生涯学習講座記録(H22年度)                                        
     お断り:この記録は、当日のメモと配布資料及びインタ-ネットによる調査等を基にまとめていますが、メモの記述の間違い
          や調査不足等により不正確又は間違いを含んでいる可能性があります。そこで関係各位にご迷惑とならない様に
          注意してまとめた積りですが、記述に不都合がある場合はお許しください。
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平成22年度、山梨大学(読売新聞社)生涯学習講座一覧表
1. 新たな発酵食品の開発 ワインの種類、海洋酵母、大豆ヨーグルト
2. 食は咬むことから 顎の咬み合わせ、顎変形症の手術
3. 動いて、食べて、眠る 運動と食の関係、ダイエットによる減量の危険性など
4. 「食」と体温調節 体温とは、体温の決まり方、低体温と冷え性、熱中症
5. おいしさの科学 食品である為の条件、味、香り、香り成分の抽出・分析、
6. 食生活と糖尿病・メタボ 平安時代の病気と死因、糖尿病、メタボ、運動(食事)療法
7. 機能性食品としてのキノコ キノコの生物学と環境保全、健康への応用・薬理作用など
8. ワインの成分(ポリフェノールと健康) 赤ワインとポリフェノールのレスベラトロールの有効性
9. 食と免疫 (食物が免疫系の発達や機能に与える影響) 免疫とは、常在菌、リンパ球、抗体、アレルギー反応など
10. 私達の生活と食育 地震による計画停電の関係で本講座は中止になりました
                         一覧表のタイトルをクリックすると詳細が表示されます
平成22年度、山梨学院大学、生涯学習講座一覧表
1. 山梨でアグリビジネスは成長可能か 甲府で遊休農地を使って野菜作りを始めた起業家の話
2. 鎌倉時代初期の甲斐源氏 源頼朝と甲斐源氏の関係、富士川の合戦と甲斐源氏の衰退
3. 「道の駅とよとみ」の挑戦 全国直売所甲子園2009で全国一の道の駅の経営
4. 昭和初期の山梨の農民運動 大正~昭和における農民運動家「樋口光治」の記録
5. 山梨における農業教育の現状と課題 農業教育の歴史、今後の課題
6. 天野久とその時代 戦後の山梨県知事としての活躍、地方病撲滅の取り組み等
7. 「農」の視点から振り返る山梨ワイン 戦中・戦後の山梨ワインの歴史
8. 金山衆と戦国時代 甲斐金山のイメージ、金山衆とは、甲斐の金山など
9. 甲州を描いた浮世絵師 歌川広重、三代目豊国、国芳、葛飾北斎と山梨との関係
10. 山梨における「週末農業」の現在 週末農業(林業)、企業の週末農業(企業の社会貢献など)
11 甲州博徒の群像 江戸明治に生きた「黒駒勝蔵」や「竹居吃安」と清水次郎長との関わり
12. マーケティング・アングルで見る山梨の「食」 マケティング論の「欲しいキモチ」の捉え方、山梨の「食」の課題
13. 山梨オリジナルの食品加工 食品開発重要要素、山梨の多彩な食材、食品開発コンセプト
14. 古代甲斐国の庶民の姿 山梨の馬との関係、農民の税、甲斐国の生業と負担など
           山梨学院の生涯学習講座(平成22年度)は年内で終了しました

   平成22年度
テ-マ:あすの生命と健康を見つめる」 (山梨大学・読売新聞社主催)


食と免疫

-食物が免疫系の発達
や機能に与える影響-
免疫とは
1)ハエが不浄な場所に居ながら肺炎などに罹らない訳は、ハエに菌に対する免疫が
  有るからで、ハエの免疫を取り除くと一遍にハエは死んでしまう
        
2)細菌やカビやウイルス等の病原体を体内に取り込まない様に、何重にも張り廻ら
  された体を守る仕組み(バリア)がある(バリアの最初は「皮膚」で、最大のバリア)
  バリアにはその他、汗、涙、鼻水、耳垢、唾液、胃の酸、皮膚の角質層など

3)免疫系以外の系による防御
  例えば、腐ったリンゴを食べないのは本能的に敏感に反応して口に入れない様
  にしている(人間は長年の経験から食べてはいけない事を習得している)

4)免疫系による防御機構

 4-1) 自然免疫系
    ① 好中球:5種類ある白血球の1種類で、3種類ある顆粒球の1つ。中性色素
           に染まる殺菌性特殊顆粒を持つ顆粒球である。盛んな遊走運動
           (アメーバ様運動)を行い、主に生体内に侵入した細菌や真菌類を
           貪食(飲み込む事)殺菌を行うことで、感染を防ぐ役割を果たす。
           好中球は骨髄で作られ、成熟する。
    ② 補体系マクロファージ:免疫反応を媒介する血中蛋白質の一群で、動物血液
                    中に含まれる白血球の1つ。免疫システムの一部を
                    担うアメーバ状の細胞で、生体内に侵入した細菌、
                    ウイルス又は死んだ細胞を捕食し消化する。
 4-2) 獲得免疫系
   ① Tリンパ球:リンパ球の一種で、骨髄で産生された前駆細胞が胸腺での選択を
            経て分化成熟したもの
   ② 抗体(Bリンパ球):リンパ球のうちB細胞の産生する糖タンパク分子で、特定の
                 蛋白質などの分子(抗原)を認識して結合する働きをもつ
 
     白 血 球:血液に含まれる細胞成分の一つで、外部から体内に侵入した細菌
           やウイルスなど異物の排除と腫瘍細胞・役目を終えた細胞の排除
           などを役割とする造血幹細胞由来の細胞     

     リンパ球:白血球の一種で免疫能を持つ細胞のこと
                                
以上の注釈全てwikipedia より採用
常在菌について 1)常在菌とは、主に人の体内に存在する微生物(細菌)の内、多くの人に共通して
  見られ、病原性を示さないものを指す。しかし、免疫力が低下すると常在菌と
  例えば弱毒微生物等が反応して人体に悪い影響を与える場合が有る(通常は
  共生関係)
2)人の常在菌
  ① 皮膚細菌:皮膚を洗うと常在菌が減り免疫力が低下するのであまり洗い過ぎ
           ない方が良い(皮膚をダメにする)
  ② 口腔細菌:同じく外部から細菌や病原体が入ると、常細菌が働いて体内への
           侵入を防ぐ働きが有る
  ③ 腸内細菌:腸内細菌にとって腸は適度な湿度や快適温度、絶えず流れて来る
           食物と酸素の乏しい環境等大変快適な居場所

人間の細胞は約60兆個に対して腸内細菌は約100兆個あり善玉菌(乳酸菌や
 ビフィズス菌など)と悪玉菌(ウエルッシュ菌や大腸菌など)があるが、当然善玉菌
 が多い方が良くヨーグルト等を食べると効果が有ることが判る

ヨーグルトは腸の善玉菌を増やす働きが有りヨーグルトを食べる事は免疫性を
 高める。また、ビオフェルミン等の乳酸菌製剤も体に良い

花粉症に乳酸菌食品が良いとの新聞記事(一定の効果裏付けの厚労省研究班
 発表)を見掛けたが、医学的には解明されていない

母親が乳児を抱いて頬ずりをする事は、母親の常在菌を乳児に与えている(移して
  いる)ことで大切な行為(乳児は免疫が出来るまでに1年掛る)
リンパ球 1)リンパ球は白血球の一種で、免疫能を担当する細胞。ギムザ染色では好中球より
 やや小形の円い細胞で、原形質は薄青色、核周辺は明るい。核は濃く染まるが、
 細く鋭い切れ込みがあるものが多い。小リンパ球、大リンパ球の別があるが顆粒
 (かりゅう)球の様にペルオキシダーゼは含有しない。運動能は白血球の内で一番
 弱く、貪食(どんしょく)能力は通常はみられない。血液1立方ミリメートル中に
 1500~2500個ある。


2)リンパ球の2通の武器
  ① B細胞:T細胞からの指示で抗体(ミサイルのようなもの)をつくる
  ② T細胞:ガンやウイルス感染細胞を攻撃する

3)リンパ節:リンパ球が休む所で、体中に張り廻っている。特に脇の下や足の付け根
  に多い

4)リンパ球は脊椎動物が誕生してから出来た
抗 体とは

キラーT細胞とは
1)抗体:抗体たんぱく質で出来ていて、抗体が体内に出来る迄に6~7日掛り(オーダー
  メード
なので時間が掛る)ようやくキラー細胞(抗体)が出来る。其れに対してウイルス
 は短時間で侵入する (キラーT細胞はウイルスを見付けて殺す)
2)ワクチン:体内にキラ-T細胞を作り出すもの

3)人間の進化と病原体からの圧力
  ・ 細菌がいる中に人間が入って来たもので、細菌に対抗出来るものだけが生き
   残った
  ・人間(生き物)は互いに持っていない遺伝子を選んで生き伸びて来た

必須栄養素と
その他の栄養素
1)必須栄養素:40種類(糖質脂質蛋白質や脂肪酸ミネラルビタミンアミノ酸等)
2)その他の栄養素:、食物繊維、食物性色素、多糖体
3)上の栄養素をバランス良く摂る
4)緑黄色野菜を毎日摂る場合と全く摂らない場合の癌死亡率は10万人の調査で
  542人(摂る人)に対し808人(摂らない人)のデーターがある(40才以上の成人
  26万人以上に対し17年間の追跡調査:平山雄氏の1993年発表数値)
5)単体としてサプリメントで摂ると、逆効果になる事が有る(サプリを多用するのは良く
  ない)特に植物由来のサプリは過剰に摂り過ぎない方が良い
6)食べ物と免疫の働きは、元もと非常に密接な関係にある
  ・規則正しい生活をする
  ・食事をしっかり摂る
  ・適度に運動をする
  ・目的をもって生きる

  結論:上記を努力するする事で病気の発症を遅らせて免疫が活性化する

アレルギー
について
1)アレルギー(反応)は免疫(反応)と同じこと
2)本来ヒトにとって無害なものへの過剰反応
3)幼児の食物アレルギーは10年で2倍に増加(20才以下の死亡率では最も高い)
4)現在ある対処法は、アレルギーの原因となる食物を避ける(食べない)だけ
5)最近のTGF-β研究
 ・ ヒトの母乳に多く含まれているもので、免疫を調整する物資(免疫抑える)
  TGF-βを多く含も母乳を飲んだ幼児ほど生後一ヶ月の喘息発症率が低い
 ・ 経口的にTGF-βを摂取すると、経口免疫寛容が増強される
 ・ 母乳から乳児に移行した蛋白質に対するアレルギー反応を母乳中のTGF-βが
   防いでくれると考えられる
 ・ 母乳中のTGF-βの量によりその効果が異なる(良く分かっていない)
 ・ しかし疑問もある
  ① 経口摂取されたTGF-βは胃酸や消化酵素の作用を受けても活性を保てるか
  ② 経口摂取されたTGF-βは食物蛋白質への免疫反応(寛容)に影響を与える
    ことが出来るか
6)母親が例えば玉子を普段食べないと生れて来る子供が玉子アレルギーになる
  確率が高い
7)アレルギー反応は体内時計が制御(2011年2月公表)
  最近、山梨大学で鼻炎や喘息の症状が朝方に悪化し、アレルギー反応が特定の
  時間帯に起き易い事をマウスで確認したそうです。アレルギー反応が出る食品を
  食べない、花粉を避けると言った対症療法に頼る食物アレルギーや花粉症の治療
  などに活用出来るのではと、期待されている。



ワインの成分
ーポリフェノールと健康ー
赤ワインは健康
に良いのか

1)歴史

 ・ 昔から薬として利用(記録ではBC6000年、しかしそれ以前からあったと考えられる)
 ・ 論文「フレンチパラドックス」掲載(AD1992年):ワインが心臓病に良いらしい
 ・ アメリカの赤ワインブーム(マスコミが取り上げた)
 ・ ポリフェノールの研究が始まった
 ・ 日本での赤ワインブーム(1998年):其れまでは、白ワイン
 ・ レスベラトロールの研究進展(説明は後述)

2)心臓病死亡率と乳脂肪消費量との関係(ヨーロッパ):WHOの報告(1987)

 ・心臓病死亡率と乳脂肪消費量(カロリー)との間には相関関係が有る
  しかし、フランスだけは例外で多量の乳脂肪を摂りながら死亡率が低い
 ・ ワインを飲まなかったと仮定した場合の乳脂肪消費量と心臓病による死亡率との
  関係にも、相関関係が有る。横軸に{145+0.138×乳脂肪消費量0.917×ワイン消費量}(cal)
  
縦軸に心臓病死亡率をとると、フランスは欧州の中で一番死亡率が低い:赤ワイン
  を飲むから(?)

3)
フレンチパラドックス
 ・ フランス人は喫煙率も高く、バターや肉などの動物性脂肪の摂取量が高いのに、
  心臓病などの心疾患による死亡率が低い
 ・ アメリカが「フレンチパラドックス」として取り上げた

心臓病の
メカニズム
1)血管の中を血液が流れる中で、活性酸素と悪玉コレステロール(LDL)が酸化反応
  を起こす
2)すると、血管の内壁に酸化LDLが出来て、血管が詰まり易くなる。やがて、血管が
  詰まり酸素や栄養が不足する
3)しかし、ポリフェノールが有ると、ポリフェノールが活性酸素の代わりに酸化LDLを
  消してくれる。これを「抗酸化活性」と言う
4)体内での活性酸素の生成
 ・ 人間は毎日500リットルの酸素を体内へ送り込んでいるが、その内約2%~5%が
  活性酸素となる(25リットル)これは、一日に約1023個の分子がダメージを受ける
 ・ しかし、ポリフェノールが血液中にあるとポリフェノールが活性酸素の身代わりに
  なって酸化LDLを消してくれる
 
  (モノ)フェノールとは:ベンゼン核に1個のOH基が結合したもので、OH基とCH
                が付いたものがクレゾール、OH基とCOOH基が付いたもの
                がサリチル酸
  ポリフェノールとは:ベンゼン核に2個のOH基が付いたもの(ジフェノール)や、
               2個のOH基と一個のOH基が結合したものをスベラトロール
               OH基の他に複数の別な基が付いたものをアントシアニン
               (赤色色素)と呼ぶ。その中で、レスベラトロールと呼ぶ
               ポリフェノールの抗酸化活性効果が高い事が分かって来た

5)なぜ赤ワインだけが抗酸化活性効果が高いのか:それは、ポリフェノールが多く
                                 含まれているから

ポリフェノールには、抗酸化活性効果の他に苦味・渋味や薬の成分が含まれている
ブドウの成分と
ポリフェノール

1)ブドウの構成成分とポリフェノール

構 成 成 分 割合(%) 成     分
果 皮 25~35  ・アントシアニン類
 ・フラボノイド類
 ・フラボノール類
 ・ケルセチン
 ・レスベラトロールなど
パルプ果汁
(食べる部分)
2~5  ・カフタリック酸
 ・クータリック酸
 ・ヒドロキシシンナム酸類
 ・ヒドロキシ安息香酸類など
種 子 65~70  ・カテキン
 ・プロシアニジン(プロアントシアニジン)
 ・タンニン類

2)赤ワインと抗酸化活性効果

 ・ 赤ワインは果皮と種子を同時に入れて絞るので、抗酸化活性効果のある
   ポリフェノールを多く含む
 ・ それに対して白ワインは、果皮と種子を取り除いて果肉のみを絞るので、抗酸化
  活性効果が低い
 ・ レスベラトロール(モノフェノール+ジフェノール)は、抗酸化活性効果が高い
レスベラトロールの抗酸化活性
効果以外の効果
 
1)レスベラトロールには皮膚癌の抑制効果が有ることが分かっている(1996年)
2)抗菌作用が有る
3)延命効果が有る(2006年にネイチャーに報告された)

この様に、抗酸化活性効果の他にも色々な効果が有り、しかも赤ワインに沢山含まれている事から赤ワインを薬で有ると共にお酒として楽しんで飲んで健康になって欲しい
                                        (講演者の希望)

レスベラトロールは高岡道夫博士(北大)により昭和14年に「バイケイサウ中の新
高級フェノール」として発表され、それを「Resveratrol」と命名したが、当時の論文が
英語では無く世界中に知られることは無かった
まとめ
  ・ ワインにはいろいろな種類の成分が含まれている
  ・ ポリフェノールには沢山の種類が有る
  ・ ワインの中のポリフェノールは抗酸化活性が高い
  ・ 「薬」の観点から見ると、赤ワインは「宝の山」
  ・ レスベラトロールも摂りすぎれば「毒」

     一番の薬は、「おいしく、楽しく」飲むこと


7.

