民窯期
宋きん窯のすべて

2006 8/3 更新
紅斑白磁 王の磁器を持たない宋

宋は王朝ではなかった 京のみかどに遠慮した鎌倉幕府なのでしょう。 長安 洛陽に遠い 田舎の開封に住み続けたのも似ています
定は長く民窯で宋から委託を受けて官品を焼いた模様 民窯だったきんを郡官窯としたのは北宋末期の我らが徽宗帝でした

唐代きん窯のおさらい

か夏鈞窯
金糸鉄線
唐代 武則天期は芸術のおよそ第一次興隆期 (2次は玄宗期)
金糸鉄線で有名な、か夏鈞窯 華は武后文字の為
宋代に当て字で可窯となったのか
 およそ684年から750年です

即天武后期 か夏きん窯 章生一
玄宗期 弟の華芸きん窯 弟窯の章生二と推測
他にガラスの塊の白可窯 
玄宗期の黒可窯で終わる模様

五代 柴窯
後周旺、柴氏は余程この窯家とも呼びうるきんの工人が気に入ったのでしょうか柴を与えます 中原きん窯の一派でしょう

 南唐では墨の職人がやはり賜姓されています
 五代の終り、柴窯の工人は後周が滅び
王の庇護を受けられなくなります

お話はここから
 さて宋の趙氏は先帝に遠慮したというべきでしょうか この栄光の柴の名の付く窯を同様に我が物にしません

やがて徽宗帝は汝窯で、この柴のぼう古も作ります
汝はそれまでも官品を焼く窯ではあったようですがベージ色の宮廷磁器を作っていました
徽宗帝即位後 財政建て直しの為か国の直轄管理になり 汝官窯と呼ばれます やがて美しい青磁の汝新窯がしばらく作られます
さて本題のきんに戻ります きんもやがて郡官窯となりますがそれ以前の民窯期の成り立ちです

きん州へ窯移動 きん窯 民間期のはじまりです

北宋期 窯跡 とても小さな事が分かります 
倒炎窯と言って上から綺麗に炎が噴出す極めて精巧に作られた二重窯
 温度ムラなくまた正確な温度管理ができたようです
唐代に完成された模様で宋はその復古でしょう 1997年国策としてまた復古されます



 当時、きんでは黒ユウを主に、白磁を少し焼いていたそうです
 定も黒9割白1割焼いていました
 
黒は日常器、白は祭祀器、副葬品でしょうか 柴の工人はきんでロクロを初めて覚えたそうです
 
ロクロは民窯の証しです 

参考 黒磁 きん柚
またきんという言葉にはロクロの意味があります 唐以前に1000年以上の歴史があるそうです

 土がアースカラー、ユウは青と赤の澱青タイプが特徴です
また発泡性のユウ、煙でいぶしたようなものもあります

左 五代柴窯 右 きんに移って焼いたもの
宋代 民窯期
赤は郡官窯期でしょうか
長く宋では赤がタブーのようでした
唐代 武則天期後 星神きん磁の名物 
昇る太陽はこうした柚裏紅(ゆうりこう)で伝わる
特徴的な発泡性のユウ 下は煙でいぶした感じ
   


きそう期 
郡官窯になりました 工人の自由に作れなくなります (下はすべて2の大きさです)
亡くなった高級官吏にセットで贈ったのではと考えます
 鉢には皇帝が丹精込めた盆栽が活けられていた
のでしょう 後世この事実はゆがめられます
食べ物を盛ります ささげ物です
 
五代一覧

越磁秘色(ひそく)  呉越秘色  けい 定   柴窯  南唐
北宋一覧

可民窯  きん民窯 きん郡官窯  汝窯  汝新窯  徽宗表の官窯  裏の官窯

Southern Song Dynasty Guan ware
南宋一覧  宋銘  修内司官窯 郊壇下官窯  粉青青磁  竜泉窯


唐代  鈞窯(きん窯) リストに戻る
三彩人物ヨウリストはこちら
誰も知らない名窯のすべてトップにもどる
All copy rights reserved Fan de Fan Inc. 不許複製
このサイトは株式会社 Fan de Fan Inc.により運営されています