【廃墟マニヤ File021】

U峠廃線跡(群馬県)

(その7)

茶碗箱

ホーム上の小屋の中に残っていたミカン箱転用湯飲み入れ。

 

2005年Kノ平構内

列車が走らなくなって8年。レール上面もすっかり錆び付いています。

 

鉄道碑

この区間が開通したのを記念してつくられた「碓日嶺鉄道碑」。碑文の内容は開通までの経緯とのことですが、全文漢文なので読む気力(知力?)がありません。

ちなみにこの碑、元は軽井沢駅前に立っていたもので、関東大震災で倒壊。その後、修理して1912年に現在のこの場所に納められたのだそうです。

 

アプト式開通の碑

「碓日嶺鉄道碑」はアプトの碑とかアプト記念碑と呼ばれていますが、ここには「アプト式開通の碑」と彫られていました。

「アプト式」というのはここまで面倒なので説明を省いてきましたが、あきらめて一応簡単に解説しておくと、勾配のキツイ線路を安全に上り下りするための鉄道技術のひとつで、2本のレールの間にギザギザのレール(ラックレール)を設け、そこに機関車につけられた歯車がかみ合いながら進むという方式です。開通当時の機関車の登坂性能を大幅に上まわる66.7パーミル(1000メートル進んで66.7メートル上がる)という急勾配の鉄道が可能になったのは、このアプト式という技術があったからこそだったんですね。

 

殉難碑

いっぽう線路をはさんでその向かい側には「殉難碑」があります。これは1950年(昭和25年)、駅構内で発生した土砂崩れによる被害者の慰霊のためのもの。廃線となった現在もきれいに手入れされ、新しい花が生けられていました。

 

横川側トンネル坑口

この旧Kノ平駅、前後をトンネルにはさまれており、横川側の山には4つのトンネル坑口が開いています。

単純に写真左側の2本が新線用で、右2本が旧線時代のものかというとそうとばかりは言えず、一番左が新線の上り(東京方面行き)用、その隣が旧線時代の上り突込みトンネルを利用した新線下り用のトンネル。その向こうが旧線の第10トンネル、一番右側が下り押し下げトンネルです。

……また、面倒くさい言葉がでてきてしまいましたね。以下興味の無い方は飛ばしてください。

単線時代、Kノ平駅では上り列車と下り列車が交換していた(すれ違っていた)わけですが、長い編成を交換させるには構内の距離が足りなかったらしいのです。そこで行き止まりのトンネルを横川側、軽井沢側それぞれに設けて、一旦そこに頭を突っ込み、今度はバックして反対のトンネルに列車後部を突っこんで列車交換を行っていたということです。

 

車輪止め

新線上りトンネルには、2本の軌道が吸い込まれていってますが、片方は側線で木製の車輪止めが残されていました。車輪止めの少し手前で架線終端となっていたので、基本的にここから先に列車が行くことはなかったのでしょう。

 

旧線トンネル

左側が旧線の本線、第10トンネル。右側は下り押し下げトンネルで、短いため奥に外の景色が見えていますね。

 

信号機

明かりの消えた信号機が、ここが廃線となってしまったことを強烈に感じさせます。もっとも写真の信号機、落石警報用の特殊信号発光機なので、これが光っていたら大変なのですが……。


(続く)


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