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                                                                       更新記録:H19年04月新規作成
                        平成22年までの近況報告の更新記録 

                         此れまでの近況報告リスト一覧 
                                                      

以下のリストのタイトルをクリックすると、各々の詳細を見ることが出来ます   H22年09月15日作成
平成22年
01月22日 平成22年のご挨拶
2 03月08日 間もなく春が 房総のお花畑を観に出掛けた事を中心にご報告
3 04月16日 新年度のご報告 4月になり新しい気持ちでご報告
4 06月03日 初夏を迎えて 22年度の生涯学習と両親の法事に付いてなど
5 07月18日 梅雨が明けて はやぶさ(小惑星探査機)の帰還、ワールドカップサッカーなど
6 08月27日 終戦記念日によせて 平和祈念式典、沖縄返還時の密約文書など
7 10月05日 第37回国際福祉機器展・他 福祉機器展見学記、ダークマター、測位衛星など
8 11月16日 7回改訂後の近況報告 7回改訂内容、「はやぶさ」の最新情報など
9 12月24日 平成22年を振り返って 娘達の近況報告と、H22年の出来事などのまとめ

                                                                              H21年12月12日作成
平成21年
1 01月21日 平成21年の計画(目標)
2 03月06日 この頃思うこと(最近の出来事) 65才になって思うこと
3 04月21日 4月からの予定(計画) 生涯学習講座、奈良興福寺の阿修羅像展、など
4 05月02日 4月~5月のご報告 生涯学習講座4月~5月の報告
5 07月20日 短かった梅雨が明けて 尾瀬ヶ原の報告と生涯学習講座の報告
6 10月03日 第6回リニュ-アル 最近の心境と、上高地への旅行、生涯学習講座の報告
7. 11月13日 36回福祉機器展見学記(他) 其の見学記録と日々の出来事を中心に
8. 12月16日 平成21年の終わりに H21年の出来事を思いつくままにまとめました
平成20年
1 01月26日 平成20年のご挨拶
2 03月09日 北海道へのぶらり旅(計画中)
3 04月14日 4月の中間報告 お花見やパソコンの移動など
4 05月17日 ぶらり旅をまじかにして 北海道へのぶらり旅、薬師寺の日光・月光菩薩展
5 06月28日 北海道へのぶらり旅を終えて 旅行記
6 08月11日 同 上(まとめ)
7 10月02日 35回国際福祉機器展見学記 第5回リニュ-アル
8 11月10日 アイヌ神遥集を読んで 知里幸恵が残したカムイ・ユカラの文集
9 12月01日 星になったエル この年の11月17日に死んだ愛犬エルの話
10 12月21日 一年を振り返って
平成19年
1 01月16日 2人目の孫の誕生 孫の誕生と最近の血糖値管理事情
2 03月09日 ホ-ムペ-ジ開設4周年 開設4周年と孫達の近況
3 08月04日 セルフメディケ-ション(中間報告) 糖化ヘモグロビンの新情報
4 10月02日 最近の孫達 第4回リニュ-アル
5 11月10日 34回国際福祉機器展見学記 コムスンの介護事業からの撤退など
6 12月16日 2007年を振り返って
平成18年
1 06月10日 ぶらり旅の想い出(その1) 沖縄・屋久島・九州一周の旅
2 07月07日 ぶらり旅の想い出(その2) 鹿児島を中心に
3 08月17日 ぶらり旅の想い出(まとめ) 沖縄・屋久島・九州一周の旅のまとめ
4 10月05日 3度目のリニュ-アル
5 11月25日 33回国際福祉機器展見学記
6 12月20日 3度目のリニューアルに寄せて 3度目の改訂のご挨拶

   

                                                                              -ホ-ムペ-ジのトップへ戻る-

   平成22年(2010年)

    
12月24日

平成22年を振り返って
                
                                                            
 私には三人の娘がおりますが、それぞれの娘達が今年は私達夫婦に大変嬉しいプレゼントをくれました。そこで、
今年一年の締め括りとして、娘達の近況を紹介させて頂こうと思います。

初めに長女ですが、4年半前に大学の研究室での活動を終えてある大手の研究所に勤め、遺伝子やインフルエンザ等の研究をやりましたが、今春からある製薬会社に勤めを変えました。新しい仕事は、海外へ優れた医薬等の開発・販売権を供与したり、国内外の製薬会社間の橋渡し等をする会社で、最近は仕事にも慣れて電話を掛けて来る娘の声が明るくなって来た様に思います。今迄は、アカデミックな研究活動に明け暮れて体調を崩したり精神的に悩む事も有りましたが、 現在は仕事が楽しく充実した生活を(余暇を含めて)過ごしている様です。何でも、海外とのやり取りは全てが英語だそうですが、研究所時代に海外から多くの研究者が集まっている中で一緒に仕事をしたことで、語学力が身に着いたのだと思います。そこで、此れからは多くの人達とのお付き合いを通して、更に幅の広い豊かな人生を歩んで欲しいと思っています。

次に次女ですが、此のホームページにも何度か登場していますが、漸く新居が完成して先日引っ越しをしました。娘が来春小学校へ入学しますので、其れ迄に間に合う様に9月中に着工して先週完成し、その日の内に引っ越しました。
新しい家はオール電化で太陽光発電を取り入れた最新式の家ですが、此れからの返済が大変ですが頑張って二人でやり遂げて欲しいと思います。そして、此れからは孫達も新しい家で大いに飛び跳ねて遊ぶことが出来るでしょう。
新しい家は私の家から800m程離れていますが、私達も来年からは恐らく孫の通学にお付き合いをする事も多くなるでしょうし、両親が仕事で留守の昼間は下校後実家で過ごす事にもなるでしょうが下の孫のお迎えやら何やらで私達も忙しくなることを今から覚悟しています。

そして三女ですが、お陰様で先日結婚致しました。多くの方々に祝福されて、先方の御両親にも気に入って頂いて、
この日から娘の新しい人生が始まりました。正直なところ今は嬉しさと淋しさが交互に心の中を駆け廻っていますが、
しかし、望まれて嫁いで行く娘の親として大変有り難く本当に育てて良かったと思います。何処かで書いた事を覚えていますが、娘は耳の聞こえが悪く一歳の頃から聴覚訓練に通ったり 言葉の教室へ通ったり 発音指導を受けたりと、小さな頃から何としても社会性を身に付けさせようと時間を掛けて育てました。その甲斐有って今では、健聴者の中でしっかり仕事が出来ますし、沢山の友達に恵まれ、海外旅行に何度も出掛け、スキューバーダイビングのライセンスを取りに八丈島迄数回出掛けるなど極めて積極的で、ドンドン自分の考えで行動する極めて前向きな娘になりました
結婚式ではご多分にもれずハンカチを何度も使いましたが、此れからは新しい家族の皆さんにいつまでも愛される人でいて欲しいと思っています。

以上、親バカ振りをご披露しましたが、しかし怪我や病気で結婚式に出席出来なくならない様に体に気を付けながら、今年一年を無事に過ごすことが出来ました。三人の娘達の親として、大変嬉しい一年の締め括りになりました。
  
前回、私の夏場の血糖値が200以上も有り仲々何をしても下がらないことを報告しました。そして、10月上旬からウソの様に下がり始めている事も書きましたが、11月末の受診で何と9月に7.4有ったA1cが6.7に下がり、12月には更に6.3になりました。主治医によると、今年の夏は高血糖の人にとっては最悪な状態だったそうで、多くの高血糖患者が涼しくなると体調が前に戻り、血糖値も下がっているとのことです。やはり、私だけではなくこの夏の猛暑日や熱帯夜が高血糖状態を生んでいたのでしょう。

北朝鮮が韓国の領土である延坪島(ヨンピョン島)を砲撃した暴挙は今回も世界中を震撼させましたが、どうしようもない国で、大変聡明で鋭利な人物で、国民を飢え死にはさせなかった金日成(ジミーカーター元米国大統領の談話)の精神は何処に行ったのでしょう。少なくとも国としての自主性を履き違えた(核開発等)愚弄な金正成と言わざるを得ません。それにしても、国連も主要先進国もその悪質ぶりを看過する現状が腹立たしくさえ思えます。しかも、世の中をなめた最低国家で、気の毒なのは生活に苦しむ北朝鮮の国民で有ることを何故国連がその問題を取り上げないのでしょう。それには、中国の存在があるのでしょうが、内政干渉を理由にこのまま時が流れ国家の崩壊まで待ち続けなければならないのでしょうか(?)今の北朝鮮は自国の都合を繕う悪あがきとしか思えない見難さで溢れています

作詞家の星野哲郎さんが11月15日に85歳で亡くなりました。そしてその追悼番組を見ましたが、「風雪流れ旅」や「みだれ髪」などは私も知っていましたが、まだまだ沢山の作詞を手掛けている事を知り、故人の偉大さを改めて知りました。諺に「虎は死んで皮を残し、人は死んで名を残す」と言う言葉が有りますが、亡くなって初めて4800もの作詞を残されていた事を知り、関係する人達はそのことを十分知っていたのでしょうが、私は初めてその事実を知り、その作詞の多さに驚きました。しかし、多くの人に惜しまれて一生を終る事は誰しもが出来る事ではないその人の実力ですから、世間に知れ様が知れまいが関係無い事かも知れません。漫画家の水木茂さんの様に、元気な内に多くの人に知れ渡る場合も有れば、一部の人達に認められて一生を過ごしたその生き方も、人それぞれの人生なのかも知れません。御冥福をお祈りしたいと思います。

函館の五稜郭に再建中の「箱館奉行所」が今年(H22年)の7月29日に完成していました。此れまでそのニュースを私は知りませんでしたが、私が行ったH20年は建築中でH22年完成の看板が工事用に仕切られた柵に掛けられていた事を覚えています。その時に完成予想図を撮りましたが、恐らく立派に仕上がったことでしょう。函館市のホームページを開くと、幾枚かの画像と共に新しい「箱館奉行所」を見る事が出来ますが、その奉行所を観に何時か妻と行きたいと思います。

JAXAが打ち上げた金星探査機の「あかつき」が金星に到着し逆噴射までは順調に行ったのですが、その後通信が途絶え予備のアンテナを使って調査したところ、逆噴射時間が計画より短かかったのだそうですが、どうも逆噴射時に部品がダメージを受けてエンジンが破損してしまった可能性が高い事が判明した様です。その結果、金星の周回軌道に入れず金星を通り過ぎてしまったとの事です。しかし、その後の追跡調査でまだ燃料が6割残っており、エンジンの破損も部分的であるとの事でUターンして金星に戻る6年後に再チャレンジの望みが有るようです。今のところは残念ですが、その夢を忘れずにいましょう。

 また、ノンフィクション作家の柳田邦男氏の「いのちを支える言葉」と題する講演を聴きましたが、今回の近況報告が長くなりましたので次回に報告したいと思いますが、大変良い話でした。

前回の近況報告で、アルファベットの横並び文字に付いてご報告しましたが、その中で「環境問題」の所で、EPAをアメリカの「環境保護局」のことと書きましたが、その内容に間違いは有りませんが同じ「EPA」が経済関連にも使われている事を見落としていました。そこで、近況報告ページの前回分に此の部分を追記しましたのでご覧下さい。

終わりに、最近秋田県の田沢湖に70年前迄は棲息していた「クニマス」と言う魚が、富士五湖の西湖(一番小さな湖)で生存が確認されたニュースが報道されています。私も4年前に東北~北陸を旅した時に田沢湖にも行き素晴らしいエメラルドグリーンの湖面を良く覚えていますが、発電所からの排水路が辰子姫の銅像の傍に有り、その排水路から強酸性の水が排出されてクニマスが絶滅したそうで、その魚が西湖で見つかったとは驚きです。

11月と12月(上旬)の生涯学習講座の報告
講 座 名 概      要
1 機能性食品としてのキノコ キノコの生物学と環境保全、健康への応用・薬理作用など
2 甲州博徒の群像 江戸明治に生きた「黒駒勝蔵」や「竹居吃安」と清水次郎長との関わり
3 マーケティング・アングルで見る山梨の「食」 MKG論での「欲しいキモチ」の捉え方、山梨の「食」の課題
4 山梨オリジナルの食品加工 食品開発重要要素、山梨の多彩な食材、食品開発コンセプト

おわりに

 今年も富士山や八ヶ岳そして甲斐駒ヶ岳や甲武信ヶ岳が雪化粧をして、山梨にも新年を迎える準備が整いました。
そして、此の一年小生のホームページを見て頂き有り難うございました。今回ご報告しましたように娘達がそれぞれに有り難い大きなプレゼントを私達にくれましたので、来年はそれぞれが恙無く暮らせることを親として願っております。
 更に、孫の成長を心の糧として、来る年も自分達なりの小さな目標を持ち頑張って生きて行きたいと思っています。
それでは今年一年、何かとお世話になり有難うございました。来年も宜しくお願い致します。

今回「飛蚊症」についてご報告しましたが、最近はひと頃より鬱陶しくなくなりました。しかし、もう此れからは車による長期旅行はやりたくても出来ません。その点で、61歳から64歳の4年間に日本の各地を旅した事は私にとって大変良い想い出になりました。そこで、来年からは公共機関を使いワンポイントの旅を妻と二人でやりたいと思っています
しかし、今年の後半は、旅先で車の事故を起こしたり庭木の枝切りなどで脚立から落ちて怪我などをしない様に体を使うことを出来る限り止めました。そうした事に気を付けたお陰で、娘の結婚式を無事に済ませることが出来ました。
有り難く思っております。

11月に開催された大相撲九州場所では、白鵬の連勝記録が63勝で止まってしまったことや大関の魁皇が12勝3敗で勝ち越しそして豊ノ島が14勝1敗で白鵬と優勝決定戦をやるなど色々な話題で賑わいました。そして、今年は力士の野球賭博問題や暴力団との悪しき関わり等で相撲協会が大きく揺れた一年でも有りましたが、来年こそはそうした一連の不祥事を払拭して、優秀な新人が出て来ることを期待したいと思います。

2022年のFIFAによるワールドカップサッカーの開催地が、日本では無く中東のカタールに決まりました。色々と理由が有るのでしょうが、2002年に韓国と一緒に日本で開催されてから20年はまだ早いとの説が有る様ですが、韓国も立候補している訳ですから、他に決定的な理由が有るのかも知れません。3Dを駆使したバーチャル映像を世界中で観て貰うと言うコンセプトはプレゼンとしての効果が少なかったかも知れません。私の生きている間に日本での開催は残念ながら出来そうに有りません。
みに、FIFA(国際サッカー連盟)は Federation Internationale de Football Association(フランス語)で、
本部はスイスのチューリッヒに有ります。

自分の体調管理と怪我や病気に気を付けながらその日が来るのを待ちましたが、お蔭様で娘の結婚式を無事に終える事が出来今は安堵の気持ちと大きな行事が無事に済み何をする気にもなれない気だるさが全身を襲っています。

式の当日は雲ひとつない快晴の青空のもと多くの人達の祝福を受け花嫁の父として大変嬉しい一日を過ごしました。そして、結婚式まではとにかく式の事だけに集中していましたが、済んで見ると年末にやらなければならない事が何も出来ていないことに気付きました。年賀状書きや植木の枝切りなどが全く手づかずです。しかも、次女達の引っ越しがありながらその手伝いが出来なかったのですが、漸くここに来て年賀状書きを始めています。

三女が結婚する前の週に一匹のシー・ズー犬のオスが庭に迷いこみました。体はかなり汚れて毛ものび放題なので、かなり前に逃げ出したか捨てられたものと思いましたが娘の挙式が近付いていましたので、いのちを粗末にする事は避け一週間庭につないで餌をやりました。しかし、キチンと躾けられていて可愛いいのでボランティアの女性に連絡をすると地方紙の情報提供欄に書き込みを入れてくれましたが、今のところ問い合わせは有りません。しかし、毛が多く可哀想なのでワンちゃんの美容室でトリミングをしましたが、最悪来春暖かくなる迄飼う事になるのかも知れません。

それでは、今年はこれまでと致します。皆様、良いお正月をお迎え下さい。来年も宜しくお願い致します。


    
11月19日

 7回改訂後の近況報告
                
前回の近況報告は福祉機器展の報告事項が多く、7回リニューアルの改訂内容をまとめる事が出来なかったので、今回はまず初めにその概要についてお伝えしたいと思います。

 ① メインペ-ジは富士山の画像の変更とContentsの背景色の変更とContentsの中に新たに近年の活動のタイ
   トルを設けて、「生涯学習講座(H21年)生涯学習講座(H22年)と「食育についてのリンク先をひとまとめにしました。
 ② 此れまでは「近況報告リスト」をメインページの最後に載せましたが、「-此れまでの近況報告の更新リストはこちら-
   のページの最初に一覧表を移し其処から更に検索出来る様にしたのでメインページの後半がすっきりしました。
 ③ 同じく、生涯学習講座のページも、其の最初に一覧表を設けて、そこから検索出来るようにしました。
 ④ すべてのページの余白部分の背景を淡いモノトーンに統一して、見易くしました。
 ⑤ 前回改訂以後の記録、例えば「健康管理表」や「アルバム集の「そのほかの画像」と「我家の猫・犬・ウサキ」のH22年分
   を追加しました。
 ⑥ 最後に、「ご挨拶」の7回改訂内容を追加しました。

「礼文温泉うすゆきの湯」と呼ぶ礼文島に出来た温泉が昨年(H21年)開業したことを以前報告しましたが、火山島では無い礼文島には温泉は無理と言われていたものが、H19年に礼文島出身者で京都に住む実業家の寄付により掘削が開始されて1300mの地下から温泉が湧き出た事は礼文島に行った時にバスガイドさんから聞いていましたが
今までその実業家が誰であるか判らなかったのです。処が、ひょんなことからその事実が判りました。それは、サン・クロレラと言う健康食品会社の社長の父上(中山秀雄氏)が礼文島出身であることが分かったのです。そこで、早速調べましたので詳細はデジカメ集のぶらり旅で2008年北海道(東北)をクリックすると、写真集にある礼文島関係の画像の中に青字の説明文で紹介していますので、是非ご覧ください。

小惑星探査機の「はやぶさ」が持ち帰った物質を電子顕微鏡で調べると、岩石質微粒子が約800個検出された様ですが(10月25日現在)、その岩石質の大半は1/100mm以下で、イトカワの物質であるかどうかは10月時点では不明でしたが、11月17日の発表では1500個の微粒子が確認され、それが南極に落下した隕石で地球上には存在しない物質と一致したとの分析結果が公表されました。と言うことは、間違いなくその微粒子は「イトカワ」の物質である事が証明された訳ですが、当初は作業が遅れ気味で12月中の分析開始が難しいとの事でした。しかし、その後作業が順調に進んだ様です。それにしても、今回の発表は改めて日本の科学技術力の素晴らしさを実感しています。
そして、4年後に今回の経験を生かした「はやぶさ2号」が計画されている様なので、今からそれも楽しみです。
また、金星探査機の「あかつき」と太陽光で加速する宇宙帆船の「イカロス」が5月21日に種子島から打ち上げに成功して、
現在「あかつき」は金星に向けて飛行中で年末に金星に到着し、金星の気候を観測する気象衛星となることを目指している様です。一方、「イカロス」は大きな帆を広げて金星に向けて何処迄加速出来るかを現在実験中とのこと。此の二つのミッションもこれからが大変楽しみです。

さて、ダークマター(暗黒物質)に付いては前回報告しましたが、岐阜県神岡鉱山跡に建設中の施設が完成し報道陣に公開されたそうで、その検出器(直径が1mの球形で「XMASS」と言いその中に642個の高感度センサーが取付けられていて、東京大学宇宙線研究所が担当)の性能は米や伊などにある検出器の50倍もあり、10月15日現在高さと直径が10mの水槽に入れられている最中で、来春にも観測が始まるとの事です。施設の在る場所は、ニュートリノのスーパーカミオカンデの近くとの事です。しかし、此の設備の建設費は6億円だそうですから、又々日本の科学技術に対する力の入れようが何ともお粗末に思えてなりません。ダークマターを発見出来れば、間違いなくノーベル賞ものだそうです。

今年のノーベル化学賞に2人の日本の研究者が受賞したことは、4人の科学者が受賞した2年前に引き続き快挙であると思います。しかし、医薬を研究している娘の話によると、この2種類の有機化合物をクロスカップリングする手法はバナジウムを用いて結合させるもので、バナジュウムの他にホウ素等を使うとその反応が極めて効率よく薬の製造や液晶などの工業化に幅広く役立つことを評価した受賞である事は大変嬉しいのですが、このバナジウムによるクロスカップリング技術の発見者は日本にまだ他に数人いることや海外にもその基礎技術に貢献している人がいるそうで、そうした人達に支えらた技術である事をマスコミはもっと幅広く取り上げるべきであるとのことです。いずれにしても、日本には優秀な研究者が他に大勢いる事は大変素晴らしいことです。

チリ鉱山の落盤事故で8月5日から70日間も閉じ込められた作業者33人が無事救出された映像は10月13日(日本時間)の昼過ぎから翌日の午前10時前迄 私もしっかりクギづけになりその作業を見守りました。本当に全員が無事で何よりです。どうか、今後の心のケアにしっかり取り組んで欲しいと思います。

最近の血糖値ですが夏が過ぎると、少し遅れて血糖値が見違えるように下がって来ました。夏場は200を超える日が続きましたが、10月初旬から110~160と半減する日も有り、何となく体調が良くなりました。と言う事はやはり猛暑が影響していたのでしょうか(?)最近はウォーキング中でも汗をあまりかかなくなりましたし、足の運びもスムースです。そこで、ウォーキングをする時の注意点を調べると ①歩く時は頭をあまり動かさない ②ほぼ10m先を見て歩く ③踵から着地し体重を足の爪先に移動して指を地面に押し付けて歩く ④ストライドを少し多目にして歩く ⑤30分以上連続して歩く ⑥暑い日は水分を補給し熱中症に気を付ける、でした。現在は、一日1.5時間を午前と午後に分けて歩いていますが、凡そ7000歩を歩く事になります。そして、今の私にとって体調管理がし易い此の季節が体に合っている事を実感しています。一方、此れから寒い季節を迎えますが、普段は山奥にいる熊や猪が山里に下りて来て人に危害を加える事故が報告されていますが、こうした動物も山に食糧が不足している可哀想な面も有り人間との共生の難しさを感じます。私も最近は山の中を歩かずに平地を選んで歩いていますが、甲斐市にはひと気のない森の中に遊歩道が有り、以前はサントリ-ワイナリ-方面に出掛けては森林浴を楽しみましたが、熊の出没が懸念されますので今はそちらへは行かない様にしています。


奄美大島で10月後半に極めて多量な雨が降り山は崩れて道が川となり、高さが2mを超えるドロ水が多くの家を襲い通信が途絶え長時間の停電と断水になり、その後も雨が降り続く大変な災害になりました。原因は、台風の影響で前線が刺激されて大雨になった様ですが、大変気の毒でした。しかし、報道の中で何処かの大学教授がこうした事が二度と起きないように防災レベルを見直すべきと発言していましたが、日本全国にその防災基準を全て適用しようものなら日本が立ち行かなくなることも考えずに、ただ思いつきだけの発言は如何なものか(?)と思います。

将来の地球の食糧危機を救うかも知れない「ユーグレナ:日本名をミドリムシ」について、TBSが「夢の扉(番組名)」で紹介していました。(10月24日に放送)ご覧になった方もいるかと思いますが、その「ユーグレナ」は藻類の一種で植物と動物の両方の性質を持ち、光合成による繁殖力が極めて高くしかも、高い栄養素があることから、十分食糧になり得ることと、光合成により地球上の炭酸ガスを酸素に代え(地球温暖化防止に有効)しかも、将来は燃料として使う事が出来る魔法の生き物なのだそうです。現在、ある起業家がこのユーグレナに着目し社名も同じ「ユーグレナ」にして、サプリメントや食品を販売しているそうですが、その社長はかなり若く「出雲充」氏と紹介していました。しかし「ユーグレナ」と呼ぶ藻の一種が学問的にはまだ判らない部分も有る中で、この生き物が今後クローズアップして来るかも知れません。

明治から昭和に掛けて活躍した韮崎出身の小林一三の展示会が県立美術館で開催されましたので見て来ました。
小林一三は明治時代に活躍した甲州財閥の一人で昨年の生涯学習講座でその存在を知りましたが、阪急鉄道を
復活させ宝塚歌劇団を創設し鉄道の終点にデパートを造り鉄道の沿線に分譲住宅を開発する等を手広く事業化した人物として学習しましたが、この展示会を見て新たな知識を沢山吸収しました。全てを書くとキリがないので要点のみを書き出すと次のようになります。

 ① 一三は慶応義塾の学生時代に小説を山梨日日新聞に投稿したり、卒業後は三井銀行に入行し、大阪や広島、
   名古屋等の支店を転勤した後、大阪で当時経営に行き詰まった箕面有馬電気鉄道を再建する中で、阪神急行
   電鉄から阪急鉄道へ成長させ発展させた人で、文人でもあり宝塚歌劇の脚本を手掛ける等多彩な人物でした。
 ② 今の宝塚に温泉を作りその余興として少女歌劇を立ち上げ、優秀な講師を招いて宝塚歌劇としてレベルアップ
   させたり、遊園地や動物園、更に野球場を造り阪急ブレーブスの生みの親等の地域開発に取り組んだ様です。
 ③ 宝塚歌劇団を東京に常設し、東京宝塚劇場と名付けたその中から東と宝を取り東宝グループが生まれたこと。
   また、田園調布を開拓し幾つかの鉄道をまとめて経営を五島慶太に任せた話などは東急の創業者が五島慶太
   と思っていた私はビックリしました。
 ④ 古美術品の収集や魯山人の器や掛け軸(与謝蕪村など)等、大阪の池田市に在る逸翁美術館収蔵の古美術の
   展示も見事でした。逸翁(いつおう)は小林一三の茶人としての雅号だそうです。
 ⑤ ビジネスホテルの原形を東京の新橋に造り、当時一流ホテルが一泊10円以上の宿泊費であったのに対して、
   客室数を600室以上造ることで3円50銭の安い料金にしたなど、まだまだ書き出すとキリが有りません。 
 ⑥ 新宿と梅田に在った(今はない)コマ劇場を作ったのも小林一三で有ったことも知りませんでした。

最近、やたらとアルファベットの横並び文字が登場しますので、ノートにまとめたものをご参考迄に紹介します

 ① ASEAN(Association of SouthーEast Asian Nations):東南アジア諸国連合のことで1967年にタイ・インドネシア
                                  ・マレーシア・フィリピン・シンガポールの五カ国で設立した。
                                  現在は、ブルネイやベトナム、ミャンマー等が加わり10ヶ国
                                  体制
 ② APEC(Asia Pacific Economic Cooperetion):アジア太平洋経済協力。APECは太平洋を取り囲む21エコノミー
                              による協力枠組みで、 APECには多種多様な国と地域が参加して
                              いる(現在21ヶ国)為、APECメンバーの国・地域を指す場合には
                              「エコノミー」と呼んでいる。世界の凡そ半分のGDP、人口貿易額
                            を占め活発な貿易と投資をエンジンとして世界の成長をリードしている
 ③ FTA(Free Ttade Agreemennt):自由貿易協定(通商上の障壁を取り除く事を目的とした2国以上の国際協定)
 ④ TPP(Trans Pacific Partonership):環太平洋戦略的経済パートナーシップ協定で、APECに参加している国の
                          内で現在9ヶ国が加盟している自由貿易協定(FTA)
 ⑤ G20(Group of Twenty):20ヶ国・地域首脳会合(G20首脳会合)及び20ヶ国・地域財務大臣・中央銀行総裁
   (今回は韓国が主催) 会議(G20財務相・中央銀行総裁会議)の参加国・地域である主要20ヶ国・地域のこと。
                  主要国首脳会議(G8)の参加国・地域(欧州連合)及び、新興経済国11か国を含む。
 ⑥ G8(Group of Eight):8ヶ国の首脳会議で、政府首脳と欧州委員会委員長(EUのその年の議長国が持ち回り)
                 が毎年集まり、国際的な経済、政治的課題について討議する会議(その他の国の首脳や
                 国際機関の代表も例外的に出席)。合わせて、数多くの下部会議や政策検討も行われる
               主要8ヵ国:日本、アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、イタリア、カナダ、ロシア

  (2010.12.24追記)→主要国首脳会議(しゅようこくしゅのうかいぎ)は、主要8ヶ国首脳会議とも呼称される。
             一般には「サミット」と呼ばれることも多い。サミットは首脳の地位を「山頂」に擬えたもの。
               ロシア参加前は「先進国首脳会議」、G7(ジーセブン)、先進7ヶ国首脳会議と呼ばれていた。
              
 ⑦ WTO(World Trade Organization):世界貿易機関で1995年に設立。それ以前はGATT(General Agreement on    
                         Tariffs and Trade:関税および貿易に関する一般協定で1947年設立)で
                         関税や輸出入規制等貿易上の障害を排除し、自由かつ無差別な国際貿易
                         をチェックしていたものをWTOに進化させた。
   
 H22年12月20日追記
前回の近況報告で、アルファベットの横並び文字に付いてご報告しましたが、その中で「環境問題」の所で、EPAをアメリカの「環境保護局」のことと書きましたが、その内容に間違いは有りませんが同じ「EPA」が経済関連にも使われている事を見落としていました。そこで、今回此処に追加したいと思います。

 EPA(Economic Partnership Agreement)経済連携協定:経済条約のひとつで、自由貿易協定(FTA)を柱とし
                                       て、関税撤廃などの通商上の障壁の除去だけでは
  EPAの詳細を、ジェトロの下記URLで見る事が出来ます   なく締約国間の経済取引の円滑化、経済制度の調和
   http://www.jetro.go.jp/theme/wto-fta/       ・サービス・投資・電子商取引などのさまざまな経済
                                  及び、領域内での連携強化・協力の促進等をも含めた条約
                     
 11月13日~14日に日本で開催されたAPECで「横浜ビジョン」の形で共同宣言がまとまりました。今後、TPPへの加盟が加速される事でしょうが、日本は工業立国ですから農業等への慎重な対策が必要ですが、JA等がTPP反対を訴えていますが、日本全体を見ていない狭い考えと思えます。此の他、環境問題に関する以下二点を紹介します。


 ⑧ EPA(Environmental Protection Agency ):アメリカの「環境保護局」のことで、1970年に設立された。
 ⑨ COP(Conference of the Parties to the UN Framework Convention on Climate Change)10は国連気候変化
   問題会議の事で、今回は生物多様性をテーマに10回目の国際会議が名古屋で開催された。生物多様性とは、
   進化の結果として多様な生物が存在しているというだけではなく、生命の進化や絶滅という時間軸上の変化も
   含む概念。因みに、京都議定書により地球上の二酸化炭素を削減する協定が出来ましたが、COP3としてまと
   められた。尚、COPの次の数字は開催された順番を意味します。

娘達が建築中の住宅が現在工事中ですが、私のウォーキングのコースでその方面に行く時は、カメラで進捗状況を撮っています。11月18日現在では全体の80%程度迄進んでいますので、12月中旬には引き渡しが出来そうなので、完成が今から楽しみです。

改訂以後の生涯学習講座の報告
講 座 名 概      要
1 食生活と糖尿病&メタボ 平安時代の病気と死因、糖尿病とは、糖尿病とメタボの関係
2 甲州を描いた浮世絵師達 安藤広重、三代目豊国、国芳、葛飾北斎と山梨との関係
3 山梨における「週末農業」の現在 週末農業(林業)の実態、企業の週末農業(企業の社会貢献)

おわりに
 10月の初めに7回目のリニューアルをした時にも書きましたが、お彼岸の前日の山梨は35℃以上あった気温が、その当日になると25℃以下となり一気に10℃以上も下がったのですが、それから更に一ヶ月が経たない10月下旬に日中の気温が9℃と言う寒い日が数日続きました。秋分の日の前日と較べて、ほぼ一ヶ月で25℃以上も下がったことになりますが、今年の夏の暑さがまだ忘れられないのにあまりの気温の急激な変化に私だけでなくきっと皆さんも戸惑いを隠せずにおられることでしょう。あれ程動かなかった兎のルカが、今は居間中を元気良く飛び跳ねています。
それにしても、夏から一気に冬を迎えた様で秋を楽しむ間が有りませんが、その中で街路樹の葉が色づいたその落葉の絨毯の上をサクサク歩いては、私は毎日のウォーキングを楽しんでいます。

10月に再放送されたNHKの古代史ドラマスペシャルで「大仏開眼」と言う2回続きの番組を見ましたが、それは聖武天皇の娘(安部の内親王で後の孝謙天皇)と遣唐使として唐に渡った吉備真備(きびのまきび)との若い男女の淡い恋心を中心に、聖武天皇とお妃の光明皇后、そして吉備真備と共に唐に渡った僧の玄
昉、それに天然痘に罹り兄弟を失った藤原仲麻呂や人は心で動くものである事を唱えた行基を中心に奈良時代の大仏造営に関わる物語で、大変見応えのあるドラマでした。その中で、吉備真備と阿倍内親王の心の葛藤や、藤原仲麻呂が藤原氏の勢力の拡大を目論んで吉備真備を大宰府に左遷させたり唐へ再び追いやるなどの強硬な権力争いに終始し、中央集権化を強固にして行く中で、聖武天皇は大仏を造営する事で国内の安定を図ろうとしたこと、そして唐から戻った吉備真備が藤原仲麻呂と戦い最後は彼を征伐する迄の物語でした。私は、最初は安部仲麻呂と藤原仲麻呂の区別がつかなかったのですが、阿倍仲麻呂は遣唐使として結局日本へ帰れなかった人物であり今回のドラマで全くの別人である事が良く判りました。

10月中旬に清里高原へ行きました。久し振りに紅葉を観たいと思い秋の清泉寮を訪ねたのですが、1200mの標高に有りながら殆どの木々はまだ紅葉していませんでした。しかも、駐車場が大変混雑していましたので清泉寮を諦めて清里駅へ40年振りに行って見ると、駅前広場は見違えるように整備されていましたが、駅前に活気がなく閑散としていました。何でも、バブル期に年間300万人が訪れた観光客が今では200万人が精々で、しかも観光客は駅前では無く郊外の牧場等へ行ってしまうそうです。なるほど、土産物店やレストランがあちらこちらで店仕舞いしていました
そこで、清里はそこそこに帰り道は長坂に在る日本名水百選に選ばれた「三分一湧水」と「平山郁夫美術館」へ立ち寄り帰路に着きましたが、後日 NHK甲府で寂れて行く清里を繁盛している軽井沢と比較して私の見た通りを放送していましたが、ここ十数年来駅前を再開発して来なかった事が今日の清里駅前を寂しくさせているとのことです。
そして、清里へ行った17日の日曜日は清泉寮の収穫・感謝祭の最終日で、私は何も知らずに出掛けたのですが、
駐車場が混雑していた訳が後になって判りました。

現在、京都に在る「銀閣寺」が一昨年から修理中ですがその中で分かって来たこととして、金閣寺(鹿苑寺)が金箔で覆われているのに対し銀閣寺が木の地肌のままである事自体が判らなかったのですが、今回の修理で銀閣寺は外壁に黒いウルシを塗り、その上に白土を塗り重ねて最後はミョウバンで塗り固めて白地を固定していることが判ったそうです。其処で、金箔の鹿苑寺に対して、白色の慈照寺を銀閣寺と呼んだのだそうですが、銀閣寺を建てた足利義政は権力争いに敗れて、詩歌や花鳥風月を愛でた粋人として世を過ごす中で銀閣寺を造りその二階から月を眺めたそうです。処で、金閣寺も荘厳で素晴らしいと思いますが、私は銀閣寺のひっそりとした佇まいの方が侘び寂びがあり趣が有る様に思います。

尖閣諸島沖で中国漁船が日本の巡視艇に衝突した事件について前回書きましたが、11月10日にその時撮影されたビデオがYouーTubeで世界に流出してしまいました。しかも、神戸の海保の保安官が関わっている事が判り、現在日本中が大騒わぎをしています。中には、その保安官を英雄扱いするメール等も多数あるそうですが、国益に関することを公務員が独断で漏洩する事はたとえ、それが国民に賞賛されたとしても罰は罰として受けなければ、法治国家として断じて許されない行為であると思います。確かに多くの人達がビデオの公開を望んでいた事は事実でしょう。しかし、公務員としての守秘義務は如何なる場合で有っても守らなければならないと私は思います。今回検察は当事者を逮捕せずに任意で守秘義務違反を調べるそうで、世間ではその賛否が分かれている様ですが、此の事件の根が深いのはYouーTubeで世界に動画を流出させた点に有り、此れを許すと今後の日本の秩序が崩れてしまうと言う重大な問題をはらんでいる点です。動画流出は問題ないとする意見は、其れこそ偏った考えで有り、どうも日本人はこの様な誤った正義感への共感に弱い面が有ります。

ミャンマーのアウンサンスーチーさんが7年半ぶりに自宅軟禁から解放されたニュースや、日本の女子バレーボールチ-ムが大活躍している情報など明るい話題が続いています。そして、J2サッカーのバンフォーレ甲府が11月14日にJ1に昇格が決まって山梨県民として大変嬉しく思います。又、白鵬が63勝で連勝がストップしたのは残念でした。



10月05日

 第37回国際福祉機器展見学記 ・

9月29日にビッグサイトへ出掛けて福祉機器展を見学して来ました。今年は、再び6ホール(昨年は5ホール)に戻りましたが、出展企業(海外を含めて)は昨年並みで、例年出展していた電動車イスのセリオ(台湾)を今回見掛けませんでしたが、電動車イスの交通事故が多発している事と関係が有るのでしょうが、昨年から全てヤマハからOEM供給(又は、ヤマハから当該製品事業の引き受け)を受けている事も関係しているのかも知れません。しかし、今年は昨年に比べて各社かなり細かな所で新規性を出していましたので、気付いた点を以下に書き出して見たいと思います。

1)昨年出展しなかったヤマハ発動機が今年は復活しました。今回の特長は、木造家屋の中で使う車イス(手動)の幅を極力狭くして、廊下やドアを通り易くした作品と、電動車イスのモーターをACサーボにして、操作者が運転し易い様に例えば加減速度や数センチの微速移動、及びジョイスティックの応答性などを本人に合わせた数値にして外部から入力出来るコントローラーを含めた「ジョイユニットX」と呼ぶ作品で、どの様な車イスにも取り付けが可能なユニットを出展していました。試乗して見ましたが、ジョイスティックをどんなに早く倒しても急発進せずスムースに移動出来る走り易さが特長でした。とにかく、ジョイスティックの操作に慣れない高齢者にとって、自分に合った設定が出来るところが素晴らしいと思います。

2)住友ゴム工業(ダンロップ)が「ダンスロープライト」と呼ぶ段差に敷く傾め材を二つ折りにして持ち運び易くした製品を展示していましたが、カーボンファイバーFRP素材を使用し長さにより重さが違いますが一番長い2mもので10kgとの事でした。(耐荷重は300kg)

3)JAXA(宇宙航空研究開発機構)が宇宙船内で着る服を介護用に作り直して展示していましたが、スペ-スシャトルや宇宙ステーション内は狭く、洗濯が出来ず、清潔にする必要がある事から、素材選びや簡単に着替えられるように、そして光で洗濯をしたり不快な臭いを吸収する研究の成果を地上で生活する要介護者に適用出来る衣服にして展示し研究者がそれを紹介していました。JAXAは小惑星探査機の「はやぶさ」や測位衛星の「みちびき」でその高い技術力を見せてくれていますが科学技術ばかりでなく、衣類の分野でも研究・開発している事が良く判りました。

4)今回は車椅子や簡易トイレに木材を使った作品を多く見掛けましたが、金属や樹脂を使用したものよりも温かみが有り高齢者にとって心が和む様に思います。

5)NEDO(新エネルギー・産業技術総合開発機構)が車椅子に乗ったまま電動3輪車を運転出来る大型の車を出展していましたが、時速40kmが出せるそうで来年春にYDS(メーカー)から発売されるとのことでした。
(朝日新聞の9月30日朝刊の社会面に此の車の写真が載っています)

6)トヨタ自動車が昨年出展した車の屋根に車椅子を格納する自動車を見ましたが、車椅子をたたんでベルトで上部にに引き上げる操作性が昨年は十分でなかったのですが、今回は実にスムースで、簡単に格納出来ていました。また、専用の電動車イスを室内から出したアームで車イスごと車内に引き込む福祉車両を見ましたが、電動車イスの4つの車輪を内側に倒してから引き込む(スペースを最小にする)アイデアに感心しました。

7)その他、スギヤスが階段昇降機のレールの取り付けを改善し、壁から100mmの出っ張りにして世界最小と説明していたりパナソニックが洗髪ロボットを出して実演していたり、今回は各社が工夫している点が目に付きました。
しかし、全体としては大きく目立つ出展が無かった事は福祉機器展が作品としてひと頃の華やかさを無くしているように感じられます。一方、かなり広い特設会場を6スペース作り、福祉のスキルアップ講座や腰痛の予防と福祉機器
コーナーなどのプレゼンを日替わりで行う企画や電動車イスを試乗出来る特設コーナーなどがありましたが、製品の出展ではなく、こうした啓蒙活動等も今後増えて行くものと思います。

9月11日にNHKの番組「小さな旅」で北海道の利尻山が放送されましたが、国井アナを案内して登った渡辺さんは2年前に利尻島へ行った時に泊まった民宿のご主人でした。そして、画面に出たお名前が何か記憶の隅に有りましたので、到着時間を知らせた当時のメールの交信記録を調べると正しく「渡辺敏哉」さんでした。私の記憶力もまだまだ捨てたものではないと思いました。その利尻富士は私が行った日は雲の中で見ることが出来なかったのですが、番組では快晴の利尻富士が映り、山頂
からの眺めも最高でした。そして、今度は妻と二人で利尻島と礼文島に行きたいと思っています。

宇宙に存在するはずと考えられるダークマター(暗黒物質)の研究が話題になっています。少なくとも、銀河系が回転運動するのに必要なエネルギーは、現在光学的に確認出来る全ての惑星の質量の10倍以上ないと理論上成立しないそうで、僅かな質量を持ち光学的には確認出来ない物質(素粒子)で自らが光らないか又は反射しない物質が宇宙上に無数存在している、それを暗黒物質(ダークマター)と考えて現在研究者達がその物質を懸命に見付け出そうとしていると言うのです。
(NHKのクローズアップ現代で放送)またまた、私の好奇心をくすぐるテーマが見つかりました。

測位衛星「みちびき」が9月11日にH2Aロケットで打ち上げに成功したニュースは「ハヤブサ」の時の様な注目度が今ひとつでしたが、しかし再びJAXAが日本の高い技術力を世界に知らしめた快挙であることに間違いはなく、私は大変喜んでいます。その「はやぶさ」ですが、帰還から3ヶ月以上経つ今も日本中をその人気が駆け巡っていますが、大変良い事で嬉しく思っています。しかし、「みちびき」は日本全土を24時間カバーするには3基以上の衛星が必要だそうで、現在成功した衛星一基だけでは8時間しかカバー出来ないのだそうです。しかし、アメリカが開発したGPS(Global Positioning System)の位置情報の精度が10m程度に対して「みちびき」は1mの精度で、しかもビルの影などの影響で精度がズレてしまう現在のGPSを考慮すると、あと2基以上が必要なのですが700億円を超える予算の目途が付かず全システムの構築が完成するには至っていないのだそうです。

