昨日 本日

 加茂秀仁 ブログ

 【2005年】
 7〜8月
 9〜10月
 11〜12月
 【2006年】
 1〜3月
 4〜6月
 7〜9月
 10〜12月
 【2007年】
 1〜3月
 4〜6月
 7〜9月
 10〜12月
 【2008年】
 1〜3月


WEB-LOG (ブログ)
 Blog-topに戻る
■ 小さい秋 見つけた ■       2006.9.25


田舎に居た時には、田んぼや小川があったから、トンボの来訪も普通の事だったが、
東京湾沿岸に在住の現在で、果たして…このトンボ達は何処からやって来るのだろう…?
秋の気配を感じる…。
■ 仕事の話 ■       2006.9.15

知る人ぞ知る…そう、僕の本職はTVスタジオエンジニア。
厳密に言うなら、「フリーランス・リニアVTRエディター」という。
一般に解かり易く表現するなら、音楽スタジオのミキサーという職種の映像版である。
ここ数年は、フジTVの番組の編集を多く手がけている。
この年齢(43)になって、まだ仕事がもらえてるって事自体、非常にありがたいと思う。

で、約20年弱やって来てるワケだが、いったいどの位の作品を手がけて来たのだろうか…。
ふと思ったりするこの頃。
ザッと計算してみた感じで、約2000本以上の作品を手がけた事になる。
CMのような時間の短い作品もあれば、2時間ものの作品もあるし、音楽プロモもある。
正直、何を手がけて来たのかも覚えていない作品も多い…というか、殆ど覚えてない^^;(自爆)

昔は、30分番組を1日(=1昼夜)に3〜4本仕上げるのは当たり前であった。
ところが、昨今の仕事となると、10分の作品でさえ1日がかりである…。
世間と同じ様に、放送業界もハイテク化してるのに、編集時間は延びる一方である。
不自由さの中から苦心して生み出した作品の方が、遥かに編集自体はスムースに進んでいた。

これは一重に、総監督であるプロデューサーや、構成作家が、
制作現場の演出手法の細かい部分にまで、必要以上に口を出してしまう事。
もちろん、間違った事は言ってない事が多いのだが、手直しを要求するタイミングが悪いケースが圧倒的に多い。
スタジオとは、そもそも作品の仕上げをする為に利用されるべき場所である。
作品の直し個所を事前チェックし、指摘部分の直しを再度チェックした上で、
はじめてスタジオ本編集させるのが本来の手法だったハズだ。
また、制作現場の若手が、スムースに仕事を進める事への準備・認識不足も大きい要因。
一度出来上がった作品を、また、一から作り直す事も結構多い…。

世間じゃ、「マスコミ・放送業界の仕事なんてカッコイイじゃん!」と言ってくれる人が多いが、
現実、時間も当たり前の様に不規則で、そんなにイイ仕事とはどうしても思えない。
日々の体調管理もさる事ながら、センス・実力が全てだから、変な仕事すれば次は殆ど無い。
ある意味、評価が白黒ハッキリしてて、やりがいのある仕事とも言えるが、
別の角度から見れば、非常にシビアな職業とも言える。
まぁ、しかし、幸いそんな仕事でも20年弱、食っていけてるのだからコレはコレで…(苦笑)。

…、ほとんど愚痴に近い内容になっちゃったかな?(大汗)
■ アッパーカット睡眠 ■       2006.9.14

「アッパーカット」という言葉がある。
格闘技好きな方にはピンとくる言葉であろうが、しいて言うならボクシング用語で、
下方向から打ち込むパンチ…という事になるのであろうか…?

先ほど徹夜スタジオ仕事から帰宅したのだが、その電車車中でのこと。
早朝ゆえ、眠そうな顔をしたサラリーマン・OLサンがひしめく。
最近、OLさん達の"オヤジ化"が恐ろしく進んでる様に感じる。

人目を気にせず社内で化粧する女性、稀だが車中でバクバク物を食う娘、
満員電車での、もろ気の利かないオッサンの様に新聞を広げるOLさん…などなど。
女性だから…と差別してるワケではない。
しかし、女性だからこそ、男以上に見た目には気を配って…と思うのは間違いだろうか?

