本四備讃線、通称瀬戸大橋線は出だしから予想以上の大健闘でした。 瀬戸大橋開業直前、宇高連絡船と宇野界隈の風景です。 >>>写真をクリックしてください。>>大きな写真へ
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高松駅「連絡線うどん」店 2020年2月
連絡船廃止直前 1988年4月
高速艇廃止直前 1990年3月

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2020年3月28日   高松駅「連絡線うどん」店 一部追加

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高松駅「連絡線うどん」店 2020年2月

高松駅構内。 2020年2月 2020年2月22日追加  

JR四国は高松駅構内に「連絡線うどん」の店があります。 かつての宇高連絡船デッキのうどん店を彷彿させるつくりです。 が、残念ながらお客で繁盛しているふうには到底見えません。 儲かってるのか?

店外席。 2020年2月 2020年3月23日追加  

店外のテーブルは天板がステンレスの無機質な造り。 ですが、列車の発着を眺めながら食べるにはこちらが最適。 但し席の配置と向かい席との間の「衝立」のため、あまり眺めが良いとも言えず微妙なところです。

レイアウト。 2020年2月 2020年3月23日追加  

口内の配置としては、行き止り式の櫛形ホームの突き当たりに改札口。 その横に売店があり、更にその横がこのうどん店です。 つまりあまり良いロケーションとは言えない。 列車に乗るお客の目には内りにくいし、到着のお客はそのまま真っ直ぐ改札口へ。 ホントに儲かっているのか?

高松駅構内。 2020年2月 2020年3月23日追加  

触ることが出来る位置にある操舵輪。 古い木製の品は、固定台下部の案内表示によると、「眉山丸」のものだそうです。 悪質ないたずらや「盗難」に逢わないか、ちょっとばかり心配。

土佐丸。 2020年2月 2020年3月28日追加  

店の出入り口上に掲げられた、4隻の連絡船の写真。 太平洋の青は、土佐丸です。 角度的には高松港から出港の風景でしょうか。

阿波丸。 2020年2月 2020年3月28日追加  

同じスタイルの阿波丸。 後方にちらりと屋島が見える、高松港到着の風景です。
阿波丸って、実際にはもっと「赤」に近い色合いだったと思うのですが、この写真ではオレンジ気味に見えます。

高松駅構内。 2020年2月 2020年3月28日追加  

オレンジの伊予丸。 こちらも高松港到着の風景です。
宇高連絡船。 前部に車両搭載口があるため、大型船にしては船首が尖って見えない独特のスタイルです。

高松駅構内。 2020年2月 2020年3月28日追加  

讃岐丸だけは、なぜか「先代」の写真が掲示されていました。
連絡船最終日まで活躍、そして連絡船最後の便として臨時運行されたのは、一回り大型の「新」讃岐丸でした。


連絡船廃止直前 1988年4月

備讃ライナー。 1988年4月 2010年8月8日リニューアル  

宇野線快速、備讃ライナーです。 岡山平野南部、児島湾干拓地をぐるりと迂回するように走る宇野線ですが、終点宇野の手前で小さな峠越えがあり、トンネルで越えたあと玉野市街に駆け下りてゆきます。 トンネルを抜け、備前田井駅に進入する備讃ライナー、9両編成です。

朝の宇野駅。 1988年4月 2010年8月8日リニューアル  

終点宇野駅にまもなく到着の、寝台特急「瀬戸」です。 瀬戸大橋開通直前は、「瀬戸」が宇野線唯一の優等列車となっていました。 少々もやいでいる瀬戸内海ですが、天気がよければすぐ目の前に高松市街が見渡せます。 連絡船に乗り換えて1時間。 「瀬戸」の殆どの乗客にとっては、もうしばらくの旅となります。

備讃ライナー(2)。 1988年4月  

新幹線岡山開業後、連絡船接続は1時間ヘッドの快速が中心。 当初153系、167系等の急行編成で始まった宇野線快速はその後、113系・115系の時代が長くそれぞれおおよそ8年間づつ続きました。 1987年には専用の新製213系が投入されましたが、瀬戸大橋開業を見越してのことで、宇野行き備讃ライナーとしての活躍はわずか1年でした。

連絡船接続駅。 1988年4月 2010年8月8日リニューアル  

JR経由の四国連絡は、毎時1本の宇野線快速と宇高連絡船。 それぞれ短時間で乗り換えの出来るダイヤでした。 宇野に到着間近の備讃ライナーと連絡船「土佐丸」です。

備讃ライナー(3)。 1988年4月  

宇野駅に到着間近の備讃ライナー。 パノラマのグリーン車が登場するのは瀬戸大橋開業時で、宇野線時代はモノクラスの9両編成でした。

213系。 1988年4月  

国鉄時代末期に登場した213系は、211系のスタイルを受け継ぎ、新しい標準化のスタイルになるかと思われました。 しかしJR化後は各社がそれぞれの設計のスタイルの車両を製作を開始し、全国一律の標準化の流れは途絶えることとなりました。 最後の標準設計のグループです。

