法律用語あれこれ 
人とものが関わる形態
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  ●目次
  1人と人の形態              作為・不作為
   (1)約束
   (2)約束以外

  2ものを媒介にした人と人の形態   給付・反対給付

  3仲立人を伴う人と人の形態      注意義務  
   (1)法律的な無能力者
   (2)権利者が不明な場合
   (3)他人に任せる場合
     1)代理人
     2)委任

  4第三者が絡む形態
             対抗要件

  5図解



人とものが関わる形態

 人と人の結びつき(関係)を整理すると4つの形態が見えてきます。
 
ひとつだけお断りしておきます。相続は家族関係をもとにした身分関係ですが、財産権の移転もかかわります。というわけで、わたしは相続を財産を媒介にした関係と考えています(民法の教科書と違います)。
 物と物の関係は人と人の関係だという「物神性」に似て、わたしは民法を物を媒介にした人と人との関係と理解しています。

 1 人と人の形態

  (1)約束
 これは信頼に基づく約束が典型です。「
○○してね」とか「○○しないで」と互いが約束し合うことです。
 
してね・しますという積極的な約束を「作為(さくい)」、しないで・しませんという消極的な約束を「不作為(ふさくい)」といいます。
 よけいなことですが、約束や決まりがあるのに無視したり、放置することも不作為とよばれ限度を越すと損害賠償を問われることもあります。
 お金のやりとりが絡まない約束もあれば、贈与のように片方だけがお金を払う約束や売買契約のように物やサービスとお金がやりとりされる約束が含まれます。
 以上は債権編を中心にした約束ですが結婚も約束です。思い違いや錯覚も伴いますがそれは結果にすぎません。離婚という逃げ道も民法にあります。

  (2)約束以外
 人と人のつながりは本人の意思や意図と無関係に生じることもあります。
 裕福な家庭に生まれ育ちたいのは誰もが持つ願望ですが、そうならないのが現実です。
 アインシュタインは「神はダイスを振らない」と言ったそうですが、不確実で混沌としているのが現実です。
 また、親子関係はめぐり合わせです。子ぼんのうな親からまったく無責任な親までいます。
 民法の親族編は血縁関係や結婚関係のほかに養子関係まで含めて触れていますが、必ずしも平等でないのは子に生まれてくる家庭の選択権がないからでしょう。
 
 2 ものを媒介にした人と人の形態

 わたしは「もの」を物と人の行為に含めて考えています。法令用語は、「」が人間、「」が有体物、その他を「もの」と区分します。
 この形態は財産権の移転を伴うことが特徴です。

 民法の物は「有体物」です。刑法で電気やガスが財産とされるのと異なります。そして、民法の物は不動産と動産に分けられ、無記名債権は動産とみなされます。
 それじゃ、記名債権は不動産かと思いますが紙切れで有体物ではないから、やっぱり動産なんでしょう。
 主物(しゅぶつ)と従物(じゅうぶつ)、元物(げんぶつ)と果実(かじつ)、根や葉の天然果実と利子の法定果実が加わるといっそう混乱してきます。

 物権は物の支配権です。占有権から抵当権まで10種類が決められ、入会権がどこにあるか探すのに戸惑いましたが、所有権以外は限定された権利です。
 基本は
使用・収益・処分が排他的にできる所有権ですが、条文は占有権から始まるのにわたしは戸惑いました。
 また、債権は人に行為を求める権利です。13の典型契約(有名契約)のほかに多数の契約があります。
 債権特有の用語は給付と反対給付です。雇用契約を例にすると、雇われ人が労働を提供するのが「給付」、それに対して雇い人が報酬を払うのが「反対給付」です。
 契約は互いに権利と義務を持ちますので、契約の内容を特定するために給付と反対給付が出てくるわけです。
 そして、相続は親族関係をもとにした財産の移転です。相続人や相続順位が決められていますが、遺留分を除けば誰に移転するかは基本的に自由です。
 死亡を原因とする贈与は死因贈与(民法554条)にあり、遺贈の関する規定を準用します。遺贈は遺言(いごん)に基づく財産移転で、民法960条以後を読んでください。

 3 仲立人を伴う人と人の形態

 これは当事者のほかに仲立人が介在する関係です。これは、当事者の片方の法的な能力欠如の場合、権利者が不明な場合、そして他人にまかせる場合の三つがあります。

 (1)法律的な無能力者
 未成年者は親権者の保護のもとにあり
営業や結婚に親の同意が必要になります。身体的には成熟していても社会的な判断力がない者とみなされています。
 むろん親が与えた小遣いを使ったり、不利益にならない約束は未成年者はひとりで行えます。
 金がないのに高額な買い物をすれば相手に迷惑をかけるからでもあります。
 また、成年者でも精神的に障害がある人には後見人などの同意が必要とされています。
 民法の条文、たとえば7条、11条、14条は後見人等の審判開始の請求
本人ができることです。未成年者に親権者の選任の請求ができないのと異なります。
 後見人等の同意を必要とするのは法律的な判断力が欠けるからですが、取引の相手方の保護も含まれています。

 (2)権利者が不明な場合
 これは、失踪などにより当事者が不明な場合と相続人が不存在な場合です。
 財産があっても所有者や相続人がいないときには財産の管理人が、財産を管理したり処分することになります。
 所在不明が7年経過したり、戦場・沈没・危険が終了して1年後にも失踪宣告により死亡したとみなされます。
 相続人が存在しない場合は財団財産となり管理人が選任され、財産が処分されます。それでも相続財産を引き継ぐ者がいない場合は財産は国家のものになります。
 何で国のものになるかと言えば財産権は法律で認められた権利であり公共の福祉に従うからでしょうか。