さて、なぜ冒頭に「アッパーカット」という言葉を出したか…。
よほど疲れが溜まっているのだろう…座席にグッタリと寝込むOLさんが居た。
脚も恥じらいを忘れた状態で開放気味(苦笑)。
で、顔向きは、まさにアッパーカットをくらった様に天を仰いだ状態。
あららぁ〜…って感じである。

最近じゃ、「仕事に生きる女性」って言葉がカッコイイと言われて来てる時代。
僕の業種の世界でも、テキパキ仕事できる女性は歓迎されてる流れにある。
だが…そういう風潮を横目に、目の前で「アッパーカット睡眠」してるOLさんを見たとき、
正直、可哀想というか…そんな気持ちに陥った自分がいた。

頑張れ!日本のOLさんたち!
…でも、身体には充分気を配ってね…^^;
■ すみた(讃岐うどん店) ■       2006.9.5

本日、東京・十条駅から徒歩5分の「すみた」という讃岐うどん店に行ってみた。
店の開店は午前11時。にも関わらず、11時15分に店前に着いた時には、
既に20人程の列が出来ていた。
店舗の見た目は小さな飲み屋風で、
東京のこんなチッポケな場所のうどんが、なぜこれだけの人気なのか、
こんな東京の水で、本当に絶賛されてる"うどん"なんて作れるのか?
正直、半信半疑で並んでみた。
そう、僕は自分で経験しないと納得いかない性分なのである。

約30分待って、やっと店内へ。
せ、狭い!!! 狭すぎるぜ!!!(大汗)
本当に、小さな飲み屋並の店内、厨房含めても10畳程度しかない!(汗)
カウンターは6人も座れば一杯。
テーブル席も、4人がけが2つだけ。
("すみた"さん、ゴメンなさい…汗)

一人で行ったので、カウンター席を案内され、
とりあえず「なめこおろし ぶっかけ冷」と「ざる」を注文。
席に座って10分強で、まず「なめこおろしぶっかけ」が出てきた。
「なんだぁ〜普通のぶっかけじゃん…」
とりあえず"うどん"を一口、
「おおお!こ、これはぁ〜!!!」
"うどん"が確かに生きてるのである!
この透き通る様な、まさに「本家讃岐うどんの麺」ならではのつややかさ、
そして充分な弾力とコシ、歯ごたえ。
なぜ、東京の水で、こんな瑞々しくも美しく、最高に美味しい麺が出来るのだ!?
僕が15年もかけて探し続けてた、まさしく、あの幻の麺であったのだ!

実は、昔、飯田橋の駅前に本当に小さな、小汚い立ち食い店があった。
そこに、讃岐うどんの名があったので、ざるうどんを頼んだ。
出て来たのは、本物のざるに、氷と共に透き通る様な麺が出て来た。
「う、美味い!こんな"うどん"、今まで出会った事がない!」
大盛りは、100円で、もう一玉が追加された。確か…当時で大盛り讃岐ざる=600円だったと思う。
麺は毎日、香川から送られて来ると言ってたし、麺自体も、そこで売ってた。
ずいぶん通ったものだが、ある日、閉店してしまって、それ以来、
僕は、あの讃岐うどんの麺の味を求めては失望の連続だったのだ…。

さて、「すみた」の「ざる」が出て来た。
間違いない…完全にあの味である!
また、つけ汁も東京の讃岐うどん店に絶対アリガチな醤油臭さが無い。
非常に薄味で麺の味を引き立てる。
やっと、やっと出会えたぁ〜〜〜!

