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このページでは新約聖書の時代背景と社会についての情報を紹介します。新約聖書を読む上でいまから約2000年前のイスラエルやエルサレムの様子を知っておくと理解の助けになります。
当時のイスラエルはローマ帝国の支配下にありました。
ローマ帝国の起源は紀元前八世紀中頃にイタリア半島を南下したラテン人の一派がティベル川のほとりに形成した都市国家ローマです。当初は貴族による共和政を行って元老院が大きな力を持っていました。これを共和政ローマと言います。都市国家ローマは次第に力をつけてイタリア半島の都市国家を統一し、さらに地中海に覇権を伸ばして大きな領域を支配するようになりました。
紀元前一世紀にイタリア半島内の都市国家による反乱(「同盟市戦争」あるいは「同盟者戦役」)が起こり、これを経てローマはイタリア半島内の諸都市の市民にローマ市民権を付与する形で狭い都市国家の枠を越えた帝国へと発展していきました。
紀元前一世紀、ガイウス・ユリウス・カエサル(シーザー)などの将軍たちが権力を握り、三頭政治を開始します。エジプトのプトレマイオス朝を滅ぼすとローマは地中海に安定支配をもたらします。これを「ローマの平和(パクス・ロマーナ)」と言います。
カエサルが死ぬと養子のオクタウィアヌスが第二次三頭政治の一員から抜きん出てアウグストゥス(「尊厳者」)の称号を受け、最初の皇帝となりました。これより後のローマ国家を「ローマ帝国」と言います。
アウグストゥスの後、皇帝位をめぐる曲折を経て紀元一世紀の末から二世紀にかけて即位した五人の皇帝の時代にローマ帝国は最盛期を築きます。この五人の皇帝を五賢帝と言います。この時代には、法律(ローマ法)、交通路、度量衡、貨幣制度などの整備・統一が行われローマ領内の流通と経済が盛んになりました。
ユリウス・クラウディウス朝
内乱期(四帝乱立の1年)
フラウィウス朝
五賢帝時代
新約聖書の福音書に頻繁に登場してイエスや弟子たちと対立し、イエスの殺害を企てるファリサイ派。彼らはいったい誰なのでしょう。
Phariseesは「ファリシーズ」と発音され、聖書での日本語表記はファリサイ派やパリサイ派です。ファリサイ人(びと)やパリサイ人(びと)とも書かれます。
ファリサイ派は新約聖書の時代にイスラエルにあった宗教上、政治上の派閥、政治団体、結社です。旧約聖書の中でモーゼが神さまから預かりユダヤの民に伝えた「律法」(Law)を厳格に守ることを主張しました。さらに律法に加えて「Scribes(スクライブス)」と呼ばれる「律法学者」による律法解釈や、ユダヤ長老が伝承してきた慣習も律法と同じレベルで重視し、安息日を守ること、「10分の1税」を納めること、清めの儀式を守ること、等を特に強く主張したことで知られます。
ファリサイ派は紀元前200年に起こった「Hesidim」と呼ばれる信心深いユダヤ人の集団に発するとされます。この頃Hellenism(ヘレニズム:ギリシャ主義=古代ギリシャ人の自由な知的精神を中心とする人生観)がユダヤ人に及ぼす影響が大変強くなり、ユダヤ人の生活様式が近隣の異邦人とほとんど変わらなくなって来ていました。Hesidimは保守派としてユダヤの儀式的な律法を守ることを強く主張しました。
シリア王のAntiochus IVがユダヤ教を根絶しようとしたとき、HasidimはMaccabees(「マカビーズ」と発音。日本語表記は「マカバイ」など)の反乱に参加して民衆の支持を獲得しています。この信心深いHasidimの流れからEssens(「エサン」と発音。日本語表記は「エッセネ派」など)とファリサイ派が生まれました。ファリサイ派はユダヤ民族の中にどどまって活動し、一方のエッセネ派は後にユダヤ民族から離脱して独自の共同体を形成します。
反乱の後、ギリシアの統治者の中にはファリサイ派を支持する者も現れたので、結果としてファリサイ派は「サンヘドリン」(イスラエルの最高法院・最高議会)の中で力を伸ばし、ときには議席の過半数を占めることもありました。イエスの時代にはファリサイ派は力を失って少数派になっていたものの、引き続きサンヘドリンの中の議席を確保して活動していました。当時、6,000人ほどのファリサイ派がいたとされます。
