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「ごちそーさまでした!」
「おっ、きれいに食べたな」
「うん。おにいちゃんって、お料理上手だよねえ。ママのよりずっとおいしかった!」
「…それは、かあさんには言わない方がいいぞ…」
苦笑を漏らして言うヤマトに、タケルがにこっと笑みを浮かべてこくん!と頷く。
「あ、うん、そうだね。内緒ね!」
答えて兄と顔を見合わせるなり、互いにぷぷっと吹き出した。

朝食を食べるテーブルは、どうも小さなタケルには高すぎて、かといって、椅子にクッションを置くと落っこちそうで危なっかしい。
仕方ねえなあとか何とか色々自分に言い訳をしつつ、ヤマトは、膝の上にタケルを座らせて朝食をとっていた。
離れるまで時間、出来るだけ、自分の傍に置いておきたくて。
「ほら。タマゴついてるぞ」
言いながら、丸いほっぺについてるスクランブルエッグのかけらを、兄の指がそっと取る。
タケルが、嬉しそうににっこりとした。
膝の上から顔をあげて、真上に兄の顔を見る。
「? どうした?」
首を傾けて尋ねると、ぺたっと背中をヤマトの身体に預け、小さなタケルは見上げたまま、少し哀しそうな顔になった。
「おにいちゃん」
「ん…?」
「ずっと、ずっと、ボクのおにいちゃんでいてくれる?」
「え…・? あたりまえだろ? 俺は、ずっとタケルのお兄ちゃんだろ?」
突然の問いに不思議そうになるヤマトに、タケルはちょっと小首を傾げて考えて、どういったらいいのか考えあぐねているように、ヤマトを見つめて瞬きをする。
「そうだけど、そうじゃなくて。…ずっと、ずっと、ボクのこと、好きでいてね?」
「だから、そんなの当たり前だって。好きだよ、今も、これからもずっと」
「…うん。でも」
「でも?」
小さなタケルは、ますます淋しげな顔になって、ぽつりと呟くように言った。
「いつか、おにいちゃんには、ボクよりもっとダイスキな人ができるでしょ? そうなっても、ボクのこと、忘れないでね」
「…タケル?」
「ねえ、おにいちゃん」
重ねて呼ばれて、ヤマトは困ったような顔で笑んだ。
「タケルよりダイスキな人なんて、ずっと出来ねえよ」
小さいタケルの不安そうな瞳に思わずそう答えたけれど、これは多分本当のこと。
その場しのぎの言葉じゃない。

きっと本当に、タケル以上に誰かを好きになることなんて、この先ないんじゃないだろうか。
内心で、ヤマトが思う。
アブナイと誰かに指摘されれば、それも否めないけれど。
だが。想っているくらいは、自由だろう。
それに、タケルを縛りつけたりさえしなければ。
傷つけたりしなければ。

まだ心配げな丸い瞳に、ヤマトが笑って、ぎゅっと小さな身体を背中から腕の中に抱きしめる。
すっぽりと腕に包み込めてしまう、小さくてあたたかな身体。確かな体温。
このまま、誰に目にもふれさせず、ずっとこうして腕の中に隠しておけたらどんなにいいだろう。

「ずーっと、ずっと、おまえのことだけが、ダイスキだよ」

誓いのように、呪文を唱えるみたいに、ヤマトがタケルを抱きしめたまま上体を傾け、可愛い耳へとこそりと囁く。
「…本当?」
「あぁ、本当」
「本当に、本当?」
「ああ、本当に本当だって」
本当?本当?とそれでも何度も念をおした後、やっと納得したらしいタケルが安堵したような顔になる。
そして、拗ねたように唇を尖らせて、ぽろりと本音を口にした。

「だって……・おにいちゃん、すっごくカッコいいんだモン……」

「…はあ?」
「きっとすっごくモテるんでしょ!? だったら、モテモテ過ぎて、ボクのことなんか忘れちゃうもん! …って、そう思ったのっ」
と、タケルがぷくっと丸い頬をさらに膨らませて言う。
誰に、というわけではない何とも可愛らしいシット心に、ヤマトが思わずくくっと吹き出して、笑い出す。
もーう、おにいちゃんったらーと、爆笑するヤマトを見上げ、タケルは真っ赤になった頬をぶすーとさらにさらに膨らませた。