かくして僕は、胃が破裂しそうな思いで店を出たのであった…^^;
■ イーハトーボ(讃岐うどん店) ■       2006.9.3

昨日(9/2)の夜から、"ライブスポット宮内家"に遊び(飲みとも言う…^^;)に行った。
気まぐれな僕に急遽、携帯で呼び出されてしまった三田氏(=さんたサン)が既に来ていて、
ギターを弾いていた。
宮内さんと奥様、4人で談笑したりながら、お酒グイグイ…&ギターをジャカジャカ…(笑)。
この日、僕は宮内家の台所を借りて、一部では有名な(笑)「調味料が醤油だけの野菜炒め」をご披露したのだが、非常に評判が良かったw
(奥様のリクエストで、少々塩と味の素が追加されたのだが)
具はキャベツ・ピーマン・もやしだけである。
今度はぜひ、"加茂式野菜炒め"のまんまの状態で召し上がってみて頂ければと…(笑)。

その日は宮内家に素泊まりさせて頂いた。
というのも、実は、かねてから宮内さんから絶賛話を聞かされていた、
「"埼玉一美味しい讃岐うどん"を食べに行こう!」
という事になったからである。

朝9時過ぎに、宮内さん・奥様・僕の3人で宮内家を出て、高速にも乗り、10時半には現地に着いた。
場所は、埼玉の中心部あたりである。
店の名前は「イーハトーボ」。讃岐うどん屋にしては変わったネーミングだ…。
山奥の中にある、民家のイデタチで、単なる"地方のお店"って感じであるが…。
すでに順番待ちのお客さんで店の前はにぎやかであった。
「こんなド田舎の小さなうどん屋に、なぜこれだけの??」
って疑問も感じつつ、期待も同時に沸いて来たのは勿論のこと。

炎天下の中、30〜40分ほど待ったであろうか…やっと店内へ。
思ったよりメニューが安い!
僕は、「生醤油うどん冷し」「だしかけうどん ひやひや」「ぶっかけうどん」の3つを注文。
これでも1050円なのですよ…ビックリ^^;
で、問題のうどんであるが…
見た目は、すき透った感の麺ではない。ただ、太さは讃岐ならではの太さであった。
食感…ン〜弾力性があるというより、かなり歯ごたえがあって、麺自体の味も素晴らしい。
うどんを写真に撮って行きたかったのだが、"店内撮影禁止"と貼ってあったので断念…^^;

宮内さん曰く、東京・十条にある「すみた」のうどんが一番美味いと思ったとの事。
宮内奥様曰く、神奈川・川崎にある「綾」が一番美味いという。
どちらも一度行ってみたいと思っております…(笑)。

よく高速でパーキングエリア?(=休憩所)があるのは知ってるが、普通の道路にも同じ様なモノが存在する事を、この日初めて知った。
「道の駅」…それである。
この言葉自体、初めて聞いたし、親切な宮内夫婦は僕に"道の駅"を体験させてもくれた。
まさに、地域に密着した宣伝ストアとでもいうべきか、その地域の名産物がたくさん売っていた。

宮内さん、長距離運転お疲れ様でした!
ここ数年、列車ブラリ旅ばかりで車で小旅行(っぽかったね笑)気分も味わえて楽しかったです^^

イーハトーボ
すみた
■ 沢田聖子「シオン」 ■       2006.8.11

とかく僕のブログは食べ物の話題が多い(笑)。
その甲斐もあってか、すっかり丸顔になってしまった…(自爆)^^;

という事で、意識して、なるべくサイト本筋である音楽方向の話題を…。

徹夜になる予定の仕事が早目に終わって、本日、終電で帰宅する事が出来た。
フリーランス・エンジニアとしては売上が落ちるので歓迎できない状態ではあるが、
やはり、その日のうちに帰宅できるのは、「人間的な生活してるなぁ〜」と思える事でもある。

帰宅後、好きな酒を飲みながら、ふと、無造作に取り出したCD棚の中の1枚をコンポに入れる。

かかったのは、沢田聖子の"シオン"という曲。
フォーク界の超ベテラン、「イルカ」さんが書いたポップバラード風な楽曲である。
しかし、なんとまぁ…抑揚の薄い歌い方だなぁ…、と聞いていたのだが…。

なぜか、その情景がスッと胸に入ってくる歌い方なのである。
曲の内容は、女学生が想いを寄せる男の子に、控えめに想いを寄せている恋心を歌った曲であるが、 当時の「沢田聖子」さん自体が、18歳くらい…まさに、同世代の気持ちを歌っていた頃のテイクであった。

ココで僕が言いたいのは、"歌が上手いだけじゃ、人には伝わらない"ということ。
その証拠に、最近に沢田聖子さんがリメイクした、この「シオン」という曲を聞いても、
確かに歌は上手くなってるのだが、曲の世界が伝わって来ない…。僕はそう感じた。
なぜだろう…?

