五代 後周 柴窯  2014/08/21改定

2014/08/08 柴窯、汝窯の動画撮影を始めます。夏の間にU-tubeにUPします。

All of Five Dynasties. 五代はこちら


Chai kiln  959 A.D.-973 A.D.


One of the most famous china in the world.
The truce of Chai kiln ware. It was not a blue sky porcelain.
It shows the clouds, in fact.

 ."After the rain,
Thick clouds are now
breaking apart"

"Beams of the sunshine
would bring me
some comforts."
 

柴窯は一般に

汝のような

青磁として知られています。

click picture


暗い雲間に差し込む数条の光。
その有様の美しさ、それを焼き物で作って欲しい。(新解釈)




雨過天晴雲破処 庶般顔色

雨過天青 雨上がりの空の色
 雲破處 雲が破れて、光の差し込むところ
 這般 諸般、庶般の意味で前段を指し、
このようなと訳す。
これは当時のミススペル 
 顔色 顔色は色の他、様子、ありさま。
  做はまねて、似せて
 將来  持ち来たれ

上の写真は15秒で切り替わります


なるほど 雲やぶるるところ うまく出していますね 青磁の青 じつは雨雲の色だったんですネ
中国統一の意気込み なしえた喜び。しかし、迫りくる死期を知っていたのか?


The short story about Celadon.

中国の青磁の歴史をかいつまんでご紹介。

206 B.C.-220 A.D. Han Dynasty

五代の前の青磁を知る

漢代に初めて登場。 しかしガラスの分類に、なぜかなる


386 A.D.-535 A.D. Northern Wei

北魏の熊灯


618 A.D.-907 A.D. Tang dynasty Jun kiln wares

唐代鈞窯をみる

 645 A.D. 李承乾墓
華宝鈞鈞窯
 684 A.D. 李賢墓
華宝鈞窯
 705 A.D. 則天武后墓 華夏鈞窯(華は武后文字)




Two Dynasties named "Zhou".

Zhou Dynasty 690-705  in Tang Dynasty and Zhou 951-960 in Five Dynasties.

二つの周 唐の周(則天武后)と五代の周(柴栄の後周)

磁器の流れを見る
Zhou Dynasty in Tang Dynasty



960 A.D-1127 A.D. Northern Song Dynasty

Jun kiln 謎の窯移動とは 後周(951-959)のおわり

きん州(今の兎州)に残る伝承 きんの窯移動です それまでは、恐らく都にあったのでしょうか


五代の終り、柴氏柴窯の工人は後周が滅び、王の庇護を受けられなくなります
陶家は皇帝にとって宮廷詩人、宮廷画家のような存在です
宋のショウ氏は先帝に遠慮したというべきでしょうか




柴の工人は鈞に移り、ろくろを、初めて覚えた。



宋代 用液化気の技法 実に地味目






Fudal guan kiln "JUN ware"

やがて、北宋徽宗皇帝の時、郡官窯となり、植木鉢を焼く。
鈞郡官窯 Fudal guan kiln JUN ware となります






Famous Ru kiln was made in Song Dynasty.


そして、汝窯 が生まれます。(左 きん民窯期Jun kiln)

皇帝三代の汝ご覧ください

Jun Kiln(left) and Ru Kiln in Song Dynasty.


左 Chai Kiln 柴窯        右 Ru Kiln 汝(汝新窯) 兄哲宗墓 副葬品




  雨過ぎ 天青く 雲破るるところを土に写し取れ 

“  柴栄の壷は見事なり 旺の思いはいつの世も変らぬのだな  






1127 A.D.-1276 A.D. Southern Song Dynasty

柴の色 汝窯の粉青青磁 悲しみの青磁はやがて南宋に


Shuneisi Guan Kiln 修内司官窯


左端 哲宗墓 副葬品の汝 悲しみの貫入青磁 
中と右 修内司官窯  それを写した悲しみの粉青青磁 
青磁が悲しみの磁器ということがうかがえます
中 右端 南宋官窯 粉青青磁 南宋の汝とも言えましょう 多くの遺骸が戻ります
のち民窯で発展する龍泉窯に引き継がれます
一部わが国にも伝わりきぬた青磁の名で親しまれています。


7
Now On Sale !

  
中国では真品を前にして倣品 復古品は作られる


さて人気の柴窯 清朝崩壊後からでしょうか 多くのコピー品 よく言えば復古品が今日まで作られています
つまり、コピー品から真品を逆にたどる方法があります


誰も知らない 鑑定コーナー 有名ITオークションに見る  2014/08/18 補足

柴窯
柴栄墓
Chai kiln
柴窯A
柴宗訓墓
Chai kiln
 柴窯B
柴宗訓墓
Chai kiln
e-bay yafoo japan
 

雲破るるところ 第二弾です 亡国の柴窯B 百合口の壷 
倣品の多くがこの壷の形をコピーしています



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Chai kiln Inside Story

雨過天晴 実は上のお話は、どうやら後世に作られた逸話のようです。

元代に柴窯のことが記述されたそうです。

恐らく明代から、北宋5名窯とともに喧伝されたもよう。

法を最近、測り直しました。やはりというか、そうかというか。今後訂正していきます。


   

