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翌朝、ようやくヤマトが目を覚ました時、隣にタケルの姿はなかった。

「タケル…!」
ヤマトが思わず飛び起きて、額から落ちてきたハンカチにはっとなる。
どうやら外の雪で冷やしたハンカチで、熱が下がるように額を冷やしてくれていたらしい。


それはともかく、どこに…? 
まさか、もう。
もう、元の世界に帰ってしまったんじゃ…!


「タケル!」
名を呼んで起き上がると、ヤマトは猛然と洞窟の外へと飛び出した。

そこはさんさんと太陽の光が降り注いでいて、まるで春のような暖かさだ。
ゆうべの、あの吹雪が嘘のように。
気候が、すっかりバカになっているようなデジタルワールドだから、そんなことはいちいち気にはならないが。
だが、吹雪とともに消えてしまった弟は、いったいどうなってしまったのだろう。

いくらなんでも、黙っていなくなってしまうことはないはずだ。
そんな、やつじゃないだろう。
第一、もし、あのタケルが元の世界に帰れたのなら、小2のタケルがこの世界に帰ってきていてもよさそうなものだし。
ヤマトが思う。



そして。
とにかく、こうしていても始まらないと、ヤマトはタケルを探そうと決めた。
身体は、もうすっかり楽になっている。


「タケルー! タケルー! どこだ、返事をしろー!」


呼びながら森の中に入っていくと、風の音に紛れて、ふいにどこからかヤマトの声に答える声が聞こえた。
…ような気がした。


「タケル…?」
「………」


立ち止まり、耳を澄ます。
間違いない。
タケルの声だ。
声変わりしたのは、ゆうべ、初めて聞いたけれど。
特長のある声。
間違えない。


これでも一応、兄だから。
あいつの。
同じ歳だけど。



「どこだー?」

こっち―と言う声に従って、森を掻き分けて歩いて行くと、ふいに目の前が大きく開けた。
そこには、色とりどりの花で埋め尽くされた見事な花畑が広がっていた。
小鳥のさえずりが聞こえ、此処もなんだか、狐につままれたように春一色だ。
昨日の冬景色は、いったい何処にいってしまったのやら。
一望してすぐ、ヤマトはその花畑の真中に、ぺたんと坐り込んでいるタケルを見つけた。

「お兄ちゃん…」
「何…やってんだ、お前?」

まだ、この世界にいてくれたことにかなりほっとしながら、ヤマトが早足に近づいていき、坐ったままのタケルを見下ろす。
「薬草を探しに来て…。あそこの崖の上にあったのを見つけたから、よじのぼって取ろうとしたんだけど、足すべらせちゃって…」
「落ちたのか?」
「…うん」
「ばっかだな」
「酷いな、バカはないでしょう。お兄ちゃんのために取ろうとしたのに」
ちょっと拗ねたような口調になるタケルに、ヤマトが驚いた顔で訊き返す。

「オレのために?」

確かに。
タケルが、今、手にしているのは熱さましの薬草だ。
手の中にしっかりと握りしめている草を見て、ヤマトが悪かったとバツが悪そうに呟いて、その隣へと腰を下ろす。
「ま、お前が冷やしてくれたおかげで、もう熱は下がったみたいだけどな」
「そう、よかった。ゆうべは気がついたら、僕も寝ちゃってて…。お兄ちゃんの看病するつもりだったのに、ごめんね」
「けど、してくれたんだろ、看病」
「うん。でも起きたらもう明け方で、その時には大分熱も下がってた」
「残念そうに言うなよ」
「だって」

「結構汗かいたからな。お前と寝たから、あったかかったんだ」

「え…っ」
「え?」

さりげなく言ったヤマトの言葉に、ふと顔を見合わせて、二人してかあぁっ!と真っ赤になる。


小さいタケルが相手のことなら、どうってことはない台詞なのに。
ちょっと相手が大きいだけで、こんなに恥かしいのはどうしてだろう。


「あぁ! で? おまえ、ずっとここにいたのか?」
照れ隠しに、ヤマトがさっと話題を変える。
「え! あ、うん! 足くじいちゃったみたいで」
「大丈夫なのか?」
「ちょっと痛いけど、平気」
「歩けないなら、おぶってやるよ」
「え…! い、いいよ。いらないよ」
「いらないってなんだよ」
「だって、恥かしいじゃない」
「は、恥かしいって何だ! 兄弟なんだから別にいいだろ!」
「そ、そうだけど、でも、だって…・!」
言い合って、また互いに真っ赤になる。
続く言葉が出てこなくて、そのまま、ふいっとお互いへと背中を向けた。