それは、沢田聖子さんという歌手が、最初のテイクから年月を経て"大人の女性"になったから…だと僕は思う。
最初のテイクでは、きっと彼女の中に学生時代の、自分なりの風景が広がっていた状態で歌ってたと思う。 でも、今は、「歌を上手に歌ってる」からだと個人的には思う。

似た様な事が、コンポーザー(=楽曲提供者)な事をしてた時代の僕にもあった。

フジサンケイ・グループの某レコード会社(バレバレですわっ^^;)に出入りしてた時、
当時、爆発的に売れていた某女性アイドル歌手の担当ディレクターに、よく曲を持ち込んでた事があった。
ディレクター女史いわく…。
「アナタの曲って、正直、今時の高校生だって作ってるわよ?それに歌詞、こんな詞、中学生だって書けるよね」
そう…、結構キツイ事をポンポン言う人だったのだ…(苦笑)。
しかし…。

「だけど…。何だろう…?スッと中に入って来るのよねぇ〜…、曲と歌詞が一緒になると。…なんでだろうね?」
さんざん作品否定されたのに、こっちが聞きたいわいっ!!!…と当時の僕は思ってた^^;
「実は今、作家がスランプなのよ。全然イイ作品が上がって来ない。この詞、ちょっと見せたいんだけど、借りてもいい?」
「えっ?…あぁ、どうぞ?」
そんなん言われたら、そう返答せざるを得ないじゃないかっ!!!(苦笑)
でも…、僕に作詞の仕事は回してくれないのね…アナタって人は…(涙)。

そう、実は、その年代にしか分からない事があるって事なのです。
歌詞もメロディ〜も、そういう事なのですよ。
もちろん、歌い方もシカリです!(キッパリ)。
その点でいうと、「阿久 悠」さん、「松本隆」さんは時代をワープして、歌い手に合わせた詞を書ける職人中の職人でしょうね。

話の内容が散漫になってしまったが、まぁ、酒飲みながら、
日々多忙で、ちょっと疲れが積算してるのかな…と汲み取って頂いて…(汗)。

簡潔にまとめますと、「その時代にしか書けない曲・その世代でしか伝えられない歌い方がある」
という事でしょうか…??
■ 8月9日 ■       2006.8.9

8月9日…日本在住の皆さんはご存知の筈だが、この日は世界で2つ目の原爆が長崎に投下された日である。
世界的には、とかく広島の悲劇が知り渡ってるところだが、同じ様な惨劇が長崎にもあったという事だ。
なぜ、広島と長崎であったか…風化されつつある今では知らない日本人も多い事だろう。
当時、日本で最大であったとされる造船設備を狙った…というのが学説らしい。

よく考えてみよう。
少なくとも、僕の子供時代には、8/6、8/9には、広島・長崎をテーマにしたドキュメンタリー、
あるいはドラマが必ずといっていい程、TVで放映されていたものだ。
ところが今はどうだろう?
NHKで45分、民放では皆無である。(関東圏TV欄による8/9結果)
これで、どうやって次の世代に、戦争の悲惨さを考えさせる事ができるのだろうか?