昨年は衆議院選挙で民主党が大勝し、今年は参議院選挙で大敗すると言う何とも政治が混沌とした一年でした。
しかも、円高と株安で日本経済の行く末が見えない中で、私は年金制度が崩れない限りは世間並みの生活を送る事が出来ますが、此れから子育てをしなければならない若い人達にとって、将来に不安を抱かざるを得ない難しい局面です。しかし、此れも世界を牽引して来たアメリカや欧州の自国の経済が疲弊して来ていることや中国を中心に発展途上国の勢いが止まらない中で、その出口が見い出せない日本がどの様に発展を続けられるかが誰にも判らない、極めて不安定な状況の中に居ると言う事でしょう。しかし、そうした中で小沢一郎が先の民主党の総裁選で敗北しましたが、日本国民のバランス感覚は素晴らしいと思います。秘書に全ての責任を負わせた政治家としての道義的責任は日本人には馴染まない事を彼は其れに気付かずに旧態依然の政治家で終わるなら、それは残念な事と思います。処が、このホームページを転送する前日(10月04日)に、検察審議会が小沢一郎を強制起訴する議決をしたと言うニュ-スが入りました。今後、彼は政治活動を辞するべきと思いますが、暫く見届けたいと思います。

大阪地検特捜部の主任検事が、厚労省の係長が独断で偽証明書を作成したFDのデーターを改ざんした罪で逮捕されると言う極めて許し難い事件を起こした事は、根底から検察への信頼を失墜させるその悪質性とその調書により被告の刑罰が決まるその信用性が地に落ちたという点で強い憤りを覚えます。そして、主任検事の上司達(特捜部長と副部長)も最高検察庁により逮捕されると言う前代未聞の事態となりました。一方、今まで被告として扱われて来た村木厚子さんの無罪が確定し、厚労省への復職が決まり今度は内閣府で新しい仕事に着く事も決定し、一貫して部下が単独で作成したことで自分は指示を出していないと無実を訴えて来た彼女の意志の強さと周りの人達の温かな支援のお蔭で有る事も判り、大変清々しく思いました。しかし、データー捏造問題に対しては更に厳しい処分が今後下されるのでしょうが、所詮人間のやる事に完璧は無いとなると、人間社会の空しさだけが残ります。そもそも、調書の裏付けとなるデーターの書き換えが裏で行われ検察が描いたシナリオの証拠固めに使われるなどと言うことが法治国家として有ってはならないことと思います。

尖閣諸島の魚釣島で中国漁船が海上保安庁の巡視艇に体当たりした事件で、本来尖閣諸島は日本固有の領土と認められているのに中国と台湾が自国の領土を主張し、漁船の船長を日本の法律により逮捕・拘留していることに
中国が日本を痛烈に非難た事は日本の国益を揺るがす重大な問題ですが、そうした中で逮捕した船長を検察が突然処分保留で中国に返還したと言う何とも割り切れない結末になりました。しかし、9月30日の予算委員会のやり取りをテレビで見ましたが、質問者は検察に対して国家権力の介入が有ったのかどうかと質問をし、一方では検察に責任を押し付ける政治力が働かない内閣と非難しましたが、考えて見ると結局どうにも答え様のない単に上げ足とりと言葉尻をとらえて質問者を有利にしようとする魂胆が見えているやり取りに終始していました。しかし、この様な討論では、
中国との互恵関係を続けようとする現在の日本にとって有益な議論になっていないと思います。結局、日本はこうした議論が欧米の様にロジカルに展開出来ていない事を実感しました。そうした点も踏まえて、やはり外交力(折衝力)が日本は劣っている事も事実であると思います。その点、9月26日に駐日米国大使が長崎を訪れてコメントしましたが、来日が予定されるオバマ大統領に対する事前外交とも受けとれる対応で、実にタイムリーに行われたことをお見事と言わざるを得ません。

日本相撲協会が力士の野球賭博や暴力団との関わりで窮地に追い込まれている中で、秋場所が漸く開かれて白鵬が全勝優勝をなしとげしかも、62連勝で終わった事は嬉しい限りです。しかも、カド番の魁皇が勝ち越して九州場所で彼の取り組みを見ることが出来るのも今から楽しみです。巷では、九州場所は勝ち越しても引退の噂が有りますが、その様な心ない記事に惑わされることなくしっかりとした魁皇らしい相撲を見せて貰いたいものです。

ほぼ毎日、午前と午後に分けてウォーキングを心掛けていますが、この夏はとにかく暑くそのたびに下着やシャツを着替えていましたが、最近は涼しくなり午後に着替えるだけで済むようになりました。そして、我が家の猫とウサギも
思いっきりお腹を板の間につけて暑さをしのいでいましたが、今は再び活動が活発になりました。特にウサギのルカは広い居間中を元気よく飛び跳ねています。しかし、間もなく寒い季節を迎えますので、今度は寒さ対策に気を使うことになりますが、そうした季節の変わり目の中で今が一番過ごし易く、そうした中で毎日歩いています。

9月に厚木市で開かれたB-1グルメの大会で、甲府の「鳥モツ煮」が日本一に選ばれて街が賑わっています。元々蕎麦屋の賄い食が受けて商品化された様ですが、27年山梨に住む私は今迄全く知りませんでした。それが全国一になると県外からも鳥モツ煮を食べに来るようですし、今迄全くメニューに無かった中華料理店にも「鳥モツ煮あります」の貼り紙が出るほど、経済効果抜群の甲府市とその近隣です。そして、娘が鳥モツ煮を先日買って来ましたので食べましたが、コリコリしていて美味しく頂きました。当分山梨は此の話題で持ち切りになるでしょう。

9月の生涯学習講座
講 座 名 概      要
1 おいしさの科学 味と香り(匂い)を科学的に解き明かす楽しい講座です
2 金山衆と戦国時代 甲斐金山のイメージ、金山衆とは、甲斐の金山など

おわりに
 別府の秘湯に車で出掛けた若い看護師の女性が殺されると言う事件が9月の初めに有りましたが人気のない物騒な山奥にある温泉は恐らく現地へ行くまで安全でない事を知らずに其処へ行ったのだろうと思います。此の点で私の場合は温泉に行く事が目的では無かったのですが、やはり九州を一周した時に九重連山の鬱蒼と茂る森の山道を走った時は、もしここで車が動かなくなって野宿をする羽目になったら危険で心細いだろうと内心不安になりましたが、車の旅は楽しい半面状況を良く判断しながら行動しないと何処迄も行ける代わりに取り返しのつかない事態に巻き込まれるリスクがあると思います。此れから事件の状況が判って来ると思いますが、気の毒で可哀想な出来事でした。

さて、8月の近況報告で埼玉の山中で遭難者を救助に向かった防災ヘリが墜落し5人の乗員が亡くなる事故について報告しましたが、又しても屋久島の山中で登山道の整備資材を搬送していたヘリコプターが墜落し2名の乗員が亡くなる事故が有りました。屋久島は年間雨量が1万mmの場所ですが、当日は曇ってはいても雨は降っていないとの事なので、天候が原因ではなさそうです。しかし、とにかくこうした事故が多過ぎます。操縦ミスなどの人的原因かどうかは判りませんが、いずれにしても起こそうとして起きた事故では無いと思いますが、点検や整備に問題が有るのであれば、より慎重に対応して欲しいと思います。

9月の後半に、台風12号が太平洋沿岸をかすめて行ってからは急に涼しくなり、いつもジャンバーやジャケットを着ていますが、こうした季節の変わり目には驚いてしまいます。そして、気温の大きな変化にいつも私の体がついて行けませんが、とにかく体に力が入らないのです。しかし、9月20日頃までは35℃を超える暑さに辟易していましたが、自然を相手にうまく乗り切れない自分が情けなく思う毎日です。それでは、11月中旬に次回のご報告をさせて頂きますが、天候の変り目に皆さんも体調を崩さない様に気を付けてお過ごし下さい。



6.

08月27日


 終戦記念日によせて 
                                                          
 今年も終戦記念日を迎えました。1945年(昭和20年)8月15日から65年になりますが、私は終戦記念日が来るとその年に生れた私のすぐ下の妹がもし元気でいれば、今何歳であるかを毎年来る終戦の日を知ることで思い出します。60才で癌の再発で亡くした妹ですが、あれから5年が経つことも思い出し、妹を懐かしく偲んでいます。

そして、広島で行われた65回目の平和記念式典にパン・ギムン国連事務総長とアメリカを代表し駐日大使、それに英・仏からも政府要人が初めて参列し、長崎でもイギリスとフランスの代表が初めて参列する等、ようやく核兵器廃絶へ向けての盛り上がりが始動しつつあることを喜ばしく思います。特に広島では、原爆投下国のアメリカと核保有国のイギリスなどの初参列は、歴史に残る出来事と言えるでしょう。2度と再び核兵器は使わないと言う人類の悲願の為に地上に存在する核兵器の根絶と一部の核兵器開発を進める国へ国際社会が協調してその中止を呼び掛ける活動をこれからも続けなければならないと思います。

終戦記念日が近付いたある日、NHKで「万世飛行場」を紹介していましたのでインターネットで調べると、鹿児島県南さつま市の吹上浜に在った飛行場で、陸軍が15km離れた知覧だけでは沖縄へ飛び立つ特攻隊の出撃が間に合わず、急遽万世飛行場が作られた事、滑走路は短く舗装されず土のままで、此処から201名の尊い命が飛び立って行ったと言います。そして此処にも平和祈念館が平成5年に造られましたが、万世飛行場の事を知る人は少ないと書かれていました。私も、鹿屋、知覧そして出水で特攻隊の若者達を知ることが出来ましたが、万世飛行場のことを知りませんでした。詳細は下の「万世飛行場」でご覧頂けますが、写真集の4枚目に有る子犬を抱いた笑顔の航空兵
(まだ17才)と4人の仲間達の写真は胸が熱くなる一枚です。是非見て下さい。 万世飛行場

終戦記念日と沖縄返還
私はNHKで「若泉敬 沖縄返還密使・外交戦の舞台裏」と言う番組を7月31日に見ましたが、テレビ番組の内容を基に感想を書きたいと思います。

それは、沖縄の本土復帰に関し当時の佐藤栄作首相の命を受けた国際政治学者の若泉敬がアメリカ側と交渉した時に沖縄に貯蔵された核兵器は一度撤去するが、「有事の際は再持ち込みを認める」という日米の秘密合意議事録に両国首脳がサインをしていた、と言う事実から始まりました。

「知っているのは4人だけ、ニクソン、佐藤、キッシンジャー、若泉」そして、黒子役に徹し決して歴史の表舞台に出る事はなく、秘密は棺まで持って行く決意だった若泉が沖縄本土返還の1972年(昭和47年)から22年が経つ1994年(平成6年)に「他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス」と題する600ペ-ジにも及ぶ著書を文芸春秋から発表していたと言うものでした。そして
若泉は他に方法はなかったのだと信じて欲しいことを心から訴え関係者にお詫びと反省・自責の念などを訴えて、沖縄戦没者墓地で自殺を考えたがその時は思い留まり 2年後に郷里の福井の自宅で青酸カリによる自殺を図った(享年67才)というものでした。

私は、この番組を見て更にネットで調べて行く中で、若泉が此の様な国家機密を暴く著書を出すに至った事情と最期
は自らの命を落とす覚悟について、現在の所3つにまとめられると思っています。

① 若泉がアメリカ側と交渉した時の密約について、本土返還の条件交渉の中で「有事の際は再持ち込みを認める」
  という文言を入れざるを得ない苦渋の選択の中で、「核抜き・基地本土並み」を当時の佐藤首相が常に主張し
  若泉は沖縄に有る米軍基地が本土返還後に負担が軽減されることを信じて文言を承諾したと思うのです。
  それは、「他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス」と言う著書の表題に明らかに彼の思いが込められていると思うのです。

② しかし、沖縄が本土復帰した1972年(昭和47年)以後も米軍基地は軽減されるどころか「日米同盟」を軸に益々
  強化され沖縄の負担を救おうとした自分の思いとは掛け離れて行った。そうした絶望感が彼にあったのでしょう。

③ そして、此のことが一番大切だと思うのですが、返還後に官僚主導による其々の政府がいずれも「非核3原則」を
  言い続けて、関係者間では公知の事実で有りながら最後まで国民に隠し続けたこと。国同士の交渉ごとに密約は
  大局的に見て避けられない場合も有ると思いますが、しかしその後「核を持ち込ませず」が形骸化されて行く事で、
  しかも官僚も政府もそして国民も沖縄に対する問題意識が極めて薄いまま過ぎて行く事に当事者として我慢がな
  らなかったと言う事が真実なのでしょう。少なくとも「他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス」は出版された平成6年(16年前)
  以後も此のことを問題視する世の中の動きは極めて少なかった、と言って良いでしょう。私はこの番組を見るまで
  機密文書が有ることは薄々承知していましたが、若泉敬の存在を知りませんでした。

私は以上の事を知る中で、元官僚の一人が発言した次のひと言にがく然としました。外務省の元官僚は記者の質問に対し「機密文書はすでに過去の問題である」と平然と言い切ったのです。そのような機密文書が存在していたことに対する自身の考えを述べるのではなく、自分は無関係で反省の必要は無いとする官僚達に政治の主導を任せて来た政治家達のだらしなさにも呆れ、今後は決して”官僚主導による政治”に戻してはいけないことを痛切に感じました。

今年は日航機が御巣鷹山に墜落し520名の犠牲者を出してから25年が経つのですが、事故が起きた昭和60年
(1985年)は、当時勤めていた会社の移転で山梨へ移って2年目の年でした。その翌年に開催された甲斐路国体に向けて、娘達がマ-チングバンドの猛練習を毎日やり、翌年の本番に向けて模擬国体が開かれた年でもありました。
 
 処で、墜落原因が事故以前に実施した圧力隔壁の修理作業に問題が有り、当該部に金属疲労が生じ隔壁が破壊されて尾翼関係と油圧系統が致命的なダメージを受け操縦不能になったとされていますが、隔壁の修理方法に原因が有ったとしても、隔壁が金属疲労を引き起こす第2・第3の隠れた要因が無かったかどうか、事故報告書の中では公表されていない別の原因が無かったかどうか(?)ヒューマンエラーを含めてもう一度残されている残骸を調査する必要性を感じます。今さら何を、ではなく圧力隔壁の修理方法を含めたその検証と修理方法、それと点検方法がどうであったかなどを改めてトレースする事が、事故の再発防止につながると思います。私の場合も、クレーンの事故調査を幾度も経験しましたが、事故原因は複数の原因が重なってメイン装置が故障する場合が多い事を何度も確認しました。装置が壊れる要因がボルトの閉め忘れで有ったり、正しい調整がされていない為に、そうした幾つかの不具合が重なって大きな事故につながることを25年が経つ飛行機事故のニュ-スを見て当時を思い出しました。

今年の夏は梅雨が明けた途端に各地で35℃を超える猛暑日が続いていますが、太平洋高気圧の勢力が強く今年は冷夏の心配が無かった代りに、熱中症などで亡くなる高齢者が数百人規模で増え続いています。そして、8月中旬には台風4号が東北北部を横断して行ったり、北海道や青森で大きな水害が発生するなど自然災害が後を絶ちません。私も、ウォーキングの時に必ず水を飲んでから更にペットボトルの水を途中で飲みながら歩いていますが、なにも暑い最中に歩かなくても良さそうなのですが歩かないと夕方の血糖値が上がりっぱなしで体に良くないので、なかば諦めて歩いています。それでも、血糖値が180レベルの日が多く早く涼しくなって欲しいと願っています。

今年も、遭難した登山者の救出に向かった防災ヘリが山中に墜落し5人が犠牲となる事故が有りましたが、またその事故現場の取材に入った民放記者達が沢に転落し2名が死亡すると言うアクシデントもありました。かと思えば、海上保安庁のヘリコプタ-が墜落したり、老人が富士登山で亡くなり北海道の日高山脈ではキャンプ中の大学生達が増水した川に流されて亡くなる事故などが続いています。また、アメリカのユタ州では景勝地を観て回る観光ツアーで小型バスが転倒し数名が亡くなったりサウジアラビアの近くでプラント会社社員が交通事故に遭い4名も死亡しスイスではアルプスを走る氷河急行が脱線転覆し日本人が一人死亡する事故が有るなど国内外で事故が多発しています。

 話は変わりますが、スイスの鉄道技術はレベルが高く、20数年前に自動倉庫の安全視察で欧州に出向いた折りに
鉄道に関してはフランスとスイスの技術がドイツよりレベルが高い事を知り感心した事を良く覚えていますので、今回の事故原因が「単純な速度の出し過ぎ」とする報告には正直ガッカリしました。それにしても、時速50km程度で脱線の原因が線路の敷設方法や車体の構造にも問題が有る様に思いますが、レベルの高いスイスがどうしたのでしょう。

ぶらり旅の想い出
 平成17年~20年(2005年~2008年)の4年間に車でほぼ日本中を観て回る事が出来ましたがあれから2年が経つ今、体力と気力が充実していたあの時期に行く事が出来て良かったと思っています。今から20日間掛けて一人で旅をしようと出掛けても、恐らく途中で帰って来てしまうでしょう。それに、最近では1万歩を連続して歩くと、途中で休みを入れないと疲れて歩けなくなりますし、以前より気力も続かなくなりました。

そう思う事のひとつに、ウォーキングをしていると町中を走る車の速度がとても速く思えて何でそんなに早く走らなければならないのか(?)と首をかしげてしまいます。それに、すれ違う車が怖くなることも有ります。2年前に北海道を旅した時に道内の車の速度がとにかく早過ぎて運転するのが怖かった事を覚えていますが、日常生活の中でも何で世の中こんなにも忙しく生活をして行かなければならないのか(?)、それほど急がなくても良いではないかと思う様になりました。私がそう思うのは、此れからはゆっくり生活をして行けば良い(スロ-ライフを心掛ける)と思う様になった事と、周囲が余りにもせせっこましく動いていることへの反発が最近の私の気持ちの中に生まれていることも事実で、
確かに体力・気力共に一時の勢いがなくなって来た様に思います。

 一方、よろよろと歩く年寄りを見掛けると「ああはなりたくない」と思う気持ちと、余りに節度に欠ける年寄り(例えば、ス-パ-の試食コ-ナ-で爪楊枝で何度も何度も試食品を口に入れている老人など)を見掛けると、見苦しくさえ思う事が有りますが、此れは高齢化社会がもたらすものなのかそれとも、世の中がせち辛くなったと言う事なのか良く判りませんが、最近こうした光景が目に付くようになり気になって仕方が有りません。
ぶらり旅の想い出が思わぬ話しになってしまいましたが、体力と気力が充実していたあの頃に実行出来て本当に良かったと最近つくづく思います。妹夫婦も先月、北海道に10日間車で行って来たようですが、さぞかし楽しい旅で有った事でしょう。今度会ったら沢山話をしたいと思います。

7月の生涯学習講座(8月はお休み)
講 座 名 概      要
1 農の視点から振り返る山梨ワイン 山梨ワインの歴史と課題、そして今後の展望など
2 ”食”と体温調節 摂食と体温、免疫、睡眠の関係と熱中症について

おわりに
 長女が夏休みに友達を連れて帰省し次女達家族と3女も来て、はからずも我が家は全員集合となり賑やかなひと時を過ごす事が出来ました。その長女も帰り今は再び2人だけの静かな生活に戻っています。そして、今年の高校野球は大量得点差の試合が多く優秀な投手が多くいた事でも十分楽しむ事が出来ました。特に、興南(沖縄)の島袋投手や聖光学院(福島)の歳内(さいうち)投手などはプロになって活躍が期待出来るでしょう。とにかく、私の大好きな沖縄の其の興南高校が春夏を制覇し優勝旗を沖縄に持ち帰る事が出来ましたが、沖縄の人達の喜びが伝わって来るようです。

処で、
数ヶ月前からどうしても血糖値が高くA1cも7%を超えていますので、暑いさ中ですがウォーキングを午前と午後に分けて毎日8,000歩を目標に歩いています。そこで、診察の折りに主治医に基礎食を少なくして良いかどうか聞いて見ました。答えは少しずつ少なくして良いとのことでした。確かに私の場合は基礎カロリ-を15単位(1200kcal)で計算していますが、若い内は15単位でも60代後半では13単位ぐらいでも良いのかも知れません。それに、夏バテしてはいけないとヨーグルトや、チ-ズを食べて栄養を補っていますが、その関係からか体重が2kg増えていますので、夏の暑さ対策は必要と思いますが、糖質を控え目にする代わりに蛋白質を摂り過ぎるのは良くない様にも思います。少しずつ食事を変えて見ようと思っています。

 それでは、此の先7度目の改訂作業に入りますので、次回は10月の初旬にお目に掛りたいと思いますが、途中の経過は、私の「掲示板」でお知らせしたいと思いますのでご覧下さい。まだまだ残暑が続きますが、健康に気を付けてお過ごし下さい。


5.

07月18日

 
 梅雨が明けて 
                                                         
 前回の近況報告の後で私を大変感動させてくれたのは、なんと言っても小惑星探査機の「はやぶさ」が無事に地球に帰還したことです。それは私が永く勤めた会社を退職した翌年の7年前に、3億kmの彼方に有る小惑星「いとかわ」に向けて「はやぶさ」が打ち上げられて、2年を掛けて無事に「いとかわ」に着陸し「いとかわ」に存在する物質をカプセルに採取して帰還する途中で、はやぶさの行方が分からなくなってしまったと言うニュ-スを有る時知ったのですが、しかしその後何の情報もなくいつしか私も忘れていました。それが、はやぶさの僅かな信号をとらえることに成功し、6月13日の夜にオ-ストラリア南部の砂漠に流れ星となって無事に帰還したのです。そして、カプセルも回収出来たと聞き安心をしました。
ニュ-スに寄ると、JAXAの関係者達の懸命な努力と幸運がもたらした成果であるとのことで、最後まで追跡を諦めなかったスタッフへ絶大な拍手をおくると共に、世界に向けて日本の技術を誇らしく思えてなりません。しかもNECが大きく貢献していることも判り、前回の山崎直子さんが無事に帰還した話題と共に久し振りに明るいニュ-スが聞けて、技術を志した者の一人として大変嬉しく思いました。

ようやく関東甲信の梅雨が7月17日に明けましたが、今年も集中豪雨による土砂崩れや川の氾濫などで大きな災害が各地に発生しています。しかも、梅雨明けしていない地方が有りますので、此の先さらに大きな被害にならなければ良いがと思っています。私も少々の雨で有れば傘をさしてウォ-キングを続けていますが、雨の日は通過する車がはねた雨水でズボンが濡れてしまうので晴れた日の方が気持ち良く歩けます。それに、最近は一度に6,000歩以上歩くと疲れて途中で休みたくなりますので、方法を変えて午前と午後に分けて歩く様にしましたが、すると8,000歩~9,000歩を歩く事が出来る様になりました。
60代前半は1万歩以上を歩いても疲れる事はなかったのですが、今年67才になる現在は確かに足腰が弱って来たことを実感します。そして、60代後半から70代前半に掛けて心身が落ち着かないことが有ると話してくれた先輩の話が正しくその通りで、足腰が弱って来た事を含めて自分の心と体の安定を心掛けねばと思っています。

サッカ-のワ-ルドカップが南アフリカで開かれて、日本もベスト16まで進みましたが、パラグアイ戦に敗れてベスト8へは行けませんでした。しかし、日本選手は大活躍をして日本中を盛り上げてくれた事は大変良かったと思います。しかし、私はワ-ルドカップ開催前の試合に日本チ-ムが全て敗れてしまい、今後本当に大丈夫かと心配をしましたが、一方マスコミは、岡田監督を散々けなし続けて置きながらいざ本番で勝ち進むと今度は一転してどの番組も賞賛すると言う余りにも情けない報道をしたものだと苦々しく思っています。しかしそれにしてもドイツの水族館に居るタコのパウルが全ての勝ちチームを当てたとのことで、驚きです。この話題で世界中が沸き返っていますが、久し振りに明るいニュースでした。

それと南アフリカの治安が悪く安全に開催出来るか世界中が心配しましたが、大過なく終わってまずまずでした。此れから南アフリカが発展することを願っています。マンデラ元大統領もさぞかし喜んでいることでしょう。最初は煩かったブブセラの音にも次第に慣れてサッカーを盛り上げていたことが今では懐かしくさえ思います。

口蹄疫に罹った牛や豚が6月18日以降にその発生が無く全ての処分も終わり、7月中旬には解除宣言が出せる所まで進んだのですが、7月5日になって宮崎市内で一頭の牛に新たな感染が見つかると言う事態となり何とも気の毒でなりません。私達はただ見守ることしか出来ませんが、宮崎の畜産農家だけではなく、宮崎県とその周辺の人達の生活までが大変な犠牲になっている訳ですが、しかしながら、伝染病では致し方がなく早く沈静化して欲しいと願うばかりです。
私も、4年前に九州を旅した時に、高千穂峡から宮崎に入りその後 延岡と日向へ行き、そして西都原で多くの古墳を観て宮崎市へ向かい、日南海岸を走り都井岬の御崎馬に合った後は飫肥城を観に行った宮崎での2泊3日の旅でしたが、今も懐かしく覚えています。早く解決をして宮崎県が元気になって欲しいと思います。

参議院選挙結果
 民主党が惨敗し自民党とみんなの党が勝利する結果となりましたが、確かに誰もが言う様に自民党の消費税10%増税に相乗りする形で突然民主党が財政再建を図る上でこの問題をみんなで考えて行こうと打ち出したことが一般庶民に嫌われ、それが敗北の最大の要因であると思います。なにも選挙のこの時期に打ち出さなくても良いのに、あまりにもタイミングの悪さがこうした結果を生んだものと思います。
私も財政健全化のために消費税を上げる考えに賛成ですが、しかしじっくり時期を見て打ち出しても良かったと思います。そうした意味で民主党の戦術は完全に失敗だったと言えるでしょう。 


大相撲の野球賭博問題
 最近の話題が参議院選挙ではなく、大相撲の野球賭博から始まり名古屋場所の開催の是非やNHKの相撲放送中止などに発展しています。勿論、賭博はそれ自体が公営ギャンブルを除き違反行為ですが、日本人の気持のどこかに賭博を許す(大目に見る)部分が有り、そうした常習性が今回一気に表面化して来たように思います。賭けマ-ジャンやゴルフの握りも違反行為なのでしょうが、少なからず誰もが違反行為と思わずに、此の程度で有れば許容範囲と思っている事は否めない事実でしょう。しかし、野球賭博が暴力団の資金源となると此れは別の話で、こうした行為が許されるはずはないと思います。相撲協会も、旧態依然の古い考えを此の際洗い出して、新制相撲協会となって出直して欲しいと思います。
私も、テレビ中継を楽しみにしていましたが、名古屋場所が開かれたことを良しとしてテレビ観戦を諦めることにしましたが、それにしても6時半からのダイジェスト放送は結果が早く判るのは良いとしても、何か味気ないものを感じます。

甲府空襲展の見学
 甲府市街が昭和20年7月6日の夜に139機のB29により爆撃されて1127人が犠牲となり、市街地の74%以上が焦土と化した事を展示室の写真と説明で知る事が出来ました。私はこれまで甲府空襲の事は知っていましたが、陸軍の練兵場が現在の山梨大学の近くに有り、しかも「玉幡飛行場」と言って現在の釜無工業団地(私が勤めた会社の在る所)が昔は陸軍の飛行場で有ることより、米軍が此の2箇所を空爆しその周辺が巻き添えになったものと今迄理解していましたが、其れは大変な間違いで東京空襲と共に中小都市を無差別に空爆する計画の中で、甲府も市街の殆どを970トンの焼夷爆弾で爆撃したのだそうです。目的が陸軍の施設ではなく日本の各地の市街地を無差別に爆撃したことが真実でした。

しかし、甲府駅前から下る「平和通り」から石和方面に掛けての地域の焼失が特にひどい事を尋ねると、其処には山梨特産の水晶加工の町工場がその地域に多く、当時は水晶を使った計器を軍に納めていたことが、狙われた要因ではないかと係の人は話してくれました。確かに頂いた資料によると、東京空襲が325機のB29による爆撃に対して甲府空襲は139機と極めて面積に対して爆撃機の数が多いことも、軍需産業を壊滅しようと試みた米軍の意図が其処に有るような気がします。そして、焼夷爆弾の構造と焼け焦げた実物を見る事が出来ました。(焼夷弾の仕様:長さ50cm、直径8cm、重さ2.7kg)

最近判ったこと
 何処かで書いた様な気がしますが、最近家の内や外を歩いていると急に体がふら付いてよろけることが有りますが、その原因が2つ有る事に気が付きました。その一つは、2年前に遠近両用メガネを買ったのですが、そのレンズが遠から近までの度数が連続して変わる多焦点レンズで、慣れて来ると少し頭を上下に動かすとかなりの範囲で焦点が合い例えば体を近付けて見なくてもキチンと焦点が合うので実に便利なのですが、反面 薄暗い階段を降りる時に頭と共にメガネが動き、踏み板を安定して見る事が出来ない為に体がふら付く事に気が付きました。そこで、階段の壁に手をついてゆっくり降りることにしました。処が、結果的に足の筋肉をかばう事になり、足の筋力を弱めてしまった様に思います。

2番目は最近ふくらはぎがつったり痛くなったり真冬でもないのにその原因が良く判らなかったのですが、どうも階段で足をかばうことに理由が有る事を、メガネによる原因と考え合わせて気付きました。
つまり、階段で足をかばうことがふくらはぎの筋力を弱めてしまい、その結果遠く迄歩くとすぐに足が疲れてしまったり、ふくらはぎがつったり痛くなる事に気が付いたのです。そこで、階段を降りる時は頭を極力動かさずにゆっくりと壁に手をつかずに両足のみで降りる様にしました。そうした試みを続けて見ると足の筋力が強くなり、以前よりふら付く事が改善されしかも遠くまで歩くことが出来、ここ一ヶ月はふくらはぎのトラブルもなくなりました。そこで、足がふらついたり歩けなくなるのは歳を取ったからだけではなく、原因がメガネの焦点に有りそれにより足をかばったことにあったことも判り、歩く時は少し遠くを見て頭を余り振らない様に歩き、脚力を衰えさせない運動を心掛けて歩く様にしています。何でも直ぐに諦めて年齢の精にしてはいけないことを学びました。

最近の生涯学習講座より
 樋口光治(農民活動家)と天野久(戦後の山梨県知事)の講座が目新しく大変勉強になりましたので、
下記のリンクでご覧下さい。

生涯学習講座
 前回ご報告以降の講座は以下の通りです
 

講 座 名 概      要
1 動いて、食べて、眠る 食と運動との関係、健康を支える要因など
2 昭和初期の山梨の農民運動 農民運動家「樋口光治」氏を中心とした小作争議などの紹介
3 山梨の農業教育の現状と課題 農業教育の歴史と今後の課題
4 天野久とその時代 昭和26年から16年間山梨県知事を務めた人物の紹介

おわりに
 今年もパソコンのマウスにハンカチをかぶせて汗対策をする季節になりました。高温多湿のこの時期は、キ-ボ-ドも週に一度はアルコ-ルでキ-を拭いて汗による汚れを取らなければなりません。自身の体調管理と共にひと仕事が増える今の季節ですが、此れから本格的な暑さを迎えますのでお互いに体調管理に努めて体をこわさないように気を付けましょう。そして、今年こそゲリラ豪雨に見舞われたり、逆に冷夏にならない様に異常気象のない夏であってほしいと思います。それでは夏の後半に再び近況報告をした後で7回目のリニュ-アルの準備に取り掛かりたいと思います。皆さん体に気を付けて夏を乗り切りましょう。


4.

06月03日


 初夏を迎えて
                                 
 5月の連休も終わり清々しい初夏の季節となりましたが、でも、30℃を超える日が有るかと思うと、翌日は10℃そこそこで、何か本格的な初夏ではない最近の陽気となっています。皆さんお元気ですか。私は4月に行った諏訪大社の御柱祭で長時間座り続けたのが影響して足と腰を痛め、あれから1カ月半が経ちますがまだ完全に治っていません。そこで、毎日のウォ-キングが辛いのですが、一度痛めると治るのに時間がかなり掛ることを経験しました。

4月の後半に寒暖の差の激しい時期が有りました。24℃の日が有れば、次の日は8℃を超えない真冬日が有り、
しかも翌日は再び初夏の陽気になるなど、こうした気温の急激な変化には前回も書きましたが私はストレスが溜まり、体調が極めて不安定になります。こうした季節が2月から4月に掛けて続いたことも影響してか、4月の後半から私は左足のふくらはぎが初めはかなりツッタ状態が続きその後はふくらはぎが腫れて歩く事が出来なくなりました。そこで、連休中に孫と畑作りを楽しみにしていましたが、結局仲々良くならず中止しました。そして、ウォ-キングも中断しましたが6日後に漸く再開しやや遅れましたが急ぎ畑を作り野菜の苗を植えました。66才は若くはない事を実感しています。

4月から始まったH22年度の生涯学習講座が4月・5月で5回も開かれて、ノ-トへの整理に時間が掛りましたが、又新しい気持ちでチャレンジしたいと思っています。今回は昨年の講座と一部重複する講座も有りますが、新しい講義内容で得た知識をネットで調べて中身を膨らませて行こうと思っています。順次ご報告して行きたいと思います。

4月の下旬に両親の法事をしました。父が亡くなり早いもので6年が経ちましたが、合わせて母を亡くしてから32年が経ちますので、父の7回忌と母の33回忌を東京の菩提寺で兄妹夫婦で済ませました。法事が済み遅めの昼食を摂りましたが、何かホットするものがありました。そしてその席で私は以下の様な話を皆にしたのですが、要約すると次のようになります。

 私が父を生前から良く思っていなかった、と言うより反面教師としてのわだかまりを持っていることは妹達も承知していますがしかし、この辺で父を許してあげよう、そして自分もこの呪縛から自身を解きはなそうと思っていることを妹達に伝えたのです。

それは、今から50年以上も前からのことですが、職人気質で短気な父は、普段は良い父なのですが酒が入ると母のチョットした言動に腹を立て母に暴力をふるったものでした。そして、仲裁に入る私にも殴り掛ってどれ程辛かったか、私にはそうした少年時代からのトラウマが有り心から父を許す事が出来なかったのです。その上 父は経済観念が低くしかも美食家でいつも母が金銭の工面に困っている事も私が父を許せないと思い続けた理由の一つになっています。
しかし、今回の法事を機に私の中の父へのわだかまりを清算しようと最近考える様になり御住職の上げて下さる読経の中で、父に語り掛けて約束をしました。66才にして今更何を言うかと皆さんはお思いになるでしょうが、母への暴力を一度ならず幾度となくふるった父親への悲しい思い出を此の辺りでフッ切って父を許して上げようと思ったのです。

 しかし思えば、こうした経済的に苦しかった我が家の家計を少しでも助けようと大学の夜間部に通い昼間働いた給料は全額母に渡し、私は特別奨学金で書籍の購入や授業料を自分で支払う等の学生時代を過ごしましたが、あの当時の母を助けたいと思う一念が学業で其れなりの成績を残せたと言えるのかも知れません。とにかく、2年間は父の仕事を手伝いながら受験勉強を夜遅くまでやり、21才からの5年間を勉強一筋に過ごしましたが今にして思えば、勉強して新しい事を身に付けることは決して苦痛では無く、返って充実した生活を過ごせたとも思えます。そうした私の話を妹達は涙して喜んで聞いてくれました。

私は4年前のH18年に沖縄に2泊3日の旅をしました。旅の動機は沖縄県への熱い思いと共に、米軍基地の現状をこの目で一度見て置きたかったのです。其処で、到着した翌日はレンタカ-で最初に那覇より北部に有る「ちゅら海水族館」や「琉球村」などを見学しましたが、那覇のホテルに戻る道を敢えて高速道路を使わずに米軍基地の傍を走る国道58号線を通りました。そして、嘉手納基地の辺りは道の両側が基地で正しく基地の中を国道が走っていることを確認しましたし、その先の北谷(ちゃたん)町や普天間を含む宜野湾市は那覇へ向かってその左側が殆どが基地で、移転が数年先に迫っている普天間飛行場の辺りは国道からは少し離れていてゲ-トを見る事は出来ませんでしたが、とにかく特に南部に集中して沖縄県の18%の土地が米軍基地である事を知りました。その基地内は東京に有る横田基地とそっくりで、沖縄を走っていることを忘れさせる光景でした。そして、翌日は那覇から南に有る「沖縄県平和祈念資料館」(摩文仁の丘)で20数万の人達が沖縄戦で犠牲となったことを数多くの刻銘碑(平和の礎)で詳しく知ることが出来ました。(左に有る「沖縄」の画像で詳細をご覧下さい)、

 その普天間基地の移転先の協議でアメリカと合意がほぼ整う所まで進みましたが、私は沖縄の人達が先の戦争の集中攻撃で島民の4人に一人が犠牲になりながら、戦後もアメリカに接収されて米軍基地化される大変な犠牲の中で島民が日本の防衛のかなりの部分を担って来たことを良く理解をして負担を軽減しなければ余りにも沖縄が気の毒であると思っています。そして、沖縄県外への移転は断固反対とする地元の主張など沖縄の内外で激しい反対の声が高まっていますが、総論は賛成しかし、各論は反対では此の先が進まないので、この解決に向けた専任大臣による解決を目指すなどの対応が必要なのではないでしょうか。辺野古への逆戻りは公約違反だと上げ足を取る言い分も軽薄な意見であると思います。

 いずれにしても、社民党がアメリカとの合意の閣議決定を拒否し連立内閣から離脱するなど益々混迷を深めていますが、何処かで妥協点を見出して此れまでに沖縄が背負わされた苦しみを徐々に軽減させるべきであると思います。それには、もっと沖縄の立場になって大所高所から発言し、国民がまとまって行く事が必要と考えます。少なくても、
現在はあまりに議論百出すぎて此れでは「沖縄の負担軽減」と言う物事の本質が何処かに置き忘れられて、単に政争の具にされている様に思います。

5月も終わり漸く体調が戻って来ましたので、庭木の枝切りを天気と相談しながら始めています。昨年ほとんど枝切りをしなかったので、ズバズバのびて屋根に上って切らないと、脚立では届かない程のびてしまいました。

前回ご報告しました佐渡ヶ島に咲く「飛島かんぞう」を観に行く件でその後調べて見ると、花の咲く時期は6月までで、
しかも佐渡に有る宿泊先は残念ながらどこも取る事が出来ませんでした。飛島かんぞうを観る計画は少なくとも4月中に予約しないと実現できない事が判りました。そこで、来年は早目に計画しようと思っています。礼文島に咲く「蝦夷かんぞう」が8月が見頃と聞きましたので、7月でも間に合う様に思っていましたが、礼文島より佐渡ヶ島は暖かく、2ヶ月早く咲く様です。

H22年度の生涯学習講座は、以下の5講座です
講 座 名 概      要
新たな発酵食品の開発 ブドウ酒の知識、海洋酵母について、大豆からヨ-グルト作りなど
2. 山梨でアグリビジネスは可能か 甲府で遊休農地を利用した農業経営の新たな取り組み
3. 鎌倉時代初期の甲斐源氏 源頼朝と甲斐源氏の関係、甲斐源氏の衰退など
4. 食は咬むことから 咬み合わせの障害となる「顎変形症」の種類と治療・手術など
5. 道の駅「とよとみ」の挑戦 昨年、直売所甲子園のイベントで日本一になったことの紹介など
     H22年度の講座の詳細は上記講座名をクリックしてご覧下さい。
     H21年度の生涯学習講座のリンク先は、左側のセルフメディケ-ションの枠の中に有ります。     

おわりに

 6月に入りましたが、2年前の6月2日は道東にある3つの湖と斜里岳、そして3日は羅臼から知床峠を越えて宇登呂を訪ねていました。翌日の4日は知床岬へのクル-ジングを楽しみましたが、今でも懐かしい想い出になっています。

 処で、5月の後半は沖縄の普天間問題と、宮崎で発生している口蹄疫問題で日本中が大騒ぎをしました。その様な折りタイのバンコックで始まった争乱が最近ニュースになっていませんが、しかし本当に解決したとは考え難くまだまだ目が離せません。しかも、韓国の哨戒艦沈没の原因が北朝鮮の魚雷によると正式発表がされたことも世界を揺るがす事態になりはしないかと心配です。さらにギリシャでの暴動に端を発した世界の金融不安が沈静化するどころか混沌とした状況になっていますが、折角国内の景気に明るい兆しが見え始めているこの時期に落ち着かない日々が続いています。しかし、私一人が考えても仕方のないことですが、注意深く見て行こうと思っています。

何と今回転送したその日に鳩山首相が辞任と言うニュースが転送後に入りましたが、驚きました。そこで急遽此の文章を追記しますが、世の中判らないことだらけです。

それでは今年も此れから梅雨の時期を迎えますが、皆様 健康に注意してお暮らし下さい、私も気を付けます。


此れまでの近況報告リスト一覧                             H22

3.