機能性食品
としてのキノコ
-健康パワーの秘密を探る-

キノコの生物学

1)キノコは酵母やカビと同じ仲間の菌類に属する微生物
2)キノコは糸状の細長い細胞(菌糸体)から構成されている
3)傘状のキノコ(子実体:しじつたい)は菌糸体の集合体で、胞子を作る生殖器を
  担子器と言い、此の担子器から胞子を空中にばらまく(担子=傘のこと)

4)キノコの種類

 ① クリタケ、マツタケ:食用キノコ
 ② ハナビラタケ:食べると健康になる
 ③ マンネンダケ:血圧降下作用
 ④ ヤマブシタケ:アルツハイマー病に利く
 ⑤ カワラダケ:食べられない
 ⑥ 冬虫夏草:万病に効く(冬場に蛾の幼虫を殺して育ち夏キノコに成長するもので、
          中国で名付けられた。蚕のさなぎの中で育つサナギダケもある)

5)キノコの構造

 ① 地上に顔を出す部分はごく一部でしかも一週間ののいのち
 ② 地下で菌種と呼ばれる部分がキノコの成長をつかさどっている。(半年~1年)
 ③ 傘(担子)から地上に落ちた胞子が一核菌糸→二核菌糸を経て菌糸体に形成し
   子実体(傘状のキノコ)として地上に出て新しい傘(担子)で担子菌を作り此れを繰
   り返す

6)キノコとカビの違い:其々の菌糸でキノコにはクランプ(蝶番)があるがカビにはない
             その蝶番の部分で栄養分を摂り呼吸する事でキノコは成長する

キノコを用いた
環境保全
1)植物と共生する菌根菌(木の根に生える)キノコは森を豊かにする
 ① 根を保護する
 ② 水や無機質の吸収を助ける
 ③ 細根の分岐を促す
 ④ 此れに対してキノコは木の根から栄養(糖など)を貰う
 ⑤ この菌根菌は人工的に作れないのでマツタケやホンシメジの栽培は出来ない

2)キノコ(木材腐朽菌)による有機物の分解
 ① 木材や落葉などの有機物を、「褐色腐朽菌:(セルローズを分解)」と「白色腐朽菌
   (セルローズ及びリグニンを分解)」にキノコが分解する
 ② 栽培出来るキノコ:シイタケ、ナメコ、エノキダケ、マイタケ
 ③ 白色腐朽菌が、環境汚染物質(有害化学物質)を分解する

キノコの機能性と健康への応用 1)キノコで疾病予防

 ① 長野県のエノキダケ栽培農家の癌死亡率は、県全体に対して40%低い
 ② 肝炎(GOT、GPT)の発症率もキノコを食べたマウスの方が低い
 ③ 高脂血症効果もキノコには有る

2)キノコを食べる効果

 ① キノコの食物繊維が便秘・大腸癌などの予防に効果が有る(アミガサダケ)
 ② エルゴステロールが骨を強くして骨粗しょうしょう症の予防に効果(シイタケ)
 ③ 旨味成分のグアニル酸が摂れ血流を良くする(フクロダケ)
 ④ コレステロール値を下げ、血圧ををさげる(ヤマブシダケ)
 ⑤ 抗癌活性(抗腫瘍活性)と抗酸化(活性酸素消去)作用を持つ(全体)

3)キノコの摂取量

 ① 50グラム/日(成分は5グラム)
 ② 出来る丈原木栽培か菌床栽培のキノコを食べる(ビン栽培は余り有効ではない)
薬理作用
(生活集習慣病の改善)
1)前立腺肥大:ガノデリン酸(男性ホルモン活性化酸素の阻害を活性)(マンネンダケ
2)高血圧:繊維質、ガノデリン酸(アンジオテンシン転移酵素の阻害を活性)(同上)
3)高脂肪血症:エリタデニン(コレステロール代謝を促進して低下させる)
4)糖尿病:多糖に対してガノデラシンが、血糖降下に有効に作用する
5)アルツハイマー病:ヘリセノンによる神経成長因子の合成を促進する
6)抗腫瘍・免疫増進活性:β-グルカンが有効(免疫賦活物質の産生)
キノコの発酵作用を利用した新規発酵食品の開発 1)醤油の製造方法

 ① 従来の微生物と酵素による方法(原料に耐塩性乳酸と耐塩性酵母を加える製法)
 ② キノコの発酵による製法(原料に耐塩性プロテアーゼを持つキノコを用いた製法)
   キノコは本来塩に弱いが、耐塩性を持つキノコが登場した。キノコには、乳酸菌や
   酵母など全ての性質を持っている

2)食物アレルギー発生対策

 ① キノコを原料にしてキノア(南米原産)を加えて発酵させると、体に優しい味噌や
   醤油が出来る
 ② 現在キノアは輸入に頼っているが、山梨での栽培が進行中

6.

食生活と糖尿病
そしてメタボ

ー今からでも出来ることー

平安時代の
病気と死因

1)平安時代の病気と死因の90%が感染症

  ・ もがさ:天然痘、はしか
  ・ 咳 病:インフルエンザ
  ・ おこり:マラリヤ、デング熱

 奈良時代から平安時代に掛けて、九州を中心にして朝鮮半島や中国との交流が盛んになり、
それにつれて疫病がもたらされた。一説によると、平清盛の死因は伝染病であるマラリア若しくはネッタイシマカが媒介するデング熱であった可能性が有るそうです


2)藤原道長(藤原氏の中で一番栄華を極めた人)と糖尿病
 ・道長が51才の時「外出中に気分が悪くなり帰路に着いたが、その時しきりに水を
  欲しがった(しばしば口の渇きを訴え昼夜なく水を欲しがり、脱力感にも襲われた)
                                             『小右記』
 ・「近寄らなければ汝の顔が見えない」それは昼夜に関係なく見えないと訴えた
 ・以上の記述より、道長は消渇(糖尿病)と考えられ、記述上日本初の糖尿病患者と
  考えられる
 ・その他体全体が震え、それは背中に出来た「おでき」が勢いを増し毒気が腹の中
  に入った為と診断された
 ・背中の腫れ物に針を刺すと、濃汁、血等が出てその苦しみは大変なものだった
 ・以上の御堂関白記、や栄花物語より、道長の死因はおできによる敗血症とされる

3)平安時代の貴族と武士の食事の違い
貴族の食事 武士の食事
回 数     1日2回 1日2回(戦の時は3~4回)
主 食 白 米 玄 米
副 食 保存食が多く肉は少ない 新鮮な肉や野菜
食べ方 作法がうるさい 自 由
品 数 多 い 少ない
内 容   豪華だが、形式的
  で偏った食事
  質素だが、合理的
  で健康な食事
 貴族は遠い荘園から食物を乾燥させたり漬物にして(保存食)都へ運んでいた関係で品数も多く
   3500kcal以上を食べていたと考えられる。また、酒量も多かった

糖尿病とは 1)糖尿病その1

 ・インスリン作用不足に基づく慢性高血糖を特長とする代謝症候群
 ・その病態には、インスリン分泌不全とインスリン作用の障害(インスリン抵抗性)
  が種々の比率で存在する
 ・成因は多様で、遺伝因子と環境因子の両者が関係する

2)糖尿病その2

 ・高血糖が長期間続くと糖尿病特有の「慢性合併症」「腎症」「神経障害」の三大合併
  症(糖尿病最細小血管障害:毛細血管が障害を受ける)が起きる
 ・高血糖により、糖尿病大血管障害(動脈硬化)が促進し、糖尿病による脂質代謝
  の障害も加わって心筋梗塞、脳梗塞、壊疸(炎症の内細菌により皮膚が爛れる)、
  下肢閉塞性動脈硬化症などが起きる。いずれの場合も皮膚や血管の狭小が著明

3)糖尿病患者数(全国)

 ・平成09年:1370万人(内40歳以上は890万人)
 ・平成14年:1620万人(内40歳以上は740万人)
 ・平成18年:1870万人(内40歳以上は820万人で40歳以上の5人に一人)

 ☆更に困った事は、40歳以上の糖尿病患者の内50%以上が治療を受けていない

 
HbA1c 全 国 山梨県
糖尿病が強く疑われる人 6.1以上 820万人 5万人
糖尿病の可能性を否定出来ない人 5.6以上6.1未満 1050万人 6万人
合   計 1870万人 11万人

膵臓と糖尿病
の関係
1)高血糖値になる理由

  食事をすると膵臓からインスリンが分泌されて、血液中の血糖を下げ血糖値が
  正常になるとインスリンの量を制御し、血糖値が正常であれば70から110mg/dl
  に落ち着くのですが、糖尿病患者の場合は膵臓にあるランゲルハンス島
  (インシュリンが出る所)でインスリンの量が少ないか、又は良質でないインスリン
  が放出される為に血糖値が高いままで留まる

2)別な悪影響

  アルコ-ルをエタノ-ルレベルで毎日60CCを5年間飲み続けると、アルコール性
  慢性膵炎になり膵臓から十二脂腸へインスリンを送り出す管に膵石が溜まり、
  インスリンが出難くなるため、糖尿病になる。尾の場合、一度出来た膵石は一生涯
  なくならない
 
 ☆ランゲルハンス島の名は、ドイツの医者で此処からインスリンが分泌することを突き止めた人の名前
  で此の部分が島の形をしている所から名がついた(膵島とも言う)また、インスリンは此の島のβ細胞
  より分泌する

メタボリックシンドロームと糖尿病
の関係
1)内臓脂肪が蓄積されると、インスリン作用が正常に機能しなくなりインスリン抵抗性
  が増えて高血圧や糖尿病になり易くなる。

2)この結果、動脈硬化、心筋梗塞、脳梗塞への進んで行く

3)一方、肥満によるメタボは脂質代謝異常を起こし、動脈硬化などの糖尿病と同じ
  経過を辿る

4)メタボリックシンドロームと糖尿病に原因

  4-1) 生活習慣の西洋化(運動不足、過食、食事内容)
  4-2) 肥満
  4-3) 加齢
  4-4) 遺伝

5)日本の自動車の普及率と糖尿病患者の増加率はほぼ比例する

6)我国の肥満の状況

  6-1) )S59年→H6年の増加率より以後h16年の増加率の方がかなり進んでいる
  6-2) 特に40歳~60歳の年齢の増加が著しい(男性)此れに対して女性は50歳から
     60代が顕著
7)糖尿病&メタボの治療の原則

  ① 食事療法・運動療法が基本
  ② 運動を併用しない食事療法は無効
  ③ 運動療法は主治医と相談し、不足(過度)にならない様にする

 標準体重とカロリー摂取量

  ① 標準体重(kg)=[身長(m)]×220(定数)
  ② カロリー摂取量=標準体重(kg)×25(kcal)
運動療法と
食事療法
1)運動療法

 ①運動療法は、食事制限せずに運動しても体重は減らない(原則)
 ②まず、主治医に相談をして運動量を指示して貰う:狭心症や膝や足の関節の異常
   が無い事をチェックして貰う
 ③内臓脂肪の減少には、強めの有酸素運動(最大強さの50%が目安)が有効
 ④3回以上/週、10~30分/日の散歩やジョギング(一般に脈拍が120/分程度、
  但し60~70才は100/分)
 ⑤緑黄色野菜をしっかり摂る(抗酸化作用)

2)食体重を減らすための食事療法の原則

  実現可能な目標を立てる:現体重・ウエスト周囲径の5%減少を目指す
  例1:1gの脂肪を燃焼するのに7kcalが必要
  例2:一日パン1/2きれうぃ控えると80kcal減(脂肪にすると11g減)
      →11g×30日=330g/月の減量が出来る
 

5.

おいしさの科学
-私達は香り(匂い)で味わっている-
食品である
ための条件と
美味しさの判定

-美味しいと感じる
感覚はどの様にして
生まれるのか-

1)食品であるための条件

     ☆
栄養性:栄養素を含むこと
     ☆ 安全性:食べて病気にならないこと
     ☆ 嗜好性:美味しいこと

2)美味しさの判定
 
食べ物(料理)の特性

  科学的
   
   味
   香り(匂い)
   色

  物理的
  
  テクスチャー:歯触り
          :舌触り
  温度(熱い、冷たい)
  

  外観




   (直接要因)
 
感覚器官→脳
(五感)
食べる人の知識・経験

    食文化
    食習慣
    食情報
    過去の体験

           など











     (背景要因)
食べる人の状態

 ・生理状態
  
  年齢
  健康
  空腹
  口腔内
  アレルギー

 心理状態
  
  喜怒哀楽
  緊張感等


 (間接要因)

3)美味しいと言う感覚はどの様にして生まれるのか
 
 
 味(味覚)

  香り・匂い(嗅覚)

  舌触り・温度(触角)

  色・形・外観(視覚)

  音(聴覚)

口に入れた時感じる「味」は味と香り、更にテクスチャー(歯ざわり、舌ざわり)迄加えた、総合的なもの

また、総合的に判断している「味」のことを「風味」や「フレーバー」と言う

フレーバーとは
 狭義では食品の香り
 広義では風味、あるい
 は口中感覚

味について 1)味を感じるのは

  ☆ 口腔内の味細胞に味の物質が溶け込み、その情報が味覚神経 → 脳に伝達
  ☆ 口腔内の乳頭にある味蕾(みらい)は味細胞の集合体
  ☆ 味蕾は舌、頬粘膜、喉等に存在する

2)胎児(新生児)の感覚機能

  味覚は胎児(13.5週~15週)の時期に味蕾として既に機能している
  妊娠後半では甘味に反応(新生児は特に甘味が大好き)
  分娩直後の新生児の味覚は甘味、うま味に満足そうな様子を示すが羊水や母乳
   の味が判っている。一方、酸味や苦味は不快な表情を示すが、人類として沢山食
   べると危険であることを本能として持ち備えていると考えられる。塩味には無反応
   で、数ヵ月後から学習により習得する
  嗅覚は母親の肌・母乳のにおいを嗅ぎわける
  触覚(舌ざわり)は抱かれると泣き止む→皮膚の触覚も発達している
  聴覚は胎児の時から外界の音に反応 
 
  チンパンジーの新生児もほぼ人間と同じ

3)味の種類

  基本味:五原味(甘味、酸味、塩味、苦味、旨味)
  その他(辛味、渋味、えぐみ、あくみ、など)

4)味の成分
  砂糖、クエン酸、食塩、カフェイン、グルタミン酸、カプサイシンなど

5)味成分の性質

  閾値(いきち)が高い(ppmレベル)  閾値→その味や匂いを感じる最小の濃度
                           (値が小さい程、味(匂い)が強い物質と言える)
  多量に存在する(mg~g/kg)
  水に溶けやすい
  不揮発性
  口腔内の味蕾にある味細胞が受容
香り(匂い) 1)においの種類:各食品固有のにおいの存在(レモンのにおい、鮎のにおいなど)

2)においの成分::数千種(各食品に数十~数百種が存在)

3)におい成分の性質

  閾値が低い(ppm~ppbレベル)・・・ppb:学校のプールに1滴(5mg)落す程度
  微量存在(μg~mg/kg)
  油に溶けやすい
  揮発性
  鼻腔内の嗅上皮にある嗅細胞が受容

4)食べる前後のにおい

  食べる前→「たち香」「鼻先香」「クンクン嗅ぐ匂い」
  食べた後→「あと香」「口中香」「喉越し香」「咀嚼(モグモグ゙)・嚥下(ゴクゴク)時に
   口から鼻に抜ける匂い」

5)香り(匂い、におい)の表現

  匂い、におい→よい、悪い(快、不快)両方に用いる
  臭い(くさい)→悪いにおいのみに用いる
  香り     →良いにおいのみに用いる
  フレーバー →狭義では、食品の香りの意味に用いる
            広義では、風味、あるいは口中感覚
  アロマ   →コーヒーやカレーなど濃厚な香りに用いる。ワインでは品種・特性香
          に用いる(発酵によって生じる香りに用いる時もある)

  フレグランス→香水、化粧品、トイレタリー製品(石鹸やシャンプーなど)
           ハウスホールド製品(衣料用洗剤、芳香剤など)、医薬部外品等)
           に用いる香りや香料を指す
  香気    → 科学的な表現でにおい全般を表す  