なんだか調子が狂っちゃうなあ…・。
と、熱い顔をぱたぱたと手で仰いで、タケルが空を仰ぐ。




見上げた瞳に映ったのは、青い空の下。
小鳥が2羽。
仲良く、戯れるように飛んで行く。
兄弟かな? 
コイビトかな? 
思うとはなしに考えて、急に少し淋しくなった。



今日、みんなのとこに帰らなきゃ。
空間の歪みのあった場所を探して、そこからみんなのいるデジタルワールドに戻って、みんなと合流して、元の現実世界に戻る。
乗り継ぎだらけの旅だなあ。
大輔くんたちは心配してるだろうか? 
Dターミナルも通じないし、第一パタモン置いてきちゃったもんなあ。
もとの世界で待っているお兄ちゃんたちにも、連絡はついただろうか?
とにかく何とかもとの世界に帰って、この歪みをなんとかしないと。
まあそれは、光子郎さんがゲンナイさんと連絡を取り合って対策を考えてくれるだろうけど。
そして、歪みがもとに戻れば。
もうこんな風に偶然、3年前のデジタルワールドに迷い込むこともない。


もう、この。
小5のおにいちゃんにも会えないんだ…。


考えると、言い様のない淋しさに包まれた。
胸の奥が、切なくぎゅっとなる。







――ばさ!





「え?」


いきなり頭の上に何か置かれて、タケルがびっくりした顔で兄を振り返る。
他に誰もいないのだがら、そんなことをする人間も兄しか思い当たらない。

「似合うぜ」

にっこりと笑われて、何がと頭の上を見上げると、花で作られた冠がそこにちょこんとのっかっていた。
「………」
「可愛いぜ」
頭の上の花飾りと目の前でにっこりする兄を見比べて、余りにもぽかんとするタケルに、ヤマトがなんだと眉を潜める。
「お兄ちゃんて…。こういうの作る人だったんだ…」
「な、なんだよ! 花輪くらい、オレだって作れるさ!」
「だって〜。あははは――!」
「何だ、笑うことないだろっ!」
「だってさ、ほら、キャラちがうでしょー? もっと、何ていうか無器用だと」
「うるせえなあ」
ふてくされる兄に、タケルがけらけらと笑いながら、次第に少し泣き顔になる。
気遣って、励ましてくれてるのがわかるから。
笑ってるのに切なくなる。
それを見て、ぽんぽんとタケルの頭を叩くと、ヤマトはそのまま背を向け、やおら細い身体を背中へと担ぎ上げた。
「うわ、な、なにす…!」
「何って、いつまでも此処にいるわけにいかねえだろ」
「そ、そうだけど! でも、だからって」
「うるさいぞ、タケル。ほら、つかまれって」
叱りつけるように言われ、タケルが内心わたわたしながらも、条件反射のようにその肩にしっかりと掴まる。
「…重いよ」
「そりゃあ、2年生よりかはな」
「…恥かしいったら」
「いいじゃん」
「よ、よくない、よ」
「滅多にないことだし」
「…そりゃあ」

滅多にないことだけど。


同じ年のお兄ちゃんに、おんぶしてもらうなんてこと。
滅多にあることじゃない。

中2のお兄ちゃんには甘えて、時々こんな風に、背中に凭れてみたこともあったけど。





小さな背中だ。
肩も細くて。


だけども、頼もしいよ。
なんて頼もしいんだろう。
お兄ちゃん。






耳元で、甘えるように小さく、こそっと囁く。
「お兄ちゃん、だいすき」


兄は、耳まで真っ赤になった。









「おおおーい、ヤマトー! タケルー!」


声と共に、森の中から駆け出てきた巨大な狼に兄弟がはっとなる。

「あ、ガブモン! …じゃあ、なくて、ガルルモン?! どうしたの?」
「オレの背中に乗って! タケルが迷い込んできたデジタルワールドの歪みの場所を、やっと見つけられたんだー!」

     







11につづく。 


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