「太一さんも来るの?」
光子郎の家の前で立ち止まるなり、抱っこされた腕の中で、ふいにタケルがヤマトに訊ねた。
「ん? ああ、一応、さすがに太一には報告しておかねえとな。あとはまあ、色々他にも影響が出るとマズイから、内緒にしておいた方がいいってさ、光子郎が」
「ふうん?」
小首を傾げるタケルに心配ねえよと笑いかけて、ヤマトがチャイムを押すなり、かなり慌てた様子で光子郎が玄関から飛び出してきた。
「タケルくん! さぁ、お母さんに見られるとヤバイですからね、早く僕の部屋へ!」
「え、う、うん!」
ぴっぱられるようにして中に入り、「お邪魔します」と小さく声だけかけて、案内された光子郎の部屋へと転がり込む。
そういえば、光子郎の母は、3年前のタケルも現在のタケルも知っているのだ。
だから、今のこの状態を知られると、また話が長くややこしくなるから…と、早口でまくしたてる光子郎をまじまじと見、タケルがきょとんと目を丸くした。
「あぁ…・えっと、タケルくん。お久し振りです。あ! おひさしぶりっていうのは変ですねえ。…ええっと」
「光子郎さん…?」
「はい、そうです」
「うわあ、すっごおい! 光子郎さんって、こんなに背も伸びて大人っぽくなってるんだ〜!」
感心たように叫ぶタケルに、光子郎が思わず照れたように赤くなって、ぽりぽりと頭をかく。
「い、いやだなあ、そんな、タケルくん」
「だって、本当にそうなんだもん!」
「や、照れるじゃないですか」
「つうか、そんな事はどうでもいいからさ。光子郎、肝心の話をだな」
言ってるところへ、ガチャリとノックもせずにドアが開いて、勝手知ったる太一がずかずかと部屋に入ってくる。
「よう悪い、遅くなった!」
「ふぇ?」
「おっ、タケルかあ!? うわ、ちぃせえ! かわいーい!」
「太一さん!?」
「そうだぜ、タケル! なんかひっさしぶり!って感じだな!」
言うが早いか、タケルを抱っこしていたヤマトの手から、太一がひょいと小さな身体を自分の腕へと抱き上げる。
「うわー、こんな小さかったかぁ、おまえ!」
「うん。あれ? でも太一さんだけは、3年前とぜんっぜん変わってないねー」
しみじみと言われ、太一がタケルを腕に抱いたまま、がっくりとなる。
「………悪かったな」
「ところで、ヤマトさんが心配すると思って言わなかったんですけど」
「なんだよ?」
光子郎の声に、皆でそちらを見た隙に、ヤマトが太一の腕からタケルをするりと奪い返す。
小さな手は、ぎゅっと兄の首へとしがみついた。
「実は。あれからずっと、大輔くんたちとは連絡がとれなくなってしまったままなんです。Dターミナルにメールを送信するんですが、すぐに返ってきてしまうし。…とにかく、デジタルワールドのテレビから僕のパソコンへとゲートが繋がるように、設定はもうできていますから。あとは予定の時間になって、大輔くんたちが集まって無事戻ってさえくれれば…」
「…・そうか」
答えて、太一とヤマトが顔を見合わせ、同時にタケルを見る。

なんとか、その時に。
無事、コイツも元の時間の流れに戻してやらなくては。
コイツを待っているであろう、兄と仲間たちのところへ。

「…とか言ってるうちに。そろそろ時間だな」
「ええ、そうですね…。どうか、無事に、みんな……」
光子郎が祈るように、パソコンの画面を見つめて、両手の指を組む。
太一もまた、睨むように画面を見つめた。
ヤマトの顔が険しくなる。
それを不安げに見つめるタケルに気づくと、ヤマトは表情を崩して、タケルの頭にポンと手を置いた。
「大丈夫だよ」
「…うん」
頷くのを確かめて、至近距離で見つめ合い、額を寄せる。
「…もうすぐお別れだけど」
「おにいちゃん…」
「元気でな。ちゃんとデジタルワールドの平和はおまえたちの力で戻せるから、信じて頑張るんだぞ…!」
「うん…!」

とはいえ。
まだ、こんなあどけないを、過酷な戦いの中に戻すのかと思うと、ヤマトの胸は激しく痛んだ。
考えれば考えるほど、つらくて仕方がなかった。
いっそ、このまま、この子だけでも、この世界に…。
そう思わずにはいられない。

ヤマトのそんな胸中を察して、太一が言った。
「ヤマト。おまえの気持ちはわかるけど…。これは、俺たちが戦ってきた過去なんだ。そこから、タケルだけを消してしまうわけにはいかない。そんなことぐらい、お前にだってわかるだろ? それにそんなことをしたら、今のタケルにも何らかの影響が出てしまうかもしれないんだぜ?」
「…・ああ。わかってる」
「小さくったって、タケルも紛れもなく『選ばれし子供』なんだからさ! な? やれるよな、タケル!」
太一の言葉に、タケルがうん!と力強く頷く。
がしがしと乱暴に頭を撫でられながらも、ヤマトの腕の中から、タケルが尊敬の眼差しで太一を見遣る。

やれやれ。
3年経ってもこうかよ。
まあ。
成長しねえ俺も悪いけど。
タケルの前では、やたらと大人ぶって格好つける、コイツもどうだよ。

ややヒガミつつ思っていれば、ふいに。
小さな手が、ぴと…とヤマトの両の頬にはりついた。
「ん?」
「おにいちゃん」
「なんだ?」
「――もう、会えないんだね…」
淋しげにしみじみ言われると、何ともつらい。
ますます帰したくなくなるだろ、と心中で本音をこぼして、震える大きな瞳を見つめた。
「…3年たったら、また会えるだろ」
「うん…・そうだよね…。えっと。あ、そうだ。公園つれてってくれて、ありがとう。それから、おふろ入れてくれて、一緒にテレビ見て、アイス食べて、ゲームもしてくれて……。それから、いっしょに寝てくれて、ありがとう。ごはん、とってもおいしかった…。それから、それから、ボクのこと、ずっとダイスキだよぉって言ってくれて、ありが……」
大きな瞳から、大粒の涙がぽろぽろとこぼれ落ちる。
小さい手がヤマトの首に回され、ぎゅっと強くしがみついた。
ヤマトもまた、強くその小さな身体を抱きしめる。

小5の兄が恋しいと泣いていたタケルが、今、自分と離れるのがつらくて泣いてくれてるのかと思うと、ヤマトの胸は不思議な感情に熱くなった。
いじらくして、いとしくてたまらない。

「タケル…。ずっとずーっと、大好きだから。おまえのこと、俺、一生大好きだよ」

やわらかな髪に唇を押しつけるようにしてヤマトが言うと、タケルが懸命に笑顔を作って、うん!うん!と何度も強くうなずいた。


「ボクもずっと! ずっと、ダイスキ! おにいちゃんのことが、ずっとダイスキーー!!」


     







12につづく。 


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