6)香りの効用:殺菌作用が有る(カビや細菌を殺す)例えばワサビ、カラシ、生姜など
  
食品の香気成分の抽出と分析 食品の香気成分の抽出と分析
1)食品の状態により、有機溶媒に溶かし込んだり、蒸留したり、抽出方法を選択する
2)次に香気濃縮物を油状にして、その後精油する
3)ガスクロマトグラフで分析する

  それぞれの香気成分に分ける
  それぞれの匂いを知る(鼻で嗅ぐ[(sniffing) → におい嗅ぎ]
  香気成分がどの様な物質かを調べる(質量分析計等を使う)
  個々の香気成分の役割を調べる
  有用な香気成分を合成して利用する

4)ペパーミントからL-メントールを作る手順
 
 ① ペパ-ミントの葉を用意する
 ② 葉を水蒸気蒸留してペパ-ミントオイルを作る
 ③ L-メントール、メントンなど合計350種類の成分を抽出する
 ④ L-メンットールの清涼な香気の有用性を確認し、合成方法を確立する
 ⑤ L-メント-ルの利用→菓子類、歯磨き香料など

5)白ワインの香気成分の分析結果(一部)  
香りの表現 物質名
バナナの香り 酢酸イソアミル
りんごの香り ヘキサン酸エチル
汗臭、酸臭 吉草酸(足の裏の臭い匂い)
グレ-プフルーツの香り メルカプトヘキサノール
オレンジ、花様 リナロ-ル
薔薇の香り 2-フェニルエタノ-ル
バニラの香り バニリン
食品香気の特長 1)食品香気の特長

  食品に存在が確認された香気物質 → 7000以上
  ☆ 食品中でもっとも多いもの       → コーヒーで約800
  ☆ 食品の香気成分は共通点が多いが、組成の違いがその食品香気の特長を現わ
   すが、例えばイチゴとパイナップルは共通する成分が多い
  ある一つの物質でその食品の匂いを連想させるものが有り、その物質をその食品
   の「鍵化合物」と言う。例えば、バニリン、メントール、ソトロンなど
  食品より見い出されたにおい物質例と閾値 
におい物質 促品例 閾値(水中ppb)
バニリン バニラ豆 2.0×10(20)
(Z)-3-ヘキセノール 野菜 7.0×10(70)
メチオナール 醤油 2.0×10-1(0.2)
2-イソプチル-3-メトキシピラジン ピーマン 2.0×10-3(0.002)
(R)-1-p-メンテン-8-チオ-ル グレープフルーツ 2.0×10-5(0.00002)
                                      ppb:10億分の1
  
濃度により匂いの特質は変化する:ソトロン(黒糖)など

2) 食品香料(フレーバー)とは、より美味しく食べられるように、食品に付与することを
   目的とした香料のこと

3) 食品香料の役割

  ① 香料の強化(着香)
  ② 補香(賦香)・・・濃縮する(水を飛ばす)と、匂いが減るので香料をプラスする
  ③ 風味矯正(マスキング)・・苦さをおさえて美味しくする

4)香料の原料:天然香料(品質に差が有る)と合成香料(化学合成する)

5)日本料理の特長(ダシに油が出ない)
  (洋食や中華などのダシは油が出る:例えば、鳥ガラなど)
  
   和風だしの利用(旨味と香り)・・・昆布、鰹節、など
   スパイスの利用(辛味と香り)・・・ワサビ、山椒、生姜、唐辛子、からし、芽葱
                       アサツキ、紅たで、しそ、みょうが、など
  香酸柑橘類の利用・・・ゆず、すだち、かぼす、など     

4.

「食」と体温調節

-摂食と体温、免疫、睡眠
のとても深い関係-
体温とは
1)体温の部位による違い?

核心温 からだの芯の温度 外部の環境が変化しても、体温調節の仕組みにより一定に保たれる
外層温 皮膚や皮下組織の温度 外部の環境の影響を大きく受ける。また、
体温調節中枢からの指令によって変化し、
核心温を一定に保つことに貢献する

2)核心温の正常範囲と生存限界

環境による身体の状態 核心温(℃)
生存の下限 23
神経や筋の働きが障害される 25~34
早朝・寒冷環境など 35~36
正常な範囲(成人の場合) 36~37
活発な小児など 38±0.5
強度の筋作業(マラソンなどの運動) 38.5~40
風邪などによる発熱 38~41
からだの蛋白質が変性する(脳障害、熱射病) 42~44
生存の上限 45.5

正確な体温
の測り方
1)脇の下で計る場合:脇の下は核心温ではないので、脇の下の体温から核心温を
              推定するためには以下の事に注意する

  ① 体温計の感温部が脇の下の奥に入る様にしっかり挿入する
  ② 脇の下を完全に蜜閉し、測定中開かない様にする
  ③ 正確な測定には10分間は必要(大まかなチェックでも5分間は必要)

    実験では、説明前と説明後に明らかな違いが出た
  
        説明前→36.55±0.40℃
        説明後→36.80±0.29℃

2)予測式体温計が示す温度

  ・内蔵されているマイクロコンピューターが予測温を計算して表示する
  ・7~8分間入れていると実測値に切り替わる体温計が多い

3)体温の日内リズム(サンプリングによるデ-タ-値)
 
 ① 若齢者(n=97名の平均)
   ・起床時(36.25℃)~日中の最高(37.25℃)・・・体温差=1.0℃

 ② 高齢者(n=43名の平均)
   ・起床時(36.5℃)~日中の最高(37.25℃)・・・体温差=0.75℃
体温の決まり方
と体温調節
体温の決まり方は「熱産生」と「熱放散」のバランスで決まる
 (一般的には、産生量=放散量・・・体温が一定)

Ⅰ) 「熱産生量」には、以下が有る

   ① 運動・ふるえ
   ② 筋の無意識的な緊張
   ③ 基礎代謝量の亢進・・基礎代謝量が昂ぶって行くこと
   ④ 特異力学的作用
   ⑤ 蛋白質の消化
   ⑥ 基礎熱産生 

Ⅱ)此れに対して「熱放散量」には、以下が有る

   ① 発汗・あえぎ
   ② 皮膚と環境との温度差の上昇
   ③ 風速の増加
   ④ 姿勢の変化
   ⑤ 皮膚温
   ⑥ 基礎熱放散

Ⅲ)熱放散の経路
  ① 伝導・・・・・・・・・・・・・・・例えば、足に接触している地面に熱が逃げるなど
  ② 伝導+対流・・・・・・・・・伝導と共に、空気の対流により熱が逃げる
  ③ 放射・・・・・・・・・・・・・・・太陽の光などで熱が逃げて行く
  ④ 蒸発(発汗、不感蒸散)・発汗による気化熱など
                  (100ccの水を蒸発させると1℃体温が下がる)

Ⅳ)体温調節
① 現在の体温と有るべき温度とのズレを温度受容器が作動して脳へ送る
② 体温調節中枢(脳)が現在の体温と有るべき温度とのズレを解消する指令を出す
③ 最終的な体温調節は、全ての組織(血管、汗腺、筋肉、内臓等)で行う・・効果器
  ①~③を繰り返し、安定した体温になる様に調節する

 ★
末梢(皮膚)の温度受容器:温受容器と冷受容器があり、そのスイッチが沢山ある
 ★中枢温度受容器:中枢神経に広く分布しているが、特に視床下部に豊富にある。
  また視床下部は脳の中心部に有り親指の半分位の大きさで、体温調節や摂食
  中枢や満腹中枢など沢山の中枢をコントロールしている

ⅴ)汗腺:汗を出すところ
 ① 温熱性発汗(体温調節性発汗)が可能なのは、人と馬のみ
 ② 人の温熱性発汗は
  ・エクリン腺より発汗する
  ・そして、発汗作用の指令(神経伝達)はアセチルコリンによる

  手の平や足の裏のエクリン腺は人以外にも存在しているが、温熱性発汗として
    の機能はなく、精神性発汗(動物では「滑り止め」としての機能)を担う
 ③ 能動汗腺
  ・能動汗腺の数は、幼児期(2~3才)までの生育環境で決まる
   例えば、日本で育ちその後暑い国に移住しても、暑い国で生まれ育った人より
   能動汗腺は少ない
  ・発汗能力は、暑熱順化(慣れ)によって発汗能力を高めることは可能

Ⅵ)熱産生の効果器
 ① ふるえ熱産生・・・筋肉がふるえることで熱を生みだす
 ② 非ふるえ熱産生
  ・褐色脂肪組織(熱を作り出す)
  ・その他の前身の組織(筋肉)

Ⅶ)非ふるえ熱産生の調節因子
 ・自律神経:ノルアドレナリン(交感神経)
 ・ホルモン:アドレナリン(副腎髄質)、グルカゴン(膵臓)、甲状腺ホルモン(甲状腺)
         糖質コルチコイド(副腎皮質)、その他  
低体温と冷え性
発熱と高体温

体温・摂食・免疫
・睡眠の関係
1)低体温と冷え性の違い
 ・低体温:核心温が低下している状態で、産熱量の絶対的な不足で運動不足による
      骨格筋量(筋肉量)の低下等が原因で、高齢者に良くある以下三点の低下

    (1)皮膚血管調節能の低下
    (2)皮膚の温度感受性の低下
    (3)体温調節中枢の機能低下

 低体温の改善策
 ① 運動:しっかり歩く
 ② 規則正しい食事:特に朝食を必ず摂る
 ③ 栄養バランスの良い食事:偏ったダイエットは良くない(3~4割の蛋白質を摂る)
 ④ 昼と夜のまりはりのある生活:夜更かしをしない。日中外の光を浴びる。

 ・冷え性:外層温が低下している状態で、核心温が必ずしも低下している訳ではない

2)発熱と高体温の違い
 
 ・発熱:発熱物質によって設定値が上昇している状態で、体温は上昇した設定値に
     基づいて「正しく」調節されている
 
 熱が出る事により免疫能力を高めて細菌などに対する抵抗力を高めているので
  熱が出たからと言って無闇に解熱剤を服用するのは良くない(からだの防衛反応)

 ・高体温:熱の吸収や産生が体温調節による熱放散能力を超えた為に体温を設定
       値に合わせる事が出来ない状態

3)体温、摂食、免疫、睡眠はその各々がお互いに影響を及ぼし合っている
熱中症について
1)熱中症の症状
 ① 発汗による水分の喪失(脱水)
   ・血圧低下
   ・めまい、失神
   ・微弱心拍

 ② 発汗による塩分の喪失
   ・血液量の減少
   ・頭痛、吐き気、嘔吐
   ・痙攣

 ③ 調節能力を超えた暑さ
   ・高体温
   ・意識障害
   ・高死亡率

2)山梨における熱中症の発症状況(1995~2004)
 ① 10代は戸外の運動での発症例が際立っている
   
 ② 70代から80代は屋内での発症が際立っている
   (加齢と共に核心温の変化(感度)が鈍くなり、汗をかかなくなり体温が上がって
    室内で熱中症になる)

3)熱中症の具体的予防法
 ① 発汗による水分の喪失
  ・起きたら一杯、食べたら一杯、寝る前に一杯、の水分の摂取
  ・コーラ・コーヒー、ビールは利尿作用が有るので注意

 ② 発汗による塩分の喪失
  ・発汗で失った塩分を補給し様
  ・大量の発汗後、水だけをとりすぎると、熱痙攣の原因になる

 ③ 調節能力を超えた暑さ
  ・高い気温や強い日射を避ける
  ・高い湿度、風が無い、空調設備が無い環境は避ける(体育館)
  ・外出時はツバの広い帽子をかぶる
  ・旅行は春、秋に楽しもう
  ・我慢せずに冷房も利用しよう
  ・早寝早起き、昼寝も可能であればとろう
  ・スポーツは朝夕に

3.

動いて、食べて、眠る
-睡眠不足を食事で
補えると思いますか-
世界の民族に
 おける血中総
コレステロ-ル

1)コレステロ-ル値と脂質エネルギ-比
民 族 生活パタ-ン コレステロ-ル(mg/dl) 脂質エネルギ-比(%)
サン族 狩猟採集民族 115 50
マサイ族 遊牧民族(牛乳) 130 60
スイス 工業先進国 200 47
アメリカ 240 44
日 本 190 29

2)何故狩猟採集民族や遊牧民族は多量の動物性食品を摂取しているのに、
  血中コレステロ-ル値が低いのか

 ・体質の違い
 ・食物の違い→家畜の方が野生動物より脂肪が2倍多い
 ・調理法の違い
 ・環境の違い
 ・運動量の違い

  この様な事が考えられるが、決定的な違いは運動量にある
サン族(セントラル ブッシュマン)やマサイ族そして、日本人の運動量 サン族(セントラル・ブッシュマン)の場合
1)アフリカの「カラハリ砂漠」に住む→夏の炎天下:40℃、冬:-10℃
2)狩猟採集生活
 ・一日の内、5~12時間を狩猟し続け、毎週3~5日働く
 ・とにかく狩猟活動による運動量が多い

3)摂取脂質エネルギ-比が40~60%と高いのに、血中総コレストロ-ル値が
  115mg/dlと工業先進国より低いのか(?)それは、運動量が多いので血液中
  にコレステロ-ルがたまり難くその値が低い

4)それには、狩猟生活の実態が関係する
 ・狩る→走って追いかける(動物:70km/h)→戦う→活動量が多い
 ・待ち伏せ→飛びかかる→戦う→活動量は上記よりは少ない
 ・罠を使う(獲物が罠に掛り弱った頃に再び出掛けて獲物を持ち帰る)
 ・飛び道具を使う:ヤリや弓矢

5)サン族は交易のため動物の皮を持って一週間に300km移動し、一日に4〇km
  は歩く計算になる

マサイ族(遊牧民族)の場合
 ・マサイ族は、家畜の餌である草を求めて一日に40~80kmを移動する
 ・家畜の餌を求めて移動を繰り返すので、運動量が多い 

8)江戸時代の日本人
 ・一人前の男:一日に10里(約40km)を歩く(此れを毎日繰り返す)
 ・女子は10里は歩けない:足手まとい
 ・松尾芭蕉の「奥の細道」では、600里を150日間掛けて歩いた
  (一日の平均は4里≒16km)

9)現在の日本人の能力
 ・精々毎日となると数km
 ・強行遠足では約2日間で100km(一日当たり40km)・・高校生男子

運動と食は
リンクするか
1)ネズミを使い、運動を続けながら食べるだけ食べさせた場合の実験
 ・運動を開始した一時間までは運動量に見合った食べ方でこの間体重が減る
 ・1時間を過ぎて6時間近くまでは、運動量と食べる量が比例し、体重が減らない
 ・6時間を超えると疲れて運動量も食べる量も体重も減り、此れ以上走らせると
  死んでしまう

2)長生きするための食事の在り方
2-1)和食の方が洋食より良い
  ・和食:高炭水化物、低蛋白質、低脂肪
  ・洋食:低炭水化物、高蛋白質、高脂肪

2-2)動物性食品を余り取らない方が良い
  ・動物肉よりも魚肉
  ・動物性蛋白質より植物性蛋白質

2-3)バランスの取れている食事

3)運動量と食事(洋食、和食)の関係(ネズミで実験)

洋食を食べて良く運動する 長生きする
洋食を食べて余り運動をしない 長生きしない
和食を食べて良く運動する どちらも差はない
和食を食べて余り運動しない

 
ダイエットによる
減量の危険性
1)充分にご飯を食べないでダイエットを行った場合

ダイエット区分 体重(kg) 体脂肪量(kg) 筋肉他(kg) 体脂肪率(%)
ダイエット前 70.0 30.0 40.0 43
ダイエット中 -10.0 -7.5 -2.5 -
ダイエット後 60.0 22.5 37.5 38

中  止 +10.0 +10.0 0.0 -
結  果 70.0 32.5 37.5 46

2)上記ダイエットの危険
  ・ダイエットにより体重が10kg減り、中止後再び元の70kgに戻った
  ・此の時問題なのは、体内脂肪がダイエット前が30kgに対して、結果が逆に32.5
   に増えて、その他の筋肉が逆に減っている事である
  ・つまりダイエットにより減量した体重がダイエット中止後に元に戻っているが、
   体内脂肪が増えて、筋肉が減っている点が問題であり、極めて危険である

脂肪・糖質・蛋白質の使われ方

まとめ
脂肪・糖質・蛋白質の使われ方

 ・脂肪は筋肉を動かす時のみ消費される(余った脂肪は糖質や蛋白質に変わらない
 ・糖質は脳の栄養素で、糖質が足りない時は蛋白質が糖質に変化する
 ・蛋白質は脂肪に変化する
 ・糖質は筋肉を動かす場合に使われ脂肪にも変化する

結論1
 ・食事を摂ることによるエネルギ-の摂取は運動することで消費される
 ・脂肪は運動でのみ消費されるので、運動量が少ない場合は脂肪を摂り過ぎない
 ・体内の脂肪が少なくなると蛋白質や糖質が脂肪に変化するのでその意味からも
  脂肪の取り過ぎに注意する

結論2
 ・運動の基本は歩くこと。ジョギングやジャンプ等に比べて膝への負担が少ない
 ・ウォ-キングは206ヶ所の骨と425ヶ所の筋肉を動かす全身運動

結論3
1)健康を支える要因は以下の3つの柱
栄 養 → 充分な食事 3つの柱
運 動 → 充分な運動
休 養 → 充分な睡眠
・此の3つの柱は不足しても過剰でも健康に良くない
お互いに代替えは出来ない

2)生活のリズムも大切::規則正しい生活

3)健康長寿のために
 
   ・早寝・早起き
   ・3度の食事
   ・良く動き
   ・良く休む

   ・判断は自分でするしかない
   ・体の中から来るサインを敏感に察知する
   ・定期的な専門医による診断を大切に(自分の体の事を良く知る)

2.