04月16日


 新年度のご報告
                                  
 山梨の桜も終わりを告げて、此れからは桃の花が畑一面に咲き揃う季節となりました。そして、4月も中旬ともなると随分陽射しが伸びて来ましたが、しかし前日との気温差が±10℃以上も有る今の季節は、まだ春本番とは言い難く私は厳しい毎日を過ごしています。皆さんお元気ですか。

今年も新年度が始まりましたが、新しい気持ちで仕事に勉強に頑張って欲しいと思います。その点私は、平成22年度をどの様に過ごそうかと思案中ですが、あまり欲張らずに出来る所から始めようと思っています。
さて、近況報告をしますと以下の様になります。

3月10日に甲府でも10cmの積雪が有りました。そこで翌日の富士山が雲ひとつなく快晴であることを三つ峠の定点カメラの映像でリアルタイムにネットで見る事が出来ますのでそれを確かめてから河口湖へ向かいましたが、残念な事に移動中に雲がわき出て着いた時には富士山に薄い雲が掛り、満足の行く画像が撮れませんでした。自然を相手にする時は、偶然との出合いを信じるしか仕方がないのでしょうか。10月に予定しているリニュ-アルで快晴の富士山を撮りたかったのですが、残念ながら今のところ実現出来ていません。

妻と二人で南房総へ行ったことは前回の近況報告でお伝えしましたが、その詳細について「小さな旅」の中で報告をしましたので、計画と画像を是非ご覧頂きたいと思います。

合わせて4月11日に諏訪大社(下社)の御柱祭がありましたので、こちらは娘の嫁ぎ先の父上と2人で観て来ました。
これも、「小さな旅」に載せましたのでご覧下さい。

平成21年度の生涯学習講座が3月で終了しました。講座名は「脳科学が拓く可能性」で認知症などがテ-マです。
平成21年度は山梨大学と山梨学院大学の2箇所で24講座を全て受講しましたが、専門外の内容が多く大変勉強になりました。そこで、今年度も参加しようと思いますが、山梨大学は自由参加で好きな時に受ける事が出来ますが山梨学院大の方は、往復ハガキで申し込む必要が有り、まだ許可証が届いていないので(希望者が多数の時は抽選との事ですので)、許可証が届いたら今年も参加したいと思っています。

3月末で此のホームページが初回作成から数えて丸6年となり、4月からは7年目に入ります。また3月末でアクセス数が15,300回を超えました。少しずつですが多くの皆さん方に読んで頂いている様です。此れからも、リニューアルや
近況報告をしっかりやりご期待に応えたいと思っていますので、宜しくお願いします。

私の孫は進級して、年長さんと年小さんになりました。ところが、最近の孫達は成長の過程なのでしょう、仲々大人の言う事を聞きません。チョット注意をするとすぐ言い返して反抗し、「お爺ちゃんなんか大嫌い」などと言います。
その様な時は善悪をきちんと話して、たとえ嫌われても厳しく躾けるようにしています。そこで、最近私を少々うとましく
思っている様ですが、良い事をした時はだっこをしたりして褒めてやるように其処の所のけじめをしっかり付けて厳しいお爺さんでいようと思っています。

アンコ-ルワットの仏像が県立博物館に展示されていましたので、妻を誘って観に行きました。其れが、その仏像達は日本の仏像達とは違ってどれも優しく微笑んでいましたが、カンボジアに在るアンコールワットはクメ-ル王朝時代
(9世紀~15世紀)に造られた寺院ですから、此の時代の仏像は日本の仏像と作られた年代はほぼ同じなのに何故表情や雰囲気が大きく違うのか(?)一つには東南アジアの仏教は大乗仏教ですのでインドからアジアの南部を通って伝わったのに対して、中国や朝鮮から伝わった小乗仏教である日本の仏教とは伝わったル-トが違い文化が異なるのかも知れません。しかし、アンコ-ルワットの仏像達は表情が明るくのどかで素朴な顔立ちをしていて其れはそれで微笑ましく思いました。

一昨年の春にJR竜王駅が完成しましたが、あれから二年が経ち今度は南北に分かれて駅前広場が今回完成しました。今の処特に新しく出来た北口広場(私が住んでいる方角)からのバスの発着は有りませんが、タクシ-乗り場と駐車場は供用が開始されましたので、今迄は南口へ回り乗降していたものが北口が利用出来て随分便利になりました。先日もウォーキングのついでに完成記念のイベントを見て来ましたが、仲々立派に出来ていました。

先日、礼文島のホームページを見ていると、一昨年に行った時に温泉を掘り当てたと言う話は聞いていましたが、
その後建物を新築して去年の10月に完成したとのことでした。礼文島は隣の利尻島と違い火山で出来ていないので温泉は無理と昔から言い伝えられていたそうですが、それが1300m堀って目出たく温泉が湧き出し、町が管理をする中で近くのホテル等に供給し、「礼文島温泉うすゆきの湯」と命名して町民や来島した人達に使って貰うことが出来て喜んでいる島民の人達の顔が目に見えるようです。何でも資金は礼文島出身の京都に住む実業家が掘削費用を含めて全額を寄付してくれたそうで、潤沢な資金の基で立派な温泉施設が出来て私も嬉しく思います。

前回の近況報告以降に受けた生涯学習講座については以下の通りです。
  その他の生涯学習講座のリンク先は、左側のセルフメディケ-ションの枠の中に有ります。

講 座 名 概      要
脳科学が拓く可能性 アンチエイジングをメインに認知症やアルツハイマ-病の予防などをまとめた
     今回の講座で平成21年度がすべて終了しました。講座の詳細は、講座名をクリックしてご覧下さい。

おわりに
日本人二人目の女性宇宙飛行士(山崎直子さん)が無事に宇宙ステ-ションにドッキングして野口さんと対面出来た事が過日報じられていますが、その後、ロボットア-ムでシャトルから荷物をステ-ションに取り込む事にも成功しました。彼女の活躍を日本人として喜ばしく思います。

さて、今年も3度目の近況報告が出来ましたが、此れからの計画として夏頃に佐渡ケ島の飛島かんぞう(日光キスゲより大き目とか)の群生地が島の北端に有ると聞きますので、今から調べて見ようと思います。我が妻が行く気になってくれればの話ですが(?)それでは、次回は6月の上旬ごろに報告したいと思っています。

2.

03月08日


 間もなく春が
 昨年は2月中旬に25℃になるなど異常気象を心配しましたが、今年は1月、2月にかなり寒い日が続き東北や北陸では大雪で大変でした。まだ此れからもその様な日が有るのでしょうが(?)しかし、今の所ここ山梨は幸いにして雪の影響は有りません。処で、全国を旅した土地がテレビに映ると、今はその地が雪景色で確かに見覚えのある大通り等が映ると懐かしくその映像を楽しんでいます。反面、2月後半から20℃に近い日も有りこうした今の季節は体調管理が大変です。

さて、冬期オリンピックも終わり、賑やかだったあの頃の余韻がまだ残っていますが、結果は銀(3つ)、銅(2つ)で、前回のトリノよりは良かったと思います。しかし、それにしても特にヨ-ロッパの選手達の強いのには驚くばかりです。其の中で韓国が結果を出していましたが、その点日本は選手強化策がまずいのではないかと思います。それに、
フィギュアスケ-トのコ-チの殆どが外国人なのは、国内に優秀な指導者がいないのか育たないのか いずれにせよ、此れは問題が大きいと思います。

先月末に妻と「小さな旅」をしました。この件については前にも書きましたが、何と飛騨の白川郷では無く南房総の花を観に行きました。と言うのも、我が奥さんが寒いこの時期にもっと寒い所には行きたくないと言い出したのです。
昨年までは、幻想的な合掌造りの白川郷へ是非とも行って見たいとあんなに言っていたのに、真冬を迎えると気持ちが変わったのだと言うのです。そうして、丁度テレビで房総半島のお花畑が映ると、此処に行きたいと言うのです。
白川郷は宿の予約をする直前でしたが仕方なく諦めて千倉の宿を予約しました。行って見ると、菜の花とポピ-そして金魚草やスタ-チスなどがとっても綺麗にそして一面に咲いていてさすがに温暖な土地である事が判りました。しかし、生憎チリ地震の影響で津波が来ると現地は大騒ぎでしたので、早めに引き上げて帰りました。その辺の状況を含めて「小さな旅」のまとめは次回にしたいと思います。と言うのも、4月の初めに諏訪大社で7年に一度行われる「御柱祭」がありますが、数十万人の見物客となるとのことで、観ることが出来るかどうか判りませんが もし観ることが出来れば、御柱祭と南房総をまとめて載せたいと思っています。

生涯学習講座は2月分が終わり、今月で今期分が全て終わります。今迄に23講座を受けましたが、色々とジャンルの異なる講義は耳新しく大変勉強になりました。そして、H22年度もテ-マが良ければ受講したいと思っていますが、現在まだ来期の発表が有りませんので、発表されてから考えようと思っています。と言う事で、本件に付いても、次回にしたいと思います。

確定申告を今年もe-Taxで申告しました。昨年は初めてで大変手こずりましたが、今年はまあまあ順調に作業が終わり「受付完了」の書類を受け取ったのですが、あまりに順調に終わったため、本当に送信されたのかどうか心配になり税務署に電話で確認をしました。処で、e-Taxの利用が仲々進まない様ですが、こうした所に不便さが有り使い易くなるにはまだまだ改善が必要であると思います。

根津記念館を見学しました。甲州財閥5人の内の一人である根津嘉一郎の住宅を改装整備して昨年から一般公開しているもので、明治時代以降は和洋折衷の洋風形式の家屋が好まれましたが、根津はコンクリ-トの布基礎の上に純和風の2階建の屋敷を作ったのです。しかも台所には地下室が有り当時としては大変珍しい邸宅です。そして、当時の設計図や2階には根津が使った机と椅子が飾られていて、展示棟には山梨のすべての小学校(200校)に寄贈したピアノ(昭和6年~7年に製造されて根津ピアノと呼ばれた)の実物 が飾られていたり、嘉一郎が関わった東武鉄道や日清製粉、現在のアサヒビ-ル(大阪で設立した大日本麦酒)。又、中央線の大月の先に見える駒橋発電所は根津達が建設し東京へ電力を供給した事など、知らない事がまだまだ沢山ありました。近くの人は是非見学をお薦めします。(根津嘉一郎については、生涯学習講座(H21年)の4番目の中で書いています)

最近不要になった物を無料で引き取る業者がチラシに入って来るようになりました。その中で、パソコンはリサイクル料が必要になっていますが、この業者は無料で引き取ると言います。リサイクル法とどの様に関係しているのかが判りませんが、無料で引き取るとのことなので、この際古いパソコンを整理して引き取って貰うように部屋の片付けを始めました。

2月にハイチの地震による犠牲者が20万人を超えたニュ-スやチリでもM8.8の大地震が発生してチリは大混乱の状態です。しかも、津波が発生し日本も大騒ぎをしました。しかも、台湾でも地震が有り鉄道が脱線する事故が発生しましたが、何か日本に大地震が近付いている不気味さを感じます。また、、JALが営業を続けながら会社更生法の手続きに入るなどの残念な出来事が有りました。一方私個人としては、梅の木や柚子の木の枝切りをしたり、孫達の保育園へ出掛けてお遊戯会を見たり、上の孫がスイミングの練習をする所を見学するなどとこの冬を結構忙しく過ごしました。又、お陰様で胃の調子も少しずつ良くなって来ましたので更にこれからも体調管理に努めたいと思います

2月で此のホ-ムペ-ジが15,000件のアクセス数を超えました。幾度も見て下さる方々がいると思いますので、
アクセス数=新規訪問者数では無いのですがそれにしても多くの方に見て頂けている事は事実ですから、此れからも心してホ-ムペ-ジの更新に当りたいと思います。そして次回リニュ-アルは7年目になりますので、また新たな画像を撮りに出掛けたいと思います。

前回の近況報告以降に受けた生涯学習講座については以下の通りです。
     その他の生涯学習講座のリンク先は、左側のセルフメディケ-ションの枠の中に有ります。
講 座 名 概      要
いのち”ある造形 キネティックア-ト(動く造形)の概念により生き生きとした魂のある造形の紹介
     講座の詳細は、講座名をクリックしてご覧下さい。残りは3月の1講座となりました。

おわりに
 どうにか無事にこの冬を乗り切る事が出来そうです。そして、間もなく春がやって来ます。そこで、私自身今年はどの様に過ごそうか、10月で67才になりますので体に気を付けて しかし、少しで良いので自分なりの目的と目標を持ちながら、前向きに過ごしたいと思っています。
皆さんも、ご自分の目的と目標をしっかり持ち、共に歩みましょう。此れからも宜しくお願いします。




01月22日

 平成22年(2010年)のご挨拶
 
  お陰様で無事に新しい年を迎える事が出来ました。皆様、本年もどうぞよろしくお願い致します。

今年は、長女が年末に帰省し次女夫婦と一緒に孫達と共にお歳取りが出来て賑やかなお正月となりました。一方、
三女は、今年も友達とディズニ-ランドのカウントダウンに出掛けて元日は留守でしたが、今年の三ケ日は天気にも恵まれて平成22年は風邪を引き込んだ以外はとても良いスタ-トが切れたと思っております。

 さて、今年はどの様な所に軸足を置いて過ごそうか、あまり張り切り過ぎずにスロ-ライフを念頭に、しかし目的もなく時を過ごすのでは無く、身の丈に相応しい目的と目標を持って過ごして見たいと考えています。

 処で、此処山梨では箱根駅伝で学院大が総合3位になり又、成人の日には第88回高校サッカ-で同じく山梨学院大付属がなんと優勝するなど山梨学院大学が今年は県内で話題になっています。
 私も昨年は同校の生涯学習センタ-で年間14講座を受講し大変勉強になりましたので、そんな関係もあり学院大の評判を喜んでおりますが、元もと学院大はスポ-ツ振興に熱心で、中でも水泳(自由形)の萩原智子や、バタフライの加藤ゆかなどは全国に知られています。そうそう、読売ジャイアンツの松本外野手も学院大出身でした。
しかし、サッカ-の監督は県立韮崎高校(中田英寿の出身校)で長くサッカ-の指導に当られた実力のある横森巧氏をスカウトし、県外から優秀な選手を多く集めて戦力アップを図ったり(どこの私学でもやっているのでしょうが)そこが上手な大学である事も事実でしょう。さてさて、山梨学院の事が長くなりましたので、本件は茲までにして話題を変えましょう。

 今年は諏訪大社の「御柱祭」の年ですので、是非とも大きな神木を急斜面から引き摺り下ろす勇壮な祭りを見に行きたいと思っています。恐らく(まだ調べてはいませんが)四月の初めにお祭りが有るはずです。其れに、飛騨の白川郷の合掌造りを妻と二人で一晩泊まりで観に行くことを考えていて、現在調査中ですが、そうした「小さな旅」をあと2~3件やりたいと思います。

 今年も生涯学習講座が実施されるでしょうが、予定が発表されるのが例年3月になってからなので、発表を確認してから検討をしたいと思います。昨年と内容があまり変わらなければ、例えば、山梨に有る古寺や遺跡などを見学する会を探して勉強して見たいとも思っています。

それと、最近体力の衰えが気になる様になりました。足腰は毎日ウォ-キングをしているお陰で年齢以上の脚力を保っていますが(しかし、最近は7千歩が限界で其れ以上一気に歩くと足が重くなり途中で一休みしたくなります)例えば庭木の枝切りをやるとどうも疲れ易く、体の柔軟性も今一つです。恐らく、体か硬くなり余計なエネルギ-の負担が有るからでしょう。そこで、今年は自分の体力を鍛える為と孫達と一緒に楽しむことを実現する為に少し本格的な家庭菜園をやって見たいと思っています。しかし、ここ数年一坪ばかりを耕して買って来た肥料を土に混ぜて此れも買って来た野菜の苗を植え大きくなると棚を作ってトマトやキュ-リ等を育てましたが、今年はその畑(?)を広げて穴を掘り堆肥を作ろうと今から残飯をその穴に入れていますが、のら猫がその残飯を食べに近か寄って来るので、少々困っています。(残飯を捨てた後は土を掛けて見えないようにしたりしていますが)と言う訳で、此れから勉強をして体力補強を図りながら少しでも立派な野菜作りをやって見ようと考えています。(どれだけやれるかどうか?)

1月17日は阪神・淡路大震災が15年前の早朝に起きた日ですが、15年目に当る事もありテレビ局では各局が特別番組を放送していました。私も4年前に九州を一周した帰りに四国の瀬戸内海側を走り、鳴門大橋より淡路島に渡って被害の大きかった北淡町の近くにある東浦の道の駅で最後の夜を過ごしましたが、当時は震災から11年が経っていて町は完全に復旧していました。又、明石海峡大橋の橋脚の工事中(当時)でしたが、地震により橋脚全体が十数㎝ずれただけで事無きを得た事を良く覚えています。日本の技術レベルの高さに感心したものでした。しかし、震災から15年が経ちあの地震で6,400人以上の人が亡くなったのですが、折りしもカリブ海のハイチでは大地震(阪神・淡路大震と同規模とのこと)が発生して7万人(1月21日現在)を超える死者が出ていてこの先どうなるのか予測が付かない状況に有る様です。日本でも東海沖や南海沖で大地震が起きる事が考えられており、十分な備えをする様に日頃から心掛けねばならないと思います。

最後に、最近知った事を書いて終わりにしたいと思います。実は、66歳にして初めて知ったのですが(其れ程大袈裟なことではないのですが)日本に「有田」と言う地名が有りますが、佐賀県の有田焼で有名な有田と有田川や有田ミカンで有名な和歌山県に有る有田のことなのです、処で、佐賀の有田は(ありた}と読みますが、和歌山の有田は(ありだ)と読む事を今まで知りませんでした。有田ミカンは「ありたミカン」とばかり思っていましたが、最近「熊野古道」について調べて行く中で、有田川の送り仮名が「ありだ」となっていることに気が付きました。まさか、と思い調べると間違いなく有田川は「ありだ川」でありその河口に有る町は「ありだ」であることを知ったのです。私は学生の頃から地理(当時は人文地理と呼んでいました)は得意で成績も良かったのですが、其の私が和歌山に有田が有る事を知っているのに、それを佐賀の有田と同じ「ありた}と読むものと思い込んでいた間違いに今初めて気が付いたのです。
思い込みと言うか、疑って掛らない(信じ切ってしまう)不注意さに呆れるばかりです。こうしたことは今まで仕事人間であった頃は仕事に集中した為(?)に有田(ありだ)のことを知らなかったと言う言い訳がましい説明になるのですが、
別な言い方をすると、仕事から離れて初めてその読み方を知る事が出来たとも言えます。しかし、こうした事は此の先沢山お目に掛る事でしょう。有田の読み方に2通りある事を66才にして知った最近の発見(?)について書きました。

前回の近況報告以降に受けた生涯学習講座については以下の通りです。
                  生涯学習講座のリンク先は、左側のセルフメディケ-ションの枠の中に有ります。
講 座 名 概      要
子どもが考える心と命 心と命について認知心理学を通して考える
山梨における合併の成果 平成の大合併を含めその成果と課題、今後の自治体改革を考えるなど
     ・上記の2講座です。詳細は其々の講座名をクリックしてご覧下さい。残りは2月と3月開校の2講座です。


 それでは、平成22年の計画は次回(3月中旬ごろ)にお知らせ出来る様にしたいと思いますので、皆様には寒い季節ですが(ところが、大寒と言うのに山梨でも日中の気温が15度と言うおかしな陽気になっていますが)お体に気を付けてお過ごし下さい。と言う私も、昨年暮れに引いた風邪が今もって治らずその精か血糖値が仲々下がらずに少々イライラした生活を送っています。




平成21年(2009年)

8.

12月16日

平成21年の終わりに(2009年を振り返って)  
      

 今年もいよいよ年の瀬を迎えました。本当に一年は早いものであることを実感しています。
そして、長い旅は昨年で終えて此れからは短かな旅をする事にして、今年は6月と9月に小さな旅をしましたが、何しろ女房を誘い、出来るだけ2人で旅をしたいと考えていますので調整するのにとっても時間が掛ります。
そこで、次回は飛騨の白川郷辺りへ行って見たいと思っていますので、早めに計画に取り掛かりたいと思っています。

さて、振り返ると4年を掛けて日本中を旅したぶらり旅は、其の土地の知識が深まっただけではなく行く先々で人々と交わした温かな心のぬくもりもいつまでも想い出として残ることでしょう。かえって、時が経つに連れてジワリッと思い出す事が時として有ります。しかも、例えばテレビの番組でそこが私が行ったことのある場所と同じ場合は、胸をドキドキさせながら懐かしく見入ってしまいますし、まだ其の地に行ってはいなくても、その近くを通っていると思うとそれだけで懐かしさがこみ上げて来ます。そこで、此れからはまだ行っていないスポットを探して小さな旅を続けたいと思います。その意味で、今年行った尾瀬ヶ原と上高地は私の願いが叶った、さい先の良い旅でした。

今年の活動の中心は、何と言っても生涯学習講座を受けたことでしょう。そして、前年度の2月・3月に受けた講座を含めると、此れ迄に25講座(21年度分20講座)を受講したことになります。(21年度分があと4講座残っています)
 処で、「平成21年の計画(目標)」の中にも書きましたが、山梨大学では「いのちの輝きに想いを寄せて」をテ-マに生命に関わるものを10回の講座に組み込んで今春(4月)から来春(3月)まで月に一度のペース(1月と8月は休講)で開講しました。一方、山梨学院大学では、「甲斐の国人物伝」と題して山梨に関係する人物などを7回の講座にして開講するものと、「山梨における地方自治と分権の今後」と題して特に行政を中心に7回の講座にして開講するものの2本立てですが、都合14講座を4月~12月(8月を除く8か月)の間開講します。そこで、年間を通しては4月から3月迄に24講座を受講しますので、毎月約2.8講座(2月、3月は1講座)を受講しますが、その講義はとにかく楽しくて、300人ほどの聴講者(シニアが80%以上)は時間が過ぎるのを忘れて講義に集中します。(若い頃を思い出します)
そこで、来年度も受講するかどうか内容を知った上で決めたいと思いますが、出来れば受講したいと思っています。尚、それぞれの講座の要約は、
生涯学習講座にまとめていますので、そちらをご覧ください。

今年は山の遭難がいつもの年より多かった様に思います。特に、シニアの遭難や死亡が多く、例えば、大雪山系のトムラウシ山への2泊3日のツアーでシニアの多くが犠牲となった事故は、今もハッキリと記憶に残っています。そこで、私も今年の計画の中に標高が低い山を登って見ようと考えましたが、良く考えて見るとトムラウシ山は標高が2,000mを超えていますが標高に関係なく山の天気は急変し易く、しかも単独登山は道に迷ったり滑落するなどの危険に遭遇し易いことを幾つもの事例で知ることが出来ましたので、何度も登っていて山の地理を熟知している場合は別ですが、新規単独登山は軽率に実行すべきではないと考え直しました。そこで、今後とも単独登山は標高に関係なく登らない方が身の為であると決めました。本当は少々残念なのですが、自分の体力の事も考えて人様に迷惑が及ぶ行為は自重すべきである・・・と、判断しました。

奈良、興福寺の阿修羅像の見学(4月17日)
 昨年は薬師寺の日光・月光菩薩を観に行きましたが、今年はやはり東京国立博物館で阿修羅像などの展示がありましたので観て来ました。阿修羅(あしゅら)像は木材の骨組みに粘土で像を形造りその上に幾枚もの麻布を貼り付けて漆で塗り固め、乾燥後に粘土を体外へ取り出し漆で練った木質の繊維で仕上げた後(脱活乾漆造)に彩色されたいわゆる張り子の像(三面六臂:3面の顔と6本の腕)ですが、身の丈が1.5m以上もあり今から1300年前の天平文化を極めて美しく気品のある姿に仕上げられたさすがに国宝の名に相応しい仏像で、来場者が多く大変混んでいました。
この他に、十大弟子像と八部衆像にも圧倒されましたが、いずれも人の心を引き付ける素晴らしい仏像でした。
そして、東京での開催の後、九州の国立博物館に展示され、現在は興福寺に戻っているとのことです。

第36回国際福祉機器展を見学
 標記を9月29日に見学しましたが、詳細は近況報告(11月13日)に書きましたので、そちらをご覧ください。

自治会対応
 組長の番が回って来ましたので一年間務める事になりました。仕事は、毎月の組長会議への出席と組員への広報等の配布と回覧物の手配、毎月の下水道費等の徴収、ゴミの持ち込みの収集(資源ごみと粗大ごみを年20回対応)、夏祭りを組長夫婦達で運営(8月)道路の清掃(年4回)の取りまとめ等ですが、こうした行事も組長同士が親しくなってこそ一年と言う長丁場をやり切る事が出来る訳で、最初は顔も名前も組長同士が判らずにいましたが、一緒に一つの事をやる様になって円滑に事が進む様になりました。やはり、会話を交わし同じ事を一緒にやる中で新しい人間関係が生まれてくる事をつくづく感じます。そしてそうこうする内に、一月(来月)は22年度の新組長達の顔合わせと役割分担を決める事になりますが、今年の1月からもう一年が過ぎる事に改めて月日の早さに驚かされます。

今年の陽気と我が家の作物
 今年の陽気は総じて不安定で夏前は梅雨が仲々明けなかったり、洪水や竜巻が発生するなど大変な一年でした。
そして、全国的には冷夏の地域が多く、農産物が不作になるのではないかと心配されましたが、米作が例年に比べてやや不良となった以外はどうやら持ち直しましたが、しかし年間を通して天候が不安定な年で有ったように思います。
処で、我が家の家庭菜園もトマトとキュ-リはまあまあ取れましたが、ナスは不作で枝豆やスイカも僅かばかり取れただけでした。その点、梅とカリンは豊作で、取れ過ぎて困ったくらいです。それに、上の孫が生まれた年に植えた柚の木に今年は小さな実が10個ほどなったのですが、最初の年の精か可愛い小さな実でした。来年は売られている柚子と同じように大きく育つことでしょう。孫達が柚子の様に逞しく成長する様に、年が明けたら肥料と選定をしっかりやりたいと思っています。

その他
 6年半ぶりにかつての親友(一緒に仕事をした方達)にお会いして旧交を温めたこと。県立博物館に出向いて甲州金の実物を見たこと。今年で仕事を辞めたこと。そして母の妹がとうとう亡くなり血縁の叔父・叔母達がすべていなくなったこと。e-Taxで確定申告をしたこと。夏の高校野球山梨大会の決勝戦を見に行ったことなどがありました。

今年の計画でやり残したものに以下があります
 1)
庭と家の片付けと修繕
 2)PCのデ-タ-ベ-ス化

まず、庭と家の片付けと修繕ですが、庭の植木の選定については、白樺の背丈を詰める件は解決しましたが、梅の木やカリンの枝などの選定がまだ残っていますので、出来る限り(あまり寒くならない内に)、やろうと思っています。
又、家の修繕は、食堂の椅子の布地の張り替えと、トイレの壁のクロスがめくれている所の修繕がメインですが、まだ手を付けていませんので、こちらについても少しでもやろうと思います。
一方、パソコンのデ-タ-ベ-ス化は新しいデスクトップに無秩序に古いPCからデ-タ-を転送した為に、系統化が出来ていません。そこで、古いPCにあるデ-タ-を一度整理してから必要なデ-ターを新PCに系列化して取り込もうと考えていますが、実は唯一古いパソコンでのみ起動して使っていたA3対応のプリンタ-(10年前に購入)が、とうとうインクのノズルが詰まって何度クリ-ニングしても回復出来ないので諦めてプリンタ-を新しく買い換えました。そこで、古いPCは全く使う機会がなくなりましたので、ひとまず機器のすべてを取り外しました。そんな訳で益々デ-タ-ベ-ス化が遠のいています。どの様に見直すかを含めて改めて来年考えて見ようと思います。

前回の近況報告以降に受けた生涯学習講座について
                  生涯学習講座のリンク先は、左側のセルフメディケ-ションの枠の中に有ります。
講 座 名 概      要
生活に役立つ微生物 きのこ・カビ~放線菌(抗生物質)などの微生物を判り易くまとめた
太宰治と山梨 山梨に居住時代の安定した作家活動や彼の生涯など
県内の自治体行政改革 其の現状と課題について
     ・上記の3講座です。詳細は其々の講座名をクリックしてご覧下さい。残りはあと4講座です。


 それでは、平成21年のまとめは此れまでにして、今から年末の準備に取り掛かろうと思います。皆様には、
今年一年ホームページを見て頂き、大変有り難うございました。改めて御礼申し上げます。
 来る2010年もご覧頂けるように努力したいと思いますので、倍旧のお引き立てを宜しくお願い致します。
では皆様、良いお正月をお迎え下さい。 山梨より 高橋
成光

7.

11月13日
 
第36回国際福祉機器展見学記その他)    

新型ウイルス患者が150万人を突破しいよいよ本格流行時期を迎えました。そして子供や幼児に多く発症し死亡事例も報告されていますので、、孫達が罹らねば良いがとそればかりを心配しています。

 さて、6度目の改訂から間もなくひと月半が経とうとしていますが、お陰様で此の間に400件に近いアクセスを頂きました。そして、皆さんに多く読んで頂いている事を嬉しく思っています。そこで、今回からは今までと少し内容を変えてお伝えしようと思います。

それは、ホ-ムペ-ジの管理についてですが
1.此れまでは、生涯学習講座の報告をこの近況報告でお知らせしていましたが、今回からは「生涯学習講座」の
  ペ-ジを作りましたのでそちらへ新規書き込みを入れて、近況報告では講座名のみをお知らせする事にしました。
  そして、リンク先をクリックするとそのペ-ジへ移動出来る様にしましたので、ご利用下さい。

2.過去に報告した近況報告をご覧頂く場合に、いちいち「-此れまでの近況報告の更新記録はこちら-」から入って頂く
  のは最初から読んで行かないと、どこに何が書いてあるかが判りませんので更新記録が増えるほど判りずらくなる
  事に気が付きました。そこで、毎回の近況報告の最後に此れまでの報告のリスト一覧を載せて置こうと思います。
  そうすれば、必要な報告のトレ-サビリティ-が出来るかと思います。そこで、まずやって見て皆さんからのご意見
  を聞きたいと思いますのでまず今回は試験的にやって見ようと思います。

3.此れまでの画像の削除についてですが、今回の6度目の改訂で、サ-バ-に許されているバイト数がかなり少なく
  なって来ました。許されているバイト数が100MBなのですが、既に90MBに近付いていますので、気軽に画像を
  見て頂く事が出来なくなりつつ有ります。それに、サイトへのダウンロ-ドにも時間が掛りますし、今後トラブルが
  心配になります。それと、最近ホ-ムペ-ジに勝手に侵入しそのホ-ムペ-ジを見た人のパソコンに悪戯をする
  悪い輩が居る様です。しかし、私の場合はノ-トンでしっかりガ-ドされているので現状は安全と考えていますが、
  出来るだけホ-ムペ-ジを軽くして置く方が良いと考えました。そこで、しかるべき時期に特に同じ様な画像は削除
  して行こうと考えています。(少しずつ整理をして徐々に減らそうと思っています)

それでは、国際福祉機器展(第36回)の見学報告から始めましょう。(09月29日に見学)
 前回でも少し報告をしましたが、確かにここ数年来展示会自体がひと頃の華やかさを無くしていますが、景気の低迷ばかりが理由ではなく、展示物の質が今一つでマンネリ化して来ている様に思います。それは、昨年より更に40社近くが出展を取り止めている事も事実ですが、(ホ-ルの数が6ホ-ルから5ホ-ルに減りました)数年前までの様な目新しい製品の展示が激減していることが一番の理由と思います。特に、ヤマハ発動機が今回出展していませんが、ひと頃は手動式の車いすに簡単に駆動装置とジョイスティックそれにバッテリ-を組み込んで電動化する製品を出展していたり、ジョイスティックに代わる速度と進む方向をタッチパネルで制御する試作品を参考展示するなど、目新しい作品を毎年前向きに展示していましたが、自社製の電動カ-ト(4輪式)を台湾のメ-カ-(セリオ)へ昨年から其のすべてをOEM供給していることや(昨年もヤマハのブ-スには電動カ-トの展示は有りませんでした)、試作品が間に合わなかったのか(?)残念ながらヤマハのブ-スは有りませんでした。

また、昨年登場した自動排泄システム(帝人と数社が出展)で、大・小の排泄物を自動的に処理するシステムは今年はどこにも有りませんでした。調べて見ると帝人グル-プ自身が出展していませんので、やはり此処でも淋しいものを感じました。但し、面白いCMで有名なダイワハウスが自立支援用ロボットス-ツ(HAL)を展示していましたが説明によると、脳からの電気信号を皮膚表面で検出し各部のモ-タ-を動作させて人の動きをアシストすると言うものでした。
しかし、調べるとどうも筑波大学の研究チ-ムの作品を自社で開発したかの様な説明になっていたように私には思えました。また、ホンダが出展した電動カ-ト(モンパル)はデザインが斬新で、ハンドルを切ると前輪が走る方向に見える構造で(普通は動き出さかないと動く方向が判らない)そうした特長を説明していたのが印象的でした。(昨年も展示)

そうした中で福祉機器とは全く関係有りませんが、抗がん剤の副作用で頭髪が抜けて気分的にも外出が出来なくなる女性の為に、チャ-ミングな帽子に取り外しが出来る「付け髪」を取り付けて、帽子から髪を見せながら外出を可能にする作品を見付けました。これなどは、単に帽子だけではなく実際に癌に掛った女性の発案で製品化しているとの説明を聞き十分納得しました。前に書きましたが、介護や福祉だけでなく人間の尊厳に関わる製品は、見ていて(手にして見て)暖かな心に触れる思いがします。

此の他、地震時などの屋外用ポ-タブルトイレでは、昨年に続き「ラップポン」と言う製品で、汚物をラップでシ-ルして処理するタイプで昨年よりモデルを変えて使い易くデザインが洗練されて来た製品や、用済み後にポリタンクからお尻に温水を噴射する洗浄式ポ-タブルトイレが目新しく感じました。一方、福祉車両ではトヨタが車外の天井に格納庫を設けてその中に車イスを収納し押しボタンスイッチで車イスを屋根から降ろしたり格納する装置を展示していましたが装置が大掛かりで、しかも車イスを昇降装置にセットする時にはかなり高度なテクニックが必要である事を実演で感じました。あれでは、特に体の悪い人が簡単に取り付けなど出来ません。トヨタとも有ろうメ-カ-がアイデア倒れの作品を作っている事が残念に思えました。その他の福祉機器専門メ-カ-も新製品の開発に行き詰まっているように思います。そこで、来年が様変わりをするのか更にジリ貧になって行くのか、見守って行きたいと思います。



前回の近況報告以降に受けた生涯学習講座について
                  生涯学習講座のリンク先は、左側のセルフメディケ-ションの枠の中に有ります。
講 座 名 概      要
山梨の国土整備 一級河川と二級河川の定義、河川行政の目的、山梨の森林など
山梨のインフラ整備の行方 山梨の道路行政、山梨の公園整備(都市公園整備の現状)など
甲斐源氏の発祥を振り返る 甲斐源氏の人々、鎌倉幕府と甲斐源氏、甲斐源氏が残したもの
武田信玄論 武田滅亡に伴い当時の資料や古文書が少ない中での信玄像
健康づくりと運動 要介護の原因疾患、太る原因、骨折の原因、認知症の予防など
      ・以上の5講座です。詳細は其々の講座名をクリックしてご覧下さい。

我が家の白樺の木
 今年は大きな台風が来ていないのでやれやれと思っていましたが、10月後半に強烈な台風が日本列島に接近し、山梨でもかなりの強風が吹きました。実は、我が家には10m以上に育った白樺の木が一本有りますが、風が吹くとその白樺が大きく揺れて根こそぎ折れて倒れるのではないか(?)何しろ手で揺すっただけでかなり揺れますので道路側に倒れて車や通行人に迷惑が掛る事を大変心配していました。そこで、ご近所の方のご兄弟に当たる植木屋さんに幹の半分の所から切って貰いました。
今ではほとんど枝葉もなくなりすっきりとしましたが、何だか淋しい気もします。そして、幹を切った数日後に再度台風が接近しましたが、今度は安心して台風の通過を待ちました。しかも、今度の台風に間に合って良かったと、妻と胸をなでおろしました。

森繁久弥さんが11月10日の朝96才で亡くなりました。天寿を全うしたと申し上げて良いでしょう。そして、森繁さんは誰からも愛された類いまれな役者であり音楽家であり、話術も人の心に響く豊かな感性を備えた見事としか言いようのない俳優でした。

そして、私も昨年知床を訪ねた時にあの羅臼の丘に有る展望台からオホ-ツクの彼方に国後島がうっすら見えていましたが、ここが森繁さんが作った知床旅情に出て来る「みんな騒いで丘に登れば、遥かクナシリに白夜は明ける」の丘なのだなあと、此の唄を口ずさみながら眺める事が出来ました。更に「別れの日が来た知床の村にも、君は出て行く峠を越えて・・・」の其の峠があの時通った知床峠であることも・・・。

 それに、私にはとっても懐かしい50年近く前の彼への思い出がはっきり残っています。それは、NHKラジオの日曜日の夜に放送された「日曜名作座」と言う番組です。加藤道子さんと森繁さんの2人だけで毎週物語が進んで行くのですが、私が今も覚えているのは 深沢七郎の「笛吹川」と言う作品で、独特のスロ-な曲にのせてドラマは展開して行きました。私は当時、昼間は父の仕事の手伝いをしながら夜は毎晩受験勉強をしていましたが、日曜日の夜10時からだけは、此の日曜名作座を聞くのが楽しみでした。若き日のころの想い出は尽きませんが・・・

 今頃は天国で多くの人達を笑わしている事でしょう。そうした森繁さんのご冥福を祈ることにしましょう。

それでは、次回は12月の後半に、「H21年を振り返って」をまとめることにしたいと思います。それまで、
皆様、新型インフルエンザに罹らない様に気を付けてお過ごし下さい。

6.

10月03日

第6回リニュ-アル              

退職した翌年からパソコンの勉強を本格的にやり、独学でホームページを作り平成16年3月にサ-バ-に転送して早くも
5年半になりますが、確かに60才だったあの頃から間もなく66才になりますので、時間の経つのは早いものだと感じます。

しかし、そうこうする内に私も昨年「高齢者」の仲間に入りましたが、そうした自分に気が付くと何とも微妙で複雑な心境になることが有ります。しかしながら、それは誰しもが晩年に一度ならず落込む此の先の不安であったり、心の寂しさであったり、
焦りであると思います。そうした考え方を少し変えて、後20年の人生をどの様に前向きに生きようかと考えて見る、そうした心のゆとりが大事であることを生涯学習講座の中で学習しました。そして、生き抜くことに信念を持つことが大切である事も知りました。しかし、最近わずかなことに(例えば、妻のチョッとした言葉づかいに)イライラしたり感情を露骨に出したりする自分に呆れます。しかも、そうした心のコントロ-ルが出来なくなる自分に今はふと気が付いて気持を修正出来ますが、この先の自分をいつまでも制御し続けられるかどうか、(?)もっと神経を図太く、おおらかに生きなければ・・・
そこが此れからの私の課題になるのでしょう。

 弱気な事を書いた次は、最近の出来事についてです。なにしろ、今回の総選挙で民主党が308議席を獲得し自民党や公明党が大きく後退した今回の結果については呆れるばかりです。しかし、それほど民主党に実力が有るのか(?)と言えば、期待感はあっても自民党との間に今回の当選者数比ほどの実力の開きは無い様に感じます。確かに、官僚との決別やムダ使い予算の組み直し、子育て支援、後期高齢者医療制度の廃止等の政策などは際立っていましたし此の辺りが若い人達や老人達に受け入れられたことは確かでしょう。しかも、今回は一度民主党にやらせて見ようと考えた人が多かったことも事実で、こうした大衆を巻き込んだ選挙の展開が予想をはるかに超えて民主党に流れたと見るのが妥当かも知れません。
何れにせよ、庶民の生活が良くなる事を望み安定した政権維持を願うばかりです。

 今年は自治会の組長の年で15年に一度順番が回って来ますが、組長会議への出席、毎月の自治会費等の集金やゴミの収集などに奔走しています。そうして、何と言っても自治会のメインイベントは夏祭りで、8月の初めに盆踊りや模擬店などで賑わいました。その模擬店では、おでんや缶ビ-ルなどの販売を受け持ちましたが、幸いにして選挙が月末に決まり選挙と祭が重複せずに出来たことと、天気にも恵まれて大変盛大にやる事が出来て良かったと思います。

 しかし、生涯学習講座であちらこちらの自治会組織が成り立って行けない話を聞いていますし、私の住む自治会も小学生の数が一時の4分の1に減ってしまい、住民が高齢化して世代代わりが進まずに空き家になる家も出ているなど益々運営が難しくなって来ています。かく言う私も、次回の15年後は80才になりますので、今回の様な働きは無理でしょう。
こうした小さな自治会ですら運営が難しくなるのですから、日本中が少子高齢化となる今後はどうなって行くのでしょう。夏祭りは別としても、近所付き合いなどに支障が出ない内に考えねばならない大きな問題であると思っています。

 処で、6月に妻と小さな旅をしに尾瀬へ一晩泊りで出掛けましたが、9月には2人で上高地に日帰り旅行もしました。
その時のまとめを「小さな旅」の記録と写真集にまとめましたので左側のリンクより一度ご覧下さい。   

生涯学習講座(9月分)のご紹介です
山梨大学(読売新聞社)
5.  いのちと水、
そして生活
1. ①火星にも水が有る。しかし、殆どが氷の状態。しかし、水が流れた跡が観測されて
 いるので、現在液体の水を確認中とのこと。(太陽系では水は珍しくない)
②地球上の生物は液体の水が不可欠で、水を前提として生命が生まれ発展して
 来た。
2. ①人間の体内の水は以下の通り(体重に換算)
  出生直後(80%)→乳幼児(70%)→成人(60%)→高齢者(55%)
②冬眠する哺乳類と海に住む哺乳類は、脂肪の代謝(分解)により水を得ている
 ・ラクダのコブは脂肪の塊
 ・カンガル-ネズミは水を飲まず食物の代謝により必要な水の90%を得ている 
3. ①5歳未満児の死亡者数(対1,000人に対する割合)
  日本:4人、カンボジア:82人、シエラレオネ:270人。此の死亡数の原因の筆頭
  は不衛生な水による下痢が関係している。
②日本は水に恵まれ且つ衛生的な水が手に入るが、食糧生産国では作物を作るの
 に多量の水を使うので、食糧を海外に頼る日本は将来世界的な水不足から食糧難
 に陥る事が考えられる。また、作物を作るのに必要な水を「仮想水」と呼び、結局
 食糧の輸入国である日本も仮想水の不足から逃れることは出来ない。例えば、
 小麦1トンを生産するのに1,000トンの仮想水が必要となる。
4. 宗教上の理由や生活レベルの低さから汚れた川から飲み水を汲んだり(バングラディシュ)、トイレが無く下水と上水が区別されていない国(カンボジア、ネパ-ルなど)が沢山ある。(日本にいては考えられないが)
5. 山梨大学グロ-バルCOEでは、世界各地の水に起因する災害・病気を軽減するために先端研究(医科学・疫学・気象レ-ダ-・・・など6項目)を展開している。
(主に東南アジアを中心に当該地域からの留学生を受け入れて共同研究している)
COE:center of excellence・・・多くの大学及び研究所などで取り組んでいる

 先週、国際福祉機器展(第36回)を見学して来ました。詳細は次回の近況報告でまとめたいと思いますが、かつての生彩さが年々無くなって行く様に感じます。出展企業数(団体数)も数十社ずつ少なくなっていますし([530社(昨年)→491社(今回)]、今年はとうとう6ホ-ル→5ホ-ルに減りました。それに、何と言っても出展内容に往時の華やかさが有りません。そんな中で、ダイワハウスがロボットス-ツ(足腰の筋力をサポ-トする)を出していたり、ポ-タブルトイレに洗浄タイプが出展されていたり、時節柄インフルエンザ対応商品が数社出展していました。しかし、数年前迄は独自の電動車イスで華やかに登場したヤマハ発動機が出展していないなど淋しいものがあります。
それでは、次回までお待ち下さい。

 さて、今回のホ-ムペ-ジのリニュ-アルでは先に書きました様に小規模な見直しに留めました。
しかし、全てのペ-ジ幅をスリムにする作業は改行を修正するなどで結構大変でした。それに、「ぶらり旅」を完成(?)させましたので、ぶらり旅はぶらり旅で記録に残し、今度は小旅行で長くても1~2日程度の旅を妻と始めることにしました。それを年に数回「小さな旅」と題して報告したいと思っています。今は、冬の時期に白川郷や春先の飛騨の高山を考えていますが、実現に向けてこの改訂が終わりましたら下調べに入りたいと思っています。
それでは、次回の近況報告は11月中旬になると思いますが、それまで皆様にはつつがなくお過ごし下さいますように。


5.

