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「さっき…悪かったな…」

隣に坐るタケルに、ヤマトがぼそりと言う。
「あんなこと、言うつもりじゃなかったんだ…。ただ、アイツのことが心配で」
言って唇を噛むヤマトの顔に、タケルが少し微笑んで、同じ歳の兄を見る。

だから。
こんな猛吹雪の中、そんな夏の格好で出ていったっていうの?
熱があるのに。
それも高熱なんて。
無茶苦茶だよ。
あげくの果てに、雪の中で倒れてたって。

心で呟く。
だけど、口をついて出た言葉は、少し違っていた。



「いいね」


「いいって?」
「そんなに心配してもらって、幸せだよ」

自分のことなのに。
なんだか人ごとみたいで変だけど。

「おまえのことだって。おまえの世界で心配してるオレがいるだろう?」
当然とばかりに、ちょっと照れくさそうに言うヤマトに、フ…と哀しそうに笑むと、タケルは小さく首を横に振った。
ヤマトがその顔に、俄然不安になる。

まさか。そんな。
自分の未来に、タケルを心配しなくなる日なんて来るのだろうか?
そんなこと、とても信じられない。

「心配、してるさ」
慰めのようだが、でも、心配していない筈はない。
絶対にと、そう確信してヤマトが思う。
「…お兄ちゃんが大切なのは、小さい頃の僕なんだ」
「…意味、わかんねーけど」
「うん。わかんなくていい…。それより、眠った方がいいよ。こじらせちゃってひどくなったら、"タケル"が泣いちゃうでしょ。眠って目覚めた頃には、きっと戻ってきてるから」
「―なんで、そんなことがわかる?」
いぶかしむように訊く兄に、その顔を見て、タケルが薄く笑む。
「僕が、そうするから。安心してて」
「おまえ…」
「だから、もう、心配しないで」
「タケル」


「……名前、呼んでくれて嬉しかった…」


しみじみと言って、どこか淋しそうに微笑むタケルに、ヤマトの胸がちくりと痛む。
「待てよ」
「さよなら、お兄ちゃん」
ヤマトの制止も聞こえていないかのようにそう応え、再び立ち上がりかけたタケルの手を、ヤマトの手が咄嗟に強く掴んだ。



「待て、行くな!」



叫んで、ぐっと自分の方に引き寄せ、坐らせる。その手があまりに熱くて、タケルははっと瞳を見開いた。
「ガブモン、呼んでこなくちゃ…!」
「いいから」
「よくないよ、熱が!」
「いいんだ、おまえ、ここにいろ」
「え…? だって」
「いいから!」
怒ったように怒鳴るヤマトに、困った顔でタケルが言う。
「でも、僕…。とっとと、元の世界に帰った方がいいんでしょう? そうじゃないと、この世界のタケルが…」
「そ、そりゃあ」
「だったら」
「け、けど! 今は夜で、外に出るのは危ないから、明日の朝でいいから! お前、今夜はここで寝ろっ」

「お兄ちゃん…?」

困惑したような瞳を向けられ、ヤマトが、どうにもまいったというような顔で額の汗を拭い、ふうと肩で溜息をつく。
そして、タケルから視線を逸らすと、半ばふて腐れたように言った。
「でかくなったって…おまえ、オレの弟なんだろ? 兄貴の言う事は…素直にきけよな」
「う、うん…」
思わず頷いてしまってから、ふいに、そんな自分に自嘲のような笑みを浮かべた。

その言葉が嬉しいと思う。
だけど。
同時に切ないとも。

何だか、やけに儚げな笑みだな、とヤマトが思った途端。
タケルの両眼から、唐突に、ぽろぽろと涙がこぼれ出した。
ヤマトがぎょっとする。

「お、おい…!」
「ごめん…」
「な、な、なんで泣くんだよ!」
「だって…」
「泣くことねえだろ! 第一、泣かすようなこと言ってねえだろっ!」
「うん。そうだね……」
涙声で答え、膝を抱えるようにして泣くタケルに、しどろもどろになったヤマトが、どうしてやりゃいいんだという心底焦った顔でそれを見つめる。
「………っ……っく」
それでも。
ひっく…と泣きじゃくる声は、小さい弟と何ら変わりはない。
声変わりもしてて、背もこんなに大きいのに、泣いてる姿はそのままだ。

なんだ、コイツ。
図体ばかりでかくなっても、中身、全然変わってないじゃん。

思いながら、震える背中をそっと手のひらでさすってやる。
小さな弟の、丸くてやわらかな身体つきとは全然正反対だけれど、背中をさすって、やわらかい髪をくしゃくしゃ撫でて、いい子いい子してやると、なんともいえない愛情が湧いてくる。

……可愛い…。

傍に寄って隣に坐って、金色の頭を自分の肩に抱き寄せる。
タケルがぴくりと泣くのをやめ、ゆっくりと驚いた瞳で兄を見て、また思いきり泣き顔になった。
それに笑いかけると、また背中をさすってやる。

