マリアンネ・フォン・ヴェレフキン

Marianne von Werefkin

2005年秋、松本でのスイス・スピリッツ展で、マリアンネ・フォン・ヴェレフキンを知った。
「赤い木」と「人生の終りに」は印象的だった。
2006年7月にスイスのアスコーナ現代美術館でたくさんの作品を鑑賞した。
中で好ましかった絵について、雑感を記録。



A Posto di polizla a Wira 1914

夜の街頭に兵士(警官?)が何かを燃やしている。
背中を向けて歩き去る人影。白い塔からは黒い旗がたなびいている。
月だけが白く冴えて人間世界を照らす。
1914年といえば第1次世界大戦が始まった年だ。なにかしら世相を暗示するような不安感の漂う絵。
構図も色もすばらしい!
この年、ヴェレフキンとヤウレンスキーはドイツからスイスに移住した。(レマン湖畔のサン・ブレ)



Der Lumpensammler 1917

すごい!
山と空がのうねり方はどうだろう。氷河のみが白く光る。
湖は穏やかそう。緑色の微妙な表現が深い。杖をついてさまよえる黒服の人間。
山や空からはゴッホの絵を連想し、この人間はまるでヒエロニムス・ボスの「放蕩息子の帰還」のようだ。



Hors la vie(人生の終りに) 1928

松本にも来た絵。
山間のベンチに座るカップル。緑の服の女性は意志的に前面を向き、男性はうつむいている。
 遠くの山は白く赤く輝き、空はイエローだ。山肌の感じや足元の花など、スイスの風景。

 この7年ほど前にヴェレフキンはヤウレンスキーと分かれている。
この絵のカップルのありようは自分たちの心象を反映しているのか?



ll ballerino Sacharoff 1909

アレキサンダー・サシャロフの肖像画。
同じ人をヤウレンスキーも描いていて、赤い服を着ている。

 この頃は、ミュンヘンで新芸術家協会を運営。
前年1908年夏にカンディンスキー、ミュンターの4人でムルナウに滞在。



Schittschuhiaufer 1911

このころは素朴な風景画が多かったらしい。心象風景の反映。


その他のよかった作品

       1893  Autortto 自画像か?
               セーラーカラーの少年ぽい姿は33歳のヴェレフキン
       1907  Brasserie
               赤い林の手前で匿名的人々がテーブルを囲んでいる。
               1903〜07の何度かのフランス滞在時の絵だろう。
       1910  劇場もの
       1910  L'albero rosso「赤い木」
                アスコーナ現代美術館のパンフレットの表紙にもなっている。
                ヴェレフキンの代表作だ。
                浮世絵の影響を受けている。
       1922  La famiglia
                農家の門前で談笑する人々。
                牧歌的な風景。建物や花などの色も暖かい。
       1930  Die Alten
                犬を連れて山の谷間を散歩する老人。
                なにかしら悟っているような雰囲気が漂う絵。

◆ 2008冬にドイツ南部を旅行し、ミュンヘンとムルナウを訪れた。

    ムルナウのシュロス・ミュージアムではムルナウの風景画、ロザリアさんの肖像画。
         
    ミュンヘンのレンバッハ・ハウスでは1910年の自画像が衝撃だった。


カレンダーの表紙になっている自画像 1910

      また、ギーゼラ通りの家《新芸術家協会などのサロンとして活動の中心となっていた》付近にも行った。

◆ 2008年5月末にアスコーナ現代美術館を再訪。あらためてヴェレフキンの作品をじっくり鑑賞した。

    印象に残った絵


Il monaco

110×80のこの絵は見る限りで一番大きい。昨年不詳らしい。
中央に佇む僧衣の男は遠くの農民の様子を眺めている。足元の地面はひび割れて歩行を阻む。
右には十字架のキリスト、山肌は緑や赤だ。この男の想いは?他者への羨望?別の人生もあったか?


1913 Citta in Lituania

右向こうの明るい町に向かって杖を突きながら背中を丸めて歩く老女。右隅には眺める2人の女性。
木々や空までがその町になびいている雰囲気だ。あの町は過去か未来か。
1913だとまだミュンヘン時代だが、ヴェレフキンの弟が住むリトアニア訪問時のものかも。

  その他よかった作品
     1917 Liebeswirbel(Vortice d'amore)
             自然の中で愛をかわす恋人たち。地面の木がうねり、空は渦巻きだ。ゴッホの影響か?
             ヴェレフキンとしては珍しい題材だ。
     1922 Lebensabend(La tarda eta della vita)
             緑の地面に腰を下ろして山の夕映えを眺める老人。羊たちは白く、緑の草を食べ続けている。
             夕映えの向こうには白いアルプスが光り、希望を感じさせる絵だ。
     1927 Ave Maria
             路地の左側にいるのは娼婦か。右では教会方向に向かって祈っている僧衣の男がいる。
     1930 Die Alten(I vecchi)
             犬連れの老人。ベージュなど暗くてたそがれている。
     1932 Boscaiuoli
             山間で薪を縛ったり運んだり、火を炊いて作業する人々。
             左上には十字架があり、山は険しい。茶色にグリーン系でちょっと暗めの絵。

  ヴェレフキンがアスコーナで1918〜38と20年間住んだという湖近くの家も外から眺めてきた。
  また、カタログも購入。ヴェレフキンの生涯も詳しく記されているようだ。


カタログ 65CHF

◆ 2008・12月にドイツ旅行でヴェレフキンの絵を鑑賞。
     ハノーファー シュプレンゲル美術館 1910の絵
     ケルン    ヴァルラーフ・リヒャルツ博物館 Kuntler Paare展で3点鑑賞
     ヴィースバーデン美術館 サンクトペテルブルク時代の肖像画1点、他2点。  

◆ 2009・7月のスイス旅行でアスコーナ現代美術館、3度目の訪問
     「赤い木」をじっくり鑑賞。
     ヴェレフキンの生涯をたどったビデオが流されていた。上記のカタログに載っている写真が多用されていた。
     アンドレア・ヤウレンスキー作の絵が1枚展示されていた。(ヘレネとの息子)

     バーゼル市立美術館で小さい板絵を発見

◆ 2011・3月 愛知県美術館の「カンディンスキーと青騎士展」で1910の自画像を再見。
     あらためてヴェレフキンの意志を感じた。50歳。

◆ 2011・7月のドロミテ・スイス旅行アスコーナ現代美術館、4度目の訪問。

 BIOGRAPHY

  1860  8月29日、Tula(モスクワの南方)で将軍の娘に生まれる。
  1874  絵の勉強開始。
  1886  家族でサンクト・ペテルブルグに引越す。
       イリヤ・レーピンの個人教授を受ける。
            この後、ヴェレフキンは”ロシアのレンブラント”との評判になる。
  1891  レーピンのアトリエでアレクセイ・ヤウレンスキーと知り合う。
  1896  ヤウレンスキーといっしょにミュンヘンへ移住する。
  1901  ヤウレンスキーとラトヴィアで長期過ごす。
  1903〜07
       何度かフランスに旅行。
  1906  再び絵を描き始める。  
  1908  夏、カンディンスキー、ミュンター、ヤウレンスキーとムルナウに滞在。
  1909  ミュンヘン新芸術家協会を設立。
  1914  ヤウレンスキーとスイス、サン・ブレへ移住。       
  1918  アスコーナへ移住。大熊に参加。
  1921  ヤウレンスキーと別れる。
  1938  2月6日、アスコーナで死亡。


       

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