クモハ84。 1988年4月  

試運転中の新車?クモハ84です。 いくら改造車とはいえ、まさかこの期に及んで釣り掛け式の旧型国電に新形式が、しかも旅客用として登場するとは思いもしませんでした。 しかも80番台を名乗ってはいますが、カマボコ形の屋根のカーブの形状からわかるように、タネ車は63系の残党です。 独特のモーター音を響かせながら、快走して行きます。

「瀬戸」。 1988年4月 2010年8月8日リニューアル  

常山をバックに、宇野行き「瀬戸」がフル編成で下って行きます。 瀬戸大橋開業後は、備讃線経由で高松まで直接の乗り入れとなり、宇野線の茶屋町〜宇野間では優等列車は姿を消してしまいます。

「瀬戸」終着間近。 1988年4月  

備前田井駅構内を通過し、宇野駅に向けて駆け下りる「瀬戸」。 終着宇野駅はもう目の前です。

「瀬戸」。 1988年4月 2010年8月8日追加  

児島湾干拓地の周回路線から尾坂峠トンネルを抜けると、残り僅か、終着宇野駅に向けての最終アプローチです。 程よい時刻の宇野駅到着でした。

「瀬戸」ギャラリー。 1988年4月 2010年7月11日追加  

「瀬戸」の到着を待ち受けるギャラリーです。
本来は私もこの中に混じっていたかもしれないのですが、本日は乗客も含めた写真を撮りたい。 ということで、ホームで待機としました。

「瀬戸」宇野駅到着。 1988年4月 2010年7月11日追加  

「瀬戸」の長い編成が、宇野駅2番線に到着します。
駅の使命上、長編成の列車は2番・3番線が指定の発着ホームで、駅本屋直結の一番線は宇野線ローカル専用でした。

「瀬戸」。 1988年4月 2010年12月12日リニューアル  

宇野駅に進入する「瀬戸」。 この宇野駅に到着するのはこれが最終日です。 ちょっと遠目ですが、視覚的にはこのあたりの眺めが一番好きです。

「瀬戸」宇野駅到着。 1988年4月 2010年6月27日リニューアル       

寝台特急「瀬戸」。宇野駅に到着するのは今日が最終日です。 折り返し、今夜の上り「瀬戸」として出発してゆけば、もう長距離列車が宇野駅に戻ってくることはないでしょう。 最後の賑わいです。

「瀬戸」宇野駅到着。 1988年4月 2010年7月11日リニューアル  

乗客の殆どは四国への乗り換え客です。 先を急ぐ人はホームをそのまま進行方向に歩いてホーバークラフト乗り場へ向かいます。 連絡船に乗る乗客は跨線橋を渡って連絡線乗り場へ慌しく進みます。 いずれにしても、今日限りの風景です。

「瀬戸」宇野駅到着。 1988年4月 2010年7月11日追加  

宇野駅に到着した「瀬戸」、満員の乗客が降りてきます。 普段の混雑に加え、本日は宇高連絡船最終日、「瀬戸」の宇野発着も本日限りということで、いつも以上に降車客の動線が入り乱れて大混雑の風景でした。

「瀬戸」機廻し着。 1988年4月 2010年7月19日追加  

今夜の「瀬戸」は同じ2番線から発車するのですが、それまで客車は一旦ホーム東側の留置線に移動されます。
まず先頭の機関車が外されて行きました。

「瀬戸」。 1988年4月 2010年12月12日リニューアル  

機回しの機関車が遠ざかり、客車の方はしばらくこのホームで休憩です。 が、折り返し夜までの停車ではなく、暫く後に右側の留置線に転線されます。 結構面倒そうな作業ではありますが。

ホーバーとフェリー。 1988年4月 2010年7月19日追加  

ホーバー「とびうお号」の出航近づく中、少し沖を四国フェリーの大きな船体が通過します。
航路と埠頭位置の関係で、国鉄連絡船はフェリーの到着ルートを横切り出航する形になり、結構過密でギリギリのダイヤでした。

ホーバー乗り場。 1988年4月 2010年7月19日リニューアル  

快速ホームを海側に歩くと、ホーバークラフト乗り場があります。 登場時は「海の新幹線」とPRされたホーバーですが、本四間の太い動脈とはなりませんでした。 「水陸両用」が歌い文句で、確か登場時(試験運転時?)は陸上まで上がってきていたはずなのですが、結局御覧の通り、普通の高速艇と変わりません。