やせっぽちの背中。
骨がさわるじゃねえかよと思いつつ、それでも抱き寄せた髪と、項のあたりから、懐かしい、もうずっと幼い頃のタケルと同じ甘い匂いがする。


「なんかおまえ……つらいことが、あったのか?」


聞かれて、ぴくっと肩が揺すれる。
「――何も」
「そ…か。でも、泣くの我慢すんの、よくねえぞ。泣くの我慢してたら、哀しいことがどんどん胸の中で重くなるからな」
低くぼそぼそと言う兄の声が、タケルの心にじいんと響いた。

この小さな兄も、ずっとそんな想いを抱えてきたのだろうか?
自分の知らないところで、一人。

中2の兄には言えない事でも、同じ年の兄になら、少し打ち明けられる気がした。
…・といっても、何があったわけじゃないけれど。

素直に笑っていたあの頃から、そんなに多くが変わったわけじゃない。


「僕は……大きくなんか、なりたくなかった…」


「え?」
「大きくなれば、叶うこともあるかもしれないと、ずっと思ってたけど。努力もしたけど。なかなか叶うことはできなくて…」
涙声に、ヤマトが首を傾けて、その顔を覗き込む。
「叶えたかったことって…何なんだ?」
タケルが、苦しそうに首を振る。
「わからない…。ただ、愛されたかった、だけかもしれない…」
消え入るように涙にくぐもる言葉に、ヤマトがさらにその瞳を覗き込む。


「オレ、おまえのこと。愛してねえか?」


「…!」
「3年後のオレは、おまえのこと、愛してねえのかよ?」

人一倍照れ屋なくせに、そんなことをさらっという。
タケルは思って、泣き笑いの顔になった。

「どうなんだ?」
聞かれて、少し困る。
愛されてないわけじゃない。
…というより、むしろ今も過剰に愛されている。と思う。

ただ。
もっと、ちがう意味で、僕は愛してほしいのかもしれない。
兄としての愛情だけじゃなくて。
独占欲の固まりみたいに、貪欲で。
もっと、醜くて、綺麗じゃない、どろどろした盲目的な愛でいいから。
ひたすらに愛されたい。

「うん」
「うん、じゃわかんねーだろ」
言われて、口篭る。
それを今、言えというのか。


「うん。愛されてる…よ」


自分で言って、タケルは真っ赤になってしまった。思わず俯く。
つられて、小5の兄も真っ赤になった。
どうやら、恥かしいことを聞いて、恥かしいことを言わせたのだと、今更ながらに気がついたんだろう。

けど、不思議なもので。
自分で言葉にしてみると、自信のなかったそのことが、少し嘘のように楽になった。
たとえ小さくなくたって、今の兄は、充分過ぎるほど自分に愛情を注いでくれている。
必要としてくれている。

小2の頃の自分に、嫉妬してるなんて、なんて馬鹿なんだろう。僕は。

ふいに視線を兄に向けると、兄の方はまだしつこく照れたままだ。
目尻は上がり気味で、きつそうな感じなのに、それでもやさしい印象があるのは、こんな表情のせいなのだろう。
真横から見るなんて、小2の時には滅多になかったことだから。
気がつかなかった。

お兄ちゃんて。
この頃から、けっこう、カッコよかったんだ…・。
きれいな顔立ちをしている。
こんなきれいでカッコイイのに、自分を見下ろす時の目は、いつもやさしくて、ちょっと目尻が下がっていたっけ…。
太一さんたちに、よく、お前は本当にブラコンだなって、からかわれていた。
あの頃は、愛されてて当然で、あんまり過度に思われすぎて。
時々、ちょっと疎ましいなーなんて、贅沢なことを思ったこともあったっけ。

見つめるタケルに気がついて、ヤマトが照れた顔をやっと戻して、フ…ッと笑みかける。
そして、ぐしゃぐしゃとタケルの髪をかき乱した。


「でかいんだから、もう泣くな」

「……はい」


答えて、タケルが微笑む。


なんだか、頼もしい。
甘えたくなってしまう。

思い、本当に。
細い肩に、ことりと自分の方から頭を置いて甘えてみた。
なんだろう、すごく安心する。
(中2の兄の肩に甘えるより、少し首は疲れるけど)
自分のものと同じくらいの大きさの手が、そんなタケルの肩を抱き締め、ポンポンと宥めるように叩いてくれる。




甘えついでに、強請ってみた。



「ねえ…?」
「ん?」
「お兄ちゃんのハーモニカ、聞きたいな」
「いいけど」
「吹いてくれる?」


いつも吹いてるのに改まって何だ?と不思議に思いながらも、可愛いお強請りにやさしげな笑みで返して、ヤマトがポケットからハーモニカを取り出した。




「ああ…いいぜ、もちろん」

  










9に続く…。
 


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