食は咬むことから

咬み合わせ改善
治療の最前線
食とは

物を咬むために必要なパ-ツ

1)食とは物を食べること=食事
2)食べるとは
 ・食べる→咬む
 ・飲む→咬まない

3)物を咬むために必要なパ-ツ
 ①歯
 ②あごの骨
 ③あごの関節
 ④あごを動かす筋肉と神経
物を咬むことに
支障が出る状況

成長発達に伴ってあごが変形し、歯並びや咬み合わせに不調和が出てくる時に支障となる
                      
                   顎変形症
                 (がくへんけいしょう)
顎変形しょう患者の問題点と患者数の推移及び年齢分布 1)顎変形患者における問題点
 
よく咬めない 手術により改善が可能
言葉がしゃべりづらい
あごの関節がおかしい
顔のバランスが良くない
見た目が気になる
 (コンプレックス)

2)手術者数の推移:此処10年で1.5培(年間40人→60人)

3)年齢分布
                                     単位:%
~20才 ~30才 ~40才 ~50才 ~60才
12 65 20
          ・20才代の患者が中心(骨の成長が止まってから)
          ・マスコミなどにより病気に対する認識が上昇
          ・中高年(入歯の安定)と小児(新しい手術法)も増加 
        
顎変形症の種類と顎変形症の診断 1)顎変形症の種類

 ・下顎前突症:真性(本当に出ている)、相対性(上あごとの相対性)
 ・下顎後退症:真性、相対性、小下顎症(下あごが小さい)
 ・上顎前突症:真性(本当に出ている)相対性(下あごとの相対性)
 ・上顎後退症:真性、相対性、上顎劣成長(上あごが成長しきれていない)
 ・開咬症:咬んだ時に奥歯が先に咬み合い上下の前歯に隙間が出来る症状
 ・非対称:正面から見た時に左右のあごが対称ではない症状(唇が曲がっている等)

2)顎変形症の診断(あご・顔面・頭蓋の形態分析)

 ①頭部X線規格写真分析(国際的にその方法と測定箇所が決められている)
  ・側面と正面から撮影した画像の決められたあご(骨)の相対的位置より診断する
  ・撮影された画像と計測基準図を重ね合わせて診断する

 ②咬み合わせの分析(歯列模型分析)
  ・事前に型取った本人自身のあごの模型より、手術後の模型を作り比較分析する

3)顎変形症の一般的な治療の流れ

          資料分析(頭部X線規格写真分析など)
            ↓
      治療のゴ-ルの設定(仮決め)
            ↓
        術前矯正治療
 手術計画立案→ ↓
        あごの骨切り手術
            ↓
          術後矯正
顎変形症の手術 1)下あごの手術
 ①下顎頭(かがくとう:下あごの蝶番の所)の骨と歯が付いている骨の中間部分を
   切断する
 ②歯の付いている骨を予め決めてある位置に移動させる
 ③重なっている骨をワイヤ-(はりがね)で固定する(以前の手法)
  またはスクリュ-(ねじ)で固定する(現在の方法)
  骨同士が離れている場合はプレ-トを取り付けて同様に固定する
 ④上下の歯を固定源にしてワイヤ-(はりがね)でしばり、咬み合わせの安定と
   あごの骨の固定・安静を図る(顎間固定:固定が確実になるまで約4週間)

2)上あごの手術
 ①上あごには下あごにある下顎頭は無いので、上の歯を固定している骨と奥歯の
   先で奥の骨と切り離す
 ②切断後は下あごの手術と同様

3)上下のあごを同時に手術する場合は、其々のあごの位置の基準が判らなくなる
 ①そこで、上あごのみを移動した咬み合わせを装置の上で再現し、その状態の咬み
  合わせのマウスピ-スを作成しておく
 ②下あごを骨切りする前に上あごを骨切りして、①で作ったマウスピ-スで咬み合
   わせて上あごを移動する。その状態で先に上あごを固定する
 ③その後に下あごを骨切りし、既に移動と固定が終了した上あごに合わせて下あご
  を移動する

4)顎変形症治療の新しい技術
 ①あご・顔面・頭蓋の形態分析として頭部X線規格写真分析と咬み合わせの分析
  方法があるが、現在ではCTスキャンによる三次元実体モデルから樹脂による
  模型を作り対応している
  
 ②骨固定材料としてワイヤ-や金属製ネジではなく、PLLA(ポリ・L・乳酸)と呼ぶ
   材料を使って骨を固定する方法がとられている。此の場合、固定直後は金属と
   同等の強度を有し、数年で分解吸収してしまう(まったく無害)

 ③治療法の進歩として、「骨延長法」があるが、あごの骨の変形が著しい場合に取
   る方法で1980年にロシアで開発し発表された。
  ・延長する骨を切り延長装置(ヘッドフレ-ム)で徐々に牽引して行く(骨切り手術
   後4~5日で延長を開始)
  ・1日1mmの割合で新しい骨が切り開かれた空間に育って行き予定位置まで骨を
   延長させる。延長後は延長した部分に骨が形成されるまで凡そ1~2ヶ月固定を
   維持する
  ・この骨延長法はあごの成長を妨げないので、小児にも適応が可能で顔貌の改善
   度が高く小児期よりのコンプレックスを解消できる
  ・著しく下あごが小さい場合(小下顎症)は、時として「睡眠時無呼吸症候群」の
   原因となる場合が有るが、下あごが小さい場合に舌の納まりが悪く舌で喉を塞い
   でしまう。
 
  

1.

新たな発酵食品
の開発
ワインの分類

ワインは次のように分類できる 
  
非発泡性ワイン テ-ブルワイン 食煎又は食後ではなく、
食中に飲むワイン
(一般的に数百円~千円程度)
白ワイン 緑系ブドウ(果肉のみを使用)
赤ワイン 黒系ブドウ(種と果皮も一緒に入れる)
ロゼワイン 赤ワインと同じ製造法で着色が進んだ時点で果皮を除去する
発泡性ワイン
(スパ-クリングワイン)
シャンパン(フランス 1)炭酸を含んでいるワイン
2)シャンパンは、シャンパ-ニュ地方で作られたもので、この地方で作られたワインのみがシャンパンを名のることが出来る
ゼクト(ドイツ
スプマンテ(イタリア
酒精強化ワイン シェリ-酒(スペイン 1)酒を入れブドウ酒にする
2)発酵の途中でアルコ-ルを
  入れて発酵を止める
4)アルコ-ル度が高く甘い
  デザ-ト系ワイン
ポ-ト酒(ポルトガル
マティラ酒ポルトガル
混成ワイン ベルモット(イタリア フレーバードワインとも言い、ワインをベースにして各種スパイス・ハーブなどの蒸留酒や浸出液または果汁を加えて作った酒。

世界のブドウ
の品種

白ワイン
1)シャルドネブルゴ-ニュ地方(ニュ-トラルな香り)
2)セミヨン  ボルド-地方(黄桃の香り)
3)ソ-ビニヨン・ブランボルド-地方(グレ-プフル-ツの香り)
4)リ-スリング ドイツ(果実の香り)

赤ワイン
1)カベルネ・ソ-ビニヨンボルド-地方(カシスの香り)
2)メルロ-ボルド-地方(プラムの香り)
3)ピノノワ-ルブルゴ-ニュ地方(花の香り):有名なワインに「ロマネ・コンティー」
                           があるが、一本40万円~50万円する。

日本の品種
1)甲州種赤・白(和食に合う)
2)マスカット・ベリ-A赤ワイン(イチゴの香り)

その他として、「貴腐ブドウ」が有りますが、自然界で灰色カビ病菌がブドウにつくと
水分が飛んで糖分だけが残る(干しブドウのような貴腐ブドウができる)
海洋酵母 1)2000年にサッポロ勝沼ワイナリ-が山梨大学の協力の基で海水を分離・培養した
  海洋酵母を使ったワインを製品化した。

2)海洋酵母は、(株)三共[かつての三共製薬]が開発した酵母で、ブドウ酵母やパン
  酵母、米酵母と同様だが、唯一天然酵母で有る事が特徴で、特に海洋酵母から
  作ったワインはまろやかな風味が特長とのこと。

3)ブドウの果汁に海洋酵母を入れて仕込んだ所、リンゴ酸と旨味の酸となる「コハ
  ク酸」を多く含み、優れたワイン酵母より良質なワインに仕上がった。
大豆ヨ-グルト 1)山梨大学と地元メ-カ-が開発したヨ-グルトで、通常ヨ-グルトは乳製品を原料
  にしていますが、大豆からヨ-グルトを作ることに成功した。(乳アレルギ-予防か
  らも注目)

2)製法は、微粉砕した大豆(山梨特産)をワイン酵母と乳酸菌そして山梨名水を使っ
  て発酵熟成するもので、豆乳の様な生臭さがまったく無く、まろやかな甘味があり
  美味しいヨ-グルトが完成した。(当日受講者に2本ずつ配られたが、家に帰り飲
  んで見ると正しく美味で美味しかった)

3)通常、大豆飲料を発酵させると大豆臭と腐敗臭が出て不味くなるのだが、ワイン
  酵母が大豆臭をマスキングし芳香な発酵臭を付加するので、美味しくなるとの事。
  そこで、製造メ-カ-では大豆に限らず桃やブドウ等の果汁とワイン酵母・乳酸菌
  を組み合わせた製品も開発したいとのこと。


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やまなし学研究2010 テ-マ:「山梨の農と食」・「甲斐の国人物伝」(山梨学院大学主催)

14

古代甲斐国
の庶民の姿
山梨と馬の関係
1)甲斐の国には馬と関係する地名が多く存在する
 ・ 今の笛吹市に在る「栗原」はもとは「呉原」と呼んだが、此の呉は古代中国の南部
   を「呉(くれ)」北部を「胡、漢、唐、」と呼び、中国南部から馬が日本に運ばれた
   関係で、呉原→栗原となった
 ・ 栗原の傍(塩山)に在る「等々力」も轟(中国の馬に引かせた戦車に由来)と共に
  牧場を走り回る馬の馬蹄と理解出来るが、馬の飼育に深く関わった地名
 ・ 初めは上記の場所で飼育された馬が巨麻郡に移り、現在の中巨摩・北巨摩・
   南巨摩に広がって行った

2)中世以前の古道と馬の往来との関係
 ・ 信濃:穂坂路、棒道、逸見路、佐久往還(戦国期)
 ・ 武蔵:秩父往還、青梅街道、甲州街道(桂川沿いのルート)
 ・ 駿河:河内路、中道、若彦路、鎌倉街道
  この様な街道を利用して馬が荷役として盛んに使われた

3)朝廷への貢馬数(朝廷に馬を献上すること)
地 域 貢馬数(延喜式制) 郡 数 1郡当たりの頭数
甲斐国 60 疋  4郡 15.0 疋
武蔵国 50 疋 19郡 2.6 疋
信濃国 80 疋 10郡 8.0 疋
上野国 50 疋 14郡 3.6 疋
以上の様に、甲斐国が小規模の土地から多くの馬を献上していた事が判る
農民の税の制度
(1200年~1300年頃から整備)
1) 身体上に障害のない21~60才までの男子(正丁:せいてい)に租・調・庸・雑徭
  (ぞうよう) ・兵役等が課せられた
2) 61以上~65才までの男子(老丁)は正丁の2分の1の調・庸が課せられた

3) 17~20才までの男子(少丁)は正丁の2分の1の調・庸が課せられた(中男とも言う)
   (平城京は少丁が大勢働いた)

4)それぞれの税金の種類

 ・ 租:口分田に課せられた税で、収穫量の約3%を納めた
     (税は地方財政に充てられ、郡の正倉に蓄えられた)
 ・ 調:男子のみに課せられた税で、麻布や絹又は海産物等の地方の特産物を納めた
 ・ 庸:一年に10日の労働を行う代わりに、布を納めた
 ・ 兵役:正丁の約3人に1人の割合が兵士として軍団に集められ、更に此の中の一定
       の人数が防人(さきもり)や衛士(えじ)となって、九州や都に派遣された

   防人:諸国から3年交代で九州地方に派遣された兵士で、天平3年(AD730年)
       からは、東国の兵士に限られた
   衛士:諸国から都に集められた兵士で、任期が一年で都の警備にあたった

 ・ 雑徭:地方の役人(国司)のもとで、一年間に60日働いた(ぞうようと読む)
 ・ 公出挙:国から強制的に稲が貸し付けられて、秋の収穫時に5割(後に3割)の
        利息を納めた(くすいこと読む)
その他
 ・ 運脚:調・庸の物品を都に運んだ(食料は自給)
 ・ 仕丁:50戸に正丁2人が選ばれて、都の雑役を行った。任期は3年で都の造営
      事業の重要な労働力となった
    
甲斐国の
生業と負担
1)平城宮から出土した木簡から、「山梨郡雑役胡桃子(くるみ)」と書かれていて、
  都に献上した事が判る(天平寶字六年六月:AD763年)
2)正倉院調庸(絹)墨書銘文の中に、「甲斐国巨麻郡猪郷物部高島調壹疋」
  と書かれており、甲斐国の連恵文(恐らく医者の名前)が献上した絹と考えられる
3)同じく、白絁金青袋に、「甲斐國山梨郡可美(加美)里日下マ(日下部)一疋」
  と書かれている(和銅七年十月:715年で平城京が出来た5年あと)絁は絹のこと
4)佐賀県唐津市 中原遺跡出土木簡から「甲斐國津力(港)戍(守り)人 不状之知
  (此れ以上の情報はない)」がある

胡桃の文字の「胡」は中国の西方を意味している文字で、此の他、漢や唐があるが
 何れにしても、中国西部から伝わっている事が判る。其れに対して中国南部は「呉」と呼び中国南部から伝わったくるみは「呉桃」と書く。因みに、中国南部から伝わった着物を「呉服」として、現在もこの文字が使われている。又、中国の後漢末期に「三国志」があるが、魏、蜀、呉の三国の内の「呉」は孫権が長江流域につくった国で、「呉越同舟」の諺でも知られている。
他の地方
との交流
1)長野県佐久市聖原遺跡で出土した土器に以下の文字が書かれていた「甲斐國
  山梨郡大野郷戸主乙作八千(鉢)」と書かれ、底部に「此後与佛成為」と書かれて
  いて「此ののち仏とならん」と読む事が出来る。又、此の鉢は鉄鉢型土器で法隆寺
  献納宝物に同じ形の鉄鉢が有る。
2)甲斐の国に関する地名では、於曾、石禾(今の石和)、大野、可美(加々美)等の
  記述が有り、木簡や土器にその名が記されているる
全国に有った
掲示板
石川県加茂遺跡より出土した加賀郡牓示札(ぼうじさつ)は全国各地に有った掲示板で
こうした読み下し文が人が集まる要所に立てられて読まれていた。
その内容は以下の通り

