■ balance 8 ■ 「さっき…悪かったな…」 隣に坐るタケルに、ヤマトがぼそりと言う。 「あんなこと、言うつもりじゃなかったんだ…。ただ、アイツのことが心配で」 言って唇を噛むヤマトの顔に、タケルが少し微笑んで、同じ歳の兄を見る。 だから。 こんな猛吹雪の中、そんな夏の格好で出ていったっていうの? 熱があるのに。 それも高熱なんて。 無茶苦茶だよ。 あげくの果てに、雪の中で倒れてたって。 心で呟く。 だけど、口をついて出た言葉は、少し違っていた。 「いいね」 「いいって?」 「そんなに心配してもらって、幸せだよ」 自分のことなのに。 なんだか人ごとみたいで変だけど。 「おまえのことだって。おまえの世界で心配してるオレがいるだろう?」 当然とばかりに、ちょっと照れくさそうに言うヤマトに、フ…と哀しそうに笑むと、タケルは小さく首を横に振った。 ヤマトがその顔に、俄然不安になる。 まさか。そんな。 自分の未来に、タケルを心配しなくなる日なんて来るのだろうか? そんなこと、とても信じられない。 「心配、してるさ」 慰めのようだが、でも、心配していない筈はない。 絶対にと、そう確信してヤマトが思う。 「…お兄ちゃんが大切なのは、小さい頃の僕なんだ」 「…意味、わかんねーけど」 「うん。わかんなくていい…。それより、眠った方がいいよ。こじらせちゃってひどくなったら、"タケル"が泣いちゃうでしょ。眠って目覚めた頃には、きっと戻ってきてるから」 「―なんで、そんなことがわかる?」 いぶかしむように訊く兄に、その顔を見て、タケルが薄く笑む。 「僕が、そうするから。安心してて」 「おまえ…」 「だから、もう、心配しないで」 「タケル」 「……名前、呼んでくれて嬉しかった…」 しみじみと言って、どこか淋しそうに微笑むタケルに、ヤマトの胸がちくりと痛む。 「待てよ」 「さよなら、お兄ちゃん」 ヤマトの制止も聞こえていないかのようにそう応え、再び立ち上がりかけたタケルの手を、ヤマトの手が咄嗟に強く掴んだ。 「待て、行くな!」 叫んで、ぐっと自分の方に引き寄せ、坐らせる。その手があまりに熱くて、タケルははっと瞳を見開いた。 「ガブモン、呼んでこなくちゃ…!」 「いいから」 「よくないよ、熱が!」 「いいんだ、おまえ、ここにいろ」 「え…? だって」 「いいから!」 怒ったように怒鳴るヤマトに、困った顔でタケルが言う。 「でも、僕…。とっとと、元の世界に帰った方がいいんでしょう? そうじゃないと、この世界のタケルが…」 「そ、そりゃあ」 「だったら」 「け、けど! 今は夜で、外に出るのは危ないから、明日の朝でいいから! お前、今夜はここで寝ろっ」 「お兄ちゃん…?」 困惑したような瞳を向けられ、ヤマトが、どうにもまいったというような顔で額の汗を拭い、ふうと肩で溜息をつく。 そして、タケルから視線を逸らすと、半ばふて腐れたように言った。 「でかくなったって…おまえ、オレの弟なんだろ? 兄貴の言う事は…素直にきけよな」 「う、うん…」 思わず頷いてしまってから、ふいに、そんな自分に自嘲のような笑みを浮かべた。 その言葉が嬉しいと思う。 だけど。 同時に切ないとも。 何だか、やけに儚げな笑みだな、とヤマトが思った途端。 タケルの両眼から、唐突に、ぽろぽろと涙がこぼれ出した。 ヤマトがぎょっとする。 「お、おい…!」 「ごめん…」 「な、な、なんで泣くんだよ!」 「だって…」 「泣くことねえだろ! 第一、泣かすようなこと言ってねえだろっ!」 「うん。そうだね……」 涙声で答え、膝を抱えるようにして泣くタケルに、しどろもどろになったヤマトが、どうしてやりゃいいんだという心底焦った顔でそれを見つめる。 「………っ……っく」 それでも。 ひっく…と泣きじゃくる声は、小さい弟と何ら変わりはない。 声変わりもしてて、背もこんなに大きいのに、泣いてる姿はそのままだ。 なんだ、コイツ。 図体ばかりでかくなっても、中身、全然変わってないじゃん。 思いながら、震える背中をそっと手のひらでさすってやる。 小さな弟の、丸くてやわらかな身体つきとは全然正反対だけれど、背中をさすって、やわらかい髪をくしゃくしゃ撫でて、いい子いい子してやると、なんともいえない愛情が湧いてくる。 ……可愛い…。 傍に寄って隣に坐って、金色の頭を自分の肩に抱き寄せる。 タケルがぴくりと泣くのをやめ、ゆっくりと驚いた瞳で兄を見て、また思いきり泣き顔になった。 それに笑いかけると、また背中をさすってやる。 