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『はあ…?』


「はあって言いたいのはこっちだよ」
『ふざけてるんじゃなくて?』
「ふざけてねえよ!」
『…わかってます、言ってみただけですから』


「――光子郎」


電話の向こうの相手を睨みつけるように、受話器を睨む。
ヤマトは椅子を反対向けに坐り込み、その背もたれに顎をのせた。

床の上にはまだぺたりと坐り込んだまま、呆然としている小さなタケルの姿がある。
幻とかじゃなく、どうやら本当にそこにしっかり存在しているらしい小さい弟を、さていったいどうしたものかと困惑して、ヤマトは光子郎に助言を求めることにしたのだ。
ここは本来、小5のタケルがいるべきはずの世界で、今ここにそのタケルはいないとはいえ、過去のタケルと自分が接触することで、何か将来的なことに影響を及ぼすことがあるのでは?と、まあ一応そう考えたわけで。


よくタイムマシンとかで過去にさかのぼって、過去の自分や周囲の人間に接触したことによって、その関係した人間すべての未来が変わっちまった。
―なんてこと、SF小説にはよく出てくるからな。


とっさにそんな考えが浮かんだことと、もうひとつ。
まあ正直に言ってしまえば、この小さいタケルが、まだヤマトにすら怯えているらしいことに躊躇して、今だにそばにすらいけない状態に困りきっているというのが、一番の理由なのだが。
触ってみたくてたまらないのだが、近寄っただけでまた泣かれてしまいそうで。


『とにかく、大輔くんたちの報告を待ちましょう。今のところ変わったことはないみたいだけど。やはり、デジタルワールドの均衡を保っていたチンロンモンの力が弱まって、時間軸と空間に歪みが生じてしまったのかもしれないですね。どこかで過去の時間の流れと接触してしまった部分があるのかもしれない。現実世界のタケルくんが、デジタルワールドに入ったことで、たまたま歪みから落ちてきてしまった過去のタケルくんを、2人同時に同じ世界には存在できないから、こちらに吐き出したのかもしれないですね…』


吐き出しただと!?
ヒトの弟を? 失礼な!!!


むっとしつつも、受話器を持ちなおしてヤマトが聞く。


「だったら、元の時間の流れにこいつを戻してやれれば、別に俺がさわったりしても問題ねえんだな?」
『ええ、たぶん。というか、現在のタケルくんがこの世界に戻ってくれば、同時に過去のタケルくんも、元々存在した時間に戻れる理屈ではないかと』
「理屈…な。まあ、そんならいいか。明日の夕方には、コッチのタケルは帰ってくるわけだし。それまでコイツの面倒は、俺が見るしかねえんだもんな」
『ええ。…っていうか、嬉しそうですね?』
「べ、別にそういうわけじゃねえけど!」
『そうですか? まあ、ご自由にしててください。僕は、とにかく大輔くんたちと連絡を取ってみますから。じゃあ』
「おう、何かわかったら連絡くれよな。じゃ」

電話をピッと切って机に置き、それから、さっきから大きな瞳で瞬きもろくにせず、じいっと自分を見つめているタケルを見、おもむろに同じように床に一緒にへたりこんだ。

まずは、思いきり不安そうにしているコイツを、ちょっとでも安心させてやらねえと。

『来いよ…』
腕を広げて、やさしく微笑む。
小さいタケルは、ぴくっとしてそれを見、しばらく固まっていたが、やがておずおずとそばに近寄ってきた。


うわ。
坐っていても、ほぼ自分の目の高さに大きな瞳がある。
小せえなあ…。
こんなに小さかったっけ? 
小5の自分から見ても、確かに小さかったけど。
だから、自分が何としても守ってやらねばって、そう思っていたんだ。

小さいタケル。
なんか懐かしい…。


想いを込めて、もう一度、声をかけた。
「おいで、タケル…」
タケルは不思議そうに首を傾げて、ゆっくりと、”大きくなってしまった兄”に近づいていく。


「……おにいちゃん、なの…?」


かわいい声がそう呼んだ瞬間。
ヤマトは思わず、その小さな身体をぎゅっと腕の中に抱きしめていた。


「タケル――!!」



会いたかった…! 


心の声が、思わず口をついて出てしまった。
小さな身体が愛おしくて、可愛いくて。









――だけど。




思わず、そう叫んでしまった兄を、まさか。

まさか、デジタルワールドのテレビモニターで十一歳のタケルが見ていたなんて。
そんなこと。




もちろんヤマトは、知る由もなかったけれど――。












          ◇◆◇







タケルがいた。


自分のことを、そんな風に他人行儀に呼ぶのもなんだかおかしいけれど。

タケルだった。

兄の胸に抱き寄せられて、腕に抱きしめられていた。小さい僕。
まだ、今よりはずっと無邪気だった頃。
そんなにたくさんを望んでいるコドモではなかったけれど、兄はずっと自分のそばにいると信じていたし、母も父も、いつしか一緒に暮らせる日が来るんだろうと淡い期待をやめなかった。

母が生活を支えるための仕事に忙しくて、そのため一人の時間が嫌がおうにも増えていたけれど、まだ淋しいとは思っていなかった。
というより、淋しいと思わないようにしようとしていた気がする。
僕は元気。今日も元気。
元気で明るい、甘えん坊で泣き虫の子供。
それが本当かどうかはよくわからないけど、自分のことをそんな風に思っていた。…気がする。
そして母も、”そういう子供”を常に僕に求めていた気がする。

だから、だったのかな。

自分でそういう虚像を作り上げていたのだろうか…。
だとすると、今の自分の方が「地」なのか?
いやそれも、なんだか、どこかがちがう気がする。
本当の自分ってどんなだろう。


けど、どっちにしても。
兄が今の自分より、3年前の自分の方に深い愛情を持っていたのだということは、これで明白だ。


小さい頃は、とにかく必死でお兄ちゃんを好きだった。
そばにいたくて離れたくなくて、必死でその服の裾を掴んでいた。
遅れまいと必死で、ついていきたくて懸命で。

必死で服をぎゅっと掴む、その手を守りたいと、そう言ってくれた。
ぼくの、お兄ちゃん。

今はもう、そんなに必死になることもなくなった。
小走りになるだけで、少し前にいく兄に追いつけたし、隣に並んでも手を繋いだり、腕を取ったりしなくなった。





かわいげの無くなった弟。
可愛くない、僕。



そりゃあ。誰だって、甘えてくれる可愛い弟の方がいいに決まってる。
しかも小さかったら、可愛いがりようだって、並大抵じゃないだろう。









「………」








よかったね、お兄ちゃん。
望みがかなったじゃない?

小さいタケルがよかったんでしょ。
ずっと会いたかったんでしょ。

今、とっても嬉しいんでしょう。
だって、僕じゃなく、ずっと、本当に愛してきたのは……。

それ以上は哀しすぎて、心の中でさえ言葉にすることはできなかった。





(帰るとこ、なくなっちゃったなあ……)










「とりあえず、手分けして、空間の歪みとやらがどこにあるか調べてみるか! 帰る時はさっきのテレビからじゃねえと、光子郎さんちには戻れねえから、予定通り、明日の5時にテレビんとこに集合な! Dターミナルで連絡取り合いながら行こうぜー」


前を歩いている大輔たちから、僅かに遅れて歩くタケルの視野が、ふいに歪んだようにぼやけた。











3に続く…。

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