【廃墟マニヤ File001】

H島礦(長崎県)

(その4)

軍艦のようなシルエット

さて、8か月ぶりの長崎訪問。今回は無事上陸できるでしょうか?

長崎に着いた当日、とりあえず野母崎でH島をみることができるという地点まで行ってみることにしました。写真は高浜温泉のあたりから撮影したH島の姿。確かに軍艦のようなシルエットですね。ちなみに「軍K島」という呼び名は、大正10年(1921年)長崎日日新聞が軍艦「土佐」に似ているということで紹介したのがその始まりだそうです。

この日はとりあえず権現山の展望公園まで行って、長崎の宿に入ります(……しかしこの写真、水平が出ていませんね)。

 

ところが、翌日は風が強く船が欠航。がーん! この天気図だと一週間ぐらい無理だろうといわれ、精神的にかなり激しいダメージです! 仕方ないのでこの日は S免炭鉱、I 万里造船所などを見に行くことにしました。

さて次の日、一応ダメもとで夜明け前に再び港まで行ってみます。結構雲の流れが速いので半分あきらめながらも聞いてみると、なんと(!)船を出してくれるというではないですか!

 

船着場のタイル絵

じゃーん! そんなわけで、なんとか島に上陸することができました!!

船着場からハシゴをよじ登り島に降り立つと、このタイル絵が迎えてくれます。ここは元々学校のグラウンドでしたが、後には島で唯一の運動場となってしまったため、多目的広場として利用されていたそうです。

 

H島小中学校

まだ日が昇る前の薄暗い中、廃墟のかたまりのような島内の眺めに圧倒され、しばらくグラウンドの片隅に立ちつくしてしまいました。山の廃鉱跡などとはまた違った「取り残された感」が強烈に襲ってきます。実は今回島に渡ったのは私一人で、夜釣りの客は入れ替わりに帰ってしまったため、この島には完全に私一人しかいません。

正直言ってまだ写真を撮るのには厳しい明るさでしたが、気を取り直して写真を撮っていくことにしました。上は「H島小中学校」。

(別カット[1024×683pixel]を見たい方はここをクリック!

 

65号棟

そして「報国寮」こと65号棟。昭和20年建築の鉱員社宅です。

 

65号棟とH島病院

65号棟の右側に見える建物は「H島病院」(69号棟)。

 

グラウンドのトイレ

グラウンドの片隅にあったトイレ。ドラマか映画の撮影のためドアが直されたという話を聞きました。それで○キョントイレだか鈴○あみ(今は亜美ですか)トイレと呼ばれるようになったらしいのですが、あまり興味がないので詳しくは知りません。

ちなみに槽内には水がたまっていて、こんなトイレを使った経験のないナウなヤングのみなさんは、オツリを食らうこと必至です!

 

ちどり荘

これは上のトイレの隣にあった建物、小学校教員&家族用のアパート「ちどり荘」でしょう。資料によると「ちどり荘」は木造モルタルとあるのですが、いっけん鉄筋コンクリートっぽいですね。内装はもちろん木製で、ご覧の通りの傷み具合です。

 

H島病院廊下

さて、まずは「H島病院」から見ていくことにしましょう。

 

(続く)


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