■ balance 7 ■



        

「わあ、おふろだー! ひさしぶりー!」
「あ、そっか。そういや、アッチの世界じゃ、風呂って滅多に入れなかったよなあ。そら、バンザイしろ」
「え。自分で脱げるよ」
「え? そうだっけ」
「あったりまえでしょ、僕、もう2年生だよ!」

だから、まだ2年生なんだろ?
…と、ヤマトが心の中で呟くが、なんだか記憶がごっちゃになってしまっているようで。

服の脱ぎ着を手伝ってやっていたのは、もっと随分昔の、まだいっしょに住んでいた頃のことだったのか? 
あの頃は、忙しい母に代わって、何でも世話をやいてたっけ。
別段、それと面倒だとか、わずらわしいとかも思わずに。
というか、むしろ進んでやっていたような…。
その名残で、どうも、いくら成長しても世話がやきたくてしようがない。
小5になってしまった弟には、そのことでたまに辟易とされるが。
きっと成人しても、そのうち結婚して子供ができたとしても、それは変わらない気がする。
いくつになったって、弟は弟だ。

まあそれが、当の本人にとって迷惑かどうかは別にして。

「一緒に入ろうねv」
「ん? ああ」
ぱっぱっと服を脱ぎ捨て、ヤマトが脱ぐのを待って、タケルが嬉しそうにバスルームに入っていく。
確かにデジタルワールドでまともに風呂に入ったのって、数えるほどしかなかった気がする。
後は川とは池とかで、適当に洗ったぐらいだよなあ。
じゃばーんとお湯を浴びて、「ふあぁぁ、気持ちイイ!」と無邪気に笑うタケルに、ついついヤマトも顔がほころんでしまう。
「はしゃいでると、また転ぶぞ」
言って、ひょいと抱き上げて、そのまま一緒に浴槽に浸る。
タケルはまた、"はぁあ〜…気持ちいーい"と心からほっとしたように息をつき、それからふっ…と、湯気の向こうで表情を曇らせた。
「どうした?」
「おにいちゃんも、お風呂入れてあげたいな…」
デジタルワールドをさまよっているであろう兄を思って、まるで、自分だけ風呂に入って遊んでいることがいけないことのように、小さなタケルが呟く。
「やさしいな、タケルは…」
「…やさしくなんかないもん。だって、おにいちゃんと遊んでると楽しくて、僕、ちょっとだけ、僕の世界のおにいちゃん忘れてたもん」
"そりゃあ、過去の俺が聞いたらショックで泣くな"と思いつつ、その妬きもちをやくであろう相手がまた自分であることを考えると、何とも複雑だ。
「いいさ。俺はきっと、おまえがあったかくして、腹いっぱいでしあわせな気分でいるんだったら、それで嬉しいと思うぜ?」
「でも…。おにいちゃんといっしょじゃなくて、あったかくておなかいっぱいでも、しあわせなんかじゃないもん、僕」



しょぼんと言うところが、なんとも可愛い。


いい子だなあ。
俺の弟は。
なんて、やさしいいい子なんだ。

しみじみ感動しているヤマトを見上げ、タケルがちゃぽんと湯を掻いてそばにくる。
「おにいちゃんは、デジタルワ―ルドにいる僕のこと。ちっとも心配じゃない?」
下から覗き込むようにする大きな目に微笑み返して、ヤマトが小さな身体を膝の上に抱き上げる。
「心配じゃないわけないだろ?」
「…うん、そうだよね」
「けどまあ、タケルにも、アッチの世界の"オレ"がついているんだし大丈夫だろ。 おまえにも俺がついてる。ちゃんと元の世界に帰してやるから、心配すんなよ」
言って、濡れた手で頭をくしゃくしゃっと撫でられ、大きな瞳がじっと兄を見上げる。
そして、その頼もしげな笑みに安心したように、すぐ自分も笑顔になって頷いた。
「うん…! わかった。ありがとう、おにいちゃん。―あ! ねえ。水鉄砲できる? こうやって、両手でぎゅっとするやつ」
「えっ? ああ、こうだろ? そら」
「わあ、すごい飛ぶー! 上手だね、僕にも教えて!」
「じゃあ、やってみな、ほら指を湯の中でぎゅっとして」
「ぎゅ! あーん、上手に飛ばないよー!? えい!」
「うわ、こっち向いてするなって」
「あ、できたできた。おにいちゃん! 見てみてー! ほらあ」