 ① 田夫、朝は寅の時を似って田に下り、夕は戍(犬)の時を似って私に還るの状
 ② 田夫、意に任せて魚酒(ごちそうの意)を喫ふを禁制するの状
 ③ 溝堰(田に水を引く溝や堰のこと)を労作せざる百姓を禁断するの状
 ④ 五月卌日前を以て、田植えの竟(おわる)を申すべきの状
 ⑤ 村邑の内に隠れ潛みて諸人と為ると、疑わる人を捜し捉ふべきの状
 ⑥ 桑原なくして、蚕養ふ百姓を禁制すべきの状
 ⑦ 里邑の内にて故(ことさら)に酒を喫ひ酔い、戯逸(ぎいつ)に及ぶ百姓を禁制
   すべきの状
 ⑧ 農業を慎勤すべきの状。件の村里長たる人は百姓の名を申せ。案内を検ずるに
   国の去る正月廿八日の符を被るに併(いわ)く・・・・(以下省略)

この読み下し文は、真水の川底に腐らずに埋まっていたもので、木の素材に墨で書かれていて、当然薄れて字が読めない木片を墨が炭素であるため木質より腐り方が少ない部分を慎重に蘇がえらせて、国学院大学教授の佐野光一氏により墨筆したものとのこと
尚、牓示札は嘉祥二年二月十二日(AD842年)と書かれていて、今から約1200年前の掲示板とのこと

13

山梨オリジナル
の食品加工

地域食材

食品加工・開発
への取り組み

1)食品開発の為に重要な6要素(数字が大きくなる程重要度が高い)
 
 ① 経 済 性:安価(?)・高価(?)、安心・安全への消費意識増大
 ② 簡 便 性:スーパー・デパート・コンビニ等の利便性(外食・中食の充実)
 ③ 貯 蔵 性:加工技術の進歩(流通システムの確立)
 ④ 嗜 好 性:好き・嫌い・テクスチャー(歯ごたえ・喉越しなど)・季節性志向
 ⑤栄養特性:5大特性(糖質、脂質、蛋白質、ビタミン、ミネラル)
 ⑥ 安 全 性:食物の根底を支える食の安全確保

2)四季の野菜と果物(山梨主要農産物)
 ① 野菜                   ② 果物
  ・春:キャベツ、たけのこ          ・春:イチゴ、梅
  ・夏:トマト、ナス、トウモロコシ       ・夏:桃、サクランボ、すもも、ソルダム
  ・秋:キノコ、サツマイモ           ・秋:ブドウ、梨、柿、キゥイフルーツ
  ・冬:ニンジン、カブ              ・冬:ゆず
  
山梨の風土が
育んだ多彩な食材
1)山梨の地域特産物

 ① 武川米(農林48号)
 ② ブドウ(甲州種)やモモ(白凰)、サクランボ
 ③ 甲州ワインビーフ(牛にブドウの絞りカスを食べさせて育てた牛肉)
 ④ 八幡イモ(里芋)や大塚にんじん(80cm以上も有る長い人参)
 ⑤ 甲州百目柿(大きな柿)
 ⑥ 明野の浅尾大根
 ⑦ 甲州もろこし(甘々娘、スイートコーン)
 ⑧ 紫花豆(かなり大粒な煮豆)
 ⑨ 甲州ワイン

2)その他の特産物

 ① 南部茶
 ② 塩山の枯露柿(干し柿)
 ③ 甲州小梅漬
 ④ 身延の湯葉
 ⑤ 鮑の煮貝
 ⑥ ミネラルウォーター(生産量日本一):番外

3)地域限定グルメ

 ① 甲州ほうとう
 ② 吉田のうどん(讃岐うどんと較べて麺がかなり固い)
 ③ おざら(ほうとうを冷やして食べる)
 ④ 大月おつけだんご(小麦粉のだんご汁)
 ⑤ みみ(ほうとうの生地を竹製のザルの形に加工した汁)
 ⑥ 甲州鳥モツ煮(B-1グルメでグランプリ受賞、甲府の蕎麦屋の賄い食から広まった)
山梨の農林と
畜産物の現状
1)農林畜産業の生産状況(関東8県+長野+静岡:関東農政局H21年調査)

 ① 山梨は、東京、神奈川の次に生産量が低い:10都県の中で7番目
 ② ダントツなのは茨城(一位)、千葉(二位)、長野(三位)

2)部門別農業産出額の都県別構成割合

 ① 果実部門ではダントツ(一番)しかし、長野の果実の出荷が山梨に迫っている
 ② 米と野菜と畜産で、茨城がダントツ

3)山梨農業生産額(H21年度:関東農政局資料)

 ① 一位はブドウ:260億円
 ② 2位はモモ:185億円
 ③ その他:194億円
食品開発
コンセプト
1)食品開発の情報源

 ① 消費者情報
   ・食生活実態
   ・外食メニュー
   ・料理雑誌のメニュー・社会の動向 ・消費者の声

 ② 業界・他社情報
  ・既存のマーケット商品・成長初期の商品
  ・強力な競合でない商品・他社開発のヒット商品に便乗

 ③ 流通からの情報
  ・量販店の購買情報(通販情報を含む)
  ・インターネット購買情報

 ④ その他外部情報
  ・輸入食品の動向・海外新商品
  ・原材料業者情報
  ・食品専門家情報
  ・家電メーカーの動向(家電製品の売れすじと食品開発との関係)

 ⑤ 現行事業の周辺情報
   ・ブランド活用
   ・研究開発の成果
   ・流通チャンネル活用
   ・技術・設備の活用

 ⑥ 技術に関する情報
   ・新素材・新包装情報・新技術情報
   ・新生産プロセス

2)アイデアの開発

 ① 原材料を新規な物に変更する・原材料を一部置き換える
 ② 他分野のアイデアを参考にする
 ③ 話題性のある素材を活用する
 ④ 包装形態を変更する
 ⑤ 複数の商品を組み合わせる
 ⑥ 玩具的(おまけ)な発想を加える
 ⑦ 健康食品的な要素を加える
 ⑧ 安全性要素を追加する

3)商品コンセプト作成手順

 ① 主要製品属性
   ・ブランド→商標をどうするか
   ・製品コンセプト→主原料・製法・形状
   ・ターゲット→想定顧客・性別・年齢
   ・容器・包装→個装(個別)・内装(中身が見える)

 ② 付帯製品属性
   ・バラエティー・用途・・使用法→種類・調理法・喫食法
   ・容量・数量→中身・数量・使用回数
   ・中身の形状→粉末・顆粒・液体・ブロック

 ③ 法的製品属性
   ・品名・原材料表示・賞味期限(消費期限は約5日間)・価格
商品販路拡大
への取り組み
1)戦略1(商品作りアイデア):やまなしブランド強化。しかし、今一歩踏み出していない
      
 ① 手塩に掛けた食材を商品化→有機栽培・自然農法・優良品種
   ・豊かな自然で育まれた食材
   ・愛情を込めて良いものを作る

 ② 高度な技術を活用して商品化(伝統技術・機械化・作業能率化)
   ・歴史と伝統が商品価値を守る

 ③ 売れる商品づくりへの発想転換が重要

 ④ やまなし「独自のブランド」
   ・果樹王国
   ・新鮮野菜直送:関東・中京・関西の中間地点
   ・森のキノコ

 ⑤ 山梨オリジナル品種(甲州)としての差別化
   ・甲州ブドウ・甲斐路
   ・甲州ワインビーフ
   ・甲州ワイン・鮑の煮貝・ほうとう

 ⑥ 地域資源を有効に活用した連携強化と開発
   ・生産者と産・官・学の連携

2)戦略2(流通・販売戦力):販売チャンネルの拡大

 ① 山梨の立地条件は東京圏にあり、地理的な優位性をフルに活用

 ② 卸売市場対応として、産地直送可能な量販店への流通拡大

 ③ 海外(特にアジア諸国)への輸出拡大

 ④ グリーンツーリズム(都市と農村の連携交流)

 ⑤ 農産物直売所(道の駅)の拡充と観光農園と旅ツアーとの連携

 ⑥ 具体的な販路拡大事例
   ・商品規格・ネーミング・包装・デザインなど「やまなし」イメージが出来るような
   斬新な取り組み
   ・学校給食や福祉・医療施設・企業への給食食材として提供
   ・レストラン・ホテルで山梨オリジナルのメニューを開発
   ・コンビニとの弁当・飲料・デザートなどの連携事業
   ・菓子メーカーとの連携による地域食材の活用

3)戦略3(情報戦略):企画力・提案力のアップ
  ・市場動向調査・マーケティングリサーチ・消費者ニーズ
  ・消費者モニターとの連携
  ・産地情報の発信・的確な情報発信・配送システムの確立
  ・対象者をイメージした商品開発(女性・若者)
  ・キャラクターの活用
  ・インターネットを活用した販路拡大

  

12

マーケティング・アングル
で見る山梨の「食」
山梨の「食」で
想起されるもの

1)今年は「鳥もつ煮」がB-1グルメでグランプリを受賞したが、鳥モツ煮を知らない
  山梨県人が多い(少なくとも、積極的に県外に発信して来なかった)
2)ブドウや桃、ワイン、吉田のうどんの方が県内で良く認められている
3)山梨の食事処には、「そば、うどん、カレー、寿司」ののぼりを良く見掛けるが、
  客の要望で自然発生的に増えて行った意味合いが強い(新規開発されてはいない)
4)山梨はファミレス店が全国で一番多い(飲食店=人口1,000人当たり4店舗強)
5)山梨の「食」のブランディング(顧客や消費者にとって価値のあるブランドを構築
  する為の活動)における課題を考える必要有り(役者は揃っているのに何故?)

マーケティング論における「欲しいキモチ」
の捉え方
マーケティングの流れ

1)ニーズ:ある人の感知する何らかの欠乏感→「お腹空すいたなー」「スカッとしたいなー」
2)ウォンツ:ニーズの具体的解消手段に対する欲求→「(デリーベイの)カレーが食べたいなー」
3)ディマンド(需要):購買の意思・能力・権利を伴ったウォンツ

「食」に関する
製品の分類

1)食事形態の三類型
 ① 内食:自らが調理したものを自らの空間で食べる
 ② 中食:他者が調理したものを自らの空間で食べる(冷凍食品等温めて食べる)
 ③ 外食:他者が調理したものを他者の空間で食べる(レストランなど)

2)形態的製品分類
 ① 財((goods)→ 有形の製品
 ② サービス  → 無形の製品

3)サービスの4大特性
 ① 無形性:認識が困難→プロモーションが困難          
 ② 消滅性:作り置きが出来ない→需給調整が困難
 ③ 協働性:消費者の生産への関与→変動性
 ④ 変動性:品質が変動的→ブランディングが困難

サービスの再定義
から見る「消費」

効用源泉 +他者の活動=従来の「製品」 消費者の活動→効用=残されたマ‐ ケティング
(使い道の元)    ↓     としての可能性            (活用)  の可能性
 ① 財:ヒト  サービス                                 ↓
     モノ  (ストック不可能)→消費能力開発                 ニーズの創造
     カネ
 ② 情報
①②はストック可能
 
  (流通性)
山梨の「食」
(あるいは食ビジネス)
はいかにあるべきか

1)秋葉原モデル(電気街で目利きの利く客が製品の高いレベルを要求(発展)
2)讃岐うどん:うどん屋の中のうまい店を地元の人の多くが県外の客を説得

 「目利き消費者」と「ビジネス」との共創が、強い製品やブランドを育てる

 結論:以上どちらも熱心な地元の客の目利きが、地域の活性化を育てた

此れに対して山梨の場合は折角、果実やワイン、ほうとう、吉田のうどん等の
ブランドが有りながら、地元の目利きが育っていない

3)一方、地域活動として以下の取り組みがはじまっている
  ① 「ワイン・ツーリズム山梨」
  ② 「スローフード甲州」
  ③ 「グアンタス(Ven+)実育山梨」・・・ヴァンフォーレ甲府+(タス


11

甲州博徒の群像
江戸時代後期
の甲州博徒

1)江戸の後期に、日本中の博徒の20%が甲州に居た(全国一位?)
2)当時は養蚕が盛んで、養蚕農家は年に百両(今の価値で600万~1,000万円)
  の収入がある裕福な農家も有り、所詮裕福であるが故に金遣いが荒く博打など
  を打つ者達が多かったが、その博打うちを目当てに博徒が集まる素地が有った
3)博打の勝負はもとより、子供までが賭け事に走るなど風紀が荒んでいた
4)当時の甲府の人口が30万人に対して、取締まり側(武士)は500人程度と少なく
  警備や治安が十分ではなかった
黒駒勝蔵(大親分) 1)村役人の家の出身[上黒駒村(現在の笛吹市)に天保三年(1832年)に生まれた]
2)高い教養(檜峰神社の宮司に教えて貰う)→草莽の志士(そうもうのしし:幕末動乱
  の世に官に仕えず民に在ろうと志した士を言う)
3)黒駒村と竹居村は近距離に有り常に争い事が絶えなかった
4)扇状地の特質
 ① 絶えない水争い(上流の有利さ)
 ② 檜峰神社を中心とした山利用(山林資源)
 ③ 害獣防御の為の村ぐるみの鉄砲所持

以上を背景に黒駒村と竹居村(現在の御坂町辺り)は何かに付け衝突を繰り返す中で、草莽の志士を目指した勝蔵が「黒駒勝蔵親分」としての存在を際立たせて行くことになる
黒駒勝蔵と
清水次郎長
1)二人の立場
 ① 黒駒の勝蔵:山の博徒=地縁による親分子分の関係が強い
 ② 清水次郎長:海の博徒=地縁によらないバラバラな親分子分の関係
                  (子分の多くは各地より集まっていた)
2)清水次郎長について:次郎長は自分の傍に文士を置いて伝記を書かせ、其れを
                「東海遊侠伝」にして江戸でベストセラーとなる本にする等
                の宣伝上手な博徒であった。其れに対して、黒駒勝蔵は
                「東海遊侠伝」の中では徹底的に悪人扱いされた。しかも、
                後世の芝居や浪曲、講談の世界では次郎長は人情厚く
                語られているが、勝蔵は殆ど登場していない

3)勝蔵と次郎長の生涯
 ① 勝蔵は時代の変遷で国内の治安強化が高まり次第に居場所が無くなり、次郎長
   や甲州博徒達と激突した後、博徒人生を諦めて尊王攘夷思想に傾き明治政府を
   後押しする様になって行った(次郎長と争い事をした記録はない)
 ② しかし、新政府の立役者でありながら、明治4年に39歳で処刑されてしまう
   理由は諸説あるが、明治政府は博徒を味方に出来ない立場から博徒時代の
   悪事を理由に捕縛したか、政府の機密事項を知ってしまった口封じなどがある
    いずれにしても、勝蔵の墓は確認出来ていない
 ③ それに対して、清水次郎長は侠客人生から足を洗い、明治26年(73歳)まで
   生きた
                         
勝蔵と次郎長
との激突
1)やがて、甲斐国内の治安取締りの強化→勝蔵は駿河へ
2)一方、富士川水運の駿河への輸送ルート(遠州往還)とは別に、殴り込みルート
  で中道往還や富士山の北側(御殿場)を通る鎌倉往還が有ったが、黒駒勝蔵
  一行は中道(又は鎌倉)往還を使って殴りこみに清水に向かったと思われる
3)しかし、次郎長と勝蔵が対決をしたのかについては定かではない
4)由比(静岡)からの戻りに中道往還を通り国分三蔵・勝沼祐天(いずれも博徒)を
  襲撃し上黒駒に戻っている
5)大宮(清水)から中道往還を通り勝沼犬上郡次郎を襲撃している
6)以上2件の史実が残されているが、勝蔵は次郎長との対決を回避した可能性が有る
その他の甲州博徒
と、今回のまとめ
1)中村安五郎(竹居吃安:竹居(村)のドモヤス(ドモリだったのでこう呼ばれた)で、
  黒駒勝蔵は竹居吃安の子分(竹居吃安も次郎長と争い事をしている)
2)国分三蔵・勝沼祐天・勝沼犬上郡次郎など
3)当時の博徒は多くの子分を持ち、彼等を統括するにはそれなりの力量(手腕)と
  教養が必要で、進んで勉学に励んだ(竹居吃安・黒駒勝蔵)又、家が豊かで村民
  のトップである立場より、それが実力者として徐々に博徒化した一面が有る
4)甲州博徒を含めて、日本人の心の中には侠客・博徒・渡世人を社会の必要悪と
  捉えている部分が有り、多くの博徒の反社会的行動も、内栽(示談)に済ませる
  様に願い出る古文書が多い。後日、ラベルが「黒駒の勝蔵」の日本酒(一升ビン)
  を酒屋で見掛けた

10
       
 山梨における
 「週末農業」の現在
講師紹介
1)15年前にそれ迄の仕事(金融機関のコンサルタント)に見切りをつけて、山梨の白州
  町に移住し、此れからは自然を相手にした生き方に魅力を感じたので、10年前に
  NPO法人(えがおつなげて)を設立した