ファリサイ派の主張の特徴は、律法を「Scribes(スクライブス)」と呼ばれる「律法学者」の解釈に基づいて厳格に遵守することにあります。
旧約聖書の時代からユダヤの民に神の律法を教えるのは祭司の役目で、聖書の律法の中にも何かがあったときに律法をどのように適用するかを相談に行くべき権威は祭司であるとしています(Deuteronomy 17:8-13/申命記17章8〜13節)。ところがイエスの時代にはエルサレムの祭司は腐敗して民衆の尊敬をすっかり失ってしまっていました。代わりに民衆は律法の解釈についてはScribesを頼りました。Scribesの中には祭司も含まれていましたが大半はそうではありません。Scribesは信心深く、厳しく禁欲的な生活を送っていて、律法の専門家となるべく特別な訓練を受けていました。一般の民衆が腐敗した祭司よりもScribesを支持したのは当然と言えます。
ファリサイ派はモーゼの律法の文書そのものに加えて、その解釈や日々の生活にそれらの解釈を応用する方法について、古くからの伝統やしきたりを律法と同レベルで重視しました。これらの伝統やしきたりは聖書とは異なり書き物として存在するわけではありませんでしたが、ユダヤの長老がこれらに通じているとされており、その内容はScribeからScribeへ口頭で伝承され、Scribesはこの口頭伝承を知っている人たちということで特権階級的な立場を維持しました。ファリサイ派は「これらの伝統やしきたりからどのように神さまの律法を守ればよいかがわかるはずだ」と解きました。
またファリサイ派は律法は全部で613個あると言い、「これらすべてを守ることが大切である」と説きましたが、その中でも特に「10分の1税(tithing)」と「清めの儀式(ritual purity)」を強く説きました。新約聖書の中でファリサイ派が守るべきと説いた律法には、安息日、離婚、誓い、着物などがあります。
ファリサイ派は自分たち以外のユダヤ人は律法の遵守に関心がないとして蔑み、ファリサイ派以外のユダヤ人や異邦人との接触はできる限り減らすべきと考えていました。たとえばファリサイ派以外の人の家で食物を出されても、その食物について正しく10分の1税が納められ儀式的に清められている保障がないことから、「汚れ」を畏れて食事をしませんでした。
サドカイ派と異なりファリサイ派は死者の復活を信じていました。この観点ではファリサイ派とクリスチャンは同じ見地に立っています。新約聖書の中でイエスが死者の復活を説く場面でイエスの言葉を支持するScribeのことが書かれていたら、そのScribeはファリサイ派所属と考えられます。
ファリサイ派が他のユダヤ人を蔑み、接触を避け、何かにつけて律法を守らないことを批判し、そういう人たちを罪人として見下すような姿勢をとる独善的な派閥だったにも関わらず、ファリサイ派とファリサイ派所属のScribesたちは広く民衆の支持を受けていました。サドカイ派が裕福な地主や強権を持つ祭司で構成されていたのに対しファリサイ派の人々は一般のユダヤ人でしたし、たとえ自分たちがすべての律法を守ることができなくてもそういう姿勢を禁欲的に貫くファリサイ派は民衆の尊敬と支持を得ていたのです。
ファリサイ派は表面的な律法の遵守にこだわりましたが心は神さまからはるかに遠いところにありました。ファリサイ派の言動の動機は人々の賞賛を集めるところにあり、外見上の信心や清らかさの裏に邪悪な欲望が隠されていた点は新約聖書からも読み取れます。ファリサイ派がときにイエスから「偽善者」として一喝されるのも、心と外見があまりにもかけ離れていることによります。新約聖書ではファリサイ派はイエスの伝道活動や初期の教会活動の所々に顔を出し、典型的な同じ間違いを繰り返す様子が書かれています。
Sadduceeは「サドュシーズ」と発音され、聖書での日本語表記はサドカイ派、サドカイ人(びと)です。
ユダヤの宗教上、政治上の派閥の一つでイエスの伝道に反対しました。死者の復活を信じないことで知られます。
構成員は祭司、大商人、貴族などの特権階級です。少数派ながら大きな権力を持っていて、大祭司と、祭司階級の中でも最も権力を持つ家系は主にサドカイ派です。名前の由来をダビデ王とソロモン王の時代の大祭司のZadok(ツァドク)だとする学者もいます。
