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 健康管理表
 12)平成25年(2013年)
 
 平成25年の前半は、ほぼ昨年と同様に推移しましたが、6月後半から血糖値が上がりだし、何と8月の夕方の血糖値がスケールアウトして
しまいました。その値は282.1ですがグラフからはみ出しています。そこで、グラフの目盛を編集し直せば良いのですが、エクセルを10年前に習ったのですが、現在はすっかり忘れましたので、このままで公表します。そして、9月の後半に残暑が落ち着くと、めきめきその値が元に戻りました。とにかく今年の猛暑日が長く続いたことがすべての原因です。昨年も8月の血糖値が高かったのですが、昨年が228に対して今年が282.1ですから 午後に歩くと、そのストレスで値が上がってしまうのには参りました。そこで、来年の夏が再び猛暑であれば、その対策を考えねばなりません。なにしろ、今年の夏は猛暑日(35℃以上)が山梨でも17日間続きました。そして、各地では豪雨による川の氾濫や土砂崩れによる甚大な被害に見舞われましたが、年々地球の温暖化と共に海水温の上昇など地球環境が狂って来ている事と私の健康に因果関係がありそうです。


上のグラフは、の折れ線グラフがの血糖値で、棒グラフはやはりの投薬量そして、棒グラフの中に有る折れ線グラフが歩数でいずれも毎月の平均値を表しています。
 11)平成24年(2012年)
 
 H24年6月までは朝夕共に血糖値は安定した状態が保たれましたが、7月からとにかく血糖値が急上昇し、特に8月の夕方はスケールアウト
(228)してしまいました。此れは今年の夏が猛暑日(35℃以上)が続き、投薬量を増やしても何をしても下がらない日が続いたのです。とにかく今年の夏は異常でした[8月のA1cが7.9(旧JISで7.6)でした] 9月以降に気温が下がった時に血糖値も下がって来るのか判りませんが7月・8月は体がだるく自律神経が悪かった10年前と同じ傾向に気付きましたので、主治医に相談して7月から漢方薬を飲み始めました。まだ2ヶ月が
経つ所ですので顕著な改善は見えていませんが、此のまま飲み続けようと考えています。(平成22年も猛暑日が続き、血糖値が200を超える日が有りましたが、やはり気温によるストレスが血糖値と深く関わっていることが言えるでしょう)

9月以降の追記:残暑から解放されると、めきめき血糖値が下がり朝晩とも30程度下がり例年並みになりました。そして、12月に向けほぼ
           安定した血糖値となり、投薬量も安定して来ました。

上のグラフは、の折れ線グラフがの血糖値で、棒グラフはやはりの投薬量そして、棒グラフの中に有る折れ線グラフが歩数でいずれも毎月の平均値を表しています。
10)平成23年(2011年)
H23年は3月〜4月に掛けて安定して来た血糖値が5月以降徐々に上がり始めて6月・7月は昨年同様200mg/dlを超える日が続きましたが
何と言っても梅雨の季節と梅雨明けからの猛暑日が今年も体調を狂わせていると思います。処が、8月12日以降は一度も200を超えていません。8月中旬からの最高気温が20〜24℃の日が続いたことがその原因で8月後半は血糖値が100以下となる日も有り、その結果血糖値も投薬量も下がって来ました。人間の体は不思議なものですね。しかし、8月18日に私は大怪我をしてしまい救急車で病院へ運ばれましたが
19日の血糖値が192と高かった他は、お陰様ですぐに140〜150台に戻りました。

9月以降の追記
妻が9月20日に階段から転落し、80日に及ぶリハビリを含む入院生活をしましたが、その間私は単身生活をしました。幸いに長女が週末に帰ってくれて私の世話や洗濯や掃除をしてくれましたが、普段は神仏のお参りやペットの世話、自分の食事等をしていませんが、今回は犬の散歩、そして妻への毎日の面会などで体調を崩し口内炎が出来たりかなり厳しい後半でした。そうした事で血糖値も上りA1cも7%を超える月が続きましたが、ビタミン剤や野菜ジュースを飲んで体調管理に努めました。

上のグラフは、の折れ線グラフがの血糖値で、棒グラフはやはりの投薬量そして、棒グラフの中に有る折れ線グラフが歩数でいずれも毎月の平均値を表しています。
9) 平成22年(2010年)
H22年は、5月以降に血糖値が上がり始め、特に6月以降の夕方の血糖値がとうとう200をこえるようになってしまいました。原因の一つは、
4月に行った諏訪大社の御柱祭でシ−トを敷いた河川敷に合計7時間以上座り続けた為に腰をすっかり痛めて思う様に歩けなくなってしまったことと、とにかく梅雨が明けると35℃の猛暑日が甲府でも続いて熱中症に気を付けながら昼食後に歩くのですが、一度に8,000歩が歩けなくなり午前と午後に分けて歩くようにしましたが、どうしても目標に届かない日が有りました。それと、今年67才になる私は体力が徐々に衰えて行くのが自分でも判る様になって来ました。とにかくスイスイと歩ける日も有りますが、体が重く感じられてゆっくりでないと歩けない日が多くなって来ました。そこで、今はあまり無理をしない様に日々の体調に気を付けながら歩いています。そうした事が血糖値にてき面に表れている様です。そこで、9月からの体調管理に気を付けながら血糖値を下げて行こうと考えています。

9月以降の追記
ご覧の様に秋になると涼しくなった分血糖値がメキメキ下がりましたが、不思議なものです。やはり此の年は猛暑日が長く続きましたのでどの様に体調管理をしても値を下げることが出来ませんでした。A1cも7..4迄上がってしまい、H22年の夏は体がだるく早く涼しくなることを願っていました。