 (3)他人にまかせる場合
 法律的な判断能力、これを事理弁識能力(じりべんしきのうりょく)というのはすでに触れました。
 多忙な人は自分ですべてを行えないので、他人を「代理人」に選任することができます。でも、代理人のした行為の結果は本人が負うことを忘れてはなりません。
 金を払うか否かは別にして本人が責任を負わなければならないことがあるのは行為能力者の義務であることも忘れてはなりません。
 まかせた者は、まかせられた者の瑕疵(かし=ミス)を負担するのが民法の考え方です。判断は本人が行うことだからです。

  1)代理人
 代理人には法定代理人(親権者・後見人・補佐人・補助人・監督人・管理人・管財人など)と任意代理人がありますが、ここでは任意代理人について触れます。
 代理人は本人のためにする顕名(けんめい)を示すことになっています。そのために委任状が持ちられます。代理人は復代理を選任できますが、この結果も本人が負います。
 問題は、代理権限の範囲のほか、見た目には代理権限があるように見える「表見代理」やまったく権限がないのにあるかのように振舞う「無権代理」があることです。
 似た用語に「使者」がでてきますが、これは本人の意思をそのまま伝える人にすぎません。 代理人には本人のために判断し、行為する権限が含まれています
 細かいことばかり並べましたが、
代理人は行為能力者であることを要しないことです(民法102条)。
 怪しいと感じたら権限があるか確かめることが欠かせません。

  2)委任
 土地の売買などは法律関係が複雑で宅建主任者や税理士などの専門家にまかせることになります。
 債権の中に「委任契約」があります。基本は無償です。だからといって受任者(じゅにんしゃ)が無責任なことをして良いわけではありません。
 受任者は善良なる管理者の注意義務つまり「善管注意義務」(民法644条)を負います。この注意義務は、「自己の財産と同一の注意義務」より重いものです。
 専門家に対する期待に応えることが求められるのを受任者は忘れてはならないでしょう。
 ちなみに、専門家には@依頼者の合意内容の「忠実義務」、Aプロとしての注意義務である「善管注意義務」、B依頼者の判断に役立つ「説明・助言義務」があるとされています。
 わからなくて不安だからプロに依頼する期待に応えるのは厳しいものです。無償であっても3つの義務があるのもちょっと酷ですね。

 4 第三者が絡む人と人の形態

 当事者間の双方に多数の仲立人が介在し、取引が行われるのが法人の経済取引です。それは個人間の取引も変わりありません。民法は法人も人とみなしています。
 そして、当事者間とは別に存在するのが第三者です。図で言えば両矢印とは別に枠外にいる人です。ちがいは、当事者の意思がわからないことです。 

 民法の解説は、仲立人が省略されても、第三者は必ず登場します。
 何で第三者が登場するかといえば、私人間の取引はそれ自体で終了するものは少ないからです。
 特に財産権は第三者がかかわります。土地や建物(不動産)を売ったり買ったりする時には権利の移転が絡みます。
 当事者間は合意で済みますが、第三者に自分のものだと主張するには占有や所有を公に示すことが必要です。
 ちなみに、当事者間では意思表示が合意の成立要件」ですが、第三者に示すのは「対抗要件」と呼ばれます。
 対抗要件を備えたものを「対抗力」といい、不動産の場合は「登記」が必要ですし、動産の場合は
引渡し」が必要です。

 民法の基本は意思表示です。契約を交わすようには求められていません。
 気まぐれな人の心を判断の基準にするのも民法の特異性なのかもしれません。
 契約書を交わし、記録を残すのが当たり前の現代社会で育った人間には明治時代の遺物に映ります。
 でも、それが民法の考え方であるのは認めるしかないでしょう。
  
 意思が中心の民法が何で「意思以外の行為」を必要とするかもわかりにくいところです。
 登記をしたって「真正なる名義人の変更」や「錯誤」で登記を変更している現実もあります。
 それに、登記は公示による対抗力は持つが公信力はないとされます。
 訂正しようと思えば訂正できる登記がなぜ対抗要件になるのかも不思議です。
 また、盗んだものさえ占有権を認める民法が引渡しを対抗要件とするのも不可解です。
 問題はあるにせよ、そういう手続きを行うことを行為として評価するのでしょう。
 民法は意思と行為を中心にして考える法律だからでしょう。

 それはともかく、民法は第三者が当事者の意思を知っていたかを判断基準にします。
 知っていたら「悪意」、知らないのが「善意」として扱いが異なります。
 当事者の一方とグルになって二重売買する第三者は悪意です。
 うすうす気づいても知らないと言い張る人まで善意とみなすのでしょうか。
 心はほんとうに気まぐれです。


おまけ:図解

  エクセルで作成したので罫線が邪魔ですががまんしてください。


 ★補足

 物神性: マルクス経済学をかじった人にはおなじみの哲学用語です。資本主義的生産諸関係は資本家階級と労働者階級の結びつきが商品と商品の関係という逆転した関係に映るということを、人間が自然現象を理解するとき木や山などの物に神霊が宿ると錯覚するのと同じだ皮肉ったものです。感覚や現象を扱う他の経済学にはなじまない考え方です。史的唯物論とか唯物史観というものの見方や考え方も無視できませんが、かえってものごとを複雑にさせています。

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