やせっぽちの背中。 骨がさわるじゃねえかよと思いつつ、それでも抱き寄せた髪と、項のあたりから、懐かしい、もうずっと幼い頃のタケルと同じ甘い匂いがする。 「なんかおまえ……つらいことが、あったのか?」 聞かれて、ぴくっと肩が揺すれる。 「――何も」 「そ…か。でも、泣くの我慢すんの、よくねえぞ。泣くの我慢してたら、哀しいことがどんどん胸の中で重くなるからな」 低くぼそぼそと言う兄の声が、タケルの心にじいんと響いた。 この小さな兄も、ずっとそんな想いを抱えてきたのだろうか? 自分の知らないところで、一人。 中2の兄には言えない事でも、同じ年の兄になら、少し打ち明けられる気がした。 …・といっても、何があったわけじゃないけれど。 素直に笑っていたあの頃から、そんなに多くが変わったわけじゃない。 「僕は……大きくなんか、なりたくなかった…」 「え?」 「大きくなれば、叶うこともあるかもしれないと、ずっと思ってたけど。努力もしたけど。なかなか叶うことはできなくて…」 涙声に、ヤマトが首を傾けて、その顔を覗き込む。 「叶えたかったことって…何なんだ?」 タケルが、苦しそうに首を振る。 「わからない…。ただ、愛されたかった、だけかもしれない…」 消え入るように涙にくぐもる言葉に、ヤマトがさらにその瞳を覗き込む。 「オレ、おまえのこと。愛してねえか?」 「…!」 「3年後のオレは、おまえのこと、愛してねえのかよ?」 人一倍照れ屋なくせに、そんなことをさらっという。 タケルは思って、泣き笑いの顔になった。 「どうなんだ?」 聞かれて、少し困る。 愛されてないわけじゃない。 …というより、むしろ今も過剰に愛されている。と思う。 ただ。 もっと、ちがう意味で、僕は愛してほしいのかもしれない。 兄としての愛情だけじゃなくて。 独占欲の固まりみたいに、貪欲で。 もっと、醜くて、綺麗じゃない、どろどろした盲目的な愛でいいから。 ひたすらに愛されたい。 「うん」 「うん、じゃわかんねーだろ」 言われて、口篭る。 それを今、言えというのか。 「うん。愛されてる…よ」 自分で言って、タケルは真っ赤になってしまった。思わず俯く。 つられて、小5の兄も真っ赤になった。 どうやら、恥かしいことを聞いて、恥かしいことを言わせたのだと、今更ながらに気がついたんだろう。 けど、不思議なもので。 自分で言葉にしてみると、自信のなかったそのことが、少し嘘のように楽になった。 たとえ小さくなくたって、今の兄は、充分過ぎるほど自分に愛情を注いでくれている。 必要としてくれている。 小2の頃の自分に、嫉妬してるなんて、なんて馬鹿なんだろう。僕は。 ふいに視線を兄に向けると、兄の方はまだしつこく照れたままだ。 目尻は上がり気味で、きつそうな感じなのに、それでもやさしい印象があるのは、こんな表情のせいなのだろう。 真横から見るなんて、小2の時には滅多になかったことだから。 気がつかなかった。 お兄ちゃんて。 この頃から、けっこう、カッコよかったんだ…・。 きれいな顔立ちをしている。 こんなきれいでカッコイイのに、自分を見下ろす時の目は、いつもやさしくて、ちょっと目尻が下がっていたっけ…。 太一さんたちに、よく、お前は本当にブラコンだなって、からかわれていた。 あの頃は、愛されてて当然で、あんまり過度に思われすぎて。 時々、ちょっと疎ましいなーなんて、贅沢なことを思ったこともあったっけ。 見つめるタケルに気がついて、ヤマトが照れた顔をやっと戻して、フ…ッと笑みかける。 そして、ぐしゃぐしゃとタケルの髪をかき乱した。 「でかいんだから、もう泣くな」 「……はい」 答えて、タケルが微笑む。 なんだか、頼もしい。 甘えたくなってしまう。 思い、本当に。 細い肩に、ことりと自分の方から頭を置いて甘えてみた。 なんだろう、すごく安心する。 (中2の兄の肩に甘えるより、少し首は疲れるけど) 自分のものと同じくらいの大きさの手が、そんなタケルの肩を抱き締め、ポンポンと宥めるように叩いてくれる。 甘えついでに、強請ってみた。 「ねえ…?」 「ん?」 「お兄ちゃんのハーモニカ、聞きたいな」 「いいけど」 「吹いてくれる?」 いつも吹いてるのに改まって何だ?と不思議に思いながらも、可愛いお強請りにやさしげな笑みで返して、ヤマトがポケットからハーモニカを取り出した。 「ああ…いいぜ、もちろん」 9に続く…。 novelニモドル 1 2 3 4 5 6 7 8 9 |