7月20日


 短かった梅雨が明けて
(平成21年7月)                                  
 皆様お変わりありませんか 早いもので今日は7月14日ですが、なんと昼のニュ-スで関東甲信が梅雨明けしたと見られる、と報じました。
確かに此処山梨は例年の半分以下の降雨量で大雨の日は殆ど無く、東北地方北部と日本海側ばかりが不思議と集中豪雨が多い特異な年ですが、こうした点にも異常気象の微妙な影響が見え隠れしているようにも思います。と言う事で、梅雨が明ければ明けたでこれからの暑い日々の事に悩まねばなりません。特に8月に衆議院選挙が有りますので、地表の温度と共に日本中が選挙の熱気に巻き込まれることでしょう。
それでは、今回も近況報告をさせて頂きますが、今週末に生涯学習講座が2講座ありますので其の講義をまとめてから転送したいと思います。


葉の丈が50cm以上もある水芭蕉
木道の傍らに此の様に水芭蕉とリュウキンカ(黄色い花)が咲いていました
尾瀬ヶ原への小さな旅
 前回の近況報告で6月の初旬に妻と一晩泊りで尾瀬に行った事をお知らせしましたが、もう少し詳しく報告しましょう。まず初日は水上ICを降りた先の土合にあるロ-プウェ-で天神平へ行きました。処で、此処のロ-プウェ-は、水平に張られた2本のメインロ-プ
が動く方式で、ゴンドラはメインロ-プに固定されて移動する大変珍しい構造でした。(ゴンドラは上下の駅でロ-プより切り離されます)恐らく欧州のどこかのメ-カ-のものでしょう(調べると、箱根や蔵王にも同じ構造のものが有ります)そして、天神平で谷川岳にある一ノ倉沢方向をさがして見ましたが(谷川岳はかつては多くの遭難者が出た恐ろしい山で知られています)、生憎その谷川岳は山頂が少し見えているだけで殆どが雲の中。風も強くなり高山植物や残雪も少なくリフトで其の先へ行くのは止めて一時間程いて降りて来ました。そしてその夜は水上温泉に泊まり、いよいよ翌朝(6月8日)は沼田IC迄戻りR120(日本ロマンチック街道と言い数年前に金精峠へ向けて走った道)を走り、途中の駐車場に車を停め其処からマイクロバスで「鳩待峠」迄行くと其の先が尾瀬への登山道で、結構急な下り坂(石段と木の階段)を川沿いに灌木の中を進むと行き着いた先が「山ノ鼻」と呼ぶ湿原の入り口でした。そして、どこまでも続く2列の木道を歩きながら無数に咲く水芭蕉やリュウキンカを観てこれぞ尾瀬ヶ原と感動しました。そこで其の日は天気に恵まれましたので、その先を歩こうかと思いましたが帰りの山道がかなりきつく、慣れない登り道に妻の足が耐えられるか心配になりましたので中田代まで後15分の所で引き返しました。本当は中田代の三叉路までは行こうと思っていたのですが・・・しかし、途中で引き返して良かったと思います。そこで山ノ鼻で昼食を摂りベンチで少し休み途中の山道でも休憩をとりながら鳩待峠へ戻りました。(鳩待峠と山ノ鼻迄の往復に2時間10分掛かりましたので、尾瀬ヶ原には一時間半いた事になります)しかし、水芭蕉はその背丈が50cm以上のものもあり(右上の画像)、しかもそれが密集して群生する場所では木道に大勢の人が集まり盛んに写真を撮っていました。と言うことで、6月初旬の尾瀬は水芭蕉とリュウキンカが一面に咲く見事なところでした。
 皆さんも来年出掛けて見ては如何でしょう。しかし、鳩待峠~山ノ鼻迄の山道は相当足に自信がないとその先の尾瀬ヶ原を一回り(山ノ鼻迄の往復)に3時間半は掛る様なので、足と腰を鍛えてから行くことをおすすめします。


生涯学習講座(その後)
 
 4月~5月の生涯学習講座を前回お知らせしましたが、7月19日現在の概要は以下の通りです。
尚、5月までの講座は
-此れまでの近況報告(新着情報)の更新記録はこちら-よりご覧頂けます。

山梨大学(読売新聞社)関係
3. 生活支援ロボット 1.  ロボットは今後RT(ロボット・テクノロジ-)として①もの作り(産ロボ)②介護を中心(安心・安全・公共ロボット)③人手不足対応(生活・サ-ビスロボット)の3分野に区分されて進化すると考えられるが、2010年と2030年(20年後)の生産額を比較予測すると①は1兆3千億円→4兆7千億円(3.5倍)に対し、②は300億円→2兆7千億円(90倍)③は400億円→2兆3千億円(約60倍)の成長が見込まれる。(日本ロボット工業会)
2. 日本の人口(計算上)は1.15億人(2030年)、1億人(2045年)、9000万人(2055年)、4500万人(2100年)で、2055年には人口の2.5人に一人が65歳以上となる高齢化が明白。しかも単独世帯・高齢者の一人世帯・認知症などの増加が避けられないので、上記②及び③の開発を急がないと間に合わない。
3. 東京大学が国内企業7社(パナソニック、三菱重工、トヨタ、富士通、凸版印刷、オリンパス、セガ)とIRT(IT+RT)研究機構を立ち上げた。目的は、①少子高齢社会の課題解決に貢献するIRTイノベ-ションを創出する②研究の初期から大学と企業が対等な立場で協働し「死の谷」を克服する産学連携の新たなモデルを実現する③細分化された専門領域を結びつけ、課題解決を実現する能力を備えた人材の育成。
4. 上記の途中経過として、掃除ロボットや片付けロボット及び゙キッチンロボット(皿洗いロボット)のビデオを見たが、画像処理と思考判断等にかなりの時間を要し実用化までの道のりはまだ相当先になることを実感した。ただ先月、脳波を用いて電動車イスの操縦を行う新聞記事を読んだが、地道でも大切な研究である事を痛感している。
5. ロボット工学三原則:アイザック(ロシア)・アシモフ(アメリカ)作によるSF小説による(1942年)
1)ロボットは人間に危害を加えてはならない。又、何も手を下さずに人間が危害を受けるのを黙視していてはならない。
2)ロボットは人間の命令に従わなければならない。但し第一原則に反する命令はその限りではない。
3)ロボットは自らの存在を護らなくてはならない。但し、第一、第二原則に違反しない場合に限る。
4. 命を支える食育と健康 1. 20歳以上の糖尿病の状況(H19年10月の1億400万人の人口に対するサンプリングによる推定数値)
①糖尿病が強く疑われる:約890万人(HbA1cが6.1以上)40歳以上では男性(19.4%)女性(10.2%)
②糖尿病の可能性が否定出来ない:約1,320万人(HbA1cが5.6以上6.1未満)合計2,210万人
2. メタボリックシンドロ-ムとは8学会による下記其々の項目中2項目以上が該当する場合を言う
①ウエスト周囲径が男性85cm以上女性90cm以上②中性脂肪(TG)値が150mg/dl以上又はHDLコレステロ-ル値が40mg/dl未満③収縮期血圧が130mmHg以上又は、拡張期血圧が85mmHg以上
④空腹時の血糖値が110mg/dl以上。40~74歳で見ると、男性の2人に一人、女性の5人に一人がメタボが強く疑われるか又はその予備群と考えられる。
3. 朝食の欠食率が年々上がっている。更に野菜の摂取量の平均値が290g(基準は350g以上)と不足している。又、脂質の摂取量も増加している。食塩が男性12g(目標値10g未満)女性10.3g(目標値8g未満)と目標値に対してまだ高い。但し、摂取エネルギ-は減少傾向にある。
4. 食事をバランス良く摂る事が大切で、3大栄養素であるタンパク質(P)、脂質(F)、炭水化物(C)のバランス(平均値)は摂取するエネルギ-に対して、Pが15~20%、Fが20~25%、Cが60%が理想だが、脂質が現状増加傾向にある(30%以上の割合)しかし、高寿命である日本のこのPFCの数値が世界のお手本になっている。
5. 日本人の食事摂取基準の目標値は、生活習慣病に重点を置いた場合以下の通り
①増やすべき栄養素:食物繊維(野菜)、n-3脂肪酸(ドコサヘキサ塩酸:魚)、カルシウム、カリウム
②減らすべき栄養素:コレステロ-ル、ナトリウム(食塩)
③脂質については、脂肪エネルギ-のみならずその質についても考慮する。肉類にある飽和脂肪酸はn-3脂肪酸(魚)に変え、油類はn-6系脂肪酸(植物性油)が望ましい。

  
山梨学院大学関係
4. ロ-カルガバナンスの視点から考える山梨 1. 国政(ガバメント)は、国会議員を国民が選び多数党(与党)の党首が内閣を組織して首相となり大臣を選出するが、国民は党首や内閣を選ぶ事は出来ない。此れに対し地方自治(ガバナンス)は、住民が直接長と議員を選び問題が有ればどちらもリコ-ル出来る。しかも、住民が彼等をチェック(監視)する事が出来る
2. 地方自治では長と議会が対等に議論し長が執行するが、議員個人は議会での力は無く議会の議決により全てを決めるので、結局、議会が長より強い力を持つ。(議会で長と議員が議題を切磋琢磨し徹底討論をするのが本来の姿)しかし、現実には議員も長も質問と答弁を読み上げて終わるケ-スが多く山梨を含めて殆どの議会がレベルの低い(場合によっては職員が原稿を書く)運営となている。
3. 地方自治を活性化するには、自治基本条例の制定と、議会基本条例の制定が不可欠(ル-ル作り)であるが、制定されていないか骨抜き(甲府市を含む)になっている場合が殆どである。
4. 北海道の栗山町は全国で唯一開かれた自治に取組み、自治基本条例と議会基本条例を制定し議場にテレビカメラを設置し町民が議場の様子をチェック出来るシステムと議会の状況を年に一度町民に説明しているが、一方、議員定数を削減し、町長と議員が真剣に討論し合うなど、極めて進んだ地方自治を推進している。
5. 平成の大合併で3200→1770市になったが、国も地方も財政難で此れ以上の合併は無理との意向から、ひとまず落ち着かせようと考えられている。(自民の道州制や、民主の700~800市構想など)
5. 変革期における地域のリ-ダ-

(近藤喜則と藤村紫朗)
1. 明治初期に近藤喜則(現南部町で江戸時代に本陣を務めた豪農家)が蒙軒学舎(もうけんがくしゃ)と呼ぶ学習塾を開き、優れた教授陣による近代的な教育により多くの政治家(大臣や県会議員)や軍人達を多数排出した。
2. 同じく、政府から県令として派遣された藤村紫朗(熊本出身)は製糸や製紙産業を奨励し、近藤喜則と協業し殖産と育英に尽力した。藤村は初代山梨県知事となるが、山梨の衰退と共に明治20年愛媛県知事に転出する。しかし、彼が残した藤村様式と呼ぶ西洋式建物は現在武田神社→甲府駅北口に移築工事中であり、山梨在任中は県政・産業・文化など幅広く活躍した。
3. 山梨には中世から甲州商人としての確かな基盤(風土)があったが、明治の変革期にこうした実力者達により山梨が極めて活性化され、やがて根津嘉一郎(東武鉄道・地下鉄)、早川徳次(地下鉄王)、小林一三(阪急電鉄)、小佐野賢治(国際興業)などの実業家を排出する基礎を作った。
4. 戊辰戦争(板垣退助率いる官軍)において幕府の直轄地であった甲府は近藤勇(新撰組)達の到着が遅れた事などにより官軍側が勝利し新政府側に実権が移った事と、その後に起こった自由民権運動の潮流の中で物価の高騰や倒産続出、農村の疲弊などのなかで、山梨が時代から取り残されて元気がなくなって行った。
5. 明治時代は、新政府の台頭の中で富国強兵策と自由民権運動が全国的に広まって行ったが、其の中で山梨は産業と教育の点で当初は全国より進んでいたが、大きな時代の波に翻弄されてしまった様に感じた。
6. 甲斐の国の渡来人 1. 通算4度に渡って(BC5世紀~AD7世紀)朝鮮半島から渡来人がやって来たが、特に最初と2度目は百済(くだら)からの人がいずれも集団で渡来した。其ののち、5世紀末~6世紀半ば(3度目の集団の百済人)の人達が甲斐の国(現在の笛吹市春日居辺りを中心)にやって来た。
2. 百済は日本(当時は倭と呼んだ)と距離的に近く、一方中国に近い高句麗は強国で朝鮮半島の新羅、任那、百済を制覇して行く中で百済は追い出されて日本へ逃げ出した者も多かった様だ。しかし、そのお陰で稲作文化や金属器の文化及び馬の生産が我国に伝えられた。3年前に私が訪れた佐賀に在る吉野ヶ里遺跡も多くの渡来人を迎えて大きな集団を作っていったのだろう。
3. 7世紀後半(奈良時代)に、高句麗が中国(隋や唐)に敗れてその一部が我が国に亡命し、日本の東部[甲斐では小渕沢から旧北(中)巨摩郡の辺り]に移り住んで、主に馬の生産に当った。(4度目の渡来)
4. 奈良時代前の馬の生産地は、甲斐、信濃、武蔵(中心は埼玉)、上野(こうずけと読み中心は群馬)の4か所で其の中で甲斐は最初は馬の生産が盛んであったが、やがて高句麗の滅亡後に高麗人が甲斐に来た(奈良時代)が、その50年後に武蔵へ高麗人を遷した(理由不明:埼玉の高麗川の辺り)。
そして、高麗(こうらい又はこま)→高痲→巨痲→巨摩となり、北巨摩郡や中巨摩郡の地名の基となっているらしい。
5. 山梨に存在する巨摩の歴史的背景が何となく分かっていたが、馬の生産に高麗の人達がやって来た事までは知らなかった。私の住む旧敷島町は昔は「志麻の荘」と呼び、麻が作られていたと聞き覚えているので、高麗人が麻の栽培にやって来たと思っていた。
7. 根津嘉一郎
   (鉄道王)
1. ①1860年(149年前)に山梨市の豪農の二男に生まれる(20歳の時東京で漢学を馬杉雲外から学ぶ)
②県会議員(明治24年)を一年で辞め東武鉄道へ入社(明治38年)この間の13年は商品相場等をやる
③東武鉄道事業を再建し群馬地域の活性化を図る(地下鉄事業など24社の鉄道事業に関わる)
2. 彼が残したもの:①東武鉄道を初め明治から大正に掛けて鉄道王として君臨した②日清製粉(館林)を初め群馬県の地域活性化に貢献した③山梨県下の小学校にピアノ(200台)や顕微鏡、ミシンを寄贈(昭和8年)④根津美術館建設⑤県庁内に図書館を建設し寄贈⑥武蔵大学(現)を設立
3. 根津嘉一郎の信条
①社会から得た利益は社会へ還元する義務がある
②国家や人々の将来を常に考えていた(実業家と言うよりも思想家で、起業家の枠にはまらない人物)
4. 明治の山梨は甲州財閥と呼ぶ多くの実業家を排出したが、其の中の5人①若尾逸平(東京馬車鉄道)②小林一三(阪急電鉄と宝塚歌劇団)③早川徳次(東京メトロ)④根津嘉一郎(東武鉄道)⑤雨宮敬一郎(甲武鉄道:八王子~新宿迄の現中央線の買収)の人達は、鉄道事業と大いに関係がある
5. 其の中で、小林一三は以下3点に先鞭を付けた点で傑出している
①私鉄系の(鉄道)モデルを作った
②ビジネスホテルの基本を作った
③駅タ-ミナルにデパ-トを造った(其のデパ-トの上階に食堂を置く等の考え方)

それでは、本日は此れにて失礼します。尚、此の先ホ-ムペ-ジは6度目の改訂に入る予定でおりますので、第5回改訂の近況報告
は今回までにさせて頂き、10月初旬に改訂版(第6回)を見て頂ける様に頑張りたいと思いますので、宜しくお願いします。また、梅雨も上がり夏の最盛期を迎えますので、皆様健康には暮々もお気を付けてお暮らし下さい。


4.

06月02日


 
4月~5月のご報告                                                        

 皆様お変わりありませんか 早いもので6月になりました。処で 昨年の丁度今頃、私は北海道への旅の途中で屈斜路湖を観たあとに美幌で初めて温泉に入り、その後「相生」に泊まりましたが、翌朝(6月2日)そこに有った鉄道公園でラッセル車の実物を見たり、かつて北見-相生線として栄えた駅舎を見たあとに阿寒湖と摩周湖に行きました。また旅の後半では噴火湾沿いの国道を函館に向けて走りましたが、NHKで先月其の辺りの(森町漁港の)ホタテ貝の養殖風景を放送していました。あの時の噴火湾も波静かで室蘭や伊達方面が小雨の中に霞んで見えていました。いずれにしても、一年前の道内の光景が懐かしく思い出されます。

処で、今年も間もなく梅雨の季節に入る頃となりますが、今年はどの様な雨の季節になるのでしょう(?)それでは、今回は4月と5月の近況をお知らせしたいと思います。

尾瀬沼への小さな旅(予定)
  6月初旬に妻と一晩泊りで尾瀬に行く事にしました。6月7日の朝に山梨を出て、昨年開通した圏央道(八王子JCT~青梅)を経由し関越道の水上まで走ろうと思います。そこで、現着が早まれば谷川岳の天神平までロ-プウエ-で登り残雪が残る山並みを眺めたり高山植物を楽しみたいと思います。その天神平に夕方まで居てその日は予約してある宿に泊まり、温泉にゆっくり入り休みたいと思います。そして翌日は途中の駐車場に車をとめて其処からシャトルバスに乗り鳩待峠まで行き(ガイドブックによると)其処から徒歩で標高差200m(距離:3.3km)下るとそこからが尾瀬沼なのだそうで、その木道を歩きながら水芭蕉やリュウキンカなどの草花を観て来ようと思っています。(次回、ご紹介します)

 予定通り尾瀬沼(正しくは尾瀬ヶ原)に行って来ました。感想のみ報告しますと、葉の丈が50cm以上もある水芭蕉(20~30cmを想像していました)が無数にあり、リュウキンカ(黄色く小さな花)などとともに木道の脇に咲いていたり、小川に沿い群生する眺めは別世界にいるような心持ちで数時間の時を過ごしました。今回は、旅が苦手の妻も尾瀬の雰囲気を満喫したようです。しかし、足がとにかく痛いと現在悲鳴を上げています。それでは、報告は此れまでにして次回はもう少し詳しくお知らせしたいと思います。(6月10日追記)

生涯学習
講座
 今年度の生涯学習講座を前回お知らせしましたが、6月02日現在5講座を受けました。その講座名と講義の要約は以下の通りです。

山梨大学(読売新聞社)関係
1. 遺伝子について

正しい講座名は、
「生命(いのち)の設計図-遺伝子はヒト/人間の設計図か-」
1. 2003年に人間の遺伝子の全体(22,800の人ゲノム:)が解明されたが、生命と遺伝子との関係(例えば感情や情動といった心の動きと遺伝子との関係)などが謎だらけで新たな難問となり、暗礁に乗り上げている。(ゲノムgenomeとは、遺伝子geneと染色体chromosomeの合成語)
2. 遺伝子は生物種としての人(ヒト)の設計図となるが、社会的存在としての人間の設計図にはなり得ない。(教育を受けて初めてヒトは人間になる)
3. 最近話題のES細胞とiPS細胞があるが、どちらも自身の細胞から胎盤以外のどの様な細胞をも作り出す事が出来る。しかし、その場合に前者は卵子の中の胚を壊して作るが後者は壊さずに作るので、安全性と倫理性の点でiPS細胞が優っている。(教授の意見)
4. クロ-ン技術を含め、今後遺伝子技術が間違った方向に進まない為に正しい倫理性をどの様に構築(成熟)させて行くかが大きな課題。(研究者として常に頭から離れない命題であるとのこと)
5. 受精から22週までを医学的に人と扱わずに中絶もこの期間内に行う事が決められている(23週からは未熟児として育つ)また、現在体外授精児は50人に一人の割合で生まれている。(国内初から26年が経つ)
2. 生命の誕生
-不妊治療の現状と将来の展望-
1. 不妊症は頭痛などと同じ病気の一つで、全夫婦の10%~15%(300万組に近い夫婦)に子供が授からない悩みを持っている。
2. 不妊症の治療には、排卵障害(排卵誘発剤の使用)、卵管閉塞[体外授精(配偶者間人工授精)]、乏精子症[男性の精子数が不足するため、元気な精子を取り出して卵子に人工的に入れるものと、無精子症の場合は他人の精子を人工的に入れるものが認められている(正常な精子は1cc中に2,000万)]などがある。いずれもART(アシスト、リプロダクティブ゙、テクノロジ-)と呼ばれている。
3. 多産児出産は、排卵誘発剤(ホルモン)の加減で卵子が複数排卵した結果発生するが、母体に良くないので一つを残して後は凍結させ後日子供が欲しい時に解凍して使用する事が普及し始めている。
4. 不妊治療の問題点は、例えば顕微授精の場合[(顕微鏡を見ながら精子を卵子(直径0.1mm)に注入する]、卵子を器具で押さえて授精させるが、本来の受精に比べ安全性の点で物理的にリスクがある。
5. 不妊治療の将来は、例えば不完全な卵子または精子を取り出して、ES細胞やiPS細胞を使って自分の体細胞から健全な卵子または精子(配偶子)を作り出して受精させる事が出来れば画期的な治療が出来る。

山梨学院大学関係
1. 地域コミュニティ-の現状と今後 1. 地域の公共性はもはや中央の官の独占物ではなく、地域社会全体(市場含む)が機能を分担する価値観への転換が求められる社会へとなりつつある。
2. 終身雇用や年功序列等を基本とした大企業を中心とするこれまでの市場原理化が破綻して来た事もその根底にある。
3. 一方、地域コミュニティ-の根幹をなす自治会(町内会)組織は少子化、高齢化、核家族化等の社会現象に伴い崩壊の危機にある。(首都圏ほど重症)町内会が行き詰まり、武蔵野市などは一部NPO化した所もある。
今後の課題としては、自治会単位→学校単位またはNPO化が考えられる。
(学校又はNPO以外に代替組織が見あたらない)
5. 自治会(町内会)のNPO化への成功の条件
①危機の共有
②共通の目的(ミッション)がはっきりしている
③相互の利益が共有出来る(共有関係が継続的に成立し続ける事が出来るかどうかが重要な課題)
2. 僻地を生き抜く町の戦略 (早川町) 1. 早川町は南アルプスの山梨側にあり人口は1,200人(かつて昭和の合併頃は8,000人居たが、林業の衰退と発電所保守員の減少等で1/7に減った)で、国内で最も人口の少ない町
2. 早川町は平成の合併を取り止めた。(町民の60%の意見)理由は、合併後人口の少ない地域が後回しにされて結局過疎化が更に進むことを町民が理解している。(町でもこの点を強くアピ-ルした)
3. 一方、各地区(6部落)の特色を出し観光資源を有効活用して観光客を呼び込むこと。町を出た人達からメディアで町が最近賑わって来た様子を知り住民の気持ちが変わって来たこと。温泉客も増えて来ている。
4. 町作りのポイント:①人材を育てること②個性ある地域にすること③目標とその目指す方向を行政が決めること④生き生きとした生活の場を作り出すこと。こうした事を中心に豊富な温泉や豊かな自然をPRして若者を呼び込む活動が定着しつつある。(サポ-タ-クラブ)
5. 早川町の将来:①中部横断道路が町内を通る。(インタ-チェンジも出来る)②リニアモ-タ-カ-が町内を走る。(町の宣伝になる)③南アルプスを世界自然遺産にする計画がある。④特別老人ホ-ムと地域の病院を連携させて地域医療を進化させる事を検討中。
3. 井伏鱒二の甲州滞在 1. 明治維新を推し進めたひとりであるジョン万次郎の本名は中濱万次郎。その彼を「ジョン万次郎」と名付けたのが井伏鱒二で、また門下生に太宰治や三浦哲郎がいることは知っていたが、広島県福山市生まれの彼が山梨を大変気に入り150以上の作品を山梨で書いている事は知らなかった。
2. 中央線沿線に住み、俳人の飯田蛇笏と親交があった事も山梨好きになった理由のひとつとのこと。又作風は事実と夢物語を取り混ぜてユ-モアに富み、読んで面白い作品が多く作品の多くが映画化されているとのこと。
3. 講師は県立文学館の77才になる館長で、井伏鱒二の風貌や自然や人や酒が好きだった鱒二を丁寧に実に詳しく2時間を立ちづめで話してくれたが、歳を感じないあのエネルギ-(パワ-)に感服した。
4. 作家としての太宰治(今年生誕100年)の面倒を戦前は実に良く見たそうだが、戦後は太宰が売れっ子になり会う時間がなくなったことと、太宰は少々ヤンチャな性格で鱒二はそれをあまり良く思わず疎遠になったとのこと。太宰が自殺した事もあり戦後は3度しか会っていないのだそうだ。
5. 井伏鱒二の作品を読んだ記憶がないので、今度読んで見たいと思っている。

妻のパソコン練習
  これまでシブッていた妻が此処へ来てパソコンをやりたいと言い出しましたので、早速(気が変わらない内に)BIGLOBEへ家族会員登録をやりメ-ルアドレスを入手して、一階のテ-ブルにノ-トパソコンをセットし、無線LanでNetが出来る様に環境整備をしたうえで、まずWordの入力練習とインタ-ネット接続のやり方から始めました。最初妻は私がかつて練習用に使ったプリントを見ながらの練習で当初はつっかえていましたが、キャ、キュ、キョなどの入力方法を一覧表にまとめたプリントを見ながら一日2時間ずつ新聞記事を選んでは結構楽しそうに飽きずにやっています。(始めてすでに2ヵ月近くになりますが、最近少し上手になりました)

我が家の菜園
  今年も我が家の庭で家庭菜園
をやることになり、娘夫婦が苗を買って来て孫と一緒に植えていました。何でも今年はたくさんの種類を植えて色々と違った野菜を収穫するのを楽しみにしている様です。先日も大分苗が育って来ましたので皆で棚を作りました。そこで、立派に育った野菜をホ-ムペ-ジでご覧頂ける様に水やりや追肥に心掛けたいと思います。

「甲斐金山展」の見学(5月2日)
  県立博物館で「黄金の国ジパングと甲斐金山展」を開催(4月25日~6月15日)していますので、先月観に行きました。世界からの金鉱石の展示やアルミや銅そして鉄に比べて金(比重19.3)が如何に重いかを持ち上げる様な形をしたインゴットにして誰でも体験出来る展示がありましたが確かに持ち上げてみると鉄の2.4倍ある金の重かったこと(たぶんアルミが5kg、鉄が15kg、に対して金が約36kgで、金を片手ではとても持ち上げる事が出来ませんでした)
その他、現在国内で操業中の金鉱山は菱刈金山(鹿児島)のみで、金鉱石1t当たり40gの金を産出しているとのことでした。このほか、ペル-、中国、南アフリカ、オ-ストラリアの順で金を産出しているとのこと。一方、戦国時代以降、甲斐金山は佐渡などと共に多くの金を産出し甲州金として武田の財力に大きく貢献したと聞き及んでいましたが、実際は貨幣としての甲州金は江戸時代になってから本格的に利用された様で、武田信玄の頃は手柄を挙げた家来たちに褒美として金の塊を授けたのが実態とのことでした。と言うことで金を精錬し小判や金塊にして流通した甲州金は戦国時代にはまだ出来ていなかった(その辺が良く分からない)との事でした。それにしても日本銀行貸し出しの大判、小判や甲州金などの展示は見事でした。

それでは、先に書きました様にジメジメした梅雨の季節をこれから迎えますので、体調に気をつけてお過ごしください。次回は夏休み前頃にご報告したいと思います。


3.

04月21日


 
4月からの予定(計画)
                                                
すっかり春になりました。今年の冬は暖かだったり冷え込んだりと体調管理が大変でしたが、漸く春を迎える事が出来ました。
皆さんは如何でしたか。さて、4月以降の予定が検討中を含めて少しずつまとまって来ましたので、お知らせしたいと思います

生涯学習
 まず、4月から始まる「生涯学習」の講座が決まりました。その講座は、山梨大学と山梨学院大学の2箇所で開かれますが、梨大は今年度は「生命」を統一テ-マに月一回開かれて年間10回の講座となります。内容は、「遺伝子」や「生命の誕生」そして「運動と健康」など幅広く生命についての講義となっています。一方、学院大では2つのテ-マとなっていて、その一つは「山梨学」と題して山梨で活躍した人達(根津嘉一郎、太宰治、藤村紫郎など)を紹介する講座と、もう一つは地域振興に関するテ-マ(例えば、市町村合併がもたらした効果と結果や山梨のインフラ整備の行方など)ですが、それぞれのテ-マが年間7講座ずつ予定されています。そして、学院大は期間が4月から12月まで、梨大は4月から来年3月までで、どちらも8月と1月(梨大)は休講となりますが、全部で年間24講座が開かれます。そこで、こうした講座で知識を得た上で気に入ったテ-マのその先を更に深めようと思っています。この他に(この2校とは別に)山梨県の企画部や県工業技術センタ-が生涯学習やセミナ-を発表していますので、興味のあるものも取り込みながら一年を過ごしたいと思います。

山歩き
  山とは言っても標高の低い山(峠)を歩いて見ようと思っています。まずは、河口湖にある三ツ峠、塩山の先にある大菩薩峠、それに旧敷島町の先にある木賊(とくさ)峠など。出来れば、茅ヶ岳にも登って見たいと思います。しかし、最近歩くことには不自由していませんが、どうもバランス感覚が悪く歩いていると横にふらつく事が時々ありますので、全体の筋力を強化した後に実行したいと思います。

小旅行
  
現在行って見たいところは、5月~6月に掛けて新緑の尾瀬沼です。一泊で良いので妻と二人で行って見ようと思っています。その他、飛騨の高山や白川郷にも行きたいと思っています。まだ計画に入っていませんが、妻を説得するところから始める必要がありますので、首尾よく説得できるかどうか私の腕にかかっています。(?・・・)

以上が現在までの状況です。そして、以下は最近の近況報告です。

今年は私の住む団地の組長を1年間務めることになりましたが、その中で自治会活動として資源ゴミや粗大ゴミの収集を月に4回平均でやることになりました。あわせて組長全員で恒例の盆踊り大会を行うのが習わしですので、特に夏前までが忙しくなります。そして、毎月の組長会議への対応と自治会費の集金など色々とやる事が沢山です。しかし、前回は15年前に組長をやりましたが、あの時は子供たちがまだ中・高生で、子供クラブの部長として夏祭りにワタ菓子やカキ氷などの出店を子供たちと仲良くやりました。しかし当時は私も50才でまだ若く家族ぐるみで張り切ってやりましたが、15年後の現在はとてもあの当時の若さは残っていません。

先日妻と桜の花見に出掛けました。(4月4日)ところが、最初に行くつもりの真原(さねはら)の桜並木は、その手前にある山高の神代桜(H19年に見学)へ行く車の長い列(5kmも手前から)が出来ていて、見ると横浜や埼玉ナンバ-などの他県からの車が多く遠くから来ていることが判りましたが、恐らく土日の高速道路料金が距離に関係なく1,000円になった影響がこの長い列を作っている様でした。一昨年も土曜日に出掛けましたがこんなには混んではいませんでした。1,000円の安さについ遠出をしてしまう心理に呆れてしまいます。と言う訳で桜を観ずに引き返しました。そこで、今年はどうも満足な花見が出来ていませんので、翌週妻と桃の花を見に笛吹市にある公園に行きましたが、丁度満開の桜と桃の花を両方観る事が出来ました。一面に咲く桃と桜の花は見応えがあって素敵でした。

また、4月7日に三ツ峠(途中まで)へ行って来ました。その日の朝に富士五湖の天気が良いとの予報を聞き早速手始めに車で出掛けました。家を8時少し前に出発して9時半に河口湖畔に着きましたので、近くの駐車場に車を止めて早速ロ-プウエ-で天上山公園まで行き、其処で絶景の富士山をカメラに撮ってから三ツ峠へ向かいました。しかし、20分ほど急な登山道を歩くと、改めて周りに私以外に誰一人としてハイカ-がいない事に気が付きました。なるほど、この季節のウイ-クデ-ではいくら天気が良くても山歩きをする人はいないことに気が付いたのです。それに、「サルが出るので餌をやらない様に」との看板を途中で見つけ、しかも草むらにゴソゴソ動くものがいたので良く見ると、一羽のキジが私の足音に驚いたのか私から遠ざかって行くところでしたが、誰もいない山道で不気味さを感じました。そこで、もしイノシシなどが出たら場合によっては怪我をしないとも限らないとの不安が頭をよぎりましたので、結局これ以上登るのは止めて(この先に何が起きるかが判らないので)元の場所へ戻り、帰りはロ-プウエ-に乗らずに下りの山道を湖畔まで歩きました。(上りは3分、下りは30分掛かりました)しかし、その下りの山道は結構楽しくて、灌木の間から見える景色(河口湖や富士山)を眺めたりしながら歩きましたが、反面結構膝に負担が掛かり後からかなりの痛みを感じました。と言うことは、いつも山歩きをしていないと膝や足首が痛くなって長くは歩けない事を知りました。ですから今後山歩きをしようと思っても、普段から斜面を歩く事をやっていないと足を痛めてしまうので、これからはウlォ-キングだけではなく本格的に階段や斜面も歩く訓練をしなければいけないと思いました。

奈良興福寺の阿修羅像の見学
  昨年は薬師寺の日光・月光菩薩を観ましたが、今年はやはり東京国立博物館で阿修羅像などの展示がありましたので観に行きました。
阿修羅(あしゅら)像は木材の骨組みに粘土で像を形造りその上に幾枚もの麻布を貼り付けて漆で塗り固め、乾燥後に粘土を体外へ取り出し漆で練った木質の繊維で仕上げた(脱活乾漆造)後に彩色されたいわゆる張り子の像(三面六臂:3面の顔と6本の腕)ですが、身の丈が1.5m以上もあり今から1300年前の天平の文化を極めて美しく気品のある姿に仕上げられたさすがに国宝の名に相応しい仏像で、来場者が昨年よりも多く大変混んでいました。この他に、十大弟子像と八部衆像にも圧倒されましたが、実に人の心を引き付ける素晴らしい仏像達でした。詳細は、次回の近況報告に書きたいと思います。(6月7日まで開催、月曜休館)

今年度の生涯学習講座(第一回)がスタ-ト
 平成21年度の生涯学習(内容は上記)が4月18日から開始されました。今年のテ-マは「生命」ですが、今回は遺伝子(DNA)と生殖、最近話題となっているES細胞やⅰPS細胞、クロ-ン技術の問題点、それに2003年に人遺伝子の全体(ゲノム)が解読されましたが新たに難しい問題群の壁にぶち当たっているのが現状の様で、そうした事例などを平易に説明してくれましたが、私にはかなり難しく理解しずらい箇所が多くありました。

仲間との近況報告会
  かつて一緒に仕事をした仲間と6年振りに再会し、酒を酌み交わしながら其々の近況報告と思い出話に花が咲きました。みな頭に白いものが増えましたが気持は全員若かりし頃と同様にいたって意気軒昂!、時間が過ぎるのも忘れて喋りまくりました。友と言うものは本当に良きものです。そして、全員が今は妻と二人の生活ですが、時まさに愛妻孝行の真っ最中でやはり長年連れ添った奥さんと仲良く暮らしていることが話の端々にうかがい知れて安心をしました。私もすっかり酔い山梨へ戻る間際まで皆と過ごしましたが、正直なところ散会のころを良く覚えていません。そのくらい、実に楽しいひと時を過ごすことが出来て本当に良かったと思っています。

20年度に受けた生涯学習セミナ-の報告
   21年度のテ-マを検討する時に、20年度(2月~3月)分で残っている講座を調べ内容を確認しました。受けた講座は以下の5つです。

講 座 名 主  催 講座のポイント(記憶に残っているものの要約)
1. 生きがいの持てるライフ
 スタイル
県生涯学習センタ-(臼倉登貴雄氏) 幸せな老後を送るには①生活の安定②生活の質の向上③社会貢献が大切で先の読めない社会の中で上手くやって行けるかを考える心のゆとりを持つこと
2. 人間の体温・地球の体温 山梨大学
読売新聞社
人間の体温は、体を安定状態に保つのにどれだけのエネルギ-が必要か、其れを決める体内の基礎代謝により食物の摂取量と体温が決められる(個人差あり)
3. 脳卒中
(予防と治療の最前線)
県医師会 脳出血(クモ膜下出血含む)も脳梗塞の場合も発症したら早く病院へ行き(3時間以内)治療に2時間を掛ける事が出来れば後遺症の低減を図る事が出来る
4. 燃料電池技術セミナ- 県工業技術センタ-
(パナソニック)
都市ガス又はLPGより水素を得る燃料電池が5月上市(パナソニック)。製造コストは320万円=価格(180万円)+国の補助(140万円)。価格は太陽電池とほぼ同額。(いずれも3kwシステム)今後の課題は水素ステ-ションの整備とコストダウン
5. 健康寿命を延ばす環境
山梨大学
読売新聞社
健康寿命=平均寿命-介助を受けて過ごす期間。つまり、介護を受けず自立的に健康で生きる寿命のことで、山梨は全国で一番(女性)、男性は長野に続き2番
   詳細は、21年度分を含めて10月のリニュ-アルの中でまとめる予定です。


2.