祭司でなくとも富裕な一般人の中にもサドカイ派はいました。サドカイ派は保守派として知られ改革を否定しましたが、当時の体制を維持しようとした理由はサドカイ派の出身母体によります。サドカイ派の構成員たちは社会の中で富裕な特権階級としての権限を維持し、ローマ政府と良好な関係を築こうと努力していました。つまりどちらかと言うと政治的な結社です。だから秩序を乱そうとしたり自分たちの権威を脅かすような動きはサドカイ派にはすべて危険な兆候として映りました。ですのでイエスの活動に反対したのも政治的な理由によります。
サドカイ派はモーゼの律法の解釈を口頭伝承や書き物で伝えてきた「ユダヤ長老の慣習やしきたりを拒絶していた」ので、これらの慣習やしきたりを律法とまったく同レベルに尊重するファリサイ派と真っ向から対立しました。またサドカイ派は唯一モーゼの律法(=「Pentateuch」と呼ばれる旧約聖書の最初の五つの本)だけが法的な拘束力を持つと主張しました。
Sanhedrinは「サンヒードリン」と発音され、英語の聖書では「High Council」「assembly」などの名前でも登場します。イエスの時代にユダヤ人の間で律法を実行し、また裁くための最高機関です。つまり日本で言えば国会であり、内閣であり、最高裁判所です。
ローマ帝国の支配下でありながらサンヘドリンには一定の範囲内で宗教上、民事上、刑事上の権威が与えられていました。「一定の範囲で」というのはたとえばイエスが神の冒涜の罪で裁かれようとしたときサンヘドリンはイエスを死刑にしたかったのですが、総督ピラトとローマ政府の役人に実際の裁判と判決を委ねています。つまりサンヘドリンには人を死罪にするまでの権限はなかったということです。
聖書の版にもよりますが「Sanhedrin(サンヘドリン)」という名称が実際に聖書には登場することはありません。サンヘドリンが具体的に意味するのは会議、あるいは会議場の場所ですが、その会議を構成するメンバーの集合体として用いられる場合もあります。「国会で決める」と言うときにそれが議員たちによる会議も、国会議事堂という建物も、国会議員の集合体も指すのと同じです。
サンヘドリンの構成メンバーは大祭司(Chief Priest)、長老(Elders)、律法学者(Scribes)などです。聖書ではサンヘドリンの構成メンバーを律法上あるいは宗教上の指導者たち(Rulers)と記す場合もあります。
サンヘドリンは70〜72人のメンバーで構成されていて新約聖書には実際のメンバーが実名で登場する場面があります。
大祭司はユダヤ民族の最高権力者で常にサンヘドリンの長です。サンヘドリンの構成メンバーにはファリサイ派とサドカイ派が含まれていました。大祭司や長老はサドカイ派、律法学者は主にファリサイ派です。この二つはユダヤ主義の二大派閥でサンヘドリンでは二つの勢力のバランスを保つことに苦慮していました(他にも派閥はいくつかあります)。
西暦6年になるとサンヘドリンの権力範囲はユダヤ地方と南部パレスチナに限定されるようになりましたが、他の地域に住むユダヤ人も相変わらずサンヘドリンに敬意を表し、重要な判断についてはサンヘドリンの決定に従う傾向にあったようです。
エルサレムのあるユダヤ地方では、ローマ政府はユダヤ民族統治の大半をサンヘドリンに委ねていました。サンヘドリンは独自の警察組織や寺院警察を設置していて、律法の違反者逮捕も独自に行いました。イエスを逮捕した警察集団はサンヘドリン管理下の警察組織です。
サンヘドリンはユダヤ民族の最高裁判所としての役割も持っていましたが、これは今日の日本のように下等裁判所の判決に不服を持つ者が上告できる裁判所という意味ではなく、問題の重大度や複雑度の高い事件がサンヘドリンに持ち込まれていたということです。またローマ政府はいつでもサンヘドリンの決定に介入して判決を無効にする権利を持っていました。パウロはこれによってサンヘドリンによる難から逃れることができました。
ローマ政府はサンヘドリンに人を死刑に処する権限は与えておらず、イエスの処刑判決が総督やローマ政府に委ねられたのはこの理由によります。
律法学者の英語表記は「Scribes」( 「スクライブズ」と発音)で、この人たちは律法学者であり、律法の専門家であり、弁護士です。英語の聖書では「Expert in religious law」「Lawyer」「Teachers of the law」でも登場します。新約聖書の時代に存在した学識者階級で常に聖書を研究して精通し、聖書の写本や編纂、また律法の先生の役割を果たしていました。