2)バブル崩壊後の日本の3重苦が山梨移住の切っ掛けとなった

 ① バブル崩壊による不良債権:短期課題でどうやらこの課題は乗り越えた
 ② 産業・雇用の空洞化:正しく海外への工場移転が集中し、国内の活力が低迷
 ③ 総合的自給率の低さ:今後長期的な課題として、この対策が必要不可欠

3)増富に耕作放棄地を借り受けて、都市と農村の交流・連携を通した共生社会作り
  (週末農業や週末林業)の橋渡しをNPO法人が仲介役を引き受けている

週末農業
(週末林業)
1)昨年は週末農業に都市から山梨へ年間5000人が集まっている
2)都市には土が無く、都会に住む人達は自然を求めて進んで農地(畑や田圃)で作物
  を作る事に魅力を感じている。又、遊休農地の開墾ボランティアとして参加している
3)北杜市の増富地区は農地の2/3が遊休農地で、昨年はこの遊休農地を賃貸し全国
  から集まった約500人/年のボランティアにより人力で開墾し約3haの農地が復活
4)木の枝切りや間伐をボランティアが進んで作業する都会の若者達や、学生が長期
  休みに出掛けて来て泊まり掛けで山に入っている
5)農村ボランティアは東京が最も多く、都市近郊の各地から集まっている。又、年齢別
  には20才代が多く、男性より女性の方が約10%多い
6)開墾した畑を活用し小麦を栽培している。又、都会の親子が農作業を楽しく体験す
  る数が年々増えて来ている
7)海外からも大勢集まって来て、昨年はアメリカから半年掛りで来日している

企業の週末
農業活動
1)企業が社員の福祉活動の一環として、地主に遊休農地の小作料を払い、社員が
  週末農業を体験する。その仲立ちをNPO法人が関わっている
2)三菱地所が社会貢献の一環として、都市・農村交流「空と土プロジェクト」を北杜市
  須玉の増富にスタートさせた
3)レストランファーム(都市のレストランに収穫した農産物を有料で届ける)や、
  マンションファームと言い、都市のマンションに住む人達に呼び掛けて、地元も
  参加して棚田を開墾し作物を作る活動「お田植えツアー等」も近年盛んになって
  来た(三菱地所だけで15万世帯がマンションに住んでおり、案内を出すと直ぐに
  満員なる程の盛況ぶりとのこと)
4)新丸ビルにレストランファームで収穫した作物をイベントとして80種類ほどを販売し
  完売した(H21年実施)
5)森林を伐採した枝や間伐材を使って木工製品を作る製品開発を三菱地所が実施

やまなし企業
ファームリーグ構想
1)サッカーのJリーグよろしく、山梨の遊休農地再生企業と連携し、チームごとに独自
  事業を展開中。H21年実施(日経新聞に掲載された)
2)日本の耕作放棄率ワースト3は ① 長崎県(離島が多い)② 山梨県 ③ 長野県で、
  まだまだ山梨における遊休農地はかなり存在する
3)日本は内需型産業を育成しないと自給率は下がり、雇用が失われることをこの
  リーグ構想で発信すると、全国から「遊休農地視察ツアー」が盛んになり、アメリカの
  ウォールストリートジャーナル(金融新聞く)の記事に取り上げられ、イギリスのBBC
  ラジオや米国のCNNテレビでも放送された

食糧自給率 1)世界の農作物の自給率は、オーストラリアが断突で327%、次にフランスとアメリカ
  が100%を超えているが、日本は40%に留まっている(40年前の自給率:60%)
2)日本の各県の自給率は、北海道が200%、秋田と山形が100%を超えているが、
  その他の県は100%に届いていない
3)地球上の農作物は干ばつ等により不作が続き、豪州米が不作で日本向けはゼロ、
  ロシアでも小麦が輸出禁止となっている
4)一方、日本でも農業就労人口が年々減って来ており、此のままでは40年先に農村
  は滅亡の危機に有る(毎年20万人が減少)
5)都市住民の農村志向の高まりが近年続いているが、マルチハビテーション(都市と
  地方の両方に土地を持つ)が流行しているが、ある調査によるとこうした都市住民
  の願望は、70%を超えるとの報告も有る
6)一方、農山村の高齢化、過疎化が限りなく進む中で、新たに多様な担い手が社会
  構造上からも必要となる
7)ロシアのマルチハビテェーションである「ダーニャ」は菜園付き別荘を意味するが、
  日本の別荘とは異なり、別荘と小屋の中間的存在。しかし、都市とダーニャを行き
  来する中で作物を作る習慣が古くからあり、ロシア国民の60%と高く作物不足の
  危機の中でも食料は安定している
8)企業の社会的責任としてCSR(Corporate Social Responsibility)があるが、
  行政・民間・非営利団体のみならず、企業も経済だけではなく社会や環境等の要素
  に責任を持つべきとの考えより成立した概念で、近年多くの企業が植林をしたり
  河川の清掃などに取り組んでいる
9)日本経団連が1%(ワンパーセント)クラブを立ち上げたが、経常利益の1%以上を
  社会貢献事業に拠出すると言う構想(1990年立ちあげ:現在271社)

今後の課題 1)都市住民の田舎暮らしの壁

 ① 家族の壁:家族の中に田舎の生活を好まない人がいる場合
 ② 経済の壁:予算に応じた理想の土地や家が見つからない
 ③ 仕事の壁:今の職場に未練はないが、田舎で再就職が出来るかとなると難しい
 ④ 医療福祉の壁:子供の急病などの対応が心配
 ⑤ 田舎での人間関係の壁:田舎で友人関係が出来るか否かが心配
 ⑥ ライフ&ワークスタイルの壁:都会の友人や仕事関係が希釈にならないか心配

2)企業の農的活動の課題

 ① 企業の中に適した人材がいない
 ② 農村との距離が問題(移動時間が掛り過ぎるなど)
 ③ 実施する上のメリットやリスクが見えない
 ④ 活用した事が無いので、出来るかどうかが心配

以上の課題に対して、企画講座や都市と農村の交流活動を今後発展させる事が必要
具体的にはこうした活動により、年間10兆円、100万人雇用の可能性等の検討が望
まれる

9.
甲州を描いた
浮世絵師達

広重、豊国、国芳、北斎
甲府の道祖神祭り
道祖神祭りは「どんど焼き」の事ですが、正月飾りの門松を燃やし無病息災を祈る行事です。しかし、江戸時代の甲府は街中で火を燃やすと危ないので、各家では道祖神祭りに道祖神幕[1.63m(幅)×10m(長さ)]を飾りお祭りを盛り上げたそうで、その幕に描く絵を江戸に住む浮世絵師達が甲府に来て描いたとのこと。しかし、当時は100枚以上は有ったと考えられる幕が現在は3枚のみ残っているそうです。
安藤広重 1)天保12年(1842年)に広重が道祖神幕を描く為に2回来山していますが、前半の道祖  神幕は焼失し、後半の幕が近年アメリカで再発見されたそうです。
2)酒折に在る「善光寺」の境内を広重が描いたスケッチ画が残っていて、現在の善光寺  の建物そのものを描いています。
3)安藤広重は別名を歌川広重と言いますが、浮世絵師としては後者が正しい様です
 (広重は、安藤家の家督を継いだ事から安藤の姓が一般的に知られているが、
  浮世絵師として「東海道五十三次」を制作した広重は、歌川広重を名乗っている)
三代目豊国(国貞) 1)現在3枚の浮世絵が残っており、弘化4年~嘉永5年(1848年~1853年)の作品
2)いずれも、「甲州善光寺境内之図 初午」で別名「王子稲荷初午祭ノ図」(今の甲府市)
 ①善光寺境内で虚無僧姿の女性が描かれていて、和泉屋市兵衛(本屋)の印とこの
   絵をチェックした改印(あらためいん)がある(いずれの浮世絵も同様)
 ②同じく子供を背負った女性を描がいた浮世絵で、女性の着物の柄に「鎌+○+ぬ」
  が連続して描かれていて「構わぬ」と読み、此れは歌舞伎役者の市川団十郎が
  好んだ図柄との事。しかも、この絵には歌が詠まれている(歌の紹介省略)
 ③子供と遊んでいる女性で、何故かお歯黒だが眉は剃っていない不思議な姿。女性
  は歌を詠んだ絵馬を持ち、子供が持つ旗には村田(本屋)の文字が有りスポンサー
  の名前との事。しかも和服には括り猿の模様が有り市川小団次が好んだ図柄
3)いずれも、甲府の本屋や菓子屋(升太)などスポンサーの文字が書き込まれている
  が、浮世絵は一回に200枚を刷るのが一般的で、スポンサーが金を出していた。
国 芳 1)国芳は、甲斐名所双六を描いているが、弘化4年(1848年)に甲府に滞在している
2)国芳が残した三枚の浮世絵
 ①甲州一連寺([正木(しょうのき)稲荷之略図]を背景に、煙草入れとキセルを持った
   女性を描いているが、江戸の本屋の和泉屋市兵衛が作らせた。尚、正木稲荷は
   甲府の遊亀公園(動物園)に有る稲荷神社で、現在も正木祭で賑わっている。
   尚、一連寺は元々今の甲府城に有ったが、城を建てる時に現在の場所に移した
 ②同じく、正木稲荷納涼の時に振り袖姿の女性が描かれていて、背景に歌が詠まれ
  ている浮世絵で、作者名が吉岡舎(きっこうしゃ)と書き込まれている。
 ③同じく、女性が描かれていて、手に持った手拭いには本屋の村田の文字が有り、
  背景にある幟には甲府の芝居小屋のカメヤ座が描かれている。又、遠景には富士
  山と緑橋や柳橋(現在の相生町辺り)が描かれている。
葛飾北斎 1)北斎は冨嶽三十六景で有名だが、その中で「甲州三坂水面」の浮世絵は、雪の
  ない富士と河口湖の冬の逆さ富士が描かれていて、一見不釣り合いだが江戸
  時代は、冬の富士を描くことが多く恐らく当時の信仰心によると考えられる。
2)三坂は現在の御坂峠だが、どう見ても御坂峠からの富士とは形が違うので、江戸
  に居て書いている可能性が有り実景を観ていないかも知れない。

8.

金山衆と戦国時代
甲斐金山のイメージ
1)隠し金山:金山は枯渇すると別の場所に移動し、その情報は極めて早く隠せる訳
  がない
2)囚人による過酷な労働:一部にそうした事実が有ったかも知れないが、一般的には
  金堀り(かなほり)と呼ぶ集団で構成され囚人達では無かった
3)武田氏の財宝:確かに甲州金として武田氏が金塊の一部を徴収したが、それは4:6
  又は5:5程度で金山を直営し全てを取り上げた訳ではない
4)おいらん淵伝説:あくまでも伝説であるが、武田勝頼が徳川軍に敗北し、黒川金山
  を廃坑にする時に55人のおいらんを集めて宴をやり、宴台で踊るおいらん達を
  宴台ごと淵に落し溺死させ口封じをした逸話の様だが、事実は不明

  以上、甲州金山には事実とは違うイメージがある
金山衆とは 1)日本中に多くの金山・銀山がある中で、甲斐の国の金掘り達のみを金山衆
  (かなやましゅう)と呼んだ。他の金山・銀山の金掘り達は金山衆とは呼ばない
2)彼等は各自が独立した立場を持ちながら集団を形成し雇用され臣従した訳ではない
  が、ほとんどが家内工業の域を出ない小規模経営であった
3)其の金山が枯渇すると次々に別な場所に移動する遍歴の民であった
4)極めて情報が早く、金塊を商人に売り日用品や貨幣に替える中で、商人から情報を
  得ていたと考えられる
5)金山衆は鉱山技術者で、鉱山経営者でもあり独立した職人でもあった
6)金山が枯渇して行く中で、江戸時代になると土木事業に転出したり鉱山経営を廃業し
  里に下る人も多かったが、土地を持たない彼等を金山下り(かなやまくだり)と呼び
  軽蔑された 
甲斐の金山 確認されている金山は、黒川山金山、西八代郡の金山、南巨摩郡早川町の金山で、
下部に有る湯之奥金山や丹波山にある丹波山金山なども知られている。しかし、調査
が済んでいない金山が多く名前のみの金山が沢山ある
金の採掘 1)金鉱石を挽き臼で細かく砕いて、多量の水に晒して金の粒を見付ける
2)しかし、不純物や金では無い物質を含んでいるので精錬をする。その精連方法は、
  銅を混ぜて加熱すると、銅に金のみが付くので残りの鉱石を除去したのちに銅と金
  を分離する
3)黒川金山遺跡より出土の金粒付着土器(素焼きの小さな皿)と、勝沼氏館跡で確認
  された工房跡からも土器が見つかっている
まとめ 1)武田信玄の時代に甲州金が多量に作られて、武田の財力が潤沢になりこの甲州金
  により武田信玄は大いに発展したことになっているが、その甲州金を産出したのが
  金山衆達で、産出した金を5:5又は4:6として徴収したことと、採掘した金を運ぶ馬
  一疋にいくらと言う形で通行税(駄別役)を掛けて、武田氏の鉱山に対する収益に
  なっていたのが実態で近世の徳川幕府の様な金山を直営していたのではない

2)金山衆は田地役・公事役・本棟別(家屋税)等を免除されていた。恐らく他の職人の
  場合と同様に製品(金)の納入を義務づけていたと思われる

7.

「農」の視点から
振り返る山梨ワイン
戦前・戦中迄
の山梨ワイン

1)果樹産地としての山梨
 ・江戸時代からブドウを江戸まで売りに行った(山梨は日照条件が良く特に甲州種
  の生産に向いていた)

2)国産ぶどう酒と甘味ぶどう酒
 ・国産ぶどう酒は、とにかくスッパイぶどう酒で評判が悪かった
 ・一方、「赤玉ポートワイン」は安く親しまれていたが、スペイン産ワインにシロップを
  加えた甘味のあるぶどう酒は評判が悪かった

3)デラウエア種の導入とブドウ種
 ・デラウエア種(アメリカ)は害虫に強く導入に成功した
 ・一方フランス種は害虫に弱くすべて失敗した

4)観光ぶどう園のはじまりとぶどう酒
 ・中央線の開通と大いに関係がある
 ・しかし、最初は食用ぶどうが中心で、ぶどう酒は人気が無かった

5)経営の安定化と醸造製造
 ・食用に供しないクズぶどうをワインにする製法が一般化した
 ・国策により大正時代には3000社を超えるぶどう酒会社が誕生した(現在でも
  国内に200社あるぶどう酒メ-カ-のうち81社が山梨に有る)

6)農家によるぶどう酒醸造会社の設立
 ・戦時中は自由にぶどう酒を作る事が出来ず、密造酒が出回った
 ・そこで、農家は組合を作り製造することになった(75社)

7)ぶどう生産の供出制
 ・戦時中は軍の命令でぶどうは米作に転作させられた
 ・しかし、ぶどうからとれる酒石酸が潜水艦の音波を遮る効果が有ることで、
  海軍への供出用としてぶどうの生産が復活した

戦後のぶどう酒 1)酒ブームと信用を落したぶどう酒
 ・昭和20年代に酒が良く売れた
 ・しかし、ぶどう酒の品質が悪く(すっぱい)信用を落とした:ラビット・ワイン
  (ワインを飲んだ兎が余りのすっぱさに飛び跳ねたとか)
 ・しかし、昭和30年代にかなり良くなった

2)笹子トンネルの開通
 ・天野久知事たちの努力によりトンネルを使って県外にぶどう酒が運ばれた
 ・富める山梨へ

3)第一次ワインブームの始まり
 ・東京オリンピックと大阪万博を機会にぶどう酒が飲まれるようになった
 ・洋食がブ-ムとなりぶどう酒の需要が増えて行った
第一次ワインブーム
以後の山梨
1)県外ワインメーカーの進出と効果
 ・若いワイン技術者が県内に入って来た
 ・山梨大学にワインの研究施設が整った
 ・中小ワインメーカーのレベルが上がった
 ・大手メ-カ-が専用種を山梨に持ち込んだ
 ・垣根栽培が流行した

2)果樹振興特別措置法の制定
 ・昭和36年あたりから米が余って来てぶどうの生産に転化する農家が増えて来た
 ・景気が上向き給料が上がりぶどう酒の生産も上向いたが、しかし、ぶどう酒農家は
  余り恩恵を受けなかった(生食用ぶどうが中心)

3)酒税法の改正と干しぶどうの輸入
 ・ぶどう酒の税率があがり農家にとってメリットが無くなって行った
 ・当時海外から干しぶどうが大量に輸入されたが、生のぶどうより4~5倍甘い

4)醸造技術の進歩と生産技術の遅れ
 ・山梨大学で人材を育成したり農家が組合を作って醸造技術が向上した
 ・反面、棚によるX型長梢(ちょうしょう:長く伸びた枝)栽培は生産性が低く欧州で
  採用されている垣根栽培方式(コルドン)に変えることが必要だが、現在も変わっ
  ていない

5)山梨県需給安定協議会の設立と解散
 ・甲州種(白ワイン)とマスカット・ベリ-A(赤ワインの安定供給を目的に昭和43年
  に設立した ・甲州種とベリ-Aの安定供給が整った(昭和60年)
 ・しかし、運営が思う様に行かず平成6年に解散
その後の山梨
のぶどう酒
1)ジベレリン処理とワイン原料の供給
 ・ジベレリン処理(種無しぶどう)は生食用には向いているが、ワインの原料としては
  多量に出来過ぎて返って品質が悪くなった

2)災害とワイン生産
 ・伊勢湾台風(昭和34年)によりぶどう畑が壊滅的な被害を受けた
 ・そこで、水はけの良い斜面に作られていた畑を平坦地に移す様になった
 ・平坦地に作られた畑は機械化による耕作が可能であるが、斜面の畑より水はけが
  悪く病害虫によるぶどうへの影響が顕著になった

3)山梨でドイツのワインにエチレングリコール(車の不凍液)を混入し甘味を偽って
  販売した事件で全国的に評判を落とした
これからの山梨
のワインの将来
1)県外のぶどうの生産が年々増加している(長野や北海道など)

2)少子高齢化の関係でぶどう農家が高齢化し、後継ぎが減少傾向にある

3)しかし、近年山梨ワインの評価が上がって来ているので、ぶどうの生産を増やす
  政策が必要になる

4)そうした中で、サッポロワイン(勝沼ワイナリー)が生産を止めることが報じられており
  危機感を感じる(山梨大学と共同して海洋酵母を使って醸造したワインで知られる)

5)山梨にはワインセンター(勝沼)と果樹試験場そして山梨大学ワイン研究科など
  ワインにとって優れた人材や経験(知識)をもつ日本唯一のワイン王国であり何と
  してもワイン技術を発展させて世界に発信して行かねばならない

6.