2014/08/17  2人の皇帝

左 五代柴宗訓 右 五代柴栄 副葬品に訂正致します。


2014/08/07 五代皇帝 世宗柴栄 暗殺疑惑

雨過天晴 法は語る 生年921-没年959 享年39才 宋の暗い夜明け

葬者はきさき(義から)、口舌はけんか、いさかい。官鬼、病臨、死絶から、毒殺の模様。

 法(ろはん尺)
高さ 丁、胴 義、底 義、旺、苦官鬼

花のモチーフ(首のところ)
苦官鬼、苦失脱

縦リブ(リブ幅)
害災至、害死絶、害病臨、害口舌
旺進宝、害病臨、害口舌、旺天徳
リブ2本幅は苦失脱、義大吉、苦劫財

法(ロハン尺)の簡単な説明はこちらまで


2014/08/17 五代皇帝 柴宗訓 亡国の柴窯A 暗殺疑惑

生年953-没年973 ただし真贋 実に不明 法は語る 

 法(ろはん尺)
高さ 財、胴 義、底 義、旺、苦官鬼

花のモチーフ(首のところ)
旺納福、旺進宝
縦リブ
害死絶、害病臨、害口舌、丁登科
害病臨、害口舌、旺天徳、害病臨、害死絶
リブ2本幅は旺、害災至、害死絶、害病臨
旺納福

法(ロハン尺)の簡単な説明はこちらまで


必見 最近の柴窯と汝窯の話題
2013/06/23



なにかをまねる事はできるかもしれない しかしその時代の精神
つまり力強さをまねる事は難しい

 
唐代 周の終り 中宗が娘 永泰公主の為に焼いたか。美しいが、帝に力がない。
真贋不明 しかし法はすばらしく、数を見なければ、真になる。






お時間のあるときお読み下さい

法(ロハン尺)の簡単な説明はこちらまで

法を知る
日常食器をつくる場合
 まずはじめに 親を亡くした皇太子が詩を詠みます

更に詳しく法を知る

法と景徳鎮
北宋期 景徳鎮と改名され郡官窯となりますがまずこの法がうまく作れなかったようです
南宋期 龍泉窯は素晴しい官窯品も作りますが 
大量生産 分業のやはり景徳鎮ではとて
も良いものはこの頃できなかったようです 

まだまだ興味はつきません
晩唐の悲劇
越磁秘色
呉越 ミカドに遠慮 
柴窯 南唐
李いく


2009 6/6   2010 6/30 7/19

しかし 実際は晩唐期の鈞窯を引きずるかのように
ただれた様な紅柚 べとっとかかる青い柚の磁器が目立ちますいわゆる鈞柚独特の柚です

2009 6/6
このずん胴の力強い形は、他の同時期の磁器にも見られる特徴のようで
柴窯を推理するポイントかもしれません 白菜のようなきんユウ 花瓶があります
晩唐から柴窯 鈞郡官窯 鈞郡官末期




初めに青磁とは  古来中国では悲しみの表現

現代の私達の概念からはずいぶんと意味合いが違います
太宗 武后とも哀れな別れを余儀なくされた皇太子に贈られました
青磁とはそういう磁器だったのでしょう

漢代のガラス ネックレス
親に連座した皇女5人の首にかけられた 
漢墓出土の雨過天青を見る 唐 太宗の青磁を見る 唐 則天武后の
青磁を見る




Let`s look up the ancient Tang dynasty`s celadon porcelains.
五代以前の青磁の確認

唐代紅柚で有名な か夏鈞窯 なんと全く趣の違う貫入磁器 金糸鉄線を王命で作ります

 長安 高宗武后  イトク墓
 金糸鉄線
長安 玄宗墓
黒哥窯
アンロク山墓
白哥窯
たまごとひょうたん
 バイヨウ経は卵 連卵はまさに経そのものです
小さなひょうたん5つに守られる
周のおわり 法は旺官義
貴妃アンロク
と玄宗か
水割り貫入

もと形は恐らく、唐代 中宗が遺したイトク墓の副葬品 
か夏きん窯銘消し 金糸鉄線 玉を争う双龍の壷 でしょう

 
柴氏柴窯の工人の、今に名を残すゆえんと感じます
またひながたが、唐代 金糸鉄線で、その名を遺す章生一の壷であった。

We better see it.
必見 最近の柴窯と汝窯の話題
2013/06/23



轆轤(ろくろ)について。

昔、当地、瀬戸では、ろくろを使って、お茶碗を一日に、800個から1000個、
一人で腕の良い職人は作りました。きちんとした寸法に、ちゃんとなるのですから、すごいです。
そのため、報酬は、窯担当の親方についで高かった。

これに比べて官窯は、型を使います。1つかふたつ、皇帝の思いを法で表わす官窯。
現在でも、原型師の作る型は、100万円。(母型と生産型合わせて)これで、製品2つなら、型代で各50万円。
ですから、古美術品で偽物は作家の物(主にろくろ引き)と、企業の物(主に鋳込み型)に分かれ、それぞれ、鑑定の観点が異なります。

作家のロクロものは、数こそ少ないが、貫入のねじれなどが重要です。
官品はろくろを使いません。作家ものは、真を求める時、すべてだめです。

企業の型ものは、当然数がでます。ゆうも変えます。
時代ごとに好みのかたちがあるようで、これが真倣の判断に一番良い。尚、真は普通は2つまでです。
類品は倣と思ってください。

法に合って、なをかつ、見た目も素晴らしい磁器。大変、技量が問われます。




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