03月06日

 
此のごろ思うこと (最近のできごと)
                                        
 今年は2月14日に最高気温が25度近くの所が全国各地にあり、甲府でも24.7℃と全国で三番目に暑い陽気となりました。そして、一気に春と言うよりも初夏を思わせる気温にびっくりしましたが、3月3日の雛祭りの日に山梨でも2cm程の積雪があり、いつもの冬に戻りました。
しかし、こうした陽気の急激な変化については行けない私にとって例年通り体調維持に悩みますが、とは言え何とか乗り越えねばならないので体と上手に付き合いながら体調管理に努めています。

 さて、今年も早くも2ヶ月が過ぎていよいよ春の訪れが間近かとなっていますが、とは言えまだまだ春は名のみの今日この頃です。
それでは、今回の近況報告を始めたいと思います。

まず、昨年3月で辞めた会社からのお話で8月より若手設計者達の教育に取り組みましたが、半年になる1月でそれを終えて2月より以前の生活に戻りました。そこで、はじめに一年半前に購入したパソコンのCドライブの容量が以前から少なく気になっていましたので、手始めにDドライブ (約400GB)領域を減らしCドライブを増やすパ-ティション変更より始めましたが、なんとデ-タ-のバックアップをやった積りが、結果的に此れに失敗してデ-タ-が全て消滅してしまいました。しかし、ノ-トパソコンにかなりのデ-タ-を転送して置いたお陰で、80%のデ-タ-を取り戻すことが出来ました。どうも、初期状態の環境にしてしまった様です。しかし、ノ-トPCも同じ様に先にパ-ティションを変更しましたがこちらはデ-タ-の消滅はなく上手く領域変更が出来ましたので、メ-カ-が異なると手順が変わるのかも知れません。と言う訳で、滅多にPCの基本設定変更をやらなかった罰を早速受けてしまいました。

この件で、PCのリカバリ-に一週間も掛かってしまい、その後は20年度の確定申告をe-Taxで申告をしたり(昨年は見事に失敗しましたが)、
1月に報告をした生涯学習の状況をネットで調べて、20年度でまだ残っている講演や講座を受けに甲府に出掛け、どの様な内容かその様子を確かめました。また、月末には私の姪の結婚式に海老名(神奈川県)まで出掛け、2次会までお付き合いをしてその夜はホテルに泊まりましたが、久し振りに楽しいひと時を過ごしました。

 処で、最近思うのですが今の私は65歳で仕事をやめて自分の部屋で誰に邪魔もされずに好きなことをやる。しかも時間に縛られることもなく少しの生き甲斐を探してマイペ-スで毎日を過ごす。しかし、そうかと言ってただ時間を過ごすのでは生活にけじめが付かないので、その日にやることを箇条書きにして忘れない様にしたり、今後の予定を紙に書いて終わったものから横線を引くと言う様なキチンとした時間の使い方にしようと2月から始めましたが、その様な生活に今後もし退屈して来たらまた何かを考えるとして(少なくとも今は此れ迄に経験していない新しいテ-マを探し勉強する)そうした新しい発見を見付けては日々を過ごす。その様な生き方をして見たいと思っています。

 しかし、人はそんな私を見て もっと自由に過ごせば良いのに(なんでそんなに窮屈に生きようとするの)と言わんばかりの顔で話し掛けて来ますが私は、私の生き方を決して不自由な生き方だとも窮屈な生活であるとも思っていません。たとえば、普段のウォ-キングにしてもその日の気分で歩きたくないと思う日も有りまた、自然と体が前にドンドン進んでしまう時などその日によって気分は様々ですが、しかし、あまり気が進まない時は歩幅を少なくしてゆっくりと歩いたり、しばらく立ち止まって周りの景色を眺めたり、最初の予定を変えて近道をして帰って来たりと、毎日の歩数を何が何でも守ると言う様な事はせずにその辺は臨機応変に過ごしています。ただ、背中を丸めてヨボヨボと歩くことだけはしない様に心掛けています。

 但し、確かに私は性格的にキチンとしたことしかやらない(出来ない)と言う性格が身に着いていますので、たとえ無計画にやれと言われてもそれは長期間は無理でしょう。ですから、目的を持たずにその日その日を過ごしている人を見ると、「ああ言う人にはなりたくないなあ」と心の中でつぶやいてしまう性格であることは事実です。

それに、私は毎日を窮屈に生きている人間に見られがちですが、そうでは無く自分なりに考えた身の丈ほどの少しの目的と目標を持ちながら生きようとしているだけで、良く家族から「お父さんは又NHKを見ている」と笑われますが、自分は民放のお笑い番組よりNHKの方がよっぽど楽しいと思っていますが、別に民放の番組をけなしている訳ではないのです。しかしながら、「NHKの番組は窮屈」とする家族の意見に対して、どうもその点の波長が合わない場合があります。

 話は変わりますが、今年になって全体的に暖かな日が多い(と言うよりも寒い日が例年より少ない)様に思います。全国的には網走では流氷の接岸が半月近く遅れましたが、北からの風がかなり遅れて吹いた事が理由のひとつの様です。また、山梨でも梅の花がかなり早く咲き始めていますが、これらを暖かいと喜んでばかりいられない現象(異常気象)ではないかと思います。それでなくても不景気でこの先の経済状況が心配される中で異常気象による作物の不作などの追い打ちがあると、益々生活が苦しくなるからです。しかも、私の様に年金生活で厳しくとも我慢して生活すれば何とかやって行ける場合は良くても、子供が成長期にある家庭や、少額年金生活者また、定期就労出来ない人にとっては大変な年になることは確実です。そして、国内の政治も混迷を深めており一体この先どうなって行くのか限りなく不透明であることは間違いないでしょう。しかも、この先の各国相互の経済の連携が更に不透明で、アメリカを代表する世界全体の金融システムや企業や銀行の経営破綻がいつ頃収束するのか(目途が立つのか)などが判らない中で(其れぞれの問題のこれからの展開が見えていないまたは読めない中で)何とか国際協力によりこの危機から脱出する人間の知恵と工夫を出し合う、今はその時と理解しなければならないのでしょう。しかし、其れにしては、あまりにも様々な事象が混沌としていてその出口が見えて来ません。

話をまたまた変えて、此処からは大変素晴らしい日本人を紹介しましょう。2月21日の10時からのNHKア-カイブスの番組でしたが、土曜日でしたのでご覧になった方も多いと思います。

それは「砂漠が緑のオアシスに変ぼう」と言う番組で、平成4年(1992年)にプライム10の番組「救え!かけがえのない地球、砂漠とたたかい続ける男~85才、緑化にかける情熱~」を再編集したものでした。それは、鳥取大学の故遠山正瑛教授(農学者)が中国恩格貝(エングベ-)砂漠(北京から西へ700kmの包頭郊外内モンゴル地区にある)で30年前から砂漠を緑化する取り組みを始めて、当初はクズを植えたが上手く行かず途中からポプラを植え、日本からのボランティアや現地の人達の協力により今では350万本(内日本人が植えた分40万本)のポプラが防風林としての役割とその根が30m下から地下水を汲み上げて大地を潤すポンプの働きをする広大な森に育ち、その森に囲まれて今では東京ド-ム2,000個分の緑地となり、その緑地には池や畑や農道が広がる素晴らしいオアシスとなっていることを報告していました。
しかし、開拓を始めた30年前は辺り一面が砂漠で、季節風が吹く時期は砂塵とともに強風が吹き荒れて人の手による耕作など考えられない不毛の台地でした。

そして、エコが叫ばれて久しい今日、番組を見て30年以上も前からこうした砂漠の緑化に取り組んだ日本人を誇りに思いました。番組の中で先生は、「やれば出来る、やらねば何も出来ない」と70才代に2カ月に一度現地を訪れては陣頭指揮を精力的にこなしていたそうです。
また先生は、平成16年(2004年)に97才で亡くなられましたが、65才で大学を退官してから、鳥取砂丘の緑化に取組みその経験を今度は中国の砂漠の緑化に生涯をささげた方で、その立派な人生には頭が下がります。

 65才と言えば今の私の年齢ですが、彼は強い信念を持ち、「大切だと叫ぶだけでなく、汗を流し、実行する事だけが未来を変えられる」と言うメッセ-ジを残していますが、此れは現在の地球温暖化の時代にも立派に通じる素晴らしい言葉では有りませんか。こうした高邁で素晴らしい人物のことを、どうしてもっと皆が知らないのか、私を含めて考え直さねばなりません。

今回の近況報告は、色々と思い付くことを脈絡もなく書きました。次回は今年のテ-マである「生涯学習」に就いて報告したいと思いますが、
実は、平成20年度の講座でまだ残っている2件について2月に受講して来ました。その一つは、山梨大学で「人の体温・地球の体温」と題して医学部の先生が体温の仕組みを中心に講演をしてくれました。もう一つは県立文学館で「生甲斐の持てるライフスタイル」と題して生甲斐支援システム研究所の専門家からどの様にして老齢と付き合っていくかについての講演を聞きました。あと3月に2件ありますが、今回は此れまでとして次回にまとめてお伝えしようと思います。
それでは、次回は4月下旬頃になると思いますが、季節の変わり目になりますので、花粉症と体調に気を付けてお過ごし下さい。

1

01月21日

 
平成21年の計画(目標)                                            

 
今年も宜しくお願いします。

さて、お正月が無事に終り普段の生活に戻りました。今年の正月は景気の影響からか昨年より初詣(武田神社)に行った人が少なく、こうした所にも不況の影響が出ているように思いました。

 それでは、今年も小生の計画をお伝えしましょう。今年は此れまでの長期間の旅は止めて、小さな旅を幾つかしたいと思っています。
出来れば、妻を誘ってまだ行っていない日本各地を訪ねて見たいと思っています。

 1 ] 2009年の計画 

内  容 内容の説明 記   事
1. 小旅行 2~3日の予定で、数回の旅を計画する 尾瀬ケ原、白川郷、鳥取砂丘、など
2. 山登り 標高の低い近くの山や丘陵を歩く(出来るだけ単独行動を避けて仲間と共に) 但し、特に上半身を鍛えてふら付かない様に訓練した後に
3. 生涯学習
(65の手習い)
県内の公開セミナ-などを利用して新しいジャンルを学習する 公共のセミナ-への参加や 美術館(博物館)巡りなど
4. PCのデ-タベ-ス化 長年パソコンに蓄積したデ-タ-をチェックしそれを整理し体系化する 此れまでのデ-タ-を整理・統合する
5. 体調の維持管理 ① 血糖値:120(平均)、HbA1c:6%前半を努力目標に
② 脂肪肝と中性脂肪などの肝機能を改善する
脂肪肝(中性脂肪)を改善するために飲酒の減量にチャレンジ(出来るかな・・・)
6. 家のメンテナンス 庭の整理や片付け、傷んだ部分の修繕、植木の手入れなど 此れ迄あまり熱心にやらなかった事に取組む

 2] 計画の補足と目的

2-1 小旅行 昨年で主だった地をひと通り周ることが出来ましたが、やはり一回の旅が3週間近くに及ぶクルマの一人旅は体調管理がとにかく大変で、もっと色々と観たい気持ちと、体が疲れて元気が無くなって行く現実との闘いであったと思います。確かに、旅の日程の前半は気力が充実していて疲労を感じませんが、後半になると車内での炊事が続くと作るのが次第に億劫になり、体調も優れず結局自炊を取り止める日も有りました。特に3度目の九州では、前半に沖縄や屋久島などを加えた事も有り、旅の後半で胃痛に悩まされて柔らかなものを食べドリンク剤などを飲んでかろうじて体力を維持しました。そこで、昨年の北海道の時は出来るだけ前半は体力をセ-ブして連続した炊事を止めて食堂やコンビニなどを利用しました。

そうした反省に立ち、今年は長期間の旅は止めて数日の旅で車中泊を止める事にしたいと思っています。また、候補地はこれから検討して、スケジュ-リングしようと思っています。

2-2 山登り 若い頃には良く山登りをしましたが、さすがに65才にして3,000m級の山は危険を伴うので止めて、例えば茅ヶ岳や近くの低い山を選んで登りたいと思っています。しかし、ほぼ毎日ウォ-キングをしていますので足腰はかなり鍛えられていますが、特に上半身が運動不足状態で思うように体をねじるなどの事が出来ません。そうしたことで、瞬時にバランスをとることが出来ず、すぐによろけてしまいます。そこで、体のバランス感覚を鍛え、山でバランスを崩して転倒するなどの無い様にしてから出掛けたいと思っています。しかも、単独で出掛ける事は止めて、誰か仲間を作って複数で出掛けたいと思っています。(最近高齢者の遭難事故が増えている様です。)
2-3 生涯学習 40年以上エンジニアとして私は生きて来ましたが、退職後は何か機械設計とは離れたジャンルの勉強をじっくりとやって見ようと前から考えて居ました。今やって見たいのは、日本の歴史と古文ですが、若い頃は世界史に興味が有り受験科目に世界史を取った関係で、日本史を詳しく勉強しませんでした。しかし、昨年のNHKの大河ドラマで西郷隆盛や大久保利通は知っていても、天障院篤姫や小松帯刀の事は知りませんでした。そこで、日本史についてのセミナ-が有れば参加したいと思っています。又、古文も好きなジャンルなので勉強して見たいと思っています。
2-4 PCのデ-タベ-ス化 H2年からパソコンを始めて18年になりますが、当時のデ-タ-も保存していますので膨大な資料がバックアップされています。途中でCDに保存した経緯も有りますが体系化されていないので、保存場所を含めて今回何処まで出来るかが判りませんが、時間を少しずつ遡りながら整理して見ようと思います。
2-5 体調の
維持・管理
今年は高血糖体質の更なる改善と共に、肝機能を良くすることにチャレンジしようと思います。それには、
酒量を極力少なくすることと、毎日のウォ-キングの他に適度の運動をすることで体全体のエネルギ-代謝を良くすることが効果が有るとのことですので、家に閉じこもることは止めて、外に出て極力体を動かすことに努めたいと思います。
2-6 庭と家の片付けと修繕
仕事人間の時は家事は家族に任せっぱなしでしたので、今は時間がたっぷりある中でこまめにやって見ようと思います。

 3] まとめ

  長期旅行を取り止めるとなると一抹の寂しさが有りますがしかし、そうかと言って何時までも続ける訳にも行かず、昨年で
   切り上げた のが丁度良い区切りなのでしょう。此れからは、まだ実現していない景勝地へ一点のみ行く小旅行を続けた
   いと思っています。

  最近特に感じるのですが、歳を取ると言う事は心身ともに若い頃の力強さが無くなり、かつてのパワ-が衰えて行く事を
   実感しています。特に体力が続かず、すぐに疲れてしまうのには悲しくなります。しかし、生き物はそうして年をとり世代交
   替して行くもので、いつまでも不滅ではない事を知る事と、別の言い方をすれば生命は有限で有ることを知る事で、残され
   た命を充実させて生きることが人として大切であることを知ることであると思います。

  ・そうした意味で、残りの人生を退屈に過ごすのではなく充実させて生きる術を持ちたいと思います。処で、私は若い頃に
   退職したら以下のことをやりたいと思っていました。

    ① パソコンを徹底的に勉強する
    ② クルマで日本全国を観て周る
    ③ 新しいジャンルの勉強を生涯学習としてやって見る

   そして、① と ②はどうにか実現しましたので、今年からは③にチャレンジしようと思います。特に③については、若い頃に
   経済的な理由で存分に勉強する時間がなかった事が潜在的な理由となっています。

それでは、此れから大寒の時期を迎え益々寒さが厳しくなりますが、どうぞ風邪など引かない様に温かくしてお暮らし下さい。

                                                -ホ-ムペ-ジのトップへ戻る-



 

平成20年(2008年)
10 12/21
一年を振り返って(平成20年のまとめ)            

 今年一年 小生のホ-ムペ-ジをご覧頂き 大変有り難うございました。お陰様で、12月15日でアクセス数が12,000件を超えましたが、初回リニュ-アル(H16年10月)からのカウントになりますので、毎年ほぼ3,000回を見て頂いたことになります。さて、早いもので最初にホ-ムペ-ジを良く判らぬままに開設してから4年半が経ちますが、来年は 毎年の改訂時のメインペ-ジをまとめた新しいペ-ジを作って見たいと思っています。

 それでは、激動の平成20年を振り返り その都度世間を賑わした(騒がせた)出来事をまず国の内外からまとめて見たいと思います。

良かった(素晴らしかった)こと         許せなかった(残念だった)こと
1. 北京オリンピック開催 メタル数は低調だが、見応えは有った 1. 無差別殺人事件 ・秋葉原の複数殺人
.2. 洞爺湖サミット Co削減の基本骨子が凡そ纏まる ・厚労省事務官OB達への殺人
3. ノ-ベル賞の受賞 4人の先生方が揃って受賞 ・女子高生を深夜に殺害
4. アイヌ民族の権利獲得が議決承認された アイヌの人達の人権回復が国会で可決された ・交通事故後被害者を引きずり逃走・死亡させた
(複数)
5. エベレスト登頂 三浦雄一郎氏が75才で登頂に成功 ・幼児殺害 (犯人が逮捕されてひと安心)
6. 新しい女性宇宙飛行士 ママさん宇宙飛行士の誕生 .2. 金融恐慌 サブプライムロ-ンを発端に米国経済が絶不況
7. 新プロゴルファの誕生 石川遼(18才) 獲得賞金1億円を達成 この問題が欧州市場を初め全世界に飛び火
日本でも景気後退局面(株安・生産調整・雇用悪化など)
3. インド・タイの事件 インドのテロ事件と、コンゴの内乱やタイの政権崩壊など
4. 日本人海外で犠牲 テロ等によりNGO活動等の日本人が殺害された
5. 東北地方の地震 岩手・宮城内陸大地震・他
6. 原油・穀物の高騰 投機対象にされ大きく乱高下(物価高の要因の一つ)
7. 振り込め詐欺 新手の詐欺が次々に現れ、対応と対策が追い付かない
8. 国内各地の洪水 愛知、ほか全国的に川の氾濫や、地滑り等が発生
9. 産科医の絶対数
 不足
周産期医療制度の見直しを全国レベルで実施が必要
10. 年金の不祥事 年金改ざんなどの不祥事が後を絶たない
11. 食品偽装 1)賞味期限改ざん、生産地偽装
2)事故米の横流し、食品等級の改ざんなど
12. 大麻事件 相撲取り・大学生・主婦にまで大麻栽培などが万延
13. 政局の混乱 解散がらみで、景気浮揚対策が腰砕けの状況
14. 教員採用試験事件 悪しき慣習の極み

12月11日の授賞式では、3人の先生方を日本語で紹介して下さった主催側のユニ-クな演出に感動しました。そして、日本人であることに誇りを
 持つことが出来た一日でした。

この他、今年一年の出来事はまだまだ有ると思いますが、今年は良いことが少ない一年で有ったと思います。そして、悪い事は思い付いても良い事は仲々出て来ません。少なくとも、今年は良くないことがまだまだ有ると思える一年でした。

さて、私個人のこの一年を以下の様にまとめて見ました。

Ⅰ] 良かったこと
 1) 北海道を一周することが出来たこと
 2) 65才(高齢者)を迎える事が出来たこと(良かったかどうか?)
 3) 5回目のホ-ムペ-ジの改訂が出来たこと
 4) 薬師寺の日光・月光菩薩を観賞することが出来たこと
 5) 2年8ヶ月続けた技術指導の仕事を3月で切り上げましたが、8月より再び今度は若手社員の教育指導の仕事を仰せつ
   かったこと
 6) 孫達が元気良く順調に育っていること(4才と2才)
 7)7年前に購入したディスクトップパソコンが落雷の影響でインタ-ネットが出来なくなりましたので、思い切ってノ-トパソコ
   ンを買いました。現在環境設定中ですが、確かに操作性は良さそうです。

Ⅱ] 残念であったこと
 1) 11年と半年私達と仲良く暮らした犬のエルが11月に死んだこと
 2) 旧パソコンが雷の影響でインタ-ネットが出来なくなったこと(恐らくマザ-ボ-ドの故障か)
 3) 旅から帰って胃の調子が悪くなり食事が十分にとれない為に体重が3Kg減ってしまったこと。処が、12月初旬に胃痛が
   ひどく痛み止めの点滴を深夜にして貰った2日後から嘘の様にムカ付きが治り、現在まともな食事が出来ています。一体
   身体とはどうなっているのでしょう。

実は、上の孫が水疱瘡に罹り保育園を休みました。幸いにして予防注射を済ませていましたので化膿や痒みの程度は軽微でしたが、園児達にうつるので保育園へは行けず実家で預かりました。更に、下の孫が急遽今年4度目の入院をしました。それは、今年3度の入院と同じ病名なのですが前回
(7月)から5ヶ月が経っていますので、今年は3回で終わったかな(?)と安心した矢先のことでしたが、年末でも有り忙しい日々を過ごしました。しかし、お陰様で19日に退院することが出来ました。その下の孫の入院は娘夫婦が交替で夜間の付き添いを行い、昼間は妻も加わって看病に当たりましたが、私も上の孫の世話や保育園のお迎えやらと家族総動員で何とかやりました。とにかくテンテコ舞いの10日間でした。

 それでは、皆様にはこの一年間大変お世話になりました。来年も宜しくお願いします。皆様も良いお正月をお迎えください。山梨より


9 12/01
 星になったエル
                                                         

 11年と半年の年月を家族の一員として私達と一緒に元気に過ごした犬のエルが半月前に死にました。特に毎日餌や水の世話をして、散歩に連れ出したり、糞の始末をしたり狂犬病の注射に連れて行ったり、フィラリヤの薬などを貰いに獣医のもとに通ったりしながらエルを大切に育てたお母さんは、自分自身が丁度インフルエンザに罹り大変なその時期がエルの死と重なり辛い日々を過ごしました。

 エルは平成09年の春先に三女が当時通っていた高校に迷い込んだ柴犬のメスでまだかなり子供の雑種犬でしたが、早速お母さんから「エル」と名前を付けて貰い、お爺さんにエルと書かれた犬小屋を作って貰ってその時から大切な私達の家族になりました。それは、前年の暮れに長女が水戸から連れて来た猫のミルッヒ(愛称はミル)に続き 我が家が大家族(6人と2匹)となった瞬間でもあったのですが、普段は大人しく手の掛らないエルでしたが、不審者が庭に入って来ようものなら大声で吠えて侵入者を撃退する大変賢い番犬でもありました。

それが、11月15日にお母さんが39度以上の熱が出て翌日休日診療に行き薬を貰うなどに出掛けましたが、前日の土曜が寒かったのでエルを玄関に入れて休ませると、普段はしない糞と小水を玄関で沢山やりお母さんが高熱の中でその始末をするとエルは大人しく小屋に入って行ったそうです。
そして、日曜日は色々と用事が有り餌やり以外はあまりエルの世話が出来ませんでした。その様な訳で月曜日の朝(11月17日)はエルの最期に立ち合ってやれなかったのですが、お母さんが7時前に餌やりにエルを呼ぶと返事が無く、ヨシズで囲われた定位置でエルは息を引き取っていたそうです。

しかし、まだ体は温かく今から思うと恐らく死亡は6時頃だったのでしょう。しかし、その顔は眠る様に安らかで、どこも痛い様子ではなく苦しまずに息を引き取ったことが判り安堵しました。そこで、土の上では可哀相なので犬走りに毛布を重ねて敷き上にも使っていた温かな毛布を掛けてやりました。
その上で、娘達にエルの死を告げると三女がその夜会社の帰りに家に寄り最期のお別れをして泣いていましたが、翌日 梅の木とキンカンの木の間に穴を掘り「エルのお墓」と書いた墓標を立て、周囲にエルの犬小屋を置いてやり水飲みに使っていたバケツもそばに置いて二人で埋葬しました。
そうした日々から既に2週間が経ちますが、私達にはどこかにまだ元気なエルが生きている様で、エルが居た庭先や玄関を見てしまいます。

そして、元気だった頃のエルの写真を引き伸ばして額に入れそれを食卓に置き、庭の花を飾ってエルの想い出を話しながら二人で食事をしています。先日も、エルの首輪に着けていた狂犬病の注射済みの鑑札を役所に返しに行きましたが(想い出に取って置きたいと思いましたが)新しくしたばかりの首輪と前年の鑑札を記念にしまって置くことにして、今年度分は返却しました。(何か寂しい気持ちになりましたが・・・)

 処で、エルはメスなのに一見するとオスの様な顔立ちで、でも身びいきながらよその犬よりも整った顔をしている愛くるしい犬でしたが、散歩をしていて途中で小さな子供達を見るとその場でピタリっと立ち止まり一目散に家へ逃げ帰ると言う習性がありました。恐らく子犬の頃に人間の子供達に虐められたトラウマが有ったのでしょう。しかし、私の孫達とはとっても仲良しで、孫達もエルちゃん・エルちゃんと可愛がっていました。

実は、お祖母ちゃんのインフルエンザは孫からうつったのですが、娘もその点を気遣かって孫達を実家にしばらく連れて来ませんでしたが、そのインフルエンザが漸く完治したので、半月ぶりに孫達の元気な顔を見る事が出来ました。
そこで、早速エルのお墓を孫達家族に見せて 「エルちゃんは遠-いお国のお星様になったのだよ・・・」と話し、皆で手を合わせました。

また、エルの思い出としては、とにかく水が大嫌いで恐らく一度も水浴した事はないでしょう。その分、お母さんが何時もエルの毛をブラッシングしていましたが、水を見るととにかく怖がりました。これもトラウマかも知れません。そこで、大雨の時は早く玄関に入れろとガラス戸を前足の爪でガリガリ掻きます。この様に前足でガラスを引っ掻く仕草は、その他にも空腹で早くご飯を食べたい時にもやりましたが、決して吠えて騒ぐことはしませんでした。

それと、どの様な動物にも共通することですが、エルもとにかく雷が大嫌いで遠くで稲光がしようものなら早く入れろとせがみます。
その仕草も滑稽で私は笑うのですが、お母さんも実は雷が大嫌いで一人と二匹で家中大騒ぎをします。しかも、特に今年は雷が多かったので、
(既に雷の季節は過ぎましたが)来年の夏は雷が鳴るとエルの事を想い出すことでしょう。

それに、室内でミルのキャットフ-ドの缶詰を開ける音がすると、必ずその先に外にいるエルの目線が有りました。「早く私にも頂戴」と言わんばかりにお母さんの方をじっと見ている時のチョット首を傾げたエルの可愛い顔をいつまでも忘れる事はないでしょう。そして、とにかくその日の糞の始末をするためにお母さんは庭のあちこちに穴を掘りますが、埋める場所がなくなる程結構な量でした。多分一番多く埋めた桜の木にこれからは肥料が行き届かなくなるので、ことによると来年は桜の花が咲かないかも知れません。

 処で、エルはこの一年で体重が半分になり健康を害していないか心配しましたが、エルは体が痩せて身軽になったことを喜んでいる様で、以前は散歩をあれほど嫌がったのに、進んで出掛けるようになりました。恐らく、数年前から太り出しとにかく良く餌を食べましたのでメタボになったのでしょう。
獣医からもっと減量しないと短命になると言われていました。それが、一年半前から七才以上のダイエット食に替えると、一時期は20Kgあった体重が半分になり、何と8kgにまで下がりました。しかし、余りに減量し過ぎるのも良くないので餌を欲しがる時はミルの餌を混ぜたり、以前の餌を混ぜたりして空腹感を満たしてやったりしましたが、水晶体が白く濁って来て水をかなり飲むようになりましたので、糖尿病を疑ったり白内障ではないかと話していましたが、いずれにしても命が尽きるまで大切に飼ってやろうと妻とは話していました。

 しかし、それがこんなにも早くその日が来ようものとは思っていませんでした。でも、糖尿病で苦しんだり、盲目にならずに天国に行けたことを良しとしようと妻と話しています。

エルが亡くなってから暫くすると、近所の猫達が我が家の縁側で日向たぼっこをするようになりました。恐らく、エルが元気な頃は追い返されて庭に近づくことが出来なかったのでしょうが、エルの姿が見えなくなると今度は堂々と濡縁で暖を取りに来るのです。それとも、動物達にはエルが死んだ事が何かで判るのでしょうか(?)。しかし、朝ミルが外に出て例の猫を見付けると、「此処は私の縄張りよ」と言わんばかりにシャ-と威嚇して追い払いました。
また、その日の午後に今度は別の猫が来て別の縁側で昼寝をしていると、その時はミルが室内からシャ-と威嚇したそうです。
動物の世界も仲々面白いものですね。 その様な訳で、此れからはエルの安らかな旅立ちを祈ってやりたいと思っています。

エルの画像を
デジカメ集(アルバム)」の中で見ることが出来ますので、是非見てやって下さい。

8 11/10
「アイヌ神謡集」を読んで
                           


 「銀の滴 降る降るまはりに、金の滴 降る降るまはりに。」と云ふ歌を私は歌ひながら流れに沿って下り、人間の村の上を通りながら下を眺めると、昔の貧乏人が今お金持ちになってゐて、昔のお金持ちが今の貧乏人になってゐる様です。・・・

 この様な書き出しで、幼い頃に祖母や伯母から覚えたアイヌ民族の叙事詩(カムイユ-カラ)13編を書き綴った「アイヌ神謡集」の第一篇は、梟(フクロウ)の神の自ら歌った謡「銀の滴 降る降るまはりに」の題名で始まります。

 そして、この叙事詩の著者である知里幸恵(ちりゆきえ)は、父方が登別に住むアイヌの豪族の孫娘、母方は幌別(登別市)に住む大酋長の孫娘で教育熱心で進歩的な両親と祖母や伯母の基に育った利発な少女であったことを、金田一京助はその後書きで紹介しています。それが、13編からなる叙事詩集の校正をまとめ終えた夜に(大正11年9月18日)持病の心臓麻痺で19歳の若さで亡くなりました。そこで、金田一京助や民俗学者の柳田国男らにより翌年8月に「アイヌ神謡集」として出版されたのです。 
 (右の写真は東京の金田一京助宅の庭で撮ったもので、幸恵が亡くなる約2ケ月前の大正11年7月22日に撮影したものだそうです。)

 しかし、その壮絶な幸恵の闘いの背景には、明治の世に国策としてアイヌの人達を差別し土人扱いした同化政策(植民地化)によりアイヌ民族は劣った民族と教えられた幸恵にとって、叙事詩人である祖母(モナシノウク)を訪ねた金田一京助からアイヌの人達は劣っているどころか立派な伝統と長い歴史そして豊かな文化を持つ優秀な民族である事を教わり、幸恵は金田一から送られて来るノ-トの左ペ-ジに祖母から教わったユカラのアイヌ語をロ-マ字で書き右のペ-ジにそれを日本語に翻訳し、更に左ペ-ジの余白に注釈を付けるなど心臓が悪い中で一心に書き続けたのだそうです。そして、金田一に請われて上京し金田一の家に住まいながら、口承叙事詩の制作に昼夜にわたり取り組んだ幸恵の努力により此処に完成した「アイヌ神謡集」が、アイヌ民族にとり初めての「アイヌ文学書」であることを私は知りました。しかも、誇り高いアイヌ民族の祖先への感謝と、虐げられている当時の仲間達の復権を願い幸恵が自身の命に代えて懸命に執筆を続けたその成果であることも。

 私はアイヌの人達の事を北海道へ行く前にかなり調べた積りでいましたが、10月15日にNHKで放送された「その時歴史が動いた」の番組で「神々のうた 大地ふたたび~アイヌ少女・知里幸恵の闘い」を見て大変共感するものが有りましたので、早速「アイヌ神謡集」を購入しました。

そしてその本を読むと、第一篇はフクロウの神が自ら歌った謡の書き出し 「銀の滴 降る降る周りに、金の滴 降る降る周りに」から始まりますが、フクロウ(梟)の神こそが、根室で見たシマフクロウ(剥製)そのものである事が良く判ります。背丈が70cmもあるシマフクロウは、アイヌの人達にとって神の鳥であり、大地や自然そして熊やキツネや鮭などと共に、シマフクロウも大切にされたと言います。

それにしても、第一篇が25ペ-ジ(日本語分13ペ-ジ)にも及ぶ長編で(岩波文庫A6版)この様なユ-カラの高邁な伝承を持つアイヌ民族の優秀さと質の高さに感動し、「アイヌ神謡集」を読み終えて改めて驚いています。

そこで、NHKの資料を借りて番組の概要をご紹介しますと以下となります。(H20年10月15日の22:00~22:45に放送)

明治、日本が近代化を推し進めるなかで、蝦夷地に生きるアイヌの暮らしと文化は消されようとしていた。その時、アイヌの復権に挑んだ少女が知里幸恵。幸恵はアイヌの伝承をまとめ世に問うた。
「梟(ふくろう)の神が羽ばたきをすると神の宝物が落ち散りました」……狩りや漁で生きるアイヌの人びとにとって、自然や神を敬う伝承「カムイユカラ」は、民族のアイデンティティともいえるものだった。しかし同化政策によってアイヌの人びとは生活を破壊され、貧困と差別に苦しみつづける。やがてアイヌは劣った民族だと思い込まされ、誇りを奪われていく。知里幸恵もそんな一人だった。

しかし幸恵に転機が訪れる。15歳の時、アイヌ語研究に取り組む金田一京助と出会う。金田一は、急速な近代化で消えゆくアイヌの伝承を記録しつづけていた。交流を重ねる二人は、アイヌの伝承を集めた本の出版に取組む。そして幸恵はカムイユカラを改めて学び直し、その中で、アイヌ文化の本当の豊かさと、後世に引き継ぐ使命に目覚めていく。1923(大正12)年、『アイヌ神謡集』を出版。それはアイヌであることを否定しつづけてきた人々を覚醒させ、やがて差別撤廃と民族の復権を求める声となる。その声はさらに広く日本社会に共感を広げていく。明治以降、近代化を推し進め列強国にならんと邁進してきた日本。番組では、その影で犠牲を強いられ続けた人々の声に耳を傾ける。
                                                              (NHKのHPより)
   「アイヌ神謡集」13編の全文を、表の下部に有るURLを開き、目次(左上)の中の「アイヌ神謡集」をクリックすると読む事が出来ます。

 知里幸恵の生涯と功績
年  賦 知 里 幸 恵 の 生 涯 と 功 績
1. 明治36年6月
  (1903年)
北海道 登別に生まれる。
2. 同年秋 旭川に住む伯母の家に預けられたが、叙事詩人として知られる祖母(モナシノウク)も同居していた。
そして、幸恵は祖母から沢山のユ-カラ(又は、ユカラ)を何度も何度も聞き覚えて行った。
3. 同43年春 上川第三尋常小学校へ入学→同9月にアイヌの子供達のみが通う上川第五尋常小学校へ移籍。
4. 大正5年春 小学校卒業→上川第三尋常高等小学校高等科に入学。
5. 同6年春 旭川区立職業学校へ入学。(新入生110名の中で、幸恵のみがアイヌ出身者で、酷い虐めに有った。)
6. 同7年夏 金田一京助が祖母のユ-カラを聞きに自宅を訪れる。(幸恵が15才の時で、金田一からアイヌ神謡や詩曲は民族の歴史と共に貴重な文学であり、消滅する前に生き残る叙事詩人を尋ねていること。そして、
ユ-カラの文字表記と和訳がアイヌ民族にとって価値が有る事を知る。そこで、「これからは、私達も生涯を祖先が残してくれたユ-カラの研究にささげます。」と金田一に大粒の涙をためて幸恵は伝えたと言う。)
7. 同9年3月 旭川区立職業学校卒業と同時に、幸恵はアイヌ語のロ-マ字表記と和訳などの筆記を始めたが、
此れを知った金田一は幸恵のアイヌ語と日本語の翻訳力に驚いたと言う。
8. 同年末 金田一に神謡の原稿を送る。
9. 同10年4月 金田一が送ったノ-トに、アイヌ伝説集をまとめて送る。→ 同年9月に(その2)、(その3)を送る。
10. 同11年3月 アイヌ神謡集序を著す
11. 大正11年5月 初めて上京し金田一宅へ寄寓する。→ 同年9月18日、校正を終えた夕食後に心臓麻痺で逝去。(19才)

金田一京助は翌年発行された「アイヌ神謡集」のあとがきに「アイヌ語の唯一の此の記録は、どんな意味からも とこしえの宝玉です。唯この宝玉をば神様は惜しんでたった一粒しか我々に恵まれなかった。」と書き残しています。
12. 昭和3年 幸恵の叔母である金成マツは、金田一に励まされて幸恵の遺志を継ぎ、ユ-カラのロ-マ字による筆記に従事し、大学ノ-ト72冊にまとめる。(金成マツノ-ト)
13. 同34年 金成マツノ-トは、金田一京助と幸恵の実弟の知里真志保(北海道大学教授:1909年2月24日-1961年6月9日)により、訳注を付け加えて「アイヌ叙事詩ユ-カラ集」全20巻として刊行。
14. 同43年 藤本英夫が、「銀のしずく降る降る」を新潮社より出版。幸恵の再評価のきっかけとなる。
15. 平成2年6月 幸恵の母校である旭川市の旧豊栄小学校(現在、北門中学校)跡地に、知里幸恵文学碑が出来る。
16. 同15年 幸恵の生誕100年祭が彼女の誕生日(6月3日)に挙行された。
  「アイヌ神謡集」の情報は右をクリックするとご覧頂けます。  アイヌ神謡集

7 10/02


第35回 国際福祉機器展・見学記
(H20年9月25日)                              

10月に入ると、さすがに涼しくなりました。皆さんお変わりありませんか。私も何とか夏を乗り越えることが出来ましたが、やはり胃の調子が今一つで苦戦しています。

さて、ようやく5度目のリニュ-アルが出来上がり、福祉機器展の見学を済ませましたので展示会のご報告をしたいと思います。

 今回の福祉機器展は、展示内容と出展企業数の点で少し淋しいものが有りました。それは、昨年の展示会が何と言ってもコムスンが24時間対応を売り物にした在宅介護と有料老人ホ-ムの業界から撤退いたことが、どの様に様変わりするのか(?)恐らく見学者も気にしながら昨年は見学したと思いますが、確かに訪問介護や有料老人ホ-ム関係の出展は今年も無かったものの、昨年は数年来製品系列別であった各ホ-ルの配置をガラット変えて 例えば、自動車メ-カ-による福祉車両関係を左奥(東6ホ-ル)から右手前(東1ホ-ル)に変え、小さなブ-スが混み合っていた東1ホ-ル(見学者が最初に入るホ-ル)が賑やかくなり、小さなブ-スを各ホ-ルに出来るだけ分散させて圧迫感を無くす工夫などがされていました。そうしたことで、昨年は目先が変わり新鮮さを感じましたが、何と今年は再び前の配置に逆戻りして出展企業も昨年より更に50社減って空いたブ-スが目立つようになりました。出展内容も以下の通りでそれとなく、数年前までの勢いがなくなっているように思います。

それでは、例年通り箇条書きにしてご報告したいと思います。
1. 益々身障者に対応した福祉・介護機器の出展が減り、高齢者を対象とした生活補助器具などが増えて来ました。そして毎年出展数が多かった
例えばベッドメ-カ-も数社に減り、天井走行リフトや電動車イスなども一時より激減しています。
2. マヨネ-ズのキュ-ピ-や和光堂そして、白十字が介護用食事を出展していましたが、中でもキュ-ピ-がオジヤを小さな容器に小分けして見学者に配っていました。これなども、身障者と言うより高齢者向けの食事として位置付けているメ-カ-の意図が読み取れます。
3. 昨年も出展していたラップポン(日本セイフティ-社の製品で、排泄物をラップに閉じ込めて封印し生活ゴミとして処理出来るトイレ)が改良されて、コンパクト化され室内用の他に屋外でも災害時に使用出来るタイプが品揃えされていましたが、屋外用の定価は室内用(13万円)に対し、18万円と割高でした。しかし、此れなどは明らかに地震などの災害時を想定していることは明らかで、こうした所にも福祉機器とは異なる出展で有ると思います。
4. 自動排泄処理装置として、帝人やアイ・ウエ-ブ、そしてABGインタ-ナショナル社(今回初出展)がベットに寝たままで、大小の排泄を処理する装置を展示(実演)していましたが、一時かなりのメ-カ-が出展したポ-タブルトイレや人間の尊厳を考慮したトイレの便座などの機器の展示も有りますが、やはり高齢者や寝たきりの病人の介護が中心の様に思います。(この展示が、今回の展示会の中で大変優れていたと思います。)
5. 昨年出展した東京理科大の空気圧を利用したエア-マッスル(筋力補助器具で、製品としてはまだ相当の改良が必要)を進化させて、歩行障害のある人にエア-マッスル(4本)を組み込んだ「ハ-トステップ」と言う製品を展示していました。(イギルス製)
また、山梨大学がリハビリ用歩行アシストシステムを展示し、東京大学でもメ-カ-と共同でアシストシステムを出展していましたが、いずれも産学共同により対応しているようでした。
6. 電動車イスの大手であるセリオ(台湾で生産)は、昨年自社製の他にヤマハとナブコからOEM供給を受けて出展しましたが、今年は台湾での生産を止めてヤマハ製を自社ブランド名で販売していることを知りました。
そして台湾での生産をやめた理由を係員に聞いて見ると、表向きは消費者庁の審査基準が厳しい事を上げて居ましたが、実態は電動車イスによる交通事故増加に対する安全性の点で台湾での生産を諦めたものと感じました。

一方、セリオの隣にヤマハ(発動機)の展示ブ-スが有りましたが、セリオへ供給している電動車イスはさすがに無く、従来のホイ-ル分解式ユニット(手動の車椅子に取り付け)を出展していました。また参考出展として毎年試作品を展示していたコ-ナ-が今年は無く、聞いて見ると昨年ジョイスティックレスを狙った製品の開発がまだ出来ていないとのことでした。いずれにしても、ヤマハのかつての勢いが益々無くなっていることを実感しました。
7. 老人が歩行車を押しながら歩いている姿を良く街中で見掛けますが、幸和(株)が今年も出展をしていました。そして、昨年より派手に出展していたと思います。(やはり、此処でも高齢者向けの対応を感じました。)
8. 昨年大変大々的に展開したコナミ(ゲ-ムソフトメ-カ-)のスポ-ツクラブの展示は無く、コナミに吸収されたコンビウエルネスが単独で出展していましたので聞いて見ると、コナミが展開した中高年を対象とした筋力トレ―ニングシステム(ジム形式)があまり進んでいないようで、係の女性は話したがりませんでした。一方、昨年はコナミに隠れて目立たなかったコンビウエルネスは従来通りの製品を単独で出展していました。
9. ベッドメ-カ-はフランスベットとパラマウントベットそして、アイシン精機ぐらいで、あと数社こじんまりと出展していましたが数年前の華やかさはなく、アイシン精機が昨年に続いて低床(床とベット上面までが16cm)ベットを今年も出展していたのが目に付いたぐらいです。
10. ウォ-キングシュ-ズの展示が更に増えて居ましたが、団塊世代を目当てにしている品揃えである事がハッキリと判ります。
その他としては、階段のテスリの出展も多かったと思います。
11. 海外メ-カ-も国数は昨年と同じ15ヶ国ですが、出展メ-カ-は少なく低調でした。そして、何と言っても毎年出展社数が50前後減って来ていることや、小さなブ-スが商談スペ-スと休憩場所と書かれたテ-ブルとイスのみのコマがあちこちに有り、展示会がひところの盛況さを失っていることを感じさせます。
12. と言うことで、最近の景気後退の影響も多分に有るのでしょうが、今年も身障者が車椅子で来場している姿を多く見掛けましたし、身障者と高齢者を対象としたこの展示会が長く続くことを願います。
   国際福祉機器展のホ-ムペ-ジはこちら:http://www.hcr.or.jp

6 8/11


北海道へのぶらり旅を終えて-その2-
            

 今年も間もなく終戦記念日がやって来ますが、広島と長崎に投下された原爆の慰霊祭が先日有りました。しかしそれは、戦争の無い恒久平和と原子爆弾の絶滅への願いこそ誰しもが持ち続けなければならない普遍の課題であると思います。そして、私には慰霊と共に、終戦の年に生まれた実の妹の事を思い出します。60才で他界した妹は今も元気であれば、今年は63才になる事を慰霊祭の回数を知るに付け想い出します。

さて、早くも北海道から戻り2ヶ月になろうとしていますが、其の間に梅雨も開け、今年も暑い夏の盛りとなりました。皆さん、お元気ですか!
私は、どうにか暑さ対策をして日々を過ごしていますが、やはり夏バテ気味の毎日です。そこで、猛暑日にはウォ-キングを中止したり近くを歩くなど熱中症にならない様に気を付けています。

処で、最近になって75歳にしてエベレスト登頂に成功した三浦雄一郎さんの登頂日が5月26日であることを知りました。
その登頂成功には、優秀なスタッフと大勢のシェルパ達の強力な支援の基に成し遂げられたものであることも判りましたが、しかし、何と言っても日頃の地道な訓練と持ち前の不屈の精神力と体力そして人一倍のチャレンジ精神と勇気により成功した事が光ります。そうした弛まぬ努力により、70歳を過ぎてから2度目の快挙を成し遂げた事に心からその健闘をたたえたいと思います。

そして、私が北海道への準備をしていた5月初旬頃は、チベット自治区の自立を世界に訴えようとするチベット住民の大きな騒動の中で(そのチベット地区を走る聖火リレ-の関係などで)、住民が暴徒化するのでは(?)と世界中が緊張して見守っていましたが、その影響でヒマラヤに入る登山家への入山許可が仲々下りずに待機状態でいるとのニュ-スが報じられていました。一方、私自身は自分の事に掛かりっ切りで入山許可が何時下りていつ出発したのかも知らずに準備に追われていましたが、ある特集番組(7月21日放送)で、5月26日の朝に登頂に成功したことを知りました。そして、この日が偶然ですが私が北海道へ出発した日と同じ日で、何か因縁めいたものを感じました。しかし、三浦雄一郎の成果と私では比較にはなりませんが、スケ-ルはともあれ私は私なりに目標と目的を持って此れからもやり遂げて行こう・・・と意を強くしながらその番組を見ていました。

一方、先月は東北の内陸から沿岸に掛けてかなりの地震が立て続けに起きていますが、7月24日の岩手の地震の震源地はかつて旅をした田野畑村(北山崎)や野田そして久慈で見掛けた北リアス線が走る三陸海岸の町の近くなのですが、地震の大きさに比べて被害が最小限で済んだ様で何よりです。

 さて、6月にお知らせした北海道の記録も、その後メモを基に旅の毎日を日記風に整理し、旅先でお話しした方や、お世話になった人などとの想い出をまとめたり、旅で掛かった費用を集計したりと旅の総括をしましたが、それも7月下旬に漸く終わりました。

そこで、前回ご報告した内容の中で、もう少しお伝えして置こうと思うことなどを、(その2)として近況報告したいと思いますが、詳細については現在進めている5回目のリニュ-アル(10月を予定)でお伝えしようと思っています。