僕は、タカ派的な考えは持っていない。戦争は理由いかんせん、絶対に起こしてはいけない派である。
とかく日本人、特に政治家連中は、やたら広島・長崎、神風などを取り出すが、
確かに日本人の犠牲は、兵士のみならず、一般市民まで悲しい事実を刻んできた…。
もちろん、そういった方々の犠牲に、今の僕らの平穏な生活が成り立ってる事を忘れてはいけない。
これは、まぎれもない事実だ。

だが、同じ様に日本人は、それがたとえ、自国の一部の軍人および政治家に洗脳されていたとはいえ、
自国以外の多くの人々の命も奪い、特にアジア圏の方々には多大な悲劇を振りまいた…これも事実である。
武器を持たない無抵抗な人々の命を奪い、女性たちに屈辱的な行為を与えてしまった事も、歴史が物語っている。

それら全て…、自国の事だけでなく、自国以外の事も含めて、次世代にキチンと事実を伝えるべきだと僕は思うのだ。

現在、日本人は長期休暇の際に海外へ出る人が非常に多い。
僕も10年ちょい前、某音楽事務所のアーティストの企画に便乗させてもらってグアムに行った事がある。
グアムなど、日本人がダイビングも含め、よく訪れる南方の島であるが、
僕はその時、「ヘリで島を一周」という現地ツアーに参加した。
ゲスト乗客は僕を含め、全員日本人であった。
海岸線を運行しながら、現地人パイロットが島の内陸を指して、こうつぶやいた。
「ほら、あそこに古い戦車が何台も見えるだろう?あれは日本軍の物なんだよ…」
■ 音楽プロモの話 ■       2006.8.8

僕はメインの仕事として、放送スタジオの編集技術をしている。
一般には馴染みのない特殊職種なのだが、音楽の世界でいう「ミキサー」という仕事の映像版といえば分かりやすいだろうか?
今回は珍しく、音楽プロモに関わった仕事内容を紹介しよう。

部屋にVHSテープ保存棚があり、普段、そこを開ける事はないのだけれど、
何気に開いてみたら、自分が編集担当したビデオもチョコチョコ出て来た。
「アレ?こんな仕事したっけ〜??」
で…デッキにかけてみたら、結構キレイに映ってる…(笑)。
あ…、この映像、何となく見覚えある…(笑)。

今では知ってる人は皆無だと思うが、「松田博幸」という歌手のプロモの殆どを編集した気がする。
どんな曲達だったか…申し訳ない事に、さっぱり覚えていない…(汗)。

あと、「久野かおり」さんの"雨宿り"という曲のプロモと、ライブビデオの編集を担当した。
"雨宿り"は、とてもシットリしたポップバラードで、久野さんの声質にピッタリの秀曲であり、
歌詞もとても美しいし、CDも持ってるが、今でも十分素晴らしい楽曲と思える。
編集時には、実際にスタジオにも来訪し、映像に関しても妥協のないプロな人だった。
とかく"歌手"と呼ばれる方の中には、僕ら技術に対して、態度が横柄な人が多かった。
だが、久野さんはアーティストとしての威厳は保ちつつも、決してこちらを見下す様な態度はとらない人だった。

横柄な態度…思い出したくもない人に、その道では超有名らしい某アニメ声優女史のプロモを編集した事があるが、
僕自身は、全く知らないし興味もない人だったので、後で周りに聞いたら…「あっ、そうなの?」って感じだった。
とにかく、目に余るほどの我侭ぶりには閉口した…(苦笑)。
名前を出すと問題になるのでやめときます…(笑)。

「モーニング娘。」の"ラブマシーン"という大ヒット曲がある。
世間市場に出ているのはCGを駆使したプロモで、目にした人も多いと思う。
実はこの曲、世に販売されてるプロモはバージョン2で、他にもう1バージョンある。
世に広く出てるプロモが納期までに間に合わず、急遽作成されたショート別バージョン…、
その編集を、実は担当している。
短期間にTVで放送されたバージョンだが、これを観た事のある人は非常にレアな音楽マニアさんです(笑)。
メンバーの名前と顔を覚えるのに苦労した記憶が大きい…(苦笑)。