「とびうお」号。 1988年4月  

宇高連絡のホーバーはこの「とびうお」号の1隻だけ。 1時間で1往復の慌しいダイヤでした。  また、夜間の運行ができないなど、何かと制約が多いのが泣き所でした。

「とびうお」号出航。 1988年4月  

スタイルはなかなか勇ましい「とびうお」号です。 二つ並んだプロペラが特徴のホーバークラフトですが、なに分騒音が・・・。 かつて、岡山直通・速達化を目指して旭川の京橋まで試験運行したこともありましたが、住宅地へ乗り入れるには余りにも騒音が大きすぎました。

「伊予丸」出航。 1988年4月  

「瀬戸」の乗客を受けて、連絡船伊予丸が宇野港の岸壁を離れます。 高松まではわずか1時間。「瀬戸」の長旅に比べればほんのわずかですが、乗り換えの煩わしさはどうしようもありません。

「伊予丸」。 1988年4月  

朝日を浴びて、宇野港をあとに高松を目指す伊予丸です。 宇野〜高松間は眺めも良く天気がよければあっという間の1時間の船旅です。 この日は最終日とあって、乗客はデッキに鈴なりです。

「阿波丸」。 1988年4月  

赤い船体は「阿波丸」です。 高松発の早朝便は、先ほどの「伊予丸」に比べるとやや乗客が少ないようです。 しかし今日は宇高連絡船の最終日。 これから日中ほぼ満員の状況がつづきます。 「阿波丸」もこれから終日宇野〜高松間を往復します。

「阿波丸」着岸。 1988年4月  

宇野港の岸壁に接岸する「阿波丸」。 その向こう側には、最近仲間入りした高速艇が到着です。 宇高連絡船とホーバークラフトは本日限りですが、明日からは高速艇が細々とながら、宇高間のJR路線として運行されます。

接続列車。 1988年4月  

岡山からは接続の快速「備讃ライナー」が到着。 連絡船とのリンケージを図ります。 隣の線には先ほど到着した「瀬戸」が、今夜の最終便としての発車まで一休み。 ただし車内では発車に備えて、清掃やリネンの交換、寝台の準備と進められています。

ホーバー到着。 1988年4月  

ほんの50分ほど前に出発していったホーバークラフト「とびうお」号が、早くも高松まで1往復してきました。 足の速さはさすがです。 しかし、接続列車とのダイヤ上の問題で、結局健脚を十分に生かしきれませんでした。

宇野港全景。 1988年4月  

日の出山公園から眺めた宇野港の風景です。 宇野〜高松間は宇高連絡船のほか、宇高国道フェリー、四国フェリー、日通フェリー(自動車同乗のみ)が直結していました。 明日からは瀬戸大橋がフェリーの競争相手です。

「阿波丸」出航。 1988年4月  

上下の乗客を交換した阿波丸が、高松に向け出航します。 最終日、4月9日は御覧の通りの晴天に恵まれました。 今日1日、穏やかな瀬戸内海の旅で終わりそうです。

「土佐丸」。 1988年4月  

続いてやってきたのは「土佐丸」です。 最終日は、「伊予丸」「阿波丸」「土佐丸」の3隻のローテーションで、一番新しい「讃岐丸」は日中お休みでした。

「土佐丸」入港。 1988年4月  

太平洋の青をイメージした船体カラーの「土佐丸」。 宇高連絡船は、新しい「讃岐丸」を除いて3隻は殆ど同じスタイルの色違い。 青函連絡船と違い、船首に列車航送用のハッチがあるため、独特のスタイルの船体です。

貨車航送。 1988年4月  

接岸するとすぐ、貨車の入れ替えが始まります。 短い折り返し時間のため、作業はおおわらわです。 以前はいろいろな貨車が見られましたが、この頃は混載貨車もなくなり、殆どがコンテナ車両の航送でした。

「伊予丸」。 1988年4月  

オレンジ色の船体は「伊予丸」です。 こちらは愛媛県の蜜柑のイメージカラーです。 最終日は土曜日だったためか、乗客は四国からの便より宇野発の便のほうが多かったようです。

「伊予丸」入港。 1988年4月  

まもなく宇野港岸壁に接岸する「伊予丸」。 瀬戸内は多くの貨客船のほか、航路のすぐ近くでも後方のように小さな漁船がたくさん操業しており、操船には最新の注意が必要です。

宇野港の賑わい。 1988年4月  

宇野港を後にする宇高国道フェリーと、追いかけるように続く「伊予丸」。 その手前を、次の国道フェリーが到着します。 宇野高松間の本数では、圧倒的に国道フェリーのほうが勝っていましたが、こちらも明日からは減便・船体の小型化と、苦戦を強いられます。

