【廃墟マニヤ File021】
U峠廃線跡(群馬県)
(その2)
1997年(平成9年)10月1日の廃止直前には、数多くの鉄道マニアたちでにぎわっていたという信越本線・横川-軽井沢間ですが、廃線となって3か月後、一人で訪れてみたところまったく人の気配もありません……って、まぁこの雪ですから当然ですか!?
正直な話、このあたりそれほど雪が降る地域ではないのでナメてました。
一応ソレルのスノーシューズは持っていったのですが、くるぶし丈というアーバン仕様だったため、目的のM変電所まで辿り着く前に、というか写真の進入禁止の看板のあたりで、膝下ずぶ濡れ間違いなしです。凍傷覚悟で進むほどの根性はないので、あっさり撤退を決定。この日は軽井沢でフツーに遊んで帰ったのでした。
さて、屈辱(?)の敗退からおよそ10か月後の1998年11月。気持ちよく晴れ上がった休日に、再びM変電所を目指してやってきました。本当は別の道があるのかもしれませんが、もう列車が来ることもないので軌道内を歩いていくことにします。
線路脇にはこんな標示が。あらためて、ここが鉄道にとって厳しい区間であったことを思い起こさせますね。
M変電所が見えてきたあたりで、蓋の開いたボックスを発見。
中を見ると電話機が入っています。これがいわゆる鉄道電話というものでしょうか? よく見ると手回しのハンドルがついてますね。
ようやく到着! なかなか風格のある建物じゃないですか。
このM変電所は、横川-軽井沢間電化の際に造られた施設で、完成は1912年(大正元年)。ちなみに「電化」というのは、架線を張って、電気モーターを動力とする電車や電気機関車が走れるようにすることですね。
つまり1893年(明治26年)の開通から、電化される1912年までの間は、蒸気機関車が客車を牽引していたということです。トンネルだらけのこの区間で、煙を吐き出す蒸気機関車は厳しかったのでしょう。この横川-軽井沢間は、官営として日本で最初に電化されています。
入口に近づいてみましょう。
覗き込んでみると、内部にはなにも残されていませんでした。
上部にアーチを設けた縦長の窓がいい雰囲気です。写真は曲がっていて気持ち悪いですけれど……。
(続く)
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