そもそも旧約聖書上のヘブライ語で「Scribes」にあたる言葉が意味した人たちは、軍隊の中で兵隊に番号を振り招集する任務を帯びていた人たちです。ダビデ王やソロモン王の王座に近づくための許可を管理していた係官で、やがて同じ係官を指す言葉が書物を研究する職業を指すように変化しました。
ユダヤ王の「Hezekiah」(ヒゼキヤ)は何名かの集団を組織して歴史の記録のために古来の記録を筆記させる役目を与えました。このとき記録対象となった文献にはソロモン王の「Proverbs」(「箴言」)も含まれています。「Scribes」の役目の本質が変わったのはこの頃からと思われます。「Scribes」はこのときから王室の役人ではなく聖書を研究する学者となったのです。
ユダヤ人がバビロニアによる70年の捕囚期間を経てパレスチナに戻ってくると本格的に「Scribes」の時代が到来しました。「Ezra」(エズラ)がイスラエルの民の前で律法を朗読したことを契機にユダヤ民族はすべての律法や儀式への恭順へと戻ることになりました。このときからどれだけ律法や伝統を守れるかが神さまへの信心の尺度になったのです。
最初のうちは律法の解釈や伝達の役目は祭司が担っていたのですが、最終的にこの役目を担ったのが「Scribes」でした。結果として「Scribes」公認の律法解釈が律法そのものよりも重大な意味を持つようになってしまいました。こうして初期の「Scribes」の置かれた位置は重大な意味を持ち、これが権威に結びつきました。「Scribes」がどのように聖書を解釈するかによって人の正しい行動が何であるかが決められるようになったからです。
イエスの時代の「Scribes」はユダヤ民族の中では新興の上層階級を形成していました。西暦70年前にはエルサレムの多数の祭司が「Scribes」としての仕事に従事していました。このうちの一人がユダヤの歴史家「Josephus」(「ジョシーファス」と発音。日本語表記は「フラウィウス・ヨセフス」など)です。
「Scribes」の出身母体はサドカイ派や普通の祭司階級ですが、最大の出身母体は一般の人々でこれは実に様々な職業・階級に及びます。たとえば商人、大工、亜麻布織り、テント職人、日雇い労働者などです。
「Scribe」になるために人生を捧げようと決心した若いユダヤ人は何年かに及ぶ学習コースを経た後に「Scribe」となります。たとえば歴史家のJosephusは、準備作業を14才のときに開始しました。生徒は常に先生と行動を共にして教えを受けます。「Scribe」の修行期間にはまず最初にユダヤの伝統的な物事をすべて修得し、将来宗教上、政治上の判断や刑法上の裁判判決が下せるように準備しました。
「Scribes」の伝統によると、そこには聖書を解釈する上での秘技や知識上の禁断の領域があることになっていて、それらは三人以上の人たちの前では決して開示してはいけないことになっています。後期ユダヤ主義の黙示録では特権階級にしか理解できない神学上のシステムがあることになっています。これらの秘密は唯一「Scribes」によって密室で伝授されます。「Scribes」によれば神さまは意図的に大衆を無知の状態にしておくことで律法が人々に求める事柄の根拠を知らせないようにしていると言います。律法を理解し適用するに足りるだけの信頼が一般の人間には与えられていないというのが「Scribes」の解釈です。
エルサレムは「Scribes」の知識と律法解釈の中心地で任命を受けた「Scribes」だけがユダヤの伝統を発信したり創設することを許可されていました。往々にして14才から学習と修行を積み、完璧な知識を極めた学者だけに許されることとされていました。40才で学習を完了するとこの任命を受けることができました。権限を与えられたメンバーとして「Scribes」は裁判官として振る舞うことが許され、こういう人たちを「Rabbi」(ラビ=律法博士。英語では「ラバイ」と発音)と呼びました。ラビたちは司法、政府、教育の主要な地位を独占し祭司長や他の上層階級と共にサンヘドリンを構成する主要メンバーとなって一般大衆からは最大の尊敬を集めていました。