まず、本州と北海道で大きく違っていることから始めますが

1. 北海道のほとんどの道路には路肩の位置を示す下向きの矢印の形状をした標識(赤・白と黄色・黒の2種類が有り横方向の縞模様の配色)が数十メ-トル間隔に設備されていましたが、これは、冬の季節に車が路肩から外れて道路の外へ飛び出す事故を防止する為の標識のようです。しかし、青森や秋田などもかなりの積雪が有る訳ですから、北海道だけに必要なものではないと思いますが、恐らく、相当以前から道路から飛び出す交通事故が多発し、その必要性から作られているのだろうと思います。確かに、夜間はその矢印が点滅していたので、間違いなく雪対策で有ると思います。それに、北海道では、信号機が少なく、かなりの速度で飛ばす車が圧倒的に多かったので、そうした場合の交通事故を未然に防ぐ必要も有ったのでしょう。皆さんも洞爺湖サミットの時に警察官達が警備をしている報道の中で、その矢印を何度も見ていることと思いますが、私は最初何の為の標識であるのか判りませんでした。しかし、サロベツ原野を初めて夜間走行した時に、点滅する標識を見て、なるほどと理解しました。しかも、暫く車の走行が途切れると矢印の点滅は消灯し、新たに車が通るとその先の標識が点滅を開始すると言うことも確認しました。
2. 雪対策の一環として、防雪柵があちらこちらに有りましたが、青森や秋田で見た構造とは違っていて、かなり強固に出来ていました。これも、雪の量がハンパではない事から来ているのでしょうし、風の強さも想像以上に厳しいのかも知れません。(画像は後日ご紹介します)
3. 道路の所々にトンネル(鋼鉄で造られたカマボコ状の半円形のものが殆んど)が有って、・・・シェルタ-と書かれたものが有りましたが、恐らく一晩に数メ-トル積る雪の中で車が閉じ込められない為の避難設備なのでしょう。そして、完全なトンネル構造ではなく道路の部分には覆いは無く、其の外側に上下一車線ずつ退避道路が有り其の部分の道路に雪が積もらない囲いが有るものも有りましたが、やはり本州の豪雪地域とはまた違う通行量が少ない北海道ならではの構造物なのだと思いました。
4. 交差点に有る信号機に取り付けられたその場所を表示するプレ-トが本州とは違っている事に気付きました。それは、色々な町(札幌、帯広、砂川、倶知安など)で北海道ならではの変わった表示方法なのですが、例えば「東1北3」など東西南北と何番目の通りであるかをこの様に表示していましたが、恐らく新しく街を開拓した時に、便宜上その様に決めたのでしょうが、地元の人には便利でもその町へ初めて来た者にとっては東西南北がどちらの方角なのかも判らずどちら側から番号が始まっているのかが判らず、極めて不便でした。
5. 北海道の道の駅にはゴミ箱が全く無く、「ゴミは持ち帰りましょう」の看板をどこでも見掛けましたが、確かに片付ける側にして見れば、大変な事は判っていても、旅をする側にとっては随分不自由な思いをしました。しかし、道東(宇登呂)の道の駅で試行期間として、30円でゴミ袋を販売しその袋にゴミを入れて持って行くと引取ってくれる試みをしていましたので、私もその袋を一枚買い、溜まっていたゴミを詰めてお願いしましたが、お陰で車内が久し振りに片付きました。
6.  赤い軽ワゴンの郵便配達車を道東で見掛けました。北海道の市街地や本州の豪雪地域が軽自動車で有るかどうかは判りませんが、少なくとも十勝平野や中標津そして弟子屈で民家から出て来た赤い軽自動車にJPのマ-クが有りましたので、間違いはないでしょう。恐らく、民家と民家の距離が離れている事と冬場の配達事情からバイクでは対応出来ないのではないかと思います。
7. 北海道の地名の90%以上はアイヌ語を音訳又は意訳したものなのだそうですが、中にはアイヌ語とは関係のない日本語による地名も有りました。その代表的なものは「函館」で、かつて松前から東にある道南の地域に12箇所の見張台や柵を築き外敵からの警備に当たった(東北地方の南部藩など)そうした舘の中で、一番大きく箱の形をした館があり、箱の形をした館であることから箱舘(明治まではこう呼んだ)→函館となったようです。又、北見は晴れた日には樺太が見える所から江戸時代に北海道を探検し、この蝦夷地を「北海道」と命名した松浦武四郎が、北が見える地である所から「北見」と命名したのだそうです。そして飛行場の有る千歳は、古くはシコツと呼ばれていて支笏湖から流れ出る支笏川が地名の由来でしたが、シコツは「死骨」に通じて縁起が悪いと、和人が支笏川→千歳川、そしてシコツ→千歳と改名したそうですが、シコツと千歳は全く関係はないそうです。また、面白いのは「旭川」で、この地をアイヌ達はチウ・ベツ(波のある川、又は波立つ川)と呼んでいたのを和人がチュツ・ペツ(日の川)と勘違いして日川→旭川(ペツはアイヌ語で川のこと)となったと言います。更に、歌志内はアイヌ語でオタ・ウシ・ナイ(砂の多い川)を音訳したもので、歌志内の隣にある「砂川」はそのオタ・ウシ・ナイを日本語に意訳したのだそうです。そして、「滝川」でもアイヌ語のソ-・ラツプチ(滝下る川)を日本語に意訳したもので、音訳したのが空知(支庁)や空知川なのだそうです。また、ニセコは旧町名が狩太〔アイヌ語のカリプト(マクサリペップトウ:後ろを回流する川)が語源〕で、この狩太の響きが悪いので、別荘地として売り出したい地元の観光業者達が近くにあるニセイコ・アン・ペツ(渓谷に向かって有る川)の前半のニセイコ→ニセコと改名したと言います。
まだまだ調べると他にもあるのでしょうが、色々と調べて見ると面白いことが沢山見つかります。

洞爺丸事件の詳細
青函連絡船の洞爺丸(4,337トン)が昭和29年(1954年)9月に乗員・乗客1,314人を乗せて函館から青森に向かう途中で台風による強風にあおられて座礁・転覆し多くの犠牲者(1,155人)が出た事は前回ご紹介しましたが、函館に在る公会堂がその海難審判を幾度も開いた(30回)場所である事を公会堂に有る展示パネルで知りました。そして、洞爺丸は何と函館港の岸壁を離れたその直後に強い風に流されて仲間の船4隻と共に函館港湾内で転覆したもので、私は津軽海峡を横断する途中で事故に遭ったものと思っていましたが、事実はそうでは有りませんでした。そして、海難審判の部屋がこの場所であることと、そのパネルには当時の洞爺丸の写真なども載っていました。
世界的にはタイタニック号の海難事故(犠牲者1,513人)がありますが、タイタニック号に次ぐ大きな海難事故であったことも判りました。

ケンとメリ-のポプラの木
帯広から富良野へ向かう途中で美瑛町を通りましたが、その時立ち寄った店の看板の画像を見て見ると、ケンとメリ-の木がこの先の展望台から見えると書かれてあることに気付きました。そこで、「ケンとメリ-の木」について調べて見ると、日産スカイラインの4代目(1972年~1976年)のコマ-シャルで、「ケンとメリ-のスカイライン」のキャッチフレ-ズが当時大変な人気で、日産スカイラインGTRがポプラの傍を颯爽と走り抜けたその撮影場所に使われたのが美瑛町に今も一本だけあるポプラだったのだそうです。1972年~1976年は私の結婚当時になりますが、そう言えばあの頃そんなコマ-シャルをテレビで見たような気がします。しかし、旅では富良野へ早く行って見ようと思っていましたので、美瑛町を早々に通過しましたが、富良野が良くなかった結果として、ケンとメリ-の木を観て置けば良かった・・・と今となっては少々残念です。
そして、ネットから判る画像は一面に広がる牧場の中に一本だけポプラが聳えているもので、此処の農場の経営者の祖父が大正12年に植えたポプラが1本だけ今も健在なのだそうです。
〔http://www.biei-hokkaido.jp/kankouspot/index.html (美瑛町ホ-ムペ-ジの左記のURLをクリックして下さい)〕

狩勝峠のこと
前回の近況報告の最初に狩勝峠から眺めた十勝平野の広がりの素晴らしさをご報告しましたが、この峠は昭和2年に東西の新聞社が眺望の素晴らしい全国の景勝地を審査した中で、日本新八景の一つとして狩勝峠が選ばれたことが峠に有った看板に書かれていましたので、さもありなんとご紹介しましたが、その後調べて見ると眺望が素晴らしいのは、根室本線の狩勝トンネルを過ぎた辺りの車窓からの十勝平野の眺望が選ばれていることが分かりました。しかし、現在の根室本線は急勾配を改善する為に線路を敷き直していて旧根室本線の方が眺望が良い様です。そこで、現在は廃線になっている旧根室本線の線路跡を徒歩で歩けば、その眺めに出合うことが出来るとのことでした。しかも、国道から眺めた十勝平野は手前に有る山に遮られて見える範囲が狭くなっていましたが、かつて車窓から眺られた光景は恐らく遮るものの無い180度のパノラマであった事が想像されます。
一方、「日本三大車窓」が選ばれていて、その三大車窓とは、旧根室本線の狩勝峠越えと、篠ノ井線(長野)の姥捨駅、そして肥薩線の矢岳峠越えだそうで、改めてその絶景を観に行きたいと思うばかりです。

北海道の開拓
北海道の炭鉱の多くはその絶対的な労働力不足を解決する為に、その労役を全国から囚人を集めて働かせたていたことと、炭鉱と港を結ぶ鉄道の敷設にも彼等が従事したことを夕張市や三笠市の博物館で知りました。しかし、そうした囚人達は明治政府の国策に反対した政治犯も多くいて、炭鉱近くに監獄を設置し有無を言わせずに看守の下で厳しい労役を強制した様子を三笠市の博物館で見ましたが、三笠市に有った幌内炭鉱は「空知集治監」に所属し、明治14年~明治27年(出役廃止)の間に1,000人以上の囚人達が採炭に従事したと言います。アイヌと言い、炭鉱夫として従事した囚人と言い大きな犠牲の上に北海道の開拓(近代化)が進められたことを知りました。

 さて、三笠市ですが明治時代に先程の幌内村と市来知(いちきしり)村の一部それと、幾春別(いくしゅんべつ)村が合併して新しい村の名を決める時に、空知集治監の囚人達が監獄の裏手に有る山が奈良の三笠山(万葉集に出て来る)に似ていて望郷の念から誰言うとも無くその山を三笠山と呼ぶ様になり、その山の名前から三笠山村となり、山が取れて三笠村そして今日の三笠市になったのだそうです。そうした開拓史に残る様々な話を知れば知るほど、やはり蝦夷地を訪れて見て良かったと思います。それにしても、「幾春別」などアイヌ語の音訳から言葉として実に響きの良い地名が沢山残っている北海道を羨ましく思っています。

まとめ
道内に居た20日間(5/27~6/15)は、それこそ北海道の新緑真っただ中の季節で、何処へ行っても木々や牧草の新しく美しい芽が眩いばかりに輝いている新緑の季節でした。そして、青森に着いた翌日に奥入瀬渓流へ行きましたが、此処も間違いなく此処が奥入瀬である事を実感させてくれる木々の新芽と勢い良く音を立てて流れるその速い流れの奥入瀬川が見事な景観を作り出していて、本当に心が和みました。(やはり、先日の地震で奥入瀬渓流沿いの道路が落石で通行出来なくなった時期が有ったようですが、今は開通している事でしょう。)

それでは、北海道の報告は此れまでにして、高校野球や北京オリンピックが始まり毎日賑やかですが、次回は10月中に5回目のリニュ-アルの中で近況報告をしたいと思っています。それまで、皆様には残暑厳しい折り体調に気を付けてお過ごし下さい。
6/28


北海道へのぶらり旅を終えて                       

はじめに
5月26日の午後に出発して翌日の夕方に苫小牧に入り、道内を20日間観て回り無事に6月16日に山梨へ戻りました。
全体の印象は、本州には無い雄大でしかも広大な北海道を十分に堪能することが出来て思い切って旅に出て良かったと思っています。
何しろ、北海道は想像していた以上に壮大な北の台地でしたが、それにしてもやはり行って見て自分のこの目で確かめて初めて納得出来る新たらしい幾つもの発見と驚きの旅で有ったと思っています。

そこで、画像を含めた詳細なご報告は秋まで待って頂くことにして、早速思いつくままに今回の旅をお知らせしたいと思いますが、生憎北海道を離れる前日に東北地方で大きな地震が有り、私も岩手の八幡平などに寄りながら南下しようと考えていた旅の終盤の部分を諦めざるを得ませんでした。とにかく早く帰る様にとの妻の言う事を聞き、青森の浅虫温泉に一泊した後は、奥入瀬渓流と十和田湖だけを観て東北道の十和田インタ-から山梨まで一気に走りましたが(何と一日で910Km走りました)、さすがに帰った3日後から疲れがドット出て絶不調な体調が数日続き、漸く少しづつ回復して来たこの頃です。

さて、今回の旅は此れまでの旅の苦い経験を生かして出来るだけ体調に気を付けて過ごすようにしました。前回の九州の旅の後半で胃を悪くしましたので、今回は3食ごとに胃薬を飲み、朝と晩にビタミン剤を飲んで体調管理に努めました。そして、出来るだけストレスを溜め込まないように、車内での調理は程ほどにして、コンビニやス-パ-でお弁当やサンドイッチそして野菜パックなどを買って間に合わせましたが、しかしそれに飽きてくると今度は食堂で美味しいものを食べました。その結果、持って行ったレトルト食品やインスタント食品はかなり残して帰って来ました。それに、途中で予定していた洗濯も止めて、不足する下着は現地調達をしましたが、そうしたお陰で疲れを溜め込む事無く20日間を過ごせたのだと思います。

処で、出発前にオホ-ツク側の紋別で35℃を越える気温であるとか、知床峠が凍結して通行止めになるなどのニュ-スを知り、まず車はスタットレスタイヤのままで、衣類は冬物と夏物を両方用意するなど用意周到の準備をして出掛けましたが、最初に泊まった壮瞥と根室が夜間に5℃で寒かった外は、大体20℃~23℃と過ごし易く(空気も乾燥していて)、結局20日間長袖シャツで過ごし、少し暑い日はセ-タ-を脱ぐなどして体温調節をしましたので、半袖のシャツは一日も着ること無く済みました。反面、長袖の下着が足りなくなり斜里で下着を買ったぐらいです。
そうした20日間の様子を、まず皆さんにお知らせしましょう。

まず、今回の旅で大変良かったことをまとめると、現在は以下の様に思っています.
1. 狩勝峠から観た、うっとりするほどに雄大で広大な十勝平野の大地の広がりを堪能しました。また、日高山脈の東と西では地形と言い草木の生え方までが違う様に思いました。道東ではそれこそ原野がどこまでも広がる牧草地が中心で、道西はどちらかと言えば山間地で、坂の多い地形で牧場などはあまり多くは無い様に感じました。
2. 釧路湿原では、細岡展望台から眺めた葦が茂る広大な湿原の中を釧路川が曲がりくねりながらゆったりと流れるその光景に感動しました。そして、更にその先にはどこまでも葦原の湿地がその広がりを見せていましたが、さすがにラムサ-ル条約に登録(評価)されるだけの遺産で有ることが十分判りました。しかし、湿原の先に見えるはずの阿寒の山並みがその日は見えなかったことが残念であったことと、欲を言えばもっと上方から眺める事が出来る展望台が有るとより感動出来たのかな・・・と思いました。
3. 知床では、50人乗りのクル-ジング船から眺めた知床岬の眺望と、羅臼の展望台から眺めた国後島の山並みは此処まで来て良かった・・・と、つくづく思いました。それに、急峻な知床峠の頂上から残雪があちらこちらに残る羅臼岳などの知床連山の山並みは登って来た山道が険しかっただけにスッキリした気持ちで眺める事が出来ました。また、知床岬の先端に行く途中には現在も番屋で生活している人達がいて、近くの滝を利用して水力発電による電力で生活しているとのことでした。一方、知床岬の先端はなだらかな丘陵のようになっていて、ウトロから出発して間もなくカムイワッカの滝まではゴツゴツした溶岩の絶壁を観て来ただけに、緩やかな平地が海へ滑りこんで行くような感じで、その先に国後島がうっすら見えていたことも忘れる事は無いでしょう。
4. 礼文島では、様々な高山植物をバスガイドさんから聞きながら山道を歩く中で、レブンアツモリソウや、レブンウスユキソウそしてハクサンチドリなどの可憐で可愛い小さな草花が沢山自生(群生)している中を歩く4時間半のコ-スで周りましたが、ゆっくりとした時間を過ごす事が出来ました。
5. 根室の資料館で観たシマフクロウの剥製の何と大きかったこと(背丈が70cmで羽を広げると2mにもなるとのこと)や、釧路湿原では道路脇を歩くキタキツネやエゾリスに出合ったり、知床峠では2頭のエゾシカを道路わきに見掛けたり、知床ではヒグマを3回見る事が出来たりと、北海道の生き物を幾度も見る事が出来ました。
6. 浦河ではJRAが経営する「日高育成牧場」で、競走馬の調教を見たり、かつてハイセイコ-などが活躍した競走馬の年譜を見る事が出来ましたが、その浦河で6月26日に地震が有ったようで被害がなければ良いがと思います。(数年前に浦河で大きな地震が有り、かなりの被害が出たことを覚えています)
7. アイヌ民族の歴史や文化を白老にある「アイヌ民族博物館」や根室資料館、北海道大学にある博物館などで良く知る事が出来ましたが、白老の博物館はアイヌ古式舞踊の実演を観たりしましたが半ば観光化していてそれよりも、北大の博物館や根室の資料館、函館や松前城や釧路湿原にある資料館の方が良くまとまっていて見応えが有りました。特に、根室の資料館で「クナシリ・メナシの戦い」と題する小冊子を頂きましたが、アイヌと和人との壮絶な戦い(和人がアイヌ達を抑圧・虐待し奴隷化して搾取したことに対するアイヌ達の蜂起で18世紀に現在の根室辺りで事件は起きた)は山梨へ戻ってからこの本を読んで見ると、アイヌ達を愛しくさえ思えます。
8. 北海道の開拓史を、北海道大学の博物館や函館にある五稜郭や公会堂などで、往時の華やかな時代を知る事が出来ましたが、函館が明治時代に大変ハイカラな町であったり、サケ・マスの北洋船団の町で昭和30年代までは大変賑わったり、五稜郭にかつて在った「箱舘奉行所」の復元工事が再来年度(H22年度中)に完成することなどを知りました。
9. 北海道大学では、楡(エルム)の木に囲まれた歴史あるキャンパスを歩いてポプラ並木(キャンパスの外れにある)を観に行ったり、学食でカツ・カレ-を食べたり、博物館ではアイヌのことや新渡戸稲造のことを詳しく知ったりと、落ち着いて見学することが出来ました。一方、函館では函館山の山頂まで車で登ることが出来て(夜間は通行止めとのこと)、津軽海峡を眺めながら函館の街や港が一望出来てこの町が大変気に入りました。
10. 留萌や小平(おびら)、余市や江差で見学した鰊(ニシン)漁華やかなりし頃の立派な番屋や回船問屋、そして魚場などを観る事が出来ましたが、ニシン漁は3月~5月までの100日間が漁期で、獲れたニシンの2割が食用であとの8割は肥料として使われたそうで、ニシンを肥料にするためのニシンの乾燥や釜茹で、そして、ニシンを重ねて絞り油を出してから肥料として仕上げる漁場の様子を余市で知る事が出来ました。(受付の女性が保存されている当時の魚場を案内してくれました)
11. 美味しいウニや天然のホタテ、そして、カニやイクラやホッケなど、北海道の味覚を十分味わうことができました。それにしても、猿払で食べた天然ホタテのぶ厚くて歯ごたえのある美味しさは、今まで食べたホタテとは全く別なホタテで、そのホタテが入ったカレ-は久し振りに美味しい食事をしたと実感するほどの美味しさでした。
12. 洞爺湖と支笏湖、屈斜路湖や阿寒湖、摩周湖などの湖を真近かに観れたことと、サロマ湖と網走湖を含めたオホ-ツクの海沿いの道を延々と走れたこと。そして、利尻島から戻り羽幌へ向かう途中に観た夕陽が日本海に沈んで行くサロベツ原野をひたすら走ったあの眺めも忘れません。
13. 夕張にある石炭博物館は、大牟田や直方(いずれも九州)のそれよりも、炭鉱に従事する人達の生活の臭いがする素晴らしい展示内容で、九州より群を抜いてレベルの高いものでした。一方、夕張の街は思っていたよりも精気があり、市役所に寄って見ましたが、「遠くから良く来てくれました」と逆に励まされました。その点、歌志内や赤平の資料館や炭鉱跡は昭和の時代に開発された最先端の炭鉱跡にしては、寂れていてガッカリしました。
14. 小樽運河は、何とその距離が300mで、もっとスケ-ルが大きいことを想像していただけに残念でしたが、近くの資料館で小樽の歴史を観たり木造で出来ている倉庫の外側を耐火レンガ〔1m(長さ)×550mm(幅)×330mm(厚さ)〕を張り付けて出来ていましたが、大火が多かったこの地域の知恵と工夫からあみ出された工法だそうで、石造りではコストが掛かる所をこうした工法で安く造られていることを通り掛った小樽倉庫(株)の資料館(無料)で教えて貰いました。また、小樽市役所で駐車場のある場所を聞きましたが、市役所は格式のある立派な建物でした。
15. 北海道はとにかく温泉が多く、例えその温泉がその日は休みでも、近くに別の温泉があるので温泉には不自由しませんでした。また、温泉で一番良かったのは、札幌から中山峠を越えて京極に行った時に入った「京極温泉」で、湯船の正面から眺めた裾野まで広がる羊蹄山(蝦夷富士)の雄姿は実に絶景でした。


反面ガッカリしたことや残念だったことでは
1. 富良野のラベンダ-畑が花の咲く季節がこの時期はまだ早いことは知っていましたが、そのラベンダ-畑は富良野の町全体の面積のほんの一部で、余りにも富良野のラベンダ-が全国的に有名になり過ぎて、いかにも町全体がラベンダ-で敷き詰められているかの様な印象を与えていますが(少なくとも私はその様に思っていましたが)、評判が一人歩きしている様に感じました。
2. 北海道の人達はとにかく車の速度を猛烈に上げて走るので、制限速度+10Km/hで走る私の車を軽自動車までがものすごい速度で追い抜いて行くその交通ル-ルマナ-の悪さには呆れました。
3. 北海道にいた20日間は、特に海上の天気が悪く根室の納沙布岬からは数キロ先にある歯母舞諸島(水晶島)が見えず、中標津にある開陽台からも根釧原野は観れたものの、国後島が全く見えず、羅臼と知床で漸くうっすらと見えただけで宗谷岬や納寒布岬そして、礼文島などから晴れていればサハリン(樺太)が見えるはずなのに、これもまた全く見えませんでした。そして、北海道には梅雨はないと良く言われますが、土地の人に聞くと本州ほどではないが、「蝦夷梅雨」と呼ぶ時期があるとのことでした。
4. 襟裳岬は風が強く霧が多い場所である事は判っていましたが、それにしてもその日は取りわけ風が強く吹きまくっていて、飛ばされそうで早々に引き上げましたが、歌で知られる場所もそれ程の所ではない様に感じました。
5. 札幌の町はとにかく交通渋滞がひどく、折角の時計台も車から降りて見学する事が出来ず、有名な赤レンガ庁舎へも行きませんでした。その代わり、北海道大学の近くの駐車場に車を停めて2時間以上北大のキャンパスを歩きましたが、札幌駅から歩いてもごく近くに大学が在るのには驚きました。
6. 天馬街道(日高山脈を横断する道路で、その半分が橋とトンネルが連続する山岳道路)を通ってオロマップ展望台へ行き牧場を観ようとナビをセットしましたが、オロマップキャンプ場に連れて行かれ、しかも、そこは今はシ-ズン・オフで寂しく未舗装のジャリ道が延々と続き、「熊出没に注意」の看板が目に入った時は情けなくなりました。
7. 根室で泊まる予定の道の駅は風連湖に直結している新しい駅で泊まるのを楽しみにしていましたが、風連湖はただの湖でしかも停まっている車は一台も無く寂しい道の駅でした。そこで、無用心に思えたので仕方なく其処を諦めて、納沙布岬に近い通り沿いにある24時間営業のス-パ-の駐車場を借りてそこで一泊しました。
8. 美幌峠はさぞかし絶好のロケ-ションと思いきや、風が強く曇っていて屈斜路湖も良く見えず周囲の景色も少しも良く有りませんでした。そこで、早々に美幌町へ行き、美幌温泉に入ってから「あいおい」に向かいましたが、この「あいおい」はかつて国鉄の相生線が北見まで走っていた所で、駅舎やジ-ゼルカ-やラッセル車などを町が当時のままに整備して鉄道公園として大切にしている素晴らしい町でした。かつては、阿寒湖へ行く玄関口であったそうです。

その他
1. 羅臼では、展望台から国後島が漸く見えましたが、この展望台は森繁久弥が作った「知床旅情」の中で、・・・飲んで騒いで丘に登れば・・・のその丘であることを知りました。そして、午後から通った知床半島を横断する知床峠は、・・・君は出て行く峠を越えて・・・と2番の歌詞にある峠で、羅臼と宇登呂を結ぶ山岳道路で冬場は通行禁止なのだそうです。そして、この峠道の向かって右側が世界遺産区域なのだそうですが、そうしたことが峠を越えてウトロへ向かう途中にある「知床自然センタ-」の大画面の映像で知る事が出来ました。それから、この建物の裏にある知床五湖まで行けるそうですが、最近熊が出る様で、熊よけの鈴を売っていましたが、単独行動は良くないと思い湖へは行きませんでした。
2. 知床を観た午後に、網走で監獄博物館と北方民族資料館を見学する予定でしたが、網走湖の辺りをうろうろしている間に予想外に時間が掛かり、結局二箇所とも行けませんでした。そこで、だだっ広いサロマ湖を観ながら走り、紋別まで行きましたが、此処でも途中でキタキツネに出合いました。結局、翌日の紋別~宗谷岬までを含めると、宇登呂~宗谷岬までは490km走ったことになりオホ-ツクの海岸線が長い事を実感しました。
3. 礼文島と利尻島では定期観光バスに乗って観光しましたが、フェリ-が着くと発券売場で乗車券を買い求めて自由に席を確保する事が出来ます。そして、最初はバスが満員になることを心配しましたが、良くしたもので通常のバスツア-はフェリ-に観光バスを積み込んで観光客と共に現地へ行き観光後は再びバスと共に稚内へ戻るため、フェリ-の乗客の内バスツア-ではない人達の人数が大体読める様です。そして、最初に礼文島に行きましたが、乗車したそのバスは少し小さ目でしたが、その方が狭い島内の道をバスでどんどん登って行くことが出来るので、乗客がバスからおりて坂道を下りながら草花をゆっくり観る事が出来、観ている間にバスは回送されて再び次の場所へ行くことになり(4時間半の観光コ-スでしたが)様々な高山植物を色々と観ることが出来ました。しかも、年間数回来ている女性グル-プがいてマア良く草花の名前や咲く時期を知っていること。バスガイドさんも負けてはならじと良く勉強をしていました。一方、利尻島では島を一周しながらの観光で、2階建てのバスでほぼ一周を4時間掛けて回るコ-スでしたが、私は礼文島の方が気に入りました。利尻島は礼文島より面積が大きい反面、高山植物は少なく行く先々の名所(?)も差ほどたいしたことは無い様に思いました。しいて言えば、郷土資料館で利尻の歴史や文化を観た事と、仙法志漁港で利尻昆布を買い求めて家に送ったことぐらいです。
 処で、利尻昆布はその他の例えば日高昆布や羅臼昆布とは種類が違い、海流と海流が交わる海域で豊富なプランクトンを十分食べて育った利尻昆布はその美味さが他の昆布とは断然違うそうです。そこで、京都の料亭から大量の買い付けがあるとか、天然昆布を獲る時期を制限して資源の保存を図っているとかの説明が有りました。
4. 旭川では旭山動物園へ行きましたが、全国的に有名であることは承知していたのですが、さすがに大人が見ても楽しめる見せる工夫が随所にあってさすが有名なだけはあると感心しました。例えば、円筒形のガラスの中をアザラシが垂直に上下に泳ぐ場面を良くテレビで見ますが、あれは床下にもアザラシが泳ぐスペ-スが造ってあって、遠くにいたアザラシが居なくなったかと思うと、突然下からアザラシの頭が見えて上方に(垂直に)泳いで通り過ぎて行く(その時見学者は一斉に歓声を上げる)単に、アザラシが円筒形のガラスの中を泳ぐと言う演出だけではなく、突然アザラシが顔を出してキョロキョロと周りを見回しながら泳ぐユ-モラスさを提供している点が人気の秘密なのだろうと思います。また、北極グマ館では熊が水に飛び込む場所が有って、飛び込むと水しぶきが上がりそのダイナミックさに歓声が上がり、しかも、地下から水族館方式で飛び込んだ北極熊が泳ぐ様子をガラス越しに観る事が出来たり、途中の覗き窓からも見るような仕掛けやとにかく360度方向+地下や上方からも観る事が出来る工夫がされていることも人気の秘密なのかも知れません。しかし、今回の旅は動物達を観るのが目的ではない事と、動物より人間の数(殆んど大人たち)の方が圧倒的に多いことに疲れてしまい、一時間居て動物園を後にしました。その後、大雪山系にある層雲峡へ行きましたが、ロ-プウェ-で登ったものの、曇っていて良く見えなかったことと、かなり寒かったこともあり早々に引き上げました。そして、登る前に入ったビジタ-センタ-で層雲峡の出来方やこの層雲峡から流れ出た水が石狩川になることや、時間が有ったらこの先に幾つもの滝があり、柱状摂理の割れ目から何本もの滝が流れ落ちていて、そのひとつひとつに名前が付いていることなどを女性の学芸員の方から教えて貰いましたので、そこへ行って見ました。そこは「銀河の滝」と「流星の滝」で、それこそ100m以上の溶岩の間から幾筋もの滝が音を立てて落ちていましたが大変迫力が有りました。
5. いよいよ旅の終わりが近づき長沼にあるマオイの丘に泊まりましたが、ここは長沼町がミニゴルフ場などを整備して公園形式にした道の駅で、中央に物産館とレストランがあり、2Fのレストランで久し振りに出来たての温かなフライ定食を食べました。そして、翌日はいよいよ札幌でしたが、まず羊が丘展望台へ行き札幌の町を高台から眺めました。其処は確かにサッポロド-ムや札幌の町並みが眼下に広がっていましたが、肝心の羊達が居ません。聞いてみると、現在別の場所で食事中とのことで、羊は諦めてある建物に入ると、そこでは初回から現在までの毎年開かれている「札幌雪祭り」の大きな写真が飾られていました。しかし、此処2年の分が飾られていないので受付の女性に聞いて見ると、飾る場所が無くなりしかも毎年ずらして飾るのが大変で、出番待ちなのだそうです。私が笑うと、彼女も申し訳けなさそうにニッコリと笑っていました。羊が丘展望台のあとは札幌の街中を走り北海道大学へ行きそのあと、大倉山と宮の森にあるジャンプ場へ行きました。このジャンプ場は札幌市街から30分程の所にあって、大倉山には長いエスカレ-タ-が有ったり記念館が有ったりと整備されていましたが、大倉山から2km程の所にある宮の森(かつて開かれたサッポロオリンピックで、笠谷幸生達が金・銀・銅を独占した日の丸飛行隊で名高い)は無人で閑散としていました。この2箇所を観た後に、中山峠を越えて羊蹄山の麓にある京極へ行きました。
6.
北海道最後の夜は「江差」に泊まりました。最初に江差市役所へ行きましたが、土曜日で閉庁中でしたので此処でも守衛さんに見所を聞くと「旧中村屋」の屋敷が良いと教えてくれました。しかし、入館しようとすると誰も居ないので周囲から建物を撮りそのまま道の駅へ行きました。此処は江差の海岸と国道に挟まれた場所で、この砂浜が「繁次郎浜」と呼ぶのだそうですが、何か私の名前に似ていることが可笑しく、浜に出て砂を少し容器に入れてお土産に持って帰りました。そして、江差に来る前には函館郊外にあるトラピスト修道院と松前城へ行きましたが、トラピスト修道院はJRの線路を渡って登り坂を進むと長い石段の先に建物が在りました。しかし、事前予約をしないと見学できない事と男性のみ見学が出来ると書かれてありました。確かに女人禁制の修道院ですが、建物や門扉などに風格が有り津軽海峡に向かって尖塔がそびえ立っていました。一方、松前城は、かつて蝦夷へ渡った和人の集団で、松前藩として徳川幕府から正式に認められた藩ですが、何と、甲斐の武田と血筋がどこかで通じる武田の姓を名乗っていた時代もあるようです。そして、15世紀にアイヌとの戦い(コシャマインの戦い)で実力を発揮した「武田信広」のことも城内に記されていました。

以上、メモと記憶でまとめましたが、今後良く整理をして画像と共に秋にお知らせしたいと思っています。
本日は取り敢えず思いつくままにまとめましたので、不足の部分が有ろうかと思いますがお許し下さい。処で、来月の7日から3日間、洞爺湖でサミットが開かれますが、北海道に着いた翌日に有珠山へ行く途中で山のてっぺんに(良くテレビに映る)ウインザ-ホテルが見えました。確かに、あれだけ高い場所であれば警備上はやり易いでしょう。そうして、7月のサミットで北海道が世界に向けて大きく取り上げられるのが、今からとても楽しみです。
さて、旅に出る前の5月16日に薬師寺展を観に行って来ましたが、今回は長くなりましたので、次回にご報告したいと思います。それでは、本日は此れにて失礼します。

5/17


 ぶらり旅の出発を間近かにして                  

いよいよ25日の週から約一ヶ月の予定で北海道への旅を始めようと思います。

 やはり、初めに計画した通りにまず新潟から苫小牧へ行き、洞爺湖・支笏湖・夕張・帯広・日高・襟裳岬・釧路・根室・中標津・阿寒湖などの三つの湖を観てから6月初旬に知床岬を海上から眺めて、そのあとはオホ-ツクの長い海岸線をひたすら北上し宗谷岬や納寒布岬へ行き、翌日は稚内港から船で礼文島と利尻島へ渡り、礼文島にしかない草花(レブン・アツモリソウなど)を観て、戻ってからは留萌・旭川や大雪山系の層雲峡、そして富良野から札幌・小樽・余市と積丹半島を一周しニセコ・長万部を経て函館へ。そして渡島半島をグルリと周り松前や江差などを観てから再び函館に戻り、函館港からフェリ-で青森へ。それから、まだ体調に余裕が有れば前回行っていない八甲田山や奥入瀬渓谷や八幡平に立ち寄り、そのあとは盛岡を経由して釜石へ。釜石からは気仙沼や石巻などの港町を見学しながら、福島や茨城の太平洋沿岸を千葉まで南下して、霞ヶ浦で最終宿泊ののちに山梨へ戻ろうと思っています。
しかし、旅の出発を前にして十和田湖と北海道の野付半島とサロマ湖で鳥インフルエンザに罹って死んでいる白鳥が見つかっていますが、北海道全体でまだ見つかっていない鳥がどれだけいるか少々気になります。今回色々な所へ行くので、十分気を付けたいと思います。

そして、今回は前回の近況報告に書きましたように、あまり細かく計画を立てずにある程度自由度を残して回って来ようと思っています。その意味で前半は予約が必要な場所を早めに訪ねて、そのあとは日程に縛られることなくその時の体調と気分でやろうと思います。もし行って見てもっと其処に居たければ、予定を変えようと思っています。

しかし、旅の前に行く先々をひと通り色々調べて見ると、確かに予備知識はしっかりと身に付きましたが、しかし 何かこの旅の先にある新しい(未知の)発見への新鮮さや感動が薄れて行くような気もして来ました。それに、調べ出すと明治以前の蝦夷地の日本人(和人)とアイヌ民族との長い争いの歴史も判って来ましたが、奥が深くとても中途半端では終わらないことも分かりましたのであるところ迄は調べましたが、土地の人に教えて貰う部分も残して置くことも大切なことと今は感じています。完全主義は、ほどほどが良いのでしょう。

 一方、アイヌ語と北海道の地名の関係は、今回事前に調べて見て大変良かったと思っています。それは、行く先々のそうした地名の謂れは調べて置かないと分からないでしょうし(現地で聞き回っていたら日が暮れますし)教えて貰うチャンスも仲々無いでしょう。
その点、予備知識として持っていれば、その地名の言葉の響きが更にその土地への情感を深める事になるでしょう。

例えば、石狩川は「イシカリ・ペツ」で非常に曲がりくねった川、ペツはアイヌ語で川を意味し、留萌は「ルルモツ・ペツ」で潮が奥深く入る川なのだそうです。一方、利尻(島)は「リイ・シリ」で高い島のことで、礼文(島)は「レブン・シリ」で沖の島のことなのだそうです。今回北海道の地名や場所が大変珍しく思え、そうした言葉の謂れに非常に興味を持ちました。現在も、時間を見つけてはネットで調べています。

 今年の北海道は、5月の初旬に31度を越える真夏日が意外や意外、オホ-ツク海側のサロマ湖や紋別で観測されたかと思うと、10日には10℃と3月の陽気に戻り、何と北見では五月に雪が舞ったりと何とも異常な気象現象の様に思えるので、長袖と半袖の下着やシャツを両方持って行くことにしました。そう言うことで荷物がどうしても多くなりましたが、足りない下着などは北海道に50店の「しまむら」が有ることが分かりましたので、余り気にしないことにしました。

さて、4月の後半にフォグランプを取り付けたり、車をリコ-ルに出したりして5月に入ってからは早目に車内の旅の支度に取り掛かりました。しかし、昨年旅を中止した事から最初は前回のレイアウトを忘れてしまい戸惑う場面もありましたが、それでも10日までには何とか準備も整い今は直前に積み込む食料や水の積み込みを残して出発の日を余裕を持って待っているところです。

それにしても、今年の北海道は例年より桜が早く咲き、気温も今から7月初旬の日が有るなど暖かなようですが、大雪山系の山の高い所へも行く積りなので、スタットレスタイヤで行く事にしています。(何しろ北海道のことは良く判りません)

 話しは変わりますが、5月16日に東京国立博物館へ行き薬師寺の日光菩薩・月光菩薩を観に行って来ました。何しろ、50年以上前に修学旅行で観て以来で、こんなにも近くで観る事が出来てその場を仲々立ち去る事が出来ませんでした。そして、市原悦子が案内する音声ガイドを借りて順路に沿って観賞しましたが、何と言ってもお目当ての日光菩薩・月光菩薩の立像を上方からと下に降りて360度方向から身を乗り出せば40cm迄に近づいて実物を見る事が出来て、とっても至福の時を過ごすことが出来ました。それは、前々から一度観たいと思っていたのですが、本で読んで知った「柔らかな仏像」(土とロウで造った鋳型に一度に銅を注いで鋳造したロウによる極めて滑らかな曲線)で、3m以上もある像の大きさにまず圧倒されそして、美しい衣の曲線にも目を奪われて、結局像の周りをそれぞれ3回周り再び上方からも観たりと1時間以上は観ていたでしょう。周囲にはやはり離れ難くウットリ見入っている人達が大勢いましたが、反面「偽物じゃなくって本物だってさ・・・」などと少なくとも美を鑑賞するに値しない老人達がいたり様々でしたが、もうこの先この様な形では2度と観る事はないお姿を観に出掛けて、しかもゆっくりと鑑賞することが出来てとっても良かったと思いました。

また、特別展はこの他に、神仏混合としての休ヶ岡八幡宮と薬師寺との関係や、左右が対称の聖観音菩薩立像や、玄奨三蔵がインドに旅をして持ち帰った膨大な経典を翻訳しそれを弟子の慈恩大師が法相宗として完成させたこと、そしてそれを興福寺と薬師寺が交替で法要を今もしていること.。そして、吉祥天像のことなどが展示されていました。
皆さんも6月8日まで開かれていますので一度観に行かれたらどうでしょう。心が洗われて実に充実した日を過ごす事が出来ます。しかし、10時前に入って12時過ぎに出ましたが、出て見ると40分待ちの列が出来ていました。恐らく平日の一番に入らないと相当待たされると思います。

 さて、新しいパソコンを購入して半年が経ちましたが、最近はVistaにようやく熟れて来ました。しかし、Office2007関係(Word・Exel・Outlook)はどうも仲々熟れません。何と言っても、メニュ-バ-やツ-ルバ-の配置(レイアウト)や個々のボタンの中に有る機能の中身がガラッと変わっているので、そこまでの機能を捜し出すのに時間が掛かるのです。今までのOfficeに熟れている精も有りますが、此れ迄のOfficeの方がはるかに短時間に終えることが出来て便利です。

そうした新しいパソコンに習熟して行く中で、実は私のホ-ムペ-ジを含めて古い方のパソコンにあるドキュメント関連を新しいパソコンにコピ-して、いつでも新しいPCでもホ-ムペ-ジのサイト転送が出来るように環境を整えたのですが、旅の出発を目前にして万一サイト転送に失敗すると最悪一ヶ月間皆さんにメインフレ-ムを見て貰う事が出来なくなり、そうした事を気にしながら旅を続けることは忍びなく、新しいPCで途中まで続けた今回の「近況報告」のペ-ジなどを古いパソコンに戻して現在続きを進めています。その訳は、以前サイトへ転送しようとした時に転送がNGとなりホ-ムペ-ジのメインフレ-ムが開けずに復旧させるのにかなりの時間が掛かったことがありました。何事も、急いでいる時に早く仕事を終わらせようとすると、返って失敗をするケ-スがある事を今迄の経験が教えてくれています。

又、4月末に下の孫が今年2度目の入院をしました。どうも気管支が弱く呼吸がゼイゼイいって苦しそうなので、入院しました。そこで、娘夫婦と妻が交代で今回も24時間付き添う事になりましたが、今度は上の孫が4月から新しい上級のお友達と一緒のグル-プ単位で遊ぶことになりましたが、一人のお姉さんが昼食の時などにうるさく世話をやくのが嫌で保育園には行きたくないと言い出す始末。先日も保育園を休むと言い出して仕方なく月に一度の私の通院先へ孫を連れて行きました。しかし、最初の内は大人しくしていましたが、その内に飽きて来て椅子によじ登ったり、そっくり返ったりとジッとしなくなり、帰りにアイスを買ってあげるからと言い聞かせて、何とか診察を終えました。と言うことで、この5月連休は再び孫の世話に振り回された次第です。その後は、下の孫も一週間で退院し、上の孫はグル-プを替えてくれて、今は2人とも元気に通っています。

 近況報告の終わりとして今回の旅の準備でまだやり残していることは、カ-ナビの地図ソフトを出発までに新しくすることと、来月は病院へ行けないので出発までに再度診察を受けに出向くことそして、散髪をすることです。それをこれからやり終えると準備が完了します。

しかし、今回は4度目の旅となる精か今迄の様なワクワク感は少なく、長期となる最後の旅を慎重にそして怪我や病気や事故などのアクシデントを起こさないように健康にも留意してやり遂げようと思っています。それに、北海道は「最果ての地」などと感傷に浸っている場合では有りません。そして、無事に戻りましたら22日の週に取り敢えずの報告をしたいと思っています。では、気を付けて行って来ます。

4/14
   4月の近況報告                                          

今年も春の季節がやって来ました。そして、例年より一週間早く桜が咲き始めましたので、今年は韮崎に有る「わに塚の一本桜」を観に先週妻と出掛けました、その桜は、三年前に開催された愛知万博の日本館でNHKのス-パ-ハイビジョン映像として映し出された見事な桜ですが、その桜の実物に久し振りに再会した様な気持ちで眺めることが出来ました。しかし、暖かい日も有れば急に2月の陽気に戻ったり、雨の日が続いたりとこの季節は天候が定まらない変わり易い陽気で、毎年体がついて行けない私です。それでは、4月の近況報告をご紹介します。

1.北海道への「ぶらり旅」
旅の準備の進捗状況ですが、新潟~苫小牧までのカ-フェリ-と、知床岬の観光船そして、利尻島の宿の予約が月の初めに終わり、あとは5月下旬に出発するまでにその準備をしっかりやるのみとなりました。また、今回は事前準備をしっかりやる事にして、その資料集めに現在取り掛かっていますが、それにしてもアイヌ民族のことに大変興味がわいて来ました。北海道のことを蝦夷(えぞ)と呼んでいたことは知っていましたが、中世までは関東北部から北に住んでいる人達を蝦夷と書いて「えみし」と呼んだようで、それがその後時代が変わると共に、本州に住むえみし達は日本に同化され、北海道に住む蝦夷はアイヌ民族を指す様になったのだそうです。この様な民俗学的な考察は短期間ではとても理解出来ないことが多いので、今後時間を掛けてゆっくり調べて見たいと思います。一方、今回の旅は車内で食事を作ることは極力止めて体への負担を軽くすようにしたいと思っています。何と言っても途中で疲れてしまわないように気を付けたいと思います。それでは、次回の近況報告で、出発直前の心境をお伝えしたいと思います。