天野久とその時代

天野久の紹介

1)明治25年(1892年)笹子峠の近くの名主の家に生まれる
2)天野家は一度没落するが貧窮の中で刻苦勉励し、28歳で酒造会社を買取り県下最大の酒造
  会社笹一酒造)に成長させた(苦労する母親の姿を見て女性の役割重視の心が育つ)

3)昭和26年(59才)より山梨県知事を16年(4期)務めた
4)昭和43年76才で死亡(知事を退いた翌年)

5)彼は極めて現実主義者で、既成の観念や権威への反発心が強く、嫌いなものは
  インテリと官僚と饒舌な人。賭け事(賭博)も大嫌い
6)大変なアイデアマンで、強い意思と信念を持ち逃げない・ぶれない人であった
7)大きな包容力と冷徹な計算→聞き上手にして自説を曲げない

太平洋戦争後の
山梨の社会情勢
(3つの勢力の流れ)
①)GHQ主導による農地解放→自作農→農民組織化=革新右派・保守左派
②)製糸業・製材業隆盛(金持)=保守右派
③)労働運動の活発→官公労中心=革新左派

以上3つの勢力が戦後の山梨に存在する中で、初回の知事選挙では官選知事の流れの中で吉江勝保(役人)を選出したが、昭和26年の2回目の選挙で天野久が当選する

天野久知事誕生の経緯と背景
1)戦後の政治と民主化の波
2)戦後の構図として、庶民とエリ-トの戦い(県民と官僚に寄る権力の戦い)
3)大衆選挙の恐ろしさ
4)山梨の保守と革新

以上4つの背景の中で、①~③の勢力との関係で新しい人材として天野久が選出された
天野県政の足跡 1)富める山梨(スロ-ガン)・・当時の一人当りの県民所得が全国47県中43番目
 ・南アルプスにス-パ-林道を造り、天然林の切り出しを活性化させた
 ・野呂川(南アルプス)の水を御勅使川に引き入れて水不足の原七郷を豊かにした
  しかし、その後大水害を引き起こす原因となった
 ・笹子峠にトンネルを造った(果樹農家は笹子峠を越えて東京へ運んでいた果樹を
  早くしかも傷まずに送れることに大変喜んだ)
 ・農業を近代化させ、当時新潟米が一反歩あたり3.5万円の時に10万円を目指した
 
2)人作り
 ・県立女子短期大学を作ったが、母親への敬慕が根底にある。しかし、山梨の女子は
  10%以下で、殆どが長野や静岡からの学生。山梨の優秀な女子は東京に出てしまう
  しかし、天野久は一向に気にせずに「山梨の事は山梨で育てる」と言い、極めて
  土着性が強かった
 ・新制高校を多数作ったが、県の財政は大変であった

3)地方病の撲滅
  ・地方病(日本住血吸虫)は貧乏県の象徴との発想から、徹底的に撲滅した
  ・灌漑用水路はコンクリ-ト化して、宮入貝の駆除を徹底的に実施
  ・河川の多くも護岸をコンクリ-トにした
  ・山梨県は1996年(平成8年)に流行終息宣言を出したが、天野久が残したこの
   功績の意味する処は大きい

4)政治の目線が常に県民に向いていた
  ・大衆迎合が大嫌いだった
  ・土着性が強かった
  ・とにかく都会が嫌いで、「山梨は山梨で育てろ」が口癖だった
  ・天野久には都会へのコンプレックスが無かった
大衆選挙の難しさ  ・第一回選挙:天野久知事誕生の経緯と背景(上記)に加え特定郵便局長と3教組
  からの支援を受けて対立候補(吉江勝保)を上回る得票で当選した(45代)

 ・2回目選挙:保革連合し当選(46代)

 ・3回目選挙:革新をまとめ切れなかったが、特に3教組が分離。しかし結果は当選
  できた(47代)

 ・4回目選挙:農民票が革新に付き完全な仲間割れであったが、当選した(48代)

 ・5回目選挙:田辺国男との一騎打ちで有ったが、意地も有り出馬するも落選
  当時成立した農民基本法(弱小農家切り捨て)も、不利となった

 ・その後、田邉国男と望月幸明が3期ずつ知事を務めた後、天野建(天野久の3男)
  が金丸信の支援を受けて、草の根知事として3期務める。

 尚、カッコ内の数字は戦前からの官選の回数を含めている


山梨における農業
教育の現状と課題
農業教育
(全国)

1)明治~大正
1.1)初等・中等教育
 実業補習学校(明治26年)
  目 的:諸般の実業に付く児童に小学校教育の補修と同時に簡易な方法でその職業
      に必要な知識・技能を教育する
  入学資格:尋常小学校卒業以上等
  修業年限:3年以内

 徒弟学校(明治27年)
  目 的:職工として必要な技能を教育する
  入学資格:年齢12才以上及び尋常小学校卒業以上
  修業年限:6ヶ月以上4年以内
  授業時間:日曜日又は夜間、地域の状況に寄り季節を限定して行う
 
 簡易農学校(明治27年)
  目的:簡易な方法で農事教育を行う
  入学資格:年齢14才以上
  修業年限:定めない。農閑期などに開設する

 実業学校(明治32年)
  目 的:工業・農業・商業等の実業に必要な教育を行う

 ・農業学校(明治32年)
 a)甲種農学校
  入学資格:年齢14才以上、修業年限4年の高等小学校卒業以上(但し試験科目に
         外国語を加える)
  修業年限:3年、但し1年以内の延長が出来る
  授業時間:実習を除き毎週30時間以内、実習時間は農事の繁閑に応じて行う
  甲種農学校に付属出来る科
 ・予科
  入学資格:年齢12才以上、高等小学校第2学年終了以上
  修業年限:2年以内
  授業時間:毎週30時間以内

 ・専攻科
  目的等:卒業の後に特に農業に関する1科目(又は数科目)を専攻する
  修業年限:2年以内

 ・補習科
  目的等:更に高等の農業学校に進む為の補修を行う
  修業年限:2年以内

 b)乙種農学校
  入学資格:年齢12才以上で、修業年限4年以上の尋常小学校卒業以上
  修業年限:3年以内
  授業時間:実習を除き毎週27時間以内、実習時間は農事の繁閑に応じて行う
  
 c)別科(農学校に附設できる科)
  目的等:農学校には簡易な方法により農業に必要な事項を教育する為の別科を置く

1.2)高等教育
  専門学校令(明治36年)
   目的:高等の学術・技芸を教育する
   入学資格:中学校若しくは修業年限4年以上の高等女学校を卒業したもの又は、
          これと同等の学力を有すると認められた者
   修業年限:3年以上

  実業専門学校
   例えば、
   盛岡高等農林学校 →盛岡農林専門学校 →岩手大学農学部
    (明治35年)      (昭和19年)        (昭和24年)
   鹿児島高等農林学校→鹿児島農林専門学校→鹿児島大学農学部
    (明治42年)       (昭和19年)        (昭和24年)

  帝国大学
   目的:国家が必要とする学術・技芸を教育する

2)第2次世界大戦後
 2.1)後期中等教育
  新制高等学校・・・農業高等学校

 2.2)高等教育
  短期大学・大学・大学院:農学部など(生物資源生産学など)
  
山梨県の農業教育 中等教育(農業学校~新制高等学校)
 ・峡東地域:山梨県養蚕教習所(明治28年)・・現在の県立石和高等学校
         山梨県園芸高等学校・・・笛吹高等学校

 ・峡中地域:山梨県農林高校(明治37年)・・・現在の県立農林高等学校
 ・峡北地域:北巨摩郡立農学校(大正4年)・・現在の県立峡北高等学校
         県立峡北農業高等学校・・・現在の北杜高等学校
 ・峡南地域:峡南農工学校(大正12年)・・・現在の県立峡南高等学校
 ・郡内地域:県立岳麓農工学校(昭和13年)・・・県立岳麓農工高等学校→
                               県立吉田高等学校
高等教育(短期大学・大学・大学院)
 ・山梨大学が農学系学部:生命環境学部(仮称)を検討中
  その他、生命工学科・ワイン食物科学科・環境科学科・社会経営学科など
  農水省が定めた
  教育施設関係
1)農水省が定めた明治期の学校
 ・札幌農学校
  開拓使の仮学校(明治5年に芝増上寺に作った)→札幌学校(明治8年)→
  札幌農学校と改称(明治9年))→東北帝国大学農科大学(明治40年)文部省所管
  →北海道帝国大学へ(大正7年)

 ・駒場農学校
  農事修学場(明治7年に内藤新宿農場内に)→東京山林学校と合併して東京農林
  学校(明治19年)→東京帝国大学農科大学(明治23年)文部省所管

 ・東京山林学校:樹木試験場(明治15年に西が原に設置)

2)山梨県における文部省所管でない学校
 ・農事講習所:県立農事講習所(明治15年)→県立農学校(明治18年、翌年廃校)
 ・農会技術員養成所(昭和10年)
 ・農業技術員養成所(昭和18年)
 ・農事試験場農業講習施設(昭和22年)
 ・農業大学校(昭和45年)
 ・専門学校山梨県立農業大学校(平成20年~)
 山梨における農業
 の現状と課題
1)耕地面積:50,500ha(1960年)→27,200ha(2000年)54%に減少
2)総世帯数に対する農家世帯数
 ・1960年(昭和35年)・・・16.4万世帯(総世帯)の50% (農家世帯数=8.2万世帯)
 ・2000年(平成12年)・・・30.9万世帯(総世帯)の9% (農家世帯数=2.78万世帯)
3)県総人口に対する農家人口
 ・1960年(昭和35年)・・・総人口(78.2万人)の57% (農家人口=44.5万人)
 ・2005年(平成17年)・・・総人口(88.4万人)の10% (農家人口=8.8万人)

4)少子高齢化社会の中での課題
  4-1)経営の機能(農家は生産だけでは無く経営全般に取り組む)

経営の機能 今迄の農家 此れからの農家
企画
(ビジョン作り)
政府・JA すべてを
農家が行う
生 産 此処だけが
農家の仕事
販 売 (JA)
開 発 種苗・農機・肥料
農薬等の業者

 4-2)その為の農業教育の方向性
  ・農林高校の場合
高校入学迄に家業として初歩的農業技術を身に付けた上で高校教育を履修する 3年間の学校教育の中で農業の基礎や地域と農業の関わりを段階的に学習する

 ・農林高等学校と専門学校農業大学校の教育連携

 1)農業の担い手として必要な下記を農業高等学校で学ぶ
  a)県内5ブロックの農業の現状に付いての調査研究
  b)生産現場での栽培技術を農業大学校で学ぶ
  c)各地域の先進経営を直に学ぶ(農業経営座学、農業簿記、マ-ケティング演習)
  
 2)上記を学習した上で、専門学校農業大学校で継続教育を受ける
   


  昭和初期の山梨
  の農民運動
   -樋口光治伝-
  農民運動家「樋口
  光治」氏の紹介

1)1)明治30年(1897年)現在の甲府市国母に樋口家の四男として生まれる
2)家は小作農家で、兄達が3人いたが、長男と二男は地方病で早くに亡くなり、三男は
  幼なくして亡くなったので光治が家を継ぐことになる
3)少年時代の小作農家は極めて貧乏で、いくら働いても小作料が高く僅かな野菜を街
  で売り歩いて生計を立てていた
4)家が小作農家で有ったが、光治は学校の成績が良く地主の薦めで県庁の給仕に
  なるが父親の病気で県庁勤めを辞めて農業を始める(明治44年:光治14才)
5)光治は頭が良く弁が立つので、青年団長をやったり日比谷公園での青年改造連盟
  発会式へ参加するなどをしながら次第に農民運動家として活動する様になった
6)大正から昭和初期に掛けて小作争議が全国的に活発になる中で、小作争議による
  小作料減免活動等で地域の中心人物となり村会議員となる(大正15年)
7)戦後、山梨県会議員に社会党から出馬し当選。地域の制度改革を目指すが、
  しかし、次期選挙に落選し更に農地改革制度が成立したことで、小作農家が少なく
  なるに連れて農民運動から離れ、晩年は自治会長などをして過ごし1995年に98才
  で亡くなる
 明治から大正初期
 の山梨の小作農家
1)山梨は小作農家が全国平均でその割合が多かった
2)とにかく収入が少なく下着や着替えを買う金もなかった

           Ⅰ反歩当りの労賃+収益の合計(大正2年) 単位:円
田圃の質 上 田 中 田 下 田
地 主 19.709 16.439 16.113
自作農家 45.829 36.00 26.005
小作農家 25.819 19.461 9.005
          
          但し労賃を含めない収益のみの比較では
自作農家 37.309 27.24 16.39
小作農家 16.804 10.251 0.23
          何と、下田の小作農家の収益は1反歩あたり1円以下で、小作料による
          収益が16円(働かない地主や自作農家)と較べて極めて少ない

3)しかも、地主の権力は絶大で反抗しようものなら土地を取り上げると言う脅迫に晒さ
  れて小作農家はビクビク生活をしていた
4)しかし、地主と小作人の親分子分としての繋がりが有り仲々この制度を打ち破る事
  が出来なかった
大正後期~昭和初期に掛けての農民運動 1)大正後期以降に農民運動が起こり、小作争議が全国に展開される中で、山梨でも
  小作料の減免活動が活発になった
2)減免率が徐々に進んで、大正後期に10%~20%であった減免率が、昭和初期には
  50%、つまり小作料が半分になった
3)こうした時代の趨勢により特に大地主たちは小作農家との関係を諦めたり、土地を
  手放して東京に移り住む地主が出現した(大正中期から昭和初期)
4)しかし、一方自作農家は土地を手放す事が出来ず、小作農家と敵対する関係が
  その後も続いた
戦中から戦後の
山梨の農民運動
1)戦時中は、大政翼賛会(国粋主義的勢力から社会主義的勢力までをも取り込んだ
 左右合同の組織)の看板を背負っての農民運動であったが、表向きは賛同を装いな
 がら裏で活動をする状態が続いた
2)しかし、農民運動だけでは農村の貧困は良くならないことを樋口光治は実感する
3)我々はプランメ-カ-にならなければならないと考えたが、しかしなり得なかった
4)戦後は、社会党(右派)に入って県議会議員になり農協の結成や農地改革に取り
  組んだが、二期目に落選してからは、地域つくりへシフトして行く(社会党が労働
  組合政党に変わって行った事も要因のひとつ)
5)昭和22年に法制化された農地改革は山梨の場合はスム-スに進んだが、当然
  のことながら土地を奪われた地主の多くは樋口を恨んでいやがらせが続いたが、
  その後は没落の一途をたどることになる。その結果、山梨県全体では農家の26.6
  %を占めた小作農家が4.5%に減少し、農地の87.6%が自作地となり小作料は
  耕作者本位に定められて、小作料減免が問題となる事態はあり得ない事になる
まとめ 1)明治以降の農民運動は、日露戦争勝利や第一次世界大戦を経て大正デモクラシ-
  の流れの中で、徐々に変革が進んだ
2)大正後期以降大地主の中に土地を手放したり、小作農家との付き合いを止める者
  が多く出たのは、やはり時代の趨勢からであろう
3)特に、明治以降国民が全て小学校へ通う制度が確立した事が、国民の学力を高め
  社会との関わりに目覚めて行き農民運動が盛んになった基盤が此処に有ると思う
4)こうした明治~昭和の時代を生きた「樋口光治」氏は上手に話が出来る人で、戦略
  ・戦術に優れていて本人はプランメ-カ-になりたかったが、小作組合員時代に村
  八分にあったり、戦時中に組織化された大政翼賛会の日本的ファシズムや戦後の
  社会党の政策と相いれない(社会党が労働組合政党に)思想的背景などから政治
  活動から離れて行ったと思われる。しかし、一生を通した信念の有るその農民運動
  は、高く評価されて良いと思う。(ある農民活動家の百年:山本多佳子著を読んで)

3.