「土佐丸」の乗客。 1988年4月  

宇野港を出航する「土佐丸」。船内・デッキは最後の乗客で満員です。 JNRからJRマークに変更になって1年ですが、これで航路自体の終焉となります。 急行便の高速艇が後継ぎでしたが、こちらは利用が伸びないまま、わずか1年で消えてしまいました。

「土佐丸」宇野港をあとに。 1988年4月  

午後になると、船上のデッキには紅白の横断幕の飾りつけも行われました。 船の周りにいろいろな「お客」も現れ、だんだんとお祭り気分になって来ます。

「阿波丸」と「とびうお」。 1988年4月  

国鉄輸送網の一部として長らく活躍した連絡船と、約15年にわたり高速輸送に力を発揮したホーバークラフト。 連絡船は深夜の最終便までもうひと頑張りですが、ホーバーのほうはそろそろ最終の航海となります。

「阿波丸」。 1988年4月  

夕方になり、乗客の数はますます増えてきました。 デッキは満員の人で溢れかえっています。 「阿波丸」の赤は目で見るともう少し真紅に近い感じなのですが、なぜか写真では少し青がかかった方へ傾いてしまします。

「土佐丸」出航。 1988年4月  

お天気に恵まれた最終日も、そろそろ夕刻が迫ってきました。 瀬戸内の美しい景色を眺められる航海も、この「土佐丸」の便あたりが最後でしょうか。 乗客は満員ですが、貨車の航送は先の便でひとあし早く終了しています。

宇野駅・最後の「瀬戸」発車。 1988年4月 2010年6月27日リニューアル       

東京へ向け、最後の宇野発の寝台特急「瀬戸」、まもなく発車です。 こちらも連絡船におとらず人気を集めています。 「宇野駅」の長距離輸送の接続駅としての役割はこれで終わりました。


高速艇廃止直前 1990年3月

高速艇「しおかぜ」(1)。 1990年4月  

瀬戸大橋が開通し宇高連絡船が廃止になった後も、JR四国の高速艇による運行が行われ、約2年間、JRの宇高航路は継続されました。
実際には連絡船廃止の約1ヶ月前に就航し、一時ですがホーバーと並んで活躍しました。 宇野港に入航する高速艇「しおかぜ」号です。

高速艇「しおかぜ」(2)。 1990年4月  

以前はホーバークラフト「とびうお」号が発着していた宇野港桟橋に、高速艇「しおかぜ」号が到着です。
折り返し高松港に出発してゆくのですが、折り返しの乗客の姿はあまり見られません。

高速艇「しおかぜ」(3)。 1990年4月  

宇高国道フェリーを軽く追い抜いて、宇野港を後に高松港に向かいます。 瀬戸大橋開業後はフェリーもやや間引かれて29分ヘッドになったり、少し小型化しました。 しかし橋の通行料金が高いせいもあって、予想外に検討しています。

高速艇「しおかぜ」(4)。 1990年4月  

高速艇「しおかぜ」号です。
ホーバー便と比べると定員の少ない船体ですが、それでも十分すぎる大きさでした。 しかし夜間運行が出来るのはホーバーにないメリットです。

高速艇「しおかぜ」(5)。 1990年4月  

宇高国道フェリーに先行して、宇野港桟橋に到着します。
白い船体にJR四国のコーポレートカラーの空色の帯をまとっていますが、運行されたのはわずか2年間だけでした。

高速艇「しおかぜ」(6)。 1990年4月  

宇野港桟橋です。 降りてくる乗客もわずかです。
高速艇は「急行」扱いで、急行券が必要でした。 しかし岡山方面に接続する列車はなく、結局高松市と玉野市を高速で結ぶ以上の役割はありませんでした。

高速艇「しおかぜ」(7)。 1990年4月  

「しおかぜ」の名称は、同じJR四国の予讃線特急の愛称として以前からありました。
重複しているようですが、こちらは船体の名称で運行便の愛称ではないので、何の問題もなかったのでしょう。

高速艇「しおかぜ」(8)。 1990年4月  

宇野港を後に四国・高松港に向かって出発して行きます。 一足早く国道フェリーが出向しましたが、足の速さが違いますからすでに宇野港出口付近で追い抜いてしまいます。

高速艇「しおかぜ」(9)。 1990年4月  

見通しのよい日は、宇野港から四国の山々はすぐ近くに眺められます。
瀬戸大橋開通後も細々とJR宇高航路を守った高速艇「しおかぜ」号ですが、おおよそ2年後の1990年3月末で航路廃止されてしまいました。

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