2.パソコンの移動
昨年の秋に購入した新しいパソコンを二階の自分の部屋に移動しました。何と言っても二階は北向きの部屋で寒く、暖かな一階にPCを置いて無線LANでつなげてひと冬を過ごしましたが、反面どうしても一階は埃が多く、常にPCにカバ-を掛けては掃除をするなどの埃対策に気を使いました。そこで、最近暖かくなって来ましたので4月初旬に引越しをしたと言う訳です。
そして、2台のパソコンを並べて立ち上げて見ると、OSがVistaの新しいパソコンの処理速度が各段に改善されていて、XPの古いパソコンが極めて遅いことを痛感しています。確かに1月にウイルスソフトを2台に入れたことで、XPはいつまでもHDDが回りっぱなしになることや、数年前にXPとMeをダブルブ-トにしたりしてシステムが重くなっていることが影響していると思うのですが、新しいパソコンは演算速度が速く(旧PCの2倍)、しかも、CPUを2個積んでいる関係で処理能力が改善されているのだと思います。そこで、XPのPC→VistaのPCへデ-タ-を移したりして、XPの負荷環境を良くしたいと考えています。

3.定年後の仕事
2年8ヶ月続けた定年後の仕事を、3月末で終えました。辞める事を決めた理由としては、特に仕事をした日は血糖値が高く目も疲れてやはり体には良くないことが現実の形で徐々に判って来たことと、それに2年8ヶ月の間に規定集やマニュアル集などを20本仕上げた事や、皆さんから頼りにされていることを有り難く思いつつも、技術指導を中心に続けた仕事への達成感も有り此処が辞めるタイミングである事を感じたことが理由でしょう。
そして、会社へ出向かない最近は何となく物足りなさを感じる日も有りますが、一方不思議なもので血糖値が120台と低い状態で安定して来ました。体とは不思議なものです。勤めていた時は、途中でメガネを買い替えたり眼精疲労に良いビタミン剤を飲むなどして頑張って来ましたが、今年は65歳になる節目の年でも有るので、良くやったと自分を誉めてやろうと思いつつ、此れからの時間の過ごし方を考えたいと思っています。

4.最近読んだ本のご紹介
最近、「仏像のひみつ」と言う本を読みました。世の中には沢山の仏像が有りますが、その本では仏像たちには位が有り、組織化されていることが判り易く説明されていますが、長いこと(24年間)東京国立博物館に勤務され仏像と深く関わって来られた著者(山本勉さん)が、仏像を実に判り易すく紹介しています。
 処で、先月から東京国立博物館で薬師寺の日光菩薩と月光菩薩が特別展示(3月25日~6月8日)されていますが、薬師寺で両菩薩の光背を外しお身拭いをする光景や、東京へ搬送する様子などをNHKで放送していました。私はその番組を見るまで、日光・月光菩薩が東京に来ることを知らずにこの本をたまたまインタ-ネットで知って購入したのですが、この本では、仏像の位の最高位は「如来」であり、まだ修行中の仏像が如来の次の「菩薩」で有ること。そして如来には、お釈迦様自身の「釈迦如来」と、後の世に作り出された「薬師如来」や「阿弥陀如来」、そして密教で最高位で有る「大日如来」などが有ることを知りました。如来の左右に菩薩を配した形を三尊像と呼び、薬師寺の三尊像は中央に薬師如来がいて左右に日光・月光菩薩が並ぶ薬師三尊像であること。如来→菩薩の次が「明王」で、お不動さんで知られる不動明王などが有名ですが、そして最後が「天」なのだそうで、天は位の高い仏像を守るガ-ドマン達で四天王(4人の天)が有名であり、ガ-ドマンではないけれど吉祥天や弁才天と言う女性の天もいることを知りました。それから、仏像が手の指を色々と曲げたりくっつけたりして我々に何かを伝えようとしているそのサインが何なのかをイラストで説明していますが、実に良く判りました。今度仏像を観る時は、しっかり見たいと思っています。皆さんも一度読んで見ては如何でしょう。そして、私も上野へ日光・月光菩薩に合いに行って見ようと思っています。 本の紹介:書名「仏像のひみつ」、発行所「朝日出版社」、著者「山本勉」、定価は1,470円(税込)

5.孫達のこと
2 人の孫は目出度く、梅組さんとすみれ組さんに進級しました。そして、上の孫(すみれ組)には、年中さんと年長さんの先輩が一人ずつ孫に付いて、3人のグル-プでこれから仲良く過ごすことになるそうです。それは、今から自分以外の人との付き合い方を身に付けて行くことと、お互いに協力し合って行く習慣を身に付ける点で大変良い取り組みだと思います。今後、お兄さんやお姉さんから色々と教えて貰う事が出来そうですし、来年からは逆に後輩を教えてあげる役割りの中で、自分自身も育って行くことで社会性が身に付くことでしょう。その点、下の孫は今年は同年のグル-プの中で一年活動するとのことでした。
そして、娘夫婦は休みの日に午後から二人を実家に預けて出掛け夕方引取りに来ますが、結構上手く利用されているようにも思いますが、孫と過ごすひと時がとっても楽しいので、これも良いのではと思っています。この間も、孫とジャガイモ堀りをしようと、去年作った野菜畑に今年はジャガイモの種を植えました。そして、先週遊びに来た孫達は早速ジョ-ロで水を掛けて楽しんでいました。

6.新装なったJR竜王駅
建築家の安藤忠雄さんの設計になる橋上駅舎方式の竜王駅が完成し新しい駅舎での営業が3月24日から開始されたので、ウォ-キングがてら見て来ました。デザインは水晶の結晶をイメ-ジした殆んどがガラス張りの構造で、鋭角に尖った立面から構成されています。
そして、前回の近況報告では完成間近かの駅舎を外側から見た様子をご紹介しましたが、今回は晴れて開通した駅舎へ上がり周囲を眺めましたが、一方のガラス越しには富士山を、そして反対側のガラス越しには八ヶ岳連峰や甲斐駒そして白根三山などが眺められる絶景のロケ-ションの駅舎で、エレベ-タ-やエスカレ-タ-を使って誰もが利用し易い設計になっていました。
ただ、現在は駅舎が完成したばかりで駅前広場(南口)は現在工事中。そして、私が利用することになる北口は今はまだ畑で、着工は此れからの状況です。今後両方の広場が完成すると、バスタ-ミナルも整備されて更に利用し易くなることでしょう。

7. 
いのちの誕生
それは昨日(4月13日)の10時過ぎのことでした。ミル(我家の猫)がジ-ッと虫かごの中を見ているのに気付いた妻がその中を見ると、ガサゴソ動くものがいて、それが羽化したばかりの蝶で有ることが判ったようです。それは、昨年柚子の木で見掛けた黄アゲハ蝶の数個のさなぎを虫かごに移して一冬を室内で過ごしたのですが、この所の暖かさで羽化したのでした。私も羽化を直接見るのは初めてなので、さっそく孫達も呼んで一緒に観察する事にしました。そして蝶は室内の植木鉢の花に移してやると初めは羽をたたんでいましたが、徐々に羽を広げて2時間が経つ頃には羽を広げて飛び立つ練習をするようになり、やがて飛び始めたので庭の花に移してやりました。それからおおよそ2時間後に孫の「さよなら蝶ちょさん、元気でね!」の声に見送られて飛び立って行ったそうです。その光景を丁度ウォ-キング中の私は見ていませんが、孫も不思議そうに見ていたそうです。早速、絵本の中の蝶の写真を見せて、同じ形をしているね、色も同じだね・・・と話しました。孫達にとっても良い理科の勉強になったと思いますが、私も蝶の羽化は初めてなので、4時間余りで飛び立って行った蝶の生命力に感動しました。
(上の画像:羽を少し広げたところ。下の画像:飛び立つ前)






8. 一本桜のご紹介

 冒頭でご紹介した韮崎市に有る一本桜をもう少し詳しく紹介しましょう。その桜が右の画像ですが、なだらかな丘陵が広がる田園のその中に一本だけポツンと立っていました。そして、県外から来た方達を含めて多くの人びとがお花見に訪れていました。何でも、ここ数年この桜に人気が集まりだしたそうです。
 画像からは、右の奥に雪化粧をした八ヶ岳がうっすらと見えていますが、見学者の身の丈と比べてこの桜の大きいことがお判り頂けると思います。先程も紹介した通り、平成17年に開催された愛・地球博の日本館で(大きな画面で)見たあの時の映像の中の桜は風に吹かれてその花ビラが一斉に舞い散る大変見ごたえの有る光景でしたが、今もしっかりこの目に焼き付いています。その桜に今回出合うことが出来たのですが、訪れたその日はそれこそこの桜の一番美しい盛りの時でした。実は、出掛けた日の一週間前に一度訪ねて見たのですが、その時はまだ一分咲きで、土地の人に聞いて見ると一週間後が見頃であると教えてくれました。何でも、ソメイヨシノに比べてこの桜(江戸彼岸桜)は満開になる日が遅いのだそうです。


 この一本桜のご紹介
 1. 樹  齢  :約300年
 2. 樹  高  :17m
 3. 枝  張  :23m
 4.わに塚の由来:2説が有り、一つはこの桜が塚(古墳跡)の上にあり、その塚の形が鰐口(神社仏閣の軒下に有る円形の大きな鈴)に似ている
            と言う説。もう一つは、日本武尊(やまとたけるのみこと)の王子(武田王)がこの地で亡くなり、王子を祭ったこの塚を後世の人が
            「王仁塚(わに塚)」と呼んだと言う説が有るそうです。

昨年は、北杜市(韮崎市より長野寄り)に有る山高神代桜(樹齢2000年)を観に行きましたが、神代桜とはまた趣が違った一本だけが凛々しく立つこの桜も良いものです。
それでは、四月のご報告は此れまでにして、次回は5月の後半にお伝えしたいと思います。

3/09
 北海道へのぶらり旅(計画中)の中間報告
               

3月ともなると、さすがに陽が暮れる時間が随分延びて来ました。そして、暖かな日が数日続いたかと思うと急に寒さが戻ったり、風が強い日もまだまだ有りますし、しかし確かに季節は春へと向かっている事を実感します。そう言えば、庭の梅の蕾も大分膨らんで来ました。
 さて、前回の「近況報告」が1月の下旬であったと思いますので、それからの1月半の寒い季節を(風邪は引きましたが)大過なく過ごすことが出来ました。そして、やがて来る桃や桜の季節を今から楽しみに待ちたいと思っております。

それでは、ぶらり旅の予定についてご報告します。
 まだ、フェリ-や宿への予約をしていませんが、知床岬への観光船が現在のところ5月までは途中までしか行かない事が判りましたので、知床へ6月初旬に行く計画にしようと思っています。それと、どうも洞爺湖サミットの関係ではないかと思うのですが、昨年までは新潟~小樽航路がこれも6月からであったのが、今年は4月中旬より出航と早まっています。船会社も今から北海道への車や観光客の増加を見込んでのことではないかと思います。

 そこで、一度は新潟~苫小牧で計画をしましたが、新潟~小樽も視野に入れて2案を作りました。しかし、小樽コ-スは新潟港が午前中の出航となり安全のために前日に新潟入りをするため、苫小牧コ-スより日程が一日余計に掛かる事になりますが、その反面小樽へは到着が早朝になるので、その日は一日中小樽市街を観て歩くことが出来ます。いずれにしても予約が2ヶ月前からになるので、どちらのコ-スにするかそろそろ決めたいと思っています。そして、どちらにしても、現地の警備の影響も予想されるので洞爺湖と支笏湖を早目に観てから、道内をゆっくり走りたいと思っています。

 さて、調べて行く内にやはり北海道は広いことを実感しています。それに、此れまでの旅は先に目的地を決めて置いて、その土地の情報は主に町役場や市役所を訪ねて見学先を教えて貰っていましたが、北海道は江戸時代まではアイヌ民族が住む蝦夷と呼ばれた土地で、しかも文字を持たないアイヌ達を含めた北海道の歴史や文化をどこまで知る事が出来るかが良く判りませんでした。少なくとも、明治以前の歴史はアイヌ民族の文化や歴史以外にはなさそうです。しかし、アイヌ民族に付いては「苫小牧市」の南に有る白老(しらおい)町に「アイヌ民族博物館」が在り、アイヌの子孫達が民族衣装を身に着けて踊る実演も有るようなので、そこでしっかりアイヌのことを学習して来ようと思っています。

 何しろ、調べれば調べるほど北海道の地名がアイヌ語と深く関わっている事が分かります。アイヌには文字文化が無いので、あくまでもアイヌ語の発音を日本語の文字に当てはめたものですが、しかし例えば、「苫小牧」はアイヌ語で「沼の奥に有る川」と言う意味であり、洞爺湖の「洞爺」は「湖の岸」で、「支笏」はシ・コツで「大きな凹地(又は谷)」、「知床」はアイヌ語でシリエトク又はシレトク(sir etok)で「大地の果て」又は「大地の突き出た所」、「室蘭」はアイヌ語の「モ・ルエラ」で「小さな坂道を下りたところ」の意味なのだそうです。しかし、その言葉にはアイヌと言う北方先住民族が営々と築き上げたアイヌ達の長い歴史を想い起こさせるのに十分なアイヌ独特の薫り高い民族文化の響きを感じ取る事が出来ます。そして、「・・・コタン」は「・・・集落(部落)」であることなどは、前から知ってはいても改めて詳しく調べるとまだまだ奥が深いアイヌの言葉が分かって来ました。そこで、かつて言語学者の「金田一京助」が、アイヌの言葉や生活・習慣などを詳細に調べた本を読んだことが有りますが、もう一度読んでから出発したいと思います。

 と言うことで、最初に洞爺湖と支笏湖そして室蘭と「アイヌ民族博物館」を観てから、夕張で「炭鉱博物館」に寄り、狩勝峠を越えて帯広→日高山脈を南下・横断して「浦河」で競走馬の牧場を観てから襟裳岬→釧路で湿原をゆっくり観たいと思います。そして、翌日は厚岸と納沙布岬、中標津にある「開陽台」へ行き、晴れていれば根釧原野の広がりの先に有る「国後島」も圧巻のようですので是非観たいと思います。それから北海道東部にある3つの湖を観て知床へ。知床では観光船で知床岬を観て、網走→サロマ湖→紋別を経て宗谷岬へ。翌日は、稚内港から船で利尻島と礼文島を観る事にしています。此処までで旅の前半の日程になるでしょう。

旅の後半は、礼文島から戻り留萌や増毛を経由して大雪山系の層雲峡まで足を伸ばし、旭川へ。そして翌日は富良野へ行き、歌志内→岩見沢を経て札幌→小樽→余市→積丹半島をひと回り→倶知安→ニセコや長万部ヘ行き函館で終わります。

 そのあとは、函館からフェリ-で青森へ。青森では、前回観ていない八甲田山と奥入瀬渓谷を観て八幡平→雫石→盛岡→釜石へ行き前回は釜石から陸中海岸を北上しましたが、今回は南下し気仙沼や石巻と言った漁港を見てから福島→茨城の太平洋沿岸を走り、霞ヶ浦から銚子そして、高速道で山梨へ戻る計画です。多分4,500km前後の旅になると思いますが、旅行中はあちこちに温泉が有るので一日置きに温泉に入る事が出来そうです。

 そして、この旅が完成したら長期の旅を完結し、その後は長くても数日の旅で観て見たい所へ行って見ようと思っています。それにしても、北海道の旅は此れまでの古い歴史や社寺や庭園を観る此れまでの旅ではなく、広大な台地をゆっくりと下調べした土地へ行くことで、北海道を丸ごと観て回る旅になりそうです。そう言えば、数年前に良く聞いた「北海道、でっかいどう!」を思い出しますが、今回は恐らく市役所などに寄る事は少ないでしょう。その分予備知識をしっかり持って出掛けたいと思います。そして、北海道を詳しく調べることで今から旅がすでに始まっている様な気がして、モチュベ-ションが徐々に高まって来ました。

 話は変わりますが、北海道を調べて行く中で、私は今から54年前に起きた「洞爺丸事件」について調べて見ようと思いました。
その洞爺丸事件とは、函館から青森へ向かった青函連絡船の洞爺丸と4隻の船が昭和29年(1954年)の9月に台風による悪天候の中で座礁・転覆し1,500人以上の犠牲者が出た大変大きな海難事故(タイタニック号に次ぐ大事故)なのです。

この洞爺丸事件と私との関係は、実は私達一家が戦時中から世田谷の下北沢に住んでいた頃に、私が小学4年生で引っ越すまで、東大原小学校(世田谷区立)で4年間を過ごした学校の担任の先生と深く関わっています。その先生のお名前は「桜岡喜美恵」と言いますが、先生は北海道の男性と結婚して夏休みにご主人の実家へ出掛けた帰りに、青函連絡船が台風の影響で遭難するのではないか(?)もしかすると先生がその船に乗っているかも(?)との連絡が入り、母と一緒に学校まで出掛けたのですが、仲々連絡が取れず先生の事が心配でならなかったことを今でもハッキリと良く覚えています。しかし、その後その連絡船には乗り遅れて先生は無事だったのですが、私は後世その船を洞爺丸とばかり思っていました。しかし、私が先生にお世話になった時期は昭和25年~27年で、今回調べると洞爺丸事件は昭和29年ですから、数年の開きが有ることが判りました。

 しかし、先生がお元気であれば80歳をかなり越えているお歳と思いましたので、これを機会に先生の消息を知ろうと東大原小学校のホ-ムペ-ジを調べて見ると、先生の情報は残念ながら有りませんでしたが、小学校の同窓会のホ-メペ-ジが有ることを知り、先生の想い出を掲示板に書き込みました。すると、ホ-ムペ-ジの管理者の女性の方から書き込みのお礼と桜岡先生がご存命で、しかし、病気をされて今は静養中であることが分かりました。
 今回、北海道を調べる中で洞爺丸事件を調べ、桜岡先生を懐かしく想い出す中で、先生の消息を知りたくて書き込みをしたのですが、先生がお元気でいらっしゃることが分かり大変嬉しく思っています。そして、3年生~4年生を吉田茂治先生に習ったのですが、吉田先生もお元気とのことで嬉しい限りです。

 確か2月中旬の日曜日の朝に、NHKで真冬の「屈斜路湖」を放送していましたが、放送の数日前に「屈斜路湖」「阿寒湖」「摩周湖」への行程を検討していた時期でしたので、番組を印象深く見ました。そして、番組の冒頭に映し出された屈斜路湖全体の映像は恐らく、美幌峠からのものと思いますが、前方に硫黄山が見えて、今尚亜硫酸ガスがかなり噴出していたり、湖底からは火山ガスが出ていて、湖面が其処だけは氷結していない場所が有ったり、屈斜路湖は火口に水が溜まって出来たカルデラ湖では日本で一番大きな湖であることなど大変参考になりました。私が訪れる6月ではハクチョウ達には会えませんが、その日は納沙布岬(根室)から中標津を経由して屈斜路湖を右手に見ながら美幌峠まで行こうと思っていますので、時間が有れば、湖岸に下りて一休みしたいと思っています。

 それにしても、最近良く北海道を紹介する番組をテレビで見掛けますが、やはり洞爺湖サミットが関係しているのでしょう。しかし、私としてはあまり有り難く有りません。観光客が増えると景色を観るのか人を見るのか分からなくなるし、何と言っても警備が厳重になると道の駅などのパトロ-ルが頻繁に行われるかも知れません。別に悪い事をしている訳ではないので気にする事は無いのでしょうが、何となく気持ちの良いものではないからです。

 さて、2月末にH19年の確定申告を e-Taxで済ませようとチャレンジしましたが、最終的な送信が出来ず諦めました。
e-Taxはインタ-ネットで確定申告が出来るシステムで、国税庁が盛んに宣伝をしていますのでやって見ましたが、途中で都度保存をして行かないと、デ-タ-が古くなりデ-タ-とシステムの整合がつかなくなり結局送信がNGになってしまうようです。それを税務署に問い合わせると、デ-タ-を新しく変更する事が出来るとのことですが、変更する画面を見付ける事が出来ませんでした。まだまだ使い易いシステムではなさそうです、しかし、源泉徴収票や病院の領収書の提出等がいらなかったり、5000円が控除されたりするので納税者にとってメリットが有ります。そして、何と言っても申告場所で並んで順番を待たずに済む点が一番のメリットですが、しかし準備として電子証明書を作る為のICカ-ドの申請やシステムを組み込むCDそして、ICカ-ドリ-ダ-ライタなどの費用が4500円以上掛かり電子申告による税額控除のメリットは余り無いのが実情です。そこで、来年こそは再チャレンジをして元を取り返そうと思います。(・・・残念)

終わりに、孫の近況報告をさせて頂きます。
孫達は、昨年の12月から上の孫が通っていた保育園に元気良く通い始めて、お正月も無事に迎えることが出来ました。ところが、2月の初旬に下の孫に細菌性の風邪が移り、一週間娘の勤める病院へ入院しました。今ではすっかり良くなり、2人とも再び保育園に通っていますが、何しろ1歳と少しの下の孫は病院で24時間の家族の付き添いが必要で、娘夫婦が交替で夜泊まったり、妻も昼間を看たり、上の孫の通園を手伝ったり、その内に上の孫も風邪で休園して実家で預かったりと2月は大変でした。3月にも再び下の孫が風邪で休園し、2日預かりました。しかし、こんな時こそ親が手伝ってやらねばと、2月の時は私も仕事が休みの時は上の孫のお迎えに行ったり会社を休んだりしました。そうした色々なことが有った2月も終わり、少しずつ暖かくなって来ましたので、お彼岸には東京に在る菩提寺まで出掛けようと思っています。

このところ、風の強い日が多くそんな時は歩くのを止めていましたが、今日は風が無く天気も良かったのでJRの竜王駅方面まで歩きました。駅までを往復すると約8000歩になりますが、今日は久し振りに歩くとかなりの汗をかきましたので家に戻ってから今年初めて下着を一式変えました。
今はスッキリした気分です。処で、竜王駅は建築家の安藤忠雄さんのデザインで、水晶をイメ-ジしたガラス張りの斬新な駅舎ですが、もう殆んど出来上がっていました。そして、3月24日から橋上駅舎での営業が始まるようです。

それでは、ぶらり旅の準備を更に進めて、5月の連休頃に正式な旅の計画をお伝え出来ると思いますので、どちら様も それまで花粉が舞う今の季節を乗り越えて、体調に気を付けてお過ごし下さい。]
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平成20年のご挨拶
                                                

今年も一年、宜しくお願い致します。
 今年のお正月は天気もまずまずで、年末に長女が帰省し次女夫婦が年末と年始に来てくれて、家族が全員揃ってゆっくり過ごすことが出来ましたと言いたいところですが、三女が東京へ福袋を買いに元日から友達と出掛けてしまい、全員集合とはなりませんでした。その三女も12月に引越しをして私もその手伝いをしましたが、年末は妻と二人で2年ぶりに障子を全部張り替えたり大掃除をしたりして二人だけで過ごしました。さて、新年にあたり今年の計画と近況などについてご報告させて頂きます。

 今年は、北海道を可能な限りゆっくりとひと周りしたいと考えています。今までの様に、なかば強引に計画を立ててそれを実行するのではなく、余裕を持ってゆっくりと観て来ようと思います。恐らく、出発は5月の連休明けにしてひと月近く掛けて海岸沿いを走るだけではなく、大雪山系や帯広などの内陸へも行って見たいと考えています。そこで、昨年途中まで計画をした日程表を見直して、幸いにして北海道には梅雨はない様ですから、いつまでに帰ると言う計画ではなく、行き先だけを決めて、のんびりと過ごして見たいと今は考えています。しかし、今年は洞爺湖でサミットが7月に開催されるので、警備の点で支障がないようにその点だけは良く調査してから行きたいと思います。

 処で、昨年パソコンを新しくしましたが、3ヶ月経つ今もどうもVistaに仲々馴染めません。世の中でも、Vistaへの評価があまり良くない様です。確かに、セキュリティ-を強化したりしている点は判りますが、操作をするたびに本人である事の確認を求められたり(それは形式的なだけで何の意味も無い)、メ-ルを受信すると改めてダウンロ-ドしないとメ-ルにある画像を見る事が出来なかったり、そのほか色々と手数が掛かり返って面倒で使いづらくも有ります。しかし、新しいパソコンを今は一階の居間に置いて無線LANでつなげていますが、暖かくなったら二階の私の部屋に移して(転送速度を上げて)現在はXPでやり取りしているホ-ムペ-ジのサ-バ-への接続などを順次Vistaに切り替えようと思っています。と言うのは、現在使っているXpはシステムが重い上に、最新のウイルスソフトを入れた精か益々重くなりHDDが動作しっぱなしの状況で、この分ではHDDがクラッシュする日もそう遠くは無いように思います。そうした場合にBiglobeにあるホ-ムペ-ジのサ-バ-への接続がNGになり被害甚大になるので、そうならない内に早目にVistaへ切り替えたいと思っています。さすがに、XPよりVistaの処理速度はハ-ドを含めて格段に速いことは確かです。

さて、NHKの大河ドラマで昨年は山本勘助を主人公にした「風林火山」が放送されて山梨は久し振りに観光客で賑わいましたが、今年から「篤姫」が始まりました。

 その篤姫は鹿児島の指宿で島津家の分家の家に幕末近くに生まれた女性で、やがて島津斉彬の養女となり、やがては不思議な縁で13代将軍の徳川家定の正室に迎えられた思慮深くて(聡明で)そして賢く(逞しく)幕末を生きた女性だそうで、私は一昨年に指宿には2日泊まっていながら篤姫のことを知らずに旅を続けた事を残念に思いますが、しかし今年一年このドラマを観ることで、篤姫の成長と共に幕末の島津斉彬や西郷隆盛や大久保利通達を詳しく知る事が出来そうで、今からが楽しみです。
それに、昨年が山梨で今年が鹿児島と何かの縁でつながっている様です。と言うのは、鹿児島には屋久島を含めて7日間居ましたが、鹿児島に長く居ただけ鹿児島への私の思いは深く、しかし、7日間もいながら桜島を一度も見る事が出来なかった分、今年はテレビで思う存分桜島を見る事が出来そうで、それも楽しみのひとつです。〔鹿児島の事は、此れまでの近況報告の更新記録の「ぶらり旅の思い出(その2)」(5月27日分)で紹介していますので、一度ご覧下さい〕

又、鹿児島の名の謂れについて最近知る機会が有りましたのでご紹介しますと、「鹿児島」には幾つかの説が有る様ですが、神が籠もる島(今の桜島)と言う説と、崖の事を鹿児島ではカゴと呼ぶそうで、四面がそそり立つ崖により形造られた桜島を「カゴ島」とかつては呼んだと言う説(いづれにしても、桜島と関わりが深い)そして、大昔の神話で「山幸彦」が使った舟が鹿児山で造られたと言い、その山幸彦を祭っている鹿児山に在る「鹿児島神社」(霧島の方角に在る)から来ていると言う説などが有る様です。

今年は、1月12日に沖縄の石垣島で26.3℃の真夏日が有ったり、宮古島では一月にセミが鳴いたりと異常気象が顕著ですが( しかし、さすがに23日には山梨でも雪が舞い1cmほど積もりいよいよ冬らしくなっては来ましたが) そうした毎年の季節の変化ではなく、地球の温暖化など地球を取り巻く環境への悪影響が益々広がっています。そこで、洞爺湖サミットでも炭酸ガスの低減化を初め環境破壊問題を地球規模で推進することが議長国である日本の重要な推進議題であり、主要なテ-マとして話し合われることになるのでしょう。

そして、サブプライムロ-ンで始まるアメリカ経済の失速やこの先の原油の高騰などの如何では、せっかく緩やかに成長を続けて来た此れまでの日本の景気も今年はどうなるか(?)、この所の株安と石油の高騰、そして、原料の値上がりなど、今までデフレで物価の上昇が抑えられて来た日本の経済が一変する可能性を秘めている様に思います。(現在までにサブプライムロ-ンによる焦げ付きが1000億ドルに達しているそうですが、更に数倍の焦げ付きの可能性が囁かれています)

私も、今年は65才になり高齢者の仲間入りをする年ですので、週に3日勤めている今の仕事にソロソロ区切りをつけようと考えていますが、この様な社会情勢の中でこれから先の生活のことを考えると少々心配になります。そこで、今は他界していないすぐ下の妹が生前妻に贈ってくれたショ-ルを膝掛けにして足腰を温かくして、少なくともこの冬を乗り切ろうと仕事をしています。(そのカシミヤのショ-ルはとても温かく、妹と一緒に仕事をしている様な気がします)
と言うことで、今年がどの様な一年になるのかが(?)判りませんが、ひょっとすると今度の「ぶらり旅」が最後の旅になるのかも知れません。

最近の孫達は、益々健やかに成長を続けています。娘も職場に復帰して、覚悟を決めて夫婦で子育てに懸命に取り組んでいますので、何かで都合が悪い時は手助けをしてやろうと思っていますが、普段は娘夫婦に孫を任せて、年寄りの過剰なお節介は止めようと思います。少し寂しいのですが、しかし先日も下の孫が風邪を引き保育園を休んだ時は早速一日預かり孫と楽しく遊びました。そして、一日しっかり孫の相手をすると上の孫とは感じが違う個性をもつ孫を発見出来て、その仕草が可愛く此れからの成長が楽しみです。

先日、メガネを新調しました。退職して5年が過ぎましたが、4年前に格安のメガネを買い使っていますが、初めてプラスチック製のレンズでメガネ自体は軽く最初の内は便利でしたが、レンズにキズがビッシリと付いてその精か幾分暗く感じるようになりましたので今度は再びガラスの遠近両用メガネにしました。しかし、今度のメガネは今までのメガネとは性能が大きく違っています。それは、レンズ上部の遠くを見る部分から下部の近くを見る部分までが連続して度数が変化するので、遠く 中間 近くを顔を動かさずに視線を上下させるだけで快適な視界を得ることが出来ます。例えば、パソコンの画面を見る時に今までは画面に顔を近づけて細かな字などを見ていましたが、今度は離れた位置でも視線を少し変えるだけでハッキリ見る事が出来る様になりました。このレンズを「多焦点レンズ」と呼ぶのだそうですが、昔から有ったかどうかは判りませんが、今回は手ごろでコスト・パフォ-マンスの高いメガネを手に入れる事が出来ました。また、最近とにかく目が疲れるので眼精疲労に効くビタミン剤に替えたりしていますが、この半月ばかりですが仕事を終えた日の夕方の血糖値が従来より30~40低いのがビタミン剤とメガネの精であるのかどうか、もう暫く様子を見て見たいと思っています。

最近ネットで昨年の春に発生した阿蘇山の山火事の記事を読みました。「4回目のリニュ-アルに寄せて」で書いていますが、正しくはH18年3月1日の午後、横浜から軽乗用車で来た58歳の男性が阿蘇中岳の近くでガスコンロでお湯を沸かしていたところ、コンロの火が枯れ草に燃え移り阿蘇の原野一帯に燃え広がったのだそうです。勿論車も全焼したとのことです。

何しろ、現場は水の便が悪く鹿児島からも消防ヘリが出動し消火に当たったそうですが、鎮火までに一日以上掛かったそうで、一部のミヤマキリシマの群生も消失したそうです。何とも悲しい出来事ですが、私の場合もほぼ毎日朝はヤカンでお湯を沸かしポットに入れる事が一日の始まりでしたので、火には気を付けて火傷などをしない様に慎重に車内でコンロを使いました。特に風の強い日はム-ンル-フを全開にせずに風が車内に回り込まないように気を付けましたが、阿蘇の男性の場合は軽乗用車とのことなので、恐らく車外でコンロを使ったのでしょう。今度行こうと思っている北海道は広大で風も強いかも知れないので、十分に気をつけたいと思います。

先日(1月19日)NHKの「探検ロマン世界遺産」の番組で、中国四川省の成都の先に有る「九寨溝」を放送していましたが、此処は私の先輩がかつて訪れたことのある世界遺産で、大小幾つもの湖沼とその湖沼と湖沼の間に有る森のその中を勢い良く流れる大量の水の流れ、そして幾つもの滝、その色合いは例えようの無い神秘的なエメラルドグリ-ンに近く、かつて先輩がその時の画像を送信してくれたお陰で以前からその「九寨溝」を知っていましたが、今度はNHKの女性アナがその地を訪れての紹介でした。(「前向きに生きる」の中で、先輩を紹介していますのでご覧下さい)

さて終わりは私の最近の体調ですが、正月を挟んでどうしてもおせち料理を食べたりお酒を飲む機会が多く血糖値が高値安定状態(?)でした。しかし、普段の生活に徐々に戻ると共に半月が過ぎたあたりから血糖値が下がって来ました。そして、胃薬を毎食後に服用したりメガネを新しく買い替え目への負担が減ったことも良かったのでしょう少しずつ血糖値が低くなり、低い状態で安定して来ました。しかも、先月のHbA1cの値も6.4と久し振りに先々月より0.5ポイント下がって来ましたので、こちらの方も6.0ポイントに近づくことを目指して頑張りたいと思います。

 お陰様で1月24日に このホ-ムペ-ジへのアクセス数が1万件を越えました。初回リニュ-アル(平成16年10月)から3年3ヶ月の間のアクセス数になりますが、此れまで、皆様に沢山見て頂き心から感謝しております。大変有り難うございました。此れからも宜しくお願いします。
それでは、暖かくなる春を待ちながら私は 今から旅の準備に取り掛かりたいと思います。そこで、次回は3月中旬あたりに途中経過をご報告したいと思いますのでお楽しみにお待ち下さい。
そして、皆様にはまだまだ当分は寒い日が続きますので、お体に気を付けてお過ごし下さい。


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平成19年(2007年)分


12月16日

2007年を振り返って(平成19年の終わりに)
                               

 今年も残りわずかとなりましたが、小生のホ-ムペ-ジをこの一年間ご覧頂き大変有り難うございました。
お陰様で、間もなく1万件のアクイセスを頂くことになりそうです。
さて、それではこの一年を振り返り2008年への抱負などを交えながら一年を締めくくりたいと思いますが、まずは

直近の事から始めますと、10月の後半に新しいパソコンを買いました。今のWindowsXPのディスクトップPCは、途中でHDDを40GB→80GBに変えたり、250GBの外付けHDDを増設したりなどをして6年以上使いましたが(購入当初はWindowsMe)、さすがに最近システムが重くなり使いづらくなりましたので、今春WindowsVistaが発売され、発表後のVistaの評価に注目し購入時期を考えていましたが、秋・冬モデルが発売された機会に地デジ対応のディスクトップPCを購入しました。その後、1ヵ月半でひと通りの設定を終えXPは二階、Vistaは一階に置いて無線LANでつなげていますが、6月にADSLを光に変えて、結構パソコン生活を楽しんでいます。それに、今迄のPCのCPU速度が1GHzであるのに対して新しいPCは2GHz×2と早く処理能力も上がっていてしかも、ADSL→光にして転送速度も改善されたことでも更に楽しめます。そして、PCをやらない時は地デジでテレビを見たり、2階のPCとファイル転送をしたりと楽しみが増えました。しかし、まだVistaにもOffice2007にも慣れていないので、もう少し詳しい事は次回以降にお話ししようと思っています。

次に孫達のことですが、今年3歳と1歳になりました。そして、下の孫のお宮参りを春にやり、上の孫の七五三をやったり、夏前には孫と一緒に田植えをやり、ミニ農園を作って、キュ-リやミニトマトやピ-マンがたくさんとれましたが、一年間休んだ娘が12月から職場復帰をした関係で、2人の孫は保育園通いを始め、最近はあまり我が家に来なくなり私達は少し寂しい思いをしています。

途中まで計画をした北海道への旅を今年は中止したのですが、10月にリニュ-アルをした中で書きました様に、胃の調子が良くならないことと、他に気が進まないことなどが有り取り止めました。しかし、来年は7月に洞爺湖サミットも有りますので、その前に北海道をグルッとひと周りして来ようと考えています。

北海道へは行けなかったのですが、今年は2月に冬の富士山を撮りに富士五胡まで出掛けたり、春には桜の名所をたずねたりと色々な情報を基に即 行動して県内の名所旧跡を訪ね歩きましたが、山梨に来て24年になりますが今まで知らなかった(気付かなかった)県内の事を色々と知ることが出来ました。「H19年のご報告」の中に書きましたので、ご覧下さい。

自身の健康への取り組みについては、これも「H19年のご報告」に書きましたように、「セルフメディケ-ション&コンディショニングメディケ-ション」の中で、今まで「糖化ヘモグロビン」に対して間違っていた知識や新しいことを勉強し直して、それをまとめましたのでご一読下さい。

それから私は、少しでも生き甲斐のある人生を過ごすために、日頃から自分の体調を管理して少なくとも寝たきりの老人にだけはならない生き生きとした老後を過ごしたいと考えています。それには、普段の食生活やウォ-キングなどによる体力維持そして、精神的に落ち込まない心のリフレッシュにも心掛けようと思っています。そして、人と自分とを比較するのでは無く自分は自分のペ-スで穏やかに生きたいと考えています。それには、精神的な自己研鑽も大切でしょう。しかし、幸いにして私は常に前向きに(積極的に)行動する性格なので、しっかりとした体調管理をベ-スに、心身の衰えを感じない(感じさせない)生き方を目指したいと思います。毎年「国際福祉機器展」に行きますが、新しい知識を吸収し、世の中に吹く風を察知したいと思い、常に孤立しないためにもこのような行動が大切であると考えています。

一年を振り返って
①平成19年は、ほぼ一年間胃の病気で辛い思いをしました。出勤日には、早目に食事を済ませて30分間体を休めました。特に前半は胃のムカツキと暴慢感に悩み、色々薬を変えては治まるのを待ちましたが、そうした症状は後半から徐々に改善されて、ゲップが出る様になり食休みは相変わらず今も続けていますが、無理やり口に運んでいた食事が最近はマアマア摂れる様になりました。それは、医者と相談したり、薬局で薬剤師に症状を伝えて新しい薬を紹介して貰ったりしたのが良かったのでしょう。その中で、エイザイ(株)の「セルベ-ル整胃錠」と言う薬は「弱った胃壁を粘膜のベ-ルで整える」と言う説明書きの通り、かなりの効果が有ったと思います。

②今年の7月で仕事を再開して丸2年になりましたが、若い頃にしっかり技術を身に付けたことが幸いして、そこそこのアウトプットを出せたと自負しています。しかし、目の疲れや運動不足そして長時間の勤務のストレスなのか、勤務の日の血糖値が高く、HbA1cも2年間で5%後半から7%に限りなく近づく状況に有り、いずれ今後の事を考える時期が来ると思っています。

③そうした中でホ-ムペ-ジ関係では、今年は3月にHP開設3周年の近況報告を含めて9回の近況報告と、10月には4度目のリニュ-アルをやりましたし、色々な情報を得て県内の名所旧跡を写真に撮りアルバム集も出来ました。そして、娘が一年間休職をして平日はほとんど毎日のように実家に来ていましたので、孫達とその分仲良く過ごせたことや、三女が昨年飼い始めたウサギを6月からは実家で飼うことになり、夕飯の後にウサギをゲ-ジから出して毎晩小一時間ルカ(ウサギの名前)と一緒に遊ぶのも楽しい日課になり、そうした事をホ-ムペ-ジでお知らせすることも出来ました。

④退職後の2年後から2年続けて父と妹を亡くした何か寂しい気持ちの中で、昨年と今年は続けて年賀状を出せることを感謝しながら、現在 年賀状の準備を始めています。そして、来年の平成20年は干支が最初のネズミに戻りますので、私の部屋に一年間飾られたイノシシをネズミに変えて、来年が再び良い年になるように願いながら年の暮れを過ごそうと思っています。

 以上の様に、私にとっては北海道にこそ行けませんでしたが、大変良い一年であったと思っています。

来年に向かって
 来年は、十分な準備と支度をしてから「北海道への旅」を実現したいと思っています。それを5回目のリニュ-アルで報告してから、これで、ひとまず「ぶらり旅」を卒業しようと考えています。そして、来年の後半からはまだテ-マを決めてはいませんが、何かをジックリ勉強しようと今は思っています。一般的には、「生涯学習」と呼ばれていますが、出来ればどこかの大学の公開講座に参加して、若い頃に出来なかった勉強をひとつのテ-マを選んで、時間がゆっくり流れるままに学習して見ようと思うのです。恐らくは、40年以上やって来た今までの機械工学の世界ではなく、文学とか、生物学とかのテ-マを今は考えていますが、例えば 最近話題になっている「万能細胞」などにも興味が有りますので、万能細胞の研究をやるのではなく、新しい学問(知識)に触れてそこに生き甲斐を見つける生き方を何かして見たい・・・と、今は考えています。
そこで、今まで自分自身のことをお話しておりませんので、何故えに勉強がしたいのか、私がその様に思う私自身が生きて来たその背景にあるものについて、少しお話させて頂きたいと思います。

実は、父が長年木工所を営んでいた中で、高校時代から経済的に苦しい父を手伝い私は軽三輪車で木材を運んだり製品を秋葉原へ納めたりしながら、卒業後は昼は仕事を手伝い夜中に勉強をして、21才の時に大学の夜間部に入り、昼間はある会社で設計の仕事をし夜 大学で勉強をして、当時はいつも寝るのが12時を過ぎる毎日でした。しかし、どんなに辛い時も勉強が出来る有り難さを私は忘れませんでした。そして、合格発表の後の面接で「君は昼間部に十分入れる成績なのに、どうして夜間部にしたのか」と質問された時に「家の事情」と答えましたが、でもその質問を少しも悲しく思いませんでした。逆にそれだけの実力を認めてくれた事を嬉しくさえ思いました。そして、ある人から教わった「心に太陽を持て!そして、口びるに唄をもて・・・」を自分に語り掛けながら5年間の学生生活を過ごしました。それから、ある中堅機械メ-カ-に就職し33年間 機械設計一筋に生きて来ました。その後、結婚し3人の娘に恵まれましたが、長女が大学進学を希望した時に経済的な支援を約束し、娘はそれなりの大きな成果を得て今は或る大手の研究所で働いています。しかし、娘への支援は父親として当然な事をしたまでですが、私には先ほど書いた通り十分に時間を掛けた勉強が出来なかった若い日の辛い気持ちが有り、その分娘を支援する人としての熱い思いが働いていることも事実であると思っています。

そうした此れまでの生き方の中で、勤め終えたら「今度は十分時間を掛けて勉強をして見よう・・・」と、ある頃から思い始めていた事も事実です。色々と自分の事を書きましたが、世の中には私のような方も多くいる事でしょう。
そして、以上のことが先ほどの「何かをジックリ勉強してみたい・・・」と言う動機の源になっております。


平成19年のご挨拶(まとめ)
  皆様、今年一年当方のホ-ムペ-ジを見て頂きまして大変有り難うございました。
確か、5月の後半に8,000件のアクセスを頂いたと記憶していますので、約7ヶ月で1,600件を超えるアクセスを頂いたことになり、特に10月にリニュ-アルをしてからのアクセス数が一段と増えております。

そこで、来年は、また新しい趣向に挑戦したいと思いますので、宜しくお願いします。
それでは、今年もあと2週間を残すのみとなりましたがまだ少し早いのですが、皆様には良いお正月をお迎え下さることを茲にお伝えして、この辺で失礼致します。この一年、ホ-ムペ-ジをご覧頂きまして誠に有り難うございました。           高橋成光 俳