「道の駅とよとみ」
の挑戦
旧豊富村の紹介
-現在中央市-

1)玉穂町、田富町、豊富村が4年前に合併して中央市が誕生した。市の命名は、
  甲府盆地のほぼ中央に有る事から名付けられた。
2)豊富村はかつて(明治時代以後)は養蚕が盛んで、日本で有数の産地であった。
3)しかし、次第に養蚕がすたれて、スイ-トコ-ンや桃、スモモなどの果樹農家へと
  転換していった。
4)こうした農作物の販売を目的に、H10年に「道の駅とよとみ」が誕生した。
道の駅とよとみ 1)当初は36軒の農家で立ち上げたが、現在は187軒の搬入委員会で運営している
2)優秀な農業アドバイサ-の協力を得て、より高い農作物の品質管理に取り組んでいる
3)地産地消を心掛けて豊富以外の農家よりの入荷は受け付けていない。
4)特にスイ-トコ-ンは人気が有り、農産物の売り上げ(年間)2億3000万円の20%
  を占めている。
5)朝採りした野菜が人気:野菜は夜水分を吸収し昼間太陽の光で成長するが、逆に
  野菜から水分がなくなる。朝採りは野菜に十分水分が凝縮しているので、ス-パ-
  の様に市場で仕入れた前日の野菜より甘くて美味しい。農家では早朝に畑に出て
  収穫し、6時半(開店は9時)には道の駅に並び、野菜置き場は早い者勝ちなので
  競い合って良い場所取りを行っているとのこと。
6)加工施設を構内に造って、自前の野菜を利用して商品化し販売している。
  ・トウモロコシ焼酎やトウモロコシワイン
  ・ボイルコ-ン(スイ-トコ-ンを茹でて真空包装し年間を通して販売)
  ・フジザクラポ-ク(県推奨豚)を使って手作りハムやウインナ-などを販売
  ・手作り味噌の販売
7)駐車場は68台とまあまあなのだが、来場者が多くいつも混み合っている。
8)中央道の甲府南ICを出て、国道140号線を豊富方面に4km程走ると、左手に青い
  屋根の道の駅が見えて来ますが、ICも近くロケ-ションの良い場所に有ります。
9)この道の駅には「シルクの里公園」と呼ぶ公社が経営する温泉施設や宿泊設備、
  レジャ-設備などが有る。
農産物直売所を
核とした取り組み
1)消費者との交流
 
1-1)搬入委員会を中心としたイベントの開催
   ①野菜の袋詰企画(1月)
   ②スイ-トコ-ン収穫祭(6月):1日に2万5千本を販売
   ③桃の収穫祭(7月)
   ④漬物(野沢菜など)祭(10月)
   ⑤鍋祭り感謝祭(11月)

1-2)観光の窓口としてバス会社とタイアップして県外からの観光客を受け入れている
   ①野菜の袋詰め放題ツア-
   ②収穫体験ツア-(スイ-トコ-ン、イチゴ、ナス、野沢菜狩り)

1-3)講習会等の開催
 ・農業経営アドバイサ-を招いて、野菜栽培や、新品種などの講習会を開催して
  地域農家の活性化を図っている。
 ・農家以外の道の駅を訪れた人達を対象にした講習会も実施している。
 
2)地域との関わり
 ・朝採りした農産物を買い求めに大勢の人が行列を作るほど賑わっている。
 ・生産者の160名以上がボランティアとしてイベントに参加し、道の駅を盛り上げている
 ・しかし、農家(搬入委員会メンバ-)の平均年齢は63.3才でやはり高齢化は此処で
  もこれからの課題となっている。

3)環境保全型農業の推進
 ・下水道が100%普及している。
 ・下水の汚泥と家庭から出る生ごみは全てコンポスト化している。
 ・汚泥と生ごみを再資源化して肥料として格安に農地へ還元している。
 ・かつての桑畑は荒廃農地として活用されていなかったが、現在は花モモやぶどう
  畑(ワイン用)などに有効活用されている

   コンポスト化:堆肥化すること
 
全国直売所甲子園
2009で全国1番に
1)2009年10月に東京で開催された全国直売所2009で、全国(1万3000ヶ所)で    一番になった。
2)その後、民放局やNHKの夕方の番組で紹介されて、一躍有名になり特に土日は
  県外からの人達で大変賑わうようだ。
3)プレゼンのまとめ方に一工夫(プレゼン資料をビジュアル化)したり、揃いの帽子をか
  ぶった50人の農家の人達がバスで会場に出向き、声援した事も審査員に好印象
  を与えた。
4)地元の新聞社からの取材や、山梨県から表彰されるなどの栄誉を受けた。
見学まとめ 1)講演のあと休日に孫を連れて現地に行って見たが、かなりの客で混み合っていた。
2)思っていたよりも建物は小さく狭さを感じたが、野菜コ-ナ-はその一角だけで、
  特産品や土産物のスペ-スの方が広く、この点は普通の道の駅と変わりはなかった
3)ハトバス御一行様の歓迎看板を見かけたが、マスコミに取り上げられた宣伝効果が
  功を奏している様に感じた。
4)駐車場の広さがは今迄に行った道の駅よりやや狭く、あれでは混雑は仕方がない
5)しかし、農家を中心とする法人組織を作り、農産物の直売を自主運営している意気
  込みはさすがであると感じた。
6)確かに奥に加工施設が有り、特産のハムやソ-セ-ジやウインナ-そして、此処で
  作られた味噌やフトクリ-ムなどが販売されていた。(講義で発表の通り)


2.





鎌倉時代初期
の甲斐源氏

-源頼朝との関係-
河内源氏の存在
1)源氏は河内(摂津国:大阪)が発祥で、源満仲(清和天皇から数えて4代目)が摂津国に源氏武士団を形成したのが始まり。その一族が常陸国(茨城県)に移って行った
2)源満仲の子に源頼信がいて甲斐守となっているが(尊卑分脈)甲斐に来た訳ではなく、甲斐源氏の祖と言われる新羅三朗義光の子である武田義清の代に甲斐に来ている

 尊卑分脈南北朝から室町初期に出来た系図集で正式名は「新編纂圖本朝尊卑分脈系譜雜類要集」と言い長いので一般的に「尊卑分脈」と呼ぶ
平家討伐の挙兵時期 頼朝の場合
①山木兼隆(伊豆の代官で平家側)を襲撃し謀殺
②石橋山(小田原と湯河原の中間)で平家側大庭景親や熊谷直実らと戦い、大敗して
山中を逃げ回り、船で安房国に落ち延びた(3000騎の平家軍に対し頼朝軍は300騎)
③その後安房で挙兵し進軍しながら東国武士を参集し次第に膨れ上がりながら鎌倉へと向かった
④関東は長く河内源氏の地盤であったが、源義朝(頼朝の父)が平治の乱で平家に敗れてから没落し、東国武士達は平氏政権に従う様になった。
⑤頼朝は、現在の墨田川の辺りで上総広常(東国武士)の軍(2万騎)と出会うが、遅参を怒った頼朝に対して広常は頼朝の首を平家に献上しようとする秘かな考えに対して、逆に頼朝の威に感服して心から従う様になった。こうした事等により鎌倉到着時に2万5千騎に膨らんだ経緯が此処に有る。

甲斐源氏の場合
①武田信義と安田義定が波志田山(山梨と静岡の境辺り)で平家側の俣野五郎景久らと戦い勝利した。
②頼朝は甲斐源氏を味方につけようと腹臣である北条時政・義時親子を使者として送り込んだ。
③甲斐源氏は当初意見が分かれたが、頼朝が鎌倉で東国の一大勢力を築いた事を知り加勢することに決めた。
④甲斐源氏の勢力はこの時期頼朝勢力に対比して対等以上の優位な立場にあったが、武田信義・安田義定を中核とする甲斐源氏の実力的支配の及んだ甲斐・駿河・遠江は頼朝勢力の範囲外に有って別個の簒奪者勢力(さんだつしゃせいりょく:下臣が上位の地位を奪い取ること)として存在した。・・・彦由一太「甲斐源氏と治承寿永争乱」
富士川の合戦
1180年(治承4年)
①治承4年10月16日に頼朝は20万騎の大軍を率いて鎌倉を出発した
②甲斐源氏(武田信義や安田義定達)は10月18日に黄瀬川沿いに陣をはった頼朝軍に合流した(甲斐源氏軍2万騎)
③此れに対して平維盛(これもり)を大将とする追討軍(7万騎)は出発が遅れたことと、飢饉による食糧難で兵糧が不足等により追討軍が富士川西岸に到着した時は4000騎程度で士気が一向に上がらなかった(敵前逃亡する者が多かった)
④武田信義軍が平家の後背を衝かんと富士川の浅瀬に馬を入れた所、富士沼の水鳥が反応し大群が一斉に飛び立ち此れに驚いた追討軍は大混乱し逃げ惑った(源平盛衰記、平家物語、吾妻鏡、山槐集に水鳥の羽音の記述が有るが、玉葉集にはその記述は無い)
⑤玉葉集には源氏の総指揮官を武田信義としている
⑥合戦の翌日奥州平泉から源義経が黄瀬川にいる頼朝の基に駆け付け兄弟の出会いを喜ぶ

①吾妻鏡:後世鎌倉幕府により作られたが、幕府に都合良く脚色されている部分が多い
②山槐集:内大臣中山忠親の日記
③玉葉集:九条兼実の日記

②と③の作者はいずれも京にいて知り得た情報を基に日記に綴っているが、吾妻鏡より冷静(且つ客観的)に事実を記述している
富士川の合戦以後 源頼朝の場合
①頼朝は当初上洛を考えたが周囲から反対されて鎌倉に戻り、常陸国の佐竹秀義を征伐する。
②相模国府で論功行賞が行われ、武田信義に駿河守護を、安田義定に遠江守護の恩賞を与えた。
③源義経と源範頼(どちらも頼朝の実弟)は頼朝の命で、宇治川の戦い(木曽義仲を討伐)や一の谷の戦い・屋島の戦い(平氏に壊滅的打撃を与えた)で活躍し、そして壇ノ浦の戦いで平家を滅亡に追い込んだが、頼朝は二人の弟が自分への反感を恐れて最後は殺害してしまう。

甲斐源氏の場合
①甲斐源氏は東海道を進軍し、武田信義と安田義定は夫々武田信義は駿河守護、安田義定は遠江守護として勢力をを拡大して行った
②しかし、頼朝は勢力が拡大する甲斐源氏を恐れて、徐々に弱体化を図る様になった
③頼朝代官として源範頼・義経が上洛し、木曽義仲を撃った(宇治川の戦い)ことにより甲斐源氏は頼朝との直接対決を余儀なくされた。
甲斐源氏の失脚 1)武田信義:頼朝追討の宣旨を受け取ったとの嫌疑を掛けられて、鎌倉に出向き起請文を提出する(1182年)
2)一条忠頼(武田信義の子):威勢を振るい、「濫世之志」を差し挟んだ(無闇に世の中を乱そうとした)として、鎌倉御所で謀殺(計画的に殺すこと)
3)武田有義(武田信義の子):鶴岡八幡宮の法会出席の御剣役を渋って失跡され逐電
4)板垣兼信(武田信義の子):駿河国や遠江国で年貢取り立てに従わない等の罪で隠岐国へ流罪
5)安田義定(武田義清の子):息子(安田義資)の事件に連座して遠江国の地頭を解任
その上で、義資(息子)事件で処置に不満を持ち反逆を企てたとして梟首(きょうしゅと読み晒し首のこと)
6)安田義資(安田義定の子):艶書(恋文)事件を起こし不謹慎を咎められた罪で梟首
7)泉義季(安田義定の子):兄義資事件で常陸国へ流され、父義定事件で誅殺(ちゅうさつと読み罪を処して殺すこと)

いずれにしても、富士川の合戦で頼朝を助けた武田信義と安田義定の息子達は頼朝からことごとくひどい仕打ちを受けた。その中で、武田信義の息子である武田信光と武田信義の弟の加賀見遠光一族などが難を逃れた(その武田信光の末裔に武田信玄がいる)

1.

山梨でアグリビジネスは成長可能か
講演者紹介

1)親はトマトの生産を中心とした農家で、10年間県外で銀行や保険会社に勤めた
2)農業をビジネスチャンスに出来ないかと考えて山梨に戻り、独自に「農業生産法
 人」を立ち上げた(H16年)
3)NPO法人「農業の学校」を設立(H17年)
4)試行錯誤を繰り返して現在では30種類の野菜を生産し、ス-パ-やコ-プ等へ
 納めている
5)最初は土壌のデ-タ-化や、徹底したマ-ケティング、人材の育成を行い、現在
 では20人ほどの素人で経営している。
6)現在は甲府市内で農地を借用し生産しているが、最近では相模原市でも生産を
 開始した
やって見て判ったこと 1)遊休農地は増加の一途で、高齢化の為に耕作出来ない農家も増えている。遊休農地
  は全国に38万ha有り、山梨で農地を借用することは難しくない。
2)作物を作って見たい若者が増えて来た。年間約100人(女性:40%)が体験に来
  るが、本格的に取り組む若者は現状5人程度(今後も積極的に募集を掛けて行く)
3)土壌をデ-タ-ベ-ス化し、納入先へ出掛けて積極的にマ-ケッティングをやる
4)1個98円の売価でも、生産者として適度な利益は出る
5)農産物に規格が有るのは、流通側がやり易くするからで、規格外を消費者が嫌って
  いるのではない
6)顧客は値段以上の満足を求めている
7)買いたい人は向こうから来る
 ①食糧不足等より国産農産物のニ-ズは上がる
 ②しかし、実際には生産現場では無く流通に注目・集中
 ③きちんと作れば、消費者は必ず来る
8)それには、毎日の作業を軽減して作業効率を上げる事が重要
9)農家は「作る」のは上手だが、「売る」のがへた。
人材の育成 1)研修生を積極的に受け入れて、一緒に農作業を行う中でヤル気とモティベ-ション
  を高めて貰うようにしている。
2)平均年齢は25才の若い仲間だが、中には女性も居て一生懸命働いている
3)その中で、5S活動+改善を日々の作業でやっている
4)ウイリアム・ウオ-ドの提唱した以下の言葉を念頭に若者と付き合っている
 
   ① 凡庸な教師は指示を出す
   ② 良い教師は、説明をする
   ③ 優れた教師は、やって見せる
   ④ 偉大な教師は、心に火を付ける
まとめ
  1)良いものを確実に、安定して作れる技術をもつ
  2)常識は非常識⇒非常識の中にチャンスがある
  3)職人技術・プロの要素をできるだけ排除し、仕事・作業・行程をシンプルに



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