数多くやった音楽プロモの中で、一番緊張した作品がある。
「沢田研二・森本太郎・岸辺一徳」の3人によるグループのプロモ編集である。
知ってる方は分かると思うが、この3人、「タイガース」のオリジナルメンバーである。
で、そのプロモ編集のスタジオに現れたのは、BASS担当の「岸辺一徳」さんであった。
最初から最後まで、プロモ編集が終わるまでスタジオに居て、
自分なりの要望を僕に丁寧に指示したり相談したりして作業を進めた。
あんなに大御所の人なのに、とても礼儀正しい方で、雰囲気は皆さんがTVで観てる"あのまんま"です。
自分が子供時代にTVで観ていた大スターが、僕の目の前で、僕の編集に付き合って下さってる…。
あんなに緊張したプロモ編集は、未だ無い。

「MILK」という女の子3人組のアイドルグループがいた。
この娘達の解散間近かに、プロモビデオを編集した事がある。
プロモ編集後すぐに解散し、うち一人が残念な形で世を去ってしまった。
編集が終わって1ヶ月も経たない間の出来事だった様に記憶している。
おそらく…編集されたビデオは、世に出てないんじゃないかと想像する。
手元に、完成非売品ビデオが残っていたので久々に観てみたが、
映像の中で元気に微笑み歌う彼女の姿を観ていると、何ともやりきれない。
彼女は確か、当時21か22歳だったかと思うが、あまりにも早い人生の決着に
ただただ、無念でならない…。

数多くの仕事の中から、印象に残ってる音楽プロモの話を書いてみました。
■ 思い出の曲 Pert1 ■       2006.7.22

最近、多忙である中、ふと昔のCDを取り出して聞いてみたりする。
ん〜…、どれを聞いても心温まるというか、ホッとする。
ちょっと疲れが溜まってるのかなぁ〜…^^;

きっと、音楽って、一緒に「思い出」も聞いてるんだろなぁ…。
というか、「思い出」を聞いてるんだと思う。
今回は、思い出にまつわる曲を紹介しましょう。

僕が初めて人前で歌ったのは、13歳の冬の、小学校の同窓会だった…。
これね、小学校時代の、自分たちの最後の教室で開催されたんですよ(笑)。
で、当時、ギターの弾けなかった僕は、元クラスメートの帰国子女(笑)のクラシックギターの伴奏に合わせて、
当時、アニキがレコードで聞かせてくれた「かぐや姫」の"22才の別れ"を歌ったのだ…(照^^;)。
その時、僕は変声期で、高い声とか出ずにボロボロだった気がする(笑)。
他に、みんなで卒業の謝恩祭で歌った「青い山脈」「りんごの唄」「学生時代」等、
いまもたまに、ギターでつまびいたりする。

19才か20才の頃、初恋の女の子と、幼なじみの友人として、
実家のある地元の小さな喫茶店で、2人でお茶した事がある。
その時、僕は「春なのに」という曲がスゴク好きだった。
あの季節感たっぷりの歌詞は、目を閉じて風景が浮かぶ様で、
今もって、素晴らしいと思う。
その時、偶然、店のBGMで「春なのに」が流れた。
「オレ、この曲、すっごく好きなんだよねぇ」
「あっ、アタシもこの曲、すごく好き!」
…、単純である…(笑)。それ以来、この曲も忘れられない曲になった…(爆^^;)。
当時の僕はきっと、まだ彼女の事を異性として好きだったんだろう…。
今となっては、純粋に「幼なじみの良き&大切な友人」である。

石川優子という歌手がいた。
僕が21の時だったと思うが、「COLLECTIONS」というベスト盤が出ていた。
この中にある、「風のセレナーデ」「Midnaight Puppet」という曲を聴くと、
忘れられない人を思い出す。
当時、僕は楽器屋の店員を経てジーパン店の店員も経て、
開園時のディズニーランドで仕事をしていた。
その時、好きになった女性を思い出すのである。
今となっては珍しいモノになってしまったが、
カセットテープ・ウォークマンに入れて、いつも通勤時に聞いてた曲である。
心が痛くなるね…この曲を聴くといつも…。

他にも、実はまだまだ在るのだが、今回はコレにて(^-^;)

 Blog-topに戻る