「眠いのか?」
「う…ん……」
夕食を食べさせ、風呂に入って、ソファに胡座をかく自分の足の間に小さな身体座らせて、髪を乾かしてやっているうちに、テレビを見ていた筈のタケルが、こくりと船をこぎはじめた。
タケルの髪はやわらかな猫っ毛で、細くて量も少なめなのに、ドライヤーにはなぜか時間がかかる。
寝るなよ、もう少し、と言うそばから、もうその身体は前後に揺れてフラフラだ。

疲れたんだろう。
無理もないか。

突然、一人で3年後の現実世界に迷い込んできて、中学2年生の兄に出会い、驚きながらも楽しげに、一緒に時間を過ごしていたが、それなりに気疲れもあるのだろう。
自分の世界の兄や仲間たちのことも気になるだろうし、本当に帰れるのかどうなのかの不安も、小さな胸ではちきれそうなほど抱えているだろう。

ことん、とヤマトの胸のあたりに頭の後ろを預けて、小さなタケルは、くうくういびきをかきはじめた。
「やれやれ」
困ったという顔をして、やわらかな髪をくしゃっと撫でる。
「ほら、まだ乾いてねえだろ?」
それでも、風邪をひかせたりしてはかなわないので、しかたなく、そのままドライヤーの音を小さくして続行し、念入りに髪を撫でながらしっかり乾かす。

白くて、マシュマロのようにやわらかな頬。
上から見ると、ぷくっと丸みを描いているのがなんとも可愛い。
湯上がりの、ほんのり赤いほっぺ。
まだ、手の甲にエクボのある小さな手。
まあるい身体。

お泊り用に、小さい頃から預かっていたままだったパジャマが、今頃役にたったな。
ほとんど袖を通すこともなく、新品に近いまま、タンスの奥に眠っていたけど。

近くに引っ越してからも、最初はそれこそ遠慮がちで。
4月に越してきてから例の8月1日までの間、一度も泊まりにきたこともなかったが。
一度来だすと事あるごとにやってきて、そのうち、週末はほとんどこっちで夕食を食べて、泊まって行くことも多くなった。
母に遠慮もあったのだろうが、当の母がそれを特に気にする風でもなかったので、きっと安心したのだろう。
それでも、パジャマはずっとヤマトの物を借りていて、一向に自分のものを預けておこうという気もないようだったが。

髪が乾いたのを確かめて、ドライヤーのスイッチを切る。
それを脇に押しやって、眠り込んでしまったタケルの身体をそっと腕に抱き上げた。
起こさないように、自分のベッドへと運んでいく。

帰宅した父に見せたら、なんといって驚くだろうか。
けれど、事情の説明に長く長く時間を要することを考えると、かなり面倒だ。
…まあ、気がつかないだろう。
いいか、内緒のままで。
明日、光子郎の家につれていけば、そして、予定の時間になれば。
この子とも、お別れなのだから。
変に、父に会わせて、何か今後に影響が出ても困るしな。

つーか。
何か弁解がましくないか、俺…。
別に、一人じめしていたいとか、そういうわけじゃねえけど。
(けど、きっと、たぶん、そうなのだ) 

思いつつ、ゆっくりとタケルの身体をベッドに下ろし、そっと布団をかけてやる。
「おにいちゃん…」
「あ、悪い。起こしたか…?」
もぞもぞと布団の中で身を丸め、兄を見上げると、タケルが心細げに呟くように言った。
「おにいちゃん。ハーモニカ吹いて…?」

…ハーモニカ?
そういえば、ギターをやり出してから、あまり吹くこともなくなった。

「あぁ、わかった。ちょっと待ってろよ。…ええと」
どこだっけ?と机の引き出しをごそごそと探し、やっとその奥にハーモニカを見つけると、ヤマトはベッドのそばに戻り、静かにそれに息を吹き込んだ。
そして、昔よく吹いていたメロディを、子守り唄代わりに吹いてやる。
タケルは、その音色に安心したかのように、ふわりとまた目を閉じた。

「ありがと、おにいちゃん…」

小さく呟き、瞬く間に眠りへと落ちていく。
ヤマトは、小さな弟がよく眠れるようにと、その横に身を滑り込ませ、何度も何度も同じメロディを吹き続けた。


この音色が、どうかアイツの耳にも届くように――と。


今頃小5の弟も、安らかな眠りの中にいることを祈りながら。










8に続く…。
次は無印ヤマトと02タケルです。
↑の超素敵な入浴中のヤマタケ兄弟のイラストは、想子さまからいただきました〜〜vvv 


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