新約聖書の中の「Scribes」は「律法学者」(Lawyers)と呼ばれ、これはモーゼの律法に精通する専門家を意味します。モーゼの律法はユダヤ民族の中では唯一の民政上および宗教上の権威と考えられているのです。
新約聖書の福音書では「Scribes」はたいていの場合ファリサイ派と行動を共にしていて、ときには「律法の先生」(teachers of the law)などと呼ばれます。これらの「Scribes」はファリサイ派所属のメンバーということです。
「Scribes」の中にはサンヘドリンのメンバーもたくさんいて、その中には「Gamaliel」(ガマリエル)や「Nicodemus」(ニコデモ)が含まれていました。これらの「Scribes」は律法の執行者の役目を担っていました。西暦70年にエルサレムがローマ軍により壊滅すると「Scribes」の権威はさらに強化されました。
レビ族は英語で「Levites」(「リーバイツ」と発音)です。
ユダヤ民族の父、最初のユダヤ人であるAbraham(アブラハム:「エイブラハム」と発音)の息子がIsaac(イサク:「アイザック」と発音)、その息子がJacob(ヤコブ:「ジェイコブ」と発音)。ヤコブは後にイスラエルに改名し12人の息子を持ちました。この12人がそれぞれイスラエルの12部族の先祖となりました。レビ族(Levites)はヤコブの12人の息子のうち三番目の息子であるLevi(レビ:「リーバイ」と発音)の子孫のことです。
レビ族は12部族の中ではただ一つの特別な部族として寺院の祭司職をアシスタントする役割を担いました。その役割に選ばれた顛末はモーゼが神さまから十戒を授かった直後の場面でExodus 32:26-28(出エジプト記32章26〜28節)の前後に記載されています。
レビ族の中でAaron(アロン=モーゼの兄)とその息子、さらにはこの家系の子孫たちは特に寺院の祭司職に任命され、仕事として神さまに生け贄を捧げたり、神さまの崇拝や罪の告白のために民を導くことをしました。逆に言うとレビ族のうちアロンの家系以外の者は祭司職ではなく、そのアシスタントとして寺院の管理や警備、その他の雑事の仕事を任されていました。
レビ族は25才程の年齢になると聖水による聖別の儀式を経て、身体全体の毛をそり落とし、衣類を洗い、雄牛二頭と穀物を生け贄として捧げます。その後で幕屋(=初期のテント型の移動神殿で後に寺院に代わる)の前で長老により寺院の仕事に就くために聖別されます。
最初は祭司に対するアシスタントの仕事から始まり、それからレビ族の中でのリーダーを務め、やがて門の番人、寺院の楽隊、管理者などの職へ就いていきます。エルサレムで寺院が建設されるまでの間はレビ族が幕屋(=テント型の移動神殿)と内部の調度品をユダヤ民族の移動に合わせて解体して運び、組み立て、内部や調度品を清めたり、周囲を警護する仕事をしました。50才で引退して仕事から解放されるとその後寺院に残るかどうかは自分の選択に任されていました。
祭司を除いては一般のレビ族には聖なる調度品や祭壇に触れることは許されず、これらを運ぶためにはまず祭司が先立って布で覆いをする必要がありました。当時は寺院周辺には材木を切ったり水を運んだりという重労働のために祭司に仕えるレビ族と、さらにレビ族に仕える使用人がいました。
他の部族と異なりイスラエルの民が約束の地に入ったとき、レビ族には土地が割り当てられませんでした(「神さま」がレビ族の割り当てだからです)。レビ族の居住のため、神さまの命令により各部族の土地から48の町が周囲の牧草地と共に供出されてレビ族に住環境を提供しました。
寺院の仕事に従事するレビ族の食べ物としては、他の民族が1/10税として神さまに捧げる動物や作物、また生け贄として捧げる動物の一部も受け取ることができるように定められていました(Numbers 18:24/民数記18章24節)。レビ族は受け取った1/10税からさらにその1/10を神さまに捧げ、それが祭司たちの食料となりました。
レビ族は四六時中、寺院での活動のために時間を割くことが求めらていたわけではなく、1年のほとんどの期間は自分の町に住んでいました。自分の当番の時期になると幕屋に出向き、自分に割り当てられた期間だけ働きました。
ダビデ王の時代のレビ族は、@寺院での祭司のアシスタント、A審判と律法学者、B門番、C楽隊、の四つの仕事に分かれていました。イエスの時代のレビ族はレビ族も祭司も共にすっかり落ちぶれて形骸化し、ただ単に儀式を主宰する仕事をしていて、それらの儀式が本来持っていた意味への関心は薄れていました。
