■ balance 9 ■



        

どこからか、同じハーモニカの音色が聞こえてきたような気がして、ふいにヤマトは吹くのをやめた。


気のせいか…? 


思いつつ、隣で眠る小さな弟を見た。
すーすーと微かに寝息が漏れている唇は、少しだけ丸く開いている。

一緒に布団に入ってベッドに腰かけているヤマトの手を、どこにも行かないでというように小さな手がしっかりと握りしめていた。
フッと笑みを浮かべて、それを見下ろす。
やわらかな頬にそっと起こさぬようにキスを落として、ヤマトははっとしたように瞳を凝らした。
閉じられたタケルの長い睫毛の先に、とまるように、小っちゃな涙の粒がある。



一緒にデジタルワールドを旅していたあの頃は、タケルタケルといつも弟のことばかりだった気がしていたが、今にして思えば、いつも自分のことで手いっぱいだったのだと思う。



タケルのこと、本当はちっともわかってやれてなかったんだ。
小さな胸で何を思って、何を考え、そして、何を我慢していたかを。
甘やかしてるつもりだったけど、こいつは肝心な時には、オレにちっとも甘えてこなかった。
どちらかというと、太一の方を頼りにしてる気がして、どうせオレなんかじゃ駄目なんだろう、太一の方がいいんだろうって、勝手にふてくされてイライラしていた。
可愛がるのも、甘やかすのも、こちらからの一方通行で、身勝手で。
だけどその事に、オレはちっとも気がついていなかった。
全部、タケルによかれと思ってやってきたんだ。


――だから。
タケルに、自分はそんなに頼りにならないのかとか足手まといなのかと反論された時、あんなにショックを受けたんだろう。


愛情のかけ方が、なんだかよくわからなくなってた。




…今はどうだろう。
少しはおまえのこと、わかってやれてるんだろうか? 



考えて、肩を落とした。
…いや。
今でも自分は、自分自身のことで精一杯だ。
今、小さいタケルがそうしてるように、1日を笑顔で終えた弟は、一人ベッドに入って眠ってから、そっと涙を流していたかもしれない。


(ごめんな…)


ちっとも気付いてやれなくて。


心で詫びて、くしゃ…とやわらかな、さらさらの髪を撫でる。
久し振りにシャンプーしてやったから、金の髪が天使のようにきらきらしている。
頬のあたりに指先でふれると、可愛い口元がうっすらと笑みを浮かべた。



かわいいな…。

このまま、ずっと一緒にいられたらいいのに。
おまえもアイツも、両方ともそばに置いて。
二人とも抱きしめて、可愛がって。

いやいや。
そうなると、きっと、さぞかしウルサイことだろう。
2人でタッグ組んで、俺を責めてくるんじゃないか? 
おにいちゃんのここはこうだからやめてとか、こういうとこはこうだからこうして、とか。
うるさそうだ。
…やっぱ、一人で充分だよな。



(おい、タケル)



ほくそ笑んで、ヤマトが指先でぷよぷよの頬の膨らみを軽くつつく。


おまえ、「おにいちゃん」の夢でも見ているか?
帰ったら、伝えろよ。
オマエの、おにいちゃんに。
もっと、自分勝手じゃなく、ちゃんとボクのこと見てよって。
俺も、アイツが帰ってきたら、今度はちゃんとそうするから。
誓うよ。
だから、おまえも言えよ。
ボクの事、もっと大事にしてよって。




ヤマトはゆっくりとベッドに身を横たえると、丸くなって眠るタケルの小さい身体を、腕の中に大事そうに抱きしめた。
タケルはその兄の胸で、ぬくもりにすっぽりと包まれて、安心しきったような顔でぐっすりと眠っている。



ヤマトは、何だか眠るのが惜しくなり――。
結局、その可愛い顔を一晩中、ずっと飽きることなく見つめて過ごした。











     ◇   ◆   ◇










「ねちまった…」


ハーモニカを吹いているうちに、眠くなったらしいタケルがヤマトの肩にもたれてウトウトしはじめたかと思ったら、そのままズルズルと頭が落ちてきてしまい、ヤマトはハーモニカを吹くのをやめると、慌てて両手でそれを支えた。
そのままゆっくりと身体を倒させていきながら、自分の膝の上にタケルの頭をのせてやる。
どうにか起こさずにそれを終えると、ヤマトはふうと溜息をついた。
しかし。