上のグラフは、の折れ線グラフがの血糖値で、棒グラフはやはりの投薬量そして、棒グラフの中に有る折れ線グラフが歩数でいずれも毎月の平均値を表しています。
8) 平成21年(2009年)
前年の8月から始めた若手社員への教育を丁度半年が経つ1月で終わりにしました。すると寒い内はウォ−キングがどうしても少なく血糖値もほぼ横ばいでしたが、暖かくなって来た4月からはさすがに血糖値が下がり始めました。ほぼ順調に推移しています。それに、朝と晩の血糖値にあまり差がないのも特長です。やはりそれだけストレスを溜め込まないことが順調の証しなのでしょう。しかし、このグラフには出ていませんが、8月後半から胃の具合が再び悪くなり、血糖値が200を超える事が時々あります。其の場合は、糖質を抑えて投薬量を増やすのですが、
一時的には改善されても、食事を戻すと元に戻ってしまい、どうも良くありません。そこで、最近は朝食後に一時間ほど横になって食休みを取り日中6,000歩を目安に歩いていますが、しかし、この傾向は運動やストレスと言うよりも年齢から来るものかも知れません(10月になると私も66歳になります)

9月以降の追記
11月に血糖値が朝夕方共に150前半迄に下がりましたが、しかし、12月は上昇傾向に戻ってしまいました。11月の歩数が比較的良かった事が幸いしたのでしょうが、高血糖対策が今後の課題となる事は間違いないでしょう。

上のグラフは、の折れ線グラフがの血糖値で、棒グラフはやはりの投薬量そして、棒グラフの中に有る折れ線グラフが歩数でいずれも毎月の平均値を表しています。
7) 平成20年(2008年)

H20年3月で、2年8ヶ月続けた技術指導の仕事に区切りを付けました。何と言っても、週に3日の勤務の日の血糖値がどうしても高く、A1cの値も7.0に限りなく近付いて来ましたので、退職することにしました。すると、4月からはメキメキ血糖値が下がり始めましたが、5月の下旬から6月中旬に掛けて北海道を旅行し、低血糖にならない様に気を付けたことと、何しろ北海道は美味しい料理が沢山有って食べ過ぎには気を付けましたが、5月からの血糖値が再び上がり始めました。加えて、7月と8月は熱中症にならない様にウオ−キングを控えましたので、8月あたりの血糖値も上昇傾向に有ります。体は実に微妙なものです。
しかも、8月から今度は若手社員の教育係を依頼されて週に2日のいずれも午後に出掛けましたが、やはり後半血糖値が上がりました。特に11月の夕方の血糖値の平均が200を超えたのには驚きました。

上のグラフは、の折れ線グラフがの血糖値で、棒グラフはやはり朝晩の投薬量そして、棒グラフの中に有る折れ線グラフが歩数でいずれも毎月の平均値を表しています。
6) 平成19年(2007年)
H19年の7月末で週に三日働き始めて丸2年になりましたが、やはり働いた日の夕方の血糖値がどうしても高く逆に休みの日は元に戻りますが、一度高くなった血糖値を降げるのに数日を要しています。こうしたことを繰り返していると、再び以前の状態に戻ってしまうので来年は65歳になりますし、長くてもあと一年ぐらいで仕事に区切りをつけたいと今は考えています。(ここまでH19年作成)
10月からの3ケ月はどうにか現状維持で乗り切りました。

5) H18年(退職4年目)

H18年は、毎月の平均血糖値がほぼ120〜160で推移しましたが、しかし、糖化ヘモグロビンが6%後半に上がって来ましたので、やはり
仕事のストレスが避けられない状況でした。また、残念な事に糖尿病が専門の主治医が別の病院へ移った関係で新しい主治医とはまだ詳しく話しをしていませんが、現在はH19年中には仕事から解放したいと考えています。

4) H17年(退職3年目)

この年は、投薬量を徐々に下げて行く状態が前半続き、糖化ヘモグロビンが5.4%まで下がりましたが、8月から第二の仕事を始めると序々に再び上がり始め、11月から薬を増やして何とか血糖値の上昇を食い止める状況でした。

3) H16年(退職2年目)

退職後2年目のこの年は、毎日のウォ−キングに熱を入れて特に後半頑張りました。その成果も有り、血糖値の平均が100を切る月も有ったり信じられない一年でした。そこで、主治医と相談して薬の量を後半から下げて見るなどの嬉しい一年でした。

2) H15年(退職1年目)



それが、退職後は見事に全てが下がり血糖値などが半減した月もありました。しかも、投薬量を其の都度下げても更に血糖値が下がり続けたのです。もっとも、1万歩を目安に毎日歩いた事とストレスの軽減が最大の要因であったと、この年はつくずく退職をして良かったと思いました。そうでなければ恐らく現在の体では無かったと思います。

1) H14年(退職をした年)



この年は、とにかく薬の量をいくら増やしても血糖値が下がらず、病気との戦いの一年でした。併せて、自立神経失調症で、どんどん自前の歯は抜けるし最悪な一年であったと思います。(血糖値が年間を通して上限が220で、下限が160でしかも、A1cが8ポイント後半にまで上昇したことと治療を続けても一向に良くならない状況よりドクタ−ストップが下されたと思います)

上のグラフは、の折れ線グラフがの血糖値で、棒グラフはやはり朝晩の投薬量そして、棒グラフの中に有る折れ線グラフが歩数でいずれも毎月の平均値を表しています。

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