11月10日

第34回 国際福祉機器展 見学記(H19年10月04日)


はじめに
10月2日に4度目のリニュ-アルをやりひと月と少しが過ぎましたが、その間に400件を越えるアクセスを頂きました。有り難うございます。頑張って良かったと思っています。これからも引き続き宜しくお願いします。さて、本題に入りますが、

 昨年の福祉機器展から早いもので一年が経ちましたが、今年の注目の一つは何と言っても「コムスン」が介護事業から撤退後の今回の展示会がどの様に様変わりするのかに注目が集まる様に私も思いながら見学をしましたが、昨年のあの大々的なコムスンのパフォ-マンスが無いのは当然のことながら、コムスン以外の有料老人ホ-ムの出展も無く、しかし全体として今回の印象としては少しも見劣りを感じませんでした。

 それに、今回華やかさをアピ-ルしていた一つの手法として、数年来製品系列別であった各ホ-ルの配置をガラット変えて、例えば、カ-メ-カ-による福祉車両関係を左奥(東6ホ-ル)から右手前(東1ホ-ル)に変え、此れまでは小さなブ-スが混み合っていた東1ホ-ル(見学者が最初に入るホ-ル)が賑やかになり、小さなブ-スを各ホ-ルに出来るだけ分散させて圧迫感を無くす工夫などがされていました。しかし、前回より出展企業が50社減っていたり、従来の電動車椅子や天井走行リフトなどの出展が益々減少するあたりは時代の趨勢を感じました。それに代わって、介護機器ではなく、介護予防としての健康(体力)維持・増進機器などが更に目立つようになりました。
中でも、ウォ-キングシュ-ズや使い捨てトイレなどは、介護とは異なる製品系列になりますので、間違いなく今迄の介護機器一辺倒ではなく、高齢者の体力維持・増進を柱とした出展や介護を幅広く捕らえた製品が昨年以上に増えていることを実感しました。それでは個々に気付いた点を列記して行きたいと思います。

個別のご紹介
1)ベッド関係
1.1)昨年より海外企業を含めて華やかさは無く出展数も少なく、ベットと併設して移乗機器に力を入れているブ-ス(フランスベッドなど)が目立ちました。
1.2)松下グル-プ系列のブ-スではベッドと組み合わせてベットから患者を抱き起こすロボットの実演などに元気があった様に思います。
1.3)アイシン精機(トヨタ系の自動変速機等のメ-カ-)が、低床ベッドで昨年迄は床とベット上面までがどのメ-カ-も20cm以上であったものを、アイシン精機は16cmに改良していました。

2)電動クルマ椅子関係
2.1)此れまで電動車椅子業界を生産量で引っ張って来た「セリオ」(台湾)は新製品の展示は無く、逆に自社ブランドではない「ヤマハ」や「ナブコ」の製品を品揃えに加えて展示していました。
2.2)電動車椅子が普及すると共に、転倒事故や自動車との接触事故なども増えて、安全性の点から売れ行きが鈍化しているようです。
2.3)ヤマハ発動機が昨年参考出展した電動車椅子で、ジョイスティックの代わりにタッチパネルによるステアリング方式のこの一年の進化に注目していましたが、その点を聞くと開発者と直接話しをする事が出来ました。そのタッチパネル式ステアリングの開発思想は、ジョイスティックでは応答性があまりに良過ぎてかえって使用者(高齢者)に危険との市場評価に対して、ゆっくりステアリングするタッチパネル式を開発ましたが、まだまだ応答性に別の問題が有り製品化が出来ていないとのことでした。そこで、ジョイスティック式とタッチパネル式の中間を狙ったミニジョイスティック式と小さなリモコンの様なボタンスイッチ式を開発中とのことで、そのスイッチを見せてくれました。そして、私が来年また見に来ますから頑張って下さいと言うと、30代後半のその開発設計者は目を輝かせて喜んでくれました。
2.4)4輪独立駆動方式の電動車椅子が出展されていましたが、関東自動車工業(トヨタ系列の自動車メ-カ-)製で、8cmの段差走行に威力を発揮するとの説明が有り、段差による転倒にも効果が有るようです。しかし、通常の電動車椅子の2倍(定価:60万円)の価格でした。

3)パワ-アシストス-ツ関係
3.1)東京理科大学の小林研究室が、「マッスルス-ツ」の名で空気圧式人工筋肉を組み込んだス-ツ(?)を出展していましたが、最初ここのブ-スが大学である事が判らず、製品化したにしてはどうも見栄えが悪いと思いきや、研究中の作品の展示でした。
3.2)東京理科大学の外にも、「先端技術と福祉機器」のブ-スでは、東京理科大学と同様のパワ-アシストス-ツや筋電義手などの研究成果が展示されていました。

4)使い捨てトイレ関係
4.1)「ラップポン」と言う商品名で、ポ-タブルトイレにバケツの代わりに容器の中にフィルムを装填し、使用後は凝固剤を入れてスイッチを押すと自動的にラップされて、完全蜜封し燃えるゴミとして処理が出来て、ほとんど臭わないとの説明でした。
4.2)それこそ、ダンボ-ルで出来た簡易トイレを見掛けましたが、介護機器と言うよりも、地震などの災害時の緊急トイレと言う方が相応しいように思いました。

5)その他
5.1)NEDO(新エネルギ-・産業技術総合開発機構)やNICT(情報通信研究機構)が十数社の介護関連企業をブ-スに集めて、それぞれの製品を展示していましたが、昨年は見掛けなかったと思います。特にNEDOでは「福祉用具の産業化を目指して」と題して、福祉関連事業への支援を紹介していましたが、例えば川島織物(高齢者に相応しいシ-ツ等の研究)や栗本鉄工所(強靭性マグネシウム製下肢装具の研究)など15企業を紹介していました、
5.2)昔から有る介護機器メ-カ-(モリト-、三国、竹虎・・・)は今年も元気が無く、こじんまりしていましたがその中で、竹虎がTaketora  Humane Care と言う社名に変えて、以前の天井走行リフト中心ではなく、介護衣料用品関係をメインに昨年より更に方向転換していました(昨年も同じ傾向でしたが、今年は更に強くアピ-ルしていました)
5.3)その点、介護機器商社〔日本アビリティ-やWith、ヤマシタ(介護器具レンタル)・・・〕)はどこも今年も健在でした。
5.4)、安寿(アロン化成)は此れまではポ-タブルトイレを色濃く打ち出していましたが、昨年辺りから、ウォキングシュ-ズや手すりなどの紹介もしており、良く言えば幅広い商品への多角化、一方では、既存製品の熟成化がある様に思えます。
5.5)コンビラックで知られるコンビの健康器具部門であるコンビ・ウエルネスが昨年ゲ-ムソフトのコナミとタイアップして出展していましたが、何と今年はコナミが主流で、コンビウエルネスはこじんまりしていました。聞いて見ると、昨年の夏前にコナミグル-プがコンビウエルネスを傘下に入れたそうで、昨年のコンビウエルネスは200万円はするコンピュ-タ-制御の健康維持器具で人気を得ていたのに対して、今年は 顧客の介護予防を目的とした会員制のクラブで、顧客の健康維持のためのトレ-ニングカリキュラムを策定し個別指導をするコナミのシステムを大きく紹介していました。コンビウエルネスはいずれそのブランド名が無くなるのではないかと思うほど、精彩が有りませんでした。
5.6)日立製エレベ-タ-の保守管理会社である日立ビルシステム(BUIL CARE)が、段差解消機を出展していましたが、今迄は狭い階段などで水平部の乗り移りの安全性に問題が有った部分を、「渡し板」を組み込む事により解消したことをアピ-ルしていました。
5.7)国土交通省が、荒川の河川敷に町中にある障害物を再現して車椅子を体験出来る広場を造ったことと、荒川の水を美味しくする取組みなどを紹介していました。昨年も出展していましたが、今年は大々的にアピ-ルしていて賑やかでした。
5.8)文化シャタ-が、吊り戸式で、軽い力でドア-の開け閉め(二つ折り式)が出来て、組み込まれたオイルダンパ-を用いて自然にドア-が閉まる動力を用いない構造のものと、リニアモ-タ-を使用した動力式のものを出展していましたが、どちらも挟まれても痛くないユニバ-サルデザインの扉でした。一方、三和シャタ-では昨年に引き続いて後付けのホ-ムエレベ-タ-で、木造家屋のリホ-ムも可能な標準工事費込みで定価が180万円台の製品を展示していましたので試乗して見ましたが、乗り心地はまずまずでした。
5.9)家庭用階段昇降機のレ-ル(丸パイプ)が従来のステンレス製からスチ-ルの焼付塗装に複数のブ-スで変わっていました。コスト削減のためでしょう。

6.まとめ
 介護を受ける人の人間としての尊厳性を如何に(快適に)実現し、一方益々高齢化して行く被介護者の労力軽減をキ-ワ-ドに、この福祉機器展が果たしている役割を継続的に観て行こうと毎年見学をしていますが、真新しさの点では以前の様な驚きは無く、最近は地道な改良の積み重ねと例えば新しい素材を活用した用具などが中心となっています。しかし、要介護人口が増え続ける高齢化社会にとってこの展示会はこれからも必要なメディアであろうと思っています。

一方、もう一つの柱として、老化を予防し、あるいは心身を鍛えて少しでも自立的に長生きして、医者や薬の世話にならない心構えを育てて行く工夫、このテ-マを目的とした出展が昨年以上に目に付きました。それは、老人医療費や介護保険費の更なる上昇から日本全体の社会がなり立って行かないこれからの諸問題からも、こうした自立支援機器が求められて行く必要を会場に見つけることが出来ました。

また、会場では、ヘルパ-さんや福祉関係の若い女性達が一生懸命説明員に質問をしている光景を色々見ましたが、此処が介護にたずさわる人達の苦労が判る会場でもあることを教えてくれます。そして、心身に障害のある人達が介助を受けながらも車椅子で来場している姿を見ると、少しずつではあるけれど、障害者が屋外へ進んで参加をする気持ちが生まれている事に拍手を送りたい気持ちにもなりました。そうした様々な刺激を受けようと、これからも私はビッグサイトへ出掛けたいと思います。

終わりに
明日は、三歳の孫の七五三のお祝いをやりますが、最近は7年ぶりにパソコンをVistaに変えてその環境整備に取り組んだりと、充実した日々を過ごしておりますが、実は先だって下の孫から風邪がうつり、下痢や嘔吐などで仕事を休むなどのアクシデントが有りました。今は、お陰様で孫も私もすっかり良くなりました。それでは、次回の近況報告は新しいパソコンから12月中旬ごろにお送り出来るかと思いますので、それまでしばらくお待ち下さい。



10月02日

最近の孫達


 9月で3歳になった上の孫と、10ヶ月になる下の孫達と仲良く暮らしています。
娘も普段の日にはほとんど毎日のように実家に来ますが、上の孫はお婆ちゃんが大好きで来るとすぐお婆ちゃんを独り占め、特に最近は5~6語文以上の会話が多くなりその場にピッタリのお喋りで皆を笑わせたり、感心させたりと我が家のメイン・キャスタ-をやってくれています。しかし、下の孫をお婆ちゃんが抱くと、最初の頃は私がお婆ちゃんで妹はママと言っていた孫も最近はお婆ちゃんが抱っこしていいよとお姉さんらしいことを言うようになりました。しかし、私達が上の孫を買い物に連れ出すと、自分が二人を独り占め出来たのが嬉しいようで、大変喜びます。3歳になり成長した孫に感心しきりと言ったこの頃です。

その点、下の孫は今は何でも物を口に入れるので目が離せず、ハイハイも上達し掴り立ちをしては両手を離すなど何事にも積極的で、姉とはまた違った個性に不思議さを感じます。間もなく(誕生日より相当早く)歩き始めることでしょう。

しかも、下の孫は顔立ちが私に似ているので、最近取り分け可愛くなりました。将来、私の娘達に良く似た顔立ちになるのでしょう。

それに今年は上の孫に野菜を直に取らせようと、庭に小さな家庭菜園を作りました。キュ-リとトマト、ピ-マンとナス、それにミニトマトとカボチャを1本ずつ植えたのですが、キュ-リとミニトマトはかなりの収獲が有りましたが外は余り取れませんでした。特にかぼちゃは葉だけが大きくなり過ぎて途中で枯れてしまいました。

更に、大きなプラスチックの容器の中に孫と一緒に稲の苗を植えて、毎日穂が出るのを楽しみにしましたが、途中でエル(飼っている犬の名前)が水抜きのホ-スのつなぎ目を外しそれに気付くのが遅れて容器の中の水が全部抜けてしまい、かなりの苗が枯れましたが、生き残った苗から8月下旬に穂が出始めて、今は40~50本ほどの穂が黄色に色づいて垂れて来ました。このホ-ムペ-ジをサイトへ転送する前に孫と一緒に稲刈り(?)をやりたいと思っています。(9月27日に稲刈りをしました。そのほかの画像の中に詳しく載せましたので、ご覧下さい)

また、毎月私は自分の小遣いから5千円を孫に貯金をしていますが、その積み立てたお金でシマジロウと言うトラのキャラクタ-(ぬいぐるみ)の付いた絵本やCDそれに遊び道具を娘は毎月取り寄せていますが、孫はその送られて来るCDで上手に歌い・踊り、そして絵本を読んで貰ったり遊び道具でごっこ遊びをしたりして毎日を楽しく過ごしています。

現在、このホ-ムペ-ジのサイトへの転送を10月2日を予定(遅くとも6日までに)していますが、国際福祉機器展(第34回)を10月4日に見に行きたいと思っていますので、見学記は次の近況報告でお伝えしようと考えています。
それでは、無事に転送出来る事を願い本日はこれにて


08月04日


セルフ・メディケ-ション情報(中間報告)

 最近のニュ-スは柏崎で大地震が起きたり、大型台風が矢継ぎ早に上陸したり、参議院選では自民党が大敗したり、海外では高速道路の橋が崩落したりと落ち着かない日々が続いています。そうした中で、いよいよ夏本番を迎えて私の体調が思わしくないこの頃ですが、今回は秋に予定しているHPの見直しの中で血糖値管理について勉強中の事柄を中間報告の形で書いて見ようと思いまとめました。

糖化ヘモグロビン(HbA1c)について
この春にある方から掲示板に次の様な書き込みが有りました。其れは、私のHPの中で糖化ヘモグロビンは体内に酸素を届ける酸素の配達人である本来のヘモグロビンの役目を忘れて酸素の代わりに糖を運んでしまう為に、結果として十分な酸素が体内に入らずに体の新陳代謝が悪くなり、抵抗力が低下したり感染症や神経症になり易い体質になると20年前に教わった内容に対し、その方からは糖化ヘモグロビン(H
bA1c)が増えるとなぜ酸素不足になるのか(何処からその情報を得ているか)との質問でした。
私は体験入院の中で酸素を運ぶ代わりに糖(ブドウ糖)を運んでしまう結果、酸素の供給量が不足ししかも一度糖と結合したヘモグロビンは2度と酸素を運ばないと教わりました。そこで、早速現在の主治医に確認すると正しくは、酸素と糖は別々の基に結合するもので、血液中の糖が増えるとヘモグロビンが糖と結合し易くなり、酸素と糖の両方を運ぶヘモグロビンの割合が増加する。このヘモグロビンをHbAc(糖化ヘモグロビン)と呼ぶのが正しいことが判りました。但し、ヘモグロビンの寿命は約3ヶ月で一度糖を運ぶヘモクロビンは死ぬまで糖を運び続けるのでそのHbA1cを計ると血糖値よりも変動の少ない糖の月間平均値が判るとの事でした。そこで、何故当時の先生は私に酸素を運ばずに糖を運ぶ、だから糖化ヘモグロビン(糖に化けたHb)と呼ぶと教えてくれたのか(?)しかし、その病院長は既に亡くなられていて問い合わせることは出来ません。恐らく、判り易くその様に話されたのだろうと思います。しかし、血液中に糖が増えると血液がドロドロ状態になり(砂糖水の様に血液が濃くなる)その分血液の流れ(循環)が悪くなりその結果として、新陳代謝が悪くなることは正しいことが分かりました。

グリセミック指数のこと
糖質には、血液中で糖に変わる迄の時間が早い(短時間でブドウ糖に変わる)食品とゆっくり変わる食品が有る事を知りました。それは、ご飯、うどん、パン、ジャガイモは短時間で糖に変わるのに対して、ソバ、ラ-メン、パスタなどはゆっくり変わるので、血糖値が高い人はゆっくりと糖に変わる糖質を選んで食べた方が血糖値の急上昇を防ぐ意味で良いと言うのです。その糖質を糖に変える割合(ブドウ糖を100とした時の割合)をグリセミック指数と呼び、なるべく指数50以下(別な言い方をすると血糖のピ-ク値が低い)食品を選ぶのが良い様です。面白いのは、白米(72)と玄米(50)には違いがあるのですが、精米すると指数が上がる様ですし、なぜか野菜の人参は極めて指数か高い(95)のだそうです。しかし、この指数は食べ合わせや調理方法などでかなりのバラ付きが有るとの事でした。

摂取する食品の単位数について
血糖値やHbAcの値を基に、運動量や自分の体重から一日の食物の摂取量を食品交換表により決めていますが(80Kcalを一単位として私の場合は18~20単位と決めています)しかし、これはあくまでもエネルギ-の管理であり血液中のブドウ糖の管理とは必ずしも全てが一致するものではない事を承知はしていましたが、改めて今回考え直して見ると、血糖値を管理するということはあくまでも血液中の糖をコントロ-ルすることで、食品中に含まれる糖質の管理であり、全く関係ない訳では有りませんがエネルギ-(の定義)とは本来別であると考えました。つまり、エネルギ-の単位数を管理しても、糖質の高い食品を多く摂っていては血糖値は下がりません。また、過食や暴飲暴食が高血糖体質になることは正しいのですが(太り過ぎを防止する為には単位数でしっかり管理することは大切なことですが)、単位数のみを気にして逆に糖質を摂り過ぎて蛋白質や脂質が不足しては栄養のバランスが悪い食生活となり、健康維持には逆効果とも言えます。そこで、幸いにして私の体重が標準値になりましたので、例えば好きなラ-メンを今までは麺を食べてス-プは残す様にしていましたが、麺の量を少な目にして、その代わりス-プは全部飲む様に変えて見ると、今のところ体重に変化は無く血糖値もマアマアですので、もう少し続けて見ようと思っています。

追伸
今年実施の方向で計画を立てた北海道への「ぶらり旅」は、体調が優れないことより来年に見送る事にしました。期待して頂いている皆様には大変申し訳け有りませんが、一年遅らせることにしました。そこで、次回リニュ-アルのメインは「ぶらり旅」ではなく、違った企画で見て頂こうと思っています。また、今からリニュ-アルの準備に取り掛かりますので、リニュ-アル前の「近況報告」は此れまでとさせて頂きますので宜しくお願いします。



03月09日

ホ-ムペ-ジ開設4周年のご報告をメインに
 
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ホ-ムペ-ジ立ち上げの此れまで(感想を含めて)
  平成16年3月31日に自作のホ-ムペ-ジをサイトに初めて転送してから、3年の年月が経とうとしております。その間に、幾度となく試行錯誤を繰り返しながら見直しをやって来ましたが、何と言っても ト-タルとして1万件を越えるアクセスを頂いていることが、何よりの励みになっておりました。
 
処で、最初の年は「聴覚に障害を持つ子ども達への子育て支援」を、と考えてホ-ムペ-ジを立ち上げましたが、聴覚障害の方々から私が紹介した「口話法」は障害者にとって差別そのもの、と痛烈に非難され残念ながら方針を変えざるを得ませんでした。

参考迄に、この件の大筋の経緯を「3回目のリニュ-アルに寄せて」(H18年の#6に記載)に述べさせて頂いております。
そこで、2年目からは、車で日本の各地を旅する「ぶらり旅」をメインに(2回目と3回目の)リニュ-アルでご紹介をしました。

そして、高血糖体質の自身の体調管理の取組みを「セルフ・メディケ-ションを目指して」の中でご紹介しております。(此のテ-マは当初から取り組み、途中で内容を追加するなど中身を見直して来ました)

さて、最初のリニュ-アルの際の不慣れから其れまで(半年分)のアクセス数をリセットしてしまった関係で、初回リニュ-アルから現在までのアクセス数は7,500件を越えておりますが、最初の分を加えると10,000件を越えるアクセス数となり、この3年間で皆様にそれだけ良く見て頂けたことに感謝をしております。

それから、「ぶらり旅」は社用などで此れまでに行った地を含めて一応全ての都道府県へ行く夢が叶いましたので、現在此れ迄の3回の「ぶらり旅」で卒業する積りでおりますが、北海道が札幌地域周辺のみに留まっていますので、もし体調が良くなったら(胃が治ったら)、2週間程度の小さな旅をして見たいとも思っております。まだ現在は未計画ですが、いずれご報告させて頂くことになるかも知れません。

孫達の近況
 3月の初旬に2番目の孫のお宮参りを武田神社に出向きお祓いを受けましたが、当日は娘の嫁ぎ先のご両親のお招きで私達もお参りの後のお祝いの席に着き、孫の安らかな成長を皆で願い祝いました。

 その武田神社は、NHKの大河ドラマ「風林火山」の関係からか、多くの観光客で混み合っておりました。
そして 二番目の孫は、生まれて3ヶ月になりすっかり首も座りしっかりとした目鼻立ちになって来ましたので、孫の成長を楽しみに此れからも生きて行こうと思っております。その願いを込めて、神殿で「丈夫で素直に大きく育ちますように・・・」と、祈りました。

 一方 姉である初孫の方は、最近両親を妹に取られた様な寂しい仕草が見えますので、私達も出来るだけ公平に接する様に心掛けております。先日も庭木へ肥料をやりながら初孫と土運びを一緒にやりましたが、喜んで手伝ってくれました。こうした事を繰り返しながら、孫は成長を続けて行くのでしょう。


01月16日

二人目の孫の誕生と 最近の血糖値管理事情のご報告
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二人目の孫の誕生

 昨年の暮れに娘が二人目の女児を出産しました。お陰様で、母子共にその後の経過は順調で、先週の検診では体重も900グラム増えてシッカリとした顔立ちになって来ました。そして、一ヶ月が経つこの頃では母乳とミルクを良く飲み、大きな声で泣く元気な孫を見るに付け、三人の娘を育てた時の若かったあの頃の私達を妻と二人で思い出しては懐かしんで居ります

処で、娘夫婦は昨年の3月に私の家から近い(山梨の)同じ市内に引っ越して来ましたので今では何かと頼りにされていますが
特に2歳を過ぎた初孫(女の子)の面倒に嬉しい悲鳴を上げています。

 何しろ何事も自分でやる意欲が旺盛な孫は、少しでも手伝おうとすると「自分で」と言っては余計な事はするなと言わんばかりに大声をあげます。そこで、自分で靴を履く時でも、どんなに時間が掛かっても出来るまで大人が辛抱強く待つことを心掛けて居ます。そして、出来た時は沢山誉めてやります。
こうして、幼い頃から自立心を育てることが子供の将来にとって大切なのでしょう。

 私も、ウォ-キングの時に娘のアパ-トへ寄り孫を散歩に連れ出しては楽しんでいますが、その点、妻は娘の家事の世話などで此の時期大変です。しかし、娘は一年間産休が取れる様なので、暖かくなれば徐々にその回数も少なくなることでしょう。


最近の血糖値管理事情

 昨年の十月に夜中に(寝ていて)どうも低血糖の様な症状に気付きチェックをするとまさしく低血糖であり、急いで糖分を補給したことが有りましたが、もしそのまま気付かなければ大変な事になっていたと思うと、恐ろしく思いました。そこで、主治医に相談すると毎日の投薬のタイプを替えて見ようと言う事になり、12月から即効性のあるタイプに替えました。
(その方が早目に薬が効くので夜間に低血糖になり難いとのこと)

 処が、結果は効果が無く逆に高血糖が続く最悪なケ-スとなり、一月からは再び前のタイプに戻しましたが、何と戻してからは以前の血糖値に下がっています。
この事を医者に話すと、恐らく今までの薬が体に馴染んでいて、新しい薬に対して体が受け付けないのでは・・・とのこと。その様なケ-スは稀にあるとのことでした。

更に、血糖値の変調に関係してか、11月から治っていた胃痛に再び悩まされたり、自分の体の事ながら人間の体とは難しいものである事を改めて思い知ったこの頃です。


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平成18年(2006年)

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12月20日

H18年見直し時のメインペ-ジでのご挨拶


3回目のリニュ-アルに寄せて

  今回の(3度目の)リニュ-アルでは、2年半前に初めて作ったホ-ムペ-ジの全体の構成をメインペ-ジのタイトルに冬の富士山をレイアウトし直して内容も作り替えて見ました。こうしたことで少しは進化しているかと思いますが、その辺りのご意見を掲示板にお寄せ頂きたいと思います。宜しくお願いします。

また、以前(夏前に)ご報告致しました「聴覚に障害のある子どもの子育て支援」のペ-ジを7月に削除致しました。理由は、どうも一部の方達には聴覚の良くない子ども達への教育法の一つである口話法(発音指導を基本に自らの音声で言葉を伝える教育法)に対し、その方法を極端に非難する内容を此処の掲示板の書き込みで改めて知り(今から半年ほど前の事ですが)、削除する事に決めました。そして、2年前にもある掲示板に私のホ-ムペ-ジを紹介したところ、バイリンガルによる難聴児教育(日本手話と書き言葉を中心とする教育法)が難聴者にとって最も相応しく、口話法は差別の何ものでもないと強く主張され、私が当時色々な教育の仕方があっても良いのでは・・・とその時も反論をしたのですが、一、二の賛成者は居ても圧倒的な方々から強烈な反発を受け、その時は引き下がざるをえませんでしたが、半年前の書き込みも全く同様で健聴者に伍して十分ではないながら社会の一員として自前で会話が出来る今の娘にこの先迷惑が及ぶ恐れをその時感じましたので、此れ迄励ましとご理解を示して下さった多くの皆様には大変申し訳なく思いますが、諸般の事情をご推察の上でご理解とご諒承を頂きますようお願いしたいと思います。

それでは、今回のリニュ-アルでは、五月に九州を中心に沖縄と屋久島を含めた旅をした3度目の「ぶらり旅」のご報告と、此れまでの写真を整理しスライドショ-などを加えた写真集や、体調維持(セルフ・メディケ-ション)のご報告などをお知らせしたいと思いますので、ごゆっくりご覧下さい。
                                                                

先にご紹介したテ-マの中で、意見交換の為に作りました「掲示板」だけを残しましたので(最近はブログが主流ですが)此れからは話題を問わず、色々なご意見をお聞かせ下さるよう下記の掲示板への書き込みを宜しくお願いします。
 


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11月25日

第33回 国際福祉機器展(H18年9月28日見学)のご紹介      

今回の展示で此れ迄とは違い一番の様変わりは(昨年は急用が出来て見ていませんが)従来からの障害者への介護機器が一方の柱とすると、介護とは異なる高齢者を対象とした健康管理の自立を支援する機器の出展が今年は目立っていました。例えば、自らの力で体力を鍛える健康器具(テレビショッピングに出て来る様な安価な器具ではなく)をベ-スに以下の様なプログラム制御による機能訓練機器で、数ヶ月の目標を対話形式で個々に設定してその後、達成度評価をしてくれたり目標を随時変えて自分の体調に合わせた機能訓練をサポ-トし徐々に目標を実現するシステムを多く見掛けました。

* 心肺機能を高め足腰の老化を予防する事は勿論のこと、体の姿勢を良くするもの
* ウエストを引き締めたり、特に自分で椅子から立ち上がる力を高めるものなど

 そうした、障害者を対象と言うよりも高齢者を寝たきりにしない為の健康維持(増進)を狙った機器を多く見掛けました。しかし、現在は150万円もするので、個人で購入するのではなく取り敢えず地域の老人クラブなどに置いて皆で利用すると良いのでしょう。
とにかく、自分の特性を個々にセッティングして体を鍛える(病気にならない)ことが、老人医療費や介護保険料の高騰と言う社会問題の対策からも理に適っていると思いました。

一頃、一世を風靡した電動クルマ椅子は少な目(交通事故が多い影響か)なのと、そうした中でヤマハ発動機が従来のジョイスティックによる操縦方式をタッチパネル式にした車椅子を参考出展していたくらいで、製品が成熟している感があります。

ホ-ムヘルパ-派遣の「コムスン」などが、有料老人ホ-ム業界に参入していた。

以前から商品開発に意欲的な「竹虎」や「モリト-」と言う様な専門介護機器メ-カ-の元気が今ひとつで、製品開発の上で大きな壁にぶち当たっている様に感じる。

ベッドメ-カ-の出展も多く、これも障害者と言うよりも高齢化社会を見据えた開発が目に付いた。例えば、ベッド高さが27cmの超低床タイプや、ベッドの半分が横にずれてベッドから立ち上がり易くするものなど、ユニバ-サルデザインの展示が多い。

THK(大手機械部品メ-カ-)が木造住宅の免震構造システムを出展していた。

Withや日本アビリティ-社などの国内外の優れた介護機器を集めて販売する総合介護機器商社は今回も健在であった。

この外、此れまでの介護機器展の様変わりに付いてもご報告しようと思いますが、今回は此れまでにして、次回ご報告をしようと思います。

追伸
10月の初めに、ホ-ムペ-ジのリニュ-アルをやり約2ヶ月になりますが、一部の方にしかご案内をしていないにも拘らず、既に800件を越えるアクセスを頂き皆さんにそれだけ見て貰っていることに安心をしています。此れからも宜しくお願いします。

また、旅から戻り半年が過ぎましたが、お陰様で胃痛の方も11月に入りやっと良くなりました。しかし、年齢の精か一度悪くすると治るまでにこんなにも長期間掛かるとは思いませんでした。現在は、あれ程臭いが嫌で食べられなかった納豆を半年振りに食べています。

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10月05日

3度目のリニュ-アル                                             

 この度、3度目のリニュ-アルをしました。久し振りにホ-ムペ-ジビルダ-を新しいバ-ジョンに買い替えて全体を作り直すなどをやりましたので不完全な部分があることと思いますが、逐次直して行きますので宜しくお願いします。

 さて、先に紹介しました私の孫もお陰様で二歳になり、色々なお喋りをしてくれるようになりました。そして、二人目の孫も現在順調に育っており、12月に生まれる二人目の孫の誕生を今から楽しみにしています。

しかし、私ごとながら今回三度目の長旅をしてつくづく思ったのは、自分の体調を考えながら旅を続けないとそのツケが自分に返って来ると言う事です。其れが今回の旅で判ったのは、ある意味で返ってそれで良かったのだと思います。

そして、旅に出て思った事は、旅先で寝起きをするのが一番の楽しみである旅と、私の様に知らない事をひとつひとつその場所に行って知ろうとする、其の為には毎日の食生活はどちらかと言えば二の次で、その結果体調を管理する術を知らなさ過ぎたこと(自分で良く考えなかったこと)が良く分かりました。

 そこで、此れからは車内を中心に寝泊りするのではなく、短い日程であっても良いから旅館やホテルに泊まりながら旅を楽しむ、これからはそうした時の過ごし方をして見ようと思います。

 幸いにして、今まで仕事などで行った土地を含めて、今回の旅で一応日本の全ての都道府県へ行く事が出来ましたので、来年からはその土地をピンポイントにして、今までにまだ行けていない所に行って見たいと思います。

でも、北海道だけは札幌周辺にのみしか行っていないので宿泊は旅館やホテルにして、足の確保だけはレンタカ-を利用するか、それとも現地までカ-フェリ-を利用し、自
分の車で道内を走るか、いづれにしても車で寝泊りする旅は今回で卒業にしようと思っています。

尚、9月の下旬にビッグサイトで開催された第33回の「福祉機器展」を見学しましたが、今回はお伝えする事が盛り沢山なので、良く整理をし数ヵ月後にお知らせしたいと思っています。(色々と見て来ましたので、お楽しみにお待ちください)

3

08月17日

ぶらり旅の想い出(その3)・・・まとめ  
  

 前回のぶらり旅の想い出(その2) でお約束をした「一押しのスポット」をご紹介しょうと、此れまでの3回の旅と4回の愛知万博の「お気に入り」をリストにして見ましたが、それはそれはそれぞれの思い入れが深くとても絞り込む事は出来ませんでした。其れほどにひとつひとつが甲乙付け難く、絞り込んでも此処には書き切れない(結局絞り込めてはいない)ことが判りました。
そこで、雑ぱくなまとめになってしまいそうですが、感想を含めて今思っていることを書いて見ようと思います。

 処で、数学者で大道芸人でも有るピ-タ-フランクルさん(日本在住20年以上)が6月下旬放送のテレビ番組の中で次の様に語っていました。

 日本の人は、世界に目を向けるその前にまず自国をそれこそ北から南までを旅して見て、日本の自然や歴史・文化そして、何よりもその土地に暮らす多くの人達と沢山お喋りをすると良いでしょう。そうした中から日本の良さを再発見する・・・その後で海外に出掛けて見てはどうでしょう。私(ピ-タ-フランクルさん)が自国を出て色々な国を知っているその上で、20年以上も日本に居る訳けがきっと判ると思います。

なるほど、生活の基点も環境も全く違う彼とは異民族の私ですが、彼が伝えようとしていることは、日本人は余りにも当たり前すぎて実は自分の国のことを何にも分ってはいない。日本人が永い時間を掛けて造り上げた世界に誇れる日本(の良さ)、そして「日本人の魂」とも言うべきこの素晴らしい「大和の国」を自身の目を通して実感し体得する・・・

彼が熱く語ってくれたその「素晴らしい国日本・・・」を、3回の旅を通して少なからず体験することが出来たこと。その貴重な経験こそが ぶらり旅のまとめ となるのでしょうか。
 
確かに、歴史の遺産やうっとりするほどの美しい自然はもとより、その土地土地で言葉を交わした多くの方達とのお喋りは、
(道を教えて貰った人などその土地の人達を含めれば恐らく200人以上の人達と旅先で私は話をしたことでしょうが)、それは細やかで親切でそして温かなぬくもりをもつ言葉の響きと共に今も伝わって来る、いまだに忘れることのない「私の宝もの」であると思っています。


2

07月07日

ぶらり旅の想い出(その2)・・・鹿児島  

  前回に引き続きぶらり旅の想い出(その2)をご紹介しましょう。それは、なんと言っても、初めてにして 最後に行けた 鹿児島 です。

 今回の九州の旅は、まだ行っていない大分と鹿児島そして沖縄へ行く事を当初から計画に入れていましたが、まず最初に福岡から飛行機で沖縄へ行った関係で沖縄から戻り、福岡→大分→宮崎→鹿児島と鹿児島県が一番最後になってしまいました。
しかし、屋久島行きの日程の関係で鹿児島には一番長く6泊7日の逗留となり、日数が多いその分、鹿児島を良く理解し結果として十分納得出来た旅であったと思っています。

それは、錦江湾を一周出来たこと。鹿屋や知覧そして出水で3,000人近い多くの若者達が大空の彼方に散って行った哀しい飛行兵達の事を知ったこと。それに、十数年振りに鹿児島に住むかつての同僚と再会し、旧交を温めたことなどなど・・・思い返せば、私の心の引き出しは数え切れない鹿児島の想い出がいっぱいです。

その詳細については「ぶらり旅」を見て頂こうと思いますが、今回の旅のその中で是非とも皆さんにお伝えしたいのが、「維新ふるさと館」で観た西郷隆盛と大久保利通の二人のそれぞれの立場と人柄(人間性)についてなのです。

 処で、市内にある「維新ふるさと館」の展示はその90%近くが西郷ドンの展示で島津斉彬や大久保利通の事は余り展示されていなかった様に覚えていますが、それだけ鹿児島では西郷隆盛への畏敬の念が深いと言う事を展示物を観て強く思いました。
そして、一年が経つ今も西郷さんとその他の人達との間にはその扱いの点で大きな差がある(有った)と思っています。

 特に、盟友であった大久保利通と西郷さんについて地元では深くは触れていない様に思いましたが、それは薩長連合により倒幕を果たした新政府の中で、ある所までは緊密な関係で推移したものの徐々に意見の食い違い、特に勢いに乗じて朝鮮を領土化すべきとの「征韓論」が根強い薩摩の士族達と、内治優先の立場を取る新政府の意見の相違の中で、当初西郷さんは新政府の考えに賛同(同調)していましたが、長州勢との間に様々な摩擦を抱えて止む無く鹿児島へ戻った西郷さんは新政府へ異論を唱える薩摩の士族達に担ぎ上げられて立場上征韓論者としての道を歩まざるを得なくなったと言う事実を知りました。
そに対し、大久保利通は元々内治優先論者であり、西郷隆盛と大久保利通は最終的に袂を分かたねばならなくなった経緯などを私は最近になって知りました。

その後、大久保利通が総指揮をとる新政府軍と西郷隆盛率いる薩摩軍との戦い(薩摩では新政府に挑発されての内乱との主張が強い)に発展した「西南の役」は余りにも有名ですが、熊本に在る田原坂で(私もこの近くを通り)負けた薩摩軍が敗走の末に城山において西郷隆盛の自刃で幕が下りる結末は明治維新の大きな内乱事件として人の知るところとなっています。

しかし、薩摩では悲運の偉人である西郷隆盛への深い敬愛の念を「維新ふるさと館」の展示で実に良く理解する事が出来ました
又、目玉の大きい人の事を鹿児島では「ウドメサア(う-とん)」と言い、西郷隆盛を親しみを込めてこの様に呼ぶ事も知りました。

 一方、大久保利通は自身の信念から自分の出身地である薩摩に対し反旗を翻した形になってはいますが、大久保は本来薩摩気質を良い意味で最も備えていた人物と言われている様です。しかし、木戸孝允(長州)らとまずは国内を安定化すると言う自論の基に、廃藩置県や徴兵制度を確立し内務省を設立して優秀な官僚を育てた明治政府にとっては大変貴重な政治家であったことを、その前年に行った萩博物館で知っていた私は何故彼が薩摩と決別しなければならなかったのか(?)、そのあたりのもっと深い真実を分かりたいと思っていますが、司馬遼太郎の「翔ぶが如く」で知る事が出来るとの事なので一度読んで見ようと思っています。そして、鹿児島では様々な点で不人気な絶対権力者として大変厳しかった大久保利通も、48歳で暗殺されてしまったそうです。

 さて、昨年の明日(H17年7月8日)は東北~北陸をひとまわりの旅を始めた日ですが、実は、現在北海道を一周するぶらり旅を計画しています。北海道へは此れまでに社用で2度札幌を中心に行っていますが、札幌周辺だけで北海道を知るとはおこがましく、出来れば内陸を含めて海岸沿いをひと回りしようと、往復のフェリ-の日程も入れて22日間を計画しています。そしてその中では、利尻島や礼文島(一昨日のNHKの番組で礼文島にしかない高山植物やウニや昆布を紹介していました)それに観光船で行く知床岬も加えていますが、今は計画だけはキチンとしておいて、実施の如何は私の体調次第で決めようと考えています。今は、9月中旬からの3週間を予定していますが決定は来月にして、其れまでに早く今回の旅の後半で悪くした胃を治す様にしたいと思いますが、北海道は広大なので旅の途中で病気にならない様に体調を元通りにして、少々心配な時は旅を休んでその翌年に先送りしても良い位の心のゆとりを持って決めたいと思っています。


それでは、H18年の4回目を見て頂きましたが、そして、前回から今までに書きました新着情報を「近況報告」に変えて今迄にお伝えした更新記録を追加しましたので、ご覧下さい。また次回は思い出に残るスポット(一押しの場所)について書いて見たいと思っています。

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06月10日


ぶらり旅の想い出
(その1)
 
5月連休の後半に山梨を出て、沖縄と屋久島を含む九州をひと回りする23日間のぶらり旅をしました。
(左記の
ぶらり旅でご紹介していますのでご覧下さい)

そして、此れ迄の3度のぶらり旅で今も懐かしく想い出すのは、何と言っても鹿児島に一番長く留まった事も有りその分想い出が沢山詰まっていますが、国内を訪ねたそれぞれの地の中で、その文化の気高さと其処から発するオ-ラとも言うべき豊かな情感と言う点で特筆出来るのは、東北では岩手県(中でも盛岡を中心に)、そして九州では大分県と考えています。

特に、大分では九州への旅の目的のひとつでもあった国東半島を訪ねて仏教文化の香りを存分に確かめることが出来たことを含め、豊後の国の大分は独特な文化の香りを期待をしていた通りに私に教えてくれました。

其れと同じ様に、岩手山を望みながらの小岩井農場の情景を含めて盛岡では、市役所の人達の旅をする者へのもてなし方の温かさが今も伝わって来る素晴らしい街であったことと、秋田や青森でもそこ此処の地で東北の人の情の細やかさと人情味溢れる人の心の豊かさを私は一杯頂くことが出来たと思っています。

大分の人達(その土地柄)
 宇佐市や別府市の方達は、良く大分を訪ねてくれたと言わんばかりに私にパンフレットで大分の観どころを心を込めて話してくれたが、国東半島の特異な文化を知っている私がその事を話すと、大変感激されて神仏を同時に祭る六郷山文化と国東半島の多くの寺や摩崖仏は是非お奨めと話してくれた。しかし計画には無い事を告げると、県立歴史博物館を薦めてくれた。そうしたお話しの隅々に込められた情感あふれる人情味は、この土地に風土として培われた心の温かさとこの地への誇りとを旅人に伝えるのに十分な「文化の香り」をそこ此処に漂よわせていた。

 最近、NHKの番組で九重連山にある「坊がつる(キャンプ場)」に戦前から伝わる愛唱歌「坊がつる讃歌」の紹介と、「なごり雪」の作者が大分の人である事などを知り、大分の県民性を改めて理解出来たように思っているがその意味で、高崎山から竹田市を経由し九重連山の険しい山道をその時は何も知らずに走った想い出と重なり、大分の人達への熱き想いが今彷彿と込み上げて来る。

盛岡の人達(岩手が創り上げたこの地の風土):H17年の旅行先
 その日の朝に石鳥谷で南部杜氏の伝承を観て深く感動した事も手伝ってはいたが、盛岡市内へ入ると最初は町が実に狭くゴミゴミしている印象で、此処には石川啄木や新渡戸稲造や原敬達の生活の匂いがするに違いないとの期待とは違う感じがしたが、市営の駐車場に車を停め歩いて市役所を訪ねて見て印象が一変した。県庁所在地の街の雑踏は抱いていた盛岡への憧れとは掛け離れてはいたが、街を丁寧に紹介してくれた女性職員から受けたこの北の古き都で人を心を込めてもてなすその奥深い感性が、実に温かく細やかでそれが私に十分に伝わって来たのである。

 昨年行った盛岡は、遠野などと共に北の山深い岩手で文化の香りがどの人からも感じられる、さすがに東北随一の都であることの(私はそれまで此の地を良く知らなかっただけに)新しい発見を私はしたのである。そうした意味で、自然一杯の雫石にある小岩井の羊達の姿と共に、盛岡は何時までも想い出に残る街のひとつであると、今も思っている。

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