かいもん4号のホームページ TRIAL20000 大間線(未成線)
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大間線(未成線)です。 津軽海峡を挟んで同じく未成線に終わった戸井線と同じく、北海道と本州下北半島間の最短の地を、海峡連絡の船を介して結ぶべく計画された路線です。 こちらも着工はされたものの、結局開業には至らず工事は中止。 北海道連絡は西側の津軽半島経由の青函トンネル経由になりました。 やはり現在でも当時の遺構が残されています。
尚、北海道側の未成線、「戸井線」の遺構は こちら から。

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2009年5月

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2020年6月13日   2009年5月 一部追加

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2009年5月


最北端の地。

 「本州最北端の地」の碑が建つ、本州は下北半島の大間崎。
 観光地として、また「大間のマグロ」の水揚げとしても有名です。
 かつて、この地を目指した鉄道が建設されていました。 残念ながら着工されるも途中で工事が中断され、そのまま「未成線」に終わった「大間線(大間鉄道)」です。



 下北交通の大畑バスセンターです。
 建物はかつての国鉄大畑線の終点駅、大畑駅の駅舎そのまま。 その後国鉄の地方交通線廃止に伴い、下北交通に移管されましたが、赤字を食い止めることは出来ず結局廃止された大畑線です。
 ここから更に北東、本州最北端の地、大間を目指す鉄道の建設がかつて進められていました。

アーチ橋。

 赤川地区に大間線の軌道跡が残されていました。
 計画が中断するまでに工事はかなり進捗しており、このような橋梁やトンネル跡が今でも多数残されています。

アーチ橋。

 本州と北海道連絡の役割も構想にあった大間線ですが、その割には華奢な造りに見えるアーチ橋です。
 津軽海峡を挟んで対岸の未成線、戸井線跡にもありますが、この時期の鉄道。 コンクリート造りのアーチ橋が多数見られます。

道路と併走。

 連続するアーチ橋は、こんな感じで道路と併走していました。
 「根本」の大畑線が廃止になったくらいですから、開業していたとして地元の足になれたかははなはだ疑問ではあります。
 が、もし北海道連絡の役割を担っていたらどんな姿になっていたんだろう、と想像をかき立てるような眺めではあります。

道路。

 赤川村から佐助川に向かって下るあたり。 この付近は一部が道路に転用されており、それらしい跡を歩いて巡ることが出来ます。
 晴れていれば目の前に津軽海峡が望める眺めの良い区間です。

橋梁。

 国道沿いにぽつんと建った橋梁の遺構。 大赤川に架かるコンクリート建造物が、前後のつながりが全くないままに残されていました。
 完成していればこちら側が築堤、川の向こうが更にコンクリート橋、と言う感じでしょうか。 

コンクリート。

 川に架かる部分だけ先に着工。 と言う感じで残された遺構です。
 向こう側。 更に小さなアーチで続いたであろう風景が目に浮かぶようです。

狭い敷地。

 山と海との間の狭い土地。 僅かの平地の住宅を避けて、こんな感じで用地跡がありました。
 道路は住宅の海側に通っていますので、これでは「転用」しようもありません。

トンネル跡。

 鉄道の建設に当たっては、工期の長い部分から着工するのが常道。
 ということで、このトンネルも貫通していたのでは?と思われます。
 しかし危険防止からか、入口部分はコンクリートで塞がれていました。

橋脚。

 こちらはアーチ橋とは異なり、低い橋梁跡です。
 平地に近い高さで幅の狭い川を越えるため、ごくごく普通の鉄橋が掛かるはず、だったようです。

海岸沿い。

 海岸沿いの狭い土地を進む、国道279号線と大間線跡です。
 鉄橋の桁が架けられるのは工期の比較的後の方ですから、この場所では結局「コンクリート橋脚」までの工事だったのでしょうか。  

観光転用。

 下風呂地区のアーチ橋です。
 ここは「遺構」ではなく、観光用に整備されていました。
 石造りのアーチ橋と言うイメージではもはや無く、遊園地のおとぎの国といった感じがします。

案内図。

 イメージはこんな感じです。
 この写真では少し文字が小さめですが、あまり余計な説明は書かないことにします。

メモリアルロード。

 遺構と言うより観光用ですので、こんな感じで路面もきちんと整備されています。
 アーチ橋の上を安心して通れるのは楽しいです。
 が、「橋の上」と言うよりは、何だか「駅の跡」的雰囲気ではあります。

漁港。

 鉄道跡も楽しいですが、アーチ橋の上から眺める下風呂漁港とその先の津軽海峡。
 この日はお天気も良く、眺めも最高でした。
 手前の町街並みも感じ良く、ゆっくり泊まってみたいような鄙びた温泉郷です。
 この部分だけ、「レール」があるのが、鉄道遺構らしい感じです。

大間方面。

 この先、本州最北端の大間方面に伸びていたであろう、大間線です。
 開通していれば、津軽海峡を眺められる風光明媚な路線だったことでしょう。
2020年6月13日一部追加

アーチ橋。

 上の写真では角度的に少し判りにくいですが、アーチ橋。
 10個のアーチを連ねた長い橋です。
 完成していれば、別の名所になっていたかもしれません。  

橋の上。

 少しだけカーブしたアーチ橋。 橋梁部の中央に、休憩所とモニュメント的な石碑があります。
 長い遊歩道になっていれば楽しいかも。
 しかし残念ながら整備されているのはこの部分だけです。

記念プレート

 メモリアルロードのアーチ橋部分中央部にある、記念のプレートです。
 詳細は写真をご一読ください。
 ところで最後に「放置されたまま」となってはいますが、すでに道路や住宅に転用された部分もあり、放置⇒復活は無理な状態ではあります。

記念プレート2。

 銅板エッチングのプレート自体は、こんな感じで線路用地中央に設置されています。
 文章の詳細は次のアップ写真で。

プレート。

 文章の詳細はこの写真でご確認ください。
 ところで、確かに「歴史的価値のある陸橋」なのですが、保存という観点から見ると、少し厚化粧しすぎかな〜という気はします。

行き止まり。

 アーチ橋を含めたメモリアルロードの一番端の部分。 ここで行き止まりです。
 わずかな平地あらは少し高めの場所で眺めも良く、もう少し長ければもっと楽しいのでしょうが。

大間崎。

 本州最北端の地、大間崎です。
 下北半島の一番北側に突き出しているため、北海道の南端・松前町あたりよりは、緯度的にはこちらが北になります。
 観光地ですのでバスはここまでやって来ますが、大間線の終点はここではなく、大間の市街地の予定でした。

啄木碑。

 歌人・石川啄木の歌碑。  津軽海峡を挟んだ北海道は函館にも啄木碑があり、繋がりを感じさせます。
 今回の写真にはありませんが、天気が良ければ函館山が意外と近くに眺められる、本州最北端の地でした。  

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