【廃墟マニヤ File021】
U峠廃線跡(群馬県)
(その3)
この変電所、建物が2棟あって、写真手前の横川側は蓄電池室でした。列車が上り勾配にかかるときに必要な電力を補うための蓄電池312個が並んでいたそうです。いっぽう奥側(軽井沢側)は機械室で、回転変流器と変圧器が収められていました。
機械室だったような気もしますが、もしかすると蓄電池室の反対側だったかも……。
機械室だったという建物。こちらもご覧のとおり、屋根が半分落ちてしまっています。
1963年(昭和38年)の新線開通によって、このM変電所はその役割を終えました。それから三十数年、ただ目の前を走る列車を見守り続けてきたわけですが、自分を引退に追い込んだ新線もついに廃止。このまま線路跡とともに人々に忘れられ、やがては崩れ去ってしまうのかと思っていたところ、その後修復が決定。2002年(平成14年)7月には新しい姿となって復活を果たしたという話を聞きました。
そんなわけで2005年6月、復活したM変電所というのがどのような姿となっているのかを確認するため、再び横川にやってきました。
1999年(平成11年)には横川の運転区跡を利用して「鉄道文化むら」という施設ができており、前回来たときとは打って変わったような賑やかさです。
U峠で使われていた電気機関車。じつはこの区間、あまりに急勾配のため、電車にこの電気機関車を連結して上り下りをしていました。まあ、そんな手間が廃線となってしまった原因の一つでもあったようです。
ところで協調運転用のジャンパ栓が目をひきますが、これは軽井沢側にしかついていません。さて、なぜでしょう。
……この答えがわかった人は間違いなく鉄道マニアです、というか問題文の意味がわかった時点でマニア認定ですね。
このEF63型電気機関車は横川-軽井沢間専用に開発された車両で、電磁吸着ブレーキという他の機関車にはない緊急用ブレーキ装置など、急勾配に備えたさまざまな機能を持っていたそうです。
特急「あさま」で使われていた車両でしょうか?
「鉄道文化むら」で半日ぐらい楽しく過ごせそうでしたが、じつは今回珍しく、とある廃墟サイトの管理人さんと一緒だったため、素直にM変電所へ向かうことにします。
行き方を調べてみると、新しくできた遊歩道の他に廃線の軌道を利用したトロッコ列車でも行ける模様です。ただ、次の運行時刻まで間があったのと、それに乗ってしまうと途中写真を撮りたくても通過してしまうということで、2人で歩いて行くことにしました。
……が、50メートルも行かないうちにじわ〜っと後悔の念が襲ってきました。なぜならこの日はめちゃくちゃ暑く、日陰のまったくない遊歩道は、照り返しで恐ろしいほどの熱気地獄となっていたからです。
……結局、途中でカメラを構えることもないままM変電所に到着。しかも我々を追いかけるようにトロッコ列車も観光客を乗せて到着するというオマケつきでした。
(続く)
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