祭司は英語で「Priest」(「プリースト」と発音)です。
祭司はイスラエルの国の公的な仕事で、神さまの崇拝を主導し、神さまの前ではイスラエルの民を代表する役割を果たします。また国民の罪を償うための様々な儀式を執り行います。
かつてはこれらは家長や部族長の仕事だったようですが、神さまによってアロン(モーゼの兄)が大祭司に任命されたとき、祭司職が公式なものとなりました。その後はアロンの家系がイスラエルでは祭司の家系とされ、代々、神さまのための特別な仕事をする職に就きました。
聖書を読んでいるとレビ族と祭司職が同一のような記述に出会います。この二つは同じレビ族に属し相互に密接な関係を持ちますが、祭司職はレビ族の中でもアロンの家系に限定され、祭司職の仕事と一般のレビ族の仕事は異なります。
祭司は神さまに様々な捧げものをする役目を果たすことと、人々に罪を告白させることで儀式そのものを司ります。レビ族はこのときに祭司のアシスタントの役目を果たします。
神さまにいけにえを捧げるときに祭司が果たす役割は、神さまとユダヤ民族の間に立つ仲介者です。人はいけにえを捧げることによって神さまに罪を許していただきます。個々のいけにえが象徴するのは罪の代償は死であることと、血を流すこと抜きには罪の許しはあり得ないことです。
祭司は世襲で受け継がれアロンの子孫には責任と資格が求められました。五体が満足であることが祭司の霊的な完璧さを象徴しましたから、肉体的に欠陥のある人は祭司にはなれませんでした。日々の暮らしの様子や妻や子供との関係も神さまへの献身の姿勢を表すとして厳しく見張られました。
アロンと息子たちは最初に七日間の儀式を経て神さまの前に神聖な存在として聖別されました。身体を洗い清められ、祭司職のための特別な装束を身につけられ、聖油による聖別を受け、彼らのための特別ないけにえが捧げられました。この一連の儀式が神さまのために仕事に就く資格を象徴します。
白い亜麻布の衣装は神聖と栄光を象徴し、縫い目のない上着は霊的な高潔・完全・正義を象徴します。上着には四つの角があり、これが神さまの王国に属すことを象徴し、花が開花したような帽子はかぶる者の新鮮で生き生きとした命を象徴します。身体に巻かれたベルトは祭司の仕事の証です。
神さまとユダヤ民族の仲介者としての仕事は寺院で香を灯し、ランプを掃除し灯りを点けます。祭壇の前では人々のいけにえそのものが正しく用意されていること、それが正しい手順で捧げられることに責任を持ちます。これを間違えると祭司が間違いを正すまでその人の罪は清められないことになります。
ときに祭司は神さまの使いとしてイスラエルの人々に律法を教えました。神聖なもの、神聖でないもの、汚れたもの、きれいなもの、これらの見分け方を教えるのも祭司の仕事でした。祭司はイスラエル全土の町に配置されていてそこでは裁判官の役目も果たしました。
旧約聖書最後の本Malachi(「マラキ書」)には祭司が堕落したこと、祭司によって誤った教えがされていることが指摘されています。祭司がが堕落した結果、人々はさらに神さまから遠ざかる離れることになりました。
大祭司は英語で「High Priest」です。イスラエルの宗教上の最高位の人です。最初の大祭司はアロン(モーゼの兄)で、自分の息子たちとは立場を別にし、それ以降はアロンの家系の長男が大祭司の座を受け継ぎました。
大祭司は身にまとう特別な装束、特別な仕事、特別な資格によって他の祭司から区別されます。長男が世襲するからと言っても大祭司には肉体的な欠陥があってはならず、日常も神聖さが求められます。父母の死に対して帽子を脱ぐことで悲しみを示してはならず、怒りや悲しみのために着物を引き裂いてもいけません。また死体に近づくことも許されません。
特別な装束としてズボンの上にコート、ベルト、帽子をまとい、これらはすべて祭司が編みます。さらに大祭司は特別な祭服(ephod、「イフォド」と発音)を身につけます。これは二枚の布を合わせた胸当てで長さは腰まであります。気高い色とされる青・紫・緋でできていて金色の糸で縫われています。イスラエルの12の部族の名前を刻んだ2つのしまめのうの石が肩に取り付けられています。神さまの前で全部族を代表する象徴です。