【廃墟マニヤ File051】

S免鉱業所(福岡県)

(その1)

S免炭鉱・竪坑櫓

長崎のH島を訪れるために九州までやって来たのですが、風が強く船が出なかったので、急遽予定を変更。その圧倒的な存在感で、一度は自分の目で見てみたいと思っていた福岡のS免炭鉱・竪坑櫓を訪れることにしました。

 

一応、S免鉱業所(志M炭鉱)について簡単に説明しておくと、1889年(明治22年)、軍艦の燃料確保などを目的として、海軍によりS原採炭所が設立されたのが、その始まりのようです。1906年(明治39年)にはS免地区の第五坑での採掘を開始し、次第に採掘の中心は、S原からS免地区へと移っていきました。

その後、出炭量の減少などにより、もっと深い層の石炭を採掘するべく開発されたのが、現在も斜坑口が残っているS免地区の第八坑と竪坑です。今も当時の様子を伝える巨大な竪坑櫓は、1941年(昭和16年)に着工し、1943年(昭和18年)に完成したものだそうです。

この竪坑櫓の完成後、わずか2年で日本は敗戦を迎えます。戦後すぐにその管轄は運輸省に移り、1949年(昭和24年)には「日本国有鉄道S免鉱業所」と名称が変更されました。名前からわかるように、戦後は主に蒸気機関車の燃料用として石炭を生産していました。

しかし、みなさんもご存知の通り、エネルギー政策の転換によって石炭の需要は急激に減少。大規模な労働争議などが原因となったのかはわかりませんが、民間への払い下げもうまくいかず、最盛期には年間61万トンの出炭量を誇ったこのS免炭鉱も、1964年(昭和39年)には閉山となってしまいました。日本では珍しく設立から閉山までずっと国営だった炭鉱です。


満足度:★★★

 


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