「重い…」


思わず、笑みがこぼれてしまう。



小さなタケルなら、膝枕をしてやってても、重いなんて思うことないのになあ。
同じ2年生の中でも、タケルは早生まれのせいもあって、かなり小さいめの方だったのに。
わずか3年で、本当にこんなに背が伸びて、大きくなるもんなのか?
手足もすらっと伸びて、丸くなくて。
いや。すらっとというより、これは細すぎだぞ。
何食ってんだよ。
まさか、背伸ばすために、毎日牛乳しか飲んでないんじゃあ…。
いや、いくら何でもそれはないだろうけど。



(ガブモン…。 まだ、帰ってこねーよ、な…)



辺りを窺って、それからも何度かどうしようか迷った挙句。
なぜかビクビクしながら、そっとタケルの髪にふれた。
さらさらで、やわらかい。
指の間から、さらりと流れ落ちていく。
頬は、もうぷくぷくではないのが残念だが。
そっと手のひらでふれると、白い頬は驚くほど滑らかでやわらかかった。


「う……ん…」


身じろがれ、ドキ!と一瞬心臓が跳ね上がる。
「あ…! お、おおお、オレは別に…!」
自分でも赤くなっているのがわかって、一人でしどろもどろになる。
起きたのかと誤解して、慌てて弁解しようとしたが、当のタケルは、ヤマトの膝で頭の位置を少し変えると、またくう…と心地好い眠りへと落ちていった。
ヤマトが、心底ほっとする。


薄く開いた唇と、焚き火の照り返しのせいか、白い頬が少し赤く染まって見えるのが、妙に、なんというか…。
色っぽくもあったりして。
それが尚更、ヤマトをどきりとさせてしまう。


キレイな顔、してるな。
思って、余計にどきどきした。



自分と同じ年の弟。
お台場小学校の、5年B組だって言ってたっけ。
ってことは、3年後には、タケルや母さんはお台場に引っ越してくるってことなのか?
どういういきさつで、そんなことになったかは知らないが。

まあ、
それはともかくとして。

今、もし一緒に学校に行ってたら、オレら同じクラスじゃん。
それって、なんだか、すごく不思議だ。
タケルが同じ教室にいるなんて。
双子みたいだな、それだと。
…・いや、似てねえけど。全然。


でも、それが現実じゃなくてよかった気もするな。
毎日目の前にいて、それも同じ学校の同じ教室の中にいたりなんかしたら。
気になって気になって、きっと付きまとってうるさがられて、しまいには嫌われちまうだろうから。


さっきは思わず、ひどいことを言ったけど。
大きくたって、弟は弟だ。
心配しないわけにはいかないんだから。


――けど…。


なんでさっき、コイツ泣いたんだろう?
中2になったオレは、もうコイツのこと、そんなに大事に思ってないんだろうか? 
いや、それはないと思うけどな…。
だって、コイツ。
なんだか淋しげで、頼りなげで、今以上にほっておけない感じじゃん。



前で燃える火が、長い睫毛の影をよりいっそう濃く、そこに落としている。
何かに疲れているのか、憤っているのか、満たされないのか。
それが、何かわからないのか。


――オレも、今、同じだよ。


思いつつ、そっと、やわらかい髪を撫でる。



かわいいな…。



大人びたと言っても、まだまだ、あどけない「弟」の顔だ。



今のオレには「おまえ」がいるから、そんな気持ちも癒されてるけど。
お前は今、どうなんだよ。
あんまりつらくなるなよ。
ちゃんと「おにいちゃん」に相談しろ。
一人で抱え込んじゃ、駄目だ。
な…?






心で語りかけながら、いつも眠る時に小さなタケルにするように。
ヤマトは、冷たいタケルの頬に、そっとやさしくキスをした。






そして、一晩中。
風邪をひかせちゃいけないと、タケルが寒くないように抱き合うようにして、はっぱの布団にくるまって眠った。
やせっぽちの身体を腕に抱きしめると、無意識に同じように抱きついてきて。




なんだか。
それに、妙にどぎまぎして。
結局、明け方まで眠れなかった。





熱があったのも、もうすっかり吹っ飛んでしまっていたが。
別の意味の熱で、それどころではなかったのだ。









 


novelニモドル             9 10